2014年3月 1日 (土)

☆『ニシノユキヒコの恋と冒険』☆

先月、2月11日(火曜)の夜。
ご近所のシネコン「MOViXあまがさき」にて“レイトショー”で鑑賞して来たのは『蛇を踏む(1996)』で芥川賞を受賞した女流作家=川上弘美の同名小説(2003)を映像化した『ニシノユキヒコの恋と冒険』である。

監督を手がけた井口奈己の作品としても、前作『人のセックスを笑うな(2007)』以来だった事もあり、何処か“新鮮な心持ち”での鑑賞が叶った。

川上作品の中では『蛇を踏む』『溺レる(1999 )』『センセイの鞄(2001)』『真鶴(2006)』を読んだ事のあるワタシだったので、原作小説が刊行された時から気にはなってたものの、当時は「店頭でパラパラとめくった程度」で終わったように記憶している。

で、その時はニシノユキヒコの(人物)イメージがハッキリと掴めぬままだったが(何となく「ぶとった中年男性」と言う(晩年の)ヴィジュアルが浮かんだように思う)・・今回は、あの竹野内豊氏が主演に抜擢された(?)と言う事で、興味もわいて来た次第(・ω・)

イケメンで仕事も出来、実家は裕福。女性には限りなく優しく、セ※クスにも強い・・ と「総てに於いて優等生」な青年=西野幸彦(竹野内)であったが・・そんな彼は様々な女性たちと“大人の関係”を持ちながらも、いつも「最後は相手の方から棄てられてしまう運命」にあった。

「女たちの欲望を敏感に察知する、研ぎ澄まされたアンテナ」と言う素晴らしい武器(?)を生まれ持つニシノではあるが、最後にはこれまた“とある(過去の)女性に翻弄されるカタチ”で、あっけなくこの世を去ってしまう事に。

後に遺されてしまった「ニシノを棄てた女たち」が、その葬儀に集まる中・・10年前、生前のニシノと逢った記憶のある15歳のみなみ(中村ゆりか)は、彼に導かれるように実家=ニシノ邸の広大な庭園の片隅で、彼を知る主婦=ササキサユリ(阿川佐和子)の口から「ニシノユキヒコの恋と冒険の物語」を聞かされる事となる・・

1人の男を多数の女優陣が囲む(?)って「図式」に、つい連想してしまったのは『十人の黒い女(1961)←この“オリジナル版”は未見』や『クヒオ大佐(2009)』だったが、思ったより「女たちとの関係」が「断片的」かつ「多層的(?)」に描かれてる印象があった。

良い意味で「極めて観易く、分かり易いストーリー」ではあるものの、監督の持ち味でもある「長回しの連続による“間延び感”」に違和感やイライラを覚える観客も少なくない気がする(=^_^=)>

ニシノを中心に、夏美(演:麻生久美子・・過去の不倫相手)、マナミ(演:尾野真千子・・職場の上司)、カノコ(演:本田翼・・“腐れ縁”のある元カノ)、タマ(演:木村文乃・・隣室の住人)、昴(演:鳴海璃子・・隣室の住人)、ササキサユリ(料理教室で知り合った主婦)、みなみ(夏美の娘) 、、と言った女性たちが作品に彩りを添える(?)ワケだが、男性客としてのワタシは、表面的な部分で「なんでマナミと巧く行かなかったんやろ?」「なんでみなみの所に“やって来た”んやろ?」「なんで“松葉杖の女性”との関係が一切描かれなかったんやろ?」・・と“言ってもしゃあない事”を延々と考えてしまうのだった。

何だかでも、監督ご自身が「竹野内君スキスキオーラ」をバンバン噴出させつつ、撮影を心から楽しんでた・・ような“微笑ましさ”を作品全体から感じ取ってしまったモノだが・・ その辺り「ソフト化の際に“映像特典”や“オーディオコメンタリー”などのカタチで、真相が“陽の眼を見る”んやろかね」と、限りない妄想を勝手に繰り広げとるワタシ(=^_^=) 

前半で、竹野内君が『ジョー・ブラックをよろしく(1988)』に於けるブラピ(=ブラッド・ピット)を想起させるような“災難(←ある意味、女難?)”に遭うワケだが(きっと『101回目のプロポーズ(1991)』の怪演(?)も懐かしい武田鉄矢氏だったら、ちゃっかり助かってたように思う(=^_^=))・・ そこに至る流れが「余りに唐突」でビックリ。
それ(=事件)自体の「いつ」「どこで」「なぜ」が全く描かれなかったのも潔い! と言うか不親切だった(⌒〜⌒ι)

主演に竹野内君を持って来た時点で「既に“問答無用”で勝ってる」印象こそ受けるものの・・もう少し“エンタテインメント作”としての「インパクト」「驚き」「クレバーさ」の欲しかった気もする。
例えば「前もって描かれてた“あのシーン”が、実は“このシーン”にリンクしてましたか!?」みたいなのがね。

〜 こんなトコも 〜

・「白スーツ+白ハット」スタイルで爽やかにイケメンをアピールしてくれた竹野内君。こんなに「サマになる」のは、このしとかマイケル・ジャクソン(故人)ぐらいかも知んない(⌒〜⌒ι)
・実は竹野内君と“タメ(=同い年)”だった事を知る。実に「神は不平等」であると言えよう(爆笑)
・基本“又聞きなストーリー”なので「ハナシ半分に楽しんどく」程度が良いだろう。
・「巨大な具なしおにぎり」にかぶりつくみなみ。若さの羨ましくなる瞬間だ(=^_^=)
・「犬の文鎮」「白いコーヒーポット(薬鑵)」「BMW2.2i(オープンカー)」「白くま(アイス)」など、あちこちで劇中アイテムが光っとる!
・思わず、白いコーヒーポットをネットで捜し求め、購入してしまったワタシ(=^_^=) (形状の)似てたのが「野田琺瑯」と言うメーカーの「キリンコーヒーポット(1.0L)」だったんだが・・果たして「コレで正解だったのか」は、分かんない。。
・ニシノの実家は「屋根にミミズクの白い彫像が、4ツ並んで載っかってる洋館」だったが・・コレって、東京都文京区にある「鳩山会館」ではないんやろか?
・横浜市の「シネマ・ジャック&ベティ」「海洋会・横浜支部(のビル)」、東京都・吉祥寺の「BAR・PAGE」、同・千代田区の淡路坂、群馬県の伊香保温泉などがロケされてた。
・『カサブランカ(1942)』の主演男優の候補の中には、後のアメリカ合衆国大統領=ロナルド・レーガンの名も挙がってたそうだ。
・ニシノとマナミの働くオフィスビル。その非常階段に敷かれたカーペット中央部の「擦り剥げてる」感じが極めてリアルだった。
・「(唐突に)前髪の乱れを直され、しばらく立ち尽くす女」「注文と違う品が来ても、文句を言わない女」「(唐突に)差し出されたアイスを食べる女」などの「眼の前の男性の“唐突な行為”に対する戸惑い」の描き方が微笑ましい。
・コルク栓式のライフル銃を用いる「射的屋」だが「カウンターから思いっきり腕を伸ばして(=身を乗り出して)対象を撃っても良い」らしい! そんなルール、知らんかった!(=^_^=)
・竹野内&尾野真千子のカップルを「最近、観かけたぞ?」と思ってたが・・『謝罪の王様(2013)』でも共演しとったんやね。 ←そちらでは、弁護士と依頼人の関係。
・ニシノの住む「マンション・リベルテ」は、内装こそ豪華だが、外観はちょっと「年季の入っとる」フツーな印象だった(・ω・)
・ニシノの印象/人柄に対する「パッと見“危険じゃない”って人」「身体は“律儀”じゃないけど、心の中はいつも“律儀”」なる表現に苦笑させられた。
・『ゴースト/ニューヨークの幻(1990)』『シティ・オヴ・エンジェル(1998)』『椿山課長の7日間(2006)』『COLORFUL(2010)』などを彷彿とさせるハナシでもあったか。
・“細マッチョ”な竹野内君の魅力が炸裂してた! 痩せないと! 俺!
・とにかく1シーン1シーンが長回し! キャメラは基本「置き(=固定)」な感じだった。コレで「モノクロ映像」「足元のカメラ位置」だったら、小津安二郎監督の新作めいた仕上がりとなったんじゃなかろうか。。
・「松葉杖の女」には、劇中のキャラ名すらなかった。
・夏美との関係なども、想像するしかない。
・とにかく「隙間」「余白」のいっぱいな作品である。
・『ハート・オヴ・ウーマン(2000)』を捻ったような感じでもある? フリ〜ダ〜ム!(←いやそこ、叫ばんでエエし)
・「荼毘に付される(=火葬される)と同時に、その人の霊魂は完全に消滅する」的な設定である。
・成海璃子さんの「白いおみ足」が、眩しくも素敵だった。
・隣の女の子がたとえ可愛くて純真だとしても・・「ベランダ伝いに侵入し、自室で勝手に寝てる」のを赦すのはどうかと思うぞ。
・伊香保温泉は良い雰囲気である。
・敷地内にダンプカー(?)の走り回ってるフリーマーケット(?)って・・どうなんやろ?
・ニシノの「恋」は、確かにたくさん描かれてたが・・「冒険」の方はどうなの?

