☆『善き人(2007)』☆
多忙を理由に、本日に至っての記事アップとなってしまいました(×_×)
更新を楽しみにされている訪問者の皆様(←余りいないと思うが)には、色々とご心配をお掛けし、申し訳ありません。
・・
14日(月曜)から始まったこの週、久しぶりに商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”に行き、上映されてたドラマ系の作品『善き人』を観て来た。
作品自体は2007年の制作。主演=ヴィゴ・モーテンセンと言えば、その後『ザ・ロード(2009)』など数本の作品に出演しているが、本作に関しては「今年になってのようやくの日本公開」が決まったようだ。何か経緯(事情)があっての事だったんやろか?
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1937年4月、ベルリンの総統官邸。
大学でプルースト論等を講義する文学教授=ジョン・ハルダー(ヴィゴ)は、突然「帝国委員会」に召喚され、戸惑いつつもそれに従う。
彼を迎えたのは「出版物の検閲」を一任された親衛隊将校=ボウラー(マーク・ストロング)だった。
彼はジョンに「我が総統が、君に関心を寄せている」と伝える。数年前に執筆・出版した小説が総統に感銘を与えたと言うのだ。
実はかねてから、義父=テオドールより“ナチスへの入党”を勧められていたジョン。
最初こそ、病身の母の介護などを理由に言葉を濁し続けて来た彼だが「入党か? さもなくば失業か?」を迫られる事態ともなり、遂にナチ党(=国家社会主義ドイツ労働者党)に身を置く決断をする。
たちまち「自作(小説)の映画化」「親衛隊大尉への昇格」などを目まぐるしく体験するジョンだが・・それと時を同じくして、築き上げて来た“家族との絆”や“親友との関係”には、大きな亀裂が入ってゆくのだった・・
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久々に、シアター内に(ワタシを含め)観客が2名・・と言う嘆かわしき事態に遭遇した(×_×) まぁでも、この手のドラマ作品だから、静かに鑑賞出来て良かったんだけれども(・ω・)
原題『GOOD(善きもの)』を忠実(かつ巧妙)に和訳したタイトルには好感も持てたが・・観てて「『善き人』と言うより『弱き人』って感じやね」とも突っ込めた。まぁそう評してるワタシ自身も、間違いなく“弱き人”の1人なんだけど(×_×)
ナチスへの入党を余儀なくされ、将校にまつりあげられてゆく“善き教師”かつ“善き息子”かつ“善き夫”かつ“善き父親”かつ“善き市民”・・である主人公の姿に焦点を絞り、淡々と物語は描かれるんだが・・中でも“親友”であるユダヤ人の精神分析医=モーリス・グリュックシュタイン(ジェイソン・アイザックス)との関係の変化は、本作に於いて“最も訴えたかったであろう事”を巧妙に表現し得る演出であり、奏功もしていたと思う。
ワイルド&豪快なイメージ(その“割れ顎”故にか(=^_^=))のヴィゴも、ホンマに芸達者と言おうか・・「善き」かつ「弱き」ヒーロー像を等身大で易々と(?)演じてて感心させられた。
弱き一方で、若き恋人=アン・ハートマンと迎えた朝なんかには、妙な“多幸感”を全身から匂い立たせてて、その点もセクシィで良い!(=^_^=) 何処までもついて行きたくなる“兄貴ぶり”である(=^_^=)
基本=悪党顔(ファンのしと、スミマセン!)なジェイソンが、常に饒舌で、常に自国に対する不満を顔面狭しと溜め込んでるキャラを好演してくれるんだが・・その高め方ゆえに、後半〜終盤に至るモーリスの“憔悴ぶり”“寡黙ぶり”が際立って来るのだ。
全体の流れとしては断片的に過ぎ、病床の母の絡み方などにやや「仕上がりの甘さ」を感じたりもしたが、当時の収容所の“塀の中の実態(←無論、演出はあるワケだろうけど)”を知っておく上でも、観て損のない作品だと思う。
〜 こんなトコも 〜
・第1次世界大戦に於いて、後の総統閣下=アドルフ・ヒトラー(notヒンケル)は“一介の伝令兵(階級は伍長)”に過ぎなかった。
・ヒムラー長官は「見た目は銀行員」と評されてた。
・大きく張り出されたナチの党旗に書かれた文字「Deutschland Erwache」は「ドイツよ、目覚めよ」って意味らしい。
・1938年10月以降、法律により「45歳以下のアーリア人は雇えない」と決められる事態に。
・劇中に登場する“エプスタインの高級チーズケーキ”は、実在した商品なんやろか?
