2009年5月 8日 (金)

☆『ヤッターマン/劇場実写版』☆

7日(木曜)。昨夜は「この連休はTVらしいTVも、映画らしい映画も観れんままやったなぁ・・」としょんぼりしつつ、ここ高松へと戻って来た次第。
結構“法定速度遵守(←もちろんデス!)”でノロノロとクルマを走らせつつ・・も意外とサクサク帰って来られた(自宅前からきっかり2時間半)のだけは嬉しかった☆

今朝は・・朝から雨が降っており、再びしょんぼり(×_×) バス通勤がとにかく「(到着)遅い」「(運賃)高い」「(車内)座れない」と3重苦を抱えた厄介な存在なのだ(ワタシにとっては)。。

そんなことで、久々の通勤で朝から疲れ、勘の戻らぬ(=^_^=)職場の電話対応に神経をすり減らし・・夕方の近付く頃には「何かすぐにも気分転換しとかないと、こんままじゃ明日1日すら乗り切れんぞ!」と(連休明けながら早くも(=^_^=))切羽詰まってしまうのだった、、

ってことで、仕事を終えてからまた“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと“ことでん(2両編成でけなげに高松エリアを走る、ローカル線)”に揺られ向かったワタシ。

ホントに観たい作品は「正直、別にあった」んだが・・上映開始20:30と、ちょっと帰宅時間までを加味し考えるとキツ過ぎたので、18:45から始まる『ヤッターマン/劇場実写版』を観ることにした☆
「サービスデーでもないのに、満額(=1800円)払ってわざわざ観るかぁ、俺?」って感じで“自身の行動を考え直させようとする、別な自分自身”も確かにいたのだけれど、、(⌒〜⌒ι)

で、シアターはやはり“全席指定席”だった。かつ上映(期間)も末期だったためか・・観客はおっさんばかり3〜4人どまりだった気がする(・ω・)

古(いにしえ)から世界各地で“文明”“歴史”の影に隠れながらも語り継がれて来た謎の石“ドクロストーン” 地球上にちらばった“全て(=4つ)のドクロストーン”を集めた者には、奇跡がもたらされると言う・・

辺境“ナルウェーの森”で2つ目の“ドクロストーン”を発見した考古学者・海江田(阿部サダヲ)は、直後に失踪してしまう。海江田博士に1つ目の“ドクロストーン”を託されたひとり娘(?)・翔子は、それ故に“ドロンボー(=3悪)”の一味に狙われることとなる。
翔子を助けるためヤッターマン(1号&2号)が駆けつけ「渋山・ハッチ公前広場」での“ヤッターマン(=男女ペアの等身大ヒーロー)&ヤッターワン(=犬型の巨大ロボット)”vs“ドロンボー(=女1+男2の等身大3悪トリオ)&ダイドコロン(=巨大ロボット)”の激闘が開始される・・

観る前からちらほら耳にしてたことでもあるが・・ある意味“ドロンボー”の女ボス=ドロンジョ(深田恭子)を大きく取り上げた「オリジナルアニメ版に比べ(?)やや脱線した感のある」作品にも映った。
この深キョン(←おい、早速馴れ馴れしい呼び方かい!)が・・当初こそ「めちゃめちゃ“スティック・リーディング”やんか!」と驚愕させられる訳だが(⌒〜⌒ι) 次第に「これはこれでエエか」とさして気にならなくなって来るのが不思議☆

深キョンと言えば・・『阿修羅のごとく(2003)』で幸薄き(4姉妹の)末っ娘役を演じてられたのをうっすらと覚えてる程度、、
改めてまじまじとご尊顔(は半分がたマスクに覆われてもいたが・・)やスタイルを拝見した次第だが・・思った以上に巧く“初々しさ”を漂わせつつ、その中で自分らしいアピールもしてるように見え、意外に好感度が高かった!

特に「手下2人(ボヤッキー:生瀬勝久、トンズラー:ケンドーコバヤシ)に対しては容赦ない言動を浴びせつつ、とある成り行きを経て以降は、ヤッターマン(1号:高田ガン(櫻井翔)、2号:上成愛(福田沙紀))に対し、複雑な感情を見せる機会が増えてくる」って展開で、その“戸惑いの表情”が妙におっさんのハートをくすぐってくれた☆

一見、三池崇史カントクの厳しい演技指導(?)を前に、半泣き状態で妙な言動を突き付けられ続けた、ハードル高き撮影現場の日々やったんかなー? とか観る者を心配させつつ・・ホントは案外楽しんで、現場でアドリブなんかも交えたりして、嬉々として演じてはったんかもなー? とも思わせる、そんなしたたかさ&余裕も何処かに感じさせる女優さんである。

ボヤッキーが「全国の女子高生の皆さん」にリアルに囲まれる(?)映像演出は、全国のボヤッキーファン(?)からすれば、きっと夢のようなショット(=^_^=)に違いなかろうが・・一般の観客としては「荘厳さすら感じさせる」か「ただ単にムダなカットに等しい」か、のどちらかで・・観る者全てがある意味“寛容さ”を試される瞬間とも言えようか(=^_^=) 

阿部サダヲが冒頭&終盤で登場するが、特に後者でのメイク演技には、正直“ハリーポッターシリーズ”の鼻のないハゲた敵ボスのおっさん(←おい!)なんかよりもよっぽどヴィジュアル的なインパクトも備わっており、禍々しさがより巧く表現されてた気がしたな。
ラスボスが2段階で“変身”する演出なども、ロールプレイングゲームに出て来るボスキャラみたいで個人的には楽しめた。

ロケーションが大きく3つ(渋山、オジプト、南ハルプス)に分かれ、激闘も3回ほど繰り返される訳だが、あの全体的なライトタッチの世界観(←映像群の色調こそ、押し並べてやや暗めだったが)からすれば、もそっと削るトコは削ってスマートにまとめた方が良い気はしたか。

また、妙に“オトナ対応のエロネタ”に逸脱&暴走しちゃう傾向があり、そこは「対象年齢が絞れてない」印象があり、観てて複雑な感があったかな(・ω・)
制作スタッフの誰かが暴走し、周囲も黙認せざるを得なかったか・・? と勝手に決め打ちしてるワタシなんだが(=^_^=) 果たして誰が「リアルドクロベエ(=暴君)」だったんだろうかな?(=^_^=)

