2013年9月20日 (金)

☆『許されざる者』☆

15日(日曜)の午後、公開が始ったばかりの『許されざる者』を観に行ったのは、イオンモール伊丹の上層階にあるシネコン“TOHOシネマズ伊丹”だった。台風18号の迫る、生憎の雨空に祟られたが・・ワタシの胸中は「ある種の期待感」に満たされていた。

前作『悪人(2010)』の完成度にドギモを抜かれた(⌒~⌒ι) 李相日(リ・サンイル)監督が、あの“御大”ことクリント・イーストウッド監督のアカデミー賞受賞作(1992年の同名タイトル作品(=オリジナル版)が、第65回アカデミー作品賞に輝いた)を「20年ぶりにリメイクした!」ってんだから、コレを観ずして何を観よう!(いや、観まい)

オリジナル版:131分

リメイク版:135分

と言う“4分間の微妙な違い”こそあるも、舞台を西部から明治初期の蝦夷地(北海道)に移し、絶妙な世界観を構築してくれていた。

ただ単に(?)西部劇を、舞台設定を日本に置き換えてそのまま持ち込むと、ヘタすれば『スキヤキ・ウェスタン/ジャンゴ(2007)』のように眼も当てられぬ程の“だだスベリ作”と化してしまうが(←ま、楽しそうに撮ってた雰囲気「だけ」は評価しとくけど) 本作は『グローリー(1989)』と『ラストサムライ(2003)』のような感じで(←どんな感じだ)物語の「軸」の部分こそ酷似してながらも、舞台となる「国」「時代」が(当然ながら)異なる中で「出来事」や「登場人物の思考・言動」を巧く独自に解釈し直し、ごく自然に再現していたように思った。

1869年(明治2年)。「侍(サムライ)の時代」が終わりを告げ久しかったが、今も尚、新政府による旧幕府の“残党狩り”は全国各地で続いていた。そして、その追及の手は“北の未開地=蝦夷地”にまで及び“時代に敗れた者”は何処までもひたすら追い詰められるのだった。

かつて旧幕府軍・伝習歩兵隊に属した釜田十兵衛(渡辺謙)は“人斬り十兵衛”の異名を持つ残虐非道の剣客だったが、新政府に帰順する事なく、ここ北の地へと1人落ち延びていた。

その双眸に“獣の殺気”すらたたえた十兵衛は、自身を追って来た数名の討伐隊を瞬く間に返り討ちにし、雪原の中、また何処かへと姿を消すのだった・・

1880年(明治13年)。

札幌から80里(約320km)の距離にある鷲路(わしろ)村では、幼い女郎(娼婦)を斬り付けた2人のならず者に対し、先輩女郎達が報復のため「千円もの賞金」を彼ら2人に懸けていた。

そして、その高額な賞金首(の噂)に釣られた賞金稼ぎたちが、次々と村を目指すのだった。

愛する妻を3年前に亡くし、今は2人の子供と共に農耕を営む“ある男”を、彼の戦友を名乗る白髪の男=馬場金吾(柄本明)が訪れる。金吾はこの男を「十兵衛」と呼ぶ。

その昔、幕府軍として共に勇ましく戦いを重ねた2人だが、今や落ちぶれてしまった金吾は「ならず者を倒して賞金を稼ぎ、それを元手に石炭でひと儲けしたい。手伝ってくれたら賞金の千円は折半する」と持ちかける。

「もう誰も殺さない」と言う“亡き妻との約束”を頑(かたくな)に護り続ける十兵衛は、金吾の誘いをあっさりと断わる。

しかし、やがて迎える冬を前に、不作によって困窮にさらされる父子・・十兵衛は「半月後には戻る」と2人の子供に言い残し、先に鷲路村へと向かった金吾の後を追い、馬を走らせるのだった・・

一方、鷲路村では「時代に取り残された侍崩れ」を毛嫌いする、警察署長・大石一蔵(佐藤浩市)が常駐して眼を光らせ、武器(刀や銃)を村内に持ち込もうとする賞金稼ぎたちを厳しく取り締まるのだった。

終始、暗くて重いトーンが貫かれるが、、最期の最期に主人公=十兵衛の怒りが爆発する! 主人公もそうだが、観客にとっても「長尺なる忍耐の物語」と言えそうだ(=^_^=) その点では『たそがれ清兵衛(2002)』を連想したが、このような構成ってば、時代劇の世界では「定番の1ツ」なんだろうか?

主人公に関する「過去」が噂を中心に描かれ、当人は殆どその真贋に関し語らない(語ろうとしない)ので、何となく“尾ひれ”がくっ付いて、更にそれが(必要以上に)肥大化してそうな、そんな面白味(?)はあった。例えるなら、カイザー・ソゼ(1995)とか、エル・マリアッチ(1995)を巡るウワサ、みたいなテイストやろか(⌒~⌒ι)

対する“悪キャラ”が本来、正義の象徴である (ハズの)警察署長=大石なのだが、彼に関する造型が(恐らく意図的に)省かれているので、果たして「憎むべき悪」だったのか「権力を振りかざしてただけの、サディストの権化」だったのか「それなりの使命感を持つ常識人」だったのか・・がイマイチ掴み切れなかった。「その所業」こそは断片的ながらも残忍なんだが、彼には彼なりの「命乞い」ではないにせよ、も少し人間らしい(?)「何かひとこと」をラストで(我々に)言い遺しといて欲しかった気もする。

前作『悪人』でもそうだったが「所詮、誰もが“悪”ではなかったのか?」「ってか、誰が本当の“悪”だったのか?」ってトコを考えさせる“観後感”には独特なビターテイストがあった。

にしても・・『悪人』に於ける、終盤の主人公(演:妻夫木聡)と同様、怒りを静かに滾らせ「遂に酒精(さけ)を口にする」十兵衛の“更なる寡黙さ”“瞳の輝き”が異常に怖かった!

こんなオッソロしい雰囲気のしとが「ス※キの軽自動車(それもエコカー)」からユラ~ッと降りて来たら、如何にこちらが大型のSUV(←例えば、のハナシです)に乗ってたとしても、ビビって本能的に「謝罪の方向」で全身の動いちゃう気がするな、うん(⌒~⌒ι)

そしてまた「サムライの時代の終わり」を材の1ツにしていたとすれば・・「武士の魂」である「日本刀」に対する描写には、さほど監督の「愛情や想い入れ」が注がれてなかったように思えた。「銃も刀も、武器として観りゃあ一緒でしょ」みたいな。

中盤に登場する、風格あるサムライ=北大路氏(演:國村隼)の帯びていた、腰の大刀の「造型」「存在感」が格別だっただけに、それ以降のシーンに於いて「観てて痛みの走りそうな『斬撃』が、それほど力を入れて演出されてなかった」点は、ちょいと悲しい気がした。

んでも、李監督。『悪人』に続き本作でも安定した完成度を見せつけてくれた。

「チャラチャラしたテイストの、CG満載のジャンクムーヴィー」なんかも、決して悪くはなかろうが(そう言うのもキライではないが)、こう言った「旧くて、渋い」作品世界にどっぷり浸かってみるのも悪くないと思う。

~ こんなトコも ~

・登場人物の中では、久々に拝見した柳楽優弥くんの「化けっぷり」と、女郎屋の“お局さん”みたいな立ち位置(?)だった小池栄子さんの「ハマりっぷり」に驚かされた!

・登場人物にアイヌ語を喋らせるシーンもまた、渋い!

・澤田五郎(演:柳楽優弥)のキャラは、やはり誰が観ても『七人の侍(1954)』に於けるムードメーカー(?)=菊千代(演:三船敏郎)を連想させる。「侍になり切れない、百姓の出の若者」と言うのが菊千代の特徴だったが、五郎も「実は・・・出身」と言う特徴を持っていた。

・大石署長の「余暇」が全く描かれなかった。オリジナル版(演:ジーン・ハックマン)では、確か「家をコツコツと造ってた」ように記憶してるが・・

・「その銃に弾丸が残ってるのかどうか、覚えてねぇんだ」的な言い草は、まさにキャラハン刑事を好演してた頃の“御大”を思わせる(=^_^=)

・何だか「付け髭」に見えてしゃあなかった大石署長。モデルは『ギャング・オヴ・ニューヨーク(2002)』のダニエル・ディ・ルイス辺りだったか?

・本作に於ける「小悪党ランキング」では佐之助(演:小澤征悦)、姫路弥三郎(演:滝藤賢一)が間違いなく上位に喰い込むと思われ! 酒場の主人=喜八(演:近藤芳正)も確かに「悪い」んだけど、ちょっと印象が薄いんだねぇ。

・この時代にしては、やたらと「懸賞金」の情報が広域に知れ渡ってた!

・総じて大石署長は「不測の事態」に弱過ぎた!

・良くも悪くも、十兵衛の奥さん(アイヌ人)のイメージが掴めないままだった。。

・國村さんの役柄は「美味しい」んだけど・・“落差”が激し過ぎた(⌒~⌒ι) まぁでも、混乱の前にあの村を発つ事が出来て良かったと思う(=^_^=)

・やっぱり小池栄子さんは「ハマり役」だった! 確かに巧いんだけど・・女優としての立ち位置的に「そこ」で良いの?

・結局は「剣の技量」そのものより「そのしとの醸し出す殺気・威圧感」こそが命のやり取りを制するようだ。

・横腹を刺され、重傷を負ってたと思しきあのしと。オリジナル版も、あそこまでの深手を負ってたっけ? まるで『シェーン(1953)』のようなラストだ。

・柳楽君はこの先「ポスト山田孝之」を狙えるんじゃなかろうか!

・十兵衛は、這いずった先で空瓶を掴み、どうする気だった?(呑む気だった?)

・何故に、誰もが「帯剣」して村に入るんやろ? 村の入口でどっかに埋めて隠しとく、とか考えもしないのか? それが「侍にとっては恥」だからか?

・あの3人は、何故に「女郎酒場」にのこのこやって来たんやろ?

・この手の「設定置き換え型リメイク」は今後、更に増えて行きそな気がする。

・「剣での戦い」は余り描かれなかった。

・ラスト10数分間のための組立ては、我慢してた分だけ「そのカタルシス」もスゴい!

・大石署長の“前身”は不明だった。北大路氏は詳しそうだったが・・

・泣き笑いされる時の、柄本明さんの呼吸音(?)が独特だった(⌒~⌒ι)

・オリジナル版で主人公の放ったひと言「ちゃんと埋葬しなければ、戻って来て全員殺す」は聞けなかった。

・主人公が“伝説の人斬り”と言う設定は、どうにも『るろうに剣心(2012)』を連想してしまう。。

・小澤さんが「リベンジする」シーンは・・あれって「回想シーン」だったの?

・エンディングテーマを妙に人気ロックアーチストとかに任せなくて正解だった(=^_^=)

・剣が鞘から抜けず焦ってる、元薩摩藩士を眺めてて『iCHi(2008)』に於ける大沢たかおを思い出した。

・渡された剣が鞘から抜けない・・ってのは「元から何らかのギミックが施されてる」と考えるのが正解なんだろう。

・北大路氏は「大久保利通暗殺事件」の真相に詳しそうな口ぶりだった。スピンオフ作に期待!(=^_^=)

・大石署長には「川で溺れ、死にかけた」って過去が。だから「弱点は水」だと思ったが・・その辺りは“フリ”でもなかった。

・アイヌの男性が耳輪を引っ張られる演出が「劇中で最も痛そうなシーン」ではなかったろうか?

~ こんなセリフも ~

十兵衛「人殺しはもうしない」

   「どうしても困った事があったら“アイヌコタン”に行け」

   「心配するな・・半月で帰る」

   「“過ち”はもう繰り返さない・・妻に誓った通りです」

   「・・俺は何も出来んぞ」

   「生き延びる為には、殺すしか無かった。

    (殺す)理由なんて無かった」

   「怖かったのは“殺される事”じゃない

   「用が無いのなら早く帰れ、小僧」

   「銃は“金吾が1番”だ」

   「『忘れた』と言ったんだ・・聞こえなかったのか?」

   「俺は今、機嫌が悪いんだ・・“豚”に話し掛けられてな」

   「・・死にたくない・・怖い」

   「此の事を誰にも話すな・・子供には絶対言うな。

    ・・頼む」

   「俺の顔も“そんな風”か?

    ・・済まん・・余計な事を言った」

   「不思議な気分だ・・未だこうして生きてる。

    飯を喰い、山を眺めてる」

   「どの道、助からん・・楽にしてやれ」

   「忘れた事は1度も無い。無理やり連れ去ったんだからな」

   「お前の仕事だ・・行って来い」

   「殺されて当然なのは、俺とお前だ。

    ・・金吾じゃない」

   「是は“違う生き方がある事”を気付かせて呉れた

    女房の形見だ」

   「・・此処の主か?」

   「・・俺に構うな」

   「地獄で待ってろ」

大石「相手が敵になるのかどうか、其奴(そいつ)の眼をジッと見つめ、

   見極めなけりゃならない」

  「“殺される”と分かれば、人も獣も死に物狂いで向かって来る」

  「此処から先は、人の数より熊の方が多いかも知れん」

  「“野心を持った鼠”は、熊になる前に“潰す”に限る」

  「木刀を寄越せ」

  「そう熱くなるな」

  「此奴(こいつ)らもまた侍だ」

  「未だ血が観足りねぇのか?」

  「どうせ、驢馬(ロバ)より安く買い叩いたんだろうが!」

  「おい、小太刀はどうした?」

  「何時まで“侍気取り”で居るんだ?」

  「刃向かう奴は、この通りだ!」

  「勝負を決めるのは、力量や間合いから

   “鉛の弾”に変わった」

  「弾(の有無)が気になるか?

