8日(日曜)の朝。
色々と忙しく、ここしばらくクルマに乗ってなかったことに気付いた! って訳で、久々(2週間ぶり)にドライヴしつつ、新作も観ちゃおう! と欲張りさんに考え、少し離れた場所(京都と奈良の境界)にある“ワーナー・マイカル・シネマズ高の原”に『ベンジャミン・バトン/数奇な人生』を観に行った☆
別な作品でも観たいのはあったが、ヒロイン役にケイト・ブランシェット&ティルダ・スウィントンのお2人(←このお2人、系統的には似てると思う、、例えばラッセル・クロゥとデヴィッド・モースみたいに)が出てるとなれば、こりゃもう観に行くしかないでしかし! って感じで心穏やかには過ごせなかったワタシなのだ(⌒〜⌒ι)
ワクワク感が止まらなくなり、1時間ほどで現地到着☆
改めて、今日のドライヴで気付いたのは「流れを守れぬ、ノロノロ運転のおじいドライヴァーの、如何に増えたか!」ってこと。スピード厳守のその気持ちは確かに分かるが、まず「速度を意味不明に落とし切って、左の店舗(駐車場)かなんかに入り始め、後方から(と言うかワタシなんだが)クラクションを鳴らされてようやく左の指示器を出す」ってな行動はもうやめにして欲しい。もしくは何らかの「マーク」をボディに貼付けなさい、と。
1日で5回ほど、一般道での追い越しを敢行したが、あれってする方も命がけなんですよ、ええ。
シネコンのロビーに到着した際には「幸」と「不幸」があった。
前者は「座席が意外に空いてたこと」「(通常は2時間枠の)駐車場の無料時間設定が、長編映画(約2時間50分)であるため、有難くも5時間枠に拡大されてたこと」であり、
後者は「日本語吹替え版」しか上映の設定がなかったことだ。字幕版を観たいとなると、更に1時間半ほどぼんやり待たねばならず、仕方なく吹替え版で我慢した。結果的には、それはそれで楽しめたけどね。
※
2005年8月、ルイジアナ州ニューオーリンズにある某病院の617号室。
ハリケーン・カトリーナの迫る中、老婆=デイジー・フラーがベッドに横たわり、臨終の時が静かに歩み寄っていた。側に付き添う娘=キャロライン(ジュリア・オーモンド!)に老婆は「スーツケースを開け、中に入っているものを取り出して」と頼む。果たして、その中には“ベンジャミン・バトン”なる人物の手による日記があった。
それを読んで欲しい、とデイジーはキャロラインに乞う。
そしてこの“数奇な物語”は、日記の書き手=ベンジャミン(ブラッド・ピット)自身の独白と、それを補完するデイジー(ケイト)の記憶の中で、いきいきと時間を遡り、動き始めるのだった・・
※
うーん・・長い! ワタシは覚悟してたから大丈夫だったが、途中で何人もの女性がバタバタとシアター外に飛び出しては駆け戻って来てた、、きっと膀胱の限界だったのだろう(・ω・)
1918年(11月11日)に端を発し、2005年8月(現代)に完全に物語は幕を下ろすこととなるんだが、監督がデヴィッド・フィンチャーってのがまず引っかかり「何処かに、大きな騙しがあったんじゃなかろうか?」とコレを書いてる今も気になってしまう(=^_^=)
注意すべき点は「日記」と「デイジーの記憶」の中だけにしか、もはやベンジャミンの存在の痕跡が確実には残されていないことではなかろうか? “80歳の肉体をもって生まれ、常人とは逆に、次第に若返ってゆく男”のハナシは、きっと新聞社や研究機関なんかも(FBIも?)興味を持つジャンルだと思うんだが、特に劇中で“ベンジャミンの数奇さ”が世間の好奇の眼にさらされることはなかった。
それが故に「実在したと言う証拠を、誰も辿ることが出来ない」ってのが、本作の持つ最大の(?)ミステリー性であり、面白さであり、監督の狙いだったのかも、とか(=^_^=)