〜 こんなトコロも 〜

♦人間姿のトンズラーの胸に「豚面(とんづら?)」なる名札が! 一方、ボヤッキーの名札は・・(漢字が)判読出来なかった(×_×)
♦トンズラーが「猪八戒」に、ボヤッキーが「沙悟浄」にも見えてしまった。
♦生身の人間と思ってたヤッターマンのお2人だが“アンブレイカブルな存在”であることが序盤戦で判明! あんなに身体能力が高かったとは・・
♦人間姿のトンズラーの“おかっぱ頭”+ボヤッキーの“アフロ頭”から「B&B(漫才コンビ)」を連想してしまった。。
♦唐突なバトルシーンから始まる(冒頭の)演出はなかなか良い! それにしても浅草は平和だったのに、渋谷(=渋山)は妙に廃墟になってたなぁ?
♦CGとは言え、あの“ドクロ雲”を良くぞ再現したなぁ・・と(・ω・) 反発する団体が何処かにきっといると思う、、
♦ヤッターマンのマスコットロボット“オモッチャマ”は何と「単3電池×2本」ぽっちで動作し続けてるらしい! エネル※プの開発者がぶっ飛ぶハナシですなぁ(⌒〜⌒ι)
♦命綱もなしに、四つん這い(!)で南ハルプスの断崖絶壁を頭を下に(!)降りてゆく翔子ちゃん! ホントの名は“伽椰子(かやこ)”ではなかろうか、、
♦某サラリーマンの言ってた「ピコピコルンルン」って何だ? IT用語か?
♦ヤッターワンの走行シーンで「ETCカードが挿入されました」ってアナウンスの流れるのはなかなか良い☆
♦ヤッターワンにしがみつく翔子。振り落とされそうになり必死で耐えるが・・ヤッターマンの2人は全く気遣いもせず、、
♦ドロンボーの2台目の巨大メカ“ヴァージンローダー”・・武器の“おっぱいマシンガン”“おっぱいミサイル”ってのはタイムリーで素晴らしい! ナイスおっぱい!
♦ヤッターワンの片眼がマシンガン攻撃で割れる描写が細かい。あの辺りから“ヤッターワンの迎える運命”は決まってたのかも(・ω・)
♦消えてはならぬもの・・“ジャンボパチンコ”看板の1文字・・ってあんたは『たけしの挑戦状』(往年のファミコンゲーム)のネタかい!
♦「右にヤッターマン1号、左にドロンジョ」を配した、2分割された画面・・を中央から強引に開こうとするヤッターマン2号! この映像演出にはブラ※アン・デ・パ※マ監督も驚愕?!
♦ボヤッキーのヒゲ(?)は付け鼻と同様、造りものであることが判明(?) サルバドール・ダリ的に言う“宇宙と交信するアンテナ”みたいな突起なんだろうか?
♦ちらっと浅草寺の五重塔が映ってました! ってことで、あの遊園地は「花やしき」?
♦鮨屋の客とし、声優の小原乃梨子さん、たてかべ和也さんが特別出演! 流石にかなり声と(ご尊顔の)ヴィジュアルのギャップが開いて来てはるような、、
♦全身赤銅色(?)のヤッターワン、無塗装(?)のヤッターキング・・と、味方巨大メカのカラーリングがどうにもサエなかった。。

〜 こんなセリフもありました 〜

トンズラー「毎週毎週、かなわんわ」
     「女王様は、逆ギレしてナンボやで」
     「ナンボでも見したったらエエねん、そんなモン!」
     「生きるんや・・ボヤやん!」
     「“カチッ”って何やねん、これ・・」

ボヤッキー「お給料の3ヵ月分で埋め合わせたぜ・・」
     「ヤッターマンめぇぇ・・特に1号めがぁぁ・・!」
     「このイカスミ、電撃を跳ね返す。しかも・・地球に優しい☆」
     「天才の天才たる所以(ゆえん)を、これからお見せ致しましょう」

ドロンジョ「悪いのはぜ〜んぶこのボヤッキーなんです!」
     「このメカでも勝てなかったら、タダじゃおかないよ!」
     「あたしは泥棒の神に帰依した女・・」
     「スカポンタンな一生を過ごすもよし、新しい青春を取り戻すもよし」
     「いい女は、振り向かないものなんだよ」

ドクロベエ「それは、人間如きの手に負える石ではないべぇ」
     「ドロンジョよ、今日も美しいのぅ・・」
     「ドロンジョよ、お前は我輩のモノだべぇ」

ヤッターマン1号「ところで“ドクロストーン”って何だ?」
        「助けた訳じゃないぜ。こう言う形で勝負がつくのは好きじゃない」
        「ヤッターマンは2人で1人!」
        「助けるだけが正義じゃない・・誰だって自分の力だけで乗り越えなきゃならない時もある」
        「しまった! 出るタイミングを完全に逃してしまった!」

翔子「キスってどんな感じですか?」
ヤッターマン2号「大したことないわ。ドキドキするのは1回目だけ・・1度してみたら分かるって」

ドクロベエ「恋と仕事は両立しないべぇ」
ドロンジョ「・・泥棒が恋をしてはいけませんか?」
ドクロベエ「逆らうのか?」
ドロンジョ「いえ・・でも、初めての恋なんです」

ドロンジョ「モノを盗むのが定めの女が・・一番大事なもの・・心を盗まれました」
トンズラー「・・コクってしもたがな」

ボヤッキー「よくもフったな・・」
トンズラー「色々フクザツやねんな」

ドロンジョ「人を好きになるって・・楽しいな」
ボヤッキー「・・はい」
ドロンジョ「ずっと・・友達でいような」
ボヤッキー「ええーっ!」 ←ボヤやん、打ち砕かれる、、

ナレーター「説明せねばなるまい!」

海江田「刻(とき)は判然と流れるものだ!」
   「これじゃ、俺のキ※タマが持たない!」 ←おいっ!

ヤッターマン2号「ライバルがいないと、恋もつまんないでしょ?」
ドロンジョ「ムカつく女だね」

翔子「2号さん・・」
ヤッターマン2号「私は2号だけど、、“さん”は要らないんだよ・・」
海江田「・・子供は分からなくてイイんだよ」

追記1:マスクを装着した福田沙紀さんはなかなかイイ感じだった。マスク越しの笑顔が(雰囲気的に)長澤まさみさん(の2004年ごろ)に似てる気がした(・ω・)
追記2:エンドロール終了後の「次回予告」はどやろ・・? 私的には「ギャグテイストながら、スポンサー向けの“真面目にラブコール的”なオマケ」と解釈したんだが・・?

