2012年5月20日 (日)

☆『善き人(2007)』☆

多忙を理由に、本日に至っての記事アップとなってしまいました(×_×)
更新を楽しみにされている訪問者の皆様(←余りいないと思うが)には、色々とご心配をお掛けし、申し訳ありません。

・・

14日(月曜)から始まったこの週、久しぶりに商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”に行き、上映されてたドラマ系の作品『善き人』を観て来た。

作品自体は2007年の制作。主演=ヴィゴ・モーテンセンと言えば、その後『ザ・ロード(2009)』など数本の作品に出演しているが、本作に関しては「今年になってのようやくの日本公開」が決まったようだ。何か経緯(事情)があっての事だったんやろか?

1937年4月、ベルリンの総統官邸。

大学でプルースト論等を講義する文学教授=ジョン・ハルダー(ヴィゴ)は、突然「帝国委員会」に召喚され、戸惑いつつもそれに従う。
彼を迎えたのは「出版物の検閲」を一任された親衛隊将校=ボウラー(マーク・ストロング)だった。

彼はジョンに「我が総統が、君に関心を寄せている」と伝える。数年前に執筆・出版した小説が総統に感銘を与えたと言うのだ。

実はかねてから、義父=テオドールより“ナチスへの入党”を勧められていたジョン。
最初こそ、病身の母の介護などを理由に言葉を濁し続けて来た彼だが「入党か? さもなくば失業か?」を迫られる事態ともなり、遂にナチ党(=国家社会主義ドイツ労働者党)に身を置く決断をする。

たちまち「自作(小説)の映画化」「親衛隊大尉への昇格」などを目まぐるしく体験するジョンだが・・それと時を同じくして、築き上げて来た“家族との絆”や“親友との関係”には、大きな亀裂が入ってゆくのだった・・

久々に、シアター内に(ワタシを含め)観客が2名・・と言う嘆かわしき事態に遭遇した(×_×) まぁでも、この手のドラマ作品だから、静かに鑑賞出来て良かったんだけれども(・ω・)

原題『GOOD(善きもの)』を忠実(かつ巧妙)に和訳したタイトルには好感も持てたが・・観てて「『善き人』と言うより『弱き人』って感じやね」とも突っ込めた。まぁそう評してるワタシ自身も、間違いなく“弱き人”の1人なんだけど(×_×)

ナチスへの入党を余儀なくされ、将校にまつりあげられてゆく“善き教師”かつ“善き息子”かつ“善き夫”かつ“善き父親”かつ“善き市民”・・である主人公の姿に焦点を絞り、淡々と物語は描かれるんだが・・中でも“親友”であるユダヤ人の精神分析医=モーリス・グリュックシュタイン(ジェイソン・アイザックス)との関係の変化は、本作に於いて“最も訴えたかったであろう事”を巧妙に表現し得る演出であり、奏功もしていたと思う。

ワイルド&豪快なイメージ(その“割れ顎”故にか(=^_^=))のヴィゴも、ホンマに芸達者と言おうか・・「善き」かつ「弱き」ヒーロー像を等身大で易々と(?)演じてて感心させられた。

弱き一方で、若き恋人=アン・ハートマンと迎えた朝なんかには、妙な“多幸感”を全身から匂い立たせてて、その点もセクシィで良い!(=^_^=) 何処までもついて行きたくなる“兄貴ぶり”である(=^_^=)

基本=悪党顔(ファンのしと、スミマセン!)なジェイソンが、常に饒舌で、常に自国に対する不満を顔面狭しと溜め込んでるキャラを好演してくれるんだが・・その高め方ゆえに、後半〜終盤に至るモーリスの“憔悴ぶり”“寡黙ぶり”が際立って来るのだ。

全体の流れとしては断片的に過ぎ、病床の母の絡み方などにやや「仕上がりの甘さ」を感じたりもしたが、当時の収容所の“塀の中の実態(←無論、演出はあるワケだろうけど)”を知っておく上でも、観て損のない作品だと思う。

〜 こんなトコも 〜

・第1次世界大戦に於いて、後の総統閣下=アドルフ・ヒトラー(notヒンケル)は“一介の伝令兵(階級は伍長)”に過ぎなかった。
・ヒムラー長官は「見た目は銀行員」と評されてた。
・大きく張り出されたナチの党旗に書かれた文字「Deutschland Erwache」は「ドイツよ、目覚めよ」って意味らしい。
・1938年10月以降、法律により「45歳以下のアーリア人は雇えない」と決められる事態に。
・劇中に登場する“エプスタインの高級チーズケーキ”は、実在した商品なんやろか?
・「ドイツ出国時は、10マルクしか持ち出してはならない」って規則が制定されてたと言う(×_×)
・「タイミングを逃したり、介在する人間を間違えたりすれば、折角の“(命がけの)善行”も全くの徒労にしかならない」ってのが、本作の教訓やろか(・ω・)
・パリの(ドイツ)大使館に勤務する書記官=エルンスト・フォム・ラートが(ユダヤ系ポーランド人の青年に)銃撃されたのは1939年11月7日。その後、9日に死去。この暗殺事件を機に、ドイツ国内で「反ユダヤ主義暴動=『水晶の夜』事件」の起こる事態に。
・ウィキによると、フォム・ラートは“ナチ党員ながら反ナチの人物”だったと記載されており、その死が巧妙にナチスに利用されたとも言えそうだ(・ω・)
・「ユダヤ人の再移住計画」と言えばマシな聞こえだが、要は「収容所に送る」って事らしい(×_×)
・“あのしと”の裏切りに至る演出(描き方)はやや甘かった。
・3万人を収容する「シンジア収容所」では「10人中9人が到着時に処分され、残った者も2ヵ月といない」との事だ(×_×)
・収容所内で「壁にもたれ、沈黙する囚人」「バタバタと倒れ行く囚人」の演出は、これまでに観て来た(同種の)どの作品よりもインパクトがあった!
・「その場にいる人々が歌い出す」なる妄想(『ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)』の主人公=セルマ系)にたびたび翻弄されるジョン。
・それを何度も描写するが故に、終盤のシーンの衝撃が際立つワケである。
・その教訓は「妄想よりも現実こそが恐ろしい」って事やろか。
・収容所のシーンで半ば唐突に「幕」となる本作。その後の説明字幕が欲しかったようにも・・ いや、単なる蛇足やろか(・ω・)
・モーリスの上着の番号ぐらいには、視線を走らせとくべきだった・・

