2013年6月23日 (日)

☆『リアル/完全なる首長竜の日』☆

16日(日曜)の夜。

久しぶりに市内のシネコン“MOViXココエあまがさき”へとドライヴがてら繰り出し、レイトショー鑑賞したのは・・「世界のクロサワ」こと(?)黒沢清を監督に迎え、佐藤健+綾瀬はるかのW主演で描かれた恋愛SFミステリー(?)『リアル/完全なる首長竜の日』だった。

さて・・

今春から兵庫県民となり、意外とご近所にシアター数の多くなったのは嬉しい限りだが・・色々とプライベートが忙しく、なかなか足を運べないのが悲しいトコだ。コレが昨年の今頃だったら“最優先事項”としてシネコンにもっとガンガン突進してたハズだったろうが・・

“売れっ子ホラー漫画家”である愛妻=和敦美(かず・あつみ:綾瀬はるか)が、湾岸の堤防から謎の入水自殺未遂を起こし、意識を失って1年。藤田浩市(佐藤健)は首都圏にある先端医療センターを訪れる。

担当の精神科医=相原(中谷美紀)の提案で、昏睡状態が続く敦美の“意識”に入り込み、直接的な対話を行えると言う、最先端脳神経外科医療術(?)『センシング』の被験者となった浩市。

敦美の意識の中では・・彼女は高層ビル群を遠くに望むマンション自室で、締切に追われながら漫画を描き続けるのだった。

自室に閉じこもったまま、戸外(=現実世界)へ出る(=戻る)事を頑(かたくな)に拒む敦美。

連れ出そうとする浩市に対し、彼女は「小学校の頃、私が首長竜の絵を描いた事、覚えてる? あれが今、何処にあるのか捜して、此処へ持って来て欲しい。“完璧だったあの絵”をもう1度眺める事が出来たら・・漫画家としての自信を取り戻せそうな気がする・・」と要求する。

首長竜の絵とは? そしてそれは何処に? 浩市は『センシング』の回数を重ねつつ、更なる敦美への“対話”を試みる。

その結果、問題となる絵が、どうやら2人の故郷である“飛古根島(ひこねじま)”に隠されている事を掴んだ夫は、妻を現実の世界に連れ戻す(=寝覚めさせる)ため、15年ぶりに島に帰る事を決意するが・・

高松勤務の頃、確か浜※淳さんの朝の某ラヂヲ番組内だったかと思うんだが・・本作に関する事前情報を仰ってたのを耳にした事があり「面白そう~!」と直感した覚えのある作品である。

関西に戻り「お、まだ観れるんや!」と都合をつけたワケだが・・(結果的に)何となく微妙な完成度だったのは否めない。

冒頭からは『インセプション(2010)』『マトリックス(1999)』『ザ・セル(2000)』『パプリカ(←映像化作品(2006)は未見。原作小説版)』辺りの世界観を連想させられたが、次第にホラー&スプラッターのテイストが強まってゆき『呪怨(2003)』やデヴィッド・クローネンバーグ的な“ワケわからん世界”が繰り広げられた。中盤から後半にかけては『サイレン/FORBIDDEN SIREN(2006)』そして『ジュラシック・パーク(1993)』の印象がかなり強い感じだったろうか。

ラストは『トータル・リコール(1990)』『オープン・ユア・アイズ(1997)』を彷彿とさせるテイストで幕。

少なくとも本作(映像作品とし)が『インセプション』より前に世に出てたら「おお、エエ感じやね!」と健闘を称えたい気持ちにもなったろうが、残念ながらそうではなかったため「二番煎じ」「迷走気味な実験映像を延々見せつけられたなァ」ってな想いが募った。

ジャンルも良く分かんない感じで、怖がらせたかったのか、夫婦間の絆&愛を描きたかったのか、恐竜系CGの出来を誇りたかったのか、過去のリゾート開発ブームを批判したかったのか、どれに絞ったにせよ「イマイチ」だった。

『トウキョウソナタ(2008)』ではその手腕に唸らされた黒沢監督だが、こと「SF絡みの恋愛モノ」については、全然“本来のパワー”を出し切れてない気がしたなぁ。このしとは、もうちょっと「より現実的で、描きたい事を絞った」作品を撮るのが向いてるように思う。

~ こんなトコも ~

・中盤辺りから「またコレかい!」と突っ込める「手垢が着き過ぎ、驚きの全くない展開」に突入した。

・「スカッと騙される心地良さ」でなく「これまでさんざ見せつけられて来た映像・演出を根底からひっくり返された腹立たしさ」のみが残った(⌒~⌒ι)

・主人公の入れ替わる「2部構成の要素」は面白いかな。もう少し“同じシーン”をカメラワークを変えたりして映し出して欲しかったトコだ。

・初期の(主人公2人の)服装によるイメージづけは「夫:白」「妻:黒」だったが。。

・本作の設定がいつか実現したら・・「他者の意識下への“強引な潜入”に対する法的整備」が行われたりするのかも知んない。。

・先端医療センターの外観や詳細な設定、インターフェイスの構造などが詳細に描かれなかった。コレじゃ説得力にも欠けるワケだ。

・「1年前までスポーツジムでバイトしてた」ってな、浩市にまつわる具体的な職業設定は、どっから造られたんやろ?

・あちこちに転がる御遺体描写は、、リアルでグロテスクで・・ぶっちゃけ「無意味」だった(×_×)

・てっきり“トシオ君”かなと思ってたら、本作では“モリオ君”だった(=^_^=)

・“モリオ君”の「モリ」は、ラテン語“memento mori”から来とるんやろか?

・シーンにより『ミスト(2007)』『ミッション:8ミニッツ(2011)』なども連想した。

・本作で知った“フィロソフィカル・ゾンビ”なる用語は、勝手な造語でもなさそうだ。

・首長竜=ネッシーかなと思ったが「生息地が異なるだけ」と理解しとけばよろしいんでしょうか?

・そこそこの売れっ子漫画家ともなると、休載中にアシスタントが代わりに描いて発表する、ぐらいの芸当は容易く出来るらしい。

・コルト・ガバメント(拳銃)の装弾数=7発って事で(・ω・)

・宙に浮かぶペンの仕掛けは「単なるCG」らしい(×_×)

・街の風景が上空に向かって(絵の具のように)溶け出す・・って描写があったが「・・う~ん」って感じだった。

・浩市がいきなり首長竜を描き始めるんだが、これがムチャクチャに巧かった(=^_^=) 誰もが「なら、お前が描けよ!」と突っ込む、本作屈指の名シーンだと思う。

・和敦美の初期読み切り短編作品『もげもげ島』に興味津々。

・コミックブレイン編集部は東京・水道橋に存在する設定らしい。

・劇中で「7月31日(火)」のカレンダーがあった。2012年の物語って事やろか?

・エンディング曲の「REM」は、ミスチルっぽい歌い方やな~と思ってたらその通りだった。最近はこんな曲風なんか。

・八丈島や牧之原市(静岡県)がロケ地となってた。

・中谷美紀の「思わせ振りな言動」は何だったんた?

・浩市の母(演:小泉今日子)の現亭主と、浩市の亡き父親の「不在感」には、妙に心をザワザワさせられた。

・佐藤健って「6~7部丈ズボン」が似合い過ぎる!!

・“シトロエンC3(フロントガラスのデザインがカッコいい!)”に乗る浩市と高木(演:染谷将太)のシーンの合成は「酷過ぎ」なレベル!(意図的なんやろけど?)

・オダギリジョー(沢野役)、中谷美紀の“立ち位置の後退ぶり”に何だかしみじみ(×_×)

・大河主演をこなしつつの綾瀬さんの頑張りは凄い!! 流石はホ※プロ!

・全く本筋や主人公らに関係ないゾンビキャラが多かった。

・終始不機嫌だった松重豊さん(某父親役)・・綾瀬さんとの「リアル会話シーン」の皆無だったのがちょっと笑える。スケジュールが合わんかったんか?

・「現実世界に虚像の紛れ込み出す展開」は「どちらが、どこからが現実か?」って部分で、正直観てて疲れる(=^_^=)

・生活感のない医療スタッフの面々こそが“フィロソフィカル・ゾンビ”に思えて来たり。

・将来、夫婦ってものはこんな風に「まだら認知症・記憶の捏造&ご都合修正」を積み重ねて老けて行くんやろか?

・「昏睡状態でも存在感ある綾瀬さん」「其所までのレベルには至ってない佐藤くん」の差が見受けられた。

・こんな綾瀬さんだったら『トーク・トゥー・ハー(2002)』の看護士みたいな役回りで、色々とお世話したげたいトコだ(こらッ!)

・リゾート開発は「15年前」との事だから、1998年前後の設定なんやろか? ワタシの中では、記憶的に新し過ぎて、全然昔話じゃないんですけどぉ・・

・『センシング』直後の「運転行為」はちょっと危ない、、

・エッチは当然として、キスらしいキスもハッキリ描かれなかったような、、それで恋愛モノですか(・ω・)

・本作が「八丈島観光」に繋がれば良いんだけど。

~ こんなセリフもありました ~

浩市「消えない・・どうして?」

  「外に出て、行けるとこまで行ってみよう」

  「多分、此処が(意識の)限界だ」

  「“それ”に近付いちゃダメだ!」

  「悪いけど、俺は戻る」

  「ウソだろ・・」

  「やっぱり俺は“赦されない”みたいだ」

敦美「悪いけど、今、あんまり相手出来ないんだ」

  「“首長竜の絵”って、覚えてる?

   ・・完璧だった絵・・まだどっかに仕舞ってある?

   捜して来て呉れないかな?」

  「いったんペンが止まると、心がふわふわして来る」

  「漫画は私の人生」

  「怖いけど・・此処から出たい」

  「此処は私の意識の中だもの。

   だから・・どうにでもなるんだ」

  「私から漫画を取り上げないで」

  「あなた達に私の漫画が分かるわけない」

  「これが私・・眼が醒めても忘れないで」

  「ずっと待ってた・・外に出たい」

  「漫画を描いてない自分の事を思い出せない」

  「やっと逢えたね」

相原「最初は誰でも不安になるものです」

  「ちょっと“夢をみる”感覚です」

  「是非探してみて下さい、その絵」

  「今は医療を信じて下さい」

  「まだ“その船”に乗っちゃダメよ!

   すぐに降りなさい!」

  「・・やり遂げたんだ」

父「どうなってると思ってたんだ?

  “夢のような未来の風景”が広がってるとでも思ってたのか?」

 「悪いのは誰だ? 誰がこの責任をとるつもりだ?」

妻「どうしてかな?