   どっちだったかな? 俺にも分からん」

  「また遊びに来いよ」

  「ガラクタ引っ張り出して、熊と戯れようってのか?」

  「“本性”を見せてみろ」

  「何時まで猫をかぶってるつもりだ?」

  「悪党には“目印”が必要だよな」

  「放っとけ! 其奴(そいつ)は只の屍(しかばね)だ」

  「“刀の握り方”も忘れちまったのか?」

  「おい! 今のは書くなよ。物書き」

  「勝って生き残った者が正義で、負けて死んだ者が悪になる。

   歴史ってのは、そんなもんだろ?」

  「知っての通り、俺は“作り話”が好きじゃねぇ」

  「しっかり見てろ!」

  「1人2杯にしとけ」

  「良いか・・俺が撃たれたら、皆で“蜂の巣”にしろ」

  「どの道、お前は逃げられねぇ」

  「・・重てぇ」

金吾「此の俺の“唯一の幸運”は、あんたを敵に回さなかった事だな」

  「そう簡単に人は変わらない。

   “棄てたつもり”でも、過去は人を忘れない」

  「せめて村までどうだ?」

  「汽車も船も、こいつ(石炭)が無きゃ動かない。

   一緒に夢を観ないか?

   俺だって1度ぐらい、お陽様を浴びたくてな

  「此処は“余所者に温かい村”じゃなさそうだ」

  「俺も、もしかしたら“上がる”かも知れないが、

   良かったらお前も」

  「もう何処にも“行き場”が無いんだ」

  「引っ張り込んだあんたに“重荷”を背負わせちまった」

  「あんたのお陰で、自分がどんな人間か良く分かった」

  「嘘に嘘を重ねて、此の様(ざま)だ

  「最期位(ぐらい)笑えよ」

  “お前は「十兵衛の本当の怖さ」を知らない。

   十兵衛は必ず、お前達を皆殺しにする”

五郎「カネ(目的)で殺らねぇ奴なんて何処に居る?」

  「山を突っ切れば、2日は早く着ける」

  “無駄に強がって、母親を泣かせるな”

  「虫けらは虫けららしく、

   大人しく言う事を聞いてりゃ良いんだ」

  「“聞いた話”と大分違うな

  「確かに“痛い”ってのは、

   自分にしか分からねぇもんだ。

   端(はた)から見ても分からねぇもんな」

北大路「良い時代じゃないか・・こうして公に肉が喰える」

   「まぁ・・“やりよう”だよ、君」

   「居るもんだねぇ・・こんな所にも薩摩が」

   「此処じゃ“薩摩芋は育たん”と聞いたがね」

   「もし“やる気”が無いなら返してくれ」

   「こうして居ても埒が開かん。こちらから行こうか」

   「何だ? “抜いた事”が無いのか?」

   「・・殺す価値も無いな」

   「“何も観なかった”そう報告すれば良い」

   「・・丁重に扱え」

   「髭を蓄え“大物”にでもなったつもりか? 小僧」

   「どうせ(弾倉は)空じゃ」

   「儂の刀は?」

   「地獄へ行って本を書け!」

佐之助「是でも笑えるか? 笑ってみろ」

姫路「やっぱり、これ(銃)には敵いませんよね?」

  「殺しておけば良かったんじゃないですか?」

女郎たち「あの2人“打ち首”にしとくれよ」

    「何時もこうさ・・生かして貰うのがせいぜいなんだ」

    「だば、こんまま“泣き寝入り”か?」

    「もう飽き飽きなんだ・・“死んだふりして生きる”のは

    「もう是で、誰も来やしないねぇ」

    「賞金、有りったけ使っちまう気ですか?」

長老「娘が(殺されず)生きていても、あんたは行くのか?」

警官「薄汚い土人めが!」

ナレーター“此の果ての地で生きて行こうと思った。

      何時か、あの人が戻る事を信じて”

金吾「又あんたと馬を並べるなんてな」

十兵衛「仕方ない・・“腐れ縁”だ」

金吾「“そっちの方”は暫く御無沙汰なんだろ?」

十兵衛「女房が“上”から見張ってる

金吾「女って奴は、しつこいからな」

十兵衛「行くぞ、爺さん」

金吾「・・お前だって爺さんだ」

大石「武器の持込みは、俺が赦さない」

北大路「抜かなければ何の問題もあるまい?」

なつめ「・・傷みますか?」

十兵衛「顔が千切れそうだ」

なつめ「最期に見た父も、そんな背中でした。

    最期迄、罪を背負って生きて行く背中・・」

十兵衛「・・女房にも、似た様な事を言われた。

    “違う生き方がある事”に気付くのに、

    何十年もかかった」

五郎「見て呉れよ・・止まらねぇんだよ。

   初めてだ・・初めて殺した。

   呆気ねぇよ・・畜生!」

十兵衛「死ぬ程酔って、今のは忘れろ・・

    眼が醒めたら、嫌でも思い出す

五郎「俺は、あんたみたいになれないし・・なりたくない」

十兵衛「後で“呉れ”と言っても遅いぞ」

大石「見境無い奴だなぁ」

十兵衛「金吾を店の飾りにするのは、生命と引替えだ」

大石「此の“殺し狂い”が・・」

十兵衛「後はお前を殺すだけだ」

姫路「私は“只の物書き”です・・が、何も書きません」

十兵衛「此処で観た事を“在りのまま”書け。

    だが・・女郎とアイヌの事は・・

    もし書いたら・・何処迄も追いかけて、殺す」

| | コメント (4)

2012年9月18日 (火)

☆『夢売るふたり』☆

14日(金曜)の夜。
クルマで“ワーナー・マイカル・シネマズ綾川”に向かい、夕食後に「レイトショー」で観たのは・・これも期待値を高めてた1作『夢売るふたり』だった。

『ゆれる(2006)』『ディア・ドクター(2009)』と、その手がける作品の質が飛躍的に“洗練”されてゆく、才能の極まりつつある女流監督=西川美和による長編ドラマである。

東京都内の片隅。

「開店5周年」を迎えた小料理屋『いちざわ』の店内は活気に溢れていた。
厨房で精力的に働く料理人=市澤貫也(阿部サダヲ)、その姿を見守りつつ甲斐甲斐しく働く妻=里子(松たか子)。

常連客にも恵まれ、ささやかながらも充実した日々を送っていた市澤夫妻だったが・・焼き鳥を調理中の(火の)不始末により、調理場は紅蓮の炎に包まれる・・

瞬く間に店舗は全焼。一瞬にして“積み上げて来た総て”を失ってしまった2人。

上京後10年目にして、失意のどん底に叩き落とされた貫也に対し、前向きな里子は「もう1度やり直そう」と“酒浸り”となってしまった夫を支えるべく、ラーメン屋で働き始める。

そんなある日、かつての常連客=玲子(鈴木砂羽)と終電間際の駅のホームでバッタリ「再会」した貫也は“成り行き”から彼女と一夜を共にしてしまう。

“誤摩化す事の出来ない”この「不器用な夫」の不貞は、たちまち妻の知るトコロとなるが・・里子の中に「寂しい女の人生(=心の隙間)に、夫をつけ入らせる事で、容易く大金を貢がせる事が出来るのではないか?」と言う“尋常ならざるアイデア”が閃くのだった。

そして・・

結婚願望の強い出版社OL=咲月(田中麗奈)、幸薄き風俗嬢=紀代、孤独な社会人ウエイトリフティング選手=ひとみ、幼い息子を持つシングルマザー=滝子(木村多江)・・ 貫也の“秘められた才能”が開花し、夫婦は次々と百万円単位の金を借用する事に容易く成功する。

それと共に「スカイツリーを遠くに望む新店をオープンする」と言う夫婦の夢(目標)も、現実味を帯びて来る。

そんな中・・「女性を騙し続ける行為に次第に“麻痺”してゆく夫」「夫との“性生活”を他の女性に委ねる事に、心を病んでゆく妻」「恋人の“愛情”を確かめんがため、私立探偵=堂島(笑福亭鶴瓶)を雇う決断を決断をする女」のそれぞれの思惑が“捩じれた形”で交錯する事となり・・


まずは・・長い! 上映時間=137分と言う物語に、少々ヘトヘトになってしまった(×_×)

松さんの“狂気性”みたいなモノは、既に『告白(2010)』でたっぷりと見せて頂いてたので、それなりに違和感なく観る事が叶ったが、、阿部さんの“コミカルな持ち味”が完全に生かし切れてた、とは言えず(←ワタシ個人の感想です) どっちかと言うと「ネクラなキャラ」で貫徹されてたので「勿体ないなァ」と残念に思った。
「コメディ作を期待してジム・キ※リーの新作を観に行ったら・・完全なるヒューマンドラマでして」にも通じる残念さである(×_×)

“結婚詐欺師”としての才能が覚醒し、調子に乗って来て、ムチャクチャな言動モードに突入しちゃう・・ぐらいの“過激な暴走”を見せて欲しかったトコである。
「“大捕り物”に発展する後半」なんかでもイイし『たどんとちくわ(1998)』に於ける真田広之篇的な“妄想カラフル世界”でも悪くはないだろう。

「夫婦で結婚詐欺」って展開の“滑稽な悲しみ”にもっと強烈なスポットが当てられるのかと思いきや・・バランスが悪いと言おうか、市澤夫婦の「スキンシップ」みたいな演出は意図的に(?)殆ど描かれず、妻が夫の「詐欺師言動」を手取り足取り指導するってな演出も、ベランダでの“電話対応”ぐらいしか出て来なくて残念だった。

私的には、あのベランダのシーンがとても楽しかったので、もっともっと同じネタを引っ張って、引っ張り回して欲しかったトコである(=^_^=)

貫也と女たちの“馴れ初め”みたいなトコも、殆どがバッサリ割愛されており「違和感」が残された。
それに、時代が“現代過ぎる”のも、ファンタジー要素を一切排してるようで「惜しいなぁ」と。

特に、遠景映像に於いて“シンボル的”に登場する「スカイツリー」は“完成後の姿”ではなく“建造中の姿”に止めておいて欲しかったトコだ。

って事で、鈴木砂羽にせよ、鶴瓶にせよ・・ちょっとサプライズ気味(?)に登場する香川照之、伊勢谷友介にせよ・・も少し「彼らが彼らでなければならなかった」起用理由を、万人に分かるように脚本の中で示して欲しかったモノである。

久々に、観終わった後で「疲れ」と「疑問符」のみが残ってしまったワタシだった。

〜 こんなトコも 〜

・あちこちに“意味深なフリ”をちりばめつつ、その殆どが「中途半端」「意味不明」「描写不足」で残念に思えた。本来はもっともっと丁寧に練り上げられてた筈の脚本が、撮影後にズタズタに編集された結果、スッカスカになってしまってた気もする(・ω・)
・香川照之演じる兄弟は、どうやら「一卵性双生児」的な設定だったようだが、それ以上に膨らむモノでは決してなかった。
・木村多江さんと“再会”する流れも、妙に偶然過ぎて驚けない。
・鶴瓶演じる私立探偵=堂島ってば、元警察関係者だったんか? にしては「背中に背負(しょ)ってるアレ」が物々し過ぎる。。
・とある「1本の刺し身包丁」を巡る展開(物語の動き)が、何ともわざとらしかった・・
・ラストで松さんが、妙な“カメラ目線”で何かを(我々観客に)訴えて来るんだが・・それが何なのかはとうとう掴めなかった。
・松さんって「“死相”すらも現れて来てはるし・・きっと絶対に(心身共に)ヤバいと思う!」と総ての観客に思わせてくれたが・・
・コップを振り上げる、包丁を掴み階下へ向かう、など「自発的に何かをしようとする」シーンが、総て“未遂”に終わってしまってた里子さん。
・注意すべきキャラは、木村多江さんではなく、その小僧の方だった!
・瞬間的に“暴力キャラ”と化す鶴瓶もちょっと恐かったが『OUT(2002)』に於ける佐竹(演:間寛平)の凶暴ぶりには(流石に)叶わなかった。
・西川監督はコレまで「自らの見た夢」に材を取り、アイデアを映像化させて来たそうだが・・流石に本作は粗かった。荒唐無稽なコメディに逃げ切るやり方「も」選ばなかった以上、しぼんだ展開になってくのは必定だったンでは?
・「いちざわ」店内の壁に書かれたメニュー「みぞれ鍋(1000円)」や、スタッフの着る黄色シャツに『旨くてご麺!』の文字も踊る(=^_^=) 「ラーメン大統領」の「プレジデントラーメン(580円)」には、食欲をそそられた。
・「みすず銀行」「177銀行」は、共に実在しない金融機関らしい。
・「雄CAN(ゆうきゃん)」「ホテル・ドリーム浅草」「有限会社金山折本所」「酒処・とまり庵」「しま津」「株式界社飯田」などの店名/施設名が看板等で登場。特に「雄CAN(ゆうきゃん)」については『愛と誠』の劇中でも(確かに)眼にした覚えがある(⌒〜⌒ι)
・某駅のシーンで「寳登山(ほどさん)電車」のポスターが貼られてた。ロケ地は埼玉県秩父界隈だったんやろか?
・久しぶりに「登場人物が、緑色の公衆電話(=電話ボックス内)で話すシーン」を観た気がする(・ω・)
・某シーンに登場する貼り紙(?)に「雪平鍋とは?」みたいな言葉が書かれてて、思わず帰宅後にネットで調べてしまった(=^_^=)
・里子が厨房に潜んでたネズミに気付き、瞬間的に沈黙してしまうシーンがあるが・・アレってば『コラテラル(2004)』でジェイミー・フォックス&トム・クルーズが道路を横切るコヨーテに遭遇するシーンに対するオマージュなんやろか?(そんなに深いか?)