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2008年12月24日 (水)

☆『夢(1990)』☆

23日(火曜)の夜。衛星第2で放送された黒澤明監督作品『夢』を観た。
ひょっとしたら当時、リアルタイムに近い形で観た(多分劇場ではなくTV放送時と思うが)「初めてのクロサワ映画」かも知れない・・と思い出す。

「カラー作品であったこと」「無骨な印象が微塵も感じられなかったこと」「小エピソードの集合体であり、やや散漫な印象の漂ってたこと」などから、当時はハッキリ言ってそれほど評価してなかったような気が・・(・ω・)

が、その後、劇中で効果的に用いられる表現「こんな夢を見た」が、かの夏目漱石の短編小説『夢十夜』(の書き出し)に強くインスパイアされてると思しきことを知ってからは「イイね!」と好意的な印象の俄然わいて来た1作でもある。

クロサワ監督80歳にしての“夢の映像詩”たる短編集。いずれも「こんな夢を見た」と言うテロップで始まる8つの夢の中で、ベテラン監督の放つ自由奔放なイメージの群れが、観る者をひたすらに圧倒する・・

1、狐の嫁入り
2、桃畑のひな祭り
3、ゆきおんな
4、トンネル(隧道)
5、ゴッホを訪ねて
6、赤富士
7、鬼の哭く地
8、水車村にて

(正式な“各章のタイトル”は違うかも知れません・・ワタシの独断で各エピソードに命名してみました(=^_^=))

1・・日照り雨の降るある日、絣(かすり)の着物の少年が深い森の中で出会ったものは、、って展開。霧の中からボウと現れる「狐の嫁入り行列」は無論不気味なんだが、それ以上に“少年に無茶な試練を課す”母(倍賞美津子)の言動こそが恐ろしい(×_×) こんな夢からは、一刻も早く目覚めたいもんである(⌒〜⌒ι)
因みに、狐軍団は少年の隠れてる側(進行方向で言う左側)にばかり注意を払ってた印象が強かったが、、右側は気にしなくて良かったんやろか?(=^_^=)

2・・これも少年の受難もの。伐採され尽くした桃畑に誘い出され、咎められ。。
おっさんになった今も尚(=^_^=)思うことだが“女の子の背中をヒョロヒョロ追っかける”とロクな目に遭わない(=^_^=) 冷静に(周囲や自身の置かれてる)状況を見極めましょう☆

3・・吹雪に囲まれ3日目、いよいよ精神力&体力をすり減らし、寝入るように1人また1人と脱落してゆく山岳隊員ら(隊長役は寺尾聰)。そこに白き衣をまとった不思議な女(原田美枝子)が現れて、、って展開。終盤になり、ようやく吹雪が止むんだが、目指すキャンプ(=テント)の余りにもの近さには、流石に唖然とさせられた。。
「3日間、正しくキャンプに向け歩を進めた結果」なのか、それとも「キャンプ近くでただぐるぐる迷ってた」のか・・その真相が妙に気になったりもする(・ω・)

4・・復員姿の男(寺尾)が峠に口を開けた薄暗いトンネル(隧道)を前にして遭遇したものは、、って展開。怪談としては最も完成度の高いと思しき作品。ヴィジュアル的に与える印象も1番強烈なのではないか?
これまで(の鑑賞で)は「トンネルの奥へと第3小隊が踵を返し戻って行く」トコロで終わるのかと思ってたが・・その後も自爆犬(←複数個の手榴弾を胴にくくり付けた軍用犬)が主人公にまとわりつき、しつこく唸る姿がただ恐ろしい。
亡霊的な存在がトンネルの奥に消え、ひと安心した・・そこに再び出て来るのである! 「ラストまでリアルを引っ張る」そんな怪談の“ツボ”を巧妙に取り入れている。
惜しむらくは、トンネル出口の両側の壁が現代的な「菱形のコンクリート製ブロック張り」だったことだろうか、、アレだけは現実感が漂い過ぎていたように、、(それもまた監督の狙いだったか?)

5・・自身の耳を切り落とした事件で精神病院に運ばれたヴィンセント・ヴァン・ゴッホが退院。そんな彼を訪ねる主人公(寺尾)であるが、ようやく出会えたゴッホ(マーティン・スコセッシ)は何かに急かされるように、いそいそと去ってゆく・・。
女優・高岡早紀さんのアイドル時代(←好きでした!)に『セザンヌ美術館』って1曲があり、そのプロモーション・ヴィデオ(PV)の中で、彼女がセザンヌの絵画世界の中を散策する・・みたいな映像演出をやっていた。それを思い出した(=^_^=) まぁ映像作家としては“誰しも1度は思い付くネタ”なんかも知れませんな。特撮そのものより、名画を映像的にいじくって使用する承諾関係こそが大変そう?

6・・葛飾北斎の描いた浮世絵『赤富士』の角度そのままの世界で、富士山の背後(?)に位置する6つの原子力発電所が連鎖的に爆発を起こす。逃げ惑う人々、地獄絵のような風景の中、放射性物質を含んだ色付きの煙が風に乗り主人公(寺尾)らに向かって漂って来る・・。井川比佐志&根岸季衣がイイ味を出してくれている。彼らのお陰で、作品に漂うドンヨリした空気が「妙に明るく」変わるのが救いだ。最後は煙に向かい、脱いだ上着を振り回し抵抗する主人公だが、、これも正直、さっさと目覚めたいシチュエーションではある(・ω・)

7・・荒廃した近未来都市。途方に暮れながら砂地の斜面を登って来た主人公(寺尾)は、頭に1本の角を立てた“鬼”のような男(いかりや長介)に出会う。その“鬼”がシニカルな口調で語り始めた、この世界の置かれた状況とは、、って展開。過激なメイクをまとい、ひたすら生真面目に熱演するいかりやさんがイイ。終盤で彼の“鬼の本性”がいよいよ露(あらわ)となるんだが、私的にはセリフの何処かで「ダメだこりゃ!」と“チャーミングなひと言”を放っておいて頂きたかったかも(=^_^=)

8・・水車小屋の建ち並ぶ、山あいの水郷の村へぶらりやって来た主人公(寺尾)。飄々とした佇まいの老人(笠智衆)が、彼に「葬式が始まるのじゃ」と話し出す。いよいよ、の最終エピソード。
エピソード3以降、色んなシチュエーションで旅を続ける(?)主人公だが、次第に受け身なキャラに変わってゆく。いかりやさんに続いては笠さんの存在感の前にただ聞き役に徹してた感(・ω・) 笠さんは笠さんなりにメイクを施されており、必ずしも優しそうな印象の放たれていない点は、やや残念でもあるか(⌒〜⌒ι) ロケーション的に印象深いのは「水車」であるが、物語そのものには殆ど関係なかったりする、、まぁ本エピソードは、笠さんの存在感の勝利なのでしょう。
後半に描写される“死者を弔う踊りの列”は北野武監督をして、後の『座頭市(2003)』に影響を与えたと見えなくもない?

