2013年1月31日 (木)

☆『めがね(2007)』☆

21日(月曜)の夜。

BSP(プレミアム)の番組“BSプレミアムシネマ”で放送された、荻上(おぎがみ)直子が脚本と監督を手がける『めがね』を観た。

この監督さんって言えば、代表作『かもめ食堂(2006)』と本作のみ未見のままに、その後の作品群・・つまり『トイレット(2010)』『レンタネコ(2012)』については、きっちりスクリーンで鑑賞しとるワタシだった(と言っても、共にミニシアター“ソレイユ”の、比較的小さな面積のスクリーンで、だが)。

てなワケで「ゆったりした気分に浸れるんかな?」と期待しつつ観てみたんだが、物語の背景に本来あるべき「設定」みたいなモノが殆どなく、それはそれでかなり驚かされたモノだった(⌒~⌒ι) こんな脚本造りでも成り立つし、アリなンですねぇ。

南方の何処かにある小さな島、そして季節は春。

大きな銀色のスーツケースを転がしながら、はるばるこの島にやって来たタエコ(小林聡美)は、何もない浜辺の宿「ハマダ」に辿り着く。

彼女を迎えるのは、一足先に島に降り立ったかき氷販売店の女主人=サクラ(もたいまさこ)、「ハマダ」の経営者=ユウジ(光石研)、遅刻ばかりの高校教諭=ハルナ(市川実日子)・・携帯の電波は入らず、観光名所も何ら持たぬこの島だが、タエコはその内に“自分なりのペース”で1日を過ごす術(すべ)を体得してゆく。

そんなある日、タエコを追いかけ島にやって来た青年=ヨモギ(加瀬亮)が住民たちに合流する事となり・・

「島の外」については、一切「映像」でも「セリフ」でも触れられない。

そんな潔さや「想像する余白」を敢えて配してる辺りに「心憎さ」を覚えた(=^_^=) 同様に、限られた登場人物たちは「過去」も「未来」も殆ど語ろうとはしない。

つまりは「今」と言う時間に「そのしと」と「此処」に存在する事こそが大事なんやろな・・ってワケなのだ。

「何もない事」「マイペース&奇妙な(島民の)ライフスタイルを目の当たりにする事」に違和感を覚えたタエコは、間もなく「ハマダ」を去ろうとするが・・結果的に「ハマダ」ほど自分に“似合う場所”のなかった事に気付かされるのだ。

ハイライトシーンも特にない“ある種、濃ゅ〜い造り”なんだが(=^_^=) ヨモギが浜辺で島民らを横にして(?)ドイツ語の詩を淡々と語るシーンが極めて印象的だった。

・・

Mir ist bewusst was Freiheit bedeutet

Folge dem Wege geradeaus

meide die Tiefen des Meeres

doch hab ich sol'ch Wort hinter mir gelassen

Der Mond scheinet auf jedem Wege

wie die, in der Dunkelheit, wie Diamanten schwimmenden Fische

heiss wie durch Zufall Mensch - und hier bin ich

Was hatt'ch zu befuechten

mit was zu kaepfen

bald ist es Zeit die Lasten zu legen

Erteile mir noch mehr kraft

Kraft zur Liebe

Mir ist bewusst was Freiheit bedeutet

mir ist bewusst was Freiheit bedeutet

何が自由か知っている

道は真っ直ぐ歩きなさい 深い海には近付かないで

そんなあなたの言葉を置いてきた

月はどんな道にも光を注ぐ

暗闇に泳ぐ魚たちは宝石のよう

偶然“ニンゲン”と呼ばれて 此処に居る私

何を恐れていたのか 何と戦って来たのか

そろそろ持ち切れなくなった荷物を下ろす頃

もっとチカラを 優しくなる為のチカラを

何が自由か知っている

何が自由か知っている

・・

島にはもう1軒「マリン・パレス」なる宿があるんだが・・「確かに、寂しくはないし、やるべき事もちゃんと用意されてるンだけど」って感じで・・絶妙に「で、どっちを選ぶのよ?」と観るもの総てに「問い」を突き付けて来る展開もなかなかだった。そのシーンにのみ、薬師丸ひろ子さんが出演されてるのもピンポイント(?)なだけに、より鮮烈だった(=^_^=)

加瀬君が開始から55分後ぐらい経ってようやく登場するので、彼のファンはやきもきする事必至だったり(=^_^=) 観終わると「主人公ってば・・タエコからサクラにシフトしてません?」と思えて来たり、色々と細かい「想定外」が点在してて、実に小気味良かったワケである。

~ こんなトコも ~

・犬のコウジは大して目立つ存在でもなかった。

・光石研と加瀬亮が口論でも始めやしないかと、妙にヒヤヒヤさせられた。『アウトレイジ ビヨンド(2012)』な、お2人ですからして。。

・「焼き肉」「かき氷」「梅干し」「伊勢エビ(?)」・・と“食べるシーン”が丁寧に盛り込まれてた。

・道のど真ん中に置き去りにされてたタエコのスーツケースは、その後どうなったんやろ?

・ヨモギの引用してた『春の海 終日(ひねもす) のたりのたりかな』は与謝蕪村の句だった!

・かき氷のお礼、みんなそれぞれに頑張ってたが・・ヨモギは何を対価に? あのドイツの詩?

・コンゴルグルス(って聞こえた?)は朝顔に、ブルーデイジーはガーベラに似てて間違え易いそうだ。

・あのメガネが風で吹っ飛んで、海ポチャしたんやろか?

・『梅はその日の難逃れ』ってのは、何となくもっともらしい(=^_^=)

・コウジは・・雌犬だった!!

・考案と監修:伊藤千枝による「メルシー体操」の真面目な解説動画が観てみたい(=^_^=)

・「何となく不安になって来て、2分ぐらい走ったら、そこを右」「何となく不安になって来て、そこから80mぐらい走ったら、そこを右」と言う手描きの地図に添えられたメモは、何とも人間くさくて面白い(=^_^=)

~ こんなセリフも ~

タエコ「黄昏れる? ・・黄昏ですか」

   「・・無理!」

   「かき氷は苦手なんで」

   「此処では、毎朝起こされなくてはいけないんでしょうか?」

   「“黄昏れる”と言うのは、この辺りの習慣か何かですか?」 

   「今日迄のお会計をお願いします」

   「“毎年来る”と言う事は・・“毎年来る”って事ですよね?」

   「・・朝ご飯、食べて来れば良かった」

   「私は・・“携帯電話が通じなさそうな場所”

    に行きたかったんです」

   「“黄昏れる”のに、何かコツとかあるんでしょうか?」

   「地球なんか無くなってしまえばイイのに・・

    そう思ってました。此処に来る迄は」

   「何もないからイイのかなぁ」

ユウジ「大きな看板出すと、お客さんいっぱい来ちゃうでしょ?