〜 こんなセリフも 〜

貫也「お前は風呂敷、広げ過ぎなんだよ」
  「何(なん)が“え~?”ですかあんた」
  「ほら、トマトば食べんしゃい!」
  「もう“悪いウワサ”回ってんだよどうせ」
  「あそこはクソたい・・いや、クソ以下たい!」
  「店長、優しかろ? ・・“里ちゃん”って呼ばせてんだ」
  「不満があるのは、お前の方なんだよ!」
  「俺なんかといると“ロクな事”なかぜ?」
  「絶対、返すから!」
  「まずは“城”ばい!」
  「また、お待ちしてます」
  「まだ運が残っとったんやろね・・お前に逢わしてもろた。
   やっと人生、建て直す気になれた」
  「こんなもん、要らんちぅとろうが!」
  「俺は人生、懸けとっとばい」
  「“お前の眼に映ってる世界”の方が、よっぽど気の毒だよ」
  「場所は分かんないけど、何処かには着くと思うから」
  「お前のしたい事は何だ? ホントは何がしたい?」
  「お前は今が1番、イイ顔してる」
  「こっちは参ってんだよ!」
  「諦めたのは、俺のせいか?」
  「ヒドいなこの包丁・・全然切れない」
  「・・自分は板前ですから」

里子「あんたのこの服、何処で洗って来たと?」
  「私、分かるなぁ・・」
  「あんたに会わなかったら・・彼女、線路の上で
   “真っ赤なミンチ”になってたかも知んない」
  「成る程ねぇ」
  “みんな寂しくて、惨めな想いを抱えているのよ”
  “夢なら、ほんの少しで十分よ。
   ほんの少しだけ“素敵な夢”を見せてあげれば”
  「これ、倍にして返そうね」
  「・・引き上げよっか?」
  「“自分にしか出来ない事がある”って凄い事よ」
  「そんな事は、ひと言も、言ってない」

※「“もっといい場所”で勝負しろ」

女たち「膣内(なか)で出して!」
   「白井さんのが・・膣内(なか)で泳いでる」
   「通用しませんよ、それ」
   「少しは“蓄え”もあるの」
   「あたしが恐い? “殴る”と思ったと?」
   「・・あたしは“怪物”じゃない」
   「私は今が幸せだよ・・“自分の脚”で立ってるもん」
   「ホントは、何処かで“辞める理由”を探していたんだ、私」
   「何で逃げんのよ!」

堂島「結婚、結婚って・・思う程のもんじゃないですよ」
  「僕? 僕は・・(彼女の)おじさんですわ」
  「手ぇ上げたらアカン、言ぅたやろ?」

里子「10年前と同じやん。何も恐くないよ」
貫也「・・10年は長かよ」

貫也「死ねや!」
里子「きさん(貴様)こそ!」

里子「まだまだ足りん・・全然足りん」
貫也「お前の“足りん”は・・カネやなくて
   腹いせの“足りん”たい」

玲子「ママさん、大丈夫ですか?」
貫也「あいつはバリバリですよ。
   凄いです・・もう“見てるのがツライ”です」

里子「“ハズレ”でしたね」
ひとみ「・・ヤバいっすね」

貫也「可哀想? あの人がか?」
里子「いやいや」
貫也「・・俺がか?」

追記:最近、邦画作品の上映時間がダラダラと長引いて来てる気がする・・それでも楽しけりゃイイんだけどねぇ・・

| | コメント (2)

2011年5月 4日 (水)

☆『8日目の蝉』☆

2日(月曜)の夜。
“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に寄り、立て続けの「ハシゴ鑑賞」した2本目が、期待値を異常に(=^_^=)高めてた1作『8日目の蝉』だった(←正しい表記は『八日目の蝉』となります)。

“レイトショー時間帯(20:00〜)”もすっかり更けての上映開始(21:25〜)だったが、連休前と言うのも手伝ってか、シアター内は意外に混んでた。
メインの(?)ロケ地が「小豆島」って事で、香川県民としては、やっぱし気になる作品だったんかもね(・ω・)

・・

角田光代さんの原作小説を映像化した本作。確か、購読してたY新聞でかつて連載されてた事をうっすら覚えている。あんまり興をそそられず、全く読んでなかった事も覚えている(その折はすんませんですた)。

⇒ウィキで調べたら、2005年11月〜2006年7月の期間で、同新聞の夕刊に連載された、との事。

神奈川県平塚市。激しい雨の降ったとある日。

秋山夫妻の自宅(2階)から、生後4ヵ月となる娘=恵理菜が何者かに誘拐される。
連れ去ったのは、夫=丈博の愛人でもあった野々宮希和子(永作博美)だった。

彼女は、丈博との間に出来た赤子を堕胎した結果、子宮が癒着してしまったため、2度と出産(妊娠)出来ない身体となってしまったのだった。

誘拐した恵理菜に、自身の「堕ろした子」と同じ名=薫(かおる)を付けた希和子は、その後、瀬戸内海に浮かぶ小豆島で発見⇒逮捕されるまで、4年ものあいだ薫を連れ回し、西へ西へと逃亡生活を続けたのだった・・

法廷で希和子は裁かれ、懲役6年の刑に服する・・

・・

年月が経ち、大学生となった恵理菜(井上真央)は、妻子持ちのサラリーマン=岸田(劇団ひとり)と“深い交際”を続けていたが、そんなある日、安藤千草と名乗るフリーのライター(小池栄子)が突然バイト先に彼女を訪ねて来る。

かつての誘拐事件を取材し、出版したいのだ、と彼女は言う。

最初は取り合わなかった恵理菜だったが、自身の身体に起きた「とある変化」も1つのきっかけに、千草と共に、かつて自らの過ごした場所を辿る旅に出発する事を決意する。

恵理菜は“育ての母”である希和子を赦す事が出来るのだろうか? そして、長い旅の果てに恵理菜が出逢ったのは・・

俳優陣が思いっきり豪華! ロケーションも極上! 上映時間もヴォリューム満点(2時間半に肉薄)! と、申し分のないスペックを誇ってるこの作品だが・・私的には「心に刺さって来るモノ」が殆どなく、ポロッとも涙腺を刺激されなくて残念だった(×_×)

原作そのものが「重いトーン」できっと統一されてるからなんだろうけど・・正直、主要キャラが揃いも揃って「苦虫顔」を終始キープされてたもんで、観ててツラくなって来たのがあったか。

物語の流れも、ちょいとダラダラしてる感があり、メリハリに欠けてたように痛感した。

ハナシそのものには、あの『悪人(2010)』に迫る程の「観客それぞれに何かを突き付ける」って要素が確かに存在してるワケで、もう少し、総じての「インパクト」やら「老若男女を問わぬ総ての観客に、何かを(自発的に)感じさせる演出」やらが欲しかったモノである。

〜 こんなトコも 〜

・主要キャラの顔面をどアップで捉え、証言(や供述)を積み重ねて始まるオープニングは、芥川龍之介の小説『薮の中』を想起させる。
・ご主人をクルマで駅まで(?)送って行くだけにせよ・・“赤ちゃんを置いて行く”のも、更には“家に施錠しない”のも、部外者のワタシが言うのも何だが「ちょっと、どうでしょう?」と感じる。
・秋山の奥さん=恵津子の“事件に関しては、確かに被害者なんだけど、、何故だか全く共感出来ぬ不愉快さ”の醸し出し方が、異常にリアルである。事件によって壊れてしまったのか、元から壊れる要素を内包しておられたのか。
・丈博氏の“存在感の薄さ”もリアル。この人が、言うなれば“総ての元凶”って気もするワケで。
・「娘の気持ちを掴めない父親像」ってのも、痛切に伝わって来る・・
・『人のセックスを笑うな(2008)』では、思いっきり魅力の爆発してた永作さんだったが・・本作では(その作品性もあり)ちょっと「観てて辛くなって来るだけ」的なトコがあった。「授乳シーン」の描写も中途半端だったし(っておい!)
・屋島(高松市)を対岸に望む、小豆島南部の“ブランコのある公園”で・・永作さんが寝っ転がっとるシーンがあった☆ ロケツアーを敢行するとなれば、ここが中心となりそうだ!(=^_^=) 巧くすれば、永作さんの毛髪を採取出来るかも(やめィ!)
・すっかり「岡山タクシー」の運転手になり切っとる(=^_^=)徳井優。小豆島の手延べそうめん工場に自然体でおさまってる平田満&風吹ジュン(沢田夫妻役)、もはや“風景の一部”に溶け込んじゃってた(=^_^=)感じの田中泯・・など、ピンポイントで存在感の鈍く光る俳優さんたち!
・そして、何と言っても・・余貴美子(教祖=エンジェルさん役)の“怪演”が爆発してた!! ある意味、本作で言えば主要俳優陣を喰っちゃってた感が! きっと“スピンオフ”なんかも出て来るんじゃなかろうか(=^_^=) ←やんねぇよ、バカ
・待望の(?)「小豆島ロケ」は後半の1時間ほど。河瀬直美監督ばりに「祭事(=7月初旬の“虫送り”)の風景」なんかが自然体で映されたりも。
・丈博&岸田の2人には『そのウチ、全部ちゃんとする同盟』ってのを、ゼヒちゃんと結成して欲しい(=^_^=) ←ダメンズやなァ・・
・終盤のシーンのみはカッコ良かったが、全般的には殆ど役に立ってなかった刑事さんたち。
・“カルト(教団)系”にハナシの展開するのが、私的にはちょっと苦手だった。「まごころの家(1993)」的なのは苦手である。。
・エンジェルさんの背後で、ひたすら賛美歌を歌ってるしとが、ちょっと“電波レベル”高そうだった(×_×)
・真央ちゃんの「お背中ヌード」を拝見☆ 某国営局の朝ドラで主役を張ったはる身としては、目下ギリギリなトコでしょうなァ。因みに、彼女の左脇のトコにホクロを発見して、ちょっと嬉しくなった。いつか、ご本人かどうかを見極める際の参考にしようっと(←お前ごときの人生とは、全く交錯しねぇってばよ!)
・『理想と共生の家 エンジェル・ホーム』の食堂の壁に貼られてた“俗世の会話は禁止、魂が汚れます”とか言う教義(?)が気に入った(=^_^=)
・東京都内の「美しが丘ウィメンズクリニック」は、結構な宣伝になったんじゃなかろうか?
・「のぶえ〜!」とひと声叫んだ直後、高い塀から転落するおっさんは、悲し過ぎた・・
・エンジェル・ホームの廃墟の壁にスプレーで落書されてた“魔龍参上”ってのも印象深い。
・岡山名物は「倉敷」「後楽園」「ばら寿司」との事である。
・年月が過ぎようとも、変わらず“同じ場所”にいた、たった1人の人物が印象深い。
・ジョン・メイヤー(john Mayer)による挿入曲『ドーター(Daughter)』はなかなかイイ曲だった。

〜  こんなセリフも 〜

恵津子「必ず夜中に目が覚めました。4年間、毎晩です」
   「娘の助けを求める声に、本当に気が狂いそうでした」
   「娘は、誘拐した女を愛していたんです。
    それがどんなに苦しくて、どんなに悲しい事か、分かりますか?」
   「娘が戻って来ても、私たち家族の苦しみは続いているんです」
   「あの女は娘の身体だけでなく、心も奪いました。
    私たちの幸せな時間を返して欲しい」
   「あんたなんか、死んでしまえばいい・・死んでしまえ。死ね!」
   「あんた、赤ちゃんを引きずり出して殺して・・
    その罰で“空っぽのがらんどう”になったのよ」
   「何であの子も、クルマに乗せなかったんだろ?
    何であの子を、家に置いて行っちゃったんだろ?」
   「どうすればイイの? ちゃんと好かれたいのに」

希和子「“空っぽのがらんどう”だと言われました」
   「ひと目でも(あの子を)観たら、それで諦めがつくと思ってました」
   「あの笑顔に、慰められたような、
    赦されたような・・そんな気持ちでした」
   「逮捕される迄、毎日祈るような気持ちで暮らしてました」
   「秋山さん夫妻に、感謝します。お詫びの言葉もありません」
   「あんな人、とっくに別れたよ」
   「いい? ここにはもう戻らへん」
   「ママがいるから、怖い事なんかないよ」
   「薫と一緒におれますように」
   「これからは色んなものを観よう・・綺麗なものを沢山」
   「お引っ越し、しようか? 島、出よ?」
   「ママ・・もう追いつけないよ」
   「その子はまだ、ご飯を食べていません!
    ・・宜しくお願いします」
   「有難う・・薫と一緒で、ママは幸せだった」
   「ママはもう、何にも要らない。
    薫が全部、持って行って」

恵理菜「・・3日じゃないです。7日です。蝉の寿命」
   「ホントに覚えてないんです」
   「すごい、ずうずうしくないですか?」
   「母親になんか・・なれない」
   「ムリして父親ぶらなくてイイよ。
    そんなの、全然似合ってない」
   「好きなるってどう言う事?
    好きになるのをやめるってどう言う事?
   「好きなとこ? バレバレなのにウソをつこうとするとこ」
   「・・ストーカーじゃないです。岸田さんです」
   「あのね、今まで言わなかった事、言うね」
   「終わるなんて、絶対に出来ないと思ってた」
   「彼は力になってくれないよ。
    “面倒から逃げる人”だもん」
   「“あんたは悪くない”・・そんな事を言ってくれる人、
    今までいなかった
   「世界一悪い女が、ウチをめちゃくちゃにしたんだ」
   「あたし、産むよ。他人の子を誘拐したり
    しないで済むように、独りで産む」
   「あたし“空っぽ”になんかなりたくない」
   「面白がってんでしょ?」
   「ホントは堕ろそうと思ってたんだ。
    だけど、エコーで子供の姿を見たら・・お腹の中にいる
    誰かに、綺麗なものを沢山見せる義務が
    あるんじゃないかって思ったの」
   「ここ、おった事ある」
   「憎みたくなんかなかったんだよ、あなたの事も」
   「この島に戻りたかった・・ホントは戻りたかった」
   「私、色んなものを見せてやるんだ。
    “何も心配ないよ”って教えてあげるんだ」
   「私、もう※※※が好きだ。まだ※も見てないのに」

薫「“お星様の歌”を歌って・・それじゃなくて」
 「お母さんごめんなさい、お母さんごめんなさい」
 「薫、ママと結婚してイイ? そしたらママ、
  女手1つやなくなるやろ?」

