2009年11月 5日 (木)

☆『モナリザ・スマイル(2003)』☆

4日(水曜)の夜。久々に少しばかり残業をこなしてから帰宅した。
このトコロ、どうやら劇場に足を運び過ぎ(・ω・) “宝玉と駄石とを見分ける”眼力(?)が鈍って来たようにも思えるので、ちとブランクを置いてみようかな〜などと。

何にせよ、今夜は衛星第2でジュリア・ロバーツ主演の『モナリザ・スマイル』が放送されたので、期待しつつそちらを観た次第である。

1953年の秋。“良き妻、良き母となる女性を世の中へ送り出す”ために存在する名門=ウェルズリー大学(マサチューセッツ州)に、カリフォルニア出身の美術史講師=キャサリン・ワトソン(ジュリア)が赴任する。

自由人キャサリンは「憧れだった」ウェルズリーの教壇に立つ事がついに叶うも・・そここそは“当時のアメリカで最も保守的な大学”であったのだ。

彼女は持ち前の反骨精神と、独自の指導法で女学生らを導き“変革”を起こそうとするが・・彼女らとの距離が近付く半面、それはまた大学側の当惑&脅威の種にもなってゆくのだった・・

ジュリア・ロバーツ作品としては、彼女の“立ち位置”が明らかに後退してると言おうか・・そもそもが、彼女だけに脚光を当てた作品でもないように感じた。

女学生陣が、ジゼル・レヴィ(マギー・ギレンホール)、ベティ・ウォーレン(キルスティン・ダンスト)、ジョーン(ジュリア・スタイルズ)・・とピンポイントにすんごい面々なので、物語の演出面から考えても“ジュリア映画”には仕上げにくかったように感じる。
或いはジュリア自身の“トップ女優としてのオーラの噴出量”がやや弱まって来たってことやろか?

にしても、まさに“女性向け”ってテイストの1作ではあったようで、ワタシのようなおっさんからすれば「パンチ&メリハリに欠ける」「突出した美人キャラがいない」「劇中の“野郎キャラの存在”が押し並べて薄い」って辺りは、ややもすれば「ダレる要因」ともなった(×_×)

また、主人公が美術史の講師であることから、もっと“美術論”に偏った物語になるかと思いきや・・そんなに演出面の多くを占めてた訳でもないようで、やはり色々と「薄味」だった感は否めないかな、と。

ただ、男人禁制(?)の「女の園」における独特なエロトークがちらほら女性らの間で交わされたりもし、そこばかりはドキドキ出来て良かったかも(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありましたな 〜

キャサリン「人は変わるわ・・私たちも」
     「結婚しない関係だってあるわ」
     「結婚が(あなたたちの)人生の目的じゃないわ」
     「(女性に)与えられた役目って?」
     「彼女たちは、まだ締め付けられてる」
     「皮肉なことね。信念を貫いた孤高の画家(=ゴッホ)の絵
      (=ひまわり)が、今では『お絵描きセット』の手軽な教材になってるなんて」

ベティ「ここは地方大学とは違うの。他に(教えることが)ないのなら、自習します」
   「あの“ガラクタ芸術論”の先生ね」
   「基準がなければ、名作か駄作かが判断出来ないわ」
   「先生はうわべだけを見てるわ」
   「夫婦はそれぞれなのよ」
   「(夫は)愛してくれない・・私と寝てくれないのよ」
   「物事は見かけとは違うのよ」
   “彷徨うことは、無駄とは限らない”

ポール「独りだと生きてる気がしない、君もそうだろ?」
   「はるばる会いに来たのに、ソファーで寝ろと?」

アマンダ「一体、誰が何を護ろうとしてるの?」

教授「カンバスに絵の具で染みを付けただけのものに、システィーナ礼拝堂(の天井画)と同じ価値があると?」
キャサリン「比較の問題じゃありません」

キャサリン「これは芸術かしら?」
女生徒「ただのスナップ写真では?」
キャサリン「そうね・・でももし、誰か有名な写真家が撮った1枚だとしたら?」

A「(避妊具の持ち込みは)違法では?」
B「これは“女性の味方”よ。ひょっとして、あなた処女なの?」

※「夫を“巧く操縦する”のが妻の仕事よ」
 「大事なのは“夫に評価される”ことよ」
 「紳士にもペ※スはあるわよ」

キャサリン「ここでは何でも決めつけるのね」
ベン「考える手間が省けるからね」

キャサリン「あなたの評論は丸写しよ」
ジョーン「引用です」

キャサリン「脅してるつもり?」
ベティ「教えてるの」
キャサリン「教えるのは、私よ」

スタン「原爆はもう古い。これからの時代はフロンガスだ。フロンはアメリカを変えるぞ」

追記1:監督のマイク・ニューウェルは、本作の次に『ハリー・ポッターと炎のゴブレット(2005)』を手がけたそうだ(・ω・)
追記2:ウェルズリー大学のOGとしては、ヒラリー・クリントン現(合衆国)国務長官、ノーラ・エフロン監督、エリザベス・シュー(女優)など。

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2009年10月29日 (木)

☆『マイケル・ジャクソン/This is IT』☆

28日(水曜)。愛媛県は東予エリアに出張している。
(出発前の)朝食こそは、テキトーに冷蔵庫の「残りモノ」を食べたが(←大抵は“野菜ジュース”“ごま豆腐”“シリアル”程度)、結局は「昼抜き(=まさに飲まず喰わず)」で社用車を運転しまくった1日目(×_×)

午後5時半ごろ、ようやく(それなりの)ノルマが達成出来たので「何か食べに行くかぁ」と考えたが・・某巨大商業施設内にある“新居浜TOHOプレックス”を覗いてみたら・・『マイケル・ジャクソン/This is IT』が上映されてたので、早速観ることとした☆
「何か女性が多いな〜?」と思ったら、今日は“レディースデー”だったんやね(×_×) 良くかぶるなぁ(×_×)

2009年春。50歳となった“キング・オヴ・ポップ”マイケル・ジャクソン(=MJ)は10年ぶりのコンサートを発表。本作は3〜6月にかけて行われたリハーサル風景であり、MJが個人的に撮影させていた記録映像群を編集したものである。

それはまさに“彼の魂のこもった贈り物”と言える。

4月中旬のダンスパフォーマーのオーディション風景や、6月末のロンドン入り以後のリハーサル映像などで構成された本作は「良くも悪くもドキュメンタリー」であり、プロモーションビデオやライブビデオ並みの完成度を期待すると、流石に(映像面・演出面で)やや物足りないトコがあるかも知れない。
しかし一方で、MJと言う人物の「それまでは(限られた)関係者しか知り得なかった“生(き)の言動”が垣間みられる!」って意味では、確かにモノ凄い“お宝映像”であると言えよう。

私的に驚かされたのは、まずは彼の“動き”である。到底50歳の人間とは思えない!

また、最高のダンサー&最高のミュージシャン(ヴォーカリストも)に囲まれながらも、本人はその両方(ダンス&歌唱)をこなしつつ、双方を率い、圧倒してるのもスゴい。普通はどちらかで「取り巻きに負けてますやん」的なほころびが出るものなのに。

それと、劇中で「フルボイスで歌わせないで」「必要ない時に歌わせないで・・僕はウォーミングアップ中なんだ」とスタッフに真剣に言い放つトコも印象深かった。
ハードなダンスに関し、そんな弱音(?)を吐くシーンは皆無だったので、極めて行けば、ダンスパフォーマンスよりボイスパフォーマンスの方が、よりMJをすり減らしてたのかも知れない。

あと、久々のコンサートなのに誰1人(大物)ゲストミュージシャンを招いたりはせず、1人できっちり向き合い、取り組んだのもスゴい。
ただそれにより、私的には(起用された)ラッパーに関しては(オリジナル曲より)ガクッと質の落ちてしまってる気がした(×_×)

他に、マイケルのお気に入りらしき(?)ギタリストには、オリアンティ・パナガリスっちぅ金髪のお姉ちゃんが起用されてた。この娘っ子が“速弾き”を披露してくれるんだが、コレがメチャクチャに巧く見えた!
一方でもう1人、アフリカンアメリカンなマッチョのおっちゃんもギタリストに起用されてるんだが、この(特徴の全く異なる)2人の演奏が「果たしてどう違うのか?」「耳で聴いて分かるのか?」
そこはギターに詳しいしとの見解をゼヒ伺ってみたいトコである。

久々に上映終了時、客席のあちこちからパチパチと拍手の響いたのは、新鮮な感があり良かった。

観終わってふと「長生き出来たにせよ、年老いて段々弱って行くんだったら・・50歳なら50歳で、最後の瞬間まで若々しく生き、コロリと死んでく方が案外(自分も周囲も)幸せなのかも知れんなぁ」と感じたりもするのだった。

まぁ悲しくも、ワタシごときがあと10年生きようと、あと100年生きようと、大きな還元を(地球に対し)出来る訳でもないのだろうけど(×_×)

〜 こんなトコも 〜

♦モノクロのギャング作『ギルダ(1946)』の映像世界にMJが合成で入り込むスゴさ! リタ・ヘイワースやハンフリー・ボガートとかなり自然な感じで“共演”してました!
♦「4年で環境破壊を止め、この地球を救おう」と言うMJのメッセージ。“4年”と言う具体的な期限が気になったり。そうなると「2012年」ってことなのか、、(×_×) 恐いよ〜エメリッヒ〜(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

MJ「ベース(ギター)をもっとファンキーに」
  「もう一歩で良くなる・・絶対にね」
  「最期のカーテンコールだ。7月に会おう」
  「曲は僕のキュー(合図)で始めてくれ」
  「例えるなら・・“ベッドから這い出すような感じ”のテンポだ」
  「イイ感じになって来た」
  「観客のイメージ通りに、忠実にやりたい」
  「ここは余韻が必要なんだ・・今のじゃ急過ぎる」
  「しっかり。リハだからね」
  「怒ってるんじゃないよ・・これは愛だ」
  「何でそう言うことを言うの? 僕をからかってるね?」
  「もう1回やろう。そのためのリハだ」
  「君の(ギター)ソロだ。君が一番輝く時だ。僕も一緒にいるから」
  「地球を救う、今こそその時なんだ(This is it.)」
  「感じは掴めたね?」
  「信じて突き進もう。これは“素晴らしい冒険”だ」
  「ファンを“未知の領域”に連れて行こう」
  「さぁ、変わろう」
  「歌に戻るまで、観客の皆をじらすんだ・・周囲を見回したり、指を鳴らしたりしてね」

ダンサー「あなたが俺を動かした」
    「人生の中で本当に意味のあること・・それがこれ(←MJとの共演)だ(This is it.)」

スタッフ「世界中の才能を集めたいんだ」
    「CGを操作すれば、11人のダンサーを1100人にだって増やせる」
    「彼との共演が、恐らくは俺のキャリアの頂点だろう」
    「まさに彼は“キング”だ。にも関わらずフレンドリーで謙虚なんだ」

〜 分かった範囲の曲目 〜

Wanna Be startin' Somethin'
Jam
They don't care about us(中盤にHistory、終盤にShe Drives Me Wildネタが入ってる!)
Human Nature
Smooth Criminal
The Way You Make Me Feel
I Want You Back
The Love You Save
I'll Be There
I Just Can't Stop Loving You
Thriller
Beat It
Black or White
Earth Song
Billie Jean
Man in the mirror
This is it
Heal the World

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2009年7月14日 (火)

☆『モンスターvsエイリアン/MVA』☆

13日(月曜)。

昨夜(日曜)は何がどう巧く作用したのか分からないが、実家(枚方)⇒自宅(高松)間で2時間20分、ちぅ記録めいたタイムでの帰松が叶った。
確かにPA/SA休憩なしで突っ走ったのもあるが、そないに“死にもの狂い”でアクセルを踏み続けた訳でもなく、、もし“その域”まで運転に集中したら(←五木寛之さんの小説『フランチェスカの鐘』じゃないが、、)2時間を切ることも不可能ではないのかも知れない??
ま、失敗したらヒドい目に遭うだけだろうけど、、(×_×)

(高松に)帰宅後は、ダラダラとTVを眺めていた。。
ボケ〜っとただ画面を眺めるってのも、かなり久しぶりのことである。

・大河ドラマ「天地人」・・中盤以降か? (実は)初めて観た(⌒〜⌒ι) 笹野高史、松田龍平の出演を知らず、少し驚いた。ときに、独眼竜政宗(松田)の居室(?)に舶来系と思しき地球儀が置かれてたが、彼は“世界”を狙ってたんやろか??
・アニメ「ゴルゴ13」・・原作(コミック)でも好きなエピソードの1ツである『落日の死影』だった! ある意味、(代表的な好敵手たる)スパルタカス以上に“強敵”とも言えた「謎の殺し屋」が“AX-3”と勝手に命名(?)されてて「ちょっと違う!」と感じた。尚、ゴルゴたち2人の狙撃手に同時に“X字状態”で頭部を撃ち抜かれる科学者のカットが涙を誘う、、
・映画『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人(2004)』・・(上の2つを観てから)終盤のみ鑑賞(・ω・) ハリーもロンも妙に老けて(?)しまい、どうにも馴染めない。デヴィッド・シューリス&ゲイリー・オールドマンと言う素晴らしき2大俳優を迎えながら、彼らの持ち味を十分に発揮したか? と言えば「そうでもなかったんじゃ?」と思うのはワタシだけだろうか?

