14日(土曜)の午後。阪急・高槻駅界隈の商店街の中に位置するミニシアター『高槻ロコ9プラス』にて短期上映の始まったクロサワ作品『羅生門(1951)』のデジタル復刻版を観て来た☆
(本日が何と初日! ・・で27日まで)
そもそもは、先月上旬に新梅田シティ内のミニシアターにおいて、期間限定で公開されてたのを観逃し(連日、上映開始時間が早かったのれす・・)、悔やんでた矢先だったので、意外な近場(?)で観られることに喜んでしまったワタシ。
皆さん、そないには食指が動かぬのか、恐れてた“大混雑”とはほど遠い入り(=入場率)ではあった。ま、分かる人が観れば良いのでしょう(=^_^=)
芥川龍之介(not茶川)の小説『薮の中』『羅生門』を原作とした和製ミステリー。平安期の京都を舞台に、とある“事件”を巡って語られる「食い違う証言」を軸に、人間の抱える根源的な“自尊心”“虚栄心”“脆弱さ”“邪悪さ”などをあぶり出す。
上映時間=約90分、とその意外な短さにまず驚かされる。
最初に観た時は(確か学生時代だったろうか?)「内容って『薮の中』だけじゃん!」とストレートにツッコんでしまった覚えもあるが・・メインで描かれる“事件”を挟み込みつつ、前後を中心に『羅生門』をミックスさせた構成は、なかなかにしたたかながら自然で巧い!
半壊した「羅生門」の造型も素晴らしく、あの門が(今や)実存しない事実を知る我々としては「もはや映像遺産やん!」と評価せざるを得ない!
役者としては三船敏郎、京マチ子、森雅之、、志村喬、千秋実、加東大介、、とそうそうたる“クロサワ座俳優”の集結してた感(『七人の侍』も4人ほど入っておられますし(=^_^=))。
物語は、とある“事件”に関連する「樵(きこり:志村)」「盗賊・多襄丸(三船)」「武士の妻(京)」「武士自身(!)」の4人の口から“検非違使(けびいし:平安期における、京の治安維持を担った機関)の庭”にて語られるが、特に「武士自身」の語る“巫女”を介した証言に意外性があって面白い!
更にその後、“オフレコ扱い”でとある人物が“目撃した本当の顛末”を再び語ることとなる・・
“事件”そのものは「関山から山科へと向かう」森林の中で起こるので、ヴィジュアル的なインパクトにはかなり欠けるが、それを補うのが驟雨の降り続く、半分焼け落ちた「羅生門」の門の下である。この辺りのメリハリはイイ!
真相を巡って、観客自身が激しく揺さぶられる造りは、後年の『戦火の勇気(1996)』『ユージュアル・サスペクツ(1995)』にも影響を与えたっぽく思われ、終盤まで(現実世界で)ひたすらに雨の降り続く演出は『セヴン(1995)』を連想させてくれる。
正直、京マチ子さんの「スゴさ」が、中盤までは殆ど感じられなかったワタシだが(×_×)、後半に至って初めて「スゴいわ、こりゃ」と脱帽してしまった。例えるなら『情婦(1957)』におけるマレーネ・ディートリッヒさんみたいな感じか。
さて・・期待した「デジタル修復」に関してであるが「美麗!」と驚かされるのではなく「自然!」と言う静かな感動がまず前面に出たか。
特筆すべきは、登場人物の「肌に浮かんだ汗玉」や「薄ら脂がかった(額の)皮膚」などの鮮やかさの際立っていたことかな、と。また音響面でも(オリジナルに見受けられる)「ボソボソ感」の軽減が観られた。
(なお“キ※ガイ”と言うセリフもはっきり聞き取れました、、(⌒〜⌒ι))
事件そのものはまさしく“薮の中”なんだけど、その中でも「足跡」「遺体の発見場所」「傷口とその深さ」などを入念に調べたら・・ある程度は真実に近付けたような気はしたか。まぁ現場一帯は(事件)3日後の驟雨でかなり状況を変えられてしまってることでしょうが・・(×_×)
終盤で、いきなり“とある人物”が現れ、その人を巡る3者(樵、法師、下人)の善悪観が激突することとなるが・・それぞれの「憤り」や「諦観」なんかが、どれもグサリと観る者の心に刺さって来たりする。
最後の最後に雨が止み、そこに残された2人(?)の静かなやり取りが、(周囲が)静かであるが故に厳かで、清々しさをも感じさせてくれたのは良かった。
人が迷いつつも、何かを信じ行きてゆく・・それが叶ったからこそ、羅生門自体が朽ち果てても、日本人は戦乱の世&混沌の世を乗り越え、これまで生きながらえて来られたんじゃないかな?
・・などとお行儀の良いことを感じつつ、劇場を後にしたのだった・・
〜 こんなセリフもありました 〜
樵「分かんねぇ・・さっぱり分かんねぇ・・何が何だか分かんねぇ」
「わしには、わし自身の心が分からねぇ」
法師「今日と言う今日は、人の心が信じられなくなりそうだ」
「人間の命などは、朝露のようにはかないものです」
「人間は・・弱いからこそ、嘘をつく」
「人間がそんなに罪深いとは考えられない」
「人が人を信じられなくなったら、この世は地獄だ!」
「私は・・恥ずかしい事を言ってしまったようだな」
多襄丸「青葉を揺らす、あの風さえ吹かなければ・・あの男も殺されずに済んだものを」
「出来れば“男を殺さずに女を奪おう”と思った」
「これほど気性の激しい女は見たことがない」
「この俺と20合も斬り結んだのは、天下にあの男だけだ」
「未練がましく女を苛めるのは止せ」
武士の妻「2人の男に恥を見せるのは、死ぬより辛いわ」
「何処へでも連れて行って下さい」 ←女の心変わりは恐ろしいのぉ、、
「女の私に何が言えましょう」
下人「本当のことを言えねぇのが人間さ」
「女って奴は、涙で自分自身すらも騙しちまうもんなのさ」
「一体、正しい人間なんてものがいるのかい?」
「この門に棲んでいた鬼さえ、人間の(やることの)恐ろしさに逃げ出したって話だぜ」
「嘘だとことわって、嘘を言う奴はいないからな」
「人の気持ちなんざ気にしてたら、キリがねぇや」
武士“これほど呪われた言葉が、かつて1度でも人間の口から出たことがあったろうか?”
“その言葉だけでも、盗人の罪は赦されると思った”
“何処かで誰かが泣いている・・”
※「今となってはこんな※より、あの葦毛(馬)を盗られる方が惜しい」
「女は腰の太刀にかけて自分のものにするもんなんだ!」
「何をする! この子の肌着まで剥ぐつもりか?!」
追記1:小説『羅生門』では「髪を盗む老婆」が“悪の象徴”とし登場したが、本作では「着物を盗む男」がその立場に置き換えられていた。
追記2:至近距離から顔に唾を吐きかけられるミフネさんにはびっくり(×_×)
追記3:「疑われること」に対する2通りの態度「嘘をつく」「黙り込む」がキャラにより明確に描き分けられていて面白い。「黙ってることは認めたってこと」とは、昔からワタシも家庭で(=^_^=)教えられたことだが(=^_^=) 今にして思えば「ちょっと違う」と考える。
澱みなく“反撃の言葉”を返して来る人間をこそ「おかしい」と批判したくなるこの頃だ。「黙する優しさ」や「黙する弱さ」はもっと評価されて良いと思う。
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