2012年1月 9日 (月)

☆『ニューイヤーズ・イヴ(2011)』☆

8日(日曜)の午後。
帰阪の折、大阪府内の某シネコン(M系)にて鑑賞して来たのは・・昨年末から気になってた1作『ニューイヤーズ・イヴ』だった。

ゲイリー・マーシャル監督による“群像劇再び”って感じの本作。
昨年の『バレンタインデー(2010)』に於いても、豪華俳優陣をとり揃え、ベタ&散漫な感じで(?)突っ走ってくれた覚えがあるが、果たして“柳の下に2匹目の野※総理”はいるのだろうか・・?

人々は何故、この1夜に、ここに集まるのだろう・・?

2011年12月31日。
ニューヨークの54丁目・・“タイムズスクエア”にて。

世界的に有名な“カウントダウン”を「成功に導く」為、或いは「見届ける」為、
NY(ニューヨーク)から、世界から、人々はここに集まって来る。

人々が集まり、そこには様々なドラマが生まれる。
すれ違う人々、そしてまた巡り合う人々。

・・

♦新年到来のタイミングに併せ、巨大ボールを投下させる世紀のイベント“ボール・ドロップ”の仕掛人たち

タイムズスクエア協会の副会長=クレア・モーガン(ヒラリー・スワンク)は、高所恐怖症である自身を奮い立たせつつ、このイベントの陣頭指揮に立つ。リハーサルこそ首尾良く進んだモノの・・本番ではボールの上昇が(回線のショートで)ストップしてしまい、急ぎベテランの修理技師=コミンスキー(ヘクター・エリゾンド)を呼び出す事となるが、彼は協会に解雇された事を根に持っていた。

♦「エイハーン・レコード」の幸薄き秘書

ハイミスで内気な秘書=イングリッド・ウェザース(ミシェル・ファイファー)は、上司=コックス(ジョン・リスゴー)の不当な扱いにとうとう我慢ならなくなり、辞表を突き付けオフィスを飛び出す。
自転車配達人(バイシクルメッセンジャー)=ポール(ザック・エフロン)は、イングリッドの持つ垂涎モノの「VIPパーティ」チケットとの交換を条件に、彼女の“叶えたい事リスト”の実現に渋々協力する事となる。

♦「エイハーン・レコード」主催「VIPパーティ」の舞台裏

“NYの顔”とも言われる人気ソロシンガー=ジェンセン(ジョン・ボン・ジョヴィ)は、かつての恋人=ローラ(キャサリン・ハイグル)の姿を厨房で見かける。ヨリを戻そうと近付くジェンセンに、ローラは強烈な平手をカマすのだった。

♦“タイムズスクエア”の見える病室にて

「俺はロクデナシな人生を送って来た」と末期ガン患者=スタン(ロバート・デ・ニーロ)は、看護師=エイミー(ハル・ベリー)に語りかける。「今夜が峠であろう事」を悟った彼は、主治医に「この病院の屋上から、この眼で“ボール・ドロップ”を見届けたい。TV中継じゃなく」と申し出るが、この寒空の下では、彼の許可が下りようハズもなかった。

♦2万5千ドルを賭けて

新年到来の瞬間=1月1日の午前0時ちょうど・・に赤ちゃんを産んだ夫婦には「2万5千ドルの賞金」が与えられると言うハナシを聞きつけた2組の夫婦(ジェシカ・ビール、ティル・シュヴァイガーほか)は、敵意を剥き出しにし、互いに出産の時間を管理・調整しようとする。

♦“カゴの中”の2人

アパート5階から降りようと、たまたまエレベータに乗り合わせた“ひねくれ者”の青年イラストレーター=ランディ(アシュトン・カッチャー)と“華々しいソロデビュー”を夢見るバックコーラス歌手=エリーズは、故障により、狭い“カゴの中”に閉じ込められてしまう。

♦はるかNYへ

「エイハーン・レコード」の若き経営者(創業者の御曹司)=サムは、コネチカット州で行われた友人の結婚式からの帰り、自動車の自損事故により「見知らぬ家族のクルマ」に同乗させて貰う形でNYを目指す事となる。
せまる「VIPパーティ」の大切な冒頭スピーチ。彼は間に合うのだろうか?

♦すれ違う母と娘

ホールの衣装係である母=キム(サラ・ジェシカ・パーカー)は“ボール・ドロップ”を見物したいと言う娘=ヘイリー(アビゲイル・プレスリン)に許可を与えない。当夜、自室の窓から“エスケイプ”を果たした娘を追いかける母だったが・・

・・

群像劇としての(出演陣の)豪華さ、ラストに“お祭り騒ぎ”が頂点に達する事のカタルシス(?)みたいなポイントの「置かれてる」点こそは、本作の「強み」だと思うんだけど・・どうにも『バレンタインデー』の2番煎じと言おうか、ゲイリー・マーシャル監督が手がけるほどの脚本ではないような気もした。

「人物の相関関係」「それぞれの事件」と言った要素が、いわゆる“月並み”なのである。ラストでカ※ルの大群が降って来るとか、上空から殺※剤が撒かれるとか・・もう少し“思わず口コミしたくなる”ような演出を軸の部分に練り込んで欲しかったトコである。

一方で「殆ど動かず、表情だけの演技」ながら、存在感を発揮してたデ・ニーロや「すっかり乾いたおばさま」となってしまいつつも、やっぱり(しっかりとキュートな)魅力を放ってたミシェル姐さんのインパクトはなかなかだった!

因みに、タイムズスクエア協会長役で『ウォー・ゲーム(1983)』や『グローリー(1989)』や『ケロッグ博士(1994)』や『ケーブル・ガイ(1996)』や『USゴジラ(1998)』なあのしとがプチ出演してはったが・・妙に老けて見えてしまった(×_×) あ、でもSJPさんの「リアル旦那さん」だったんやねぇ(⌒〜⌒ι)

「誰が最後に1番笑ったか?」を考えてみたら・・これはもう終盤でやたらとキラキラ&ゴージャスに馬車から降り立った、あのしとのご尊顔しか浮かばなかった。ってか、終盤のあのシーンだけ「まんまSaTC」と化してたように思えてならなかったが・・画面が(=^_^=)

悪人もいなければ、想像もしなかった大事件が起こるワケでもないNYの大晦日。

少しばかり“(国外で尚も続く)戦争の影”を憂いながらも、ニューイヤーズ・イヴを祝いたい・・ってニューヨーカーの心境をしたたかに活写した1作、とは言えるのやろか(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

・エンディングでの、ザック・エフロン君のダンスのキレがスゴ過ぎる! コレが若さか・・(×_×)
・ボールに乗ったまま上昇してゆくエリゾンドおじさんを眺めながら「ああ、このしと、死ぬんやろか」と思ってしまった。。
・エンディングでノリノリに踊り始めるミシェル姐さんに・・惚れますた!(=^_^=)
・ミシェル姐さんの“叶えたいリスト”の1ツに「全身をレザースーツで覆い、深夜のブティック(?)を爆砕する」ってのも入れて欲しかった(=^_^=) ミャオ!
・“ボール・ドロップ”は1907年から続くイベントらしい。
・「アンチョビを丸呑みすると陣痛が早まる」・・ってのはガセらしい。
・昨年末のNYには『シャーロック・ホームズ/シャドゥゲーム』の巨大な新作ポスター(看板)が!
・ランディは「タフツ大学卒」との事。
・“セレンディピティ”は「幸福な偶然」と訳されるようで。
・“Myrtle Avenue”って地名が登場。何処なんだかサッパリだけど(×_×)
・サムの飼い犬は「アイポッド」と言う名らしい(=^_^=)
・コミンスキーがロシア語っぽく「One more test」を“ワン・モル・テスト”と発音してたのが笑えた。
・NYでは“ティファニーで朝食を”だけでなく“ローマの休日(←スクーター系)”ごっこでもヘプバーン気分には浸れそうだ。

〜 こんなセリフも 〜

クレア“新しい年は、あなたにチャンスをくれる”
   「名演説ですって? “引き延ばし”よ」
   「私はボールを直して来るわ。
    あなたも“壊れたもの”を治して来て」

ローラ「叩いたのは謝るわ。2発目は

ランディ「年末の“嘘くさい挨拶”ってのが、1番ハラが立つ」

スタン「“避けられん事”を遅らせて何になる?」
   「ニューヨークの空気はイイな」
   「俺の人生は過ちだらけだったが・・
    お前だけは誇りだ

コックス「休暇を取って、島にバカンスに行きたいだと?
     スタテン島ぐらいなら行けるだろ?」

ヘイリー「クロッグを履くのはやめて」

イングリッド「“先延ばし”は止めるわ」
      「私は“倍以上も年上”よ?!」

サム「スピーチの原稿は書いてないんだ。
   ただ“インスピレーション”を待ってる」
  「“心の話をして”と言われた」
  「例え美人でも、話の中身がなければ・・」
  “スピーチは短く済ませるよ。
   ソクラテスも演説が長くて殺されたから”

ポール「目標達成だ(Check!)」

エイミー「あなたは(自分を)ロクデナシと言うけれど、
     だからこそ“思い通りの人生”を送れたのかも」

コミンスキー「ありがとよ(take you.)」
      「おい、下ろしてくれ!」

エヴァ「かぶりつきの席で、ジェンセンの唾と汗を
    全身に浴びて来るわ」

女医「言っておくわ(Let me be clear.)」
  「ふざけないで。“直腸検査”されたい?」
  「ようこそ、世界へ」

管理人「まさか、ここでヤッてないだろうな?
    普通は“流れ”でそうなるハズだが・・
    後で“ビデオ映像”をチェックするからな」

※「想像して(Use your imagination.)」
 「か弱い女だから(I'm a delicate girl.)」
 「スペインでは、男が女に跪(ひざまず)くのは、
  求婚する時か、撃たれた時だけよ」
 「任せて(Give me a chance.)」
 「あんた、感じ悪いな。陸運局に勤務してんの?」
 「残念だな(I'm sorry too.」)
 「何なの?(Something on?)」
 「ひまし油は『メリー・ポピンズ(1964)』でも飲ませてたが」
 「見せて(Let me see.)」
 「こっちは“狭い駐車場”から
  “大型のバン”を絞り出してんのよ!」
 「自らの心に素直に!