~ こんなセリフも ~

ジョン「プルーストは“記憶は音でよみがえる”と」
   「“窓の外”が気になるなら、観に行けばいい。
    今日の講義は終わりだよ」
   「僕は“古い人間”だ」
   「書物の山など、人生には不要なのかも・・」
   「人は悩みを抱えるものさ」
   「新作を出版して収入を得たら、メイドを雇うよ。
    そして、この部屋を片付けさせる」
   「パレード? あんなものは観るに堪えない」
   「彼女はアンだ。名前で呼んでくれ。
    それにもう“教え子”じゃない」
   「ゲシュタポに言った事は、総て“記録に残る”のさ」

モーリス「1月以降、この国は“変人”に乗っ取られたのさ」
    「医者だって、患者に手を出すぞ」
    「改宗したってマーラーはユダヤ人なのさ」
    「じきに失脚するさ・・“総統”は」
    「で、“信念”は見つかったのか?」
    「勃たなかったのか? 酒を呑んだからだな」
    「何故、急に“刹那主義”になったんだ?」
    「俺に(だけ)はちゃんと話せ」
    「“私腹を肥やす”ためなら、まだ納得も出来るが、
     まさか、連中に“なびいた”とはな」
    「おっと、お前も今や“ナチ野郎”だったな?」
    「お前にしか頼めないんだ」
    「お前の“理屈”には、もううんざりだ」
    「俺にもまだプライドは残っている。
     この金は受け取ってくれ」
    「自殺未遂? ・・どうせ本気じゃないさ」
    「もういい。俺はユダヤ人、お前は親衛隊。それだけだ」

ボウラー「総統が君に関心をみせている」
    「君の小説は、結末が革新的だ」
    「君の主張を受け容れよう」
    「総統は“この国の再建”を目指している」
    「道徳的な理由こそが“恩寵の死”を認める」
    「ゲッベルス大臣も、君の小説に関心を示している。
     “映画化には良い題材”だそうだ」

フレディ「党は“有能な人材”を欲している」
    「次世代の育成を君に任せたい」
    「君の精神は我々と共に!」
    「古臭い考えなど、無視し給え」
    「ヒムラー長官曰く“女遊びも義務だ”
     “沢山の子宝を作り、総統に尽くせ”との事だ」
    「“国外逃亡のジョーク”のつもりなら、止めておけ」

テオドール「もう(ナチ党に対し)無関心ではいられないぞ」
     「入党か・・さもなくば失業だ」
     「国家社会主義者としての責任を盾に、
      “夫としての責任”を放棄するな」

ゲッベルス「君の作品にはメッセージがある」
     「君の才能を世間に広めようではないか」

アン「好きな対象も“理論”になると冷めてしまうのです」
  「“国民を幸せにする”パレードの何処が悪いの?」
  「エネルギーを感じて」
  「古い総てを棄ててこそ、新たなスタートが切れるの」
  「今の自分を見て。鏡で」

ヘレン「父の言葉は、あなたに“反対の行動”をさせるためよ」
   「あなたはいつも正しいわ」

ヘレン「突然、あなたに対する愛が目覚めたの」
ジョン「愛とはそう言うものさ」

ジョン「僕は家族を裏切った」
ヘレン「いいえ、あなたは家族の“誇り”よ」

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2011年4月 9日 (土)

☆『善き人のためのソナタ(2006)』☆

2月末頃“衛星第2”で放送されたモノを観た際、メモを遺しといた・・のが見つかったので、簡単にまとめときたい。

・・・

28日(月曜)の深夜、既に日付は火曜日となっていたが“衛星第2”で放送された『善き人のためのソナタ』を観た。
かなり以前の放送で、中盤まで観た覚えはあったが、今回は“通し”で鑑賞。

“冷戦時代”の東ドイツを舞台に、ある劇作家と、彼を徹底的に監視・盗聴する諜報将校との“奇妙なカタチの交流”を描く。

1984年の秋。「泣く子も黙る」シュタージ(国家保安省)の将校=ヴィースラー大尉は、上官の命で“反体制思想”の疑われる劇作家=ドライマンの監視・盗聴を担当することとなる。

しかし、彼や、彼と同棲する美人女優=クリスタ・マリア・ジーラント(=CMS)(マルティナ・ゲデック)の言動、思想に“いびつなカタチ”で触れ続けることで、次第にヴィースラーの心に“迷い”が生じ始める・・

一方でCMSの心にも、抑圧された生活の中で“人気女優として生き残って行くため、現体制(=社会主義)に屈すべきか否か”と言う“(ヴィースラーとは正反対の)迷い”が生じ始めるのだった・・

イイじゃないですか!!

