2009年10月31日 (土)

☆『ボーン・アルティメイタム(2007)』☆

31日(土曜)の夜、“土曜プレミアム”で地上波初放送された『ボーン・アルティメイタム』を観た☆

この水曜〜金曜には2泊3日の(愛媛県への)出張を経て、今日は早朝から和歌山・加太界隈で釣り活動をこなして来たもんで・・とにかく“運転過多”な感があった。高松⇒和歌山⇒枚方だけでもゆうに400キロ超えてるし。。

明日はなるべくクルマのことを考えずに過ごしたい(=^_^=)
・・って言っても、夜にゃまた帰松しなくちゃならないんだが・・(×_×)

CIA特殊工作員=ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)の、失われた記憶&総ての秘密が明らかになるシリーズ第3弾。今年の始めにDVD版で鑑賞した本作だが、心理戦に軸を据えつつ、アクション面も絶妙なバランスで配されており、ちびっ子を拒む(?)ようなシブい作品世界が展開している。

ダニエル・クレイグ版の“007シリーズ”にも影響を与えてそうな(?)「前作の直後から物語が始まる」「短時間ながら容赦ないカーチェイス」「ダイナミックなパルクール&格闘戦」などのエッセンスは素晴らしい。

今回は改めて「ボーンのバイクアクション」も挿入されてたことを思い出した☆
(しかし、デイモンくんがこんなに欧州の路地裏走行に精通してるとはね(=^_^=))

また、精神的な面のみでしか描かれないが、ボーンを巡ってパメラ・ランディ調査局長(ジョアン・アレン)と工作員ニッキー・パーソンズ(ジュリア・スタイルズ)のそれぞれが恋愛感情に準ずるような気持ちを漂わせてるトコも良かった☆

特に今回はパメラが後半の接触時、ボーンに「デヴィッド」と本名で呼びかけるシーンに「エエなぁ」と感じた。女性から名前で呼びかけられると何となく男ってもんは嬉しいものなのである(=^_^=)

それと、ボーンからの直電に「ノア・ボーゼンだ」と対応した、対テロ調査局長ノア(デヴィッド・ストラザーン)の(名乗り)行為が“モノ凄い失態”に直通する訳だが(=^_^=)・・あそこで「はい」とか「もしもし」とか返答されたら、どうする気だったんだろ、ボーンくんってば(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

ボーン「待て、何かおかしい」

ノア「おかしなもので、物事はどの角度から見るかで違って来る」
  「部外者がとやかく言うのは簡単だ」
  「発砲を許可する・・近付いて射殺しろ」

ハーシュ「自分がやったことからは逃げられん。結局は自分に向き合わなければならんのだよ」
    「このプロジェクトに、自分の総てを捧げろ」
    「この計画に専念出来るか?」

パメラ「いい弁護士を探すことね」

ニッキー「何も覚えてないのね?」
ボーン「ああ」

ボーン「殺し屋はまたやって来る。逃げるなら今だ」
ニッキー「・・・」

パメラ「あなた、何処迄突っ走る気?」
ノア「それは無論、勝つ迄だ」

追記1:劇中でひと言もセリフを発しなかった。モロッコ・タンジールの現地工作員(?)=デッシュ。ボーンとの格闘戦では2人がそれぞれ「分厚い書籍」「真鍮の燭台」を手に殴り合うのが印象的だった。
追記2:すれ違いざま、一瞬で相手のバイクのキーをすり盗るボーンの動き・・到底人間業とは思えない(=^_^=)
追記3:10階建てのビル屋上からイーストリヴァーに転落するボーン。流石にちょっと、無傷では済まないと思うんだけど(・ω・)

| | コメント (4)

2009年10月20日 (火)

☆『ファイナル・デッドサーキット:3D』☆

17日(土曜)。
翌週明けに会社(大阪市内にある本部)で研修の控えてることもあり、金曜の夜から慌ただしく帰阪した。

「帰阪前には掃除機をかける」ってのがそれまでのルールであったが(←誰に対してのだ?)、初めてそれを破ることに。
ま、今週はあんまり汚れてなかったし、エエか(・ω・)

この日は「(大阪)市内方面へ出かける」、翌日(日曜)は「遠出ドライヴをする」・・と漠然と考えてたが、その一環で“帰阪記念”と勝手に銘打ち、市内で1本「オオサカならではの作品」を観よう! ちぅことで、白羽の矢を立てた(?)のが『ファイナル・デッドサーキット:3D』であった! ・・って何でコレやねん。。

久々に“なんばパークス”へと。地下鉄の駅から遠過ぎるのは相変わらずだが、不思議とミナミを歩くのんが楽しかったり。
こんな商業施設ってば、高松ではちょっと見当たらないし。。

邦画で1作、そして本作と・・“3Dモノ”がそこそこ賑わって来てるここ最近(?) アニメーション作品では珍しくもないンだろうが、こと“ホラー/スプラッタ系”に関しては、ちょっと眼の付けどころが新鮮な気もする(・ω・)

特徴とし「入口で借りられる3Dゴーグルが(意外に)しっかり造られてる(使い捨ての紙製ではない)」「料金が2000円、と少しお高い」ってのはあったか。
あと“日本語吹替え版”だったので「字幕が飛んで来る!」みたいな映像エフェクトは楽しむべくもなかった(=^_^=) 巨大なテロップが飛び出したりなんかしたら、それはそれでバカっぽくて面白いンだけど・・

「映画に行く」と言う当初の(ダブルデートの)予定をねじ曲げ(?)、“マッキンリー・サーキット”での周回レースイベントを楽しむこととした4人の男女=ニック&ローリ、ハント&ジャネット。
人数分のドリンクを運んで来たニックが腰を下ろした瞬間、ベンチに亀裂が入る・・3人はそんなコメディ的な展開に笑うが、ニックはどうにも気になり、サーキットを見回す。

すると・・壁から天井にかけても亀裂が走り、コンクリートは今にも崩壊寸前。また、コースと客席を隔てるフェンス(金網)を固定するボルトは、数本が揺るんで今にも外れそうになっている。

次の瞬間、ニックは「フェンスを超え、レーシングカーが猛スピードでこちらへ突っ込んで来る」「客席自体もコンクリートの倒壊&猛烈な火災に襲われ多数が死ぬ」「そんなオッソロしい惨状の中、自らも含め、(自分たち)4人もその場で即死する」と言うリアルな悪夢(予知夢?)を見ることに!

不安を覚えたニックは3人を連れ、客席から避難する。その際のトラブルで、彼らを追いかけ客席を離れたのがナディア、カーター(偏見野郎)、サマンサ(2児の母)、アンディ(整備工)、ジョージ(警備員)・・の面々だった。

直後、果たして“ニックの予言通り”大事故が発生! 52名の死者を出す悲劇は現実のモノとなった。

死を免れ、安堵する彼らだが・・“死の運命”は意外な不可抗力をもって、彼らの生命を確実に奪わんと、静かに動き出すのだった・・

う〜ん・・良くも悪くも「シリーズ1作目『ファイナル・デスティネーション(2000)』のエッセンスをちょこっといじくり、3D映像を前面に出して安直にリメイクしただけ」って印象が強かった。

確かに、1作目の時は、粗筋だけを知ったワタシは「かなりワクワクしたモノ」だった。
と言うのも「どう知恵を絞って生き延びるか?」って部分が見所だと思ってたから。

ところが、実際に作品を鑑賞してみると・・「どう惨たらしく死んで行くか」って部分を観る(楽しむ?)怪作に成り下がっていたのだ。

まだそれでも、1作目には“ミステリアスさ”が多少はあったが、コレが2作目『デッドコースター(2003)』になると、死に方に“悪ノリ”“お笑い”が見受けられるようになった(×_×)

そのせいもあり3作目『ファイナル・デッドコースター(2006)』はアホらしくなり、結局は未見なのである(・ω・)

さて、本作。まず笑えたのが本編開始前の「みなさま 3-Dメガネをかけてください」と言った親切なテロップ。
「おお、そうかそうか」と装着すると・・いつものように“カメラをかぶった映画泥棒のおっさん”がクネクネ踊りながら登場した・・ってお前、全然3D映像とちゃうやんか!(=^_^=)

“トンガリ系アイテム”を積極的に見せてくれる、そんな3D映像演出こそは「らしくて」面白いが、一旦それらに見慣れてしまうと、他はあんまり面白くも目新しくも映らない。
正直、こんな出来だと知ってたら「2D仕様で1500円」であっても「高い!」と感じたかも(=^_^=)

「ホンマにマンネリやな〜」ってのは贔屓目に観ても感じるトコロ。
マンネリなのは仕方ないとしても「死に繋がるまでの“ピタゴラ装置”が余りに単調で、ヒネりがなさ過ぎる」のは致命的だった。。
とあるケースでは“杖に絡まったヘビが鎌首をもたげる”みたいな強烈なヴィジュアルが(ニックの見る“予知夢”の中で)映し出されるんだが・・実際に起こった事件の中では「どうでもいい要素」「推測しようのないヒント」にしか過ぎなかった(×_×)

いや、そもそも“本来死ぬべきだった人間が、その順番のまま次々と「より惨たらしい死」を迎える”って(コンセプト的な)部分に限って言っても「“本来の死”の方が悲惨やし、苦しそうやったやんか!」ってのがあったりもして「この監督は何をどう描きたかったんや?」と分かんなくなるシーンもあった。

劇中で「既に3人が死んだ」みたいなセリフがあり「え? 2人とちゃうん?」と思ってたら“タイヤミンチ”が1人目だったことに思い至った。いや、あんなん、ほぼ同時やんか・・(・ω・)

万人ウケを狙ったのか? 「子供キャラ」には一切“死の危険が迫らない”ってのがスピルバ※グ主義(?)な感じで奇妙に感じられたりも。

『ゴルゴ13(1983)←アニメ版』か『ロミオ・マスト・ダイ(2000)』か(=^_^=)って感じの“Xレイ・ヴァイオレンス”がオープニングで炸裂してたが、流石に・・エンディングではあんな風に「テキトーに」終わらせて欲しくはなかった。
ああ「CG丸出し」でまとめて決着(ケリ)をつけられては、何の余韻も衝撃も走らないってば。

ってことで、本作は“ゼロ災運動”“労働災害(=労災)防止”推進の一環で「中災防(中央労働災害防止協会)の推奨作品」とし、全国各地で上映するのが最も相応しいような気がする。

考えたら労災だって「危険要素により構成された“ピタゴラ装置”」みたいなモノかも知れないんだし・・(・ω・)

〜 こんなことも 〜

♦観終わり、劇場外に出てからは、とにかく頭上や左右をキョロキョロと(注意深く)見回してしまった(=^_^=)>
♦欲しいぞ! 双眼鏡型ボトル!(バーボンを注ぐのが通らしい)
♦耳栓代わりに、子供らの両耳に「ちぎったタンポ※!(←タンポポではない)」 これぞ“とっさの母の知恵!”←おい!
♦「夢ネタの新鮮味」が段々薄れて来た後半(×_×) ←(夢を含み)3回も「死」の描かれちゃうしともいて可哀想だった。。
♦「死んでからのニュース」でやっと名前の判明するキャラがいたりして苦笑。
♦リハビリ室のお爺さんの“戸惑った感じ”が何かトボケてて良かった。
♦案外沢山の人々が(一方で)救われた気もするが、そこは次作に繋がるンだろうか?(そこまで製作陣は考えてなさそな気がする(=^_^=))
♦劇中シネマ『愛の終わり(Love lays dying):3D』・・スクリーンを突き破る(=^_^=)大爆発の描写がスゴい!(アクション・ラヴロマンス?)
♦続編『死が分かつまで』ってのもあるらしい・・もうエエけど!
♦ニックの吹替えを担当してたのはココリコ田中氏(←後で知った)。『チーム・バチスタの栄光(2008)』みたく「まるでカーニバルですよね・・!」とか嬉々として言って欲しかった(=^_^=)
♦レーサー側からの視点も描き方も、全くされてはいなかった(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ニック「感じなかったか? 今ここで、何かを?」
   「何て言うか・・ただ“見えた”んだ」
   「ずっと何かがそばにいる・・そんな気がする」
   「“死の連鎖”を止めなきゃ」
   「安全が一番だ」
   「ここにいるのも“筋書き”通り?」

ハント「一瞬でも気を抜けば、ドライバーなんてバラバラだ・・みんな、そんなクラッシュを心待ちにしてるのさ」

ジャネット「優しい男は絶滅してなかったのね」

街角のホームレス「1セントなんぞ、クソの役にも立たん」
        「その場にいるのが、大事な時もある」

ジョージ「デジャヴでも見てるみたいだ。亡くなった妻が言ってたが、デジャヴってのは・・」

追記:ジョージ役を好演してたミケルティ・ウィリアムソンってば・・『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』の“ババ・ブルー”役のしとなんやねー! お元気そうで何より。現在は断酒に苦しんでそうだったけど(←役柄だっての)

| | コメント (2)

2009年8月12日 (水)

☆『HACHI/約束の犬』☆

11日(火曜)の夜。
仕事帰りに「気分転換してぇよぉぉぉ!ひぇおぉぉぉ!」と発作的に思い立ち(←いわゆる“ポポポーポ・ポーポポ”状態 ←おい!)、北方の“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”にて、ちょっと期待値の上がっちゃったりしちゃったりしてた(=^_^=)新作『HACHI/約束の犬』をダラッと観て来た。

本作で期待してたのは・・何と言ってもヒロイン的立ち位置(?)であるジョアン・アレンさん(=^_^=)
『フェイス/オフ(1997)』の頃は「旦那のカラダを間違えんなよ!」とか「寝てるしとの腕に針を刺すなよ!」とか、細かいツッコミをし放題だったが(その折はすんませんでした、、)『カラー・オヴ・ハート(1998)』で「おや?」と(トキメキを)感じ始め(=^_^=)『ボーン・スプレマシー(2004)』『ボーン・アルティメイタム(2007)』に至り、すっかり“大好きな女優さん”となってしまったのである(激照)

近作『デス・レース(2008)』では、待望の(?)ドライヴィング・シーンこそなかったモノの“サディスト女刑務所長=ヘネシー”ちぅ、ファンですら想像もつかぬ(=^_^=)特異なキャラクター像を嬉々として(?)演じ切っておられたのが記憶に新しい!

それに引き替え、ラッセ・ハルストレム氏(監督)も、リチャード・ギア様(主演&製作)も「うーん・・なんか弱い・・」って感は否めなかったなぁ。
ま、ソレを言い出すと、字幕担当=戸田奈津子女史なんかは「ぜんぜん意訳(超訳?)が弾けてねーじゃん!」とツッコミ放題だったが。。(戸田しゃん、ホンマ近年は精彩を欠き過ぎてマス、、)

クラス・ルームでは、学童が1人ずつ“MY HERO”なるテーマに因むスピーチをしていた。「コロンブスは私のヒーロー」と語った女児に続き、ロニー少年が語り始める・・
「ハチコウ(HACHIKO)はお爺ちゃんの犬です。何処からやって来たのか、ハチは“謎の犬”でした。ハチは“迷い犬”だったのです」

そして・・物語は日本の山間部の寺に始まり、ロニーの祖父である音大(?)の教授=パーカー・ウィルソン(ギア)とその妻=ケイト(ジョアン)が“ハチ”に出会った夜に遡ってゆく・・

冒頭から、日本のお寺(後に山梨県内と判明)で坊さんが仔犬を海外に輸出(?)する流れが描かれる。。この時点で、ワタシは何処か「物語世界に置いてかれた感」を早々に覚えてしまった(⌒〜⌒ι)
坊さんが生類(しょうるい)を「壊れ物在中」の扱いでアメリカの東海岸へと送り出す流れが、まず「余りに唐突だし(説明もないし)」良く分かんない。。
ついでに、お寺マニア(の端くれ)から言わせて頂くと、あの「鐘楼で梵鐘を撞く際の効果音」がどうにも「変!」に思えた。音もおかしいし、撞き方(所作)もどっか(ガサツで)妙だった。。

「低位置&モノクロなカメラワーク」に数多く切り替わるのは、まさに“ハチの視点”ってことだろう。かつて、小津安二郎監督のカメラワークは、その「低さ&動かなさ」から“犬の目線”などと称されたそうだが、ハルストレム監督は、それを更に追求し“犬の目線”を補完した! と言っても良いと思う。余り多用されると、ソレが陳腐に感じられても来たが、、(←どやねん!)

監督がおかしいのか、製作ご担当(←もギア様!)がおかしいのか、定かではないが・・変に「日本人は・・」と我々(日本人)の美徳やら美意識やらを紹介したがるような脚色には「んん?」と奇妙さを覚えたり(・ω・)

・“八”には「天に昇りし後、地に降りる」の意味がある。
・秋田犬は、4000年以上の血統を誇る。
・秋田犬は、人類の飼った“史上初の動物”である。
・秋田犬は「人を喜ばせること」に関心はない。
・日本人は「モノにつられぬ民族」だ。

注)上記は、いちいち驚愕しつつメモったモノで、多少(動揺による)読み間違いがあるかも知んない(⌒〜⌒ι)

こうした、日本人が耳にしても気恥ずかしくなるような講釈(?)の数々は、いずれもケイリー・ヒロユキ・タガワ(日本名:田川洋行)演じるパーカーの友人=ケンの放ってくれたセリフによるモノ。

で、全体的に評すれば「笑いも泣きも・・どうもねぇ・・」って感じだったか、ワタシは(・ω・)

ま、でも、ケイトが“冷淡なまま”のキャラに終わってなかったのはファンとしてもホッとしたな、と。

あと、90分ちょいの上映時間も、ダレるまでもなくてちょうど良かったデス。

〜 こんなトコも気になったり 〜

♦本作は「フジテレビ開局50周年記念作品」らしい!
♦ウィルソン夫婦の飼っていた前の犬(?)の名は「ルーク」。
♦パーカー&ケイトの“ムフフシーン”が徹底的にカットされており・・涙(×_×)
♦この手の作品に共通するンだが・・「仔犬がいきなり成長しデカくなる」点に、どうも冷めてしまうワタシ(・ω・)
♦ホットドッグ売りのおっさんが「ウウッ」と貰い泣いてしまうシーン。テッシュ(?)を手に取り、眼に押し当てるか当てないかの瞬間、映像が切り替わる! ここのタイミング&描写センスはなかなかイイ!
♦パーカーを襲った「アレ」の原因を色々と考えてみた・・(・ω・)
・庭先で4ツん這いになってくわえてた“あのボール”に毒物が塗布してあった
・スカンクの※に含まれていた毒素による
・ケンと剣道(スポーツチャンバラ?)の練習(?)時、強打された“小手”の打撲傷が引き金となった
♦妊婦には“アンチョビのピザ”が良いらしい?
♦自作の録音を決して許可しなかった、作曲家ジョン・スーザの交響曲を、こそっと蓄音機で録音したエジソン・・コレが史上初の“海賊盤音源”らしい(☉д☉)
♦(ハチにこそっとエサをくれる)総菜屋の夫婦が微笑ましい! 奥さんは「旦那には内緒だよ」、亭主は「カミさんにゃ内緒だぜ」等とそれぞれに(=^_^=)
♦ケンがいきなりハチに“日本語で語りかける”展開にびっくり!
「もう1年になるな・・(中略) (彼を)待ちたいなら待てばいい。そうしたいんだな? だったら長生きしてくれよ、ハチ」とか語ってたし。
♦ひたすら待ち続けるハチの頭上、樹木が『タイムマシン(2002)』の屋敷の窓の外(の風景)みたいに、モノ凄い速度で四季を辿る・・モロにCGだけど、なかなか印象的な映像。
♦「あのしと」の墓碑には1947-1998と刻まれてた。その後10年が経過する。

〜 こんなセリフもありましたワン 〜

パーカー「驚いたな・・こいつ“ヤンキースファン”だ」
    「ハチが逃げ出してね(セリフでは"I missed the train.(直訳:乗り損なっちまったよ)"だったが?)」
    「どんな時も、その“大好き”と言う気持ちを忘れるなよ」
    「“音楽の心”は捉えられない。人生や人の心が決して捉えられないように」
    「創造は“一瞬のインスピレーション”なのだ」

ケン「君が犬を見つけたのか? それとも犬が君を? どちらにせよ、(この出会いは)“運命”だな」

ケイト「ハチがあの人を見つけたのよ」

ロニー「ハチは“忠実であることの大切さ”を教えてくれました」

追記:エンドロール終了直後、ジョアンのセリフ(独白)で『舐めた真似してくれたわね・・私に逆らう奴は、たとえ犬だって絶対に生かしておかない』とか言って欲しかった☆ ←そりゃ『デス・レース』だっての(爆笑)

| | コメント (4)

2009年5月 2日 (土)

☆『バーン・アフター・リーディング』☆

1日(金曜)の夜。“黄金週間(GW)”にいよいよ突入! ってことで、高松の支局員もワタシを除き殆どが帰阪してしまった様子。
ワタシも、やはり帰阪する予定ではあるが・・今夜からそそくさと帰るのもしんどいし、色々と片付けたいこともあるし、ってことで、今宵はある種の解放感(?)に包まれ「劇場で1本観とこう」と言う気分になったのだ。

で、またまた“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと向かい、狙ってた新作『バーン・アフター・リーディング』を観て来た次第。

今回はいつもより大きめのシアターを案内され、かつ“全席指定”だったので驚いた。加えて料金も千円だった(←毎月1日のサービスデーでしたネ)。
どう言う基準で“指定席”“自由席”に決めてるのか、未だ良く分かっていないし(×_×)

ヴァージニア州ラングレー。ここに本拠を置くCIA(中央情報局)では、今しも分析官=オズボーン・コックス(ジョン・マルコヴィッチ)が“飲酒問題”を理由に、強引に情報分析部の解任を言い渡されたばかりであった。
オジー(オズボーン)は潔く退職を決意するも・・回顧録を執筆し、それをステップに次の仕事(コンサルタント関係)にありつこうとしたたかに考える。

そんな中、執筆に関連する機密情報の詰まったCDロムがひょんなことから流出(×_×)

それを手に入れた“ハード・ボディ・ジム”のインストラクター=リンダ・リツキ(フランシス・マクドーマンド)&チャド(ブラッド・ピット)は流出源がオジーであることを突き止め“アッタマ悪いやり方”で彼を脅し5万ドルをせしめようとする。
特にリンダには、ライフワーク(?)たる“全身整形”をするための大金が必要だったのだ。

一方で、オジーの妻=ケイティ(ティルダ・スウィントン)と不倫関係にある連邦保安官=ハリー・ファラー(ジョージ・クルーニー)は、意外な流れでリンダ&チャドに接近することとなる。

そのまた一方では、密かにリンダに想いを寄せ続けるジムのオーナー=テッド(リチャード・ジェンキンス)にもまた、オジーとの避けられぬ“因縁”が待ち受けていたのだった・・

監督のコーエン兄弟と言えば、昨年鑑賞した『ノーカントリー(2007)』における、後半からの“衝撃的ではあるも、何だかおかしな物語の流れ方”が未だに強烈な印象として残っているが、、本作も中盤以降の“粗過ぎる”“洗練、なる言葉にほど遠い”脚本の展開が、どうにもワタシの感性に響いて来なかった(×_×)
それぞれの登場人物の顛末の描かれ方も「CIA上官と主任の会話の中で片付けられる」と言う何とも肩すかし&放り投げられた形に終わっており「コーエン兄弟ともあろうアンタらが、こんな落とし方でエエのか?!」と消化不良感が尾を引いた形で残される。
コーエン兄弟、いよいよ“枯れて来た”のだろうか?

まぁ、彼らならではのエッセンスは本作にも色濃く流れてるようで、

・主要な登場人物それぞれが、予想と違う状況に放り込まれ、じわじわと追い込まれて行く。
・総じて女性キャラの方が逞しく、自らの置かれた状況に果敢に立ち向かって行く。
・断片的ながらも、暴力描写が容赦なく描かれる。

などの特色が挙げられようか。

観る前から予備知識のあった“ブラピが誰かに殴られ鼻血を流すシーン”をワクワクしながら待ったモノだが(⌒〜⌒ι)本作には、さらに印象的な“流血のシーン”が直後に準備されている!
ここは余りに“いきなり”だったもんで、苦笑(失笑)と驚愕の波が同時に押し寄せ、実に複雑な気持ちに包まれたワタシ(=^_^=) ご覧になった皆さん、如何でしたか?(=^_^=)

ワタシなりの見所としては、

1.ハリーが工夫してこさえた“地下室の摩訶不思議なマシーン”(=^_^=) 特にあのマシーンを「誰のためにこさえたか?」と言うトコロにある種の意外さやらドロドロさやらがあって、面白い!
2.『マルコヴィッチの斧』って感じで、手斧を片手に往来で暴れる(?)マルコさんがスゴい! 斧で相手の頭部を殴り付けた瞬間、そこに切れ目(割れ目?)が入り、血がパァッとこぼれ出す(一瞬の)カットにクラクラ来てしまった。。

〜 こんなセリフもありました 〜

オジー「CIAを辞めたよ」
ケイティ「どうして?」
オジー「“流れに逆らって泳ぐ”のに疲れてね」

オジー「冷戦時代が終わり、国務省も変わった」
   「この国を愛するからこそ書くんだ」
   「全てのアホの代表として、俺の前に現れたんだろ? 世間のバカ同盟のな!」

弁護士「離婚を阻止するのも、弁護士の仕事です」

美容整形医「40歳を越えると急激に脂肪のつくのは・・身体がそう命令するからです」

ハリー「歳を重ね、死を意識し始めるにつれ“嘘をついてる時間”が惜しくなった」
   「眼の前のものに納得しなきゃ」
   「食物アレルギーなんだが・・食べてみるとしよう。人生は賭けだからね・・たまには“ゴムなし”で」
   「“別居しよう”・・結婚生活で初めて、妻と意見が一致したよ」
   「何て文句の多い女だ!」
   「ショッキングな体験を通じ“人生には限りがある”と気付いた」

ケイティ「私は1度もブレていないわ」
    「離婚を決断して。この関係は“遊び”じゃないのよ」
    「今の言葉はすぐに撤回して!」

チャド「マノロ、お前はロッカールームでCDロムなんか拾わなかったよな? な?」
マノロ「いいえ、私はロッカールームでCDロムを拾いました」 ←おい、話を合わせろよ(=^_^=)

リンダ「こんなぶよぶよの身体じゃ、人生終わりなのよ!」
   「これはチャンスよ! 高級店の前の氷で滑って転倒し、賠償金を要求するのと同じように」
   「奴のタマ(弱み)はしっかり握ってるわ・・それも運転席でね」
   「スゴい! やるじゃない!」 ←“それ”を誰のために作ったかと言えば・・!
   「“全身整形”はただの遊びじゃないのよ!」
   「45分も待たせるなんて、何処までふざけた大使館よ!」
   「あんたなんて“ダメ出し”ばかりじゃないさ!」

テッド「(整形なんかしない)今の君を愛する男が“案外近くにいる”かも知れんよ?」
リンダ「いても“負け犬”よ」
テッド「・・・・」

チャド「これは恐喝じゃない。いわば“善意のサマリア人に払う税金”だ。
    ・・って言うか税金じゃないけど」
   「これを見ろよ! 日付に数字に、日付に数字に・・とにかくやっべぇよ!」 ←アホ丸出しや!(=^_^=)

リンダ「あなたの“銃”・・“暴発”したりしない?」
ハリー「“別の部屋”で確かめてみよう」 ←このセリフも“フリ”だったんやね(⌒〜⌒ι)

元同僚「老いたスパイの悪い癖だが・・後ろの2人、君をじっと見ているぞ」

CIA上官「奴のアクセスレベルは?」
CIA主任「3です」
CIA上官「なら放っておけ。理解不能な状況になったら、報告しろ」

CIA上官「何ともクソややこしい話だな」
     「手の焼ける一件だ、全く」

CIA上官「この一件で何を学んだ?」
CIA主任「さぁ・・」

追伸1:劇中に出て来る映画『幸せのデイジー』にはクレア・デインズ&ダーモット・マルロニーが出演☆
追伸2:公園に止められたままのチャドの自転車・・この先どうなって行くのかが気になる(⌒〜⌒ι)
追伸3:パソコンのOSを確認する際のセリフが「PC? or Mac?」だった。これで「ウィンドゥズかマックか?」の意味となるらしい。ってこたぁ、マックはPCじゃねぇのか?(=^_^=)
追伸4:ハリーの20年の連邦捜査官人生で“初の発砲”とは・・?(×_×)
追伸5:「自分にとって、咄嗟の時にホントに頼れる人とは?」ってことを考えさせられもする本作。で、案外そう言う人がいないことに気付き愕然とさせられもする(=^_^=)

| | コメント (4)

2009年5月 1日 (金)

☆『僕の、世界の中心は、君だ。(2005)』☆

23日(木曜)の夜、衛星第2で放送されたのを観た。
まぁ、いわゆる『世界の中心で、愛をさけぶ(2004)』の韓国版リメイクなのだが、、(・ω・)

「テミョン高校」の卒業生らが集まり、同窓会の開催されたその日。
10年ぶりにキム・スホが街へと戻って来た。
かつての級友たちが「今もペ・スウンを想っているのか?」とスホをからかう。

そして、スホの中で“生涯忘れ得ぬ彼女”との物語が、静かにそのページを開く・・

オリジナル版(?)を極めて忠実になぞってる印象があり、そうなるとヒロイン役の女の子が「長澤まさみをどこまで圧倒してるのか?!」と言う、ただその1点(のみ)に男性観客の視線は落ち着く訳であるが(=^_^=)・・私的には「キャスティング面だけだと、流石にオリジナル版に迫れてないよなぁ」と正直感じた。

しかし! 素晴らしかったのはスホの祖父が『マングム葬儀店』を経営してる・・って設定。
これにより、爺さんの初恋の女性=スニムに対する“最後のけじめ”の部分に『おくりびと』で言う山崎努に通じるようなインパクト(厚み)の増した気がしたものだ!
冩眞舘の店主(ってなオリジナル版の設定)も良いが、イマドキの眼で見たら、やっぱり“葬儀屋”って方が“よりしっくり来る”気がしたりする(・ω・)

あと、オリジナル版については“柴咲コウさん演じてた某キャラ”の立ち位置がイマイチ自分の中でスッキリしておらず「ひょっとしたら不要だったかも?」とまで思ったこともあり、その観点からすると「実に潔く、かつスッキリしてて」良かった☆

・・にしても“田園地帯で自転車を2人乗り”って行為が、ささやかながら何とも素晴らしい! “性のかほり”が漂わなさ過ぎて「まどろっこしい」部分は少なからずありながらも(=^_^=) こう言うのはこう言うので(シチュエーション的に)ホンマに微笑ましい。

〜 こんなセリフもありました 〜

スウン「(私が自転車の後ろに乗ると)意外に重いでしょ?」
スホ「覚悟してた程度だよ」

スウン「台風の中心は静かで穏やかだそうよ」
スホ「じゃあ今も台風の中心にいるのかな? 僕ら」

スホ「地球はヒーローが守り、スウンはこのスホが守る!」
  “いつか分かるかな? 雨が玉のように1粒ずつ降るのか、長い糸のように繋がって降るのか?”
  “寝ている母の背中を見ると、悲しくなる”
  “残されるのは死ぬよりも怖い・・君は僕が覚えているが、僕は誰が覚えてくれる?”

スホの母「お前、自分の母親に色目を使う気かい?」

スウンの父「私にしてやれるのは、君に頼むことだけだ」

教師「人間は進化したと言われるが・・人の心の奥にあるものは2000年前と余り変わらんようだ」

スウン“初めてあなたに会った時、海だと感じたわ・・告白しないと溺れそうだった”
   “あなたは嘘をつくと言葉が詰まるけど・・そこが好きよ”
   “約束して・・幸せに生きると、元気になると”

マングム「神の決めたもうた“単純な運命”かと思えば、そうではない。
     それは複雑に絡み合い、少しの狂いで人生は大きく変わるのだ」
    「有難うな、わしを覚えていてくれて。お前の“死に装束”はこのわしが仕立てた。
     少しだけ待っていてくれ・・わしもすぐ行く」

| | コメント (0)

☆『僕の彼女を紹介します(2004)』☆

22日(水曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを鑑賞。

実を言うと・・この日まで「衛星放送は受信出来ない」と勘違いしており、ハッキリと「何だ、観れるんじゃん!」と確信出来たのが、実に“本作がテレビ画面に映し出された瞬間”だった(・ω・)

ってことで、咄嗟に観ることに決めたのもあり、ちと“メモを取りつつ”ってなスタイルを失念してしまっての鑑賞だった(×_×) ま、以前に地上波でも観た覚えがあるので(今回は)ダラダラ観るのも悪くはなかったかな、と。

教師である主人公=コ・ミョンウ(チャン・ヒョク)の「僕の彼女を紹介します」なる独白で、本作は幕を開ける・・
粗暴で猟奇的な美人婦警=ヨ・ギョンジン(チョン・ジヒョン)との出会い、そして凸凹な関係から始まった2人が次第に「互いの心の距離」を近づける中、とんでもないアクシデントが起こってしまい・・

“恋愛もの”“刑事もの”“教師もの”・・コメディとしては、いずれも「中途半端で未完成」としか贔屓目にも評価出来ない本作であるが・・そこをヒロイン=チョン・ジヒョンの魅力でもって「強引に描き切った感」があり、それはそれで「ま、エエか」と妙に納得させられてしまったワタシ(=^_^=)>

『僕の彼女はサイボーグ(2008)』を観ても感じたことだが、このクァク・ジェヨンと言う監督さん、ホンマに「アイドル系女優のプロモーション的映画」を撮らせたら、めちゃくちゃに才能を発揮しまくる“器”な気がする!

構成としてはオープニングで“すごい状況”をまず見せつけておき、時間軸が戻って行く手法を大胆に(?)取り入れている。
流れとして、観客を飽きさせはしないが、少々唐突で散漫なテイストではあったか。。

しかし、それにしても・・ラストに登場する“某人物”には驚かされ、ニヤリともさせられたモノだ。
クァク監督による“彼女シリーズ”第1弾『猟奇的な彼女(2001)』を観た人間なら、あのラストを見せつけられては・・もうそれだけで“納得するしか道はない”んじゃなかいか、と思う(=^_^=)

韓国人の死生観が何となく垣間みれる感もある本作。
監督お好みの(←たぶん)「窓辺の風景」「過激な暴力描写」「都会の夜の情景」もしっかり楽しめる。

さて。
チョンちゃんと言えば、新作『ラスト・ブラッド』の公開が控えてるハズでもあり(←5月末より)、一時的に(綾瀬はるかちゃんから)浮気して(⌒〜⌒ι)「観に行ってみようかな?」と考え始めてたりする・・美香子センセイ、赦して!(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

医師「彼女は、生きようとしている・・!」

彼「こんな姿は見せたくない」
彼女「どんな姿でも構わない」

彼女「逢いに来て! 風でもいいから!」

| | コメント (3)

2009年3月18日 (水)

☆『パッセンジャーズ』☆

16日(月曜)の夜。そこそこに残業をこなし、もう1つ“やらねばならぬ作業”もあったんだが・・どうにも我慢出来なくなり、(それはうっちゃっといて)JR高槻駅のすぐ北にある「ロコ9シネマ」に新作『パッセンジャーズ』を観に行った☆

先週半ば、同じように仕事後で梅田に観に行くと・・「残席:×」と電光表示されており、すごすご帰宅させられた記憶も新しい本作。
いやが上にも期待値が高まっちまったちぅねん! ってことでかなりワクワクしてましたズラ、ええ。

「NEWSKY社」の109人乗り旅客機がアメリカ東部(恐らく)の海岸に胴体着陸、直後に爆発炎上を起こす。
この事故で、乗客&乗務員総ての生命は絶望視されたが・・現場では、奇跡的に一命を取り留めた5人の人々が、事故の衝撃もさめやらぬまま、呆然とした表情で浜辺を彷徨っていた・・

彼ら生存者は直ちに医療施設に収容され、若きセラピスト(臨床心理士)=クレア・サマーズ(アン・ハサウェイ)が即座に5人のカウンセリングを一任される。

生存者は鬱状態の4人(ディーン、ノーマン、ジャニス、シャノン)と躁状態の1人(エリック・クラーク)に大別され、中でもエリック(パトリック・スチュワート)は意味深な言動でクレアにモーションをかけ、グループ・カウンセリングに一度も顔を見せず、個別のカウンセリングを彼女に要求したりもする。

そんな中、グループ・カウンセリングを重ねるたび、参加者の4人が次々に行方不明となり始める。
やがて、クレア自身の周辺に2人の“謎の男”が現れる。

1人は航空会社の調査官アーキン(デヴィッド・モース)、そしてもう1人は「あの事故の生存者だ」とクレアに衝撃の告白をする!

果たして事故の本当の原因とは? そして姿を消し始めた5人の背後には、どんな真相が隠されていると言うのか?

若きヒロインが生存者への聞取り(?)を進める中、旅客機墜落の直接原因が「飛行中のエンジンの爆発」にあるのか否か、を気にし始める展開が色濃くなり、そこは何となくミスリード(引っかけ)にも思えた。

無論、航空会社側は「パイロットの誤操縦による人的ミス」を公的見解にしようとするが、5人の中には「まず閃光と爆発があり、その後に墜落した」と証言する者もおり、もしそれが事実なら「エンジンの故障⇒会社側の整備ミス」が原因とし浮上して来るのだ。

総てを知っているような(?)エリックは真相を答えず、アーキンは「事故以外には考えられない」と「故障説」を頭ごなしに否定する。ついにはクレアの上司=ペリー(アンドレ・ブラウアー)までもが「君は良くやった、だが君の知りたがっている真実はそうではない」と意味深なことを告げ始めたりする。。

「知らぬはクレアばかりなり」・・ん?

本作、これ以上書いてしまうと“ネタバレ”にしか至らないので、ここまでにしておく。

が、正直「衝撃のラスト」を過剰に期待してしまうと・・“既に(大きな)前例のあるパターン(の応用型)”にしか思えず、そう言う意味では「10年前に公開されてたらもっと話題になったろうし、11年前に公開されてたら監督=ロドリゴ・ガルシアの名がサスペンス映画史に刻まれたに違いなかろうな」と、そこだけは惜しく感じた。

※そういや邦画にも似たようなテイスト(切り口)のモノがあったような・・2005年頃に(・ω・)

私的にはアン・ハサウェイの「お人形さんのような美顔」をアップで眺め続け「ほぁぁぁぁ!」とホレボレする一方、困惑の表情・険しい表情・軽く歯を剥き出して笑う表情などに「美の崩れ始める、微妙な境界線の存在」を何処かに、確かに感じてしまい、そんな“制作側の(たぶん)意図しないトコロ”にこそ、何ともゾクゾクさせられてしまった(⌒〜⌒ι)

ってことで、基本的にハサウェイさんは「お澄まし顔」が一番良いと思う(なお、劇中で1シーンのみ(?)“眼鏡ルック”が拝め、そこは眼福だった!)。

脇を固める中では、色々とクレアの私生活を詮索する、隣人(?)のおばさん(トニさん)を演じたダイアン・ウィーストの“不気味かつ優しい表情”も外せない(=^_^=) ウィーストさんの笑顔を眺めてて「レニー・ゼルウィガーさんが年を重ねたら、こんな感じにならはるんかも、、」とふと感じたりもした(⌒〜⌒ι)

サスペンス劇としては物足りなかったが、エドワード・シャルマー(シェアマーとも?)によるピアノベースの静かなスコア(楽曲)(←私的には彼の出手がけた中では『光の旅人/K−PAX(2001)』のスコアが好きだ! で、ちゃっかりサントラCDも買いますた(=^_^=))が心地良いし、パトウィル(←略すな!)とクレアのラブロマンス、ちぅ見方をすれば、それはそれで丁寧に、美しく綴られてたんじゃなかろうかな。

パトウィル氏の容貌を眺めてて、何処となく「ケヴィン・コスナー+クリスチャン・スレーター」を連想してしまったモノだが、実はこの男優さんって『オペラ座の怪人(2004)』で準主役だったんやね・・気付かんかった(×_×)

あと、ひと昔前は「どう観てもレオナルド・ディカプリオにしか見えんかった」クレア・デュヴァルさん(シャノン役)が、ようやく彼女らしい個性をその表情にあらわし始めたな〜とも思った(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

クレア「正しい事実の把握を」
   「負の感情を封じ込めると、後でその反動が来るの」
   「例えば、子供たちの多くは真実をファンタジーで飾っているわ」
   「You don't know me!(見損なわないで!)」

エリック「君に姉妹がいるなら・・まだ“間に合う”うちに連絡すべきだ」
    「事故について一番思い出すのは・・顔に当たる風だ」
    「始めてしまえば、(絵画なんて)そんなに難しくはないさ」
    「美人は・・無意味な言動で自分の価値を隠そうとする」
    「人生が現実となる、それが結婚の恐ろしい所さ」
    「あの事故以来、まるで生まれ変わった気分だ」
    「簡潔だけど、曖昧な人だな・・君は」
    「来いよ? 来ないなら、なぜ今夜、会いに来た?」 ←おっ!
    「これでもう、僕を追い払えないよ」 ←おおっ!
    「希望を捨てるな! 信じろ!」

エリック「イチジクはいかが?」
クレア「結構よ・・それ、洗って食べたら?」

ペリー「真実こそ癒し」
   「君は探偵じゃないんだぞ」
   「嘘には、真実の一部の混ざることがある」

トニ「慎重になり過ぎて、チャンスを逃したの」
  「人生なんてあっという間よ・・翼を広げなさい」
  「会うのをやめないと・・彼を忘れないと・・」

アーキン「自らの仮説を押し付けるのは止せ」
    「突き詰めれば、事故は総て人的なものさ」
    「君の言動など信用出来んな」
    「君の思い違いだ」

ペリー「何があった?」
クレア「・・一線を越えたの・・」

クレア「もしご両親に会えたら、何を伝えたい?」
シャノン「あれは事故だったのよ、と」
クレア「他には?」
シャノン「2人を赦す、と」

※※「人に言われることじゃない」
  “△△△の居ない人生は、厳し過ぎるわ”

追記1:「超感覚的知覚」なんてな専門用語(?)も登場していた。
追記2:夜の街を駆け出し、幻想的に振る舞う(?)エリックの言動にパトリック・スウェイジのイメージがダブったり(・ω・)
追記3:クレアとの間に確執のある姉エマ。彼女の「不在」の続くのがちょっとしたポイントかも。
追記4:改めて劇中における「眠り」と言う行動の不思議さを思った。
追記5:終盤における、回想シーンでのエリックの「笑顔」が良かった!
追記6:子供キャラは不在だった本作。少しは欲しかった。
追記7:世界設定には、やはり物理的な違和感を覚えた(・ω・)
追記8:ポイントとなる「グループ・カウンセリング」のシーンが結構あっさり描かれてて残念だった気も。。
追記9:基本はラヴロマンスなテイストの本作。連想したのは『シティ・オヴ・エンジェル(1998)』ですた。
追記10:あんな悲惨な結果にせよ、胴体着陸にまで持って行った機長の操縦テクニックは、それなりにスゴいと思う!
追記11:ロドリゴ・ガルシアは『彼女を見ればわかること(2001)』『美しい人(2005)』の監督さん!

| | コメント (2)

2009年3月15日 (日)

☆『ハンコック(中盤から)』☆

8日(日曜)の夜。
4月以降の新生活に備え、その新居を決めるべく、某県某市へと1泊2日コースで出かけて来た。
1日目の夜は(同市内にある)支局メンバーに紹介して貰った、とある「鳥の美味い店」で少し飲んだりした。

結局、翌9日(月曜)夕方までの2日間で「10件+αの物件」を見て回ったが・・結果的には、2日目の朝にキャンセルの出たと言う、新築のマンションに決めた次第☆ 間取りは1Kに過ぎないが、それはそれで必要十分な気がした。

どうやら、実家の部屋も「空っぽにして出て行け!」と言う感じでもなさそうなので(?)ある程度の荷物は残して行って良さそうであり「住んでるうちにちょっと狭くなるかも知れんけど、そこを工夫する楽しみもあるかな」などと楽観視している(・ω・)

8日の夜は、市内中心部の某ビジネスホテルに泊まったが、部屋のチャンネルでは・・

・地上波で『トリプルX/ネクスト・レベル(2005)』
・シネマチャンネルで『ハンコック(2008)』と『SEX AND THE CiTY(2008)』

が放送されていた。他にもバラエティ番組みたいなのはやってたが、大阪府内に比べるとやはりチャンネル数に見劣りし、ただでさえ“消費系番組”の大嫌いなワタシは、欲張って上記3本をチャンネルを切り替え、それぞれを(貪欲に)楽しんだのだった(=^_^=)

『トリプルX/ネクスト・レベル』・・監督:リー・タマホリ、主演:アイス・キューブ、共演:ウィレム・デフォー、サミュ・L・ジャクソン・・とモノ凄い顔ぶれなのに「日本未公開」な悔しさの漂う1作。
恐らく前作(2002)で主人公を演じたヴィン・ディーゼルに比べ、アイス・キューブだと“見劣りがする”と配給側が考えたんだろうか。。
飲み会を終えてからの鑑賞だったので、中盤以降だったが(一応自宅で録画しといたんで、また近い内にちゃんと観ときたい)、少なくとも「テンポは良い」と思った。

『ハンコック』・・「主人公が数週間、刑務所に収監される」辺りから終了までを観た。(ぐるぐるリピート放送されてたので)2回ぐらい観たかな(=^_^=) 劇場以来の鑑賞だが「主人公と“もう1人”がロス中心部で激闘を展開するシーン」「主人公が“チョコバー”で強盗と対峙するシーン」の“駆け足気味な流れ”にちょっと面食らった(☉д☉)
もっと(展開に)余韻があると思ってたもんで。

セリフの中では、
「長く生きて、運命が絶対じゃないことを知った・・それは選べるのよ」
「分かるよ・・欲しいモノがあると、人は我慢出来なくなる、だから盗るんだ」
が印象的だった。

それと、ラストまで絡んで来る“悪のボス”が「どうやら生きてる」らしきことを改めて知った。アレも続編制作に向けての「余地」なんやろか?(=^_^=)

『SEX AND THE CiTY』・・劇場以来の鑑賞。公開当時は「誰も死なない!」点を筆頭に、結構好意的なレビューを寄せた本作だったが・・主人公を演じたサラ・ジェシカ・パーカーさんと『ハンコック』のヒロインを演じたシャーリーズ・セロンさんを比べると・・流石にサラさんはキッツいモノがあった(×_×)
中盤で「花嫁衣装で悲劇の主人公ぶりを遺憾なく発揮」されるサラさんだが・・「むむぅ・・美しくない・・」とちょっと画面から距離を置いてしまったほどだ(×_×)

後半から(?)ジェニファー・ハドソンが登場するが、容貌こそはハドソンさんも「ちょっと・・」なのに、画面に登場する限り、何故だかその言動に惹き付けられ、正直(それらのシーンでは)サラさんを「喰ってしまってる」感すらあった!

