2009年8月 5日 (水)

☆『レスラー』☆

4日(火曜)の夜。
実は、先般に受けた“某研修”に関する提出課題の期限がじわりじわりと迫ってる現状ながら(×_×)・・ついつい気分転換したくて、商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”で上映の始まった『レスラー』を観て来ちゃいました(・ω・)>

ま、エッチな行為についてなんかにも言える(のか?)ことだが、変にムリして我慢してると、余計ストレスになっちゃう訳で・・今夜の選択は、それはそれであながち間違いでもなかった気がする・・ってか、間違っても自業自得だネ(⌒〜⌒ι)

『ランブルフィッシュ(1983)』『イヤー・オヴ・ザ・ドラゴン(1985)』『エンゼル・ハート(1987)』『ハーレーダヴィッドソン&マルボロマン(1991)』などで“セクシーの権化”とまで称された(のか?)我らがミッキー・ローク。

その後『レインメーカー(1997)』『ダブルチーム(1997)』『追撃者(2000)』で各々“完全復活”などと言われつつ・・なかなか浮上してくれんかったのだが、、半モノクロでも(2005)、チワワ以下の扱い(2003)(←おい!)でもない立ち位置(?)でもって、ようやく我々の前に再び、その勇姿を現してくれた!

今やリアル“マーヴ”って感じで、セクシーさとはほど遠い外見(ファンの方、済みません)ながら、背負って来た逆境がそのまま表情や物腰ににじみ出てるナチュラルさ・・(⌒〜⌒ι) んでも、天性のユーモアのセンスも手伝ってか、そんなに不快さは感じなかったな。

今度こそ“完全復活”を果たし“世界のミ※キー”がミッキー・ロークにこそ相応しい代名詞であろう事実を証明して貰いたい!(=^_^=)
(あと、ロバート・ダウニー・Jr.やジョン・トラボルタと共に“アンブレイカブル3”なんてなSFアクション大作に主演して欲し〜)

1984〜89年を絶頂期とし、かの“マジソン・スクエア・ガーデン”でも歴史に名を残すファイトを披露してくれたプロレスラー=ランディ“ザ・ラム”ロビンソン(本名:ロビン・ラムジンスキ)(ミッキー)。それから20年後・・に至っても、まだまだ現役レスラーとし、しぶとく地方での乱闘に明け暮れる毎週末であった。

家族を棄て(に棄てられ?)、リング外では家賃滞納に苦しみ、不器用な人間関係しか築けないこの男だったが、、ある日、ファイト直後に心臓発作を起こし、ロッカー室で昏倒してしまう・・

目を覚ましたランディに、主治医は「心臓のバイパス手術を受けた身体です。プロレスなんてとんでもない」と言い放つ。
それを機に、長く別れたままの娘=ステファニーに意を決し再会、久々の“父娘の触れ合い”の中で1度は「引退」を決心する彼だったが・・運命の悪戯により、再びリングに立つ道を選ぶ。

特設リング上で彼を待つのは、往年のライバル=テヘラン出身の“中東の獣”アヤトッラー(←現在の姿は、中古車販売チェーン店の社長・ボブ(=^_^=))。彼との“20周年記念・リターンマッチ”がファン・フェスタとし、盛大に執り行われるのだ。
(と言っても、入場料は20ドルだが、、)

一方で、彼に想いを寄せられつつ・・“とある事情”からランディを拒み続けるトップレス・ダンサー=ラブリー・キャシディ(本名:パム)(マリサ・トメイ)の揺れる女心の行方は?

そんな中、いよいよランディ最後の(?)大試合のゴングが高らかに打ち鳴らされる・・

私的には、まぁ予想してた通りの(それはそれで見応え十分だが!)ミッキー・ロークの演技&存在感だったが・・それ以上に! マリサ・トメイさんの弾けっぷりにこそ圧倒されっぱなしだった! おっぱい丸出し! おしり丸出しでのポールダンス! このしとの体当たりさも何だかモノ凄かったです(×_×) ってか、どったの?!

片田舎の(?)レスラーの日常や、試合の裏側(?)なんかをドキュメンタリーっぽいタッチで淡々と映し続ける映像も、あざとさは感じられず、すうっと(観る者の)心に入って来る感があった。

(表立っての)“流血尽くし”の無茶苦茶な試合運びの影で、相手レスラー(後輩レスラー)を思い遣るセリフなんかもあり、命がけの“信頼関係”が確かに存在してるトコにウルッとしかけてしまったりもし・・

中盤〜後半にかけ、ランディが「ロビン」の名札を胸に付け、スーパーの惣菜売り場で真面目に働くシーンは、ムダっぽく見えつつも、なかなか面白い! 本人は(接客が)苦手そうな素振りを見せてたが・・めっちゃ客あしらいは巧いし、カリスマ店員の素質すらも潜在してると思ったな(=^_^=)

作品自体は、結構フツーな流れながら、ダレ場もなく楽しめた☆
ただ惜しむらくは「キャシディ⇒ランディ」に大きく傾く部分にもう1演出欲しかったか? あと「ステファニー⇒ランディ」は敢えて“ベタな演出”を更にもう1〜2ケ、挟んどいて欲しかったかな、私的には(・ω・)

オープニング同様、ラストもランディの決め技“ラム・ジャム”で幕となってく展開!
ワタシの直感したトコロでは「飛ぶ前にしっかりと“弾み”を付けてる、あの動き」から・・きっと良い方向に(あの後)ストーリーが流れて行くんではないか・・と思うんだが??

〜 こんなセリフもありました 〜

ランディ「小利口に立ち回る奴らは放っとけ。俺たちは“実力勝負”だ」
    「息をする度、(古傷の)真っ二つに折れた鎖骨が痛む・・大歓声で忘れられるが」
    「ハードコアで行こう」
    「先のことを考える気分じゃない・・だが、独りは辛くて」
    「ランディのアクション・フィギュアだ。蒐集家の間では300ドルするらしい」 ←ウソらしい。。
    「昔の曲はいい」
    「ニルヴァーナの登場で、80年代ロックの“お気楽さ”はぶち壊しになった」
    「それは前座、これがメーン(のプレゼント)だ」
    「俺の“勘違い”と? 何故自分(の気持ち)を誤摩化す?」
    「とにかく、大歓声だ」
    「最近? 呑気にやってるさ」
    「ロビンだと? 俺はランディだっての!」
    「俺にとって痛いのは・・(リングの)外の現実の方だ」
    「ほら・・あそこが“俺の居場所”なんだ」
    「ここに・・このリングに立ってる限り、俺は“ラム”だ!」

キャシディ「『パッション』は傑作だから観なきゃ。2時間ずうっと“拷問シーン”よ」
     「直感は大事よ」

ステファニー「そんなの、忘れたわ」
ランディ「俺は覚えてるさ」

キャシディ「気分は?」
ランディ「ヘラクレスにはほど遠い」

ネクロ「“ステープル・ガン”はどうだ?」 ←先端からホチキス針を打ち出す器具
ランディ「かなり痛いか?」
ネクロ「大したことないさ」
ランディ「いいが・・そのガン(の使用)は控えめにな」

プロモーター「ドロップキックで場外だ。観客をジラせ!」

ウェイン「ドアを開ける前にノックは? やり直せ、マジでだ!」
    「熟女たちが列をなして、惣菜を求めて来るぞ」

トミー「ブーイング上等!」

子供「ラム、起きてよ! 技、かけてよ!」 ←マジにチョークスラムを・・(こらっ!)

ランディ「家賃の滞納? いつも真面目だろ?」
レニー「“締め出された時”だけはな」

ランディ「勤務時間を延長してくれよ」
ウェイン「何だ? タイツの値上がりか?」
ランディ「それ、笑えるな」

追記1:「20年後」「14分前」などの自由自在な(時間経過を表す)字幕がイイ感じ☆
追記2:女の子の着る服は「ゴス」「パンク」「ヒッピー」「プレッピー」の4種に大別されるそうだ(・ω・)
追記3:トイレでパコパコやってるシーン。。入って来たメガネ女性客のツッコミ「こんな所で!」が至極真っ当であるが故に笑える!
追記4:ラスボス(=^_^=)のアヤトッラーのキャラがメチャクチャ面白い!
・試合直前のランディのマイクパフォーマンスにしんみりしつつ「良く言った・・」と言葉をかけたと思いきや・・次の瞬間、背後から「オラァ!」と不意に殴り付ける(=^_^=)
・半ば引退して久しい(20年)くせに「この楽しさ、忘れてたぜ!」とノリノリになって来る(=^_^=)
・「異教徒め!」と暴言を吐く(=^_^=)
・「(ここらで)幕にしよう」のランディの提案に、素直にコクンと頷く(=^_^=)
追記5:スーパーでの“ケガ”シーン・・かなり「深手」に思えたんだが、、ひょっとして“アンブレイカブル”?(またかよ!)
追記6:スーパーでは、あの婆さまに「何モグモグやってンの?」と突っ込んで欲しかった(=^_^=)
追記7:義足で人様を殴ってはなりません!

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2009年6月11日 (木)

☆『レッド・サン(1971)』☆

10日(水曜)の夜、衛星第2で放送されたものを中盤より鑑賞(約30分の遅れ)。。

本作がこの夜、放送されることは知っており、冒頭から「観る気マンマン」だったんだが・・ちと酔っ払っての帰宅だったこともあり“ほんの少し”のハズの仮眠が約1時間半にも及んでしまったようだ・・ぐふぁっ(×_×)

テレンス・ヤング監督による“異色の西部劇”。

日本からやって来た侍=黒田重兵衛(三船敏郎)が、さすらいのガンマン=リンク(チャールズ・ブロンソン)と共に“左利きのゴーシュ”と呼ばれる盗賊の頭領(アラン・ドロン)を追う。
黒田は奪われた(大使に献上すべく持参した)宝刀を取り戻すため、リンクはゴーシュの持つ“隠し金”の在処を掴むため。

3者がいよいよ相まみえた時、コマンチ族(ネイティヴ・アメリカン)の一団が押し寄せ、乱闘の様相を呈することに・・

いやー、豪華やね!

ワタシの中では「おお、ミフネ!」「おお、アラン・ドロン!」「ブロンソン・・んん〜?」って感じで直感的なランキングを設けてる訳であるが(=^_^=) にしても日米仏(3俳優)+英(監督)の“もの凄いワールドワイドな企画”とは評したい!

日本人としては、やはりミフネの侍姿(と数々の所作)に感動☆ 雪山での温泉入浴シーンでは“白ふんどし姿”までも披露してくれたり、辺境の娼館で米人女性と(ちゃっかり)一夜を共にしてくれたり、とサービスシーンも全開である(=^_^=)

しかし、、冒頭の30分間に“何らかのフリ”があったのか? 終盤の“乱戦”の中で、予想もしない展開を、物語は見せることに(×_×)

きっとアラン・ドロンファン、ミフネファンは当惑し、ブロンソンファンは恐縮するんじゃないかな、と(・ω・)
私的には、あの終盤を観るにつけ、ガタガタっと本作(って言うかテレンス・ヤング監督)に対する評価がダウンしてしまった、、

「ブロンソンに花を持たせ過ぎ!」な印象がかなり尾を引くのであるが・・まぁミフネと言う偉大な俳優を知る上で、欠かしては通れぬ1作とは言えよう、、か。

〜 こんなセリフもありました 〜

黒田「カネよりも使命を果たすことこそが大事だ」
  「我が国にも“国を分ける”大きな戦(いくさ)があり、すっかり国が変わってしまった・・
   じき合衆国のようになるだろう。“武士の時代”もいずれ終わる」
  「我らの先祖は400年間、戦の中で死んで来た・・それは一族の誇りだ」
  「“腹満たさるる者、心たるむ也”と武士道は説いておる」
  「馬鹿者めが、着物を返せ!」 ←日本語!
  「あと1日だ、これを大使に頼む」 ←これも日本語!

リンク「お前が切腹するのを見届けてやるよ」
黒田「その前に、お主の首が飛ぶぞ」

リンク「呑むか?」
黒田「いや。大事な明日に備え、すっきりとした頭でいたい」
リンク「そうか? 俺はその明日のために呑むんだがな」

リンク「いつか、あんたに銃の扱いを教えてやるよ」

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2009年6月 3日 (水)

☆『ラスト・ブラッド』☆

いよいよ劇場公開の始まった“美少女ヴァンパイア・アクション”『ラスト・ブラッド』を観て来た☆

『ホワイト・バレンタイン(1999)』『猟奇的な彼女(2001)』『僕の彼女を紹介します(2004)』・・とパワフルかつ可憐な魅力を振りまいて来た韓流スター=チョン・ジヒョンちゃんが、ハリウッドネーム(?)“Gianna”を引っさげ、本格派アクション女優とし世界に名乗りを上げた意欲作☆
(彼女に)対する助演陣も、倉田保昭、小雪しゃん、となかなかに個性派ぞろい(=^_^=) かなり細部が粗く、主演がジヒョンちゃんじゃなきゃ「滑ってた」印象も少なからずあったが、概ねワタシの期待するアクション映像群が目まぐるしく描かれ、それはそれで満足出来たのだった(=^_^=)

16世紀、世にはびこる異形の存在=オニ共が、それを狩る武士(もののふ)=キヨマサ(清正?)と激闘を展開した。キヨマサは卓越した刀術でオニ共を一掃して行ったが・・“最古かつ最も下劣なオニ”たるオニゲンの手により、遂に倒されてしまう。

“オニを狩る者”を失ってしまったか、に思われたこの国だったが、辛うじて生き延びたキヨマサの腹心の部下=カトウ(倉田)は、主君(キヨマサ)の忘れ形見である少女=サヤ(ジヒョン)を救い出す。
彼はサヤに究極の刀術を叩き込み、オニと戦えるだけの力を授けたのだった。

やがてカトウもまた、オニゲンの放った精鋭部隊(?)の奇襲の中で命を落とす。
だが、その場に駆け付けた少女=サヤは自らの潜在能力をついに爆発させる!