静かな中に、緊迫感が漂ってて、サスペンスフルで、何処か背徳な感じで、ちょっぴりエロティックで・・それでいて上質で、独自の世界観を描き切っている!

監督さんは、後に『ツーリスト(2010)』を手がけることとなるフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクなのであるが、本作の完成度に比べれば『ツーリスト』なんざ「資本主義に毒されただけの、ただの凡作」にすら思えて来る(=^_^=)

本作は『第79回アカデミー賞・外国映画賞』に輝いたそうだが、それも納得の1本だった。

今更ながら「観る事が叶い、嬉しい!」と思えた。素直に。

〜 こんなトコも 〜

・ヴィースラーとコンビを組む監視局員が、何となくオリヴァー・プラットに見えてしまった。
・タイプライターで打たれた、無機質なハズの“2人はその後、激しい性交を行う”ってな報告文が、妙に艶かしくワタシの心に響くのは、何故なのだらう(⌒〜⌒ι)
・テイストが、かの『リベリオン(2002)』にも似てたり(=^_^=)
・盗聴・監視してる“体制側の者”が、人間とし目覚めてく・・ってトコは『笑の大学(2004)』を連想させてもくれる。

〜 こんなセリフも 〜

ヴィースラー「本当に無実なら、怒り出す筈だ。
       だが、そうでなければ・・黙り込むか、泣き出す」
      「真実を話す者は、自由に(それを)表現する」

グルビッツ「私なら、彼を監視するだろうな」
     「無能な人間ならば、彼の本質を見抜けまい」
     「お前の所属と階級を訊いておこう」

局員「(性交の)真っ最中ですか? 芸術家は年中こうだ。
   監視のし甲斐がありますな」
  「せっせと(性交を)やってますかね?」
  「ネクタイなど、ブルジョアの象徴だ」

ドライマン「今迄に恐れたのは、孤独と執筆の禁止だ」

イェルスカ「来世では、執筆を禁じられぬ幸せな作家になるとするよ」

ヴィースラー「あなたの魅力は“あなたらしさ”です」
CMS「それも“演技”かもよ?」
ヴィースラー「当時はもっと・・今よりもあなたらしかった」
CMS「・・私が分かるの?」
ヴィースラー「・・ファンですから」

ヴィースラー「今、自分を偽りましたね?
       “自分を売らず”とも、あなたには芸術がある、違いますか?」
CMS「・・あなたは善人なのね」

当時の東独の笑い話“太陽は、夜はホーネッカー書記長の挨拶に応えなかった。
          何故ならば・・“西側”にいたからだ”

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2010年5月19日 (水)

☆『許されざる者(1992)』☆

17日(月曜)の夜、衛星第2で放送された『許されざる者』を久しぶりに観た!

ナニやら今週は・・“御大”ことクリント・イーストウッド(監督)特集が更にヒートアップして来てる! 勢い付いて、そのまま『チェンジリング(2008)』『グラン・トリノ(2008)』の放送に傾れ込んでくれたら嬉しいンだけど(=^_^=)>

本作は、クリントが“師匠”とし敬愛してやまぬ2人の監督・・ドン・シーゲル&セルジオ・レオーネに捧げた“最期の西部劇”とされている。・・因みに、オードリー・ヘップバーンさんは出演してますぇん。。

往年の“御大”の暴れっぷりを期待して観始めると、、後半までのその「枯れっぷり」に悲しくもなるんだが(・ω・) 最期の最期で怒りが(静かに)大爆発するトコロはなかなか圧巻である。その割に、終盤の映像そのものは「深夜&降雨」と“この上なく地味”なシチュエーションなんだが・・

“御大”の呼びかけに応えたか(?) ジーン・ハックマン&モーガン・フリーマン&リチャード・ハリスと言う3名優の集まったのはスゴい!
もっと欲張って“かつての悪党仲間役”でトミー・リー・ジョーンズ&ドナルド・サザーランド&ジェームズ・ガーナーまでもが集まったら、更に賑やかで散漫に仕上がって面白かったような気もするが(=^_^=) ←そのままラストは宇宙に舞台を移したりして、、(んなアホな)

かつての“泣く子も殺す大悪党”ウィリアム・マニー(クリント)が“生活苦”・・ただそれ故に“悪道”に戻り始める展開は、単純な「図」ながら悲しい。
彼は生前の妻=クローディアとの約束(があったと思われる)で“もう決して銃は手にしない”みたいな誓いを立ててたようだが、色んな事情から天に「鬼に戻れ」と命じられたような、そんな悲しさも作品の底に流れていたようにも感じた。

一方“エスカレートし過ぎた善の権化”って存在感を持つ保安官=リトル・ビル・ダゲット(ハックマン)は、何処か『ランボー(1982)』における悪徳保安官(ブライアン・デネヒー演じる)を彷彿とさせるキャラ造型にも見えた。

今回「知ってる俳優名の幅が広がってた」が故に驚いたのはリチャード・ハリスの助演。イギリスからやって来た“イングリッシュ・ボブ”って名のガンマン(賞金稼ぎ)を演じてるんだが、全くもって“肩すかし”なのだ。。
この辺の(彼と)ハックマンとの顛末は、何処となく『クイック&デッド(1995)』におけるハックマンvsランス・ヘンリクセンを思い出してしまい、ちと苦笑してしまったワタシ(=^_^=)

本作はまた“クリント式西部劇の集大成であり幕引き”とも受け取れるが、ウィキによれば「制作期間:わずか39日」と言うことで、その点にも驚かされる!