どこがどう、とは言えないんだが、ジェニファー・ハドソンはやはりスゴい女優(←本業は歌手だそう)です!

| | コメント (2)

2009年3月 5日 (木)

☆『プラトーン(1986)』☆

さる2月25日(水曜)の夜。
衛星第2で放送されたベトナム戦争映画『プラトーン』を、後半からのみであるが観た。

オリヴァー・ストーン監督による、恐らくは彼の「最高傑作」「代表作」とも言える本作。

初めてビデオソフト版(←確かレンタル)で観た時は「ひとくちに“ベトナムもの”と言っても、色んな監督による、色んな描き方やメッセージがある」と言う点にまでアタマが回らず、正直『ハンバーガー・ヒル(1987)』や『フルメタル・ジャケット(1987)』と本作の明確な区別すら、殆どついていなかったのだった(・ω・)>

・地味な戦闘シーンばかり続く ⇒ 『ハンバーガー・ヒル』
・訓練シーンばかり続く ⇒ 『フルメタル・ジャケット』
・3作の中で最も派手で華やか ⇒ 『プラトーン』

と言った先入観で3作を区別してた程度かな、と。

別な部分では、当時の若手スター俳優=チャーリー・シーンの“プロモーション的な作品”ってな歪んだ見方もしており、ほぼ同時期に公開された(?)『トップガン(1986)』のトム・クルーズと「どっちがカッコええか?!」みたいなゲッスい部分で、兄と意見を二分してたような記憶もある。。
(因みに、ワタシは“チャーリー・シーン擁護派”であった(=^_^=))

が、今回鑑賞し、やはり強烈だったのは・・主人公かつ語り手であるクリス・テイラー(チャーリー)より、彼の上官の1人を演じたエライアス軍曹(ウィレム・デフォー)の存在感である!
当時は、もう1人の上官=バーンズ軍曹を演じたトム・ベレンジャーの言動こそがとにかく(その容貌からして)恐ろしく、鮮烈だったが・・今にして考えると、デフォーの方が「ホンマは狂ってたんでは?」「実は“パンプキン爆弾”を多数、隠し持ってたんでは?」「故郷ではオーバーオール姿でハンマーを振り回し暴れてたんでは?」とか、色々と(その後に)予備知識の入ってしまったがため、邪推&妄想も広がるってもんだ(=^_^=)

とは言いつつ・・後半からの鑑賞であり“回想”風の数ショットでしか、エライアスの姿は映像に出て来なかったようで(×_×)

そうそう。フォレスト・ウィテカー&ケヴィン・ディロンの助演に気が付き、その気付いたことが妙に嬉しかったりもしたな(=^_^=)
一方で、今回も「ジョニー・デップの出演シーン」は分からぬままだった(×_×)

序盤だったんやろか? それはきっと『トップガン』でメグ・ライアンを見つけたり、『007/ネバー・セイ・ネバー・アゲイン(1983)』でローワン・アトキンソンを見つけたりするのと同じぐらいコツがあるんだろうなぁ(←ねえってば!)

| | コメント (4)

2009年2月23日 (月)

☆『バイオハザード3(2007)』☆

21日(土曜)の夜。『ボーン・アルティメイタム(2007)』同様、兄に借りてたDVDソフト『バイオハザード3』を観た。
90分ちょいの作品時間だったので、ゆっくり観てもそんなに面倒臭さはなく、疲れもせず楽しめた☆
いや、作品自体に関して言えば、そないに楽しくもなかったんだが・・(=^_^=)

『バイオハザード3部作(?)』の一応の完結編。前作(2004)で(物語の舞台とし描かれた)“ラクーンシティ”は壊滅、人間をアンデッド(=ゾンビ)化する恐怖の病原体“T-ウイルス”は世界的に蔓延してしまう・・

わずか数ヵ月で“不毛の荒れ地”と化した地上では、生存者らが「楽園」を目指し生き残りの旅を続け、地下では「アンブレラ社」の残党(でエエのか?)が「地上回帰」を狙って“血清”の開発を急いでいた。

単身、過酷な旅を続ける主人公=アリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は、ソルトレークシティで「楽園=アラスカを目指した、とある人物の綴った日誌」を発見後、ネバダ州の砂漠にあるモーテル周辺で野営中の“クレア・レッドフィールド車団(コンボイ)”に合流する。
車団のサブリーダーとなっていた、かつての戦友=カルロスとの再会を喜ぶアリスだが、そんな彼らを宇宙空間から(アンブレラ社の)衛星が監視し、アリスの「血液」と「遺伝子」を狙うアイザックス博士(イアン・グレン)の魔手が、やがて車団に伸びるのだった・・

これまでの2作では、どっちかと言えば「屋内」「文明」「夜間」の印象が強かったんだが、本作に至りそんな既成概念(?)が粉々になり、まるでジョージ・ミラーにより監督された1980年前後のオーストラリア映画(←ハッキリとタイトルを書けよ!(=^_^=))を観てるような「終末感」「既視感」が映像の端々にまで漂っている。

私的に言えば“この手の世界観”は余り好きでもないんだが(手垢も着いてるし、敢えて本シリーズでわざわざ描くモノじゃないと思う)、特に中盤で“T-ウィルス”に感染したカラスの大群が車団を襲う映像群にだけは「見とれて」しまった!

これはまさに・・アルフレッド・ヒッチコック監督が(恐らく)苦心して撮った『鳥(1963)』の、いわば「映像的な完成体」だと感じたからだ。
『ピッチブラック(2000)』の鑑賞時もそれなりには驚かされたが、本作に於ける“飛び回るモノたち”のビジュアルインパクトについては、ほぼ完成の域に達してる! と素直に感心させられた。

今回は“シリーズの集大成”ぽいトコロもあり、名物の「あの場所(←最もエグいロケーション)」や「あのゾンビ生物(←アリスに飛び蹴られた縁)」が再登場してた! 中でも「あの場所」は終盤のクライマックスでも再度ロケに組まれ、第1作(2002)を思い出したワタシは「ぐぇー!」「ぎぇー!」と心中で叫びっぱなしだった(=^_^=)

蒼い瞳の印象的だったミラさんは、確かに美しいし、アクションも頑張ってくれてるんだが・・今ひとつ「キュンとこの胸に(おえっ!)迫るモノ」がなく残念だった。「整ったお人形さん」を眺めてるような気分だった(・ω・)

主人公らの旅を邪魔するのは、殆どが「名も無きアンデッド」なんだが、個性もなければ面白味もなく、ただ大勢で砂漠をウロウロしてるだけだった。そこそこのヴィジュアルインパクトはあるんだろうが、個々のキャラとして「立ってない」以上、こいつらだけで物語を引っ張るのは流石に相当キツいなぁ・・との印象が。

基本的に「予定調和なキャラ」の繰り広げる「予定調和な物語」だったんだが、冒頭部分だけは“ひとクセある奴ら”が登場し、それなりに期待させられた☆
ああ言う“クセのある演出”を全篇に点在させてたら・・本作の評価ももっと良くなったような気がしなくもない。

あと、正直付いて行けないトコがあったが・・本シリーズって“サイキック(超能力)”が軸になってたんやろか? アリスが思念波(?)で、重量物を動かしたり、特殊なバリアを張ったりする辺りは、私的には「余りに唐突」な気がして、ちょっと興醒めしちゃったモノである(×_×)

~ ほか、こんなことも ~

♦超能力の使われた際に観測されるのが「プシー粒子」なる特殊な波動らしい。ちょっと照れそになる名前やね。。
♦研究員らがアンデッドに「調教」を施すシーンが笑える。「かつては人であった名残」で携帯電話やデジカメを難なく操作する彼(アンデッド)だが・・「特定の形のブロックを、その形状の窓から箱の中に落とし込む」みたいなパズルに手こずって、いきなりブチ切れて研究員らに襲いかかる・・! いや、携帯とかデジカメの方がよっぽど難しいやん!
♦某キャラが実は咬まれてて・・みたいな演出は、何だか“お約束”過ぎて、観てて気恥ずかしかった(×_×)
♦何処となく「昔の“お坊ちゃん風時代”のトム・クルーズ」ぽくも見えた若き研究部長(?) あの“退場”は余りにしどい、、
♦後半の「突入作戦」時に流れるBGMが『ターミネーター(1984)』のソレっぽかった。
♦砂漠に濃い影を落として立つ“自由の女神像”・・何故だか妙に絵になる! 何度観ても!(=^_^=)
♦ニッポンのファン向けのサービスなのか、ラストで近未来のトウキョウと思しき、ヘンチクリンな風景が映される。。
路面に「芝浦」「品川」・・まぁこれはイイとしよう。んでも、案内板の「夜空雪風/Tokyo Metro」「考楽火月星/Zatoichi Square」ってのは、一体何やねん! 和訳になってへんやんか! 意味分からんし!

〜 こんなセリフもありました 〜

アリス「5年間放置され、べガスは砂漠に戻ったのよ」

博士「議会か、この私か・・どちらにつくのか慎重な選択をな」

クレア「皆あなたに感謝してる」
アリス「でもここから消えろ、と?」
クレア「怒らないで、感謝の気持ちは本当よ」

カルロス「何故、俺たちと別れて旅を?」
アリス「独りの方が安全だから」
カルロス「では何故、戻った?」
アリス「・・・」

クレア「皆の命を預かる者として、甘い夢は語れないわ」
カルロス「だが・・今は夢や希望こそが必要なのかもな」

| | コメント (4)

2009年2月21日 (土)

☆『ボーン・アルティメイタム(2007)』☆

先月下旬以降、連日の如くに残業が続いている(×_×) 会社帰りに、のほほんと劇場に寄り道なんぞしてた“あの頃”が何とも懐かしい・・
スタッフ不足(気味)のトコに到着書類の過多、疲れの蓄積による能率の低下、はたまたミスの誘発(おい!)、コミュニケーション不足に伴う人間関係の悪化(←ワタシ自身の問題かねぇ)・・

ま、嘆いてても仕方ないんで、溜まってるレビューをここいらで片付けとくとしようぞ(・ω・)

さる1月25日(日曜)の夜(古っ!)、兄に借りたままとなってるDVDソフトにて『ボーン・アルティメイタム』を観始めた。
“ジェイソン・ボーン3部作”の完結編にして“最高傑作”とも謳われるスパイアクション作品☆
サクサクっとイッキに観るつもりが・・巻き戻したり、スローで観たり、セリフを聞き直してメモしたり、特典映像を観たり・・してる内にとても一夜では時間が足りなくなり(⌒〜⌒ι) 翌日26日(月曜)の夜とで観終えた次第。

それらはDVD鑑賞ならではのメリットと言えようが・・ホントに「正しい鑑賞法」なのかどうかは、微妙なトコかも知んない、、

かつてはCIAの精鋭エージェントだった主人公=ジェイソン・ボーン(マット・デイモン)。被弾し、記憶を失った状態で海原(大西洋上)を漂っている所を、通りがかった漁船に救出された彼は、自分が何者であるかを取り戻すために旅立つが・・そこに、ボーンの命を執拗に付け狙うヒットマンらが、次々と姿を現す。 ⇒『ボーン・アイデンティティー(2002)』

インドに潜伏するボーン。その記憶はまだ断片的にしか戻ってはいなかった。彼と共に平穏な日々を過ごす恋人=マリー・クルーツ(フランカ・ポテンテ)であるが、2人の前に新たなヒットマンが現われる。 ⇒『ボーン・スプレマシー(2004)』

愛する者を失い、孤独な逃避行を続けるボーン。そんな彼を追うCIAの諜報チーム主任=パメラ・ランディ(ジョアン・アレン)の心には、何故かボーンに対する奇妙な“信頼感とも言うべき気持ち”が芽生え始めていた。
その一方、パメラにさえ実体を知らされぬまま“トレッドストーン計画”が進化(アップグレード)を遂げ“ブラックブライアー作戦”とし動き出す。
ついに、自らを陥れんとする“巨大な陰謀”と向き合う覚悟を決め、ニューヨークにあるCIA調査局へと戻って来るボーン。彼を待ち受ける運命は? そして彼の本当の正体とは?

オープニングからして、前作『ボーン・スプレマシー』の終盤の続きであり、いきなりロシア・キエフ駅周辺に我々観客は放り出される(⌒〜⌒ι) 何なんだここはっ?!(=^_^=)
ボーンの記憶に関しても、次第によみがえる“断片のサイズ”が心なしか拡大して来た(?)ようで、色々と黒幕に近いしとたちの表情や声が小出しに漏らされて行ったりする。

監督が“臨場感”を得意とする(?)ポール・グリーングラスであり、とにかくシーンが次々に切り変わり、手持ちカメラを効果的に使った映像もブレたり、通行人の視点ぽかったりして面白い☆
(こと本作に於いては“風景描写”より“ボーンの言動”で、ロケされた国名が浮かんで来るぐらいである(=^_^=))

マット・デイモン君は・・『ボーン・アイデンティティー』の頃こそ“新生”をウリにしてた(?)が・・一方で『オーシャンズシリーズ(2001、2004、2007)』などにおいては、従来の“旧型マット・デイモン”のスタイルも貫徹しており(?)、「近年では出演作のチョイスを激変させたはるんかな?」と期待しとる向きには、少々歯がゆい状況が続いてたりもする(=^_^=)

が、本作ならではの「非情にはなり切れないが、極限までプロフェッショナル意識を維持する若手諜報員」と言う、ある意味演じるに難しい役回りをなかなか自然にこなしてくれ、危うげなく観ることが出来た。きっと彼なりに(画面に映らない部分でも)色々と努力を重ね、本シリーズに挑み続けてるんだろう。

一方で、私的に「本シリーズには欠かせない!」と感じたのがジョアンさん。『フェイス/オフ(1997)』の頃はそないにピンと来なかったが、近年はかなりお気に入りな女優さんである。
年齢を重ねたはる筈なのに『フェイス/オフ』『カラー・オヴ・ハート(1998)』『ボーン・スプレマシー』『デス・レース』・・と次第に若々しく、洗練された雰囲気となったはるように☆
この調子で、ぼちぼちファレリー兄弟辺りとタッグを組み、コメディエンヌぶりを発揮して頂いても悪くない、と信じる(=^_^=) ←『シリアル・ママ/リターンズ』とか?(苦笑)

冷徹な(?)CIA対テロ極秘調査局長=ノア・ヴォーゼンを好演したデヴィッド・ストラザーンは・・余り(これまでの)印象がなく「ダスティン・ホフマン路線っぽいしとやな」と感じたぐらいだが、その背後にはスコット・グレン&アルバート・フィニーちぅ「ダブル御大」が控えてて、 コレはちょっとしたサプライズだった(・ω・)

マリーの“退場”後、ボーンとの間にちとロマンスの芽生えそうな気配(?)となるCIAエージェント=ニッキー・パーソンズ(ジュリア・スタイルズ)だが、この子が実に「無表情」ぽく、そこが逆に印象的だった。「ちょっとは相好を崩しなさいよ〜!」と思ってたら・・ラストで少しだけ微笑んでくれて「あ、観客へのご褒美みたいな“この表情”はエエな!」とほっこりさせられた(・ω・)

CIAが「全世界規模」で“衛星からの監視”“電話回線の盗聴(←世界中のあらゆる通話から特定のキーワードの登場を探知する!)”を行っていると言う「途方もない演出」には、技術的&道徳的に度肝を抜かれるが、それをかいくぐるボーンの「ローテクな対処法」がスゴい! ・・と言うか、殆ど無防備なのだ(=^_^=)

素顔を堂々とさらし、手袋も装着せず、普段着で公共の場にひょっこり現れたりする! 彼がガーディアン紙(本社:ロンドン)のサイモン・ロス記者に(CIAより先に)接触しなくてはならない、と言う重要なシーンでは・・「変装もなしに」何気なく彼の背後から近付きつつ「アクションを起こす」のだった!
で、直後にロスの挙動から(ボーンの行動に勘付き)「いつの間にヤツはターゲットに接触したんだ!?」とか慌てるCIAの面々・・いや、さっき(あんたらの)眼の前を通りましたがな!(=^_^=)

思うに「プロならではの勘」で“今なら監視の眼をかいくぐれる”“この状況なら狙撃されまい”と言う「空気」を本能的(超能力的?)に察知⇒確信しとるんやろな、と。
そうでもなきゃ「パリ北駅」を変装もなしに、あんなに堂々と歩けはすまい(=^_^=)

「シリーズ定番」とも言うべきカーチェイス&格闘戦も、集中的に盛り込まれていた。短い代わり、徹底的に「見せる」ことにこだわり抜いたそれらのシーンは、その後に製作された『007/慰めの報酬』なんかにも、きっと少なからぬ影響を与えている筈! と決め打ちたい。
流石に007シリーズよりは“小さな(組織的)規模のハナシ”に思えるが、適度な緩急の付け方などでは、決して007シリーズに引けを取らない作品だと思う。

〜 こんなセリフもありました 〜

ボーン「これは(新聞)記事の中の出来事じゃない、現実だ、分かるな?」
   「今までに殺した人間の顔を思い出す・・名前は思い出せないが」
   「ここで総てが始まった、決着もここで着ける」

CIA長官「最上を望み、最悪に備えた計画を立てるべし」
     「覆す証拠が出るまでは、危険な男だ」

ノア「物事は何処から見るかで異なってくる」
  「君だって現場の危険は承知だろう?」
  「いいだろう、発砲許可を与える」

パメラ「問題は(ボーンに対し)手を打つ、その方法よ」
   「出せる限りの力と知恵を注ぎなさい、相手はボーンよ」
   「携帯を使わない職員をこそ洗いなさい、その数は少ない筈」
   「本気でこんな作戦を続ける気?」

パメラ「混雑する駅コンコースで狙撃なんて・・」
ノア「部外者が後から批判するのは簡単だ」

パメラ「一体、何処まで突っ走る気?」
ノア「ボーンとの戦いに勝てば止まるさ」

黒幕「事件を私に結び付けんようにな」

| | コメント (4)

2009年2月13日 (金)

☆『ヒトラー/最期の12日間(2004)』☆

さる1月25日の深夜(←厳密には土曜の深夜)、衛星第2で放送されていた『ヒトラー/最期の12日間』の終盤のみを鑑賞した。
以前にも衛星第2で放送されたことのある本作。その時は録画し、(個人の範囲内での)鑑賞目的でDVDに焼いたりしたが・・長尺のドラマ(約2時間40分)であるため、未だ観れていないのだった(×_×)

今回は、ラストになだれ込む約50分ほどを観たが、ヒトラーが“退場”してからも物語は30分近く続き、巻き起こる悲劇も(“独裁者”の生前以前より)更に救いようのない状況下でしばらく続くのだった・・

(ベルリンの)地下要塞内、再深部にある自室にこもったヒトラー夫妻(妻のエヴァ・ブラウンが最期まで“総統”に付き添った)を訪ねるのが、側近の妻であるゲッペルズ夫人だったが・・彼女の終盤における“行動”が余りに強烈で、観ていてアタマがクラクラしてしまった。。

「このしとは、ホンマもんのオニや!」と身体がワナワナ震えてもしまったが・・そんな彼女も“行動”を終え部屋を後にした直後は、疲労感や罪悪感に耐え切れなくなったか? 壁にもたれ、座り込んでいたのが印象的だった。

ワタシがこのシーンに「鬼畜性」を感じてしまったのは・・現代が「平和ボケした世界」だからかも知れず、当時のドイツ国民の視点で眺めれば・・「これぞ母性!」「愛国婦人の鑑!」「その意気やよし!」と絶賛するのが当然だったような気もする。

ブルーノ・ガンツ扮するヒトラーの「そっくりぶり」も気にはなったが、(観始めて)すぐ“退場”してしまったため、ヴィジュアル的に印象に残ったのは秘書ユンゲ(本作の語り手的存在)を好演したアレクサンドラ・マリア・ララさんの清楚な美しさであった(・ω・)

その他、気になるのは「ヒトラーの後継者」とも言われた“マルティン・ボルマン”“ルドルフ・ヘス”の2大幹部(共に、死亡したのは“替え玉”とする説も少なくない)の言動や、終盤の描かれ方だろうか。
(劇画『ゴルゴ13』では、2人とも、しっかり終戦を生き延びてたりした、、)

ゲッペルズ夫人の“行動”だけは、思い返しても辛くなってしまうんだが・・いつかは眼を背けずに観ておくべき作品(の1つ)なのだろう、と感じた。

| | コメント (6)

2009年2月 9日 (月)

☆『ベンジャミン・バトン/数奇な人生』☆

8日(日曜)の朝。
色々と忙しく、ここしばらくクルマに乗ってなかったことに気付いた! って訳で、久々(2週間ぶり)にドライヴしつつ、新作も観ちゃおう! と欲張りさんに考え、少し離れた場所(京都と奈良の境界)にある“ワーナー・マイカル・シネマズ高の原”に『ベンジャミン・バトン/数奇な人生』を観に行った☆

別な作品でも観たいのはあったが、ヒロイン役にケイト・ブランシェット&ティルダ・スウィントンのお2人(←このお2人、系統的には似てると思う、、例えばラッセル・クロゥとデヴィッド・モースみたいに)が出てるとなれば、こりゃもう観に行くしかないでしかし! って感じで心穏やかには過ごせなかったワタシなのだ(⌒〜⌒ι)

ワクワク感が止まらなくなり、1時間ほどで現地到着☆
改めて、今日のドライヴで気付いたのは「流れを守れぬ、ノロノロ運転のおじいドライヴァーの、如何に増えたか!」ってこと。スピード厳守のその気持ちは確かに分かるが、まず「速度を意味不明に落とし切って、左の店舗(駐車場)かなんかに入り始め、後方から(と言うかワタシなんだが)クラクションを鳴らされてようやく左の指示器を出す」ってな行動はもうやめにして欲しい。もしくは何らかの「マーク」をボディに貼付けなさい、と。
1日で5回ほど、一般道での追い越しを敢行したが、あれってする方も命がけなんですよ、ええ。

シネコンのロビーに到着した際には「幸」と「不幸」があった。
前者は「座席が意外に空いてたこと」「(通常は2時間枠の)駐車場の無料時間設定が、長編映画(約2時間50分)であるため、有難くも5時間枠に拡大されてたこと」であり、
後者は「日本語吹替え版」しか上映の設定がなかったことだ。字幕版を観たいとなると、更に1時間半ほどぼんやり待たねばならず、仕方なく吹替え版で我慢した。結果的には、それはそれで楽しめたけどね。

2005年8月、ルイジアナ州ニューオーリンズにある某病院の617号室。
ハリケーン・カトリーナの迫る中、老婆=デイジー・フラーがベッドに横たわり、臨終の時が静かに歩み寄っていた。側に付き添う娘=キャロライン(ジュリア・オーモンド!)に老婆は「スーツケースを開け、中に入っているものを取り出して」と頼む。果たして、その中には“ベンジャミン・バトン”なる人物の手による日記があった。
それを読んで欲しい、とデイジーはキャロラインに乞う。

そしてこの“数奇な物語”は、日記の書き手=ベンジャミン(ブラッド・ピット)自身の独白と、それを補完するデイジー(ケイト)の記憶の中で、いきいきと時間を遡り、動き始めるのだった・・

うーん・・長い! ワタシは覚悟してたから大丈夫だったが、途中で何人もの女性がバタバタとシアター外に飛び出しては駆け戻って来てた、、きっと膀胱の限界だったのだろう(・ω・)

1918年(11月11日)に端を発し、2005年8月(現代)に完全に物語は幕を下ろすこととなるんだが、監督がデヴィッド・フィンチャーってのがまず引っかかり「何処かに、大きな騙しがあったんじゃなかろうか?」とコレを書いてる今も気になってしまう(=^_^=)

注意すべき点は「日記」と「デイジーの記憶」の中だけにしか、もはやベンジャミンの存在の痕跡が確実には残されていないことではなかろうか? “80歳の肉体をもって生まれ、常人とは逆に、次第に若返ってゆく男”のハナシは、きっと新聞社や研究機関なんかも(FBIも?)興味を持つジャンルだと思うんだが、特に劇中で“ベンジャミンの数奇さ”が世間の好奇の眼にさらされることはなかった。
それが故に「実在したと言う証拠を、誰も辿ることが出来ない」ってのが、本作の持つ最大の(?)ミステリー性であり、面白さであり、監督の狙いだったのかも、とか(=^_^=)

物語はニューオーリンズの“カナル・ストリート駅”に設置された「逆回りの大時計」の製作者=盲目の時計職人ガトーのエピソードを皮切りに、ベンジャミン自身の少年期⇒青年期⇒壮年期・・を、彼自身の体験(と言葉)を軸に、時に恋人であるデイジーとの絡みを交え、ある意味淡々と描いてゆく展開。

フィンチャー作品としてはどうにも“どんでん返し”“衝撃のラスト”を期待してしまうが、まぁ物語自体が“どんでん返し”な男の人生でもあり、そう言う期待は過剰にしないが良いかな、と。

アカデミーでの監督賞は(本作をフィンチャーの新境地と認めたくはないので)獲って欲しくないワタシだが、ブラピ&ケイトの静かながらも強い印象を残す言動は、素直に良かったと思う。

可能な限り、CG+メイクで俳優自身の“老け”を追求してた本作。残り1時間足らずほどで、ようやく“若さの爆発”してるブラピを拝むことが叶うが、初期作『リック(1988)』の時のような「ツルツルピカピカ過ぎる」ブラピには同性ですら「ほあぁぁぁ!」と驚愕かつ嫉妬してしまった(☉д☉)

意外とシーンは限られるが、ベンジャミンの“バイク姿”がカッコいい! ・・と言うより切ない。。きっと彼の乗る移動媒体が“クルマ”では、あの切なさは表現し切れなかったろう。
・・デイジーの見守る中、眼下を走り去って行くバイク姿のベンジャミン・・この1シーンこそが、本作をある種、象徴的に描き切った瞬間ではないか、とさえ思えた。

なお、

ガトーを巡るエピソードには『ビッグ・フィッシュ(2003)』
デイジーとの運命や、船旅&戦争体験をする展開には『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』
老婆の語る恋バナ(?)には『タイタニック(1997)』
不条理なミステリアスさには『オルランド(1992)』

などを連想してしまった。また、原作がフランシス・スコット・フィッツジェラルドの短編小説だそうで、そうなると(=^_^=)きっと本作がもっと以前に製作されてたとしたら・・ロバート・レッドフォードが主演してたんじゃないかな、やっぱ・・と決め打っとくとしよう(=^_^=)

個性的なキャラがわんさか登場するも、それぞれの描き方に「ちと溝不足があったんでは?」と感じたのはワタシだけだろうか? 特に好きだったのは、

・洋上では仲が良いのに、港に戻るや取っ組み合いの大ゲンカを始めるブロディ兄弟(双子?)
・7度も雷に直撃された男(←回想シーンが昔風の映像処理なのがイイ!)
・時に、全裸であろうとお構いなく、老人ホームの庭に星条旗を掲揚する元将校のジイさま(ウィンズロー元大将)

辺りの面々。

反対に物足りなかったのは“育ての父(ティージー?)”や“うさん臭いがカリスマ的な牧師さん”“フィラデルフィア動物園でサルと暮らした男”などだろうか(・ω・)

父親のトーマス・バトン(ジェイソン・フレミング)も、冷徹なままでは生きられぬ“弱き人間”とし、その後もたびたび登場し、何処となく「憎み切れなさ」を漂わせていたのには好感が持てた。

ブラピ作品では『ジョー・ブラックをよろしく(1998)』がめちゃくちゃ好きな(=^_^=)ワタシで、アレに迫る(もしくは超える)“恋愛物語”を・・! と期待したが、、それほど切なさを感じたり、ウルウル来たりしなかったのは残念だった。
どうやら、冷静に分析するに「デイジーより、エリザベス・アボット(ティルダ)との相性の方が良かったんじゃないの?」と素直に感じてしまったことが大きいと思う。

「デイジーとあそこまで荒々しく“ドアを閉めた”夜があったか?」
「デイジーとあそこまで深く語り明かした日々があったか?」

いやきっと、あったんだろうけど・・そこのイマイチ伝わって来なかったワタシである(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

デイジー「眼を開けているのも辛いわ」 ←老いて
    「少女に愛の何が分かると?」
    「ダンサーはみな信頼し合うの・・セックスも信頼の証よ」 ←ドキッ!
    「今は、助けて欲しくないの」
    「もう2度と、自分を憐れんで泣いたりしないわ、約束する」 ←ここはグッと来ます
    「ダンスは身体のラインが全てなのよ、いずれは崩れるのだけれど・・」

キャロライン「怖いの? ママ」
デイジー「怖くはないけれど・・どうなるのかしら?」

キャロライン「早く知っていたら・・」
デイジー「これで知ったでしょ?」

観衆「(あの大時計は)逆回りだ!」
ガトー「このような時計を、どうかお赦し下さい・・
    しかし、時を戻せば・・戦地で亡くなった、この街の若者たちが戻って来るかも知れません」

ベンジャミン「いつも知りたかった、外には何があるのかを、あの角を曲がった先には何が・・」
      「真夜中だが寂しくはなかった・・家の“息遣い”を静かに聴いていたから」
      「知っての通り、神は与え・・そして奪う」
      「人は去り、人は来た」
      「老人達の話題は“天気”“湯加減”“夕焼け”のことだけだ」
      「僕はね、子供なんだ」 ←彼の秘密
      「生命が生まれ、生命が消えた」
      「名前も覚えていない人が、記憶の中で一番印象的だったりする」
      「何事も経験してみないと」
      「長い1日だったが、夜はもっと長かった」
      「時間が来れば、僕たちはそれぞれの部屋に戻り、それぞれの人生に戻った」
      「ハチドリがあんなに高く飛ぶのを、初めて見た」
      「人生は色んなチャンスに左右される・・逃したチャンスも含めて」
      「人生は、複雑とは限らない・・求めるものさえ分かっていれば」
      「人生は、どうにもならない出来事の積み重ねだ・・
       もしあの時、何か1つでも歯車が狂っていたら・・」
      「この子には“ちゃんと歳を取る父親”が必要だ、僕じゃない」
      「なりたい自分になればいい」
      「もし見失ったら・・大丈夫、自分の力でやり直せばいい」
      「永遠は、君の心にある」

デイジー「そうやってずっと無言を?」
ベンジャミン「(ムードを)台無しにしたくない」

ベンジャミン「永遠なんてないんだな・・」
デイジー「いいえ、あるわ」

デイジー「あなたのいない人生なんて、考えられない」
ベンジャミン「君を忘れるなんて・・無理だ」

ベンジャミン「ママ、昨日と今日は違う気がする」
クイニー「誰しもそう思うものよ・・だけど、行き着く先は同じ、通る道が違うだけ」

牧師「ベルゼブブ(悪魔)よ、去れ!」
  「よみがえれ、ラザロのように! 立ち上がれ」

サル男(?)「人と違う人間はな、独りで生きて行くものなんだ」
     「みな結局は独りさ・・誰にとっても、それは死ぬほど怖いんだが」
     「あの女はもう“友達”じゃないのさ、あの女は気難しくてな」

クイニー「神様は、きっと何かお考えなのよ」
    「みんな順番待ちをしてるようなものだわ、ここではね」

※「大切なのは、巧く(ピアノを)弾くことじゃない・・どう言う気持ちで弾くかなの」
 「失って初めて、その人の大切さを学ぶの」

船長「人の意見なんか気にせず、自分のやりたいことをやれ」
  「ジャップとナチス野郎をぶっ殺してやるぜ!」 ←おい!

トーマス「良いボタンは、このバトンにお任せを!」

エリザベス「ロシアでワインやチーズを食べるなんて陳腐なだけよ、キャビアとウォッカに限るわ」

ベンジャミン「(ティーに)ハチミツを? ハエが入ってるけどいいかな?」
エリザベス「・・遠慮しておくわ」

追記1:『サブリナ(1995)』『トゥルーナイト(1995)』以来、かなり久々にご尊顔を拝んだ感じのジュリア・オーモンドさん。何だかメイクのせいなんだか、すっかりクスんだはりました(×_×)
追記2:(俳優演技で)セオドア・ルーズベルト大統領、(セリフで)ジョン・ウィルクス・ブース(←エイブラハム・リンカーン大統領を暗殺した俳優)、エドガー・ケイシー(予言者)、D.H.ローレンス(『チャタレイ夫人の恋人』などで知られる小説家)、(実写映像で!)ビートルズなどが登場した。
追記3:日記の何頁かが破り取られてたり、大幅に消されてたりしてた(らしい)のが気になった。“ベンジャミン自身”以上に、どんな“謎”が存在し、それが永遠に失われてしまったんだろう?
追記4:ベンジャミンらのタグボート「CHELSEA号」と、ドイツ潜水艦(497と書かれてた)との一騎討ちは本作最大のダイナミックな海洋アクションシーンと言える。びゅんびゅん飛んで来るテキ機銃の“光跡”が怖いのなんの!

| | コメント (8)

2009年2月 5日 (木)

☆『ハリー・ポッターと炎のゴブレット(2005)』☆

時間軸を遡って(=^_^=)・・さる1月17日(土曜)の夜。
『土曜プレミアム』で“地上波初放送”された“ハリー・ポッターシリーズ”第4弾の『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』を観た! 大した盛り上がりもなく、とにかくダラダラと長かったが・・頑張って、観た!

第1作『ハリー・ポッターと賢者の石(2001)』では小ちゃくて可愛らしかったハリー&ロン・ウィーズリー(ルパート・グリント)&ハーマイオニー・グレンジャー(エマ・ワトソン)の仲良し(実際にはそうでもない?)3人組も、すっかり大人びて(設定では14歳ちぅことだが、、)・・きっと撮影現場じゃ遅刻は連発するわ、スタッフは人間(=マグル)扱いしないわ・・とさぞ“クソ生意気盛りなお年頃”なんやろな、と(←勝手に決め打つなよ)。

今回もまたまた“実は後付けながら、さも自然に準備されたか、のような(=^_^=)”試練に次ぐ試練&習わしに次ぐ習わしで、きっとハリー役のダニエル・ラドクリフ君からも(代理人を通じ)制作側に「実際に演じなくても、CGで描けば済むハナシじゃんかよ!」「童貞を棄てるチャンスを窺ってんだよね、俺(←スタッフも最近じゃ「また言ってるよ」的に聞き流してるとか、、)」などの色んな注文(おねだり?)がついたことは想像に難くないが(←だから勝手に決め打つなっての!)。

・・何だか全盛期の“週刊少年ジャ※プ”の長期連載マンガ(特に格闘系)を読まされてるような「第422回クィディッチ・ワールドカップ(のいきなりな中断)」⇒「3大魔法学校対抗試合(トライ・ウィザード・トーナメント)(のいきなりな開幕)」・・と、あれよあれよ的に、観客はややもすれば強引な展開に引きずり回される(=^_^=)

某国(連邦)の首相にそっくりだった“お屋敷僕(しもべ)妖精ドビー”も出なけりゃ、ハリーを人間界でイビってただけのデブ一家(ダーズリーファミリーと言うらしい)も出て来なかった本作。ま、出て来なくてせいせいしたが(おい)。

残念だったのは、

・大物俳優GO(←前作『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人(2004)』におけるキーキャラ=シリウス・ブラック役)がヴィジュアル的に登場しなかった。
・毎度(終盤で)登場する“最大のお邪魔キャラ(?)”ヴォルデモート卿を演じてたのが「レイフ・ファインズ(!)」だと全く気付かなかった(お鼻がなかったですが?)。。
・ジェイソン・アイザックスの出演(マルフォイの親父役)も、何となくスルー(看過)してしまった。。

辺りだろうか(・ω・)

また、ハリーの「新恋人」になってくんかな? と思われた、チョウ・チャンと言うアジアンな女の子は、結局「軸部分への絡み」も殆どないまま(ハリーから)離れて行ったのだった(×_×)

逆に見所としては、

・ドラゴンと(ハリーが)空中戦を繰り広げる映像演出
・“動くステンドグラス”の映像 ←なかなかイイ!(物理的に有り得ないが)
・(3大魔法学校の1つである)「ボーバトン魔法アカデミー」の女生徒らの初登場シーン。艶かしい喘ぎ声(?)を発する、あの独特な“あいさつ”には胸がキュンとなってしもた(=^_^=) やっぱし女子校は良い!(←ナニ抜かしてやがる!)

の3点を挙げておきたいっ。

しかし何だ・・あの“ドラゴンの扱いの軽さ”って何なんやろ・・正直、次の試練(水に潜るヤツ)やその次の試練(生垣の迷路に放り込まれるヤツ)なんぞより、はるかに難易度も高く、死の危険が伴ってた気がしたぞ(・ω・)
そもそもファンタジー世界におけるドラゴンは“モンスターの中でも別格の存在(であり最強クラス)”だと信じるワタシとしては、あの用いられ方だけは、どうにも納得出来なかった。

「鰓(えら)昆布」ってキーアイテム(?)も良く分かんなくて、魔法アイテムなのやら薬草なのやら健康食品なのやら、ハッキリ決めときなさい、と言いたくも。

中盤から後半にかけ、殺人事件が2度も起こったが、正直「ホグワーツ魔法魔術学校」だけの問題じゃなく、魔法省なり、魔法警察(軍?)なりがもっと本気になって捜査を進めていかなあかん問題とちゃうの? とは強く(←これは、中断された“クィディッチ・ワールドカップ”の一件についても同様に感じたことだが)。

同校のアルバス・ダンブルドア校長(マイケル・ガンボン)が「管理不行き届き」を咎められたり、死んだ生徒の遺族に謝罪を求められたり、ってな「リアルな部分」をこれから先も避けて通ると言うのなら・・観る我々の側にも考えがある、とスタッフには言っときたいトコロだ(←何をエラそうに!)

ってか、学校以外の世界観(の造型)が余りにテキトーなんじゃないだろうか? こんな世界には、とても愛娘は預けられません!(←いるのかよ!)

~ こんなセリフもありました ~

ロン「どうせ僕は“ハリー・ポッターのおまけ”ですよ」 ←そや!
  「女って年々怖くなるよな」 ←そや!
  「ホグワーツに静かな年なんてあるのかな?」 ←7作目が終わったら、ネ☆

マクゴナガル先生「女の子の中では優雅な白鳥が羽ばたく時を待ち、男の子の中では雄々しきライオンが眠っているのです」

※つまり両者をミックスさせると・・「雄々しきライオンが優雅な白鳥に飛びかかる」と、、(×_×)

ダンブルドア「真のリーダーならば、外聞なぞ気にはせん筈じゃ」 ←そうは言ってもねぇ、、
      「好奇心は罪ではないが、慎重に扱わねばな」
      「夢にいつまでもとらわれんことじゃ、棄て去るが良い」
      「どんな呪文も死者を蘇らせることは出来ぬ」 ←そこを何とか、、
      「容易(たやす)きことと正しきことの選択を迫られるじゃろう」

| | コメント (0)

2009年2月 3日 (火)

☆『パイレーツ・オヴ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト(2006)』☆

2月1日(日曜)の夜。
「日曜洋画劇場」で地上波初放送された『パイレーツ・オヴ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』を観た。何でも「テレビ朝日開局50周年」を記念してのプログラムとのことだ(・ω・)

シリーズ1作目『パイレーツ・オヴ・カリビアン/呪われた海賊たち(2003)』(コレもTVで鑑賞)が思いのほか面白くなく、あんまし記憶らしい記憶も残ってないんだが(せいぜい“オーランド・ブルーム君を売り込むつもりが、すっかり当てが外れたみたいやね”って感想ぐらい、、)、続編である本作は、前作同様の「だる〜い」物語世界ながらも、それなりにピンポイントで「見せてくれる」演出があったりもし、まぁまぁマシな印象だった。

前作から数年後。
世界の海運業を掌握しつつあった「東インド貿易会社」は、眼の上のこぶである海賊たちを一掃しようと画策していた。同社の代表格=カトラー・ベケット卿は、数年前の冒険を経て相思相愛の仲となった(のか?)、ウィリアム・ターナー(オーランド・ブルーム)&エリザベス・スワン(キーラ・ナイトレイ)の結婚を妨害し、彼らの旧友(?)であるキャプテン・ジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)の持つ「コンパス」を持ってこなければ2人を投獄すると言う。
リズ(=エリザベス)が拘束されたため、仕方なくスパロウを探し独り旅立つウィル(=ウィリアム)。

一方、棺に潜り込み海上を漂いつつ移動(?)してたスパロウは“ブラックパール号”に帰還。船長とし再び指揮をとり始めるも、彼の左掌には「黒い円形の染み」・・伝説の海賊デイヴィ・ジョーンズ(ビル・ナイ)と交わした“とある契約”の烙印・・が浮かび上がるのであった。
スパロウのもとへ「その期限」の迫っていることを告げに来たのは、ウィルの父=ビル・ターナー(ステラン・スカルスガルド)である。

密かにジョーンズを亡き者にし“契約”をホゴにしようと奔走を始めるスパロウ。彼が狙うのはジョーンズの※※が納められた“死者の宝箱(デッドマンズ・チェスト)”であった。

そのお宝の眠る“十字架島”に向かってスパロウ一味、ジョーンズ一味、そしてウィル&リズもそれぞれに「波乱の海路」を辿ることに・・

どうにも本シリーズってば「死の概念」が余りに軽過ぎる気もする(=^_^=)
ビル・ターナーが亡霊かと思いきや、意外にしっかり生きてたり、死んだと思ってたキャプテン・バルボッサ(ジェフリー・ラッシュ)も実は生きてたことが判明する。
(何やら「アステカ金貨の呪い」がどうだか・・と言う前作からのフリらしいが「何でもアリ」にするための理由付けにしか思えなかったり・・)

確かに「活劇に次ぐ活劇」ってな製作者(ジェリー・ブラッカイマー)&監督(ゴア・ヴァービンスキー)の狙う“ノンストップなエンタテインメント大作”としての醍醐味はあるのだろうが、醸し出す空気がやっぱし緊迫感不足で「だる〜い」ため、観ててちっともエキサイトしないのだ(・ω・)

ただ、2点だけだが「おおっ!」と思わされたのは、

・タコの化け物=クラーケンによる“昼間”の船舶襲撃シーン
・「でっかい水車」がゴロゴロ転がり、その内部(?)でウィルやスパロウたちが戦うシーン

の各映像演出。前者は「もはやコレを越える“大ダコの襲撃シーン”は製作不可能じゃないか?」とまで思わせるほどにリアルでスゴい。こんなおちゃらけた作品(←ファンの方、済みません)で完成されてしまったことが悔やまれるほどだ(=^_^=)

後者は、何だかスピルバーグ作品『1941(1979)』で、ゴロゴロ転がってた“大観覧車の演出”を連想させられた。この場面も前者(クラーケン)同様、白日の下(=昼間)に描いてるのは評価したい! 夜間の特撮は(「逃げ」にも思え)どうにも好かんのよ、ワタシ。

⇒『ロード・オヴ・ザ・リング(2001)』の中盤・・“モリアの地下坑道”の入口にもクラーケンっぽいのが出現してたが、あのシーンにしても“夜間”だったので、その造型がとんと楽しめなかったのだ、、

本作ってば「キャラ&世界観」がすっかり完成してるので、もはや誰が監督で、どう撮ってもそれなりに失敗はしないんだろう、と決め打ってしまうワタシ。ま、こういう「だる〜い」マンネリズムが観てて安心出来るため、根強いファンもいるんだろう。
確かに、これを強引に「変化をつけよう」「完結させよう」としちゃうと・・『X-MEN/ファイナル・ディシジョン(2006)』のような“台無し感”に繋がってしまうようにも感ぜられるし・・(×_×)

終盤ではスパロウが「かなりヤバい状況」となったまま“劇終”となるのだが・・私的にはスパロウの運命はどっちでも良く(←放っといても間違いなく生きてるだろうから)、それより(前半の)どっかの島の浜辺で“ペリコストス族(食人族)”の集団に追っかけられてたワンちゃんの運命・・こそが気になったんやでしかし。

それと、ジョーンズの手下たちの造型が、もはや“ハリウッドの定番”とさえ評せるクリーチャーぶりで、実にしょ〜もなかった。俳優さんたちは頑張ってメイクされてたことだろうが、あんなもんはCGでテキトーにやって貰ったとしても、ワタシの評価はさして変わんなかったように思うぞ(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

スパロウ「さっさと帆を上げて、やるべきことをやれ!」
    「夢じゃないな? 夢なら酒があるもんな」
    「人ってのは・・“最後の審判”が恐ろしくてたまらないんだよな」
    「思いつきじゃないぞ! これは・・何があっても絶対、ってな命令だ!」
    「もし捕まりそうになったら“ジャック・スパロウのツケを清算しに来た”と言えば・・助かるかも知れん」
    「惨いのが人生だ、死んだからと言って大して変わらん」
    「血文字で念書でも書こうか? それともタコの墨にするか?」
    「俺の前じゃ、奇麗なドレスを着るか、ハダカでいろ・・尤も俺の部屋にゃドレスなんかないがな」
    「似た者同士だろ? 俺と君、君と俺・・つまり俺たち」
    「“本当のこと”だって多く言うさ・・その度にみんな驚くがな」

ベケット卿「海賊は死にゆく種族だ、世界の空白部分は消えて行くのだ」

船長「(ここにこうしてドレスが残されてると言うことは)きっと、密航者の女はハダカだ!」
部下「おお〜っ!」

副官ギブス「後ろは、しっかり見張ってるぜ」
スパロウ「いんや・・心配なのは、むしろ前」

ビル「海賊が、望まぬ道だった・・と言えばウソになる」

リズ「いつかあなたは気付くの・・自分が“良い人間だ”ってことにね」

ギブス「(船を)棄てるのか?」
スパロウ「所詮、ただの船だ」
ギブス「希望を棄てちまうよりはマシだな」

ギブス「“あいつ”が消えて、世界がちょいと寂しくなった」
部下「カネに目のない紳士だった」

ティア・ダルマ「運命が、今変わる」
       「酒精を飲めば・・寒さが和らぐよ、悲しみも」

※※※※※「さぁ訊こうか? 俺の船がどうなったのかを」 ←沈んじまったよ!(一同)

| | コメント (2)

2009年1月20日 (火)

☆『ビヨンドtheシー/夢見るように歌えば(2004)』☆

13日(火曜)の夜。
衛星第2で放送された『ビヨンドtheシー/夢見るように歌えば』を観た。
ケヴィン・スペイシーが監督&脚本(←共同執筆)&主演に意欲的に取り組み、ヒロイン役にケイト・ボスワースを抜擢したミュージカル仕立てのドラマ。

