2009年2月17日 (火)

☆『ミッドナイトイーグル(2007)』☆

15日(日曜)の夜。
「日曜洋画劇場」で“地上波初放送”された和製山岳サスペンス(?)『ミッドナイトイーグル』を観た。
大沢たかお主演による局地(?)テロリストもの。
全体的な雰囲気に『ホワイトアウト(2000)』やら『亡国のイージス(2005)』に通じるものがあったが・・それもその筈、両作のスタッフが再結集して完成させた作品でもあったそうだ。

戦場カメラマン・西崎(大沢)は4年前、中東の紛争地区で、目の前の少年が飛来したミサイルで吹き飛ぶ凄惨な現場に出くわし、衝撃を受ける。「写真で平和を訴える」と心に決め、世界各地を渡り歩いて来た彼だが、それ以降はカメラを半ば封印し、専ら国内各地の山を登ることに情熱を傾けて来た。

そんなある日、彼は北アルプス近郊でヒバーグ中(?)に、ステルス機が墜落する閃光を目撃する。

密かに軍事訓練を行っていたステルス機“B-5”に搭載されていた“何か”を巡り、周辺の自衛隊基地や、ひいては永田町(内閣府)が激震に包まれる・・

墜落現場に残された“何か”を回収すべく、渡良瀬総理(藤竜也)は陸幕長に命じ、名うてのレンジャー部隊を北アルプス・見岳沢へ向かわせる。
一方で、西崎の後輩でもある東洋新聞・松本支局の記者・落合(玉木宏)は、左遷の不名誉を挽回すべく、スクープをゲットせんと、西崎を伴い(=雇って)同様に見岳沢を目指すのだった。

だが、レンジャー部隊も、西崎たちも知らなかった。
某国の工作員によって構成された集団が、完全武装の上で“何か”に恐ろしい勢いで迫っていたことを・・

出だしの展開からして『ブロークン・アロー(1996)』の亜流みたいなもんかな、と感じたが、もっと自由度&娯楽性の低い、ややしょっぱいテイストの作品であった。。

主役となるステルス機“ミッドナイトイーグル”の造型、中盤以降の銃撃戦・・と見せ場ならば、沢山用意出来たハズなのに・・あらゆる場面を「吹雪」「雪原」が覆い隠してしまい、かなりヴィジュアル的に“観客の期待したモノ”が失われてしまう形となってしまった(×_×)
後半ではステルス機内に到達する面々もいたりするんだが、、何処となく「ニセモノ」っぽくて興醒めな感じ(の機内)にも映った。。

西崎の構えるカメラ(一眼レフ)のロゴが完全に黒く消されてて余計に気になったり、ヒロイン=有沢慶子(竹内結子)のぶっ放すチャカ(拳銃)が玩具っぽかったり、石黒賢演じる雑誌社(週刊WISE)編集長のキャラが何ともペラペラに見えたり、渡良瀬総理が必死に訴えようとするヒューマニズムがどうにも滑ってる感じだったり・・“総じて”どっかで「製作費を浮かせ、儲けとるヤツがおったのでは?!」と決め打ちたくなるトコロが正直あった。

(何処の国かは)何となく分かるが(=^_^=)、工作員を多数潜り込ませて来た「某国」に対する風刺(?)が甘く、かつ(山岳における)相手工作員側の(人間)ドラマの描写が殆ど0%(!)だったのは、ただただ消化不良に思えた。

更に細かいトコでは、雪原を「赤いジャケット(落合)」や「黒いジャケット(西崎)」を着てウロウロ歩き回る主人公らが、何故ラスト近くまで狙撃されずに生き残れたか? ってのも大いなる疑問だった(どう見ても民間人ぽいから容赦して貰えたんかな?)

オチも“衝撃的”な筈なのに「涙」じゃなく「疲労感」がどっと溢れたのだった。

「日本での“この手の”アクション映画には、やっぱ限界があるんやなぁ」としみじみ感じた2時間(とちょっと)だった(×_×)

〜 こんなセリフもありましたが 〜

西崎「ナパームは兵士だろうが、子供だろうが見境なく命を奪う」
  「必死に生きようとする子供たちの未来を一瞬にして奪う、それが戦争だ」
  「シャッターを切ることじゃ、たった1つの命さえ救えない」

佐伯「我々は軍隊ではない、自衛隊だ」

総理「・・民間人?!」
  「有沢慶子さんですね? 総理の渡良瀬です、初めまして」
  「残念ながら、全ての真実が国民の幸せと安全に繋がるとは限りません」
  「政治家の、唯一最大の責務は・・どんな手段をこうじても戦争を阻止することです」

落合「山は夏がいいですよね・・雪が溶けたら、また行きましょうよ」

※「西崎の写真を見て、誰もこんな眼に遭わせたくない、そのために自衛官になろうと決めた」

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2008年12月28日 (日)

☆『まあだだよ(1993)』☆

25日(木曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。

以前に“何気なく”TV鑑賞した覚えはあり、その時は「まったりしてるなぁ〜」と感じたに過ぎなかったが・・今回は流石に「今春から放送されて来た“没後10年・黒澤明特集〜全30作放送〜”のラストを飾る、監督の“文字通り”最後の作品」ってことで、確かに感慨深いモノがあった。

作家・内田百閒(1889-1971)の教師(=法政大学のドイツ語教授)生活引退後の半生(1943〜)を、かつての教え子らとの心温まる交流の日々を軸に描いた佳作ドラマ。
その作品(随筆など)で取り上げられた幾つかのエピソードを、軽妙に描いた造りなのだが、特に中盤以降で40〜50分ほどの時間を割いて丁寧に演出される“愛猫ノラを巡るハナシ”がとても良かった。

これはウィキペディアからの情報(の鵜呑み)で恐縮なのだが・・還暦の翌年から、門下生や主治医(=^_^=)らを集め毎年盛大に開催された誕生会「摩阿陀會(まあだかい)」は実在した集まりだそうだ。「ノラ(←野良猫からの命名)」「クルツ(←短い尾からの命名、Kurzは独語で“短い”の意)」なる飼い猫2匹の名もまた然り。

「私もどうやら、書いたものが売れるようになった」と意気軒昂に文壇に殴り込みをかけた(?)百閒(松村達雄)であるが、狙い通りの裕福な生活は実現しなかったようで、劇中では空襲で自宅は焼け落ちるわ、続いて住んだのがまさにアバラ屋だわ、となかなか波乱の作家人生だったようにも。。

アクションシーンを期待しても仕方のない(=^_^=)本作。
作家と教え子の織りなすドラマもむろん微笑ましいが、やはり秀逸なのは妻(香川京子)とのやり取りであろう。

馴れ初めは一切描かれないし、性的なシーンなぞ微塵も演出されないんだが、寄り添う2人の「オイ」「ハイハイ」な“つうかあの雰囲気”が素晴らしい。
(一見“亭主関白”に見えるんだが、当然ながら奥さんの方が“1枚も2枚も上手”なのだ(=^_^=))

また、普段は飄々としてて、毒舌で、ふざけてばかりで、掴みにくい性格の百閒なんだが「2シーンだけ」寡黙で弱虫な“素(す)”の彼が拝める所はメリハリが非常に効いていて良い!