    これぐらいでちょうどイイんです」

   「あっちが海で、こっちが街・・

    それだけ覚えとけば大体、大丈夫」

   「これ以上、お客さん増えたら困るから、

    ちょうどイイんですけどね」

   「才能ありますよ・・此処にいる才能

   「お早うございます。きっと来ると思ってました」

   「『梅干しと友達は古いほど良い』と言うけど」

   「“観光する所”って・・ありませんよ」

   「夕べは大変でしたね」

   「それは・・出来る事なら、私も乗ってみたいな」

   「イイですよ・・とてもイイです」

   「私はただ、此処で待つだけですから・・過ぎて行くのを

   「“大切にしまった何か”を忘れてしまうのがコウジなんです。

    そこが彼奴(あいつ)のイイところで」

   「食べてみるとイイですよ。サクラさんのかき氷」

ハルナ「此処には、かき氷以外のものはありませんよ」

   「夕焼けを観て黄昏れるなんて、意外と・・単純」

   「此処じゃ本、読めないでしょ?」

   「まぁ大丈夫だと思います・・“気分を変える”と言う意味では」

   「黄昏が得意なワケでもないのに」

   「幾ら真面目にやってても、休憩は必要です

   「編み物って“空気も一緒に編む”と言いますよね」

   「分かったからってどうなんでしょう

ヨモギ「先生・・捜しました」

   「僕は何よりもかによりも先生を想ってますから・・ウソです」

   「直ぐには帰りませんよ・・“飽きる”迄は」

   「“此処で黄昏れる”のも最高です」

   「“人生で一番のかき氷”でした」

   「凄いかなぁ? でも僕はいいや」

   「旅は“思い付き”で始まりますが、

    永遠には続かないものですよ。

    ・・僕はそろそろ帰ります」

サクラ「氷、ありますよ」

   「大切なのは、焦らない事・・焦らなければその内きっと」

サクラ「氷、ありますよ」

タエコ「いえ、結構です」

サクラ「済みません・・黄昏中にお邪魔して」

タエコ「いえ、黄昏れてなんていませんから」

ハルナ「タエコさんは、一体何ものですか?」

タエコ「・・何者でもありませんけど?」

ハルナ「いつ迄?」

タエコ「飽きる迄」

タエコ「キレイに揃ってるけど、つまらないんだよなぁ」

ハルナ「つまらなくなんか、ないです」

ハルナ「釣れますか?」

ヨモギ「・・いえ」

ハルナ「人は死んだらどうなるんですか?」

サクラ「このお魚と一緒です・・1度死んだら2度は死なない」

タエコ「慣れると結構分かるものですね、この地図」

ハルナ「“才能ある”って言われませんでした?」

タエコ「喜ぶべきなんですかねぇ?」

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2012年8月23日 (木)

☆『Monsters Club/モンスターズクラブ(2011)』☆

20日(月曜)の夜。
仕事帰り、商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”にて公開中の『Monsters Club/モンスターズクラブ』なる作品を観てから、帰路についたワタシ。

予備知識は殆どなかったんだが・・最近やたらと忙しく、鑑賞時間のなかなか確保出来ないワタシにとって「上映時間=72分」と言う“短さ”“潔さ”こそが妙に魅力的に映ったのも、また事実なのだった(⌒〜⌒ι)

吹雪に閉ざされた雪山の一軒家、孤独な青年=垣内良一(瑛太)は、自給自足の生活を続けつつ「開封すれば炸裂する」小包爆弾を製造しては、企業家やメディアに送りつける「MC(モンスターズクラブ)」を名乗るテロリストだった。

元々は裕福な家庭に生まれ育った良一だが・・父(國村隼)の「突然の死」を皮切りに、母(松田美由紀)、兄=ユキ(窪塚洋介)、弟=ケンタが次々と「その後を追うか」のように亡くなってしまう。

・・

山小屋で暮らす、そんな良一の所に、ある時期から“死んだ筈”の兄や弟らが次々と現れる。果たしてそれは“幻覚”なのか?

孤独な生活の中で、次第に“幻覚”に追い詰められて行く良一は・・ついに『内閣総理大臣様』と表書きした手紙と“最後の小包爆弾”をバックパックに放り込み、山を下りる決心を固めるのだった。

目指す先は、首都=東京・・

短い上映時間の中で、如何に「クレバー」で「印象的」で「独創的」な世界観を展開してくれるのか? と期待値を高めて行ったんだが、、正直『亡霊(幻覚)ネタがメインの、舞台劇チックな小品』を『監督好みのテイスト』を半ば押し付けられつつ、延々と(?)見せられ続けた・・って印象だった。

山小屋で暮らす主人公の日常生活(の風景)こそは、大自然の静寂さ&厳しさなども描き込まれ、そこそこに“イイ雰囲気”を構築してたんだが、軸の部分で『シャイニング(1980)』『シークレットウィンドゥ(2004)』辺りを意識し、終盤などは『太陽を盗んだ男(1979)』を再現した・・って感じだったろうか?

“幻覚”のままに片付けられるには、窪塚君のキャラが「存在感充分!」なだけに何処か勿体なかった(×_×)

「同じ物語」を撮るにしても、演出や映像の面で“もう少し工夫”すれば、更に「何かの残る作品」が成立し得た気がするだけに残念でならない。

〜 こんなトコも 〜

・「予告篇」の完成度が高過ぎて(=^_^=)観る者に「過度な期待感」を抱かせてしまう気がする(・ω・)
・「主演=加瀬亮、監督=黒澤清」のヴァージョンなんかも観てみたい(・ω・)
・劇中に出没する“バケモノ(=P)”の造型が、ちょっと不気味なんだが、それ以上に迫って来るモノがなかった(×_×)
・発狂して(?)顔面を白塗り(?)にし始める窪塚&瑛太。かの“ジョーカー(ヒース・レジャー版)”も、あんな「思考回路の流れ」によって、生み出されたヴィジュアルなんやろか?
・刑事たち(?)との追いかけっこのシーンは、演出が稚拙過ぎて笑えた。
・主なロケ地は山形県・最上町だった。
・『ワイルド7(2011)』ほどには「キャラの立ってない」瑛太君だった。
・2両編成の列車で良一が東京へと向かうシーン。同じ車両に乗り合わせた、2人連れのうちの1人は『生きてるものはいないのか(2011)』でコウイチ役だったしとである。
・主人公が読みふけってたのは夏目漱石の小説『草枕』や宮沢賢治の詩『告別』だった。
・ユキが雪原で「アタマを弾く」シーンは、なかなかに鮮烈である(×_×)
・新宿のビル壁(?)に、桑田圭祐のソロアルバム『MUSIC MAN』の広告が張り出されてたトコから、2011年の撮影かと思われる。

〜 こんなセリフも 〜

良一“社会は人間を改造する”
  “改革は、システムによって握りつぶされる”
  “この国では、1年間に3万3千人が自殺する。
   1日に90人、1時間に4人・・15分に1人が、死を選ぶ
  “自由とは、力だ・・自らをコントロールする力だ”
  “食べてしまったケーキは、とっておく事が出来ない”
  「俺は生きてるぞ!」
  「“親に先立つ不孝なし”だ」
  「これは“メッセージ”だ」
  「死んだんだよ・・お前は」
  「働くのなんて・・奴隷だよ」
  「家族なんて、あっという間に失われる」
  「そんなに俺が面白いか? 化けもん」
  「もう出て来なくてイイよ・・お前」
  「もうウンザリなんだよ・・“あっちの世界”は」
  「ぶっ飛ばすぞ、この野郎」
  “お前、警察に通報しただろ?”
  “絶対、あいつらについて行くんじゃないぞ”
  “俺は見つけた・・だから、お前にも見つけられる筈だよ”
  “諦めるな。投げ出すんじゃないぞ。
   ・・お前はずっと此処にいるんだぞ”