また「娼婦が牧童に暴行される」ってのが物語の導入部とし描かれるんだが、ウワサが勝手にその尾ひれを大きくして行き・・「顔を切られた」ってことだけが事実なのに「顔を切り刻み、目玉をえぐり出し、乳首も切り取った」「性器以外は総て切り刻んだ」などと、どんどん猟奇レベルのアップして行くのが「昔も今も変わらんなぁ」と“ウワサの恐ろしさ”を感じさせたものだ。

〜 その他 〜

♦クリント主演作の“ある意味お約束”とも言うべき「主人公がボコられる」って演出もやっぱりあった。
♦上映時間=約2時間15分と長いが、それほど展開のもたついてないのは流石である。
♦近年のクリント監督作に比べ「さほど説教っぽくもなく観易い」のも有難くはある。
♦終盤の雨降りは『セヴン(1995)』や『野良犬(1949)』を思わせる。意図的な演出だろうか? だろうな!

〜 こんなセリフもありました 〜

マニー「俺は昔とは違う・・女房のおかげで立ち直れたんだ」
   「汚い言葉はよせ」
   「2週間で戻る」
   「人を殺すのは・・11年ぶりだな」
   「ベッドに慣れたから、こいつ(野宿)は辛い」
   「昔の俺を知ってる人間には、嫌われて当然だろうな・・今じゃ心を入れ替えたってのに」
   「若い頃は“酒の勢い”だけで人を撃った・・そこに殺す理由なんかなかった」
   「誰にも言わないでくれ・・昔の俺のことは」
   「誤解するな・・君の顔の傷がイヤだからじゃない。君は美しい。
    もし誰かを“抱く”のなら、俺は他の女じゃなく君がいい・・でもムリだ」
   「人を殺した時“怖かったか”って? 覚えちゃいないさ・・いつも酔ってたからな」
   「人は皆、罪深い」
   「動くものは何であれ、容赦なく命を奪って来た」
   「人を殺す時は、いつもツイてる」 ←キ※ラハン刑事入ってません?(=^_^=)
   「これが貴様の運命だ」

ネッド「(殺しが)簡単だと? 血気盛んだった昔だって、決して簡単じゃなかったろ?」
   「今も“飛んでる鳥の眼”を撃ち抜いて見せるぜ」
   「お前の銃、銃身が曲がってるんじゃないか? でなけりゃ外れ過ぎだ」

ダゲット「血は十分見たろ?」
    「隠し持ってる“32口径”も寄越して貰おう」
    「これは蹴ってるんじゃねぇぞ・・伝えてるんだ」
    「重要なのは、(銃を抜いて構える)速さよりも冷静さだ」
    「撃ち返して来るヤツを殺すのは大変だ」
    「腰抜けはウンザリだ。むろん殺し屋もだが」

ボブ「この国じゃ、この20年で2人の大統領が暗殺されてる。“要人を撃つ”など非文明人の発想だよ」
  「実は1丁持ってるが・・気にはならんだろ?」

キッド「銃も金もあんたにやる。もう2度と人は殺さない。今は命が惜しい」

アリス「例え男に“乗られ”ても、あたしたちは馬じゃない」
   「町から出てけ! “施し”なんかごめんだよ!」

保安官助手「撃たれるなら、寒いより暑い方がいい。寒いと痛みが増すからな」
     「“他人が装填した銃”なんか、信用出来るかよ」

キッド「何てこった・・ヤツは2度と息をしない・・もう生きちゃいないんだ。
    この俺が引き金を引いただけで」
マニー「殺しはとてつもなく重い。相手の過去も未来も奪っちまう」

ネッド「町へ行くのか? 女を買いに」
マニー「今じゃもう、金で買える女にしか相手にされないだろうが・・金で買うのは良くない」
ネッド「ではどうしてる? 手で“する”のか?」
マニー「・・そんな気にもなれないさ」

ネッド「夕べは女房が恋しかったが、今夜はベッドが恋しい」
マニー「明日は屋根が恋しくなるぞ」

ネッド「目的の2人を首尾良く殺せるのか?」
マニー「この雨で死ななけりゃな」

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2008年12月15日 (月)

☆『ユナイテッド93(2006)』☆

※古いレビューとなります。ご容赦下さい。

さる11月20日(木曜)の夜。
「木曜洋画劇場40周年記念」の一環として“地上波初放送”された『ユナイテッド93』を観た。
公開当時に劇場で鑑賞した本作。予想していた以上に“エンタテインメント性”が削ぎ落とされており、臨場感溢れるカメラワークの効果も相まって、作品世界に引き込まれ・・「辛い」「悲しい」より先に「悔しい」「ただ悔しい」と強く感じたものだった。