・自宅で雷に襲われた時
・ノラがいなくなった時

ワタシも年を取ってしまったか・・後者(ノラ騒動)における百閒の憔悴し切った、女々しくも痛々しい様子には、ついウルウルと来てしまった(×_×)

後年には恐らく語り継がれぬであろう(文豪の周りの)凡な(←ある意味、名もなき)人々(妻や教え子)が・・実に、表面的な彼(百閒)の明るさの裏(=実像)を知る希有な存在だった・・ってな脚本は巧いし、徹底して客観的に描かれ続けた彼の内面(心中)に「最後の最後」に至ってようやく大胆に切り込む“あの映像演出”にも技巧的に感心させられるトコロがある。

ふと思ったのは、

・所ジョージ演じた“活気あるサラリーマン”の役を、若き日の植木等がやってたら、それはそれでパワフルだったろうし面白かったやろな〜。
・第1回「摩阿陀會」の冒頭、百閒が巨大ジョッキでビールを一気飲みする演出は「長回し(カット&映像切替なし)」で見せて欲しかったな〜。

ってトコかな。

にしてもあの“一気”は、その恐ろしさを知ってるワタシにはかなりの緊迫感を与えてくれた。。今のご時世では、ホントのところ「ちと配慮すべき表現」と言えるかも知れませんな・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

百閒「文士なんてそんなもんさ」
  “世の中に、人の来るこそ嬉しけれ、とは言うものの、お前ではなし” ←内田邸玄関の一首
  「こりゃまさに“干天の慈雨”だ」
  「人間生きてると、色々と持ち物が増えて困るよ」
  「昔の歌はいいねぇ・・私は昔の歌が大好きだ」
  「おいおい、そんな話は困るよ」
  「威張ってる重役は、じゅうえき(重役)にかけなければならない」
  「ここはまさに“金殿玉楼”だよ」
  「我ながら名案だと思うよ」
  「みんな、自分が本当に好きなもの、大切なものを見つけ、そのもののために努力しなさい。
   君たちはその時、努力したい何かを持っている筈だから」

教え子A「しかし先生、どうしてあんなに・・」
教え子B「先生は、感受性も想像力も俺たちとは違うんだ」

教え子A「良く眠ってる・・夢を見てるらしいよ、でも先生はどんな夢を見るのかなぁ」
教え子B「夢も“金無垢”だよ、きっと」

妻「主人のステッキを・・」

教え子「短いから祝辞だ。長いと弔辞になる」

追記1:戦後の焼け野原ぽいシーンは『素晴らしき日曜日(1947)』の終盤を想起させてくれる。
追記2:「女性の描き方を忘れはったんでは?」と心配になってしまった『影武者(1980)』鑑賞以降のクロサワ作品だったが、本作は「描き過ぎず、かと言って足りない訳でもなく」巧いと感じた。まさに“クロサワ印ドラマの総決算”な1本と言えよう(念のためも1回書いときますが(=^_^=)・・アクションシーンはないッスよ!)。

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2008年9月 6日 (土)

☆『舞妓Haaaan!!!(2007)』☆

さる29日(金曜)の夜、地上波初放送された“クドカン(宮藤官九郎)脚本”による舞妓モノ映画『舞妓Haaaan!!!』を観た。

公開当時、劇場で観て、それなりに良い印象を持った本作だが・・流石に「CMで寸断されまくり」「微妙なカットありまくり」だとなかなか作品世界に入り込めないモノであるな。。

初めて観た時の感動(?)は過去の記事を併読頂くとして、今回は「思ったこと」に焦点を絞って少し書いてみるにとどめる。

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/13/index.html

※上記リンクの下方にある「2007年8月18日」の記事です。

やはり“舞妓オタク道”を爆走する主人公=鬼塚公彦(阿部サダヲ)の弾けっぷりが楽しい。あそこまでオタクな公ちゃん(=公彦)が、いざ花街にやって来てから「一見さんお断り」の大原則を思い出すってのは、絶対におかしいと思うんだが(=^_^=)・・ま、そこを突っ込むとあのミュージカルシーンも成立しませんし。。

・強いオタクが潜在能力を爆発させると・・!
・オタクが情熱を仕事面で爆発させると・・!
・脳内で日時&金銭感覚の欠落してるオタクぶり
・オタクは髪型&服装に何らこだわらない
・アクティブなオタクは家になんかこもらない

などと言った主人公の言動は「オタクに秘められた可能性」や「オタクならではの悲しき生態」を優しくかつ厳しく描いており、嬉しいやら恥ずかしいやらだった(⌒〜⌒ι)

君ちゃん以外に「もう1人の舞妓オタク(後継者?)」もまた育ちつつあった本作だが・・考えたら、元々あの店(=卯筒)にいたベテランの“下足番”さんも元々は「舞妓オタク」だった可能性があるよな〜と気づいた今回。

なお、次の人生がまたあるとすれば「余暇にバッティングセンターに通い、掌にマメをこしらえるぐらい振り回してみよう」とも思った次第(・ω・)
何やら自分の“違った可能性の芽”が伸びて来るかも知れませんし(=^_^=)

