☆『モナリザ・スマイル(2003)』☆
4日(水曜)の夜。久々に少しばかり残業をこなしてから帰宅した。
このトコロ、どうやら劇場に足を運び過ぎ(・ω・) “宝玉と駄石とを見分ける”眼力(?)が鈍って来たようにも思えるので、ちとブランクを置いてみようかな〜などと。
何にせよ、今夜は衛星第2でジュリア・ロバーツ主演の『モナリザ・スマイル』が放送されたので、期待しつつそちらを観た次第である。
※
1953年の秋。“良き妻、良き母となる女性を世の中へ送り出す”ために存在する名門=ウェルズリー大学(マサチューセッツ州)に、カリフォルニア出身の美術史講師=キャサリン・ワトソン(ジュリア)が赴任する。
自由人キャサリンは「憧れだった」ウェルズリーの教壇に立つ事がついに叶うも・・そここそは“当時のアメリカで最も保守的な大学”であったのだ。
彼女は持ち前の反骨精神と、独自の指導法で女学生らを導き“変革”を起こそうとするが・・彼女らとの距離が近付く半面、それはまた大学側の当惑&脅威の種にもなってゆくのだった・・
※
ジュリア・ロバーツ作品としては、彼女の“立ち位置”が明らかに後退してると言おうか・・そもそもが、彼女だけに脚光を当てた作品でもないように感じた。
女学生陣が、ジゼル・レヴィ(マギー・ギレンホール)、ベティ・ウォーレン(キルスティン・ダンスト)、ジョーン(ジュリア・スタイルズ)・・とピンポイントにすんごい面々なので、物語の演出面から考えても“ジュリア映画”には仕上げにくかったように感じる。
或いはジュリア自身の“トップ女優としてのオーラの噴出量”がやや弱まって来たってことやろか?
にしても、まさに“女性向け”ってテイストの1作ではあったようで、ワタシのようなおっさんからすれば「パンチ&メリハリに欠ける」「突出した美人キャラがいない」「劇中の“野郎キャラの存在”が押し並べて薄い」って辺りは、ややもすれば「ダレる要因」ともなった(×_×)
また、主人公が美術史の講師であることから、もっと“美術論”に偏った物語になるかと思いきや・・そんなに演出面の多くを占めてた訳でもないようで、やはり色々と「薄味」だった感は否めないかな、と。
ただ、男人禁制(?)の「女の園」における独特なエロトークがちらほら女性らの間で交わされたりもし、そこばかりはドキドキ出来て良かったかも(⌒〜⌒ι)
〜 こんなセリフもありましたな 〜
キャサリン「人は変わるわ・・私たちも」
「結婚しない関係だってあるわ」
「結婚が(あなたたちの)人生の目的じゃないわ」
「(女性に)与えられた役目って?」
「彼女たちは、まだ締め付けられてる」
「皮肉なことね。信念を貫いた孤高の画家(=ゴッホ)の絵
(=ひまわり)が、今では『お絵描きセット』の手軽な教材になってるなんて」
ベティ「ここは地方大学とは違うの。他に(教えることが)ないのなら、自習します」
「あの“ガラクタ芸術論”の先生ね」
「基準がなければ、名作か駄作かが判断出来ないわ」
「先生はうわべだけを見てるわ」
「夫婦はそれぞれなのよ」
「(夫は)愛してくれない・・私と寝てくれないのよ」
「物事は見かけとは違うのよ」
“彷徨うことは、無駄とは限らない”
ポール「独りだと生きてる気がしない、君もそうだろ?」
「はるばる会いに来たのに、ソファーで寝ろと?」
アマンダ「一体、誰が何を護ろうとしてるの?」
教授「カンバスに絵の具で染みを付けただけのものに、システィーナ礼拝堂(の天井画)と同じ価値があると?」
キャサリン「比較の問題じゃありません」
キャサリン「これは芸術かしら?」
女生徒「ただのスナップ写真では?」
キャサリン「そうね・・でももし、誰か有名な写真家が撮った1枚だとしたら?」
A「(避妊具の持ち込みは)違法では?」
B「これは“女性の味方”よ。ひょっとして、あなた処女なの?」
※「夫を“巧く操縦する”のが妻の仕事よ」
「大事なのは“夫に評価される”ことよ」
「紳士にもペ※スはあるわよ」
キャサリン「ここでは何でも決めつけるのね」
ベン「考える手間が省けるからね」
キャサリン「あなたの評論は丸写しよ」
ジョーン「引用です」
キャサリン「脅してるつもり?」
ベティ「教えてるの」
キャサリン「教えるのは、私よ」
スタン「原爆はもう古い。これからの時代はフロンガスだ。フロンはアメリカを変えるぞ」
追記1:監督のマイク・ニューウェルは、本作の次に『ハリー・ポッターと炎のゴブレット(2005)』を手がけたそうだ(・ω・)
追記2:ウェルズリー大学のOGとしては、ヒラリー・クリントン現(合衆国)国務長官、ノーラ・エフロン監督、エリザベス・シュー(女優)など。


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