~ こんなセリフも ~

ニシノ「みなみちゃんにはパフェ」
   「バナナパフェ、2つ」
   「あ、パフェ、ここ」
   「普通に結婚したいね」
   「パフェ、美味しい?」
   「・・大きくなったねぇ」
   「・・夏美さん、いる?」
   「怪しい者じゃないよ。
    ・・※※だから、怪しいっちゃ怪しいか」
   「だから※※なんですよ」
   「これ、未だ持っててくれたんだね」
   「※※なだけで、中身は△△てた時と同じさ。
    ・・今のトコロ」
   「水、貰っていいかな?」
   「奇麗になったな・・でも、お母さんの方が美人だな」
   「見える人には見えるし、見えない人には
    見えないんだよ、※※は」
   「もう僕の事、恐くないでしょ?」
   「今日、※※なんだよ」
   「ここ、実家」
   「ミュージカルは、そんなに観ないですよ」
   「サユリさん、注文した品と違いません?」
   「相変わらずだなぁ、カノコは」
   「・・もう1杯」
   「どうぞ。(車のドア)閉めるよ」
   「浴衣・・似合うねぇ」
   「カノコは今、幸せか?」
   「カノコって、もしかしたら“セ※クス魔人”?」
   「家まで送りますよ。送りたいなぁ」
   「楽しい・・珈琲、淹れるのって」
   「マナミのお尻は、冷たくて気持ちいい」
   「自分の触ったって、気持ち良くも何ともない」
   「そっちの部屋に行ってもいい?」
   「じゃあ、僕はこれで」
   「そんなとこで“聞き耳”立ててないで出てらっしゃい」
   「『白くま』買って来たんだけど、一緒に食べない?」
   「タマちゃん、昴とデキてるの?」
   「昴の事、大好きなんだねぇ」
   「タマちゃんの髪、ふわふわしてるね」

みなみ「・・具が入ってないよ」
   「“神出鬼没”なんですね」
   「※※でも寝るのかよ」

サユリ「ニシノ君はね、あらゆるタイプの
    女の子をトリコにしちゃうの」
   「でも何故か、ニシノ君がフラれちゃうの」
   「ワタシとニシノ君の出逢いはね・・
    聞きたい?
   「“哀れ、我も人の子”って思い知ったわ」
   「“ニシノ君の総て”を赦していたの」
   「ニシノ君は“声に出ない声”が聞こえる
    “もの凄く感度の良いアンテナ”を持っているの」
   「・・言ってなさい」

カノコ「番頭はん、有難おす」
   「“新婚さん”だといいんですけどねぇ」
   「時間が流れて寂しい。
    戻れなくて、つまんないよ」
   「ユキヒコ、待ってるんです」

マナミ「・・来ちゃった」
   「可哀想なニシノユキヒコが幸福でありますように」

昴「ネコ、お邪魔してませんか?」
 「ねぇ、一緒にお風呂に入らない?」

タマ「“いつでも手の届くとこに
   冷蔵庫があると嬉しい”って昴が」
  「“率直”は伸び広がる。“うるさ型”は丸くなる」

夏美「恋は、何時かは終わるから」
  「恋は、愛と同じじゃないのよ

夏美「今日でもう逢えないのね」
ニシノ「・・どうして僕は、いつも上手くいかないんだろう?」
夏美「総ての女の子の欲望に応えちゃうから」

カノコ「(彼女から)電話は?」
ニシノ「来ないよ。まだ付き合ってないし」

ニシノ「駄目だよ。もう終わったんだから」
カノコ「もう終わったの?」
ニシノ「もう終わったんだよ」

ニシノ「今でも好きか?」
カノコ「だと思うよ」

マナミ「なれるなら・・あの“蛙の人形”になりたい」
ニシノ「何で“カラクリ人形”になりたいんですか?」

マナミ「この珈琲・・苦い」
ニシノ「途中、色々あったもので」

ニシノ「照れてんだ」
マナミ「恥ずかしいの」
ニシノ「・・・今日も来る?」
マナミ「今日は・・行かない」
ニシノ「お尻、触りたかったなぁ」
マナミ「・・駄目」

ニシノ「部屋に来ない?」
マナミ「・・今日は帰る」

マナミ「今日はニシノさんの家に行きます」
ニシノ「・・はい」

ニシノ「泊まってって」
マナミ「・・明日、早いから」

ニシノ「僕はずっとマナミの事が好きでいたい。
    一生、マナミに一緒にいて欲しいなぁ」
マナミ「寂しさは・・共有出来ないからね

昴「彼女さんは?」
ニシノ「・・見てたの?」
昴「見えたの」

ニシノ「違うんだよ」
昴「何が違うの?」

ニシノ「丸くなってる」
タマ「・・不安だもん」

タマ「何で知ってるの?」
ニシノ「分かるんだよ。タマちゃん、
    “僕の事、大好き”だろ?」

みなみ「パフェなんか、好きじゃなかったよ」
ニシノ「・・知ってた」

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2013年9月 1日 (日)

☆『夏の終り(2012)』☆

8月31日(土曜)。ご近所のシネコン「MOViXあまがさき」にて“レイトショー”で観て来たのは、瀬戸内寂聴さん原作の同名小説を映像化した『夏の終り』である。

何でも、寂聴さんご自身の「自伝的小説」でもあると言う本作。尤も・・寂聴さんの“若き頃”が主演=満島ひかりに酷似してたとは、到底思えないが(スンマセン)、、出演俳優陣にも興味があったので、観てみる事に・・ と言うか、小林薫さんの助演ぶりが気になったもんで(・ω・) ウンタマの森のギル~!(←意味不明)

夫とまだ幼き娘を棄て、故郷・徳島県から年下の恋人=木下涼太(綾野剛)を追いかけ、上京して来た過去を持つ女=相澤知子(満島ひかり)。

中野区大和町に居を構え、染色作家として本格的に活動している彼女だが、8年前からは妻子ある年上の作家=小杉慎吾(小林薫)との半同棲生活を送っていた。

週の半分を知子の家で、残る半分を鎌倉市大町(の本宅)で過ごす慎吾。それなりに平穏な生活に満足していたつもりの知子だが、そんなある日、久しぶりに涼太が相澤家を訪ねて来る。

それを機に、知子は「慎吾(現在の恋人)と涼太(過去の恋人)の間で、乱れ動く自身の気持ち」を強く感じ始めるのだった・・

意識的に「古き佳きニッポンの映画を造り上げよう」と取り組んだ跡がハッキリと観て取れた本作。それ故に「アクションなし」「大きな事件なし」な展開には、今の若い観客層には“きっと苦痛なぐらい”の上映時間の長さを覚えさせる事だろうと思う。

ワタシとしては「セリフの少なさ」「説明的な要素を(意図的に)廃した演出」「“間”を大事にした脚本」については好感が持てた。また、かつての小津(安二郎)監督作を眺めてるような「固定(=据置)カメラ+長回し(撮影)」で映し出される“昭和な情景”には「おお、ポストカードにしたいなァ」と思わせる魅力を強く覚えたワケである。

一方で、説明的な字幕が一切出て来ないため「登場人物の心情」はおろか「大事な筈の(本来なら描くべき)場面」すらもが割愛されてて、あちこち想像力で作品全体を補完する努力を強いられたのは「この手の(=ミステリー系では決してない)作品」を観るにしては「不親切」だと感じた。

劇中で描かれる時代もハッキリ分からず、後々に街角の新作映画ポスターとして『カルメン故郷に帰る(1950)』や『わが谷は緑なりき(1941)』が貼られてるのを観て、やっと「昭和25~26年でしたか!」と理解出来たぐらいである(⌒~⌒ι)

また、時間軸も巧妙に入れ替えられてるので「途中から始まり、途中で終わってた感じやなァ」と知子を巡る「色恋」の流れがハッキリ掴めぬままだったのも残念だった。そう言う意味では、再度観直せば“新たな発見・感動”があるのかも知んない。

~ こんなトコも ~

・「コロッケ」「メザシ」「蜜柑」「桃」など・・“食べるシーン”を大切に描いてる感があった。

・近年観て来た作品の中でも屈指の「喫煙シーンの多さ」を誇ってた。一体、劇中で何十本が吸われてたんやろ?

・サスペンダー、パナマ帽・・などの古い(?)ファッションが印象的だった。

・三輪トラックを「選挙カー」にしてる人々・・ちと荷台に乗り過ぎじゃ・・?

・いつもながら「幸(さち)薄そう」な満島さんならではの個性が、ばんばんスクリーンから溢れ出てた。

・主役陣による“泣きシーン”が3者それぞれに用意されてるが・・3人とも、肝心な「そのシーンでのセリフ」がハッキリ聞き取れなかった。何言ってたんやろ?

・畳、縁側、裸電球・・古き佳き時代の日本家屋の素晴らしさを堪能出来た!!