P「お前が知らしめろ・・世の中をひれ伏させろ。
  お前の齧った“林檎の味”を、世の中に知らしめろ」

ユキ「ダメだな、お前は」
  「何だよ? “お化けでも見るような顔”しやがって」
  「サバけるようになったか?」
  「あんなにビビってたくせにな」
  「『汝自身を知れ』・・ソクラテスだよ」
  「“本当の自由”を得るには・・“消える”しかないんだよ」
  「俺に対する“客観的な意見”なんて、聞きたくねぇ」
  「『死んだから終わり』じゃない
  「みんな、命に乗っかってるんだよ。
   “ピラミッドの上”ばっか見て」
  「幾ら爆弾を送っても・・“頂上”には届かないんだよ」
  「このピラミッドは、地獄に向かってるんだよ。
   下を向いてちゃ“地獄へ道連れ”だ・・分かるか?」
  「こっちに来いよ。もう“帰る場所”なんかないだろ?」
  「みんなにプレゼントを渡しな。
   何もかも、ぶっ殺してぇんだろ?」
  「お前はまだ、世界を愛している」
  「どうでも良くなんて、ないんだよ」

ケンタ「早く捕まえないと、また消えちゃうよ」

ミカナ「何が不満で、何に絶望してるの?」
   「理由は分からないけど、気持ちは分かる気がする」
   「奴隷だと思ったら、死んじゃえばイイじゃん。
    また、みんなと会えるし」

父「ボールはな、当たる瞬間を見るんだ」

良一「家族が何でこうなったのか・・何でだよ?」
ケンタ「知らね」

良一「昔とは違うよ」
ユキ「どうかな? じゃ、やってみろよ」

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2012年4月25日 (水)

☆『ももへの手紙』☆

先日、某県内の某シネコン(TOHO系)で観たのは『ももへの手紙』と言う、瀬戸内エリアを舞台にしたアニメーション作品だった。

作品に、と言うよりロケーション(とその描写)に興味があって「観よう!」と決心したのであるが・・小・中規模なシアター(席数:113)にも関わらず、ワタシ以外に観客が1人もおらず、上映開始前はすんごく不安になってしまったモノだった(⌒〜⌒ι) ←「評判がすこぶる悪いんやろか?」的な方で・・

2006年の夏。

海洋研究者だった父=一雄を外洋の事故で亡くしたばかりの宮浦母子(母:いく子、娘:もも)は、東京から“母の育った地”である、瀬戸内海に浮かぶ『汐島(しおじま)』へとやって来る。

小学校6年のももは父の死のショックから未だ立ち直れず“心を半ば閉ざした状態”から抜け出せずにいる。

そんなある日、ももはおじさんの家の屋根裏で『化物御用心』なる絵双紙(?)を見つける。
ぺらぺらとめくると、、そこには奇妙な姿形の化け物(妖怪)が人々を驚かしている挿絵が次々と。

そしてその日から、ももの周囲で“ヘンな出来事”が幾つも巻き起こり・・

まぁいわゆる・・“妖怪絡みのファンタジー系な成長物語”なワケである。

世界観や展開そのものには、さほど「斬新さ」も「吸引力」もなく「これが『となりのトトロ(1988)』や『もののけ姫(1997)』や『千と千尋の神隠し(2001)』が世に放たれる前だったら、そりゃもう“モノすんごいインパクト”だったろうになァ」とは思ったンだが、彼らが既に存在している以上、それを超えてると言えるワケでもなく(・ω・)

その一方で、夏の季節に“近くまで行く事があったら、つい立ち寄ってみたくなるような”そんなこぢんまりとした島の情景には好感が持てた。

ストーリーの凡庸さ、キャラ陣の造型の浅さなんかを、風景の良さが何とかカバーしてた・・って印象である。

終盤で「ムリヤリ設けた」かのようなハプニングな展開に突入するんだが、、その辺りなんかもまるで「脚本家養成学校のテキストに、忠実に従いました」的な感じで、ちょっとノレなかったワタシだった。

“何も起こらない”けど“何か起こりそう”な・・そんな『ももの世界』をこそダラッと眺め、そこにフラッと迷い込みたかったンだけど(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

・「三原(広島県)から『汐島』へと渡る」「『汐島』から今治(愛媛県)へと渡る」と言う感じで“南の方角に向う”ってシチュエーションが、地図で知っとかないと少し分かりにくい気もした。
・『アース引越センター』『ミキシマパン』『鬼ごろり(日本酒)』『ヨンケル黄帝液』『アタッチ(洗剤)』『明至(のプリン)』『安命酒』『星印(のアイス)』『至誠堂(化粧品)』『ナチュラルテレビ』『コガメケチャップ』など、絶妙に実在のメーカー名をパロディ化してた。
・『化物御用心』は江戸時代の“黄表紙”との事。更に正確に言えば「安永(1772~81)頃から文化(1804~18)初年に渡り出版されたもの」だそうで(←ネットで調べただけ)
・『化物御用心』の下巻(の存在)が気になるぅぅ!(=^_^=)
・いく子が取得を目指してた資格は「ホームヘルパー2級」。でも、この資格ってば・・2012年度末に廃止される方向らしい。
・山友商船の『なみかぜ』も架空のフェリー名らしい。
・妖怪が初めて姿を現した瞬間・・誰もが呟くであろう言葉・・「あ・・光学迷彩・・」(=^_^=)
・神様が落ちぶれると・・妖怪になっちまうのか(×_×)
・「質量のある妖怪」「蜜柑を食べる妖怪」「畑を荒らす妖怪」など・・色々と設定が「突っ走って」いた(=^_^=)
・『汐島』じゃ「水曜は肉の日」だそうだ。
・ウィーン少年合唱団のコンサートチケットの日付は「2006.3.30」と読み取れた。
・気管支喘息に対しては「酸素吸入」の他にも「筋肉注射」が有効らしい。
・「レタス色指定補佐」「レタス色仕上検査」なんてな専門スタッフがおられたようだ!
・唐突にTV画面に前川清が映し出され『噂の女(1970)』を歌ってはった! 妖怪よりもスゴいインパクト!(スンマセン)
・妖怪たちの姿を捉えてた少女=海美(うみ)。ももに次ぐ“サブ・ヒロイン”となる素地はあったのに・・それ以上は本筋に絡んで来なかった(×_×)
・リーダー格の妖怪=イワの声を“あのしと”が!
・妖怪たちの中に、如何にも“ダイダラボッチ”なヤツとか“モナー”なヤツとかがいた!
・家族に対し、もし謝るべき場面が生じたら・・「笑顔で誤魔化しつつ『メンゴ』!」では済まぬシーンもあろうし、それが(後に)重要な場面となってしまう事も、人生には存在するのだろう。
・宮浦さん一家より、あの「猪さん」一家の(心情)描写の方がよほど丁寧だったかも(=^_^=)
・寡黙な妖怪=マメの“呟き”こそが、光を放ってもいた。
・絵草紙(黄表紙)の“墨絵っぽい描画”が素晴らし過ぎる!
・劇中では「島の歴史」には余り触れられてなかった。。
・お祭りのシーンを何となく“ハイライト”に持って来とる辺りは『萠の朱雀(1997)』気味だったり(・ω・)

〜 こんなセリフも 〜

もも「何て書きたかったの?」
  「・・閉めたっけ?」
  「私ね・・この家の事、そんなに嫌いじゃないよ」
  「死んだ人に手紙を出せるの?!」
  「今・・行かなきゃいけない!」
  「今日は、飛べそうな気がするんじゃ」

おじさん「後はぼちぼち、やりんさい」
    「若いもんは大歓迎じゃ」
    「春先に、突然めげてのぅ」
    「開けてみんさい」
    「呼ばれんさい」

おばさん「“空(=屋根裏)”に荷物、上げるけん」
    「それを持って来て呉れん?」

陽太「その内、飛べるようになるわいや」

海美「橋で待ちよるけんね」

イワ「危なかったで御座るな」
  「我らの屍(しかばね)を越えて行け、で御座る」
  「女子(をなご)とはそう云うものよ」
  「静かに致せ」
  「“良からぬ展開”で御座るぞ」
  「こうなったら“焼け糞(ヤケクソ)”で御座る!」
  「“見守り組”として当然の事をした迄で御座る」