※当時のレビューは以下のリンク先にて一読頂ければ幸いです(06年9月17日(日曜)の記事)。

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/16/index.html

今回の「吹替えによる放送」では、特にテロリスト側、乗客側ともに(確か)一度は口にした言葉「何を待っている?」が印象深かった。

また、作品が迎える悲劇の結末を知っているが故に・・
・同僚に「ご苦労さま、また後でね」と声を掛ける客室乗務員(CA)の女性。
・離陸直前、ぎりぎり搭乗に間に合った男。 ←『タイタニック(1997)』のジャックと同じ描かれ方、、
・出張を終え、帰宅すべく同機に乗った男。
などの言動は、心にこたえるモノがあった。

お互いに、常日頃から乗務に心身を削らせてるのか、ふと交わされたCAたちのセリフ、
「今日もラクな仕事になりそうで良かった」
「今日はラクよね、お客が少なくて」
もまた、耳に残ってしまう。

テロリストたちがいよいよ動き出すと、乗客間では様々な危機的情報が飛び交い始める。この辺りからの緊迫感と言おうか、機内に充満し始める“合衆国の終焉のイメージ”みたいなモノの漂い方がスゴい。映像的に大したテクニックは使っていない筈なのに“絶望”が作品世界を覆っているのだ。

間もなく乗客に「(通常の)身代金目的のハイジャックでは済まないこと」の伝わった瞬間、彼らの絶望感はピークに達する・・

「木曜洋画劇場」でお茶の間にサラッと流して良いタイプの作品だったのか? ワタシの心の何処かに引っかかるものはあったんだが“エンタテインメント作品”と表面上を取り繕ってでも「伝える」べき作品ではあるのだろう。

そして本作は、同機の墜落現場(ペンシルヴァニア州シャンクスヴィル)に建てられた慰霊碑よりも、ある意味“雄弁に”この事件を鮮やかに語り継いでも行くのだろう・・

〜 こんなセリフもありました 〜

※「忙しい? 時間は作るもんさ」
 「(機が)半径50マイル以内に入れば・・ワシントンは守れない」
 「これは戦争と同じ状況なんだ、分かるな?」
 「この機は着陸しない、空港になんか戻らないぞ」
 「愛してるって言いたかった」
 「愛してるって伝えてくれ」
 「あなたを誰よりも愛してた、忘れないで」
 「自力で何とかしないと、誰も助けてはくれないぞ」
 「ただ、愛してると伝えてくれ」
 「無事に帰れたら、明日にでも仕事をやめるから」
 「子どもたちに愛してるって伝えて」
 「みんな、そろそろ行こう」

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2008年9月13日 (土)

☆『山猫は眠らない3/決別の照準(2004)』☆

11日(木曜)。「木曜洋画劇場」で確信犯的(=^_^=)に放送された“B級系作品”と思しき(←ファンの方、済みません〜)1本『山猫は眠らない3/決別の照準』を終盤のみながら、興味半分で観てしまった(⌒〜⌒ι)
トム・ベレンジャーが「凄腕スナイパー」を演じるらしい本シリーズ、この「3」が取り敢えずの完結編となっているそうだ。
悔しくも(←ホンマにそう思ってるんか?)全く未見な本シリーズであるが、

この完結編でもベトナムをメインのロケ地とし、途上国に回帰(?)させたような物語に『ランボー』にも通じるテイストを覚えた。根っからの傭兵や戦士にはきっと「最先端技術に囲まれた暮し」「IT企業への就職」など考えられないのだろう・・

ラストでいよいよ最後の敵ボスを狙撃する展開となるが・・相棒である刑事を人質に、その背後に隠れる標的を、異なる狙い方でもって1発で仕留めるベレンジャー兄貴がやっぱしカッコ良かった☆

ゴルゴ13(=架空の人物ながら世界一有名な日本人スナイパー)が物陰に隠れた“見えない敵”を倒す際なんかには、柱に1度弾丸を当て、角度を変えて狙う・・なる“跳弾”ってな超絶テクニックを使ったりするんだが、それとも違うやり方で面白かった。ワタシが思うには、

・人質自身が反撃(肘鉄、足の甲を踏む等)し、敵がひるんで丸見えとなった瞬間を撃つ
・人質もろとも撃ち、貫通させた弾丸で倒す
・人質の足などを撃ち抜き、敵がひるんで丸見えとなった瞬間を撃つ

の大体3パターンが描き得ると思うが、本作の演出も「ちょっと計算と角度が狂ったら大変だヨ!」と思わせつつも、珍しいオチだったかな、と。

またいずれ心にビシッと命中するもんが出て来れば、DVDボックス(全3作の本編3枚+メイキング3枚)を買っちゃったりなんかして(=^_^=)>

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2006年11月30日 (木)

☆『ケヴィン・コスナー(1997)は2度ベルを鳴らす(のか?)』☆

ハナシは2つの段落に分かれる。

その1:さる20日(月曜)。衛星第2で放送されたドキュメンタリー番組「ルキノ・ヴィスコンティ」をだらだらっと観た。イタリアを代表する映画監督であり、“巨匠”と呼ばれる映像作家の人生とその作品を、彼を知る人々のコメントや資料映像などで綴ったドラマである。
『郵便配達は2度ベルを鳴らす(1942)』『山猫(1963)』『ベニスに死す(1971)』など、パッと手がけた作品名が出て来るほどの巨人ではあるも、正直どんな風貌の人物なのか、分かってなかったりもした。
生没年・・1906〜1975年。(助監督を経ての)監督デビュー作が『郵便配達は〜』であり、そう考えると、若くして恐ろしい才能をいきなり開花させてた感を受ける。
かつての作品に絡め、当時の心境&裏話を(出演)俳優&(参加)スタッフが振り返るシチュエーションが少なくなかったが・・さすがに皆さん、当時との落差が激しかった。。老いて尚「俳優としてのプライド」が(顔出しの)出演を許さない・・そんな抵抗感とか、なかったんやろか(⌒〜⌒ι)
ラストで監督自身はこんなコメントをしていた。