  生まれてからずっと、こうして一緒に暮らしてる気がする」

夫「これからだって、そうだよ」

夫「生まれてからずっと、ずっとこうやって

  俺の意識の中にお前がいたような気がして」

妻「これからだって、ずっとそうだよ」

浩市「どうしたらいいでしょう?」

相原「どうしたいですか?」

追記:間違っても「アラブ首長国連邦」を「くびながこくれんぽう」と読んではならない(=^_^=)

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2012年11月17日 (土)

☆『リンカーン/秘密の書』☆

またもや、記事のアップが遅れに遅れてしまい、、恐縮至極です(×_×)

「鑑賞メモをまとめる迄に記憶の欠落しない程度」には急ぎたいと考えてますけん、穏やかな気持ちで見護ってやってくんさい~

・・

3日(土曜)の夜、市の北方にあるシネコン“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”で鑑賞したのは、初めて“予告篇”を観て以来、密かに期待値を高めてたアクション娯楽大作(?)『リンカーン/秘密の書』だった。

実在の第16代合衆国大統領=エイブラハム・リンカーン(1809-65)を主人公に、一般に広く知られる“有能な政治家の顔”の裏に隠された“凄腕のヴァンパイア・ハンターとしての生涯”に重きを置いて描いた自伝的作品(=^_^=)

・・

1818年、インディアナ州。

この地で育ったエイブラハムは、少年期に美しい母=ナンシーを町の顔役=ジャック・バーツに殺されてしまう。

復讐心を抱えたまま育ち、やがて逞しい青年に成長したエイブ(エイブラハム)は、謎の紳士=ヘンリー・スタージスに出逢い、ジャックが“ヴァンパイア(吸血鬼)の一味である事”を聞かされる。

ヘンリーの下で“ヴァンパイアを滅ぼす存在=ヴァンパイア・ハンター”としてのスキルを磨き上げたエイブは「私怨を棄てる」「友人も家族も持たない」と言う2ツの条件を突き付けられ、それを半ば承諾するカタチでハンターとしての実績を積み重ねてゆく。

そんな彼の前にメアリー・トッドと言う魅力的な女性が現れる。

ヘンリーとの“約束”を脳裏によぎらせながらも、メアリーに対する愛情の深まってゆく自身に気付くエイブ。

仇敵=ジャックの背後に控える一味の黒幕=アダム(ルーファス・シーウェル)が、制定されて久しい「奴隷制」を楯に、貧困層の人々を“食糧”として南部に送り続けている真相を知ったエイブは、武器である手斧を“封印”し「奴隷解放」を目指して政治の道にその身を投じる決意をするのだったが・・

“ネタ”として「リンカーン」と「ヴァンパイア・ハンター」を繋げる強引な設定にこそは圧倒されたが(=^_^=)・・如何せん、それ(両輪)が総じては巧く噛み合っておらず、、違和感を感じ続け、ツッコミを放ち続けたのも事実である。

その設定は設定として「天晴れ!」と評したいトコだが、一方でキッチリと「それをどう効果的&クレバーに描き、観客に見せるか」には更に知恵を絞って欲しかった。

同じ“強引路線”にせよ『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』の方が、的確に「歴史的エピソードとの絡め方」を押さえてくれてて、観てて気持ち良かったモノだった・・確か。

手斧1本で、ハンター仲間もなしにヴァンパイア相手にまともに(?)戦えてるエイブもスゴかったが、これまでになかった“ヴァンパイア像”を確立しようとする半ば強引な姿勢にも(=^_^=)驚かされたワタシ。

『同族(ヴァンパイア)が殺せない』

『陽光を浴びても死なない』

『死んでも身体が消失(炭化?)したりしない』

『十字架やニンニクを恐れない』

『蝙蝠(コウモリ)に化けたりしない』

『銀製品(で造られた武器)に弱い』

『決して美男子ばかりとは限らない』

でも、敵組織となる、そんなヴァンパイアたちの身体能力がとにかく凄まじく、単体でもやたらと強い!

んで、そんな連中が全米じゅうにやたらと存在してるようなので、もっと団結したら地球全体を苦もなく征服出来たとも思うんだが・・何故に「南部から北部に攻め入ろうと“律儀に”画策してるのか」がサッパリ分かんなかった(・ω・) 人類に対してハンデをつけて遊んでたんやろか?

そして、エイブにとって“親友”とも呼べる人物が2人“ハンターとしての”彼と行動を共にするんだが、その辺りの「友情」の描き方もまた、どうも薄っぺらく、ちょっと感動するには情報量が乏し過ぎた(⌒~⌒ι)

アクション描写(カメラワークなど)で「おおッ!」と思わせてくれるトコは確かにあったので、後は物語としての骨格をもっとしっかり形成して欲しかったモノである。

~ こんなトコも ~

・連想した作品は『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア(1994)』『ヴァン・ヘルシング(2004)』『フライトナイト(1985)』『ブレイド(1998)』『ジョン・カーター』辺りか。

・ヴァンパイアに咬まれた場合の「死ぬケース」「同族になるケース」の違いが今もって良く分かんない(・ω・)

・主人公を演じたベンジャミン・ウォーカー。観ようによっては「リーアム兄さん」「ケヴィン“先生、手がヤバい”クライン」にも似て見えた。

・ベンジャミンは(実生活で)メリル・ストリープの娘さんと結婚してはるらしい!

・「実在の人物をネタに、歴史的エピソードを(物語に)部分的にはめ込んででっち上げた系」って作品が、これから増えて来るのかも??

・“黒人系”“東洋系”のヴァンパイアはいずれも出て来ず残念。

・最期に日記の書かれた「1865年4月14日」は・・リンカーン暗殺事件の前日である。

・“絶体絶命の場面”で屋敷に突入して来るのが・・割と意外な人物だったのでびっくり。。

・議員の中にはヴァンパイアはいなかったんやろか?

・シルクハットって、意外にもしっかりした造りらしい。メアリーが乗っかって(身長差を補って)エイブにキスしてたので(・ω・)

・「ヴァンパイアの起源(ルーツ)」ってのには触れられてなかった。トランシルヴァニアではないんか?

・頑張った割に、ジョシュア・スピードのあの扱いはぞんざいでは・・?

・ウィル・ジョンソン&スピードが、何となく「大統領の側近中の側近」の立場におさまってて違和感が。。

・銀の(?)懐中時計に刻まれた“刻は人を待たず”の言葉は、なかなかに意味深い。

・ジャックが暴れ馬をジャイアントスウィング(?)で投げ付ける、豪快なアクション映像は強烈だった(=^_^=)

・息子ウィリーを失った大統領夫婦の食事シーンで、彼らの向かい合うテーブルのやたらと長いのが印象的だった。説明的なセリフなんかなくても、あのテーブルの“座り位置”だけで雄弁に語れるんやね。

~ こんなセリフも ~

エイブ“歴史は人そのものより、その伝説を好む”

   “私は夫であり、弁護士であり、大統領だっだ。

    そして・・闇と戦った者だった”

   “我が友ヘンリーに、この日記を遺す”

   “私は産声を上げなかったそうだ”

   “私はまだ復讐を果たす勇気を持てずにいた”

   「何も見てません」

   「オノの扱いなら得意だ」

   「思い切って言うと、あなたに興味がある」

   “ヤツらは想像以上に存在する”

   「今までに・・そうだな、6人は殺した」

   「僕を“世界一幸せ”にしてくれ」

   「万人が自由になるまで、我々は皆奴隷だ」

   「武器ではなく、言葉と理想で戦うぞ」

   「・・妻を慰めようがない」

ナンシー「万人が自由になるまでは、誰もが奴隷よ」

父「“バカなマネ”はしないと約束してくれ」

ヘンリー「深酒は“女にキスするため”か“人を殺すため”だ。

     お前はそのどちらだ?」

    「済まんが、そのドアを閉めてくれ」

    「あんなザマでは、とてもヤツは殺せん」

    「君は大バカな上に、それに気付いてない」

    「ヴァンパイアは実在し、総ての町、総ての州、

     そして国中にいる」

    「“殺す”ではなく“滅ぼす”だ」

    「ヤツを殺(け)したいか?

     それで亡き母親の思い出が浄化されるか?」

    「復讐を棄て、ハンターとして生きると誓うか?」

    「友も家族も持つな。誰も信用するな」

    「このラッパ銃は“スコティッシュ・ハイランド”だ。

     弾丸が切れたら、懐中時計でも詰めて撃て」

    「樹と思うな。“復讐の対象”として切れ。

     もっと憎しみを込めろ」

    「憎しみではなく、真実から“本当の力”が生まれる」

    「人々を護るには、まず自分自身を護れ

    「視覚以外の感覚を磨け」

    「銀はヤツらを滅ぼす」

    「“標的”は俺が決める」

    「死者から生者を護るのだ」

    「“不測の事態”に備えろ」

    「“票集め”より、ヴァンパイアを狩れ」

    「総てを奪われたのは君だけじゃない」

    「あと何人死ねば、俺の意見を聞く?」

アダム「南部に“新鮮な収穫物”を送れ」

   「神が“小細工”をしたようだ」

   「私も“世界を愛する者”の1人でね」

   「川を上るぞ。リンカーン君を

    葡萄酒でもてなそうではないか」

   「彼を“その気”にさせるとしよう」

   「5000年前、ユダヤ人によるピラミッド建設も観た」

   「人々は皆、何かに支配されている」

   「自らの鎖を断ち切れ」

   「戦争が始まる」

   「この戦いを経て、この国は我々のものとなる」

バーツ「運が悪い・・やっと“死ねる”と思ったが」

   「人間には2種類いるそうだ。引き金を引く

    度胸のある者と、それがない者のな」

   「お前の血の味はどうだ?」

   「かすったな」

   「俺たちは無数にいるのさ」

スピード「探してるのは安い部屋か?

     それとも“タダの部屋”か?」

    「何事にも対価が必要でね」

    「大変だ!(We got trouble!)」

    「お前と一緒なら、敵などいないさ」

アーロン「痛みは一瞬だ・・心配するな」

メアリー「そこに座ってたら、踊れないわ」

    「スゴいわね(My goodness.)」

    「“正直者”だと思ってたのに」

    「狩りを頑張って(Happy hunting.)」

    「彼は気負わないわ。だから強いの」

    「大事なのは“踏ん張って戦う”と言う大義よ」

    「劇場に遅れるわよ!

エイブ「君が必要だ」

メアリー「・・“その言葉”をずっと待っていたわ」

ヘンリー「こんな時に、日記か」

エイブ「そうだ。総てを記す・・“何もかも”を」

※※※「人間にも信用出来るヤツはいるんだな」

エイブ「ヴァンパイアにもな」

アダム「銀は何処だ?!」

エイブ「・・ここだよ!」

追記1:現代では、どんなヴァンパイア・ハンティングが行われとるんやろ?