実在した歌手ボビー・ダーリンの半生を描く。

「デビュー10周年」を記念し、ボビー(ケヴィン)は「自伝映画」の撮影を始めていた。が、スタジオのスタッフ&キャストから「一体感」の伝わって来ない彼は、次々にNGを出す。スタジオ内には「疲れた空気」が漂い始めていた。
そんな中、ボビーはスタジオの奥に1人の少年の姿をみとめる。彼はボビーの“少年時代の姿”そのものだった。

その少年に導かれるように、スタジオを歩くボビー。少年が「始まりは、ここだ!」と言ってスタジオから外へ通じる扉を開け放った先には・・ボビーの生まれ育った「ブロンクスの古き町並み」が広がっていた・・

ボビーを演じるケヴィンが歌って踊る! これは彼ならではのもの凄い練習(役作り)の成果なのだが、見応えがある!
一方で“出生にまつわるとある秘密”が(物語の背後で)後半まで引っ張って行かれ、上記の「歌って踊る」陽気な“光の一面”とは正反対の“翳り”を形作っていた。

すぐ後年にも『スーパーマン/リターンズ(2006)』でケヴィンと共演を果たしてるケイトだが、本作での演技は『ブルー・クラッシュ(2002)』も『スーパーマン〜』をもはるかに凌ぐ、素晴らしいものだった! これまでに観た作品より、より生き生きと役割を演じていたのだ。往年の女優、サンドラ・ディー(愛称:サンディ)役だったんだが、可愛いだけの「お嬢様」じゃなく、中盤以降は夫であるボビーとの間のリアルな(?)倦怠感や、アルコールに依存していく“弱さ”までもを自然に演じてくれた。

ただ、実際にはボビーとサンディの結婚生活は7年ほどしか続かなかったようだが(←ウィキペディア参考)、本作では夫婦の終焉に関する描写はあっさりと、やや曖昧にしか描かれてなかったようだ。

ボビー自身が「(ケヴィンの眼に止まるほどの)描き甲斐のある魅力的な歌手」だったのか、ケヴィンが(リスペクトを込めて)演じたが故に「凡な歌手が輝いて見えた」のか、は正直分からなかったが、ケヴィンの初監督作としてはまずまずの良作と決め打って構わないのではなかろうか。

奇しくも本作以降、ちょっと「快進撃の治まり始めてる」印象もあるケヴィンさん・・また「仕掛人的な監督」とタッグを組んで、個性的な悪役演技で、我々観客を「アッ!」と言わせて頂きたいトコロである(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

ボビー「時間も病気も忘れて生きて行ける世界、それが音楽だ」
   「音楽が僕の人生」
   「記憶は“月の光”のようなもの、好きに思い描けるんだ」
   「誰でも無名から出発するんだ」
   「歌えることを証明したい」
   「配達人にまで“この僕が誰なのか”を知られた時こそが“本物のスター”だよ」
   「“20分で書いた曲”が大ヒットとはね」
   「映画を作るぞ!」
   「演技が僕の人生さ」
   「僕は(演技の)素人かも知れないが、君(←サンディ)だってヘプバーンじゃないだろう?」
   「“人生の計画を信じて生きろ”と母に教え育てられました」
   「古い街に佇むと思うんだ・・人々はここで、生き、愛し、争い、死んで行ったと・・そして今は僕らが」
   「“卓越した存在”である人を見るのが好きだ」
   「君は恋に堕ちる」
   「ベッドの中央に置いた、この1本の剣(=境界線)を越えられるのは君だけだ」 ←騎士(ナイト)を気取る、、
   「君は僕よりはるかに賢いさ、あの子(=息子のドッド)がその証明だ」
   「人はいつか死ぬ・・そろそろパパの番だ」
   「パパはブロンクスから出発したが、ここ(ビバリーヒルズ)からなら簡単さ」
   「私は歌うために生まれて来た、そして今、報われた」

母「真実が一番」
 「お前には才能があるわ」
 「大スターには粘りとカリスマ、そして“天性の何か”が必要」
 「シナトラを超えなさい」
 「ここ(=NYにある世界最高のナイトクラブ“コパカバーナ”)で歌うの、そして彼(シナトラ)を超えるの」

サンディ「ハニー(あなた)、カツラが曲がってるわ」 ←何たる屈辱、、
    「田舎者はすぐにアカデミーを欲しがるのね!」
    「毎晩同じ曲を歌ってて飽きない? 俳優は同じ映画には2度出ないものよ」
    「人は浅はかで・・“見かけ”で聴くのよ」

ボビー「髪が薄いのは分かってる」
スティーヴ「じゃ、カツラを着けろ」 ←何たる屈辱、、

ボビー「小犬(サンディ)に近付くにはまず母犬(母親)からだ」
チャーリー「しかし、あれは名犬じゃないぞ」

サンディ「あなたを傷つけるわ」
ボビー「何てことだ・・君を愛してる、心から」

ボビー「最近、飲み過ぎだぞ、何が不満なんだ?」
サンディ「舞台のあなたにしか会えないからよ」
ボビー「舞台が僕の人生なんだよ」

サンディ「彼(=アカデミーを獲った俳優メルヴィン・ダグラス)は死にそうだから同情票よ」
ボビー「死にそうなのは俺だよ!」

ボビー「本当の父が誰なのか知りたい」
チャーリー「自分を見つけたきゃステージに戻れ」

スティーヴ「これ以上何を望む?」

チャーリー「信じればそれは必ずそうなる」
     「お前は機関車だ、舞台で走り続けろ」

| | コメント (0)

2009年1月14日 (水)

☆『ハルク(2003)』☆

9日(金曜)の深夜に地上波で放送された『ハルク』をその場で約30分、続きは録画し翌10日(土曜)の夜に観た。
マーベル・コミックスを代表する(?)アメコミ作品『超人ハルク』の実写映画化。吹替え版。
何がスゴいかって・・監督が『グリーン・デスティニー(2000)』や『ブロークバック・マウンテン(2005)』のアン・リーってこと! 全く、ワタシの中で(作品と監督の)イメージが繋がりまへんわ(×_×) ←名前こそ似てるが、女優のコン・リーとは別人です(分かってるって)

4歳の頃、父デヴィッド(←元は“大統領の科学顧問”だったらしい!)と母を同時に“とある事故”で亡くした主人公ブルース・バナーは、その時の記憶が成人した今となっても混濁したままだった。
成長し、父と同じ遺伝子学者となったブルース(エリック・バナ)は「核物質バイオテクノロジー研究所」に勤務し、同僚の科学者ベティ・ロス(ジェニファー・コネリー)らと共に、小動物に“緑色ガンマ線”を照射することで、遺伝子レベルの細胞(ナノメット)を活性化させ、同時に「傷ついた細胞」の自己再生をも促すことを実証する。

が、まだガンマ線には照射段階で不安定さが伴い、浴びせ過ぎたカエル(フレディ君)は細胞が膨張し、内部から「ひでぶっ!」と爆発してしまうのだった。。
そんな中、研究中に機材の回路がショートを起こし、暴走した照射装置から仲間をかばおうとしたブルースは、全身に多量の“緑色ガンマ線”を浴びてしまう。

目を覚ました彼は、自身が「破裂することなく生きている」ことに気づき、また(体の)古傷が全て治って(消え去って)いることに驚く。
その夜、父デヴィッドを名乗る男(ニック・ノルティ)がブルースのもとへ現れる。「30年ぶりだな・・」と語りかける男は「怒りの感情には、気を付けた方がいいぞ」なる“謎の言葉”を彼に残し、その姿を消した。

直後、彼の体内で異変が起こる! 全身の皮膚が緑色と化し、筋肉が数倍に膨張、衣服は弾け飛び・・やがて研究室にすっくと立ち上がった巨躯はもはや人間ではなかった!
そして、その恐るべき破壊力&移動能力&跳躍力で戸外へと飛び出す緑色のモンスター“ハルク”

一方、研究所で起きた“異変”を知ったベティの父=ロス将軍は、ブルースから愛娘を遠ざけると共に、彼(ブルース)のライバルである科学者グレン・タルボットと手を組み“ハルク”を捕獲⇒その組織を研究、生体兵器に応用しようと目論むのだった・・

そこそこに期待してたんだが、、アカンですね〜。特に“ハルク”が誕生した中盤以降はスッカスカな物語が加速的に展開し、リズムも重みも台無しとなってますた(×_×)
そもそも、ワタシには巨大化したクリーチャー“ハルク”がどうにも“シ※レック”に見えて仕方なかった、、

ジェニファーも、折角『ビューティフル・マインド(2001)』でオスカーを獲った(=アカデミー助演女優賞)ってのに、次がこれではアカンやん、、その後の『ダーク・ウォーター(2005)』もイマイチだったし(×_×)

エリックも、翌年の『トロイ(2004)』での存在感はなかなか良かったんだが、本作ではイマイチ魅力が伝わって来なかったな。
結局、楽しそうだったのは“ニクノルのとっつぁん”だけだったのかも知れん(⌒〜⌒ι)

ヴィジュアル的には“シュレ※ク”な主人公だが・・“変身し怒りに全身を支配される”ってノリは“ジキル博士とハイド氏”辺りがちと入ってるんかも? 後半からは本格的に軍関係とCG映像で楽しそうに遊んだりするが、終盤になるとヘンテコなテキが出現し(←電流を浴び巨大化する・・って演出が『大日本人(2007)』ぽくて笑えた)これまた作品が暴走。。

あ、特撮関係について言うと、2シーンだけ、強烈な印象を受けたものがあり、

♦“謎の人物”がけしかけた、3頭の“ガンマ猛獣(←どっかの飼い犬にガンマ線を照射し、巨大化&凶暴化させたクリーチャー)”のうち、プードルっぽいヤツ
♦日中のサンフランシスコ市街地における、路面電車の脱線シーン。

これら2つは素晴らしかった(=^_^=) 特に前者(=ガンマ・プードル)は「自身が格闘向きの犬種ではないこと」を熟知しており、他の2頭が“ハルク”に襲いかかるのに、自分だけは(か弱い)ベティ博士を襲うのだ! これ程に可愛くてずる賢いヤツは、他に余り例を見ません(=^_^=)

“ハルク”誕生以降、どんどん作品世界が破綻していったんだが、、まぁこの“ガンマ・プードル”を観るだけでも、得した気分に浸れると思うんで、機会があれば是非にご覧下さいネ(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ブルース「すっかり元通り、それ以上だ・・古傷も治った」
    「今までにない程、気分はいいんだ」
    「あれが起きると、我を失ってしまう・・しかもその状態が“快感”だ」
    「怒らせたな? 怒らせると後悔することになるぞ」
     (You're making me angry. You wouldn't like me when I'm angry.)

ベティ「あなたのせいじゃない・・“心を開かない”男の人を好きになってしまう私がいけないの」
   「身体の傷なら目に見える、でも心の傷は見えない所で深く進行して、連鎖反応を生むかも知れない」
   「(例えあなたが)どんな姿でも・・私には分かる」

父「説明したところで半分も分からんだろう・・体験しなければな」
 「私の愛するもの、大切なものは全て・・この指をすり抜け、ただの記憶に変わってしまったのだ」
 「喚くのはやめろ、つまらん人間のすることだ」

※※「お前は“あの能力”を葬りたいのか?」
  「私は自分の肉体を高めようとしただけだ・・自分自身の肉体をな」
  「お前はただの“入れ物”に過ぎない、薄っぺらい理性を保ってはいるが、そんなものはアッという間に崩れ去る」
  「軍服を着た連中は、何も考えず、自分たちの勝手なルールを世界に押し付けているではないか!」
  「私とお前なら、奴らの掲げる旗も、奴らの政府も消し去れるのだ! 瞬く間に! 潰してやれる! お前と私なら!」
  「死んで生まれ変わるのだ・・宗教や文明が人類の魂を食い荒らす、その前に“英雄”としてな」

追記1:多用される“画面分割”がノーマン・ジュイソンやブライアン・デ・パルマの亜流っぽくて、苦笑させられた。
追記2:巨大化しようが、決して破れないズボンに違和感・・どんな繊維だってんだ?
追記3:かなりの重量であるハズの“ハルク”が“戦闘機の背中にしがみついて音速飛行”する演出はどうもやり過ぎな。。
追記4:スポットライトに2つの椅子・・後半の“対話シーン”はどう眺めても「舞台劇」だと思う(・ω・)
追記5:そもそも劇中では、誰も“ハルク”なんて呼び名を使ってなかったぞ??
追記6:ちと想像つかなかったが・・エリック・バナは、母国オーストラリアでは“コメディアン”の肩書の方でこそ有名だそうだ!(←ウィキペディアより)

| | コメント (2)

2009年1月13日 (火)

☆『ハイジ(2005)』☆

8日(木曜)の夜。衛星第2で放送されたイギリス映画『ハイジ』を観た(吹替え版)。
往年のアニメ作品『アルプスの少女ハイジ(1974)』として有名な、かの児童文学を実写化したもの。当時のアニメ作品自体を殆ど観ておらず「手っ取り早く“ハイジ”の世界を学んどこ」と考え、鑑賞することに。

(両親の死後、育ての親となった)デーテおばさんに連れられ、祖父であるアルムおんじ(マックス・フォン・シドー)に預けられることとなったアーデルハイド(エマ・ボルジャー)は“ハイジ(Heidi)”のあだ名が似合う(?)9歳の活発な少女。
おんじには“何か良からぬ噂”が囁かれているらしく、スイス・デルフリ村から外れた、冬になれば深い雪に閉ざされる山小屋で独り、暮らしていた。
無愛想で頑固で厭世的なおんじは最初「お前をここに置く訳にはいかんぞ」とハイジに対し冷たい態度を取ったが、純粋で心優しい彼女と接することにより、次第にその態度を軟化させてゆく。
村外れにはヤギ使いのペーターも住んでたが、彼もまたおんじ同様“心の何処か”の屈折した少年だった。

彼らとのアルプスでの暮しにも慣れたある日、デーテおばがやって来て、嫌がるハイジを半ば強引にフランクフルトの富豪・ゼーゼマンの屋敷へと連れて行く。ここでは、足の不自由な11歳の少女クララが彼女を待っていた。

病弱で外出もままならず、塞ぎ込みがちなクララに友達とし紹介されるハイジ。
彼女はこの“新しい友人”を歓迎したが、ハイジ自身は、屋敷での堅苦しい生活や、ことあるごとに辛くあたる執事ロッテンマイヤー(ジェラルディン・チャップリン)により、次第に心を病んでゆくのだった・・

CG特撮により、谷間に架けられた“超ロングサイズのブランコ”をハイジがこぐシーン・・がいよいよ実現するか?! と期待してたが、そう言うアニメファン向けの演出は一切挿入されなかった(・ω・)>
全体的にはハイジを軸とした「対おんじ」「対クララ」「対セバスチャン(使用人の青年)」「対(クララの)おばあさん」ってな交流が綴られるんだが、どれも児童文学の域を超えるものではなく(←超えなくてええって)、丁寧だが予定調和的に進んでく感じだった。

私的にはもっと“アルプスの野辺で遊ぶハイジ”って映像を観たかったが、物語の半分はゼーゼマン屋敷篇であり、アルプスのシーンにしても半分ほどは“冬の生活”の描写だったので、意外と“インドア”な印象が強かったように。

残念だったのは、アルムおんじを除く面々に、さほど魅力を感じなかったことか。ハイジもクララもペーターも“可愛さ”や“美しさ”よりも“リアルさ”の優先されてた気が(⌒〜⌒ι)
ロッテンマイヤーさんのみが、最後まで「認めぬ! 退かぬ! 媚びぬ! 顧みぬ!」と、頑な性格を崩すことなく孤軍奮闘されてたが、それはそれで“助演女優”としては光ってたかな、と。
しかし、かの“喜劇王”チャールズ・チャップリンの娘さん(!)でもあるジェラルディンさん・・果たして本作におけるキャラ造型を“偉大なるチャーリー”が天界から微笑んで見下ろしていたのかどうかは・・微妙なトコだったかも知んない。。

終盤では、アルプスに戻ったハイジを、今度はクララが訪ねる・・と言う展開となるが、そこでペーターが(クララの裕福さに嫉妬したのか)いきなり“(クララの)車椅子を谷底に向かって蹴る”なる凶暴な行動に出るのが衝撃的だった。
結局、(それについては)謝罪も告白もなかったが・・その後、怒りを克服出来るようになったのか、作品を観終わってからもその点が気になってしまった。。

〜 こんなセリフもありました 〜

ハイジ「あの鷹は何を鳴いているの?」
ペーター「村に住んでる、諍いばかりの人間をあざ笑ってるのさ」

ハイジ「ここ(屋敷)から見えるのは石の道だけね」

ペーター「ヤギ飼いには読み書きなんか必要ねぇもん」
    「外は酷い風だ、いつかこんな家、吹き飛ばされっちまうよ」
    「本なんか読む奴はバカだ」

おんじ「都合のいい時に売り買い出来るシロモノじゃないぞ、あの子は」
   「これまでに山ほどの悪事をやって来たが、誓って人は殺していない・・」
   「これ以上、わしらに何が必要だと言うんだ?」
   「齢(とし)を感じるようになった・・」

ロッテンマイヤー「私は遅刻する人間が大嫌いです」

ハイジ「この街(フランクフルト)に大きな樹は1本もないの?」
教会の男「こんな都会に住む程、樹は愚かじゃないさ」

クララ「ハイジはね・・毎日、私を笑わせてくれるの」

おばあさん「“ハイジ”がこの子の本名なら、(アーデルハイドではなく)そう呼ばれるべきです」
     「ハイジ、誰でも字は読めるわ」

おばあさん「あなた、ホントにハイジが嫌いなのね?」
ロッテンマイヤー「認めたくありません・・良い子だと相手に思わせる、あの子の才能を」

おばあさん「あなたがあの子の本質を見抜いているとは思えないわ。
      ・・“良い子のふり”をしているのはあなた自身でしょう?」

追記1:いきなりいなくなったハイジを心配し、行方を尋ねる村人に・・

おんじ「ハイジは・・わしが喰っちまった」

ってのは、村における(おんじの)評判から察するに“シャレになってなかった”と思うんだが、、
追記2:おんじは「ヨーゼフ」と言う名の犬を飼ってなかった。。これは(アニメ版のみの)オリキャラだったらしい(・ω・)
追記3:ペーターを演じる少年の容貌・・ちと“スティーヴ・マックィーン”が入ってました(=^_^=)
追記4:以下、ウィキペディアより転載(=^_^=)

「(アニメ版で)オープニングのハイジが乗っているブランコの長さは、振り子の周期から計算して約37.8メートル。」

| | コメント (2)

2009年1月11日 (日)

☆『ピノッキオ(2002)』☆

7日(水曜)の夜、衛星第2で放送された『ピノッキオ』を観た。
元々は、会社のとある方から「ロベルト・ベニーニ監督&主演の意欲作(←兼脚本)」と聞かされたことがあり「DVDソフト、貸すよ?」なる“ご好意”もあったんだが「借りてもどうせ放置したままになるやろし・・」と(お借りする前から)申し訳なく思い辞退申し上げ続けた1作でもあった(・ω・)

さて、この度いよいよBS2に降臨となったんだが・・これはヒドい! 全然面白くなかった!

どうやら(ベニーニ演じる)主人公ピノッキオのヴィジュアルや、物語の展開は「原作にかなり忠実」と言うことらしいが、私的には「それだったら(原作者が激怒しようが)映像化するにあたって“徹底的に手直し”するべきやし、そのために権利者が難色を示す事態となるなら、それは熱意&愛情でもってとことん説得すべきやろ」と思えて仕方なかった。

青いチョウが荷馬車に積まれた1本の丸太ん棒に触れ、それは石畳に落ちて、街路を元気良く転がり始める・・
その丸太ん棒が最後に辿り着いたのは、ジェペット爺さんの暮らす家の戸口だった。

爺さんに「彫り出された」操り人形のピノッキオ(ベニーニ)は、爺さんに対する感謝の気持ちもそこそこに、戸外へ飛び出し「天真爛漫に騒ぎ始めた」のだが・・

ベニーニがピノッキオを、(彼の実生活上の妻である)女優ニコレッタ・ブラスキが“妖精の奥様”を演じるんだが、どうも「仲睦まじい夫婦のホームビデオを延々と見せられてる感」が拭えなかった(・ω・) ベニーニ自身が「俺こそがピノッキオなんや! 観てくれ!」と高らかに宣言してる印象も強いんだが・・そこからして「師匠、そこはグッと堪えて引き下がって頂かないと!」と必死で説得したげたかった。。

何だか大ヒットした前作『ライフ・イズ・ビューティフル(1998)』で稼いだポイントを全部すっ飛ばしてしまった気がするぞ(×_×)

今回放送されたのは“吹替え版”だったが、妙にテンションの高い兄ちゃんが喋り&歌いまくってて「何かウザいなぁ、、」と思ってたら、ラストでユースケ・サンタマリアさんによる声アテと知った。そのま※ま東さん(某県知事の就任前)とはちゃうかったんやね(⌒〜⌒ι)

原作に忠実であり過ぎる故か(?)、日本のちびっ子に(幼い内から)徹底的に教え込んどきたい「勧善懲悪(悪は滅び、最後に善が勝つ)」ってな(マンネリぽくもある)思想が(背景に)殆ど練り込まれてなかったのには閉口させられた。

・首吊り状態となるピノッキオ
・捕まって投獄されるピノッキオ
・“如何にも造りもん”なピノッキオたちに生える“ロバの耳”
・足の折れたロバが崖から海中に棄てられる残酷シーン
・親友=ルシーニョロの非情な「退場」

何やら「小悪党」どもがわんさと出て来た印象があり、そいつらが殆ど「報いを受けない」のは、日本人として違和感を禁じ得なかった。
確かに「悪人こそが、のうのうと生き長らえる」ってのが正味のハナシなんだろうが、それは童話の中で子供に伝えるものではなく、成長の中でおいおい彼ら自身が気づいてゆけば良いハナシだろ、と思うし(・ω・)

ってことで、これこそが「原作の世界観」なのだとしたら、ワタシは“日本に輸入され、脚色されたピノッキオ”の世界観こそを支持したいと考える次第である。

〜 こんなセリフもありました 〜

メドゥーロ「チョウは悲しみを知らぬ生き物、その日1日を楽しく生き、死んでゆくのです」
     「人に幸せを与えずして、生まれて来た意味がありましょうか?」

ジェペット「こりゃなかなかいい木だぞ、美しい松の木だ」 ←イタリア語で「ピノ」は「松」の意
     「世界一の人形をこさえてやるぞ」
     「自分で木から出て来るものだ、いい操り人形と言うものはな」
     「舌は一番最後に作るべきだったな、このお喋りめ」
     「何と恩知らずで嘘つきで残酷で・・真心のない息子じゃ」
     「悪い子がいい子に変わる時は、周りのものまでが明るく新しく変わるのさ」

ピノッキオ「生まれて来て良かった、何て素敵な世界だーっ!」
     「こんな(伸びた)鼻じゃ、恥ずかしくて外に出られないよーっ!」
     「僕が生まれて、たった15分も穏やかに過ぎることはなかった、たった15分も!」
     「明日なんて、僕、待ち切れないよーっ!」

妖精の奥様「あなたの見ているのは鏡よ」
メドゥーロ「何と! 鏡も昔とは随分変わったものですな」

コオロギ「お金は働いて稼ぐものです、畑では育ちませんぞ」

※ピノッキオの最初の相方(?)はコオロギくん。これってディズニーの新作アニメ『WALL-E』における“ゴキブリくん”のキャラ造型に繋がったんやろか?

| | コメント (2)

2008年12月20日 (土)

☆『ブラインドネス』☆

19日(金曜)の夜。
仕事の帰りに、公開期間も恐らく終盤に迫って来てる1作『ブラインドネス』をついに鑑賞して来た☆
最近では珍しいほどに「観に行こうとすれど、なかなか機に恵まれなかった」作品でもある。

今夜も少しばかりは残業めいてたので、大阪市内の各劇場では間に合わなかったんだが・・またも、遠路はるばる(?)東大阪市内にある“布施ラインシネマ10・北館”での19:15上映開始・・のプランに間に合わせた次第(=^_^=)

以前の『ICHI』は同シネマの南館で観たが、流石に北館は商店街の奥ではなく、通りに面した大きめの建物だった。
それぞれに趣はあるが、私的には1階に“マクド”の入ってる北館の方が気に入ったかな?

アメリカの何処かを思わせる巨大都市。そこでは、様々な年齢の様々な人種が「言葉の壁」「宗教の壁」に時として阻まれながらも、粛々と暮し、働いている・・

そんなある朝、交差点で信号待ちしていた車内で、運転していた日本人青年(伊勢谷友介)の視力が突然に失われる。
「見えない!」「眼の中に光の粒子が溢れて・・!」後続車にクラクションを浴びせられる青年。気を利かせた通りかがりの男が運転を代わり、彼のクルマを走らせる。
通行人らは「急に見えなくなったらしい」程度の興味しか示さなかったが、これが“大規模な感染の始まり”であったことに、気付いた者は1人としていなかった。

帰宅した青年の妻(木村佳乃)は、突然の夫の発症に戸惑う。

青年を診断した眼科医は首を傾げる。「普通は黒く感じるものだ、白くじゃない」「黒内障か? いや、それにしては白く見える筈がない」「失認症(アグノシア)の一種か?」
帰宅後も、そのことを考え続ける彼だったが・・翌朝、彼の妻(ジュリアン・ムーア)が耳にした起きがけの夫のひと言は
「見えない(I can't see)!」だった。

この“奇妙な症例”は各地で同時多発し“接触感染の可能性”に慌てた政府は、患者を専用車で特別病棟に連行⇒隔離する政策に踏み切る。この間にもハイウェイではバスが横転事故、空港では旅客機が立て続けに墜落事故を起こす。

次々と「白の病」に冒された人々が運び込まれる病棟。政府は「隔離」を「あらゆる個人的事情を超えた、公善的処置」と位置づけた。一方その頃、パニックで渋滞したハイウェイは、事故の続発により、今は1台の走行車両もなかった。

そして急速に・・人々の間から「公共心」が失われて行ったのである・・

新作映画のレビューを精力的に執筆されているituka氏のブログ記事が気になったりもしつつ・・キアヌ・リーヴスの主演最新作『地球が静止する日』にも“それなりの興味”はあったんだが・・敢えてこちらをチョイスしてみた☆

が、フェルナンド・メイレレス監督、、どうもエンタテインメント路線で本作を撮った訳では全くなかったようで、彼の前作『ナイロビの蜂(2005)』以上に「(世界が)狭い」「(世界が)暗い」「(世界が)重い」「(世界が)汚い」と言う「何だかな〜」な4拍子が絶妙に揃っていた(×_×)

いや、私的には「M・ナイト・シャマラン(監督)路線で行け!」とか「(スティーヴン)キング原作っぽく(物語を)走らせろ!」とまでは言う気もないし、期待もしてはいないんだが・・ここまで作品世界が重苦しいと、流石に「何とかしてくれ〜」とツッコミたくもなる。
「メイレレス(作品)は滅入るっス」などとヘタなダジャレを飛ばしてる場合じゃなく(・ω・)「次作には手を出さんようにするかな」と心に決めてもしまうワタシ。

世界規模の物語か? と思いきや、殆どの展開は「隔離病棟内」で進行する。
何処か『サイン(2002)』のような“ある種、世間と隔たった空間”でもあり、一方で“脱獄モノ”の雰囲気が微妙に漂ってたり(?)もする。

コンパクトな劇中世界で、それなりのカリスマを持った奴が“君臨”しちゃうノリは『ミスト』にも通じるトコがあったかも(・ω・)

それにしても、1番我慢ならなかったのが、映像を覆う「汚物/廃棄物」の群れ。流石に排泄シーンこそはなかったが(←排尿シーンはありますた)、そっち系(デカい系)の汚物も廊下や路上にゴロゴロしてたように感じた。
後半では、野良犬の群れが若者の遺体(の衣服)をくわえて引き破り合ってるし(×_×)
また、意図的に配したんかも知れないが、屋内でも、屋外でも、妙に全裸状態の男女がウロウロと動き回ってて、興奮するより先にゲンナリしてしまった(×_×)

2番目は、スッキリしない“極悪キャラ”共の行く末か。良く分かんないままにどっかに消えたりし、消化不良感が後に引いた。最近はああ言う演出が流行ってるんやろか?(『ミスト』もこの点では同様だった)

「劇中でただ1人、ホントは総て見えている人物」に関し、その謎を軸に据えストーリーを転がして行く・・と(どんでん返しも含め)予想してたので・・そっち関係が不明瞭に扱われていた描き方は、やはりワタシの感覚には合わなかったかな。
振り返るに「1度」たりと劇中で笑えなかったし。。

ま、きっとメイレレス監督が悪いんじゃなく、日本の配給会社側がそこを「ネタ」にしてホラー臭を意図的に漂わせたんだ、と決め打ちしてるワタシだが(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

青年「何故、走り出さない?」
男「信号が赤だからさ」

※「眼の見えない人間につけ入るなんて、どんな奴だよ」
 「怖いのは、眠りから覚め、眼を開ける瞬間だ」
 「外の連中には、この状況は想像もつくまい・・経験するしかないってこった」
 「人を死なせるのは、苦しいものよ」
 「人それぞれの価値観を尊重するしか」
 「俺の領分に入るな!」
 「何故彼らが自宅で眠らないか? その場所が分からないからだ」
 「シャンパン? 奇麗な水だけで感謝です」

老人「私が邪魔なら、正直に言ってくれ・・象のようにそっと消えるから」
  「老人に夢を訊ねても、仕方あるまい?」
  「私は、今が一番幸せなんだ」

※「何を喰ってる?!」
 「肉の匂いだ!」

盲目の男「今まではハンデがあったが、この状況下じゃオレは超人さ」

女「もし要求が“男を差し出せ”だったら、この中に志願者はいるのかしらね?」

夫「私だって、妻には行って欲しくない・・だが、決定権は彼女にあるのだ」

保健省の女性大臣「私も、見えなくなりました」

王様「この病室は“君主制”でね」
  「食料が欲しけりゃ、払え・・それ相応にな」
  「ここでの“モノの価値”は俺たちが決める」
  「“燃料代わり”のパンをやる」 ←不快な台詞!
  「ちょいとトシだが、悪くねぇ」
  「ゾンビもいたが、他は“プロ級”だな」

眼科医の妻「もうイヤ(oh,I can't take this.)」
     「イヤなら(貴金属を)差し出さなくても良いけど・・今後の善意には期待しないで」 ←不快な台詞!
     「この場所を決して明け渡さないで」

神父「神はパウロを回復させ、同時にその視力を奪いました・・今、神は同じ事を我々に」

眼科医「君のタルトも絶品だった」
その妻「あれはティラミスよ」

眼科医「総てを世話になっていると、まるで・・」
その妻「まるで?」
眼科医「まるで母か看護師のようだ・・惨めになる」

追記1:劇中で「エミリアーノ・ホテル」なる固有名詞が登場することから、どうやら舞台は「ブラジル・サンパウロ」ではなかったかと考える。監督のホームタウンらしいし。
追記2:『ハンニバル(2000)』でレクター博士も(会話で)使ってたと記憶してるが「近付く=warm」「離れる=cool」と表現するようだ。
追記3:ダニー・グローヴァーさん、すっかり老け込んではりますた(×_×) もはやプレデターは倒せまい、、
追記4:彼女とのデートでは観ない方が良いでしょう、本作。
追記5:ああ言う状況になると「金」だの「貴金属」だのは正直、大した価値を持たないと思う。欲求のレベルも自然と下がって来る訳で(・ω・)

※ituka氏のブログは下記の通りです。

http://blog.goo.ne.jp/ituka100mile

| | コメント (4)

2008年12月17日 (水)

☆『プレストとウサギのアレック』☆

15日(月曜)の夜。
“TOHOシネマズ(ナビオ上層階)”で『WALL-E』の本編開始前にサプライズ的(?)に上映された“前座”的短編アニメーション『プレストとウサギのアレック』を観たことを思い出したので、ついでに書いておきたい。

恐らく、上映時間は5〜10分程度だったんじゃないかな? と。

愛用の“魔法の帽子”を使い「色んなモノを取り出す手品」を行うマジシャンの男=プレスト(PRESTO)と、お腹を空かせたまま楽屋のケージ(カゴ)に放置されたウサギ=アレック(ALEC)が、
アレック「公演前にまずエサの人参をくれ〜!」
プレスト「人参が欲しけりゃまず働け〜!」
ってことで、お互いにすれ違った気持ちのまま、舞台に上がるのだが・・みたいな展開。

まさにスラップスティック(どたばた)って感じに「天井からモノが転落」「ズボンが脱げる」「指を引き出しで挟む」「配電盤に触れ感電する」とカートゥーン(海外アニメ)お決まり(?)の“ネタ”をオンパレード的に見せてくれる。

面白い、と言うより「痛々しい」と言うか「引っ張り過ぎ」(=^_^=)な感もあるんだが・・最後の最後で、
「アレックの優しさ」と「プレストの優しさ」が立て続けに演出され、何処かホッとさせられた。

何となく実験的な(?)1作にも思われたが、劇中の楽屋&舞台の雰囲気には「独特のノスタルジー」が醸し出されており、ある種の味わいがしっかりと成立してもいた。
機会があれば、触れておいて良い佳作だと思う。

※それにしても・・“魔法の帽子”なるアイテムに関し「実は種も仕掛けもない」と言う設定には、ある意味ぶっ飛んでしまった! ああ言う描き方で強引にストーリーを展開されると、もはやツッコミをすら忘れてしまうモノである(=^_^=)

| | コメント (2)

2008年12月12日 (金)

☆『バレット・モンク(2003)』☆

11日(木曜)の夜。「木曜洋画劇場」で“地上波初放送”されたアクション作品『バレット・モンク』を観た。
チョウ・ユンファ主演、ジョン・ウー製作(←ココがポイント! 監督ではない!)ってことで、期待はそこそこに止めつつ(=^_^=)鑑賞したんだが、アクション要素を含みながらも大したことはなく、コメディ要素を含みながらも大したことのない、ホンマに“B級”な物語だった、、

1943年チベット。山岳の“至高真理の寺院”に眠る「究極の巻物」が、今まさに師から弟子へと引き継がれた直後、ドイツ軍が寺院へと攻め込み、殺戮の限りを尽くす。
師は撃たれ死亡。弟子(チョウ・ユンファ)もまた、追い詰められ、胸に銃弾を受け、崖下に転落する・・
落ち行く彼の姿を見下ろしつつ歯噛みするのは、ナチの将校=ストラッカーと言う男だった。

時は流れ、60年後のニューヨーク。

ストラッカーは年老いて、今は表向き「人権保護機関」の顧問的立場に納まりつつ、しぶとく「究極の巻物」を探し続けていた。

スリの青年カーは、ひょんなことから(ストラッカーとその孫娘=ニナの率いる一味に)今も追跡される僧侶(ユンファ)に出会ったことで、同じように付け狙われるターゲットに含まれてしまう。

一度は一味に「巻物」を奪われてしまう2人だったが、それはニセモノだった。
果たして本物の「巻物」は何処に? そして僧侶&青年の戦いはどんな決着を迎えるのか?

劇場公開当時の予告編か、TVコマーシャルかで、メチャメチャに面白そうな映像の流れてた気がするんだが・・それは“いわゆるエサ”って感じで、非常に限定されたシーンのモンタージュ(繋ぎ合わせ)にしか過ぎなかった(×_×)
何だかもう「“アクション系”と言うより“プロモーション系”」って感じで、かいつまんで観るだけで十分な気がしたゾ。

見所は実に・・冒頭の「吊り橋上で戦うシーン」と、中盤の「クルマの屋根に乗り2丁拳銃を振り回すシーン」ぐらいなのだ。

中身はホンマにペラッペラのスッカスカなんだが、ユンファ演じる“弾丸坊主”の語るセリフがそれなりに「深そう」だったので、そこで辛うじて破たんを食い止めてたようにも(⌒〜⌒ι)

連想した作品は、
『ゴールデン・チャイルド(1986)』・・小悪党キャラだが力を秘めた青年の活躍
『トゥルー・ロマンス(1993)』・・アジア映画に育てられた(?)アメリカ青年
『ブレイド(1999)』・・捕まって拘束される主役キャラ
『ハンコック』・・最強な2人が誕生するラスト
『太陽を盗んだ男(1979)』・・ビル屋上から落っこちるも、電線に救われる(?)展開
などだったろうか、、

終盤でユンファの“封印”が解けて(?)しまうんだが、そこからしばらくのメイクが何とも「コントっぽくて」噴飯モノだった(=^_^=)

また“ニホンの誇るハリウッド俳優”マコ岩松氏(1933-2006)も客演(←中国映画館“ゴールデン・パレス”の支配人=コジマ役)されてたが、、『パールハーバー(2001)』と『SAYURI(2005)』に挟まれる形で出演された本作では、どうにもパッとしない役柄だったのが惜しまれる。。まぁ、こんなんが遺作とはならず、そこは同じ日本人としてホッとしたものだが(・ω・)

そうそう。終盤のストラッカーとのバトル中に、優位に戦いを進めてたユンファが「足を噛まれひるんじゃう」演出にはかなり失笑させられた。アレは意外性があって良かったな〜(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

師「私の刻(とき)は終わり、お前の刻が始まる」

弾丸坊主「名は既に忘れました」
    「心の濁る者は、魂の救済より見返りを求めるものだ」
    「私を蹴り飛ばすつもりにしては、君は少しばかり喋り過ぎだな」
    「君は名前を得、私は棄てた」
    「君が悟りの境地に到達し、私の質問に答えられるようになったら・・私も君の質問に答えよう」
    「肉体を奇麗に保ちたければ、生き物を絶対に殺してはならない」 ←と言いつつ足元でアリとか踏んでそう、、
    「他人を知るのは賢さの証、そして己を知るのは悟りの証だ」
    「奇麗な水に、魚は住まない」
    「学んだ場所は問題じゃない」
    「相反するものの和を学べ」
    「怒りのためでなく、平和のために拳を放て」
    「力に頼るな、しなやかさだ」
    「戦いとは、己を知る事だ」
    「空気だ・・眼には見えないが、肺を満たす空気・・それを信じ、操れ」
    「存在しないと本気で信じれば、それはなくなってしまう」
    「巻物を護る者は、巻物に護られる」
    「石のように空気を踏め、ただ信じさえすればいい」
    「2つの半端な人生を生きるより、1つの完璧な人生を生きる方が幸せだ」

カー「俺は、飛び立つ」
  「言っとくけど、女に関して坊さんからアドバイスは受けねぇぜ」
  「目くらましとスピード、それが盗みをする時の秘訣さ」

| | コメント (0)

2008年11月24日 (月)

☆『ブロードウェイ♪ブロードウェイ/コーラスラインにかける夢』☆

24日(月曜)。「紅葉満喫をば!」と心に決めてた3連休の最終日。
・・が、実際には半・公的な釣り活動がド真ん中に入り・・土曜夜〜日曜夜が“壊滅”してしまった(×_×)

最終日の本日も結局、疲れは残るし、天候には恵まれず・・仕方ないのでお出かけ気分で大阪市内へと繰り出し、新作映画『ブロードウェイ♪ブロードウェイ/コーラスラインにかける夢』を“なんばパークスシネマ”で観て来た☆

伝説的なミュージカル“コーラスライン(初演:1975年)”の再演(2006年)に向け、オリジナル版の出演者&スタッフを中軸に据えた製作側は「どなたでも歓迎」と門戸を開きつつ、主要キャストの大規模オーディションを実施する。
19人の採用枠に対し、応募総数は何と約3000人!

本作は、オリジナル版を企画した“伝説の振付師”マイケル・ベネット(1943〜87)の在りし日の映像&音声を交えながら、8ヵ月にも渡るオーディションの模様をインタビューや記録映像で綴った物語である。

まず反省しなきゃアカンのは「本作が映像ドキュメンタリーであること」を知らず「“コーラスライン”の何たるかを知っておかねばならないこと」をも満たしてなかったワタシ自身についてであろうか(⌒〜⌒ι)

直感的に「隠れ名作!」と信じ、シアターに突進したのは良いが・・正直言って入場率はすこぶる良くなく、周囲の観客の数人からも「予想してた作品と違ってるし」的な“集中力が途切れてまっせ”系の動き(=ソワソワ系)がチラホラ見受けられた気がした(・ω・)

どうやらオリジナル版の“コーラスライン”自体が「新作ミュージカルのために集められたダンサーたちを巡る、オーディションのハナシ」ってことで、本作そのものがまさに“コーラスラインの世界”であり「入れ子状態(=入れ子構造)」ともなっているのだ!
その辺り、オリジナルを知ってる観客からすれば、きっと感動もひとしおだったんだろうな、と。

それにしても・・本来ならオーディションが終了した時点で、映像ネタは揃っていたハズの所・・今に至っての製作&公開となったのは興味深い。

詳しい事情は分からないが、冒頭で
「オーディション等の映像を提供下さった俳優労働組合に感謝を捧げます」的なメッセージが表示されてたことや、オーディションを受けてる(記録)映像の中で、顔をボカして映ってるダンサーの映像が一部あったりもした辺りから「使用許可(承諾)」を巡る活動にこそ時間がかかったんではないか、と。
(NY公演がこの8月半ばをもって千秋楽となったので、そのタイミングに併せての公開となっただけかも知れんけど・・)

オーディションを受ける側、審査する側でそれぞれに「本音」めいた部分が語られるトコは“他人事ながらこそ”の面白さがあった(面白がってては当事者の方々に失礼なんだが・・まぁ料金分ぐらいは面白がらせて下さい)。

流れで言うと「ダンスの才能」が最初に試されるんだが、そこでパスしても、次に「歌唱力」「英語の発音」などが試され、付け焼き刃的な能力&自負で渡米した程度のダンサーではまず合格は覚束ない。
またそれらをパスしたとしても・・「(審査側の心に)ピンと来なければ落ちる」と言う、(ショービズの世界では当然だろうが)“直感的で曖昧な基準”が大きなウェイトを占めてるようにも感じた。

ただ「落とすためにオーディションを行う」と言う形ではなく、バッサリ切り捨てるには惜しい人材には「全員が終わってから、もう1度やってくれるか?」と提案する部分もあり、また合格者の中にも「容貌面ではどうよ?」と感じちゃう方(スンマセン)も少なくはなかったので“そこそこに明るく公正な決め方”はされてたんじゃないかな? と。
私的には「色仕掛け」は少なくともなかったんじゃないかと思う(おいこら!)

日本からも唯一、沖縄出身のユカと言うダンサーが完全合格を果たしていた。
小柄な方なので苦労もされたと思うが、ダンス以外に求められる「歌唱」「演技」「英語発音」・・そして「ディレクターの心を掴むために必要な“何か”」をワタシなんぞには理解出来ぬ“高い次元”で成立させていたのだろう。

名作とも佳作とも言い切れぬ荒削りな部分はあったが、全篇に「適度な緊張感」の漂う世界観はワタシに退屈さを感じさせなかった。
オーディション中にディレクター陣を唯一“泣かせた”もの凄い俳優が登場するシーンもあり、ミュージカル好きにはきっと堪えられない1作ではあろう。

〜 こんなセリフもありました 〜

【審査側】

「他は、お疲れ様」
「残りは、お疲れ様」
「楽しかったよ、有難う」
「ピンと来ない」
「良くない」
「彼はノー(駄目)だ」
「若過ぎる」
「変だな、以前と違う・・吹っ切れてない」

「見事だ、とても良かった」

「泣かされたよ、この私が・・30年ぶりの涙だよ」
「(彼に)決まりだな」

「(初演キャストと)そっくりでは意味がない・・起用にも“冒険”がなければ」
「みんな有難う、結果は彼から」 ←振られた彼も可哀想・・
「公演初日は、演技過剰で“大甘”なものだ」
「演技をしないで、ただ(セリフを)語ってくれ」
「あらゆる才能を秘めた者が必要だ」
「ソロのダンスは高速でマラソンをする程に厳しい」

「舞台に登場しただけで“ひと目惚れ”させる好感度が大事だ。
 そして役に“新味”を与えることが出来れば、なお良い」

「緊張感を受け容れて生かせ、決してそれを恐れるな・・良くここまで来た、有難う」
「もう少し楽に。頑張り過ぎだ、分かるね?」

【俳優側】

「この日のために頑張って来たのよ、私には他に何もないわ」
「とにかく・・私は(この場に)残ったわ」
「例え不合格でも、人生は続く。道は半ばだよ」
「あのセリフが言えるだけの経験は積んだわ、栄光の後の凋落がどんなものかだって分かってる」
「本気が試される場よ、弱気な人には向かないわ」
「意識し過ぎると、やり過ぎたり不足したりする」
「考えようとしても駄目なことがある」
「待ち疲れたわ・・」
「振付けは身体が覚えてる・・後は“羽ばたける”かどうかよ」
「才能ある人は大抵、このショービズ界で名声を得ている・・なら僕にだって」
「この作品が大切なのは“真実”だから」
「今回は駄目でも、いつかきっとチャンスが来るわ」

【元ダンサー】

「最も辛いのは“踊れない”ことだ」
「ダンスは私にとって“宇宙(コスモス)”だ」
「ダンスを愛したことに悔いはない」

【ベネット】

「ブロードウェイは厳しい世界だけど、身も心も捧げるよ、喜んでね」
「鏡に向かって踊り続けることで、ダンサーは自我を掘り下げてゆく」

追記:映画版『コーラスライン(1985)』ちうのもありますね。いつかは観なきゃ・・(・ω・)

| | コメント (2)

2008年11月14日 (金)

☆『ホワイト・ライズ(2004)』☆

5日(水曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。遅いレビューとなっております・・(×_×)

ニューヨークからシカゴへやって来た元写真家の青年=マシュー・サイモン(ジョシュ・ハートネット)は、とある実業家のもとで頭角を現し、彼の妹であるレベッカとは婚約も済ませた仲であった。
彼にとっては総てが順風満帆な筈だった・・かつての恋人リサ(ダイアン・クルーガー)がマシューの前に、再びその姿を現すまでは・・

恋心の再燃したマシューは、任された商談を成功に導くため、単身中国へ発つ予定だったが・・空港を密かに抜け出す。

リサの姿を求め、シカゴの街をさまようマシュー。
彼女の声、その香水の匂い、ドレイク・ホテル(←『ミッション:インポッシブル(1996)』でもキーとなった高級ホテル←「聖書」は持ち出し厳禁です(=^_^=))のルームキー、銀のコンパクト・・リサの存在が近いことを確信させる事象が、次々とマシューの周辺に現れる。

ついに彼女の住む部屋を突き止め、不法侵入して(←おい)待ち伏せるマシューであったが・・部屋に戻って来たのは、看護師のリサを名乗る、全く別人の女(ローズ・バーン)であった・・

とにかく、女難に翻弄されまくって、人生がガタガタに崩れていく主人公を演じたハートネットが・・どうにも「青年期のトミー・リー・ジョーンズ」に見えて仕方なかった(・ω・)
彼にしたら“情けないキャラ”を徹底的に演じてれば、それなりに物語は回転する訳だが・・“ミステリアスな造型”が必須条件であるヒロイン“リサ”役が、ダイアンさんではちと弱い気がしたか。。
正直に言うと、リサ2號機(?)を演じたローズちゃんの方がワタシの好みだったかも知んない・・(=^_^=)>

「物語の始まる前から、既に物語は始まっていた」って部分では、ちょっとズルい気もする本作。
キャラ群が(押し並べて)どうにも弱いんだが・・骨組み自体は決して悪くなく「同じシーンにも、実は別な角度や経緯、意味があった!」ってトコは、なかなかに知的な印象も受ける。

画面を分割する手法(ノーマン・ジュイソン監督やブライアン・デ・パルマ監督を連想させてくれる)は(ちと多用し過ぎながら)クールだし、“さっきのシーンって、何かあるな?”“ここでこんな描き方をする理由が、後で明らかとなるんやろな?”みたいな「おや?感」(←どう言う表現だよ)を幾つかちりばめてくれてるのも面白い。

にしても・・こんな小規模な(?)作品世界の中で「3人の女性」に愛されたハートネットくん、同性としてはやはり羨ましい限りだ(・ω・)
きっと、オレが彼の行動を真似たりしたら、即座にシカゴ警察のご厄介になるんやろなぁ・・(涙)

~ こんなセリフもありました ~

ルーク「なぜ1人の女に絞る?」
   「彼女の前では、ウケを狙うなよ」
   「ある決心をした瞬間、別な誘惑がやって来るもんさ」
   「ちょっと待て・・クールな男は3コール(待ってから)で(電話に)出るもんだ」

マシュー「特別な物だけじゃなく、平凡な物も美しい」

アレックス「何も知らずに相手を裁くのは自分勝手よ」
     「恋をすると・・人は正気を失い暴走するのよ」

追記1:「ドラゴン靴店」を経営するマシューの友人=ルーク(マシュー・リラード)とその彼女=アレックスが微妙に物語に絡んで来るが・・女優をしている彼女のメイクが落とされて行くシーンでは、流石に「おお!」と思わされた。なかなかの演出です。
追記2:資産家(?)のダニエル氏を巡る「とある事件」がリサの言動に関わって来るが、ちょっと分かりにくいし、描き切れてなかったかな、と。
追記3:少なくとも登場人物のうち3人が「破壊」されてしまう終盤・・それでエエんやろか、、(・ω・)
追記4:本作の教訓は・・

「その一瞬を逃せば、一生すれ違ったままとなってしまう運命もある」
「恋は人間を見事に狂わせるが、されど“相思相愛の成立”は意外に難しい」
「崩れ去った友情の残骸の上に咲く一輪の花・・それこそが恋なのかも知れない」

であろうか。
追記5:ちょいと『ルームメイト(1992)』の雰囲気が入ってたように思ったり(⌒〜⌒ι)
追記6:本作ってば『アパートメント(1996)』なるフランス映画のリメイクだそうだ。オリジナル版ではヴァンサン・カッセル+モニカ・ベルッチがタッグを組んでるらしい! 豪華!

| | コメント (2)

2008年11月 7日 (金)

☆『ビッグ・フィッシュ(2003)』☆

4日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。
今週のBS2は“エキセントリックな恋愛ムービー特集”とでも題せば良いのだろうかな?