ヴィスコンティ「大事なのは、テーマだ」
       「多くの作品をただ撮ることは容易(たやす)い。だが、私は自らが正しいと信じる作品をこそ撮りたい」

その2:本日29日(水曜)。ヴィスコンティ作品がしばらく特集されてる中(そしてそれらが観れぬままに過ぎてく中)、ようやく監督デビュー作『郵便配達は2度ベルを鳴らす(1942)』を中盤からながら、かいつまんで観ることが叶った(新聞を切りながらの鑑賞だったんで、観たと言えないレベルだが)。
流れ者の短気な青年ジーノと年上の旦那との生活に倦怠を感じる人妻ジョヴァンナの出会い。惹かれ合う2人はやがて邪魔者の存在(=旦那)を計画的に亡き者とする。訪れたかに見えた蜜の時間。しかし2人の想いは間もなくすれ違いを見せ始める。
別離と再会を繰り返すジーノとジョヴァンナ。ようやく2人の気持ちが1つになった・・その瞬間、恐るべき報いが2人に下されるのだった。
そんな流れだろうか。
半世紀以上も昔の物語なのに、物語のエッセンスが殆ど古びてないのがスゴいなぁ、と。当時としては「カースタント(≒カーアクション)」も斬新で大胆でハイカラ(←死語)な演出だったんじゃなかろうか。ラスト近くの幸せそうな2人の描写が、如何にも「もうすぐ何かが起こりそう」な不安をかき立ててくれる。そう、まるで後年の名作『俺たちに明日はない(1967)』のボニーとクライドのように(・ω・)
※『俺たちに〜』はヴィスコンティ監督の関連作ではありません。
ジーノが終盤、自分たちに言い聞かせるように「これが人生だ、これが人の生きる道なのだ」「運命は決して俺たちを見捨てない」と放つ台詞が何とも哀しい。直後、彼は全ての希望を失ってしまうのだから・・。

因みに本作、原題(イタリア語)が「Ossessione(意味:妄執、妄想)」であり、英題だと「The Postman Always Rings Twice」となるのだが、劇中に“郵便配達夫”は登場しない、確か。もちろん“ポストマン”に扮した近未来のヒーロー気取りのケヴィン・コスナーも出演しないし(=^_^=)
以前、学生時代に教師のどなたか(誰だったか?)に聞いたハナシでは「The Postman」は“郵便配達”ではなく、正しくは“過去の男性(恋人)”を指す表現であると言う。確かに、その方がストーリーとの辻褄は合っているかも知んない。
だけど、ベルを2回鳴らすシーンがあったかどうかは分かんなかった。「ピンポンダッシュ」するシーンは少なくとも盛り込まれてなかったようだが・・(←コメディだろ、そういう演出だと)

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2006年9月28日 (木)

☆『夕陽のギャングたち(1971)』☆

21日(木曜)の鑑賞。セルジオ・レオーネ監督が、ロッド・スタイガー&ジェームズ・コバーンを主人公に、革命の熱気に揺れるメキシコを舞台に描いた“一大叙事詩”である。
クリント・イーストウッドを「ダーティーな善のシンボル」に据え置いて描いた『ガンマン』シリーズに比べると、主人公らのパワーがやや常人レベルに下がっており(=^_^=)、ヒーローの超人的な活躍を楽しむ映画と言うより「激動の時代の中で翻弄される男らのドラマ」と評した方が分かりやすいだろう。例えれば「船戸与一の冒険小説」のような感じである。主人公らが頑張るんだけど・・ってなちとほろ苦さの残る鑑後感、である。

毛沢東の言葉「革命は晩餐会ではない、それは優雅さや礼節では成し得ない。何故ならば・・革命は暴力的行為だからだ」がはじめに映し出される。そして、馬車に乗ったブルジョワな人々がフアン・ミランダ(スタイガー)率いる山賊の一味に襲われ散々な眼に遭う冒頭。何とも言えぬ「きな臭さ」が漂って来る展開だ。
そしてぶらり現れる“アイルランドの花火師”ジョン・マロリー(コバーン)。「動」の悪党と「静」の悪党が出会い、成り行きでメサ・ベルデ国立銀行の地下金庫を破る計画が動き始める。
銀行を襲い、大金をせしめるつもりが・・地下に囚われてた150人の政治犯を解放・・たちまち“革命の英雄”に祭り上げられるフアンの複雑な表情が実に面白い。
そして中盤、アジトを襲撃された山賊らが無惨に殺される場面があるが・・長回しのカメラワークがなぞる中、子供らまでもが見事な「死に顔キープ」。悲しみより先に、こいつらの役者魂ってば凄い! と全く常軌を逸した感覚で唸らされてしまった(←おいこら)