〜 こんなセリフもありました 〜

母「出てくんじゃありませんよ」
 「見たりすると、怖いことになりますよ」
 「お前、見たね? 見てはいけないものを・・」
 「早く狐の所へ行って、謝っておいで・・本当に“死ぬ気”になって謝んないとダメだよ!」
 「狐の家はその虹の下よ」

※「そこの子供! お前に言いたいことがある」
 「お前の家はこの桃畑の桃の木を全て切ってしまった」
 「今さら泣いても仕方がない」
 「この子は、いい子だ・・この子にもう一度、この桃畑の花盛りを見せてやろう」

隊員「この吹雪はもう止まない! この吹雪は俺たちが死ぬのを待ってるんだ!」

女「雪は、温かい・・ 氷は、熱い・・」

野口一等兵「中隊長殿、自分は本当に戦死したのでありますか?!」

中隊長「お前が死んだのは事実なんだ」
   「生き残ったわしは、お前たちに合わす顔がない」
   「わしはお前たちと一緒に死にたかった、このわしの気持ちを信じてくれ!」
   「戦死とは言え、犬死にだ!」
   「帰れ、帰って静かに眠ってくれ」

ゴッホ「なぜ描かん? 素晴らしい景色だぞ」
   「“絵になる風景”を探そうとするな」
   「急がねば・・描く時間はあと少ししかない」
   「太陽が“描け”と脅迫する、こうしてはいられない・・」

男「狭い日本だ、逃げ場所はないよ」
女「分かってるけど、逃げなきゃどうしようもない」

※「これまでだよ、みんなこの海の底さ」
 「どっちにせよ、放射能に追いつかれるのは時間の問題だよ」
 「しかし全く・・人間はアホだ」
 「死神に名刺貰ったってどうしようもない」
 「じゃ、お先に」
 「すいません、僕もその“縛り首の仲間”の1人でした」

男「あれはイルカだよ、イルカも逃げてるのさ」
女「イルカはいいねぇ、泳げるから」

鬼「人間だな?」
主人公「君は、鬼か?」
鬼「そうかも知れねえ・・だがこれでも、昔は人間だったんだ」

鬼「昔は、この辺り一面の花畑だった・・それを水爆やミサイルが、こんな砂漠にしちまった!
  ところが最近、その死の灰の積もった地面から“不思議な花”が咲き始めた・・タンポポの化け物だよ」
 「放射能が花たちを※※にしちまった」
 「バカな人間が、地球を猛毒物質の掃き溜めにしちまったんだ」
 「食べ物なんか有る訳ないよ、俺たちは共喰いをして生き延びてるんだ・・そろそろ俺の番だ」
 「のさばるだけのさばるがいいよ」
 「俺はもうじき喰われるんだけどな・・いや、喰われるのはやっぱり嫌だ!」
 「夕方になると名うての鬼どもが哭(な)くんだよ、角が痛んでな・・
  死にたくても死ねないから、哭くより仕方ないのさ」
 「俺の角も、痛くなって来た・・」
 「鬼になりたいのか!!」

老人「(この村に)名前なんかないよ、わしらはただ「村」と言っている」
  「人間は便利なものに弱い、便利なものを良いものと勘違いして、本当に良いものを棄ててしまう」
  「暗いのが夜だ・・夜まで昼のように明るくては困る」
  「人間に本当に必要なのは、良い空気、自然な水、それを作り出す木や草花だ」
  「あんたは変な顔をするが・・本来、葬式は目出たいものだ。
   尤も、子供や若い者が亡くなるのは目出たくはないが」
  「生きるのは苦しいとか言うが、それは人間の気取りだよ・・正直、生きてるのはいいもんだよ、とても面白い」

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2008年10月11日 (土)

☆『ゆれる(2006)』☆

9日(木曜)の夜。衛星第2で放送された、西川美和の脚本&監督による意欲作『ゆれる』の鑑賞がようやく叶った。
劇場公開当時“観ようかどうしようか”とゆれ、DVDリリース当時“買おうかどうしようか”とゆれ、原作本の文庫版発売時“読もうかどうしようか”とゆれ、色んな意味でこれまでゆらされて来た1作だった(・ω・)

母の法事のため、東京から故郷である山梨県へ帰省したカメラマン=早川猛(たける)(オダギリジョー)。ガソリンスタンドを経営する頑固な父=勇(伊武雅刀)、それを手伝う真面目な兄=稔(香川照之)と再会する。
そしてもう1人、スタンドで働く女性店員。
彼女が幼馴染みの川端智恵子(真木よう子)であることを知らされた猛は、奥手な兄を出し抜き、早くもその夜に智恵子と“大人の関係”を結んだのだった。遅い帰宅となった弟を、背中を向け「おかえり」と迎える兄。その表情は・・“何か”を察したのだろうか?

翌日(平成17年10月2日)、兄弟と智恵子は(猛のクルマで)“あすみ渓谷”へと出かける。
渓谷の向こうには、老朽化した吊り橋が架かっている。

猛がまず撮影がてら橋を渡る。それを下で眺めていた智恵子が「私も渡ってみようかな?」と言い出す。
高所が苦手だと言う稔は智恵子を引き止めることも出来ず、戸惑っていた。

渓流の音に紛れた、かすかな“言い争う声”を耳にした猛が下から橋に眼をやると・・果たしてそこには、へたり込み川面に向かって手を差し伸べる兄の虚ろな姿だけがあった。
智恵子はゆれる吊り橋から転落してしまったのだ。

やがて溺死体で発見される智恵子。
“事故”か“殺人”かを巡り、検察側と弁護側が法廷で論争を繰り広げる展開となる・・

公判に進展が見られなくなって来た時、いよいよ証人として猛が重い口を開く。
彼の口から語られた“事件の真相”とは・・?
そして、兄弟と被害者しか知る者のいない“橋の上で起こった真実”とは一体何だったのだろうか?

これまで伝え聞いた情報(?)などを繋ぎ合わせ、私的には(芥川龍之介の)小説『薮の中』を、現代に置き換えたような、そんな“トリッキーなサスペンスもの”を予期していたんだが、もっともっとシンプルかつ普遍的な、淡白だけど濃い(どっちだ!)テーマが作品の底に描かれているように感じた。
“事件”そのものは開始後30分もすれば発生するし、1時間後には本格的な公判が始まる訳で・・もし(本作に)吸引力が欠けていたら、その後の約1時間を引っ張るのは、相当キツかったことだろう。

が、そこは流石に“香川照之&オダギリジョー”だけあって、しっかり観客を作品世界に繋ぎ止め離さなかった!