公開当時、劇場で観た本作だったが、断片的にしか覚えてなかった。。きっと当時は「もっとハチャメチャなティム・バートン(監督)作品」を期待していたことだろう・・(・ω・)

死期の迫った、病床の老いし父=エドワード・ブルーム(アルバート・フィニー)。彼に少年時代から「虚実ない交ぜなエピソードに彩られた半生」を聞かされ続け育った息子=ウィル・ブルームは、3年ぶりに身重の妻ジョセフィーンを連れ、父のいる病院を見舞う。
父の語り続ける“大いなるホラ話(=ビッグ・フィッシュ)”に対し、今や素直に耳を傾けられなくなったウィル。
そんな2人に、父エドワードはいつものように“奇想天外なエピソード”を語り始める。

そしてウィルは、父との別離の前に、彼の語る“物語”の中に隠された“真実”を見つけようとする・・

老エドワードがくすんだ色彩の世界(=現実)の中で、静かに“それ”を待っているのとは対照的に、青年期のエドワード(ユアン・マクレガー)がとにかく元気に語り、動き回ってくれる。
周囲のキャラ陣に比べ、余りにも(アルバートとユアンでは)ヴィジュアル的なギャップが大き過ぎる(=^_^=)気もするんだが・・(←コレが今回の鑑賞で、最も気になった点だ)「現在(現実)/過去(幻想)」の2つの世界を交互に描いたり、父と息子の確執から和解へと至るドラマを展開させるやり方は、バートンとしてはかなり珍しい感がある。

ややもすれば「饒舌過ぎてウソくさい」物語世界ではあるも、そこを巧く補完(?)してくれたのが、豪華な助演俳優陣である。
さっぱり覚えてなくて失礼なんだが(⌒〜⌒ι) (裸足の町スペクターで出会う)詩人ノーザ・ウィンズローを演じたスティーヴ・ブシェーミとサーカス団のキャロウェイ団長を演じたダニー・デビートの2人の登場には、結構驚かされた(=^_^=)
ユアンを含めた「この3人」によって、本作はとりあえず吸引力を飛躍的に高めたんではないかな、と勝手に決め打ってしまいたい。

父と子のドラマが描かれる一方で、エドワードの体験する「恋物語」もまた、丁寧に綴られる。
運命の女性=サンドラ・テンプルトンを追いかけ、彼女の住む(オーバーンの町の)屋敷の周囲に恐ろしいまでの量の“プレゼント”を運ぶ(?)やり口には「これは・・ちょっとホラ話、入ってるやろ」と突っ込んでしまう、すっかりおっさん化してしまったワタシ・・(×_×)
劇場で観た時には、感動すらしてた筈なのにねぇ・・

エドワードの波乱の人生の中でも、特筆すべきは“朝鮮出兵”“銀行強盗”の各シーンではなかろうか?
ただ・・コレはあまりやり過ぎると“致命傷”とはなっちまうんだが・・も少し「悪ノリ」があっても良かったかな〜と。
『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』『ユージュアル・サスペクツ(1995)』などを参考に「実在する大人物との交流(←むろんCG合成)」「ウソと真実のちりばめ方&収束のさせ方」などをもうひと工夫してくれたら、更に素晴らしく印象的に仕上がっていたのでは・・と思ったものだ。

〜 こんなセリフもありました 〜

ウィル“釣ることのできない魚がいる・・不思議な力の働く「大物」だ。
    そいつは高級なルアーにだって、決して喰い付きやしない”
   “父とは互いを良く知る他人同士だ。彼を語るとき、僕は真実とウソを区別出来ない”
   「ロマンスを持ち出されちゃ、フランス人には叶わないな」
   「彼は家庭での退屈を“作り話”で紛らせたんだ」
   “男は物語となり、やがては永遠の存在となる”

エドワード“僕の少年時代には、どの町にも魔女がいた”
     「心配するな、わしの見た“死に方”はこうじゃない・・実に驚きの結末だよ」
     「君が大きいんじゃなく、この町が小さいのかも。こんな町でくすぶってないで、大都会に行かないか?」
     「この町を出た人から便りがないのは、彼が元気だって証拠だろ?」
     “この町で落ち着くには、僕はまだ若過ぎる”
     “死の淵で思い出した・・「こんな死に方じゃない」と”
     「コンゴのオウムは流暢なフランス語で色んな話をするそうだ、宗教のことを除いてはな。
      ・・と言うのも、宗教の話題は誰の感情を損ねるか、分からんからだ」
     「倅(せがれ)の話は事実だけで面白味がない」
     「若い頃は、現れる全てのことに、果敢に飛び込んだものさ」
     「運命の人に会うと時が止まる・・これは本当だ。
      そして・・止まった時が戻ると、それは追いつくために“早回し”となる」
     「悪者と言われる存在は・・実は孤独で、社会に適応出来ていないだけだ」
     「男には、戦うべき時と潔く負けを認めるべき時がある」
     「事実をそのまま話すのは、正しいが面白味には欠ける」
     「訊かれたら、答えたくなるだろ?」
     「わしは生まれた時からありのままだ・・それが分からんのはお前の落ち度だろ?」

魔女「人に釣られぬ魚が、川で一番の“大物”になる」 ←“釣られる”の意味を考えるに・・深い!

日曜学校の教え「困難が大きい程、得る物も大きい」

町長「人生、遠回りの方が実は近いもんさ」

団長「普通“未来の妻”だったら、見失う前に求婚するもんだがな」
  「お前など、小さな池の大きな魚に過ぎん」

サンドラ「涙は、干上がらないみたい」

ジェニファー「知らない方がいいこともあると思うわ」
      「彼自身は決して裕福ではなかったけど・・彼が裕福にした人々は確かにいた」
      「彼は私にとっては“おとぎ話”だった。
       きっと・・私のいる世界はにせもので、あなたのいる世界が本物なのよ」

ベネット医師「本当の話は面白くないだろ? 私なら“おとぎ話”の方を選ぶね」

サンドラ「私のことを、何も知らないのに」
エドワード「これから知ればいいさ」

追記:“本作限定”で物語やエピソードを分析し、紹介するような番組がもし制作されたら・・やっぱり、その番組名は『ビッグ・フィッシング』と名付けられるんだろうかな(=^_^=)

| | コメント (4)

2008年10月 7日 (火)

☆『ポセイドン(2006)』☆

5日(日曜)の夜に“日曜洋画劇場”で放送されたものを鑑賞。
『ポセイドン・アドベンチャー(1972)』のリメイクを、かのウォルフガング・ペーターゼンが監督した! それが遂に地上波初で! ってことで、かなり期待してたんだが・・これが異常につまらなくて失望した(・ω・)

「オリジナル版から大幅カットしたんか? なんやあの大波到達までの短さ(=人間ドラマの描きの浅さ)は?!」と思ってたが・・どうやら元々から上映時間わずか98分ほどのコンパクトぶりだったようだ。
とにかく、大勢の乗務員&船客がおりながら、ばっさばっさと削って(減らして)ゆき、中盤に至る迄で既に10名を残すかどうか、程度の人数しか“描かれてなかった”のには驚く。
加えて、でっかい自然災害がしょっぱなで描かれた(と言ってもCGに過ぎないが)後は、しょうもない2次災害が(爆発、火災、水没など)ちまちまと繰り返し展開された、ぐらいで緩急に乏しかった(×_×)

登場人物も余り個性が際立っておらず、いわゆる“ひとくせ有りげキャラ”が、いるにはいたが・・すぐ退場したりした、のもつまんなく仕上がった大きな要因ではなかったか、と。

1つだけ苦笑させられたのは、主人公的な位置付けのロバート・ラムジー(カート・ラッセル)が、元ニューヨーク市長であり、それ以前は“消防士をしていた”と言う過去ぐらいか。“昔取った杵柄”的に「熱風のフラッシュ火災」ネタで騒いだりしてたが、私的には『バックドラフト(1991)』のパロディのつもりかよっ?! と小ツッコミ(←ラッセル主演による消防士モノ)。

ラムジー「大丈夫! 私は昔、消防士だった」 ←きっとこのセリフを言わせたかったんやろ(=^_^=)

助演でリチャード・ドレイファス爺さま(建築家ネルソン役)も出てたが、流石に『ジョーズ(1975)』の頃とは位置付けがだいぶ違ってたように思う、、

イマドキのリメイクっぽく、少年の部・代表(?)のコナーくんがPSP(プレステポータブル)を携えてるシーンなどもあったが、ブラッドフォード艦長(アンドレ・ブラウアー)が余りに無力(無気力?)だったり、船内に密航者がいたり(⌒〜⌒ι)、意外な人物が、終盤で意外な死に方をしたり、、と現代に舞台を置き換えたにしては、どうにもポンコツな演出が目立った(環境が整っていたら、少なくとも音響面ぐらいは凄かったんだろうけど)。

おおそうだ! 『ブロブ/宇宙からの不明物体(1988)』以来の目立った出演(?)とも感じた、ケヴィン・ディロン(←マット・ディロンの弟!)の健在な姿を久々に眺めたが・・役名である“ラッキー・ラリー”とはほど遠い、極めてアンラッキーな運命を辿ることとなる、すかんおっちゃんに過ぎんかった・・(×_×)

最後に、ラッセルさんのセリフで本レビューを終わらせて頂く(・ω・)

ラムジー「所詮・・誰が死に、誰が生き残るかなんて・・不公平なものだよ」

追記:客船内のバーで“ネタ”となってたワイン「ロマネ・コンティ【1988】」って・・1本で200万円近くもするんやね。。(劇中では1本5000ドル、と紹介されてた)

| | コメント (2)

2008年8月31日 (日)

☆『ハンコック』☆

31日(日曜)の鑑賞。またまた正午前後まで「寝だめ」してしまったため(←マジメに疲れが抜けません〜)「コレじゃ遠出のドライヴも出来ないや・・」と“落ち込みモード”に一旦は突入しかけたが「そや、ドライヴがてら映画でも観に行こ!」と考え、近く(と言っても同じ市内ながら徒歩ではとても行けないが、、)にある“シネプレックス枚方”なる国道1号線沿いのシネコンに初めて出かけることとした☆

※ここは(往復の)道路がいっつも混んでるけど(←国道なのに)、駐車料金を取らないのは良心的で良い!

行きたい作品は目下3本ほどあるが、優先したかった1本『ハンコック』をチョイス。
イマドキの現象らしいが「吹替え版」が残席わずかの状況だった一方で「字幕版」はかなり席に余裕があったようだ。それでエエのか、あんたら!(まぁ、好きずきだけどサ)

続発する凶悪犯罪に喘ぐ現代のロサンゼルス。今日も武装したアジア系の強盗団が追いすがるパトカー群に銃弾を浴びせつつ、ハイウェイを逃走中・・
その報道映像の映し出された街角のテレビを観た子供が、そばのベンチで居眠りしてるホームレスっぽい男に声をかける。
「ハンコック、起きてよ、ワル者だよ」
「クッキーなんかないぞ」
「クズ!」
子供に罵倒され、やれやれと言った風に起き出す男=ジョン・ハンコック(ウィル“フレッシュ・プリンス”スミス)。次の瞬間、彼は地面を蹴り上げ、事件現場のハイウェイへとひとっ飛び!
鮮やかに事件を解決するも、ロスの街が彼(の破壊的英雄行為)により被った損害もまた甚大であった・・(この1件で900万ドル!)

「ロス市警のお荷物」「ニューヨークへ行け!」などと警察関係者にも嫌がられるハンコックって・・

一方“PR界のボノ”と称される宣伝マン=レイ・エンブリーは“オールハートマーク”なる世界規模のロゴキャンペーンを提唱、市内の企業でプレゼンするも、全ては失敗に終わっていた。。

帰路、踏切のど真ん中でレイのクルマが立ち往生、ドアも開かず「これ迄か?!」と覚悟した瞬間、ハンコックが現れレイは命を救われる。が、彼が線路上をどかなかったため、列車は彼に激突! 先頭車両を除き、後続車両が大規模な脱線事故を起こすのだった。。

現場で「このクズ!」「酔っぱらい!」と取り囲む人々に罵倒される彼を、レイが「でも彼は僕を助けてくれた」とかばう。そしてレイは「君は“人々に愛される正義のヒーロー”であるべきなんだ、もっと印象を良くしなくては」と提案、そのイメージ改善のため色々と知恵を絞る・・

■ハンコックのための“自己アピール法”の幾つか■

・地面には静かに着地する
・建物にはちゃんとドアから入る
・警官を「良くやった(good job)」の言葉で褒める
・市民には笑顔で接する

まず始めに、レイは「法を守る存在であることをアピール」するため、ハンコックに2週間ほどカリフォルニア州立刑務所に服役しろ、とアドバイスする。果たしてその結果、ロスの犯罪率は30%増加・・とうとう「とある凶悪な事件」が起こり、遂に警察署長から救援を要請する電話が入る。

レイの用意した新型スーツ(←キツいらしい)に身を包み、無精髭も落とし“イメージアップ”した姿で事件を解決させるハンコック。
しかし、記憶を失った彼には知る由もなかった・・スーパーパワーを持った人間が“世界にただ1人、自分だけ”ではなかったことなど・・

“嫌われ者のスーパーヒーロー”が主人公のストーリーは、日本のコミックで少なからず取り上げられた、と私的に記憶してる題材ではある。桂正和による短編『ヴォーグマン』や藤子・F・不二雄の短編『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』など・・他にも沢山あるような気がする(・ω・)

が、中盤以降はレイの妻・メアリー(シャーリーズ・セロン)がハンコックの問題行動に我慢ならなくなったか(⌒〜⌒ι)彼の言動に関わり始める、、中盤における“くしゃみ事件”の始まる瞬間の衝撃はなかなかのもんである。

・・悔しい事に、ワタシはちょっと知ってしまってたので「あ〜やっぱり」って感があったけど・・

とにかくセロンさん&ウィルスミの「眼の演技」が本作ではかなり重要なことになってます!
ホントに2人とも「悲し気な」「何かを知ってて黙ってるような」そんな黙した演技が巧い!
しかし本作・・「白人至上主義」の人々をかなり刺激する内容でもあるんじゃないかな、と。「神」って言葉までセリフに登場しちゃいますし、、

惜しかったのは、

・中盤からの展開により、レイと(彼の息子)アーロンのキャラが引っ込んでしまった。
・敵ボスの「悪」をもっと掘り下げて描いて欲しかった
・必要以上に「カメラが人物の周囲をぐるぐる旋回」したりして気付かせ過ぎ(=^_^=)

などだったろうか。もうちょっとそれぞれの人物像を深く描いて欲しかった。CGはその分カットしてもイイからさ(=^_^=)

〜 こんなトコにも気付いた 〜

・後半、とある人物の生命を救うため、ハンコックの行うのが・・「五体投地」!
・最後にはニューヨークへ旅立っちゃうハンコック。レイのアドバイスがなくて大丈夫やろか。。
・スーパーパワー同士がぶつかると、何故かロスの街に竜巻が!雪が!大雨が! なんか急に『デイ・アフター・トゥモロー(2004)』状態だぁ!(=^_^=) 看板も飛んで来たりして、、
・ヒーローたちが「結ばれない」悲しみは“ハリネズミのジレンマ”を体現してるようであり『X−メン(2000)』におけるヒロイン(?)ローグとその恋人たちの悲劇性を眺めてるようでもある。
・ハンコックじゃない方のヒーローは・・いずれ「(年月による)別離」が来るんだろうけど・・そこまでの悲劇の予感は、観客として感じ取る必要はないんやろかネ(⌒〜⌒ι)
・スーパーパワーを持ってる割に「聴覚」などは必ずしもスーパーじゃなかった主人公。。(同じソニーピクチャーズ製ヒーローである)『スパイダーマン(2002)』に数段劣ってます(×_×)
・画面左手前にハンコック、同右奥に“レッド”教授を配した終盤のレイアウトは、何処となく『レオン(1994)』の終盤を連想させた。(あちゃらでは手前にジャン・レノ、奥にゲイリー・オールドマン)
・シンボル(?)である“鷲”とハンコックの関係が良く分からず。。単に(?)合衆国の象徴と絡めてるだけなんかな?

〜 こんなセリフもありました 〜

ハンコック「何だ、お前らの中に女性メンバーはいねぇのか」
     「俺はハンコック・・酒を飲む」
     「これだけ生きて来たのに、誰1人として知り合いが名乗り出ない」

ハンコック「コンニチワ〜」
強盗団「俺たちゃ日本人じゃねぇ!」

レイ「例え用事があっても、食事は必要だ」
  「世界は変えられなくても、彼1人ぐらいは変えてみせるさ」

ミッシェル「あのクズだ」
ハンコック「俺をそう呼ぶな」

ハンコック「あの道路は、俺が来る前から陥没してた」
レイ「ウソつけ、僕は毎日あの道路を見てるんだぞ」

レイ「行列の子供たちを押しのけアイスクリームを奪うとは・・」
ハンコック「あれは火事現場の帰りだ。あんた“生身で火事を消したこと”が?」

キャスター「合衆国憲法はあなたより強いわよ」

メアリー「レイは良い人よ、彼を失望させないで」
    「暴力だけが物事の解決方法じゃないわ」

ハンコック「良くやった、ホントに」
警官「それはもうさっき聞いたよ」

※「長く生きて、運命が絶対じゃないことを知った」
 「結ばれかけると、誰かが追って来る運命なのよ」
 「私たちは“神が人類に与えた保険”のような存在」
 「あなたは、死ぬ」

ケネス“レッド”パーカー「雨は誰にも降り注ぐ・・お前にもな。これまで十分楽しんだろ?
             寂しくなるが“次の世界”で幸せにな」

悪党「このウルヴァリンもどき! クズ野郎!」
ハンコック「今、何て?」

追記1:『ミステリー・メン(1999)』『アンブレイカブル(2000)』と並ぶ異色のヒーローもの、とは呼べるかなと。
追記2:続編にどうとでも(=^_^=)持って行ける余地の残し方は『ジャンパー』みたいだネ。
追記3:ウィルスミ自身がプロデュースしてた本作☆ 続編があれば、いよいよジェイダ・ピンケット・スミス(=嫁さん)と共演かも?! ←『アリ(2001)』以来かな?
追記4:何だか久々に戸田奈津子女史が字幕担当だった。ちょっと“意訳が弾けて”ませんでしたが・・(・ω・)

| | コメント (6)

2008年8月28日 (木)

☆『北北西に進路を取れ(1959)』☆

26日(火曜)夜、衛星第2で流れたモノを観た。アルフレッド・ヒッチコック監督作品の中でも、かなりスケールの大きなスパイアクションと言えようか。
実を言えば、序盤から中盤にかけての展開を殆ど覚えておらず(×_×)・・(過去の鑑賞時の)記憶が鮮明によみがえるのは専ら「複葉機の急襲」&「ラシュモア山頂での対決」と言うスペクタクルなシーンばかり(・ω・)

今回、恐らく初めて“通し鑑賞”の叶った次第だが、あちこちに「ネタをばらまい」たり「観客を飽きさせぬ転調をピンポイントで置い」たりしてることが良ぉく分かり「さすがは巨匠ヒッチコック!」と唸らされた。
勿論、本作を最後まで引っ張り切ったのは、主人公を演じたケーリー・グラントの魅力が大きい訳でもあるが。

ニューヨークで活躍するやり手広告マン=ロジャー・ソーンヒル(グラント)は、プラザホテルでの会合中、電報を打つため中座した際、たまたまホテル側の「カプラン様はおられますか?」なる呼びかけと同時に立ち上がったがため、その正体を(物陰で)探っていた謎の組織に銃で脅され、そのままクルマで拉致されてしまう。
彼の連行された先は郊外のグレンコーブにある外交官レスター・タウンゼンドの邸宅だった。
そこでロジャーは身も知らぬ「ジョージ・カプラン」なる人物と間違われ・・「そんな男など知らない」と言った所、バーボンをムリヤリ飲ませられ、事故を偽装した手口で、ベンツごと崖下に墜死させられそうになるのだった。

命からがら逃げ出した(飲酒運転しまくり!)ロジャーはグレンコーブ警察署の刑事らを率い、翌朝タウンゼンド邸に押し掛けるも・・一夜を経た屋敷内は模様替えされ、彼の訴えは退けられてしまう。
次に、彼はアポなしで直接タウンゼンドに会うため国連の総会ビルへ向かうが、やって来た男は身も知らぬ別人だった! 尚かつ、ロジャーが邸宅のことを彼に確認しようとした途端、何者かの放ったナイフが背中に刺さり、タウンゼンドは絶命してしまう・・今やロジャーは「外交官殺人犯」とし全米の警察に追われる身となってしまった!

そんな中、シカゴへ向かう“20世紀特急”に乗り込んだ逃亡中の彼は、とあるブロンドの美女と運命的な出会いを果たす。彼女は産業デザイナー=イヴ・ケンドール(エヴァ・マリー・セイント)と名乗る。イヴの協力を得て「カプラン」の正体に迫るロジャーであったが、行く先々には彼の生命を狙う“罠”が巧妙に張り巡らされており・・

原題が“North by Northwest”であり、緊迫感溢れるスコア(楽曲)に併せオープニングなどに表示される「(最初のスペル)N」と「(最後のスペル)T」の一部が矢印状(→)にデザインされたタイトルロゴが、とにかくカッコいい!

↓ こちらにロゴの画像があります ↓ 無断リンクで済みません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/画像:North_by_Northwest_movie_trailer_screenshot_(38).jpg

レトロなアニメーションが躍動感を発揮する辺りは、如何にも後年、スティーヴン・スピルバーグ監督が自作『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(2002)』でちゃっかり“拝借した”っぽい気がする(・ω・)

因みに、本作のオープニングをデザインしたのはソウル・バスと言うアメリカの有名なグラフィック・デザイナー。

ロケーションとし、前述の「ラシュモア山(合衆国の歴代大統領4人の肖像が刻まれた有名な観光スポット)」と「(劇中で“41号線のプレーリーストップ”と説明されてた)片田舎のハイウェイ&トウモロコシ畑」は最も有名だが、それ以外にも「国連ビル」や「大陸横断特急」が登場し、ストーリーに広がりを持たせている☆

因みに「国連ビル」は当時「撮影許可」が下りなかったそうで、外観以外はセットで再現されたようだ。実際に内部のロケが認められるのは後年の『ザ・インタープリター(2005)』が映画史上初のことらしい。う〜ん、実現までに約半世紀を要したんやね(⌒〜⌒ι)

主要キャスト陣が素晴らしく「あんたで本作はもってるよ!」と絶賛したげたい(ナニをエラそうに!)グラントを筆頭に、ミステリアスなヒロインを演じたエヴァも美しかった。
劇中の年齢設定は26歳だったが、この落ち着き&醸し出してた大人の女性の雰囲気って一体なんなんじゃあぁ?!

そしてそして! これまた特筆しときたいのが、敵ボスの副官を演じた知的で不気味な男=レナード役のマーティン・ランドー。それまでは往年のスパイドラマ(←そのまんまや!)『スパイ大作戦(1966-1973頃)』における中心的メンバー(変装の達人=ローラン・ハンド役。間違ってもイーサン・ハントではない(=^_^=))を演じてた時の彼しか知らなかったので、この“悪役出演”には驚いた覚えがある。

マーティンは本作では殆ど喋らなかったが、それ故「敢えて発する言葉」にインパクトがあって良かった。
そう言うと“ボスに「あの女は怪しい」と的確に忠告するものの、彼の怒りを買って災難に遭う(可哀想な)演出”などは『M:i−2(2000)』におけるショーン・アンブローズ(ダグレイ・スコット)がその部下ヒュー・スタンプ(リチャード・ロックスバーグ)に課した“あの体罰”も連想させてくれたり・・ きっとジョン・ウー監督も本作を少なからず意識したハズだ!(←勝手に決め打ち)

ヒッチコック作品の1つの特徴・・と言うか“お遊び的なお約束”とし、監督自身が劇中にちょろっと姿を見せるってのがあるが、本作では「冒頭でバスに乗り遅れる、太ったおっさん(←失礼)」なる分かり易いシチュエーションでプチ出演(≒カメオ出演)を果たしてた。
実際にはもう1シーンで登場するんだが、そっちは気付かなかった(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

ロジャー「広告マンには“戦略的誇張”が大切だ」
    「楽しみを奪うと言うのなら、暴力も辞さんぞ」
    「女性の審美眼にも自信がある」
    「我ながら敏腕だ」
    「僕の問題と君の予定は巧く連動しないものかな?」
    「生存術には興味があってね」
    「何かあっては困る。母親や秘書、元妻2人、それとバーテンダーに頼られてる身なもんでね」
    「(別れた)妻たちは僕の人生が退屈、とね」

レスター「我々に若干の協力さえすれば、今夜を生き抜けるのですぞ」

駅係員「(サングラス姿に対し)眼をどうかされました?」
ロジャー「質問アレルギーでね」

イヴ「空腹で愛は語るものじゃないわ」
  「読みかけた本は退屈だし、夜は長いわ・・この意味がお分かり?」
  「忍耐は美徳よ」
  「私の決心をぐらつかせないで」

イヴ「あなた、本当に殺人犯なの?」
ロジャー「有り得るさ、今夜君の息の根を止めるかも」
イヴ「そうして」

ロジャー「この重い荷物は何だ?」
イヴ「ボウリングのボールよ」

イヴ「※※で撃たれた時よ、あれは名演技だったわ」
ロジャー「優雅に倒れたろ?」

イヴ「あなたは結婚を信じない男よ」
ロジャー「2度結婚したがね」
イヴ「ほらね」

教授「戦争は地獄だ、それは例え冷戦であっても同じだよ」

ロジャー「バーボンをくれるか? 2〜3杯でいい」
教授「ご一緒しよう」
ロジャー「なら倍の量を」

レナード「真実は時に苦い。私の直感を笑いますか?」

追記1:当初は「大物スパイに間違えられた不幸な男」としてロジャーを眺めるんだが、どうも色んな点が引っかかった(・ω・)
♦シーンや相手により、酒の好みが変わる! →「(カクテルの)ギブソン」「氷なし&水割りのスコッチ」「バーボン」
♦煙草を殆ど(全く?)吸わないのに自らのロゴ「ROT」入り紙マッチを持ち歩いてる
♦異常に札束を持ち歩いてる
♦眼の前でナイフ殺人が行われても、さほど動揺してるように見えない
♦どんな窮地に陥っても軽口を叩く
♦平然とクルマを盗んだりする
♦銃に対する抵抗感がない
ひょっとしたら、観客にすら伝えられぬ“秘密のキャラ設定”がロジャーにはあったのかも知れない!?
追記2:スパイアクションに付き物の(?)「カジノシーン」はなかったが、、代わりに「美術オークションシーン」があり、ここが結構笑えた。「1200ドル、これ以上はありませんか?」と言ってる司会者に、あのだだっ広い会場で「13ドル」とはなかなか言えないんじゃなかろうか(=^_^=)
追記3:終着駅のホームで“20世紀特急”のポーターの1人が「服を奪われた」と鉄道警察官らに訴えるんだが・・その後、1人になった彼が(下着姿のまま)懐から札束を出して数えてるシーンに感動した! (一見無駄なような)この言動を盛り込むかどうかで“後味”がかなり違って来るってんだから不思議だ。

| | コメント (2)

2008年8月22日 (金)

『ブルークラッシュ(2002)』

19日(火曜)の夜、衛星第2で放送された『ブルークラッシュ』を観た。“サーフィン系の青春映画”らしい、と言う予備知識は何となく何処かで身につけてたが、こんなに観やすい作品とは知らなかった(⌒~⌒ι)

舞台はハワイ・オアフ島のノースショア界隈。
「世界一のサーファーになるの、絶対に!」と少女時代から自分に言い聞かせて来たアン・マリー・チャドウィック(ケイト・ボスワース)は、天才的なサーフィンの才能を持つ女の子ながら、3年前の大会で大波に巻き込まれ、海底の岩礁に頭をぶつけ無様に溺れかけた経験から「ビッグウェーヴ」に向かって行く時に(恐怖心から)ブレーキがかかるようになってしまっていた。

家賃や食費、妹ペニーの学費に喘ぐアンは、7日後に迫ったサーフィン大会で優勝し、スポンサーをつけ収入を激増させようと練習に明け暮れる日々。
そんな中、彼女はバイト先の高級リゾートホテルにやって来たフットボール選手・マットと恋に堕ちる。彼との関係が深くなって行き、本格的な練習がおろそかになって行く中・・いよいよ大会は翌朝に迫るのだった・・

その一方で、アンはマットに関する“とあるウワサ”を耳にする。それは、彼がバカンスの先々で地元の手頃な女の子をナンパ、高級な装いをさせ夢見心地に浸らせてから棄てる、と言うもの・・突然、自らを取り巻く全てに“不安”を覚えるアン。
そんな彼女の耳にかつてのライバルでもある親友イーデン(ミッシェル・ロドリゲス!)がゲキを入れる。
「覚えてる? マネフネでのジュニア大会。あの日のあなたの“天才ぶり”には誰もが目を見張ったのよ! あの頃のあなたを見せて!」

大会当日。20分の競技時間の中でアンに挑みかかるベテラン勢の姿があった。
ケイト・スカラット、ケアラ・ケネリー(共に実在の高名なサーファーらしい)らとの対戦。

ボードを叩き折る身の丈(?)6メートルの凶暴な大波に、彼女は果たして“テイクオフ”出来るのか?!

主演のケイトさんは本作が初主演だそうで、現地でサーフィンの猛特訓を受け撮影に臨んだとのこと。「こりゃ無理やろ!」と誰の目にも映るシーンばかりは流石に(プロによる)スタントだろうが、その辺りの区別が殆ど付かなかったので、そこはやはりかなり達者にテクニックを高めたのだろう。
(正直、ヴィジュアル的に“サーフィンと言う才で主演を掴んだ現地のリアルな女の子”とも思ってしまった、、)

とにかく専門用語が・・「スライド」「ダブル・オーバーヘッド」「トリプル・オーバーヘッド」「バックドア」「ボトム・ターン」「ドロップ・イン」「ワイプアウト」・・などと多過ぎ、感覚的にしか掴めなかったんだが、流石にダイナミックな波が左から右へとトンネル(パイプとかチューブとも言う)を形成する中を波肌(?)を左手でなぞりながら華麗に滑って行くサーファーらの姿は圧巻のひとこと!
それをアイポイント(目線)やら背後からやら、波の内側から(!)やらで奇麗に撮影してるスタッフってば更にスゴい! 何だか「フリーダイビングの“世界記録”映像をダイバーの真下から捉えてるカメラマン(=^_^=)」みたいなモノ凄さがある。実演するヤツもスゴければ、それを映像に収めるヤツも更にスゴい、みたいな世界!

私的には、ポイントとなるべきキャラと感じたマットの正体(?)が、後半でいよいよ大会に突入してしまったがため、あまり追及(解明)されぬままだったのが心残りか(⌒~⌒ι) 土壇場のシーンでアンにかける言葉の端々から推測するには「常に“悪意に満ちた、過剰なウワサ”に付きまとわれる気の毒な兄ちゃん」って風だったようだが・・?

~ こんなセリフもありました ~

※「あんな波に向かってくなんて正気か?」
アン「当然!」

マット「ここは浅瀬だから安全だろ?」
アン「安全かどうかはその人によるわ」

イーデン「この波に乗れなきゃ、優勝なんて出来ないわよ」
    「彼とはすぐに終わるわ・・後に残るのはその高価なハイヒールかしら?」
    「心配しないで、楽しむのよ」

アン「私は波に乗るために生まれたのよ」

マット「君の人生は君自身のものだ、だが(人生に)悔いを残すなよ」
   「元の君に戻れ、男に頼らない男に」

| | コメント (2)

2008年8月11日 (月)

☆『ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ(2005)』☆

7日(木曜)の夜『木曜洋画劇場・40周年企画』の一環とし“地上波初放送”されたものを観た。

恐らくは映画史を代表する“最高の演技派男優”たるロバート・デ・ニーロと、どんな名優にも対峙し得る“稀代の名子役”たるダコタ・ファニング(←将来的にどんな女優さんに育っていくかは未知数だけど・・)がタッグを組み、観客をミスリード(引っかけ)に誘うサイコ・サスペンス作品である。

心理学者ディヴィッド・キャラウェイ(デ・ニーロ)は愛する妻アリソンを“突然の自死”と言う形で失う。この事件が彼の心に影を落としたのは言うまでもないが、それ以上に“お母さんっ子”だったひとり娘エミリー(ファニング)に与えたショックは計り知れず、彼女はすっかり心を閉ざしてしまう。

ディヴィッドのかつての教え子で、今はニューヨーク市内で小児科専門病院に勤務する女医キャサリン(ファムケ・ヤンセン)はエミリーの継続治療を提案するが、父は郊外にある避暑地(ウッドランドの町)へ娘と共に引っ越すことを決意する。

娘の“閉ざされた心”は住まいを変えたトコロで改善する気配すらなく、しまいに彼女は「かくれんぼの好きな、見えない友だち“チャーリー”が出来たの」とはしゃぐようになる。専門家であるディヴィッドは当初「少女期ならではの空想」とし片付けようとするが・・“チャーリー”の目に見えるイタズラは日を追うごとにエスカレートして行く。

エミリーの言う“チャーリー”は何処に隠れているのか? また“チャーリー”が父子を脅かすその真の理由とは?

全ての謎が、終盤で描かれる“嵐の一夜”に明かされることとなる・・

演出によって、観客の「推理」を何とか反らそうとする制作側の狙いは分かるンだけど・・消去法で(?)“チャーリー”の正体を突き詰めて行った結果、どうしても“そこ”にしか着地点はなく、それ故についつい・・

「またそのネタかえ!」とツッコんでしまった。
う〜ん、もうこのパターンは“お腹いっぱい”だぞ、正直なトコ(×_×)

「手垢ついてるやんか!」的な脚本の割に、父子を支えるヒロインキャラには・・ファムケ・ヤンセン&エリザベス・シュー(エリザベス・ヤング役)が起用され、2人ともがそれなりに豪華なので、そこだけは華やかだった。うちお1人が後半で“退場”しちゃうのが、とても悲しかつたのだけれど、、

色んな古今のサスペンス作品を参考にしてる感が強かったが、中でも「バスルーム」「カーテン」「ナイフ」の3要素から真っ先に連想されたのは、何と言っても『サイコ(1960)』であろう。
他には『シークレット・ウィンドゥ(2004)』『シャイニング(1980)』『アイデンティティー(2003)』などなど・・あ、列挙してるだけで犯人像がどんどん浮かび上がって来るでしかし(⌒〜⌒ι)

デ・ニーロと言えば、大好きなのが『ザ・ファン(1996)』における「野球には余り詳しくないんだ、とか言いながら上着を脱ぐとしっかり下にユニフォームを着込んでるおっつぁん」ってキャラ像なんだが(訝し気なウェズリー・スナイプスに人懐っこい笑顔を投げかけるデ・ニーロが最高☆)、本作も“昼行灯”みたいなダメ親父が、最後の最後、観客に向かって人懐っこく笑いかけるような印象が確かにあり、そこはちと「背後からいきなしバットで後頭部を殴りつけられた感」があったかも知んない(←それは『アンタッチャブル(1987)』だっつぅの!)

ラストでヒロインの1人が“チャーリー”といよいよガチンコバトルにもつれ込むんだが、意外に弱くガッカリした。どうせなら『007/ゴールデンアイ(1995)』の時のように“カニバサミ攻撃”で“チャーリー”ごときはさっさと昇天(?)させて欲しかったし、彼女は“それ”が出来るキャラだったと思ったぞう(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ディヴィッド「やれやれ、田舎の人は親切かと思っていたのに・・」
      「“昔の私”より幸せな子にしたかった・・なのに・・」
      「ホントはチャーリーが言ってることじゃないんだろ? チャーリーなんていないんだろ?」

エミリー「パパには会いに来ないと思う、パパを嫌ってるもん」
    「パパにはチャーリーを止めるのは無理なの!」
    「そっちに行ったら・・チャーリーが来る!」

チャーリー「“もうオレとは遊びたくなくなった”って顔をしてるな?」

追記:“戦うお父さん”の姿はそのまんま『サイレン/FORBIDDEN SIREN(2006)』の後半における森本レオ氏である(=^_^=) シャベルを振り回すトコもそっくり!(=^_^=)

| | コメント (4)

2008年8月 6日 (水)

☆『ハプニング』☆

今週は、週はじめから自身の疲れがピークに達してるような実感がある。。
(録画したまま)溜まってる映画群こそぼちぼち片付けていってるモノの、それをブログ上で評するまでの根気に繋がらない(×_×)
昨日(4日:月曜)など、メールチェックもそこそこにさっさと寝てしまった。。

何か“おかしな空気”でも吸い込んでしまったんやろか・・?(=^_^=)

※実を言うと先週末(土日)に関東方面(横浜&鎌倉など)を駆け足で旅して来たので、その影響はあるんかも知れない(⌒〜⌒ι) 職場に土産を買う時間もなかったもんで“お忍び”ってことで黙ってるンだが・・

ってことで、このクスぶった状況を打破せねば・・! と、仕事帰りに気合を入れ“TOHOシネマズなんば”に行き、期待(=^_^=)の新作サスペンス映画『ハプニング』を観て来た。
「観ながら、疲れのため寝てしまうんと違うやろか?」ちぅ不安もあったが、、流石にそこまでつまらない作品ではなくホッとした。

自身の中で(既に凋落して久しい)「M・ナイト・シャマラン評価」を急上昇させるには至らなかった作品だが(=^_^=)、まぁ「人類への警告度」の高さがリアルかつタイムリーな感じで、コレはコレで面白いんじゃなかろうか。

とある火曜日、午前8時33分。ニューヨーク(NY)・セントラルパークで、公園内の人々が突然動きを止め、方向感覚を失い、自殺行為に走り始める。ベンチの女性は鋭利な髪止めを引き抜くや自らのノドを突き刺し、警ら中の巡査は腰の拳銃を自らの眉間に押し当て(こめかみとちゃうんやね、、)、躊躇なくその引き金を引く・・

セントラルパークから3ブロック先の工事現場、午前8時59分。高所作業をしていた労働者らが次々と地上へ身を投じ始める・・ 地上にいた現場主任の男は「一体・・どうなってる?」と困惑と恐怖の入り混じった表情で虚空を眺めるしかなかった。

午前9時45分。フィラデルフィアの高校では青年教師エリオット・ムーア(マーク・ウォールバーグ)が生徒らに「ミツバチが(合衆国の)24州で同時に姿を消している、それも死骸も残さずに」と考察を促している。

そんな中、教師たちは緊急招集され「NYで有毒ガスの散布によるテロが発生している」なる情報が伝えられる。即座に授業は中止され、エリオットは妻アルマ、同僚教師ジュリアン(ジョン・レグイザモ)、その娘ジェス(8歳)と共にフィラデルフィア駅を出発、ジュリアンの実家がある町(ハリスバーグ)へと避難を開始する。

が、列車はペンシルバニア州のフィルバート(?)の町で停車し、いきなり運行中止となってしまう。
駅員らは「誰とも連絡が取れなくなった、済まないがここから先は各自で移動して頂きたい」と乗客に告げるや、さっさと立ち去ってしまう。

駅前の食堂でこれから先の行動を話し合う人々。そんな彼らの不安をあおるかのように「リッテンハウスパークも“攻撃”された」「ボストンも“やられた”らしい」などのTV報道、携帯電話による情報が人々をパニックへと駆り立てる。

辛うじて“ホットドッグ好き爺さま”夫婦のクルマに便乗することの叶ったエリオット&アルマだが、ジュリアンのみは「妻と約束した待ち合せ場所に向かう。すぐ君らに追いつく」と言い残し、ジェスをエリオットに託して反対方向へ向かうクルマに乗り込むのだった・・生き残る確率=62%を信じて。

「合衆国の北東部が危ない」なる報道から、西へ西へと向かうエリオットらであったが、辿り着いた田舎のとある交差点では、進むべきあらゆる方向から「避難して来る人々」が押し寄せて来たのだった。

彼らは2つのグループに分かれ、1つは(近辺の陸軍基地からやって来た)オースター2等兵が率い、残る1つはエリオットが引率することとなる。

“集団行動”を取ることで安心感を高めていた彼らだが、先発隊に遅れ移動していたエリオットたちの耳にしたのは、前方からの断続的な銃声だった。既に“それ”は彼らの周りにも迫っていたのだ・・!

少人数に散って草原を逃げるエリオットたち。風と共にやって来る“それ”の正体とは?
そして“それ”から逃げ延びる術はあるのだろうか?