・タイトルに「夏」とあるんだし「祭り」と言った“夏の風物詩”の描写程度は欲しかったかな。

・慎吾と涼太の「語らうシーン」は意図的にカットされてた(×_×)

・東京、鎌倉、小田原・・と関東エリアが舞台なんだが、ロケ地は洲本市、加古川市、姫路市・・と関西圏がメインだった。

・スコア(楽曲)を手がけたミュージシャン=ジム・オルークは『スクール・オヴ・ロック(2003)』でも音楽関連のコンサルタントを務めてたそうだ(ウィキ情報)。

・涼太の開衿シャツの胸元のボタンを縫い付け、最後に横顔を寄せ「余った糸を歯で噛み切る」知子の所作がドキッとさせる。

・胡坐(あぐら)をかいた軒先で手を伸ばし、庭先に降る雨で、指先の煙草の先の火を消す慎吾の所作も印象的だった。

・シーンの切り替えで多用されてたのは「固定カメラ+(黒画面への)フェードアウト」だった。

・有り得ない場面で、知子の枕元に座り、伸ばされた彼女の右手を握りしめる慎吾の姿は、かなりな「ホラー路線」だった(×_×)

・総じて「いつ」「どこで」が明確にされず、それを補う説明的な字幕も一切なかった。

・「部分的なストップモーション演出(=画面左右・奥の一部のみが時間停止する)」が光ってた!

・「道が坂になっており、右上に知子の家、左に涼太のアパートのある」地形で、2人の別れるシーンは、かなり雄弁に「画面」を構成してた!

・当時(?)、ヒステリーの事を「おヒス」と言ったりしたそうだ。

・「裁縫研究所」なる施設(?)が登場するが・・やはり「学会」とか「論文」とか「フェロー」とかが存在しとるんやろか?

・慎吾が執筆を嫌がってた“エロ剣豪の小説”を是非読んでみたい!

・パッケージが「白と青のツートンカラー」にも関わらず「MIDORI」と言う銘柄の煙草が登場(・ω・)

・エンドロールの最後に『完』と潔く表示されるのが、逆に清々しかった(=^_^=)

・綾野さん、どうにも「途中退場」な印象が強いんですけど・・

・綾野さんは・・アップで眺めると、さほどカッコ良くも思えなかった。思いっきり一重瞼だったし(ファンの方、スンマセン)。

・監督の熊切和嘉氏。その名は存じなかったが、高松市内のミニシアター“ソレイユ”で初めて観た『ノン子36歳(家事手伝い)(2008)』はなかなか良い作品だった! 次は『海炭市叙景(2010)』を観てみたいぞ!

~ こんなセリフも ~

知子「だって熱いのよ、これ」

  「髭(ひげ)ぐらい、剃ったら?」

  「私、病気なの・・重いの」

  「独りでなんか、寝てらんないわ」

  “何処へ行ってしまったんだろう”

  「8年よ・・長いわね」

  「“あの時”とは違うんだわ」

  「良い歳して、あれもこれもなんて

   惨めったらしいのよ!」

  「・・御免なさい。好きな人が居るんです」

  「だって、好きなのよ!」

  「何時(いつ)まで“こんなまま”で居させる気?」

  「ずっと寂しいんだもの・・長かったわ」

  「何処にあるの? 桃」

  「“あちら”に届けるんでしょ?」

  「慎と私には、あなたの知らない

   “生きて来た時間”ってものがあるの」

  「其れを言わせないでよ!」

  「・・憐憫よ!」

  「酔ってるのね? ・・切るわ」

  「私が来た事、あの人に伝えてよ。絶対よ」

  「分かります? 女独りで生きてく事の大変さが」

  「先生は、もっと書いて、ぶちまけるべきなんです!

   だって、誰よりも才能がお有りなんですから!」

  「愛なんかより、習慣の方がずっとずっと強いんだから」

  「もう来ないで頂戴」

  「息苦しいのよ、此の部屋!」

  「此の家すら出て、独りでやり直したいの」

  「此処からなんだわ。此処に

   “確かなもの”を築いてみせる。そう決めたの」

慎吾「彼奴(あいつ)には、苦労して欲しくない」

  「只の風邪だ。寝てりゃ治る」

  「無性に君の声が聴きたくなってね」

  「相当なヒステリーだな・・彼も」

  「(そんな事は)分かってるさ。放っとけば良い」

  「可笑しな奴だ・・“他人のもの”ばかり欲しがる

  「旅行にでも行って来ると良い・・気分が変わる」

  「旅に出よう・・一緒にだ」

  「あっちで、僕は死ぬかも知れない」

涼太「きっと優しいさ・・でもそんなのは愛じゃない」

  「・・変な人だ」

  「自分が傷付きたくないのさ・・ヒューマニティだよ」

  「呑むんだ・・煙草」

  「“いっとう良い”のを用意しました」

  「・・そのままで」

  「行くの? 泊まってけば良い。

   今、居ないんだろ?」

  「だから! どうするんだって!?」

  「帰って呉れないか・・あの時は酔ってたんだ」

  「帰らないなら、俺が出る」

  「言い訳するのが愛なの?

夫「・・女のくせして」

慎吾「訪ねて来たよ、今日」

知子「・・誰?」

慎吾「・・木下君さ」

慎吾「月曜日には戻る」

知子「風邪、引いちゃ厭(いや)よ」

慎吾「・・君もな」

慎吾「楽しかったかい?」

知子「ええ、とっても」

知子「どっかで食べてかない?」

慎吾「・・また、すぐに来るんだ」

知子「落ち着かないの」

慎吾「わがままなんだ・・君は。

   厭になるね」

慎吾「惚れてるのか?」

知子「分からない・・

   どうしたら良いか分からない」

慎吾「行こうか」

知子「“来ない”とは思わなかったの?

慎吾「貴女(あなた)“来る”って言ったもの」

慎吾「一緒に死んで呉れないか?

   厭なんだ・・もう何もかも。

   ずっと前から死にたいんだ」

知子「・・どうして奥様に頼まないんですか?」

慎吾「だって・・あいつはいつも一生懸命なんだ」

涼太「嫉妬は無いの?」

知子「もう恋は無いんだもの」

涼太「無神経な女だよ。2人の男に迎えられて・・

   ふしだらで、淫らで、だらしがないよ!」

知子「それが愛なのよ! だらしないものよ!」

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2012年11月25日 (日)

☆『のぼうの城(2011)』☆

12日(月曜)の夜。市内北方のシネコン“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと出かけ、レイトショーで観たのは・・それなりに期待してた歴史大作『のぼうの城』だった。

『TBS開局60周年記念作品』なる触れ込みの、出演俳優陣の演技合戦(?)に重きを置いた、一風変わった切り口(?)の戦国絵巻。

この物語は約400年前の史実に基づいている・・

1582年(天正10年)。現在の岡山県=備中高松にて、羽柴秀吉(市村正親)は、毛利配下の武将=清水宗治(しみずむねはる)の城塞を堤防で囲んでから一気に決壊させる“水攻め”の戦略を以て、高松城を陥落させる。

秀吉の奇策に圧倒された家臣=石田“佐吉”三成(上地雄輔)は「俺もこんな、壮大かつ豪気な戦(いくさ)がしてみたい!」と自らの興奮を隠さなかった。

8年後の1590年(天正18年)。

天下統一を目前にした、関白=豊臣秀吉は、22の支城を擁する関東=小田原城の抵抗に業を煮やしていた。

配下=三成は秀吉より与えられた2万の軍勢を率い、支城の1ツ=武州・忍城(おしじょう)を討つよう命じられる。

忍城々主=成田氏長(なりたうじなが:西村雅彦)は、密かに豊臣方に働きかけて内通し、小田原城主=北条氏を裏切る腹づもりだったが・・石田勢の使者=長束正家(ながつかまさいえ)の傲慢な振る舞いに対し、氏長不在後に城主となった“のぼう様”と呼び親しまれる殿様=成田長親(なりたながちか:野村萬斎)は「城を引き渡すのは止めじゃ! 儂(わし)は戦(いくさ)を交える事に決めた!」と刹那的に言い放ってしまう。

かくて、領内の農民兵を加えてもせいぜい2千人程度の成田勢と、城をぐるり取り囲む石田側=2万の軍勢との戦いが始まるのだった。

歴然とした兵力差に「易々と忍城を落とせるだろう」と三成は踏んでいたが・・“のぼう様”と呼ばれ、バカ殿様と領民に親しまれる長親は、優秀な家臣らの助けや、自らの“取って置きの奇策”を以て、しぶとく城を護り続けるのだった・・

個性的な城主による、異なった切り口の“和製『300(2007)』”なんかな? と思って観始めたが、どちらかと言えば『300』よりも『レッドクリフ(2008,2009)』の方に似てた気もした。常人を超越した、成田方の重臣=正木丹波守利英(まさきたんばのかみまさひで:佐藤浩市)や柴崎和泉守(しばさきいずみのかみ:山口“ぐっさん”智充)の鬼神のような戦ぶりに“関羽とか張飛とか”・・いわゆるそっち系の武将らを連想させられたからかも知んない(=^_^=)

合戦や、水攻めのシーンと言った「ダイナミックな見せ場」は確かに用意されているんだが、それぞれ「大味なCGを交えて済ませてるでしょ?」と突っ込めるトコも少なからずあり「ちゃんと地元でロケーションやってるんやなぁ」と感心させられるのは、ラストに映し出される「現代の忍城址とその周辺」ぐらいだったようにも思われた。