そして数百年後・・父と恩師の仇敵=オニゲンを捜し出し、倒すため戦い続けるサヤは「1970年のトウキョウ」にいた。

オニを1匹倒す毎に、1歩オニゲンに近付ける・・そう信じ、冷徹にオニを成敗してゆくサヤ。
そんな彼女の前に、アリスと言う名の少女が現れ・・

時代設定が何だか良く分からず、冒頭のナレーション字幕からして「頭部を日本刀でから竹割りされた」ような(⌒〜⌒ι)衝撃を受けたのはワタシだけだったろうか? “キヨマサ”だの“応仁の乱”だのと言った「かけ離れた時代の単語」がごっちゃになってたようにも感じたが、、

ま、分かり易く言えば『ブレイド(1998)』の少女ヴァージョンみたいなもんだったか?
パッと見(=^_^=)ロケーションが「日本じゃねぇだろうそれは(?)」と解釈してるんだが、、巧い具合に70年代初頭の、不衛生そうな(=^_^=)下町の世界観を見事に再現、その中でバッサバッサと刀バトルを展開してくれる中盤の映像&演出パワーはものすごい!

確かに70年代なんかは、リアル日本刀を凶器にした、傷害(致死)事件なんぞもちらほら新聞記事で眼にしたような気もする(・ω・) 当時はまだ銃刀法が今ほど厳しくなかったからねー(←ホンマかい!)

「この怪しい世界観は、かつてどっかで観たぞ・・!」と思ったら、ブルース・リーの遺したフィルム群を強引に使ってでっち上げられた怪作(?)『死亡の塔(1980)』の前半に登場する“トーキョーの映像”がこんな感じだったかな? と。
近年(タイ映画なんかで)流行ってる“路地裏での乱闘”やら、瓦屋根を上下移動しつつの『ヤマカシ(2001)』系シチュエーションやらも贅沢に使い、長尺のアクションが展開されてた!

そんな中で私的に「冷めるよなー」と感じたのは、

1.アリスとその父親を絡めての薄っぺらい家族ドラマ
2.サヤの“仕事現場”を清掃する「組織」と称されるエージェント内の思惑やねじれ
3.オニゲンの配下の中でも“中隊長”的な位置付けであるクリーチャーの造型&存在感
4.CG表現による、血の飛沫エフェクトの多用っぷり

などであろうか。

1.はベタな設定がまず我々(観客)に投げ出され、それがベタな流れを見せるから、ホント観てて気恥ずかしくなる限り。。
2.は「だからおまいら何なんだ」って感じで、妙に作品のリズム感が崩されてしまってた。
3.は「今更そんな造型かよっ!」って感じで、観ててゲンナリしちゃった(×_×) あの「お茶を濁すCG」で思い出したのは『ゴールデン・チャイルド(1986)』の終盤だろうか。何やら、アレにそっくりな奴が出て来ましたわ(=^_^=)

変にクリーチャー路線に逃げず「人vs人」の分かり易い(かつ多彩な)戦いで統一して欲しかったな、と。

一方で、めちゃめちゃ面白かったのは、

1.精肉所(?)にいた“アフロ兄弟”のキャラ
2.屋台を蹴りつけたり、叩き潰したりし戦う格闘シーン
3.枯れ葉の厚く積もった地面からニョッキリ突き出した日本刀が“『ジョーズ(1975)』の背びれ”みたくスーッと迫り来る演出
4.強過ぎる倉田の爺ちゃん(とその両手指のアレ)

だった! とりわけ“アフロ兄弟”はしばらくワタシの中で「あなたの思ひ出に残る個性派ザコ悪役100」の第10位ぐらいには食らい付いて来る気がする(=^_^=)

終盤に向かうに従い、だんだんバトルの質(?)が低下して行っちゃう印象はあったが、
「倉田のおっつぁんの動きを観届ける」「怪し気なトーキョーの雰囲気を満喫する」「“アフロ兄弟”を眺めて楽しむ」・・これらだけでもきっと「損はない」と思うので『ゴールデン・チャイルド』好きのアナタも、何かを試しに観に行かれては如何だろうか? ・・って何をよ?(=^_^=)

〜 こんな辺りも如何でしょうか 〜

♦原題は『ブラッド/ザ・ラスト・ヴァンパイア』と言う。
♦“判断ミス”っぽいオニ退治騒動を「勘違い」と認めるか「変異前」で押し切るか・・は大きな問題かも(=^_^=)
♦相手の眼をじっと見つめ、そこに“魂”が宿ってなかったら・・そいつはオニらしい(・ω・)
♦「CIA局員の身柄は拘束出来ない」ってセリフがあったけど、、ホント?
♦“タツミボウル”“林交通(タクシー)”“週刊ゲンザイ”などなど、怪しい看板や電飾が続々と・・!
♦“鏡の裏の世界”ちぅ表現が良い感じだった。キーファー君にもぜひ教えたげたい(=^_^=)
♦やっぱり出ました! ニンジャ軍団!
♦現場に貼られた黄色い警告帯(テープ)・・“きけん立入禁止”と「平仮名混じり」なのが何やらおかしい。
♦「へい、らっしゃい」「どうぞ」「気が付きませんで」など、カタコトながらも頑張ってたニホンゴ演出!
♦「KANTO HIGH SCHOOL」って・・何て分かり易いのよ(=^_^=)
♦奥多摩は「オクタマ・マウンテン」と言われてた。なるへそ!
♦品川区・戸越銀座の「安心のご宿泊:スゞヤホテル」・・ホンマにありそやね!(=^_^=)
♦小雪さんの初登場シーンのファッションが、往年の刑事ドラマ『Gメン75』に登場する女刑事のソレに結構近かった(=^_^=)
♦あの山間の(?)温泉旅館には、ロケする必要性があったんやろか? 私的には“小雪さんの入浴シーン”を挿入する気やったんやろか? とか邪推してるが。。
♦トウキョウ近郊(?)にめちゃくちゃな高さの断崖地帯が! 『ウォンテッド(2008)』かよ! と突っ込むもヨシ!
♦折り目正しかったのに、いきなりアレされちゃうホテルマンに・・涙(×_×)
♦イケメンの隻眼兄ちゃんはいつの間にか“人間形態”から退場、、(×_×)
♦「死んだ人間(=正体はオニ)は元から存在しなかった」・・で辻褄が合うんだろうか(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

パウエル「集中しろ、心の声を聞け」
    「見たものが真実とは限らない」

ハリソン「ここは冷静に、プロ同士として話そう」

サヤ「彼らは死んだのではなく・・最初から存在しなかった」

アリス「オニは沢山いるの?」
サヤ「想像以上にね」

カトウ「“ご自分の道”を進むべき刻(とき)が、来たのです」

アリス「約束して・・自分を疑わないと」
   「これは・・何1つ、現実じゃない!」

オニゲン「オニを殺せば殺すほど、オニになる。本来のお前の姿にな」
    「人の心を持てば、弱くなる」
    「自らを解き放て」

追記1:ジヒョンちゃんも・・1981年生まれってことで、、“セーラー服姿の(見た目)16歳”って言う設定も、ぼちぼちアレかも。。
追記2:リンクさせて頂いてるブログの管理人=itukaさん仰るに「日本の女優でサヤを演じられるのは、と考えた場合、即答できるのは、もはやこの人しかいません。そうです、綾瀬はるかさん。」とのことだが、私的には栗山“GOGO夕張”千明さんでも、こなせそうに思った(=^_^=) 路線は完全に“B”っぽくなっちゃいそうだけど・・?(⌒〜⌒ι) 栗山ファンの方、済みません。

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2009年4月18日 (土)

☆『レッド・クリフ/part1(2008)』☆

さる12日(日曜)の夜。
「日曜洋画劇場」で“テレビ朝日開局50周年記念”とし“地上波初放送”されたジョン・ウー監督作『レッド・クリフ/part1』を観た。
因みに、その土日は家人が“お犬サマ同伴”でこちら(高松市)に遊びに来た(?)のもあり、外食率が極めて高かったので、今や“自炊してる身”としてはかなり助けられた(=^_^=)>

かなり久々に父親のクルマ(“スズキ・スイフト”のスポーツモデル)のハンドルを握ったが・・コンパクトな車体だのに、装備が充実してて驚かされる。何より、体感出来るほどの車重(の軽さ)が素晴らしい。

そして、我がレガシィの倍ほども燃費が良いのだ! 枚方市(大阪)〜高松市の往復コースで約400キロなんだが、ガソリンが半分程度しか減らないと聞かされ、驚いた!(これがレガだと1往復で“ほぼカラ”となる)

今乗ってるクルマが全損大破したら(おい)、次は“インプレッサ”かなぁ? と漠然と考えてもいるが・・“スイフト”でも十分じゃん! と感じ始めてしまったり(・ω・) 何にしても、これ以上ムダにデカいクルマは欲しくないし、その必要もないな、と。

さて、劇場公開当時「ジョン・ウー作品として“三国志モノ”“2部作構成”ってどうよ?」とかなり斜に構えてしまい、結局劇場鑑賞を敢行するまでの意欲をかき立てられなかった本作だが・・

今からおよそ1800年の昔、後漢末期・建安13年(=西暦208年)。時の漢王朝は衰退し、国の各地で反乱が勃発、世は乱世へと突入して行った。

(後に“魏国”の礎を築く)丞相(じょうしょう)=曹操は朝廷(皇帝)を支配、いち早く天下統一への名乗りを上げる。彼の軍勢は北部を瞬く間に平定、南方に向け兵を進める。

南には(後に“蜀国”の礎を築く)劉備や(後に“呉国”を建国する)孫権の治める領地があったが、彼らを「討伐すべき逆賊」と責め立てる曹操軍。

大軍を前にし、流石に形勢不利で南へ南へと敗走を続ける劉備軍。
そんな中、劉備お抱えの軍師=孔明(金城武)は、孫権に仕える軍師=周瑜(トニー・レオン)に接近し、やがて彼ら2軍師の根回しの甲斐あって、劉備+孫権の同盟が結成される!

熱き魂の漢(をとこ)たち・・劉備、関羽、張飛、趙雲ら名だたる猛将。そしてその陰には、彼らを勝利に導く女たちのドラマがあった・・周瑜の妻=小喬(リン・チーリン)、孫権の妹=孫尚香(ヴィッキー・チャオ)。

やがて長江近郊の“赤壁”にて、曹操vs劉備&孫権の歴史的な大戦の幕が切って落とされる・・!

吉川英治の小説『三国志(全8巻)』では“黄巾党の乱”平定の辺りで(早くも!)脱落してしまったワタシ(=^_^=)>
劉備軍の面々(特に劉備・関羽・張飛)は(小説の)冒頭からもの凄くインパクトがあり、それぞれにキャラも立ってて好きだったが・・これが孫権側や曹操側となると、殆ど人名やら馬名(赤兎馬:せきとば、関羽が曹操に与えられた荒馬)やらの断片的な知識しかなかったり(×_×)

今回の(初)放送に当たっては、ワタシを筆頭に(=^_^=)“三国志アレルギー患者”が視聴者層に多数含まれてたであろうが、冒頭に分かり易い「物語の流れ」「キャラ紹介」が付け加えられ、劇中でも「(キャラ名)表示」が頻繁に行われ、かなり親切な造りとなってて、好感が持てた。

それにしても意外なのは「曹操は“ワルの親玉”ぽく描写」「曹操軍に“有能&魅力的な将軍キャラ”は不在」「劉備にさほど“魅力的なオーラ”は備わっておらず」「軍師に過ぎぬ(?)周瑜が“肉弾戦”でもめちゃ強い!」辺りのジョン・ウー流(?)解釈だったろうか。

また、私的にはヴィッキー・チャオさんが“かなり好きなタイプ”なんだが・・本作では「ヒロイン的存在である小喬」よりも数歩下がった(下げられた)起用スタイルで貫かれており、残念だった(×_×) メイクやカメラワーク(の差)からも「もっと“2トップ状態”で描いてもろて良かったんでは?」と思えて仕方なかったぞう。

ほかには、
♦結構な“流血描写”はある意味「見所」とも言えたか?
♦「変幻自在なカメラワーク」は流石にウー監督の面目躍如と言うべきか?
♦孫権が孔明、周瑜らを伴い“虎狩り”に出かけるシーンが中盤(?)にあるが、虎を写したシーン群が“如何にも別撮りですよ”って感じで、ちと苦笑させられた。大迫力の乱戦シーンより、よほど(撮影が)難しかったのか?
♦(後方の)優雅な軍師たちと、(前線の)血みどろな兵士らの「映像の対比」は印象的。
♦孤軍奮闘過ぎな関羽さん! そして張飛、趙雲と同様の「ソロプレイ」が続く!
♦ウー作品にしては「爆発&炎上」が見受けられず残念(×_×) パート2に“その手のお楽しみ(=ファンサービス)”を残してやがるのか?(=^_^=)
♦「矢じりの先」に毒は塗ってなかったようで。
♦トニー・レオン(周瑜役)が“やや三ツ木清隆さん系”に見えた(=^_^=) ネットでも、同様の意見がチラホラと(=^_^=) 因みに三ツ木さんとは、往年の刑事ドラマ『特捜最前線』などに出ておられた俳優さんである(・ω・)

何にしても、見応えのある歴史ドラマには違いなかったな、と。
結構(視聴)率も取れたんじゃなかろうか?