ポール「眼を見て話してくれたの、初めてだね」
イングリッド「それも“叶えたい目標”の1つだったの」

追記1:「キスのリライト(上書き)」なんぞをしとるガキが登場し・・羨まし過ぎた(=^_^=)
追記2:ミシェル姐さんとハルベリ姐さんが共演!(別々のエピソードだけど) ここに(もし)アン・ハサウェイさんもが出演してはったら「猫娘3代」が一同に会したトコだネ・・

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2010年10月 7日 (木)

☆『ナイト&ディ』☆

6日(水曜)の夜。

「気分を切り替え、自分だけのための時間を持とう」と思い付き、仕事帰りに“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に向かった。
当初狙ってたのは「男女入れ替わり系ネタ」のとある邦画だったが(←と言っても『転校生(1982)』じゃないし『椿山課長の7日間(2006)』でもないゾ、と)・・ロビーに到着してビックリしたことには、

“10月6日(トムの日)の先行上映”とか言うことで、チケット販売カウンターの背後にデカデカとポスターが貼られつつ、今週末から一般公開の始まる『ナイト&ディ(←“悩んでぇ”と発音するとネイティヴっぽいカモ、、)』がひと足早く鑑賞出来るのであった!

混み具合を訊ねても、そないにムチャクチャ観客が殺到してるワケでもないらしく「されば(=だったら)」と観ることを即決した。

・・とは言え、例によって“レディース・ディ(水曜)”とかち合ってしまったため、周囲にはどちらかと言えば「安いから来ました」的なしとたちも少なくなかったような感が。

すぐ左隣に(遅れて)座った男女連れが結構うるさくて「チミらは、どっか違う空間で、喋るなり、抱き合うなりしてろよ!」と思ってしまったが、まぁそう言うのも「こんな日」を選んでしまったワタシの不幸だったのかも知れぬ(×_×)

ファミレスなんかに行ってもしみじみ感じるのは「料金設定が下がると、客の質もそれに比例して下がる」ってこと。
困ったモノである。

まぁでも、ワタシも彼女連れだったら、スクリーンそっちのけでディープキスとかペッティングとか、し続けるんやろな(←おい!そこ、出て行け!)(=^_^=)

カンザス州のウィチタ空港。そのターミナルでジューン・ヘイヴンズ(キャメロン・ディアス)は、笑顔のステキな陽気な男(トム・クルーズ)に「偶然」にも2度ぶつかる。

その男はロイ・ミラーと名乗った。
1便早い、ボストン行き旅客機への変更の叶ったジューンは、機内でロイと再会、会話を進めるウチに好感を覚えてしまう。

「アラやだ。あたしってばテキーラを飲み過ぎたのかしら?」

酔いを覚ますため、そして自らを落ち着かせるためにトイレに立った彼女が(自席に)戻ると・・まばらに座っていた乗客はみな静まり返っている。
ロイが言うには「僕がやむを得ず“事態に対処”した結果、乗客もパイロットも死に、この機は降下を続けている」とのこと。

コクピットに移動し、操縦桿を握るロイに「ボストン空港に不時着出来るの?」と問えば、彼は事も無げに「空港には降りない。“ヤツら”が待ち伏せているから」と答えるのだった。

高度を急激に下げて行く機体。
ジューンは自らが「ナニか大変な事態」に巻込まれてしまったことを強く感じるのだった・・

トムクル&キャメロンの共演(競演?)が『バニラ・スカイ(2001)』以来で“再実現”された本作。しかし「緻密かつ緊迫したサスペンス巨編」と言うよりは「ペラッペラでライトタッチなコミカルスパイアクション」って印象だった。
主人公2人を、より薄く&等身大に設定し直した『トゥルーライズ(1994)』みたいなもん、とも評せようか。特に“極上”って風でもなかったし。。

しかしアレだ。
流石にトムクルも、キャメロン姐さんも「ちょいと旬を過ぎたはる」感が全編を通じ漂いまくってた(×_×)
物語のテンポが異常に良過ぎる(=^_^=)ので、展開を追っかけてるだけで、確かに退屈なんぞは微塵も感じない訳だが・・その辺からも「主役2人が、物語&ロケーション(移動)にかなり助けられてた印象」が少なからずあった。

その割に、ビッグなお2人が(きっと)ギャラをゴッソリ持って行ったはるようで、2人に迫るまでの勢い(と存在感)を持つ俳優陣をイマイチ揃え切れてなかったようでもある(・ω・)

にしても・・これまでに幾多あった“トムクル主演作(特にアクション系)”ともなれば、幾つかの「お約束事」があった(?)んだが・・本作はちょっとそれらを「外してる」トコもあり驚かされた。例えばこんな点である。

・字幕担当が(戸田奈津子女史ではなく)松浦美奈さん。
・中盤の格闘シーン(対ベルンハルト戦)で、トムクルが完全に「ノックアウト」されてしまう(!)

私的にパッと思い浮かんだのは「『コラテラル(2004)』の殺し屋=ヴィンセント(演:トムクル)が「戦闘スキルはそのままに」陽気になったら、こんなキャラ造型やろか?」ってのと「往年のヒッチコックサスペンス(特に『北北西に進路を取れ(1959)』的な“巻込まれ”路線)を現代の映像センスで再現したかったんやろか?」ってことだった。

ありとあらゆる(=^_^=)乗り物を駆って(飛行機、ヘリ、クルマ、バイク、ボート・・)主人公が、2ツの謎の組織(なの?)と追いつ追われつの激しいチェイスを繰り広げるんだが・・ゴテゴテした装飾を取り払って行くと・・意外にスッカスカな脚本であることに、すぐに気付いた(=^_^=)

一方で、特に楽しいのは「キャメロン姐さんがとにかく意識を失いまくる」「主要キャラが意識を失う局面で、かなり物語が端折(はしょ)られる」ってトコだろうか。

監督か脚本家かのアッタマが悪いんやろか? と最初は思ったが、コレはきっと「イマドキの若い観客層の嗜好や理解度に合わせ、ハードルを思いっきし低く設定してるんかもなァ」とワタシなりに解釈(=^_^=)

ってことで“細かく物語を観る”タイプの方には「穴ボコだらけのおバカ脚本」に違いないんだろうけど、若いカップルさんなんかには「破たんの全くない、極上のエンタテインメント作」にきっと映るんやろなぁ・・と少し切なくもなっちまった、このおじさんである(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