さて、本日(月曜)は・・仕事を終えてから北にある“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと繰り出した☆
狙ってた(本来の)1作は「やや」上映時間が間に合わずあきらめ、次に考えてた『モンスターvsエイリアン/MVA』を観ることに。
「CGアニメ作+日本語吹替え版」ってことで、通常は“選ばぬ類の作品”であるが・・リンク先のブロガーさん(itukaさん)の記事を読み、妙に行きたくなってしまったもんで(=^_^=)

カリフォルニア州モデストに住むヒロイン=スーザン・マーフィーは、新郎である中堅キャスター=デレク・ディートルとの挙式を前にし、大気圏外から落ちて来た巨大隕石の直撃を受ける。奇跡的に(?)ドレスや顔がススだらけとなったのみで済んだスーザンであったが・・式の最中、いきなり上半身が緑色に発光⇒直後、全身が巨大化を始める!
瞬く間に教会のとんがり屋根を突き破ってしまったスーザンは、駆け付けた軍隊(?)に麻酔針を打ち込まれ、意識を失ってしまう・・

目を覚ました時、彼女は巨大な地下(?)施設に自身が収容されていることを知る。その場所こそ、合衆国が1950年代以降、世界各地で捕獲(?)されたモンスターを人知れず隠し続けた極秘の存在なのだった!

一方、地球に墜落した“エネルギーを秘めた隕石”=クアントニウムを回収すべく、宇宙帝王(?)ギャラクサーの大型宇宙船が巨大な探査ロボットを地球上へ送り込む。
合衆国の誇る軍隊を持ってしても、あらゆる銃火器はロボットの“リフレクター・シールド(=バリア)”に阻まれてしまう!

即座に(!)核攻撃を決断する大統領の前に、モンスター施設の運営を任されているW.R.モンガー将軍が現れ「通常兵器が効かない以上、ここはモンスターたちにロボットの相手をさせては?」と提案するのだった。

かくて、モンスター軍団(スーザンを含む5人組)対エイリアンの激闘が、サンフランシスコを舞台に開始された・・!

単純明快ではある☆ 深そうでいて、実は余り深くもないんだが・・この手の物語だと、こう言う軽薄っぽいのが良いんだろう。

・主人公が“異端者”となる
・“異端者”となることで、気付くことがある
・エイリアンの尖兵は“巨大ロボット”である
・エイリアン(の親玉)はタコ/イカのような造型である

などの“フリ”を経て、主人公たちは「モンスターチーム」を結成するんだが・・自他ともに“怪物”と認識しながら、全員が全員“気のイイ奴ら”なのがウソっぽい(=^_^=)
50年間も押し込められてたら、もう少し「凶暴で本能的な自我」が芽生えても良さそうな気がする。

また、スーザンを取り巻く運命(展開)がとにかく目まぐるしく「ナーバスになっとるヒマもないのかい!」って感もあった。確かに「ナーバスになる」=“ダレ場”ともなり得るんだが、も少しばかり彼女の心情に踏み込んで貰っても良かったかな、と。

終盤ではスーザンの鬱憤のはけ口がギャラクサーに向いちゃってたようにも思え、そう言う意味では気の毒な気もしたり(=^_^=)

にしても・・主人公が女性キャラってことで、巨大化したなりの(おっさん観客向けの)サービスシーンも欲しかったかなぁ(=^_^=) 他の4体のモンスターに「突出した魅力」がなかったもんで、せめてスーザン自身には「表情以外」の魅力をもっともっと見せて貰いたかったモノである・・

〜 こんなセリフもありました 〜

スーザン「式の前に“花嫁のドレスを見る”のは不吉なのよ」
    「私のために必死になってよ・・!」

デレク「君・・光ってるよ・・!」
   「視聴者の皆様に“心温まるゴシップ”を」

母「式を控えた花嫁はね、隕石がぶつかったような、そんな気分になるものなのよ」

ボブ「脳みそなんかなくたって、ほら、生きてけるんだよ」 ←気楽でエエのぅ、、
  「あっごめん。今、奇麗な鳥がいたから・・」 ←戦闘中なのにのぅ、、
  「それじゃ、また明日ね!」 ←この底抜けな天然具合がイイ(=^_^=)

大統領「隊長、暴力に訴えろ!」
   「誰かをクビにしとけ」
   「警戒レベルを“コードブラウン”に上げろ。私は下着を替えて来る」

モンガー将軍「泣きたいが、涙腺は先の戦争で無くしてな」

キャスター「UFOのやって来る国と言えば、いつもこのアメリカなのです」

ゴキ博士「“インチキ博士”ではない。“マッドサイエンティスト”だ」
    「触覚に風を感じるぞ」

リンク「“透明人間”は、実はここから出ていないんだ。今もあの椅子に・・」
   「“どデカいガラクタ”を“どデカいぺしゃんこのガラクタ”にしてやるぜ」

ギャラクサー「“罪のない人”なら、滅ぼされた我が星にもいた・・ま、滅ぼしたのはこの俺様だけど」
      「何すんだ! 死んだらどうする!」

〜 こんなことも 〜

♦ドリームワークスのロゴ。“月に腰掛け、釣り糸を垂らす少年”は・・「風船に乗って上がって来た」のだった!
♦早々に円盤に拉致された“彼”は何処へ・・?
♦巨大化しても、花嫁衣装は破れず・・そこはリアルじゃないのね(こらこら)
♦地球は「セクター72-4」とか「泥の塊」とか(=^_^=)呼ばれてるらしい。
♦合衆国大統領は“ヤマハDX-7(←往年の名シンセサイザー)”で“アクセル・フォーリー刑事のテーマ”を弾くのが巧い!
♦ミサイルの胴に「ET Go Home」と書かれてたのが面白い。
♦壁面に2つ並んだ巨大な赤ボタン。「左」と「右」では大きな違いが、、
♦ゴキ(=コックローチ)博士の「博士号」は※※※に関するモノらしい、、ってことは“なんちゃって博士”?
♦スーザンのスーツに「00005」と番号が。他の番号もあったの??
♦エンドロールが始まってからも、少し「展開」が。。
♦モンガー将軍ってば、終盤で「90歳」って言ってたけど・・(☉д☉)
♦ミッシング・リンクのキャラ造型(特に風貌)は『モンスターズ・インク(2001)』でも見かけたような・・? あと、ムシザウルスのトボケた表情も、どっか(日本のアニメ?)で確かに見かけた気がするぞ・・?
♦巨大化を「ジャイノミック」と言うらしい(・ω・)
♦サンフランシスコの街は、身の丈15メートルでも「サイズ不足」じゃないんだろうか? もっと高層ビルが林立してる印象もあるんだけど・・?

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2009年6月11日 (木)

☆『ミクロの決死圏(1966)』☆

9日(火曜)の深夜、衛星第2で放送されてた『ミクロの決死圏』を、中盤からながら観た☆
実は、ちと寝付けず・・何の気なしにTVを点けたらやってた次第。
前もって知ってたら、最初から観てたのに・・(×_×)

脳内に致命的な傷病(?)を負った要人=ベネシュ氏の生命を救うため、潜航艇“プロテウス号”に乗り込んだ5人の科学者&医師らが、特殊技術で艇ごとマイクロ化⇒体内から治療を行うことに!

だが、体内を潜航する艇は、ベネシュ自身の抗体により“異物”と認識され、数々の妨害に遭遇する・・
その一方、艇内の設備が何者かに破壊されると言う事態が発生・・クルーたちの中に互いを疑う空気が広がり始める・・

オトナ(ってか、今やおっさん)の眼で観たら“めちゃめちゃに面白い”1作! これを小学生時代に観て(いや、確か家族で観た覚えはあったな)、もう一歩“この楽しさを享受すること”が叶っていたら・・或いは、今頃は“世界的な脳神経外科医”になっていたかも知れないと思うと・・悔しい(=^_^=) ←今世じゃムリ!

患者の体内からレーザー銃で悪腫(?)を除去する、みたいな演出は、十分に現代医学に通じるモノがあり、当時の医学考証のすさまじさには驚愕するばかり! 原題が「Fantastic Voyage(素晴らしき旅)」と大して面白くもなんともないネーミングなのを“決死圏”なる言葉を当てはめた日本の配給会社(?)の手腕にも拍手を送りたい!

潜航艇自体の(縮小)制限時間(を過ぎると元のサイズに巨大化を開始する(×_×))が60分程度しかなく、どうやらそれを超えると・・「患者の身体を破壊し巨大化してしまう(!)」と言うより「異物とし白血球に取り込まれ吸収されてしまう」って展開となるようだ(・ω・)

1人の人間の体内に“擬似的な宇宙”を設定し・・その中で“紛れ込んだテキ工作員の存在”を互いに警戒し合いもする、みたいな「密室系サスペンス劇の要素」までも含んだ、プロットの巧みさも良い☆

なお、ウィキペディアで本作を調べてみると・・どうやら“リメイク制作”のハナシもあるようで・・「またかよ!」と閉口しつつ、期待値をつい高めてもしまうワタシである(⌒〜⌒ι)

追記:BS2さん、今度は『インナースペース(1987)』の放送も、是非お願いします・・(=^_^=)

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2009年1月 4日 (日)

☆『ミラーズ』☆

4日(日曜)の午後。
元日からこっち、全く劇場鑑賞が出来ておらず・・正直、今日は(明日からの仕事開始に備え)自室でゆっくり寛ぎたいってのもあったが・・「いや、そう言う面倒なトコを敢えて出かけることで、素晴らしい1作にめぐり逢えるモノなのだっ!」と考え(←いや、家でゆっくりしとけよお前はよ、と)、大阪市内に向かい“TOHOシネマズ梅田(←ナビオ上層階にあるシネコン)”にて1本目となる『ミラーズ』を観て来た。

ホントは年末に観ときたかった本作。その際は「座席:×」の表示に泣かされ『特命係長・只野仁/最後の劇場版』を泣く泣く(←おいっ!)観る羽目になってしまったなぁ。。

ニューヨーク、地下鉄の「ハーレム駅」構内。
男が何かに怯えながら走っている・・。逃げ込んだ更衣室(?)で、男は目の前の大きな鏡に向け懇願する。
「逃げたんじゃない! 殺さないでくれ、死にたくない! な? 磨くから・・」
次の瞬間、鏡の向こうで“尋常ならざる現象”が起こり、男はノドを切り裂かれ即死する・・。
男の名はゲリー・ルイス。彼の遺体がここで発見されるまでには、まだしばらくの時間が必要であった。

ニューヨーク市警(NYPD)の警官ベンジャミン・カーソン(キーファー・サザーランド)は、1年前に“事故”で同僚を誤射し、死に至らしめて以来“休職処分”が解けないでいた。それ以降、重度の情緒不安定に苦しむ彼は「禁酒」と「精神安定剤(?)の服用」を医師に強く言われ、一方で家族(妻エイミー、息子マイケル、娘デイジー)との距離を置いた暮しを余儀なくされているのだった。

ぼちぼちとだが社会復帰を進めんがため、ベン(=ベンジャミン)は6番街にそびえ立つ“メイフラワー・デパート(跡)”の夜警の仕事を始める。
が、ここは5年前の放火による大火災で45名の犠牲者を出した、今となっては黒こげの巨大な廃墟に過ぎなかった。

昼の警備担当=ロレンゾ・カペリがベンに巡回経路を説明する。
「前任者のルイスが失踪してね」
「鏡を覗くのはよせ」
「どうやらルイスは鏡に取り憑かれちまってたようでね」

そして初めての夜警の夜。彼はデパートの壁面に大きく張られた鏡に“奇妙な手形”を発見する。誰が? 何故? こんな場所に? ベンはそれを「拭い取ろうと」擦ったり拭いたりするのだが、手形は一向に消えなかった、、まるでそれが※※から※※したものであるかのように・・!
ふと見上げた彼の眼には、その位置から天井近くにまでペタペタと続く手形が・・

その夜を境に、巡回中のベンは「視覚・聴覚・触覚」にリアルに訴える怪奇現象に遭遇し始める。
当初は自分だけの(内面的な)問題と思い、じっと抱え込んでいた彼だったが、いよいよ怪現象が彼の周囲の“愛する人々”にまで及ぶに至り、一刻も早くそれを解決するための行動に出ることを決意するのだった。

鏡の求めるモノが“E-S-S-E-K-E-R(エシィカー)”であることを掴んだベン。
だがその“エシィカー”が何であるかが分からない。
彼は自身に襲いかかる恐怖に打ち勝つことが出来るのか? そして“エシィカー”の正体とは??