前もって得てしまってた情報(おい!)が

・結局、劇中において“謎”は何も解決されない
・後半に出て来る“バアさま”がめちゃめちゃ怖い
・監督が何処に出てるのか良く分かんない

などであったが、私的には「ハリウッド品質をそこそこキープしつつ、巧妙に製作費を削って造り上げおったなシャマラン!」と違う部分にこそ、本作に対する“だまされた感”が強かった(=^_^=)
『サイン(2002)』の時もそうだったが、世界規模(?)の危機を“風呂敷ばかりは大きく拡げ”描きながらも“妙に作品世界が閉鎖的でちっこい”のである。

本作でもセントラルパーク、パリ、ぐらいはマトモにロケしてたようだが、他は殆ど誤摩化してたようにも感じられた。上記の2シーンも、落ち着いて冷静に眺めたら、かなり“アホっぽい行動”をエキストラに強要してた気もするし(⌒〜⌒ι)

とある朝(8:33)から翌朝(9:27)までの限定された時間の中で静かなパニックの進行が描かれるが、とにかく自殺する人々の多いこと多いこと・・(×_×)
猛獣に両腕をちぎられ(ちぎらせ?)つつ、その映像を“iPhone”で中継されてるしとにも何だか苦笑させられるが、1丁のハジキ(拳銃)を使い回し、次々に頭を撃ち抜くしとびと、大型芝刈り機を始動させその軌道上にあらかじめ寝そべって大人しく“輪禍”を待つしと・・色々と思いつくものですネ(・ω・)

中盤で、重要なキャラが(惜しくも)退場してしまうんだが、その手段が妙にちまちましてて、これまた(笑っちゃいかんトコだが)失笑させられたものだ。直前の「ドーン!」でそのまま逝ってた方が、よほど潔かったネ、、

“既視感のオンパレード”とはまさに本作に対する最大の賛辞(?)と言えようか。パッと思いついただけでも、

・阿刀田高氏の短編小説『自殺菌』
・筒井康隆氏の短編小説『死に方』
・『宇宙戦争(2005)』←終盤のエキセントリックなキャラの登場とその閉鎖感
・『サイン』←物語全体の規模のちっこさ
・『鳥(1963)』←怪現象と言う部分で共通
・『サイコ(1960)』←謎の婆さまの存在
・特撮ドラマ“怪奇大作戦(1968-69)”の1エピソード『青い血の女』
・寺沢武一氏のコミック『コブラ』の1エピソード“異次元レース(雪に覆われた町のハナシ)”

などなど、偶然かも知れないがどうにもワタシの中で連想が加速してしまった。
(ただ、シャマラン監督が無意識にせよ(?)アルフレッド・ヒチコック監督作品に影響を受けてるっぽいのは想像に難くない・・)

人々が自殺しまくる、と言う演出には救いようのなさが色濃く漂うんだが、考えたら「殺し合いをする」現象(殺人衝動)よりはよほどマシだったかも知れない。それとえげつない映像群が結構“寸止め表現”されてて救われた気がした。
乳幼児や女性が“攻撃を受ける”ビジュアルがほぼ皆無だったことから、シャマラン監督なりに“表現に抑制を利かせてた”のかも知んない。

終盤ではとある“バアさま”を軸とした(やや焦点のズレた?)恐怖演出が展開されるが・・私的にはアレよりポーチでいきなりライフルをぶっ放される中盤での“ハプニング”にこそ「後味の悪さ」を覚えたな。

劇中において“3軒の邸宅”が登場するが、いずれも奇妙かつ不気味なシーンだったので、その辺りが「見所」と言えるかも知れない(1軒目の“ニセモノ屋敷”はどうにも『インディ・ジョーンズ4/クリスタル・スカルの王国』を思い出してしまったぞ、と)。

「伝声管」と「お人形」については、もう少し効果的な用い方、描き方があったんではないか、と。

ってことでシャマラン先生、またもやハリウッドの大海を巧妙に泳ぎ切ったようである(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ムーア「例え物事に理由付けが出来たとしても、それは理論が成立したに過ぎない」
   「人間の発するエネルギーには、色がある」
   「※に捕まるな!」
   「ビニールか・・だが“ニセモノ”にも話しておこう」
   「“それ”は既に終わっていたのだろう」

ジョーンズ「2人が見つめ合ったとして・・互いの瞳の中に同じだけの愛が宿ることなんてないわ」
     「※※だって、思うようには育ってくれないものよ」
     「主は、我が羊飼い」

ジュリアン「最後まで守り抜けないのなら、触るな」

オースター「我が銃は、我が友!」

アルバート・アインシュタイン「もしミツバチが消えたら、人類に残された時間は4年」 ←なる言葉(警告?)を遺されてるそうだ。

追記1:アルマを演じた女優さんがどうにも好きになれなかった。ホントはもっと健康的で魅力ある方なんかな?
追記2:“ホットドッグ爺さま”は結構好きなキャラだったんだが、、
追記3:ビニール製のアレ・・何で無風なハズの屋内で、あんなに揺れていたんやろ・・??
追記4:布屋根(クルマの幌)が破れてたら・・指でつまんで走っとけ!(当事者にゃ分かんねぇか・・)
追記5:観終わって劇場を出たら・・戸外では大雨が、、これもある意味“ハプニング”(・ω・)

| | コメント (4)

2008年8月 1日 (金)

☆『ボーン・スプレマシー(2004)』☆

30日(水曜)&31日(木曜)の2夜に分け鑑賞。
そもそもは昨年11月9日の夜『金曜ロードショー』で地上波初放送されたのを「録画したまま」となってたモノだった(⌒〜⌒ι)

“新生マット・デイモン”を合い言葉に(=^_^=)、孤独で凄腕でちょっとしゃくれてる(⌒〜⌒ι)青年暗殺者=ジェイソン・ボーンを主人公としたシリーズ(全3部作らしい、取り敢えずは)の第2弾。

監督が『ユナイテッド93(2006)』のポール・グリーングラス。本作がブレイクのきっかけとなったようだが、ワタシは先に劇場で『ユナイテッド〜』を観たクチなので・・どちらかと言うと“『ユナイテッド〜』のポール・グリーングラス監督作品”なるキャッチコピーの方が、よほどスッと耳から入って来る気もするかな(=^_^=)

前作『ボーン・アイデンティティー(2002)』から2年。愛する女性マリー(フランカ・ポテンテ)と共にインド・ゴアでひっそりと暮らす、元CIAのトップエージェント=ジェイソン・ボーン(デイモン)の姿があった。既にCIAの追跡の手は途絶えたか、に見えた日々であるも・・「失われたまま、断片的にしか蘇らない記憶」が悪夢の形で現れ、しばしうなされる夜もある彼だった。

そんなある日、彼はゴアの市場の雑踏の中に“醸し出す雰囲気が周囲から完全に浮いている男”を2度も目にする。本能的に「同業者(=暗殺者)」であることを察知したボーンはマリーを連れ逃げようとするが、その暗殺者=キリルの放った狙撃銃の1発がマリーを直撃、彼らはクルマもろとも橋上から川へと転落する・・

地元警察により引き上げられるクルマを、呆然と眺めるボーンの姿が川岸にあった。
「CIAは手を出さないと約束した筈・・それが何故?!」彼はこれまでの生活の痕跡や、マリーとの思い出の品々を全て焼却し、かつて自身の関与していた“レベル5”の最高機密“トレッドストーン計画”の元メンバーを探し、古巣(CIA)の動きを突き止めようとする。

一方で、ドイツ・ベルリンにおいて“7年前に忽然と消えたCIAの公的資金2000万ドル”の行方を追っていたエージェント2名が何者かに殺害される事件が発生。
現地(ベルリン)潜伏チームの女性リーダー=パメラ・ランディ(ジョアン・アレン)らの調べにより、現場から検出された指紋がボーンのものと判明。再び、CIAとボーンの戦いが始まろうとしていた。

しかし、ベルリン事件を裏で操っていたのはロシアの油田王=ユーリィ・グレツコフであり、彼の放った殺し屋キリルこそが直接の下手人だった。そしてそこには、グレツコフに公的資金の在処を教えていた“内通者”が確かに存在するのだった。

自らの過去の封印を解くため、恋人マリーの死の真相を探るため、ボーンの孤独な戦いの火蓋が、いま再び切って落とされる・・!

う〜ん・・基本は「防戦路線」な構成の物語にも思えた。インド・ゴア⇒イタリア・ナポリ⇒オランダ・アムステルダム⇒ドイツ・ミュンヘン⇒ベルリン(オスト駅)⇒ロシア・モスクワ⇒アメリカ・ニューヨーク・・ととにかくメチャクチャ豪華なロケツアーを世界規模で組みまくってるんだが、それにしては全体的な印象が閉鎖的で暗かったような、、
ボーン自身も手探りで調査を進める一方、有能そうなパメラさんが「現場に残された指紋のみ」を証拠に、まんまとグレツコフ氏の“仕掛け”に踊らされてるのがちょっと情けなかった・・まぁ、どっちかと言うと(工作員でなく)デスクワークから昇進して行った女性だったんだろうな、と思う。
実名でホテルに泊まったり、殺される危険を知ってか知らずか“丸腰”で内通者に逢いに行ったりしてたし(⌒〜⌒ι) プロの世界からすれば「あんた、大丈夫か?!」ってツッコまれても仕方ないのでは? マンハッタンの高層フロアで、カーテンも閉めず窓の近くで電話したりするし、、「あんた、狙撃されるよ!」

グリーングラス監督のスゴいトコは「再登場させるべき、前作のキャラ(俳優)をしっかり集め直し」たり「観客の予想する展開には沿いつつ、凄まじいスピードで演出をまいて」行ったりする辺りだろう。
本作で言えば・・何と言ってもボーンの上官=コンクリンを演じたクリス“小松の親分(=^_^=)”クーパーの再起用に尽きる!
前作の終盤で明らかに殺されちゃってて、今回は写真と回想映像でしか登場しないってのに、何てイキイキと作品世界に君臨していたんだろうか、と(=^_^=) どうせなら、クライヴ・オーウェン氏も再登場させて欲しかったゾ(=^_^=)
展開の早さと言えばフランカちゃんの退場とか、、まさか始まってすぐ『女王陛下の007(1969)』路線をやっちゃうとは・・!

あ、それにしても、観客に辛抱させるだけさせただけのことはあり、終盤のカーチェイスが結構ムチャクチャやってくれてて良かった☆ 前作ほど“クルマ自体”に魅力を持たせる造りではなかったが、モスクワを模しての(←多分、実際にはモスクワであんなロケは組めないんじゃないか、と)あの“もと共産圏”ならではの引き締まった(?)空気の中、ハイウェイ逆走&トンネル内爆走の2大演出がスゴすぎる! 『RONIN(1999)』や『Mr.&Mrs.スミス(2005)』におけるカーチェイスもかなり凄まじかったが、本作もそれらに引けを取らぬパワーが確かにあった! 全体でわずか5分程度なのに!

さながら世界旅行のように、移動シーンこそは多いものの、ダイナミックさには欠ける展開だったのはちと残念・・しかしそれを挽回するだけのアクションが終盤に固められていた点は評価したげたい。

〜 こんなセリフもありました 〜

アボット「まるで本を読んでいるような喋り方だな」
    「マリーを殺したのはお前だ。ヒッチハイクして、彼女の人生に入り込んだ瞬間にな」
    「お前に安住の地などあるものか」

ボーン「人生は変わる、真実を知ることで」

追記1:ボーンと運転を交代するマリー。あなたも・・かなり巧い!
追記2:「ツーショット写真」を焼かれ・・やがて“存在の痕跡”すらなくなってしまったマリー。悲しい女性だ。
追記3:「ガス」と「トースター」と「雑誌」・・この3点セットで豪邸がエラいことに、、
追記4:本作・・『L.A.コンフィデンシャル(1997)』『ダイ・ハード2(1990)』『イレイザー(1996)』に並ぶ“上司を信じられなくなる映画”の1本に選んで良いと思う(⌒〜⌒ι)
追記5:「変装」なし「手袋」なしのボーン。ちょっとそれはクレバーとは言えないのでは。『ジャッカル(1997)』のブルース・ウィリスを見習えとは言わないけどさ・・(=^_^=)
追記6:後半、とある展開から足首を痛めるボーン。その後もしっかり足を引きずっていた演出は、実際にはかなり「編集スタッフ泣かせ」だったような気がする(・ω・)
追記7:車体左側に追いすがるベンツを従えたまま、交通量の激しい大通りに飛び出して行くボーンのクルマ。直後、左側面からトラックに激突されるんだが・・“ベンツ1台分”がちょうどクッションになって、スピンはするも大破せずそのまま走り続ける! ここの演出はスゴいなぁ〜。
追記8:(ボーンとの)至近距離でのダイレクトな接触が一度もなかった(確か?)パメラさん。演じたジョアンさんは、何となく“おサル”っぽく見えてしまったりもするんだが・・『フェイス/オフ(1997)』『カラー・オヴ・ハート(1998)』で大好きになっちゃった女優さんでもあったり(⌒〜⌒ι)
追記9:ボーンとキリル。本作における“因縁の2人”だが・・劇中で交わした言葉は全くなかった!

| | コメント (0)

2008年7月30日 (水)

☆『ブラッド・ワーク(2002)』☆

27日(日曜)と28日(月曜)の2夜に分け鑑賞。
元々は「HDDに録画したままになっとる映画群をそろそろ片付けよう!」キャンペーンの一環とし、昨年10月25日(←古っ!)に「木曜洋画劇場」で放送されたものをただ“死蔵”してたんだが、、何気なくそんなに期待もせず観始めたら・・意外に面白く、結構好きになってしまったのだった(=^_^=)

監督&製作&主演が“巨匠”クリント・イーストウッド、脚本が『L.A.コンフィデンシャル(1997)』『ミスティック・リヴァー(2003)』『ロック・ユー!(2001)』『ペイバック(1998)』のブライアン・ヘルゲランドってことで、結構硬派で綿密に練り上げられつつ、エンタテインメント性を犠牲にしてない“ほど良くシリアス&骨太”な「犯罪心理サスペンス」を実現!
・・出来てたらもっとヒットしたと思うんだが(=^_^=) それはそれとしても、決してB級ではなかったし、御大クリントご自身が『スペース・カウボーイ(2000)』のように製作費ガンガン使って“老人の集い(←他意はありません、済みません)”をやるでなく『ミスティック〜』や『ミリオンダラー・ベイビー(2004)』のようにシリアスで上質であるも、ちょっと寛いでは観れぬようなドラマをやるでなく、程よい“フリースタイル演奏”を放ってるようなその(本作の)質感に好感が持てた。

ベテランFBI捜査官テリー・マッケイレブ(クリさん)は自身の捜査官人生の総決算(?)たる“連続暗号殺人”の犯人を追い求めていた。現場の壁に赤文字で「捕まえてみろ 903 472 568」なる謎の暗号の見つかった、6人目の被害者の発生した夜・・遂に彼は現場に“見物人”とし舞い戻った容疑者を見つけ追いかける。
・・も、突然の心臓発作に倒れてしまうのだった。

2年後、心臓移植術を無事に終えたテリーの姿がロスの某病院内にあった。彼は諦めていた心臓移植が無事に済んだこと(約2年待ち、2ヵ月前ドナーより提供を受けた)に感慨を深めつつ、フォックス医師(アンジェリカ・ヒューストン)の許可を得て、ようやく退院し、住まいであるヨットに“帰宅”するのだった。

隣のヨットで、親の遺産をエサにグウタラ生きる(?)バディ(ジェフ・ダニエルズ)がテリーの帰還を歓迎する。自称“負け犬”と言うこの男をテリーは何処か憎めなかった。
そこへグラシエラ・リヴァースと言う女性がテリーを訪ねる。面識もない彼女を訝しがる彼に、グラシエラは「あなたの授かった心臓は・・2ヵ月前、コンビニ強盗に銃撃され、脳死状態となった妹グロリア・トーレスのものなの。彼女を殺した犯人を探す手伝いをして欲しい」と切り出す。随分唐突なハナシではあったが、彼はリハビリも兼ね(?)「生かされた恩を返す気持ち」で経験とカンを頼りに独自の捜査を開始するのだった・・

冒頭の事件がちょん切れたままやんか・・と勘違いさせられもするが、実は全体が繋がってて面白い。どう表現すべきか難しいんだが「犯人が異常なまでのFBI捜査官ストーカー」であり「彼の行動を公私に渡り監視し、時には寄り添おうとまでする」って具合が『ザ・ウォッチャー(2000)』にも見られた“歪(いびつ)な愛情”も形成してたりして誠に不気味である(×_×)

犯人が油断する余り、次第にテリーに追い詰められて行くんだが、全体的には犯人側の行動力&知能の方が常に勝っており、ある意味『セヴン(1995)』に迫る“神がかった冷静で綿密な殺人”をも実行してて、そこはスゴかった。

一方で、テリーの運転手&助手役となるバディのキャラがどうにも“素人探偵”ぽ過ぎて「後半でいきなり犯人に惨殺されやしないか?」と、コレはもう『ダーティーハリー』シリーズのような“ハラハラ感”を勝手に募らせてしまったワタシでもあった(=^_^=)

ちょっと感じたのは「義理や人情が武器にされつつ」「ドライなハズの米社会でも、意外と容易く個人情報が流出したりするんやな〜」ってことだろうか。監視カメラ映像がぽんぽん民間人(例え、元FBI捜査官と言う職歴があったにせよ、だ)の自在に眺められる状況下にあるのは、関係者(ご遺族)としては頼もしくもある反面「ちょっと如何なもんかな・・」と思ったのはワタシだけじゃないんじゃなかろうか(・ω・)

テリー・マッケイレブと言う主人公名には、結局最後まで慣れることはなかったが(=^_^=)「その後のハリー・キャラハン刑事」とし描かれた作品としてでも捉えたら、好きな人には意外と“喝采モノ”かも知れない。

〜 こんなセリフもありました 〜

ロックリッジ「オレはこう思ったよ、オレが撃たれてたかもってね。救急車に無視されたのはこのオレかもって」

テリー「事故は運命だが、殺しは犯罪だ」
   「こう言う事件は、ささいなことから解決するものだ」

ウィンストン保安官「最近、“普通”が何か分からない」

グラシエラ「どうして海で生活を?」
テリー「庭の芝刈りが嫌いでね」

グラシエラ「携帯は持ってないの?」
テリー「信用出来なくてね、線が繋がってないと」

バディ「友だちなら、慰めじゃなく真実を言えよ」

※※「俺たちは繋がってる、それが俺たちの運命なんだよ。カインとアベル、ケネディとオズワルドのようにな」

追記:そういや『21グラム(2003)』でショーン・ペンの演じたキャラ名も「リヴァース」だった。綴りが“Rebirth”だとすれば、これは主人公の「再生」に関わることを連想させる、ちょっとした製作陣の遊び心なんだろうか?

| | コメント (0)

2008年7月18日 (金)

☆『ホテル・ルワンダ(2004)』☆

14日(月曜)の夜、衛星第2で放送されたモノを鑑賞。
紛争に揺れるアフリカはルワンダで起こった実話をベースに“ルワンダのシンドラーと呼ばれた男”のとった行動が丹念に描かれるヒューマニズム系ドラマ。

それまで「脇役ポジションで、捜査官役とかを自然体で(?)演じてるおっちゃん」ってぐらいの印象しかなかった黒人俳優ドン・チードル(←ドン・シーゲルと名前がこんがらがり易いが、全くの別人である、、)がギャグやアクションを封印(?)し、生真面目なホテル支配人を演じ上げた。

ちょっとシリアス過ぎ、いつもの(?)チードル氏らしくない・・と評すると言い過ぎかも知んないが、、良質なドラマであったことは否定しない。
恐らくチードル氏の俳優人生を後年、振り返り総括したとしても「シリアスさの極まっていた、希有な主演作」と評されることではなかろうか(・ω・)

1994年、アフリカ中部に位置するルワンダ共和国。この国では首都キガリを中心に、2つの部族「ツチ」と「フツ」が民族紛争を繰り広げ、いつまで続くとも知れぬ混沌のもとで市民は不安を隠せないでいた。

フツ族であるポール・ルセサバギナ(チードル)は“外国資本の4つ星ホテル”「ミル・コリン・ホテル」の支配人。妻のタチアナはツチ族であるが、2人の間に部族を異にする違和感は何らなかった。
ポールはホテルマンとしての才覚(交渉力、調達力、人脈)を発揮し、ルワンダ政府軍(ツチ族を虐殺する体制側)のビジムング将軍に“ハバナ産の高級葉巻:コヒバ”“アルコール類”などを世話し、友好的な関係を築いていたが、フツ族至上主義の声が高まり、ツチ族を「反逆者」「ゴキブリ」などと称し、次々に連行⇒投獄&虐殺して行く現状を眼にして、フツ族/ツチ族を分け隔てることなく、ホテルに受け入れる(かくまう)選択をする。次第に「難民受け入れ所」状態となってゆくホテル。

「増えて行くルワンダの難民たち」を眺めるポールの心には「ホテルの格式と風格を下げてしまった・・」と言う後悔の念が芽生えたりもする・・

そそくさと国外に退去する(白人の)報道関係者たち、期待に応えてはくれぬ“余りに無力な”国連の平和維持軍。
そしてやっと、国連認可による難民らの海外移送が決定、平和維持軍の護衛のもと、次々とホテルからルワンダ人が空港へと向かうが・・
歯止めの効かぬ暴徒(フツ族の民兵)の群れは、とうとう「政治難民トラックを襲撃する」と言う愚挙に及ぶのであった・・

治安、経済、医療、食料自給・・など、思いつく限りの切り口で「黄昏れて行ってるよなぁ・・」と悲しいながらも肯定せざるを得ない我がニッポンの現状であるが、まだしも「民族紛争がない」って点だけは十分に「幸せである!」と考えて良いのだと痛感した。
何処かの誰かの密告で、ある夜いきなりお隣の一家が憲兵に連行され、朝になるともぬけの殻、そして2度と戻っては来なかった、、こんな恐ろしさってないんじゃないだろうか(×_×)

或いは、報道の眼(耳?)の全く届かない、どこかの河川敷に、埋葬もされぬままの市民の遺体が、殺害された状態で、老若男女を問わず無数に転がっている、、こんな悲惨さもまた想像すらしたくないシチュエーションである。

世界情勢を断片的ながら眺めるに「国連なんか、何の役にも立ってないじゃん!」と突っ込みたくなるケースがこれまでに何度もあったが、本作を観ると“リアルに国連解体を提案したくなる”気持ちがわいて来もする(・ω・)
劇中で描かれた「国連・平和維持軍」の現地活動の“腑甲斐なき実態”を、関係者各位は「恥」を持ってとくと観るべきではないかと感じた。

〜 こんなセリフもありました 〜

ポール「時は金なり、と言うからね(time is also money.)」
   「何とかしたいが、僕には何も出来ない・・それに隣人は隣人だ、僕の家族じゃない」
   「僕は白人に追従し、何もかもを鵜呑みにし・・そして全てを失った、民族の誇りすらも」
   「ここを難民キャンプと思わせてはならない、ここは外国資本の4つ星ホテルなのです」
   「君たち家族をナタでは殺させたくない・・いざとなったらホテルの屋上から飛び降りてくれ、子供たちと」

ジャック「世界はあの虐殺映像を観て「怖いな」って言うだけでディナーを続けるだろうさ」

アーチャー「少女が殺される瞬間に叫んだわ・・“どうか殺させないで! もうツチにならないから!”と」

TVキャスター「虐殺行為が何度あれば“大量虐殺”だと言うのですか?」

隊長「ルワンダ・フランなぞケツを拭く紙にもならん、この先は国連にでも守って貰うんだな」

タチアナ「このもてなしの代償に私は何を・・?」
ポール「君の“キス1つ”でいいさ」

アーチャー「ホテルは満杯?」
ポール「いつも空いておりますとも」

追記1:助演陣にニック・ノルティ(国連軍・オリバー大佐役)、ジャン・レノ(ホテル本社(ベルギー)・テレンス社長役)、ホアキン・フェニックス(記者・ジャック役)・・とそうそうたる男優がポイントを押さえててスゴい。
追記2:「種族を効率的に絶やすため、女子供を優先して殺害する政府軍」なるセリフには流石にムカムカ来た。

| | コメント (2)

2008年7月11日 (金)

☆『ボルケーノ(1997)』☆

6日(日曜)の夜。「日曜洋画劇場」で放送されたモノを観た。
以前、TV放送(たぶん地上波初)された際にしっかり観てたので、今回はそんなにやる気ではなかったんだが、近年は何となく俳優トミー・リー・ジョーンズに“老いの兆候の加速”を感じてしまい、彼の出演する作品が気になって仕方ない・・(・ω・)

思えば、彼を初めて意識したのは、やはり悪役キャラの数々であり“アタマにナイフの刺さったしと(1993)”だの“ヒーローに勝ててた状況なのに、トスされたコインを拾おうとし転落しちゃったしと(1995)”だの、何処かその散り様にも悲しさが漂っていたように思う。
逆にヒーロー(善人)然とした役柄は余り好きじゃなく『スペース・カウボーイ(2000)』や『逃亡者(1993)』などにおける“優等生キャラ”はどうかな〜などと評した次第。

それにしても、、その時々で不安定な状態にならはるのか(?)『メン・イン・ブラック2(2002)』や『ノーカントリー(2007)』に関してなどは「だ、大丈夫・・?」と他人事ながら、その精彩のなさにかなり驚かされたモノだ。

以前、何かのインタビューで「スタッフやその家族の生活が全て、このワタシの演技にかかっていると思えば、全力で役柄に取り組むのは当然のことだ」みたいなことをおっしゃっていたが(そう通訳されてた)「いや、そこ(スタッフの家族の人生)まで荷を背負って働かれずとも・・」と気の毒に感じてしまったことも、、(ま、その姿勢こそがプロでしょうけれども)

本作も、ロサンゼルスを襲う火山活動(と溶岩流)の恐怖に立ち向かうヒーローって感じで活躍してはくれるが、如何せん相手が「倒してどう」ってタイプではないため、ガッツが何処か無駄に飛散してしまってたような印象もあったかな、と。
演出やCG特撮も“ガンガンイケイケ系”では必ずしもなかったので、ディザスター(災害モノ)ムービーとしてはイマイチ緩急に欠けるトコロがあったな、と今となっては感じられる。

劇中では、最も正義感に燃える“ヒーローっぽい“方が最も悲惨な亡くなり方をする「地下鉄の救出シーン」がやはり痛々しい。
あと終盤で、トミー・リー発案による奇策(?)で溶岩流がみごと防がれるのだが、その際「かなり大量の瓦礫&粉塵」が発生していたモノで・・「(健康面での)2次被害が、きっとのちのち起こるんじゃなかろうか?」と作品の枠を超えた(描かれない)部分に不安感が高まってしまった(×_×)

ときに、本作でも(セリフ中で)効果的に引用されてた『新約聖書・マタイ伝』の第7章26節はこんな感じである(調べてみた)。

「砂の上に家を建てたる愚か者。雨が降り、風が吹きて其の家を打てば、その倒れたるは甚(はなは)だしきなり」

〜 ついでにこんなセリフも印象的でした 〜

※「爆薬の計算だけで数日はかかる、とても20分でなんてムリだ」
トミー・リー「なら“新記録”を作れ」

トミー・リー「名案だと? いいとも、お前に任せるよ、全てな」

| | コメント (0)

2008年6月 6日 (金)

☆『ハンテッド(2003)』☆

5日(木曜)の夜。
「木曜洋画劇場」の“祝40周年記念企画”の一環とし“地上波初放送”された『ハンテッド』を観た。殆ど期待せずに観てたら・・極めて地味ながらなかなかに面白く、気に入ってしまった1作である(・ω・)

1999年3月のコソボ紛争。セルビア人将校を“ショート・キル(刃物による近距離殺害)”で仕留めた功績で「銀星勲章」を与えられた英雄=アーロン・ハラム軍曹(ベチチオ・デル・トロ)であったが、その後も続いた“非公式の任務”により、彼の心は次第に狂気に蝕まれて行く・・

2003年、家族(妻アイリーン&娘ロレッタ)を棄てるように突然家を飛び出し、行方をくらましたハラムは、半年後オレゴン州シルバーフォールズの森林でハンター2名を刺殺、その遺体を無惨にも損壊させたのだった。

その直前にも同様の手口で2名を殺害したハラムに対し、FBIのアビー・ダレル(コニー・ニールセン)&ボビーの両捜査官は“トラッカー(追跡者)”とし高名な老野生保護官=L.T.ボナム(トミー・リー・ジョーンズ)に協力を要請する。殺人現場を訪れたボナムは、足跡やナイフの使い方などから、容疑者がかつての教え子=ハラムであることを掴む。

森林での壮絶な格闘の結果、ハラムを取り押さえたボナムであったが、彼は軍歴の殆どが謎に包まれた“存在しない男”なのであった。地元警察もFBIもそんな機密絡みのハラムに手出しが出来ず、彼は間もなく軍に戻されることとなるが・・その道中、護送車が謎の横転事故を起こし、彼は逃走。再びオレゴン州ポートランドの何処かに姿をくらませてしまう・・

監督がベテランのウィリアム・フリードキン(何と!『フレンチ・コネクション(1971)』の監督さん!)ってことで、全体的にもっさりした、ホントに地味な造りなんだが・・作品世界に程よい「重厚感」があって、そこが良かった。
むろん、主役となる2大男優のパワーによる所も大きいんだが。
そしてまた、本作は確実に「漢(をとこ)の映画」と呼べる作品だったことも記しておきたい。

“裏ブラピ”とも言うべき(言っとるの俺だけか、、)ベニチオさんだが、無言の横顔や暗く沈んだ(憂いを湛えた)瞳の表情にも、何か深いセリフを周囲の空中に放ってそうな・・そんな雰囲気が良い。
遺体を損壊する趣味(習性?)がある、ようには見えない感じもしたが、劇中では決して描かれぬ“発狂の瞬間”がきっとあったのだろう(・ω・)

一方のトミー・リー。格闘術は駆使するわ、猛然と走るわ、崖から1本足バンジーするわ(?)・・と肉体的にも予想以上に体当たりしてる印象だった☆ 近作『ノーカントリー』における演技、と言うか言動が“殆ど無意味(←すんません)”だったことに比べると、本作を観た方が、はるかに“俳優トミー・リー”の魅力は観る者に伝わる、と思う。

そして『フレンチ・コネクション』のテイストを現代に蘇らせたかのような「追跡劇の組立」「動的なカメラワーク」「場面展開(=ロケーション)の豪華さ」がフリードキン監督ならではのベテランっぽさを醸し出していた。冒頭の追跡劇があっという間に終わるトコロも、その緩急の付け方に「凄いな〜」と感心させられたもんである。

てっきり、中盤から「法廷モノ」に切り替わると勘違いしてしまったぐらいだ(=^_^=)

終盤のみ、ボナムが石器(矢じり)、ハラムが鉄器(自家製ナイフ)と、それぞれの得物(武器)がいきなり原始的になっちゃう演出がある意味“B級へのライン”を踏んづけかけてた感もあったが・・おおむね良く出来た追跡サスペンス作品と好評したい。

〜 こんなセリフもありました 〜

ボナム「神はアブラハムに言った・・“息子を殺せ、国道61号線で”と」
   「生きてれば、(俺は)2日後に戻る!」
   「まさか“供述通りに記録される”と思ってるのか?」
   「俺は(殺し方を)教えただけで、実際に人を殺したことはない」
   「素早く正確に、効率的に殺せ」
   「心を切り離せば、殺すのは簡単だ・・本当に難しいのは“心を呼び戻す”ことだ」

ハラム「銃には“殺す相手への敬意”がない」
   「本当に分かっているのか?」
   「悪夢が酷くなって行く・・正気じゃなくなって行く」
   「“生きるため”に隠れてるのさ」
   「人は動物を敬わなくなった」
   「この線を越えたら、後はもうこの俺を殺すしかないぞ」

| | コメント (2)

2008年4月12日 (土)

☆『フライトプラン(2005)』☆

6日(日曜)に地上波初放送されたものを観た。

出演作では『ジャック・サマースビー(1993)』と『マーヴェリック(1994)』がなかなか良かったけど、その後『ネル(1994)』『コンタクト(1997)』『パニック・ルーム(2002)』と、だんだん女優オーラ(=魅力)が弱まって来てる感もする、ジョディ・フォスター主演による超高空サスペンス作品。

愛する夫ディヴィッドを不慮の転落死で失い、シングルマザーとなったカイル・プラット(ジョディ)は6歳の娘ジュリアを連れ、夫の棺と共にベルリン国際空港発のニューヨーク行き「E-474型機(アルト航空)」の機上の人となる。
が、疲れのためか3時間ほど寝入ってしまったカイルが眼を覚ましたとき、隣の客席にジュリアの姿はなかった・・

驚くべきことに、周囲の乗客、フライト・アテンダント(旅客乗務員)の中に娘ジュリアの姿を見た、と言う者はおらず、リッチ機長(ショーン・ビーン)を通じ「搭乗記録」を確認したトコロ、同機に乗ったのはカイル1人だけだと言う事実が判明・・
そんな孤立無援っぽい状況下、彼女は唯一の協力者となってくれた航空保安官ジーン・カーソンと共に、娘の姿を探し求めるのだった。

果たして、乗客425名の中に犯人が? しかし高度1000mの“巨大な密室”から、ジュリアは果たして何処へ消えたのだろうか・・? って展開。


う〜ん・・序盤のベルリンの街の重苦しい空気感のみは素晴らしかったんだが、舞台が機内に移ってからは“怪しさ”もすっかり影を潜めちゃって、正直あまり面白くなかったぞぅ。確かに娘を必死で探す母親の強さとか悲壮さは伝わらなくもないが・・中盤にもなると、何だか「ロケーションも変わらぬまま“甘いネタ1つ”でいつまでも引っ張り過ぎやぞ〜!」な印象すら漂って来る。
製作側の狙い(ミスリーディング:引っかけ)だったのかも知れないが「これ、結局のオチが『シークレット・ウィンドゥ(2004)』とかと一緒の路線なんとちゃうか?!」などと妙に勘ぐり過ぎる方向に意識を持ってかれそうになったし(=^_^=)

戸田恵子さんが、流石にお上手にジョディの声をあてておられるも・・近年のジョディに華があるんか? と言うとそうでもないし・・せめてもうちょっと知名度や存在感のある俳優さんを(共演にせよ)持って来て欲しかったかな。

そう言えば、最も“黒幕”な感じで終盤まで疑いの解けなかったのが(=^_^=) ショーン・ビーン氏。が、せっかく同氏を起用したと言うのに、殆ど「本来の彼の持ち味」が発揮出来てなかったよ〜な・・本作の監督って、ショーンに対し、日本のファンがどんな演技&キャラ造形を熱く(?)求めてるのか、そこんとこの潜在的欲求が全く分かってないと思うぞ!

意外な「犯人たち」の規模の小ささ(ほんの※人と言うレベルだった・・)、その動機や手口のしょ〜もなさについても「期待し過ぎてた」もんで、肩すかしを食らった気分(×_×)
最高に(観客の)テンションを高めるべき「ディヴィッドの眠っている(筈の)棺」が開かれる瞬間も、何とも淡々と描写してただけって印象。。

ついでに、あのラスト。
折角“主犯”を生け捕りにも出来たのに、何で“作動”させちゃったんやろ? 分からんなぁ・・
それと、観客に衝撃を与える意味でも・・あの窓に描かれた「♡」マークはちゃんと拭っておくべきだったと思うぞ、犯人さんよ!

| | コメント (4)

2008年4月 9日 (水)

☆『バンテージ・ポイント』☆

8日(火曜)の夜。仕事の帰りに、またまた「ワーナー・マイカル・シネマズ大日」に行って(←リピーターかよ!)ようやく観て来たのが、期待値を高め続けてた“半リワインド(巻戻し)型”クライム群像劇『バンテージ・ポイント』である!
何だか、昨秋からの残業続きにより全然劇場で映画鑑賞出来てなかったフラストレーションが堰を切ったように爆発しちゃってる感じ、、まぁ、またぼちぼち決壊した堰が再建されて行っとる気配もあるけど(⌒〜⌒ι)

取り敢えず「コレは面白いハズや!」と自身を高めつつ観たのもあり、近年まれにみる吸引力を作品全体からビンビン感じた。正攻法+CG依存度低し+短時間(約90分)+きっちり完結(妙に続編とかに引っ張るようなことをしない(=^_^=))・・と言う各点から総評すれば、私的には『クローヴァー・フィールド』も『ジャンパー』も超えてましたわ!

ゴツゴツに骨太な本作を観て、ミ〜ハ〜な若いヤツらが共有してそうなヘナヘナした“絶叫マシン搭乗後系・軽薄感覚”に毒されてる自身をぜひぜひ猛省頂きたいトコロだ!(そこまで言うか!(=^_^=)) ま、ワタシは気に入りました☆

スペイン・サラマンカ。晴れ渡ったある日の正午過ぎ。
方形をしたマヨール広場に集まった群衆の前にアメリカ合衆国大統領ヘンリー・アシュトン(ウィリアム・ハート)が姿を現す。彼はテロ撲滅のための国際会議に出席し、対テロに向けた“大いなる歴史的合意”の第一歩を踏み出そうと、この地へやって来たのだった。
サラマンカ市長の短い挨拶が終わり、代わって演壇に立つアシュトン。笑顔をたたえ、両手を大きく広げた瞬間・・彼は2発の銃弾を受け、仰向けにどうと倒れる・・

広場はパニック状態に。そんな中、立て続けに2度の爆発が起こる。この間、およそ23分。

一部始終を捉えていたのは現地入りしていたGNNニュースのカメラ数台。そしてもう1つ、群衆の中にいた観光客=ハワード・ルイス(フォレスト・ウィテカー)の携行していたハンディカム(ソニー製←ソニーピクチャーズ作品ですし(・ω・))こそが、狙撃手の潜んでいた演壇向かいの建物の窓を偶然にも写していたのだった!

撃たれたアシュトンの側には、昨年も彼が至近距離から銃撃された際、身を挺しそれを庇った凄腕のシークレット・サービス=トーマス・バーンズ(デニス・クエイド)が復職し、配備されていた。同僚テイラーが狙撃手を追って建物へと走る間、バーンズはハワードの撮影した映像、そしてGNNの複数台のカメラ映像を調べて行く・・そうして浮かび上がって来た事件の真相とは? そして襲撃者の正体とは?

劇中、何度か「真相が掴めそうな瞬間」にシーンが23分ほど前に巻き戻される。。
ワタシの覚えてる限りは、

1:GNNの現地撮影プロデューサー=レックス(シガニー・ウィーバー)の視点
2:本作のヒーロー的存在=トーマス・バーンズの視点(その1)
3:サラマンカ市警の私服刑事=エンリケの視点
4:ハンディカムを携えた観光客=ハワード・ルイスの視点
5:合衆国大統領=ヘンリー・アシュトンその人(!)の視点
6:広場にいた少女=アナに始まる、事件の一連の流れ。そしてトーマス・バーンズの視点(その2)

って感じだったろうか。
フツーの観客が感じることでもあるが「大統領銃撃⇒広場爆発」と言う構成が何度も描かれるので「もうエエわ!」と思い始めてしまう向きがあるんかも知れないが(ワタシは存分に楽しんでたが)、そんな中でいきなり「襲撃されたご本人」から描いた視点がババーン! と挿入されて来たのにびっくり!
ここで、事件の「裏側」がいきなり観客に披露され「そう言うことやったんか!」と眼からウロコを叩き落とされることしきり(=^_^=)

最終のチャプターでは、怒濤のカーチェイスになだれ込むんだが、コレがまた妙にリアルかつスリリングで嬉しい。『RONiN(1999)』や『ボーン・アイデンティティー(2002)』なんかで拝めた、あの“予定調和じゃなさげな爆走ぶり”が堪能出来るのだ☆

本作を観てて思ったのは「一見“事件そのもの”に無関係だし(存在)意味のなさげな“ちっぽけな通行人1人”の言動が起因して、例えば歴史が大きく変わってしまうものなんやな」「報道されている事件の裏側に“驚くべき真相”が或いは隠されてるものなんやな」「ひょっとすると、街角で睦まじく囁き合ってるように見える2人が、実は“全然違うシチュエーション”でやり取りしてたってことがあるんやな」なんてな事である。
本作に関しても“一件落着、めでたしめでたし”な物語(?)の裏側で、密かに「その死を闇に葬り去られて行った人々」が少なからずいたりした。
ある意味、マンハッタンで巨大怪獣に踏んづけられて殺されたり(←どう言う例えだよ)する以上に、それは「不自然でいびつな形の人間の死」だとも思う。

何はともあれ、既に公開時期も後半(終盤?)に差し掛かっているこの『バンテージ・ポイント』。ワタシとしては、目下“本年観た中でナンバーワンの娯楽映画(洋画部門)”となるかも知れんぞ?! と思い始めている。

あ、タレントの北野誠氏が「ケビン・コスナーのパチもんみたいや」と評してた(カワイソ〜)デニス・クエイド。序盤こそ精神安定剤のお世話になってたりして「おい、大丈夫かあんた!」と心配させられもするが、実に実に、等身大のヒーロー像をしっかりと確立してくれてた!
『オーロラの彼方へ(2000)』以来の存在感&熱演に、つい「兄貴、これからも付いて行きますゼ!」と心中で叫んでしまったものである(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

バーンズ「礼を言うよ、復職させてくれて」
テイラー「礼なら、まだ早いさ」

アシュトン「素晴らしい日だ」

※※※※「オレが生きてて、驚いたか?」

※※※※※「似てもいないぞ」 ←このセリフはちょっとネタバレ、、

※※※※※「有難うトーマス(thank you,thomas)」
バーンズ「どういたしまして(you're welcome,sir)」

スアレス「末端の“処理”も大切だ・・」
手下「何のことだ?」
ベロニカ「あんたよ!(と言いつつ撃つ(×_×))」

追記1:久々に『ジャッカルの日(1973)』と『ニック・オヴ・タイム(1995)』が観たくなって来た(・ω・)
追記2:密室劇的な空間の物語かと思いきや、意外と広範囲にストーリーの広がって行くのにも“意外性”があった。難があるとすれば、カーチェイスのシーンとかで、ちょっと映像がチャカチャカし過ぎて、眼で追い切れないトコがあったことか。。
追記3:娯楽映画としての配慮(?)からか、アタマを撃ち抜いて殺害するシーンが殆どなかったようだった。平和的で良い反面、(実際なら)関係者各位はきっと「防弾チョッキ」着用してたろうから、あんなに易々と殺されたりはしてなかった気もする。

| | コメント (4)

2008年3月17日 (月)

☆『ペイチェック/消された記憶(2003)』☆

16日(日曜)の放送。「日曜洋画劇場」で地上波初登場、との快挙(?)だったが、どうやらなんぼかカットされてた模様。
本作って公開当時、劇場に観に行ったもんで、確か序盤に主人公による「棒術トレーニングのシーン」があったように記憶してるが・・今夜の放送では収録されてなかった。。

フィリップ・K・ディックが原作に描き、ジョン・ウー監督が映像化を実現した近未来の物語。
企業を渡り歩き、最先端技術の開発を請け負い、多額の報酬を受け取る代わり、その技術特許を放棄、開発期間の記憶を事後に抹消することを生業とするエンジニア=マイケル・ジェニングス(ベン・アフレック)が主人公。
彼はネキシム社の技師とし(ライバルのアーク社をしのぐ技術である)「3次元映像モニター」を開発し、その代償に2ヶ月間の記憶を消去した契約に続き、旧友ジェームズ・レスリック(アーロン・エッカート)が興したオールコム社の極秘プロジェクトに携わる。

3年後。我に返ったマイケルは、ジェームズに契約が完了し、開発が成功したことを聞かされる。彼はその足で「レディ・グラント法律事務所」へ向かうが、何と彼が受け取る筈だった100億円相当の株券は“彼自身により”所有権を放棄されていたのだった・・その代わりに手元に戻って来たのは“19個のガジェット(ガラクタ)”の入った紙封筒のみ・・

当惑する彼だが、そこに追い打ちをかけるようにFBIの捜査の手やオールコム社の放った刺客が次々と現れ・・みたいな流れ。

いや〜、フィリップ・K・ディックなどと耳にすると「難解なSF作品とちゃうんか〜?」とか不安になって全身に発疹が出そうにもなるが(←大丈夫かよ)、そこはジョン・ウー先生が手がけているだけあって、メチャメチャに分かり易い(=^_^=)
この調子で(?)重厚なロシア文学とかもウー先生に次々と映像化して欲しいトコだなぁ☆

ベンアフ(ベン・アフレック)は観てて妙に安心感があると言うか・・憔悴し切ったり、残虐なリンチを受けたりしなさそうなイメージ(これはワタシの勝手な先入観だが)で、最初から「死なないなコイツは」と思わせるヒーロー然とした存在感だ。
と言っても、単独でのその行動には、常に不安感の伴うキャラではあるんだけども。

中盤辺りから本格的に物語に関わるヒロイン=レイチェル・ポーター博士(ユマ・サーマン)のパワフルな言動がすごい!
ほぼ同時期にユマ自身が(恐らく彼女の女優キャリアで“最大のアクション作”とし語り継がれるであろう)『キル・ビル』シリーズ(2003、2004)に主演してることから、そっちとの印象がダブってしまったり。流石のウー先生もタランティーノにちょっと“ユマ使い”で負けちゃってたか。。

実は「20個」だった、と言うガジェットの数々。

「“エディソン”の非常口キー」「携帯式スプレー」「デジタル腕時計」「ダイヤの指環」「ゼムクリップ(1ヶ)」「タバコ(1箱)」「使い捨てライター」「“ニューリバティ銀行”の紙マッチ」「金属球(ベアリング)の入った樹脂の筒」「“BMW”のリモコンキー」「凸レンズ(拡大鏡)」「ミニ6角レンチ」「サングラス」「1ドル硬貨」「“オールコム社”のセキュリティパス」「ピストルの弾丸(1発)」「バスの1日乗車券」「“手の届かない場所ばかり見ていては、足元の富を見失う”と書かれたおみくじ(裏に“17-44-4-26-37-40-22”の数字)」「解きかけのクロスワードパズル」・・で他にもう1つ・・

半分はテキトーに観てて「ダイヤの指環」の使い道だけが良く分かんなかった(カットされたのか?)

「記憶を消される前」の主人公が、とにかく運命を超越しててスゴい。未来を全て予見してるかのように(実際にしてたし!)20のアイテム全てに、それを使うべき「場所」「時間」をぴったりパズルのようにはめ込んでいる。
ってことで、現在の(記憶を失った)主人公も手探りで色々と迷走させられるんだが、それ以上に振り回されたのは観客自身だったかも知れない(⌒〜⌒ι)
って言うか、未来が全て分かってるなら、もうちょっと“近道”させる手立てもあったような気がするけど・・(それってタイムマシン理論に逆らうことなんやろか?)

それにしても。。自分の「時間」を売る、、「人生」を切り売りする、、ってことにどうにも違和感を覚えたワタシ。
開発・研究が成功すればこそ、多額の報酬が最終的に手に入るが、それまでに「非業の死を遂げる可能性も?」とか考えたりしないのか?
「今」と「保証」をまず直感的判断材料にするワタシには、通常の精神状態では考えられん選択・決断やなぁ。

ウー映画と言えば・・代名詞のように(?)登場する「2人の男が互いの拳銃を腕を伸ばし至近距離で突き付け合う、交差状態の緊迫シーン」ってのが本作でも何回か描かれたが、何かもう“お約束”みたいで緊迫感がまるで伝わって来なかったし(⌒〜⌒ι) ウー監督の功罪だなコリャ。

中盤でぜいたくなバイクチェイスに突入するが、同様のシーンで言えば同監督の『M:i-2(2000)』の方が見せ方も巧かったし、はるかにスタイリッシュだったな(ちょっとカメラワークもイマイチだった・・)。
ベンアフのヘルメット姿ってのも何かイケてなかったな、、

ま、自分が覚えてない(気づいてない)範囲で「実はオレには※※が出来た!」「私にはホントは※※の才能が備わっていた!」みたいなサプライズは面白いと思う。ワタシは全くバイクになんか乗れないが、実際にやってみたら意外にヘリが操縦出来ちゃったりなんかしちゃうのかも知んないし(=^_^=)

それにしてもFBIの責任者的なおっつぁん・・「マシンを作れる男が悪人の手に落ちては困る・・いっそ射殺しろ!」みたいなセリフを放ったのには、ちょっと驚き笑わされてしまった。
いや、もそっとマシな折衷案は思い付かないのかよ(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

マイケル「何か優しい言葉を言ってくれ・・僕が忘れる前に」
    「未来を人々に見せてしまえば、未来はなくなる。神秘も希望も彼らから奪われてしまう」

レイチェル「所詮、人生なんて過ちばっかりよ」
     「全ての現実には意味があるわ」

| | コメント (0)

2008年3月 1日 (土)

☆『パニッシャー(2004)』☆

29日(金曜)に“地上波初登場”として放送されたものを鑑賞。
しんどかったのもあるが、残業をやや早めに切り上げ、多少の期待感をもって(=^_^=)観ることとした次第だが・・予想以上のへっぽこぶりで余計に疲れちゃった〜い(×_×)

FBI捜査官のフランク・キャッスルは“オットー・クリーグ”を名乗っての大掛かりな潜入捜査の仕上げとし、武器密売の現場を押さえることに成功。だが、銃撃戦によるその(事件)解決の中で、闇組織の大物=ハワード・セイント(ジョン・トラボルタ)の次男ボビーが警官に撃たれ死んでしまう。フランクは任務の完了と共に妻子を連れて国外へ飛び、しばらく身を隠すこととなるが・・そんな彼の一家を怒りに燃えるハワードとその美しき妻リヴィア(ローラ・ハリング←『マルホランド・ドライヴ(2001)』のミステリアスなお姉たま!)の報復の魔の手が襲う・・

ハワードに直々の指令を受けた側近クエンティン・グラス(ウィル“セールスマンのおじさん(=^_^=)”パットン)、ボビーの兄(長男)ジョンらの率いる集団の襲撃により、妻子や両親は無惨に殺され、フランク自身も重傷を負う・・が、奇跡的に一命を取り留める。

やがてキズは癒え、愛する者すべてを奪われたフランクは自身の存在の全てを棄て“パニッシャー(制裁者)”としてハワード一味を壊滅させるべく行動を開始する・・っちぅ流れ。

う〜ん・・何だか俳優陣だけは豪華どころ(個性派どころ?)を揃えたんだけど、全然使いこなせてなかったね、みたいな感じ。
第一に「爽快な復讐劇」を期待してる観客の予想をとことんキレイに裏切り「セコく」「甘く」「間接的」にチマチマと復讐を遂げて行く主人公のやり口にフラストレーションがたまるたまる!