何となく『さや侍(2011)』『恋人までの距離(1995)』のラストと演出が似てて、笑ってしまったモノである・・

目立つ天守を構えない(?)忍城の雰囲気には『蜘蛛巣城(1957)』に出て来る山城の佇まいを連想したり。また武士(雑兵)のドラマではなく、農民(農兵)の言動に視点を据えてる辺りは、同様にクロサワ作品『7人の侍(1954)』に似てるなぁ~と感じた。

ついでだから、ラストで萬斎さんに「勝ったのは儂(わし)らではない」とぐらい、確信犯的に呟いて欲しかったかも(=^_^=)

結局のトコ、最大の見せ場と言えば・・やはり「(水攻めを破るため)船上で“田楽踊り”を披露する」のぼう様の姿だったろう。詳しく計測してないが、そこそこな規模の“長回し”もやってくれてたような(・ω・)

野村萬斎にしか演じられない役柄である意味は、こここそにあるワケで・・逆に、騎馬隊を率い猛々しく敵陣に斬り込んで行く“のぼう様”の姿を想像してたワタシは、どうやら大きな勘違いをしてたようである(=^_^=)

鈴木保奈美、榮倉奈々、尾野真千子、芦田愛菜・・と言った女優陣については、決して巧く活用出来てたと言えないように感じたし、夏八木勲さん演じる坊さんも、もっと強烈な出番があっても良い気がした。

それでも、比較的マイナーな(?)武将に焦点を当て、士と農の共闘ぶりを描いた“珍しさ”や、圧倒的な兵力差を「知的な戦略」でカヴァーする“精神戦”の要素がなかなか楽しかったんだが、もう少し展開をテンポ良く進めても良い気がしなくもなかった。

“オチ”を知ってしまうと、2回目を観るにはやや展開が間延びして感じられる事だろう。

「何度観ても飽きない」そんな完成度にまで高めて欲しかったモノである。

~ こんなトコも ~

・正直「掴み所がない」ってのが“のぼう様”のキャラ造型だった。

・“のぼう様”の(真の)スゴさを観客に「直感的に」理解させる、そんなエピソードを前半辺りに盛り込んで貰えると有難かったかも。

・しかし「取り囲む側近(家臣)」や「一揆らない百姓」には恵まれ過ぎてる“のぼう様”だった。

・成宮“ばかもの”寛貴君(酒巻靱負:さかまきゆきえ役)の恋愛劇に期待して、ソンした(⌒~⌒ι)

・てっきり佐藤浩市は「何故じゃあ~!」と叫びながらカメラの前で殺されるんかと思ってた(=^_^=)

・大した意味もなしに「全裸で尻を見せてた(入浴シーンの)市村さん&山田孝之くん(大谷吉継役)」ってば“女性客向けのサービスカット”のつもりやろか?

・市村さんは「ゲスト出演」のレベルだったかも・・

・劇中のロケーションは、正直何処でやっても良かったんかも。

・もう少し“のぼう様”と甲斐姫(榮倉)のロマンスを描いて欲しかった。

・前田吟さんと平泉成さんのキャラが、ワタシの中で何故だか強烈にカブってて、ちょっと混乱した(=^_^=)

・前半の“騎馬一騎討ち”で敵将を首コロさせたのって・・丹波守(佐藤)だったんやろか? 黒い甲冑姿になると、和泉守(ぐっさん)との区別がちょっと付きにくかったような(×_×)

・「敵将を狙撃する卑怯さ」が容認されるなら「三成方の使者をその場で斬り殺す卑怯さ」もアリだった気がした(=^_^=)

・成宮寛貴君が“和製ジョン・ローン”に見えて仕方がない(⌒~⌒ι)

~ こんなセリフも ~

のぼう「少々ぬかるんでおった」

   「全く面目ない」

   「隙あらば、儂を襲え」

   「一寸(ちょっと)良いかなぁ?」

   「隠せば、噂は広がる

   「じたばたしても仕方がない」

   「冗談通じて面白や~」

   「腹は今、決めた・・戦いまする!」

   「“下る”のが嫌になった」

   「“戦場にて相まみえる”と申した」

   「嫌なものは嫌なんじゃ!」

   「是が“世のならい”と申すなら・・儂は赦さん!」

   「坂東(ばんどう)武者の槍の味、存分に味わわれよ」

   「皆、ごめ~ん」

   「済まんが、一寸横になる」

   「御主も案外と馬鹿じゃなぁ」

   「儂は決めた! “水攻め”を破るぞ!」

   「儂は悪人になる!」

   「城外の百姓は皆、我等の味方ぞ」

三成「誠、水に浮くか試してみるか」

  「“水攻め”じゃ! 決壊させよ!」

  「遠慮致すな」

  「さぁどう出る? 忍の城の強者共よ」

  「“利に転ばぬ者”が此処にも居たか」

  「“佳き戦”に御座った」

丹波「・・関白と戦か」

  「本当にやるのか?」

  「我ら、戦に決した」

  「是が“天下の兵”か」

  「“槍合せ”を願おう!」

  「士気は高い・・勝てるぞ」

  「あれ程の悪人は居らんぞ」

  「侍共は命に代えても百姓を護れ!」

和泉「面白ぇ、やっちまおう!」

  「此の長野口を攻めた不運を知れ!」

酒巻「儂に“場”を与えよ! “天才の働き”を見せて遣るわ」

  「我等にしか取れぬ軍略を以て、勝利を掴む」

大谷「此の城を敵に回したは、間違いか・・」

  「初戦は我等の負け・・退くぞ」

  「何と豪気な・・まだ船を寄せるか」

  「是で此の戦、泥沼とな成ったぞ」

  「此の城だけだ・・堕ちなかったのは」

秀吉「決壊させよ!」

僧「“でく”を付けてないだけ有難いと思え」

※「百姓とて馬鹿ではない」

 「彼奴が総大将だ!」

 「田を駄目にされた百姓が黙って居ると思ぅたか」

 「最早、是非も無い」

甲斐「彼奴(あいつ)死ぬ気だ・・死ぬ気なんだ」

酒巻「(姫に)惚れておりまする」

甲斐「承知した・・有難(ありがと)よ」

酒巻「心底惚れた男に、まずは抱かれよ」

甲斐「・・そうする」

甲斐「(戦は)私の為か?」

のぼう「・・そんな訳ないでしょ」

追記1:本作の舞台となったのは、埼玉県行田(ぎょうだ)市。「皿尾橋」「持田駅」「石田堤址」などがラストで映されてた。

追記2:石田勢の旗印に書かれていたのは「大一大万大吉」の言葉。間違えて「大天万大吉」と読んでた(⌒~⌒ι)

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2012年9月 1日 (土)

☆『猫と電車 〜ねことでんしゃ〜』☆

31日(金曜)の夜。
仕事の帰り、商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”に立ち寄り、鑑賞したのは・・25日(土曜)に観る事の叶わなかった1作『猫と電車 ~ねことでんしゃ~』である。

流石に、本日はすんなりチケット購入⇒入場が叶いホッとした(=^_^=)
にしても、いつもの最終回上映よりはロビーの混み合ってた気がする。待合いコーナーのイスも、殆ど埋まってたもんなぁ。

「この前、25日に来たんですけどねぇ・・ 『舞台挨拶がある』とかって言う事で、入場出来なかったんですよぉ」
などと“今更言ってもしゃあない事”をチケットカウンターで愚痴ってしまった。係員さん、お赦しを。

幼い頃に“とある事故”で母親を亡くしてしまった綿谷(わたや)姉妹=姉の遥(藤真美浦)、妹の雫(しずく:篠原ともえ)は、ある日の口論をきっかけに雫が遥の家を飛び出し、それ以来“音信不通”の関係が続いていた。

自称“キャラクター作家”の雫は、独自の『泊めてくれる人リスト』に従って、昔の同級生らの家を転々としていたワケだが・・リストの最後を飾るみゆきと恋人=片山君との“おめでた婚”を知るに至り、とうとう家を出る決心をする。

単発のバイトで得た“最後の収入(8万円)”を銀行のATMで全額出金した直後、雫はスリの少年に財布を盗まれてしまう。

突然に「総て」を失ってしまった雫は、棄てられていた段ボールを使って公園に“お城のような家”を造り、そこで生活を始めようとするのだが・・

正しくは「高松琴平電氣鐵道(ことでん)路線開通100周年記念企画」と銘打たれてた本作。
タイトルがスクリーンに表示される際、漢字で『猫と電車』に続き『〜ねことでんしゃ〜』と出るんだが、そこで『ことでん』と表示後に『〜ね ことでん しゃ〜』と表示の補完(?)されるセンスに、妙に驚かされてしまった(=^_^=)

物語そのものは「箱庭的なスケールの(世界の)狭さの中で、何やら登場人物も少なく、それぞれの(突出した演技の)巧さも感じないままに淡々と進行して行った」って印象が強かったが、、良く通ったりする(勤務先界隈の)場所がロケーションされているのを眺めるに、やはり単純ながらワクワクさせられてしまった(=^_^=) って事で、高松市民各位(むろん元市民を含む)には「この世界観を楽しんで欲しい」って事で、一応はオススメしておきたいトコである☆