まぁでも・・ジョン・ウーでなくとも本作の監督はつとまったかな? とコソッと思いました(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

劉備「我を慕う民すら守れぬなら・・この戦(いくさ)に何の意味がある?」

曹操「我が軍に、あのような強者が何故おらぬ?」
  「賢臣は主君を選ぶものだ」
  「一度(ひとたび)使うと決めたら・・疑うことはならん」
  「欲は人を若返らせる」
  「我、天下を1つとせん!」
  「例え“烏合の衆”とは言え、甘く見てはならぬ」

孔明「民を守って撤退する。民を苦しめるでない!」
  「大切なことは仁義です」
  「しまい込んだ宝剣を、今こそ抜き放つ時です」
  「鳩を太らせると、飛べなくなりますよ」
  「常に冷静であること」

周瑜「曹操は“漢の国賊”です」
  「曹操の軍は大群だが・・大義すらない」
  「今こそ、迷いを払うのです」
  「盟友となれば、もはや礼儀は無用です」
  「1本の藁も合わせて編むと、丈夫な草鞋(わらじ)となります」

関羽「今、勉強をしておけば、これで飯が喰えるようになる」

張飛「あれ(←曹操の水軍)を総て薪にすれば、きっと100年でも燃やし切れぬな」

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2009年2月13日 (金)

☆『レッド・ウォーター/サメ地獄(2003)』☆

ああっ・・! こんなん観てもぅた!(⌒〜⌒ι)

12日(木曜)の夜、残業を終えフラフラになったアタマで帰宅。
遅い夕食を食べつつ・・つい魔が差して(=^_^=)観てしまったのが“木曜洋画劇場”で地上波初放送(=^_^=)された“サメパニック映画”の『レッド・ウォーター/サメ地獄』であった、、(×_×)

基本路線は、主人公の石油掘削技師(ルー・ダイヤモンド・フィリップス!)が、麻薬組織の下っ端と、巨大人喰いザメの両者に左右からプレッシャーをかけられつつ、生き延びるために色々ごちゃごちゃとやりまっせ、みたいな展開(←テキトーやなぁ)

久々に「ご健在である」ことを確認出来たルー様(←とは言え、既に本作から6年も経っちゃってますが、、)やら、麻薬組織から派遣された、やることなすこと全てが荒っぽく「まんまバカそう」なギャングスタ役にラッパーのクーリオ(おおっ!)やら、ピンポイントで話題性のある(←オレの世界の中だけの話題性かも知んない(=^_^=))キャラを配しつつ、余りに分かり易い「定番的進行」でもってハナシは流れてゆく・・

タイトル通り、でっかいサメが登場するにはするが・・こいつが川底をのんびりと(?)泳いでる映像に「えっ? あんた淡水魚かよっ?!」とまずソコに違和感、、どうやら「その手の性質のサメ」と言うことだが、、

川底を掘削する大掛かりな機械に『アルマゲドン(1997)』『ザ・コア(2003)』などを連想し、
隠された大金をめぐるガチンコバトルには『トレスパス(1992)』なんぞを連想してしまった。

正直、サメについては「何匹おったのか?」すら良く分からず、余りに“喰いしん坊”過ぎな彼(?)のキャラにも納得の行かないトコがあったり。

一方で「ナニしでかすか分かんない」ってな暴走ぶりに関しては、陸(おか)(?)の上のギャングスタチームの方がよほど存在感を放ってたもんで、私的には“ギャング地獄”とサブタイトルを付けた方が、違和感は少なかったようにも思えた(=^_^=)

どうやら本作、劇場公開じゃなく、テレビ向けに製作された映画だったようで。
にしては、ロケやら小道具やらにはそれなりのこだわりがあり、爆発シーンでの火薬量にも妥協のなさはあった(=^_^=)

「誰でも書ける」レベルの脚本にも思えたが・・そこにはきっとプロ脚本家なりの意地ちぅか「あのペンタグラムな(=^_^=)イケメン男優=ルー・ダイヤモンド・フィリップスが、あの大物ラッパー=クーリオが、首を縦に振った!」と言う、プロ俳優を唸らせる「懐の深さ」が存在してたのかも知んない。

・・少なくとも、オレには理解出来んかったが(=^_^=)

追記1:ルー様速報! 何と『チェ/39歳・別れの手紙』にも出演したはるらしい!
追記2:続編では「大都会の地下水路(←当然ながら淡水(=^_^=))」を舞台に、「配管工である主人公」「麻薬組織」「巨大人喰いザメ」「ゾンビ集団」の4ツ巴のバトルを展開させて欲しい(=^_^=)

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2009年1月12日 (月)

☆『ラースと、その彼女』☆

11日(日曜)の午後。
久々に(?)新梅田シティにある“シネ・リーブル梅田”に行き、これまた久々の小品(?)『ラースと、その彼女』を観て来た。う〜ん、やっぱし平日に行くとしたら“少々面倒な立地”ですなぁ・・今日にしても、寒風がなかなか肌に厳しかったのれす(×_×)

午後からの回で観たが、開場時間前のロビーにガキ・・じゃない、ちびっ子(連れのお父さんなど)が多くて当惑(・ω・) 『ラース〜』って、こんな“幼き者たちのハート”をすら、鷲掴みにしてるのかしらん?? と“末恐ろしきモノ”を感じてしまっ・・てたら、何のことはなく、直前まで上映されてた『トミカヒーロー・レスキューフォース/爆裂MOVIE〜マッハトレインをレスキューせよ!〜』なる特撮映画を観終わったしとたちに過ぎなかった(⌒〜⌒ι) ←案外メチャメチャ面白かったりして。。

リンクさせて頂いてる幾つかのブログでも評価が高く「これは押さえとかな!」と関西弁で直感した本作。殆ど予備知識を仕入れずに観に行った次第だが、さて・・?

アメリカの何処かの田舎町(←ややイギリスっぽくも映る、実際にはカナダで撮影されたそうだ)。27歳のラース(ライアン・ゴズリング)は、兄夫婦の住む“本宅”の斜め(?)に建つ“ガレージ”を改造した家で暮らす純粋で心優しき青年。
町の皆には“ミスター・サンシャイン”と親しみを込め呼ばれているが、彼がいつまでも1人で悶々と(?)生活を送っていることに、義姉カリン(エミリー・モーティマー)は心を砕いていた。
「せめて食事ぐらいは一緒に」とラースを再三誘うカリンだが、口約束こそは結ぶものの、彼が実際に実兄ガス(ポール・シュナイダー)たちの食卓に座ることは殆どなかった。

そんなある日、ラースは職場で同僚に“リアルドールはいいぞ”と聞かされる。ホンモノの人間(の女性)そっくりの肌触りに体重。また、オプションの選択によっては、年齢や国籍をも自在に設定出来ると言う。ラースの心の何処かで、確かに“響くモノ”があったようだった・・

6週間後、ラースが珍しく兄夫婦の家の戸を叩く。
「会わせたい女性(ひと)がいる」と、ラースはもじもじしながらも嬉しそうだ。
「彼女は外国人で、言葉が不自由なんだ」「移動には車椅子が必要なんだ」弟が眼を輝かせ続ける言葉に、うんうんと頷くガス&カリン。
しかし、ラースが“彼女”として紹介したのは“リアルドール”のビアンカであった。

ポスターなどで有名なのは「右にビアンカ、左に微笑んだラース」を配したショットなんだが・・まぁ、言ってみれば「この1枚が本作(全体)を明確に表現してる」とも思う訳で、この点に限れば『リトル・ダンサー(2000)』のソレ(ポスター)にも通じる“ヴィジュアル・インパクト”を有してたような気がする。

物語の展開はタイトルである“ラースと、その彼女(ビアンカ)”に端を発するものの、中盤以降は“ラースの家族と、その町の人々”って風に広がってもゆく。
彼ら(一家)に対する愛情故に、町全体で(?)ラース&ビアンカを受け入れ、見守り、祝福しようと、ストーリーは流れて行く。

そのまま「劇終」(←香港映画かよっ!)となっても、それはそれで良かったかも知れないが・・後半では、ラースが「意を決してビアンカに“プロポーズ”したけど、彼女の返事は“ノー”だったんだ!」と兄夫婦に告白し、その心境に“微妙な変化”の訪れたことが観客にも明示される。
そして“意外な人物(?)による幕引き”を経て、ラースに“喪失と再生”がもたらされるのだが・・(・ω・)

私的に、本作で一番「光ってる!」と感じたのはダグマー・バーマン医師だったろうか。この方の「冷静で毅然と振る舞いつつも、踏み込めば温かい」と言うキャラ造型は、かなり本作の質を高めてくれていた。連想したのは『スカウト(1994)』で医師を演じてはったダイアン・ウィーストさんかな。

パトリシア・クラークソンさん、ワタシの中で「要注目の女優さん」となりそうですなぁ。

実はラースの間近には、彼に想いを寄せるマーゴと言う女の子(同僚)がいたりもし、彼女なりの“やきもき”“じたばた”する様子も、見所の1つと感じた。
美人、とは言えないしとだが(ファンの方、済みません)“コメディエンヌとしての才能”のスゴそうな女優さんである。

意図された演出とし、冒頭&終盤で神父の語るシーンがあるが、特に前者におけるセリフ(うろ覚え)

「神の仰る究極のルールはただ1つ・・“互いを愛しなさい”です」

と言うのが、それが放たれた瞬間から、作品世界全体に染み渡って行くようで「エエなぁ〜」と妙に気持ちが安らいでしまった(=^_^=)

総括としては“町ぐるみの、実話めいたええハナシ”って域を超えるモノではなく、私的には涙腺を刺激されることもなかったが・・

「妄想を作り出すのも、それに幕を下ろすのも、結局は自分と言う人間なんやね」
「みんなが1人を変えることって、逆に言えば1人がみんなを変えることでもあるんやね」

と何だか“アホみたいなこと”を観賞後に改めて思ってしまったワタシである(⌒〜⌒ι)

〜 ほか、こんなことも 〜

♦海外にも“アクション・フィギュアおたく”のおることを再確認(・ω・)⇒安心(=^_^=)
♦「テディ・ベア」の救命(蘇生?)シーンは“ミスター・ビーン”っぽくて微笑ましかった。ローワン・アトキンソンがやるよりも断然魅力的だし(=^_^=)
♦主人公の第一印象は「(『スクリーム(1996)』『スパイダー・パニック!(2002)』に出てた)デヴィッド・アークエットに似とるね」である。どないでしょ?
♦ビアンカは「ブラジルとデンマークのハーフ」であり宣教師。看護師の資格もある、と紹介されていた。日本人好きのしとなら「トウキョウからやって来たコギャルの“ミドリ”」っておなごもチョイス可らしい(=^_^=)
♦ビアンカの下腹部を「チラ見」したカリンが「やだ、ウソ・・!」と驚愕するシーンに、観てるこっちも驚愕(⌒〜⌒ι)
♦ラースには“リアルドール”を勧めつつ、(多分)自身は購入しなかった同僚くん。「X−boxの新型を買って、金がなくなったんだ」とか言い訳してたが・・「たかだかゲーム機が、幾らのモンやねん!?」とぶん殴ってやりたい気分だっ(おいっ)
♦バーマン先生による治療は(時間的にも)手厚過ぎる気がした(・ω・) 「入院させるだけの(金銭的)余裕はない」とか兄夫婦は言ってたが、あそこまで入念な通院(の質&回数)ともなると、結構(費用が)かかったんではなかろうか?(にしては薬を処方してなかったようにも思う?)
♦兄夫婦を写した「同じ」写真が「2ヶ所」で飾られてたのが印象的だった。
♦ボウリング場でのラースの「1投目」には笑った! あのネタは合コンでも使えるね(←まだそんなんやっとんかい!(=^_^=))
♦ラスト寸前“ラースと、その彼女”を手前に配しつつ、その背後を戻って行くバーマン先生の後ろ姿にキュンとしてしまった。きっと「やれやれ、治療は終わったようね・・」とでも呟いておられたことだろう。
♦中盤からの“サスペンス劇”を何処か期待してしまってたワタシ・・(ビアンカが)ベッドで自然に(左に)倒れる演出には・・ヒヤリとしました(×_×)
♦最後は、やっぱり「あの木箱」を“再利用”したんやろか?(←おいおい)
♦「犬」や「警官」の存在しない世界でしたね(・ω・)
♦エミリーさん、激した時の“声のかすれ具合”も含め、デミ・ムーアっぽさはそこそこ健在ですね☆
♦何のかんの言って(←言わないが)、結局は沢山の女性に愛されてたラース君でしたな(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜 ※メモなし鑑賞につき細部は異なります、、

ラース「僕を抱きしめようとする人もいるけど、抱きしめられるのが嫌いな人だっている」
   「これは造花だから、美しさは永遠に損なわれないよ」

マーゴ「涙の理由はそれだけじゃないの」
   「彼といても面白くなかった、だけど・・寂しかったのよ」

ラース「いつ、大人を自覚した? セックスを知ってから? そもそも“大人”って何だ?」
ガス「皆に正しいことをする、例えそれが辛くても・・それが“大人”だと俺は思う」

バーマン「心の病の全てが悪いわけではないわ」
    「ビアンカが現れたのには“理由”が有る筈よ」
    「これから先、を決めるのは彼自身よ」

バーマン「寂しさの余り、患者の名前の綴りを間違えることもあるわ」
ラース「先生は・・面白い人ですね」

※「満員だと? 女どもを帰らせろよ!」
店員「そんなこと出来るかよ、八つ裂きにされちまう」 ←ボウリング場にて

ガス「弟は“町の笑い者”になる」
バーマン「あなた方もね」

彼女「そろそろ私たちも、みんなの所に戻らない?」
ラース「少し歩かないか?」
彼女「いいわ」

同僚「解剖学的にも“精密”らしいぜ」

おばさん「人生なんてそんなものよ・・“幸福”と“不幸”が一度にやって来るの」
    「まるで大きな子供ね・・夫みたい」

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2008年12月 5日 (金)

☆『レーサー(1969)』☆

3日(水曜)の夜、“追悼ポール・ニューマン特集”の第3夜とし(?)衛星第2で放送された『レーサー』を観た。

スランプに悩まされ始めた孤独なレーサー=フランク・キャプア(ニューマン)。ある夜、彼は気晴らしに出かけたレンタカー店で、受付をしていた美しき女性エローラ(ジョアン・ウッドワード)と出会い、たちまち恋に堕ちる。

やがて2人は結婚。フランクは(実はシングル・マザーだった)彼女の息子=チャーリーにも実の父親のように愛情を注ぐ。

だが“家族3人での生活”を大切にしたいエローラの気持ちは伝わらず、フランクは成績を上げるためにガレージやテストコースにひたすら泊まり込み、練習&整備に明け暮れる日々。

愛に飢えた妻は、夫のチームメイトであり、最大のライバルでもある若手レーサー=ルー・アーディング(ロバート・ワグナー)との深い関係にはまり込んでしまうのだった・・

実生活において、ニューマンの妻でもあったジョアンさん。それにしては“モノ凄い”(ドロドロした)展開であり、驚いてしまった(⌒〜⌒ι)
ライバルである男に愛妻を寝取られる役、、と言うのは脚本として「よほどの決意」がないと承諾しにくいとも思うんだが、まぁそこを難なく(?)OKしちゃうトコロが、ニューマン夫妻なりの“スター性”なのかも知れない(・ω・)