・監督はジェームズ・マンゴールド。『コップランド(1997)』『17歳のカルテ(1999)』『ニューヨークの恋人(2001)』『アイデンティティー(2003)』『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道(2005)』『3時10分、決断のとき(2007)』・・となかなかに作品の質の安定しないタイプのおっつぁんではある(苦笑)。
・ヴィオラ・デイヴィス、ピーター・サースガードが助演したはったが、お2人ともイマイチ印象が薄い。
・「74年型カマロ」「66年型GTO」「67年型グランプリ」など“御大”クリントの喜びそうなアメリカン・ヴィンテージカー(?)ネタがバンバンと☆
・“ゼファー”なる謎のアイテム(=マクガフィン)が物語のカギに! ワタシゃまた“ラビットフット(2006)”みたいなもんかと思った(=^_^=)
・フィッツジェラルドの愛称は「フィッツ」で良いそうだ。
・ロイもまた“iPhone(前モデル)”を活用しまくってた! 遠隔地から「アマポーラ通り5826」をやけに気にしてる辺り、何処となく『メン・イン・ブラック(1998)』におけるエージェントK(トミー・リー・ジョーンズ)に通じるもん(気遣い)があった。
・カンザス州は「アメ車のパーツの宝庫」らしい。
・ロイの夢は「オリエント急行に乗車」「グレート・バリア・リーフ(豪州)でダイビング」「アマルフィ(伊)で登山」「ホテル・デュ・キャップ(南仏)で見知らぬ女性に声を掛ける」だとか・・ あんさんの財力やったら、なんぼでも出来ますやんか(笑)
・ジューンの夢は「リストアしたポンティアックGTOでケープホーン(南米最南端)までドライヴ」だってさ。
・そう言や、トムクル演じる“某シリーズ”の主人公(スパイチームのリーダー役)のミドルネームも「マシュー」だった。
・そんなマシューが組織を設立したら、やっぱし「ナイト財団」と命名されるんやろか。。
・ニセ情報を信じ込ませる手口を“DiP”と言うそうだ。
・「黄色ドレス&ブーツ」「赤ビキニ」「看護師ルック」など、そこそこにキャメロン姐さんの“コスプレ”が楽しめる☆
・スパイは「Secret Agent」で良いようだ。
・前半〜中盤にかけてのロイの「被弾しなさ」が凄まじい! 「ツイてる」とはまさにこんな状況を言うんだろう。『レオン(1994)』で主人公(演:ジャン・レノ)の言われてた「弾がヤツを避けて行く」って域だ。
・ロイの隠れ家があるのは「アゾレス諸島」らしい。
・“ハーヴェイ・ウォールバンガー”なるカクテルが登場。ウォッカベースらしい(・ω・)
・女性観客はみんなで“フーディーニの手”を覚えて帰りませう(←護身術)。
・サイモン・フェック君のお気に入りアーティストは“ホール&オーツ”だった。
・イザベル・ジョージ部長とロイの間には、過去に「何か」があった様子。しかしその辺は何も明かされなかった(×_×)
・武器商人=アントニオ・クィンターナの組織ってば「情報力」「機動力」「兵力」のいずれもでC※Aを圧倒して見えた。。
・悪党ながら、アントニオ役の男優さんの「憂いを帯びた目付き」が印象的だった。
・ロイとナオミの関係ってば、どうだったんやろ? 詳しく描かれなかったなァ。
・スペイン(セビリア?)で“サン・フェルミン祭”が行われてたことから、後半は7月上旬〜中旬の時期と考えられる。
・アントニオの副官=エドゥアルドの部下らが1人ずつ、始末されて行き、とうとうエドゥアルドのみになってしまう辺りがコントっぽくて笑えた。まさに「後ろ〜! 後ろ〜!」の世界だ。(ここも『レオン』の(序盤の)演出がちょい入ってるか?)
・フィッツの乗り回してた「ベンツSLK230」のコンパクトさが、なかなか魅力的に映った☆ トランク内は流石に狭かろうけど、、
・デカい排気量のクルマってば、割合簡単に「テールを滑らせられる」ようにも映った(⌒〜⌒ι)
・2人の敵ボスキャラが劇中に存在するが・・1人目は割と「生命、助かってるかも」的な印象での退場だった。2人目に至っては、まさに典型的な(?)「バカ映画」路線の退場だった。
・「ブロタイン・ゼロ」に興味津々(・ω・)
・終盤で全力疾走を披露してくれるトムクル。「若さのアピールタイム」ですかねぇ。。

〜 こんなセリフも 〜

ロイ「君と良くぶつかる」
  「おでこが少し汚れてるよ」
  「ボストン行なら12番ゲートだ」
  「物事には理由があるんだ
  「“いつか”は危険な言葉だ。“永遠に実現しない”と同じ言葉でもあるから」
  「僕も(酒を)飲ませて貰うよ」
  「僕の撃ったヤツがはずみで撃った弾が当たって、
   もう1人も死んだ。・・良くあることさ
  「君が“明るいタイプ”で良かったよ」
  「墜落じゃない。急降下してるだけだ」
  「眠れば、治るよ」
  「ヤツらの車には絶対に乗るな。
   危険を予知するキーワードを教ておくと“安心”“保証”“安全”だ」
  「イイ運転だな。“屍体越し”なのに」
  「僕らは離れちゃダメなんだ」
  「“こいつ”って?(This is a guy?)」
  「ごめん、背後で“動いた”と思ったんだ」
  「“アイス添え”は身体に悪い。リンカーンはそれを知ってたから殺されたんだ」
  「損傷は筋肉だけだ。骨や動脈は撃ってない」
  「彼はイイ奴だが、君には向かない。・・これは僕の意見だけど」
  「僕がついてないと君の寿命はここ(=低い)だ。僕と一緒ならここ(=高い)」
  「今夜(の君)は安全だ。この“イーグルスカウト”が誓うよ」
  「そばにいろ(Stay Close.)」
  「真っ暗闇の中でだって、安全ピンとチョコさえあれば、爆弾を解体してみせるさ」
  「ちょうどイイ(Perfect timing.)」
  「・・牛だ」
  「イイ腕だ(You got skills.)」

ジューン「ハートに響く言葉ね」
    「何も起きやしないわ。今日も“普通の1日”よ」
    「何で、そこであたしの手に触るのよ?」
    「何度も名前を呼ばれるとパニクるのよ!」
    「あんまりだわ(You can't do that.)」
    「彼といると、自分がすごく強く感じるわ」
    「あなた、女性にオムレツを作ってあげたことってある?」
    「女はね、彼のそんな“小さな気遣い”が嬉しいモノなの」
    「あたしに任せて(I got this.)」
    「今日? 今日が“いつか”よ。“夢の叶う”日」
    「ペンチとレンチさえあれば、クルマだって直してみせるわ」

フィッツ「・・また出し抜かれたか」

イザベル「スパイは“嘘をつく”のが仕事なの。愛など棄てるよう訓練されてるのよ」

アントニオ「やっと、逢えたな(Finally, Nice to meet you.)」

※「やめろ!(Enough. It's over.)」
 「列車は最も死亡事故率の高い乗り物だ。具体的には“飛行機の10.3倍”にもなる」

ジューン「荒れそうなフライトね」
ロイ「・・そのようだな」

ジューン「もう着陸?」
ロイ「いや、まだだ」

ロイ「つまり、パイロットはもういない。撃たれて死んだから」
ジューン「・・誰に?」
ロイ「・・僕にだ」

ジューン「もう人を撃つのは止めて」
ロイ「分かった。少し撃つけど、すぐに戻るよ」

ロイ「言ったろ? “物事には理由がある”って」
ジューン「あれの何処が“警告”なのよ!」

ロイ「(僕らの出逢えた)ウィチタに乾杯」
ジューン「あれを運命と?」
ロイ「僕は運命など信じない・・信じるのは“幸運”だけさ」

ロイ「君は家に帰ったのでは?」
ジューン「あなたこそ死んだんじゃ?」
ロイ「説明する」
ジューン「その必要ない!」 ←観客はゼヒ知りたい!(=^_^=)

ロイ「銃を取れ」
ジューン「次は?」
ロイ「撃ちまくれ!」

ジューン「ハナシは複雑なのよ」
ロドニー「俺も君と同じ気持ちだよ」

ジューン「何故、何度も“安全”だと繰り返すの?」
※「それが事実だから」

追記1:10月6日が“トムの日”なのは、どうやら単なるダジャレの類らしい(?) 別に「トムハンの日」「トムベレの日」「トムウェイの日(←トムウェイってあんた、、)」と解釈しても、いっこうに構わんのかも知んない(・ω・) ついでに「トムサヴィの日」ってのもアリか(=^_^=)
追記2:トムクルとキャメロン姐さんってば・・実年齢で言えば「ひと回り」ほど離れとるようで(⌒〜⌒ι) んでも、トムクルと奥さん(ケイティ・ホームズ)とは更に年齢差が大きい訳だし、まぁ、エエか(←ってお前ごときがどうこう言う資格なし!(×_×))

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2010年1月25日 (月)

☆『脳内ニューヨーク(2008)』☆

24日(日曜)。
大体は週末となれば、家人の(最近の)事情もあり(?)“土日コース”で帰阪してるんだが、今週は出張も重なったので高松で過ごした。
って言っても、昨日(の帰宅後)は家で夜更けまですっかりゴロゴロしてたもんで、その反動もあってか、今朝なんて起きたら正午を過ぎてしまってたようで(×_×)

自宅にこもっちまうと、どうにも「ネットにふける⇒あまずぅんで買い物にも走る」「蓄えてる食べ物(特に菓子系)に手が伸びる⇒太る」ばかりに生活が傾いてしまい、、危ない(×_×)

ときに、ここしばらくのマイブーム(?)は四国を代表する(?)素朴な菓子“ミレービスケット”ってヤツで、早速買っておいた1袋を完食してしまった。。
にしても「朝食&昼食&おやつ」がビスケットとは、、

そんな中「外出して気分転換せにゃ!」と思い立ち、夕刻せまる時間帯からであるが、市の中心部に出向き、ミニシアター“ソレイユ”で狙ってた1本『脳内ニューヨーク』ってのんを観て来た。