「そんなことってあるんですよねぇ〜」

〜 こんなセリフもありました 〜

ぼん「もうお人形さんみたいですわ」
  「もう死んでもええわぁ〜」
  「京都と三重の歯ぎしりは、全然違う」
  「12年目の春どすえ〜!」
  「(花街は)銀座のクラブよりもリーズナブルです・・行った事ないから分かんねぇけど」
  「一生かやく作って生きるのか? “かやく社員”か俺は?」
  「こんなことってあるんですねぇ~」
  「楽しい! ナムコワ※ダーエッグの100倍楽しい!」
  「結果、出したろやないけ!」
  「素材が良ければ・・飾る必要なんかおまへん」
  「もういいよ! もういいだろ!」
  「だって・・始まったら、終わっちゃうってことじゃないですか?
   来るってことは、帰っちゃうってことじゃないですか?」
  「あいつ、明らかに僕らより楽しんでましたよね?」
  「人間“眠ってる才能”ちぅのがあるもんやね」
  「年内に完成しないとカンヌに持って行けないよ!」
  「京都は日本の宝だ〜っ!」
  「忘れられます・・出来ます! 阿呆やもん!」
  「いいです、(野球拳って)泣きながらするもんじゃないし」
  「楽しいです! ・・ウソです、正直思ってた程楽しくなかった」
  「好きとか嫌いやないよ!」

ナイキ「ふん、喰いつきよったで」
   「カッパやカッパ!」
   「のし上がるこっちゃ、ええ思いしたいならな」
   「どや? 年俸8億のバットは」 ←“年棒”と“肉棒”を引っ掛けてるんですねぇ〜(解説せんでええて!)
   「決起盛んな遺伝子が姉さんの“ミット”にバシッと決まったんや」
   「アレはあったらあかんて、おい」

ぼん「どうかお伴を」
鈴木社長「よし、気に入った! ・・と言うとでも思ったか、この馬鹿者」

駒富士「あんなよぼよぼの爺さんとも・・するんですか?」
   「三味線もお囃子もありまへんけど、アカペラでもよろしいやろ?」
   「なに弱音、吐いてはんの!」
   「何だったんだろ、私の京都・・」

医師「胃潰瘍、尿管結石にヘルペス・・即、手術やね・・んん」

千崎「一緒に走って行こ思たら、追い抜いてもうたわ」

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2008年6月 9日 (月)

☆『地下鉄(メトロ)に乗って(2006)』☆

8日(日曜)の夜『日曜洋画劇場』で地上波初放送されたモノを観た。
浅田次郎氏の原作小説を映画化した作品。まぁいわゆる“タイムトラベルもの”なんだが、そこに昨今ブームの“昭和期のレトロ世界観”を巧く練り込んで造っていた。

少年時代、優秀な兄・昭一を“不慮の事故”で失った主人公=小沼真次(堤真一)は、今は家族(小沼家)を棄て、長谷部真次(母方の姓)を名乗って、東京・神田の「岡村衣料商会」で正絹女性下着の営業販売をしている。そんなある日、弟・圭三から「父・佐吉(大手企業=小沼産業の創業者)が動脈瘤破裂&肝臓の腫瘍で緊急入院した」との連絡を受ける。

未だ“兄を死に追いやり、家庭を顧みなかった男”として父を許せないでいる真次は見舞いに行くべきかどうかを思案していたが・・そんな中「永田町駅」の階段を上がり地上に昇った彼は、眼の前に広がる“見慣れぬ風景”に呆然とする・・それは東京オリンピック開催(1964)に湧く“かつての東京”の姿であった。
そして彼は(タイムスリップした)その日、その夜こそが兄・昭一の亡くなった“昭和39年10月5日”である事を知る。直後“すれ違うように駅のエスカレータを昇ってゆく兄の背中”を見つけ、真次は思わずその後を追うのだった・・

う〜・・ん、ネタが“タイムトラベルもの”である時点で「物語世界に手垢がこびり付いてるんじゃない?」と思わされたもんだが、、後半で思いがけぬ“真相”が明かされ、その演出に何となく説得されちゃったワタシだった(⌒〜⌒ι)

過去に飛び「死ぬ運命の人間を救う」と言う主人公の行動は、こと映画において(?)は奏功した試しが存外少ないように思うが・・反対に「生きていた筈の人間が(過去に死んだために)いなくなる」と言う喪失感は、もの凄いモノがあると思う。
それ故、何となく(変わってしまった)運命を受け入れ、すぐ立ち直ってしまう主人公の姿には違和感を覚えてしまった。

前半は「兄」、中盤で「若き日の父」と絡み、終盤でいよいよ「軸となる人物」との関係が明らかになって行く流れであるが、真次の「現在の生活」を合間に見せられる我々としては「何とか・・真相がそうであったにせよ、元のノンシャラン(←仏語らしい!)とした生活に戻れなかったもんかのぉ・・」と感じてしまう訳だ。特にワタシは男なもんで(・ω・)

ときに、一度(退職後or解雇後(げ!)にでも)学んでみたいのが「タイムマシン理論」だったりする。今まで観て来た“その手の”映画の中では、

・異なる時間の中でも「自分が同時に2人」存在する
・異なる時間の中では「自分は同時に2人」存在しない

の2パターンに大別されると思うんだが、それを「作品ごと」「監督ごと」などに分類し系統立て、(作品の)製作された時代の「諸学説との関係」も含め研究してみるのも面白いやろな、と。

今のトコ、他人の時間を研究するまでの時間的余裕には(幸いながら?)恵まれていないんだけど・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

