2009年2月25日 (水)

☆『乱(1985)』☆

22日(日曜)の夜。
さる12月22日(月曜)の夜、衛星第2で放送された黒澤明監督の長編時代劇『乱』・・の後半1時間程度のみを録画しておいたものを観た。
何だかもう「録画してたこと」自体をすら半分がた忘れかけてたんだが・・(⌒〜⌒ι)ハードディスク容量を増やすために色々と知恵を絞る中で「さっさと観て、消そう」と考えたうちの1本である。

・・ってか、どんどん録り溜めたモノを観て減らせよ! と言うのが一番の解決法なのだけれど(・ω・)

「老けメイクのし過ぎ」ですっかり“おんじ状態”となった大殿(仲代達矢)が、ピーター演じるお小姓(?)と共に、どっかの城の石垣をバックにうだうだやってる一方、鮮やかに緑の広がる平原では、大規模な合戦が起ころうとしており・・

鮮やかなカラー映像、ワダエミによる“原色ベース”の甲冑群、約1分間もの長回し(!)で「河川(濁流)をイッキに渡り切る騎馬隊」がダイナミックに描かれる演出・・など、作品を構成する“1つ1つの要素”こそはかなり凄まじい訳だが・・それらを総じ「クロサワ作品」とし“厳しく眺めた”場合に、何とも言えぬ「吸引力の低さ」「冗長で、総花的ではあるも散漫な群像劇」ってなマイナスイメージがぐんぐんワタシの中で高まって行ったのだった(×_×)

“世界のクロサワ”による意欲作を鑑賞しながら他のことを考える、など大変に失礼なハナシなんだが・・思うには、
「突出したキャラクター=俳優の不在」が大きかったんじゃないかな? と勝手に決め打ってしまったワタシ。カメラが全般的に「俳優に余り寄って(迫って、懐に飛び込んで)いない」のも気になった。これにより、どうも映像が「客観的にただダラダラと続く」って印象を受けたのだ。
それはまるで・・クロサワ自身が、出演俳優らを評して“寄って撮るに価する者がいない!”と一刀両断にでもしたような・・そんな直感的な印象すら受けたモノだった。。

エキストラ、衣装、巨城の再現(建造)など・・ある意味において、かつての代表作『蜘蛛巣城(1957)』を資金的、物量的、映像的に完全に凌駕したかのようにも感じられる本作だが・・そのセンスと言おうか、完成度は『蜘蛛巣城』に全然及んでいないなぁ・・と少し切なくなってしまったワタシでもあった(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

小姓「畜生! 人は泣くだけ泣いて、死ぬんだ!」
  「人はいつも道に迷ってる」
  「人間、昔から同じ道ばかり歩いてる」

「しかしな、この陣構えは穏やかではない、1つ間違うと合戦になるぞ」

家臣「大将、出陣の際、女人に心を残すべからず」
  「今こそ正念場じゃ、デンと構えて、(敵勢に)乗ずる隙を与えてはなりませぬぞ」

若殿「国境を侵(おか)すならそれもよし!」
家臣「勇ましいお言葉じゃ、が、言葉だけでは戦には勝てませぬぞ」
若殿「いつも俺の弱気を詰(なじ)っていた貴様は何処へ行った?」

大殿「惨いことをするな! 何故わしを墓から引きずり出す?」

家臣「魂を呼び戻してはならん! この上まだ大殿を苦しませたいのか!」
  「言うな! 神や仏をののしるな! 神や仏は泣いているのだ、いつの世にも繰り返すこの人間の悪行、
   殺し合わねば生きてゆけぬこの人間の愚かさは・・神や仏にも救う術(すべ)はないのだ」
  「泣くな! これが人の世だ・・人間は幸せよりも悲しみを、安らぎよりも苦しみを追い求めているのだ」

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2009年2月14日 (土)

☆『羅生門/デジタル完全版(2008)』☆

14日(土曜)の午後。阪急・高槻駅界隈の商店街の中に位置するミニシアター『高槻ロコ9プラス』にて短期上映の始まったクロサワ作品『羅生門(1951)』のデジタル復刻版を観て来た☆
(本日が何と初日! ・・で27日まで)
そもそもは、先月上旬に新梅田シティ内のミニシアターにおいて、期間限定で公開されてたのを観逃し(連日、上映開始時間が早かったのれす・・)、悔やんでた矢先だったので、意外な近場(?)で観られることに喜んでしまったワタシ。