タイトルこそ『レーサー(原題:WINNING)』となっているが、物語の軸は「フランクのプライベート」であった感が強かった。
飽きさせぬよう、要所でレースシーンが展開されるも、マックィーンの放った『栄光のル・マン(1971)』とは、何処に重きを置くかなど、その(両者の)テイストには大きな違いがある(それぞれの作品性の問題なので、甲乙は付けられないが)。

ワタシの記憶に残るのも、恐らくはレース&クラッシュシーンの数々より・・すれ違い始める2人(フランクとエローラ)の関係がどう転がってゆくのか、その予測不能な展開(ある意味“レース展開?”)の方こそ、な気がする・・

黙して屈辱に耐え続けたフランクが最後の最後に怒りを爆発させるんだが、あの持って行き方も“ある意味、アクション映画的(任侠映画的?)”で苦いんだけれど、溜飲の下がる部分が確かにあったか。

終盤は、歩み寄る2人の会話で幕となるんだが、観てて「あ、コレが言いたかったんやな」と、レースにおける勝利場面以上に、気持ちがスッとしたのだった。

〜 こんなセリフもありました 〜

フランク「車を借りたい」
エローラ「あなた、酔ってるわ」
フランク「シラフなら借りたりしないさ」 ←今では冗談でも交わせぬやり取り、、

エローラ「ここは狭い町よ、娯楽は噂話だけ」
    「時々、遠くへ言ってしまうのね・・うわの空みたい」
    「あの頃の私は孤独が怖かった・・誰でもいいから側にいて欲しかったの」
    「離れてても、思っているわ」
    「私には私の人生があるのよ」 ←息子に

エローラ「休まないの? 神様も日曜は休んだのよ」
フランク「俺は神様じゃない」

フランク「ドアは開かん、窓から入れ」 ←レーシングカーのこと
    「転がして、身体で覚えろ」 ←バギーカーのこと
    「車を信じるしかない、無理にでもね」

ルー「結婚して2週間でうんざりだ、いつも隣には“違った顔”がいる方が新鮮だね」

チャーリー「(離れるんなら)なぜ結婚するの?」
フランク「いい質問だ・・だが“答えのないこと”もある」
    「夫婦を続けるには愛情が必要なんだ・・それは理屈じゃない」

チャーリー「僕は“持ち物”じゃないぞ、心がある」
     「レースを見る・・あの男に勝ってよ!」
     「親が別れたら・・子どもは傷つくさ」

インタビュアー「なぜゴール後も周回を?」
フランク「止まりたくなかった」

ルー「幸せになってくれ」
エローラ「・・あなたも」

※「勝ったんだから、もっと素直に喜べよ」
フランク「勝利だけが喜びか?」

エローラ「私の望みはあなただったのよ・・彼に抱かれたのは、それが満たされなかったから」
    「この結婚は失敗だったわ」
フランク「まだ始まってもいないさ・・これからはちゃんと向き合いたいんだ、車にも君にも」

エローラ「私はあなたほど強くないわ」
フランク「強くなれるさ・・でないと、何のために苦しんだのか分からない」
    「やり直せると信じよう」

追記1:後半のレースシーン(インディアナポリス・スピードウェイでの“インディ500”)。しょっぱなのクラッシュで、客席に外れたタイヤがドデ〜ン! と落下するショットが強烈だった! 多分軽い素材でこしらえた(=はりぼて)タイヤを(観客の頭上から)落としての“再現映像”とは思うんだが・・
追記2:勝者を取り囲む喧噪の中、セールスマンのおっちゃんが早速「不動産投資をなさる気はありませんか? 老後に備えて」などとすり寄って来るシーンには苦笑させられた。今も昔も変わらんのね。。

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2008年8月17日 (日)

☆『ランブルフィッシュ(1983)』☆

うう、レビュー書くの忘れてた(⌒〜⌒ι) どんどん鑑賞が進んで行くもんだからして。。

さる10日(日)の深夜(土曜の“24時以降”と言うべきか)に放送されてたフランシス・フォード・コッポラ監督の『ランブルフィッシュ』を中盤以降ながら観た。
衛星第2で何気なく放送されてたのを寝しなにたまたまチェックしてみた、程度の“軽い気持ち”ながら、しっかりラストまで連れてかれてしまった(=^_^=) コ〜ポラ(←違)、恐るべし!

ある地方都市を舞台に、不良グループのリーダーとし数々の“伝説”を一代で(=^_^=)築き上げた男“バイクボーイ”(ミッキー・ローク)と、彼を兄に持つ“跳ねっ返りだが勢いの空回りしてる”弟ラスティ・ジェームズ(マット・ディロン)の交流を軸に、真っ当に生きようともがくワルの悲劇を「モノクロ映像」の中に描いた作品。

ネットで粗筋を辿るに、中盤までは比較的躍動感ある展開だったようだが、ワタシが観始めてからの世界はかなり静かな流れで、とにかく「モノクロの画面に漂う深夜の街角の霧」「その霧に白く浮かび上がるネオンサイン看板」「“バイクボーイ”がぽつりと語る、達観したような、答えをすくい取れとでも言いたげな深いセリフ群」などに酔わされてしまった。
また、描かれる全てがモノクロであるハズの世界の中で“とあるモノ”だけが鮮やかな色合いで表現されており、そのパートカラー演出の用い方に圧倒された!

「ミッキー・ロークの起用」「パートカラー」ってな要素は、ひょっとしたら本作を観て刺激を受けた(?)ロバート・ロドリゲス監督が『シン・シティ(2005)』を映像化する際、大いにオマージュを捧げたと言えるのかも知れない?

主人公はラスティであるが、彼を取り巻く助演俳優陣も凄まじく、彼女=パティ役にダイアン・レイン、父親役にデニス・ホッパー(!)、同じ不良グループの仲間スモーキーを演じてたのが・・しばらくは気付かなかったが(=^_^=)・・何とニコラス・ケイジなのだ!!
流石に精悍で、とある部分がフサフサしてて、甘いマスクのカッコいいあんちゃんであった(=^_^=)

ラストでは“とある行動”をとった“バイクボーイ”を、待ち構えてた警官が襲うのであるが、運んでる※※で両手の塞がってる、(恐らくは)丸腰の人間を、いきなり問答無用で銃撃するってどうなんやろ? と疑問に感じたものだ。K国の国境警備隊じゃあるまいし、、

中盤より観たからこそ、その静かなモノクロ世界に惹かれたのかも知れないが、こんなに魅力的な作品とは思わず、次回放送時には、きっと最初から観てやるぞ! と心に決めた次第である(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

バイクボーイ「人を率いるなら“行き先”がなくっちゃな」
      「忠誠ってのは・・悪徳だ」

ラスティ「この街はクールだな、あらゆる色が溢れてるぜ」

スモーキー「知恵がなきゃ、抗争も出来ねぇ」

追記:後半、チンピラに襲撃されたラスティが手前の地面に横たわり、その体が“幽体離脱”するシーン(一種のワイヤーアクションと思われる)に、奇妙な余韻があった。当時のコッポラ先生、どっかの宗教集団がなんかに心酔してはったんやろか。。

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2008年7月 9日 (水)

☆『レッドライン』☆

8日(火曜)の仕事帰り。
「気分転換でもしよう!」と考え、梅田に出て“ピカデリー(泉の広場上ル)”で上映中の『レッドライン』を観て来た。

資本主義の到達点(?)とも言える「ゲッスい系富欲層」が魑魅魍魎のごとく集う街・・ロサンゼルス&ラスベガス・・を舞台に、1レース=数百万ドルの賞金を賭け、公道レース(無論のこと非合法(=^_^=))を繰り広げる連中がいた。
そんな“限界速度(レッドライン)”に挑む若者たちの希望と退廃ぶりを描いたアクション作品である。

基本的に「レーサーを雇う側」と「ブルジョアに雇われる側」の2つの視点しか、本作にはほぼ存在しなかったんだが、何やら観終わってからは「カネにモノを言わせて運転させるより、権力をにおわせ脅しつける方が、ドライバーがよほどしっかり仕事してくれるんじゃないの?」と思ってしまったり(・ω・)
「人は金でなく、恐怖で本当に動く」なんてな格言ってのも有り得るのかも知れない。

主人公はナスカーで活躍したレーサー=ブレット・マーティン(1960-2003)を父に持つナターシャ(愛称:ナット)。母サリーと共に“ナットのドライバー養成所”を運営する若く(ハデだけど)美しい彼女は、父譲りの卓抜したドラテク(運転技術)を持ちつつ、自身がヴォーカルを担当するバンド“ムーヴィング・ヴァイオレーション(moving violation)”の全米メジャーデビューの方にご執心な女の子だ。

そんなナットに目を付けた成金ラッパー、インフェイマスが彼女に「30万ドル+デビューアルバム制作」を条件に、ライバルである成金メタボォなおっさん、マイケル・ドラジオのお抱えドライバー、ジェイソンと闘わせようと企む。
このジェイソンもまた“ロス⇒べガス間を(通常は4時間かかるトコ)1時間45分で突っ走れる”超絶のドラテクを誇る若者。
実はこのジェイソン、マイケルの甥であり、カルロと言うイラク(派兵)帰りの青年を兄に持つんだが、対立する両者(叔父と兄)の間で揺れる繊細な青年でもあった・・。

いよいよナットvsジェイソンの一騎討ちが始まる。

(賭けレースの)経験が深い分、中盤まではナットを圧倒するジェイソンだが、彼女も天性のセンスでいよいよジェイソンに追いつき、抜き去る・・!
終盤、ゴールへのストレート(直線)、ジェイソンはついに“禁断のNOS(ニトロ)ボタン”を押し込むのだったが・・

全編を彩るスーパーカーの数々がやはり豪華と言うか、イイ具合に“観客を釣るエサ”になっている(=^_^=) 近年のスーパーカーにはとんと疎い(まぁ、恥ではなかろう)ワタシなので、何が何だか分かんなかったが・・唯一、序盤でチンピラの乗ってたのが日産シルビア(S14?)らしきことは判別出来た☆ うぉ、ニッポン車代表じゃん!(これのみは“買えるレベル”のクルマだったかも☆)

それにしても、本編の殆どが「ギャンブル」「乱闘」「賭けレース」だったなぁ・・(私的な)バカ映画の条件たる「無駄に全編を包むストリートラップ楽曲の数々」ってのも忠実にやってくれてましたし(=^_^=)

余りの荒唐無稽さに正直、唖然とさせられてしまったのはあるが、以下の2シーン

・序盤のナットによる全開走行時「ぶつかってるんとちゃうんか?!」と思う程に2台が幅を寄せて突っ走る演出
・“NOSボタン”を押し込んでからの描写

は見応えがあった。後者は特にムチャクチャである。。殆どブレーキングの意味がないって(×_×) しかしアレは“違法改造”として賭けレース自体が無効になるんでは? と思ったんだが、良かったのだろうか?

〜 ほか、こんなことも 〜

♦何が起こっても全損(全壊)必至な速度領域、、運が良ければ“爆発炎上”だけは免れる
♦どっかにタトゥーしてそうでしてなかったナットちゃんに好感☆(CGで消してたんかも?)
♦「ギャンブル」や「乱闘」の描写は削ってエエから、ナットちゃんのベッドシーンだけはちゃんと映せ!
♦高速でのレース中にドリフト走行する演出があったが、タイム的には無駄な動きって気がするぞ
♦クルマを愛してるんだかどうなんだか微妙な気もした作品世界(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

インフェイマス「いま俺を逃したら、損するぜ」
       「最後にモノを言うのは“馬力”だ」
       「気合を高めて行かなきゃ、即破産だぜ」
       「Time is my money(時はカネなり、だ)」

サリー「怖いのは、走りたい気持ちの裏返しよ」

バンドマン「金や俺たちのためじゃなく、あんた自身の希望のために走ってくれ」

※「そのシャツ、女モノかよ?」
※「あんたの彼女のだ」

マイケル「君の瞳が俺の魂を見つめた・・その瞬間、俺の中で全てが変わった」
    「80歳になった時、今日のことを孫たちに話そう」
    「今まで出会った女性はみな、俺を見限った・・母もその1人だった」

ナット「運(Luck)なんか信じないわ、信じるのは運命(Desteny)だけ」

追記1:本作ならでは(?)の表現で「プラチナ※本」ってのがあった。(純無垢のプラチナ棒)1本で130万ドル相当だそうだ☆
追記2:マイケル役のうさんくさい、メタボォなおっさん、何処かで観たゾ! と思ったら『リベリオン(2002)』の司令官役のしとだった! 確か、あの頃からメタボォだった!(⌒〜⌒ι)

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2008年7月 3日 (木)

☆『リトル・ダンサー(2000)』☆

30日(月曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを観た。

劇場で鑑賞した当時はラストに登場するアダム・クーパー(英ロイヤル・バレエ団の“プリンシパル(最高位ダンサー)”だった青年舞踏家)の存在を全く知らず「何だこの“白鳥の湖”のアレンジバレエは? ・・イロモノか?」などと非常に失礼な感想を抱いてしまったモノだ(×_×) あの時はスンマセンでした。。

1984年。イングランド北東部に位置する炭鉱の町ダラムに、11歳のビリー・エリオット少年が暮らしている。厳格な父ジャック、マリファナに依存する兄トニーは共に炭坑夫であったが、折しも町はサッチャー政権下で不況に揺れており、大部分の坑夫は賃上げを求め長期のストライキに突入するのだった。
若くして母を亡くしたビリーは、彼女の資質を受け継ぎ、ピアノとバレエに興味を抱く少年だったが、ジャックは「バレエなんて男のすることじゃない、許さん」と息子にボクシングの修得を強要する。

だが、自らがボクシングに向いていないことを悟ったビリーは“エベリントン少年クラブ”の体育館の隅で開かれていた「バレエ教室」の方に興味を持ち、女性コーチ・ウィルキンソンの指導を受けることとなる・・