物語はニューオーリンズの“カナル・ストリート駅”に設置された「逆回りの大時計」の製作者=盲目の時計職人ガトーのエピソードを皮切りに、ベンジャミン自身の少年期⇒青年期⇒壮年期・・を、彼自身の体験(と言葉)を軸に、時に恋人であるデイジーとの絡みを交え、ある意味淡々と描いてゆく展開。
フィンチャー作品としてはどうにも“どんでん返し”“衝撃のラスト”を期待してしまうが、まぁ物語自体が“どんでん返し”な男の人生でもあり、そう言う期待は過剰にしないが良いかな、と。
アカデミーでの監督賞は(本作をフィンチャーの新境地と認めたくはないので)獲って欲しくないワタシだが、ブラピ&ケイトの静かながらも強い印象を残す言動は、素直に良かったと思う。
可能な限り、CG+メイクで俳優自身の“老け”を追求してた本作。残り1時間足らずほどで、ようやく“若さの爆発”してるブラピを拝むことが叶うが、初期作『リック(1988)』の時のような「ツルツルピカピカ過ぎる」ブラピには同性ですら「ほあぁぁぁ!」と驚愕かつ嫉妬してしまった(☉д☉)
意外とシーンは限られるが、ベンジャミンの“バイク姿”がカッコいい! ・・と言うより切ない。。きっと彼の乗る移動媒体が“クルマ”では、あの切なさは表現し切れなかったろう。
・・デイジーの見守る中、眼下を走り去って行くバイク姿のベンジャミン・・この1シーンこそが、本作をある種、象徴的に描き切った瞬間ではないか、とさえ思えた。
なお、
ガトーを巡るエピソードには『ビッグ・フィッシュ(2003)』
デイジーとの運命や、船旅&戦争体験をする展開には『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』
老婆の語る恋バナ(?)には『タイタニック(1997)』
不条理なミステリアスさには『オルランド(1992)』
などを連想してしまった。また、原作がフランシス・スコット・フィッツジェラルドの短編小説だそうで、そうなると(=^_^=)きっと本作がもっと以前に製作されてたとしたら・・ロバート・レッドフォードが主演してたんじゃないかな、やっぱ・・と決め打っとくとしよう(=^_^=)
個性的なキャラがわんさか登場するも、それぞれの描き方に「ちと溝不足があったんでは?」と感じたのはワタシだけだろうか? 特に好きだったのは、
・洋上では仲が良いのに、港に戻るや取っ組み合いの大ゲンカを始めるブロディ兄弟(双子?)
・7度も雷に直撃された男(←回想シーンが昔風の映像処理なのがイイ!)
・時に、全裸であろうとお構いなく、老人ホームの庭に星条旗を掲揚する元将校のジイさま(ウィンズロー元大将)
辺りの面々。
反対に物足りなかったのは“育ての父(ティージー?)”や“うさん臭いがカリスマ的な牧師さん”“フィラデルフィア動物園でサルと暮らした男”などだろうか(・ω・)
父親のトーマス・バトン(ジェイソン・フレミング)も、冷徹なままでは生きられぬ“弱き人間”とし、その後もたびたび登場し、何処となく「憎み切れなさ」を漂わせていたのには好感が持てた。
ブラピ作品では『ジョー・ブラックをよろしく(1998)』がめちゃくちゃ好きな(=^_^=)ワタシで、アレに迫る(もしくは超える)“恋愛物語”を・・! と期待したが、、それほど切なさを感じたり、ウルウル来たりしなかったのは残念だった。
どうやら、冷静に分析するに「デイジーより、エリザベス・アボット(ティルダ)との相性の方が良かったんじゃないの?」と素直に感じてしまったことが大きいと思う。
「デイジーとあそこまで荒々しく“ドアを閉めた”夜があったか?」
「デイジーとあそこまで深く語り明かした日々があったか?」
いやきっと、あったんだろうけど・・そこのイマイチ伝わって来なかったワタシである(・ω・)
〜 こんなセリフもありました 〜
デイジー「眼を開けているのも辛いわ」 ←老いて
「少女に愛の何が分かると?」
「ダンサーはみな信頼し合うの・・セックスも信頼の証よ」 ←ドキッ!