ラストのコバーンもカッコいい! ふと「発破士の散り様、かくあるべし!」と勝手な解釈をし、ここでも1人頷いてしまった(・ω・)
コバーンと言えば、どうにも『電撃フリント(1966)』での“究極奥義=死んだフリ”なる姑息さ(=^_^=)や『シャレード(1963)』での爆笑必至の死に顔(ビニール袋で窒息させられる・・)、がすぐ脳裏に浮かんでしまうが、本作や『戦争のはらわた(1976)』と言った、素晴らしい出演作もあるんやなー、ととても評価を高めつつある俳優さんである☆

〜 こんな台詞がありました 〜

フアン「本の読める裕福な奴らが号令をかけ、読めない貧乏な奴らが死んで行く・・それが革命だろ? 結局そいつの繰り返しさ」

ジョン「ダイナマイトを使い始めた頃は、色んなものを信じていたが・・今となってはダイナマイトしか信じない」
   「オレのことなら気にするな、好きにやる」

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2006年9月20日 (水)

☆『夕陽のガンマン(1965)』☆

19日(火曜)の鑑賞。今週はセルジオ・レオーネ監督作が特集される衛星第2☆ 折角、放送開始直前の帰宅(20時前)が間に合ったってのに、家人が台所のTVで「皇室大百科スペシャル」とかナントカ言う、下世話な番組を観てたため(←決して皇室批判ではありません。バラエティ番組化させてる某局を批判してるだけです)冒頭のみ、観逃すのだった・・ぐふっ(×_×)
レオーネと言えば、最近になって知ったのが「生涯わずか7作品」と言う、スタンリー・キューブリックどころじゃない寡作ぶりである!(因みにキューブリック監督は16作品と意外に多い・・マイナー作も含むが)
そんな中、前にも観たことあるけど、今回もやっぱし観てしまった『夕陽のガンマン』。クリント・イーストウッド&リー・ヴァン・クリーフの2人のヒーロー(ってか両者とも善人とは言えぬ単なる賞金稼ぎだけど)が、ときに裏切り、ときに出し抜き、ときに挑発し合う・・そんな独特の緊張感とユーモアの冴える佳作である☆ ラストの砦(隠れ家?)での銃撃戦シーンは何度か観たことあるが、今回初めてモンコ(クリント)とダグラス・モーティマー大佐(クリーフ)の初対面の場面を観ることが叶い嬉しかった。
互いの靴先を踏みにじる行為からスタート、次に帽子を撃ち飛ばし、早撃ち&長距離射撃の腕前を競い合うのだが「それって、銃の照準狂ってたらどうすんのよ」とか「そこで、瞬間的に横風吹いたらどうなんのよ」とか妙にリアルな方向に意識が走ってしまい(=^_^=)、監督の狙い以上に観てて緊張してしまった。。
2人が「old man(老いぼれ)」「kid(小僧)」とぶっきらぼうに呼び合うのも字幕放送ならではの「耳サービス」である☆ 女性が殆ど登場しない世界観、インディオと言う大悪党にもそれなりの「悔悟の念」みたいなものが心中にあったのか・・と思わせる静かな眼差しの描写、クリント映画の定番(?)とも言うべき“主人公らがリンチに遭うシーン”など、結構ダレずに楽しめた次第。
ここでも私的に思ったのは「(青年期のクリントにかなり似てる)ヒュー・ジャックマンよ、若いうちにポンチョをまとい、西部劇に主演しなさ〜い!」ってことだろうか。
サム・ライミ監督の放った『クイック&デッド(1995)』の時も「新時代のウェスタンの登場や!」って感じでちょっと興奮したものだが、SF系にも恋愛ドラマにもある程度の限界がみえて来てる現在のハリウッド。今こそ、スタイリッシュなウェスタンの復活を! ・・って感じでどないなもんでっしゃろ?!(あ、ワイヤーアクションは禁止ね、念のため(=^_^=) 代わりに2丁拳銃と爆発とハトは許す(=^_^=))
ってことで、明晩は『続・夕陽のガンマン(1966)』が放送される、ワ〜イ。残業がなければ観ようっと(この作品もラストのオチは知ってしまってるンだが・・)

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2006年9月17日 (日)

☆『ユナイテッド93』☆

※この評は『シネバカ日誌/フリシボットル』にて公開されていた内容の再掲載です(サービス終了に伴い8月末で削除)。現在も劇場公開中であることから、内容を読み返した上(必要により一部修正の上)でもう一度載せることとしました。
これから鑑賞される際の参考となれば、と思います。

8月26日(土曜)、自室にこもり「溜まりまくってる」新聞関係をさばき切ったる!! と考えたものの、夕刻に車検あがりのクルマを引き取りに大阪市内まで行かなきゃならんこともあるし・・と考え、映画を観に行くことに。
一番観たかった作品は『スーパーマン・リターンズ』、次が『時をかける少女』だったが、結局観たのは“2001.9/11”を描いた映画の1本である『ユナイテッド93』となる。『ボーン・スプレマシー(2004)』(←未見・・)の監督であるポール・グリーングラスが描く、ハイジャック機内を舞台とした「極限の条件下で繰り広げられる人間ドラマ」。
因みに字幕担当は戸田奈津子氏(・ω・) お忙しいことで。。

「アラーフ・アクバル(神は偉大なり)」
朝。某ホテルの客室でサウジ男性がコーラン(イスラムの経典)を復誦するシーンから物語は幕を開ける。やがて他のメンバーがサウジ語で彼に呼びかける・・「時間だ」
そして異国人らはニュージャージー州・ニューアーク空港へと向かう、余りにも暴力的な「殉教」を決行するために。