主人公(ヒロイン)にしては、ちょいと“立ち位置”の下がり気味だった篠原さんだが、歳も重ねられ(?) 「地に足の着いたコミカルさ」と言おうか「優しい言動のハナにつかなさ」と言おうか、良い雰囲気を醸し出しておられた。
原田知世さんみたいな感じ(?)で“唯一無二”なオーラをまといつつ、これからも「目立ち過ぎず、潜り過ぎず」頑張って欲しいトコである(・ω・)

登場する女優陣(のヴィジュアル)には、総じて「う〜む・・」な印象が(私的には)あったような(⌒〜⌒ι) 子役の中にも、左側を見なければならないハズのシーンなのに、妙にこちら(正面)を気にし、凝視してる子がいた。お前、それ「キャメラ目線」だってば!(爆笑)

人物の描き方の「浅過ぎる」キャラも少なくなかったが、監督=香西志帆さんが「現役の銀行員さん」と聞くに「良くぞ完成に漕ぎ着けはったなぁ!」と驚かされるばかりである。
きっと「撮り直しをしたくても、撮り直す時間がない」って状況との、葛藤の日々だったに違いなかろう(←意外と「1シーン1ショットで撮っちゃう派」の天才肌だったりして(=^_^=))

帰りには、ロビーの売店コーナーにて篠原さんのサイン色紙を発見した。

(↓本記事末尾の画像参照↓)

まだしばらくは上映されるハズなので、良かったら観に行ってみて下さいよ。

〜 こんなトコも 〜

・そないに「猫」に焦点を当てた作品でもなかった。。
・本作の主題歌(オープニング&エンディング)は、篠原さん自身の“セルフプロデュース”したミニアルバムからチョイスされた2曲との事!
・架空の「三月」って歩道橋が出て来るが、設置された看板に「室戸」「四月」方面への距離数が記載されてた。何処の歩道橋なのか、調べたら突き止められそな気がする(・ω・)
・ロケ先に「花園第2公園」「サンポート高松」「しごとプラザ高松」「片原町マルヨシセンター」「松下製麺所」「カフェ・ソレイユ」「アロハカフェ」「BoxGallery MakeMerry」などがあった(エンドロールより)。
・劇中に登場する兄弟が「クリバヤシ兄弟」って苗字で、ちょっと面白い。「タマモ姉妹」はいないんかな?
・シンクパッドのノートPCの液晶背部に「白い林檎シール」を貼ってるセンスがちょっと笑えた。いっそ、買っちゃえば?
・「ペンタックスの銀塩カメラ」「懐中時計」を愛用する主人公の個性が光ってた。
・主人公の母親の“受難”は『インスタント沼(2009)』での状況と、ほぼ共通するモノだった。
・「スリ少年」「マッシュルーム頭の青年」「何だかヒマそな私服刑事(2人)」「マジシャン一家」など、ちょっと演出センスの古びとる(?)トコもある。。
・「つくし学園」の壁に『やる気は力』と張られてた(⌒〜⌒ι)
・「徳の市」プロデュースの「瀬戸内アイス」に興味津々〜(・ω・)
・ご当地アイドル“きみともキャンディ”って女の子たちが出て来るが、間違って“きもかわキャンディ”と覚えそうで・・(×_×)
・現実には「ああ言う状況」での応募(出品)スタイルだと、到底採用されない気がするけど・・
・「つくし学園」にいた女の子(子役)。大きくなったら栗山千明っぽくなりそうなご尊顔だった。

〜 こんなセリフも 〜

雫「結婚なんてさ・・“幸せの押売り”みたいじゃん」
 “あの・・何か仕事、ないスかねぇ?”
 「人生は、結構いろいろ厳しいの!」
 「あたしの人生って1分=13円?」
 「“固定給”貰えるのが、そんなに偉いんですか?」
 「世界は広いし、あたしの人生はあたしが決めます」
 「・・来てます」
 「・・見えました。取りかかります」
 「こんなんで“キャラクターの気持ち”なんか
  分かるワケないじゃん」 
 「あたし、何でこうなっちゃったんだろう?
  何処も間違ってなかったハズなのに」
 「じゃあ、あんたが(代わりに)仕事、取って来なさいよ!」
 「色、いっぱい使って描いてみてね」
 「お願い・・みんな、出て来て」
 「来月の事? そんなの分かんないよ」
 「ずっと苦しかったね・・ごめんね」
 「今からは、自分のためだけに生きてあげて」

遥「あんた、ずっと高松にいたんだ」
 「夢だけで生きて行けるのは、18歳までなの」
 「“護らなきゃ”って気持ちと“赦せない”
  気持ちがずっとあって・・」

編集長「『うどん脳』・・“キモカワ”って
    言ったってさぁ・・使えないでしょお?」
   「まずはキャラクターになって、
    その気持ちを理解して、それから・・作る」
   「(コンペに)落ちても恨むなよ」

みゆき「お帰り」
雫「・・3時間前から帰ってたんだけど」
みゆき「気付かなかったよ」
雫「・・(そんなの)ウソだよ」

みゆき「何系の会社?」
雫「良く分かんないけど・・“うどん系”?」

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2011年4月 7日 (木)

☆『なくもんか(2009)』☆

しばらく、記事を書いたり、まとめたり、アップしたりする気力の尽きてたここら約1週間(×_×) 何となしに“環境の変化”にお疲れ気味な日々が続き・・不規則な仮眠のまま明け方を迎えたり、TVを点ける気になれなかったり、と色々あった。

まぁ、そんなワケで、過去のメモをまとめつつ、ぼちぼちと動き始めたい(・ω・)

・・・

1日(金曜)の夜。“地上波初”で放送された邦モノコメディ『なくもんか』を高松の自室で観た。
確か、先月11日(金曜)の夜に予定されてたプログラムが(震災関連の番組のため)順延されたモノと記憶している。

生き別れた兄弟の再会&再生(?)を軸にした「笑って泣ける、ちょっと変わった家族の物語」ってフレーズの本作。
「脚本:クドカン(宮藤官九郎)+主演:阿部サダヲ」のコンビが『舞妓Haaaan!!!(2007)』以来、再び実現!!

“山ちゃん通り”“ハムカツストリート”とも呼ばれる東京都文京区・善人商店街で“22年間(?)継ぎ足し、熟成させ続けた秘伝のソース”を武器に、経営する『デリカの山ちゃん』の評判を高め続ける2代目店主=祐太(阿部)。

「笑顔の絶えぬ、究極のお人好し」である彼の半生は、実に数奇なモノであった。

そんな彼の前に、新たな“波乱”を巻き起こすかのように・・徹子(竹内結子)、祐介(瑛太)、父親(伊原剛志)・・といった面々が次々に姿を現し・・

キャラ造型の“ツカミ”部分こそ、かなり面白そうで(大いに)期待させてくれたんだが・・総じては“ダメダメな凡作”とし収束してしまってた。或いは、(放送に当たり)大幅な編集(カット)がなされた故だったのか・・??

私的には、伊原演じる“クスぶってるダメ親父”と、陣内孝則演じる“華々しいダメ親父”のキャラの「2大巨頭ぶり」をこそ、もっと楽しみたかったんだが・・どうやらお2人とも「友情出演」とか「特別出演」と言ったレベルでしか本編に絡んで来てはらなかった様子。

先代の奥さん(いしだあゆみ)も、もっと絡んで来るかと思いきや「一定のラインからこっち」へは全く踏み込んで来られなかった(×_×)

一番の問題(?)は『毎週末の深夜(?)に“謎の行動”に走る阿部』・・って「ネタ」が、何だか共感も驚愕も出来ない感じのままに“滑り気味”に終わっちゃってたトコだった。
同様に祐介のキャラに関しても“にじみ出る、売れっ子お笑い芸人パワー”を殆ど感じられなかったし。。

私的に、1番「エエなァ〜」と思えたのは“金城ブラザーズ”の兄貴=大介役を好演してた塚本高史の“悲しみをたたえたような”存在感だった。
このしと(キャラ)の抱える「歯痒さ」「焦燥ぶり」「嫉妬心」などをもっともっと“深く&人間クサく”描いて欲しかったんだが・・後半は“半退場状態”に陥ってしまってたなァ。

竹内さんにしても“インパクト1点(=1シーン)凝縮型”で、そっから先の「広がり」が全くないし、正直『舞妓Haaaan!!!(2007)』に比べると、クドカンの“ホン(=脚本)ヂカラ”のパワーダウンが激しかったなァ。

ってことで、やはり「阿部サダヲの暴走キャラを使いこなすのは“至難の業”。あのジム・キャリー同様に」って点を、再認識した程度だった。

この気持ちを言葉に置き換えるなら・・「ムチャクチャ豪華そう&美味しそうな料理(キャラ)の数々を眼の前に並べられながら・・そのどれについても口に放り込むことを赦されなかった」そんな感じである。

〜 こんなトコも 〜

・同じ“ブラザーズ”を名乗るなら「加瀬亮(兄)+瑛太(弟)」で組んで欲しかったカモ。タイプ的に似てそうだし。
・「楳図かずお」のご本人カメオ(=^_^=)出演は、実現不可能だったんやろか?
・伊原親父の“アバンギャルドな言動の数々”は『東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン(2007)』における小林薫親父を「瞬間風速的」ながらも圧倒してた気がする(=^_^=) ソースで鉄板に“倅を4649”って書き置きするセンスが(特に)光ってた!!

