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2006年11月 5日 (日)

☆『オール・アバウト・マイ・マザー(1998)』☆

2日(木曜)。帰宅後、衛星第2で放送されてたのを観た。劇場公開当時、観に行った作品でもある。作品のテーマが「生(誕生)と死(別離)を“軸”にした、女の喪失と再生の物語」ってトコロにあるので(と我流に解釈)、性別の異なるワタシとしては、ちょっと作品世界に突き放された気がしないでもない(・ω・) 年頃の息子を持つシングルマザーの方が観ると「眼を覆いたくなるほどに痛々しい」そんな作品とも聞いたことがある・・
奇才ペドロ・アルモドバルが監督・脚本を手がけたスペイン映画。その後の彼の作品『トーク・トゥ・ハー(2002)』に比べると、やや全体から受ける印象ががさつな感じ(洗練されていない)で、(人により)不快感を覚えるエロ表現(台詞)などもあったりするが、登場する様々な女たちの秘めたる経験、人生観があちこちにちりばめられているようで、その意味ではパワフルでもある。
「性同一性障害」「後天性免疫不全症候群」「臓器移植」・・と取り上げるネタが精神医療、近代医学の分野に走ってる傾向もあるか。その点では医学関係の方の感想も聞いてみたいかも(・ω・)

マドリードの街。ラモン病院で「移植コーディネーター」として働くマヌエラ(セシリア・ロス)は36歳(実際にはセシリアさん、1956年のお生まれとのこと)。シングルマザーとし、育て上げた1人息子のエステバンは間もなく18歳。文豪トルーマン・カポーティを敬愛する彼は「母の半生を題材にした小説」を執筆しようと考えている。そのため、これまで母の口から語られることのなかった父の姿について教えて欲しい、とマヌエラに乞う。
そんな母が「18歳になったら教える」と息子に対する決心を固めつつあった矢先のこと。母子で出かけた公演『欲望と言う名の電車』を鑑賞した雨降る夜、エステバンは主役(ブランチ・デュボワ役)を演じた女優ウマ・ロホにサインを貰うため、終演後に楽屋口からタクシーに乗る彼女を追いかけるが・・交通事故に遭い死んでしまう。

エステバンの若い心臓は摘出され、移植されることに。それを見届けたマヌエラは、17年前とは逆に、マドリードからバルセロナへと旅立つ。自身の過去と向き合い、またエステバンの死を別れた夫ロラに伝えるためバルセロナにたどり着いた彼女は、ゲイでモデルをする(F行為もする・・)アグラードに再会、ロホが既に同居人の彼(?)のもとを去ったことを知る。またアグラードを介して知り合ったシスター(妊娠3ヶ月)、ロサ・サンス(ペネロペ・クルス)には、その実の父親もまたロラであることを聞くのだった。
当面の仕事を探していたマヌエラは、バルセロナで『欲望と言う名の電車』の公演中だったウマ・ロホに再会、とある流れから彼女の付き人となる。

若き日に、ロラ(スタンリー・コワルスキー役)と組んでステラ役(ブランチの妹かつスタンリーの妻)を演じた経験のあるマヌエラは、今回の公演で薬物中毒により出演出来なくなった女優ニナ・クルスに代わり、急きょステラ役を演じてのける。公演中止と言う事態を救ったマヌエラに対し感謝しつつ、「雨の夜、マドリード公演でサインを無視してしまった少年」のことを思い出したウマ・ロホは彼女に詫びるのだった。

やがてマヌエラの傍らで、親しき者の「死」と「誕生」が。その葬儀の日(息子の死から半年後)、彼女はようやくロラに再会するのだが、彼にもまた「死」の影が迫りつつあるのだった・・そんな流れだろうかな。

落ち着いて振り返ると、何だか主人公マヌエラの周囲で絶えず「別離or死」が展開されてる感もあったり。「セシリア現るところ乱あり」みたいなツッコミも何となく沸き起こった今回の鑑賞(⌒〜⌒ι) いや、彼女は別に悪くないんだけど。
また、今回観直して思い浮かべたのは「“エステバン”と呼ばれる生命のリレー」って言葉だろうか。劇中に3人の“エステバン”が登場することとなるんだが、妙に大河ドラマっぽい流れになっていて、作品全体に「荘厳さ」を与えてもいる印象。
マヌエラの息子であるエステバンが「死して他者に心臓(=命)を与えた」と言うシチュエーションも、1つの「リレー」として描かれてるが、マヌエラの決断・・そしてロサの決断も無意識にそんな「リレー」をイメージさせてはいないか?

ちょっと面白かったのは、バルセロナと言う街の描写のされ方だろうか。マヌエラが到着した夜、彼女の乗るタクシーの窓ごしに「桜田さん一家(≒サグラダ・ファミリア教会)」がチラッと映されるんだが、全編を通じ「観光地らしい観光地」が映像とし出て来たのはそこぐらいだった気がする。どうもアルモドバル監督が「ロケ強調の路線、やめっ!」と製作現場でいきなり叫んだような気がしてならない(=^_^=)
終盤なんぞ、線路が映し出された画面で列車が「グォーッ」とすれ違い(?)、そこに「2年後」と言う字幕がかぶせられるだけ。。「なぁあんた、何か手抜きしてないか?」みたいな(⌒〜⌒ι)
って言うか、ラストに「ウン年後」って字幕を入れるやり方は日本の連ドラ(とそれを送り出すヘタレ脚本家)の専売特許なんだから、巨匠にはマネして欲しくないぞぅ(=^_^=)

〜 こんな台詞もありました 〜

アグラード「あたしの中の本物は、ハートと体中のシリコンだけよ」

ウマ・ロホ「私の人生なんて、このタバコの煙と同じ。味もにおいもない・・慣れれば“ない”も同じ存在よ」

マヌエラ「何人もの男と寝たけど、私は売春婦じゃない」
    「女は孤独だと何だってするものよ」
    「うそは巧いわ、アドリヴも慣れてる」 ←ステラ役を演じ切る実力をアピール

ロサ「あなたは大女優だけど・・人間として間違ってる」 ←ウマ・ロホに
  「私をそう追い詰めないで」 ←咎める母親に

エステバン「たとえ彼がどんな人で、母に何をしたとしても・・僕にとっては父だ」

ロラ「この子に流れる1滴の血に、私の時が凝縮されている」

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