『マルコヴィッチの穴(1999)』『アダプテーション(2002)』『エターナル・サンシャイン(2004)』など、奇天烈なシナリオで知られる脚本家=チャーリー・カウフマンの監督デビュー作。

ニューヨーク在住の劇作家=ケイデン・コタード(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、画家である妻=アデル、4歳の娘=オリーヴと同居しているが、平穏な筈の日常に、少しずつ不安&不満の高まって行くのが抑えられない。
それに加え、体調も今ひとつ良くない。

夫婦間に生じたいつからかの「静かで深い溝」は、もはや埋めるべくもなく・・やがてアデルはオリーヴを連れ、ベルリンで開催される個展に出発してしまう・・ケイデンを独り残して。

妻子に突然に去られ“本当の孤独”になってしまったケイデンのもとに「天才賞」の異名でも知られる「2009年マッカーサー・フェロー賞」受賞の知らせが届く。彼はその副賞である莫大な賞金を使って、ニューヨークの一角に巨大な劇場を建設することを思い立つ。

劇場を造り俳優を雇い、そこで上演される「壮大な物語」の執筆に取りかかる彼だったが、次第に「自分と他人」「現在と過去」の境目が判然としなくなって来るケイデン。

しまいには「あなたを長い時間、追いかけて来た」と言う、サミーと名乗る老人(トム・ヌーナン)がオーディションに現れ・・

うーん、、何だろ。“壮大なカウフマンの妄想世界”・・もっと言葉を荒くすれば“散漫&冗長なカウフマンの自慰行為”に延々付き合わされた感があった(×_×) タイトルからすれば、もっと「広がってる印象」があるのに、実に「展開が狭まって行く印象」こそが強かった。。
って言うか。ニューヨークを舞台にしときながら、真っ先に(かの街から)連想されるべき(?)要素たる「ビジネス」「観光」「犯罪」のいずれにも手の付けられてなかったのには“違和感”を禁じ得なかった(・ω・)

ただし「ウッディ・アレン監督作かよ!」と突っ込ませるほどに、起用される女優陣が豪華な顔ぶれで、そこだけは華やかで得した気分となった。サマンサ・モートン、ミシェル・ウィリアムズ、エミリー・ワトソン・・そしてダイアン・ウィースト。気付かなかったが(×_×)ジェニファー・ジェイソン・リーも出たはったようで。。

必要以上(?)に「エロティック描写」の目立つのも(本作の)特徴と言えたか? サマンサ(ヘイゼル役)の上半身ヌードやら、エミリー(タミー役)のストリップやらが観れる。

またアデルの描く裸婦像の数々も、妙にリアルでドキッとさせてくれる。ま、それら作品のサイズが余りに小さいため、拡大鏡を使わないと細部が分かんないのは確かに「難」だが・・(⌒〜⌒ι)

主人公が容姿・年齢・性別を自在に変え、ニューヨークを舞台とした壮大な喜悲劇の中で生きる・・ってシチュエーションは独自性があり、楽しかった。サミーは長身&痩身であり、それはそれで(現実の)ケイデンが理想に描いた「像」を満たしてたンだろう。「女性になりたい」と何処かで漏らしてたことを具現化してみたら・・ミリセント(ダイアン)と言うキャラに仕上がってしまったのかも知れぬ。

しかし何だ・・監督が(自己完結的に)ワルノリして楽しむのは結構だが、それを観客に押し付けてる感がどっか、全編の裏側に流れてるようにも感じ、納得出来ない部分も多かった。

本作は「分かる(=理解する)」べき物語ではないように思う。「感じる」と言うか「眺める」と言うか、、多少の「不満」を感じてもそれは何ら問題はない筈・・でなければ、それこそまさに“カウフマンの術中”にはまってることに他ならないのだから。

〜 こんなトコもありました 〜

♦やっぱり良く分かんないカウフマン世界(・ω・) 思うに彼は「心理学」「精神分析学」の分野に進み、そこでエキスパートとなるべき人物だったようにも思う。案外、既にそっちの分野で博士号とか持ってたりして・・?(⌒〜⌒ι)
♦オリーヴを巡る様々な「謎」が気になった。「緑色の※※※は何を示唆するものか?」「何をプレゼントされたのか?(比較的大きな箱にただ“NOSE”と記されており、鼻のイラストが描かれてた)」「ガラス越しの、父の姿に気付いていたのか?」
♦中盤で投身自殺を図った某人物。路面にめり込んでる描写が妙にリアルで、背中がゾクッとした(×_×)
♦「4歳で小説を書き、5歳で自殺してしまった作家」なんてなネタもあった。。
♦「指のケガ(の診察)からガンが見つかった」ってセリフが印象的だった(・ω・)
♦後半、とある神父の放つ「説教」に・・“かなり重要なヒント”の隠されてた気がする。
♦主人公=ウィリー・ローマンが登場する劇は、どうやらアーサー・ミラー作『セールスマンの死』らしい。

〜 こんなセリフもありました 〜

ケイデン「どれだけ医療が発達しようと、死は免れない。
     言い換えれば、人は死に向かってるんだ。だが、この瞬間は生きてる。これが本質だ」
    「今度の舞台は壮大で革命的なんだ」
    「演技は変えても、キャラは変えるな」
    「ターキー(Turkey)は“七面鳥”じゃなく“トルコ”のことだ」
    「君に分かるか? “真の孤独”がどう言うものか」
    「君はもう“僕の一部”なんだ。“呼吸”と同じなんだよ」
    「随分・・遠回りしたね」

アデル「夫の死を望むの。楽になって、人生をやり直したい・・と」

マドレーヌ「この本で人生が変わるわ」 ←本の題は“Getting Better(回復)”だった。

ヘイゼル「私の部屋に来ない? 今夜は逃がさないわ」
    「“イヤな思い”をさせたげるわ」
    「帰って(You Should Go)」
    「“知らないこと”を知るのが、探求の第1歩よ」

クレア「今夜は酔うしかないわ」

タミー「大胆? 服なんて毎日脱いでるわ」
   「“女になりたい”なんて面白いわね。女なんて面倒なのに」

サミー「私を雇えば“真の自分”が分かる」
   「きっとね、ベイビー(Maybe,baby)」
   「見ろ! 私の修復しようのない“心の破れ”を」

ケイデン「何故、キスしたいと?」
ヘイゼル「“あの感触”が恋しいから」

表彰状より“莫大な賞金で、真実の探求と価値あるものの創造を”

※※※「タトゥーぐらい何よ! あたしだって!」
ケイデン「それ、初めて見たよ、、」

※「死は・・思ったより早く来るもんだ」
 「秋は“終わりの始まる”物悲しくも美しい季節よ」
 “今、家を持たぬ者は・・この先、一生持たぬだろう。
  今、孤独な者は、この先も孤独だろう”
 「あなたが(この部屋から)いなくなろうと・・この部屋は気にはしない」

サミー「アデルは※※※の具合もイイ」
ケイデン「何故そんなことを知ってる?」
サミー「・・何かで読んだ」

ケイデン「スツール(Stool:便)に血が・・」
アデル「どの腰掛け(Stool)なの?」

ケイデン「1つ訊きたい。僕は君を失望させたか?」
ヘイゼル「人間同士だもの。失望だってあるわ」

オリーヴ「死ぬ前にあなたを赦すわ・・でもその前に赦しを乞わなきゃ駄目」

神父「この世界にとっての殆どは、あなたの死後か生まれる前のこと。
   あなたの存在する時間なんて、わずか1秒にも満たない」

追記1:両手の人差し指をツノのように突き出し「負け犬〜!」とか叫んでた『ツイスター(1996)』の頃がなつかしいホフマン君(=^_^=)
追記2:エミリー&サマンサの2人が「似てる系」なのがややこしい、、これもカウフマンの「狙い通り」だったんやろか?(・ω・)

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2009年7月16日 (木)

☆『ノウイング』☆

14日(火曜)。
昨夜は(深夜から)気分転換に“自宅周辺ウォーキング&ジョギング”を開始したは良いが・・目指す折り返し点(?)が妙に遠く、閉口させられた。。熱帯夜だったのもあり、実を言えば(しんどくて)7割がた歩いてしまった気がするし、帰宅までに1時間40分ほどを要してしまったようにも記憶している(×_×)

さて、本日は・・昨夜に観逃してしまった本命(?)の新作『ノウイング』を(仕事後で)観て来た☆ 上映開始が18:10ってことで、常識で考えたらどう頑張ってもシアター(=ワーナー・マイカル・シネマズ高松)到着時点で(開始から)5分以上は遅れてしまう計算だが、、「(開始後)10分ほどなら、恐らくは予告編を流しとるやろ?!」と予想し突入してみたら、、果たして18:20過ぎからの本編開始なのであった☆ ツイてるねぇ♪

1959年、レキシントンにある「ウィリアム・ドーズ小学校」では、女性教師=プリシラ・テイラーが学童らに「未来の絵を描き、封筒に入れ“タイムカプセル”に納めましょう! 50年後、あなた方の後輩が“カプセル”を開封するのです。輝かしき未来がありますよう!」と言う課題を与えてた。
学童らはめいめいに自身の好む絵を描いてたが・・ただ1人“何かに取り憑かれたかのように”細かい数字をびっしりと手紙に書き綴る女児がいた。