〜 こんなセリフも 〜

祐太「治った? それとも偶然?」
  「ダメだ・・(涙が)漏れそう・・」
  「そんな・・他所のお客さんを横取りするなんて」
  「いやいや、好きでやってるんですよ」
  「むしろ僕は、デブを待ってたんだ・・デブ待ち?」
  「え? 今、俺、何つった?!」
  「真剣に可愛がるっつぅの!」
  「(あっちへ)行かないのか・・じゃあ、そこで見てなさい」
  「来ないの? じゃあ、こっちから行くぞ」
  「行ってらっシャイニング!
  「“給食のソース”に負けるとは・・今までの苦労は何だったんだ・・!」
  「あんたが謝ったら、赦すとか赦さないとか、そう言うハナシになるだろ?」
  「“淡々と飯を喰う”のが、リアルな家族なんだよ」
  「分かった。俺が何とかする」
  「なんくるないさぁ!」
  「お腹が痛い? どの辺が? どんな風に?」 ←問診風(=^_^=)

祐介「お先に勉強させて頂きました」
  「芸能人なんて“ラクして稼いでる”と思ってんだろ?」
  「いつも笑ってるんだ。楽しい事なんか何もない筈なのに、それでも笑ってるんだ」
  「笑ってないんだよ。腹の中では“1ミリも”笑ってないんだよ。
   笑顔が顔にへばりついてんだよ」
  「気持ちは嬉しいけど、滑るワケにはいかないから」
  「何でそんなに笑ってられんの? 教えてくれよ。何か裏があんの?」

徹子「不安なのよ・・まだ“好き”って言って貰ってないもん」
  「他所で泣いてくれるかなぁ?」
  「薄ら寒むっ!」
  「あんた、不幸な自分に酔っ払ってんだ! 笑えないよ、あんたには」

大介「本来、笑いのパターンは7種類しかないんですよ」
  「勘違い、オーバーアクション、変な顔、物真似、真顔、変な顔。
   7つ目は何だと思う? ・・それはね、不幸なんだよね。
   だって不幸ってさ・・笑えるじゃん」
  「俺の事、見棄てないでくれよ。お前の兄さんだよ、俺」

刑事「(家の)あちこちから或る人物の指紋が検出された。
   ・・って言うか、或る人物の指紋しか検出されなかった」

ナレーション“俺には兄がいるらしい”
      “俺には弟がいます”
      “元気な人が長生きする、とは限らない・・母は元気に早死にした”
      “笑われるのはイヤだけど・・同情されるのはもっとイヤだった”

弟「え? 何でそんなに」
兄「決めたんだ。子供の頃に」

祐介「何なんだよ! あんた」
徹子「この人の、女房よ!」

追記:『なくもんか』と言うより『なけるもんか』って感じ(⌒〜⌒ι)

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2010年12月16日 (木)

☆『ノルウェイの森』☆

15日(水曜)の夜。

「昨夜のクチ直し」と言うワケでもないが(=^_^=)・・再び“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”へと向かい、正直『SPACE BATTLESHiP ヤマト』以上に期待値を高めてた1作『ノルウェイの森』を観て来た。

「最初から、コレ選んどきゃ〜良かったんや」などと呟きながら・・(←おい、そこまで言うか)(=^_^=)

しっかしアレです・・またもや“レディース・デー”とモロにぶつかってしまったもんで、周囲が女性客だらけであり、騒がしくて鬱陶し・・いや、閉口させられてしまった(×_×) 男性観客にとっては、まさに「受難な曜日」と言えましょう(×_×)

“現代の日本人作家で、最もノーベル文学賞に近い男”とも噂される村上春樹の同名小説(1987年刊行)を、23年を経ての映像化に取り組んだのは、ベトナム出身&フランス在住の映像作家=トラン・アン・ユン監督。

主演に『人のセックスを笑うな(2008)』『D.M.C(2008)』『ウルトラミラクルラヴストーリー(2009)』の松山ケンイチと『バベル(2006)』『スカイ・クロラ(2008)』の菊地凛子を迎え、133分の長尺の映像世界で魅せる。かつPG-12指定作。

1967年、神戸。巷では、加山雄三主演による“若大将シリーズ”が劇場を賑わせてもいた頃。
17歳の高校生である僕=ワタナベ(松山)は、親友のキズキ(高良健吾)、その幼馴染み&恋人である直子(菊地)と3人で遊ぶ仲だった。

そんなある日・・理由は分からない(描かれない)が、キズキが自らの生命を突然に断ってしまう。

キズキの喪失に伴う“ぼんやりと残された空気の塊”をまとったまま上京し、東京の私立大学に通い始めた僕は、19歳となったある時、都内で直子に再会する。
互いに言葉少なながらも・・静かに距離感を縮めて行く僕ら。

しかし“とある事件”を境に、直子は僕の前から姿を消してしまうのだった。

やがて遠く、京都の北部にある療養所に身を置くこととなった直子。
一方で、僕の前には活発で小悪魔的なミドリ(水原希子)と言う女の子が現れて・・

本作は、大学の頃だかに原作(文庫版)を読了した覚えがある。何ともツカミどころのないような、ガチガチに構築された作品世界を読み進ませる、と言うよりもむしろ、行間に漂う世界観を自由に想像させてくれる、みたいな「輪郭の薄い感触」だった・・と記憶している。

面白いのは、タイトルにもなってる『ノルウェイの森』と言う(ビートルズの)ナンバーのことをワタシは全く知らず、読了後もしばらく耳にすることのなかった点(=^_^=)>

結局、初めて「どんな曲なのか」を知ったのは“PMドーン”と言うラップ/ヒップホップアーティストがカヴァーしている、メロディアス&ダンサブルなアレンジヴァージョンを耳にした時が初めてだった(恐らく1994年辺り)。

私的には、村上春樹作品で印象的だった小説は・・本作以上に『国境の南、太陽の西(1992)』だったように思う。よりエロティックだったモノで(=^_^=)>

さて、本作・・ 正直、トラン・アン・ユンが監督に起用された点が最も疑問だった。
私的には(同様に村上原作である)『トニー滝谷(2005)』が特に素晴らしかったが故、市川準にこそ監督をやって欲しかった、と観賞後、強く感じた次第。
(まぁ、ワタシはトラン・アン・ユン監督作を未見なので、それ以上は何とも言えないが・・)

何やら「長回し」「空撮&俯瞰アングル」「蒼系フィルター」などの印象的な映像群はバシバシ放ってくれるんだが、「コレ!」と言う“そのままポストカードに使える”までの映像には欠いてた感。
おまけに「引き伸ばしてでも(更に)描いて欲しいトコ」「省略しても良いトコ」のチョイス&バランスがイマイチ良くなく、世界観を楽しめるでも、物語世界に対する憧れを惹起させてくれるでもなかった。

演出群をこの数&バランスで劇中に挿入するんだったら、もっともっと全体を編集し、上映時間を短くすべきだったと思うワタシ。

登場キャラ群の魅力も押し並べて乏しく、
「キズキ:存在が薄過ぎ」「直子:“20歳〜21歳”なる設定にムリあり過ぎ」「ミドリ:(歯をのぞかせ)笑った顔がイマイチ&バスト薄過ぎ(←コレは個人的な好みやね・・スンマセン)」「永澤さん(玉山鉄二):存在を分厚くし過ぎ(=人物を描き過ぎ、魅力が薄れてしまった)」・・といずれも良くなかった。
つまり、描くべきキャラはもっと登場時間を増やして欲しかったし、もっと立ち位置を下げ“ミステリアスさ”をキープし続けて欲しいキャラもいた・・って感じ。

“エロティック至上主義”を密かに唱えて止まぬ(=^_^=)ワタシとしては、全体的に「映像が上品過ぎる」点には不満も戸惑いも感じ続けたか。菊地凛子さんがヒロインってことで、トンでもない「体当たりアクト」を期待してたら・・全くもってフツーでした。セリフ群では、結構なエロさが爆発してましたが・・

劇中で、ズバリ「ノルウェイの森」をギター演奏でご披露してくれるレイコさん(霧島れいか)。
このしとも、終盤の「体当たり」を必要以上にドキドキしつつ、硬くさせつつ(←おい!)観てたら・・全然“フル・モンティ”じゃなくガックシ(×_×)

原作では「お仏壇を前にし、大胆なコトをしちゃう」ミドリちゃんについても・・「そんなシーン」が映像的に再現されようハズもなく(×_×)ワタシはすっかり軟化しちゃうのだった(←やめんかい、その表現)

ってことで、恋愛モノとして観ると、正直「ナニを描きたかったのか」曖昧な観後感が残るんだが・・感受性の強い方(或いは、何処かで自身の記憶とリンクさせられるような方)には、きっと鮮烈な余韻を残す1作なんだろうなァ・・とは思いますわ。