カワ「景色は、喰えねぇ!」
  「いてて・・差し込み(=腹痛)が」
  「“努力”と“ウロコ”は嫌(きれ)ぇなんだよな」
  「妖力を奪われ・・残ったのは食欲ぐらいさ」
  「“御禁制”に触れるぜ」
  「女はいつも“忘れない”って云うぜ」

マメ「四国だなぁ」
  「おいら、やって良い事と悪い事が
   覚えられないから・・出来るかもなぁ」
  「おいら、蜜柑でいいや」

イワ「そろそろ、家に帰って良かろう」
カワ「そうだなぁ・・ってホントかよっ!」

追記:河童似な感じのカワを眺めてて、何となく(俳優の)佐※木蔵※介を連想してしまった(⌒〜⌒ι)

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2010年12月17日 (金)

☆『めまい(1958)』☆

ハナシは戻り、8日(水曜)の夜。
衛星第2で放送された『めまい』を観た。本作って、確かDVDソフトをバッチリ購入済と記憶してるンだけど・・開封すらせず、それ以前にどっかに転がったままな気がする(×_×) ←観ないなら買うなよな〜(⌒〜⌒ι)

巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督が、ジェームズ・スチュワートを主演に迎え製作した“第4弾”たる本作(←最期のタッグ)。

現役時代の“とあるアクシデント”が原因で「高所恐怖症」となってしまい退職した元刑事=ジョン“スコッティ”ファーガソン(スチュワート)が、旧友=ギャビン・エルスターの依頼を受け、彼の妻=マデリン(キム・ノヴァク)の身辺調査を進めることとなる。

次第に、彼女の先祖=カルロッタ・バルデスを巡る不可思議な出来事に迫って行くスコッティであるも・・そんな中、マデリンに“大きな不幸”が起こり、そのことに翻弄されてしまうスコッティだった・・

改めて“コレ、ヒッチ監督作で1番好きな作品やな!!”と確信するに至った。ミステリアスでロマンスに彩られた、現実と虚構の綯(な)い交ぜとなったその世界観が、とにかく素晴らしい。
こればっかしは「子供には決して理解出来ぬ感覚」だろうて(・ω・)

私的に、冒頭の“屋根の上での追いかけっこ”シーンが、後年『マトリックス(1999)』の序盤に影響を与えてる、と思うんだがどやろ?
ひょっとしたら『ヤマカシ(2001)』に始まり(?)『ボーン・アルティメイタム(2007)』『007/カジノ・ロワイヤル(2006)』・・と続いてく“パルクール系(アクション)演出”の元祖とすら言えるのかも知んない?(そこまで言う)

それに、タイトルバックや、後半戦突入の辺りで展開されるスタイリッシュなアニメーション映像(=悪夢の演出)もスゴい! 当時の観客は、かなりドギモを抜かれたんじゃなかろうか?
「唐突な(=^_^=)アニメパート挿入」と言えば、近年では『キル・ビルvol.1(2003)』『鈍獣(2009)』などが思い浮かぶが・・その手の“柔軟なミックス・センス(notシックス・センス)”も、ひょっとしたら、、まず本作あってこその追随、と言えるのかも知んない。(ホンマか?)

観客や主人公にとって、疑問を差し挟む余地もない“完璧な悲劇のストーリー”が、たった1ツのアイテムによって、大きく瓦解し・・その裏側(=真実)をあからさまにする・・後半の展開(いわゆる“ちゃぶ台返し”演出)がモノ凄い!
もし、本作を中盤(1時間25分辺り)までしか観てない・・と言う方がおられたら、それってかなり勿体ないことだと思う。

あと、本作のヒロインってば、言うまでもなくキム・ノヴァクさんなんだが、その影にいた元婚約者(!)のマージョリー“ミッジ”ウッド嬢(演:バーバラ・ベル・ゲデス)の印象もワタシにとっては鮮烈だった。
後半で、何故だか急に作品世界から“退場”してしまう彼女が、どうにも不憫でならなかった。
ひょっとしたら、スコッティとミッジの絡みをもう少し丁寧に描いた『めまい/完全版』って言うのも、どこかに封印されてるのかも知んない(=^_^=)

〜 こんなトコも 〜

・ヒッチコックって“鐘楼”のロケーションが好きなんやろか?
・劇中で、ブラジャーは「ブレズィーア」みたいに発音されてた(・ω・)
・ミッジの事務所の窓には「すだれ(簾)」が垂らされてたような。。
・「ゴールデンゲート公園」「アーゴシー書店」「コイトタワー」「ゴフ通り」「パレス美術館」「プレシディオ」「エンパイア・ホテル」「アーニーズ(レストラン)」など・・サンフランシスコのロケツアーも楽しめそうな固有名詞がバンバン登場☆
・少し冷静になって(=^_^=) スコッティを“本心から気遣う”ミッジの姿を眺めると・・「案外近くに“本当の愛”があるのかも知ンない」ってことに想い至るのである・・
・本作はラヴストーリーであり、音楽も切なげなんだが・・主人公のやってること(殊に後半)は、明らかに狂ってる! まるっきり狂っちゃってる『マイ・フェア・レディ(1964)』『プリティ・ウーマン(1990)』系って感じやろか?(⌒〜⌒ι) ←簡単に決め打つなよ!
・本作に『氷の微笑(1992)』辺りの“容赦なくサスペンスな演出”をも、更に練り込んでリメイクさせたら・・もの凄いのんが出来るんじゃなかろうか?!
・結局のトコ、良く考えたら・・観客に「本当のマデリン・エルスターがどのような人物だったのか」を知る術は、一切与えられていないのではなかろうか?

〜 こんなセリフも 〜

スコッティ「悪いが、専門外でね(This is my line.)」
     「1度(誰かの)人生を救ったら、(その者に対する)一生の責任を負う・・中国の諺だよ」
     「総ての事象に答えはあるさ」
     「最後にやるべきことが・・過去から解放されるために」
     「もう1回だけ、過去に戻る必要があるんだ」
     「迂闊だったな・・僕はそれを覚えていた」
     「なぜ僕を選んだ? 何故だ?」
     「君は“それ”を持っていてはダメだったんだ」

マデリン「この木の樹齢にしたら・・私の人生なんて一瞬のことね」
    「私を失ったら・・この愛が本物だったと分かる筈」

ギャビン「誰かが(会社組織の中で)責任を負わなければ」
    「警察みたいな仕事を、君に頼みたい・・妻を尾行して欲しい」
    「過去から故人が来る、と信じるか?」
    「ヤツらには分かるまい・・誰が妻を殺したのかを」

ジュディ“私はあなたを愛してしまったの・・それは計画にはなかったこと”
    「似てるから? だとしたら、余り嬉しくないわね」
    「今のままの私を愛して欲しいの・・ただ私を愛して」
    「あなたの言う通りに変わったら・・愛してくれる?」 ←これは強烈!