追記2:手斧1本で、専ら接近戦でバトルを余儀なくされてて、キツそうやな〜と思いきや・・実は「飛び道具」を仕込んでたのだった(=^_^=)

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2012年9月10日 (月)

☆『流浪人(るろうに)劔心(けんしん)』☆

鑑賞からはや1週間余り。。極めて遅い記事のアップとなり、スミマセン(×_×)

・・

2日(日曜)の夜。
クルマで“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと繰り出し、レイトショーで鑑賞したのは、愛用してる「ムーヴィー系アプリ」で意外に評価ポイントの高い1作・・『流浪人(るろうに)劔心(けんしん)』だった。

『アベンジャーズ』『プロメテウス』『トータル・リコール』・・とハリウッド系の“資本だけはガンガン投入してまっせ”っぽい大作のひしめく中、邦画にしてなかなかに頑張ってる印象なのだ(そいつら大作群が“腑甲斐なさ過ぎ”なんかも知んないが)。

当然、原作(コミック)も知らなければ、主人公を演じる佐藤健(たける)の“某大河ドラマに於ける好演ぶり”も全く存じ上げないワタシだったが、それが故に「余計な予備知識」のつく事もなく、結果的に幸いしたのかも知んない(・ω・)

今より約140年前、時は幕末の動乱期。“倒幕派”の密命を受け、京を暗躍する暗殺者がいた。
人々に恐れられし、その名こそ“人斬り抜刀斎”・・

・・

1868年1月。天下分け目の“戊辰戦争”に於いて「鳥羽伏見の山中での激闘」を生き抜いた3人の男がいた。

その1人は“人斬り抜刀斎”こと緋村剣心(佐藤健)

そのまた1人は“新撰組”3番隊長=斎藤一(さいとうはじめ:江口洋介)

そして、もう1人は、後に心を歪める剣客=鵜堂刃衛(うどうじんえ:吉川晃司)

・・

1878(明治11年)。維新から10年を経た、ここ東京では“人斬り抜刀斎”を名乗る黒ずくめの怪人による、警察官の斬殺事件が立て続けに起こっていた。

殺害現場に残された“斬奸(ざんかん)状”等から、犯人は“神谷活心流”の遣い手とのウワサが広まり・・先代である父親亡き後、神谷道場を必死で護り続けるそのひとり娘=神谷薫(武井咲:たけいえみ)に対する世間の風当たりは強かった。

ある日、眼の前で起こった警察官殺しに遭遇した薫は、手にした武器が「木剣」である事も構わず、下手人に戦いを挑む。今や“血塗られた殺人鬼”と化したその剣客の正体こそは“抜刀斎”を名乗るニセモノ=刃衛その男だった。

圧倒的な“殺気”を前にし、全く太刀打ち出来ない薫。その頭上に、刃衛の剣の切っ先が容赦なく振り下ろされる・・

その時、そこに駆け付けたのは、まだ表情に幼さの残る青年=剣心だった。

幕末〜維新期を経て“廃刀令”も制定された新しき時代。「それまで剣に生き、それからも剣に生きようとしていた」3人の“古い(不器用な?)サムライたち”のそれぞれの生き方を描いたアクション作だが、意外にテンポ良く物語が進み“悪い奴”も早々に姿を現したり・・ととても掴み易い展開&物語だった。

しかしながら、チャンバラアクションの連続を期待してたら・・主人公=剣心が「不殺(ころさず)の誓い」なんてのを立てており、手にした得物(武器)が“逆刃刀:さかばとう=峰と刃の逆転した刀”だったりもして何だか「ヤキモキ」させられたり。。

大勢を相手にバシバシ斬りまくるシーンも(後半に)用意されてはいるんだが、ひょっとしたらアレってば「峰打ち」って事だったんやろか? 「CG処理型・血飛沫」も出てない様子(?)だったし、、真相は今もって掴めてなかったり(⌒〜⌒ι)

また、斎藤にしても、薫にしても、台詞面で「それなりの強さ」を伝えようとしてはくれるんだけど、実際に真剣を振り回すシーンが極めて限定的であり「何処までの力量の剣客」だったのかは・・正直掴めなかった(×_×) 

基本的に“受け身型”のバトルスタイルだった剣心だが、終盤で“とある経緯”からの激怒により「抜刀斎としての人格」の覚醒した瞬間は、移動スピードが(地球上の)あらゆる生き物をはるかに超えたモノとなり、その辺りは観てて圧倒された(=^_^=)

ラストで「抜刀斎としての戦いぶり」を一瞬ながら拝める辺りは・・それまで「耐えに耐えて」観て来た分だけ、妙な「爽快感」「満足感」も得られるワケだが、折角“こんなにも面白い時代設定”を作品の舞台にしてるんだから、もっと大幅なアレンジ(=原作からの逸脱)を施してでも、思いっきり斬りまくって欲しかったなァ・・と言うのは、原作ファンからすれば「余りに分かってないヤツ」なんやろか。

〜 こんなトコも 〜

・今もなお「シアタス」って言葉が何を意味するのかが分かんねぇ、、(・ω・)
・予告編映像で心を鷲掴みにされた(=^_^=)「回転走り(斬り)」は僅か1シーン(1カット)のみ(×_×)
・江口と吉川の絡み「こそ」が観たかったが。。
・剣心の左頬に遺る「2つ目のキズ」に関する事情は、セリフにてちょろっと触れられたのみ。おろ?
・「警察組織を買収する」までの財力は持ち合せてなかった武田観柳(香川照之)。
・本作は「ワーナー制作・配給」だった!
・警察官は煙草を、成金は葉巻を、それぞれ愛好していた。
・地味な役柄(高荷恵役)を演じる蒼井優ちゃんは、予想以上に地味だった(×_×)
・山県有朋(奥田瑛二)の部下に斎藤一(改名後は藤田五郎)が・・ 『GOEMON(2009)』での2人の配役からは想像もつかない(⌒〜⌒ι)
・“喧嘩屋”を自称する相楽左之助は、いわゆる“ジムシィ”“ヤジロベー”“夢想権之助”的な立ち位置なんやろか。
・神谷道場の井戸水に、毒は回ってなかったんやろか?(たまたま飲む前だった?)
・「机上にウサギを遊ばせる」ってのが、当時の“成金アピールの一種”だったんやろか?
・「図書室での戦い」は、何となく『キック・アス(2010)』を連想した(=^_^=) 「ガトリング銃」も登場するし、、
・敵組織内の(強いヤツと弱いヤツの)ランク付けが、イマイチ良く分かんなかった。てっきり「あの仮面をかぶったヤツ(外印:げいん)が最強の敵」だと思ってたんだけど。。
・劇中世界では、警察官にしても「拳銃の携行禁止」だったんやろか?
・外印が「殺し屋1」にも見えてしまった(⌒〜⌒ι)
・斎藤一ってキャラは、意外とフィクションの世界で重宝されてそうだ(剣術の達人であり、生き残った新撰組幹部だからやろね)
・「廃刀令」の取締りってどうなの? 何だか変わらず刀を下げてるしともいて『キル・ビル Vol.1(2003)』状態、、
・“ざんぎり頭”は強制されてはいなかった?
・“不気味なおかっぱアタマ”の彼奴のモデルは・・岩崎弥太郎+アントン・シガーだった?
・ロケ地は「圓城寺(=三井寺)」「仁和寺」「龍谷大学・大宮学舎」「倉敷(美観地区の堀端)」などだった。 
・刃衛と薫の出会うシーンは、パッと観てすぐ「圓城寺の三重塔のすぐ脇」と分かる(=^_^=)
・観柳の「服脱げ! 全部脱げ! 脱いでひれ伏せ!」のセリフに、思わずキュン(ジュン?)となった女性観客も、決して少なくなかったと思われ(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフも 〜

剣心「忘れ物で御座るよ」
  「逃げるで御座る」
  「自他の力量を見極めるのも、剣客の大事な資質で御座る」
  「お前とは、剣を合わせる理由がない」
  「1度人を殺めると、後戻り出来なくなる・・
   それが“人斬り”と言うもので御座るよ」
  「そろそろ“本当の事”を聞かせて呉れぬで御座るか?」
  「“助ける価値のない人間”などいない」
  「もう“勝負は着いた”で御座るよ」
  「・・降参で御座る」
  「“カネで買えないもの”が何だか分かるか?
   お前が今、乞うているもの・・“命”だ」
  「言いたい事は、剣で言え」
  「・・殺してやるから、かかって来い」
  「お主に勝機は御座らん」
  「今まで殺した人のために、殺された人のために」
  「斬らなくても、人を助ける事は出来る」
  
薫「“人を生かす剣”を極意とする我が道場に、殺人剣の汚名が」
 「誰にだって“語りたくない事”の1ツや2ツはあるでしょ?

斎藤「これで終わりだと思うなよ」
  「例え世の中が変わろうと、
   剣に生き、剣に死ぬ・・
   それ以外に、俺たちに道はない」
  「人斬りが斬らずして、どうやって人を護る?」
  「まずは、自分を護ってみせろ」
  「己に抜いた刃(やいば)が、やがてお前を
   苦しめる事になるぞ・・こんな風にな」

刃衛「何だこの刀・・? これが“人斬り抜刀斎”の・・」
  「これは“妖術”ではない」
  「“心の弱き者”ほど、術にかかり易い」
  「・・あの世で悟れ」
  「お主には効かぬようだな」
  「血が足りない・・まだまだ」
  「始まるぞ・・眼を覚ませ、抜刀斎」
  「何だ? その刀は」
  「怒りはヤツを“往年の人斬り”に立ち戻らせる」
  「“不殺の誓い”だと? 殺さずして
   この戦いが終わると思うか?」
  「そんな刀で、この俺が殺せるか?」
  「所詮、人斬りは人斬りよ」

恵「解毒治療は“時間との勝負”なの!」
 「その傷は? ご自慢の傷? 何かの勲章かしら?」

左之助「ただでぶっ飛ばしてやるよ」
   「“拳には拳”・・喧嘩屋の出番だな」
   「喧嘩ってのぁ、頭でするもんだ、頭でな」

野党「目的は暴力、極意は殺生・・それこそが剣術の本質よ」

観柳「“自分”“カネ”“欲望”・・これら3ツのために、人間はケモノとなる」
  「ハラを空かせた犬は、何に咬みつくか分かりませんからなぁ」
  「明治ってのは“現金な世の中”ですからねぇ」
  「自分が侍だった事なんて、忘れちまいな」
  「楽しく生きる事を覚えろや」
  「カネがなきゃ、そうやって牛鍋もつつけんぞ」
  「“抜刀斎の怒り”なら、決して買わぬように」
  「そら、殺れ! 褒美のカネなら、幾らでもあるぞ」
  「“念には念を”ってのが商売の鉄則だ」
  「煙草ぐらい、ゆっくり吸わせてくれよな」
  「刀を置け! 俺に謝れ! ひれ伏せ!」
  「わしは戻って来るぞ!」
  「カネなら、こっちのポケットに入ってるぞ」

山県「力を貸してくれ」
  「人斬りも、維新を成し遂げるためだ」
  「新時代のために、暗殺稼業をやってくれぬか?」

剣心「何故、魂を売った?」
外印「・・喰って行けないからだよ」

薫「お帰り」
剣心「ただいまで御座る」

観柳「人の家、メチャクチャにしやがって!」
左之助「メチャクチャにしてんの、お前じゃねぇか!」

刃衛「・・怒ってるな?」
剣心「薫殿を巻き込んだお前と、
   それを阻止出来なかった俺自身にな」

追記:佐藤健と、江口、吉川、香川らとの実年齢差にはちょっと驚かされる。。

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2012年7月27日 (金)

☆『臨場/劇場版』☆

またもや、鑑賞メモをとりまとめる時間が殆ど取れず、今になってようやくの記事アップとなりました(×_×)
やや古い内容となってしまってますが、よろしければお楽しみ下さい。

・・

18日(水曜)の夜。
出張で出掛けてた某県某市の郊外にある“イオン”で夕食のついでに、シネコン“TOHOシネマズ”に立ち寄ってレイトショーで観たのは『臨場/劇場版』なる刑事ドラマだった。

元々は同名の小説を原作とし、TVドラマ版も造られたようだが、そのどちらも全く知らないワタシ(×_×)
「知らぬ者の強みを見せてやれ!(←誰にだ)」を“合言葉”に、シアターに突進したのだった。

警視庁鑑識課の検死官=倉石義男(内野聖陽)は、組織に馴染まぬ“アウトローな立場”を貫く男。

彼は、恩師である横浜医大の法医学教授=安永泰三(長塚京三)の“教え”でもあった「死者の最期の声に耳を傾けろ」を心に刻み、次々に運び込まれる事故遺体や変死体の検死を今日も行っている・・