テイラー先生にムリヤリ回収されるまで、謎の数字を書き続けたその子の名は・・ルシンダ・エンブリー。
手紙が手を離れる、最後の瞬間まで「“囁く声”を止めて・・お願い・・!」とルシンダは訴えていたのだ。

時は流れ現在=2009年。
マサチューセッツ工科大で宇宙物理学を教えるジョン・ケストナー教授(ニコラス・ケイジ)は、愛する妻を“とある事故”で失って以来「誰にも先のことなど分からない。人生や運命なんて、結局は“偶然の積み重ね”に過ぎない」と言う“ランダム理論”に傾倒する、枯れかけた中年学者に過ぎなかった。

そんな中、1人息子=ケイレブに「(明日の)学校の創立50周年記念に、校庭に埋めた“タイムカプセル”を開封するんだ。見に来てよ」と言われ小学校へ行くことに。

翌朝。タイムカプセルは開封され、中に詰め込まれた手紙が無作為に学童らに配られる。
しかし、ケイレブの受け取った封筒から出て来たのは“未来の絵”などではなく、謎の数字のびっしりと書き込まれた手紙だった・・そして、封筒には“ルシンダ・エンブリー”の署名が・・

とある偶然(結局は必然?!)から、数字の中に「911012996」なる配列を見つけたジョンは、それが「9月11日、2001年、2996名」と言う“あの日付+犠牲者数”を予言した数と言うことに気付く! 他にも(配列に)埋め込まれた日付や死者数を次々に見い出し、それらがことごとく事実(=歴史)と一致することを確認するジョン。

地元(レキシントン)で、そしてマンハッタン(NY)で、立て続けに“痛ましい大惨事”の渦中に放り込まれてしまった彼は、手紙の最後に「2009年、10月19日、EE」なる配列を認める。
「EE」が“総ての人類”を表していることを見抜いた彼は、世界を救うための行動を開始するが・・

一方、彼ら父子の周囲に姿を現し始める“謎の集団”・・果たして彼らはこの“予言の手紙”とどう関わっているのだろうか?

予想してた展開を「大きく裏切られる」って意味で、かつてない“ディザスター(災害)ムービー”とも評せる本作。
何となく、これまでに現れては消えて行った数々のパニック大作(?)の“予定調和ぶり”を、アタマ1つ上回るレベルで、強引に描き切った感もある(・ω・)
まず連想したのは『エンド・オヴ・デイズ(1999)』辺りだろうか? あの作品でのシュワちゃん(=シュワルツェネッガー)同様、本作のニコラス・ケイジってば、どうにも繰り出す言動に“(これまでの主演作との)勝手の違い”を感じてしまう。「限界あるヒーロー」「犠牲的精神を秘めたヒーロー」みたいな。

あんましこれ以上、具体的に書くと“ネタバレ”となっちゃうので、連想する作品を「ただ列挙する」に止めるが(⌒〜⌒ι) あちこちから「これって、アレみたいやぞ?」とツッコミが飛び込みがちな一方、イイ意味で「何とも言えぬ味わいのエンディング」には、妙に圧倒されてしまったワタシ(×_×)
まぁ、(終盤の)映像群は素晴らしかったので、あのオチについては余り突っ込まないようにしようっと(=^_^=)

『マーキュリー・ライジング(1998)』『ファイナル・デスティネーション(2000)』『ダイ・ハード2(1990)』『ダイ・ハード3(1995)』『シティ・オヴ・エンジェル(1998)』『プロフェシー(2002)』『A.I.(2001)』『コンタクト(1997)』『ディープ・インパクト(1998)』・・

〜 こんなことも感じたり、感じなかったり 〜

♦監督がM・ナイト・シャマランなら、どんな演出をしたことだろう?
♦“謎の集団”の絡み方は、私的にはちと「冷めて」しまったか。
♦本作のヒロイン=ダイアナ・ウェイランド(ローズ・バーン)。しかしヒロインとしての結末は“あれ”で良かったんやろか?
♦妹=グレースのキャラが、何とも薄かった気がする。人物的には「更に分厚く出来た」ハズでもあり、惜しい気が。ま、『ミラーズ(2008)』の妹役も同様に、どっか薄かったが、、(ってか幸が薄過ぎたネ、、)
♦ラストの2人・・彼らが“理想の2人”か? と言われると、そうでもなかったように(・ω・)
♦終盤に映し出されるニューヨークの街の雰囲気がなかなかに良い! ホンマの“黄昏”って、きっとこんな色彩を言うのだろうな。
♦大事故の一部始終が結構露骨に描写されたり(×_×) アレは総合的に判断し“R指定”を付けとくべきでは? と感じたが、、
♦ダイナミックな(?)旅客機の墜落事故。意外と機体が四散してる割に、元気な乗客が多かった! しかし直後、次々と爆発が起こり、、(×_×)
♦監督か主演男優か、どちらかの“集大成”ってな印象もあった(⌒〜⌒ι)
♦マツダ・アクセラ、トヨタ・プリウスなどが目立ってた☆
♦100マイクロステラ、、って(単位を)言われても、良く分かんない(×_×)
♦携帯が繋がんなくなって来たら・・きっと“ホンマにヤバい状況”なのだろう、、
♦ワタシがジョンだったら、やけくそで拳銃を“連中”に向かって乱射したかもな〜(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ジョン「Hey,you and me together forever(いいか、私とお前は一緒だぞ、この先もずっと)」
   「太陽と地球の“この絶妙な距離”はどうだ?」
   「我々の存在には、理由も目的もない。そう私は思っている」
   「I think about it!(考えとくよ)」
   「何度も検証したが、この紙に間違いはない」
   「これは、私に対する警告なのだ」
   「場所は・・“1ヶ所”じゃない」
   「どうしたら我々は救われる?」
   「“数字の導く所”に行くしかない」
   「I want my son now!(息子を返してくれ)」
   「お前にも、いつか分かる」

ジョン「考えとくよ」
ケイレブ「つまり、ダメってことなんだね?」

ジョン「私が言ってるんじゃない、この数字が言ってるんだ!」
フィル「数秘術のたぐいに過ぎないさ」

フィル「科学者としての君のアタマは“仕方がなかった”と認めてるんだろ?」

ダイアナ「10月なのに、暑いわね」
    「“自分がいつ死ぬか”なんて無意味なことよ。みんないずれは死ぬんだから」 ←き※まろ的思考(=^_^=)

父「これが私の最期なら、きっとそれは“神の思し召し”なのだろう」

父「これは“終わり”ではない、息子よ」
ジョン「そうだね」

追記1:“高等生命体の住む星”は400万ほど存在する“可能性がある”そうだ。(範囲は)太陽系だっけ?
追記2:劇中で“最も充実した人生を送られた”のは、テイラー先生だったかも(=^_^=) 思い残すことも少なかろうし、、
追記3:“あんな地球の滅び方”もあるんやね、、と。太陽にすれば「大きなくさめをした」程度かも知れんが。。
追記4:さっさと避難しちゃった(=^_^=)合衆国大統領の運命もまた、気になる、、
追記5:(アメリカ以外の)他国の描写は余りなかったですネ(・ω・)

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2008年6月19日 (木)

☆『ニュースの天才(2003)』☆

さる6日(金曜)の深夜に放送されたのを録画しておき、15日(日曜)&16日(月曜)の2夜に分け鑑賞した。
以前からそのタイトルだけは知っていたが「きっと報道関係のむづかすい作品なんだろうな〜」と何となく敬遠してもいたのだ(⌒〜⌒ι)

確かに、観始めて30分ぐらいは「お固い『ザ・ペーパー(1994)』路線かよ・・」と『骨太で面白味に欠ける“業界モノ”』かと思ってしまったんだが・・約35分後にワタシの中で何かのスイッチが入ってしまった!