『シネマ坊主』と言う映画コラムをまとめた書籍の中で、松本人志氏が「ポスターを眺めればそれが全てである作品」と言うようなコメントをもって「一刀両断」されてた本作だが、ワタシは「極論はそうであるとしても」そこに肉付けされてるセリフや(主人公の周囲の)登場人物の心情なんかをすくい上げてみたいな、と思った次第だ。

劇場では、とにかく親父の“苦虫を口に放り込みっぱなしたような”キャラが「やがて変わって行く」様子に心を奪われ、後半では泣きそうになってしまったんだが、今回はおばさん教師ウィルキンソンの言動に、より注目させられた。

・自らの娘デビーにはダンサーとしての資質がどうも欠けている
・決してラクな暮しではないのに、ビリーの家族には“中流の奥さん”呼ばわりされる
・個人レッスンの中で、ビリーに「ひょっとして僕に気があるの?」などとからかわれる
・助走をつけてやったビリーは間もなく(自分を大きく超えて)旅立ってしまう

と、かなり悲しい人生ではあるのだ。もちろん彼女が悲しがる表情など劇中には一切描かれないが、幾つかのシーンで“遠くから彼女のシルエット姿を映す”カメラワークがあり、その時々ってどんな表情しとったんやろかなぁ? と想像をかき立ててくれた。

友人マイケルや、デビーのキャラは正直“絡み方”が足りず、中途半端な関係に終始してた。それぞれにもう一歩ずつ、主人公に「稲妻を落としてくれる」言動(=演出)が盛り込まれてれば、と思ったが(・ω・)

ビリー少年が達者なダンスを披露するシーン(長回し!)は流石に巧い。ちょっとパトリス・ルコント監督の『髪結いの亭主(1990)』の中で、少年時代の主人公がアラブ音楽に合わせて踊るシーンがあったが、アレを何故だか連想してしまった(・ω・)

やっぱり本作で最も凄絶なのは、父が兄に放つ「俺たちは終わりだ・・だがあいつにはチャンスがある」のセリフだろうか。言われた兄にとってもかなり衝撃的だとは思うが(⌒〜⌒ι) 観客もまた、その短い言葉にこめられた「親父の執念」みたいな気迫に、きっとハッとさせられることだろう。

そう言うと、少年時代のビリーを演じたジェイミー・ベル君。その後どうしてはるんか・・とウィキペディアで調べたら、、何と『ジャンパー』で主人公(ヘイデン・クリステンセン)と共闘する青年=グリフィン役を演じてたことを知った! 何とまぁ、何とまぁ、、!(気付かんかったし)

〜 こんなセリフもありました 〜

亡き母の手紙より「あなたが息子であることを誇らしく思います、自分らしく生きなさい」

ビリー「何で口紅を?」
マイケル「塗りたいから。父さんもやってるし」 ←おい!

父「ロンドンには行ったことない、行かなきゃダメか?」
ビリー「だって首都だよ」
父「だが、そこに炭鉱はないだろ?」

面接官「家族のサポートがないと到底無理です、彼を支えられますか?」
父「もちろん」

ビリー「先生を忘れない」
ウィルキンソン「嬉しいけど、それは無理ね」
ビリー「絶対に忘れない」

ビリー「最初は硬いけど・・踊り出すと全て忘れてしまう、そして消えてしまう。
    体の中に火が点く感じ・・空を飛んでいる気分に・・鳥のように・・
    電気のように、そう・・電気のように」

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2008年6月 4日 (水)

☆『ランボー/最後の戦場』☆

目下、劇場で観ておきたい映画が4本もあり(内訳:洋画2、邦画2)、その中で2番目に自発的に観たかった作品『ランボー/最後の戦場』をお疲れ気味の老体(?)に鞭打って観て来た☆
シアターは「TOHOシネマズ梅田」。「(HEP)ナビオ上層階のシネコン」と言った方が結局、はるかに分かり易いが・・(=^_^=)

タイ北部の辺境で毒ヘビ(ドクフキコブラとか、、)を捕まえ、魚を(弓矢で!)獲り、売りさばいて口を糊してる我らがジョン・ランボー(シルベ・スタロ〜ン)。
そこへ、隣国ミャンマーの東部を中心に、軍事政権に迫害されてる「カレン族」の暮しを(主に医療面、教育面で)サポートするため、丸腰で(!)密入国しようとする米・コロラド州の牧師会(いわゆるNPO活動団体)のメンバーが訪ねる。目的はズバリ現地入りするためのボートの手配である。

当初こそ無関心な態度で「お前らが行っても何も事態は変わらん、とっとと家に帰れ!」と断り続けたランボーだが、紅一点メンバー=サラ・ミラーのひと言「あなたは人を信じられなくなってしまったのね・・」に心を動かされ、あっさり密入国の片棒を担ぐ(・ω・)ことに。

が、道中で凶暴な海賊に遭遇、先手必勝とばかりに彼らの1隻を殲滅するのだった。
メンバーのリーダー格=マイケル(ちとウィル・パットンっぽいしと)は「いかなる場合も、殺戮は容認出来るものじゃない、君のやったことはしっかり報告させて貰う」と不快さを露にし「帰りは陸路を取るから、君はもう帰ってくれ」と、ランボーを追い払うのだった・・

その後、アーサー・マーシュと言う男がコロラド州からランボーを訪ねる。彼の話では牧師会メンバーが帰国予定より10日も遅れ、かつ連絡の取れない状況だと言う。アーサーは5人の傭兵(=“この種の事件に経験のある人材”と表現されてた、、)を連れており、すぐにもボートを出し捜索に向かって貰って良い、とランボーに依頼。

かくて、彼の最強最大の、そして最後の戦いの幕が切って落とされたのだった・・みたいな展開。

いや〜・・本編約90分、と言うそこそこの短さながら、イッキにストーリーが流れるのでかなり観易い☆ 暗い画面の「潜入シーン」「潜伏シーン」がやや贅沢に(時間を取って)描かれるが、その緊張を我慢すれば・・続くシーンでは大体スッキリと大量殺戮をやってのけてくれちゃったり☆

数人のテキを一瞬にして葬るシーンが前半〜中盤で2ヶ所ほどあり、終盤などは傭兵とのタッグで一気にミャンマー軍を迎え撃ったりして、私的には『椿三十郎(1962)』における“緩急の構成”“素早い殺陣”やら『七人の侍(1954)』における“異郷の地を救い、倒れゆく戦士たち”やらを連想してしまった。いやきっと! スタロ〜ンは“クロサワ映画”も少なからず研究し、本作を造り上げたに違いあるまい!(妄想)

“ランボー”シリーズと言えば「報われぬ愛国心」「上官と部下の愛憎」「拷問からの脱出」などがテーマ(と言うか演出)の1つだったが、流石に今回は“戦場の記憶”以外に彼を束縛するモノはなく、ヘタに捕まるような“青さ”など微塵も感じさせなかった。
終盤では『戦国自衛隊(1979)』か『ラストサムライ(2003)』かって感じで重機関銃を撃ちまくり、敵兵の容姿も分からぬ間に次々とその肉体を四散させてゆく・・こればかりは「凄惨」だの「爽快」だのと言う次元を超え、ただただ唖然とスクリーンを見つめるしかなかった・・(×_×)

特に何を訴える、と言う類いの作品ではなかったが「武器なしで戦場をどうこう出来るほど、現実は甘かねぇんだよ!」と言うスタロ〜ンの心の雄叫びをスクリーンの向こうから聞かされ続けた、、そんな1本であった。

〜 こんなセリフもありました 〜

ランボー「あれは内戦と言うより、虐殺だ」
    「武器の供給でもしなきゃ、何も事態は変わらん」
    「全てが変えられる訳じゃない」
    「国のためじゃない、自分のために殺す」
    「俺を撃つのなら、(チャンスは)今しかないぞ」
    「何かのために死ぬか、目的もなく生きるか・・お前が決めろ」

サラ「故郷には帰らないの?」
ランボー「帰る理由なんかない」

サラ「何とお礼を言えば・・」
ランボー「何も言うな」

↑ 石坂浩二風に言えば「あなた、サラさんを愛してらっしゃったんですね」ってトコだろう(=^_^=)

傭兵「俺たち“悪魔”に“神の仕事”をやらせようってハラか」
  「怒りの眼を俺に向けても、通用せんぞ・・昔、良く(そんな眼を)見たがな」
  「神様は助けちゃくれねぇぞ」

〜 その他、こんなことも 〜

・しばらく、鼻っ垂れ(?)の傭兵隊長に「ボート屋」呼ばわりされてた“伝説の兵士”・・ちゃんと謝っておきなさいって(⌒〜⌒ι)
・「毒をもって毒を制す」と言う精神をきっちりわきまえてたアーサー・マーシュ。流石に聖職者(?)ながら1枚上手である(・ω・)
・「プライドをいぢられ、ヒューマニズムを刺激される」と、男は思わず動いちゃうモノである(=^_^=)
・終盤、路傍の石をもって殺戮に及んだ平和主義者。この演出だけはなかなかに「深い」気がする。
・ミャンマー軍人の会話に殆ど「英文字幕」「日本語字幕」が付かなかった。それはそれで観易かった☆
・観終わって感じたのは「自身が情に流される性格」と熟知していたが故、ランボーは戦場に行きたがらなかったんじゃないかな、と言うこと。
・中盤のクレイモア(対人地雷)1発の破壊力がめちゃめちゃに凄い! まるで『プレデター(1987)』の自爆シーン(=^_^=)か『スターシップ・トゥルーパーズ(1997)』の“ニューク弾”みたいだ。。どうやら2次大戦時に英軍の残した“トールボーイ爆弾(不発弾)”が誘爆され、あの凄まじい破壊力に結び付いたモノらしい。
・無抵抗なカレン族を殺しまくるミャンマー兵ら。確かに「酒」「女」「虐殺」漬けの毎日なら“爽快”にも違いなかろう・・(×_×)
・海賊の習性を妙に恐れてたランボー。「女は犯され、男は首を刎ねられる!」とか言ってはったし。んでも、半月近く経過してからでも一応捜索に行くってことは・・海賊に捕まるよりよっぽど「生きてる望みがある」と考えたんやろか?
・結構ハデな銃声が闇に響いたと思うんだが・・他の海賊連中には気付かれなかったんやろか?
・ミャンマー兵の視点からすれば、全く何が起こったんだか分かんなかったんじゃなかろうか? 遠くから矢や機関銃で殺されたり、背後から首を刎ねられたり、、多分「劇中でランボーの姿を見て、生き延びたミャンマー兵はいない」と言うのがワタシの見解である(=^_^=)
・ラストで名前のみ登場する「R・ランボー」とは・・?!(アリゾナ州ボウイ在住らしい)
・傭兵の1人が浅野忠信では・・? と思えて仕方なかった、、(・ω・)

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2008年5月 2日 (金)

☆『理想の恋人.com(2005)』☆

29日(火曜)の鑑賞。
2夜続きで、ダイアン・レイン主演による近年の恋愛モノを放送してくれた衛星第2ちゃんねる、天晴である!

本作も昨日の『トスカーナの休日(2003)』と同様、(夫ケヴィン)との離婚によって“喪失”しているサラ・ノーラン(ダイアン)をヒロインに、その“再生”への道のりを描いたラヴロマンス作品。
ただ、そこに至る「軸」として用いられたのは、異国での新生活じゃなく、インターネット上の“デートサイト”なのであった(・ω・)
その辺が、何やら軽薄な印象ではあったが、反面、中年のおっさんとしては・・ここで描かれた“恋愛に不器用な男女たち”を眺めてて、実に愛おしく思ってしまったものだ(=^_^=)

さて、今回もモテモテなサラ。勤務する幼稚園で出会った(園児オースティンの父)ボブ・コナー(ダーモット・マルロニー)、そして妻(リサ)と別れ、新しい出会いに対し過敏になってる男=ジェイク・アンダーソン(ジョン・キューザック)が男性陣の筆頭格だ。
サラの一家は大家族であり、71歳になってなお、異性との交流に熱を上げる父ビル(クリストファー・プラマー)や、色々と世話を焼く姉キャロル&妹&弟がことある毎に集まってはワイワイ騒いでる感じ。

恋愛モノらしく、明言&珍言(=^_^=)が全編に渡りちりばめられてる感のあった本作☆

「わし」「なのじゃ」系の言い回しが似合わぬ、若々しくダンディーな雰囲気の父親像をさらりと演じ切ったプラマー氏がナイスであり、何とも“自嘲キャラ”の極まってる印象(=^_^=)だったキューザックはもはや「ウッディ・アレン状態」であったし、終盤に向かっての“男女のすれ違い演出”に、まんまと乗せられ(⌒〜⌒ι)妙にドキドキさせられてしまったこの映画。

いつかまた“愛すべきジジイ”のお手本的な作品として、きっとじっくり観直すような日が来るのかも、知れないのぉ(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

キャロル「“お茶にしましょう”・・それがアイルランド式の解決法よ」
    「あなたは、生きてるとは思えない」
    「“感情豊かで話し好きの男”なんてなかなかいないわ」
    「(避妊具がない時)私は食品ラップで代用したわ・・9ヶ月後に子供が出来ちゃったけど」 ←駄目じゃん・・

サラ「犬はいいわ、苦手な野菜を平らげてくれる」

弟「姉さんは、いじけてなきゃ美人だ」

ジェイク「美しく負ける、それは勝利にすら勝る」
    「女の頭の中じゃ、すべてが計算済みなのさ」
    「(デート中の)ハナシのネタを準備してたが・・全部忘れた。君のそのドレスのせいかな?」
    「知り合った時こそ、男女は素直になるべきだ」
    「傷は人を成長させる、傷が癒えれば、また強くなれる」
    「重苦しい映画は、決してリメイクされないのさ」

園児「“おじさん”が来た夜、僕はママと眠れないんだ」 ←おおっ(=^_^=)

ビル「例え何と呼ぼうと、バラはバラさ」
  「これは喪失感を埋めるためのデートだ、分かるか?」
  「私は(木造)ボートには素人だが、芸術が何かは分かる」
  「苦しむのは男だ」