ある日。
都内某所で市民の集う白昼の広場に路線バスが突っ込み、そこから降り立った若者が、全身を鮮血に染めながら、通行人を次々と手にしたナイフで殺傷する・・と言う凶悪な事件が勃発する。

バスの車内で2名、広場で2名もの「何の罪もない男女」が刺殺され、負傷者も多数・・と言う恐ろしい結果となったこの“無差別通り魔事件”だが、弁護士=高村則夫と精神科医(鑑定医)=加古川有三(デビット伊東)のしたたかな手腕もあり、犯人の若者=波多野進 (柄本佑)は“心神喪失”が認められ無罪となってしまう。

その2年後、先の事件の弁護士=高村と精神科医=加古川が相次いで刺殺され、警視庁は“通り魔事件の被害者遺族”にその疑いの眼を向けるのだが・・

序盤(通り魔事件)のインパクトがとにかく強烈で、無抵抗な女性が立て続けに刺殺され、眼を虚ろに見開いたまま血だまりの路上に横たわる“直後の現場風景”にはクラクラ来てしまった。

「所詮はフィクションでしょ?」とか、そう言う問題じゃなく・・「もう少し控え目にしてでも、よりインパクトある『賢い撮り方』が実現出来なかったモノだろうか?」・・そんな疑問を、ちょいと持った次第だ。

前半こそ、柄本くん演ずる“狂鬼人間”の言動が突っ走ってる印象なんだが・・物語の進むウチ、何処か「演じ易く、眺め易い」彼の演技以上に、ベテラン勢である=若村麻由美、平田満、段田安則・・らの面々のナチュラル&自由自在な「感情系演技」にこそホレボレさせられ始めてしまうのだった。

倉橋率いる検死官のチームに関しては、とにかく相関関係などが説明不足極まるので、ドラマ版を知らぬ観客には不満の大きく生じるトコであろう。

また、倉橋の奥さん=雪絵(京野ことみ)もどうやら「亡くなって久しい」ようだが、過去に(倉石夫妻に)何が起こったのかは、全く本作の劇中で語られる事はなかった(×_×)

観客の導き方や、警察内部の確執なんかの描き方も(やや断片的ながらも)巧く、終盤の真犯人の言動にも特に不自然さのなかったのは流石だった!

一方、犯罪シーンに於ける血液の描写具合(?)には大いに不満が残った。

血の色合いや、噴出の仕方、流れ方など・・いちいちウソっぽく(造りモノっぽく)見えてしまったものだ。
それ故に、ちょっと「物語に対する吸引力」が途切れ途切れになってしまったような(かと言って、リアル過ぎても困るが)。

倉石と“女房的な部下キャラ”である後輩検死官=小坂(松下由樹)との関係、倉石と警視庁の捜査管理官=立原(高嶋政伸)との関係、倉石と某バーのママとの関係・・など“観客を置き去りにしたまま”突っ走り切ってた感もあるが、それが悔しくて「こうなったら、ドラマ版も全部、鑑賞フォローしたる!」と意地になってしまうまでの吸引力があるか? ・・と言えば、その辺りは微妙だった(⌒〜⌒ι)

色んな「残念さ」があちこちに見受けられた本作だが、確かに「観終わるまでは、きっちり集中させてくれた」って点については、佳作と評して良いだろう。

〜 こんなトコも 〜

・オープニングでは、内野さんの“切腹シーン”なんかが始まるんじゃないかとヒヤヒヤした(⌒〜⌒ι)
・高島(弟)が「ひょっとして、真犯人なんじゃないか?」と考え(過ぎ)てしまった(=^_^=) 例の(?)革ジャン+おかっぱカツラで「狂演ふたたび」みたいな(⌒〜⌒ι) 和製アントン・シガ〜(恐)
・被害者ってば(容赦なく)現場で“身ぐるみ剥がされちゃう”んやね(×_×) 下腹部には申し訳程度(?)に布を当てては貰えるみたいやけど・・
・上記の理由から、うら若き女性も含め、色んな俳優さんの「おっぱい」が拝見出来ますた。。
・基本的には、直腸内体温(←つまりはエイナスから検温)から死亡推定時刻が割り出されるらしい。一方、海外では肝臓内温度から割り出す手法もある、との事。
・末期ガンは左右の腰部の激痛に(その徴候が)現れるんやろか?
・「貧血」で倒れ、救急搬送されたあのしと。その場で部下たちに“事情(=病状)”は伝えられなかったんやろか? で、伝えられてたとしたら、うやむやにされてたのは我々=観客だけ?
・考えたら「同じ鎮痛剤を服用してる」「どんな病気でその鎮痛剤が必要なのかは分かっている」ってなセリフが語られただけだったワケで・・“あのしとの病名があのしとと同じ”って事は劇中では一切説明されてなかった。つまり「まだ望みはある」って事か?
・平田満さんを巡る幾つかのシーンは、もっと巧く描いて欲しかった。『催眠(1999)』とか『CURE(1997)』みたいな演出・映像で。
・あのしとの登場した時点で「んん?」と勘付いてしまった。何となくドラマ『警部補・古畑任三郎』での“おみくじ殺人事件”のエピソードを思い出したもんで。。
・劇中で最も潔かったのは、或いは平田満だったのかも知んない。流石はヤス!
・京野ことみの出演(?)を“遺影のみ”で済ませるか、如何に巧く本編に登場させるか・・が、本作の監督とキャメロン・クロゥ監督の違いであり、もっと言えば「おハリウッド謹製」と邦画の違いな気もする(・ω・)
・冒頭の事件では、駆け付けた警官の1人が“さすまた”を駆使してた!
・『EUREKA/ユリイカ(2000)』が観たくなって来た。
・法廷シーンはサクッと割愛されてたが・・それって、ちょっと、どうでしょう?(上映時間に影響するにせよ、他のシーンと調整してでも盛り込むべきトコではなかったか?)
・とある人物の指紋を(某場所から)採取するため、鑑識チームが総動員されるシーンは「警察モノ」って感じで良かった。『砂の器(1974)』で言えば、刑事が「血染めの布切れ」を線路上を這いつくばって捜すあの感じか。
・「自らは気付いても、誰かが気付くまで(誰かに気付かせるまで)動かない」的な言動の倉石にも見受けられ“主人公としての立ち位置”のブレてるっぽい感もあった(それって“神キャラ”か?)
・警視庁は英語で「MPD(Metropolitan Police Department)」と略称されるようだ。
・傷口を計測する際の「創面接着時、※※センチ」みたいな言い回しが印象的。
・「地取り関取り(じどりかんどり)」って何かと思った・・調べて納得(・ω・)
・小坂が1度だけ放つ「もう2度と言いませんから」の言葉が心に残った。
・「食物残渣」と書いて「しょくもつざんさ」と読むんだと。
・原作は『半落ち(2004)』『クライマーズ・ハイ(2008)』『出口のない海(2006)』の横山秀夫による小説。特に“何故その時、その人が、そこにいたのか(行ったのか)”ってな謎に関しては『半落ち』をかなり連想させるモノがあったように感じた(・ω・)

〜 こんなセリフも 〜

倉石「眼ぇ、逸らすな!」
  「・・始めっか」
  「まだ(検死は)終わってねぇ!」
  「母親として・・生命かけて護ったんだよな・・あんた」
  「お話しは・・ホトケ(遺体)を診た後」
  「替われ。後は俺がやる」
  「分かる? 考えろ!
  「・・謎だねぇ」
  「正確に動脈を切断・・“計算ずく”の殺人だ」
  「“見立て”の根拠は?」
  「その内、分かる」
  「ホントにぃ〜? 良く診たぁ〜?」
  「ホシ(犯人)を挙げるのに、鑑識もデカ(刑事)も関係ねぇ!」
  「屍体に細工するような人間が、
   遺族の中にいるワケねぇだろ」
  「訊く前に動くのが、お前たちの仕事だろ?
  「まだ、根こそぎ拾えてねぇ・・お前ぇも同じだろ?」
  「殺したのは※※じゃねぇ・・他にいる」
  「上から“お達し”受けてんだろ?」
  「今回の場合、アリバイに頼るワケにもいかないんでね」
  「“合同捜査”だろ?」
  「これ、ミック・ジャガーの好物・・肉じゃが」 ←ひィッ!
  「ホシはそれを知っていた」
  「※※の覚悟だけは分かった」
  「俺は精一杯生きてやる・・“お迎え”の来る、その日まで」
  「良くねぇ・・良くねぇよ」
  「最期まで※※の声、耳すまして聴いてみろよ」
  「あんた、良く我慢したな」
  「ただ・・この街のどっかに娘さんの“最期の声”が
   遺されてるのかも知れねぇなぁ」

直子「好美・・何してんのよ。こんなトコで。起きなさいよ」
  「あなた、おかしいわよ・・好美が変よ・・起きてくれないの」
  「2年経っても、まだ分からなくて・・
   何であんな眼に遭わなきゃならなかったのか・・
   何で好美じゃなきゃならなかったのか・・
   何であそこにいたのか・・理由が分からない」
  「まだ一緒にいるんですよ、私たち。
   話す事なんか、何もないのに」

安永「トイレまで追いかけて来て質問攻め・・
   3ヵ月の講義実習で君だけだったね」
  「“もの言わぬ死者の声”を聞くのが、私たちの仕事なのだ」
  「君でも“驚く事”があるとはね」
  「ある日・・天罰が下った」

小坂「体の具合、良くないんじゃありませんか?
   ムリせず、休んで下さい」
  「根こそぎ拾いたい・・だから考えるの」
  「やってみる価値はあると思います。
   捜査は行き詰まってるハズです」

永嶋「いつも“倉石さんが正しい”とは限らないじゃないですか」

仲根「組織にはそぐわない男だな」
  「なかなか面白い体験でしたよ」

五代「次はないからな」
  「やるんだったら、結果を出す事だな」

立原「拳銃用意!」

加古川「精神鑑定は“十人十色”だと思ってます

被害者の娘「ねぇ? どうしてママ、死んじゃったの?」

※※「これは、40年間“沈黙”して来た私の復讐だ」
  「私も騙されかけたよ」
  「犯した罪は償わなければならない」
  「痛いのは、生きてる証だ」
  「これからこいつには、※※のいる世界に行って貰う」
  「お前を赦せるのは、※※だけだ」
  「私は、死んで行く被害者の声を拾わずに、逃げたんだ」
  「この歳になってもまだ、生にしがみつこうとする」
  「笑ったんだよ・・この男は
  「これでいい・・お前は生きろ」

直子「好美は死んだのに、あいつは生きてるんです。
   “責任能力”って何ですか? 何であいつは、
   皆に“保護”されて生きてるんですか?」
倉石「俺の仕事は“ホトケの声を拾い尽くす事”・・それだけ」
直子「そうですよね・・結局、皆、私たちの事なんて
   分かってくれないんです」

立原「そんな言い草があるか! 貴様!」
仲根「私はあなたの部下ではない。怒鳴られる覚えもない」

仲根「お前のような男は、必ず潰される。
   それが“組織に生きる者のルール”なのだ」
倉石「だったら・・死んだ方がマシだなぁ」

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2012年7月18日 (水)

☆『レンタネコ』☆

(観終わってからの)記事をまとめる時間がなかなか取れず・・メモを放置したままに、こんなに日時が経ってしまった(×_×)
少しばかり古〜い内容ですが、お楽しみ頂けたら幸いです。

・・

11日(水曜)の夜。
仕事帰りに「ホッとひと息」つきたくもあり・・立ち寄ったのは商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”だった。