私的には“事件の真相”そのものより、それをきっかけに、兄弟それぞれが(それまで)押し殺していた感情や本質的な性格、みたいなものをさらけ出してゆく“ゆれる展開”に圧倒された。
いい加減で自堕落な調子だった弟が絶叫&嗚咽し、生真面目だった兄はただ黙して微笑む・・ラストシーンの2人の表情は『ファイト・クラブ(1999)』のポスターにおける“ニヤつくブラッド・ピット&不機嫌なエドワード・ノートン”の醸し出した「強烈な対比」にも決して劣らなかったように思う。

ちょうど後半では、弟と兄の性格がスワップされたようになり、それこそ“いよいよ演技合戦や!”と興奮させられたが、(そこは流石に?)やや直後に“寸止め”されてしまい残念だった。
狂気vs邪心・・『あずみ(2003)』の時のオダギリと『OUT(2002)』の時の香川がぶつかったら・・もうそれは“物語性”も“ロケ移動”も必要のない“高み”に昇りつめちゃう気もする(⌒〜⌒ι) 観たいけれど、かなり危ない領域なんやろな、、

惜しい部分としては“少年時代の映像”“※年後、なる字幕”は(安直なので)出来れば用いて欲しくなかったことと、ヒロインの“死して尚、な存在感”までは描き切れてなかったことか。
“回想シーン”をああまで自在に使いこなすだけの技量を持つ監督さんなのだから、もっともっと智恵子と言うキャラを多面的&魅力的にも描けただろう、と思うと惜しい。

助演陣もピンポイント的ながらそれぞれに見せ場があり、巧い扱われ方をしていた。
ガソリンスタンドで働く若店員を演じた新井浩文は終盤で存在感を爆発させるし、私的には検察官を演じた木村祐一の言動&態度のいちいちが強烈に響き「本作のキムを主演に、スピンアウト作品を撮っては・・?!」と思わず期待してしまったものだ(=^_^=)
本作で恐らく最も“揺すぶられてた”弁護士役の蟹江敬三氏にもまた、独特の味わいがあった。

全体的に言えば「何処かが演出過多」「何処かが演出不足」と言う直感的な印象もあるんだが・・その消化不良さをねじ伏せるだけの静かで強烈なパワーに、確かに溢れている。

近年稀にみる「ブームが過ぎ、後年になったとしても、観ておくべき作品」の1つだと思う。

〜 こんなセリフもありました 〜

勇「(猛の仕事なんざ)他人様がそっぽ向きゃ、明日にもどん底ですよ」

稔「東京のガスで頭、濁ってんじゃないのか?」
 「俺が、智恵ちゃんを落と・・」
 「俺ねぇ、あの人(弁護士である伯父の修)駄目なんだわ、昔から」
 「お前な・・この町のこと、あったかいなんて・・」
 「まぁ、あのスタンドで一生生きて行くのも、この檻の中で生きて行くのも大差ねぇか」
 「お前がいつも言ってるようなことじゃん」
 「所詮、つまらない人生だよ」
 「何でこんなことになっちまうのかなぁ・・なんでお前と俺はこんなに違うんだよ」
 「俺、本当はあんな吊り橋なんか全然怖くねぇんだよ・・何つって何つって何つって・・」
 「事実なんて、もういいじゃない」
 「お前は俺の無実を事実と思ってる? 自分が“人殺しの弟”になるのが嫌なだけなんだろ?」

猛「兄貴とさ2人、すげぇ息あってるね・・嫉妬しちゃったわ、俺」
 「俺、お前ん家、上がっていい?」
 「奇麗なところだな、光が透き通ってるもんな」
 「疲れるばっかりだぜ、東京なんてさ・・所詮、田舎もんには水が合わねぇんだよ」
 「誰の眼にも明らかだ・・最後まで僕が奪い、兄が奪われた」
 「腐った板が蘇り、朽ちた欄干が持ち堪えることはあるだろうか? あの橋はまだ架かっているだろうか?」

智恵子「色んなことが怖くて、失敗しちゃいけないって思ってる内に、何にもない人生になっちゃった」
   「怖いよ・・あの人もう(私たちの関係に)気付いてるんじゃないかな?」

修「憶測じゃ、法は動かないのさ」
 「俺の確信で証拠でも出てくりゃ苦労はしねぇがな」
 「相手だけが得したって思うのは・・それは被害者意識から来る、想像力の欠落ってヤツだわ」

智恵子の母「あの子、殺されるような子だったのかなぁ?」

検察官「死んでても、痛かったんやないかなぁ?」
   「(事件を起こしてから)“ごめん”なんちぅのはね、加害者のご都合でね」
   「彼女に好意を抱いていた? 言っちゃって!」
   「初めからパーフェクトに両想いになれる相手がいると分かっているならば・・私は旅に出ます」

若店員「俺はあんたのしたことが正しいとは思えない」
   「奪いっぱなしですか? それであんたは何を手に入れたんです?」

追記1:検察官により、智恵子の解剖報告書が読み上げられるシーン。「被害者の膣内から微量の精液が・・」なる生々しく、衝撃的なセリフには、猛よりも稔よりも、観客が一番“揺すぶられる”かも知れない、、
追記2:回想映像内での伊武雅刀さん、実に楽しそうに“(ドリフの)ヒゲダンス”をされてました(=^_^=)

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2008年6月30日 (月)

☆『無宿/やどなし(1974)』☆

28(土曜)の深夜・・日付は日曜に変わってしまってたが、ふと点けたTVの“衛星第2”で放送されてたものを“チラ観”し、そのままイッキに(作品世界に)引き込まれてしまった(=^_^=)
・・ってことで中盤からの鑑賞。。

とにかく「饒舌なカツシン(勝新太郎)と寡黙な健さん(高倉健)のコンビ」が陽炎の立ち昇るような真夏日の中、何やら風情たっぷりに語り合い、動き回ってた情景が実に“絵になってて”光ってた☆
その2人に絡む形で登場するヒロインが梶芽衣子さん。ってか、、往年の“動いてはる姿(映像)”を意識して拝見したのって、コレが初めてだったかも。。

寡黙な健さん(着流し姿!)が竹やぶで、待ち受けるヤクザもんと“ドスバトル”するシーンなど、どんな物語なんやら、どんな展開してるんやら全く分かんなかっただけに(=^_^=)かなりワクワクさせられた! 健さんとその(対決)相手が組み合ってドスを交差させ、グッ・・と動かなくなる映像を(2人の)真下からのカメラワークで捉え、レンズ面に血のりがポタポタしたたる見せ方とか「すごぅい!」と感心してしまう。

一方のカツシンは、白い洋装で統一し(健さんと)対照的なジェントルさを漂わせる。(彼の)言動だけを拾うと全然ジェントルに成り切れてなかったンですけど・・

後半からは、カツシンが梶さんを伴って漁船で海に出「(沈没した)バルチック艦隊の残骸(=お宝)」を潜水服で探し求める・・と言う、壮大だけど何だか良く分かんない“冒険ドラマ”にいきなし突入。そこに寡黙で不器用な健さんも合流する・・

ラストがこれまたメチャメチャ唐突で、『イージー・ライダー(1969)』路線かよ! と何となく突っ込んでしまった。

梶さんの脱衣⇒全裸での海水浴シーン・・なんてのもちょろっとあるが、あの映し方からして、間違いなく“吹替え”っぽい、、それが分かる年齢なワタシだけに、観てて余計に“切ないモノ”があった(⌒〜⌒ι) ←勿論、妄想でもって補完し、楽しませて頂きましたがね、へっへっへっ。