「・・おお?! コレは何ともまぁ、ミスリーディング(引っかけ)な・・!」
こんな“途中から急加速して来る”感覚ってば『ユージュアル・サスペクツ(1995)』以来、久々のモノである(=^_^=)

ってことで、作品全体を振り返れば「ちょっとムリがあるよなぁ・・?」って気もするが、どうやら本作は“実話が元ネタ”らしく「そう考えたら、有り得たハナシなのかもなぁ・・」と、単なる観客に過ぎないワタシの理性までもがしっかり揺さぶられてしまった次第だ(×_×)

1914年創刊の“ワシントン・ニューリパブリック誌”は、今や“全米の政治評論の旗手”である。それは、1万6,800種ある雑誌の頂点に君臨し、合衆国大統領専用機(エアフォース・ワン)に唯一設置されている権威的な存在なのだ。 
1998年の時点で記者と編集者をあわせ15名。驚くべきことに、彼らの平均年齢はわずか26歳であった。
その最年少記者が、当時24歳の主人公=スティーヴン・グラス(ヘイデン・クリステンセン)。

「春の異常事態」「ジャングル」「バカ騒ぎ」「没落の後」「ケシの行商」「安物スーツ」「追放」「高く付いた打ち上げ」「裏切り」「自然の状態」「困った状況」「ずぶぬれ」「陰謀者たち」「グリーンスパン万歳」「モニカの成功」「精神衛生の危機」「三位一体」「有望なサンタ」「やめとけ」「バカの子守」そして「ハッカー天国」・・数々の名コラム記事で、読者を魅了して来たスティーヴンは、今や“憧れのスター記者”とし、母校(?)“ハイランドパーク高校”の教壇に招かれている。
「7年前は、僕も君たちのように・・教壇を見上げる学生の1人に過ぎなかったのさ」と親し気な笑顔で生徒たちに語りかけるスティーヴン。

彼の語る「ニュース業界の内幕」と交互に、これまでの(成功に至る)スティーヴンの経歴がかいつまんで披露される。
女性教師は「たまには退屈な記事も書いて。目標が高過ぎるの」と苦笑混じりにスティーヴンに賛辞を贈る。
そして終盤、

“ワシントン・ニューリパブリック誌”の会議室で、
“ハイランドパーク高校”の教室で、

2つの大きな拍手が沸き起こるが・・それらが向けられた相手とは・・

オープニング(クレジット)で、本作のプロデューサーが「トム・クルーズ&ポーラ・ワグナー」であることを知った!
う〜ん、確かにトムクルが若ければ自身で必ずやスティーヴン役を演ってた気がするな(=^_^=)
ヘイデンくん、最近では“おかしな空間移動能力”に目覚め、すっかりハマってるようだが(=^_^=)、本作ではそんな“特異体質”に頼ることなく「眼の演技」で堂々と勝負をかけてくれる!

何を書いても“ネタバレ”ぽくなってしまうんで、レビューを仕上げる身としてはツライんだが、、取り敢えず「約35分後」に浮かび上がる「?? ⇒ ?! ⇒ !!」の瞬間をぜひ味わって頂きたいトコロだ☆

〜 こんなセリフもありました 〜

スティーヴン「記者には目立ちたがり屋が多い。そんな連中のお陰で“逆転現象”も起きる」
      「控え目で親切な者がかえって人目を引く」
      「人の愚かな行動を書く方が面白い、それは人間的な記事となるからだ・・人を描くのが報道だ」
      「誰を相手に書くか、分かってないと駄目だ。彼らが何に感動し、何を恐れるか・・そこが狙い目だ」
      「良い編集長も、悪い編集長もいる。最低でも1度、良い編集長に巡り会えるといい。
       立派な編集長は記者をかばう・・記者のために戦ってくれるんだ」
      「記事にすべきか・・迷う話だ」
      「常に求められるのは、正確な内容の記事だ」
      「ジャーナリズムは、真実の追究だ」

※「中傷されて怒るのは、世間から忘れられた負け犬だ」
 「何かしでかしそうな自分が怖くて仕方ない」

チャック「怪し気な人間が“1つだけ”と言ったら君はどうする? 信じるのか? 全部を調べないのか?」

弁護士「“人心”という側面も考慮しなければならない」

マイケル「私の時も※※したのか?」

追記1:「それが正しいかどうか?」を判断する場合において、我々はどうにも「彼の言葉」より「彼の人間性」にまず視線が行きがちである。「言動の良くない者」「取っ付きにくい者」はそれだけで「悪」と決めつけてしまうトコロがある。そう言った“色眼鏡”を、本作は外してくれる。
追記2:劇中に登場する最強の少年ハッカー=イアン・レスティルが“ハッカー集会”で「カネをよこせ! カネを見せろ!(Show me the money!)」と連呼するシーンがかなり笑えた。まんまトムクル主演作『Jerry Maguire(1996)』ですがな(=^_^=)
追記3:エンドクレジットまで観ると「主人公は前編集長=マイケル・ケリー(ハンク・アザリア演じる)だったのかも」と感慨深いモノが胸中に浮かんだりもした次第だ。

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2008年5月17日 (土)

☆『ネクスト/NEXT』☆

16日(金曜)。仕事の帰りに梅田まで出て、泉の広場上ルにある“梅田ピカデリー”で鑑賞して来た。
正直、あんまし作品自体に期待してなかったんだが、何処かで「ラストが驚愕!想定外!」みたいな絶賛(←今にして思えばその手のニュアンスでもなかった・・ように感じる(・ω・))を耳にしたもんで「ま、行っときますか」って気持ちとなった次第。
スペック的に「原作:フィリップ・K・ディック」+「監督:リー・タマホリ」なので「悪い仕上がりの訳がなかろう!」とすっかり油断してしまったのがこのワタシの“予知ミス”・・

ラスベガスのカジノ。きらびやかなこの街で中堅マジシャンとして暮らすフランク・キャディラック(ニコラス・ケイジ)。彼はそこそこのテクニックでそこそこのマジックを披露する冴えない男だったが、実は生まれながらの“予知能力者”であった。
3歳で自らの“能力”に気付いて以来「周囲に人生を乱されて来た」彼は本名(クリス・ジョンソン)すら隠し、他人によるあらゆる干渉を避け、地味に無難に生きて来たのだ。

能力の限界が「自らに関わる未来、それも2分先まで」と言う、そんなフランクが唯一の例外とし“予知”出来る存在が、見知ったダイナー(食堂)に、きっかり“8:09”にやって来る謎の女性だった。
そして彼は、今日もその時間になると、ダイナーのお決まりの席で女の来るのを待ち続けるのだ・・

一方、FBIのカリー・フェリス捜査官(ジュリアン・ムーア)は目下、ロシアから5週間前に(米国へ向け)持ち出された「10キロトンの核爆弾」の行方をチームを率い追っていた。ロス近郊に“それ”が隠されていることまでを突き止めた彼女は、最後の頼りとし「爆弾探索」の陣頭指揮をこのフランクにさせようとする。

折しも、フラッグスタッフ(アリゾナ州)の先住民居留地で子供達を教える女性リズ・クーパー(ジェシカ・ビール)がフランクの待つダイナーにたまたま立ち寄り、その時(=午前8時9分)彼は彼女をひと目見て「運命の女だ・・」と確信するのだった。

他方で、ロシアから持ち込んだ核兵器で何かをしようと目論む(何する気だ?)無法グループが密かに行動を起こし、彼らもまた“計画の障害となる男”フランクの抹殺を狙うのだった・・ってな流れ。

うーん・・何か全体的にストーリーやキャラクターの言動が支離滅裂で、脚本そのものがどうにも“破たん”してる印象があった(×_×) 原作はディックの「ゴールデンマン」と言う短編小説らしいが、こんな仕上がりになるんなら、まだしもスティーヴン・キング原作の小説「デッドゾーン」辺りをベースに、色々とアクション部分の味付けをして1本こしらえた方が(≒リ・イマジネーション)よっぽど出来が良くなったんじゃなかろうか(・ω・) 

私的にかなり気になったのは、
・徹底して客観的にしか描かれぬ「予知映像」。フランク本人からすれば、ああ言うアングルの映像では「決してない」と思うんだが。もっと斬新で驚愕の映像群が見たかった、、
・ジェシカ・ビールと共演すると、流石にきっついジュリアン姐さんのヴィジュアル・・2人の肌質の違いが隠しようもなく現れてて「如何なモノか・・」と当惑させられますた(×_×) ←CGでは処理出来んか?!
・テログループの「余りにも」な印象の薄さ。彼らの目的もキャラ造形も、殆ど語られてはいなかった。
・序盤のみ登場するアーヴ爺さんを演じたピーター・フォーク氏! 老いておられるも、一応はお元気そうだった。が、彼の客演にどんな意味があったんだ?!
・いよいよFBIに確保されたフランク。取調室で(カリーとの)どんな“演技合戦”が始まるんかと期待してたら・・TVニュースを見せ「未来のニュースから予知して!」ってひと言。あんたら・・たったそんだけのやり取りかよ! 密室だから内装にカネもかかってなさそやし。
・色んな動きのフランクがスクリーン狭しと(大人数で)動き回るんだが・・それって“予知”を超越して、ただ単に“分身”してたようにしか見えんかったぞ、、おまけに2分以内にしては、結構遠くまで歩いてるヤツもおったし(⌒〜⌒ι)
などなど・・

気にならないしとなら、気にしないんだろうけど・・私的には“作品の根幹に関わる”要素群だと思ったもんで、観ててかなりツライものがあった。。

ってことで、どう贔屓目に観ても、他人には「おススメしにくい」完成度。。

ニコラス・ケイジ、ジュリアン・ムーア、そしてリー・タマホリ・・3者それぞれのある意味「迷走ぶり」が作品そのものから如実に浮き彫りになってた気がする。。
彼らの“未来”は果たしてどんな方向へと流れてゆくのだろうか・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