・「ドイツ出国時は、10マルクしか持ち出してはならない」って規則が制定されてたと言う(×_×)
・「タイミングを逃したり、介在する人間を間違えたりすれば、折角の“(命がけの)善行”も全くの徒労にしかならない」ってのが、本作の教訓やろか(・ω・)
・パリの(ドイツ)大使館に勤務する書記官=エルンスト・フォム・ラートが(ユダヤ系ポーランド人の青年に)銃撃されたのは1939年11月7日。その後、9日に死去。この暗殺事件を機に、ドイツ国内で「反ユダヤ主義暴動=『水晶の夜』事件」の起こる事態に。
・ウィキによると、フォム・ラートは“ナチ党員ながら反ナチの人物”だったと記載されており、その死が巧妙にナチスに利用されたとも言えそうだ(・ω・)
・「ユダヤ人の再移住計画」と言えばマシな聞こえだが、要は「収容所に送る」って事らしい(×_×)
・“あのしと”の裏切りに至る演出(描き方)はやや甘かった。
・3万人を収容する「シンジア収容所」では「10人中9人が到着時に処分され、残った者も2ヵ月といない」との事だ(×_×)
・収容所内で「壁にもたれ、沈黙する囚人」「バタバタと倒れ行く囚人」の演出は、これまでに観て来た(同種の)どの作品よりもインパクトがあった!
・「その場にいる人々が歌い出す」なる妄想(『ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)』の主人公=セルマ系)にたびたび翻弄されるジョン。
・それを何度も描写するが故に、終盤のシーンの衝撃が際立つワケである。
・その教訓は「妄想よりも現実こそが恐ろしい」って事やろか。
・収容所のシーンで半ば唐突に「幕」となる本作。その後の説明字幕が欲しかったようにも・・ いや、単なる蛇足やろか(・ω・)
・モーリスの上着の番号ぐらいには、視線を走らせとくべきだった・・
~ こんなセリフも ~
ジョン「プルーストは“記憶は音でよみがえる”と」
「“窓の外”が気になるなら、観に行けばいい。
今日の講義は終わりだよ」
「僕は“古い人間”だ」
「書物の山など、人生には不要なのかも・・」
「人は悩みを抱えるものさ」
「新作を出版して収入を得たら、メイドを雇うよ。
そして、この部屋を片付けさせる」
「パレード? あんなものは観るに堪えない」
「彼女はアンだ。名前で呼んでくれ。
それにもう“教え子”じゃない」
「ゲシュタポに言った事は、総て“記録に残る”のさ」
モーリス「1月以降、この国は“変人”に乗っ取られたのさ」
「医者だって、患者に手を出すぞ」
「改宗したってマーラーはユダヤ人なのさ」
「じきに失脚するさ・・“総統”は」
「で、“信念”は見つかったのか?」
「勃たなかったのか? 酒を呑んだからだな」
「何故、急に“刹那主義”になったんだ?」
「俺に(だけ)はちゃんと話せ」
「“私腹を肥やす”ためなら、まだ納得も出来るが、
まさか、連中に“なびいた”とはな」
「おっと、お前も今や“ナチ野郎”だったな?」
「お前にしか頼めないんだ」
「お前の“理屈”には、もううんざりだ」
「俺にもまだプライドは残っている。
この金は受け取ってくれ」
「自殺未遂? ・・どうせ本気じゃないさ」
「もういい。俺はユダヤ人、お前は親衛隊。それだけだ」
ボウラー「総統が君に関心をみせている」
「君の小説は、結末が革新的だ」
「君の主張を受け容れよう」
「総統は“この国の再建”を目指している」
「道徳的な理由こそが“恩寵の死”を認める」
「ゲッベルス大臣も、君の小説に関心を示している。
“映画化には良い題材”だそうだ」
フレディ「党は“有能な人材”を欲している」
「次世代の育成を君に任せたい」
「君の精神は我々と共に!」
「古臭い考えなど、無視し給え」
「ヒムラー長官曰く“女遊びも義務だ”
“沢山の子宝を作り、総統に尽くせ”との事だ」
「“国外逃亡のジョーク”のつもりなら、止めておけ」
テオドール「もう(ナチ党に対し)無関心ではいられないぞ」
「入党か・・さもなくば失業だ」
「国家社会主義者としての責任を盾に、
“夫としての責任”を放棄するな」
ゲッベルス「君の作品にはメッセージがある」
「君の才能を世間に広めようではないか」
アン「好きな対象も“理論”になると冷めてしまうのです」
「“国民を幸せにする”パレードの何処が悪いの?」
「エネルギーを感じて」
「古い総てを棄ててこそ、新たなスタートが切れるの」
「今の自分を見て。鏡で」
ヘレン「父の言葉は、あなたに“反対の行動”をさせるためよ」
「あなたはいつも正しいわ」
ヘレン「突然、あなたに対する愛が目覚めたの」
ジョン「愛とはそう言うものさ」
ジョン「僕は家族を裏切った」
ヘレン「いいえ、あなたは家族の“誇り”よ」
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