※「絶対に怒らないでね」
サラ「それって恋人を奪った時の常套句ね」

店員「何だったら、悩みを訊こうか?」
サラ「あなた、バーテンもやってるの?」

サラ「遅いわ、もっと飛ばせないの?」
ジェイク「これ以上(アクセルを)踏み込むと離陸するぞ」

客「気が変わったら(ボートを売る気になったら)電話しろ」
ジェイク「もし、人格が変わったらね」

ドリー「男に浮気されると、女はすぐに気付くものよ」
   「(登録のプロフィールは)嘘じゃなく宣伝よ。中古車と同じ、何だって書けばいい、試乗させれば勝ちよ」
   「恋愛には痛みがつきもの」

※「デートしなさい、どんどん年を取るわよ」

追記1:ダイアンが“恋愛モード”に突入する時、彼女は髪をほどき、パーカーのジッパーを少し下げ、胸元をご披露するんだが、これがなかなかに・・良い!
追記2:避妊具を探し、夜の街を走り回る男女、、やがて女性がぽつりと「魔法が解けたの・・」と言うのが悲しかった(×_×)
追記3:41歳と自称するドリーの元に、15歳のジェレミー君(間違いなく童貞くん)が押し掛けて来る・・ドリーは「実は43歳なの」と謝り、少年を帰らせる。直後、立ち会っていたサラにぽつりと「本当は50歳を超えてる、なんて言えないわ」と漏らすシーンに妙な余韻があった・・
追記4:女性を抱いた後、軽薄で利己的な男がどう変わるか、、その見本の1つが本作で提示されている(・ω・)
追記5:“双方”の離婚原因が余り明確にされず、少々未来が不安なエンディングでもあったが・・?
追記6:サラが“一方”と結ばれた場合・・サラ・コナーとなるんやね(⌒〜⌒ι) そうなると、息子が誕生したら“ジョン”と名付けるしかないのか、、

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2008年2月29日 (金)

☆『チャップリン映画祭』終了に何とか間に合った!☆

28日(木曜)。残業しようかどうかギリギリまで迷いつつ・・「もう、今夜にも行っとかないと・・行けんぞコレは!」と自分の中で答えをひねり出し、またもやたんまり到着した書類の束に「悪いけど、お前らは明日回しじゃ!」と心中で毒づきつつ会社を後にした。

以前から「行かなあかんのや!」と気には掛けつつ・・殺人的な連日の残業のため、機を逸していた『チャップリン映画祭』である。

昨年暮れの12月22日に『キッド(1921)』『モダン・タイムス(1936)』の2本立上映で始まったこの企画も、いよいよラストを飾る『のらくら(1921)』『ライムライト(1952)』の2本立プログラムの終了する明日(29日)をもって幕となる。

場所が、以前に『グラディエーター(2000)←コレはチャップリン映画ではありません(・ω・)』を(確か)観に行った“千日前国際劇場”だったが、何とまぁ・・巷にはびこる“おしゃれシネコン”の対極に位置するかのような、徹底的なくたびれぶりが何とも当惑モノだった(・ω・) いやま、たまにゃこう言う昭和時代のかほり漂う劇場も悪かぁないんですけどネ。。

にしても、平日の映画鑑賞なんていつ以来だろう・・? と思って調べたら昨年11月初旬に八尾市内で鑑賞した『パンズ・ラビリンス』以来だった(×_×)
その後11月下旬ぐらいから残業が慢性化し、地獄のような日々が始まったんやな〜(×_×)

さて。私的に今回の映画祭(いちおう「〜世界中に愛されて〜没後30年特別企画」と冠された本イベントではある)で注目してたのは1月19日から上映された『街の灯(1931)』『サーカス(1928)』の2本だった(←結局観れず)。
『モダン・タイムス』も『独裁者(1940)』なども確かに面白いんだが「ちょっと考えさせられる」要素も多く、自身で一番好きなチャップリン作品(長編)は案外『サーカス』ではないかな〜と。サーカス一座が華やかな公演を行い、そして最後に町を離れ去って行く・・と言う何とも言えない“寂寥感”が絶妙なのだ。あ、考えたらそう言うのも「考えさせられる」要素ではあるんかも。。

(因みに短編では『サニーサイド(1919)』が好きかなぁ・・ウィキペディア情報では「スランプ期の作品」だそうだが(・ω・))

一方で、良く内容の分かってないチャップリン短編の1ツがこの『のらくら』であり、そのタイトルからして「のらりくらり」の意味なのか? 何なのか? どんな物語だったっけ? と、とんと思い出せないのだった。


『のらくら』・・原題“The Idle Class”。上流階級、とでも訳したら無難だろうか? チャップリンが(劇中で俳優として)1人2役を演じたり、ゴルフ&乗馬&仮装プレイ(甲冑姿)を披露したり、となかなかに個性的かつ魅力的だった短編(約20分)。観てて思い出したのは「コレって『ゴルフ狂時代』とちゃうんか?」ってこと。
帰宅後ネットで調べたら、やはり『のらくら』の別邦題が『ゴルフ狂〜』なのだった。
また、案外珍しい感を受けたのが、劇中でエドナ・パーヴィアンス演じる妻が旦那に宛てた手紙の中に「マイアミ」「1921年11月2日」なる具体的な地名&月日の記されてたことか。

紳士役を演じたチャップリンがそんな妻に愛想を尽かされ、飲酒癖を手紙でたしなめられ・・画面に背中を向け、肩を震わせ嗚咽しているか(←サイレント作品なのでむろん声は聞こえない)・・と思いきや、こちらをクルッと向いたらカクテルの入ったシェーカーを振っている、、と言うギャグは良い! きっとその後の約85年間に、数千回はパクられたギャグじゃなかろうか、と(=^_^=) 何故かゴルフ場(の炎天下)で豪快に爆睡してるヤツ(彼の口の中には何とゴルフボールが6ツ程入ってて、浮浪者(もチャップリンが演じる)がその腹を踏むたびボールを吹き出すのが面白い)、ボールを巡って取っ組み合いの大ゲンカを繰り広げるヤツ、、色々と上流階級にもいるのである。。

終盤で2人のチャーリー(2役)がばったり遭遇するが、そこも面白い持って行き方だった。確かに仮装パーティーと言うシチュエーションなら、浮浪者の格好した男が紛れ込んでも、さほど不自然さはないだろうから(・ω・)

ラストで“人違い”等を詫びる大富豪に対し、握手後にその尻を蹴飛ばし一目散に逃げ去って行く浮浪者の“一撃”には、溜飲を下げた観客が(公開当時)さぞ多かったことだろう。ま、監督としてのチャップリンは・・次第にそんな富豪たちへの仲間入りを果たして行く訳だけど・・

『ライムライト』・・原題“Limelight”。「柔らかな明かり」と思ってたら「舞台照明」や「名声」みたいな意味があるらしい(良くある喫茶店名“来夢来人”とは余り関係なさそう(=^_^=))。
1914年のロンドンを舞台に、かつて名声を博した“道化役者”カルヴェロ(チャップリン)と、精神的な落ち込みにより“踊れない”と思い込んでいるバレエダンサー=テレーズ(テリー)の“愛と再生の日々”を描いた長編(何と約140分!)。

正直、全盛期のチャップリン映画と比較すると「重い」「笑えない」「長い」と言うのがあるが、、これがドラマ的にはなかなかの完成度なのだ。中でもワタシの好きなシチュエーション「励ます者が、実は励まされていた!」がぶっとい軸となって盛り込まれており、そこだけでも観る価値は充分にあるかと。シチュエーション的にはリメイクにも十分耐え得る完成度&普遍性を確立してますし!

老いたる喜劇役者が枯れそうで枯れず、最後まで名声にこだわり、愛する人を眺めながら死んで行く展開は、同性としても何処か心にズプッと刺さって来るモノが、確かにある。また、テリーの前にネヴィルと言う若くてハンサムで才能に溢れた作曲家が現れるのだが・・カルヴェロは最後までネヴィルに対し「男から男への“愛する者を託す”宣言」をすることはなく、その頑固さが印象に残った。まるで、終盤で結局“(トム・クルーズ演じた)若いの”を蹴散らし、しっかり返り咲いちゃう『ハスラー2(1986)』におけるポール・ニューマン翁のようであった(・ω・)

チャップリンならではの強烈な人生訓も全編に渡りちりばめられてて、もはやメモ作業が追いつかないぐらいだった(×_×)

終盤で“親友”役としバスター・キートンが登場するのだが、役名もセリフも殆どなくて「ああ、やっぱりキートンは年を重ねてもキートンなんやなぁ〜」と微笑ましく思えてしまった。

〜 こんなメッセージやセリフがありました 〜

冒頭の惹句「華やかなライムライトの影で、老いは去り、若さへと変わる・・これはバレリーナと道化の物語」

カルヴェロ「人生とは生きること、あとは考えなくていい」
     「太陽に意識などない、ただの星に過ぎない。だが人には(意識が)ある」
     「薔薇はどうしたって薔薇さ」
     「人生を、怯えるな」
     「生きて、苦しんで・・そして楽しめ」
     「生もまた避けられない・・死と同じように」
     「我々は自らを“頼りない存在”と思い過ぎる」
     「(君を知って)目ざめたのは、私の方だ」
     「大人になっても、何も失ったりはしない・・少し変わるだけさ」

※まだまだメモしたんだが、文字が乱れ過ぎて(自分で書いたのに)判読不能・・(×_×)

テリー「もう(深夜の)1時よ、(演奏の)練習には遅くない?」
カルヴェロ「夜想曲なら構わんだろう」

追記1:久しぶりの舞台でスベり、絶望に打ちひしがれるカルヴェロ。そんな彼を今度はテリーが激励する・・そんなシーンでボロボロ泣いてしまいました。
追記2:ワタシだけかも知れないが、O・ヘンリーの代表的な短編『最後の一葉』に何となく通じるエッセンスがあったのかも、と感じた。因みにあちらは1907年に出版された作品だそうだ。

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2007年8月20日 (月)

☆『ラストサムライ(2003)』☆

午後からクルマに乗り、ディーラーに行ったり、奈良市内を走ったりした18日(土曜)。
楽しかったが故、帰宅時間がすっかり遅くなってもしまったんだが・・中盤以降、殆ど終盤前って部分からながら、地上波放送されてた映画『ラストサムライ』を観た。

公開当時、劇場で観て・・その後、DVDで観て・・ついでに姫路(書寫山・圓教寺)&京都(知恩院)にロケツアーなんかまでしちゃった作品である(⌒〜⌒ι)
今回、改めて鑑賞し感じたのは「どのシーンも“絵”になってるよな〜」ってことである。
かつての『レオン(1994)』もそうだったが、任意に1シーンを切り取って“ポストカード化”しても、それなりに引き立っているのである。きっと撮影監督の才能と、映像の封じ込めた“世界描写力”“画面構成”の説得力が充分にあるから、に他ならないと思う。

ストーリー的には、実にトム・クルーズの突出した(←彼の場合、どうにも突出しがちである(=^_^=))アクションも(極力)押さえ付けてる感じで、“スーパーヒーローの域”にまで高めてられてない主人公(=トムクル演じるネイサン・オールグレン大尉)の姿に、「ええ感じや〜」と改めて好感を覚えた(まぁ別に、トムクルに「港湾でクレーン作業員を演じてろ(2005)」とかまで言うつもりはないけど・・)。

渡辺謙は、状況により、眼をくわっと見開いた表情で「訴えオーラ」を放つんだが・・見ようによっては「松本人志氏がメイクで化けた姿」のようにも映ってしまった、私的に(⌒〜⌒ι)
「もっとぉ〜!」とか「何でですのん」とか“松っちゃんのセリフ”をかぶせると、意外と「戦国コント」っぽく変わり果てて笑えるかも知れない。。

後半において、主要な“侍キャラ”がバタバタ倒れて行く様は流石に圧巻。
私的には「サイレント・サムライ(=ボブ)(福本清三)」はもう少し生き延びて欲しかったし、氏尾(真田広之)は1度目の乱戦を“不死身の肉体”で生き残ったにしては、その後の活躍があっけなく、悲し過ぎる感があった。

今回、特に注目したのは官軍の少尉役を演じてた俳優・二階堂智さんの存在だった。
キャラクターとしての詳細な設定は殆どないのだが、彼が(部下の)ガトリング銃掃射を独断で止めさせ、涙をこらえて「サムライたちの死」をしっかりと見届けるシーンこそが、本作でエドワード・ズウィック監督が一番描きたかった、重要なシーンであると確信している。
さて、二階堂氏はその後『バベル(2006)』における若い刑事役として、再度ハリウッド作品に助演する訳であるが、これからも更に深みのある役柄をどんどんゲットして頑張って欲しい人材だと思う。

※彼が涙を流すシーンを観てて、同監督作品『グローリー(1989)』の中盤における、デンゼル・ワシントンの落涙を思い出してしまった。あのシーンもウルウル来ましたなぁ・・(←なお、デンゼルはこの作品で“アカデミー助演男優賞”に輝いている)

あと、今回気付いたのは・・ラストシーンで、トムクルの負った「(重篤そうだった)脚のケガ」がすっかり癒えている、と思しきこと。
彼こそは「自らは死なず、ただ自軍を壊滅させる宿命」を生涯背負い続けた、そんな“悲劇の戦士”だったのかも知れない。

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2007年8月13日 (月)

☆『ランボー(1982)』☆

9日(木曜)。残業をたんまりこなしてから帰る。ココロ的には「今週、休んだる〜」と決めてたハズなのに、現実はなかなかにチビしぃ(←死語)

帰宅してから「木曜洋画劇場」で放送されてた『ランボー』の終盤のみをヘロヘロになりつつ鑑賞した。
始まった途端に「既に警官隊の包囲網が張られてる」「トラウトマン大佐(リチャード・クレンナ)がのんびり客演(やや日和見状態・・)してる」「山狩りもほぼ終了してる」って状態で、後は主人公ジョン・ランボー(シルベ・スタロ〜ン)がディーズル保安官(ブライアン・デネヒー)をやっつけに町に戻って来る・・ってシチューエーションに突入しつつあった。
ホラー邦画『黒い家(1999)』で言うトコロの「ヤツがボーリング球を手に、(残業中の)オフィスに押し掛けて来るよ〜!」って半端ない状況な訳だ(⌒〜⌒ι)