何とも妙な甘さが(行動の底部に)残されとるもんで、彼を“返り討ちにすべく”襲って来る殺し屋連中の方がよっぽど直接的で手際が良くプロっぽかった(こいつらも全体的に詰めが甘かったんだけど・・)

呪術を操るプエルトリコ在住のおっさん(カンデラリアとか言う名)、防弾装甲を誇るつや消し塗装っぽい改造車、親父の形見である“コルト1911改”、など色々と面白そうなサブ設定が用意されてる、、と思いきや、そのどれもが余り意味を持ってなかったし(・ω・)

最大限に生ぬるかったのは“パニッシャー”と化したフランクが潜伏するアパート(?)の隣人として出演するヒロイン=ジョアン(レベッカ・ローミン・ステイモス!)の存在。もっと主人公に絡むかと思いきやそうでもないし、ちっとも肉体関係を結ばないし(←「完全版」とかが存在するんやろか?)・・ホントに登場の意味がなかった。。彼女と半同居(?)してるバンポ、デイヴの2大キャラも「薄い」んだか何なのか存在意義にやや乏しく、エキセントリックさだけが突っ走ってたな〜と。

そして! 何と言っても悲しかったのはウィル・パットン、ローラ・ハリング、そして我らがトラさん(トラボルタ)のあの退場の仕方・・あれでは余りに彼らに対して失礼なんじゃなかろうか。この脚本家は『ソードフィッシュ(2001)』や『ブロークン・アロー(1995)』『フェイス/オフ(1997)』とかを全然観てなかったんやろか? 「な〜んにも分かってないやんか!」と観ててひたすらムカついてしまったぞう。

それから、何度も劇中で重傷を負う主人公が、そのたび驚異的な回復力を発揮するのが、かなり不自然に思えたな。あいつ、実はシャマラン的に言うトコの『アンブレイカブル(2000)』だったんじゃあるまいか? ・・あ、それにしては水に強かったけどさ・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありますた 〜

クエンティン「無用な殺しで“カルマ”を背負いたくはない。
       ・・尤も俺は“カルマ”なんぞ信じちゃいないがな」

ハワード「“無知”は言い訳にならない」
    「君が着けなきゃ、宝石など“ただの石ころ”だ」
    「この手の商売に“保険”などが存在すると?」

フランク「(この制裁は)神には関係のないことだ」
    「平和を望むなら、戦う準備をしておけ」
    「究極の状況に於いては、法など無力」

| | コメント (2)

2008年1月23日 (水)

☆『ファンタスティック・フォー/超能力ユニット(2005)』☆

18日(金曜)の鑑賞。「金曜ロードショー」では「地上波初登場」かつ「日本未公開ヴァージョン」と銘打たれてたが(紹介テロップより)、何処がどう未公開ヴァージョンだったのかは、結局のトコ良く分からず(×_×)

宇宙嵐に関する研究のため、大気圏外での実験に夢を馳せる科学者リード・リチャーズ。熱意と才能こそあるものの、研究費不足(とプレゼンテーション力の低さ・・)の壁をなかなか打破出来ず、とうとうMIT(マサチューセッツ工科大)の同期生でありライバル関係でもあった実業家=ヴィクター・ヴァン・ドゥーム卿に資金提供を願い出る。

ヴィクターはヴィクターで、リチャーズの才能は(実のトコロ)評価しており、彼の研究の成果だけを横取りせんと企む。彼は自身をメンバーの中心に組み入れ、恋人のスーザン・ストーン(ジェシカ・アルバ)、リチャーズ、スーザンの弟ジョニー、リチャーズの用心棒的存在ベン・グリムの5人で宇宙へと向かう。

観測を開始したメンバーだが、計算ミス(?)により、予想より早く宇宙嵐が宇宙ステーションに到達、彼らは凄まじい量の宇宙線を全身に浴びることとなる。

地球に戻った彼らは「人体を形成する分子構造が変化(?)したこと」により、それぞれに“常人をはるかに超越する能力”を体得。「超能力ユニット」とし、世界平和のために戦うこととなる・・ってな流れ。

やはり本作もアメコミ(マーヴェル・コミック)原作のヒーローものってことだが、活動エリアもテキの存在も、何ともちっこい範囲のストーリーではあった。ま、それ故の「狭い風呂敷の中での派手な活躍」を大いに楽しんだ次第ではある(=^_^=)

例えば、とある米国民が突然“スーパーパワー”を手に入れ“異能者”となった・・とすれば、たちまちのウチに「黒服のエージェント」がやって来る・・って展開を想像するんだけど、本作の場合、何だか最後まで“野放し状態”だったので笑えた。宇宙での事故から帰還した直後こそ軟禁(?)されるものの、その後は自由にニューヨークの街を闊歩してた(・ω・) ややメディアがうるさかったぐらいか。

劇中で特筆すべきスゴさのあったのは、某悪役が(マンハッタンに持ち込んだ)“MK457”なる熱追尾式ミサイルを、向こうにそびえる高層ビルの上層階に向かっていきなし発射しちゃうシチュエーション。
ちょっとコレ、米国都心部に潜伏してるテロリスト連中に、妙な知恵を与えそうで怖いんですけど・・

それと、本作ってばヒーローたちの特殊能力が「あんまり大したことがなく、押し並べてイケてない」辺りもワタシのツボにちょっとハマった(=^_^=)

♦全身がゴムのように自在に伸縮する「ミスター・ファンタスティック」⇒飛べないし、リーダーとして華がない。
♦周囲の光を屈折させることで“全身を不可視化”できる「インビジブル・ウーマン」⇒飛べないし、その能力自体は小ネタに過ぎない(フォースフィールド(=バリア)が張れると言う能力の方がはるかにスゴい)。
♦全身を4000度の炎に変え、高速で空も飛べる「ヒューマン・トーチ」⇒飛べる点は素晴らしいが、発火するのが少々邪魔。
♦怪力の大男「ザ・シング」⇒飛べないし、ヒーローとして華がない。
♦全身が有機的合金に変化、また電気を自在に吸収し操ることが出来る「ザ・ドゥーム」⇒“異能者”と言うより“感染者”って感じ・・

※ワタシとしては「“自力で(=道具なしに)飛べない存在”はまずヒーローとは認めない」って持論がありまして。。

もうちょっと「悪のり」してくれたら『ミステリー・メン(1999)』の領域に近付けてたかも、とも思ったり(⌒〜⌒ι)

まぁ、基本的には「狭いエリア内」で「限られた異能者ら同士」が「最小限の破壊行為」でもって地球の存亡をかけ戦ってくれた活劇ってトコロだろう。
それにしても、何で5人それぞれに“全く異なったパワー”が授けられたのか? 脳組織は宇宙嵐にさらされて何ら影響を受けなかったのか? そもそもあの「自動調節不安定分子素材のスーツ」って何だったのか? と色々疑問は尽きないものである。

〜 ちょっと気付いたことなりと 〜

・宇宙嵐到達時間の計算ミス、あれだけは何故だったのか分かんない(・ω・)
・ヴィクターの故郷である「ラトヴェリア」ってどんな国?(東欧辺りにあるらしいが)
・リードのキャラはジェフ・ゴールドブラム(声:磯部勉)が演じても違和感なかったかも。後先考えずカプセル(テレポッド?)に勝手に入って“失敗”するくだりも『ザ・フライ(1986)』ぽかったし。。
・「どんな姿になろうとも」「どんな逆境にさらされようとも」・・やはり“ヒーローになる”ってことは案外「前代未聞麻薬的爽快遊戯」なのかも知れない(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

スーザン「現実は、計算通りにはいかないものよ」
    「ファンに囲まれる状態がいつまでも続くと? あっと言う間に過去の人よ」

ベン「ないアタマをひねろうとすんな」
  「・・戻るんじゃなかった」

ジョニー「パワーを持ったのには、何か理由がある」

アリシア「人と違うのが悪いこととは限らない・・結局は気持ち次第よ」

| | コメント (0)

2008年1月 5日 (土)

☆『ベオウルフ/呪われし勇者』☆

4日(金曜)夕方の鑑賞。
今年の「劇場鑑賞初め」ってことで、結構期待してた“ヒロイック・ロマン(英雄譚)”の『ベオウルフ』を梅田・ピカデリーで鑑賞して来た☆
この日は実は午後から、両親とご近所の某ラーメン屋でささやかに会食(←なんか悲しいねぇ)をしてたんだが、食べ終わった時点で「これなら、今から出向いても上映開始時間に間に合うかも☆」って感じだったので大阪市内へと単身繰り出すことに!(←お父様&お母様、その節はラーメン美味しぅ御座居ました)
ちょっとムリ(間に合わん)かもな〜と思ってたら、上映開始の5分後に着席が叶い(予告編も数本楽しめて)ラッキーだった(因みに、チケット購入時に訊くと「(上映開始)15分後の本編開始」とのことだった)。

『アイ・アム・レジェンド』はどうにも暗〜いテイストの映画らしく「(新年の)1本目にゃ相応しくないやろ」と勝手に決めて(=^_^=)本作を選んだんだが(でも、本編上映に間に合わなかったら『アイ・アム〜』となっていただろう)・・何だかね、、期待してたタイプの映画じゃなく、かなりガッカリしてしまった。予備知識も殆どなかったからね。。

まぁ、製作陣としては“そこもウリ”だろうから、敢えて書くんだけど・・「全編CG系」なのですなぁ。『FINAL FANTASY(2001)』やら『ゴッド・ディーヴァ(2004)』みたいな、ああ言うテイストですわ。
そこに、そこそこ豪華な俳優陣を「忠実にCG化」して放り込んでくれてるんだけど、これが「静止画」として眺める分には完璧に近い仕上がりなんだけど、どうにもワタシには「動きが奇妙で違和感ありまくり」に見えて仕方がない。。
ストーリーの分かり易さだけは「ハリウッド印」みたいな取っ付き易さなんだけど、登場キャラの人物像とかクリーチャー造形とか、作品世界そのものに対して、陶酔し得る部分が「ほぼ皆無」だったのが残念でしたなぁ・・

507年のデンマーク。連夜、ヘロット王宮の酒宴中に現れる巨大な怪物「グレンデル」の殺戮行為に頭を悩ませていた時の王=フロースガールは秘宝「竜の角(ドラゴン・ホーン)」を褒美とすることで、国中から英雄を募っていた。そして、吟遊詩人のしらべにより、海を越え「グレンデル」の蛮行は他国の人々にも伝え広まって行った・・
そんな中、嵐に猛り狂う海を渡って、歴戦の勇士=ベオウルフ(BEOWULF)とその仲間14人がやって来る。
彼ら(彼1人?)の活躍により「グレンデル」の撃退には成功するものの、フロースガール王は「グレンデルとその母親」について、何かの事情を知っている様子。ベオウルフは腹心の部下=ウィグラーフを伴い、手負いの怪物とその母親を倒すべく国の外れにある雪に閉ざされた洞窟に向かったのだが・・ってな展開。

予備知識がない分、CG化された俳優さんたちの顔を眺め「おおっ!」と驚かされる楽しみはあっただろうか?
フロースガール王:アンソニー・ホプキンス(←ちょっと分かりづらかった)
王の側近=アンファース:ジョン・マルコヴィッチ
王の妃=ウィールソー:ロビン・ライト・ペン(←若い頃のグレン・クローズのCG化かと思った)
沼地の女精:アンジェリーナ・ジョリー(←最も分かり易い)

あんまし、観客のボディには響いて来ないけど(⌒〜⌒ι)ホプキンスの半裸姿とか、アンジー(=アンジェリーナ)の全裸姿とか、それなりに拝めます。アンジーはあの変テコな「ピンヒール」みたいな造形はやめて欲しかったが・・
ベオウルフ役のレイ・ウィンストンと言う男優さん、前半ではCGキャラとして全裸姿で長時間過ごしておられたが、巧い具合に“股間部”を隠す演出に感心したり苦笑したりだった(=^_^=) 画面奥で全裸仁王立ち姿+画面手前に甲冑姿の兵士の頭・・とか、カメラがちょっとでも左右に動くと危ないですなぁ。。

全体的にアクション場面が(予想してたより)しょぼく、CGによるセクースシーンも皆無なのであった。せっかく登場するデンマーク女性陣が美人+巨乳揃いでしたのに〜(・ω・)
でも、自由自在なカメラワークは確かに爽快だし、終盤で老王(?)ベオウルフが「金色の※※※※」と一騎討ちするシーンはなかなかにスゴかったな。あの飛行感とか凄まじい火球の描写とかは一見の価値がある、と言えるかも知れませんわ。

それと、テーマソングなどを歌ってたGlen Ballard(グレン・バラード)なる女性シンガーに興味が湧きますた。ワタシとしては、映像面より音楽面の方が気に入ったかも知んない。
帰宅後「iTunes Store」で検索した限りでは、まだ取り上げられていないアーティストさんでしたが・・。

〜 こんなセリフもイイ感じです 〜

グレンデル「人間は・・騒ぎ立てる」

王「何もせぬ者に、神は何もしてくれぬ」
 「王国には世継ぎが必要。妃よ、汝の務めを果たせ」 ←要は「夜伽(よとぎ)」の誘いやろ!

ベオウルフ「生きたくば、漕げ! お前たちの胆力を見せよ!」
     「死ぬとなれば、其は栄誉のため! 黄金のためではない!」
     「我が名はベオウルフ! “胆力と腕力の権化”なり!」
     「若き頃のオレは弱かったのだ・・済まぬ」
     「敵も語り継がれたいのだ」

ご婦人「あのお方の力は“腕力”と“脚力”だけなのかしら・・?」 ←おっ?!

ベオウルフ「私と来るか?」
ウィグラーフ「何処までも!」

ベオウルフ「・・お前に話していなかったことがある」
ウィグラーフ「今さら、告白など聞きたくもない!」

追記1:ベオウルフ&ウィグラーフの過去の冒険譚「こそ」が知りたいなぁ。きっとデンマークに来る前の方が、もっとスゴい魔物とやり合ってたような気がする(⌒〜⌒ι)
追記2:悪夢により眼を覚ましたベオウルフ。周囲では、彼の仲間がほぼ全員殺されており・・。このシーンで『香港国際警察/NEW POLICE STORY(2004)』を連想しちゃったのは、劇場でワタシ1人なのだろう、か、、(⌒〜⌒ι)
追記3:クリストファー・ランバートは出演してません。念のため(・ω・)

| | コメント (2)

2007年11月15日 (木)

☆『パリの恋人(1957)』☆

12日(月曜)夜の鑑賞。
オードリー・ヘップバーン主演のミュージカルコメディってことで、楽しみにしてたんだが(観るのは確かこれで2度目だが、記憶が殆ど抜け落ちてしまってて・・)、忌々しい残業が長引いたため(=^_^=)(←いや、時間内に終われなかったワタシのせいであろうな・・)帰宅がすっかり遅くなり、結局は中盤ぐらいからの鑑賞となってしまったのだった。。

パリを舞台に、熟年(?)キャメラマン(=^_^=)のディック・エイヴリー(フレッド・アステア)と彼に見初められた新人ファッションモデルのジョー(オードリー)が愛を育んで行く、みたいな展開。
いやはや! 今から半世紀も前にして、物語世界の洗練された明るさ、この映像の鮮やかさはどうだろう!
因みに邦画では『蜘蛛巣城』『嵐を呼ぶ男』『地球防衛軍』などが同年の作。
う〜ん・・どれもちょっと垢抜けてないよ〜な(・ω・)

にしても! どうやら実際には「年の差=30歳」だったらしいアステアおじさま(当時57歳)とオードリー嬢(当時27歳)。。スター同士をカップリングさせる、ちぅ興行的な意図は十分に理解出来るも、、やはり良く考えたらかなり強引かつ不健全(=^_^=)な気もする。
まるでロジャー・ムーア時代の007シリーズみたいだ。。
おじさま、ベッドでそのまま昇天しちまうんじゃないだろうか(←おい!)

オードリーのダンスシーンは珍しい印象だし、ノーカット(長回し)撮影にこだわって、ステッキ技などを炸裂させるアステアは確かにスゴい! この先、半世紀が過ぎたとして、こんなに貪欲で華麗で完璧なダンスをこなせる俳優など、もはや出て来ないような気がする・・(CGが飛躍的に発達したから、ここまで真剣に踊る必要ももはやないし)

脚本家も「何の妨害もないまま「年の差=30歳」(←くどい!)のカップルをすんなりくっつける物語は・・流石にムリがあるやろ〜」と考えたか(=^_^=)、若く(?)てハンサム(?)で知的(そう)なキャラ(=哲学の教授)を登場させるんだが、このおっちゃんがどうにもジョーと2人っきりになると、、哲学そっちのけでネチっこく性欲をムキ出しにしちゃうのがNGだった(×_×) ま、その気持ちも分からんではないんやけどね、同性として。。

ってことで、ラストでは(当然ながら)大胆かつスマートにキスを迫ったりしてた“紳士キャラ”のアステア様がオードリーを射止めちゃうのであった☆

さて、全然関係ないが・・今回、踊るアステアを眺めてて「どうにもドイツ系の顔やんか!」と改めてハタと気付いたワタシ。
早速ウィキペディアで調べてみたら、果たして彼は本名=フリードリッヒ・エストルリッツなる、立派なオーストリア系ドイツ人の俳優さんであることを知った。
確かに容貌だけで判断したら、クルト・ハイマン、なんて言う名前が似合いそうな気もするね☆
(↑どっからそんな名が出て来るんじゃい!)

| | コメント (0)

2007年11月 7日 (水)

☆『バイオハザード2/アポカリプス(2004)』☆

3日(土曜)の夜。シリーズ3作目の劇場公開に併せ、ついに地上波初放送された『バイオハザード2/アポカリプス』を観た☆ 前作(2001)ってば・・私的には「エグいだけであんまし面白くない」が「脚本を更に磨けば、続編でパワーアップし得る可能性はある」って感じに評してた作品であり、(この続編も)そこそこには期待して観始めたんだが、、コレが予想以上にダメダメで、逆に驚いてしまった。。

記憶を失ったまま、全裸で(←設定こそそうだが、実際には「絶妙に隠された描写」なので全然ドキドキしない(・ω・)←『スペース・ヴァンパイア(1985)』におけるマチルダ・メイの女優魂を少しは見習って欲しかった・・)静まり返った洋館内に横たわっていたアリス(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は、突入して来た特殊部隊に同行する形で「地下極秘研究所:ハイブ」の中枢へと向かう。
そここそは、近未来都市(?)ラクーンシティに本拠を構える巨大製薬企業(?)アンブレラ社の擁する秘密の施設であった。

その頃地上では、同社の開発した「Tウィルス」が何者かによって強奪⇒無差別散布され、それに感染した人々が次々とアンデッド(ゾンビ)化して暴動を起こすのだった。アンデッドは基本的に屍肉を貪るのだが・・始末の悪いことに、彼らに噛まれた人間は・・発病までの時間的個人差はあるものの・・例外なくいったん死亡⇒アンデッド化して復活、、と言う繁殖行為を行ってしまう恐るべき存在なのだ。

なんだかんだやってるうちに特殊部隊員らは次々に死んで行き、実は“特殊工作員”だったアリスは驚異的な身体能力と悪運の強さを発揮し、ついに「ハイブ」を支配する人工知能「レッドクイーン」の活動を停止させるのだった。

だが、直後に大挙してやって来た謎の研究員らにとっ捕まり、終盤まで共に戦った環境保護活動家の男=マットとも離れ離れになってしまうアリス。何とか研究施設を脱走し、地上に出てみると・・彼女の眼の前には荒廃した街の情景がただ広がっていたのだった。

・・ってのが前作のおおまかな流れだったと思う。細かいトコは記憶が薄れてしまったが(×_×)

その続きである本編では「Tウィルス」開発者であるチャールズ・アシュフォード博士による外部からの(情報)支援活動を受けつつ、ラクーンシティに集まったS.T.A.R.S(特殊部隊)のジル・バレンタインとカルロス・オリベイラ、情報屋のL.J(=ロイド・ジェファーソン)がアリスと合流、博士のひとり娘=アンジェラをゾンビの巣食う街から救出するべく奔走する約4時間の流れが描かれる。

もしタイムリミットが過ぎると、夜明けと同時に“5キロトンの戦略核”が使用されることとなるのだ・・

個人的に「ゾンビを観たけりゃ、名匠の撮った(過去の)ゾンビ映画を観直すわい!」と思うタイプなので、そこを超えたどんなストーリーが展開されるんやろ? とドキドキしてたら・・『ロボコップ(1987)』の出来損ないみたいなヤツが現れ、お茶を濁しまくってくれた(×_×) 思い出したのが『ロボコップ』と『プレデター(1987)』のパチもん映画である『ロボウォー(1988)』である! レブ・ブラウン主演によるうさん臭いイタリア産のSF映画、、いやーアレはスゴかった。。

まず、全体的にキャラの使い方を間違ってるように思った。基本ザコキャラなのに、妙に逞しく生き延びるヤツがいたり、大事なキャラなのにさっさと殺され、何故か撃たれただけなのに勝手にアンデッド化するヤツがいたり、大した階級でもないくせに、自己判断で核(兵器)使用を命じたり、さっきまで出番すらなかったのに、いきなりアンブレラ社を牛耳らんとする勢いすら持つヤツが現れたり(←きっとコレは“和製特撮ヒーロー(仮面ライダーシリーズなど)”番組におけるテキ幹部の描き方を参考にしてるんだと思う)・・とどうも観てて落ち着かない。

主人公アリスのキャラも、(女性としての)弱さを究極まで削り取ってる割に、クールさ&クレバーさで突き抜けた性格付けにはイマイチ仕上げられておらず『エイリアン』シリーズのヒロイン=リプリー(シガニー・ウィーバー)などと比べても、明らかに軽薄で迫力不足な感が否めなかったな。

・教会の隠れ家で、アンデッド化した身内に屍体(の一部)を与えてる猟奇神父
・自己紹介の直後に殺されてしまうアホ軍人(ニコライ・ジノヴィエフ軍曹)

と言った“美味しいキャラ”は確かに存在するものの、全体的にはやはりダメダメな作品だった。

〜 その他、気付いたトコロ 〜

■アンデッドは「物音に寄って来る」そうである。
■フェンスの高さをも軽々と飛び越えるアリス! 何と超人的な跳躍力! 『ドラゴン危機一発(1971)』のブルース・リー演じた主人公よりも高かったかも知んない(⌒〜⌒ι)
■アリスとジルの共闘ぶりもまた「イマイチ」だった。
■基本「夜の物語」である本作。色彩表現的に言えば、特撮面でも安くついたんじゃなかろうか?(←邪推だが)
■ヘルメットも砕け割れる警棒の一撃! 何とまぁ。。
■監視カメラごしに、警備スタッフを念じ殺す(?)アリス。あれはどんな能力なんだ?!
■核爆発で完全に破壊された筈のラクーンシティの市街地が、また終盤に登場してた。何処かおかしい(・ω・)

〜 こんなセリフもあった 〜

ケイン少佐「コンピュータなどあてにはならん、人間と同じだ」

※終盤で発動する“アリス・プロジェクト”・・だが、衛星からの指令電波(?)さえ遮断出来れば、何とか出来そうな気もするネ(・ω・)

| | コメント (0)

2007年11月 6日 (火)

☆『僕の彼女を紹介します(2004)』☆

放置状態だった「映画メモ」を起こしてみます、な感じで・・(・ω・)

10月22日(月曜)に地上波初放送の韓流恋愛映画『僕の彼女を紹介します』を録画レスで鑑賞した。
暴走婦警=ヨ・ギョンジン(チョン・ジヒョン)とダメダメ高校教師=コ・ミョンウ(チャン・ヒョク)の2人を主人公に、喜劇から悲劇へ大きくカーブを描くかのような波乱の恋愛ドラマが展開するッッ!

何がスゴいって・・中盤から「死がテーマなのか?!」と叫びたくなるぐらいにとことんねじれてゆく物語世界のことである。脈絡もなく(?)落石事故が起こったり、誤射事件が起こったり・・ともうムチャクチャである(×_×)

冒頭、周到に(設定の)構築された「学園モノ」の好テイストは・・何故にこうあっさりも破棄されてしまったんだろうか? 職業教師である以前に、1人の男として、雄々しく巨悪に(?)吠えたミョンウの言動に“不覚にも”カッコええなぁ・・と感心してしまった自分が情けなくなったぞぅ(×_×)

ってことで、ミョンウの“教師としての”ドラマは早々にカットされ、あとはひたすら暴走婦警の“取って付けたような”凶悪事件やら、お騒がせのドラマやらが展開したに過ぎないのだった。

ちょっとだけ作品(のネタ)に触れると、、後半ぐらいを観てて、正直ワタシは「現実と妄想がだんだん渾然一体になって来とるぞ! お前はいわゆる『ヴァニラ・スカイ(2001)』かい!」と突っ込みたくなってしまったモノだった。

コレが終盤ともなると『ゴースト/ニューヨークの幻(1990)』ぽい演出も加わって来たりして・・「この状態でどうオチにもって行くんや?!」とハラハラしてたら・・『ダークマン(1990)』のラストに酷似した「ノリの強引さ」をまぶしながら『猟奇的な彼女(2001)』の作品世界に絶妙に着地させた、、ってトコだった。
『猟奇的な〜』を観たひとにすれば(あのラストは)“喝采もん”かも知れないが、反面チャン・ヒョクの存在って一体どうよ・・ちぅ“後味の悪さ”がどうにも残ってしまったワタシである。

〜 印象的なセリフなど 〜

ミョンウ「金があろうが、力があろうが、悪いもんは悪いんだよ!」
    「君が必要としてるのは・・召使いか?」

ミョンウ「どうして助けてくれた?」
ギョンジン「後を追うの、イヤだから」

医師「彼女は生きようとしている・・生きたがっている・・」

追記1:まるで『リーサル・ウェポン(1987)』におけるメル・ギブソンのように“※を懇願する”主人公。しかし、そういう時に限って“弾丸がその身を避けて通る”モノなのかも知れない。。
追記2:前半の麻薬取引現場の銃撃戦。どうやらギャグ調らしいんだが、ヴィジュアル的には「かなり凄惨な現場」となってましたが・・
追記3:「自分の彼女」を紹介するにあたり“そんな場面”を選んでナレーションしなくても、と思うが。。
追記4:韓国の警察官は“超特権階級”なんだろうか。ギョンジンちゃん、あれだけのことを次々にやってたら、流石に“裁かれる”のが現実だと思うんだけど(・ω・)

| | コメント (0)

2007年11月 2日 (金)

☆『パンズ・ラビリンス』☆

1日(木曜)。以前から狙ってた映画『パンズ・ラビリンス』をようやく「公開期間中」に「スクリーンで」鑑賞する機を得た☆ ・・と言うか、半ば強引に観に行った次第(・ω・)
そもそもは「なんばパークス」内にあるシネコンで観るつもりだったが、(仕事後に合致する)上映開始時間が午後9時前とやたら遅く・・ひいては終了時間⇒帰宅時間が遅くなってしまうことに我慢出来ず、ネットで調べ「アリオ八尾」なる地方都市(?)のショッピングセンターの上層階にある「MOVIX八尾」ちぅシネコンで観ることに決めた。

地下鉄⇒近鉄電車・・と乗り継ぎ現地へ向かったが・・鶴橋を過ぎたぐらいから、(慣れない移動方向に)妙に心細くなってしまったり・・。八尾駅に到着してからも、目指す「アリオ」までの間が思った以上に賑わっておらず、まるで『メン・イン・ブラック(1997)』の公開当初、混雑を恐れる余りはるばる出向いた奈良・大和高田市内の小劇場の周辺(商店街)が異常に寂しかったことを思い出してしまった(⌒〜⌒ι) ←因みにその時って館内もまたガラガラだったのも印象的である。。大阪市内との温度差を肌で感じた(・ω・)

狙っていた訳ではなかったが、本日=1日=サービスデーってことで、料金が1,000円で済んだのは少し嬉しかった。まぁ、その分売店でポスカ(ポストカード)買ったり、軽食コンボセットを買ったりしたので、結果的にそんなに安くはつかなかったけど。。

さて本編。『ミミック(1997)』『ブレイド2(2002)』『ヘルボーイ(2004)』などを手がけたギレルモ・デル・トロ監督によるメキシコ+スペイン+アメリカ合作映画。
1944年、内戦直後のスペインのとある山岳地帯を舞台に描かれる“ダークファンタジー”である。
物語の約半分こそは、主人公である少女オフェリアの体験する“おとぎ話”的要素に満ち溢れた、ファンタジックな冒険物語なのだが、一方で彼女は“逃避したくなる”ほどの現実の過酷な生活に怯え、喘ぎながら過ごしている。「戦乱の現実世界」と「疑念と苦しみと試練に満ちた空想世界」・・このどうしようもないデュアルな環境に放り込まれたオフェリアの行動を、我々もまた間近に眺めさせられる訳だが・・予期していた以上に「苦くて」「痛い」作品であった。

本作って「PG12」なる年齢制限付きであるが、例え13歳であっても、作品の意図する「面白くない面白さ」を理解するのはかなり厳しいんじゃないかなぁ〜と。ある意味“救いようのない”展開は・・私的にかの『ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)』を連想してしまった程である。。

昔々の物語・・この世界のはるか地底に広がる“魔法の王国”から、“天上の世界”に憧れる“モアナ王女”がとうとう出国を試みたのでした。しかし、地表に足を一歩踏み出した瞬間、彼女は燦々と降り注ぐ激しい陽光により、記憶を奪われてしまいます。
それきり戻っては来なかった娘に対し、国王は「例えその肉体を失い、魂だけになってしまったとしても・・モアナは必ず別な時代、別な世界からここへ戻って来る・・それまではいつまでも私は王女の帰りを待つ」と従者のパン(羊の頭を持つ二足歩行の守護神)に告げるのでした。
そして、小さなフェアリー(妖精)たちを従えたパンは世界中に瞳を巡らせ、転生した“モアナ王女”を見つけ出し、この世のあちこちに隠された“入口=扉”から彼女を王国へ連れ戻そうとしているのです。

こんな物語がベースになっていた。

このおとぎ話がオフェリア自身の創作(妄想)なのか、実際に何かの作品に基づくものなのかが、イマイチ分からなかったワタシ(・ω・) そこ、かなり重要なポイントなんスけどね。。
本来“案内人”である筈のパンは、彼女に次々と過酷な試練を与える。時には「何をしてる? 早く試練に挑め、お前の都合なんか関係ない」とか「うまく行った・・」などと“ダークな本質”をチラリと(セリフに)垣間見せたりする。
私的にはこう言うヤツ、自分の中で一番「信用できんタイプ」ですなぁ(=^_^=) 何だか『ドニー・ダーコ(2001)』に出て来たヘンテコなウサギを思い出したなぁ。。

オフェリアに与えられた試練は3つ。
1つ目では、母カルメンから与えられた“贈り物”を台無しにし、彼女を失望させる展開に。
2つ目では、自身の“欲望”がむき出しにされ、パンに失望を与える展開に。
3つ目では、更に過酷な選択を迫られることに。

特筆すべきは、やはりビジュアルイメージが強烈過ぎる「2つ目」であろうかな。。何気ない空間に、ポソッと“おっそろしい奴”がいるんだが、コレがまた「夢に出て来るほど」のインパクトなのだ。絶対に出会いたくない、こいつに背中は向けたくない・・そんなクリーチャーでした。このシーンの“ビジュアルショック”だけは確かに「PG12」級でしたねぇ(⌒〜⌒ι)

終盤では、庭園(?)の奥に設けられた石壁の迷宮で追いかけっこをするオフェリアと※※。不謹慎ながら『シャイニング(1980)』の終盤を思い出してしまいました(=^_^=) ←どうせだし雪降って欲しかったり☆

ってことで「“痛み描写”があちこちに溢れてて、全体的に暗く、どうにも救いようのない物語世界」「良く良く考えたら・・誰かが誰かをダシにしていた相関関係」「笑いも涙も皆無な作品世界」「本作の監督ってば“S”かつ“M”なのでは?」みたいなことを入れ替わり立ち代わり考えてしまう映画でもあるんだが「スペイン史にこんな凄惨な一幕があったとはつゆ知らず、随分と勉強になった」のも事実であり「戦時下の狂気を肌で感じる」とか「シーンの先に描かれるであろう“恐怖”にドキドキする」などと言うのも、それはそれで正しい鑑賞法と言えるのかも知れない。

因みに、結論としては「エンタテインメント性」という部分で、どうにも容認出来ない「欠落感」が心中に渦巻いているワタシであり、諸手を挙げて「素晴らしい! 万人向けです!」とは言えない作品と評したい。
もちろん物語としての完成度はすこぶる高く、普遍性もあり、考えさせてくれる作品ではあるんだが、その完璧さこそが却って「話題作を“アホネタ視点”で袈裟斬り(袈裟がけ)にし、ふざけたレビューに仕上げたがりたいワタシ」とすれば、酷な物語でもあるわけなのだ・・(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

オフェリア「なぜ再婚なんか?」
カルメン「1人がつらかったのよ」
オフェリア「1人じゃない、私がいるのに・・」
カルメン「大人になれば、あなたにもこの気持ちが分かるわ」

カルメン「赤ちゃんを生むことって大変なのよ」
オフェリア「じゃあ・・私は一生、生まないわ!」

ビダル「それはお前の意見か?」
フェレイロ「医師としての意見です」

ビダル「(私と握手するのなら)(本を抱えたお前の)右手を出せ」
   「男児たるもの、父のいる地で生まれるべきだ」
   「しっかり荷物を調べてから、私を呼べ」
   「この山は血塗られてはいない、むしろ“清められた地”なのだ」
   「最初に(拷問に)使うのはこんな“平凡な道具”だ。だが、こいつを使うとなると・・状況が変わる。
    こちらを使う頃には・・我々とお前の間に“ある種の絆”が芽生えてさえ来る。
    そして・・これを使った時、お前の口から語られる全ては“真実”だ」

メルセデス「“パン”には気を付けろ、と母が言ってたわ」

※※「いつか我が子に伝えてくれ・・父が勇ましく死んだ瞬間を」
※※※※※「あんたの名さえ、教えないわ」

オフェリア「あなたの言葉は真実なの?」 ←このセリフは深い! 実は自問でもあり・・
     「弟よ・・あなたの外の世界は、決して平和じゃないわ」

パン「うたた寝してる奴は、人間ではない」 ←確かに・・

フェレイロ「いいや・・これは負け戦だよ」
     「何の疑いもなく、ただ従うなど・・私に言わせれば“心ある人間”の行いではない」 

※「我々は、生まれ落ちた瞬間から“原罪”を背負っている」

追記1:冒頭の「鼻血リバース」が『メメント(2000)』調で、のっけからショッキングだった。。
追記2:状況によっては“少女ヌード”も描くことは出来たのに、そっちに逃げなかったストイックな(?)演出は天晴れである。
追記3:「王国に至る近道」とは・・。。
追記4:どっちかと言うと“ゲリラ側”を正義っぽく描いてるかと思わせつつ、シーンによっては彼ら(ゲリラ)なりの徹底的な殺戮描写(倒れた兵士の頭部にトドメの銃撃)もあったり・・。

| | コメント (3)

2007年10月22日 (月)

☆『ホワイト・バレンタイン(1999)』☆

16日(火曜)の夜。衛星第2で放送された韓流(はんりぅ)恋愛映画『ホワイト・バレンタイン』を観た。
主演女優さんがチョン・ヒジョンと言う名で、(その時は)ちょっとピンと来なかったんだが・・後で『猟奇的な彼女(2001)』のヒロインの娘(こ)だと知った。うぉ〜! ソレ知ってたらもそっと気合入れて観たのに〜ん(⌒〜⌒ι)

少女(中学生)の頃から恋に恋してた(?)ジョンミン(チョン)は、兵役義務軍人であるオトナの男性との5年に及ぶ文通を経たが、実際に彼女の住む街に逢いに来た彼と面と向かうことが出来ず、文通もそのまま途絶えてしまった。
何故ならば・・彼女は「女教師」と言う偽りの年齢と肩書きを演じ続けていたから・・
そして数年後。祖父の経営する「希望書店」の手伝いをする彼女の部屋の窓辺に、1羽の白いハトがやって来る。その足にくくり付けられた手紙の存在に気づいたジョンミンは、その手紙に返事を書き、ハトに託すのだった。
そうして、新たな文通が始まったのだが・・みたいな展開。

一方で絵本描きを(漠然とながら)目指す多感な20歳の少女を、また一方で恋人を事故で失い、未だ完全に立ち直れないままに日々を生きる青年パク・ヒョンジュンを描く。
2人の日常を同時進行で映しつつ、直接的な(=相手を意識した)語らいは“伝書鳩”がその大役(?)を担う。ケータイ全盛の現代のニッポン人からすれば「まどろっこしいんじゃ〜い!」と突っ込みたくもなるが、そう言う古き良き時代の恋模様が妙に微笑ましく思えてしまうのは・・単にワタシが歳をとったせいなのでせうか(×_×)

ただ、恋愛映画に欠かせない(⌒〜⌒ι)要素ではある「死」が本作では2つも盛り込まれており、やや劇中死過剰な演出だったかも。。

韓国映画って、考えたら「現代が舞台の邦画」では絶対に描けない(?)「兵役」をネタに出来るんやな〜と再認識。(恋人たちの)別れの大きな理由がそこまで“でっかくて不可避”だと・・描き易く、観る者の共感も大きく得られることだろう。
(↑ワタシが「兵役」を肯定している訳ではありません!)

惜しむらくは、ヒョンジュンに似た感じの青年(もっと若く、ジョンミンと同世代ぽい設定だったが)がもう1人登場したため、どっちがどっちだか、シーンによっては分かりにくかったトコか。。

作品世界そのものは“少女漫画の王道”ってな趣を全体的に感じたんだが、ガジェット(小道具)類が発達してなさそうな、そんな世界観が巧く表現出来ていたと思った。ラストの雪景色も「取って付けました」度はそんなに高くなかったし(・ω・)

こういうテンポ&ワールドな作品にのんびり(最後まで)付き合えたトコロを見ると・・まだワタシの心にも何処か余裕が残されているのかも知れない、かな?

〜 こんな台詞もありました 〜

ジョンミン『1日に1回、特別なことが起きて欲しい・・それって欲張り?』
     『かつて独り言に疲れたとき、私に元気をくれる人がいました。
      あなたにとって、私もそんな人になれるかしら?』

ヒョンジュン『もう少し独り言に慣れたら・・相手の声も聞こえて来るのです。
       まるで隣にいるかのように・・』
      『ヨニ(亡くなった恋人)に逢いたい。夢の中でいいから、せめて一目でいいから。
       僕に答える君の、声は聞こえるが・・その顔は記憶の中にかすんでゆく』
      「人の近くにいると、傷つくものなんだよ・・ハトは」
      「(彼女は)知り合いではありませんが・・知り合いたかった人です」
      「情が移ってるヤツと、ケガが治ってないヤツは連れて行くさ・・慰め合わないと」
      「人生は思い通りになりそうでいて、ならないものだ」

祖父「家族を飢えさせる仕事だぞ、物書きや絵描きなんてものは・・」
  「誰かがお前に魔法でも? 随分と大きくなったものだ」

婦人「本当に親しい人との絆は・・1日で壊れたりはしないわ」

| | コメント (0)

2007年10月19日 (金)

☆『フェーンチャン/ぼくの恋人(2003)』☆

ノートPCを(再修理で)預けてる間(←結果的にはわずか3日間だったが・・)ってば、どうにも脱力感を覚えてしまい、何事にも手がつかなくなってしまう心境となってしまったが(←確かに「寝るまでの時間」がやたら長く感じられた(=^_^=))、久々にゆったりした気持ちで映画でも観よう! ってことで、衛星第2で放送された『フェーンチャン/ぼくの恋人』をメモを片手に(=^_^=)観た。

これまでは『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団(1974)』とか『マッハ!!!!!!!!(2003)』ぐらいしか、積極的に観て来なかった“タイ映画”なんだが、日本でも流行ってる(流行らせられてる?)“少年時代懐古モノ”としては、なかなかに出来が良いのである。
前述の『マッハ!!!!!!!!』と同年の作品やったんか!? ちぅ軽いサプライズもあったりしたが・・(⌒〜⌒ι)

故郷であるペッチャブリ県を離れ、今は首都バンコクで暮らす主人公=ジアップ青年。母から架かって来た携帯電話にて、彼は幼馴染みだった女の子=ノイナーが挙式を行うことを知る。別な結婚式に呼ばれていたジアップだったが、小学生のころを一緒に過ごした“初恋の女の子”の記憶が次々によみがえると共に・・彼のクルマは故郷へと向かうのであった・・

タイトルの「フェーンチャン」とはタイ語で“ぼくの恋人”って意味らしい。そのまんまなんやね(・ω・)
冒頭と終盤を中心に「現在のジアップの姿」が断片的に描かれるが、これがなかなかにリッチマンぽくて面白い。携帯電話でクライアントと話したり、ホンダのCR-Vを乗り回したり(車載オーディオはまだ流石にカセットテープ媒体だったが・・)。

ストーリーとしては、前半でノイナーと(少年時代の)ジアップとの仲良し生活が、中盤以降で(ジアップと)悪ガキグループ(5人衆)との関わりが描かれる。ちょうど、女友達のグループに呼ばれ、まだ下心すら芽生えることなく(=^_^=)楽しく遊びつつも・・ぼちぼち男友達のグループに入(はい)れてない自身に、焦りとか違和感を感じ始める・・そんな頃なのだ。
成長してから考えたら「そんな頃ぐらいこそ、もっと女の子と遊びまくっておくべきだったぞ」と思うんだが(=^_^=)、当時はやっぱり焦ったんやろねぇ・・

悪ガキ5人が、パッと見にはうっとうしく、ぶっ飛ばしたくなるんだが(=^_^=)・・良く良く眺めるに、なかなかにみなキャラが立ってて面白い。食いしん坊のデブ=ジャック(いわゆるジ※イアン系)をリーダーに、プリック、マノート、ディー、ボーイの面々。私的には、マノート君が“小宮孝泰入ってます、ケンタイキです”な感じで、顔が映るだけで面白かった(=^_^=)
また、親が名士でめちゃめちゃ金持ちらしいのに、小柄な体躯と気弱な性格ゆえか、ジャックに服従するクセのついちまってるボーイも「ジアップと何か話したそうにしながらも、ジャックらに名を呼ばれ、そっちに行ってしまう・・」この辺りの“後ろ髪は引かれるンだけど、ボク行くね、だってあいつら怖いからサ”的な無言演技はちょっと“みせて”くれますね☆
因みに劇中で唯一、ジャックを殴るキャラがいたが、あの演出はイイと思うな。

「度を超え、我慢出来ない時は拳に訴える。けど、明日になればお互いにもうそこには触れない」

コレが社会人になると・・「我慢するしかない」「拳になど訴えられない」「どうにも後々まで触れられる」・・とストレスも飛躍的に高まりますし(⌒〜⌒ι)

ジャックはいつも「早く来い!」と命令口調なんだが、これも唯一「おいで・・早く行こう」と年長者らしい“大人の優しさ”を発揮するセリフを放ってくれ、観てて救われた気がした。尤もこれは、日本語訳を手がけられた方の“優しさ”のにじみ出た割合が“大”なんかも知れないが・・(・ω・)

少年期のジアップを演じたチャーリー・タライラット、そしてノイナーを演じたフォーカス・ジラクン。この2人の雰囲気はとても素晴らしい。特にジラクンちゃんってば本作の出演後、国民的アイドルとなったそうで、それも頷ける。
『初恋のきた道(1999)』におけるチャン・ツィイーもそうだったが、やっぱり“お下げ髪”の与えるヒロインの清純なイメージは強烈なのれすね。。

考えると、ノイナーが“お下げ髪”をやめてしまった後半、既に彼女はジアップとの将来にまで想像を至らせてしまってたのかも知れない。表面的には「大人になる少年」を描きつつ、実は「大人になる少女」をこそ、本作で製作陣は描きたかったのかも知れません。

追記1:劇中で「任天堂ゲームウォッチ」が登場。それもデュアル液晶型の「ドンキーコング」。懐かしいなぁ・・
追記2:ジアップ少年が「ドラえもんTシャツ」を来ていた。アレって正規もんだったんかな?(・ω・)
追記3:中盤で少年らによる「カンフーごっこ」のシーンが描かれるが・・ここ、やたら映像の完成度が高いっす! ワイヤーアクションもきっちりやってるし・・
追記4:本作の監督は何と総勢6人! ギャラ面とかでもめなかったんやろか(苦笑)

| | コメント (0)

2007年10月 9日 (火)

☆『バットマン/ビギンズ(2005)』☆

5日(金曜)。地上波初放送されたのを鑑賞。仕事の帰りに『iPod touch』のシリコン製ケースを求め、心斎橋からなんば(パークスの更に向こう・・)まではるばる(?)歩いたもんで、ちぃと帰宅時間的に「冒頭ぐらいは見逃すかな〜」と不安だったが、探してたブツもなく(どうやらまだ発売されてなかった模様・・ぐふぁっ!)とっとと帰路につけたため、放送開始にも間に合った(=^_^=)