「NY上空、異常なし」
テログループ(4人)に続き、乗務員、乗客が同空港の17番ゲートに集まる。サンフランシスコ行「ユナイテッド93便」に搭乗するために。予定では5時間25分後、彼らは無事に西海岸に下り立つ筈であった・・
管制センター(ハーンドン、ボストンなど)こそ「危機感」と言うアンテナを素早く立て、空域閉鎖の必要性にまで気を回すのだが、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)やFAA(連邦航空局)など、本来テロ(当初の解釈は「同時多発ハイジャック」だったが)解決に向けてのスピーディーな決断が要される機関の「もたつき」が目立った。
結局軍部が動き出すのは「NY世界貿易センタービル/ノースタワー」「同ビル/サウスタワー」「国防総省」・・そして「93便」が墜落(ペンシルベニア州シャンクスビル郊外)してからのことである。全てが後手に回ってしまった、そんな印象が否めない。

以前に同じ日(9/11)を題材としたドキュメンタリー映画『華氏911(2004)』を観て、“そのとき、彼(合衆国大統領)がどこにいて、何をしていたか”を知ったワタシとしては、「ああ、ここでこういうことをしてて、大統領承認が遅れたんやなぁ」と複雑な気持ちにもなってしまった(とは言え、大統領決断が必要とされたのは「戦闘機によるハイジャック機の撃墜」なる指令だったのだが)。

マンハッタン上空でレーダー上から「アメリカン航空11便」の機影が消失、やがて民間TV局(CNN)が放送する、黒煙を吐く「ノースタワー」が映し出される。そして間もなく、ニューアーク管制センターのスタッフらは「サウスタワーに旅客機が激突する瞬間」をハドソン川の対岸に目撃する。
・国内便:全て最寄りの空港に着陸
・国際便:米空域に入らぬよう追い返す
とそれぞれの対処は決まるが、なかなかFAAの態度が煮え切らない。
「必要なのは行動だ!」「滑走路への進入許可をとれ! 相手(空港)の言いなりになるな!」「FAAなどクソ食らえだ! 無視しろ!」
各管制センターで苛立ちが高まる。

「取りかかろう」
正確な情報も届かぬまま離陸した「93便」の機内で、テログループがいよいよ行動を起こす。手製爆弾で乗客を脅し、操縦室を制圧したリーダーの男は操縦桿(?)に“標的の写真”を貼付ける。それこそは「合衆国議会議事堂(※実際には「ホワイトハウス」標的説もあり)」だった。首都ワシントンへの到達は約50分。やがて機内では乗客が団結し、テロ撃退に動き出す。
「待っていても助けは来ない、我々でやるしかない。武器になる物を集めて欲しい」
ナイフ、フォーク、熱湯、消火器・・CA(キャビン・アテンダント:客室乗務員)により集められた武器が密かに乗客の男たちに配られる。操縦室の確保のみに意識の殆どを注いでいたテログループにとり、乗客の団結&反撃は想定外の事態でもあった。
「爆弾を取り上げたぞ! やっぱり※※※※だ!」
キャビン内でテロリスト2名を倒す乗客ら、勢いづいてカート(台車)を何度もぶつけ、遂に操縦室の扉を打ち破る。
そして乗客の中には操縦の出来る者もいた!
テロリストのリーダーは覚悟を決め操縦桿を倒し、「93便」を急降下させる。
「操縦桿を確保したぞ! 上げろ!」
自分たちの手でテログループを制圧した男たちが勝鬨(かちどき)を上げる。
しかし既に、ほぼ垂直に墜落する操縦席の窓には、恐ろしい勢いで目前に迫る地表が映し出されていた・・

乗客らの言動のどこまでが真実なのかは分からない。ただ管制センターのスタッフなど、重要なキャラを演じる出演者の何人かに「本人(as Himself)」を起用、遺族にも「乗客本人から架かった“最後の通話”の内容」を徹底してリサーチしたと思われる、生々しくも真実を思わせる演出(台詞)が、総じて「慎重に、真面目に、制作された作品」と言う鑑賞後の余韻(決して悲しいだけではない印象)を与えてくれた。
「You call your people(これを使いなさい)」と、隣の座席の(面識なき)女性に自らの携帯電話を手渡す夫人。
「もし助かったら、この仕事は辞めるわ」仲間に自らの心境を吐露するCAの女性。
そして客席に飛び交う乗客らの“最後の電話”の声・・
「心から愛しているよ、さようなら」

追記1:恥ずかしながら、93便に邦人が1人搭乗していたことを初めて知った。当時早大生だった久下氏。改めてご冥福をお祈りしたい。
追記2:9/11に犠牲となった航空機については下記の通りである。
08:46墜落 アメリカン航空11便(ボストン⇒ロス) 乗客・乗員92人
09:03墜落 ユナイテッド航空175便(ボストン⇒ロス) 同65人
09:37墜落 アメリカン航空77便(ワシントン⇒ロス) 同64人
10:03墜落 ユナイテッド航空93便(ニューアーク⇒サンフランシスコ) 同45人(44人との報道もあり)
追記3:ウィキペディア(Wikipedia:Web上のフリー百科事典)の情報によれば、地表には時速580マイル(約930km/h)の猛スピートで激突したとのこと。
もう少し時間があれば・・もう少し・・と悔やまれてならない。私的には悲しみ以上に、痛恨の念の大きく膨らんだ作品である。

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