前半の保安官主導による「ランボーへの肉体&精神的苦痛」の数々を全く観てないため、今回は保安官のキャラが至極真っ当に思えて仕方なかった(・ω・)
勝てない相手が殺しに来ても、決して自分だけ逃げ出そうとはしなかったし、彼が絞り出すように叫ぶ「あの野郎、よくもオレの町を」ってセリフがココロに響いてしまった。

結果的に保安官はランボーに撃たれ、倒されてしまう展開だが、悪いのが「保安官」なのか「ランボー」なのか、はたまた「ベトナム戦争そのもの」だったのか・・「アメリカ人でなく、当時も知らないワタシ」には、想像すらも出来ないままに物語は幕となるのだった。

〜 こんなことも思ったり 〜

■終盤、町のいたる所にある街灯を破壊し、待ち受ける保安官の狙い撃ちを防ぐランボー。もし事務所の武器庫に「スターライトスコープ」とか「ノクトビジョン」とか「ナイトゴーグル」とかがあれば・・保安官の楽勝だったかも。
■「ランボー1人vs警官1000人」って“宣伝文句”も勇ましかった本作。けど、ランボーと正面切って戦った警官はぐっと少なかったハズ(・ω・) 殆どの警官は、待機してるトコに唐突な無線で「たった今、容疑者は拘束された・・各自、通常勤務に戻れ・・繰り返す・・」なんてな連絡を受け「人騒がせな野郎だぜ、全く!」とか毒づきながら帰って行った、って辺りが真実ではなかろうか(←いや、そもそもが真実じゃないんですけど・・)
■本作を町の人々の証言で綴ったドキュメンタリーテイストの映画が観てみたかったり(=^_^=) 「保安官擁護派」「ランボー憎悪派」・・色んな住人が当時、きっといた筈だ。

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2007年6月14日 (木)

☆『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード(2003)』☆

10日(日曜)の夜。“地上波初登場”で放送されたものを観た。公開当時、劇場にも足を運んだ映画『レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード』である。
監督:ロバート・ロドリゲス+主演:アントニオ・バンデラスのタッグが『デスペラード(1995)』の続編とし再び実現(“エル・マリアッチ”シリーズの3作目となる)。バンデラスは同監督の『スパイキッズ(2001)』シリーズでも助演してるが、やっぱし“脇役”じゃあかんやろと思うもんで「待ってました!」って感はあったようだ・・その当時(=^_^=)
私的には、前作の時ってば「どんな作品なのかはっきり予測出来てなかった」ぶん、その衝撃度たるやスゴかったが(=^_^=)、本作はとにかくキャスティングの豪華さを前面に押し出してる感じだろうか。内容は随分とペラペラなんだが・・許せる。

にしても、ロドリゲスと彼の盟友=クエンティン・タランティーノ。よくもまぁ、互いに切磋琢磨しつつ(?)荒唐無稽なバイオレンス作を次々と放ち続けられるモノだな、と。きっと「君らの作品になら、脚本なんぞ読む前に出資してやるとも!」と豪語しちゃうような、かなりプッツン来てる成金野郎(出資者)が何人もいるとみた(⌒〜⌒ι)

伝説のガンマン=エル・マリアッチ(アントニオ・バンデラス)がクーデターの気運高まるメキシコに帰って来た! 最高の殺人者である彼を利用し、混沌の地を鎮圧しようと目論むのは、連邦捜査官でCIAエージェントでもあるシェルダン・ジェフリー・サンズ(ジョニー・デップ)。サンズがマリアッチに狙わせたのは、その仇敵でもあるマルケス将軍。だが、一帯(クリアカンなる地名)を牛耳る麻薬王=アマンド・バリョ(ウィレム・デフォー)がクーデターの裏で将軍を操っていたのだった。
カネの為なら何でもやるゴロツキのククイ(ダニー・トレホ)を雇い、マリアッチに将軍暗殺を急がせるサンズ。一方で彼は地元に暮す元FBI捜査官=ホルヘ・ラミレスを甘言で“復職”させ、バリョの副官的存在たるならず者=ビリー・チェンバーズ(ミッキー・ローク)への接触をも企むのだった。
表側でサンズは、メキシコ市警(?)の女性特別捜査官アヘドレス(エヴァ・メンデス)の動きも掌握しようとするが、そんなサンズの思惑を超え、ヒトクセもフタクセもある連中が、ヒトクセもフタクセもある行動をそれぞれに開始するのであった・・みたいな流れ。

シリーズが進むごとに制作費がガンガン上がって行く(=^_^=)“エル・マリアッチ”モノ。今回はとにかくバトルシーンでのエフェクトが派手派手でスゴかった。ザコの1匹に至るまで、決して地味には死んで行かない(=^_^=) もはや現実世界とは引力の概念が異なるパラレルワールド(?)と言うべきか、銃で撃たれただけのヤツが、まるで圧搾空気を全身に叩き付けられたかのようにポーンと吹っ飛んで行く(=^_^=) 後半では銃撃された衝撃でか(?)床面をズザーッと滑ってくザコもいたし。。
また、唐突にバイクの殺し屋軍団が出て来たりするトコは『007/ユア・アイズ・オンリー(1981)』や『死亡遊戯(1978)』も顔負けの豪華演出だ(=^_^=)
前作では「“死ぬためだけに呼び出された”悲し過ぎる奴ら」だったマリアッチの仲間(その時はカンパ&キーノ)にも、人間味溢れるロレンソ(エンリケ・イグレシアス)&フィデオなる新顔が! 因みにエンリケはフリオ・イグレシアス(歌手)のご子息。銃なんか使わずとも、視線だけで次々と女性を殺めて行きそうなエロさですわ(⌒〜⌒ι) まぁ、本作ではそんな風に人間味溢れるが故、仲間を襲う不幸までは描かれなかったんだけど・・私的にはちと物足りぬ気がした(・ω・) ←不謹慎ながら楽しみにしてたもんで。。

さて、今までに色んな映画で凶悪な悪党を眼にして来たが、本作のバリョと言う男は、その中でも上位にランキングされる凄まじさである。
※他には『リーサル・ウェポン2/炎の約束(1989)』や『ロボコップ(1987)』などの悪役どもがなかなかに凶悪(×_×)
とにかく、相手に対し「一番苦痛」となるやり方で処分して行く。徹底的なサディストかと思えば、自らマゾヒストみたいなこともやってるし。・・にしても後半のバリョ、ホンマにウィレム・デフォー本人が演じてたんやろか? もはや元の顔が判別不能やったぞ(×_×)
(何にせよ、とにかくバリョ邸に連れて行かれた時は“タダでは帰れん”ことを覚悟しといた方が良さそう・・)

ちょびっと気づいたことを幾つか。
・本作では描かれなかった「マリアッチの両袖口から銃が飛び出して来る」演出。観たかったよなぁ(・ω・)
・ヒロイン=カロリーナ(サルマ・ハエック)の描き方が巧い。現実の時間にはいないのに、とても存在感があるのだ。『ナイロビの蜂(2005)』のヒロインもそうだったが、編集(登場シーンの適所への断片的挿入)がしっかりしてると、こんな風にしっかり描けるんやな〜と感心。
・「絶頂期の殺し屋は、弾丸すら避けて行く!」と言うノリの良さを満喫。不自然? いや、それがアクション映画なのです(=^_^=)
・ロドリゲス監督、私生活でフラレ続けてるんやろか? とにかく女性キャラが死にまくり状態。ジョニー・デップが無抵抗な女給を躊躇いなく射殺しちゃうシーンは「スパロゥさまぁ〜☆」だのと黄色い声をあげてる女性ファンらの度肝を抜くこと間違いなし!(⌒〜⌒ι)(←後でそれなりの報いを受ける彼だけど・・)
・後半において「変わり種ギターケース品評会」の開幕でござ〜い(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

サンズ「俺は銃でこの国のバランスを保つ」
   「勝利の秘訣は・・試合に細工することさ」
   「(この銃で)あいつをブロードウェイに送ってやれ」

マリアッチ「コックを殺せば良いのか?」
サンズ「いや、コックは俺が殺す」

大統領の側近「主人を裏切るのは、これが初めてじゃない」

マリアッチ「練習しろ」
フィデオ「ギターをか? それとも銃?」
マリアッチ「どう思う?」

ラミレス「お前がビリーだな?」
ビリー「そう言うあんたが誰かによる」

部下「将軍、マリアッチが逃げたようです」
将軍「なら、お前も(俺から)逃げることだな」

バリョ「運の良いことに、お前のやったことは殺すには値しない」

マリアッチ「昔は悪党を下っ端から片付けたが、考えが変わった・・上から殺る」

フィデオ「装甲貫通弾って知ってるか?」
ロレンソ「ああ」
フィデオ「こいつはそれより強力だ」

カロリーナ「あなたの望みは?」
マリアッチ「・・自由だ」
カロリーナ「簡単ね」
マリアッチ「いや・・」

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2007年5月 4日 (金)

☆『ロッキー・ザ・ファイナル』☆

3日(木曜)。「GWの後半戦突入」って感じか。
今日は、梅田で人に会う約束があり「それに絡めて映画でも観よう!」ってことで、1本観て来た☆ 「分かり易いのがイイ」「あまし深刻なんは観たくない」ってことで、大して迷うこともなく(=^_^=)『ロッキー(1976)』シリーズの最新作に決定☆

「何を今さら『ロッキー』なのかと高をくくっていたら、これが予想を上回る面白さ。ぐんぐんと画面に引き込まれ、最後は言葉にならない熱いものがこみ上げてきた」なる“絶賛っぽいのん”をY新聞の映画評(記事)で読んだものだが、さてさて・・??

かつて2度のヘビー級王者に輝いた、栄光のボクサー=ロッキー“イタリアの種馬”バルボア(シルベ・スタロ〜ン)。前作(1990)でかなり危ぶまれた“パンチドランク症候群”も何故か奇跡的に克服し(⌒〜⌒ι) 今は地元フィラデルフィアの下町に暮らし「エイドリアンのレストラン(since1995)」を経営している。
妻エイドリアン(タリア・シャイア)は“女性のガン”を患い、既にこの世にはいなかった(生没年:1950-2002)。ひとり息子=ロバートは有名過ぎる父親の存在を「そばにいるとあんたの影にかすむから」と言い、やや距離を置いた社会人生活を続けている。
義兄ポーリー(バート・ヤング)は、エイドリアンとの過去を引きずったまま生き続けているロッキーに不満を隠せない。

「過去に生きるな・・そんなのロクなもんじゃねぇ」

それは妹の生前、良い兄として一度も接してやれなかったポーリーの、自身に向けられた怒りの言葉でもあった。

現在のヘビー級では、若きチャンプ=メイソン・ディクソン(アントニオ・ターヴァー:元ライトヘビー級世界王者!)が「33戦全勝(30KO)」と言う凄まじい戦歴で“無敵”の名を欲しいままにしていた。
過去の王者。そして現役の王者。
彼ら、“時代を違えた”2人のボクサーが接点を持つことは有り得ないように思われたが・・TV番組の「とある酔狂な企画」に端を発した騒動が、ロッキーを再びリングに上がらせる決意をさせる。

そしてラスベガス。史上最大のエキシビジョン・マッチのゴングが、今高らかに鳴らされた・・みたいな流れ。

良くも悪くも普通にも(・ω・)「まさにシリーズの集大成や!」と言う印象が濃厚。ラストの死闘の真っ最中を始め、意外なトコロで意外な「過去のシーン&過去の関連キャラ」が唐突に描かれたり、登場したりする。ミッキー・ゴールドミル(俳優:バージェス・メレディス)もイワン・ドラゴ(俳優:ドルフ・ラングレン)もちょろっと(過去の“記憶”映像で)出ます☆
反面、アポロ・クリード(俳優:カール“アクション・ジャクソン”ウェザース)とかルドミラ(俳優:ブリジット・ニールセン)とかクラバー・ラング(俳優:ミスター・T)は、ちょっと気づかなかったなぁ(⌒〜⌒ι)

観賞後、そばを歩いてた観客の誰かが「このシリーズ、ホンマに毎回一緒や!」みたいな賛辞(←なのか?)を吐いてたが、まぁそこを外しちゃうと前作(『ロッキー5/最後のドラマ』)の二の舞となっちゃうんで、我慢頂きたい。代わりに、今作では豪邸も、スーパーカーも、家庭用ロボットでさえも登場しないんで、その辺(のリアルさ)はきっちり評価したげて欲しいトコロだ(=^_^=)

全然記憶になかったが「ファン向けの結構細かいシチュエーション」とし、第1作で客演してた(らしい)“スパイダー”なる元ボクサーと、当時不良少女だった“リトル・マリー”なる女性が、“その後”の描かれ方で出てたのがあった。ついつい第1作のDVDソフトを買いたくなるしとも多くなるってもんじゃなかろうか。
ここで商売っけを発揮⇒劇場入口で過去の作品を売ったらエエのに(=^_^=)

マリーを演じたのはジェラルディン・ヒューズと言う女優さんであり、見ようによっては、エミリー・ワトソンに雰囲気が似てる感じもし、好感度がつい高まった(=^_^=) 後半できっちりスタロ〜ンとのキスシーンもある。
監督ご自身、ちと“粉をかけてる”気がしなくもない(⌒〜⌒ι) これっていわゆる「ブリジット・ニールセン症候群」・・?!