どうやら、本作のベースとなってるのは、フランス映画『冒険者たち(1967)』らしい。
ワタシは『冒険者たち』は未見だし、本作も“復讐劇”がメインに描かれる前半こそが面白い、みたいな評価もあるようなので、また機会があれば観直してみたいものだ。

しっかし健さん・・本作の前年に『ゴルゴ13(1973)』主演とは・・何ともな“カメレオン俳優”ぶりではあります・・なかなかに器用ですね(苦笑)

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2008年6月14日 (土)

☆『酔いどれ天使(1948)』☆

12日(木曜)。衛星第2で放送されたモノを録画しておいた、黒澤映画『酔いどれ天使』を3日に分け鑑賞した。この日、ようやく観終えた次第である☆

以前、少し関わりのあった「自主制作映画と任侠作品の鬼」みたいな方(最近はお元気なんやろか?)が言うに「黒澤作品で最も好んでいる1本」とのことだったが、ようやく鑑賞が叶った。
いつもながら「モノクロ時代のクロサワ、まるで水を得た魚のように凄まじいな・・!」と圧倒される。

戦後、復興期をひた走る東京。が、その下町で静かに忍び寄る「結核菌」の存在に人々は怯えていた。

舗装の進んでいない闇市(=南新町マーケット)の広場。大きなどぶの傍にある「眞田醫院(=真田医院)」では、名医だが「貧乏・アル中・毒舌」の中年医師・真田(志村喬)が儲け(営業)を度外視した“面と向かっては(患者を)罵倒するも、実は思いやりに溢れた診療”でささやかに近隣住民の支持を集めていた。

そんなある夜「ドアに手を挟まれた」として“ちょっと苦みばしった痩せっぽちの青年やくざ”松永(三船敏郎)が医院を訪れる。果たして、執刀した彼の患部からは“鉛玉”が転がり出す。
本当は“抗争で被弾した”モノだったのだ。

治療の中で、彼が肺結核に冒され、恐らくはその肺に穴が開いているであろうことを掴んだ真田は「酒・煙草・女は禁止だ!」と言い付け、彼の自堕落で無軌道な生き方を修正しようとするが・・持ち前の毒舌が災いしてか(?)松永は一向に暮しを改めようとせず、下町の「顔」として“肩で風を切り”闇市を闊歩するのだった。

そんなある日、傷害事件を起こし服役していた松永の兄貴分・岡田が4年ぶりに娑婆(シャバ)に舞い戻る。一度は真田の元に足繁く通い、改心の兆しを見せ始めたか・・に思えた松永だったが、岡田の影響で、またもや「酒・煙草・女・博打」の悪循環に転げ落ちてしまう。

賭場でついに吐血⇒昏倒し医院に運び込まれる松永。「絶対安静」を真田に言い付けられた彼だが、やはり看護師・美代(中北千枝子)の制止を振り切り町へ・・。
花屋で“この界隈は今や岡田の縄張りだ”と耳にした松永は、親分の真意を聞きに本拠へと向かうのだが・・

ウィキペディアにも記載の通り(=^_^=)、黒澤監督の描きたかった(?)主人公像=真田医師を超え、準主役である松永=ミフネがすっかり主役を喰ってしまってる感があった。
が、ワタシなりに感じたのは「クロサワ自身にも“主人公を真田に引き戻すための(挽回的)演出を敢えて(脚本に)盛り込まなかった”と言う「狙ってた部分」があったのでは?」ってこと。
ある意味、それ程までに当時(彼の)感じたミフネの印象が強烈だったんだろう(ご存じの通り、本作は“ミフネ初登場のクロサワ作品”である)。

ちんぴらが自滅して行く物語、と言えばひと言で「粗筋に変わるもの」となるが・・そこを視覚的に彩る三船の強烈な「言動・パワー・輝き」が確かに本作の見所ではある。
前半では白スーツ、後半からはダークスーツ・・と“お色直し”するのも面白い。

番組解説においては「本当の主役はある意味“どぶ”」と言う刺激的なコメント(=^_^=)が交わされてたが、確かに(ロケ移動の比較的少ない中)要所要所で映し出されるどぶの様々な表情&映像表現は、それだけで強烈なビジュアルイメージを観る者に叩き付ける。モノクロならではの味わいに「どんな色をしとるんやろ?」と思いを馳せるのもアリだろう(馳せるなよ!)

全編を通じ、真田医師を支え続けたのが中北千枝子さん演じる看護婦・美代だったが(←後半で急に出て来なくなりちょっと気になる(・ω・))、それよりも(2シーンのみ出演の)女生徒(久我美子)と(1シーンのみ出演の)ブギを唄ふ女(笠置シヅ子:クレジット表記は“笠置シズ子”)の方がはるかに強烈であった。特に後者、、(⌒〜⌒ι)

私的には「最後は改心モノか?(所謂「君は悪くない」「ごめん、今まで」的な、、)」と予想してたが、流石は黒澤、徹底的に“暴力を否定”するオチを描き切った。

が、1シーン「長いな〜」と感じたのは、終盤の「松永vs岡田」の対決だった。劇中で唯一(?)の「アクションシーン」ではあったが、あそこはアキ・カウリスマキ監督『白い花びら(1999)』の終盤みたく、断片的に描き、(真相を)観客の想像力で補わせて欲しかったものだ(・ω・)

ほか、劇中で黒澤作詞による1曲「ジャングル・ブギ」が笠置女史により披露されるが、歌詞にあった“♪骨の溶けるような恋をした”の一節を聴いて、思わず松任谷由実(ユーミン)の「真夏の夜の夢」を思い出してしまったワタシである。。

〜 眞田語録! 〜

 「タダ飯喰ってるヤツからは、出来るだけボることに決めてるんだ」
 「結核患者5人持ってりゃ、医者は左団扇(うちわ)だからな」
 「聴診器で何が分かるもんか、そんなものはおまじないだよ、医者は格好が付かねぇからあんなことするだけさ」
 「お前んとこの酒はアルコールよりも石油に近いんでな」
 「元来、医者って商売がバカらしいんだから仕方がねぇよ、この世の中に病人がなくなったら
  一番困るのは医者だろ? それなのに、医者ってヤツはその病人をなくす事ばかり考えてるんだからな」
 「説教聞いて出直すには老け過ぎてらぁ」
 「グレるにはグレるだけの訳があるんでな」
 「あいつは何て言うか・・芯がやられてやがるんだ」
 「お前の一生は、まだ半分残ってるよ」
 「病気を恥ずかしがる、お前の根性がおかしいんだ、お前たちはそれが勇気だと思ってやがる・・
  俺に言わせりゃお前たちほど臆病者はないよ」
 「年寄りはそうじらすもんじゃねぇ」
 「酒喰らってへべれけにならなきゃ、ここへ来られなかったんだろ? 情けねぇヤツだ」  
 「何処の死に損ないだ? とんだ時間に世話焼かせやがる」
 「何がムリだ、いつもムリばかり通してやがるくせに」
 「お前の肺ばかりきれいにしようったって駄目な相談だよ、
  お前の周りには腐り切った、ばい菌みたいな奴らばかり集まってるからな」
 「もしその女がこの家にいたとしても、てめぇの声聞いて飛んで出て来ねぇようじゃ脈はねぇんだ」
 「仁義なんてものは、悪党仲間の“安全保障条約”みたいなもんさ、結局はカネだよ」
 「日本人ってヤツは、とかく下らねぇことに身を棄てたがっていけねぇ」
 「結局、けだものはけだものさ、人間にしようなんて考えるのがそもそも甘っちょろいんだ」
 「人間に一番必要なクスリは理性なんだよ」