野平教諭「地下鉄なら、乗り継いで行けば、どう廻っても帰れる」
    「この歳になれば、焦る理由もない」

岡村会長「過去を変えると、どっかに必ず歪みが出る」

みち子「あなたは、誰からも忘れられてない」

アムール「ナリのいいヤツは信用出来る、ハラの減ってるヤツは駄目だ」

佐吉「満州ならまだいいが、南方に持って行かれたら・・玉砕だ」
  「テキの弾に当たって、命とられるまでは生きろ!」

お時「親ってもんはね、自分の幸せを子供に求めたりはしないものよ。
   ・・自分の好きな人を幸せにしてやりな」

追記1:仕方ないトコロではあるも「真次の奥さん」「終盤に登場する女性事務員」の2人のキャラの印象や用いられ方が、余りにも薄く可哀想だった。彼女らにもきっと有ったであろう“何らかのドラマの存在”を少しなりと匂わせて欲しかった。
追記2:前半の喫茶店のシーンで、映像の奥に原作者(浅田氏)と思しき姿が一瞬写ってて苦笑させられた。「自身の出演」が映像化の条件だったんやろか・・
追記3:何かの意味を持つかのように、主人公の前に現れる老教師・野平(田中泯)。彼が“タイムトンネルの門番”みたいな存在だったんだろうか?
追記4:地下道を昇ると過去、降りると現在ってことで「逆に、降りて行って現代に迷い込んだヤツもおったのでは?!」と妙に不安になってしまった。。
追記5:過去における“干渉”の結果、現在に存在すべき人物が不在となる・・と言う演出が本作のクライマックスなんだが、、そう言う場合、それに併せ「立ち会った人間の記憶」もまた消えてしまうもんじゃないんだろうか? その辺りが(観てて)一番悩んでしまうトコでもあるのだ、この手の物語では(×_×)
追記6:過去から現在へも、公衆電話を介して通話出来るのが凄かった(=^_^=)
追記7:本作を観てからこっち「ケチャップかけ放題のオムレツ」が食べたくて仕方がない(⌒〜⌒ι) 昼休みに(時間的)余裕を持って喰えるようなお店はないのかしらん、、

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2008年1月15日 (火)

☆『殯の森(2007)』☆

14日(月曜・祝日)の夜。
早くも衛星第2ちゃんねるで放送された邦画(正式には日仏合作)『殯(もがり)の森』を期待しつつ観た☆ コレは(調べる努力を怠ってた)自身に非があるんだが「いつ、何処で上映されてるのか」すら把握出来てないまま、ワタシの中で何となく“第2次・河瀬フィーバー”が過ぎて行ったような、そんな感じだった公開当時。

第60回カンヌ国際映画祭で「審査員特別グランプリ」に輝いた本作。ワタシ自身、本作の監督・脚本を手がけた河瀬直美さんについては・・初期作品『につつまれて(1992)』と『かたつもり(1994)』を観て、「この調子で頑張って欲しいな〜」と願い、直後の『萌の朱雀(1997)』における大ブレイク(いわゆる“第1次・河瀬フィーバー”)を心から祝福した1人ではあるので、その後の「揺り返し(≒反動)」を他人事ながら、かなり気にしていたのだった。

※そう言えば『萌の〜』の頃、同監督のトークショーに一度参加し、当時のマネジャーの方に(厚かましくも)名刺を頂戴したものであった。未だ、大物になることが出来ず、かたじけない、、(×_×)

奈良の山間部にある集団介護施設(グループホーム)を舞台に、“妻を亡くして33年となるも、未だその事実を受け入れられていない”認知症老人・しげき(うだしげき)と、“我が子を失い、未だその失意から回復出来ていない”新米介護福祉士・真千子(尾野真知子)の交流を描いた物語。

※「老いと死を正面から静かに見つめた物語」ともナレーターにより解説されていた。

前半で、大まかな物語世界や主人公である2人の過去&現在の境遇が客観的な映像やセリフで描かれる。
中盤以降は、連れ立って出かけた2人が、ひょんな成り行きから山中をひたすらさまよう展開になだれ込む。

河瀬監督ならでは、と言おうか・・何とも不思議な作風である。カメラが半ば強引に、演者の懐に飛び込み、彼らの手元や横顔を舐めるように写すのだが・・それがあくまで客観的であり、特に何のメッセージも発信してはいないのだ。
で、映像が何も語らないが故、観客は自発的に思考を巡らせて、

「ああ、これは人々の“生”の表現なんやな」

などと、それぞれの解釈を進めなければならない。

2人が「ぶつかり合いながらも交流し、そして山中で迷う」と言うことだけならばもっと脚本を絞って、短い時間にまとめられたのでは?・・とも感じるんだが、そこをある意味“冗長”に描いているため、そこにも何かメッセージが隠されているのでは? と考えを巡らされたり。

本作に対し、私的には『萌の〜』からこっち「“深い”んだけれども“進み易い”方向」に作風が向かったな〜と言う、複雑な思いを抱いてしまった。
音楽的なアーティストに例えるなら「中規模のホールで大成功し、次はドーム規模のツアー狙いかな? と思いきや、地下のライブハウスに行きました。。でも、演奏はより研ぎ澄まされてるよなぁ」・・って印象(⌒〜⌒ι)

「素晴らしい!」とうならせたのは冒頭、「森林のざわめき」をただ静かに映し出したショット、そしてそれに続く「遠くから写された野辺の葬列」なるシチュエーション。ワタシだけではないと思うが、クロサワ作品『蜘蛛巣城(1957)』や『夢(1990)』における映像表現を連想させる。

※尤も『蜘蛛巣城』はモノクロ作品なのだが。

前半こそ「これは現実だ」と確信させてくれる世界観は、次第に「夢かも?」との不安感を観客に与え始める。そこに至る仕掛けも決して不自然ではなく「第三者が全く現れない」「携帯電話(=文明)も“そこ”では役に立たなくなる」と言った幾つかの演出により、自然に「殯の森、或いは幽界」へと観る者を誘(いざな)うのだ。

が、その「イイ雰囲気の世界」を成立させてた中に「農道に電柱が林立していた」「森の上空を飛ぶ※※の音が鳴り響いた」って辺りが“妙な雑観・雑音”に思え、ワタシにはすこぶる残念に思えた。
前者は、ある部分“意識的”な程に「山の稜線に“鉄塔”が写り込む」のを排してたのに、と。
後者は、特になくても良かった演出だし、却って不安感&絶望感をあおるだけだったような、と。

ラストは『萌の〜』を想起させるような「何かが“昇天”して、天に帰ってゆきます・・」的なカメラワークだった。真千子が“上空”を安らぎの表情で見上げるのだが、一方のしげきの姿と対比すると、これまた、色々と考えが回る訳である(・ω・)

で、ワタシとしては、
「“生”と“死”は、絶妙なバランスで(実は常に)隣り合わせにある」
「森林には、その深みに足を踏み入れた者のみが知り得る“表情”がある」
「極限の状況に於いてさえ、女性は“菩薩(女人菩薩)”たり得る」
などと、掴みドコロを探りつつ、掴んだ。そんな感じである。