「今は、助けて欲しくないの」
「もう2度と、自分を憐れんで泣いたりしないわ、約束する」 ←ここはグッと来ます
「ダンスは身体のラインが全てなのよ、いずれは崩れるのだけれど・・」
キャロライン「怖いの? ママ」
デイジー「怖くはないけれど・・どうなるのかしら?」
キャロライン「早く知っていたら・・」
デイジー「これで知ったでしょ?」
観衆「(あの大時計は)逆回りだ!」
ガトー「このような時計を、どうかお赦し下さい・・
しかし、時を戻せば・・戦地で亡くなった、この街の若者たちが戻って来るかも知れません」
ベンジャミン「いつも知りたかった、外には何があるのかを、あの角を曲がった先には何が・・」
「真夜中だが寂しくはなかった・・家の“息遣い”を静かに聴いていたから」
「知っての通り、神は与え・・そして奪う」
「人は去り、人は来た」
「老人達の話題は“天気”“湯加減”“夕焼け”のことだけだ」
「僕はね、子供なんだ」 ←彼の秘密
「生命が生まれ、生命が消えた」
「名前も覚えていない人が、記憶の中で一番印象的だったりする」
「何事も経験してみないと」
「長い1日だったが、夜はもっと長かった」
「時間が来れば、僕たちはそれぞれの部屋に戻り、それぞれの人生に戻った」
「ハチドリがあんなに高く飛ぶのを、初めて見た」
「人生は色んなチャンスに左右される・・逃したチャンスも含めて」
「人生は、複雑とは限らない・・求めるものさえ分かっていれば」
「人生は、どうにもならない出来事の積み重ねだ・・
もしあの時、何か1つでも歯車が狂っていたら・・」
「この子には“ちゃんと歳を取る父親”が必要だ、僕じゃない」
「なりたい自分になればいい」
「もし見失ったら・・大丈夫、自分の力でやり直せばいい」
「永遠は、君の心にある」
デイジー「そうやってずっと無言を?」
ベンジャミン「(ムードを)台無しにしたくない」
ベンジャミン「永遠なんてないんだな・・」
デイジー「いいえ、あるわ」
デイジー「あなたのいない人生なんて、考えられない」
ベンジャミン「君を忘れるなんて・・無理だ」
ベンジャミン「ママ、昨日と今日は違う気がする」
クイニー「誰しもそう思うものよ・・だけど、行き着く先は同じ、通る道が違うだけ」
牧師「ベルゼブブ(悪魔)よ、去れ!」
「よみがえれ、ラザロのように! 立ち上がれ」
サル男(?)「人と違う人間はな、独りで生きて行くものなんだ」
「みな結局は独りさ・・誰にとっても、それは死ぬほど怖いんだが」
「あの女はもう“友達”じゃないのさ、あの女は気難しくてな」
クイニー「神様は、きっと何かお考えなのよ」
「みんな順番待ちをしてるようなものだわ、ここではね」
※「大切なのは、巧く(ピアノを)弾くことじゃない・・どう言う気持ちで弾くかなの」
「失って初めて、その人の大切さを学ぶの」
船長「人の意見なんか気にせず、自分のやりたいことをやれ」
「ジャップとナチス野郎をぶっ殺してやるぜ!」 ←おい!
トーマス「良いボタンは、このバトンにお任せを!」
エリザベス「ロシアでワインやチーズを食べるなんて陳腐なだけよ、キャビアとウォッカに限るわ」
ベンジャミン「(ティーに)ハチミツを? ハエが入ってるけどいいかな?」
エリザベス「・・遠慮しておくわ」
追記1:『サブリナ(1995)』『トゥルーナイト(1995)』以来、かなり久々にご尊顔を拝んだ感じのジュリア・オーモンドさん。何だかメイクのせいなんだか、すっかりクスんだはりました(×_×)
追記2:(俳優演技で)セオドア・ルーズベルト大統領、(セリフで)ジョン・ウィルクス・ブース(←エイブラハム・リンカーン大統領を暗殺した俳優)、エドガー・ケイシー(予言者)、D.H.ローレンス(『チャタレイ夫人の恋人』などで知られる小説家)、(実写映像で!)ビートルズなどが登場した。
追記3:日記の何頁かが破り取られてたり、大幅に消されてたりしてた(らしい)のが気になった。“ベンジャミン自身”以上に、どんな“謎”が存在し、それが永遠に失われてしまったんだろう?
追記4:ベンジャミンらのタグボート「CHELSEA号」と、ドイツ潜水艦(497と書かれてた)との一騎討ちは本作最大のダイナミックな海洋アクションシーンと言える。びゅんびゅん飛んで来るテキ機銃の“光跡”が怖いのなんの!
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