80年後半、ティム・バートン監督により第1作の映像化された“闇のヒーロー”バットマンの「新」シリーズ最新作。「お前はジェームズ・ボンド(英国諜報部員:007)かい!」って突っ込みたくなるほどに、次々とバットマン=ブルース・ウェイン卿を演じる男優が変わって来たのも本シリーズの特色。今回の第5作では、監督に『メメント(2000)』『インソムニア(2002)』『プレステージ(2006)(←未見・・)』のクリストファー・ノーランを迎え、主演男優はぐぐっと若返って(?)クリスチャン・ベール。

※考えたらベールと(執事役の)マイケル・ケインってば『プレステージ』にも出演(共演)してるんやね。。立て続けの起用ってどうなんやろ・・(・ω・)

確かに今や紛うことなき大物俳優となったベールではあるも、私的には『リベリオン(2002)』における主人公役のインパクトが強烈過ぎ、しばらくは(彼が)どんな映画にどう主演しようとも、そのイメージは払拭出来そうにない・・本作も然り。

アメリカの中枢をなす架空の都市=ゴッサム・シティ。大富豪・ウェイン家を継ぐトーマス・ウェイン卿(本職は外科医)は妻マーサ、ひとり息子ブルースを連れオペラ鑑賞に出かけた帰り、暴漢に襲われる。その凶弾により両親を一時(いちどき)に失ったブルース少年は「蝙蝠(闇の象徴であり、誤って井戸に転落した彼に心的外傷を与えた存在でもある)を恐れる気持ち」と「悪を憎む気持ち」を静かに増幅させながら成長する。

14年後。逞しい青年に育ったブルース(ベール)は、父母を殺害した男=チルの公聴会に出席する。復讐の機をうかがっていた彼は、これ幸いと裁判所の廊下で拳銃を隠し持ち仇を待ったが、チルは街を牛耳る犯罪組織のボス=ファルコーニの差し向けた女刺客にひと足早く射殺されるのだった。

街の誰もが恐れるファルコーニに臆することなく会いに行ったブルースだが「富豪のお坊ちゃん」と軽くあしらわれ、部下らの手で店外に放り出されてしまうだけだった。路地に這いつくばりながら、ブルースは「街を支配する巨悪の存在」を身をもって知る。そして「悪と戦う力を、悪と戦う方法が知りたい。街を蝕む巨悪に恐怖を与える方法を」と考えた彼は「超越した力」を求め単身、世界を放浪する・・

チベット(?)の奥地・・ヒマラヤ山中。そこで“影の同盟”なる秘密結社(?)に合流した彼は、リーダーであるラーズ・アル・グール(渡辺謙)の監督の下、教官ヘンリー・デュカード(リーアム・ニーソン)の実技指導を受けメキメキと暗殺者(?)としての腕を上げて行く。

7年後。再びゴッサム・シティに帰還したブルースに、もはや迷いはなかった。
かつてはウェイン産業(父トーマスの設立した企業)の役員だったルーシャス・フォックス(モーガン・フリーマン)の応用科学技術と、ゴッサム市警の“最後の正義(←買収されていない男)”たるゴードン巡査部長(ゲイリー・オールドマン)の情報力を武器に、ブルースは“バットマン”としての正義の羽ばたきを静かに開始するのだった・・ってな展開。

ワタシとしては「※※※※※が父母を殺害した仇敵」って設定がとても運命的・脚色的に素晴らしいと思ってたんだが、どうやらそれは第1作(1989)のティム・バートン監督による“リ・イマジネーション(=^_^=)”らしく、今回のストーリーこそが原作版コミックの流れに沿ったある意味「本来の形」らしい。

公開当時、劇場で鑑賞したが、その際は「渡辺謙」の言動にのみ集中して観てたようで(⌒〜⌒ι)全体を流れる「思想」みたいなモノまでフォローし切れてなかったが、今回は「正義とは? 悪とは?(=善悪論)」って言う部分の根本的な「ヒーロー哲学の骨子」が色んなセリフの中で描かれており、そこが素晴らしかった!(バットマンと言うヒーローが、どうにも“戦ってるより悩んでる時間の方が多い”そんなうじうじ野郎にも思えたり(=^_^=))

幼馴染みの女性、レイチェル・ドーズ(ケイティ・ホームズ・・トム・クルーズの現・嫁さん!)が地方検事補としブルースの公私に絡んで来るが、恋愛相手のイメージはかなり薄く、その割にバットマンの正体を知ってしまうトコは「(次に)引っ張ればエエのに、勿体ないなぁ・・」と感じた。

その点、真の夫婦関係と言おうか・・突出してたのが、執事アルフレッド(マイケル・ケイン)の巨大な存在感。両親亡き後の(ブルースの)後見人然とした立場に加え、メンタル面でのフォローを一手に引き受けている。まるで“先代バットマン”ででもあったかのようなキャラの分厚さである・・
劇中では傷つき倒れたブルースを2度(←確か)までも「窮地」から救い出す。うち1度など、高所で動けなくなっていたバットマンをクルマで迎えに行くのだ! どんな救出シーンが展開されたのか、ちょっと想像しにくいぞ(・ω・)
どうせならアルフレッド自身の息子とかを登場させ、実務的フォローをさせ、その少年が次作以降でバットマンの相棒(助手?)である※※※となればエエのでは、とか思うが。

何故だか(ニッポンじゃなく)ヒマラヤに本拠を構える“ニンジャ組織”とし描かれる「影の同盟」。正義に燃える組織かと思えば、現地人を誘拐・監禁・殺害してたりして何だか良く分かりませんし。。
「とある使命」を自負する彼らは、世界の歴史(もちろん裏歴史・・)の中で、あちこちの(退廃した)都市に遠征し“コト”を行うんだが・・“ニンジャの歴史”と比して考察すると、途端に説得力がなくなってしまうよ〜な。
もの凄い「毒」を精製することに成功するも、そのワクチンすら開発出来てないし(フォックスが難なく開発するトコがすごい! 同盟は彼をとっとと誘拐⇒洗脳すべきだったぞ(・ω・))

ブルースを鍛えるデュカード。氷原で剣術の指導をするんだが、かなり『スター・ウォーズ・エピソード1/ファントム・メナス(1999)』におけるクワイ・ガン・ジンのイメージとダブる。ま、元々・・リーアム兄さんご自身が『ダークマン(1990)(notどおくまん)』なるダークヒーローを演じてたこともあるんだけど。

さて、もう1つ、今回の鑑賞で楽しんだのが“等身大(=^_^=)のアンチ・ヒーロー”としゴッサムを暗躍する精神科医のドクター・クレイン(キリアン・マーフィー)。ボロボロの麻袋&怪し気なガス攻撃で“スケアクロウ”なる怪人を演じるが、何の超人的身体能力も備わってないくせに、妙に作品全体を引っ掻き回してくれるのだ。どうやら続編にも登場しそうな様子なので、楽しみにしたい(=^_^=)
※私的に『エレファント・マン(1980)』を連想してしまったかな。。

その他、こんなトコに突っ込ませて下さいよッ!(=^_^=)

■「タンブラー」と称される巨大装甲車が本作での“バットモービル(=バットマンカー)”なんだが、いかんせんパトカー相手に逃げまくるだけ、ってな用いられ方がイマイチやな〜と(・・にしても、あのカーチェイス、、パトカーの警官が複数名ほど殉職してるんじゃ?)。公道で破壊の限りを尽くしたバットマンは後で「こっちも必死だ、ルールを守っている余裕はない」とか切り捨ててましたけど(⌒〜⌒ι)
■最後にちょこっとだけ登場する宿敵※※※※※。何か単なる「仮装したチンピラ」みたいに解説されてたけど。。
■渡辺謙さん、、本作程度の起用なら、、オファー(出演)を断っても、、良かったんですよ(⌒〜⌒ι)
■ルトガー・ハウアー(アール社長役)も何か人物像が弱かったなぁ・・
■ゲイリー・オールドマンも“クセ”がなさ過ぎてどうにも・・ねぇ。本作のキャラならウィリアム・H・メイシーの方がより「らしく」演じてくれたんじゃないの?
■終盤のシーン。映像の大半が“ガスってて”何が何やら分からんトコがありました。。
■あんな形の手裏剣がホントにちゃんと飛ぶの?

〜 素晴らしかったセリフ群 〜

トーマス「人は何故落ちると? それは這い上がることを学ぶためだ」
    「生き物はみな恐がりなのだ、猛獣は特にな」
    「ブルース、大丈夫だ・・恐れるな」

ブルース「(放浪の中で)飢えに負けて盗みを働いた時、それまで単純と思っていた善悪の判断がつかなくなった」
    「人々を動かすには、特別な衝撃が必要なのだ」

デュカード「戦いにおいて、トリックは武器となる」
     「確かに“戦いにおいて、トリックは武器となる”とは言ったが・・君のは少々やり過ぎだ」
     「戦おうとしなかった者が悪い、より重要なのは訓練ではなく、戦う意志だ」
     「恐怖を克服したければ、己が恐怖の存在となれ。自らが忌まわしい存在にな、暗闇を味方に」
     「存在の痕跡を残せば、負けだ」

ブルース「僕をまだ見放さないのか?」
アルフレッド「もちろん」

アルフレッド「私はお父上からあなたを託されたのです」
      「お父上の遺産は、このお屋敷だけではありません」

ファルコーニ「わしの力はカネの力ではない、恐怖の力なのだ」
      「理解出来ないモノをこそ、人は恐れる」
      「知らん方がいい、人の秘密を知り過ぎるとロクなことにならんぞ」

レイチェル「正義と復讐は違う。正義とは秩序。復讐なんて・・単なる自己満足に過ぎないわ」
     「人の心は見えないものよ、その行動でしか分からない」

ブルース「君ひとりじゃ世界(=ゴッサム)を変えられない」
レイチェル「でも、やるしかない」

フォックス「(開発した素材を何に使うかは)言いたくないなら言わなくていいんです、私も知らない方が楽だから。
      ・・だが私もバカじゃない」

アルフレッド「何故、蝙蝠をシンボルに?」
ブルース「僕にとっての“恐れるモノ”だから」

バットマン「神にではなく、オレに誓え!」

※※※「慈悲は弱みになる、言ったはずだな?」
   「この街はもはや腐敗し切っている、我々が容易く入り込めたのがその証拠だ」
   「森が育ち過ぎると・・何処からか山火事が起こる」
   「正義とは、バランスだ」
   「我々の狙いは1つ・・パニックだ」
   「恐れねばならないものは・・恐怖そのものだけだ!」
   「信念を貫く決心が出来たのか?」

フォックス「私は解雇されたから、入館証が無効になってるのですが?」
ブルース「あんたなら、何とでも出来るだろう?」
フォックス「勿論」

ゴードン「我々(警察)がセミオート銃を使えば、犯罪者どもはフルオート銃を持ち出して来る・・つまりは、イタチごっこだよ」

教訓 ・・ 命がけで助けた相手が、いずれ敵となることもある(・ω・)

| | コメント (2)

2007年9月14日 (金)

☆『ブルドッグ(2003)』☆

13日(木曜)。今夜も残業が2.5時間ほど長引いてしまい、かなりヘロヘロ状態となってしまった。まだまだ皆さん、頑張るおつもりらしかったが、こちとら明らかに効率が下がって来たのと、とっとと帰宅して楽しみたい映画があったため、20時を回ったぐらいで勝手(失礼)させて頂いた。
んで、何とか放送開始の「約3分前」に自宅に辿り着くことが出来、観ることの叶ったのが「木曜洋画劇場」で地上波初登場となったヴィン・ディーゼル主演作『ブルドッグ』である(・ω・)

DEA(米国司法省麻薬取締局)の捜査官、ショーン・ヴェッター(ディーゼル)は7年越しの潜入活動でいよいよメキシコを中心に暗躍する麻薬組織のボス、メモ・ルセロの逮捕に成功する。
「とんでもないことをしたなお前、取り返しのつかんことになるぞ、誰にとってもな・・」と不敵な言葉を吐きつつ連行されるルセロ。
久しぶりにロサンゼルス(郊外?)の自宅に戻ったショーンは、愛妻ステイシーとのひとときを過ごすのであった。

そんなある夜、自宅が襲撃され、辛くも犯人グループを撃退したショーンであったが・・意識を失った彼が病院のベッドで目を覚ました時、彼は同僚ディミトリアス・ヒックスの口から、トレイシーがその際の銃撃で帰らぬ人となり、既に埋葬も済まされてしまった事実を知る。
静かな怒りをたぎらせつつ、退院したショーンは獄中のルセロに襲撃の命令を下したのかどうかを問いただす。
その結果、捜査線上に浮かんで来た名があった。それはルセロなき後、急激な勢いで彼の勢力圏を塗り替えて行く新しい麻薬組織のボス、“ディアブロ”と呼ばれる存在であった・・!

「復讐に燃える狂犬が、麻薬組織を壊滅させるべく単身暴れまくる!」みたいな単純明快で明るく軽いストーリーを期待してたんだけど、意外とテンポが良くなく、スマートでも爽快でもなかった作品だった(×_×)

妙に時間を取って描かれる中盤の銃撃戦(in市街地)が『ヒート(1995)』っぽいし、次々とロケーションが切り替わり、同時進行で物語が(多角的に)動く造りはトニー・スコット監督風とも言えるし、『トラフィック(2000)』っぽく思えたりも。
終盤で『セヴン(1995)』や『野良犬(1949)』のような激しい雨が降ったかと思えば、主人公らは『S.W.A.T.(2003)』や『第三の男(1949)』のノリで地下水路をひた進み、敵アジトの中枢を目指したりする。ってことで、場面展開やらシーンごとの組み立てにこそ「それなりの工夫」が認められるモノの、ヴィン・ディーゼル主演作として捉えてみて・・どうよ? ってトコで、どうにも不完全燃焼に仕上がっちゃってる印象が強かったなぁ・・(・ω・)

あ、敵組織の中に「ちと毛色の違うヤツ」がいて、それを演じてたのがティモシー・オリファントなる男優だった。どっかで耳にした名やな〜と思い、後で調べてみると・・何と『ダイ・ハード4.0』において重要キャラを演じてた人物であることが判明☆ うう、もっとしっかり観ておけば良かった(×_×)

作品全体を覆う、やたら巨大な“ミスリーディング(“引っかけ”“罠”と言った意)”が存在するも、何かネタが明かされた後でも、スッキリしないもんがあった。必要以上に「こいつとちゃうんでっせ」って演出が鼻につき過ぎたんかも知れない(・ω・)
にしても終盤、完全にディーゼルが「殺されててもおかしくない」シーンがあり、そこで死ななかったのが、どうにも理解出来なかった。監督はあそこでどういう演出をしたかったんだろう・・?

〜 ちょいと心に残るかも、なセリフ 〜

ルセロ「神だけだ、お前を赦せるのは・・俺には出来ん」

※※※「そんなに愛していたのか?」
ショーン「あんな女、他にはいない」

ショーン「家に入れない者の、身の置き所のない者の気持ちを考えたことが?」

※※※「時間か? 時間なら腐るほどある」

| | コメント (0)

2007年9月 4日 (火)

☆『ヘアスプレー(1987)』☆

どうやらしばらく、劇場になんぞ殆ど通えそうにない状況・・(×_×)
ってか残業が本格的に続く見込みで、体力&気力の維持が最優先の課題である。
(片や連日、さっさとお帰りの皆様もおられるようですが・・ボソ)

仕方ないんで、溜まってる映画メモをぶちぶちとやっつけてみることとする。尤も、記憶も年相応に薄れて来てるンだけど。。

さる8月の6日(月曜)〜7日(火曜)の2日に分け、ビデオに録画してあったのを鑑賞したのが、ふた昔前の学園コメディ映画『ヘアスプレー』である。
かなりギリギリに迫ってた訳だが、実は翌日の8日(水曜)に舞台劇版『ヘアスプレー』を(仕事後に)観に行く予定があったため、何とかそれに間に合わせ観たって感じ(・ω・)

まぁ、本作っていわゆる“B級コメディ”ではあるんだが、それ故の「パワフルさ」が全編に渡りちりばめられてて予想してたよりも面白かった。中でも、クラクラしそうになるのが(=^_^=)「1960年代の流行&風俗を描いた1980年代の作品」ってシチュエーションである。「作品世界の古さを敢えて強調しつつ、当時としては最新の映像表現(?)で描いてるんだけど、それ自体がもはや古いんじゃい!」的な“古さの二重構造”が見事に形成されてるのだ。「今(2007年)の眼で見た(1989年の)古さ」ばかりはどうにも“狙ったモノじゃない”だけに、不思議な感覚(≒違和感)が常にワタシに付いて回った(=^_^=)

1963年、(米メリーランド州の)ボルチモアが舞台(←因みにこの街って『トータル・フィアーズ(2002)』の劇中で※※※により※※しますたね・・)。街の若者たちは「コーニー・コリンズ・ショー」なるダンス系のTV番組(モノクロ)におネツを上げていた。主人公は“負け組(outsider)”と呼ばれる太っちょの女子高生トレーシー・ターンブラッド。親友のペニー・ピングルトン(反対に痩せてる子)と共に、彼女は「番組レギュラー」になるため、WZZT局のスタジオに殴り込み(?)をかける。
果たして、生放送の「ダンス・コンテスト」コーナーで勝ち残ったトレーシーは、見事レギュラーの座を射止めるが、そのことをきっかけに彼女やその母エドナ(怪優ディヴァイン演じる)、或いは(ターンブラッド母娘の)周囲の“負け組”なしとたちは「貧乏白人(white trash)」や「人種問題(=黒人と白人の人種融合)」と言った、大きな街ぐるみのトラブルに巻き込まれて行くこととなる。

果たしてトレーシーは“勝ち組(insider)”となれるのだろうか? こんな展開の物語である。

鬼才ジョン・ウォーターズによるメガホン。どんな監督さんやったっけ? と思い、ネットで調べたら『クライ・ベイビー(1990)』『シリアル・ママ(1994)』などを手がけたおとっつぁんと判明。うーん・・『ピンク・フラミンゴ(1972)』も“キワモン”として有名らしい(小生は未見!)。。

本作は、如何にも若者向け(?)って感じで、そないに“毒気の強いテイスト”ではなかった。確かに主人公とかその母親の“おデブキャラ”こそは、観てて不快感を覚えるしともなきにしもあらず、だろうが(⌒〜⌒ι)

当時ならではの懐かしい(?)シチュエーションとし、番組へのお便りを「電信(テレグラム):テレタイプ端末」で送るってのが独特だった。また、コンテストの勝者を決定するのに使われた「拍手測定器(APPLAUSE-METER)」ってなでっかいマシンも、何だか中身がスカスカっぽくて“かなりキテる”感じ(=^_^=)
リーゼント風の髪型でバッチリ決めた(←と本人はご満悦な様子)若者はとにかくヘアスプレーを頭髪に噴射しまくる。「おまいら“フロンガス”って知ってるか?」と今なら声を大にして怒鳴りつけてやりたいトコだ(・ω・)

出番こそ余りなかったが、母親に依頼され、ペニーを監禁(?)⇒カウンセリングせんとする、精神科医のフレデリクソンのキャラも、なかなかに“イタい感じ”だった。「落ち着いてこれを見て!」とか言いながら、手にした器具(=ぐるぐる回転する円盤を先端に付けたチープな棒)で治療を試みようとするんだが、なんかコレってティム・バートン監督が自作『マーズ・アタック!(1996)』の劇中で小道具にでも使ってそうな意匠なのだ。

総括とし、全編に「退廃感」「郷愁感」がそこはかとなく漂いつつ、奇妙なホラーテイストにも満ちた“怪作”とは言えようか(⌒〜⌒ι) ま、パワフルなおデブが人々を動かす! ってノリは『バグダッド・カフェ(1987)』『スクール・オヴ・ロック(2003)』などにも通じるモンがあると言えなくもないかも知んない。。

〜 ディヴァイン氏によるこんなセリフも印象的だった(←おっつぁん、何と“2役”演ってました!) 〜

エドナ「何の騒ぎ? キューバと戦争でも起こったの?」
   「陽の高いうちからテレビの前に座るなんて」
   「デビー・レイノルズ(←MGM映画で有名な女優、キャリー・フィッシャーの実母)が神経衰弱にでもなったの?」
   「世界は1日じゃ変えられないのよ」

追記:ディヴァイン氏、太り過ぎに起因する(?)心臓発作により、翌年(1988年3月)に死去されたそうである・・ってかコレが遺作かよっっ!?

| | コメント (2)

2007年8月27日 (月)

☆『ブラインド・フューリー(1989)』☆

26日(日曜)。ここ最近、とみにクルマのボディが汚れ果てて来ており「ぼちぼち洗車しなきゃ・・」と思いつつも放置状態となってしまってる。特にこの前ボンネットフードを開け、エンジンルーム内を久々に眺めた時にゃ・・その余りにもの汚さにビックリしてしまった。
ホースで水を思いっきりぶっかけたら気持ちエエやろな〜
・・多分水をかけたらあかんパーツもあるんで、即座に壊れてしまうことだろうけど(×_×)

そういや、フロントガラスに吸盤でくっ付けてる「レーダー探知機」が高温に連日さらされ続けてるせいか、スピーカー関係が熱にやられ、警告ボイスが変な発声となってしまった。
幾らソーラー充電式だからと言え、やはり極度の熱でやられちゃうのはヒトもモノも同じことらしい。。

帰宅後、久しぶりに購入したDVDソフトを鑑賞した。妙に期待値の高まってしまってたアクション映画『ブラインド・フューリー』である。そもそもが『座頭市/血煙り街道(1967)』のハリウッド版リメイクとされる本作。「何処がどうリメイクやねん!」と観る前から拳を震わせ突っ込めちゃう荒唐無稽さ全開なのであるが(=^_^=) 片や上映時間を限りなく一致(オリジナルは87分、リメークは86分)させてたり・・と制作スタッフの妙なこだわりやリスペクトを感じてしまったり(・ω・)

ベトナム戦争時、至近距離で炸裂した爆弾(?)に両眼をやられた兵士ニック・パーカー(ルトガー・ハウアー)。戦友フランク・デベローともはぐれ、戦地をさまよう彼は、やがて親切なベトナムの山岳の村でケガを癒し、驚異的な刀術を体得する。
時は流れ20年後。フロリダ州マイアミのフリーウェイを歩くニックの姿があった。ベトナムから帰国し、フランクの住所を訪ねた彼は、迎えに出た彼の元妻・リン(メグ・フォスター)に、戦友が今はネバダ州リノにあるカジノで暮していることを聞く。そんな中、カジノのボス、マックリーディーの配下が押し入って来る。彼らの目的は非協力的な態度のフランクを服従させるための「人質」として、独り息子ビリーを拉致することであった。
その活躍でビリーこそ守り抜いたニックだったが、戦いの中でリンは凶弾に命を落とす。
どうやらフランクは化学者としての腕前を買われ、ドラッグの精製に手を染めているらしい。
ニックはビリーを父親に会わせるため、そしてフランクを魔の手から救い出すためにリノの街へと向かうのだった・・
ってな流れ。

監督を務めるフィリップ・ノイスと言えば『パトリオット・ゲーム(1992)』『硝子の塔(1993)』『今そこにある危機(1994)』『セイント(1997)』『ボーン・コレクター(1999)』などで有名。私的に好きなのは『セイント』だろうかな。ブレイク前夜、とも言うべき時期(?)に手がけたのが本作であるが「座頭市シリーズへの不敵な挑戦&許されざる冒涜」を同時に成立させていて面白い。
冒頭からニックの独白「眼が見えない・・(I can't see anything)」で始まる“強引さ&説明っぽさ”も何となく男らしいし(=^_^=)、ベトナムの村でニックが居合術を磨く相手が・・「投げられたカボチャ」って言うのも微笑ましい。カボチャと人間では切り方も感触(斬り味?)も全然違うと思うんですけどネ〜(・ω・)

殺陣のえげつなさもなかなかに痛快で、ザコの手首ごと切り落とすのもあれば、終盤なぞ『ブレイド(1999)』よろしく「身体が2つに泣き別れ」になったりもする。私的にはそこの部分の(映像的)演出が『スター・ウォーズ・エピソード1/ファントム・メナス(1999)』で※※※※がダース・モールを倒した時と“かな〜りそっくり”なのにビックリした! ルーカス監督もコレ、観てたんやろか(⌒〜⌒ι)
敵の中にもバカなりに個性派でアクの強いのんが仰山いて、大満足(=^_^=) 防刃ジャケット着用で(一度は)命拾いするスラッグ、タランティーノ作品にでも出て来そうなテクター&ライルの暴走兄弟、そして何と言っても・・終盤に唐突に現れる日本人の刺客(ショー・コスギ)がイイ味だしてる。まるで『クローサー(2002)』の終盤、殺陣の美味しいトコをかっさらって行った倉田保昭のようだ(⌒〜⌒ι)

遊んでるんかい! と突っ込み笑えたのは、やはりニックの「運転シーン」だろうか。頑張れば、頑張れるモノなんすね、兄貴!(=^_^=)

ビリー少年とのロードムービー的な描き方からは『グロリア(1980)』を連想したかな? そういや『グロリア』のジョン・カサベテス監督の息子さん=ニック・カサベテスが本作でバカ兄弟のうちの1人(ライル役?)を好演してます。後に監督としても大成してくニック氏。キミ、こないな役もやっとったんかい!

〜 こんなセリフも心にビンビン響いたぜ(=^_^=) 〜

ボス「自分で(ヤツを)始末出来ないんなら、人を使え! ブルース・リーをな!」
側近「彼は・・すでに死んでいる」
ボス「なら、その弟を使ったら良かろう!」

↑なんちぅテキトーな助言やねん。。

ニック「いいアタマだな、脳がたっぷり詰まっている」←何かまんま『博士の愛した数式(2005)』や(・ω・)
   「強い男は泣くことを恐れない」
   「オレは・・涙を出すトコロが壊れてしまってね」
   「つまらん奴が、世の中を面倒にする」

ビリー「なんで、みんな僕を置いて行くのさ!」

アニー「みんな・・弱いのよね」

ボス「この辺り(カジノ周辺)の砂漠は、バカな奴らの墓場なのだ」←沢山埋まってそやね。。

ザコ「暗くて何も見えん!」
ニック「(闇こそ)オレの世界だ・・」

(ロープウェーのゴンドラ到着を待ち伏せ、銃撃で蜂の巣にしてから)
ザコA「見ろよ! まるで親父の穴あきコ※ドームだぜ!」
ザコB「・・お前の親父が穴あきコ※ドームを?」

↑このやり取りはなかなか良いですね(⌒〜⌒ι)

追記1:オリジナルでは「賭場」だったのが、こちらではカジノ。なかなか巧い置き換えやね(=^_^=)
追記2:バカ兄弟にクルマを強奪された老婆たち。いきなしリボルバー(マグナム銃?)を取り出してバンバン撃ち始める! 流石はアメリカ、銃社会・・!
追記3:セリフの中で「ブートキャンプ」は「新兵訓練所」と訳されてますた(・ω・)
追記4:『ゼイリヴ(1988)』以来、久々に拝見したメグ・フォスターさんの危う気な美しさ(=^_^=)に魅了されちゃったい。疎い方は「メグ・ラ※アンとジ※ディー・フォスターのパチもん?」とか、心なきことを言うのですが、そうじゃないンですわ。

| | コメント (0)

2007年8月22日 (水)

☆『不都合な真実(2006)』☆

22日(水曜)。今日は残業を早々に切り上げ、K阪電車(準急)に飛び乗った。やるべき仕事がなかった訳では(無論)ないが、明晩に“深いレベルの残業”が恐らく入ることになろう、とあらかた予想出来るため、本日はさっさと失敬しようと考えた次第。残業手当より、優先すべきは自分の精神状態である(・ω・)

さて、ホームタウンである枚方市に戻ったワタシだったが、駅で降りたあと・・帰宅するのじゃなく、小走りで市民会館へと向かった。午後6時半から開始の「映画『不都合な真実』上映会」に参加するためである。

『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』の地元上映に参加して以来、同会館で時折催されるこの手の会を結構楽しみにしている。“スクリーンの大きさ”“シートの座り心地”“音響効果”と言った面(要素)に限って評価すると、間違いなく日本最低レベル(←おい)なんだが、何よりまず(地元開催ってことで)リラックスして観られるのが良い。また観賞後に“心地よい余韻”に浸りつつ、徒歩で家路を急ぐシチュエーションが満更キライでもなかったり。

前回は『二人日和(2005)』を確か5月下旬頃に観たが、本日は「アル・ゴア前米副大統領による、地球温暖化問題がテーマのスライド講演」を軸にしたドキュメンタリー作品『不都合な真実』を観た。
正直、退社のタイミングが少し遅れてしまったため、場内に入った時には、既に予告編の上映が始まってしまってた。。バタバタしてしまったことが悔やまれる(×_×)

政治家であり、どうやらそれ以前に1人の立派な環境問題研究家、と評しても良いであろうゴア氏。何処かでヤツ(←失礼)を観たぞ・・と記憶をたぐって思い出したのが、7人の監督がそれぞれ「10分」と言う持ち時間を使った短編で競作した『10ミニッツ・オールダー/人生のメビウス(2002)』なるオムニバス映画だった☆
ゴア氏は、その中の1本、スパイク・リー監督が手がけた「ゴアvsブッシュ」なる作品の主人公の1人なのだった(⌒〜⌒ι) 「投票用紙の分かりにくさ、投票機の故障・・など“様々なトラブル”に見舞われ、最終的には「報道操作につられる形で早過ぎる敗北宣言をしてしまった男」の悲劇を群像劇テイストで描いた佳作だったように覚えている。
今回はそんな苦悩の過去は持ち出さず、シンプルで明快な話術と映像により、聴衆を思いのままに魅了していた。

冒頭こそ「一瞬だけ合衆国大統領になった男、アル・ゴアです」とやや自嘲気味(?)に自己紹介するゴア氏。聴衆が大ウケするや、すかさず「・・そんなにおかしい?」と憎めないツッコミを放つ。何となくゲイリー・シニーズとかマイケル・ケインが「入ってる」ような容貌なのだが、誠実さが表情や態度(言動)に現れてて好印象だ。
流れとしては「スライドによる温暖化データの紹介」⇒「データの解説+環境破壊に関する映像など(一部アニメや自身の回想アリ)の補足」⇒「別な温暖化データの紹介」・・のように適度なペースで時に切り口を変えたりして進んで行く。
中盤で一度だけ、ダレそうになってしまったが、すかさずスクリーン上のゴア氏が「1989年4月3日に起こったことをお話ししましょう」みたいにハナシを切り替えたため「え? なんやなんや?」とたちまち姿勢を正してしまったワタシ。緩急の付け方が巧いよなぁ・・

奇しくも、ワタシと殆ど同機種のノートPC(アルミニウム製PowerBook G4←少し古いマシン・・)を使いこなしてたゴア氏。それに起因する、妙な親近感を覚えつつも「あなたとこのオレとでは、PC内に保存してるデータの重要度が全然違うんやろなぁ・・」と妙に恥ずかしくなってしまったモノだった(⌒〜⌒ι)

そんなことで、今回は、必死で(暗がりの中)講演をメモした内容(一部だけど)を紹介して幕としたい(=^_^=)
(半分がたは走り書きがムチャクチャで判読不能だった・・(×_×) ぐす〜ん)

■『民主党、共和党・・心ある政治家はいるが、地球温暖化に対する働きかけはない。ひとたび認めてしまえば、法案成立へ動かねばならなくなるからだ』
■『悪いのは“移民”じゃないぞ』(劇中アニメより)
■『世界規模で氷河が消失している。キリマンジャロ(山頂)の雪はあと10年を待たず失われるだろう』
■『地球温暖化は政府の問題と言うより、(国民の)モラルの問題だ』
■『私は“危機感を覚える”と言う能力を身に付けた』
■『喫煙習慣による肺がん死・・それは“罪作りな経済システムの弊害”とも言えよう』
■『物事の結果を描きにくいのが、人間と言う生き物だ。だが、その日が来て後悔しても・・もう遅い』
■『“不都合な真実”の発見とその発表は、政府に黙殺された』
■『正しい対策で、環境は改善する』
■『心がけているのは、問題を明確にさせること。そして“理解の妨げとなるもの”を分析し、取り除いてゆくこと』
■『人々が“変わる勇気”を持てるよう、祈ろう』
■『何かを祈る時は、行動もすべし』(アフリカのことわざより)
■『学んだ知識を、具体的な行動に変えよ』
■『このままでは、若い世代に将来「前の世代は何を考えていた?」と問われるに違いない』
■『地球温暖化問題に取り組む政治家に投票しよう。もしいなければ、自ら立候補を』

追記1:「熱湯に入ったカエルは即座に飛び出すが、ぬるま湯に入ったカエルを徐々に茹でて行くと・・」の例示的アニメーション映像。観客が予想したであろう“結果”と少し違った“オチ”に仕上げてたことに「巧いな〜」と思わされた。ああ言うネタを挟むと、つい相手に親近感を覚えてしまうんだよなぁ・・(⌒〜⌒ι)
追記2:ゴア氏の駆使していたマシン(PowerBook G4)の現行機種は「MacBook Pro」と言う。そういや『舞妓Haaaan!!!』で、主人公・阿部サダヲがコレを使ってましたなァ。
追記3:「環境に関するモラルを持て!」と言うのがワタシなりのゴア論の骨子だと解釈した。・・が、コレって「高度経済成長中」の国からすれば、ある意味「煙たいこと言うとるおっさんやな〜」みたいに曲解されてしまう恐れもあるよなぁ・・と。
ワタシの論として「若いヤツにモラルの問題を訴えても、大方はムダ」ってのがあるし(・ω・)
「お爺さんになってみるまで、孫にお爺さんの“戸惑い”や“悲しみ”なんか分からない」
「自身が末期がんに罹患するまで、どんな名医にもがん患者の“本当の苦しみ”なんか分からない」
「自分の娘が惨たらしく殺されない限り、弁護士が“本当の正義”に目覚めることはない」
なんてことも思うんだけど、どうなんやろね(談)

| | コメント (4)

2007年8月 4日 (土)

☆『フライト・オヴ・フェニックス(2004)』☆

2日(木曜)夜に鑑賞。『木曜洋画劇場/2000回記念特集』の一環でか、で地上波初放送されたモノ。
が、残業が予想外に長引いたため、放送開始を10分以上過ぎてからの帰宅⇒鑑賞となってしまった。よって、離陸前の物語については殆ど分かってなかったりする(×_×)

フランク・タウンズ機長(デニス・クエイド)の操縦するポンコツ輸送機「Cー119」が重量オーバー&砂嵐との遭遇により、灼熱の日差し照り付ける7月のゴビ砂漠(モンゴル/中国の国境付近)にハードに不時着する。
そして、救援隊のやって来る可能性は恐らくかなり低い・・。
生き残ったメンバーは「機体を修復し、再び飛行する」ことでこの危機を脱そうと考える。しかしそこには様々なハプニングやトラブルが常に付きまとうのだった・・みたいな流れ。

序盤こそ、派手なCG絡みの墜落シーンがダイナミックに描かれるも、本作の中心はやはり「同じ(極限の)運命に投げ込まれた赤の他人同士がやがて交流⇒そして団結するに至る軌跡」にあると言って良いと思う。
とは言え、サービス的に(?)中盤でド派手な大爆発が起こるんだが・・この演出がなんか「強引にくっ付けたスペクタクルシーン」みたいな感じでちと好かなかった。
例えると『アルマゲドン(1998)』における「ロシア式修理法敢行(by ピーター・ストーメア)⇒宇宙ステーション※※」の流れにも似た「取って付けたようなアクシデントやな〜」と突っ込んでしまえる演出である。
そこに観客に看破されないような工夫をして欲しかったぞぅ(・ω・)

私的に好きな男女(デニス・クエイドとミランダ・オットー)がタッグを組んでくれてたのは良かった。尚かつデニス演じる機長が、あくまで「いたずらに動き回らず、体力を温存させつつ発見されるチャンスを待つ」と言うある意味ネガティヴかつ真っ当な思考をしばらく保っていたことにも好感を。
必ずしもヒーローやリーダーを気取ってはいないのだ。乗客に対し演説をぶつ訳でなく(ラストこそ、ちとぶってたけど・・)、状況的にそれが必要と知るや、アタマを下げたくない相手にも黙ってしたがう・・こう言った等身大のキャラが「より人間的な存在」として光っていた☆

彼の対極に位置する、設計技師のキャラもなかなか「イヤなヤツだけど実は臆病」ってな複雑な人物像を巧く演じ切ってる感じで良かった。

にしても・・状況が状況とは言え「躊躇することなく目の前のケガ人の頭部を銃で撃ち抜けるヤツ」とか「物陰から飛び出して発砲、次々に相手を射殺するヤツ」がいたりして、とても民間人とは思えなかった。こいつらって(本作で描かれない)前身は“その道のプロ”だったんやろか。。

広大な砂漠、見渡す限り人影すら見えず・・と思いきや、決してそうでもなかったのも意外と言えば意外だったか。連想したのは『6デイズ/7ナイツ(1998)』や『ザ・ビーチ(2000)』だろう。
「世界が如何に広しと言えど・・それぞれの土地には、それなりの人々がいて、それなりの生活を営んでる」そんなモノなんかも知れない(・ω・)
かなり、生きて行くにはキビシいエリアだとは思うんだが。。

重量オーバーが墜落の一因だったとすれば・・最後に乗り込んだ「あの」1人の影響は少なからずあったろうし、またその1人が搭乗してたからこそ、生還への希望の灯が見出された、とも考えられるのは面白い。
「乗せて良かったのか、乗せなければ良かったのか」・・考えると段々ややこしくなって来る(⌒〜⌒ι)

同様に「エンジン内の砂を掃除する作業」を、機長が「3回やった」トコロ「もう1回やれ」と某キャラに命じられるシーンも「実際のトコロ、何回やったのか?」「更にしっかりやってたら、終盤でもっと余裕を持ってエンジン点火を行えたのか?」とか、どんどん自問自答が広がってしまう。

うーん・・実は本作って“緻密に計算し尽くされた脚本”の上に成立してる“奇跡の物語”なんかも知れない!

・・一見、そないに大したモノにも見えんのだが(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフも光ってたかも 〜

機長「諦めるには早いし、考えるには遅い・・今はそんな状況だ」

※※「ヤツら、遊牧民じゃないな・・女子供がいないからな」

機長「俺たちはガラクタじゃなく人間だ! この先の長い人生だってある。
   こんなトコロで死んでたまるか! 一緒に家(うち)に帰るんだ・・家族の待つ家にな!」

追記1:別エンディングとして↓ こんなの ↓はどうだろう(・ω・)

「フェニックス号がいよいよ始動、仲間たちがケリー(ミランダ)を先頭に、機体にかけられたハシゴを登ろうとする。が、ケリーが登り切った瞬間、機長はハシゴを無常にも外す。よじ登る途中の姿のまま、ハシゴごと滑走路(?)に叩き付けられる仲間数人。画面に大きく映し出された機長の口元がニヤリと歪み、磯部勉(←吹替え男優さん(・ω・))がこう呟く・・
「・・重いんだよ、悪いな」
かくして仲間を残したまま、フェニックスは地面を離れ、大空に消えてゆく・・」

・・ってうわ! 後味悪ぅ〜(⌒〜⌒ι)

追記2:ネットで調べてて、笑ってしまったのが「周囲は見渡す限りの砂漠だった筈なのに、ラストでいきなり姿を現す“整地された”滑走路」・・確かに急に現れたよねぇ。。
もしや、チャールトン・ヘストン唐突に姿を現し、杖でも振るったんやろか。。(←作品が違うっての!)

| | コメント (0)

2007年7月15日 (日)

☆『ブルース・オールマイティ(2003)』☆

5日(木曜)に衛星第2で放送されたものを鑑賞。公開当時、観に行きたかったんやな〜コレ(=^_^=)

『マスク(1994)』で(共演した女優)キャメロン・ディアスと共にブレイク(?)後、時にシリアス&ヒューマニズム路線に傾きつつもコメディ作品の第一線を走って来た・・けど、どうにも『マスク』を超越する作品に恵まれないままだなぁ、としみじみしてしまうジム・キャリーを主人公にしたハートフル・ファンタジー&コメディ映画(でエエのか?)。

3流テレビ局の“万年売れない&ツイてない”リポーターの男がひょんなことから「神の力」を手に入れ、のし上がって行くんだけれども・・得たモノが大きい反面、失ってしまうモノも実は大きいのだった・・みたいな展開。

なんか主役俳優にアダム・サンドラーを起用しても、それなりの作品には仕上がったような気がしたり(⌒〜⌒ι)

本作でも、ジムキャリのパワーは「大爆発」って感じではなかったかな。まぁ、彼の場合「慢心するけど、最後は等身大のエエヤツに戻る」って役作りをさせたらピカイチに巧いんで、そういう意味では予定調和的かつ佳作なレベルではあるんだが。

ジムキャリ演じる主人公は“ブルース・ノーラン”と言う名だが、あの顔で“ブルース”を名乗ると、どうにもブルース・キャンベル(←サム・ライミ監督の盟友である男優さん)の印象とダブってしまう。
これってば、ある方の指摘を受け再認識したんだが、ホンマにこの2人、顔の造りが良く似ている! 恐らく顔面移植手術なんぞせずとも「FBI捜査官とテロリスト」の役回りを容易く交換出来そうだ(←何の映画のハナシだ!)
恋人“グレース・コネリー”役でプラッド・ピットの奥さんだったジェニファー・アニストンが助演してるが、初めてまじまじとこのしとの“ご尊顔”を拝見したトコでは「美人と言うよりは可愛いな」って印象だったか。
個人的には、グウィネス・パルトロゥの方がタイプ的には好きかな? でもきっと、ジェニファーの方が「優しいしと」のような気がする(⌒〜⌒ι)

“神様”役をモーガン・フリーマンが好演(←ネット情報によるとモーガンは身長189cmもあるらしい!)。1989年ごろの彼ってば『ドライビングMissデイジー』で単なる(?)運転手のおじさん役だったのに『ディープ・インパクト(1998)』で大統領を演じ、ついに“神様”に昇格するとはネ!(⌒〜⌒ι)

※因みに、何と(=^_^=)本作には続編『エヴァン・オールマイティ(2007)』と言う作品があるらしい。今秋に公開予定とか(・ω・) ←本作の主人公(ブルース)のライバル的存在である、エヴァン・バクスター氏が主人公となるようだ。

さて、神様から“力”を借り「全能のブルース」と化した主人公。ナニをするかと思いきや・・「レストランで器のトマトスープを(←紅海に見立てて)真っ二つに割る(=^_^=)」「消火栓を遠隔操作で破裂さす」「オンボロ車(とは言えど・・日産の“雄”フェアレディZなのに・・)をスーパーカーに変身さす」「高級スーツを入手」「チューリップとデイジーを配合させ“チューデイジー”を創造」「口から大量の虫を吐き出す(←これって『グリーンマイル(1999)』を意識したCG特撮か?)」などなど、何やら「セコい範囲」の力の使い方が目立ってた。

この一連の行動ってば「邪悪化して、メチャメチャ悪いことしよるんやろな〜」と期待させてくれた『スパイダーマン3』の主人公(を演じるトビー・マグワイア)が、街角でファンキーに踊ったり、おんぼろアパートの大家に怒鳴ったりするレベルの“セコさしか発揮してなかった姿”を見せつけられた際の“笑撃”に通ずるもんがある(・ω・)
ただ唯一、面白かったのはリポートの現場で「ジミー・ホッファ(※)の遺体を(偶然を装って?)発見させ、そばに(ご丁寧にも)出生証明書&歯の治療記録を並べておいた」と言う神業(!) これは全米の捜査機関をおちょくってるようにも見えて良かったな。

※ジミー・ホッファ(1913-75?)は全米トラック運転組合の代表とし、強大な権力を握っていた人物。マフィアとの関係が深く、最後は謎の失踪を遂げたとされる。ジャック・ニコルソン主演の映画『ホッファ(1992)』が製作(←ワタシは未見)されているほか、かの劇画『ゴルゴ13』にもホッファ失踪事件絡みのエピソードがあった(第29巻に収録)

神としての手腕をふるった偉業(?)の数々が、それぞれに負の波紋を広げて行く演出はちょっぴり深いかも、と。自身のホームタウンの住人限定で「宝くじに強引に当選」させた結果・・1000人以上が当たったため当選金が一人につき17ドル程度に下がり(=^_^=)暴動が発生。特ダネのため町の郊外に隕石を墜落させたトコロ、その影響で大規模な停電が起き、これまた暴動が発生。
もはや誰が何をやっても「皆が幸福」と言うことの実現は難しいんやな〜とも思わせる。
もっと世界の仕組みがシンプルだった時代なら、局地的な「皆の幸福」と言うのも起こし得たんだろうけど(・ω・)

ブルースが活用する、神専用のウェブサイト(?)「YAHWEH!(ヤハウェイ)」ってのが登場するが、そのロゴがいかにも「YAH※O!」っぽくて面白い。日々届く「祈り」の未読メールをカウントしただけで150万件以上にものぼるのだ。側近がいないととてもやってられんだろうなぁ(×_×)

ワタシの中では「神」とは・・「不老不死の存在」であり「狂信者を生み、彼らに囲まれ崇められる存在」だと解釈してるが、本作を観た限り「大ケガもすれば、意外と孤独な存在なんやな〜」と言う印象が強かった。
ブルース自身の“神”の力量には、何とも「底の浅さ」が露呈してしまった感があるが、モーガン・フリーマン自身に視点を絞っての「スピンアウト作品」が観てみたいな〜とは強く思ってしまった次第である(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

ブルース「クッキーに群がる子供の笑顔っていいよね」
スタッフ「調理室からは見えない」

ブルース「ヤツが神だってんなら、俺はイーストウッドだな」←直後の顔真似がイイ(=^_^=)

ブルース「全知全能を僕に授けるとは・・驚いたな」
神「だろうな。ガンジーは(驚きで)3週間ものを食えなかったぞ」

ブルース「耳の中で鳴り響く、世界中からの“祈りの声”を何とかしてくれ!」
神「何を言ってる。今(お前に)聞こえてるのはバファローの(住民の)分だけだぞ」

神「汗の匂いをさせて帰宅する者こそが幸せ」
 「(神になれたなら)何事も5分で解決だろ?」
 「愛を操るのは神の領域ではない、そんな方法があるなら是非教えてくれ」
 「言っておくが・・ハイウェーでひざまずくのは無茶だ」
 「何だ今の祈りは? ミス・アメリカのつもりか? 気取るな、素直になれ」

ほか、幾つか。
♦前半のキーアイテムは“ポケベル”・・う〜ん、現代のアメリカさんにしてはローテクな気が。。
♦水面ウォーキングをする神&ブルース。『レモ/第一の挑戦(1985)』やら『レニングラード・カウボーイズ、モーゼに会う(1994)』などを連想してしまったか。。“水面歩き”こそが神の証左なのかも知んない(⌒〜⌒ι)←元ネタは「ガリラヤ湖の水面を歩くイエス(新約聖書:ヨハネ6章16〜21節)」らしい。
♦津波に襲われたシーンがTVニュースで流れていた「ニホンのキタモト市」ってどこがモデルなんだぁ?

| | コメント (0)

2007年6月 8日 (金)

☆『ハイウェイマン・特別編(2003)』☆

5月31日(木曜)夜の放送・・を録画しておき、後日ビデオで観たのんが、ジム・カヴィーゼル主演によるロードキル・サスペンス(?)作品『ハイウェイマン』である。
番組自体は「木曜洋画劇場・放送2000回記念(←何と1968年からの放送らしい!)」の一環としてめでたく(?)“地上波初登場”となったものだが、満を持して送っとんのやな〜と言う(当初の)期待感&高揚感とは裏腹に・・実に“B”なテイストの映画だった(×_×)
「ジムを主演に据えた」ことで「辛うじて一線は保てたネ(=^_^=)」って感じ。

冒頭の予告映像でこそ「戦慄のマッド・クラッシュ・サスペンス!」だの「悪魔が来りて美女を轢く!(←巧いネ☆)」だのとスタッフらがワルノリだかヤケクソだかでひねり出した(=^_^=)過激なテロップが踊る訳だが・・「特別編」とうたわれる割に、ちっとも観てて得した気分になんない(=^_^=) ま、こう言う肩の力の抜けた(肩関節の外レた?)ラインナップで細く長く食いつないで来たからこその「2000回達成☆」だとは思うんだけど(・ω・)

物語は、モリーと言う“巻き込まれ型キャラ”の女性を軸に、一方に美女(?)ばかりを狙い連続ひき逃げ殺人を起こす猟奇犯を、もう一方にそいつを“妻の仇”としひたすらに追いつめる元医師のレンフォード・ジェームズ・(愛称:レニー)クレイ(ジム)を配し、彼らの5年間に渡り続けられている“ガチンコバトル”の行く末を描く、と言うもの。

当初こそ、殺人鬼の操るクルマ(1972年型キャディラック・エルドラード(緑)、右フロント灯が切れたままである。実はもの凄いハイテク仕様でバリアフリーな1台!)の存在がこの上なく不気味で『ザ・カー(1977)』や『激突!(1972)』の雰囲気を思わせる演出なんだが、次第に犯人像が明らかにされて行き、観てるこっちもだんだんダレて来てしまう(×_×)
クレイが殺人鬼との過去の因縁を殆ど語り尽くすわ、殺人鬼自身が幾度となくCB(車載無線)を通じて「何か親しげに」語りかけるわ(←実際には挑発してるんだが)するもんで、中盤ともなると「恐怖のベール」がすっかり剥がれきってしまうのだった。
劇中では他に、レニーの駆る(←どうやら立派な盗難車らしいが)1968年式プリマス・バラクーダ(赤)とか、モリーの彼氏が乗ってたサァァブとか、出て来てた。
特にサァァブなど、単にボコボコにされんがために起用されたような扱いだったが、ボコボコになりつつも「しっかり頑丈」であることを巧くアピール出来てた気がする。

思いっきり「クセモノ」だったのは、これまた事件に巻き込まれ、途中からはレニーの協力者みたいな立場をとる、交通事故調査官のウィル・マクリンと言うブラックピーポォな親父さん。てっきり『ダイハード(1988)』で言うトコロの黒人警官アルのような役回りかと思いきや・・異常に「ライフルで物事を解決したがる危ないオヤジ」って印象が強かった。
ってか本作、銃を携行し、遠慮なく撃ってたキャラってこのオヤジだけだった気がする。レニーと殺人鬼が「クルマ」だけをお互いの武器に“ある意味、極めてストイックに”戦ってたトコロにいきなり割って入ったような異端者ぶり(=^_^=)に思えた。演出面で更に抑制がなかったら(=^_^=)きっと爆弾も携行してたに違いなかろう。
ラストでも、最後の最後にムチャクチャな蛮行をやってのけるし、そもそも全然“交通事故調査”って行動をとってなかったようにも見受けられた。単に「ライフルぶっ放す機会を長年うかがってた、危ないおっさん」ではなかったか?