千草「その“特殊なハナシ”を聞きたいんだってば」
  「取材? まぁ雑談って事でさ」
  「って何か、すごい冷静」
  「困るって? あんた、何も悪くないじゃん」
  「人間、働かないとね」
  「でも、8日目の蝉がいたら・・
   仲間、みんな死んじゃって、その方が悲しいよ」
  「“今いる所”から出て行きたいのよ。あんたと一緒に」
  「あたしは・・※の※が怖いんだよね」
  「瀬戸内の海って、すごい静かなんだね・・キラキラして奇麗」
  「8日目の蝉には、他の蝉には見られなかった
   “何か”が見られるんじゃない? もの凄く綺麗な何かが」

丈博「女房とは、ちゃんと話して別れるから」
  「子供は欲しいよ。だから全部、きちんとして・・
   分かってくれるよね?」

久美「お母さん似やね」
  「美味しいんで。無農薬やから」
  「施しをご苦労様です」
  「メムバー希望者です」
  「なかなか出来んわ。悲しみを棄てるなんて

岸田「(ぐちゃぐちゃになったって)腹ん中に入りゃ同じだって。
   (ケーキとしての)味は変わんないよ」
  「好きなとこ?
   俺だけに笑ってくれるとこ、別れ際に振り返らないとこ、かな」
  「そのウチ、全部ちゃんとするって言ったでしょ?」

エンジェル「良ぅ来てくれはりました。まぁラクにしぃや」
     「ここは“天使の家”やからな。アホな事する人間も、
      見棄てんと、助けてやらなアカンからな」
     「ほんで、あんた誰?」
     「私は“あんた何もんですか”と訊いてんねん」
     「そやろ? 何もんでもないやろ?」
     「私は、あんたにな、魂でハナシして欲しいんや。
      俗世のもんは、魂でハナシせぇへんねん」
     「こだわりをな、棄ててしもたらエエねん。
      何もかんも棄てたら、ラクになんねん」
     「良ぅ分かりました」
     「ここをな、見学したい、言う人、おるねんで」
     「俗世のもんは魂で喋ろうとせんやろ?」
     「ルツさんやったら、分かるな?」
     「天使の慈しみが降りて来ますように、祈ります」

運転手「ちらし寿司? いや・・“ばら寿司”言うたら“ばら寿司”や」

昌江「あんたも色々あったんやろな。他人には言えん事も」

滝「入っておいで」
 「顔を上げて」
 「顔を見せて」
 「なんも言わんと、ただ写真を観とった」
 「おいで」

岸田「仕事、戻りたくない」
恵理菜「じゃ、戻らなきゃ?」
岸田「言うなよ。ホントに戻りたくなくなるだろ」

千草「何でいつも独り?」
恵理菜「ラクだから」

千草「その人の事、好きなんだ」
恵理菜「好きかどうか、もう分かんないよ」

千草「産むの?」
恵理菜「産む!」

恵理菜「ここって一体何だったの?」
千草「“駆け込み寺”かな?」

恵理菜「何か聞こえる?」
千草「・・心臓の音」

| | コメント (6)

2011年1月12日 (水)

☆『やじきた道中てれすこ(2007)』☆

11日(火曜)の夜。
先週の中盤以降、通算1000キロ以上を走行した反動でか・・疲れの回復し切らぬ週始めとなった(ワタシは運転してただけなので、クルマの方が大変だったろうけど(=^_^=))。

これが以前だと、ケロッと元気に戻ってたような気もするんだが・・やっぱし歳をとってしまったせいかも知れない。。
(歳を重ねても、言動とか人間的な重み的なサムシングとかは、ナニも変化しないンだけんど、、)

本日は「大人しく帰宅の上、ごゆるりと過ごそう」と考え、のんびり夕飯を食べた後、衛星第2で放送された時代劇コメディ(?)『やじきた道中てれすこ』を観た。
あんまり期待してなかったんだが・・それ故か(=^_^=)、結構楽しく鑑賞出来た☆

日本でも、こんな設定でロードムーヴィーの造りようはあるワケなんやねぇ〜(・ω・)

江戸期、泰平の世。

大坂・淀川に6尺もの大きさの「奇妙奇天烈な生き物」が現れた。
捕獲されたそれは“てれすこ”と呼ばれ、食すれば「あらゆる病をも治すクスリ」になると言う。

江戸・品川宿。遊郭『島崎』の、人気の花魁(おいらん)=お喜乃(小泉今日子)は“荒神千躰(コウがだんだんジンに降りて来て、やがてセンタイとなる難病)”に倒れた父に再会するため、沼津へと逃げ出す。
そのお伴となったのは、弥次郎兵衛(中村勘三郎)&喜多八(柄本明)の凸凹コンビ。

当然ながら、稼ぎ頭である花魁が“足抜け女郎”となったことを『島崎』の女将(おかみ)が許すハズもなく・・地廻り(ならず者)の2人(松重豊、山本浩司)を雇い、連れ戻すべく追わせる。

川崎宿、戸塚宿、小田原の浜、箱根・・くっ付いては離れ、騙しては仲直り。
行く先々でとんちんかんな騒動を引き起こす、やじきた道中の行く末は・・

ワタシの持論(ってほどでもないが)「ロードムーヴィーには・・ピンポイントにせよ、ゲスト陣こそが肝心である!」って点で評すれば、本作はメチャメチャに豪華な布陣だった!
吉川晃司、國村隼、笹野高史、六平直政、南方英二(←昨年、鬼籍に入られました、、)、ラサール石井、間寛平・・終盤では藤山直美さんまで! それぞれに“チョイ役の域”は出てないンだが、それでも、シーンや物語がグッと締まるのである。

道中より、旅籠やら賭場やらでのシーンに重きを置いてるので、(道中の)距離感ってのがイマイチ伝わって来なかったが、、当然ながら、きっともの凄い距離を歩いてはったんだろう。

必ずしも「盛り込むべきだ」とは思わなかったが・・CG映像(演出)も“やり過ぎない程度”に活用してて、ちょっと微笑ましく感じながら観ていた。

捕まえた子狸を“タヌキ汁”にするため、川べりで準備する弥次さんが“周囲が通常の速度で言動する中、ひとり超高速で包丁を研いでる”シーンが何故だかやたらと面白くて、笑いっぱなしだったワタシ(=^_^=) 火花とか飛んでて、スゴかったし!

原作はご存じ(と言いつつ、ワタシは読んだ試しもないが)『東海道中膝栗毛』だが、そこに幾つもの(?)落語ネタを放り込んでシェイクしてる風で、ヘタしたらベタで寒くなるトコロ・・流石に中村&柄本の力量でゴリゴリ進んで行ってた印象だった(・ω・)

「時に、タンカを切る」小泉さんの言動にも好感が持て、たまに「何かを言いたそうだけど、黙ってる」その佇まいには、妙にドキドキしてしまったりもした(=^_^=)

細かい部分では「全く違う」(=^_^=)んだが、何故だか連想したのは『マーヴェリック(1994)』と言うコメディ系の西部劇だった。
あちゃらも魅力的なヒロイン(やや悪女系)が活躍してはったなぁ・・“あの女優さん”でしたっけね。

ただ、コメディ系とは言え、劇中に3ツもの頭蓋骨が登場したり、47本もの切れた指が登場したり、妙に生々しい柄本さんの“首吊り描写”があったりもし「ちょっと演出面で、子供向けじゃねぇなぁ」とは思った。
って言うか・・遊郭が出て来る時点で、良くないってば(⌒〜⌒ι)

“てれすこ”って何やねん! って部分で消化不良なトコは(正直)あるんだが・・きっと「マクガフィン」みたいなモノだったんやろ(←ってそれで納得してエエんか?)

エピソードによっては、顛末(特に“結”の部分)が端折られてたりもし「どうなったんよ?」とクエスチョンの消えぬ展開もあったりするが、そんな“野暮天”なことを言うヤツは・・きっと“ちゃらぽこ野郎”で“でこすけ野郎”なんだろう。

〜 こんなトコも 〜

・“新粉(しんこ)細工職人”って言う匠(たくみ)の存在することを初めて知った。
・本作に登場する「石燈籠」は『座頭市(2003)』でたけしが一刀両断してたアレよりも、よほど“”
重み有りげ”に見えた(=^_^=)
・色んな“騙しの手口”が劇中で描かれるが、沓脱清十郎(吉川)&菊(鈴木蘭々)のあの手口には、妙に引っ掛かりそうになってしまった(⌒〜⌒ι)
・タヌキも助けてみるモノである。
・わらじ:20文、月代(さかやき)剃り:30文・・などとセリフにあった。
・松重さんってば、危うく「えげれす行きのげぇこくの船」に乗せられそうになってた(⌒〜⌒ι)
・エンドロールに「てれすこ講中」なるクレジットがあり“講中”って言葉を初めて知った。

〜 こんなセリフも 〜

弥次「あっしも江戸っ子だ。1度出したものは引っ込められねぇ」
  「喋んな。腹が減るから」
  「あんたの反省なんぞ、聞きたかない」
  「素人は、これだから困るんだよ」
  「女も“くさやの干物”も・・古い程、味が出るんでぇ」 ←おい
  「で、これからどうすんだい?」
  「風の吹くまま、気の向くままってな。達者に暮せよ」
  「美味ぇ・・こいつはオツな味だぜ」

喜多「右や左の旦那様ぁ・・どうぞ功徳を下さいまし」
  「そこがお前の“人としての限界”だって、俺は言ってんだよ」
  「“1つ”でコトは足りるんだがなぁ」
  「俺には俺の、供養の仕方があるんだよ」
  「“女なんてこりごりだ”って言ったじゃねぇか」

喜乃「こっちは“騙します”って看板あげてやってんだ」
  「“斬り指”を見たら“夫婦の約束”に触れるんだよ」
  「男は、気を大きく持たなきゃ」
  「どうしたんだぇ? “鬼が塩辛舐めたような顔”してさ」
  「お前さん・・いい人だねぇ」
  「“人間の干物”が3ツ出来上がったって仕方ないだろ?」
  「あたし、弥次さんの優しさに乗っかって・・」
  「きっとそのことだね。弥次さんが黙ってて欲しいこと」
  「こちとら、色恋の手練手管でおまんま喰ってんだよッ!」
  「江戸には野暮と化け物はいないんじゃないのかい?」
  「頑張ってね〜! ついでに証文も破いちゃってね〜!」
  「あたしゃ、くさやで500文かい?!」

梅八「貰った指を2度も拝むなんざ、野暮でさぁ」
  「穏やかじゃないねぇ」

女将「あたしは、お前が“焦がれ死に”するんじゃないかと、
   気を揉んだじゃないかぇ」
  「銭、持ってんのかい? 何処の馬の骨だい?」

お染「あたいにお任せよ。どうしたって“その気”にさせるからさぁ」

賭場の代貸「そう言われてもね・・薹(とう)も立ってるしね」

※※「飛車だけは渡さねぇ。王将なんかなくたって勝ってやらぁ!」 ←おい
  「ささ、呑むっちゃ!」
  「騙くらかすには、江戸っ子が一番だで」
  「男子として生まれたからには・・モテたい!」
  「今こそ、そのお腰の名刀で・・あ、竹光・・」 ←“たそがれ”系
  「おお、息災で何より」

村人「こりゃ、新しい流行り病(はやりやめぇ)に違ぇねぇ」

お仙「ああ“てれすこ”? “すてれんきょう”はどうすんの?」
  「てれみそ(味噌煮)1丁〜 すてしお(塩焼)1丁〜」

奉行「そのほう、今、何と申した?」
与兵衛「へぇ“てれすこ”でおます」

弥次「あのことって・・あのことか?!」
喜多「そうだよ。“そん中のどれか”だよ」

| | コメント (2)

2010年5月31日 (月)

☆『谷中暮色/Deep in the Valley(2009)』☆

昨日29日(土曜)は、午前中に帰阪しつつ・・その勢いのまま、奈良県内を“ドライヴツアー”して来た。

距離的に余りあちこち走り回る時間も、体力もなかったんだが・・しょっぱなに立ち寄った橿原駅界隈の「今井町」と言う細い路地の「重要伝統的建造物群保存地区」で“クルマをどっかに止めて歩けば良かった”モノを・・多少の「ラクしたさ」に負け強引に路地に入って行ったら・・
対向車とすれ違う際、左フロントのホイールを見事にガリガリ状態に擦ってしまい、ココロが大幅に凹んだ・・(×_×)

今夏に新型iPhoneがリリースされたら、購入は「ほぼ確定」してるが・・併せ“ちょこっと計画”してたiPad購入が、今回の「ホイールガリガリ君事件」の後処理でどうやら「吹っ飛んでしまった」ようでもあり、落ち込みも激しい、、
でもやっぱ、このまま(治さず)乗り続けるのは精神的に我慢出来へんし(×_×)

ってことで「狭路でコスるのがこれで運転歴2度目」なのもあり・・今後は“狭路走行、速度超過、違法駐車”の3ツのキーワードについて、自らを厳しく戒めたいと考えている。

そんな訳で、前述の通り「コスっただけ」で「今井町ツアー」は(下車し歩き回ることもなく)早々に終わったのだった。うわらば!