如何にも「ミニシアター向き」な、そんな小品の印象があった本作。
だけど、それはそれで「予告篇映像」に“それなりの吸引力”を漂わせてもいた1作だった。

東京都内のどこか(練馬区か?)。

最愛の祖母を亡くして2年。
小夜子(サヨコ:市川実日子)は、祖母譲りの「何もしなくても、猫が寄って来る」と言う体質(?)のお陰で、沢山の猫に囲まれ“寂しくはない独り暮らし”を気ままに続けている。

ある時は「敏腕ネットトレーダー」・・またある時は「行列の出来る占い師」・・はたまたある時は「売れっ子TVCM作曲家」・・様々な顔(=職)を持つ彼女であるが・・昼間に一貫して続けてるのは、リヤカーに沢山の猫を積んで河川敷を練り歩き「寂しい人に猫をレンタルする」と言う“レンタネコ”経営者としての一面である。

・・

愛猫“モモコ”と死別して1年・・寂しさの埋められぬ老婦人=吉岡壽子(草村礼子)

6年も続く単身赴任の毎日に、寂しさの埋められぬ中年サラリーマン=吉田五郎(光石研)

「ジャポン・レンタカー」受付係とし、そつなく働く日々の中で、寂しさの膨らんで来た女性社員=吉川惠(山田真歩)

河川敷にて、すれ違ったリアカーの小夜子を、振り向き様「ジャミ子?」と呼び止めた男=吉澤茂(田中圭)

出会ったそんな4人の人々と、そして隣に住む怪しい主婦(小林克也)

「猫」を通じて繋がった(?)人々の「寂しさ」や「お節介」の行方が、独特なスローペースの世界の中で描かれる・・

レンタネコ経営者が色んな事情・境遇・過去を抱える人々と出会う物語を、巧妙に時間軸を入れ替えたりもしながら(?)描く作品世界は、思ったほど「悪く」なかった。

少し前に観た『東京オアシス(2011)』に、何となく“骨格”の部分が似てる気もしたが・・あちらの主人公(演:小林聡美)が「何かを確実に掴んでる(会得してる)が故、ある一線から先へはゲストキャラに決して近付いて(関わって)来なかった」のに比べ、本作のヒロインの方が、色んな部分で「無様で人間っぽい」トコもあり、そこが好感を抱かせた。

ゲストキャラが(変わる度に)次第に主人公に近付いて来る(=主人公自身の過去・現在に関わって来る)辺りの展開は、何となく『おくりびと(2008)』を連想させてもくれた。
そう言えば『レンタネコ』と『おくりびと』・・何となくタイトルのイントネーション(抑揚)も似てる気がするにゃあ(=^_^=)

ちと「深津絵里さん入ってる」感じの山田さん、ちと「向井理さん入ってる」感じの田中君とか・・“一見、イヤな感じのヤツ”に見えるんだけど、話してるウチに「もっと仲良くなりたいかも」と思わせる印象についても、役者さん自身の持つ「存在感・雰囲気」が良い意味で作品に相乗効果をもたらしてた気がした(・ω・)

「肝心な点には、結局のトコ全く触れられる事はなかった」んだけど、それはそれで赦せる、、と言うか気にならない「面白い作品」とは言えた。

〜 こんなトコも 〜

・猫も玩具も(?)「要は、どれだけ持ち主に愛されるのかが大事」ってなセリフには、何となく頷かされてしまった。
・「舞台劇」でも十分に再現(表現)出来そうだった。
・作品世界は、基本「夏」オンリーだった。
・「NYで有名なドーナツ」「(庭先)流し素麺」「瓶ビール」「ガリガリ君(棒付きアイス)」「自家製ゼリー」「麦茶」・・と、様々な飲食物の登場したのが印象的である。今も昔も、邦画にはやはり“食事シーン”が欠かせない・・のかな?
・中盤の「夢シーン」が妙にハッキリクッキリし過ぎてて、違和感ありまくりだった(=^_^=)
・猫マニアの自死を描いた『レンタン(練炭)ネコ』って作品はアリやろか?(ないない)
・劇中に登場したクルマ(日産マーチ)は「練馬ナンバー」だった。
・歌丸師匠は何故そんな名前になったのか? その由来が(かなり)気になる!
・「玄関に(いる旦那に向かって)靴下を黙って投げて寄越す」ような奥さんは欲しくない・・(×_×)
・公式サイトに入る時に流れる「♪レ〜ンタ~ネコ~ ネコネコ」は簡単に着ボイスに変更(変換)出来る(=^_^=)
・庭先での「流し素麺」は、余りに悲しいながらも、余りに美味しそうだった!
・劇中で最も心に残ったのは「残された“あのしとの息子”が、冷蔵庫のゼリーを黙って食べるシーン」だった! ああ言う「曖昧だけど鮮烈な描き方」は巧いと思う!
・“心の中の寂しい穴ぼこ”なら良いけど“ココロのスキマ”だとイヤだなぁ・・(懐)

〜 こんなセリフも 〜

小夜子「・・お前もか」
   “何故か、子供の頃から私の周りには猫が寄って来る”
   “猫に好かれる「特殊な匂い」を放ってるのか?
    気になるトコロだ”
   「また新しい猫が、庭に来たよ」
   “猫だけが寄って来る人・・人間にも寄って来て貰いたい”
   『今年こそ結婚するぞ』(習字)
   『焦りは禁物! 顔で選ぶな』(習字)
   『新婚旅行はハワイ その前に相手』(習字)
   『選択の余地はない 上下15歳まで可』(習字)
   「寂しい人に・・猫、貸します」
   「そもそも“悪い猫”なんていないんですけどね」
   「審査があります」
   「審査は“合格”です」
   「猫にとって住み易いか・・家を確認します」
   「見棄てるような事は、絶対にしません」
   「安心して、逝っちゃってください」
   「困ってるように見えますか? 全ッ然、困ってませんよ」
   「小さな頃から、株だけは得意なんです」
   「可愛がって下さい」
   「ちゃんと“心の中の寂しい穴ぼこ”埋めてくださいよ。
    この子がしっかり、埋めてくれますから」
   「レンタネコ屋です」
   「仏壇にパイナップル・・似合わないぞ。
    仏壇に猫は似合うのに」
   “猫が寄って来るのは、祖母からの遺伝だ”
   「猫好きでしょ? 好きですよね?
    寂しい時は、猫が1番です」
   「大丈夫。あなたは“悪い事をするような人”じゃない」
   「女の子には“そう言う時期”があるものです」
   「3ヵ月で、子猫は大きくなります」
   「“多摩川の母”と言われてます」
   「占いに来る人は、もっとドンヨリしてます」
   「寂しい時は、猫が1番効きますから」
   「あなたの場合、ほんのちょっと寂しいだけ」
   「この子がしっかり“心の中の寂しい穴ぼこ”を埋めてくれますから」
   「はァ・・結婚したい」
   「どうする? 君の意思を尊重するよ」
   「約束してください。どんな事があっても“この子の最期”を看取るって」
   「責任を持って、可愛がってください」
   「あの子はね、素敵なおじさんに貰われて行ったよ。
    きっと幸せだよ」
   「暑い・・人間やってんのも大変だけど、
    猫やってんのも大変だねぇ」
   「こんな暑くちゃ・・なんも出来ん」
   「何か涼しくなる方法・・ないスか?」
   「あれ? みんな何処、行っちゃったんだろ?」
   「何で、何でもかんでも“ランク付け”するんですか?」
   「あなたはナニランク? あなたから見て、私はナニランク?」
   「猫、貸しますけど?」
   「何、その食べ方・・? ・・変」
   「TVコマーシャルの作曲をしています。
    小さい頃から、音楽だけは得意なんです」
   「“ランク付け”は、もう止めましょう」
   「あなたも私も、胸はAカップで・・Cランクなんだから」
   「穴は“食べるもの”ではなくて“埋めるもの”です」
   「きっと・・誰かにとっての“大切なもの”は、
    それがどんなものでも、1番だと思う」
   「やっぱ、夏は素麺に限るね〜」
   「あァ・・結婚したい」
   「やっぱり、新婚旅行は1泊2日(が限界)・・
    ・・熱海でいっかぁ」
   「(桟の汚れを)見なかった事にするか、今すぐ掃除するか・・
    よし、見なかった事にしよう!」
   「やっぱり、暑い日は麦茶だね」
   「しがらみもないけど、友達もいなかった」
   「あんたの普通は、みんなの普通じゃないの」
   “『またね』って言っておいて、きっともう2度と
    逢わないな・・って人がいる”
   “祖母はいつでも、私の最強の味方だった”
   「猫の優しさでも埋められない“穴ぼこ”ってあるのかな?」
   “あの時のガリガリ君も、盗んだものだったんだろうか?”
   「あんたに“お前”なんて言われる筋合いはないんだよ」
   “どうしようもなく寂しい人がいる。だから、今日も猫を貸そう。
    (そんな人の)心の穴ぼこを埋めるために”

吉岡さん「猫・・貸して貰えます?」
    「独りぼっちになってしまって・・寂しくて、寂しくて」

息子「どうやって処理すんだよ・・こんなもの」

吉田「レンタネコ? 何だそりゃ?」
  「1本? それって1万円? 10万円?」

吉川「私は・・Cランクです」
  「世界から置いてけぼりを喰らってしまったような」
  「いつからか、色んなものに“ランク付け”
   して来た気がします」
  「一緒にランチして、貰えませんか?」
  「誰かと一緒に食べるなんて、久しぶり」

吉澤「寂しい時は、寂しいのにな」
  「暑い日は、ビールに決まってんの」
  「夏にビールを飲まないなんて・・そんなの
   “夏の2/3を楽しんでない”って事だよ」
  「“例えばのハナシ”だよ」
  「暑い日は・・ガリガリ君に決まってるだろ」

隣人「あんたの前世はね・・蝉なんだよ」
  「170センチ以上ある女は、男にモテないの」
  “夏の日の 独り素麺 虚しけり”
  「たまには、我慢しないで泣いていいんだ」
  「塩でもつけて、食べな」

ガキ「うわ! 猫ババァだ!」
  「また来たぜ! 猫ババァ」

吉田「そんなに寂しそうに見えました?」
小夜子「はい、とても」

吉川「左様で御座いますか」
小夜子「左様で御座います」

隣人「また男にフラれたか?」
小夜子「“また”ってどう言う意味ですか」

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2012年1月18日 (水)

☆『ロボジー』☆

16日(月曜)の夜。
この日は“丑三ツの刻”にいそいそと出勤し、早朝からの日帰り出張に備えた。
往復で約500km程度の距離にある某県某市へと出掛けたんだが、取り敢えずは「無事故無違反」で帰松が叶い良かった。

夕刻となる前に職場に戻れたのもあり、意外に疲れも残ってなかったので「頑張って、1本行っとこ!」と思い立ち、帰りに“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に立ち寄り、粗筋を知って「俄然興味の湧いて来た」(=^_^=)新作邦画『ロボジー』を観て来た次第。

脚本と監督=矢口史靖によるSFコメディ。

高度成長期を走り切ったモーレツ系(?)サラリーマン時代を経て、今はリタイアして久しい老人=鈴木重光(五十嵐信次郎)は、娘夫婦(和久井映見&田辺誠一)や2人の孫とはそれなりの付き合いをしつつ、普段の独居生活では老人会やカップ酒でヒマを持て余す日々。

そんなある日、彼は“日当=3万円”なるアルバイトのチラシを折込み広告の中に見つける。
「身長:168センチ・・靴のサイズ:25.5センチ・・(中略)・・このサイズに当てはまる人を募ります」
そこには、そんな事が書かれていた。

“着ぐるみショーの舞台で、ロボットのような動きをする”そんな簡単な仕事のハズが・・「繰り上げ採用」された鈴木の連れて行かれた先は『第13回ロボット博覧会』会場内の大きなステージだった・・

・・

マイナー家電メーカー『木村電器株式会社』のエンジニア3人組(チビ&ノッポ&デブ)は、社長命令により“2足歩行”を実現させた新製品=人型ロボット『ニュー潮風』の発表を1週間後に控えていた。
何とか「数歩程度の自律歩行」を実現する事は出来たモノの、テスト中の事故により、試作機は大破してしまう。

困った3人組は『ニュー潮風』を着ぐるみ仕様に仕立て上げ、着用出来るサイズの人間をアルバイトで雇い、この窮地をしのごうとするのだった・・

矢口監督ならでは、と言おうか「ツカミ=導入演出」の置き方がやたらと巧い! 「ロボットの着ぐるみに入る事となったお爺ちゃんのドタバタ劇」って事で『ロボ爺』・・改め『ロボジー』なのである!