ミッジ「やめてよ(Please.)」
   「“モーツァルトの旋律”が頭のクモの巣を払ってくれるわ」

オーナー「手前共は“必要以上の詮索”は致しません」

店主「当時は、力も自由も“男だけのもの”だったのさ」

店員「やはり、(ご婦人に対する)イメージがおありなのですね?」

マデリン「コイトタワー(Coit Tower)が目印になったわ」
スコッティ「なら、タワーに感謝しなくては」

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2010年11月24日 (水)

☆『みんなのいえ(2001)』☆

23日(火曜)。

先週の水曜以降、公私に渡り、とにかく運転距離がハンパない感じになってる(ってか、毎日運転してるし)。
ざっと計算しただけでも、1000キロは軽く超えとるような、、(×_×)

そんな感じで、本日も「勤労(=仕事があること)に感謝」しつつ・・朝は西へと、夕は東へと、クルマを走らせた。

流石に、帰宅時に寄り道する気力まではなく・・大人しく家で『みんなのいえ』を観ることに。
衛星第2では、明晩まで“三谷幸喜特集”が組まれてるワケで。

(因みに本作。以前、DVDソフトを長々とお借りしてたが、全く観れぬまま・・結局その方に返却してしまった、ってな過去もある(×_×))

三谷幸喜による脚本&監督作品(通算2作目)。

30年ローンで、念願のマイホームを建てることを決意した若い飯島夫妻(田中直樹&八木亜希子)が、“設計”をアメリカかぶれの青年内装デザイナー=柳沢(唐沢寿明)に、“施工”を(妻の父でもある)昔気質の頑固な老大工=岩田長一郎(田中邦衛)に依頼することとなる。

だが・・「主義」も「感覚」も全く異なる柳沢と岩田とは、ことごとく反発し合うこととなり、どんどん工期は伸び、間取りは歪(いびつ)となって行くのだった・・

監督第1作『ラヂオの時間(1997)』に続き、またもや三谷さんお得意の“シチュエーションコメディ”である。
ま、それ故に安心して観られる「良作」ではあるモノの、、やはり私的には「上品過ぎ、パンチ不足」「1本の作品(映画)として描くに、演出群の薄味過ぎる(≒大作感の欠如)」印象があった。

ただ“家造りの実際(=夢物語だけで片せぬ、リアルかつシビアな部分)”を疑似体験(?)出来るってトコについては「絶対に観ておいてソンはない1作!」と推したい。

監督のお家芸とも言うべき“ユルいドタバタ”が連鎖的に展開されるんだが・・中盤(?)だかで「豪雨」の発生する演出が、ちょっと意外にも映った。
天災(?)に脚本の“転”を委ねる辺り、三谷さんとしては珍しいのかも? と思えたり。
決してそうでもないんかな?

主要な登場キャラについては「ふ〜ん」とか「なるへそ」とか・・笑うと言うより、感心させられながら観てたワタシだったが、唯一、メチャクチャ(静かに、ながら)笑わされたのは“こだわりのバーテンダー”を大真面目に演じてはった真田広之氏である。

発するセリフが「・・ダメだ」「・・自分の問題ですから」のたった2ツなんだが、とにかくメチャクチャに面白い!
この方の出演シーンだけでも、本作には“観るべき価値”が確かに宿ってると思う(=^_^=)

柳沢と反発し合う、大工の息子役に・・伊原“バロン”剛志がキャスティングされており、『ラヂオの時間』における渡辺謙と言い、彼と言い・・
“三谷幸喜は、クリント・イーストウッド監督に先んじ、世界に通じる日本の名優を見抜いてた、と言えよう!”と、ちょっと興奮してもしまったワタシだった(=^_^=)
ま、たまたまなんですけどぉ。 ←2人はその後『硫黄島からの手紙(2006)』で、共に重要な役を演じた。

〜 こんなトコも 〜

・中井貴一が『おとぼけマンション』なるバラエティドラマ(?)で主演(←劇中劇)したはったが、コレが微妙にユルかった(オープニングからですし)。。
・豪雨の中、それでも“大事な品”をクルマで運んでた柳沢だが・・ちょっと不自然だった気もする。「晴れた日にする」とか「“ついで”の運搬はしない」とかってやるのが、ホンマのプロじゃないやろか?
・飯島夫婦の、もそっと“お色気”を含んだ演出が観たかった(←所謂“合体!”系)。何だか静かに夫婦仲の冷め始めとる感じもあった(?)
・直感的な印象でしかないのだが、何処となく「故・伊丹十三監督の好みそうなコメディセンス」の含まれてる気がした。
・どうせなら、ローンを組む辺りからの奮闘ぶりも観てみたかった。銀行員とか、信用金庫職員とかのキャラを配して。
・「1階にトイレのない家は、3代で滅びる?」なんてな迷信が(・ω・)
・中盤以降、飯島夫婦の“共同作業としての家造り”って見せ方(=演出的要素)が大きく後退してた。ちと残念。
・「セピアっぽいフィルター」を映像に(全体的に)かけ過ぎな感も。
・飯島の奥さんは教職だったようだ。余り分かんなかった(×_×)
・“バロン西”と唐沢との、ガチなファイトシーンも観たかった。(劇中で、唐沢は絡んで来る(チンピラ役の)松重豊を(コント気味な描写ながら)秒殺!)

〜 こんなセリフも 〜

飯島「(アイデアは)無理矢理、捻り出してる感じかな」
  「建売りの方が良かったのかな?」
  「1軒の家にトイレが3つ・・これはちょっとした自慢になるね」
  「職人とアーティストは、相反するものじゃない。
   問題は何処で折り合いをつけるか・・じゃないかな?」
  「ダメだ・・煮詰まって来ちゃった」
  「(上棟式の場に)見たことない奴もいるよ〜?」
  「ええと・・家と言う字は・・」 ←ここでスピーチ中断、、
  「僕に言わせれば、似た者同士だな・・あの2人は」
  「“日本の大工”を信じよう」

妻「年寄り(に頼むの)は止めよ? どんな家になるか分かんないから」
 「何か、他人事だよね?
 「1階が全部畳? “海の家”じゃないんだから!」
 「何か、憂鬱・・」

岩田「分かんねぇよ。まだ、やるかどうかなんてよ」
  「家(ウチ)は頑丈なのが一番だ」
  「和室はどうなる? 俺はそれが気掛かりなんだ。
   ・・歳とってからのこと考えたら、畳の部屋は大事なんだ」
  「イイか手前ぇら、風は馬鹿に出来ねぇぞ」
  「労働者はこのぐらい、糖分摂らなきゃな」
  「見た目ばっかりこだわってよ」
  「下手なもんは造れんから」
  「玄関(の扉)が“内開き”? 笑っちゃうな。俺は聞いたことがねぇ」
  「こんな家、見たことねぇ」
  「やるからにはよ、もっと現場のこと知っといて貰いてぇもんだな」
  「現場の人間は・・汗かくんだよ」 ←それにしても塩、かけ過ぎ!
  「素人はコレだからな・・」
  「昔から“便所は北側”と決まってんだよ」
  「インチ? 俺はインチなんかで家、建てたことなんてねぇよ」
  「材木は全部“尺”で寸法とってんだよ」
  「随分、偉そうじゃねぇかよ」
  「あの大センセイはな・・建築に関しては“ドのつく素人”だ。
   この俺が言うんだから、間違いねぇ」
  「娘が初めて・・頼って来てるってのに・・」
  「ダメだ・・切る爪がもうねぇ」
  「期日迄に仕上げるのが、俺の仕事だよ」
  「分かんねぇよ。そんな表現じゃ」
  「大黒柱は、家の“生命”だ」
  「飯は3食、きちんと摂らないと・・長生き出来ねぇぞ」
  「だんだん飲み込めて来た」
  「(壁の色に)白は使わねぇ・・汚れが目立つから」
  「決まったからには、これでいくしかねぇんだよ。
   世の中“思い通りに行くこと”の方が少ねぇんだ
  「俺はニッポンの大工だ。51年、この道でやって来たんだ」
  「どっか、オモテから見えないのをこっち(=見える部分)に回すか・・」
  「へっ・・何処の(国の)大工もアレだな、考えることはみな同じ」
  「こんな雑な仕事、したことがねぇや」
  「そこだよ、大事なのは。・・それが俺たち大工の“心意気”だよ」
  「誰に何て言われようが・・扉は“外開き”だ」