〜 こんなトコも 〜

・主人公が飛行機に搭乗してる(原作の)冒頭シーンも、観てみたかった気がする(・ω・)
・主人公の、永澤に対する「高貴な精神を持った俗物」って表現(評価)は、インパクト十分!
・タクシー料金が「2キロ:100円」の時代だった! 学食のランチは「A:120円」「B:100円」「C:80円」の3種だってさ。
・ミドリの飲んでたカクテルは「トム・コリンズ」で、僕の注文は「ウィスキー・ソーダ」だった。
・風に揺れる両足・・連想したのは、やっぱり『グラディエーター(2000)』だったですかなァ(⌒〜⌒ι)
・主人公の、直子に対する恋愛感情の中には、(たとえそれが無意識的であるにせよ)死んだキズキに対する対抗心/反発心(友情をも伴う)みたいなものも色濃く存在してたように思う。
・主人公が『50回目のファースト・キス(2004)』の主人公(演:アダム・サンドラー)みたいな性格だったら・・或いは直子も、その心を回復させたことやろか?
・「涎の糸を引いて泣く」のは、やっぱしみっともないス(・ω・)
・生きている相手の表情をアップで映しながら“それから2年後、この人も死んだ”なんてな主人公の独白の入る演出は、なかなかスゴい!
・未見だが『69/Sixty Nine(2004)』もこんな感じの世界やろか?(高校時代のシーン)
・主人公の連発する「もちろん」は『大日本人(2007)』における「是非!」のように耳にこびり残る(=^_^=)
・主人公が2人の女性の間を絶妙にシフトして行く辺り、何となく『ジョゼと虎と魚たち(2003)』を連想してしまった。
・主人公のフルネームは? ワタナベ・ヂュンイチだったりして(⌒〜⌒ι) それって、阿寒に果てそ〜。

〜 こんなセリフも 〜

僕「黙ってたって構わないさ。僕も“お喋りな方”じゃないし」
 「そうだよ」
 「もちろん」
 「どう致しまして」
 「ごめん。訊くべきじゃなかった」
 “返事が欲しい。僕は君を傷つけてしまったのか? それだけでも知りたい”
 「肘は身体の中で、1番感覚の鈍いトコロらしいよ」
 「“孤独が好きな人間”なんていないさ」
 「時間だけは余ってるんだ。その時間の中で、
  君を眠らせてあげたいぐらいだよ」
 「人と人がそんなに愛し合うって、素敵なことだな」
 「君にとって、愛って何?
 「今“うまいよね”って言ったのは、その食べ方が“上手い”って
  言ったんだけど」
 「・・なかなか巧いね」
 「何か、僕に出来ること、ある?」
 「僕が何を言っても・・始まらないですよ」
 「頼むよ・・場所、わきまえてくれよ」
 「ここは“長くいる場所”じゃないと思うし」
 「僕は本質的に“楽天的な人間”なんだよ」
 “お前と違って、俺はきちんと生きようと思ったんだ。
  俺は今よりももっと強くなる・・大人になるんだ”
 「“人としての責任”みたいなものを、簡単に放り出すことは出来ない」
 “哀しみの中で学び取った何かも、
  次にやって来る哀しみを前にしては、何の役にも立たないのだ”
 「あなたは誰かと恋をすべきです
 「君以外に求めるものは、何もないよ」
 「僕は今・・何処にいるんだろう?」

直子「少し歩かない?」
  「思うんだけど・・人って“18歳と19歳の間”を行ったり来たりするべきなのよ。
   (中略) そうしたら・・色んなことがもっと楽になるのに」
  “頑張って下さい。またいつか、逢いましょう”
  “今はまだ、あなたに逢う準備が整っていません”
  “あなたが私を傷つけた訳ではありません。
   私を傷つけたのは・・この私自身です”
  “私には、あなたの顔しか思い浮かばないのです”
  「どうしても逢っておきたかったの。
   あなたの顔を見て、慣れておきたかったの」
  「全然濡れなかったし・・開かなかったの」
  「話さない訳にはいかないの」
  「彼のこと、愛していたのに・・
   “愛するってことがどう言うことなのか”も、分からなくなっちゃうの!」
  「もう少し、自分のことをキチンとしたいから」
  「出してあげよっか?」
  「東京で誰かに逢っているの? その時は、私に話してね」
  “雪が降り始めた頃、私に逢いに来てくれますか?”
  「どうして、私にかまうの?」
  「あなた・・“自分に嘘ついてる”とは思わないの?
  「どうして分からないの? “あなたの存在”が私を苦しめるのよ!」
  「どうして濡れないのかしら? どうしてダメなのかしら?」
  「いつまでも忘れないでいて欲しい。約束してくれる?」

教授「“ギリシア悲劇より深刻な問題”が存在するとは思えないが」

永澤「俺が100人の女とヤッたかって? 大袈裟だよ。せいぜい70人だ」
  「“刻(とき)の洗礼を受けていない文学”など読む必要はないさ」
  「それはハツミの問題であって、俺の問題じゃない」
  「俺のこと、酷いと思うか?」
  「自分に同情するのはな・・下劣な人間のすることだ」

ミドリ「そうしたら・・愛してあげるの」
   「来ないでね。お葬式って大ッ嫌い。
    ああ言う場所で、あなたに逢いたくないの」
   「今度、ポルノ映画に連れてってくれる? すごくイヤらしいヤツよ」
   「どうしてって・・どう言うことなのよ、これ?」
   「私を抱く時は、私のことだけを考えてね。
    ・・言ってる意味、分かる?」
   「私に何をしても構わないけど・・私を傷つけることだけはやめて。
    ・・幸せになりたいの

ハツミ「私は傷ついてる。どうして、私だけじゃ足りないの?」
   「そう言うのって“自分でもどうしようもないこと”なのよ」

レイコ「“7年前に失ったもの”を取り戻すことが出来たわ」
   「幸せになりなさい

僕「疲れてるの?」
ミドリ「久しぶりに、身体から力を抜いただけ」

レイコ「忘れないでね。私たち“普通”じゃないの」
僕「・・みたいですね」

直子「私と、寝たい?」
僕「もちろん」

ハツミ「楽しかった?」
僕「・・別に、楽しくはなかったです」
ハツミ「なら、どうしてそんなことをするの?
    (中略) そう言う種類のことは、あなたには向いていないし、
    相応しくない、と思うんだけど」

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2009年10月30日 (金)

☆『長い散歩(2006)』☆

28日(水曜)の夜。
出張先(愛媛県新居浜市)の某ビジネスホテルに戻り、TVを点けると・・何気なく“フィルム撮りっぽい画面に故・緒方拳さんが映ってる”のが放送されており・・何となしにその世界観に惹かれるトコがあり、中盤からながら、そのままラストまでイッキに観てしまったのだった(・ω・)

何と言うタイトルなんかも分からなかったが、本編終了時に至り、奥田瑛二監督の『長い散歩』って作品であることをようやく知った。

アパート暮らしの老人(緒方)が隣家(?)で虐待されている少女(5歳ぐらい?)を連れ去り、逃避行を繰り広げるロードムービー。彼ら2人のドラマは何となくノンビリとも描かれるんだが、当然それは客観的に見れば「誘拐事件」だったりもし、監督である奥田氏自身が2人を追う刑事役でも助演してる辺りは『パーフェクト・ワールド(1993)』におけるクリント・イーストウッド監督の立ち位置を何処となく連想してしまったものだ(・ω・)

セリフが意図的に(?)削られ、鉄道系やら寺社系やらの情景がええ感じに広がる。時には雨がそぼ降ったりもする。
「何かこの風景、知ってるぞ?!」と思い、後で調べたら・・果たしてロケ地(の1つ)が岐阜県・郡上市(郡上八幡)なのだった☆
『僕の彼女はサイボーグ(2008)』でもロケ地に使われていた(←ってことでロケツアーにも繰り出した(=^_^=))この町は“消失しつつある、昭和時代の日本の面影が辛うじて残されてる”ようでもあり、素晴らしいトコロだったなぁ。

中盤辺りで(?)松田翔太演じるバックパッカー青年=ワタルが2人に絡むんだが、突然の展開で“退場”してしまうのには驚かされた。
正直、空きっ腹に缶チューハイを流し込んでフラフラしながら観てたもんで・・いきなりの※※(←アイテム)の登場にはぶったまげた。まるで北野武監督作品を観てるようだ(×_×)

作品のテーマに「老人の再生」「愛ゆえに少女を救い出した老人の、誘拐犯として追われる身の皮肉さと悲しみ」なんかがあるんだが、期待してた“裁判劇”は結局後半で展開されず、ちょっと「物足りない」と言うか「みなまで語ってくれんかったなぁ」と言うか「観客を置いてかないで〜」と言うか、不思議な余韻が残されたのだった。

日本人監督らしい“物語の紡ぎ方の奥ゆかしさ”みたいなモノはバンバン作品世界に漂っていたんだが、一方では「徹底的に虐待母(←を、ワタシの“青春時代のディーヴァ”であった高岡早紀さんが演じたはった、トホホ・・)を叩いて欲しい」ちぅ観客の願い(ワタシだけのか?)はぼかされたままに幕となってしまったのだ。