〜 こんなセリフも良かったです 〜

先輩「こうせなあかんってこと、ないから。・・ん?」 ←この「ん?」の言い回しが良い☆
真千子「何でそんなん言うんですか?」
先輩「好きな人が、言ってくれた」

真千子「私は、生きてんのかなぁ」

追記1:ピアノで弾く「即興曲(?)」がなかなか良かった☆
追記2:しげき爺さんのゴツゴツした腕&手の表情(?)が印象的。何となく、まだまだ“性的に枯れてない”気がした(←おい)。。
追記3:中盤、森の中で傍の木が倒れ、真千子がナチュラルに驚くシーンが。あれって「偶然の産物」だったんだろうか?
私的には“『大日本人(2007)』路線”と呼びたいトコだが(=^_^=)
追記4:ラストで、【殯(もがり)】敬う人の死を惜しみ、しのぶ時間、またはその場所のこと・・と解説が表示されるが、アレを冒頭に持って来たら『呪怨/劇場版(2002)』のノリやな〜と思った(⌒〜⌒ι)

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2008年1月12日 (土)

☆『マリと仔犬の物語』☆

妙に長くしんどい「年明けの1週間」がようやっと終わった(・ω・) 「ここらで自身を労(ねぎら)っといてやるかな〜」と考え、退社後に梅田方面へと繰り出した☆
昨日、家人が観に行って「ナミダした」と言う1作・・『マリと仔犬の物語』を観に向かったのは、ナビオ(一部の店舗以外は休業中)の上層階にある「TOHOシネマズ」である。

う〜ん・・きっと我慢して待てば、今年中には(早くも)テレビ放送されそな、そんな気配も濃厚なんだが(⌒〜⌒ι)「パワーを付けて来た邦画」の中でも「最も得意とするジャンルたる“人情”+“動物”モノ」ってことで、敢えて『アイ・アム・レジェンド』を候補から蹴落し(=^_^=)観ることに決めた次第。

物語の舞台は2003年秋の新潟県山古志(やまこし)村。「棚田」「錦鯉」「闘牛」などで有名な山間の村である。
母親・幸子(さちこ)を病気で失った石川家は、近いうちに(隣接する)長岡市との合併を控え、その準備に忙しい(役場勤務の)父・優一(船越英一郎)、その父・優造(宇津井健)、優一の2人の子・亮太(兄)&彩(妹)の4人が昔ながらの木造家屋で慎ましく暮す一家であった。

間もなく5歳の誕生日を迎える彩は、そのプレゼントとし、遊び場にしてる原っぱで見つけた「捨て犬」を飼って貰うよう祖父(優造)にせがむ。可愛い孫の頼みとあれば断る訳にも行かず・・石川家にはこの小犬「マリ」が新たな家族の一員としてあたたかく迎え入れられたのだった(序盤では「優一は犬が大の苦手」ちぅ設定が用意されてたが、何なくその問題はクリアされた・・)。

優造は齢(よわい)70を越え、右膝の痛みのため自室にこもることが多くなっていた。「やすらぎの里」なる高齢者介護施設のパンフレットを取り寄せたりする優造。
優一は父に内緒で、通勤&通学の便が良い長岡市内のバリアフリーマンションへの転居を具体的に考えている。
幼い兄妹はそんなそぶりも(父に)見せないながら・・母のいない毎日に寂しい思いをつのらせていたのだった。
そうしている内にも「マリ」はすくすく育ち、3匹の小犬「グー」「チョキ」「パー」を出産、母犬としての貫禄を備えつつあった。

2004年10月、後に「新潟県中越地震」と名付けられた天災が容赦なく山古志村を襲った。
自宅にいた優造と彩は家屋の倒壊に巻き込まれ動けなくなる。死を覚悟する2人だったが、(道路が寸断され“陸の孤島”と化した)現地にいち早くヘリで駆け付けた自衛隊員・安田(高嶋政伸)を石川家(倒壊後)に案内したのは・・何と「マリ」であった。
九死に一生を得た2人は救出され、優造は長岡市内の病院へ、彩は市内に設けられた避難所へ向かう。だが、人命優先の大前提があり「マリ」と小犬たちはヘリに収容されることはなかった。村道を必死でヘリを追う眼下の「マリ」の姿に、機上から泣き叫ぶ彩。

そして、村に残された「マリと小犬たち」の生き残りをかけた冒険が始まるのだった・・ってな流れ。


家人が言うには「ヘリを追いかけるマリの姿に、とにかく涙が止まらなかった」とのことなんだが、ワタシは“そこ”はあまり「来なく」て、倒壊した家屋で(それまで飄々とした言動を振りまいて来た)爺さまが、じわじわ迫る死を覚悟しつつ、恐らくは・・生まれて初めて神仏に祈る、

優造「神様・・まだこの子だけは連れて行かんでくれ・・!」

ってセリフがかなり心にのしかかった。神様がいたら、こんな悲惨な災害を敢えてこの地にもたらすこともない訳で、本心からすれば「神がいたら・・ぶん殴ってやりたい」ぐらいの気持ちだった筈なのに、そこを嘆願せざるを得ない、そんな悲しさがグッとワタシの心に迫った訳だ。

面白いと言えば本作、助演俳優陣の言動&雰囲気が結構「いつもと違う」印象があったりして楽しめた。地震発生と同時に即死しちゃう蛭子能収。もっと「美味しい立場」であるハズなのに、地味なまま終わって行った徳井優。義兄との関係が良く分かんないけど、何となくこの先“肉体関係に発展”しちゃいそうな雰囲気(←知らんがな!)を漂わせてた冴子役の松本明子。
そして、特筆すべきは・・高島(弟)! 何と言おうか・・「常に何者かが憑依してるかのような」独特な“眼”の表情&演技(なのか?)があった。どっかおかしかったぞ、安田班長のあの目付きってば。。

製作陣がパンフレットで「本作は決して“パニック映画(=ディザスター・ムーヴィー:災害モノ)”ではなく、描写する映像&演出には正確さと誠実さを心がけた」と記している地震のシーン。屋内据え置きのカメラワークがメインだったが、流石にキツかった。
優造や彩が「地震だ!」とか具体的に(自らの置かれた)状況を口に出すことも一切なく、そこが妙にリアルだった。
きっと実際「何か突然に大変なことが起こったんだろうが、そんなことより全身に覆いかぶさってるこの重い存在を何とかして欲しい」ぐらいしか直感的・本能的に思考が回らないんじゃないかと思う。