柳沢「だけど、僕は内装しかやったことないから」
  「お客さんの前で(全裸で)仰向けになる奴があるか! 早くうつ伏せに!」
  「お喋りしたいなら、スターバ※クスに行けって!」
  「自分のやり方だけが正しい、とは限らない訳だし」
  「作者が自分の主義を曲げた瞬間に・・作品は作品でなくなるんですよ」
  「和室が広過ぎるような気がするんだ」
  「僕はイイけど・・あなたは平気なんですか?
  「分からなくてイイから、とにかく注文して下さい」
  「俺の仕事は“妥協すること”だから」
  「イイですよ。好きに決めて下さい」
  「俺は何のために此処にいるんだ? 何でこんな所に柱があるんだ!」
  「この家は妥協だらけだ・・何処もかしこも」
  「ま、デザインするってのは、こう言うことですから」
  「便利で安い物はすぐに手に入る。だから、全てが型にはまってしまう。
   (中略) 当たり前の物が、この国には少な過ぎる。
   (中略) 便利なことって、そんなにいいもんなんですかねぇ・・
  「お金で(トラブルが)解決出来れば、イイ方です」
  「“これ以上、酷くならない”って言ったよね? どんどん酷くなってるじゃないか?!」
  「古い家具は、古いから高いんじゃない・・機能的で使い易いから価値が下がらないんだ」

大工の倅「あいつの言いなりになってちゃ、いつまでも家なんか建たねぇや」
    「何かって言うと“横文字”ばっかり使いたがりやがって
    「俺はあんたを、好きじゃねぇけどさ・・この家は好きだ。・・お疲れ!」

大工「実は俺、心臓が停止しちゃったんだけどさ・・障害者手帳、見る?」

兄「俺達は賃貸で良かったな。なまじ家なんか建てると、心配ばかりだ」
 「眼に来るんだよね・・白い(色の)壁ってさ」

飯島「この街にずっと住むんだな・・って」
妻「そうよ・・(お互いに)お爺ちゃんとお婆ちゃんになる迄ね」

飯島「(この図面で)どうですか?」
須賀「いけませんね・・これでは“違法建築”になってしまいます。
   ・・このままでは、申請が下りません」
妻「無理して建てれば?」
須賀「・・取り壊しです」

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2010年3月 3日 (水)

☆『萌の朱雀(1997)』☆

1日(月曜)の深夜(=日付は2日)、衛星第2でひっそり(?)と、女流監督:河瀬直美のブレイクのきっかけとなった1作『萌の朱雀(もえのすざく)』が放送されたので、部屋を暗くし“入眠時”に楽しむつもりで観てみた。

この作品は制作の同年“第50回カンヌ国際映画祭”において“カメラ・ドール(新人監督賞)”を受賞。
凱旋直後(?)に開催された河瀬監督のトークショーに足を運んだ思い出と共に、今も「佳き記憶」として残っている。劇場(ミニシアターだったか何処だったのか、ちょっとそこが思い出せない、、)観賞後、以前乗っていたクルマで(当時の)西吉野村に“ロケツアー”を敢行したモノである☆
めちゃくちゃ狭い村道を進んだ先が行き止まりになってて、何度も前進&後退を繰り返し、強引に“その場Uターン”をしたのも懐かしい(・ω・)

本作の魅力は何と言っても「寡黙だが雄弁」「無骨なれど洗練」「喪失かつ再生」「絶望であり希望」と言った幾つもの“相反する要素”が、さり気なくも絶妙なバランスの上で成立しているトコロだと感じる。

これまでに2度ほど観た本作だが、今回は初めて「短かったんやなぁ」と気付き、また「カメラワークが巧いな!」と感心させられた。“軸”となる人物は、唯一のベテラン俳優とし起用された國村隼さんだが、今回は彼の奥さん役の女優さん(神村泰代さん、と言う方)の映像&演出的な捉え方がスゴいな! とも。

意図的なモノなのか、彼女の演技/動きの殆どが平坦に、と言おうか静かに展開され、彼女が「疲労で倒れるシーン」は効果音のみで済まされるし、雨中を駆け出すシーンは(屋外の)柱の向こうに配して「映らないように、映している」のだ。この女優さんはセリフも殆どないし、喜怒哀楽も判然としなかったりする。実に、不思議な存在感の方だった。

監督らスタッフ自身が長期間“西吉野エリア”に住み込んで撮影を続けただけあって、カメラが「そこに住む人々」「そこに存在する風景」に半ば溶け込んでるようにさえ思えた。

「骨」となるストーリーはちゃんとあるんだが、そこに即興的(?)にも見える映像をドキュメンタリー的に差し込み、妙な「違和感と統一感」を成り立たせている技量は・・改めて思うに、スゴい。

たまに観たら・・またロケツアーがしたくなって来たワタシである(=^_^=) ・・ここからじゃ遠いやろな、、

〜 こんなトコも 〜

♦本作を「3語まとめ」するならば・・「縁側、風鈴、西吉野」「バス停、隧道、杉木立」或いは「新緑、吊り橋、國村隼」あたりだろうか(=^_^=)
♦全員が揃いも揃って“笠智衆”状態! でもしっかり「吸引力」はあるんですねぇ・・
♦村民として溶け込み過ぎとる國村さん・・流石です。
♦「ピアノの旋律」は「セリフ」に勝る要素、なのやも知れぬ(・ω・)
♦ラストシーンの「長回し+クレーンカメラワーク」は本作最大の見所かも知れない!
♦「恋尾」と言うバス停が映されるが・・これは架空の地名らしい。

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2010年1月21日 (木)

☆『マインド・ゲーム(2004)』☆

19日(火曜)の夜。衛星第2で流れたモノを鑑賞。
深夜からの放送だった故「録画しとこ!」と考えたんだが・・タイマーをセットする寸前に(仕事の疲れ等からか)うっかり仮眠してしまい・・結局、1時間遅れでの(中盤以降の)鑑賞となってしまった次第(×_×)

主人公の臨死体験(?)みたいな物語なんだが、とにかくカラフルでイマジネーションに満ち溢れた映像群だった! ストーリーは難解・・と言うか正直、良く分かんないんだが・・何と言おうか躍動感(生命感?)に溢れ過ぎてて、映像世界が「スパーク」しているのだ!! 「コレはモノ凄いもんを観たな~!」と久々に軽い衝撃を受けた。

全編がポップな切り口のアニメーションであるんだが、アニメならではの「妥協なき演出群」が素晴らしい。
例えば「あ、こんなシーン(≒シチュエーション)ってあるよな!」ってな、一瞬の(日常の)場面が本筋の中に唐突に数カット(1秒にすら満たなかったりする!)挿入されるんだが・・こう言うのって、実写だといちいちロケしなくてはならず、費用対効果(?)の面から削られたりするケースもあるんだろうけど・・そんなのがしっかり実現されている。

そんな「こんなシーンってあるよな!」「あぁ、このシーンの続きが(展開が脱線しようとも)観たいよな!」がバンバン入ってたりし、妙にテンションの上がってしまったワタシだった。