むーん、、私的には「もっと知的で、直接的表現に走り過ぎぬ(いわゆる観客の想像力を刺激しまくってくれる)恐怖演出に長けてるのかな?」と期待したんだが、どちらかと言うと「アッタマ悪い系」のヴィジュアルホラー(?)の域を超えるものではなかった(・ω・)

懸念した通り、と言おうか本作もやはり“既視感の塊”であり、パッと思いつくだけでも
『呪怨(ビデオ版)』
『リング』
など“Jホラー”の影響を色々と受けまくってる感が。

ベンの周囲の人々が、これまた災難に遭い、パニック状態に引き摺られていく(⌒〜⌒ι)んだが、、1人だけ、どうにも可哀想過ぎるキャラがいて、あの演出には「ハラが立って」仕方なかった。
何の前兆もなく、あんなに惨たらしい眼に遭ってしまうのは、どうなのか? と。特にあのしとには(せめて)終盤まで退場せず頑張って欲しかったのに。

後半に出て来る「とある壁」がやたら薄かったり、往来で拳銃を握りしめたままアタマ抱える主人公の姿に「銃口が泳いで、ご近所に危ないよ!」と叫びそうになったり、終盤の主人公の行動に「それって拉致じゃん!」とツッコミそうになったり、まあ色々と粗かったですなぁ・・

んでも、現職刑事以上に(?)顔パス(?)が利いたり、情報を自在に入手出来たりする主人公の万能さは、観ててある意味“痛快”ではあった。劇中で彼が起こした数々の問題行動をピックアップして行ったら、それだけできっと免職となりそうな気もするんだけど・・(⌒〜⌒ι)

ラストはちょっと『ダイハード』辺りのエンディング直前の雰囲気が入ってたかも(=^_^=) 何処となく満身創痍なキーファー氏(の容貌)ってブルース・ウィリスやミッキー・ロークの面影が漂ってたりしますね、、
(ってその後に、スゴい運命に見舞われる彼だけど・・)

そう言うと、主人公が別な州に向かう辺りの場面で、劇場の左側から尋常ならざる「ガンガン!ゴンゴン!」ってな物音が響いてかなりビビりました(⌒〜⌒ι)
どうやら手洗いに立ったどっかのおばはんが、扉が「外側からは開かない構造」のため、強引に押し入ろうとして叩いてたようだったが・・って言うか「別な扉を探して静かに入って来い、バカ!」・・と言うのが、周辺の観客全ての感情だったことでしょう。。

〜 こんなセリフもありました 〜

ベン「人は変われるんだ」
エイミー「人じゃなく、あなたの問題よ」

マイケル「ママ、鏡の中で女の人が叫んでる」

ベン「夢のようだが、それは確かに起きていた」
  「覗いていないのに、誰かが(鏡の中から)見返してる気がする」
  「鏡が“現実を超えた何か”を映しているとしたら?」
  「犯人を知ってる・・だが、誰も信じないさ、君も」

テレンス・ベリー“Mirrors are guilty!(鏡がやった)”
        “炎だけがそれを破壊出来る”

某警告“見た目より間近にあり”

エイミー「家に“何か”がいる・・!」
    「この悪夢を終わりにして」

追記1:本作でも重要なロケーションとし登場したペンシルバニア州。M・ナイト・シャマラン監督へのオマージュのつもりなんかな?(同州はシャマラン作品にとにかく(=^_^=)多く登場する)
追記2:とっさに「顎」に片手を、「頭頂部」にもう片手を押し当て、抵抗したら助かったんかな? 一応“牽引力”は自分(自身)と同じなんだろうし・・?
追記3:「鏡から離れたら助かる場合」と「離れても助からない場合」、「一撃で殺される場合」と「じわじわいたぶって来る場合」とかの“贔屓”があったように感じた(=^_^=)
追記4:ワタシが主人公なら・・「空き缶を蹴る練習をする」とか「コインをゆっくり動かす」とか、色々とチャレンジしてみようと思う(1990)(=^_^=) あ、陶芸も楽しいかも・・(やめなさい!)
追記5:スペル(綴り)のうち“R”が反対向いてたりするタイトルロゴ。思わず「トイ※らス」かい! と突っ込んだ方も少なくないかな、と。

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2008年12月13日 (土)

☆『マイアミ・バイス(2006)』☆

さかのぼって4日(木曜)の夜(・ω・)。
「木曜洋画劇場40周年記念特集」の一環とし“地上波初放送”されたマイケル・マン監督のクライムアクション作『マイアミ・バイス』を観た。

元々のオリジナル版(ドラマ版)は全く知らないワタシであるが・・“マイアミ”なるピーカンで能天気っぽい印象(←行った事ないッスが・・)とは違い、かなり(同監督作にある意味共通する)地味で暗い雰囲気の作品世界だった。

マイアミ警察に所属する、リカルド・タブス(ジェイミー・フォックス)&ソニー・クロケット(コリン・ファレル)の2人は、麻薬組織摘発&撲滅のため、地元で“潜入捜査”をひたすら続けるタフな刑事である。

今回もFBI捜査官=ジョン藤間の持ち込んだ、巨額の麻薬密輸のネタに関し「敵の黒幕の正体」を掴み「(捜査)情報漏洩の謎」を探るべく任務に就く。

経験とカンを生かし“プロの運び屋”として組織に絡むことに成功した2人だが・・そんな中、ソニーが組織のボス=モントーヤの秘書であり、パートナーでもある女性=イザベラ(コン・リー)を口説き落とし、親密な関係となってしまう。

深入り(←色んな意味で、、)し過ぎる相棒の身が気がかりなリコ(=リカルド)。
そして、リコのパートナーでもある女刑事トルーディが一味に拉致されてしまい・・

う~ん・・「良くも悪くもマイケル・マン」って感じで、いつものように“男2人の、風変わりな状況下での友情&信頼感”みたいなもんが軸となってたか。マン監督はやはりそんな造り(=彼なりのスタイル)でストーリーを構築するのがずば抜けて巧く、基本路線が「男1人の物語」だった以前の『ALI(2001)』なんかは、観ていて「何とも言えぬ物足りなさ」を感じたりしたワタシだった(・ω・)

ただ、今回はコン・リーさん(ヒロイン役)が“やや中途半端に”作品全体に絡んでしまい、その反動で(?)ジェイミーのキャラ&存在感がググッと後退してしまってた感が強い。
尚かつ、ウ※キペデ※アでも書かれてるように(=^_^=)「女性キャラの描き方(立たせ方)がヘタクソ」な監督さんのため、恋愛劇がメインだったのか、潜入劇がメインだったのか、何だか最後まで軸の定まり切ってなかったように思えたのはワタシだけだろうか?

『Ray/レイ(2004)』が未見(←録画はしてるが、、)のワタシにとっては、ジェイミーっぽさと言うのを『コラテラル(2004)』『ステルス(2005)』『ドリーム・ガールズ(2006)』辺りから感じ取るしかないのだが、一方で「余り作品には触れてないものの、魅力を感じてしまう」のが、ファレルであった。
『マイノリティ・リポート(2002)』では“ブラピのパチもん”みたいな印象も受けたんだが(←ファンの方、すんません)『フォーン・ブース(2003)』では小品ながら堂々の主役を演じ、またカメオ的な出演に過ぎなかった『ヴェロニカ・ゲリン(2003)』での彼もまた、なかなかエエ感じだった!

本作では彼の「寡黙さを、瞳で補う」みたいな役柄に好感を持った。ブラピと言うより『リーサル・ウェポン2/炎の約束(1989)』辺りのメル・ギブソンにも「表情の醸し出す切なさ」が似てたように思う。ウ※キペデ※ア情報では、色々と私生活でエピソードの多きご仁のようだが・・何にせよ、これからも注目したい男優の1人ではある。

コン・リーさんは・・見ようによっては“大鶴義丹”に見えて仕方なかったりしたが(←ファンの方、すんません、、あと“小雪”さんもちょい入ってます)・・ファレルとは実年齢で11歳ほど差がある(!)ようで、そう考えれば十分に美しいと言える(チャン・イーモウ監督にとっては、公私に渡り長年の“ミューズ”だったようだ)。

さて、敵組織の中で「ホセ・イエロ」と「モントーヤ」の2人が組織を代表するキャラとしてピックアップされてたが、2人の力関係がイマイチ分からないワタシだった、、ワタシにも問題はあろうが、描き方も抽象的で良くなかったかな、と。
そういやモントーヤさんの見た目が(お会いしたことはないが)『ダーリンは外国人』と言うコミックに出て来る旦那さん(トニー・ラズロ氏)に印象が(特徴面で)似てて、違う意味で苦笑させられた。

終盤のハイライトは『L.A.コンフィデンシャル(1997)』をちょびっと連想されてくれる“一騎討ち”のシーン。(夜間なので)画面が暗く、詳細の掴みにくいトコもあったが、銃撃描写はなかなかのもんだった。サラウンドで耳にしたら、きっと“鳥肌状態”だったに違いない。

興行的には成功を収めたらしいが、私的には「そこそこ」って出来に思う。
主役格の3人は決して悪くなかったので、問題はやはり脚本や演出だったんだろう(贔屓目に評しても「華のない」作風であったし)。

〜 こんなセリフもありました 〜

リコ「仕事を選ぶのは俺たちの方だぜ」
ソニー「(俺たちの職歴ぐらい)呼ぶ前に調べとけ!」

リコ「ここで殺し合うのは簡単だが、どっちの得にもならねぇ」
  「銃を構え、バッジをかざし、逮捕する・・それが仕事だ」

ソニー「好きなのは“モヒート”だ」 ←ラムベースのカクテル
   「悪いことの起こる可能性は重力と同じだ、誰もそれに逆らえない」
   「夫なら妻を、危険にはさらさないものだ」
   「お前自身が(取引場所に)来れば・・取引は本物だ」
   「1人で行け、誰も君を追わない・・俺もだ」

モントーヤ「君らがずっと仕事を出来ることを願っている、ご家族の幸せを祈っている」

イザベラ「私はビジネスウーマンよ、養ってくれる男がいなくても生きて行けるわ」
    「あなたの周りは何もかもモントーヤに支配されてるのよ」

ソニー「良くないな・・未来もない」
イザベラ「・・分かってる」
ソニー「だとしたら、心配もないな」

イザベラ「言ったでしょ・・“人生は短い、時は恵みなり”って」
ソニー「ああ、だが終わった・・幸せ過ぎた」

リコ「やったのか?」
ソニー「いや・・“愛し合った”だけだ」

ソニー「(俺が)自分を見失ってるとでも?」
リコ「お前を信じてる」

リコ「いよいよだな」
ソニー「ああ・・」

藤間「イヌと寝れば、ノミだらけになると言うぞ」

イエロ「あいつら、仕事が出来過ぎる・・どうも気に入らない」

カステロ「ブツを見せるまで、ヤツらは狙撃しては来ない」

追記:ジェイミーさんとファレルくんの実年齢差も9歳近くありますた。。先輩後輩並みやね、、

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2008年11月13日 (木)

☆『マディソン郡の橋(1995)』☆

11日(火曜)の夜。
溜まってる新聞を切ったり、片付けたりする・・訳でもなく、ついダラダラッと夜長を過ごしてしまってたが・・ふと思いつき、衛星第2で放送されてた『マディソン郡の橋』の終盤(残すトコロ40分ぐらいだったか)を観た。

既に(これまで)2度ほど鑑賞し、どうにも“サンフランシスコ市警時代”のクリント・イーストウッド(=ハリー・キャラハン)の印象の強過ぎるワタシとしては「本作では、ちと大人し過ぎるよなぁ・・」と感じたのが従来の印象だったが、
今回は必ずしもそうでなく「良い感じに弱々しく“よそ者”を演じたはるなぁ」としみじみ感じた。
(きっとワタシも年を取ったのだろう、認めたくはないが・・)

まるで『許されざる者(1992)』の中盤、馬に颯爽と乗れず、何度も地面に振り落とされる(?)無様な主人公(クリント演じる老ガンマン)の姿を静かに眺めるかのように、本作のロバート・キンケイド(クリント演じる写真家)の言動を辿っていたその夜のワタシであった。

にしてもクリントさん・・これまでの俳優人生(=主人公時代)では「徹底的に自らの立ち位置を“ど真ん中”に据え、強き人物を演じて来はった」ように感じるんだが、その後は「数歩下がり、心なき人々に色々と辛酸を舐めさせられつつ、表舞台からトボトボとひとり去って行くスタイル」の描写が堂に入ってるよなぁ・・と感心してしまう。

本作でも「ワシントンから来た“よそ者”のカメラマン」に扮し、マディソン郡のその田舎町で“たった1人の運命の女性”を除いては・・1人の友人も得られず、寂しく雨の中を去って行く・・ってキャラを静かに演じ切った。
ノリ(?)としては、後年の監督&主演作『ミリオンダラー・ベイビー(2004)』で好演した老トレーナーの印象にも重なったりする(・ω・)

物語の見所としては・・やはり“溢れる涙と、ほんのちょっぴりの苦笑”を、観る者に約束してくれる(?)終盤の“雨に打たれて、わかめヘアー”であろうか、、まぁ、あそこまできっちりと「生真面目に情けないキャラを演じてくれる」からこそ、御大クリントなのだと思う、、(師匠、尊敬してます!)

劇中では、どうにも“枯れかかった田舎のおばちゃん”に見えて仕方のなかったメリル・ストリープ(ヒロイン=フランチェスカ役)であるが、実は前年に『激流(1994)』でしっかりアクションヒロインを演じており、その“化けぶり”はなかなか。
近年では『プラダを着た悪魔(2006)』でも、その悪魔っぷり(?)が見事であったが、確かに「ロバート・デ・ニーロと双璧をなす超技巧的演技派」と呼ばれるのも頷ける!

本作も『ミリオンダラー〜』同様、登場する某家族が「観てて、鬱陶しくて仕方なかった」訳であるが・・まだこちらの場合、最後に態度を少しは軟化させてくれたようで(?)ホッとした。

まぁ「不愉快な家族を描かせたら、ハリウッド随一!」と言う称賛(?)も、御大クリントならば、欲しいままにして良いのではないだろうか(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ロバート「こんな確信は、生涯に一度きりだ」

フランチェスカ「離れると、きっとすぐに消えるであろう関係もあれば、
        離れても生涯消えない関係がある」
       「言葉では言い表せないもの、今では曖昧となった記憶、
        ・・それらを作品で照らし出せるのが芸術家の力」
       「幸せになるために、手を尽くしなさい」

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2008年9月13日 (土)

☆『メン・イン・ブラック2(2002)』☆

12日(金曜)。ノートPCのデータの一部をDVDメディア(←2層式ディスクなので、1枚に8ギガも移せる♪)にバックアップする作業の片手間「金曜ロードショー」で放送された『メン・イン・ブラック2』をダラダラ鑑賞した。
冒頭に新作映画『20世紀少年』のスペシャル映像がたっぷり流れた後、ようやく本編が始まったんだが、TV欄を事前にチェックしてなかったもんで・・「また特番で映画本編が削られるんかよ!?(最悪の場合、中断とか?)」と少しゲンナリしてしまった。。

前作『メン・イン・ブラック(1997)』から5年後の物語。新たに地球に現れた凶悪エイリアンの脅威に立ち向かうべく・・地球圏内におけるエイリアンの活動を監視&抑制する準政府機関“M.i.B(メン・イン・ブラック)”の精鋭(?)エージェントJ(ウィル・スミス)は上司Z(リップ・トーン)の指令を受け、かつての相棒であり“史上最高のエージェント”と謳われたとある男を“現場”に連れ戻す。

一方で“M.i.B”本部はエイリアンのボス(?)サーリーナ(ララ・フリン・ボイル)により容易く制圧されてしまう。
失われた記憶を首尾良く(?)取り戻し、鮮やかに復帰を遂げたエージェントK(トミー・リー・ジョーンズ)とJはサーリーナの狙う“ザルタの星”なるアイテムの意外な正体をやがて知ることとなる・・

うーん・・「やかましくて」「しょうもなくて」「記憶に残らない」(3拍子揃った)ジャンクSF映画に仕上がっちゃってるこのシリーズなんだが、それはそれで「こんな企画でも通るんや・・」とホッとさせられもする(=^_^=)

にしても、前作で丁寧に(?)築き上げたM.i.Bの“それなりのミステリアスさ”が悉く叩き潰されたのにはびっくり。「続編に繋いでくれるか?!」とかなり期待してたエージェントL(出演が叶ってたらリンダ・フィオレンティーノ・・だったハズ)の存在はセリフの中でちょろっとしか語られないし、これまた大型ルーキーを思わせるエージェントMも“スクリーンを通じただ採用を懇願してるだけ”に過ぎなかった、、彼ってきっと巨大ロボット(=通称:ロボットマイケル)にも変形出来る(1988)し、むちゃくちゃ重宝されると思うんだけどなぁ(=^_^=)
ここは是非「エイリアン雇用促進法案」とやらの速やかな可決を期待したいトコだ(=^_^=)

何だか分かんないが「エイリアンは夜間以外は外出禁止! ただしイーストヴィレッジを除く」みたいなアナウンスが劇中でされてたのには苦笑。。そんなにエキセントリックなしとたちが昼日中からうじゃうじゃしてるエリアなんやろか。。

あと、劇中でJが結構、エイリアンなどによるダメージを受けるんだが(吹っ飛ぶ、殴られる、など)全く出血もせず、あざも出来ず、妙にピンピンしてるのが異様に映った今回の鑑賞・・ひょっとしたら「実はハンコックだった!」「実はアンブレイカブルだった!」みたいなオチが続編(3?)以降に用意されてるんやろか?