「何が村に起こるのか?」を、観る前から知っている観客ではあるが、その到来を予想させる「野鳥(カラス?)の大移動」「妙におどろおどろしい暗雲」などの“フリ”も演出的にはスリリングで良かった(あの手の演出って、やり過ぎると“逆効果”なので、さじ加減が実に難しい!)。

ってことで、武田鉄矢的には「子供と動物には勝てないよネ☆」とかおっしゃることだろうが、私的には「宇津井と(上空から小犬たちに襲いかかる)カラスのCG演出(たぶん)には勝てないよネ☆」と言いたいトコである。

〜 こんなトコも言わせておくれ 〜

・幼犬時代の「マリ」がメチャメチャ可愛い。すぐに成犬になっちゃうが・・(この幼犬「マリ」が3匹の小犬のどれかを“そのまま(引き続き)演じてる”んじゃないかと勘ぐったり(=^_^=))
・「マリ」を捨てた飼い主は誰?(エリア的に“村民の誰か”には違いあるまい(・ω・))
・「マリ」を妊娠させたのは誰?
・劇中で殆ど彩たちにその名を呼ばれなかった「グー」「チョキ」「パー」。。一応、彼らもまた「主役格」なのに??
・久々に(現代が舞台の)映画の中で「蚊帳」を眼にした
・『催眠(1999)』以来であるが、宇津井さんの存在感は流石になかなか☆
「小犬を(上着の)懐に隠し帰宅したトコ、息子に見つかり詰問(?)される」ってシーンでは、折角なので

優一「何を隠してるんだよ、親父?」
優造「知りたいか? ・・だが、今は言えん」

などと「往年の決めゼリフ」を放って欲しかった(=^_^=)

・エンドロールで気になったのが「船越英一郎担当ヘア・メイク」ってクレジットなんだが・・。。
・久石譲によるスコア(楽曲)。出だしの部分が「ブラームスの子守歌(?)」に酷似してた気がする(・ω・)

〜 このセリフが良かった 〜

優一「これから先、もっともっと“仕方ないこと”や“どうにもならないこと”に出会うだろう。
   そして、それを乗り越えて行くことが“生きてゆく”ってことなんだ・・少し難しいか?」

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2007年8月18日 (土)

☆『舞妓Haaaan!!!!』☆

盆休み期間にも関わらず、押し寄せる書類やら連日の残業やらに(ある意味いつも以上に?)苦しめられた今週。
「結局休めなかった」「年齢的に、もはや気合でどうにかなるもんじゃないと悟った」ってのがあり、膝も痛むし肩も凝るし眼も疲れるし集中力も低下したまんまだ(×_×)

こんな調子じゃ、来週は乗り切れんぞ! ってことで、多少早めに残業を切り上げさせて頂き、梅田へ繰り出した。
今週だけでも『ボルベール/帰郷』と『憑神』を観れぬままに、その公開終了を見送ってしまった(×_×) ってことで「もうコレしかないっしょ!」と笑える(?)作品『舞妓Haaaan!!!!』を観に梅田・三番街へと急いだ。

宮藤官九郎(=クドカン)脚本、阿部サダヲ・堤真一・柴咲コウ・・ら出演(競演?)による「ハチャメチャ舞根(まいこん)ムービー」である。コレがスポーツ系だと“スポ根”なる呼び方が相応しいトコだろうが、本作の場合“舞妓根性”の方がより上位に位置してるので、“舞根モノ”と勝手に命名させて頂く。
「こんにちは舞根(マイコン)」なんちて。←そんな名前の(PC啓蒙)コミックが昔ありました(・ω・)> ←歳バレる・・

主人公・鬼塚公彦(阿部)(愛称:ぼん、キミちゃん)は埼玉県熊谷市出身のサラリーマン。高校時代の修学旅行先が「京都」であった因縁(?)により、彼は自然な成り行き(?)で「花街」「舞妓はん」に“たった一度の人生(=^_^=)”をのめり込ませて行く。
カップ麺の製造&販売会社「すゞや食品」の東京本社に(入社以来)10年勤務する彼には、オフの時間をフル活用し『ぼんの舞妓日記』なるホームページを運営、管理人として“マニア道”をひた走る一面があった。

そのホームページを“荒らし”に来る「ナイキ」なる人物に自らの尊厳&情熱を傷つけられ「殺!」と怒る鬼塚だったが、そこに「渡りに船」ってな具合に「京都支社ヘ転勤セヨ」の内示が・・彼は新幹線での移動時間ももどかしく(=^_^=) 付き合ってる同僚の女性社員・大沢富士子(柴咲)をあっさり振って「京都入り」するのだった・・

K都銀行のATMで預金を下ろし、キャッシングマシン「無人さん」(←実は「無人じゃない」演出が冴える!)で軍資金を整えた彼は「お茶屋・卯筒」に突入、念願の「お座敷遊び」に興じようとするも・・「一見さんお断り」なる“鉄壁のルール”に阻まれ、あえなく退散せざるを得なくなる。。

そんな折、自作ページの掲載画像にたまたま映り込んでいた“おっさん”が、(自社の)鈴木社長(伊東四朗)であることにふと気付いた鬼塚は、彼に近づき「卯筒に同伴入店」しようと狙うも・・社長が発したひと言は「褒美が欲しければ、結果を出せ!」なる、キビシくも至極真っ当(=^_^=)な一喝であった。

「やったろうやないかい!」と、いきなし商品開発に燃える鬼塚。
一方その頃、フラれてしまった富士子は・・退社の意向を固めつつ、「舞妓にしか興味がない元カレ」を見返すため「とある一大決心」をするのだった。

また一方で、「ナイキ」の正体が“年棒8億円のプロ野球選手(神戸グラスホッパーズ所属)”内藤貴一郎(堤)であることが判明!
・・かくして京都の花街を舞台に鬼塚・内藤、そして富士子の“三つ巴バトル”が加速してゆく・・!!!! ってな展開。

主人公を演じる阿部サダヲと言う男の言動をまず楽しめるか?? が観客に真っ先に突き付けられる問い(←ビニール傘の先端のように尖っている(=^_^=))なので、そこをクリア出来るかどうかが問題かも知れぬ。
その辺は(同じくクドカン脚本作の)『ピンポン(2002)』にも共通するトコかも(・ω・) ワタシは意外に(?)そこはすんなりクリア出来たんで、全然問題はなかったかな(=^_^=)
あ、誰も言わないことだけど・・阿部サダヲを観てて、若い頃の砂川啓介氏を何処となく連想してしまった。中でも俄然インパクトのあったのは特撮ドラマ『超人バロム・1(1970)』でメチャメチャテンションを上げ、怪演に華を咲かせていた青年時代の砂川氏の姿である(・ω・)