皆さん、そないには食指が動かぬのか、恐れてた“大混雑”とはほど遠い入り(=入場率)ではあった。ま、分かる人が観れば良いのでしょう(=^_^=)

芥川龍之介(not茶川)の小説『薮の中』『羅生門』を原作とした和製ミステリー。平安期の京都を舞台に、とある“事件”を巡って語られる「食い違う証言」を軸に、人間の抱える根源的な“自尊心”“虚栄心”“脆弱さ”“邪悪さ”などをあぶり出す。

上映時間=約90分、とその意外な短さにまず驚かされる。
最初に観た時は(確か学生時代だったろうか?)「内容って『薮の中』だけじゃん!」とストレートにツッコんでしまった覚えもあるが・・メインで描かれる“事件”を挟み込みつつ、前後を中心に『羅生門』をミックスさせた構成は、なかなかにしたたかながら自然で巧い!
半壊した「羅生門」の造型も素晴らしく、あの門が(今や)実存しない事実を知る我々としては「もはや映像遺産やん!」と評価せざるを得ない!

役者としては三船敏郎、京マチ子、森雅之、、志村喬、千秋実、加東大介、、とそうそうたる“クロサワ座俳優”の集結してた感(『七人の侍』も4人ほど入っておられますし(=^_^=))。

物語は、とある“事件”に関連する「樵(きこり:志村)」「盗賊・多襄丸(三船)」「武士の妻(京)」「武士自身(!)」の4人の口から“検非違使(けびいし:平安期における、京の治安維持を担った機関)の庭”にて語られるが、特に「武士自身」の語る“巫女”を介した証言に意外性があって面白い!
更にその後、“オフレコ扱い”でとある人物が“目撃した本当の顛末”を再び語ることとなる・・

“事件”そのものは「関山から山科へと向かう」森林の中で起こるので、ヴィジュアル的なインパクトにはかなり欠けるが、それを補うのが驟雨の降り続く、半分焼け落ちた「羅生門」の門の下である。この辺りのメリハリはイイ!

真相を巡って、観客自身が激しく揺さぶられる造りは、後年の『戦火の勇気(1996)』『ユージュアル・サスペクツ(1995)』にも影響を与えたっぽく思われ、終盤まで(現実世界で)ひたすらに雨の降り続く演出は『セヴン(1995)』を連想させてくれる。

正直、京マチ子さんの「スゴさ」が、中盤までは殆ど感じられなかったワタシだが(×_×)、後半に至って初めて「スゴいわ、こりゃ」と脱帽してしまった。例えるなら『情婦(1957)』におけるマレーネ・ディートリッヒさんみたいな感じか。

さて・・期待した「デジタル修復」に関してであるが「美麗!」と驚かされるのではなく「自然!」と言う静かな感動がまず前面に出たか。
特筆すべきは、登場人物の「肌に浮かんだ汗玉」や「薄ら脂がかった(額の)皮膚」などの鮮やかさの際立っていたことかな、と。また音響面でも(オリジナルに見受けられる)「ボソボソ感」の軽減が観られた。
(なお“キ※ガイ”と言うセリフもはっきり聞き取れました、、(⌒〜⌒ι))

事件そのものはまさしく“薮の中”なんだけど、その中でも「足跡」「遺体の発見場所」「傷口とその深さ」などを入念に調べたら・・ある程度は真実に近付けたような気はしたか。まぁ現場一帯は(事件)3日後の驟雨でかなり状況を変えられてしまってることでしょうが・・(×_×)

終盤で、いきなり“とある人物”が現れ、その人を巡る3者(樵、法師、下人)の善悪観が激突することとなるが・・それぞれの「憤り」や「諦観」なんかが、どれもグサリと観る者の心に刺さって来たりする。

最後の最後に雨が止み、そこに残された2人(?)の静かなやり取りが、(周囲が)静かであるが故に厳かで、清々しさをも感じさせてくれたのは良かった。

人が迷いつつも、何かを信じ行きてゆく・・それが叶ったからこそ、羅生門自体が朽ち果てても、日本人は戦乱の世&混沌の世を乗り越え、これまで生きながらえて来られたんじゃないかな?
・・などとお行儀の良いことを感じつつ、劇場を後にしたのだった・・

〜 こんなセリフもありました 〜

樵「分かんねぇ・・さっぱり分かんねぇ・・何が何だか分かんねぇ」
 「わしには、わし自身の心が分からねぇ」

法師「今日と言う今日は、人の心が信じられなくなりそうだ」
  「人間の命などは、朝露のようにはかないものです」
  「人間は・・弱いからこそ、嘘をつく」
  「人間がそんなに罪深いとは考えられない」
  「人が人を信じられなくなったら、この世は地獄だ!」
  「私は・・恥ずかしい事を言ってしまったようだな」