それと、終盤で空中を逃げるエージェントカー(=ベンツ)が、後方から追いすがって来るサーリーナの小型ポッドから発射されるビームの直撃を何度か受けるんだが、全くダメージのないのが不自然だった。

オープニングでは、サーリーナの超小型(?)宇宙船から発射される“チャチっぽい”ビームですら、次々と巨大惑星が爆発⇒消滅してたってのに・・

「殆ど中盤から登場のトミー・リー」「90分を切る上映時間」・・と色んな意味で「要領かましまくり」だった本作。それでも前作を超える興行収入を叩き出したそうであり、まさに“ハリウッドマジック”の存在を感じる(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

Z「余り張り切り過ぎると、仕事に残りの人生を喰い尽くされるぞ」

J「大抵“お宝”ってのは、そういう小さいモノだ」
 「世界の何処かで起こっていることが、全て分かっている気のしたことが?」
 「着替えてくれ、あんたがこれから一生着る服に・・もう1度」
 「逃げろだって? 俺、優勢なのに」

ケヴィン「君は誰だ?」
J「問題はそう言うあんたが誰かってことだ」

J「説明させてくれ、こいつら(=エイリアン)は・・」
ローラ「いいの、もっと酷い男を知ってるわ」

ローラ「言っとくけど・・」
J「それ、もうちょっと後で言って」

K「俺はわずか2日前、郵便局長だった。君には君の“正体”がある」
 「やっぱり、この街がいい・・」

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2008年9月 7日 (日)

☆『メン・イン・ブラック(1997)』☆

5日(金曜)の夜、地上波でまったり(・ω・)放送されたものを中盤から観た。出来れば最初から(久々に)観ておきたかったが、梅田で『アクロス・ザ・ユニヴァース』を観終え、帰宅してからとなり、自然と中盤以降になってしまった次第。
(ちょうど“耳スイッチに触れて顔パカ”になるトコロ) ←スイッチが異常に作動しやすい気が。日常生活で支障なかったんやろか(⌒〜⌒ι)

今回の鑑賞で、地球を“銀河(宇宙)時間1週間”の期限付きで脅して来たのが「アルキリア星人」そのものであったことを知る。。彼らもちっこい体躯のくせに身勝手で、その期限って“地球時間”に換算するとわずか1時間なんスけど、、

地球滅亡の危機&地球圏外にアルキリア帝国の母艦・・! と言う凄まじい状況だった割に、人々はスタジアムでのんびり大リーグ(野球)観戦してたりして何ともおマヌケな後半・・“事情に気づいてた”専門家全てが口を閉ざしたんやろか?

終盤でエージェントK(トミー・リー・ジョーンズ)が敵の大ボスに飲み込まれてしまうんだが、彼の「目的」が奪われた“2丁の兵器”のみならず“先に飲み込まれた※※”であったことに改めて気づいた(⌒〜⌒ι)

Kは「銃を取り戻す」と言ってたが、※※を探すと言う目的が最初からあったんやろか?

ちと熟年(?)ぽい設定ながら、ヒロインとして頑張ってくれてたローレル博士役のリンダ・フィオレンティーノさん。超美人かと言うとそうでもない気がするが・・個人的には好きなタイプです☆
ご尊顔をアップでとらえた時の「キラキラ瞳+そばかす顔(?)」が魅力的で素晴らしい。

続編(2002)でもちゃんと活躍して欲しかったぞう(×_×) ←セリフのみの登場・・

唯一、エージェントJ(ウィル・スミス)の放った
「恋をしないよりは、失恋した方が幸せって言うからな」
のひと言(セリフ)に「おおっ!」と反応してしまったワタシ。

案外“幸せもの”と言えるんかも知れない!(そう思うか?)

本作を観てて「スゴそうな敵ボスだけど、実はしょうもない奴」って部分で『ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀(1986)』を連想してしまった。
10年に1本ぐらいのペースで(?)、ハリウッドってこういう「風呂敷は大きいけどしょうもない」大作を放ってくれるもんなんですねぇ・・

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2008年7月20日 (日)

☆『マッハ!!!!!!!!(2003)』☆

17日(木曜)の夜「木曜洋画劇場」で放送されたのを観た☆
劇場公開時、スクリーンで観たが“地下バトル”みたいなシチュエーションで戦うシーンが好きで、そこを観直そうかな〜と考えた次第。
同時刻に衛星第2では『ネヴァーランド(2004)』が放送されたみたいだけど、今回は録画もしませんですた、すまん(⌒〜⌒ι)

タイ映画界が世界に放つ(?)アクション大作。
タイ映画と言えば『フェーン・チャン/ぼくの恋人(2003)』と『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団(1974)』←まだ言ってるよ(=^_^=) ぐらいしかパッとタイトルが思い浮かばないんだが(まぁ、ロケ地としタイの用いられた『ドラゴン危機一発(1971)』は格別であったが・・)
ここに来て、強烈なインパクトを誇って良いアクション作品が誕生したんやな〜と感心させられたものである、当時。

今回は、一番期待してた“日本人格闘家:トシロウ”が全く劇中に登場せず「・・おい、まるまるカットしたんかい!」とツッコンでしまった。きっと地上波初放送じゃなかったからだろうけど・・他にカットすべきシーンがなんぼでもあったやろ?! とは言いたい気分である(誰にだよ)
トシロウさんの華麗なステップ技が観タカタヨ〜(←片言になってもダメだよ)

タイの片田舎ノンプラドゥ村では、造られてちょうど24年目となる神聖な仏像“オン・バク”を祝しての7日間の記念式典(法要?)が執り行われようとしていた。だが、村一番のチンピラであるドンが“オン・バク”の仏頭(アタマの部分)を取り外し盗んでしまう・・

“オン・バク”とは(きっと)直接的な因果関係はないと思うんだが(←おいっ)、その日から村は日照りによる農地への打撃と、井戸水の枯渇に見舞われることに・・ドンの行き先が首都バンコク(←どうやら“バンコク”は略称らしく、正式名称は“クルンテープ・マハーナコーン・ボーウォーン・ラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャターニー・ブリーロム・ウドム・ラーチャニウェート・マハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤ・ウィッサヌカム・プラシット”と言うそうだ!)であることを掴んだ村民らは、村を代表し、ムエタイ(国技でもあるタイ式ボクシング)を修得した青年ティン(トニー・ジャー)をバンコクへと遣わせることに。

ティンは「バンコクに着いたら、僧侶の勉強をしているハムレイを訪ねるが良い」と彼の父にアドバイスを受けるも・・いざ現地で会ったハムレイは、今や髪を金色に染めた“ジョージ”と名乗る「賭け事にどっぷり浸かった」極めて俗的な(村二番の)チンピラに成り下がっていた。
親切そうに近付いて来たジョージに、有り金をまんまと全部持ち逃げされたティンの辿り着いた先は・・麻薬&仏像密売組織のボス=コム・タンが取り仕切る、禁断の賭け試合が日夜(?)行われる「闇格闘技場」であった・・!

2度目の鑑賞ともなると(特にTV画面もちっこいし)色々と気付くトコロも出て来るんだが、とにかく「折角の研ぎ澄まされたアクションシーンの数々が、ベタで緊迫感を下げるコメディシーン群によって台無しとなっている」って部分にまず突っ込みを。結局のトコ、ティンは色々なトラブルに巻き込まれ、その都度「地下バトル」で戦わされるんだが、それならそれで、そっちに腰を据えて“密室劇”的に徹底して描けば良かったんでは? と。

冷静に観れば「屋外ロケのシーン」と「地下バトルのシーン」は(当然のことながら)まとめて撮影がなされ、後で(順番を)編集してるのに決まってるんだし・・路地裏を逃げ回ったり、トゥクトゥク(原動機付小型三輪車)で激しいカーチェイス(?)を繰り広げる場面も本作の見所には違いないだろうけど・・何だか物語の本筋から外れ、全体像を散漫にさせてるだけじゃなかったのかなぁ? とも感じた次第。
(トニーに対する“何だ、格闘家じゃなくスタントマン肌じゃん”ってな評価にも繋がってしまうかな、と)(←元々はスタントマン業で(映画)業界に入った人だそうで、それは間違いじゃないんだけど)

彼を取り巻く「ハムレイ」「ンゲク」と言ったキャラも何とも後味の悪い“退場”が心に残ってしまう。凄まじく爽快なアクション作品であるにも関わらず、鑑賞後にどうにもドンヨリさせられてしまったモノだ(×_×)

追記1:村人が「オンバクの首と“それにお布施まで”盗まれてる」って嘆いてるのが心に少し響いた。訳し方によっては「お布施の盗難の方がより重大」とも解釈出来る訳で(⌒〜⌒ι)
追記2:公開当時も思ったが、ハムレイは「南伸坊さん顔」やなぁ、と。
追記3:ティンが相手を倒した直後、伝説の格闘家(?)みたいなヤツ(大男)が奥からやって来るんだが・・「まさか、うそだろぉ!」としか紹介されなかったので、ワタシの中ではこいつの名前は「まさか、うそだろぉ!」としか留まっていなかったり(=^_^=)
追記4:「トゥクトゥク」でのアクション。衝突安全性の極めて低そうなボディに、軽装で乗り込むもんだから・・あれ、死亡事故率が極めて高いんじゃなかろうか。。
追記5:「肘に全体重乗せてます」的な“痛みの伝わって来る殺陣”は流石に凄まじい! 格闘スタントマンの年収をこそっと訊いてみたいもんだ・・(⌒〜⌒ι)
追記6:「お金なんか要らないから(村へ)戻って来て」のメッセージが劇中で数回繰り返されてた。田舎を棄てバンコクへ出て来た(観客である)タイの若者らの心にはどう響いたんやろ?
追記7:終盤の洞窟にいたコム・タンの部下たちがいずれもやたら強かった! あんなにあそこ(洞窟内)ばかりを警備強化しなくてもエエと思うんだが。入口にその頭数を回すとか・・(入口は手薄ですた)

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2008年7月19日 (土)

☆『長江七號/ミラクル7号』☆

18日(金曜)。仕事帰りに「明日から3連休だし!」ってことで、なんば方面へと向かった。
メインの目的は『iPhone 3G』用ケースの購入であったが、それが意外に早く片付いたのもあり「ダメもと」で“なんばパークスシネマ”に上がった(8階)トコロ、ちょうど上映開始時間に間に合いそうだったので・・観ました(=^_^=)
チャウ・シンチー(周星馳)監督&主演の最新作『長江七號/ミラクル7号』を。

いやぁ・・地味で下らない“お涙頂戴”ファンタジーなのかと思いきや、なかなか地に足の着いた(?)完成度となっていた☆
勢いこそあったけど、全体的に散漫気味だった、近年の監督作『少林サッカー(2001)』『功夫ハッスル(2004)』と比較しても、総合的なデキは上を行ってたんじゃなかろうか?(・ω・) その分「バカ映画度数」は極めて低かったけど・・

私立名門小学校に通う、ディッキー・チャウは、ボロボロの靴をいつもはいてる小柄な少年。母を幼くして亡くした彼を男手1つで育てるのは「無学で真面目だけが取りえ」の父ティー(シンチー)。
肉体を限界まで酷使し、建設現場で日夜働くティーの頑張りこそは「息子には学を授けたい」との一念から来るものだった。

学校でクラスメート(で金満家の息子)のジョニーが自慢する、犬型ロボット“ミラクル1号”に心を奪われたディッキーは(デパートの)玩具売り場で見つけた“1号”を買って! と泣いて父にせがむ。
が、建設現場のボスに多額の借金までしているティーはそんな高価なものなど買える訳がない・・彼の人生は「妻が元気だった頃の治療費」「彼女が亡くなった際の葬儀代」を未だ(辛い記憶を引きずりつつ)払い続けなくてはならない過酷なものだった。

その夜も、ディッキーのためのボロ靴を調達すべく、通い慣れた(?)ゴミ捨て場にやって来たティーだが、うずたかく積まれたゴミの山がいきなり「隠れてた何か」の始動⇒上昇により崩れ去り、その後に残された「緑色のゴム球体」を父は息子に持ち帰る。

父の土産であるゴムボール(?)をいじくり回してたディッキーだが“アンテナのような”突起物を押し込み捻ったトコロ、球体は“妙な生命体”へと変身(トランスフォーム?!)を遂げる!
それを“ミラクル7号”と呼び、ペットに迎えたディッキーだったが・・彼が“7号(=ナナちゃん)”に対し抱く多大な期待感は、ことごとく裏切られるのだった。

一度は“ナナちゃん”を「役立たず!」とののしり、ゴミとして棄ててしまったディッキーだが、その豊かな表情や人懐っこい性格が忘れられず、再びペットに迎えるのだった。

そんなある朝「実力でテストで60点以上を取る!」なる約束を息子は父と果たさねばならぬこととなり、人質(?)とし“ナナちゃん”を建設現場に連れて行ったティーであるが、、そこに重大な事故が起こって・・

どっかで観たテイストだぞ・・? と思ったら、これはもう、まんま“ドラ※もん”の世界じゃねぇのか? と気付いた。異世界からやって来た存在に「万能」を期待し、それを利用して「いじめっ子」らを見返してやろう、と企む少年の“夢想(=理想)”がやがて“現実”に着地する描かれ方。
そこにシンチー監督ならではの“大げさなCGアクション群”を交え、終盤では『ゴールデン・チャイルド(1986)』っぽい演出をやってくれてたような(・ω・)

どうやら“ナナちゃん”・・「林檎」「扇風機」・・で、続く「※※」・・とその“再生能力”にはパワーや回数の制限が確かにあったようである。。
“再生行為”をするにあたって「特に躊躇するでもなかった」ようにも見え、ワタシとしては「その能力を発揮するに相応しい相手に遣わされ、それが必要な局面となれば、躊躇わずそれを行うこと」をあらかじめ命令(プログラム?)された、そんな存在ではなかったかと解釈している。
で、そう言う見方をすれば、父子が“ナナちゃん”を選んだのではなく・・“ナナちゃんを遣わせた何か”こそがあの父子を選んだのではないだろうか? とも。

どうだろう?