猪突猛進型の主人公が、その情熱&パワーを爆発させるが故に、彼に関わる多くの人々が「大きなうねりに巻き込まれ、やがて変わってゆく」と言うノリが最高にパワフルかつハッピーで面白い!
ライバルへの対抗心による相乗効果で、内藤は思いもよらぬ立場の人物に変貌を遂げるし、鈴木社長も(表面的には鬼塚を半ば軽蔑しつつ(=^_^=))彼を窮地から救い出すために数千万円の現金を惜しげもなく(←あ、惜しがってたか(=^_^=))払おうとしたりする。
それは「舞妓道」に目覚める富士子や、彼なりに愛社精神を再燃させるに至る(?)先崎(=京都支社の生産管理部長)(生瀬勝久)も同様であろう。

中でも、彼の情熱(アホさ)を「ホンマもんやわ!」と感心させられた会話があった。
京都でばったり富士子と出会うシーンでのやり取りだ。

富「こっちに帰って来てて・・お盆だから」
鬼「今って盆休みなの?」
富「知らないの?」
鬼「知らない、オレ舞妓はん以外に興味ねぇから」

一般常識的には「空気が読めないヤツ」「暦を体感出来てないヤツ」「自分が殆ど裸であることにすら気付いてないヤツ」「成功し大金が転がり込もうとも、そこで情熱に全くブレーキのかからないヤツ」などは「常軌を逸しているとしか・・」と評すべきだろうが、その荒唐無稽(≒ハチャメチャ)な行動こそが「型にはめられ、がんじがらめの人生に流されている周囲の一般人(常識人)」を引きつけ、波紋を及ぼし、そして少しずつ変えて行くのかもな〜としみじみ感じた次第だ。

クドカンならではの「行き当たりばったり的かよ!」と思わせる脚本もパワフルでスゴく、
京都ロケを殊更にアピールしている序盤に始まり、CG満載で密室的にチャットを繰り出す前半、いきなりミュージカル映像と化したり(←結局、目立つミュージカルシーンはここだけ。。「飽きたかクドカン、お前はチャウ・シンチーか」とツッコんで良いかなと(=^_^=))、見習い舞妓はん(=仕込みさん)の修行(日常)を解説するシーンあり、ライトタッチなエロト〜クあり、株主総会での強引なプレゼンテーションや、うさん臭い(=^_^=)映画撮影現場でのシーンも盛り込んでくれる。

更に中盤を越えると・・ぐんぐん物語が大河ドラマ的に流れて行く展開がすごい!

そこでは、成功の過程なんぞは見事にはしょられ、我々観客は「スポーツ新聞の見出し」の大写しに、ただ想像力を膨らませるしかないのである(=^_^=) 後半で世界は2010年に突入し、終盤では更にそれから10年以上が経過しているようす(・ω・)

細部を突っ込むとキリがない気もするが、それすらも“無粋”と思わせる(=^_^=)クドカンマジックに「やられたなぁ〜」と完敗宣言である。

・人生に本当に必要なのは、大金でなく「盲信的な、果てなき夢」と「切磋琢磨し合えるライバル」なのかも
・「生き方の眩しいヤツ」につい投資したくのが人情なのかも(≒“異端児”は周囲が放っておかない)
・「バッティングセンター通い」が意外に自身の潜在(的運動)能力に火を点けるかも(=^_^=)
・「お座敷の下足番」にも、背負って来た壮大なドラマがある

なんてなことも本作で学べた気がします。ほんま、おおきに・・(=^_^=)

〜 こんなセリフが熱かった!!!! 〜

鬼塚「始まっちゃうってことは、終わっちゃうってことじゃないですか」
  「好きとか嫌いとかじゃないんだよ」
  「自分の好きなものに、誇りを持とうと思ったんだ」

内藤「エエ思いしよ、思ぅたら・・のし上がらんかい!」
  「人間には“眠っとる才能”ちぅのがあるもんや」
  「実家に帰っても寛げん男は・・一体どこへ行ったらエエんや」

※堤真一さんの「遊び慣れた雰囲気」の黒乳首(エロ乳首)が眺め放題ッス!(=^_^=) 脇毛も拝めます(ぐぇ〜)

社長「卓越したアイデアとは、この男のような“おかしな頭”から生まれる」←最大級の褒め言葉(=^_^=)

富士子「何だったんだろ・・私の京都・・」

内藤「どや、年商8億の“バット”は・・握ってみぃ」
駒富士「なんや、“ショートホープ”や思たわ」

↑全体的に堤はんは「火傷に鈍感」でおすなぁ・・(・ω・)

〜 クドカンの「狙い」を感じた色々 〜

■先崎(センザキ)なる登場人物名と、劇中に登場する大作邦画『山猿』
■某三谷(幸喜)作品を意識した『有頂天時代劇』なる邦画(←元ネタは『有頂天時代(1936)』)
■鬼塚なる“異端児”はくだんの『ピンポン』で個性的な主人公を好演した俳優・窪塚洋介を意識した名なのか・・?(ヘアスタイルも何となく路線が似てるし(・ω・))
■富士子との肉体関係を匂わせる(⌒〜⌒ι)鬼塚の自室シーン。「生涯モテナイーズ(not京都オイデヤース)」の一員としては狂喜すべきトコロか(=^_^=)
■八坂界隈に巨大ドームが出現! それって「高さ制限」は大丈夫なのか(=^_^=) ←CG合成です。
(因みに「京セラドーム大阪」だと屋根の高さが約72mとのこと(・ω・)>)
■西陣の社長・斉藤老人役で植木等さんが客演。某キャラに「じじい」呼ばわりされてるのがスゴい。。
(ラストで追悼コメント字幕が表示されてました)
※私的には『新・喜びも悲しみも幾年月(1986)』での助演が、ある意味植木さんの“遺作”だと解釈している(・ω・)
■コメディ作品に有りがちな「主人公(=鬼塚)の家族ネタ」に一切逃げてない脚本は素晴らしかった!