追記:本作の三船には若い頃の役所広司っぽい野性味を感じた。志村には何処となく老けた柳葉敏郎ってなイメージを感じたりした。

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2008年6月 7日 (土)

☆『雪国(1957)』☆

6日(金曜)夜に鑑賞。
同日の昼間、衛星第2ちゃんねるで放送されたものであり、当然ながら放送時間に観ることは無理なので、HD(ハードディスク)の記録可能時間に怯えつつ、録画しといたものである。

雪のしんしんと降る中越地方(新潟県)の湯沢温泉郷を舞台に、東京からやって来た日本画家・島村(池部良)を軸に、芸者・駒子(岸惠子)とその(義理の)妹・葉子(八千草薫)の2人のヒロインの確執と愛情の行方を綴ったドラマである。

「国境の長い隧道(トンネル)を抜けると雪国であった。」と言う原作(小説)における冒頭の一文は、文豪・川端康成の造り上げたシンプルかつ究極の“つかみ”であるが、こんな風に映像になるのか、とまずは感じた。何だか、想像してたより賑やかで詩文性(?)に劣るような・・かつバックに流れる音楽がな〜んか明る過ぎる気もした(・ω・)

“川端文学の最高峰”ともされる本作(原作)だが、映像作品を観た限りでは、情景描写こそ素晴らしいものの、
・ロケーション(場面転換)にやや乏しく、まず物語そのものが長尺(何と134分もある!)
・登場人物のキャラ描写が甘い
・ヒロイン2人(姉妹)の心情がイマイチ伝わって来ない
・物語が(ボリュームに比して)起伏に乏しい
などの“根本的な問題”を抱えてるようにワタシには思えた。

もっとビシバシッと削り「90分前後」ぐらいにした方が印象は良くなった気がする。

原作だと島村は小説家との設定だそうだが、この映画版ではそうでなく、また主人公が「全く絵筆を握らない」どころか「劇中で写生すらしない」のには違和感がありありだった。
東京での彼の生活が全く描写されないことからも「実は何もしてないんじゃないか?」なるクエスチョンが明滅してしまったりする。

駒子と島村の関係も難解である。。
「混浴」や「一泊」をする演出が含まれたんで、きっと“肉体関係はある”と思われるが・・流石にその手のシーンは全く描かれず、更に「葉子と島村の交流」となると、とんと分かんないのだ。

終盤において、唐突に“事件らしい事件”が勃発するんだが、それも何だか取って付けた感があり、その直後に主人公がこれまた急に「雪国から去ってしまう」流れとなるのも戸惑ってしまった。

お恥ずかしくも、原作小説は冒頭の辺りしか読んだ記憶がないんだが、同じ川端文学の『古都』を読んだ時と同様に、実際にしっかり読んでみたら、案外“日本語(表現)的には美しいし、常人には構築し得ない作品世界”ながらも“何処か構成・骨格的に破たんした物語”なのかも知れない(・ω・)

劇中のセリフの中に、何度か「小千谷(おぢや)」の地名が登場したモノで、どうしても約半世紀後にこの中越地方で発生することとなる「新潟県中越地震」を連想するワタシだった。

〜 こんなセリフも印象的でした 〜

※「どうなるんでしょうねぇ・・世の中は」
※「どうも不景気風が吹き捲くりそうだよ」

※「何とかなるんだったら・・今までに何とかなってるだ!」

※「インテリとお見受けしますが」

※「女にこんなこと言わせるようになったら・・あんたもうおしまいよ! 分かる?」

島村「今日はどうも人懐っこいんだよ、今夜は1人じゃやり切れん」
  「今の世の中に合うような絵が描けないからさ、僕には」
  「駄目なんだ、仕事の中にも逃げ切れなくてね」
  「君とさっぱり付き合いたいから、口説かないんじゃないか」
  「こんな所に咲いてる花だから、余計奇麗に見えるんだよ」 ←“深い意味”がある?
  「絵なんか描いたって、見向きもしない世の中になったよ」
  “いつでも手紙を書く時には、本当の自分ではなくなるのではないかと言う不安がある、
   どうも僕はそう言う人間だ”
  「もうこの雪国へ来ない事が・・せめてもの君への謝罪だ」
  “僕は自信のない責任を持つ事が、何よりも無責任だと思うのだ”

駒子「もうすぐ大きな戦争が始まるって本当かしら?」
島村「戦争? 何処とやるんだい?」
駒子「それは知らないけど・・」

島村「何故、僕の手紙に返事を呉れなかった?」
駒子「(あんたの)奥さんに見られてもいい手紙なんか、誰が書くもんですか」

駒子「芸者さんを探すって? まぁイヤだ・・宿では“そういうお世話”は一切しないの」
  「“好きだ”なんて言わなかった人のことの方が、いつまで経っても懐かしいのね、忘れないのね」
  「あたしがいけないんじゃないよ、あんたがいけないのよ」
  「今笑わなくたって、きっとあなたは後で(あたしを)笑うわ」
  「東京なんてすっかり諦めて・・山の樹に染まって元気に生きてくの」
  「まるで生きてることが徒労みたいね」
  「日記はね・・焼いてから死ぬの、あたし」
  「死んでく人が、どうしてあたしの自由を止められるのよ!」
  「こんな晴れた日には、三味線の音(ね)が違うのよ」
  「どうにもならない気持ちってのもあるじゃない? いいとか悪いとかじゃなくってさ」
  「生きた相手だと思うようにハッキリも出来ないから、せめて死んだ人にはハッキリしとくの」
  「これでもあたし、強運の許す範囲で奇麗に暮らしたいと思ってるのよ」
  「一生に一度、好きな人に逢えたから、それでもいいの」

島村「君は、三味線の音でどの芸者か分かるのか?」
按摩「耳はあいておりますよ。でもね、旦那さん・・今日の駒ちゃんの三味線は、
   張り詰め過ぎていますよ、悲しいぐらいに」 ←このやりとりにはハッとさせられた!