全体的には「長い作品やなー」と時計が気になることもなく、脚本的には巧く練られてたんじゃなかろうか。
特に、終盤の試合のシーン、とあるキャラが、
「あんたは笑い者なんかじゃない! 誰もあんたを笑っちゃいない!」
と訴えるセリフには、一瞬ウルッとなってしまいますた(⌒〜⌒ι) 右隣の中年男性がどうやら目頭を押さえてる感じなのが見えたので、辛うじてそこで踏みとどめましたが(=^_^=) ←気にすんなっての(⌒〜⌒ι)

その他、ちょこっと幾つか。

○ポーリーが「人生最後の試合だ!」「人生最後のラウンドだ!」などと強調し過ぎてたのが、やや鼻についた。「これからも続いてええやんか」と。
○試合中、左腕を傷めた※※※※。「患部の痺れがしばらくしたら回復、そこから反撃!」みたいな“フリ”のセリフがあったが、あんまり反撃力は高まってなかったような?
○エンドロール時の映像。私的には「こんなテイストじゃない方が・・」と強く感じた。なんか「提供:フィラデルフィア観光協会」って感じのノリだ(×_×)
○「ロッキーの銅像」がちっとも出て来なくて不満。どうやら“壊されてしまってる”設定のようだが・・
○フィラデルフィアの下町の貧困な雰囲気を改めて感じた。加え、かなり「寒い町」らしいことも知った。
○“還暦”を迎えてのあの過酷なトレーニング。。感動を超えて、危険な印象すら漂ってた(×_×) 真似すると死にます、確実に。
○距離を置いて、ジャブを放って来るディクソン。「ホンマにクレバーな戦い方やな」と感心した。
○今回は、第3ラウンドが終わった辺りで“ロッキー名物・紙芝居的展開”に切り替わってた(・ω・) もうちょっと、しっかり観たかったなぁ・・
○ディクソン側のリングサイドに・・“あのボクサー”が・・! 本人出演には少し驚いた!

〜 こんなセリフもあったでよ 〜

ポーリー「今や、世界中が壊れちまってるのさ・・建物のハナシじゃないぜ」

ディクソン「おい、ジイさん」
ロッキー「お前もいずれそうなるさ」

※「バルボア、笑みを絶やしません」
※「どうせ負け試合だから、ヤケクソなんでしょう」 ←ムチャクチャや(=^_^=)

ロッキー「犬と話してみろ、勉強になるぞ」
    「150年もそこに建ってて壊れないなら、頑丈だって証拠だ」
    「人生、笑いがなくちゃ・・そうだろ?」
    「悩みなんかと付き合うより、この俺と付き合えよ」 ←お、“口説きモード”っスね☆
    「数字でおかしくなるなよ」
    「怖い時ほど、強気でいろ・・俺は今まで、そうやって生きて来た」
    「自分を信じなければ・・それは人生じゃない」

ロバート「何をやっても、それもまた“過去”になるのさ」

リトル・マリー「心は年を取らない・・明日、試合でそれを証明してみせて」

ロッキー「死ぬほど怖いさ」
ロバート「そうは見えないよ」
ロッキー「顔に出せるかよ」

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2007年1月19日 (金)

☆『ロードキラー(2001)』☆

18日(木曜)の夜に鑑賞。かなり前にTV放送されてたのを録画しといたもの。番組中の「次週予告」から推理(=^_^=)するに、昨年の11月16日(木曜)に“地上波初”で放送されたようである・・うーん、思えば随分放置したもんだ(・ω・)
「木曜洋画劇場」の冒頭では「超激突!! 迫る鋼鉄の暴君龍(T-REX)! 破滅直行便サスペンス!!」などと、ナレーションがやたらと吠えてた(?)感じだが・・いざ観終わってみれば「予想以上にどうしようもなくポンコツやな〜」と、軽い疲労感を覚えた次第(×_×)

ボストン⇒ソルトレーク・シティ⇒コロラド⇒ネブラスカ・・と長距離ドライヴをするトーマス兄弟(弟:ルイス(ポール・ウォーカー)、兄:フラー(スティーヴ・ザーン))がルイスの女友達ヴェナ(リリー・ソビエスキー)を迎えに行く道中、トラック無線(CB無線)を通じ知り合った謎のトラック運転手“ラスティ・ネイル”に執拗な死の追跡を受ける、と言う流れ。
名作『激突!(1972)』や、近年の同路線作『ブレーキ・ダウン(1997)』などとプロット的に似てる感じもあるが、展開の無意味さ、演出の粗さ、共感出来ないキャラクター陣の言動など・・かえって『激突!』の素晴らしさを再認識させてくれるハナシだったり(・ω・)

薄っぺらな世界観や強引な終盤の流れなどは何処となく『スクリーム(1996)』や『ラストサマー(1997)』辺りの“新世代型即席ホラー”を連想させる。ラストなどは『フォーン・ブース(2003)』そっくりな(ノリの)オチだったし。。

唯一「おっ!」と言う感じだったのは、兄弟がおバカな悪戯で“ラスティ”を深夜のモーテルに誘い出すシーン。隣室内で息を潜める兄弟、その窓の向こう・・大男の影がカーテン1枚を隔て、ゆっくりと横切る・・その辺までは良かったんだけどねぇ。。

親切なおじさん(役名:ジョーンズ)やら、ヴェナのガールフレンド(役名:シャーロット)やら、兄弟たちの周辺に脇役が現れては消えるんだが、必然性が強引ぽいと言うか、正直“ラスティ”の取ってる行動との関連付けがしにくい。兄弟を追いかけつつ、その周辺にも監視の眼を光らせてるトコロなど「ラスティ複数説」まで考えてしまったりするのだ(⌒〜⌒ι) 

あ、スタッフの中に「製作・脚本:J.J.エイブラムス」のクレジットを発見☆ 後に『M:i:3(2006)』の監督さんに抜擢されるとはねぇ・・(・ω・)

追記:ネット上の評価をみてると「なんで(州境のトラック・ストップで)女にチーズバーガーを買いに行かせないのか」なる不満げなツッコミコメントがあり、苦笑させられた。ワタシが勝手に思うに・・何となく“ラスティ”って「女性恐怖症かつ童貞」なんかも知れない。妙に凶行に“男女差”がありますもんで(・ω・)

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2006年10月 8日 (日)

☆『レッド・ドラゴン(2002)』☆

5日(木曜)、地上波初登場となった放送を観た☆
“ドクターレクター・トリロジー(3部作)”の完結篇(一応)にして、シリーズの序章となる作品である。・・何だか製作順が逆転してて“SW(スターウォーズ)シリーズ”みたいやけど(・ω・)
劇場で観たかったし、密かにDVD版も欲しかった本作。とにかく出演俳優陣がもの凄い! “軸”となるレクター博士に(お馴染み)アンソニー・ホプキンス、それを取り巻くのが、エドワード・ノートン、ハーヴェイ・カイテル、レイフ・ファインズ、エミリー・ワトソン、フィリップ・シーモア・ホフマン・・
監督が『ラッシュアワー(1998)』シリーズのブレット・ラトナーってことで「大丈夫かよ〜」と不安だったが、世界観を損ねる訳でなく、コメディっぽく崩しちゃう訳でなく、頑張ってくれてた。
シリーズ一番の傑作(←結局、結果的にそれが証明された)『羊たちの沈黙(1991)』に至るまでの空白の時期が描かれる“プロローグ”である。

1980年ボルチモア。精神科医ハンニバル・レクター(ホプキンス)はご当地の名士。コンサートを主宰し、晩餐会に集まったハイソな人々に手ずからの料理をふるまったり。食事中、賓客の1人が「楽団員が1人行方不明になっている」ことを話題に挙げる。そんな話題を変えんとしてか、別の1人が「これは何の肉ですかな?」と訊ねる。レクター博士は「それを知ったら・・2口目を食べられなくなりますぞ」と悪戯っぽく笑う。この辺りのモヤモヤっとした緊迫感がたまんないっす(⌒〜⌒ι)
ディナーが終わったトコロに来訪者。
事件に対する(医学&心理学上の見地に立った)ヒントを得るためやって来たFBI(米連邦捜査局)の特別捜査官ウィル・グレアム(ノートン)である。グレアムが目下手がけるのは、殺害された被害者から身体の一部が切り取られる猟奇事件。博士は「犯人の性癖:“記念品”は食べるため持ち去られるのでは?」の手がかりを彼に示唆する。そしてグレアムは博士の書斎に「ラルース(料理事典)」を発見する・・

メインタイトルが現れるまでのこの冒頭の完成度が、とにかくメチャクチャに素晴らしい! 本編よりよっぽどイイぐらい。まるでロジャー・ムーア時代の「007シリーズ」後期の数作みたいだ(=^_^=) 以前、この辺りのシーンを別番組の中で観て、知ってたため余計にびっくりした。もっと終盤に描かれる展開と思ってたので。

数年後、FBIを退職しフロリダ州マラソンで妻子と暮らしていたグレアムを、かつての上司ジャック・クロフォード(カイテル)が訪ねる。最近FBIを悩ませている連続殺人事件の捜査について協力を求めるためだ。そしてそのためには・・グレアムに、終身刑を宣告され今はボルチモア州立病院の特別房に収監されている“宿敵”レクター博士と再会することが避けて通れぬ道なのであった・・そんな流れ。

本作、リメイクだそうで。最初に映像化されたのはマイケル・マン(!)が監督した『刑事グラハム/凍りついた欲望(1986)』なるドラマ映画である(後に『レッド・ドラゴン/レクター博士の沈黙』と改題さる)。そちらは未見なもんで(←ビデオ版のパッケージ意匠が如何にもB級っぽかったようには記憶してる・・)、主人公が「グレアム」なのか「グラハム」なのか、まずはそっからして良く分かんなくてこんがらがったり(・ω・) ←綴りは「Graham」だが、コレって別に「グレアム」と発音(解釈)しても差し支えないようだ。
ってことで同様に、女優ヘザー・グラハムをヘザー・グレアムとよんでも全然OKみたい☆

本編ではレクター博士、ず〜っと収監されてます。あんまり脱獄する気も(この時点では)なかったみたい。って言うか『羊たち』の頃よりよほど快適そうな暮らしぶり。警備も何となく手数な感がするし。
グレアムはその「輝かしい経歴」からすれば、もっと生意気なヤツに描かれ得るかも・・と思ったが、意外に素直であり悩みを抱え込むタイプのようだ。「動けない存在」の博士に比べ、何故か「自由な存在」の筈なのに、あらゆる局面で「後手に回ってる」印象が強かった。あくまで「狂言回し」の域は抜け出せなかったようで・・

劇中(本編)でFBIを騒がせるのは「噛み付き魔」と呼ばれる猟奇殺人犯(←物語の中では誰にも(自称する)「レッド・ドラゴン」と呼んで貰えてませんでした(・ω・))。物語は「噛み付き魔」のパート、グレアムのパートがほぼ交互に展開する。そこにゴシップ紙“タトラー”のフレディ・ラウンズ記者(ホフマン)や本作のヒロインとも呼べる(?)盲目の女性リーヴァ・マクレーン(ワトソン)のシーンが挿入されてる感じ。
後年の『M:i:3』でもとっ捕まってエラい目に遭うホフマン、今回も大変そうな様子。「お前、こんな役回りばっかしかい!」って感じで非業の死(の役)が続くんですね・・(涙)
片やホンマに素晴らしかったのはエミリー・ワトソン。私的にはアカデミー助演女優賞を渡したげたいぐらいの名演! 何だか本作のレベルを突き抜けてるかのような表情&仕草の演技がスゴいっス!
そして、ファインズ演じるフランシス“D”ダラハイドとリーヴァの「恋愛シーン」がとってもええ感じだった。ダラハイドのキャラは言動を振り返って考えるに「精神的に完全に破綻している」訳だが、少なくとも一連の恋愛シーンの中だけは「常人の皮を被り続けられた」と言う感じがして救われる。
尤も、リーヴァ邸の玄関先では、扉1枚隔てて1人ぶち殺されてたりしてる訳だが(×_×)

ラスト、はワタシもすっかり騙されてしまった。。う〜ん・・情けない。。
だが、悔しいながら、あのどんでん返しはどうかな〜と。「緻密&完璧路線を貫いて来た知能犯が、いきなし往来に飛び出て、マシンガンを乱射し始めた」みたいなガサツさがどうにも好かない(“得物”にサイレンサーを多用する時点で、猟奇犯としてのレベルも随分と下がる訳だし)。
グレアムの「その後」を描くあのシーンも平和過ぎて頂けない・・(同じ作品で2度“生還”するのは私的に好かない!)
ってことで冒頭の衝撃から、どんどんトーンダウンしてしまったような気がする。となれば、他には下記の通り、微笑ましいシーンを探すしかない訳だ(⌒〜⌒ι)

その他、気付いたトコなど。

○第2の被害者、ヴァレリー・リーズさんのホームビデオ内の台詞にドキドキ☆ 撮影してるご主人(ファインダー)に向かって「今夜はこの子たち、早く寝かせようかしら? あなたも疲れているでしょうから」 ・・おおお、奥さんッ!
○ホフマン氏、最後に車椅子がこけ、路上に投げ出されるのが・・オイシイ(こらこら)
○ダラハイドの勤務先は「クロマラックス社」・・どうにも「黒魔羅」を連想してしまうぞコラ(←やめんかい)
○「待機房」に移送されるレクター・・のがんじがらめでマスクまではめられてる(何か言いたそうな)姿に苦笑。「待機」と言う言葉とはちと受ける印象が違うよ〜な。
○なんか積極的なリーヴァ嬢。“D”の股間をまさぐりつつ「まぁ、すごい・・もしかして・・」 も、もしかして、ナニ?!(=^_^=)
○リーヴァ邸の玄関先の血痕と硝煙反応・・ちゃんと検出したんか、FBIのおまいさんたち。
○若干、特殊メイクを施してるファインズ氏。何故かホアキン・フェニックスを連想してしまったり(・ω・)

それにしても、本作においての「噛み付き魔」のキャラ造形・・やっぱり下敷きとしてるのは『サイコ(1960)』なんやろか? 「じっとしてろ、あいつが上にいるんだ・・追い払ったと思ったのに、また戻って来た」なんてな台詞を聞くと、どうしても“彼(トニパキ)”を連想してしまう。

〜 サイコパス哲学な台詞など 〜

レクター「恐怖は超人的な想像力の対価だ。それに耐える術(すべ)を君に教えてやろう」
    「かたいことを言うな。人生には楽しみが必要だ」
    「突然のパニックに襲われたことはないか?」

チルトン医師「あんたはどんなトリックでレクターを(捕まえたと言うんだ)?」
グレアム「殺される覚悟で」

リーヴァ「みんなが私に訊くの。あなたが見た目と同じように強いのか? って」
ダラハイド「それで?」
リーヴァ「まだ分からない・・って答えているわ」

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