結論:概ね、ワタシの評価は高い。「一時的にせよ、パワーを貰えた気がした」からである。反面、私的にはこんなことも感じた次第だ。

△鬼塚と富士子の「恋愛コメディ」としての一面をもっと貫いて欲しかった(あれでは「三重女」が納得せんだろう(=^_^=))
△若い舞妓はん(=駒子さん姉さん)のキャラがちょっと好かなかった。。後でプロフィール画像(not舞妓はんヴァージョン)を観てみると、充分に可愛いのだが・・白粉を着けるとどうにもワタシの趣味に合わなかった(×_×)
△近年の邦画(かつ現代劇)で「頬かむりしてるヤツ」を観たのはかなり珍しい気が(=^_^=) 余計に目立つってばよ!

さぁ、阿部サダヲ・・『マスク(1994)』のジム・キャリー、『フォレスト・ガンプ/一期一会(1996)』のトム・ハンクス、『ピンポン』の窪塚に勝るとも劣らない「強烈な個性溢れる代表作」をぶっ立てたのはイイが・・お次にどう出るのかな??

※ホームページ『ぼんの舞妓日記』・・きっと物語の中盤ぐらいで、その更新がストップしてしまってるように推察される。。

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2007年7月29日 (日)

☆『ミニパト(2001)』☆

11日(水曜)の鑑賞。 ・・と言うメモを発見←おお古っ。。
この夜、衛星第2で放送のアニメ作品『迷宮物語(1986)』に引き続いて流れた『ミニパト』を(予備知識ゼロ状態で)観てみた次第。
『機動警察パトレイバー』の更にディープな(?)ネタを取り上げ、デフォルメ化されたキャラが手抜きっぽい作画を背景に蘊蓄(うんちく)をうだうだ語る短編アニメ集(全3話)であった。。

うーん・・この手のんは苦手なんだよなぁ。

まぁ、こうやってその才能&世界観(の片鱗)を眺めるに・・やはり(本作で脚本&演出を手がけた)押井守と言う人物は・・どこをどう切り取っても“根本的にオタク”なんやろなぁ・・と再認識するに足りた作品とは言えよう。
特に、いちいちパトレイバー用語(?)を解説する際、キャラクターらにやたら「漢字混じりの名称」を語らせるトコロがその証左の最たるモノと・・(⌒〜⌒ι)
「侵徹弾道学」「ホローポイント弾」「汎用人間型作業機械」・・ってなんだなんだっ! その回りくどい言い方は!(⌒〜⌒ι)

そう言えば、来月上旬にも、確か衛星第2では押井監督の代表作『イノセンス(2004)』が放送される予定☆
きっと今回も、物語の完全な把握なんぞは到底ムリかと思うが・・「映像&音響面を楽しむべ♪」とすっぱり割り切って鑑賞してみようと考えている。

http://www.nhk.or.jp/animegiga/oshii/program.html

↑こちらに放送予定があります。無断リンクで済みません。

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2007年7月21日 (土)

☆『迷宮物語(1986)』☆

映画メモが溜まって来てるもんで、次々にズビズバ(←死語)斬って行きたい。

11日(水曜)。衛星第2で放送されたオムニバスアニメ作品『迷宮物語』を観た。以前では、確か『アニメだいすき!』と言う民放の特別番組で観た記憶がある。オープニング&エンディングを挟み、2話構成の短編集。その独特のノリ(映像&世界観)から、私的には・・やがて『MEMORiES(1995)』へと継承されてゆく“実験的ファンタジー・オムニバスアニメ”なんかな? と解釈してもいる。尤も、製作の母体は両作で異なってる訳だけど(・ω・)

OP&ED「ラビリンス*ラビリントス」・・りんたろう監督による難解な映像トリップ。
少女が道化師に誘われるままに、迷宮世界へ足を踏み入れる。「猫町横町」と古めかしい字体で書かれた看板(アーケード)をくぐり、昭和時代を思わせる(懐古的な)板塀の小路を駆け抜けて行く少女。先の曲がり角に、道化師の影が逃げるようにひらりひらりと走り去ってゆく・・このめくるめく迄の疾走感&映像はスゴい!(スクリーンで観たいトコだ)
キャラデザイン&作画を担当してるのは福島敦子と言うアニメーターさんだそうだが、詳しくはないものの、きっとスゴい方なんだろう。
音声的なセリフが(確か)ひと言「お前、随分と洒落た名前だねぇ・・」のみ、道化師の喋る言葉(字幕表示)が「さぁ、お入り・・おふたりさん」だけ、と言うのも実にシンプルで深くて、そして恐くて良い。
同エピソードを観た家人は「全く訳が分からん」と憮然としていたが・・この短編は理解しようとするのでなく、その世界を眺め、浸るもんなんだと思う。

1話目「走る男」・・川尻善昭監督によるハードボイルドタッチのSF。
“死神”の異名をほしいままにする伝説的なチャンピオンレーサー=ザック・ヒュー。その取材の機を得た男の独白(モノローグ)による「走る男」の凄絶な死のドラマ。サイコキネシスネタあり、残酷描写あり、のまさに“大人向け”か。
津嘉山正種氏による語りにはやはり味わいがあって良い。

2話目「工事中止命令」・・大友克弘監督。同監督らしい、ナンセンスかつ風刺の利いた作品。
とある河畔で延々と続けられる「444号工事」契約を中止させるため、アロワナ共和国へ単身派遣された青年技師・杉岡の眼にしたものは・・?

全ての工程がロボット頼みの現場。個々のロボットは人間を超える建築技術(=転じれば・・攻撃力)を有している。前任監督は何処か(?)に姿をくらまし、監督室の黒板に彼の小さく残した「あのロボット共は完全に狂っている。もう駄目だ、ボクは殺される。妻のサチコへ、もう1回※※※したかった(←おい!)」的なメッセージがモヤモヤした空気を雄弁に伝えて来る。

雨期が現場に近づき、ロボット達は監督命令を無視し、際限なくスピードアップする。そして(その負荷で)次々に自爆するロボットら。業を煮やした杉岡は、ついに単身、中止命令を実行(=武力行使)に移すのだが・・
単純なメッセージ&ブラックユーモアを語るにしては、大げさ過ぎる世界観&セル画枚数ではある(=^_^=)
まぁ・・これぞ、鬼才・大友のみにこそ許される、最大級の「わがまま」なんだろう。

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