30日(日曜)。

「失意から取り急ぎ回復せねば!」と思い立ち、午前中から自宅を出発・・「地下鉄中央線・九条駅」界隈にあるミニシアター“シネ・ヌーヴォ”に向かった。
先週末に鑑賞し損なった1作『谷中暮色/Deep in the Valley』をようやく観た次第である☆

幸田露伴の著した小説『五重塔』のモデルになったとされる、東京都台東区谷中(やなか)地区にかつて存在した“五重塔”・・

1644年、建立
1772年、火災(←明和の大火)により焼失
1791年、48人の宮大工により再建
1893年、『五重塔』としてフィクション化
1957年、放火心中事件により焼失

焼失後ほどなく再建され、戦火も免れた古塔であったが・・男女の心中の道連れであっけなく失われたまま、半世紀を経ている。
今や塔の存在を示すものは、建てられた「天王寺五重塔跡」の石碑と、その奥に広がるがらんとした空間、そして礎石のみ。

地区内の住人から古いホームムービーを収集⇒修復し定期的に上映会を催している団体「谷中フィルム協会」に所属するカオリは、戦後に消失して久しい“五重塔”の存在と、その“まさに燃え盛る姿”を記録した8ミリフィルムが何処かに保存されていることを知る。

寺院の住職、霊園の女性墓守、工芸職人、郷土史家・・「谷中の過去を知る、年老いた人々」を訪ねる、カオリとその彼氏=ヒサキ。

果たしてフィルムは何処に隠されているのか? そしてその中に記録されていた映像とは・・?

寳塔・古塔好きなワタシとしては「CG映像で再現された、谷中五重塔の燃え上がる姿が拝見出来る」ってことで、外せなかった1作でもある(←この鑑賞動機は、少し野次馬根性じみてもいて、恥ずかしくもあるが)。

シアターが通常の広い方から、狭い“シネ・ヌーヴォX”に変わったので、2週連続で「あの空間」に叩き込まれることとなった(=^_^=) 因みに今回も「整理券番号:1」であり・・観客数に至っては。何と2名だった(⌒〜⌒ι)

物語自体は
1.インタビューによる「ドキュメンタリー」部
2.カオリ&ヒサキによる「恋愛ドラマ」部
3.宮大工・十兵衛とその妻・お浪による「小説『五重塔』の再現ドラマ」部
の3パターンが交代で展開される。

3つの物語に“ヴィジュアル的な変化”を持たせる意味でか、1と2は「モノクロメイン」で、3は「セピアカラーメイン」で描かれる。
たまに映像がフルカラーになったりして、戸惑ってしまうのもあったが(⌒〜⌒ι)

結論としては、1の出来は「記録映像」としてもなかなか良かったんだが、2がベタな展開であり、3が中途半端な出来だったために、総合的にバランスが崩れてしまい「ちょっとねぇ・・」って印象が正直拭えなかった。
1と2を組み合わせたパターンでは、かの河瀬直美監督辺りがスゴく巧い(したたか、とも言おうか)撮り方をしてるんだが、河瀬監督なら「そこまで踏み込んでは描かなかったろうな」と言う部分にまで描写・演出の手を広げ、かつそれがイマイチになってるのが敗因だったような・・

まぁ最大の敗因は、最大の見せ場である「クライマックスの五重塔炎上シーン」のCGの出来がどうにも「良くなかった」ってのがある。「形状」「背景とのバランス」「映し方(燃え方⇒崩れ方)」のいずれもがどうも不自然でペラッペラだった感じ。
あれはCGじゃなく、限りなく実寸に近いミニチュアをちゃんと製作し、火を放つ、ぐらいの気合が欲しかったトコだ。

主人公=カオリちゃんは眼の表情がイイんだけど、全体的に「ヒロインを演じるには、ちと荷の重過ぎる感」があったし、ヒサキのキャラ造型の背後にある“ヤンキーorチンピラorチーマー”の設定は、それを延々見せられても、共感も出来ないし、不愉快なだけだった。
(と言うか、1度現地界隈を数時間歩いたことがあるが、夜はあんなにヤバい地区と化すのか(?)、そこが大いに疑問である)

カオリ&ヒサキ役の俳優さんを、そのまま『五重塔』の2人(十兵衛&お浪)に流用(って表現でイイの?)してるのも、アイデアは認めたいけれど、ちょっと感情移入出来なかったかな。

ってことで、作品時間をもそっと削って、インタビュー部分はそのままに、(終盤の)フィルム上映の部分をもっと洗練した見せ方で描けば、更に“観客に伝わるモノ”が多くなった気がした。

一方で、シーンをスチール(写真)にして、そのまま(引き延ばして)ポスターにして飾りたいな〜と思わせる、素晴らしい「絵と構図」が(劇中の)あちこちにあったのは素晴らしい。

総じては「観といて、良かった」と思える1本ではあった。

〜 こんなトコも 〜

♦全編に渡り「英語字幕」仕様だった。
♦冒頭に数度のブランク(暗転を伴う余白)が挿入された。アレは意図的なモノか? にしてはさほど意味を感じなかったが?
♦谷中霊園は広大なので、あちこちに「甲4号1側」「甲9号4側」「甲3号2側」などの案内表示が立てられている。これらの配置(位置関係)が分かるしとは、更に臨場感を覚えたことだろうな。
♦「谷中」と呼ばれるのは、そこが「本郷」「上野」の2つの台地の谷間に位置するからだそうだ。
♦お寺の入口に「無」の1文字が掲げられていたが・・字幕には「nothingness」とあった。
♦冷静に“谷中五重塔”を眺めると・・「屋根の平べったさ」「相輪の(輪の間隔の)狭さ」が際立っている。正直、ワタシの好きなカタチではないかなぁ(・ω・)
♦墓守のお婆ちゃん。墓石を奇麗に磨く為とは言え、、墓によじ登り、足蹴にしたりしてる、、(⌒〜⌒ι)
♦「立ちのぼる線香の煙」「座した人の横顔のシルエット」「陽光の射した木の廊下」・・これらがモノクロ映像にすごくマッチしてる!
♦劇中に登場する“モテ香水”「Fall in Love Perfume」の正体は・・“薄めたリンゴジュース”に過ぎないらしい(×_×)
♦ご老人の(散らかった)お住まいはモノクロに「色を落として」映さないと、ちょっとキツいかも?

〜 こんなセリフも 〜

山崎「ちゃんと話して、ちゃんと聴いたげないと。相手は話したがってるんだから」
  「ちゃんと話さず“フィルムを貸して下さい”だけで貸してくれる訳ないじゃない」

ヒサキ「何でみんな“五重塔”にこだわる?
    何で“燃えちゃったもの”にあんなに執着するんだろ?」

ヴィンセント「こう言った居酒屋で得られるのは“商品”だけじゃない。
       それは“心地よい雰囲気”と言うか・・」

人々「(塔が)あったんですよ。残念ながら、燃えちゃったんですけど。
   どうやらホームレスの人が放火しちゃったらしいんですけどね」
  「子供の頃は、(塔に)入って遊んでましたね」
  「(塔は)そこに有るものだと思っていた・・それが“当たり前”だとね」
  「(塔が)焼けた時分は娘だったんですよ。それが・・今やお婆ちゃんですから」
  「(炎上当夜は)風がなかった。とにかく火柱がスゴくてね」
  「伽藍の中で、一番目立つ存在が塔だった。
   そして人々は、塔を通じ“仏様”を見ていたのです」
  「仏さんが新しいウチだけね・・大勢が来て、賑やかにやってくれるのは」
  「(フィルムなんか)持ってないよ。持ってたらどうなの?
   (中略) そう言うのが付き合いなの。他所様のこと、喋れないの。分かる?」
  「(炎上を)見ても“見た”って言えないよ。思い出したくないから・・たとえ見ててもね。
   分かる? その気持ち。 ・・おたくらには分かんないだろうねぇ」
  「何かまた、“建てる”ってハナシを言ってますよね」
  「生きてるウチに・・見たいもんだなぁ」
  「(炎上する姿は)そりゃ、奇麗でしたよ。人は死んでんだけどね」

〜 こんな英訳も(字幕より) 〜

「うそ!(I can't believe it.)」
「有り得ないって?(Let me ask you.)」
「そこ、邪魔(You are in my way.)」
「上人様(Highest monk)」
「ああ、やれやれで御座いまして(Oh,boy.. What a day.)」
「1人で行って来な(Go by yourself.)」
「何とも言えないけどね(It's hard to say.)」
「ふざけんなよ(Gimme a break.)」
「よみがえれ(Come to life once again.)」
「無縁様(Lonely stones)」

| | コメント (4)

2009年12月30日 (水)

☆『容疑者Xの献身(2008)』☆

29日(火曜)の夜。TV放送された『容疑者Xの献身』を観た。地上波初放送☆
劇場公開当時、気にはなってたがスルーしてしまった内の1作ではある(・ω・)

この日、朝は“寝だめ”をし、午後からもぞもぞと動き出し“ワーナー・マイカル・シネマズ綾川”なるシネコンにクルマで向かった次第だが・・狙ってた回の『アバター【3D字幕版】』の残席電光表示が「×」となってしまっており、その次の上映時間までが(余りに)開き過ぎてたため鑑賞を断念した(×_×)

この『アバター【3D字幕版】』の鑑賞が年末年始(←叶うならゼヒ年末に観ときたいトコ)の課題なんだが・・年内の課題がもう1ツあり、それは「クルマに3ヵ月ぶりのポリマーコーティングを施すこと」だった。
コレはまぁ“クルマに対するご褒美”のようなモノだが「3ヵ月間隔で計3回はやったげよう」と決めてるもんで、そちらについての本日中の施行予約が何とか取れ、コーティング作業は無事終了した☆

今日の“綾川行き”については、ホンマに(時間&ガソリンのムダを含め)エエことが1ツもなかった。
屋上駐車場に向かう際、前のクルマの動きが「余りに遅過ぎる」もんで車間距離を詰めて(≒押して)あげてたトコ、クルマから運転手の兄ちゃんが降りて来て、窓越しに難クセをつけられてしまった。。

正直、結構怖かったんだが(×_×) こっちはこっちで「毅然とした態度を貫いた」のが奏功したか(?)その場では大したトラブルには至らず。
しかし、先方が「携帯でクルマを撮影してきやがった」ので、こっちもそれ以上の枚数を撮影しておいた。

こう言うのんは“写真の交換”って言えるんやろかね(・ω・) しかし・・ワタシごときが言うのも何なんだが、アタマの良くなさそうな若者だったなぁ、、 はぁ、疲れた。

(ってことで、急いでいる時も、車間距離は余り詰めないようにしましょうね。その点は反省・・)

東野圭吾による同名の推理小説を映像化した本作。同氏はこの作品により「第134回直木賞」を受賞している!

警察に協力する、帝都大学准教授である物理学者・湯川学(通称:ガリレオ)を「探偵役」としたシリーズの小説3作目、劇場版映画化1作目。

・・・

2008年12月初旬。

花岡靖子(松雪泰子)は1人娘=美里と共に、都内のアパートに慎ましく暮らす、弁当屋「みさと」の店長。そんな彼女のもとに、別れたロクデナシ亭主=富樫慎二(長塚圭史)がやって来る。

母子に付きまとい、カネをせびり、その上暴力を振るう元夫。その繰り返しはこの夜も同じだった・・ただ1つ「靖子が思い余って富樫を絞殺してしまう」と言う不測の事態を除いては・・

壁越しに騒ぎの一部始終を耳にした、隣室に住む高校数学教師=石神哲哉(堤真一)は、彼なりの「とある事情」により、この殺人事件の隠蔽に関し、母子に救いの手を差し伸べる。

そして朝、遠く離れた少年野球のグラウンド脇で、富樫の惨殺遺体が発見される。

“天才数学者”石神の助力により、事件当夜の花岡母子のアリバイは「完璧なモノ」に仕上がる。
捜査が暗礁に乗り上げた警視庁の草薙刑事(北村一輝)と内海刑事(柴咲コウ)は、帝都大学に赴き、草薙の友人である湯川(福山雅治)に協力を依頼する。

この事件に、大学時代の友人であった石神が大きく関与している「であろう」ことを察知した湯川は、独自に調査を始めるのだが・・

放送時間=2時間35分の長さには、正直少し疲れてしまった。基本路線は“刑事コロンボ”シリーズのような「前半:犯人視点、後半:探偵視点」のドラマ進行(←やや変則的)なんだが、殺人事件の真相の重苦しさに、疲れてしまった感。。

東野作品の映像化を観るのは『レイクサイド・マーダーケース(2005)』以来なんだが、あちら同様、またも「ビニールシートで顔面を覆い、石でドツいて破砕する」みたいな描写が出て来るので「やめてくれ〜!」と心中で叫んでいた(×_×)

公開当時、劇場で本作を観た方に「これは堤真一の主演作」と聞いてたが・・ホンマに堤さん「予想以上の献身ぶり」だった(⌒〜⌒ι)

しかし何だろ・・ウィキでも「本格論争が展開された」だのと書かれてるが、実際その通りで、普通に観てたら「観客の誰にも解けないトリックやろな」と言うのはあった。「重要な情報(≒推理要素)が実は冒頭から伏せられてた」ってことなんだが、確かに1ツの事件を巡り「場所(=不在証明(アリバイ))」が崩せないとなれば「時間」の要素から叩いて行くほかないんだが・・辿って行って、あそこまで“もの凄い仕掛け”を組んでいる、とはちょっと想像がつかんやろね、と。

にしても福山さん。確かに同性ですらホレボレするほど(←危ない!)の「エエ顔」をしてはる! CMで見かける時は、妙なパーマみたいな髪型がどうにも好きになれないんだが、フツーな感じで、フツーに見かけたら、コレはもうカッコいい!
こんな青年が「娘さんを僕に下さい」とか言って来たら、もうコレって首関節はタテにしか動かしようがないんじゃないかな(←ってどんなシチュエーションだよ!)