一方で、粗筋を知ってしまった以上、更なる“期待値”がやはり高まるワケだが・・それを大きく上回るまでの“意外さ”“ひねり”は盛り込まれてなかったように思った。

ちょうど(とある映画評コラムで)松本人志氏が『リトル・ダンサー(2000)』に対し評したように「ポスターを観て、物語は良く分かった。で、それ以上のナニをどう展開するの?」って点が弱かったように感じたのだ。上映時間もやや長く思えたし。

もっと個性を発揮出来たであろう・・濱田岳、田畑智子、和久井映見、吉高由里子・・の各位は、いずれも存在感やキャラクタがイマイチ「立ってなかった」ようだ。田辺誠一に至っては、カメオ扱いでも良い程度の出演ぶりだったし(・ω・)

主人公が小林(濱田)たちのような、鈴木老人のような、佐々木(吉高)のような・・でも、総じて思い返せば、いずれも「立ち位置」がちょっと後退してたような・・そんな印象。

せっかく『デトロイト・メタル・シティ(2008)』っぽい“ヒーロー系”テイストや、チャップリンの『街の灯(1931)』を想起させる“ハイライトシーン”を準備してるんだし、もう少し「大胆に、鮮烈に、感動的に」やって欲しかったトコである。

〜 こんなトコも 〜

・主人公は初め“大村崑ちゃん”かと思った。。五十嵐信次郎氏=ミッキー・カーチス氏なワケだが・・青年期の彼は確かにカッコいい! 電気グルーヴのアルバム『J-POP』のジャケ写真に混じってても分かんないような(=^_^=) 『ウエスト・サイド物語(1961)』で、ジョージ・チャキリスの隣でフィンガー・ティップス(=指パッチン)を鳴らしてても気付かないような(=^_^=) そんな端正な顔立ちである。
・作品の舞台は2012年10月下旬だった。終盤に至っては2014年に突入してた! その頃、日本はどうなっとるンやら(・ω・)
・「仕事一筋の人ほど、リタイア後に認知症になり易い」って語られてた。
・『ワイルド7』もそうだったが、本作もロケーションの殆どが北九州エリアで行われたそうだ。
・老人会に於いても、イケメンの爺さんは婆さん連中にモテるようで(=^_^=)
・「牧田市」って(架空の)街が舞台だった。
・濱田岳には、是非「あ〜 びっくりしたぁ〜」と言って欲しかった(=^_^=)
・放屁を感知するや否やファンが自動的に回転を始めたり、動きに併せ各関節からモーター音がしたり・・と妙にマジモンっぽい。
・木村電器のキャッチコピーは『確かな技術と新たな発想』と言うもの。
・『ニュー潮風』のキャッチコピーは『新しい時代の風を運んで来た』とか言うもの。
・竹中直人氏が一瞬のみ登場! セリフもなかったような。。
・ネオジム磁石(=ネオジウム磁石)を腰部に貼ってたが・・大丈夫なんかいな。
・『ニュー潮風』から孫たちへひと言。“玉ねぎ残すな”“携帯は未だ早い”
・和久井ママが写真を撮る際「はい、カマンベール」と言ってはった!
・「緑山学園大学・理工学部」における講演のシーンがなかなか面白い! 学生からの「いきなりの高度な質問の連続」にエンジニアたちもタジタジだ!
・“アクチュエータ”“ブラシレスDCモータ”“3軸加速度ジャイロセンサ”“ハーモニックドライヴ”“ZMP方程式”“ソリッドワークス”と言った専門用語が飛び交い、さっぱりワケが分かんないし(=^_^=)
・北九州市に本社のある和菓子店『湖月堂』の製品がPRされてた。

〜 こんなセリフも 〜

鈴木「何ともないワケないだろ? 俺が“痛い”って言ってんだから」
  「こっちは色々、忙しいんだ」
  「ゴ主人サマ・・ゴ飯ガ出来マシタ」
  「これ、蒸しますよね? あなたはどうですか?」
  「隠居した年寄りに“ダメな日”なんかあるか」
  「大丈夫。バレないようにやるから」
  「うるせぇ! クルマ止めろ! 俺は降りるぞ!」

小林「何歩かは歩いたんですよね」
  「・・バックアップは?」
  「“本当の事”なんて公表出来るワケないでしょ」
  「ロボットは“1度きり”って話じゃ?」
  「また、中に入って貰えないでしょうか?」
  「ナニやってんだ・・あの人は」

伊丹「あの、他には何が出来るんですか?」
  「あんた・・何か、ちょっと怖いよ」

太田「おいジジイ! 勝手に何やってんだよ!」
  「変態だぜ、変態・・道理で・・
   『ニュー潮風』を見る眼がイッちゃってたもんな」
  「警察への連絡はマズいって!」
  「俺たちだって、たまには楽しい眼に遭わないとな」

長井「バレてる・・絶対バレてる」
  「バレたんだ・・お終いだ」

佐々木「・・髪の毛?!」
   「こんなお爺ちゃんなの?!」
   「・・助けて下さい」

社長「目立たないと(TVに)映らないんだから、
   しっかり頼むよ」
  「やってくれたな・・お前ら!」

孫「すげぇ! でも、何でウチに来てんの?
  ってか、お爺ちゃんは?」
 「何かさぁ・・お爺ちゃんみたいな匂いがする」

※「妙な味わいがあるかも」
 「そちら(のコスチューム)、良く出来てますね。
  手作りですか?」
 「あ、これ? ズゴックです。シャア専用の」

太田「お爺さん、面接に来たの?」
鈴木「え?!」

小林「とにかく、動いてみて下さい」
鈴木「え?! 動く?!」

鈴木「こう言うもんなんですかねぇ」
太田「こう言うもんなんですよ」

鈴木「こんなもん“サギ”じゃねぇか」
小林「いえ、世の中に“夢”を与えてます」

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2011年12月30日 (金)

☆『聯合艦隊司令長官 山本五十六/太平洋戦争70年目の真実』☆

29日(木曜)。
有難くも、昨日の勤務をもって無事(?)“仕事納め”となったため、今日は思いっ切り「寝だめ」させて頂く事とした。
いや、ホンマならしっかり気合込め、自室の片付けなんぞをしなきゃならんトコなのだが・・「疲れ」やら「酔い」やら色々とありましてなァ(×_×)

正直なトコ、終日家でゴロゴロ&ダラダラしようかな、とも思ったんだが・・しばらく全く劇場に足を運べてない事を思い出したため「そや、久々に行っとこ!」と決め、自転車で「運動不足解消」がてら“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと向かった次第。

で、これまた久しぶりに“ハシゴ鑑賞”を敢行したのだった。

・・

1本目はシブ過ぎる気もするが「年末大作邦画」と言えよう『聯合艦隊司令長官 山本五十六/太平洋戦争70年目の真実』である。
あんまし気が進まなかったのはあるが・・会社の方がご覧になられたらしいのと、ブログ仲間=itukaさんの評価もそこそこ高いようなので「まぁ、観てみるか」と気まぐれに思った感じ。

作家=半藤一利の監修の下、聯合艦隊司令長官=山本五十六の“知られざる等身大の姿”を描いた、2時間20分にも及ぶ大作。

・・

長岡(新潟県)出身の五十六(役所広司)の生まれてからの歩みは、まさに「我が国の辿った、戦(いくさ)の歴史」そのものだった。

日清戦争(10歳)、日露戦争(20歳)、満州事変(47歳)、支那事変(53歳)・・そして、太平洋戦争(57歳)

幼き日に『戊辰の役』で敵軍=薩長藩に斬り込み、華々しく討ち死にした祖父の“武勇談”を聞かされ、対岸で3日3晩燃える村の姿を呆然と眺めた幼名“いそ”こと五十六。

・・

刻(とき)は流れ『2.26事件』から3年を経た1939年。
海軍次官となっていた五十六は、海軍省にて米内大臣(柄本明)、井上局長(柳葉敏郎)と共に“日独伊(三国)軍事同盟”に反対を唱え続けるのだった。

「我々は世論を代弁する」と自負して止まぬ『東京日報』の宗像主幹(香川照之)は、勢い付くドイツと同盟を締結する事に反対する海軍が理解出来ずにいたが・・五十六は宗像や、彼に同行していた青年記者=真藤(玉木宏)に「ドイツと手を組むと言う事は、アメリカを敵に回す事になる。鉄鉱も石油も(彼(か)の國に)依存し切っている我々に“10倍の国力”を持つ大国=アメリカを打ち払う事が出来ますか?」と持論を展開するのだった。

そして、真藤は終始“穏やかな口調”で宗像に対峙する五十六に対し、共感を覚え始める。

しかし翌年(1940年)・・結局は“三国同盟締結”を受け容れてしまう日本。

聯合艦隊司令長官に着任した五十六は“対米講和”を前提とした戦略で、アメリカとの戦の早期終結を図ろうとするが・・

役所&柳場の共演に『ローレライ(2005)』かよ! とか役所&柄本の共演に『Shall we ダンス?(1996)』かよ! とかとも思ってしまい、つまりは“豪華キャスト実現! と言うよか、(有名)俳優の絶対数が少ないんやろかねェ”って事にも気付かされるワケだが・・それでも長尺のドラマを退屈させずに描き切ったトコは評価出来る。

東條、近衛・・と言った“重要人物”に(殆ど)手の着けられなかった事や、白人俳優が全く登場しなかった事(!)なども気にはなったが・・きっと意図しての演出だったのだろう。

真珠湾攻撃が「自らの意に反し」奇襲攻撃となってしまった事、山口司令(阿部寛)をミッドウェイ海戦で失った事・・辺りからは、三宅参謀(吉田栄作)を相手に「将棋盤に向かいながら報告を聞く」ような場面も増え、次第に精彩を欠いて行ってた印象もあったか。