〜 こんなセリフもありました 〜

ディッキー「僕の苦しみは、終わりません!」
     「僕を構って!」
     「パパは僕のヒーローさ」
     「“魔法を使える”なんてこと言うな! ・・言ってないって?」

ティー「貧乏でも、心は正しいぞ」
   「例え貧乏でも、ケンカはするな」
   「今日びは何だってハイテクだな・・無学な俺にゃついて行けない」
   「いいか? 例え貧乏でも、ウソはダメだ」
   「忘れたのか? 貧乏を」

ボス「同郷のよしみだ・・ズルなら誰だってするさ」

先生「いくら何でもやり過ぎだ!」
ディッキー「やらせたのは先生だ!」

追記1:劇中で最も「ファンタジー世界の反対側」に位置してたような父こそが・・実は「壮大なファンタジー」である本作を造り上げた張本人(=監督)である、と言う意外さ! そこが素晴らしい。
追記2:あの「マスコット人形」そのものはその後どうなるんだ?
追記3:「ウソやろ?!」って言う“ナナちゃん”の大活躍シーン(?)にも、ちゃんと合理的(?)な説明の与えられてるのは良かった(良くあるオチなんだが(⌒〜⌒ι))
追記4:香港の建設現場は、未だあんなに安全対策がおろそかなのか・・(×_×)
追記5:ハナクソを持て余した末・・「体内に処理しちゃう」シーンは、映画史上でも流石に珍しいのではあるまいか?(=^_^=)
追記6:巨漢同士がバトルを展開する長〜い渡り(?)廊下。あの場であそこを横切ろうとしたヤツがいたら、間違いなく死んでたように思う。。
追記7:ゴキブリを躊躇なく素手や素足で潰せる、この父子はある意味スゴい!
追記8:“ナナちゃん”って一体どんな構造をしてたんだ?! 平べったく潰れる割に、歯(つまりは恐らく骨格も?)が生えてるし、排泄するのに肛門ないし、頭からバネが飛び出てるし。。

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2008年5月25日 (日)

☆『みなさん、さようなら(2003)』☆

22日(木曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。
本作と言えば「第76回アカデミー賞・外国語映画賞」で同時にノミネートされた『たそがれ清兵衛(2002)』を蹴落とし、見事栄冠に輝いた作品であるも・・当時「何だよ、その人をくったようなつまんないタイトルは!」と密かに腹を立てたものだった(・ω・)

観終わった所では「まぁ、決して『たそがれ清兵衛』が劣ってた訳じゃなし・・つまりは好みの問題だな」と解釈した。ただし本作の方が「現代劇」であり「家族の交流」が(より大きな)軸となり「尊厳死」をネタに扱ってる分、『清兵衛』以上に「賞を狙い易い」映画だったことは否めないと思う。

ロンドンで証券ディーラーとして成功したセバスチャンに1本の電話が架かって来る。相手はカナダ・モントリオールの実家に住む母ルイーズで「病床の父レミの具合がいよいよ良くない」と言う。
婚約者ガエルと共に帰省したセバスチャンは、近代的な施設で専門的な検査を受けさせようと、父をアメリカの病院へ移送する。
ポジトロンCTスキャン検査の結果、レミはもはや手の施しようのない末期ガンであることが判明する。
偏屈で女好きだったこの父に、子供の頃から反発を繰り返してたセバスチャンだったが、いよいよ「別離の時が近付いている」ことを知り、彼なりのやり方で“看取り”をしようと決意する・・と言う流れ。

冒頭こそ、家族や友人がごそっと登場し、勝手気ままに次々と捲し立てるので「すわ群像劇か?」と思わされたが、実際のトコロは「父と息子が積年の確執を乗り越え、やっと向き合う」・・そこを描くための「多少回りくどい、死をネタにした」物語かな、と感じた。

面白いのは父と息子の性格の大きな違いか。「贅沢はいかん!」と頑(かたくな)に“社会主義”を信じる父は(女性関係を除いて(=^_^=))地味で慎ましやかな過ごし方をしたいと願う。反対に“資本主義の権化”とも言うべき彼の息子は「手に入るモノは、チャンスを逃さずガンガン購う」と言う自身のルールのもとに“病床の父の周囲”もまた変えて行く。

「階下の1フロアをまるごと借り、改装して(父を現在の)大部屋から移す」
「カネをばらまき、あらゆる知人&友人を見舞いに来させる」
「痛みを除くため、禁断の“ヘロイン”を密かに調達する」など・・

「そりゃあ、出来るだけ手早く、快適に過ごさせた方がイイに決まってるじゃん!」と思う反面、何だか「父に残された時間の短さに焦りつつ、思い付く限りのサービスで“失われた今までの時間を穴埋めしてる”息子の悲しさ」と言う印象も強く受けた。きっとそれは、最後の瞬間まで「金銭だけで、(伝えるべき)本当の気持ちが(相手に)伝わってなかったから」であろう。

一方で、セバスチャンが接触を持った(レミの愛人の娘)ナタリーが“ヘロイン面”の演出を一手に引き受け、息子とはまた違った角度で父と精神的な交流を深めて行く演出はなかなか。ナタリーもまた本作の主人公の1人だったのだろう、たぶん。

ラストは『海を飛ぶ夢(2004)』と同様“自らの意志で去り行く場所&時間を選択”する父の姿が描かれる。ツライよなぁ・・と思いつつ「いや、家族や友人に囲まれて逝ける」そんな死に方こそ、案外“最高”なのかも知れんな、とも感じたのだった。

〜 こんなセリフもありました 〜

セバスチャン「文明国では好きな時に音楽が聴けるんだ」

レミ「皆が思う程、20世紀は血なまぐさくない」
  「人類の歴史とは、つまり恐怖の歴史さ」
  「教会の後ろ盾があったにせよ、近代兵器もなしに、原住民が手斧やらで1億人以上殺された。
   それが“大国アメリカ”の歴史なのさ・・尤も「ホロコースト記念館」1つ建ってやしないがね」
  「やがて年老い、男は美女たちの夢を見なくなる」
  「湖で車を止めて貰えるか? もう一度見ておきたい」
  「若い頃は、死の覚悟が出来ている。だが老いると・・人生に執着が芽生える。
   そして最後に“何か”がしたくなる」
  「未来も過去も謎に満ちているのさ」
  「女なんてみんな同じ? ・・だとしても私は飽きないさ」
  「神がよそを向いてた隙に、ユダヤ人が大量にアウシュヴィッツへと送られた。これは許し難いことだ!」
  「私は永遠にいなくなるのか? まだ覚悟できない・・死ぬ意味を見つけなければ、何とか・・」
  「まるで“生まれた日”のように無力だ」

※「病気なんて、頭の中で始まって頭の中で終わるものよ」
 「今まで私を抱いて来た男は・・この体を貪り尽くして逃げてく“臆病者”ばかりだったわ」
 「(妻との)喧嘩なんて毎度のことさ、これが人生だ」

ナタリー「最初の体験が大事なの・・成功すれば“ドラゴンに乗って飛んでる感覚”が味わえるわ」
    「あなたが執着してるのは現在じゃなく過去みたいね・・でも過去なんて、もう死んでるわ」

ナタリー「ブラウンとホワイトのどちらを?」
セバスチャン「その違いは?」
ナタリー「“吸引”か“注射”か」

友人「文化的になるにつれ、性願望が高まる」
  「知性は個人レベルの問題じゃない、集団・社会レベルの問題さ」
  「君がトリュフを食べられなくなる日が来るとはね」

追記1:中盤「意外な人々」が見舞いに来る。父は「(彼らは)強制じゃなく自発的に来た、それが重要だ」と喜ぶが、、その真相が直後に描かれ、ちょっと悲しかった。。
追記2:モントリオール警察(?)麻薬課の2刑事の名が「キム」と「ノヴァク」だった・・ギャグかよ?!
追記3:セバスチャンと売人の会話が面白い。
    売人が「アスタ・ラ・ビスタ(また会おう)」と言えば、セバスチャンは「ベイビィ(じゃあな)」と返した(=^_^=)
追記4:「日本製の大型テレビよ」とか言うセリフで“トシバ”なる単語(≒固有名詞)が聞き取れた(=^_^=)
追記5:レミと友人の話してた「北京の花」「四川の竜」ってばどんな体位やろ・・(⌒〜⌒ι)?
追記6:レミの憧れた銀幕の女優たち・・イネス・オルシーニ⇒フランソワーズ・アルディ⇒ジュリー・クリスティ・・う〜ん、いずれも詳しくないなぁ(×_×)

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2008年5月14日 (水)

☆『ミスト』☆

13日(火曜)。仕事のじわじわ忙しくなって来た影響か、家でこなしてる雑用(趣味?)の段々と溜まって来とるこの頃。ま、折角の連休(=チャンス)に全く追いつくための努力をしなかった自身の責任なのだが・・(×_×)
久々に1本行っとこう! ってことで、新作映画『ミスト』を鑑賞して来た。場所は千日前“敷島シネポップ”・・いつ行ってもロビーがそれほど混雑してない、落ち着ける劇場ではある。少し狭いのも一因とは思うが。

そもそもこの作品に決めたのは、良くお邪魔させて頂いてるituka氏のブログにおける鑑賞記事に食指を動かされたことが大きい(・ω・) 以下にURLを記載させて頂くので、機があれば是非ご訪問頂きたいトコロである。

http://blog.goo.ne.jp/ituka100mile

さて本作。暴風雨から一夜明けた、米国メイン州にある湖畔の田舎町を舞台に、突如町全体を覆うように立ちこめた霧(ミスト)によって、大型スーパーマーケットに閉じこめられることとなった人々の運命を描いた秀逸な“半群像”ドラマである。

閉塞感のノリで言うと『鳥(1963)』『サイン(2002)』、スーパーマーケットと言うロケ的にはやはり『ゾンビ(1978)』、作品世界を覆う緊迫感・絶望感は『宇宙戦争(2005)』、他に“ネタ”的なトコで『ポセイドン・アドベンチャー(1972)』『デイ・アフター・トゥモロー(2004)』『ピッチブラック(2000)』『ドリームキャッチャー(2003)』『ロスト・ワールド(1997)』『フロム・ダスク・ティル・ドーン(1996)』『ライフ・イズ・ビューティフル(1998)』『マウス・オヴ・マッドネス(1994)』・・などをチラホラ連想させてくれる。で、ラストで主人公を襲う壮絶な運命は『セヴン(1995)』のそれに通じるモノがあったかな、と。

ぼちぼちと、ネットなどで情報が流出してる辺りからも分かるように、作品世界を襲う“直接的な恐怖”ってのは、謎のクリーチャー(化けもん)達により引き起こされる訳だが・・実際に作品を観終えて感じるのは「人間の方がはるかに複雑で厄介で手に負えなくて、恐ろしいぜ・・!」と言う想い。

不愉快さで言えば・・『宇宙戦争』における、中盤(?)の暴動⇒発砲シーンがワタシの中で強烈な記憶となって(未だに)残ってるんだが、本作でも終盤でそう言うテイストの“暴走”が描かれ、あそこは観てて辛かった(×_×)

これまでに色々なパニック系、サスペンス系をそこそこ観て来たつもりではあるが、本作は「登場キャラが時に迷走し、他人に影響もされ、コロコロとその言動を変化させる」って言う“人間心理の不可解さ”を非常にリアルに描き出してて、そこは感心させられた。「主人公に説得されたから、そっからあとの物語ではずっと味方」・・かと言えば全然そうではないのだ。現実世界でもそうだけど!
またスティーヴン・スピルバーグ監督あたりが最も嫌う(恐れる?)トコロの「女子供に対しても容赦のない運命の一撃を与える」って演出も、ある意味で度肝を抜かれた! こんな持って行き方をするんやー! と。
フランク・ダラボン監督、いよいよ“定説”をぶち破りましたね! って印象も受けた(彼に対する非難も高まるだろうが・・)

主人公=ディヴィッド・ドレイトン(トーマス“パニッシャー”ジェーン)がある意味「真面目だけど印象(≒色合い)の弱い」キャラであり「この人、いつ死んでもおかしくないかも・・」、とワタシなりに“衝撃の展開に備える心づもり”を終始キープし続けた次第(・ω・)