視覚効果的には「クルマって容易(たやす)く横転するもんなんやなー」と思わしめた本作。車体のとあるポイントをプッシュしたり、とあるポイントに遠心力がかかったりしたら、案外簡単に「すっ転ぶ」ものなんかも知れない。
私的にはこの先も、たぶん1960〜70年代のクルマに乗ることはないと思うが(燃費面&安全面から考慮するに、出来れば乗りたくないし・・)、そう言う機会がもしあれば、本作を思い出して慎重な運転を心がけたいと思った次第だ(←どんなオチだよ・・)。

※それまで頑(かたくな)にクルマから降りようとはしなかった殺人鬼。何故に終盤、あっさり降りる気になったのだ??(昔あった医療コミック『スーパードクターK』の最終回で言うトコロの「安心感・・」ってヤツか?(・ω・))

| | コメント (0)

2007年5月 3日 (木)

☆『プロジェクトA(1984)』☆

3日夜。木曜洋画劇場で放送されていたのを、中盤まで“つまみ観”する。

元々が“ブルース・リー派”なワタシなもんで、あまし積極的にジャッキー・チェン作品を観て来た訳ではなかったんだが・・その中でも「劇場に観に行こうかな?!」と公開当時、思わせしめた「名作」であった。
監督ジャッキーの代表主演作にして、最も過酷なアクションに挑み続けてた頃のピーク的な1作とも言える。

近代の香港を舞台に、海軍突撃隊長のドラゴン(ジャッキー)が、陸軍指揮官のジャガー(ユン・ピョウ)や盗賊フェイ(サモ・ハン・キンポー)と共闘しつつ、世を荒らす海賊を退治すべく奮闘する物語。

映画史上屈指の(?)自転車チェイスが中盤に配されており、このシーンだけでも一見の価値がある。他にも、高所から転落⇒地面に叩き付けられたり、階段落ちしたり・・ホンマに“NGテイク”の多さと凄まじさを想像するだに、クラクラしてしまう作品なのだ。

過剰&不必要にアクションが連続してしまったり、対するコメディー部分がやたら軽かったり、ジャッキーのヌード姿が余り拝めなかったり(←拝まんでエエけど・・)と、やや演出的に洗練されてないトコロも目立つが、それに目をつぶって良いぐらいの“躍動感”が映像全体からバンバン発せられてて良い!

が、「いよいよ」海賊退治に出かける・・実際の『A計画』が発動して以降の展開は、暗いシーン(闇夜とか洞窟内とか)が続き、アクションもぐっと減ってしまう感があり、ちと残念か。。

今回は、海賊退治に出かける寸前辺りで鑑賞を中断した。他にも色々とやることがあるもんで(=^_^=)>

別に、本作が伝えたかったメッセージと言う訳でもなかったんだろうけど、サモ・ハンが劇中で言ってたセリフ
「香港には4種類の人間がいる。俺は金持ちにゃなれないし、貧乏人にもなりたくない。で、警官が嫌いとなりゃ、泥棒になるしかないだろ?」が何故か心に残ってしまった。

何となく芥川(龍之介)文学『羅生門』の終盤に出て来る、「餓死したくないとなれば、盗人になるしかない」的な会話を思い出したものである。
だからどうした、と言われれば、特になんの意味も関連性もないんだけど(・ω・)

| | コメント (0)

2007年4月28日 (土)

☆『バベル』☆

ひっさびさに大スクリーンで鑑賞。このトコロ、劇場からかなり足遠くなってしまってるが、どうやら「金銭的な理由」よか「精神的な余裕の問題」が大きい気がする(・ω・)
(今年も?)何の計画も立てぬまま、GWに突入しちゃった訳だが・・まぁ「休みにこそ、しときたいことパート1」って感じで“まず”映画を楽しもうと考えた訳。
劇場は、ミナミでは比較的新しい「TOHOシネマズ・なんば」。昨年9月オープンの「なんばマルイ」上層階にあるシネマ・コンプレックスだ。「まんばマルイ」自体が初めての訪問だったもんで、興味津々でビル内を少し歩いてみた(「オークリー」のサングラス販売コーナーを設けたショップのあったのが印象的だったか)。

劇場は、グッズショップが併設されておりイイ感じ☆ 特にポスカ(ポストカード)販売塔が(わずかに2基だが)あったのが嬉しい。思わず7枚ほど購入してしまった(・ω・)
ほか、最新作『ザ・ファイナル』の公開に併せ、ロビーの一角に「ロッキー・バルボアの全身銅像(・・の樹脂製レプリカ)」が設置されてた☆ 因みに、ホンモノはフィラデルフィア美術館(米国)の一角にあるそうだ。
予告編では『ダイ・ハード4.0(⇒合衆国連邦議会議事堂が爆発?!)』『ザ・プレステージ(⇒デヴィッド・カッパーフィールド監修?!)』『300:スリー・ハンドレット(⇒フランク・ミラーが“テルモピュライの戦い”を描いたヴイジュアル・ノベルが原案?!)』の3本が印象的だったかな。

現代のモロッコ、メキシコ、トーキョー・・なんの関連性もない、3つの地で、神の悪戯(=運命)に翻弄される、一握りの人々を描いた群像劇。物語の“橋渡し”は「密売された一丁の猟銃」なのだが、それは表面的なものであり、実のトコロ本作で“軸”となるのは「異なる言語、文化、人種」であることが、観ていて次第に分かって来る仕掛け。

壊れかけた夫婦の絆を「再生」すべく、異国の地を巡るバスツアーに参加したリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)。とある山岳地帯に差し掛かった時、いずこからか放たれた1発の弾丸が、窓際の妻を貫いた・・。「テロリストの襲撃」と動揺を隠せないツアー客ら。
スーザンの創部からの出血は酷くなるばかり。だが、次の村は4時間走らないと辿り着けない距離にあり、戻るにしても1時間半の行程を要する僻地に、彼らはいたのだった・・

羊(ヤギ?)飼いのアブドゥラ兄弟(ユセフ少年とその兄アフメッド)がモロッコの風の中に駆け出す。
家畜をジャッカルの襲撃から護るため、父親は500ディルハム(+ヤギ1頭)で、ガイド業を営む知人ハッサンからを譲り受けた「ライフル銃(ウィンチェスターM75)」を兄弟に渡す。
「3キロ先の標的だって撃ち抜けるそうだぜ!」嬉々として2人は試射を重ねる。
そんな時、はるか崖下を通過しようとする、1台の観光バスの姿が兄弟の眼に留まった・・

東京・青山。聾学校に通う女子高生・綿谷チエコ(菊地凛子)は、母の死後、満たされぬ孤独を悶々と抱えていた。歩み寄ってはくれない父・靖次郎(役所広司)への当てつけなのか、無軌道に男性を挑発(誘惑)したり、悪友らとドラッグに手を出したりする。そんな彼女の前に、間宮と名乗る若い刑事(二階堂智)が現れる・・

2人の子供、マイク&デビーを白人夫婦から預かる中年のメキシコ人乳母アメリア。自身の息子ルイスの結婚式に参列するため、子供らを連れ、甥のサンチャゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)の運転するポンコツ車で国境を越え、メキシコに入国する。
そもそもは代わりの子守役を見つけられなかったが故のことだが、その大胆な行動がやがて、悲劇的な結末をその身にもたらすことに、まだ彼女は気づいてはいなかった・・

2時間を超える上映時間(約140分)であったが、「長いな〜」と感じることはほぼなかった。その意味では、その世界観に没頭させるに足る、秀逸な脚本と言って良いと思う。
ネットなんかでストーリーをざっと予習(?)してた感じでは「要するに『ザ・メキシカン(2001)』の(ブラッド・ピットの)相手役をジュリア・ロバーツからケイト・ブランシェットに変えて、群像劇スタイル&ヒューマニズムをブレンドしたようなもんかな?」と単純に考えてた次第だが(=^_^=)、そんな想定以上に「細かい部分を“言葉に頼ることなく”描いて」おり、なかなか巧いね! と感心した。

ブラピ(ブラッド・ピット)に関しては「これまでの出演作の中でも首位を争うほどの・・“無力さ”と“アクションのなさ”やな〜」と。俳優としての輝きのみで言えば、ガルシア・ベルナルの方がよっぽど放ってたように思う(私的に)。「等身大の1人の夫/父」を演じきる、と言う役作りの面では良く理解できるんだが・・個人的には「めそめそ泣くブラピ」「周囲を口汚く罵倒するブラピ」はあんまし観たくなかったかなぁ、と。
ケイトに関しては、今なお心に残ってる(彼女の主演)作品が『ヴェロニカ・ゲリン(2003)』と言うこともあり、「銃撃されるヒロイン」と言う(共通するシチュエーションでもある)ショッキングな導入部からして、心にざらついたモノを覚え続けずにいられなかった(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

スーザン「何故、ここへ来たの? 私たち・・」 ←確かにモロッコ訪問の理由は乏しいかも。。
    「あなたと口論がしたいのよ、逃げないで」

※「裁判に持ち込んでも結果は同じだ、先延ばしとなるだけさ」 ←米国の訴訟社会も飽和化してるんかな?

サンチャゴ「メキシコは危険なのさ、何たってメキシコ人がいるんだから」 ←冗談めかして

アメリア「私は悪人なんじゃない・・ただ愚かなことをしただけなの」

ルイス「(メキシコで)食い詰めたら、俺もそっち(アメリカ)へ行くよ」 ←このセリフは意外に深い!

【その他、気づいたこと】

・ハンター綿谷がモロッコに残した写真には「我が友ハッサン君へ」なる日本語の送辞。いやいや、彼の律儀なお人柄がしのばれますな(・ω・)
・山岳地帯、容疑者を発見するや否や、問答無用でバンバン発砲を始める地元警察(?)・・(拡声器で呼びかけるなり)事前にワンクッションないんかいな。。他にも、ぐったりしてる容疑者を蹴ったりするし、もうムチャクチャですがな(×_×)
・近年、ネタ不足に喘いでる邦画界(ハリウッドもだが)。横山光輝センセイの某作品を実写化し・・そのタイトルを『バビル』としてはどやろ?(=^_^=)
・東京のディスコ(←死語)でのシーン、EW&F(アースウィンド&ファイヤー)の“セプテンバー”がぶつ切りで流れてた♪
・最も騒がしいハズのシーンで、静かなBGMのみが流れる・・このセンスはいいねぇ。
・劇中で一番“絶叫していた”のが実はチエコではなかったのか? なる私的解釈。何とも「深い」よね。
・後半から、尿意に襲われ始めてたワタシ。“金だらい”をそっと渡されたら使わせて頂いてたかも知んない(←劇中ネタぎみ) ⇒“金属なべ”と言うべきが正しいかも。。(指摘あり(⌒〜⌒ι))
・途中から極端にセリフの少なくなるデビー。演じるエル・ファニングってば、あのダコタ・ファニングの妹らしい!
・個人的に一番の注目キャラ、間宮刑事を演じた二階堂。『ラスト・サムライ(2003)』での“泣かせる少尉役”だったらしい?! 最初観たとき、渡部篤郎と間違えてしまったけど(⌒〜⌒ι)
・モロッコでもトヨタ製の四駆車が活躍☆
・続編が作られるとしたら、ブラピってばやっぱし「逃げたバスツアー客らをぶち殺しに行く」んやろか(⌒〜⌒ι) ←有言実行派! タイトルは『カリフォルニア2』とかでもイケるかも(=^_^=)
・サンチャゴはどうなった? それと、チエコが間宮に渡したメモの内容は?(秘するが美徳?)
・灼熱の砂漠をさまようアメリア。とっても不謹慎ながら、このシーンで『バグダッド・カフェ(1987)』を連想しちゃいますた。。

最後に:
(1)本作で「結局、劇中で死んだのは誰だったか?」と言うことを考え、改めて「監督ってば密かに“人間愛”を訴えるタイプのしとなんかも知れんなー」と感じたりした。それと「金の問題やあらしまへんのや」的なシチュエーションのさらっと描かれるシーンがあり、そこも良かった!
(2)もう少し製作が遅かったら(日本のエピソードが)「異なる言葉&文化の壁に打ちのめされた韓国人学生が銃を手にし暴走する」みたいな流れのものに差し替えられてた可能性があったかも知れない?
(3)観賞後、「高校生であの裸体はムリがあるよね〜」なる言葉を耳にした。そ〜か、同性ならではの厳しい着眼点なんだな・・(・ω・)>

| | コメント (4)

2007年4月17日 (火)

☆『ブラックホーク・ダウン(2001)』☆

15日(日曜)夜の鑑賞。この日は午前中から京都方面(仁和寺)へ「花見&撮影ツアー」に出かけてたんで、出来れば帰宅後はガッツリ「溜まってる新聞記事のさばき」に取り組みたかったが・・前回のTV放送時(数年前)、ラストぐらいしか観れなかったため、観念し(=^_^=)やや真面目に観ることとした。とは言え、新聞切りながらではあったが。

1993年、東アフリカ・ソマリアの内戦時、実際に起こった市街戦の一夜を描いたドキュメンタリータッチな作品。監督が“巨匠”リドリー・スコットなんだが、あんまし「この監督ならでは!」と言うテイストはなかったように感じた。『エイリアン(1979)』や特に『ブレードランナー(1982)』の頃は才能が爆発してる感じがしてたんだけど・・『白い嵐(1996)』ぐらいからその神通力が堕ち始め(?)、『G.I.ジェーン(1997)』で“何か”が彼の中で決定的に壊れてしまったように思う(⌒〜⌒ι) まぁ、近年は監督業の余生みたいなものなんかも知れないが。
『グラディエーター(2000)』のバトルシーンで印象的だった「動き回りブレまくる」映像が本作でも多用されていた。撮りたかったんだろうか? 確かに「戦場で銃弾をかいくぐりつつ、手持ちカメラで必死に撮影しました」的な臨場感溢れる映像はなかなか。きっとでっかいスクリーンとサラウンドの整備された環境で観たら、印象が全く変わって来ることだろう。

ソマリアの中心部(?)に最新鋭ヘリが墜落、孤立した仲間を救う為、青年兵らが奮闘する展開だが、起用された俳優陣がジョシュ・ハートネット(←なかなかブレーク出来ませんね・・)、ユアン・マクレガー、トム・サイズモア(←このしと、戦争モノばっか出てる印象が・・)、ジェイソン・アイザックス、オーランド・ブルーム(←お!)・・となかなかに豪華ながら、やや群像劇風と言おうか、主役キャラが1人に固められてない感があった。

アメリカ海軍式(?)の「イケイケ戦術」はなんとも大味な印象で凄かった。前方ビルの窓に隠れてる狙撃兵をやっつける作戦が「狙いを付けて手榴弾を投げ込む」と言うもので、何かもうムチャクチャである(・ω・) 手榴弾を投げる瞬間に手を狙撃される可能性、などは全く考慮しないのやろか。周囲の建物から狙い撃ちされる中、装甲車の屋根にある機銃座で反撃を続ける兵士。ロケットランチャーを構えた敵兵が(周辺に)ゴロゴロ潜んでるのに、延々と低空でヘリをホバリング待機させてるパイロット。
平和ボケしてるワタシごときが言うのも何だが・・「殺して下さいと言ってるようなもの」ではあるまいか。

弾丸も尽き、遂に戦闘力の失われた米兵に群がる数百の暴徒(武装市民兵)。何とも不謹慎ながら・・『死霊のえじき(1985)』を連想してしまった。。

戦争を肯定するのか、否定するのか、作品そのものからは伝わって来るメッセージがなかったんだが、敢えてその判断は観客に委ねたのかも知れない。

兵士の1人による「何の為に戦うって? そんなこたぁ分かんねぇ。ただ、隣にいる仲間のために戦うだけだ」ってセリフは、ちょっとお行儀が良過ぎるかなと思ったんだが・・まぁ、耳触りの良い言葉であるには違いなかろう。

| | コメント (2)

2007年3月22日 (木)

☆『フェイス/オフ(1997)』☆

19日(月曜)の鑑賞。
衛星第2で放送されてたのを観た(←この作品って国営放送のプログラムとしてどうかな〜ってのはあるが・・(⌒〜⌒ι)ま、娯楽作としてアリかな)。これまでに何度も観てるし、今回はどぅでもええか・・と軽視しつつ・・結局、しっかり通しで観てしまった本作(=^_^=) 何と言う吸引力なるか!

ジョン・ウー監督による荒唐無稽型アクション映画。本作の前後に『ブロークン・アロー(1996)』と『M:i−2(2000)』が存在するため、この時期のウー監督を「絶頂期!」と評してあげても良いかも知れない。(製作総指揮としてクレジットされる作品も少なくないが、他の監督同様、総じてデキは劣る・・)

敏腕FBI捜査官が、潜入捜査の手段とし“捕まえたカリスマテロリストと顔面を交換(=生体顔移植)”。直後にテロリストが逆に捜査官の顔面を手に入れ、互いの立場を入れ替え激突する・・と言う、粗筋を紹介するにも荒唐無稽過ぎるストーリー。でも「そんな細かい部分は忘れてヨシ」的に、演出の見事さでぐいぐいとみせてくれる。

まずの成功は、起用された主人公2人を演じる男優だろうか。捜査官ショーン・アーチャー役にジョン・トラボルタ(=トラさん)、対するテロリスト、キャスター・トロイ役にニコラス・ケイジ。これがジャン・クロード・ヴァンダム&ドルフ・ラングレンだったりしたら大失敗だったろう(←おい、具体名はやめんかい!)
ひげ面でパッチリ瞳のニコラスに、果たして凶悪犯がつとまるんか? と思いきや、冒頭から踊ったりはしゃいだりと大フィーバー!(←死語) ウー監督もその辺を知ってか知らずか(?)そのまんまの真面目顔ではニコラスは使えんと考えたか、凶悪シーンを行う際のトロイは主としてグラサンをかけたり、狂った表情をさせたり・・と抜かりない感じ。流石です(・ω・)

今回の鑑賞で印象的だったのは、中盤、ドラッグ入りカクテル(?)をイッキにあおった後、自室に戻った(トロイ顔の)アーチャーが、ラリった状態で、鏡の向こうの自分を眺めつつ「俺は俺で・・俺は俺じゃない・・」などと呟くシーン。何となく『イージー・ライダー(1969)』の墓場の辺りのシーンに通じるヘロヘロさに妙な心のざわつきを覚えた。。

また、観客の心を代表し放ってくれた(?)かのような終盤のジェイミー(アーチャーの娘)によるセリフ「何がどうなってんのよ〜!」には、毎度のことながら苦笑させられた。確かに自分の親父に頭部に銃を突き付けられたらパニックだろう・・

そして、終盤の船舶アクション。今回は、屋外ロケ時の海浜(何処かの港湾か?)が爆発の連続による破片やらオイルやらで、かなり汚染されたんじゃないのか? と勝手に不安を覚えてしまった。あれって撮影所内の広大なセットだったんだろうか? 詳しくは分かんないが。

それと、ラストに手術着+マスク姿で登場する執刀医(=顔面を元に戻す役)は一体どこのどいつなんだろ? と。 何だかやたらと自信たっぷりだし、その腕前も確かに超一流なんですけど・・(最初に“顔面置換術”を施した医師以上の腕前だと思う!)

何にしても『ウィンドトーカーズ(2001)』以降、ちと神通力のしぼみぎみ(?)なウー監督が、今こそ撮るべきは・・怒濤のアクション作品路線への回帰・・つまり『フェイス/オフ2』(『F/O:2』なんてな表記でも可(=^_^=))かも知れない。

パートカラー、時間軸置換、2丁拳銃、ハトの群舞・・何でも大いにやって貰って構わない(=^_^=)んで、宜しく!
たぶん全世界が荒唐無稽なウー作品を渇望しているハズだ・・!

| | コメント (0)

2007年2月19日 (月)

☆『フェーム(1980)』☆

残業を4時間ほどこなしてから帰宅。ツイてない時はとことんツイてないもんで、最寄り駅の改札を出たちょうどその時、バス停からバスが動き去るのを目にしたのだった(×_×)
・・んで、次のんが来るまで約20分もの時間があったので(←本数がぐっと少なくなる)歩くことにした(ま、自宅に着く寸前、次のバスに追い抜かれるタイミングなんだが(・ω・))。。
途中のコンビニで缶コーヒーを2本買う。
いや別に、コーヒーが飲みたかった訳でもないんだが、いま“ジョージア”を買うともれなく付いてくる“メルセデス・ベンツ/ミニチュアカーコレクション”が欲しかったのだ。特にマイブーム的に集めてるのが「190E EVO2」と言う1990年のモデル。でっかいリアスポイラーをまとった“生意気な小ベンツ”である。古いんだけどめちゃスポーティーでカッコいい。
この「190E EVO2」と「500E」だけは、きっとこれから先も、生涯憧れ続けるような気がする。尤も、今となってはよしんば買えたとしても維持費にすぐ音を上げることだろうが・・(⌒〜⌒ι)

帰宅後は、遅い夕食を済ませてから、衛星第2で放送されてた映画・・の終盤だけを観た。
アラン・パーカー監督の青春群像モノ(?)『フェーム(1980)』である。さすがに制作された時代が時代なので、「君ら、いったいどういうファッションしとんねや!」的なイケてなさを登場キャラ全体に感じた訳だが、淡々と芸能学校(?)の生徒らの日常生活を描いたような作品世界は“アラン・パーカー色がほぼ払拭されている”ようでもあり、何となく見入ってしまった次第。
むろん、殆どすぐラストに突入しちゃったもんで、登場人物名も展開(物語の流れ)も、さっぱり分かんなかったんだが、主役の1人が挫折するシーンで語られるこんなセリフが妙に耳に染込んで来た。

「(人生に)保証を求めるな、誰にだって失敗はある」
「自分(の才能)を他人に重ねるな」

こんなやり取りもあった。

「中世じゃ俳優は(身分が低く)墓になんか葬ってもらえなかった」
「現代じゃ葬って貰えるさ」
「実力によるさ」

それにしても、アラン・パーカー。『エンゼル・ハート(1987)』『ケロッグ博士(1994)』『エビータ(1996)』『アンジェラの灰(1999)』・・と手がける作品ごとの印象の違いが凄いなぁ、と(『ミッドナイト・エクスプレス(1978)』は未だ観てないのじゃ(・ω・))。
もう一歩、突き抜けるモノが備わってれば、スタンリー・キューブリックにもフランシス・フォード・コッポラにもなれよう人物なのに・・と少し他人事ながら歯がゆく思えてしまったものだ。

ま、本人は至ってそんな名声には興味なんぞないのかも知れんが(⌒〜⌒ι)

※少なくとも今週いっぱい、残業が続きそうな「予感」に「悪寒」が走る。。

|

2007年2月15日 (木)

☆『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』☆

6日(火曜)の鑑賞。何故に『2001年宇宙の旅(1968)』と来て・・翌日(の放送)がこの作品なのか(⌒〜⌒ι)
スクリーンで観たのが最初、その後「レーザーディスク」を購入、何度観たことだろう(←その当時LDを買いまくってますた・・)。近年ではDVDソフトもしっかり購入している(が、まだ観れてない・・)本作。
ある意味「アメリカ合衆国の歴史のお勉強」みたいな作品ではあり、万人には勧めにくいトコもあるんだが、トム・ハンクス主演作、そしてロバート・ゼメキス監督作の中では恐らくこれから先も「一番素晴らしい映画」なのではないだろうか、と決め打ちたい。
「知能的にハンディを負って生まれた」とされる主人公ガンプ(トムハン演じる)が、それ故のピュアさで、数々の人生の試練を乗り切って行く展開。そんな彼の半生とともに、合衆国の歴史の歯車もまた回り続けるのである。
日本で言えば“裸の大将”やんか、みたいな定番的ツッコミもあるが、荒唐無稽さにかけては、やはりガンプに軍配(=^_^=) ←そりゃそうか・・
「フットボール」に始まり「卓球」「演説(=^_^=)」「遠泳(←某シーンを観てると、彼がやたら長距離を泳げることに気づかされる!)」「長距離走」・・なんでも万能な男なのである! 私的に、主人公の成功のポイント(きっかけ)は「知能」ではなく「脚力」にあったんでは、と冷静に分析もしちゃうのだが(=^_^=)

※なお、ウィキペディア(ネット事典)の紹介によると、原作版(小説)では「宇宙飛行士」「プロレスラー」「チェスの達人」としても名を馳せるようだ。サダム・フセイン元大統領(故人)がガンプの友人とし登場する場面があるらしいのには恐れ入る。なんて『ホット・ショット(1991)』な。。

ちょっと残念なのは、ヒロイン役ジェニーを演じたロビン・ライト・ペンさんの魅力が少し薄い感じかな〜ってトコか(私的に)。まぁ、主人公以上に試練の人生を突っ走る女性像なので、可愛いだけのキャラクターじゃつとまらないんだろうけど(ヒロインの適度な“美しくなさ”がポイントなのかも知れんし)。。
暴言を吐かせて頂けるなら「ジェニー=メグ・ライアンヴァージョン」も観てみたかったぞ、とか。『ジョー、満月の島へ行く(1990)』を観るに、メグも(当時は)なかなか演じ分けが巧かったと思うのだ。

ときに、登場人物の中で好きなのは、やはりベトナム戦争時代の戦友であるババ(ベンジャミン・ブルー)と上官のダン・テイラー中尉。物語の構成上、絶対に不可能なんだが、ぜひ彼ら3人での「エビ漁」シーンが観たかった!(=^_^=)
終盤では、ボーナスキャラ(?)的なハーレイ・ジョエル・オスメント君の出演(息子役)! 当時6歳。まさかその12年後に飲酒運転しちゃうとは(×_×)

ほか気づいた点を幾つか。

○ガンプ(少年期)のママの“秘め事”を想像するに、心がザラつくのです(・ω・)
○主人公の名「フォレスト」は南北戦争の英雄Nathan Bedford Forrest(1821〜77)に因んで命名されたそうだ。
○ダン小隊長の後年の婚約者(スーザン)って一体・・
○『SHIT HAPPENS(不幸は起こる)』のステッカーはあんまし流行らないように思うんだが。
○ガンプが待っていたバス停の街は「サバナ」。
○長い回想を終え、冒頭のシーンに戻った時点で、映画は残り約20分!
○ガンプの“ウィルス感染”は心配しなくてええのか?!

〜 こんなセリフがイイんです 〜

ジェニー「何故優しいの?」
ガンプ「恋人だから」

ママ「私の運命はあなたのママになることだったの」

ダン「神よ、お前と決着を付ける時が来た!」
  「命を救ってくれた礼を言うよ」

ガンプ「投げたい石が足りない時もある」
   「僕は馬鹿だけど、愛が何かは分かる」

|

2006年12月 7日 (木)

☆『プラダを着た悪魔』☆

7日(木曜)。どうにも疲れが抜けない感じで、それが仕事に影響するのもプロ(セミプロ? ハイアマチュア?)としてどうか、みたいな気持ちもあり(←そないにエラそうな働きぶりでもないが)、本年内恐らく最後(?)となろう有休を頂くこととした。
溜まってる新聞記事も、もはや両手で引っ掴んで破き裂けないぐらいの分厚さになって来てるんで、本来なら出かけない方がイイんだろうが、気分転換したいのもあり、大阪市内へ出て公開中の映画『プラダを着た悪魔』を観てきた。
「コレって結局、トレンディで能天気なアパレル(not暴れる)業界モノじゃねーかよっ!」てな先入観が強かったが、まぁたまにはこーいう「畑違いな作品」を積極的に観るのも何らかのプラス効果をもたらすかも、みたいな(・ω・)

ニューヨーク。ジャーナリストを目指す、美人だが野暮ったい服装センスの持ち主、アンドレア・サックス(アン・ハサウェイ)。オシャレにとんと縁のない彼女が働くこととなったのは「世界のモードの発信基地」とも言えるファッション誌『RUNWAY(ランウェイ)(not RUNAWAY)』の編集部。気まぐれに彼女の(アシスタントとしての)採用を決めたのは、“プラダを着た悪魔”として業界に君臨する女性編集長、ミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)である。数々の無理難題を押しつけられ、ファッションセンスをけなされ、ときに落ち込むアンディ(←アンドレアの愛称)だが、ミランダの副官的存在であるファッション・ディレクターのナイジェル(スタンリー“空港では嫌なヤツ(2004)”トゥッチ)や下半身の“筆”使いもなかなかに達者そうな大物コラムニスト、クリスチャン・トンプソン(サイモン・ベイカー)・・など色んな方面からアシストを受け、次第に彼女の信頼を得てゆく。
「ミランダの下(もと)で1年間、アシスタントを勤められる実力があれば、このニューヨークの何処でだって通用する」なるアドバイスを信じ今日も奮闘するアンディ。さて、彼女は1アシスタントの立場から更に高い地位に上り詰めてゆけるのか? そして、地味なボーイフレンド、ネイトとの関係は?
見た目ちょっと浅いけど、その実ちょっと深い、そんな女の子向けの映画かなってトコです(・ω・)

サクセス系の『ワーキング・ガール(1988)』+業界系の『プレタポルテ(1994)』のノリか? と予想してたら、“弱肉強食”で“同僚即ち敵”な展開に『ショーガール(1995)』の趣を感じたり(=^_^=) んでも、思ったほど“性”が前面に押し出されてなく、スッキリ観ることの出来た作品かと。
いよいよ一般公開の迫る問題作『硫黄島からの手紙』とでは・・「何の関係もないやんか!」と思ってしまうが、実は“選択と決断”と言うキーワードに関し、2作には共通するものが流れていたり(・ω・) 本作でも、直接「生死に関わる」訳ではないが、端的に言うと「悪魔となる(なれる)かどうか、一線を越える(越えられる)かどうか」の選択を主人公が迫られたりする。いや、別に『ディアボロス/悪魔の扉(1997)』的なオカルトタッチの作品ではないですけど(=^_^=)

本作、監督や衣装など、スタッフがヒットしたドラマ『SEX and The CITY(略称:SaTC)(1998-2000)』にもちらほら絡んでるそうで、そっちを観たしとだと、更に楽しめるのかも知んない。
お次に俳優関係。
キーキャラを好演するメリル・ストリープ、流石に巧いですね。台詞や動き(←主役的な視点での)が意図的に少なく、一歩間違うと“薄い”役になってしまうトコを、きっちりと強烈な印象を放ってくれてます。人物設定そのものの(ヴィジュアル)イメージだと、グレン・クロースが演(や)っても別に構わんのじゃないか? と早合点してしまったかも(=^_^=) 役名も「ミランダ・デ・ビル」とかに変えてね(=^_^=)
劇中の合間合間に少しだけ“私生活の表情=無防備な素顔”をのぞかせる演出はなかなか。化粧も落とし、ヒールを脱いで裸足になってるし。きっと本心では「ファッションなんてもうウンザリ」などと思っているのだろう(←邪推)。
アン・ハサウェイ。衣装によっては妙に“バストの谷間”を強調してたよ〜な・・にしては、性行為のシーンとかは皆無なんスけど(おい、何を期待しとんねんな! でも『完全版』のDVDに期待☆ ←いや、ないない)(前出演作『ブロークバック・マウンテン(2005)』ではバストをモロに拝めた覚えが・・?)。。私的には仲間由紀恵さんや鷲尾いさ子さんなどの雰囲気を(風貌から)連想しちゃいますかね。整った美人顔だけど、あんまし男性の獣欲は刺激しないかな、みたいな(←こらッ!)。
にしても、劇中でさんざ「サイズ6!」とかからかわれる割に、見た目全然太ってませんけど・・。
スタンリー・トゥッチは『ターミナル(2004)』以来の拝見かな。極めて感情の乏しいような(生活感の薄い)人物なんだが、後半で“ほんの一瞬”無邪気に喜ぶシーンがあり、そこが良かった! それもカメラと反対に顔を向けてるから、表情が良く分かんないのがイイ(=^_^=) 女性臭(?)のまったくしなかった人物像だが、どうやら本作ではゲイの役だったらしい・・(・ω・)>
にしても、個性的でイイですね。もうじきブレイクか? スタンリー氏。

ラストは・・私的に「ちょっと意外」な感じだったか。でも、私的には「ミランダとアンディ」よか「ナイジェルとアンディ」の“その後”の方が観てみたかった気がするな(ちょっとバッサリ切れてたんで)。

実在の人物名として「J.K.ローリング(禁断の第七巻!)」「グウィネス(・パルトロゥ)」「サルマ(・ハエック?)」「スヌープ・ドッグ」とか出てましたか。デザイナー関係も「ゴルチェ」「ガッバーナ」「ジミー・チュー」「シュウ・ウエムラ」とか台詞で語られてたかな。
ワタシ、ファッション関係にはとんと縁も興味もないんで、殆ど憶えられなかったけど(×_×)
多分、依頼しても出演しないだろうけど、ニューヨークが舞台ってことで、ウッディ・アレンに是非カメオ出演して欲しかったかも。で、ミランダにぼろくそに言われる・・(=^_^=)

〜 こんな台詞もありました 〜

ナイジェル「仕事が上達すれば、私生活が崩壊する。いいぞ、その分では君の出世もそう遠くはない」
     「確信はしないが、信じ続けるよ・・」

エミリー「私はこの仕事が好き、私はこの仕事が好き、私は・・(←何度も自身に言い聞かせる)」
    「炭水化物を摂る女なんて!」 ←パリコレ出発前は“断食”がお約束(×_×)

ミランダ「どんな境遇に置かれようと、最後に決めるのはあなたよ」
    「またも、失望・・」

アンディ「私は“ベイビー”じゃない」

ネイト「君はいつもそう言う・・“仕方がない”と」
   「バッグなんぞ、1つ持ってりゃそれで充分だろ?」
   「服を着ないで(=ファッションを気にせず)出来ることをしないかい?」

※「ミランダのアシスタントなんて、君のような“優しくて賢い娘”には勤まらない仕事だよ」

↑言い換えれば、それが勤まる娘って・・(⌒〜⌒ι)

※いずれも耳コピー(メモなし=記憶依存型)なので、違ってるかもです。。

〜 その他 〜

□きらびやかなファッションアイテムの数々は貰い放題?!(←編集部への試供品?) それって役得過ぎるかも。1800ドル相当のバッグも貰えたみたいだし(・ω・)
□コメディでもホラーでもない作品でしたか。ラブストーリーかと言うと、そうでもないし。決して悪くはないですけど(私的にはあのラストこそ好きだし)。
□アンディがストリートを歩くシーン。手前の柱や壁を横切った瞬間「衣装が変わる」演出が良い!(時間の経過を視覚的に表現してる、『ノッティングヒルの恋人(1999)』でも似た演出をやってた☆)
□関わり過ぎても、ないがしろにしても・・近づき過ぎても、離れ過ぎても・・成り立たないのが恋愛関係かも、と。
□「ファッションはアイデンティティーだ!」って感じで着飾るしとたち。あでやかに変わって行くごとに、“純粋な個の存在”が塗り消されて行くようにも思えた。

|

2006年11月15日 (水)

☆『ファイヤーフォックス(1982)』☆

おお、ちょっと更新がサボりがちになってるじゃねぇか、などんぶりこの頃(←意味不明)。ハナシは先週に戻るのじゃ。
7日(火曜)。クリント・イーストウッド監督特集【第2夜】って感じで(衛星第2で)放送されたスパイアクション(?)『ファイヤーフォックス』を観た。元空軍のエースパイロットが単身ソ連(=ソビエト連邦:冷戦時代のロシアの呼称)に潜入、地元エージェントらの決死の協力を得て、最新鋭の“思考誘導式超音速戦闘機”ファイヤーフォックスを奪う、と言うもの。
御大クリントの監督&主演作の中でも、かなり異色の1作。前半は「抑え過ぎや!」ってぐらいに究極に地味なスパイドラマだし、後半からは一転して、CG映像満載のスカイアクションに変貌を遂げるのである!
が本作、中盤まで鬱屈してた観客の気持ちが「離陸」と共に爆発(射精?)するかのような後半への投入部、そのカタルシスが大好きなのである。私的には前半に『スパイ・ゲーム(2001)』、後半に『インデペンデンス・ディ(1996)』に通じる雰囲気を感じたりするものだが、どうだろ?

アラスカ。軍を退役し3年になるミッシェル・ガント少佐(クリント)のもとにヘリがやって来る。彼を“米空軍随一のパイロット”と見込んで連れ戻しに来たのだ。そして彼に与えられた任務は「理論物理学の権威、バラノビッチ博士により開発された“レーダー探知不能”な最新鋭戦闘機“ファイヤーフォックス”をソ連・ビリャースク基地から奪い、米領空圏内に持ち帰ること」と言う単純明快だが、荒唐無稽なミッションである。
上官は彼に語る・・「この機が実戦配備されたら、米ソの軍事バランスが入れ替わる」と。
「史上最速の戦闘機を飛ばせる」と言う高度な操縦技術のほか、ロシア語が堪能でなければならず、母親がロシア人(←ホンマかよ!な設定)と言うこともガントが選ばれた理由だった。
だが、ベトナム戦争時代、捕虜となった若き日に「援軍のナパーム攻撃を受け目の前で爆死した現地少女」の姿が時折フラッシュバックする・・と言う重度の後遺症(PTSD)に、今も悩まされるガントだった。

ロンドン経由でソ連に入国するガント。彼の仮の姿は「表向きは実業家を名乗る」武器商人、レオン・スプレーグである。現地でエージェントのウペンスコイと合流したガントは国家警備局(≒国家保安委員会:KGB)に早速マークされつつ、マイケル・ルイス⇒ボリツ・グラズノフと次々に名を変え、次第にビリャースク基地へと近づいてゆく・・そんな流れ(と言うか、そっから先は展開が早いし(=^_^=))。

以前は民放の吹替え版で何度か観たので、とにかくテンポが良く、クリントの声を当ててた故・山田康夫氏の「ファイヤーフォックス2番機だぁ」みたいな独特のアクセントの利いた言い回しに終始酔いしれたものだった。
今回、初めて「オリジナル字幕版」を観た訳だが、改めて感じたのは次の2点である。
・BGMが余りなく、ドックファイトシーンがイマイチ盛り上がらない・・と言うか静か過ぎる印象(ある意味リアルだが)
・ソ連国内でも、みんなバンバン英語で会話してるし(=^_^=)

特に失笑モノなのは、後半で基地の指揮権を掌握、逃げるガントを追い詰める“第一書記(或いは一等書記官)”。ロシアっぽい訛り(?)をムリヤリに利かせて英会話するもんだから、もうムチャクチャな感じである。。
「ガント君」と呼びかける⇒「ミスタル・ガント(Mister Gant)」
「機体は破壊しろ」と命じた後「完全にな」と言い添える⇒「コンピリトリ(Completely)」
「奴らはここだ」と地図を指す⇒「ゼイ・アル・ヘル(They are here)」

ちょっと「大人の鑑賞眼」が養えた今、(アクションだけでなく)じっくりドラマ面を観て心を打たれたのは、何と言っても現地スタッフが「ファイヤーフォックスを無事、離陸させるためだけに命を散らして行く」展開。銃撃されたバラノビッチ博士が事切れる瞬間に目にした、機体へと歩いて行くガントの姿・・或いは捜索隊による大規模な山狩りの手が迫る中、いよいよ自決を決めたウペンスコイの上空を飛び去る機影・・そんな演出がいちいち心にグッと迫るのである。
なお、基地内の1シーンのみ、クリントがロシア語で警備兵に何事かを命ずるくだりがある。字幕が出ないのが残念だが、後ほど「第3ゲートが手薄だ、直ちに警備犬を配備させろ」などと言っていたことが判明する。是非ここの台詞、ロシア語の分かる方に評価を聞いてみたいトコロである(・ω・) 「ダー(ええやん)」なのか「ニエート(あかんわ)」なのか。

〜 こんな台詞も印象的ですた 〜

ガント「(奴は)このパスポートが偽造だと」
ウペンスコイ「何言ってる?! 本物に決まってるだろ! それが奴らの手なんだ」

ウペンスコイ「本当に飛ばせるのか?」
ガント「飛ばせるとも・・俺の腕は確かだ」

ガント「何故、目的のため自分を犠牲に?」
バラノビッチ「君には分かるまいな。君らアメリカ人は自由だ・・だが我々はそうではない。
       我々にとっては、死ぬ事よりも保安局の支配の方が耐えられない」

第一書記「乗り心地はどうだね? ガント君」
ガント「イマイチだ」

|

2006年11月11日 (土)

☆『パーフェクト・ワールド(1993)』☆

6日(月曜)の鑑賞。今週は現在公開中の監督最新作『父親たちの星条旗』に併せてか(?)“クリント・イーストウッド特集”で放送プログラムが組まれてる感じの衛星第2。第1夜とし、ケビン・コスナーとの共演作である『パーフェクト・ワールド』が放送されたんで、観てみた☆ 実はこの作品、観るの初めて(・ω・) 何かケビコス主演作ってだらだら長いのんが多く、ちと取っ付きにくいのれす。「演技力もあるだろうし、存在感もなかなかだろうけど、ちと好きになれん」ってトコは、何処となくワタシの中でリチャード・ギア氏と双璧を成してる俳優さんであったりも(⌒〜⌒ι)
クリントは監督のほか、助演でも参加してるが、予想してたのとやや違うキャラだったか。「宿命の関係」にあるケビンと終盤、いよいよ“ご対面”となるんだが・・その辺りのあっさりしたやり取りが、意外と言えばかなり意外だった。ちょっと弱々しく、苦り切った役に専念してた印象でしたな、本作。

時は、合衆国大統領ケネディがダラスで開催されるパレードにやって来る少し前、ハロウィーンの夜(即ち1963年10月31日)。2人の囚人、ロバート“ブッチ”ヘインズ(ケビコス)とテリー・ピューが収監されていたテキサス州・ハンツビル刑務所を脱獄する。所員を拉致、殺害し、奪ったクルマで立ち寄った先は“エ※バの証人”を信仰する、異教徒のペリー家だった。そもそもは車両交換&食料調達が目的だったが、テリーの暴走により騒ぎが大きくなってしまったため、囚人らはその家の8歳になるフィリップ少年(T.J.ローサー)を拉致、州境を目指し更なる逃亡をはかる。彼を追うのは「少年時代のブッチを知る」レッド・ガーネット署長(クリント)率いる州警察のチーム。その中には州知事に派遣された、女性犯罪心理学者サリー・ガーヴァー(ローラ・ダーン)、FBI捜査官と言った面々も含まれていた。
フィリップをことごとくいじめ、自身の足手まといともなったテリーをブッチは道中で射殺、次第に心を通わせたブッチとフィリップはクルマを乗り換え、色んな人々(家族)