個人的には、もっと「家族との場面」「親友=堀中将(坂東三津五郎)との場面」を(特に後半に)見せて欲しかったトコである。

五十六の“最期”を知っているだけに、ややもすれば「盛り下がってしまってた」終盤が、多少残念でならなかった。

〜 こんなトコも 〜

・三船敏郎が主演し、円谷英二が特撮を担当(!)した『連合艦隊司令長官 山本五十六(1968)』と言う作品もあるそうだ。リメイクってワケでもなさそうだが。
・白い軍服の映える海軍士官各位。『リベリオン(2002)』とか『愛と青春の旅だち(1982)』とか『クヒオ大佐(2009)』とかを連想してしまうのも仕方あるまいて(=^_^=)
・作戦会議では、ぜひ五十六に“みなごろし”と書き殴られた半紙を一同に広げ、示して欲しかった(⌒〜⌒ι)
・新聞記者役を稲垣吾郎君に演って貰ったら『笑の大学(2004)』っぽくも仕上がって、面白かったかも?
・それまで頑(かたくな)に表情を崩さなかった南雲司令が、五十六を前にし、差し出された「茶漬け」を喰うシーンでは・・思わずこちらもウルウルしてしまった。きっと五十六がロビン・ウィリアムズだったら「君は悪くない(It's not your fault.)」と何度も繰り返した事だろう。
・お恥ずかしながら『相沢事件』と言うのは本作で初めて知った(×_×)
・“マイン・カンプ”って何かと思いきや・・“我が闘争”の原題なんやね。何やら(東洋人を“劣等民族”と評した)第11章の一部が削られてるらしい!
・五十六風に、返事を「おぅ」にしようかな(=^_^=)
・「スイカ」「干し柿」「干し芋」「ヒラメの煮付け」「茶漬け」「しる粉」「ブランデー」・・と結構グルメな五十六さんだった。
・「柱島」と言うのは山口県岩国市の南東に位置するそうだ。
・長岡銘菓(?)の「水まんじぅ(饅頭)」ってのが出て来るが・・幾ら何でも、砂糖をぶっかけ過ぎだと思う(×_×)
・長岡藩士=河井継之助と言う人物にも興味が湧いた。
・「常在戦場(平時に於いても、常に戦場に在ると心得よ)」「米100俵(100俵の米など、喰えば忽ち無くなるが、与えて人を育てれば、それが明日の1万俵にもなる)」と言った教えが丁寧に解説されてた。
・曳船“YT-86”ってのがあるらしい。“FT”じゃないんやね(⌒〜⌒ι)
・エンドロールの「協力:ゆめタウン」ってクレジットに少し嬉しくなった。
・街頭には『米鬼断じて討つべし』ってな幟も揚がってた。
・蜜柑を47ヶもイッキ喰いした記録の保持者でもある五十六(⌒〜⌒ι)
・“廣月堂”では「餡蜜:15銭」「蕨餅:20銭」「汁粉:25銭」と価格設定されてた。
・『起て!! 青少年/海軍志願兵募集』のポスターなんかも貼られてた。
・五十六が劇中で何度も口ずさむのは、長岡に伝わる民謡『長岡甚句』らしい。
・ブーゲンビル島の上空で描写される被弾⇒墜落⇒爆発炎上シーンは、遠景のカメラワークも手伝って『イージー・ライダー(1969)』のラストを想起させる映像に仕上がってた。
・タイトル文字を揮毫したのは武田双雲、特別協力に(五十六の息子さんである)山本義正の名がクレジットされてた。
・主題歌は小椋桂の歌う『眦(まなじり)』だが、ちょっと読み方が分かんなかった(×_×)
・(食卓で)手を着けられなかったあの鯛も、何だか不憫だった(×_×)

〜 こんなセリフも 〜

五十六「今や、戦は“國を賭けての総力戦”です。
    一旦、事を構えたら・・どちらか(の國土)が焦土と化す迄
    後戻り出来ないのが戦なのです」
   「(國策は)戦でなく、外交によって為されるべきでは?」
   「寧ろ、その“國民の閉塞感”を煽っているのは、
    あなた方(新聞社)では?」
   「いつも通りでいい」
   「俺が死ぬ事で、國民が目覚めて呉れるなら、其れでいい」
   「何事も大元(おおもと)迄辿らんと“大事な事”を見落とすものだ
   「瀬戸内の魚は、骨迄美味い」
   「忘れる事の巧いのが、此の國の人間の長所でもあるがな
   「漬物は、御飯の終わり頃に喰うのだ」
   「此の機体でモナコまで飛べるかな?
    何でも“カジノ”と言う博打場があってな」
   「義を以て恩に報いろ。親と故郷・・つまりは“此の國”に報いろ。
    此の國の為に尽くすのだ」
   「バスが非(あら)ぬ方向に走り出したようだねぇ・・
    で、バスの目的地は何処だい?」
   「眼も、耳も・・心も大きく開いて、世界を(良く)見なさい
   「“海軍一”の(旗艦)長門の飯(メシ)にありつこうって魂胆か?」
   「何時からだろうな? 海軍が戦を好むようになったのは」
   「目指すべきは“早期講和”だ。此れ以外に日本が生き残る
    道はない。“ハワイ作戦”は、私の信条だ」
   「民間人居住区は、絶対に攻撃してはならん
   「“9死に1生”の作戦はあっても
    “10死に0生”の作戦等はない」
   「“日本の侍”は、枕を蹴って相手を起こしてから斬るものだ
   「此処は南雲の判断に任せよう。“日本の海”にいる我々には
    分からん事もあるのだろう」
   「泥棒だって、帰り道は怖いよ
   「ああ、もう1度ハワイをやる」
   「俺が神様なら、端(はな)から戦なんぞ始めん
   「始めた戦を終わらせるのも、我々軍人の大切な責務です
   「“大和”は広いが・・どうにも落ち着かん」
   「此れからのアメリカは“奇襲”等させては呉れんぞ」
   「“恐るるに足らん”と云う、其の根拠は?
   「日本の空に、もう2度と敵機を飛ばせてはならぬ」
   「此れで・・詰んだな」
   「茶漬けは、熱い内が美味いぞ
   「遺品は、大切に家族に送ってやって呉れ」
   「転進ではなく撤退だ。言葉は正確に使わなければ駄目だ」
   「隊員達には“棄て石”になって貰う」
   「そうか・・※※も死んだか・・」
   「こんな五十六の顔でも、見れば
    隊員達は喜んで呉れる。有難い事だ」
   「いつも通りでいいんだ。仰々しい事は止めて呉れよ」
   「こんな老いぼれが未だに生き残っては、
    “向こう”で逢った連中にどんな顔を
    すれば良いのか・・困ったものだ」
   「入って来い。そんな所に突っ立ってると、
    蚊に喰われてマラリアになるぞ」
   「おい、出鱈目を唄うな」

真藤「転進? 撤退では?」
  “一体、我々は何時、何処で道を間違えたのだろう?
   そして、我々は誰に負けたのだろう?”

山口「刺し違えてでも、1隻は沈める」
  「生きて、生き残って、この体験を生かし、
   “強い海軍”を造って貰いたい」

永野「まぁ、戦はやってみなければ分かりませんよ」
  「矢張り、戦はやってみなければ分からん」

米内「久しぶりに潮風に当たって来るのも良いんじゃないかね?」

宗像“我々は断じて、バスに乗り遅れてはならない”

将校「其の頭に脳味噌を持っているのか?!」
  「高度計に頼るな! 自分の眼で判断しろ!」

芳江「5年で9人・・総理大臣ってころころ代わるのねぇ

志津「國が勝っても・・人は死ぬのよ

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2011年9月22日 (木)

☆『ラビット・ホラー:3D』☆

21日(水曜)の午後。

久々に“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”にクルマで向かい“ハシゴ鑑賞”して来た2本目は『ラビット・ホラー:3D』だった。

監督&脚本(←共同脚本)が清水崇、主演が満島ひかり・・って事で、それなりに期待させてくれるスペックは揃ってた!
更には撮影監督:クリストファー・ドイル、音楽:川井憲次・・ってのも豪華過ぎる!!
助演で香川照之&大森南朋も出たはるし!

キリコ(満島)は、10年前に“とあるきっかけで”言葉を失ってしまった女性。弟=大悟と共に、立体絵本作家である父=公平(香川)の家で暮らしている。
母=キョウコを“とある事故”で亡くして以来、公平は寡黙になり、子供たちに関心を示さなくなってしまった。

そんなある午後、校庭の片隅で、大悟が可愛がっていたウサギを石で撲殺する。
死にかけていたウサギを“安楽死”させた、弟の“この選択”に、キリコは返り血を浴びつつ、呆然と立ち尽くすしかなかった・・

それを機に、大悟は“ウサギの着ぐるみ”に遭遇し、激しく怯えるようになる。どうやら、自宅の(1〜2階の)階段の途中にある「納戸の中」にその秘密が隠されているようだが・・

大悟の誕生日=6月23日(水曜)の迫る中、姉弟が劇場で某3Dホラー作品を観ていると・・大悟はスクリーンの中のウサギの縫いぐるみに引きずり込まれるように“現実の向こう側の世界”へと連れ去られてしまう・・

キリコは“母の死”を巡る秘密もまた、今回の弟の失踪に絡んでいると直感し「納戸の奥」を調べてみる事にするが・・

うーん・・何なんだろ? 全くコワくないんですけど・・
3D映像も、期待してたほど効果的じゃなかったし、まず最初に“映像がキレイ過ぎて”その点からして好かなかった。
折角起用したクリドイさん(=ドイル)のカメラワークも、大した“凄み”を放ってたワケでもなし(・ω・) 演出面で、制約が多過ぎたんやろかね。。

2ツだけ良かったのは、清水監督自身の前作『戦慄迷宮:3D(2009)』の映像が“再利用”されてたトコと、ウサギの着ぐるみが発する「ウィッ!」とか言う泣き声(?)がそれなりに不気味に響いてたトコぐらいかな(・ω・)

「(図書室の)カウンターの下に、膝を抱えた少年が座ってたり」「納戸の奥を、長い髪の女性が何気なく歩いたり」「納戸に釘を打って封印しようとしたり」「着ぐるみの腹部から人間の頭部がはみ出してたり」「(人間の)墜死の瞬間が“長回し”で描写されたり」・・とそれなりの“清水節”は展開されるんだけど「でも、そんだけ」って感じで『呪怨(2002)』の頃の「非常に不安&不愉快にさせる」テイストにまで高まってないンやなぁ・・と。

満島さんは、ヒロインとして頑張ってはったと思うワケで・・この“しょっぱさ”は、やはり監督さんのせいやと思います(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

・螺旋階段の映像を眼にすると、どうにも『めまい(1958)』を連想してしまう。
・『慈急総合病院』の外観を眼にすると・・流石にゾクッとする(⌒〜⌒ι)
・回転木馬(メリーゴーランド)のシーンの辺りから「ひょっとしたら?」と思い始めたら・・やっぱり“例のパターン”に突入して行った。最近のサスペンス/ホラーってこんな路線(とオチ)ばっかしかい!
・「そんな不気味な場所を“遊園施設”として運営すんなよ!」とツッコミたくなるのは、ワタシだけやろか。

〜 こんなセリフも 〜

キリコ“父はいつだって逃げてばかりだ。
    この家には、父親もいないのと同じだ”
   「私が我慢すればイイんだよね?」
   “妄想が独り歩きを始め、この世に生まれ出ようとしている”