ヘロヘロに酔った状態で本作を大画面でダラダラ観たら・・コレは結構「トベる」んじゃないかと思う。

正直「キャラ造型」「声優陣」の面で言えば「ちと好かないな」と感じたんだが・・それだけで斬り捨てるには“余りに惜しい”作品世界があったように感じた。

・・ってことで、さっきから“あまずぅん”のDVDの価格帯をチェックしたりしてるワタシである(⌒~⌒ι)

追記1:ちょっと迷ったけど「あまずぅん」でクリック(=購入)しちゃいますた(=^_^=)>
追記2:いつになく抽象的なレビューだなぁ。

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2009年2月17日 (火)

☆『ミッドナイトイーグル(2007)』☆

15日(日曜)の夜。
「日曜洋画劇場」で“地上波初放送”された和製山岳サスペンス(?)『ミッドナイトイーグル』を観た。
大沢たかお主演による局地(?)テロリストもの。
全体的な雰囲気に『ホワイトアウト(2000)』やら『亡国のイージス(2005)』に通じるものがあったが・・それもその筈、両作のスタッフが再結集して完成させた作品でもあったそうだ。

戦場カメラマン・西崎(大沢)は4年前、中東の紛争地区で、目の前の少年が飛来したミサイルで吹き飛ぶ凄惨な現場に出くわし、衝撃を受ける。「写真で平和を訴える」と心に決め、世界各地を渡り歩いて来た彼だが、それ以降はカメラを半ば封印し、専ら国内各地の山を登ることに情熱を傾けて来た。

そんなある日、彼は北アルプス近郊でヒバーグ中(?)に、ステルス機が墜落する閃光を目撃する。

密かに軍事訓練を行っていたステルス機“B-5”に搭載されていた“何か”を巡り、周辺の自衛隊基地や、ひいては永田町(内閣府)が激震に包まれる・・

墜落現場に残された“何か”を回収すべく、渡良瀬総理(藤竜也)は陸幕長に命じ、名うてのレンジャー部隊を北アルプス・見岳沢へ向かわせる。
一方で、西崎の後輩でもある東洋新聞・松本支局の記者・落合(玉木宏)は、左遷の不名誉を挽回すべく、スクープをゲットせんと、西崎を伴い(=雇って)同様に見岳沢を目指すのだった。

だが、レンジャー部隊も、西崎たちも知らなかった。
某国の工作員によって構成された集団が、完全武装の上で“何か”に恐ろしい勢いで迫っていたことを・・

出だしの展開からして『ブロークン・アロー(1996)』の亜流みたいなもんかな、と感じたが、もっと自由度&娯楽性の低い、ややしょっぱいテイストの作品であった。。

主役となるステルス機“ミッドナイトイーグル”の造型、中盤以降の銃撃戦・・と見せ場ならば、沢山用意出来たハズなのに・・あらゆる場面を「吹雪」「雪原」が覆い隠してしまい、かなりヴィジュアル的に“観客の期待したモノ”が失われてしまう形となってしまった(×_×)
後半ではステルス機内に到達する面々もいたりするんだが、、何処となく「ニセモノ」っぽくて興醒めな感じ(の機内)にも映った。。

西崎の構えるカメラ(一眼レフ)のロゴが完全に黒く消されてて余計に気になったり、ヒロイン=有沢慶子(竹内結子)のぶっ放すチャカ(拳銃)が玩具っぽかったり、石黒賢演じる雑誌社(週刊WISE)編集長のキャラが何ともペラペラに見えたり、渡良瀬総理が必死に訴えようとするヒューマニズムがどうにも滑ってる感じだったり・・“総じて”どっかで「製作費を浮かせ、儲けとるヤツがおったのでは?!」と決め打ちたくなるトコロが正直あった。

(何処の国かは)何となく分かるが(=^_^=)、工作員を多数潜り込ませて来た「某国」に対する風刺(?)が甘く、かつ(山岳における)相手工作員側の(人間)ドラマの描写が殆ど0%(!)だったのは、ただただ消化不良に思えた。

更に細かいトコでは、雪原を「赤いジャケット(落合)」や「黒いジャケット(西崎)」を着てウロウロ歩き回る主人公らが、何故ラスト近くまで狙撃されずに生き残れたか? ってのも大いなる疑問だった(どう見ても民間人ぽいから容赦して貰えたんかな?)

オチも“衝撃的”な筈なのに「涙」じゃなく「疲労感」がどっと溢れたのだった。

「日本での“この手の”アクション映画には、やっぱ限界があるんやなぁ」としみじみ感じた2時間(とちょっと)だった(×_×)

〜 こんなセリフもありましたが 〜

西崎「ナパームは兵士だろうが、子供だろうが見境なく命を奪う」
  「必死に生きようとする子供たちの未来を一瞬にして奪う、それが戦争だ」
  「シャッターを切ることじゃ、たった1つの命さえ救えない」

佐伯「我々は軍隊ではない、自衛隊だ」

総理「・・民間人?!」
  「有沢慶子さんですね? 総理の渡良瀬です、初めまして」
  「残念ながら、全ての真実が国民の幸せと安全に繋がるとは限りません」
  「政治家の、唯一最大の責務は・・どんな手段をこうじても戦争を阻止することです」

落合「山は夏がいいですよね・・雪が溶けたら、また行きましょうよ」

※「西崎の写真を見て、誰もこんな眼に遭わせたくない、そのために自衛官になろうと決めた」

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2008年12月28日 (日)

☆『まあだだよ(1993)』☆

25日(木曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。

以前に“何気なく”TV鑑賞した覚えはあり、その時は「まったりしてるなぁ〜」と感じたに過ぎなかったが・・今回は流石に「今春から放送されて来た“没後10年・黒澤明特集〜全30作放送〜”のラストを飾る、監督の“文字通り”最後の作品」ってことで、確かに感慨深いモノがあった。

作家・内田百閒(1889-1971)の教師(=法政大学のドイツ語教授)生活引退後の半生(1943〜)を、かつての教え子らとの心温まる交流の日々を軸に描いた佳作ドラマ。
その作品(随筆など)で取り上げられた幾つかのエピソードを、軽妙に描いた造りなのだが、特に中盤以降で40〜50分ほどの時間を割いて丁寧に演出される“愛猫ノラを巡るハナシ”がとても良かった。

これはウィキペディアからの情報(の鵜呑み)で恐縮なのだが・・還暦の翌年から、門下生や主治医(=^_^=)らを集め毎年盛大に開催された誕生会「摩阿陀會(まあだかい)」は実在した集まりだそうだ。「ノラ(←野良猫からの命名)」「クルツ(←短い尾からの命名、Kurzは独語で“短い”の意)」なる飼い猫2匹の名もまた然り。

「私もどうやら、書いたものが売れるようになった」と意気軒昂に文壇に殴り込みをかけた(?)百閒(松村達雄)であるが、狙い通りの裕福な生活は実現しなかったようで、劇中では空襲で自宅は焼け落ちるわ、続いて住んだのがまさにアバラ屋だわ、となかなか波乱の作家人生だったようにも。。

アクションシーンを期待しても仕方のない(=^_^=)本作。
作家と教え子の織りなすドラマもむろん微笑ましいが、やはり秀逸なのは妻(香川京子)とのやり取りであろう。

馴れ初めは一切描かれないし、性的なシーンなぞ微塵も演出されないんだが、寄り添う2人の「オイ」「ハイハイ」な“つうかあの雰囲気”が素晴らしい。
(一見“亭主関白”に見えるんだが、当然ながら奥さんの方が“1枚も2枚も上手”なのだ(=^_^=))

また、普段は飄々としてて、毒舌で、ふざけてばかりで、掴みにくい性格の百閒なんだが「2シーンだけ」寡黙で弱虫な“素(す)”の彼が拝める所はメリハリが非常に効いていて良い!