怪人=カーモディ夫人を演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンの醸し出す存在感、そしてまた彼女の放つ“神聖で崇高なまでの悪意(=^_^=)”ってなキャラ造形は出色! ジュディ・デンチにも見ようによっては似てる気がするが、まぁそれはここではイイだろう(=^_^=)

そして! 一番の注目株は・・やはりジムを演じたウィリアム“スチュアート大佐”サドラーであろう! この人の叫ぶ「贖罪!」「ハレルヤ!」の響きが、しばらくこの両耳から離れそうにない(⌒〜⌒ι)

原作(小説)がスティーヴン・キングってことで、ついつい終盤にディヴィッドの息子ビリーが何らかの“異端者パワー”を覚醒させるんやろ・・! と予想してたワタシだが、そこは・・(以下自粛)

ってことで「対クリーチャー系な密室サバイバルアクション」と予想してたら、実は「リアルで濃厚に、人間の醜い姿をこそ描いたドラマ」である、と気付かされたのだった。
極限下で人間がどう(正常な)判断力を低下させて行くのか、狂気に蝕まれて行くのか、また“愛する家族”をどう護って行けば良いのか・・アメリカとこちら(日本)で「大きな宗教観の相違」はあろうが、例えば“世界の終わり”をシミュレーションしてみる意味などで、観ておくべき作品とは言えるかも知れない。

『ショーシャンクの空に(1994)』『グリーンマイル(1999)』路線を期待して(=感涙を流したい気分で)観に行くと、きっと激しく落ち込むこととなるだろうが、、(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

※「妙な日だな、今日は」
 「霧の中に何かが!」
 「これは“解決の出来ない問題”じゃない」
 「見ようとしない者ほど、盲目の者はいない」
 「神は我々が思うほど、血に飢えてはいない」
 「朝には全てが良くなる・・」
 「政治と宗教がなければ、人間は根本的に異常な存在さ」
 「部屋の中の2人の人間は・・最後は殺し合うしかない運命なのさ」
 「悪い人には石を投げるものよ」
 「他に良い方法があれば、撃たなかった・・」

カーモディ「外にあるのは、死よ!」
     「“最後の審判の日”が来たわ」
     「此処にいる全員が悪人ではない、何人かは救える筈・・例え1人でも」
     「地獄じゃ“上告”なんか出来ないわよ」
     「この世の終わりが・・霧と共に訪れるのよ」
     「救われるか、呪われるかのどちらかよ」

ディヴィッド「泣くな、息が出来ないだろ」
      「言い訳はあるか?」
      「もしかしたら“あの人”も怖いのかも」

ノートン「“遊星からの触手X”か? 面白い」
    「もし霧の中に何かがいたとすれば・・私は愚かと言うことだな」

ビリー「僕を※※に殺させないで」

追記1:もし“この手のケース(×_×)”に遭遇したら・・取り敢えず『遊星からの物体X(1982)』の終盤、主人公マクレディ(カート・ラッセル演じる)のセリフを思い出しましょう・・「待ってみるさ、この先、何が起こるのかを」
追記2:終盤、ランクルを発車させる際、ボンネットの上に落ちていた※※を、皆が「拾わないで!」と叫んだ理由が、後々に分かって来た。にしても・・※※を敢えて拾ったこと、※※が4ツしかなかったこと(アレが3ツでも、5ツでも、物語は大きく“その終わり方”を変えていたろう!)、遂に霧の晴れるタイミングのこと、、ホンマに運命とは皮肉で不条理なモノである・・
追記3:ラスト近くのカットで、後部座席&助手席をわざわざ描写して欲しくはなかった。あそこは観客に想像させるだけで十分だったと思うぞ。
追記4:軍人さんたち(3人)の運命を辿る・・って鑑賞法もあるかも。。「30分後のバスに乗れなかった」ことで、こんな風に人生が変わっちゃうとはね・・(×_×)
追記5:この記事を書いてて、戸外は雷雨だったり・・(×_×) 明朝、大量の霧が発生したらイヤだな・・(⌒〜⌒ι)

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2008年2月18日 (月)

☆『マスク2(2005)』☆

11日の鑑賞。「月曜ゴールデン・ホリデーロードショー」と銘打たれ、有り難くも「地上波初登場」の本作。
ジム・キャリー&キャメロン・ディアスと言う「今となっては実現しにくそうな2人」を主演に迎えた前作『マスク(1994)』から約10年、きっと満を持したであろう続編に違いあるまい・・! と思いきや、コレがどうしようもなくポンコツな感じで・・すっかり萎えますた(×_×)

前作の舞台となったエッジ・シティの南西430キロに位置するフリンジ・シティ。ここに流れ着いた“ロキのマスク”(どう言う経緯で川を流れることとなったか、は前作をご覧頂きたい・・)を拾い上げたのは犬の“オーティス”だった。
“オーティス”の飼い主である、ティム&トーニャのエイブリー夫妻は、「アニマジン社」に勤務するアニメーターの夫・ティムの努力が実らず、奥さんとの“夜の生活”も少々お疲れ気味なようす・・

そんな中、会社主催の「ハロウィーンパーティー」に参加するための即席(?)仮装で“マスク”を着用したティムは「マスクの怪人」に変身しパーティーを盛り上げ、そのまま帰宅してトーニャとも盛り上がっちゃう事態に(・ω・) ←奥さん、旦那の“仮装プレイ”は許容範囲内だったんやろか。。

“変身状態”のティム(の陽物)からアレされた、緑色かつパワフルな“精なる子”が見事に(奥さんの)“卵なる子”にヒットし、早くも翌朝にトーニャの妊娠が判明(!)
果たしてその後、エイブリー家には“アルビー”と言う赤ちゃんが誕生したのだった。

一方、北欧神話の最高神オーディン(ボブ“スーパーマリオ”ホスキンス)の命により、無くした“マスク”を探すべく地上へ降りて来たのが、災いとイタズラの神ロキ(アラン・カミング)。
やがて、ロキはエイブリー夫妻の前に姿を現すこととなるが、そんな危機に立ち向かったのが“オーティス”であり、そして“アルビー”なのであった・・ってな流れ。

色んな意味で驚きだったのが、前作で「敢えて封印してる」感すらあった「セク〜スネタ」が、いとも簡単に採用されていたこと。その割に「犯罪組織」「カジノ」「銀行強盗」みたいな“暗黒ネタ”がこの続編では一切取り上げられず、健全なんだかそうでないんだか、何とも良く分かんなかった(⌒〜⌒ι)

ただ、ティムと言うキャラそのものに余り個性と言うか面白味がなく、赤ちゃんや飼い犬を巻き込んで、それでも“前作におけるスタンリー・イプキス(ジム・キャリー演じる)なるキャラ”には到底及んでいないなぁ〜と言う印象が強かった。
そもそも“作品世界に1つしか存在しないマスクを誰が、何処で、どう使うか?”と言うトコ(=シチュエーション)にこそ本作の面白さがあったハズなのに“マスクなしで変身しちゃう”キャラが2人も登場したため、ちっともアイテムとしての“マスク”の有り難みがない訳で。
他にも「特撮映像に依存し過ぎ」「その割に要(かなめ)の特撮がつまんない」「ヒーローとしての活躍が殆ど描かれない」「アラン・カミングの言動がうざい」とか、ワタシの中で文句が次々と噴出した。

※考えたら、アラン・カミングの出演作って、大抵つまんない気がする・・アランの起用があかんのか、たまたまあかん作品にアランが出演してはる(←気を遣ってるつもりかよ)だけなのか・・『タイタス(1999)』なんかは良かったんだけどなぁ。

劇中に幾つかの「ニセ“マスク”」が登場し、裏側に「台湾製」だの「パキスタン製」だのと書いてるのが面白かった。それらの国を痛烈に揶揄(やゆ)してる気もするんだが・・まぁええか(ええんかい)。

ちょっと「ムチャクチャやな〜」と感じたのは、人間状態(つまり“マスク”非着用)のティムが、ロキが振り下ろした「巨大ハンマー」による攻撃を受け止めた演出(普通に考えると“グチャッ”となっちゃう感じ)。どうにも理解出来ないんだが、あそこは「んなアホな!」とツッコませるため(だけ?)に用意されたシーンなんやろか。誰か、教えてくれ。

〜 こんなセリフもあったわけで 〜

社長「君のアイデアにはきらめきがない。でも(私に通じる)ドアはいつも開いているぞ」

ロキ「父親なんて、どいつも威張ってるだけさ」

追記:ティムが「人類最良の友」と言ってたのが・・テレビだった。「悪友」と成り得るトコもあったり・・(=^_^=)

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2007年12月 5日 (水)

☆『マックィーンの絶対の危機(ピンチ)/人喰いアメーバの恐怖(1958)』☆

2日(日曜)の夜。これまた購入したはイイがなかなか観る機会に恵まれなかったDVDソフト『マックィーンの絶対の危機/人喰いアメーバの恐怖』をようやく開封(=^_^=)⇒鑑賞することが叶った☆

世にも珍しい“スティーヴ・マックィーン主演のSF作品”であると同時に、実質的な“初主演作”でもあると言う本作。「デジタルニューマスター仕様」+「初DVD化」らしく(←パッケージ記載より)、

「人喰いアメーバと戦うマックィーンを観ずして、貴方はマックィーンを語ることなかれだっ!!」と竹中直人氏がパッケージ帯で大きく吠えている! ←おおぅ、よしよし(=^_^=)

ワタシの知ってるのは、当然リメイクされた方の『ブロブ/宇宙からの不明物体(1988)』であるが、そちらよりもこのオリジナル版の方が中盤からの“とっ散らかり”がなかった分、ダレずに観ることが出来、楽しめた☆
これ即ち、なかなかの拾い物であった!

町外れでレクリエーション(≒イチャイチャ)中の高校生カップル、スティーヴ・アンドリュース(マックィーン)とジェーン・マーティンが流れ星に願いをかけようとすると、近くの山岳に大きな隕石が落下する。
墜落現場に向かう道中、彼らは右腕に“奇妙な液体”の粘り付いた老人を発見、苦しむ彼を町医者=ハレンのもとへ連れて行く。
患部が大きく腫れて行く老人。ハレン医師はこの未知の症状に関し「寄生物が肉を驚くべき速度で吸収している・・! 直ちに腕を切断せねば・・!」と診断を下す。
彼は看護師のケイトを電話で呼び寄せるが、彼女が駆け付けた時、既にベッド上に老人の姿はなかった。代わりに、診察室の床には巨大な“粘液の塊(=アメーバ)”が出現し、医師と看護師に静かに襲いかかる・・

一方その頃、ハレン医師の命により隕石の墜落現場に向かったスティーヴとその悪友トニーたち一行。証拠品となる「隕石の破片」を見つけるも、その中にはもはや何の痕跡も残されてはいなかった。

報告に戻ったスティーヴは、ハレン医師が“アメーバ”に覆われる、まさにその瞬間を目撃する。彼は事の次第を市警に通報するが、デイヴ警部らがハレン医院を捜索した結果、特に殺人事件の行われた痕跡は何ら見当たらず、逆にスティーヴとジェーンは迎えに来た彼らの父親たちによって、それぞれの自宅へと連れ戻されてしまうのだった。

警察がそんなまったりした対応(?)をしてる間にも、ハレン医院を抜け出した“アメーバ”は深夜の町なかへ繰り出し、次々に市民を喰らって巨大化してゆくのだった・・! そんな展開。

高校生を演じつつも、当時のマックィーンってば、既に実年齢では「三十路前」だったらしい。。道理で老けてる訳だ(⌒〜⌒ι) が、スターとしてのオーラもぼちぼち立ち上りつつあり、魅惑的なブルーアイ(青い眼)は既に十分な“メヂカラ”を放ってるように感じた。

気に入ったのは「脚色」と「世界観」であろうか。複数の場面を同時に描きつつ、しっかりシーンの切り替えをやってるのが良い。必ずしもマックィーンだけを優先して描くのではなく、襲われるその瞬間まではハレン医師もが“主人公の1人”をしっかりと演じ切っていた(←ちょっとグレゴリー・ペック路線の男優さんだった)。
もう1つは「夜明けまでの一夜」を程よい長さと静けさで描いてた点。住宅地は寝静まり、通りもまた静まり返っているのだが、街の中心にある劇場(映画館)の中は大盛況だったりするのも“アメリカの金曜の夜”って雰囲気がムンムン漂って来て、なんかワクワクさせられた(⌒〜⌒ι)

終盤で、タイトル通りスティーヴ&ジェーンはまさに「絶対の危機」を迎える訳だが、その前段階で「観客には“アメーバ”撃退の大きなヒントが提示される」のが最大限に素晴らしかった! マックィーンがそこに気付かないのも自然な感じで良い。あそこで観客より先に「そう言えばさっき・・」などと言われると、ムカつくもんなんですわ、観客ってヤツは(=^_^=)

軍隊の出動が最後の最後ってのも良かった。あんまり中盤から(彼らに)ストーリーに介入されると、主人公らの言動が薄まってしまってつまんなくなるのが必定とも思うもんで☆

何にしても、単なる“B級SF作品”と一蹴するには抵抗のある、十分な佳作だと思った。
オープニングに流れるあの“脱力テイスト溢れるテーマ曲”だけは確かに「アレ」なんだけど。。
(と言いつつ、そのテーマ曲を手がけたのは巨匠バート・バカラックらしい!)