フランク「未来は変わる、何故ならそれは“見た時点”の未来だからだ。・・そして全てが変わる」
    「能力を使って大当たりや大穴を狙おうとは思わない・・俺は神じゃない」
    「カルロッティは“美”をこう定義した。“(それを構成する)全ての部位が調和し、
     何も手を加える必要がないこと”だと。・・それが君だ」 ←イタリア人画家だっけ(?)
    「“それ”は起きたが、まだ起きてなかった」
    「(お前が迎える)どの結末も・・悲惨だったぞ」

※「それ(予知)を信じるかどうかは関係ない。雇い主が(失敗を)恐れているだけだ」

※「森に入らなければ、森で迷わないよ」 ←おお、何だか深い!(=^_^=)

カリー「この国の自由を守るためならば、鬼にもなれるわ」
フランク「では、この俺の自由は?」

追記1:ついつい聞き流してしまう、主人公と(リズの元カレ)ケンダルのやり取り。「お前、この女の何なんだ?」と問われたフランクが「未来の夫だ」とすかさず(大真面目な顔で)答えるんだが、これって案外、本作の“未来の全て”をひと言で表現した“極めて重要なセリフ”だったんやろか?
追記2:「予知って素晴らしいじゃん!」と思ったんだけど、、「未来が分かっちゃうと何もかもが面倒になったり、あらゆる言動に消極的になっちゃうかも」とも思うに至った(×_×) まるで、ネットで情報を手軽に自在に手に入れられるようになった反面、好奇心も行動力もすっかり低下しちゃうのと似てる気もする(・ω・)
追記3:(中盤以降で)意外なゲスト俳優を迎え“予知能力者バトル”を展開して欲しかったが・・それは続編かな?(いや、ないやろ!)
追記4:終盤はブライアン・デ・パルマinカンヌなあの作品(2002)のテイストから、『アレックス(2002)』そっくりなエンドロールに繋がる“既視っぽさ”だった。
追記5:「結局は回避される、現実的には無意味・無価値な“予知”シーンの特撮をちまちまと制作させられる」そんなCGスタッフの悲しみが作品全体を覆っていたようにも感じた(×_×)
追記6:“予知”による危険回避の演出の出来映えは(同じディック小説の映画化作品)『マイノリティ・リポート(2002)』の方が巧かったように感じた。

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2008年4月20日 (日)

☆『ノーカントリー』☆

20日(日曜)の鑑賞。
「今日こそ、奈良方面へドライヴじゃあ〜!」と気合だけは高めてたモノの・・起きたら正午前だったので、あえなく計画を断念⇒変更(×_×)

午後から電車で大阪市内へ繰り出し、なんばの「TOHOシネマズ」で、前々から予定してた1作『ノーカントリー』をついに観て来た☆

“運命のいたずら”に“ブラックな笑い”を絡め描かせたら、世界でもトップレベルの監督である(たぶん)コーエン兄弟(ジョエル&イーサンの2人。ヒラカタ・コーエン?・・んなヤツはいね〜っての!)。今作では“喪失感”“虚無感”を全編に漂わせつつ、狙われてしまった男と狙う男、そして彼らを追う男・・の3者のドラマが“逃避行”“猟奇殺人”を軸(?)に、余すトコロなく描かれる・・

1980年、テキサス州の西。荒野でハンティングを楽しむ男=ルウェリン・モスは、偶然にも狩猟地の先に広がる谷間で麻薬取引&銃撃戦の行われた直後の現場を見つける。5台の四駆車は全て前輪がパンクし、彼らの連れていたと思しき犬までもが無惨に殺されている。
まだ微かに息のある男(メキシコ人)から「水(アグア)をくれ・・」と懇願(スペイン語か?)されたモスだが、あいにく水筒の持ち合わせはなかった。
うち1台の荷台には大量の麻薬が積み残されており、現場から距離を置いた大木の下では(深手を負いつつそこまで逃げたと思しき)男の遺体と、大きな黒いブリーフケースが残されていた。
モスがケースを開けると・・果たして中には200万ドルの大金が・・!

彼は“ひとまず”遺体から集めた銃器と共にケースを自宅へと持ち帰る。
だが、彼はまだ知らなかった。奪われたケースに仕込まれた「発信器」を辿り、メキシコ人たちが自身を追って来ることを。そして、最凶の殺し屋=アントン・シガー(ハビエル・バルデム)もまた“独自のルール”に従い、静かに動き始めたことを。

一方で、老齢の保安官エド・トム・ベル(トミー・リー・ジョーンズ)は州内で発生した「(シガーの手による)保安官補殺し」の捜査を開始する。
モス、シガー、保安官の繰り広げる追跡劇の先に待ち受けていたものは・・みたいな展開。

コーエン兄弟と言えば・・未だにまず思い浮かぶ佳作が『ファーゴ(1996)』ぐらいしかなかったり(・ω・)
あ、調べたら『赤ちゃん泥棒(1987)』『未来は今(1994)』も観てましたっけ、、

う〜ん・・どうだろ、本作。
最も意外だったのは“追われる立場”である(一応の)主人公=モスのキャラ造形か。追われる一方のか弱い若者か、と思いきやベトナム戦争に2度従軍したこともあるたくましい兄さんだった。殺し屋シガーは劇中で2度ほど手傷を負う訳だが、うち1度がモスによる反撃、と言うのも頼もしかった。

が、一方では物語が不必要に拡大し散漫な印象となり、主人公像もぶれ始めてた感があった。観客によっては「後半、物語世界が崩壊してましたやん!」と言う意見も(小声なりに)きっとあるに違いないし、実際そう言う見方も出来るかな、と。

物語の性質上、仕方ない部分はあろうが、メキシコ人ギャングの行動とシガーの暗躍が混ざってしまい、ワタシなどは「シガーの大暴れ」こそを観たかったので(どんなヤツだ!)生ぬるいドンパチなどは正直どうでも良かった。そのため、後半の(エル・パソの)モーテルで起こる“事件”に対して、どうにも納得出来ない演出だと思った。

※前半はモスの言動を描いてたのが、次第にシガーの言動ばかり追うようになる流れは「あ、監督のチャンネル(興味とも言う(=^_^=))が切り替わったな」と思わせてくれた(=^_^=)

保安官の名やモスの妻の名が殆ど劇中に出て来なかったのも「不親切やなぁ・・」とか。

あと、全般的に「既視感」に包まれまくったのも本作の特徴か、と・・個人的には。

・(殺人現場である)モーテルの部屋に入る保安官と、暗闇でひたすら待ち続けるシガーの姿の対比。このカットバック(=2つの映像の連続切替え)は『羊たちの沈黙(1991)』のクライマックスとそっくり。
・遠くへ歩いて行く※※※の姿・・この映し方も『羊たち〜』のラストっぽい。
・終盤、シガーが“意外な人物”に会いに行く展開は『ゼヴン(1995)』において描かれなかった「ケヴィン・スペイシーとグウィネス・パルトロゥの対話シーン」・・を連想させる。にしても、あの家の中の薄暗さと、戸外の明るさの対比にはクラクラ来ましたワ。
・老いぼれた保安官がただただ「後手に回る」描き方は『パーフェクト・ワールド(1993)』ぽくはないか?
・テキサスの乾いた空気と何処までも広がる荒野の映像は『パリ、テキサス(1984)』辺りにどっか通じるモノがあったかも。
・“不気味なヤツ”がひたすら主人公を追って来る展開は『赤ちゃん泥棒』の焼き直しっぽいかも。

他にも、色々とネタがありそうな(・ω・)

それとは別に、ふと理由もなく(直感的に)思い付いたのが
「“殺し屋”を主人公にして、物語世界を描き始めた時点で、その監督のパワーも下降線を辿り始めたと言えるのでは?」
と言う勝手な仮説ではある。
それは、かつてのフランス映画の雄=リュック・ベッソン氏に対し、近年抱き続けている感情にも似ているが・・

〜 こんなセリフもありました 〜

保安官「昔の人の話を聞く機会を、私は決して逃さない」
   「出来れば、麻薬取締局とは関わりたくない」
   「牛が相手でも、(殺す時には)何が起こるか分からない・・人間であれば尚更だ」
   「メキシコ人たちの死因? “業務上の自然死”さ」
   「オレでは、力が足りない」
   「老境に差し掛かれば、神が人生に入って来ると信じていた・・だが神は入っては来なかった。
    ま、オレが例え神でも、オレを見棄てたろうが」

モス「起こったことは・・元には戻せないのさ」

モス「黙らないと、奥で“手ごめ”にしてやるぞ」
妻「口ばっかり!」

妻「こんな夜中に何処へ?」
モス「“バカなこと”をしに行くのさ」

妻「ケガしてるのね?」
モス「何故?」
妻「声が違う・・“人をだます時”の声だわ」

妻「スーパー勤めのお陰で“悪口”には慣れてるわ」
 「正気じゃないことは、あなたをひと目みて分かったわ」
 「決めるのはコイン(の裏表)じゃない・・あなたでしょ?」