公平「・・見たんだな?」
  「妄想が過ぎるんだよ! ・・どう信じろって言うんだよ」

大悟「いつも通り“タンポポの押し花”でイイよ」
  「映画館だよ、お姉ちゃん」

医師“緊急に対応します・・もうそこまでの状態であれば”
  「事実を受け容れる事が出来れば」
  「基本的に、人間は“臆病”なんです」
  「人間の“自己防衛本能”は、ネガティヴな記憶にフタをしようとする」
  「罪悪感を処理出来ないでいるその“葛藤”が、
   “幻覚”と言う形で現れるのです」
  「人の心には“過去”も“現在”も、そして“未来”もないんです」
  「分からないのは、貴方自身の心なのでは?」

追記1:もっとシナリオがしっかり鍛えられてたら『アリス・イン・ワンダーランド(2010)』や『パンズ・ラビリンス(2006)』に“真っ向から勝負を挑める”作品にも成り得たか、と考えると・・残念でならない(×_×) ハッキリ言って、全くおハナシになんなかった。。
追記2:三谷幸喜監督(と脚本)の最新作『ステキな金縛り/Once in a Blue Moon』の公開に併せリリースされた“酢的なポップコーン(ビネガー&ソルト味+バターフレーバーオイル)”は、意外に美味い(=^_^=) 結局、この日は2杯も喰ってしまった(⌒〜⌒ι)

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2011年9月14日 (水)

☆『利休(1989)』☆

11日(日曜)の夜。
BSP(プレミアム)で、22:00〜0:25に渡り放送された“山田洋次監督が選んだ日本の名作100本/家族編”のこの日の1本『利休』を・・1時間40分の遅れで(⌒〜⌒ι)「帰松後」に観た。

21時頃に大阪を出発したもんで、これでも頑張って観れた方だろう(=^_^=)
まぁ「物語を楽しむ」と言うよか「作品(世界)の雰囲気に触れてみる」ってのを念頭に置いてたので、後半だけながら、それはそれでしっかり叶ったように思う。

如何にも“ソリの合わなさそな(=^_^=)”千利休(三國連太郎)と太閤=豊臣秀吉(山崎努)の関係が、みるみる悪化してってて・・作品も後半ともなれば「重く、暗く、面白くなく」の3点がバッチリと“フルコンプ”されてるし(=^_^=)

どうやら、利休が(秀吉を思い遣るが故に)“唐(から)討ち=朝鮮出兵”を諌めようとしたのが、両者に決定的な「深い溝」をもたらしてしまったようだ(本作の解釈では)。

・・

BGMがやけに少なかったり、秀吉のメイクなんかが妙に“ドウラン過多”な感じで・・何だか『影武者(1980)』『乱(1985)』辺りの“神通力の著しく低下して来はったク※サワ監督”の作品群を眺めてるような「違和感」を覚え続けたりもした。

また、本作を紹介する予告番組(?)の中で、案内役=山本“カントク”晋也さんが「尾張弁のやり取りに、寛いだ雰囲気が巧く表れてて良い」と仰ってた(←確か)が・・確かに、

「どぉぞ、赦(ゆる)したって頂戴(ちょぉでぇ)あそばせ」
「関係にゃあ事はにゃあ」
「御苦労で御座(ぜ)ぇあました」

みたいな「ムキ出しな口調」が突然に出て来たりして“良いアクセント”にはなってたかな、と(=^_^=)

一方で“ワダエミが200着もの衣装を準備”“勅使河原(てしがはら)宏監督は『華道草月流』の3代目家元”“1000万円以上もする、敷物(=絨毯)の使用されるシーンがある”・・などと、スペック面で「欠けてる何か」を必死に(?)補完しようとしてるトコが、少しハナについたりもしたかなぁ・・(・ω・)

〜 こんなセリフも 〜

利休「何を(殿下に)詫びるのか?!」
  「誰も彼も、この儂(わし)を這いつくばらせる気だ」
  「殿下に頭を下げねばならぬ事など、何1ツしてはおらぬ」
  「儂とて死にとうはない・・さりとて唯、生きていようとも思わぬ」
  「儂は意地を張っているのではない・・だが、1度頭を下げれば、
   一生這いつくばって生きねばならなくなるのだ」
  「後は、お前たちに任すか」

光成「流石に、殿下なればこその御裁断と・・
   光成も、是にて安堵致しました」
秀吉「・・そちは、儂を舐めていたのだからな」

追伸1:「朝顔を1輪、(茶室の)床の間に生けて秀吉を迎える」ってエピソードは観ておきたかった(×_×) でも、その1輪がしおれてたら・・やっぱし切腹なんやろか(×_×)
追伸2:最期まで気高く生きた利休だったが・・ウィキによれば死後、獄門沙汰となってしまったようで・・(×_×)

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2010年11月28日 (日)

☆『レオニー/Leonie』☆

27日(土曜)。
まだまだ疲れが完全に抜け切らないのか・・午前中にもぞもぞと起き、ちょこちょこっとネットで世界と(浅く)繋がり、
またひと眠りしたら・・早くも夕方となってしまった(×_×)
「こんな無気力で、果たしてエエのやろか?」と我ながら少し心配にもなるが・・
きっとボディからの「休め、な?」ってなシグナル(警告)だったんだろう。

が、流石に「ナニもしない休日」ってのは抵抗があったので、夕方からもぞもぞと着替え、市内へと向かった。

“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に行き、レイトショーで鑑賞したのは、昨夜に続く2度目の『レオニー/Leonie』だった(=^_^=) ←気に入ったんやねぇ・・

今回は鑑賞メモの他に、ちゃんとインクの出るペン(=^_^=)を抜かりなく携えたので、特に「中盤に力を入れ」観ることとした。
お陰で、だいぶ物語の流れやらがすんなり自身の中に(整理され)入って来た気がする。

〜 こんなトコも 〜

・レオニーがイサムを出産したのは、ロスでだった(新聞記事より)。パサディナじゃなかったんやね。
・レオニーがヨネと出逢った時刻は、15時25分(街角の時計より)。
・レオニーのソルボンヌ大学での専攻は「仏ロマン主義文学」とのこと。
・チャールズ・スタッダードは「ロンドンの詩人」と紹介されてた。
・キャサリン宅からレオニーを乗せた馬車の車夫は女性だった。かつ、結構ベッピンさんだった(・ω・)
・東京(横浜?)に現存するのか分かんないが「榮光社印刷」「萬代堂」ってな看板もあった。
・3人の生徒の名をハッキリ掴んだ(=^_^=) 陸軍少尉の岩倉具張、茶人の仙田東舟、東京帝大生の川田道彦。
・月謝は1人あたり20円とのこと。因みに当時は、扇子1本の値段が3銭ぐらいだった。
・(現在の貨幣価値に換算すると)扇子1本が500円としても・・月謝が1人辺り約30万円、、(×_×) どひ〜っ!
・岩倉は「ミセス・ノグチ」、仙田は「ミセス野口」、川田は「ミセス・ギルモア」とレオニーを呼んだ。
・剣道場に「風春影電」なる言葉(額)が飾られてた。どうやらコレは「博物館・明治村」内にある「無声堂」らしい。 ←無断リンク、済みません。
・イサム少年が折ってたのは「スワン(白鳥)」じゃなく「クレイン(鶴)」だと思ったが、、
・改めて柏原崇くんの横顔を眺めて「鼻、でかっ!」と気付いた。さぞやご立派な・・(すぐそっちかい!)
・レオニーと道彦の別れ。悲しい場面なのに「鰻」と書かれた店先の提灯が(背後で)目立ってたりする(⌒〜⌒ι)
・レオニー&ハルのやり取りは、何となく『コールドマウンテン(2003)』でのニコール・キッドマン&レニー・ゼルウィガーを連想させる。
・折角、大工の棟梁に貰った工具箱だが・・きっと売っ払って、パン代か何かに消えたんやろかなぁ(涙)
・アイリスちゃんのご尊顔が・・成長して大幅に変わっちゃってた気がする。。
・イサム・ノグチの第1回個展は1929年4月27日に開催されたようだ。

〜 こんなセリフも 〜

レオニー「人間の歓びと悲しみを表現したくて、勉強しました」
    “ヨネの(手紙の)言葉が、私の躯(からだ)に染み込んだ。
     まるで耳の中に入った水が、なかなか出て来ないように”
    「私は、独立しているわ」
    「何が幸せだったかなんて・・それが分かるのは、死ぬ時よ
    「もう決めたことなの」
    「せめて、この子にだけはサヨナラを」
    “私は、母の赦しを得るために人生を送る気はありません。
     子供のために生きてゆきます”
    「ヨネの作品がウケた理由? 編集者が優秀だったから?」
    「ホイットマンにもポォにも“徹夜で仕事を手伝う妻”はいなかったでしょうけど」
    「声なんか下げないわ! あなたのために黙るのなんてまっぴら!」
    “菊ヤ、ドウモ、有難ウガザイマシタ” ←日本語で
    “風が、またも私の運命を翻弄する。
     旅を続けよう・・「さすらい人」として”
    「分かってるわよ! このデブの・・」
    「医者でもない女が・・!」
    「妻の“大きくなったお腹”に気付かない夫なんて・・ヘンよねぇ?」
    “この子の美しいものを見る眼は、学校で1番です”
    「狂おしいほどの恋の病は“素晴らしい出来事”でもあるの」
    「恋の歓喜は“シャンパンの泡”のようなもの」

ヨネ「もう我慢出来ない!(I can't stand it anymore!)」
  「イサムは“勇敢な子”と言う意味だ」
  「君の寝顔は、見飽きない」
  「“魔力のある言葉”とでも、申せましょうかな」
  「私は日本人で、君は日本にいる。
   君1人で、日本の文化を変えられる訳がない」
  「どこまで堕ちる気だ? ・・まさか君が、そこまで“ふしだら”とは・・」

イサム「兵隊さんにはなりたくない。
    だって、兵隊さんは“死ななきゃならない”から」

教授「誰を(時代の)主流にするのかは、慎重に考えねば」

キク「ああっ! 奥様・・お靴・・!」

岩倉「(日本語を)ひと言も・・?」

仙田「英語を話すことの出来る人間は、まだひと握りです」
  「詩作も茶道も、人間のドラマの一部と言えましょう。
   重要なのは“表現の方法”です」
  「美しい物は、常に儚い
  「岡倉覚三曰く・・“均斉の崩れたものにこそ、価値がある”と。
   調和とは、調和なきものの集まりから生まれるのです
  「これからは・・残念だが“手紙の中”でしかお会い出来ない」

※岡倉覚三=岡倉天心。

セツ「主人との仕事には“2人だけに通じる言葉”や“2人だけの世界”がありました」

ウメ「この国の女子教育の確立には、まだ時間がかかるの。
   ここで1歩間違えると・・総てが水の泡になるわ」

ハル「“いびつな土地”だねぇ」

大工「学校に行かないんじゃ、一生お前は馬鹿のままだな」
  「日本人なら、それらしくしろ」

ヨネ「教師など・・作家の妻には相応しくない」
レオニー「奥様にそう言ったら?」

イサム「ウチは貧乏なの?」
レオニー「貧乏かって? ・・そうよ、でもイイの。
     見かけはどうあれ、大切なのは心よ

セツ「主人のラフカディオは、妻を大切にしない男が嫌いでした」
レオニー「私は、彼の妻ではありません」
セツ「・・・」

追記:年代的に、エドワード・ラムリー校長が“謎”に関わってる可能性はズバリ「ゼロ」と思い知った(⌒〜⌒ι) 演出&描写からして、1番濃厚なのは、やっぱし「お師匠様」だろうかな。後は大工の棟梁か、スタッダードのおっちゃんぐらいか(←ないやろ!)

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