〜 こんなセリフも良かったです 〜

スティーヴ「正気の人でもUFO(←セリフでは“FLYING SAUCER”と言ってた)を見たという人は多い。
      ただの光を錯覚してね・・もしそれと同じだったら、
      ぼくらは大人しく家に帰り、世界は昨日と同じ日が続いて行く」

ジェーン「あなたは真実から逃げる人ではないわ」

デイヴ警部「(対処が)間違っていても、責任者はこの私だ。私が判断する!」

追記1:劇場オモテには「DAUGHTER OF HORROR ALSO BELA LUGOSI」なる表示が! ベラ・ルゴシ出演なんやね〜。また「エアコン完備(AIR CONDITIONED)」ってな看板も何だか微笑ましかった。因みに当時の映画代は80セントとのこと。
追記2:「あちっ!」みたいな動作(演技)をしつつ隕石の破片にベタベタ触るスティーヴら。おまいら、放射能の危険性も考えろよ(×_×)
追記3:一家にクルマが2台あるアンドリュース邸。お金持ちぃぃ!
追記4:追い詰められた※※※で「大丈夫よ」と言い放つ、ヒロインの悲し気な表情が美しい!
追記5:デイヴのセリフ「少なくともこれで活動は止められた」に対し「※※が寒い間はね」と返すスティーヴ。まさに、現代はそこが(地球全体で)問題になってるんですよ!
追記6:表示された「THE END」の文字が形を変え「?」となるエンディング。何だか『フラッシュ・ゴードン(1980)』っぽいオチやね(・ω・)

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2007年9月13日 (木)

☆『マーサの幸せレシピ(2001)』☆

11日(火曜)の夜に衛星第2で鑑賞したのが『マーサの幸せレシピ』である。
(ワタシの知る限りの)有名ドコロが全く出演しないドイツ映画であるが、それ故に妙な役者陣への“先入観”を感じることもなく(←時としてコレがモノ凄い“雑音”と化す場合がある)、作品世界に没入出来た気がする。

筋金入りの頑固な女シェフ、マーサ・クライン(マルティナ・ゲデック)は、ただ「自分の作り上げた厨房を死守する」ために、自らのココロをある意味“閉ざし”て、高級レストランで美食を毎夜お客に提供している。
クレームを付ける客を「あなたは安食堂にでも行けばいい、どうせ煙草まみれで(料理の)味なんか分かりゃしないでしょ」と詰(なじ)り、咎めるオーナー(女性)の「お客様は神様よ!」の注意にも「それじゃ私はピエロかしら?」とやり返したりもする。
(ご本人曰く・・「私は頑固なんじゃなく、全ての物事に厳密なだけ」とのことである)

そんな中、彼女に3つの転機が訪れることに。

1)実姉クリスティンが(マーサの)アパートに留守電メッセージを残したまま、交通事故で突如帰らぬ人となる。彼女の(姿を消した)夫ジュゼッペ(イタリア人)が見つかるまでの間、姪である8歳のリナを預からなければならなくなってしまうマーサ。しかし少女は母を失ったショックから一切の食事を拒絶するようになってしまう。
2)階下にサミュエル・タルバーグ(愛称:サム)と言う名の紳士的な男性が越して来る。
3)ある日、オーナーが相談もなく“風変わりなイタリア人シェフ”マリオを厨房に雇い入れた。陽気な彼はたちまち厨房の人気者となるが、マーサは「私の作り上げた厨房を奪われる」と危機感を覚え、彼を露骨に敵視するのだった・・。

中盤以降は、マーサが(主に)彼ら3人との交流を通じ、次第に心に厚く張った“氷”を溶かして行く流れが描かれる。
どちらかと言えば盛り上がりもなく、アクションシーンも皆無で(=^_^=)、淡々とストーリーは進むのであるが、ゆったりした気持ちで流れを追うことが出来、なかなか良かった☆

そうそう。マーサ役を演じたマルティナさんが、なかなかにイイ女優さんである。(物語上)厨房内のシーンが多いので当然“シェフ着”姿がメインとなり、髪もアップにしてるんだけど・・プライベートのシーンでは髪を下ろし、アパート内では(一時的ながら)下着姿で歩き回って下すったりも☆
ちょっと体型がモデルさんとは明らかに違うんだけど、、そこにこそ親近感を覚えてしまう(=^_^=) また、ドイツ女性がみなそうなのかは分かんないが、ブラを着用してないらしく“nipple”の形状がうっすらと(衣服の上からも)判別出来る服装などには、油断してたが故に、妙な興奮を感じてしまったりもした(←危な〜い)

性格的に“お堅い”マーサに、更に頑固で(幼さ故に)無軌道なリナが絡み、そこに陽気なイタリア男(マリオ)が絡んで来る。脚本がマズいと、物語全体が「崩壊」や「暴走」を始める危険があるんだが、そこを巧く「飽きさせず」「疲れさせず」終盤まで観客を導いて行く演出に好感を覚えた。

どうしても「サム」と「マリオ」のキャラがヒロイン(マーサ)を巡り“カブって”しまうためか、途中から一方がほぼ“退場処分”となってしまうのだけは、観ててちと悲しくなったか。
も少し“フェードアウト”のやり方(持って行き方)に工夫が欲しかったと思う。

(本来は口べたな設定(?)である)マーサのセリフの中で、心に特に残ったのは次の2ツだった。“むき出しの感情”が思わず口をついて放たれたようで素晴らしい。

マーサ「遅刻はワタシのせいにしなさい」

マーサ「二度と家出しないで・・どれだけあなたを心配したか・・」

その他、“一夜”を経ての朝、(食卓のシーンで)マーサの髪を一瞬優しくなでる“彼”の仕草がイイなぁ、と感じた。

なお、終盤においてマーサがいきなり「これは違う・・」ってなセリフを放ってくれ、ついドッキリさせられてしまった。「ナニがどう違うのか?」・・としばらく気を揉まされてしまうワタシなのだった(=^_^=)>

「一見“苦手な人間”との付き合いも、ひょっとしたらこの自分を育ててくれるのかも知れない。
 そして、自分の眼から鱗を落としてくれるのかも知れない」

そんな少しばかりの希望を与えてくれる佳作である。

〜 こんなセリフもありました 〜

マーサ「腕前の差は、シンプルな料理にこそ出る」
   「生き物にとって釜ゆでほど惨い殺され方はない。何故なら、苦しみが長引くからだ」
   「1つの厨房に2人のシェフ・・それは1台のクルマを2人で(同時に)運転するのと同じようにムリがある」
   「・・! トリュフは棄てちゃダメ!」←高級食材でっせ(⌒〜⌒ι)

マリオ「舌が満ち足りていないと、決していい料理は作れないのさ」
   「(君に)嫌われながら、ここで働く気はない。僕が目障りなら遠慮なく言ってくれ、すぐに辞めるから」
   「言っとくが・・“ニョッキ”は簡単な料理じゃないぞ」

※※※※※「参ったな、使った砂糖の種類まで、君には分かるのかい?」
マーサ「まさか。でも砂糖を使ったかそうでないかぐらいは分かるわ」

リナ「遅いね」
マーサ「“彼”は遅刻魔なの」
リナ「男って・・最低」

追記1:マルティナさん、その後『素粒子(2006)』と『善き人のためのソナタ(2006)』に出演されているそうである。すっかり好きになってしまったので(=^_^=)、機会があれば、それらの作品も前向きに鑑賞してみたい☆
追記2:本作の主人公の名「マーサ」は“Martha”と表記するのが正しい。間違っても「MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)」ではありませぇん(×_×)

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2007年2月13日 (火)

☆『マトリックス/レボリューションズ(2003) 』☆

あっと言う間に連休(10日〜12日)が終了。結局、風邪を引いてしまったみたいで、3日ともとにかく「寝だめしてスタミナを戻す」方向に力を使った。とは言え、また明日からの残業で体力が削られて行くんやろかなぁ(×_×)

さかのぼって3日(土曜)。後半からで地上波初登場の『マトリックス/レボリューションズ』を観た。トリロジー(3部作)の完結編。
第1作(1999)こそ「うぉ〜、すげ〜!これぞ『ターミネーター2(1991)』『ジュラシック・パーク(1993)』などに続く映像革命や〜!」とその世界観(と映像表現)に衝撃を受けたものの・・第2作(2003)、そして本作、と次第に盛り下がる印象の(←私的にはそう強く感じた)シリーズだった。「荒唐無稽さ&爽快さが薄れてしまったこと」「小難しくも緻密な世界観の割に、それを構成する要素の幾つかに綻びの見える気がしたこと」「映像&特撮面で方々に“まがいもん(=パクリ)”が増え、斬新さが無くなったこと」などが挙げられるかも知れない。
劇場で観た時は「主人公って、すっかりミフネ艦長になってるやんか・・」と感じたんだが、今回はTVを点けた時点で既にミフネ氏はおられず(・ω・) キアヌ・リーヴス演じる主人公ネオが機械生命体の親玉みたいなん(←コイツっていわゆる“デウス・エクス・マキーナ”なんじゃろか・・)に会うシーンであった。その前後のシーンを観てて『風の谷のナウシカ(1984)』やんか! と突っ込んだり。
続く、エージェント・スミス(ヒューゴ・ウィーヴィング演じる。なお、大塚芳忠氏の吹替えが異常にマッチしている!)との雨中の一騎打ちシーンでは『スーパーマン2/冒険篇(1980)』と言うより『火山高(2001)』の映像がアタマに浮かんだ。「かもめのジョナサン」や「ドラゴンボール」の世界だと“飛行”を極めた次の段階(移動手段)は“瞬間移動”となるが・・本作でそこまで成長する余裕は主人公になかったようである(・ω・)
にしても、このシリーズ・・何とも「美男美女不在な世界」ではあった。。もそっと本シリーズをステップにして羽ばたくような(美しい)女優さんや(光ってる)子役がおれば良かったのになぁ・・と。
あと、ヒロイン役だったトリニティ(キャリー・アン・モス演じる)がいなかったが、途中でリタイアしてしまったんだったか? 何だか『ロボコップ(1987)』シリーズのヒロイン役アン・ルイス婦警(ナンシー・アレン演じる)みたいやな、と。彼女もいつの間にかいなくなってたよねぇ。。

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2007年1月18日 (木)

☆『マイ・ハート、マイ・ラブ(1998)』☆

17日(水曜)。衛星第2で放送されていたものを鑑賞。録画するテープがないもんで、自室の“14インチ・グリーンモノクロTV”でだらっと観てたが、なかなかに上質な“オムニバス型恋愛群像劇”って感じで良かった☆
5組の「様々な状況を抱える」男女が登場、同時進行型で物語が収束に向かってゆく展開。

ポール(ショーン・コネリー)とその妻ハンナ(ジーナ・ローランズ)
ジョーン(アンジェリーナ・ジョリー)とミステリアスな青年キーナン(ライアン・フィリップ)
グレイシー(マデリーン・ストゥ)と恋人ロジャー(アンソニー・エドワーズ)
病床の青年マークとその母ミルドレッド(エレン・バースティン)
メレディス(ジリアン・アンダーソン)に言い寄るトレント
夜のバーを彷徨うヒュー(デニス・クエイド)

彼らの言動が断片的に描かれ、次々にシーン(パート)が切り替わるもので、余り「深い部分があるはず、見逃さないように観よう!」と気合をこめ過ぎると・・きっと疲れるに違いない。
本作の醍醐味は、後半からの「パズルのピースが埋まってゆくような」キャラ同士の相関関係にある、ように思えるので、まぁ中盤まではだらっと観て頂いて問題はないかなと(=^_^=)

「ベテラン俳優陣」「中堅どころ」「(やや)若手俳優」・・と世代を散らした感じでキャラクターが設定されてるので、それなりに(対象とする)観客の幅は広いのかも。反面、イキイキと作品世界を動き回り、魅力を輝かせてるキャラがいるかと思えば、殆ど移動も行動もしてへんやんか、きみ! ってしともいましたなぁ(⌒〜⌒ι) 全員に平等に脚光を! と言うのはやはり脚本的にムリがあるんやろか。。

で、後半からの“面白み”をバラすと、本作を鑑賞する意味が半減(それ以上?)してしまうに違いないので、細かいことは何にも書けないんだが(=^_^=)、劇中にちらほら登場する「おこりんぼ(anger-ball..と聞こえた)」なる言い回しが、鑑賞後に改めて振り返ると面白い。途中までは「何だ? これって全米を席巻してる流行語だったのか?!」と思ってたし。。

なお、冒頭の某エレベータシーンで“ニッポンジンをからかう”演出があるんだが・・まぁ、そんなもんかって感じか。(ネットの評価を見てると怒ってる方もおられるが、こう言うネタはいつまでも無くならないと思うぞ、うん)

〜 こんな台詞もあったでよ 〜

メレディス「男なんかいなくても、いい女にはなれるわ」
     「今のとこ、恋愛地帯には“着陸待ち”なの」
     「愛する人のすべてを知る必要なんてないわ」

マーク「どんなことにしたって、最初の一歩が難しいんだ」

トレント「指環をしてると、少なくとも“男”には誘われずに済むね」
    「38(歳)の男に、もう遊び相手は要らない」

ミルドレッド「当時はね、20代後半が“女の最後の(結婚の)チャンス”だったの」
      「“耐える女”も私の世代で終わりね、昔は離婚なんて考えられなかった」

グレイシー「私たちは“荷物を持たずに会える”関係・・手ぶらで会い、手ぶらで別れるの」
     「夢なら見るわ・・朝、目覚めてから夜、眠りにつくまでの間に・・」

ジョーン「あいつ・・無口なくせに、喋るとあたしの“急所”を直撃して来るのよね」
    「初恋を“神話化”するのは、ごく自然なこと」
    「哲学すると、どんなハナシも無意味になる」
    「バカね・・人間なんて、みんな欠陥品よ」
    「人間は動物を飼ってるようで・・実は(逆に)飼われてたりして」

キーナン「君の言葉は、僕の中の“死んだはずの部分”に届いた・・生きていたんだ」

ポール「恋の素晴らしいところは、相手の全てをあっという間に理解できることだ」

追記:ロジャー役のエドワーズは何と『トップガン(1986)』でトム“マーヴェリック”クルーズの相棒“グース”を演じてた男優さんでした。うーん・・ちょっと(演技面以外に)頭髪部がベテランの域に達した感じ(・ω・)
あと、クエイドの憂いを帯びた横顔がなかなかカッコ良かったぞ、と。

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2006年12月10日 (日)