多襄丸「青葉を揺らす、あの風さえ吹かなければ・・あの男も殺されずに済んだものを」
   「出来れば“男を殺さずに女を奪おう”と思った」
   「これほど気性の激しい女は見たことがない」
   「この俺と20合も斬り結んだのは、天下にあの男だけだ」
   「未練がましく女を苛めるのは止せ」

武士の妻「2人の男に恥を見せるのは、死ぬより辛いわ」
    「何処へでも連れて行って下さい」 ←女の心変わりは恐ろしいのぉ、、
    「女の私に何が言えましょう」

下人「本当のことを言えねぇのが人間さ」
  「女って奴は、涙で自分自身すらも騙しちまうもんなのさ」
  「一体、正しい人間なんてものがいるのかい?」
  「この門に棲んでいた鬼さえ、人間の(やることの)恐ろしさに逃げ出したって話だぜ」
  「嘘だとことわって、嘘を言う奴はいないからな」
  「人の気持ちなんざ気にしてたら、キリがねぇや」

武士“これほど呪われた言葉が、かつて1度でも人間の口から出たことがあったろうか?”
  “その言葉だけでも、盗人の罪は赦されると思った”
  “何処かで誰かが泣いている・・”

※「今となってはこんな※より、あの葦毛(馬)を盗られる方が惜しい」
 「女は腰の太刀にかけて自分のものにするもんなんだ!」
 「何をする! この子の肌着まで剥ぐつもりか?!」

追記1:小説『羅生門』では「髪を盗む老婆」が“悪の象徴”とし登場したが、本作では「着物を盗む男」がその立場に置き換えられていた。
追記2:至近距離から顔に唾を吐きかけられるミフネさんにはびっくり(×_×)
追記3:「疑われること」に対する2通りの態度「嘘をつく」「黙り込む」がキャラにより明確に描き分けられていて面白い。「黙ってることは認めたってこと」とは、昔からワタシも家庭で(=^_^=)教えられたことだが(=^_^=) 今にして思えば「ちょっと違う」と考える。
澱みなく“反撃の言葉”を返して来る人間をこそ「おかしい」と批判したくなるこの頃だ。「黙する優しさ」や「黙する弱さ」はもっと評価されて良いと思う。

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2007年3月15日 (木)

☆『ローレライ(2004)』☆

映画鑑賞メモがすっかり溜まってるもんで、ちょいと古いけど、書いてみることに。ネタが傷んでるかなぁ・・(・ω・)
先月24日(土曜)に地上波初(か?)で放送されてた『ローレライ』を中盤以降で観た。
確か一般公開寸前、大規模な先行試写会で観た記憶がある。舞台上でナマ役所広司+ナマ妻夫木聡を(はるか遠くに)眺めたっけか(・ω・)

太平洋戦争末期(1945年)、大日本帝国は米国による“第3の特殊爆弾(=原子爆弾)”投下の危機にさらされていた・・そしてその標的こそは・・首都・東京・・! と言う壮大な“イフ(仮説)”を基に、国民を護るため、単身核攻撃阻止に向かう特殊潜水艦の奮闘を描いたSF海洋アクションである。
何と言うか、全体的に“大味(大ざっぱ)”感が強かったんだが、結構スクリーンで観てて「ええやんか!」と感心した本作。何と言っても「無骨で硬派な戦争モノ」と言うジャンル・・その中でも特に「ツウ好み」な“潜水艦”系(←とにかく「薄暗い艦底で漢(をとこ)共がひしめき合い息を潜むる」的な“男色的世界観”が濃厚だったりするし、何より潜水艦の形状そのものがある意味、男性器のメタファーに思えたりもする←おいっ!)に、何と何と「おたく美少女アニメ」のエッセンスをぶち込み、絶妙かつ見事に融合させているのだ! ロボットアニメ好きな貴兄(←って誰だよ!)であれば、きっと誰もが「やられたっ!」と心の中で叫ぶに違いないんじゃなかろうか。

戦時中、それも最前線の場にそないな美少女がいたんか? とか野郎集団の中に“紅一点”では危な過ぎるんではないか? とかリアルかつエロオヤジ的視点で冷静に見つめたら、クエスチョンも少なからず浮かぶんだが・・本作はエンタテインメントなので、そこを言うのは酷であろう。