島村「僕は正直に自分の気持ちを言いたかった、それで済むと言うものでもないけどね」
葉子「でも、黙っているよりはましですわ」

追記:前半で“ぶさ※く”な若手芸者・勘平(かんぺい)を好演したのが、当時21歳(!)の市原悦子さん(・ω・) 「簪(かんざし)で木天蓼(またたび)を刺して食べる」ちぅ豪快な姿には、唖然とさせられますた(=^_^=)

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2008年4月26日 (土)

☆『用心棒(1960)』☆

19日(土曜)に衛星第2で放送されたものを鑑賞☆
確か数年前(?)にも観たことがあったが、今回は映画全般に対する経験値が(まだまだ未熟ではあるも)更に高まって来てるのもあり、予想以上に面白く観ることが叶った。

“没後10年・黒澤明特集”と銘打たれた、クロサワ映画のラインナップを飾る代表的な1作。
風来坊が無法者の支配する町にふらりと現れ、2つの組織を荒し回り、最後に双方を壊滅させ何処へともなく去って行く・・と言うその(脚本家養成講座の教材みたいな)粗筋を語るだに気恥ずかしくなりそうな構成であり、いわば“アトラクション的娯楽活劇”なんだが、この単純明快で半ばパターン化されたような脚本こそが、観る者を安心させ、普遍的なその魅力を後年にまで振りまき続けるのであろう。

ともかく。『用心棒』の作られた以降の時代に生を受けて良かった、としみじみ感じる次第である(・ω・)

乾いた疾風の吹き荒れる、何処ぞの宿場町(どうやら上州街道筋らしい)。枯れ枝を空へ投げ上げ、己が行く先を決めた結果、この宿場へとやって来た凄腕の浪人(三船敏郎)ひとり。
宿場では連日、殺し合いが続けられ、笑いの止まらぬのは「をけ屋(棺桶屋)」の主(あるじ)ただ1人。

町を支配するは「清兵衛一家」と「丑寅一家」の2大勢力。
自らを「桑畑三十郎」と名乗ったこの正体不明の浪人、「俺を用心棒に雇わねぇか?」と剣の凄腕をアピールしつつ、双方を行ったり来たり。
そうして、両家をまんまと手玉に取ったかに見えた三十郎だったが、そこに丑寅親分の弟=卯之助(仲代達矢)がひょっこり旅から戻る・・そして三十郎の策略の歯車は次第におかしな回転を見せ始めることとなる・・

ポンポンポンっと要所要所で眼を引く映像を見せてくれるのが素晴らしい。

冒頭で言えば「右手首をくわえた犬」がちょこちょこ浪人の傍を走り過ぎて行く演出だろうか。主人公でなくとも「どうなっとんのやこの宿場は?!」と思わず心中ギョッとさせられることだろう。
(後年のカドカワ映画『悪霊島(1981)』でも、同様に“手首犬”が登場するが、本作の影響だろうか?)

どうにも、両方の一家とも「構成員はバカばっかし」と言う印象が(当初から)あり、それが次第に大きく膨らんで来るんだが、そんな“停滞した状況下”で登場する「卯之助」のキャラ造形がクールでニヒルで、とにかくカッコいいのなんの(=^_^=)
「英国製のマフラーを首に巻き」「懐にピストルを隠し持つ」って設定からして無国籍でぶっ飛んでる!(ひょっとして『ピストルオペラ(2001)』にも影響を与えたか?)

宿場内を代表するロケーションの1つで「火見櫓」が出て来るが、卯之助が「面白(おもしれ)ぇものを見せてやろうか」と言いつつ、半鐘を狙い撃ちして鳴らす辺りの演出は、観客から観ても、同業者から観ても「やるぅ〜!」と唸るしかないんじゃなかろうか。

対する三十郎も「6人斬り」の早業を中盤で見せてくれる! コレが「ただ斬り結ぶ」だけじゃなく、1人当たり“きっちり2太刀”を浴びせ即死させて行くテクニックであり鮮やかでカッコいい。モノクロ映画ならではの利点で、それほど(色彩的に)生々しく映らないのも良かった。

そうそ。モノクロ作品と言えば・・(戸外の)雨の描写がなかなか良く、妙に感動させられてしまった。同監督の『野良犬(1949)』の後半、雨の中を某重要人物の現れるシーン(『セヴン(1995)』に雰囲気が似てる!)も素晴らしかったが、本作もなかなか☆

終盤、居酒屋の親父(東野英治郎)がとっ捕まってしまい、後ろ手にぶら下げられるんだが、これが町の入口にある「鳥居」に、と言うのも、(先の)「火見櫓」同様、ロケーションを余すトコなく駆使してる感があり、楽しめた☆

正直、細かいことを言うと「荒唐無稽」「ご都合主義」「中盤でダレそうになる」って一面もあるんだけど、その辺りの調整をギリギリの許容範囲と言おうか、適度な加減にとどめていて、そこが奏功したのかも、とも思ったものだ。

あ、「2つの勢力を行ったり来たり」と言う(主人公の)処世ぶりってば『もののけ姫(1997)』のアシタカとか、『機動戦士ガンダム』シリーズのシャア・アズナブルにも影響を与えたっぽいトコもあるんじゃなかろうか・・(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

百姓「近ごろの若ぇもんは、みんな気が狂っちまっただよ」

権爺「こんなトコにいると、毒気に当てられて碌(ロク)なことになんねぇ」
  「この宿場のヤツはみんな気ちげぇだ、だが・・お前はもっと気ちげぇだ!」
  「おめぇ、生きてるようには見えねぇぜ」
  「報せたのか、馬鹿野郎! 余計なことしやがって・・」

三十郎「斬られりゃ痛ぇぞ」
   「全く馬鹿につける薬はねぇな」
   「をけ屋! 棺桶2つ・・いや、たぶん3つだ」
   「用心棒にも色々ある・・雇った方で用心しなきゃならねぇ用心棒もある」
   「博打打ちの仲直りぐらい、物騒なもんはねぇんだぞ」
   「人をあんまり安く使うと、却って高く付くことになるぜ」
   「宿場がこの鍋の中みたいにぐつぐつ煮えて来たぜ」
   「面白れぇ見せもんだろうが、見物するのは後回しにして呉れねぇか・・説教も後回しだ」
   「死ぬ前に叩っ斬らなきゃならねぇヤツがだいぶ居る」

※「博打打ちに奇麗も汚ねぇもあるもんか」
※「1人斬ろうが百人斬ろうが、縛り首になるのはいっぺんだけだよ」

丑寅親分「ほかの雁首は要らねぇ」

亥之吉「ところであの6人・・“いい腕”で料理されてたなぁ」

棺桶屋「駄目だ・・喧嘩もこう派手になると、もう棺桶なんか使っちゃ呉れねぇ」

卯之助「駄目だ、暗くなって来やがった」
   「畜生! 俺はお題目なんか要らねぇ! ・・地獄の入口で待ってるぜ」

巨躯の用心棒「やい、旦那の長持(ながもち)に血を垂らすな!」

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