店員「そのコインに何を賭けると?」
シガー「お前のすべてだ」

シガー「それはポケットには入れるな、普通のコインと混ざってしまうからな
    ・・とは言え、只のコインだが」
   「オレが何処から来たか・・お前に関係が?」
   「“気に入らないことがあるか?”とこのオレに訊くのか?」
   「オレがどう言ったトコロで・・それが事実だろうが?」
   「自分がこれからどうなるか分かるな? 分かってる筈だ」
   「お前が(自分の)ルールに従った結果、こうなった。だとすれば、ルールは必要か?」
   「お前には自分を救うことなど出来ない」
   「仕事には“正しい道具”を使うべきだ」
   「オレの顔を見たろ?」
   「“その瞬間”が来たら、誰もがそう言う・・“私を殺す意味はない”と」

ウェンデル「単純な推理ですね」
保安官「オレも年をとったからな・・」

保安官「銃を抜いておけ」
ウェンデル「そう言うあなたは?」
保安官「オレは・・いざとなればお前に隠れる」

妻「ケガしないでね」
保安官「しないよ」
妻「他人も傷つけないでね」

※「遺体がコヨーテに喰い荒らされてないな?」
※「メキシコ人はヤツらも喰わないさ」

※「幾ら若くても、やめるべきだ・・ヒッチハイクは。・・危険過ぎる」

※「どうこの身を守ればいい?」
 「人間は、奪われたものを取り戻そうとして・・更に失うもんだ」
 「この国は人々に厳しい・・“変えられる”と思うのは(若さ故の)思い上がりだ」

ウェルズ「“優雅”とはほど遠い人生さ、この稼業は」
    「イスは座るもんだ」
    「言うなれば・・シガーは“ユーモアを持たない男”なのさ」

ウェルズ「来る途中に数えたら、このビルの階数がどうも1つ足りない」
ボス「早速、調べてみよう」

〜 ほか追記 〜

・本作ってば、コーエン兄弟の(近代の犯罪)社会に対する諦念か? それとも自虐的だが(実のトコは)不敵な我々へのメッセージなのか?(少なくとも警鐘ではなさそうだ)
・あの“オチ”は「夢ネタの一種」と評すべきか?
・“圧縮ボンベ”ネタはサム・ライミ&三池崇史の2監督辺りが狂喜絶賛しそう(=^_^=)
・もう1人の殺し屋=カーソン・ウェルズ(ウディ・ハレルソン)の劇中における殺害者数が・・ハンパじゃない!(=^_^=) ←観た者だけが苦笑出来るネタ
・本作って「全米モーテル協会(ってあるの?)」からクレームがつきそ。何だか「モテール=犯罪者の巣窟」みたいな取り上げられ方なもんで。
・濁流を泳ぎ切った“けなげな犬”があっさりと殺されてしまうシーンには、流石に怒りがこみ上げた(・ω・)

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2007年6月12日 (火)

☆『ニューオーリンズ・トライアル(2003)』☆

7日(木曜)。「木曜洋画劇場」で地上波初登場された“陪審員制度ネタ”の映画『ニューオーリンズ・トライアル』を観た。
来る2009年から我が国でも始まる「裁判員制度」に備えての“予習”みたいなトコが放送理由かな? と勝手に推測したんだが、制度にマトを絞っての作品ではなく、あくまで「軸」の1つに過ぎなかったような感があった。

そうそ、ニューオーリンズ(本作を観るまで「ニューオリンズ」と言ってたが・・)ってば、フランス系移民が「オルレアン」から命名した街の名だと言うことも改めて知った。(因みに「オルレアン」は聖女ジャンヌ・ダルクが解放した街として有名)

証券会社のオフィスビル。解雇された男=ケヴィン・ペルティエが銃を手に押し入り、11人を射殺後、自殺した。逆恨みによる凶行である。
・・2年後、この事件で愛する夫を失った女性=セレステが銃器メーカー(ビックスバーグ社)相手に訴訟を起こす。そして事件は、選任された12人による陪審員制度にて、その判決が委ねられる方向となる。
ビックス社側はやり手の陪審コンサルタント=ランキン・フィッチ(ジーン・ハックマン)を雇い、原告側は敏腕弁護士=ウェンドール・ローア(ダスティン・ホフマン)を立てる。原告側と被告側の双方により決められる12人の男女。その中には、陪審(員)召喚状を受け取り、不承不承ながらも陪審員(9号)に任命されることとなった、平凡な中年男=ニコラス・イースター(ジョン・キューザック)の姿もあった。

物語は「オーリンズ地裁」での原告側と被告側の「戦い」を表面に据えながら、その裏で秘密裏に進行する“ドロドロした陪審員操作(工作)”・・その中心となるニック(ニコラス)らの奮闘を描く。

うーん・・何だろう。「ネタ:銃器メーカー訴訟」や「演出:表裏を持たせたキャラ像」は素晴らしいんだが、ちょっと描き方が無難にまとまり、つまんなくなってしまった気がする。マイケル・ムーア氏に監修させ、トニー・スコットが監督(『エネミー・オブ・アメリカ(1998)』のノリで)したら、もう少しパンチの利いた作品に仕上がったのかも。。
陪審員の各キャラにさほど“重き”を置いてないため、(ニック以外の)11人が「キャラ立ち」してなくて惜しかった・・もうちっと陪審員ら同士による「重厚な人間ドラマ」を展開させて欲しかったような(・ω・) ←作品のテイストそのものが変質しちゃうかな?

ハックマンは、本作でも“極ワル親父”路線を嬉々として(?)突っ走ってくれてて好感度大(=^_^=) 流石に、年齢的な「へたり」が見られ、自らは暴力行為にまで手を染めないんだが(せいぜい、足元のバケツを怒りの余り蹴っ飛ばす程度・・)、それ故の「間抜けな部下の失態に苛立ちを押さえ切れぬ、老いつつも精神は現役続行中なオヤジ」って感じの難しい役柄(←彼にしたらお手のモノだろうけど(=^_^=))を自然に演じていた。
そんなハックマンに挑みかかるのは、謎の女=マーリー役のレイチェル・ワイズ。どうにも『ナイロビの蜂(2005)』での悲劇的ヒロイン像が強烈過ぎるんだが・・改めて「躍動的できれ〜な女優さんなんやな〜」と見とれてしまった(⌒〜⌒ι) あの不敵な眼差しがまずイイと思う。もし生活を共にしたら・・毎日が怖そ〜だけど(×_×)

中盤の某シーン、ハックマンとホフマン(←実に“初共演”らしい!)が2人だけの空間で対峙するシーンは、流石に背筋を伸ばし(?)画面に観入ってしまった。ロケーションは・・何のことはなく「裁判所内の便所」なんだが(・ω・) ・・もっとイイ場所、なかったんかよ!
ときに、一緒に画面に収まるとまるで「巨人族」と「小鬼」のような2人。。特にホフマンについては「良くこんな演出、快諾(?)したなぁ・・」って感じですわ、ハイ。

「ニック以外の11人に、大したキャラ設定がされてない」・・と前述したが、俳優陣に限って言えばちょっと豪華な感じだった☆ 私的に「おっ!」と感じたのはクリフ・カーティス(フランク役)とルイス・ガスマンの起用。特に温厚そうにも思えたフランクが後半、妙にヒートアップする様を眺めるに「やっぱりこいつの本性は極悪テロリストなんや!」とビビってしまったものだった(←『コラテラル・ダメージ(2001)』での悪党ぶりが忘れられない・・)。

さて、フィッチ氏。「陪審コンサルタント」ってな肩書きで、真っ当そうな出で立ちこそしてるが、手がける(=手下にやらせる)ことはかなりエグい。「尾行」「盗撮」「盗聴」・・「窃盗」「殺人未遂」「放火」「監禁」「暴行」・・(次第にエスカレートする)その罪状を並べて行っただけで、数十年レベルで収監されるべきぐらいなんじゃなかろうか。
対するローア氏が余りにクリーン過ぎて、「ニックの行動」がもしなければ、(法廷で)全く歯が立たなかったような気さえして来る。

そんなことで、将来の「裁判員制度」の“予習”とはならなかったが、日本にもあんな物騒なコンサルタント業者が現れないことを祈りたい(・ω・) 実際に請け負いそうなしとたちって今の社会に「決して少なくない」と思うもんで。。

〜 裁判長! こんなセリフはどうスか? 〜

フィッチ「“太った女”ってのは、概してケチで思いやりがないもんだ」
    「どんな人間にだって、必ず“秘密”がある」

ローア「今回と、この次は勝ったとしても・・君はいつか負ける」
フィッチ「君は私には勝てんさ、例え(君の論に)一理があったとしてもな」

※※「一番大事なのは・・心安らかに眠れることだ」 ←ローアの台詞だったか・・

追記:ちょっと「似た者同士」な印象のジョン・キューザックとエドワード・ノートン。「怪優」2人によるサスペンス作品を観てみたいな〜と思ったものである(⌒〜⌒ι)

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