何処となく『Uボート(1981)』の艦長役(ユルゲン・プロホノフ)を思わせる(意識した?)印象の役所さんをはじめ、ライカカメラを愛する軍医役の國村隼、『天空の城ラピュタ(1986)』における“クセ者キャラ”ムスカを映像化したような雰囲気の石黒賢、新境地なの?なピエール瀧、フレッシュな感じのアベック(←死語?)を演じた妻夫木&香椎由宇など、ポイントポイントに良い俳優を配している。
片や“ちとやり過ぎ”だったのは堤真一、伊武雅刀、鶴見辰吾、柳葉敏郎の各氏か。賑やかなのはイイが、役名より俳優名の方のみが印象に残る感じで勿体ない起用に思えた(多分、それぞれの役の厚み(の持たせ方)が足りなかったんかもな、と)。

今回はこんなトコロが気になってしまった。
○側近の青年兵に「後で会おう」と言って別れる浅倉大佐(堤)・・これってやはり「信長−蘭丸」系の“超友情”か・・?
○東京が標的とすれば、あの場でピストルを使ったりせず、首都の行く末を見届けた方が良かったのではないか、浅倉大佐。
○映像が鮮やか過ぎるのが、逆に作品世界(のリアルさ)を損なってるんかも・・と思えたり(ま、ワタシが観たのは(TVの老朽化に起因する)緑のモノクロ画面だったが)
○ラストが蛇足なんじゃ! と突っ込んだオリジナル版。今回(TV放送版)はすっぱりカットしてくれて、それで印象が良くなった☆ ま、そのため、上川隆也が登場しなくなった訳だが・・別に構わんでしょう(=^_^=)

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2006年10月15日 (日)

☆『ラーゼフォン多元変奏曲(2003)』☆

15日(日曜)・・と言うか、厳密に言えば14日(土曜)から日付が15日に変わってすぐの真夜中(1:10-3:10)に衛星第2で放送された劇場用長編アニメーション『ラーゼフォン多元変奏曲』を観た。何の予備知識もなかったので、まず第一にアニメーションであることからして意外な気がしたり(・ω・) 音楽ネタの恋愛映画(或いはその両者をキーワードに含んだ学園モノ)と勝手に想像してたもので。
内容は東京とその周辺知識を舞台に、特殊な能力を有する少年が、世界の危機を侵略者から救うために戦う・・みたいなかなり「王道的」かつ荒唐無稽な感じのもの(まぁ“荒唐無稽”がアニメーションの最大の醍醐味とも言えるのだが)。
物語世界がまず2012年のトーキョーから始まり、登場する主な地名も「吉祥寺サンロード商店街」「本郷通り」「三浦半島」などと、関西人からすれば、何とも実感に乏しい響きだったり(・ω・)
いきなり上空から侵略者(インベーダー)が攻めて来るわ、首都以外みんな沈没(消失?)するわ、何らかのスイッチが入る(?)と人間の血液が青く変わるわ、妙な造形の巨大ロボットが登場するわ・・開始後10分ぐらいで早くもストーリーに置いてけぼりを食らってしまった(×_×)←メモ取ってないし
総監督が“かの”出渕裕氏とのことで、もそっとメカデザインの部分ですごいことをやってくれるかなーと思ってたら、どうやら同氏は今回、原作&脚本に関わっている程度のようだ(総括はしてる筈だが)。そんな訳で、あんまり大した意匠のメカは登場してなかったように感じた(あくまで私見)。
にしても、どうにも酷似して思えたのが『新世紀エヴァンゲリオン(TV版:1995-1996)』や『雲の向こう、約束の場所(2004)』などにも散見されたような設定の幾つか。特に前者に強く感じたような「良く分かんない設定を“作り手側の力押し”で進めて行く」みたいなある種の「エゴイズム」が加速してたような(・ω・)
それと前半。主人公の目の前で軍事車両が敵の攻撃を受け(被弾し)爆発、爆風で飛ばされた主人公が直後、そちらの方向を振り返って愕然とするシーンが『機動戦士ガンダム(TV版:1979-1980)』の第1話と一緒やんか! と突っ込めて面白かった(←面白がってるシーンではないが)。
そこで主人公が「し、死んだ・・」とか呟いて、極秘資料だか何かのマニュアルだかが爆風で飛び転がって来たら、もっと露骨に仕上がっててニヤリとさせてくれたかも☆(←いや、☆じゃないってば)

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