福山さんがミステリアスに、エキセントリックに、前面に出てしまってるため、どうにも「しょぼくれた印象」のより際立ってた堤さん。心なしか背中も丸め、貧相な感じに映ったはった(×_×)

ラストでは、いよいよ“総ての謎”が白日の下にさらされてしまい“慟哭&絶叫”してしまう彼なんだが・・それを観てたワタシは「お次は“刑法39条”に眼を付け、心神喪失を装う作戦はどやろ?」とかアドバイスしたげたくなった。。あ、そりゃ別の作品か。。

ドラマ版の『ガリレオ』を全く観たことがないので、この『容疑者X』のみが特殊な展開なのか、そこは良く分かんないンだが・・期待してた「往年の円谷ドラマ『怪奇大作戦』のテイストを濃厚に漂わせた、超常現象解決モノ」なのかな〜? と言う期待のみは大きく裏切られてしまったな(・ω・)

松雪さん。『クヒオ大佐』でも弁当会社の社長を演じてはったな。
本作でも、しっかりした弟がもしいたら、多少はもっと穏やかな(?)展開となってた気がするんだが・・(⌒〜⌒ι)

ってことで、確かに「堤真一の献身ぶり」だけは必見と言えるんだけど・・余りに重苦しい展開に、観終わってどっと疲れの出たワタシなのだった。。

ひょっとしたら東野さんの「こう言うトリックはどや?!」ってな世界観&演出面と、肌が合わないのかも知んないな、ワタシ(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

♦冒頭の、羽田沖で起こった“武蔵野医科大学病院長・大倉正宏氏殺害事件”は解決したんやろか?(←本編で起こる、とある“報道すらされぬ殺人”との対比こそが言いたかったんやろね)
♦劇中での、湯川の“女っ気のなさ”は異常だった。「空※人形」とかで代用しとるのか? 私生活も全く描かれないし・・
♦湯川&内海刑事の「恋愛ドラマ」に、観客は期待すべきなんやろか? その面では何とも消化不良。
♦草薙役が北村一輝である必要性は(正直)なかったような。。
♦中盤の冬期登山のシーンは、も少し切り詰めても良かったかなと。
♦花岡母子、貧乏生活なのかと思いきや、任※堂W※iで楽しく遊んでたり。余りに楽しそうで、ちとWi※が欲しくなって来たぞ(=^_^=)
♦大田区蒲田の「扇屋旅館」に宿泊した、富樫の「初日の行動」をもっと洗えなかったんか?
♦発見された富樫の全裸遺体。体格、身体的特徴、血液型などは完全一致と結論付け得たのだろうか?
♦川べりでいなくなったとある人物。ワタシが石神なら、もうあそこは通らないと思うが。恐らく目撃されてるだろうし、そのことで別な人に話しかけられても厄介だし。
♦石神の部屋のルミノール反応ってどうなんやろ?
♦アパート聞き込みでの「物音情報」は全くなかったんやろか?
♦壁に仕掛けてあったマイクは「急ごしらえ」やろか? それとも・・?
♦本作における長塚圭史さんは『OUT(2002)』における大森南朋さん同様、短過ぎて、悲し過ぎる運命を辿ったはった(×_×)
♦ネオジウム磁石(ウィキによれば、正しくは「ネオジム磁石」らしい)って実在するんやね。ちょっと欲しくなってしまった。
(磁力が強力過ぎ、手指を挟んでケガする恐れがあるほどらしい!)
♦何気なく「国際防衛研究所長・有繭文雄」役で石坂浩二氏が出演してた!(冒頭のみ)

〜 こんなセリフもありました 〜

湯川「有り得ない? 総ての現象には必ず理由がある」
  「何故この現象が起きたか? それだけにしか興味はない」
  「愛、確かにそれは非論理的なものの象徴だ」
  「論理的思考には、冷静な分析が必要だ」
  「思い付きや勘だけで答えを出そうとするのは、間違いの始まりだ」
  「アリバイなんて、科学とは何の関係もない」
  「実に面白い・・なかなか楽しかったよ。じゃ、頑張ってくれ」
  「美人、それは大事なことだ」
  「関心がないんだよ。(石神にとって)数学のこと以外は」
  「君にしてみれば、こんなに面白い世界はないのに」
  「全く論理的じゃない」
  「気になって来ると、いてもたってもいられない性分でね」
  「良く変人と呼ばれる」
  「不要になったレポートを(焼いて)処分してるんだ。シュレッダーは信用出来ないからね」
  「僕は個人的興味で動いてるんだ。警察に協力するためじゃない」
  「殺人によって苦痛から逃れようとするのは合理的ではない」
  「あいつはそんなミスはしない」
  「いや、殺人の方が(数学よりも)彼には易しい筈だ」
  「まさか、有り得ない」
  「辛さで脳細胞は活性化しない」
  「その時、僕は気付いたんだ。“彼は恋をしている”と」
  「僕がこの事件の真相を暴いたところで、誰も幸せにはならない」
  「そして石神は、あなた方も知らない“とてつもない犠牲”を払った」
  「あの山で出来なかった話をしよう」
  「残念だ・・その素晴らしい頭脳を“こんなこと”に使わなければならなかったとは」
  「もし石神が、人を愛することを知らないまま生きていたら、
   罪を犯すこともなかったのかも知れない。
   あいつはそれほどまで深く、人を愛することが出来たんだ」

石神「随分早く、刑事が来たと思われたでしょう。でも怖がる必要はありません。想定内です」
  「大丈夫です。私の論理的思考に任せてください」
  「あなたの店で弁当を買えなくなると、僕は困りますから・・」
  「ま、しかし、数学の研究は何処でも出来る。場所は関係ない」
  「残念ながら、この反証には間違いがある」
  「次のカードを切ることにします」
  「単純な引っかけ問題ばかりですよ。
   例えば、幾何の問題のように見えて、実は関数の問題だとか。
   少し見方を変えれば、解ける筈なんです」
  “即刻この男とは別れなさい。さもなくば、私の怒りがこの男に向かうことになるだろう”
  「今登らないと、もう一生機会がないかも知れない」
  「もうすぐガスは晴れる」
  「なぁ湯川。“あの問題”を解いても、誰も幸せにはならないんだ。もう忘れてくれ」
  「それから・・私たちが連絡を取り合うのはこれが最後です」
  “隣同士が・・同じ色になってはいけない・・”
  「警察は君のためだったら、法律まで破るのか・・大したもんだな、湯川」
  “私が何を言っているのか、あなたはお分かりにならないでしょう・・それでイイんです”
  “私のことは総て忘れて下さい”
  “あなたに幸せになって貰わなければ、私の行為は総て無駄になるのですから”

石神「殺したんですか?」
靖子「え?」
石神「・・ゴキブリ」

靖子「・・」
石神「・・花岡さん。ゴキブリじゃないんでしょう?」

湯川「なかなか興味深い通勤コースだ」
石神「いつもと同じ光景だよ。“彼ら”は時計のように正確に生きてる」
湯川「人間は時計から解放されると、却って規則正しい生活になる。・・面白い」

湯川「誰にも解けない問題を作るのと、その問題を解くのとでは、どちらが難しいか?」
石神「興味深いね・・考えておこう」

石神「ずいぶん遠回しな言い方をするんだな。君らしくない」
湯川「もうおしまいだ、石神」
石神「どうかな? 本当は最後まで証明出来てないんじゃないのか?
   ハッキリと君の推理を言ったらどうだ? 何故言わない?」
湯川「君が友だちだからだ」
石神「僕には、友だちはいないよ」

石神「あの(証明の)答えは美しくない」
湯川「美しくない? ・・面白い」

湯川「これがこの事件の真相だ」
石神「仮説を話すのは君の自由だが、仮説は実証して初めて真実になる。そうだろ? 湯川」

内海「犯人にとって、何か“都合の良いこと”って何ですか?」
湯川「さっぱり分からん」

内海「もし先生が、痛みに耐えられないのなら、私も一緒に受け止めます」
湯川「刑事ではなく、友人として聞いてくれるか?」
内海「友人として? はい」
湯川「この事件の結論は、総てこの僕に任せて欲しい」

追記:ラトビアの女教師=エミリー・サジェの“バイロケーション”のケースはこちらで紹介されている。

※無断リンク、ご容赦下さい。

| | コメント (4)

2009年5月 8日 (金)

☆『ヤッターマン/劇場実写版』☆

7日(木曜)。昨夜は「この連休はTVらしいTVも、映画らしい映画も観れんままやったなぁ・・」としょんぼりしつつ、ここ高松へと戻って来た次第。
結構“法定速度遵守(←もちろんデス!)”でノロノロとクルマを走らせつつ・・も意外とサクサク帰って来られた(自宅前からきっかり2時間半)のだけは嬉しかった☆

今朝は・・朝から雨が降っており、再びしょんぼり(×_×) バス通勤がとにかく「(到着)遅い」「(運賃)高い」「(車内)座れない」と3重苦を抱えた厄介な存在なのだ(ワタシにとっては)。。

そんなことで、久々の通勤で朝から疲れ、勘の戻らぬ(=^_^=)職場の電話対応に神経をすり減らし・・夕方の近付く頃には「何かすぐにも気分転換しとかないと、こんままじゃ明日1日すら乗り切れんぞ!」と(連休明けながら早くも(=^_^=))切羽詰まってしまうのだった、、

ってことで、仕事を終えてからまた“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと“ことでん(2両編成でけなげに高松エリアを走る、ローカル線)”に揺られ向かったワタシ。

ホントに観たい作品は「正直、別にあった」んだが・・上映開始20:30と、ちょっと帰宅時間までを加味し考えるとキツ過ぎたので、18:45から始まる『ヤッターマン/劇場実写版』を観ることにした☆
「サービスデーでもないのに、満額(=1800円)払ってわざわざ観るかぁ、俺?」って感じで“自身の行動を考え直させようとする、別な自分自身”も確かにいたのだけれど、、(⌒〜⌒ι)

で、シアターはやはり“全席指定席”だった。かつ上映(期間)も末期だったためか・・観客はおっさんばかり3〜4人どまりだった気がする(・ω・)

古(いにしえ)から世界各地で“文明”“歴史”の影に隠れながらも語り継がれて来た謎の石“ドクロストーン” 地球上にちらばった“全て(=4つ)のドクロストーン”を集めた者には、奇跡がもたらされると言う・・

辺境“ナルウェーの森”で2つ目の“ドクロストーン”を発見した考古学者・海江田(阿部サダヲ)は、直後に失踪してしまう。海江田博士に1つ目の“ドクロストーン”を託されたひとり娘(?)・翔子は、それ故に“ドロンボー(=3悪)”の一味に狙われることとなる。
翔子を助けるためヤッターマン(1号&2号)が駆けつけ「渋山・ハッチ公前広場」での“ヤッターマン(=男女ペアの等身大ヒーロー)&ヤッターワン(=犬型の巨大ロボット)”vs“ドロンボー(=女1+男2の等身大3悪トリオ)&ダイドコロン(=巨大ロボット)”の激闘が開始される・・

観る前からちらほら耳にしてたことでもあるが・・ある意味“ドロンボー”の女ボス=ドロンジョ(深田恭子)を大きく取り上げた「オリジナルアニメ版に比べ(?)やや脱線した感のある」作品にも映った。
この深キョン(←おい、早速馴れ馴れしい呼び方かい!)が・・当初こそ「めちゃめちゃ“スティック・リーディング”やんか!」と驚愕させられる訳だが(⌒〜⌒ι) 次第に「これはこれでエエか」とさして気にならなくなって来るのが不思議☆

深キョンと言えば・・『阿修羅のごとく(2003)』で幸薄き(4姉妹の)末っ娘役を演じてられたのをうっすらと覚えてる程度、、
改めてまじまじとご尊顔(は半分がたマスクに覆われてもいたが・・)やスタイルを拝見した次第だが・・思った以上に巧く“初々しさ”を漂わせつつ、その中で自分らしいアピールもしてるように見え、意外に好感度が高かった!

特に「手下2人(ボヤッキー:生瀬勝久、トンズラー:ケンドーコバヤシ)に対しては容赦ない言動を浴びせつつ、とある成り行きを経て以降は、ヤッターマン(1号:高田ガン(櫻井翔)、2号:上成愛(福田沙紀))に対し、複雑な感情を見せる機会が増えてくる」って展開で、その“戸惑いの表情”が妙におっさんのハートをくすぐってくれた☆

一見、三池崇史カントクの厳しい演技指導(?)を前に、半泣き状態で妙な言動を突き付けられ続けた、ハードル高き撮影現場の日々やったんかなー? とか観る者を心配させつつ・・ホントは案外楽しんで、現場でアドリブなんかも交えたりして、嬉々として演じてはったんかもなー? とも思わせる、そんなしたたかさ&余裕も何処かに感じさせる女優さんである。

ボヤッキーが「全国の女子高生の皆さん」にリアルに囲まれる(?)映像演出は、全国のボヤッキーファン(?)からすれば、きっと夢のようなショット(=^_^=)に違いなかろうが・・一般の観客としては「荘厳さすら感じさせる」か「ただ単にムダなカットに等しい」か、のどちらかで・・観る者全てがある意味“寛容さ”を試される瞬間とも言えようか(=^_^=) 

阿部サダヲが冒頭&終盤で登場するが、特に後者でのメイク演技には、正直“ハリーポッターシリーズ”の鼻のないハゲた敵ボスのおっさん(←おい!)なんかよりもよっぽどヴィジュアル的なインパクトも備わっており、禍々しさがより巧く表現されてた気がしたな。
ラスボスが2段階で“変身”する演出なども、ロールプレイングゲームに出て来るボスキャラみたいで個人的には楽しめた。

ロケーションが大きく3つ(渋山、オジプト、南ハルプス)に分かれ、激闘も3回ほど繰り返される訳だが、あの全体的なライトタッチの世界観(←映像群の色調こそ、押し並べてやや暗めだったが)からすれば、もそっと削るトコは削ってスマートにまとめた方が良い気はしたか。

また、妙に“オトナ対応のエロネタ”に逸脱&暴走しちゃう傾向があり、そこは「対象年齢が絞れてない」印象があり、観てて複雑な感があったかな(・ω・)
制作スタッフの誰かが暴走し、周囲も黙認せざるを得なかったか・・? と勝手に決め打ちしてるワタシなんだが(=^_^=) 果たして誰が「リアルドクロベエ(=暴君)」だったんだろうかな?(=^_^=)