・自宅で雷に襲われた時
・ノラがいなくなった時

ワタシも年を取ってしまったか・・後者(ノラ騒動)における百閒の憔悴し切った、女々しくも痛々しい様子には、ついウルウルと来てしまった(×_×)

後年には恐らく語り継がれぬであろう(文豪の周りの)凡な(←ある意味、名もなき)人々(妻や教え子)が・・実に、表面的な彼(百閒)の明るさの裏(=実像)を知る希有な存在だった・・ってな脚本は巧いし、徹底して客観的に描かれ続けた彼の内面(心中)に「最後の最後」に至ってようやく大胆に切り込む“あの映像演出”にも技巧的に感心させられるトコロがある。

ふと思ったのは、

・所ジョージ演じた“活気あるサラリーマン”の役を、若き日の植木等がやってたら、それはそれでパワフルだったろうし面白かったやろな〜。
・第1回「摩阿陀會」の冒頭、百閒が巨大ジョッキでビールを一気飲みする演出は「長回し(カット&映像切替なし)」で見せて欲しかったな〜。

ってトコかな。

にしてもあの“一気”は、その恐ろしさを知ってるワタシにはかなりの緊迫感を与えてくれた。。今のご時世では、ホントのところ「ちと配慮すべき表現」と言えるかも知れませんな・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

百閒「文士なんてそんなもんさ」
  “世の中に、人の来るこそ嬉しけれ、とは言うものの、お前ではなし” ←内田邸玄関の一首
  「こりゃまさに“干天の慈雨”だ」
  「人間生きてると、色々と持ち物が増えて困るよ」
  「昔の歌はいいねぇ・・私は昔の歌が大好きだ」
  「おいおい、そんな話は困るよ」
  「威張ってる重役は、じゅうえき(重役)にかけなければならない」
  「ここはまさに“金殿玉楼”だよ」
  「我ながら名案だと思うよ」
  「みんな、自分が本当に好きなもの、大切なものを見つけ、そのもののために努力しなさい。
   君たちはその時、努力したい何かを持っている筈だから」

教え子A「しかし先生、どうしてあんなに・・」
教え子B「先生は、感受性も想像力も俺たちとは違うんだ」

教え子A「良く眠ってる・・夢を見てるらしいよ、でも先生はどんな夢を見るのかなぁ」
教え子B「夢も“金無垢”だよ、きっと」

妻「主人のステッキを・・」

教え子「短いから祝辞だ。長いと弔辞になる」

追記1:戦後の焼け野原ぽいシーンは『素晴らしき日曜日(1947)』の終盤を想起させてくれる。
追記2:「女性の描き方を忘れはったんでは?」と心配になってしまった『影武者(1980)』鑑賞以降のクロサワ作品だったが、本作は「描き過ぎず、かと言って足りない訳でもなく」巧いと感じた。まさに“クロサワ印ドラマの総決算”な1本と言えよう(念のためも1回書いときますが(=^_^=)・・アクションシーンはないッスよ!)。

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2008年9月 6日 (土)

☆『舞妓Haaaan!!!(2007)』☆

さる29日(金曜)の夜、地上波初放送された“クドカン(宮藤官九郎)脚本”による舞妓モノ映画『舞妓Haaaan!!!』を観た。

公開当時、劇場で観て、それなりに良い印象を持った本作だが・・流石に「CMで寸断されまくり」「微妙なカットありまくり」だとなかなか作品世界に入り込めないモノであるな。。

初めて観た時の感動(?)は過去の記事を併読頂くとして、今回は「思ったこと」に焦点を絞って少し書いてみるにとどめる。

http://tim3.cocolog-nifty.com/blog/13/index.html

※上記リンクの下方にある「2007年8月18日」の記事です。

やはり“舞妓オタク道”を爆走する主人公=鬼塚公彦(阿部サダヲ)の弾けっぷりが楽しい。あそこまでオタクな公ちゃん(=公彦)が、いざ花街にやって来てから「一見さんお断り」の大原則を思い出すってのは、絶対におかしいと思うんだが(=^_^=)・・ま、そこを突っ込むとあのミュージカルシーンも成立しませんし。。

・強いオタクが潜在能力を爆発させると・・!
・オタクが情熱を仕事面で爆発させると・・!
・脳内で日時&金銭感覚の欠落してるオタクぶり
・オタクは髪型&服装に何らこだわらない
・アクティブなオタクは家になんかこもらない

などと言った主人公の言動は「オタクに秘められた可能性」や「オタクならではの悲しき生態」を優しくかつ厳しく描いており、嬉しいやら恥ずかしいやらだった(⌒〜⌒ι)

君ちゃん以外に「もう1人の舞妓オタク(後継者?)」もまた育ちつつあった本作だが・・考えたら、元々あの店(=卯筒)にいたベテランの“下足番”さんも元々は「舞妓オタク」だった可能性があるよな〜と気づいた今回。

なお、次の人生がまたあるとすれば「余暇にバッティングセンターに通い、掌にマメをこしらえるぐらい振り回してみよう」とも思った次第(・ω・)
何やら自分の“違った可能性の芽”が伸びて来るかも知れませんし(=^_^=)

「そんなことってあるんですよねぇ〜」

〜 こんなセリフもありました 〜

ぼん「もうお人形さんみたいですわ」
  「もう死んでもええわぁ〜」
  「京都と三重の歯ぎしりは、全然違う」
  「12年目の春どすえ〜!」
  「(花街は)銀座のクラブよりもリーズナブルです・・行った事ないから分かんねぇけど」
  「一生かやく作って生きるのか? “かやく社員”か俺は?」
  「こんなことってあるんですねぇ~」
  「楽しい! ナムコワ※ダーエッグの100倍楽しい!」
  「結果、出したろやないけ!」
  「素材が良ければ・・飾る必要なんかおまへん」
  「もういいよ! もういいだろ!」
  「だって・・始まったら、終わっちゃうってことじゃないですか?
   来るってことは、帰っちゃうってことじゃないですか?」
  「あいつ、明らかに僕らより楽しんでましたよね?」
  「人間“眠ってる才能”ちぅのがあるもんやね」
  「年内に完成しないとカンヌに持って行けないよ!」
  「京都は日本の宝だ〜っ!」
  「忘れられます・・出来ます! 阿呆やもん!」
  「いいです、(野球拳って)泣きながらするもんじゃないし」
  「楽しいです! ・・ウソです、正直思ってた程楽しくなかった」
  「好きとか嫌いやないよ!」

ナイキ「ふん、喰いつきよったで」
   「カッパやカッパ!」
   「のし上がるこっちゃ、ええ思いしたいならな」
   「どや? 年俸8億のバットは」 ←“年棒”と“肉棒”を引っ掛けてるんですねぇ〜(解説せんでええて!)
   「決起盛んな遺伝子が姉さんの“ミット”にバシッと決まったんや」
   「アレはあったらあかんて、おい」

ぼん「どうかお伴を」
鈴木社長「よし、気に入った! ・・と言うとでも思ったか、この馬鹿者」

駒富士「あんなよぼよぼの爺さんとも・・するんですか?」
   「三味線もお囃子もありまへんけど、アカペラでもよろしいやろ?」
   「なに弱音、吐いてはんの!」
   「何だったんだろ、私の京都・・」

医師「胃潰瘍、尿管結石にヘルペス・・即、手術やね・・んん」

千崎「一緒に走って行こ思たら、追い抜いてもうたわ」

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