☆『ミリオンダラー・ベイビー(2004)』☆

7日(木曜)の夜に観賞(地上波初登場)。公開当時、劇場で観たのが少し懐かしい。山田康夫氏が亡くなってしまった故、今作での(クリント・イーストウッドの)吹替えは嵯川哲朗氏。うーん・・考えたら嵯川さんってば長編アニメ映画『ゴルゴ13(1983)』で主役・デューク東郷(=ゴルゴ13、not更家)の声をアテておられた記憶・・当時も、そして今回も「ちょっと違うぞ・・」と素直に感じたものだ。まぁ私見に過ぎないが。

タイトルマッチに縁がなく、一人娘ケイティとも疎遠となって久しい老ボクシング・トレーナー、フランキー・ダン(クリント)。かつてはコンビを組んでいた元ボクサー、スクラップ(←エディ・デュプリスと言う本名もあるらしい!)(モーガン・フリーマン)と共に『HIT PIT GYM(ヒット・ピット・ジム)』を細々と経営している。そんな中、彼の一番弟子ビッグ・ウイリー・ジョーンズが“やがて迎える”タイトル戦に備え慎重に調整を続ける(じらす)余り、ある日“堪え切れず”突然、他のジムへ移籍してしまう。
打ちひしがれた彼の前に現れたのは31歳の田舎娘、マーガレット・フィッツジェラルド(ヒラリー・スワンク)。フランキーを「ボス」と呼ぶマギー(=マーガレットの愛称)は「年を取り過ぎてる」と言う彼のにべもない態度にもめげず、黙々とサンドバッグを前に日々練習に励む。やがてそんな彼女を見かねたスクラップがコーチし始める。
追い払おうとするフランキーにマギーは言い放つ。「あたしが欲しいのはトレーナー。慈悲や情けなんか必要ない。あたしに興味がないならこれ以上邪魔しないで!」
遂に彼女の熱意に屈したフランキーは二人三脚のトレーニングを開始する。
女性ボクサーとしての素質を瞬く間に開花させたマギーは、やがて無敗のファイターに成長する。そして遂にラスベガスでウェルター級のタイトル戦を迎える2人。ダーティーなファイトを持ち味とするチャンピオン「ビリー・ザ・ブルーベアー」を圧倒するマギーであったが・・ってな流れ。
後半、描かれる世界がガラリと変わるので、余り詳しく書くと「ネタバレ」になってしまう作品でもある(・ω・) 予備知識を持たずに観るのが、クリント監督への最大の敬意であろうか。
本作では御大クリント、監督、製作、音楽、主演・・とマルチにこなしている。『ブラッド・ワーク(2002)←未見』『ミスティック・リヴァー(2003)←DVDは購入するも未見』・・と休みなく作品を放ち続けてて、ホンマに敬服します。。

ときに、松本人志氏は「丹下段平(トレーナー役)を2人設定する必然性はあったんだろうか?」的な真っ当げなツッコミを映画評『シネマ坊主』で放ってたが・・まぁいわゆる「語り手」としての存在をキーキャラとし配したかったんだろう。確かに本作、スクラップの独白に始まり、同様に彼の独白に終わってゆく物語なのだ。“動き(行動)”として目立つ役回りはフランキー、“語り(思考)”として目立つ役回りはスクラップなのである。
そうやって眺めると、かなり饒舌なキャラにも思えるスクラップ。まさに全盛期の名ボクサー、モハメド・アリのように「言葉で戦ってる」ようにも見受けられた(・ω・)
「ボクシングはプライドの競技、そして不自然な競技だ」
「最高のパンチを打ち込むためには、後ろに下がった方が良いこともある。だが、下がり過ぎると戦いにならない」
「ボクシングは自分の限界を超えて戦える、と思わせる魔法を人にかける」
「今は休ませてくれ、後でゆっくり話し合おう、と体が言う・・それがノックアウトのメカニズムだ」

一方、行動がある意味(周囲から見て)予測不能なのがフランキー流。教会に欠かさず通い(神父には煙たがられてる)、ゲール語の勉強をし、とある事件が起こった直後には「こうなったのは全部お前のせいだ!」とスクラップに怒り(と責任)を叩き付けるのだ。決して人格者とは言えぬ、観ようによって「劇中で一番弱い人物ではないか?」とも思えたのが今回の鑑賞だった。

フランキーを“再生”させたのがマギーの存在であるなら、物語以降の世界でスクラップを“再生”させるのが「ハートだけのボクサー」と言われた“デンジャー少年”かも知れない。以前観た時は「このキャラ(デンジャー)の存在意義って一体何なのや?!」と全く理解出来なかったんだが、何となく彼(デンジャー)がこの先、頭角を現して行くような・・そんな観後感を覚えたものだ。
(クリント監督は「それは全く違う解釈だ、君は私の作品から何も読み取れていない、実に不愉快だ」と仰るかも知れんが・・そこは観る者の“想像(妄想)の自由”を尊重して欲しい(=^_^=))

にしても、マギーの故郷(ミズーリ州セオドシア)からやって来たロクデナシ一家(別名:デ※ズニーファミリー)。あいつらの鬱陶しさってば演技の壁を超越してて素晴らしい! こんなにムカつく奴らは久しぶり。何ちぅことか御大クリントを劇中で「ジジイはすっ込んでな!」とか罵倒するし(⌒〜⌒ι)
「アカデミー助演賞をおまいらにくれてやるよ! ほら!」などと叫びながらオスカー像の形状をしたバット(=^_^=)でぶん殴ってあげたいぐらい(←いや、ホントは真面目な役者さんたちだっての)

〜 こんな台詞もあったんですよ 〜

フランキー「パンチは強いかどうかじゃなく、効くかどうか」
     「どんな時も自分を守る、それがルールだ」
     「大事なのは勝つことじゃなく強くなること」

マギー「あたしにはあなたしかいない」
フランキー「そう、オレがいる」

スクラップ「バカな質問なんてない」
     「誰だって一度は負ける。ここから這い上がるんだ」

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2006年10月 9日 (月)

☆『もしも昨日が選べたら』☆

8日(日曜)。即ち、3連休の折り返し地点な1日でもある。
昨日は「寝だめ(notカンタービレ)」にほぼ費やしてしまった感じなので、今日は「映画でも観に行こう!」ってことで大阪市内に繰り出した☆ 幾つか「コレ観よ!」と作品をピックアップしてみたが・・何やら「重い作品」が多いみたく、結局“消去法により(?)”コメディタッチ系・・と思しき『もしも昨日が選べたら』に決めた。
アダム・サンドラー主演(製作にもクレジット)の「SFハートフルコメディ」と言える作品。監督のフランク・コラチとは『ウェディング・シンガー(1998)』『ウォーターボーイ(1998)←未見』以来のタッグとなるんかな(・ω・)

ニューヨーク郊外に住む超多忙な建築士マイケル・ニューマン(サンドラー)。若い頃はダサダサ(かつデブ専?)だった彼も、今やマイホームを持ち、若くスリムで美しい妻ドナ(ケイト・ベッキンセール)、ベン&サマンサの2人の子宝に恵まれている。あとエッチな愛犬・サンダンスにも(=^_^=) 実は幸せいっぱいな筈・・のマイケルの現状。だが、彼はもっと出世しリッチになりたい(←これは彼の少年時代からの悲願でもある・・)、家族にいい目をさせてやりたい、お隣のオドイル家の鼻を明かしたい(=^_^=)・・そんなことを考え、家族への気配りは何処かへ消えてしまっている。
庭に建て始めたツリーハウスにもここ2ヶ月、全く手が付けられず。ベンの水泳大会を応援に行く日もゴール寸前にやっと間に合い、かつ我が子を間違える始末。。

リビングのテーブルには4台ものリモコン(天井扇、ラジコンカー、車庫シャッター、でTV・・)が放り出されており、しょっちゅう間違えるマイケルは、ある夜ついに我慢出来ず巨大ホームセンターへ“万能リモコン”を買い求めに行く(隣家が一足先に入手してる、のフリもあり)。だが、ホームセンターにリモコンが置いてる訳もなく・・と思いきや寝具の隣に、店の奥へと続く「Beyond(その他)」なる売り場への入口が。通路を進んだ先にあったは怪しげな研究室。そこにはモーティ(クリストファー・ウォーケン)と名乗る、謎の技師(発明家?)がいた。
彼はマイケルに「君はどうやら善人のようだな。善人は報いられるべきだよ。君にこの最新型の“万能リモコン”を進呈しよう」と言い、青いリモコン(←“人間工学”に基づいてそな意匠)を渡す。「言っとくが、これは返品不可だからね」と。
タダでリモコンが手に入ったことを訝しみつつ、彼は帰宅する。
そして彼は“万能リモコン”の持つとてつもないパワーを知ることとなる。それはあらゆる家電を制御する、ことすら超え「自身の過去&未来」へと時空を移動出来る代物だったのである!

リモコンの力を得た彼は「嫌なこと(妻との口論など)」や「面倒なこと(妻とのセック..など)」を早送り操作ですっ飛ばし、手っ取り早く「昇進」の夢に到達する。が、操作を学習する機能を持った“リモコン”の暴走により、次第に時間の早送りを制御出来なくなり、やがて彼を取り巻く環境(=彼の人生)は考えもしなかった変化を遂げて行くのであった・・! そんな流れ。

物語を支える「キーアイテム」が軸にあり、そんな存在により「現実を超越するパワーを得る」ってなストーリーを観てるとつい連想するのが『カラー・オブ・ハート(1998)』と『マスク(1994)』であろうか。特に「捨てたリモコンが再び戻って来る」シチュエーションなどは後者をほうふつとさせる(・ω・) また時間移動をコメディに絡ませるノリは『恋はデジャ・ヴ(1993)』に似てる感じ。
だが、観終わった後に感じるのはディケンズの名作「クリスマス・キャロル」・・或いは『3人のゴースト(1988)』へのオマージュみたいなモノ。描きたかったテーマは“リモコン”なんかじゃなく(←そりゃそうだ)“家族”だったようである。

「コントロールしてる筈の自分が実は逆にコントロールされてた」みたいな深い部分も面白いが、何と言ってもコメディ映画の醍醐味は“主人公を支える助演俳優陣”である☆ と私的に思うものだ。
本作の場合だと、彼の勤務する建築会社の社長であるエイマー氏。最初は「濃いおっさんやな〜」と漫然と眺めてたが、中盤でようやく気が付いた! ディヴィッド・ハッセルホフさんじゃありませんか!
いや〜、第2次性徴たけなわ(=^_^=)の頃、TVドラマ『ナイトライダー(1984-1988?)』を観てハマり、その主人公=マイケル・ナイト(を演じてたハッセルホフ氏、因みに吹替え:佐々木功氏)に憧れまくってた頃が確かにありました。あれは当時のメカ好き(?)少年にとってきっと“ハシカのようなもの”だったのでしょう・・(懐)
彼の出演を知ってからは、心の動揺がどうにも抑え切れず、ちとストーリーを追うのがおろそかになっちゃってたかも(⌒〜⌒ι)←カミングアウトじゃないよ!

最初に1年(2007年)、次に10年(2017年)、更にその後6年以上(2021年以降)・・と中盤以降、スゴい勢いで時間が早送りされる物語世界。ふと途中で最後は『アンドリューNDR114(1999)』みたいになっちゃうんかな〜とか不安にもなったり。
あ、それに近未来の肥満化社会を見越してか、マイケルが“クランプ化”するのがブラックな感じで楽しかった。クレジットによると、ファット系特殊メイクを手がけたのは“やはり”(『ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合(1996)』でも有名な)リック・ベイカー。今回はぶとりメイクに加え“皮ネタ”でも悪ノリしてくれてます(⌒〜⌒ι)

終盤にかけ
(1)父セオドア(テディ)が社長となったマイケルのオフィスに会いに来る(最後の)シーン
(2)マイケルが雨の中、息子ベンを追いかけ倒れるシーン
・・のそれぞれにボロボロ泣いてしまった(×_×) どちらも「家族の愛」がテーマになってるんだけど・・こう言う演出には実に弱いッス。
ちょいと下ネタ系が過剰気味だったり、小ネタが矢継ぎ早に出て来て、(耳と目で)追うのに疲れたりもするけど・・「ご多忙な世間のお父さん」に是非ご覧頂きたい作品である。

〜 ネタまとめ 〜

○マイケル・ナイト、本作では、殴られる。屁をこかれる。。兄弟を寝取られる。そしてモロッコへと発つ。。
○1年間のセクースが通算わずか「30分」のニューマン夫妻。そんなもんなのかな(・ω・) あんなに奥さん美人なのにん。
○またもやからかわれる日本人(日本企業)。「彼らは魚の焼き上がる時間さえ待てない」とか言われてましたで。・・にしても彼らが楽しみにしてる「TGIフライデーズ」って・・カジュアルレストランらしいけど、そんなに美味いんかいな??
○ソ※ーピクチャーズ作品なのに、劇中で無惨に輪禍されるロボット犬「ア※ボ」・・見事バラバラに(×_×) ←粗悪コピー品を(見せしめに)破壊するデモンストレーションか?
○「ええ声」のみで登場のジェームズ・アール・ジョーンズ。何だか『宇宙戦争(2005)』におけるモーガン・フリーマンの起用を連想(・ω・)
○2017年のカーラジオからは「ブリトニー・スピアーズ再婚」「マイケル・ジャクソン、性的虐待でクローンを告訴」などのニュースが踊る☆
○2020年以降の未来、マンハッタンには新たなツインタワーが! けど、雨が降ると・・人々はまだ「フツーの傘」なんぞ使ってるぅぅ(×_×)
○同じ頃、コリン・ファレルは超大物男優になってる?!
○原題は・・至ってシンプルな『CLiCK』。。それはそれでイケてたタイトルかも(・ω・)
○ヤンキース・松井秀喜選手もカメオ出演! なのかな??
○よく観たら違うんだけど・・妙にアダム・サンドラーとサミー・ナセリ(『TAXi(1997)』などに主演)の容貌がかぶって見える。。

追記:「パパはお前のためにあと200年は生きてみせるよ」・・父親の何気ない、たわい無いひと言を・・意外と子供って覚えているものらしいです。

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