〜 こんなトコロも 〜

♦人間姿のトンズラーの胸に「豚面(とんづら?)」なる名札が! 一方、ボヤッキーの名札は・・(漢字が)判読出来なかった(×_×)
♦トンズラーが「猪八戒」に、ボヤッキーが「沙悟浄」にも見えてしまった。
♦生身の人間と思ってたヤッターマンのお2人だが“アンブレイカブルな存在”であることが序盤戦で判明! あんなに身体能力が高かったとは・・
♦人間姿のトンズラーの“おかっぱ頭”+ボヤッキーの“アフロ頭”から「B&B(漫才コンビ)」を連想してしまった。。
♦唐突なバトルシーンから始まる(冒頭の)演出はなかなか良い! それにしても浅草は平和だったのに、渋谷(=渋山)は妙に廃墟になってたなぁ?
♦CGとは言え、あの“ドクロ雲”を良くぞ再現したなぁ・・と(・ω・) 反発する団体が何処かにきっといると思う、、
♦ヤッターマンのマスコットロボット“オモッチャマ”は何と「単3電池×2本」ぽっちで動作し続けてるらしい! エネル※プの開発者がぶっ飛ぶハナシですなぁ(⌒〜⌒ι)
♦命綱もなしに、四つん這い(!)で南ハルプスの断崖絶壁を頭を下に(!)降りてゆく翔子ちゃん! ホントの名は“伽椰子(かやこ)”ではなかろうか、、
♦某サラリーマンの言ってた「ピコピコルンルン」って何だ? IT用語か?
♦ヤッターワンの走行シーンで「ETCカードが挿入されました」ってアナウンスの流れるのはなかなか良い☆
♦ヤッターワンにしがみつく翔子。振り落とされそうになり必死で耐えるが・・ヤッターマンの2人は全く気遣いもせず、、
♦ドロンボーの2台目の巨大メカ“ヴァージンローダー”・・武器の“おっぱいマシンガン”“おっぱいミサイル”ってのはタイムリーで素晴らしい! ナイスおっぱい!
♦ヤッターワンの片眼がマシンガン攻撃で割れる描写が細かい。あの辺りから“ヤッターワンの迎える運命”は決まってたのかも(・ω・)
♦消えてはならぬもの・・“ジャンボパチンコ”看板の1文字・・ってあんたは『たけしの挑戦状』(往年のファミコンゲーム)のネタかい!
♦「右にヤッターマン1号、左にドロンジョ」を配した、2分割された画面・・を中央から強引に開こうとするヤッターマン2号! この映像演出にはブラ※アン・デ・パ※マ監督も驚愕?!
♦ボヤッキーのヒゲ(?)は付け鼻と同様、造りものであることが判明(?) サルバドール・ダリ的に言う“宇宙と交信するアンテナ”みたいな突起なんだろうか?
♦ちらっと浅草寺の五重塔が映ってました! ってことで、あの遊園地は「花やしき」?
♦鮨屋の客とし、声優の小原乃梨子さん、たてかべ和也さんが特別出演! 流石にかなり声と(ご尊顔の)ヴィジュアルのギャップが開いて来てはるような、、
♦全身赤銅色(?)のヤッターワン、無塗装(?)のヤッターキング・・と、味方巨大メカのカラーリングがどうにもサエなかった。。

〜 こんなセリフもありました 〜

トンズラー「毎週毎週、かなわんわ」
     「女王様は、逆ギレしてナンボやで」
     「ナンボでも見したったらエエねん、そんなモン!」
     「生きるんや・・ボヤやん!」
     「“カチッ”って何やねん、これ・・」

ボヤッキー「お給料の3ヵ月分で埋め合わせたぜ・・」
     「ヤッターマンめぇぇ・・特に1号めがぁぁ・・!」
     「このイカスミ、電撃を跳ね返す。しかも・・地球に優しい☆」
     「天才の天才たる所以(ゆえん)を、これからお見せ致しましょう」

ドロンジョ「悪いのはぜ〜んぶこのボヤッキーなんです!」
     「このメカでも勝てなかったら、タダじゃおかないよ!」
     「あたしは泥棒の神に帰依した女・・」
     「スカポンタンな一生を過ごすもよし、新しい青春を取り戻すもよし」
     「いい女は、振り向かないものなんだよ」

ドクロベエ「それは、人間如きの手に負える石ではないべぇ」
     「ドロンジョよ、今日も美しいのぅ・・」
     「ドロンジョよ、お前は我輩のモノだべぇ」

ヤッターマン1号「ところで“ドクロストーン”って何だ?」
        「助けた訳じゃないぜ。こう言う形で勝負がつくのは好きじゃない」
        「ヤッターマンは2人で1人!」
        「助けるだけが正義じゃない・・誰だって自分の力だけで乗り越えなきゃならない時もある」
        「しまった! 出るタイミングを完全に逃してしまった!」

翔子「キスってどんな感じですか?」
ヤッターマン2号「大したことないわ。ドキドキするのは1回目だけ・・1度してみたら分かるって」

ドクロベエ「恋と仕事は両立しないべぇ」
ドロンジョ「・・泥棒が恋をしてはいけませんか?」
ドクロベエ「逆らうのか?」
ドロンジョ「いえ・・でも、初めての恋なんです」

ドロンジョ「モノを盗むのが定めの女が・・一番大事なもの・・心を盗まれました」
トンズラー「・・コクってしもたがな」

ボヤッキー「よくもフったな・・」
トンズラー「色々フクザツやねんな」

ドロンジョ「人を好きになるって・・楽しいな」
ボヤッキー「・・はい」
ドロンジョ「ずっと・・友達でいような」
ボヤッキー「ええーっ!」 ←ボヤやん、打ち砕かれる、、

ナレーター「説明せねばなるまい!」

海江田「刻(とき)は判然と流れるものだ!」
   「これじゃ、俺のキ※タマが持たない!」 ←おいっ!

ヤッターマン2号「ライバルがいないと、恋もつまんないでしょ?」
ドロンジョ「ムカつく女だね」

翔子「2号さん・・」
ヤッターマン2号「私は2号だけど、、“さん”は要らないんだよ・・」
海江田「・・子供は分からなくてイイんだよ」

追記1:マスクを装着した福田沙紀さんはなかなかイイ感じだった。マスク越しの笑顔が(雰囲気的に)長澤まさみさん(の2004年ごろ)に似てる気がした(・ω・)
追記2:エンドロール終了後の「次回予告」はどやろ・・? 私的には「ギャグテイストながら、スポンサー向けの“真面目にラブコール的”なオマケ」と解釈したんだが・・?

| | コメント (4)

2008年12月24日 (水)

☆『夢(1990)』☆

23日(火曜)の夜。衛星第2で放送された黒澤明監督作品『夢』を観た。
ひょっとしたら当時、リアルタイムに近い形で観た(多分劇場ではなくTV放送時と思うが)「初めてのクロサワ映画」かも知れない・・と思い出す。

「カラー作品であったこと」「無骨な印象が微塵も感じられなかったこと」「小エピソードの集合体であり、やや散漫な印象の漂ってたこと」などから、当時はハッキリ言ってそれほど評価してなかったような気が・・(・ω・)

が、その後、劇中で効果的に用いられる表現「こんな夢を見た」が、かの夏目漱石の短編小説『夢十夜』(の書き出し)に強くインスパイアされてると思しきことを知ってからは「イイね!」と好意的な印象の俄然わいて来た1作でもある。

クロサワ監督80歳にしての“夢の映像詩”たる短編集。いずれも「こんな夢を見た」と言うテロップで始まる8つの夢の中で、ベテラン監督の放つ自由奔放なイメージの群れが、観る者をひたすらに圧倒する・・

1、狐の嫁入り
2、桃畑のひな祭り
3、ゆきおんな
4、トンネル(隧道)
5、ゴッホを訪ねて
6、赤富士
7、鬼の哭く地
8、水車村にて

(正式な“各章のタイトル”は違うかも知れません・・ワタシの独断で各エピソードに命名してみました(=^_^=))

1・・日照り雨の降るある日、絣(かすり)の着物の少年が深い森の中で出会ったものは、、って展開。霧の中からボウと現れる「狐の嫁入り行列」は無論不気味なんだが、それ以上に“少年に無茶な試練を課す”母(倍賞美津子)の言動こそが恐ろしい(×_×) こんな夢からは、一刻も早く目覚めたいもんである(⌒〜⌒ι)
因みに、狐軍団は少年の隠れてる側(進行方向で言う左側)にばかり注意を払ってた印象が強かったが、、右側は気にしなくて良かったんやろか?(=^_^=)

2・・これも少年の受難もの。伐採され尽くした桃畑に誘い出され、咎められ。。
おっさんになった今も尚(=^_^=)思うことだが“女の子の背中をヒョロヒョロ追っかける”とロクな目に遭わない(=^_^=) 冷静に(周囲や自身の置かれてる)状況を見極めましょう☆

3・・吹雪に囲まれ3日目、いよいよ精神力&体力をすり減らし、寝入るように1人また1人と脱落してゆく山岳隊員ら(隊長役は寺尾聰)。そこに白き衣をまとった不思議な女(原田美枝子)が現れて、、って展開。終盤になり、ようやく吹雪が止むんだが、目指すキャンプ(=テント)の余りにもの近さには、流石に唖然とさせられた。。
「3日間、正しくキャンプに向け歩を進めた結果」なのか、それとも「キャンプ近くでただぐるぐる迷ってた」のか・・その真相が妙に気になったりもする(・ω・)

4・・復員姿の男(寺尾)が峠に口を開けた薄暗いトンネル(隧道)を前にして遭遇したものは、、って展開。怪談としては最も完成度の高いと思しき作品。ヴィジュアル的に与える印象も1番強烈なのではないか?
これまで(の鑑賞で)は「トンネルの奥へと第3小隊が踵を返し戻って行く」トコロで終わるのかと思ってたが・・その後も自爆犬(←複数個の手榴弾を胴にくくり付けた軍用犬)が主人公にまとわりつき、しつこく唸る姿がただ恐ろしい。
亡霊的な存在がトンネルの奥に消え、ひと安心した・・そこに再び出て来るのである! 「ラストまでリアルを引っ張る」そんな怪談の“ツボ”を巧妙に取り入れている。
惜しむらくは、トンネル出口の両側の壁が現代的な「菱形のコンクリート製ブロック張り」だったことだろうか、、アレだけは現実感が漂い過ぎていたように、、(それもまた監督の狙いだったか?)

5・・自身の耳を切り落とした事件で精神病院に運ばれたヴィンセント・ヴァン・ゴッホが退院。そんな彼を訪ねる主人公(寺尾)であるが、ようやく出会えたゴッホ(マーティン・スコセッシ)は何かに急かされるように、いそいそと去ってゆく・・。
女優・高岡早紀さんのアイドル時代(←好きでした!)に『セザンヌ美術館』って1曲があり、そのプロモーション・ヴィデオ(PV)の中で、彼女がセザンヌの絵画世界の中を散策する・・みたいな映像演出をやっていた。それを思い出した(=^_^=) まぁ映像作家としては“誰しも1度は思い付くネタ”なんかも知れませんな。特撮そのものより、名画を映像的にいじくって使用する承諾関係こそが大変そう?

6・・葛飾北斎の描いた浮世絵『赤富士』の角度そのままの世界で、富士山の背後(?)に位置する6つの原子力発電所が連鎖的に爆発を起こす。逃げ惑う人々、地獄絵のような風景の中、放射性物質を含んだ色付きの煙が風に乗り主人公(寺尾)らに向かって漂って来る・・。井川比佐志&根岸季衣がイイ味を出してくれている。彼らのお陰で、作品に漂うドンヨリした空気が「妙に明るく」変わるのが救いだ。最後は煙に向かい、脱いだ上着を振り回し抵抗する主人公だが、、これも正直、さっさと目覚めたいシチュエーションではある(・ω・)

7・・荒廃した近未来都市。途方に暮れながら砂地の斜面を登って来た主人公(寺尾)は、頭に1本の角を立てた“鬼”のような男(いかりや長介)に出会う。その“鬼”がシニカルな口調で語り始めた、この世界の置かれた状況とは、、って展開。過激なメイクをまとい、ひたすら生真面目に熱演するいかりやさんがイイ。終盤で彼の“鬼の本性”がいよいよ露(あらわ)となるんだが、私的にはセリフの何処かで「ダメだこりゃ!」と“チャーミングなひと言”を放っておいて頂きたかったかも(=^_^=)

8・・水車小屋の建ち並ぶ、山あいの水郷の村へぶらりやって来た主人公(寺尾)。飄々とした佇まいの老人(笠智衆)が、彼に「葬式が始まるのじゃ」と話し出す。いよいよ、の最終エピソード。
エピソード3以降、色んなシチュエーションで旅を続ける(?)主人公だが、次第に受け身なキャラに変わってゆく。いかりやさんに続いては笠さんの存在感の前にただ聞き役に徹してた感(・ω・) 笠さんは笠さんなりにメイクを施されており、必ずしも優しそうな印象の放たれていない点は、やや残念でもあるか(⌒〜⌒ι) ロケーション的に印象深いのは「水車」であるが、物語そのものには殆ど関係なかったりする、、まぁ本エピソードは、笠さんの存在感の勝利なのでしょう。
後半に描写される“死者を弔う踊りの列”は北野武監督をして、後の『座頭市(2003)』に影響を与えたと見えなくもない?

〜 こんなセリフもありました 〜

母「出てくんじゃありませんよ」
 「見たりすると、怖いことになりますよ」
 「お前、見たね? 見てはいけないものを・・」
 「早く狐の所へ行って、謝っておいで・・本当に“死ぬ気”になって謝んないとダメだよ!」
 「狐の家はその虹の下よ」

※「そこの子供! お前に言いたいことがある」
 「お前の家はこの桃畑の桃の木を全て切ってしまった」
 「今さら泣いても仕方がない」
 「この子は、いい子だ・・この子にもう一度、この桃畑の花盛りを見せてやろう」

隊員「この吹雪はもう止まない! この吹雪は俺たちが死ぬのを待ってるんだ!」

女「雪は、温かい・・ 氷は、熱い・・」

野口一等兵「中隊長殿、自分は本当に戦死したのでありますか?!」

中隊長「お前が死んだのは事実なんだ」
   「生き残ったわしは、お前たちに合わす顔がない」
   「わしはお前たちと一緒に死にたかった、このわしの気持ちを信じてくれ!」
   「戦死とは言え、犬死にだ!」
   「帰れ、帰って静かに眠ってくれ」

ゴッホ「なぜ描かん? 素晴らしい景色だぞ」
   「“絵になる風景”を探そうとするな」
   「急がねば・・描く時間はあと少ししかない」
   「太陽が“描け”と脅迫する、こうしてはいられない・・」

男「狭い日本だ、逃げ場所はないよ」
女「分かってるけど、逃げなきゃどうしようもない」

※「これまでだよ、みんなこの海の底さ」
 「どっちにせよ、放射能に追いつかれるのは時間の問題だよ」
 「しかし全く・・人間はアホだ」
 「死神に名刺貰ったってどうしようもない」
 「じゃ、お先に」
 「すいません、僕もその“縛り首の仲間”の1人でした」

男「あれはイルカだよ、イルカも逃げてるのさ」
女「イルカはいいねぇ、泳げるから」

鬼「人間だな?」
主人公「君は、鬼か?」
鬼「そうかも知れねえ・・だがこれでも、昔は人間だったんだ」

鬼「昔は、この辺り一面の花畑だった・・それを水爆やミサイルが、こんな砂漠にしちまった!
  ところが最近、その死の灰の積もった地面から“不思議な花”が咲き始めた・・タンポポの化け物だよ」
 「放射能が花たちを※※にしちまった」
 「バカな人間が、地球を猛毒物質の掃き溜めにしちまったんだ」
 「食べ物なんか有る訳ないよ、俺たちは共喰いをして生き延びてるんだ・・そろそろ俺の番だ」
 「のさばるだけのさばるがいいよ」
 「俺はもうじき喰われるんだけどな・・いや、喰われるのはやっぱり嫌だ!」
 「夕方になると名うての鬼どもが哭(な)くんだよ、角が痛んでな・・
  死にたくても死ねないから、哭くより仕方ないのさ」
 「俺の角も、痛くなって来た・・」
 「鬼になりたいのか!!」

老人「(この村に)名前なんかないよ、わしらはただ「村」と言っている」
  「人間は便利なものに弱い、便利なものを良いものと勘違いして、本当に良いものを棄ててしまう」
  「暗いのが夜だ・・夜まで昼のように明るくては困る」
  「人間に本当に必要なのは、良い空気、自然な水、それを作り出す木や草花だ」
  「あんたは変な顔をするが・・本来、葬式は目出たいものだ。
   尤も、子供や若い者が亡くなるのは目出たくはないが」
  「生きるのは苦しいとか言うが、それは人間の気取りだよ・・正直、生きてるのはいいもんだよ、とても面白い」

| | コメント (2)

2008年10月11日 (土)

☆『ゆれる(2006)』☆

9日(木曜)の夜。衛星第2で放送された、西川美和の脚本&監督による意欲作『ゆれる』の鑑賞がようやく叶った。
劇場公開当時“観ようかどうしようか”とゆれ、DVDリリース当時“買おうかどうしようか”とゆれ、原作本の文庫版発売時“読もうかどうしようか”とゆれ、色んな意味でこれまでゆらされて来た1作だった(・ω・)

母の法事のため、東京から故郷である山梨県へ帰省したカメラマン=早川猛(たける)(オダギリジョー)。ガソリンスタンドを経営する頑固な父=勇(伊武雅刀)、それを手伝う真面目な兄=稔(香川照之)と再会する。
そしてもう1人、スタンドで働く女性店員。
彼女が幼馴染みの川端智恵子(真木よう子)であることを知らされた猛は、奥手な兄を出し抜き、早くもその夜に智恵子と“大人の関係”を結んだのだった。遅い帰宅となった弟を、背中を向け「おかえり」と迎える兄。その表情は・・“何か”を察したのだろうか?

翌日(平成17年10月2日)、兄弟と智恵子は(猛のクルマで)“あすみ渓谷”へと出かける。
渓谷の向こうには、老朽化した吊り橋が架かっている。

猛がまず撮影がてら橋を渡る。それを下で眺めていた智恵子が「私も渡ってみようかな?」と言い出す。
高所が苦手だと言う稔は智恵子を引き止めることも出来ず、戸惑っていた。

渓流の音に紛れた、かすかな“言い争う声”を耳にした猛が下から橋に眼をやると・・果たしてそこには、へたり込み川面に向かって手を差し伸べる兄の虚ろな姿だけがあった。
智恵子はゆれる吊り橋から転落してしまったのだ。

やがて溺死体で発見される智恵子。
“事故”か“殺人”かを巡り、検察側と弁護側が法廷で論争を繰り広げる展開となる・・

公判に進展が見られなくなって来た時、いよいよ証人として猛が重い口を開く。
彼の口から語られた“事件の真相”とは・・?
そして、兄弟と被害者しか知る者のいない“橋の上で起こった真実”とは一体何だったのだろうか?

これまで伝え聞いた情報(?)などを繋ぎ合わせ、私的には(芥川龍之介の)小説『薮の中』を、現代に置き換えたような、そんな“トリッキーなサスペンスもの”を予期していたんだが、もっともっとシンプルかつ普遍的な、淡白だけど濃い(どっちだ!)テーマが作品の底に描かれているように感じた。
“事件”そのものは開始後30分もすれば発生するし、1時間後には本格的な公判が始まる訳で・・もし(本作に)吸引力が欠けていたら、その後の約1時間を引っ張るのは、相当キツかったことだろう。

が、そこは流石に“香川照之&オダギリジョー”だけあって、しっかり観客を作品世界に繋ぎ止め離さなかった!

私的には“事件の真相”そのものより、それをきっかけに、兄弟それぞれが(それまで)押し殺していた感情や本質的な性格、みたいなものをさらけ出してゆく“ゆれる展開”に圧倒された。
いい加減で自堕落な調子だった弟が絶叫&嗚咽し、生真面目だった兄はただ黙して微笑む・・ラストシーンの2人の表情は『ファイト・クラブ(1999)』のポスターにおける“ニヤつくブラッド・ピット&不機嫌なエドワード・ノートン”の醸し出した「強烈な対比」にも決して劣らなかったように思う。

ちょうど後半では、弟と兄の性格がスワップされたようになり、それこそ“いよいよ演技合戦や!”と興奮させられたが、(そこは流石に?)やや直後に“寸止め”されてしまい残念だった。
狂気vs邪心・・『あずみ(2003)』の時のオダギリと『OUT(2002)』の時の香川がぶつかったら・・もうそれは“物語性”も“ロケ移動”も必要のない“高み”に昇りつめちゃう気もする(⌒〜⌒ι) 観たいけれど、かなり危ない領域なんやろな、、

惜しい部分としては“少年時代の映像”“※年後、なる字幕”は(安直なので)出来れば用いて欲しくなかったことと、ヒロインの“死して尚、な存在感”までは描き切れてなかったことか。
“回想シーン”をああまで自在に使いこなすだけの技量を持つ監督さんなのだから、もっともっと智恵子と言うキャラを多面的&魅力的にも描けただろう、と思うと惜しい。

助演陣もピンポイント的ながらそれぞれに見せ場があり、巧い扱われ方をしていた。
ガソリンスタンドで働く若店員を演じた新井浩文は終盤で存在感を爆発させるし、私的には検察官を演じた木村祐一の言動&態度のいちいちが強烈に響き「本作のキムを主演に、スピンアウト作品を撮っては・・?!」と思わず期待してしまったものだ(=^_^=)
本作で恐らく最も“揺すぶられてた”弁護士役の蟹江敬三氏にもまた、独特の味わいがあった。

全体的に言えば「何処かが演出過多」「何処かが演出不足」と言う直感的な印象もあるんだが・・その消化不良さをねじ伏せるだけの静かで強烈なパワーに、確かに溢れている。

近年稀にみる「ブームが過ぎ、後年になったとしても、観ておくべき作品」の1つだと思う。

〜 こんなセリフもありました 〜

勇「(猛の仕事なんざ)他人様がそっぽ向きゃ、明日にもどん底ですよ」

稔「東京のガスで頭、濁ってんじゃないのか?」
 「俺が、智恵ちゃんを落と・・」
 「俺ねぇ、あの人(弁護士である伯父の修)駄目なんだわ、昔から」
 「お前な・・この町のこと、あったかいなんて・・」
 「まぁ、あのスタンドで一生生きて行くのも、この檻の中で生きて行くのも大差ねぇか」
 「お前がいつも言ってるようなことじゃん」
 「所詮、つまらない人生だよ」
 「何でこんなことになっちまうのかなぁ・・なんでお前と俺はこんなに違うんだよ」
 「俺、本当はあんな吊り橋なんか全然怖くねぇんだよ・・何つって何つって何つって・・」
 「事実なんて、もういいじゃない」
 「お前は俺の無実を事実と思ってる? 自分が“人殺しの弟”になるのが嫌なだけなんだろ?」

猛「兄貴とさ2人、すげぇ息あってるね・・嫉妬しちゃったわ、俺」
 「俺、お前ん家、上がっていい?」
 「奇麗なところだな、光が透き通ってるもんな」
 「疲れるばっかりだぜ、東京なんてさ・・所詮、田舎もんには水が合わねぇんだよ」
 「誰の眼にも明らかだ・・最後まで僕が奪い、兄が奪われた」
 「腐った板が蘇り、朽ちた欄干が持ち堪えることはあるだろうか? あの橋はまだ架かっているだろうか?」

智恵子「色んなことが怖くて、失敗しちゃいけないって思ってる内に、何にもない人生になっちゃった」
   「怖いよ・・あの人もう(私たちの関係に)気付いてるんじゃないかな?」

修「憶測じゃ、法は動かないのさ」
 「俺の確信で証拠でも出てくりゃ苦労はしねぇがな」
 「相手だけが得したって思うのは・・それは被害者意識から来る、想像力の欠落ってヤツだわ」

智恵子の母「あの子、殺されるような子だったのかなぁ?」

検察官「死んでても、痛かったんやないかなぁ?」
   「(事件を起こしてから)“ごめん”なんちぅのはね、加害者のご都合でね」
   「彼女に好意を抱いていた? 言っちゃって!」
   「初めからパーフェクトに両想いになれる相手がいると分かっているならば・・私は旅に出ます」

若店員「俺はあんたのしたことが正しいとは思えない」
   「奪いっぱなしですか? それであんたは何を手に入れたんです?」

追記1:検察官により、智恵子の解剖報告書が読み上げられるシーン。「被害者の膣内から微量の精液が・・」なる生々しく、衝撃的なセリフには、猛よりも稔よりも、観客が一番“揺すぶられる”かも知れない、、
追記2:回想映像内での伊武雅刀さん、実に楽しそうに“(ドリフの)ヒゲダンス”をされてました(=^_^=)

| | コメント (4)

2008年6月30日 (月)

☆『無宿/やどなし(1974)』☆

28(土曜)の深夜・・日付は日曜に変わってしまってたが、ふと点けたTVの“衛星第2”で放送されてたものを“チラ観”し、そのままイッキに(作品世界に)引き込まれてしまった(=^_^=)
・・ってことで中盤からの鑑賞。。

とにかく「饒舌なカツシン(勝新太郎)と寡黙な健さん(高倉健)のコンビ」が陽炎の立ち昇るような真夏日の中、何やら風情たっぷりに語り合い、動き回ってた情景が実に“絵になってて”光ってた☆
その2人に絡む形で登場するヒロインが梶芽衣子さん。ってか、、往年の“動いてはる姿(映像)”を意識して拝見したのって、コレが初めてだったかも。。

寡黙な健さん(着流し姿!)が竹やぶで、待ち受けるヤクザもんと“ドスバトル”するシーンなど、どんな物語なんやら、どんな展開してるんやら全く分かんなかっただけに(=^_^=)かなりワクワクさせられた! 健さんとその(対決)相手が組み合ってドスを交差させ、グッ・・と動かなくなる映像を(2人の)真下からのカメラワークで捉え、レンズ面に血のりがポタポタしたたる見せ方とか「すごぅい!」と感心してしまう。

一方のカツシンは、白い洋装で統一し(健さんと)対照的なジェントルさを漂わせる。(彼の)言動だけを拾うと全然ジェントルに成り切れてなかったンですけど・・

後半からは、カツシンが梶さんを伴って漁船で海に出「(沈没した)バルチック艦隊の残骸(=お宝)」を潜水服で探し求める・・と言う、壮大だけど何だか良く分かんない“冒険ドラマ”にいきなし突入。そこに寡黙で不器用な健さんも合流する・・

ラストがこれまたメチャメチャ唐突で、『イージー・ライダー(1969)』路線かよ! と何となく突っ込んでしまった。

梶さんの脱衣⇒全裸での海水浴シーン・・なんてのもちょろっとあるが、あの映し方からして、間違いなく“吹替え”っぽい、、それが分かる年齢なワタシだけに、観てて余計に“切ないモノ”があった(⌒〜⌒ι) ←勿論、妄想でもって補完し、楽しませて頂きましたがね、へっへっへっ。

どうやら、本作のベースとなってるのは、フランス映画『冒険者たち(1967)』らしい。
ワタシは『冒険者たち』は未見だし、本作も“復讐劇”がメインに描かれる前半こそが面白い、みたいな評価もあるようなので、また機会があれば観直してみたいものだ。

しっかし健さん・・本作の前年に『ゴルゴ13(1973)』主演とは・・何ともな“カメレオン俳優”ぶりではあります・・なかなかに器用ですね(苦笑)

| | コメント (0)

より以前の記事一覧