本作、ロケ地は多治見市、各務原市・・と岐阜県下で多くが撮影されたようだ。ラスト近くで“上尾張駅”と言う駅舎が登場するが、ネットで調べた限りは架空の駅らしい。

それにしても緒方拳さん、最後の出演作が『ゲゲゲの鬼太郎/千年呪い歌(2008)』とは、、(・ω・)
個性派名優=ラウル・ジュリアの(メジャー系)遺作が『ストリートファイター(1994)』であることに匹敵する“おちゃめ度”ではある。。

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2009年4月11日 (土)

☆『ノン子36歳(家事手伝い)』☆

10日(金曜)の夜。高松支局の職員の殆どは業務後、高速バスで帰阪してしまったが・・ワタシは、と言うと明日にも家人が“お犬サマ連れで高松入り”される・・ってことで、久々に「帰阪せぬ週末」となる。
1週間を無事に(?)終えた解放感も手伝ってか(?)市内にある某シアターで1本観てから帰ろう! と直感的に決めた。

そこは、意外と勤務先から近いミニシアター“ホールソレイユ”である。とあるビルの「4階に2スクリーン」「地下に2スクリーン」と言う潔い構成(=^_^=) 大作を狙うなら、大型シネコンである“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に行ってみるのも悪くはないが、自転車で仕事帰りに出かけるにはちと遠過ぎるようで・・私的にはこの“ソレイユ(の4シアター)”こそをご贔屓の劇場にしたいかな、と考えている。

今夜で言うと『ザ・バンク/堕ちた巨像』とこの『ノン子36歳(家事手伝い)』のどちらもがチョイス可能だったが、何となく後者の「R−15指定」って注意書きに興味が高まり、そっちを選んでしまった(=^_^=)

本編開始直前。
大阪時代の鑑賞と変わることなくスクリーンに映し出された「カメラをかぶった、映画泥棒のおっさん」のCMに、妙な安心感を覚えたワタシである(=^_^=)

かつてはグラビア系タレントの端くれ(?)とし、深夜番組にも出演していた経歴を(密かに)持つ“ノン子”こと坂東のぶ子(坂井真紀)。今は夢破れ(?) 東京から故郷=埼玉県寄居町の実家(=椋(むく)神社)に戻り、家事手伝いをしている。

総てにやる気を欠くノン子。楽しみは旧友=ふじ子の経営する「和風スナック藤」で昼間からダラダラ呑んで過ごしたり、神社の境内でタバコをふかし他人の引いたおみくじを盗み見たり、深夜「和風スナック藤」の帰路に酔った勢いで自転車を蛇行運転し、商店街のゴミ箱を蹴り倒しながら走ったり・・と総じて非生産的(⌒〜⌒ι)

そんな彼女の前に2人の男性がほぼ同時に現れる。

1人は年下の青年=藤巻マサル。彼は間もなく神社で催される「水無月祓祭」に出店するためやって来る。「いずれは世界に出るんです」とやたらと夢のでかい、年下のマサル君の一途な言動が、次第に無視出来なくなって来るノン子。

そこに、彼女の元マネージャーであり、元旦那(!)でもある宇田川(鶴見辰吾)がひょっこりやって来た。
「もう一度、俺と東京に出て、タレントをやってみないか?」
ねちっこくも(=^_^=)したたかなトークに母性本能(?)をくすぐられるノン子。いつしか宇田川の手は彼女の太腿に、更には下腹部(=ジーンズの中)に伸びるのだった・・

宇田川とマサル・・2人の運命の男(?)の間で揺れ動くノン子。彼女が最後に選んだ道とは・・?

坂井真紀さんの体当たりな演技が「当たり障りなく言えば」見所だろうか。役作りとして意識されてのことか、かなり外見&内面的に「乾いた印象」を強く受けるが、劇中で2度ほどのセクースシーンをこなされてもおり、それらを経た直後のシーンで「引っつめてた髪を下ろす」辺りで妙な色気が漂ってきはるようで、ちょっとゴクリとノドを鳴らしてしまった(⌒〜⌒ι)

日本人女性らしい(?)と言おうか、バストはどちらかと言えば小ぶり、乳頭はコロンと丸く形成されていた。余り裸体で勝負をかけるタイプの女優さんではないと思うんだが、妙な好感を「坂井真紀を知らない男性観客ほぼ総て」に感じさせる、そんな方ではないかな、と。

出て来る男たちは総じて「ダメダメ系」だった(×_×) 殆ど功を奏さぬ「土下座シーン」も何回か描かれ、同性として観ててツラいもんがあった(×_×)
中盤〜後半にかけてでは「主人公はマサル君なんかな?」と感じる演出が目立ち始めたが、終盤を眺めるに、やはり主人公はノン子その人だったんだな、と。

私的には「“彼ら”が手と手を繋いで走って行く」みたいな何処か『卒業(1967)』を連想させるシーンで“幕”として貰った方が正直、微笑ましかった訳だが・・物語はその後もしばらく続くのだった。

本当のラストシーンは如何にも「女性観客の好感」を呼びそうな、そんなテイストである。男性観客のワタシとしては、やや「男が観るには寂しい」部分があり、蛇足っぽくも感じたり(・ω・)

尚、助演関係が意外に豪華だった本作。鶴辰さんを筆頭に、津田寛治、新田恵利(←わ、何か懐かしい!)、佐藤仁美など。

関東の田舎町を活写したロケーションは素晴らしいのひと言! 全然詳しくないが“秩父鐵道”の走るのどかな風景は良かった! ややテイストの(一部だけだが)似てる『人のセックスを笑うな(2007)』でも東京近郊(?)の田園風景がばんばん描写されてたが、日本の恋愛ものには(やはり)日本ならではの昔ながらのロケーションが、より似合うように改めて感じた。

最後に効果音。
孤独感を痛感する若者の耳にただハトの鳴き声(?)が聞こえたり、静寂を欲するヒロインの耳に祭り囃子が響き、思わず耳を塞いで「うるさい!」と誰に言うでもなく叫んだり。

男性には苦笑を、女性には清々しい笑顔を・・そんな1本に仕上がっているのではないだろうか。

〜 こんなセリフもありました 〜

ノン子「ないのよね、持ち合わせが」
   「どうせ暇だから」
   「辛気くさいなぁ」
   「別に頑張ってないし」
   「やだ・・まだ“形”になってない」
   「誰でもイイのかよ!」
   「もっと激しくしよ」
   「ちょっと1人で(余韻を)噛みしめたいの」
   「でもね、まだ終わってない・・まだやれると思う

マサル「家事手伝い? 何か今風ですね。今時ごろごろいますよ、そんな人」

マサル「いつか世界に出たいと思ってるんですよ」
ノン子「世界に出る、か・・でも何で世界なの?」
マサル「夢は大きい方がイイじゃないですか」
ノン子「本気でそう思ってる? 大体どうやって出るの? ・・でもイイな、夢があって」

ノン子「マサル君、彼女とかは? どうなの?」
マサル「今はないです。のぶ子さんは?」
ノン子「全然、(恋愛の)気配もしない」

マサル「どっか行ってたんですか?」
ノン子「何?」
マサル「いや、別に・・全然会わなかったから」 ←ノン子の驚いた顔がイイ!

ノン子「来ない? あたしの部屋に」
マサル「え?」
ノン子「・・何でもない」

マサル「どうしたんですか?」
ノン子「・・キスしよ」
マサル「え?」
ノン子「キス」
マサル「俺でイイんですか?」
ノン子「別に誰でもいい」

ノン子「別にね・・別に、誰でもって訳じゃないんだよ
マサル「・・・・・」

ノン子「ここって昼は酒、出さないの?」
ふじ子「呑むの?」
ノン子「持って来いよ!」

時生「まずは許可を。商売とはそう言うものです」
  「お前なんかに立てる、義理も人情もねぇんだよ!」

父親「お前はのぶ子の何だ?」

宇田川「君、胸いくつ? 俺が測ってやろ」 ←おい!
   「道ってのは、色々ある訳よ。それを作るのが俺の仕事って訳」

ノン子「話って?」
宇田川「俺とやり直そっか? 東京で“巻き返し”って奴?」

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2008年7月 6日 (日)

☆『猫の恩返し(2002)』☆

4日(金曜)の夜。民放で放送されたスタジオジブリによる劇場アニメ作品『猫の恩返し』を観た。
たぶん地上波では2度目だかの放送なので、今回は軽〜い気持ちで、鑑賞メモなぞもとらずに(=^_^=)観始めたのだが・・意外にも吸引力があり、それまで新聞記事を切ってたハサミを持つ手がぴったり止まってしまったのには、苦笑させられた(⌒〜⌒ι)

多感な女高生のハルが、とある猫を助けた恩返しに猫の国に招かれ、ファンタジックな体験をする物語。長いハナシかと思いきや・・90分を切る(本編の)放送時間なので「なかなか巧くまとめてたんやなぁ」と感心させられた(ウィキペディア情報によれば、わずか75分である!)。

長編アニメ作品『耳をすませば(1995)』の続編ともスピンアウト(派生)とも思われるが、より肩の力の抜けてる雰囲気は観やすくて良かった。
だが「主人公も、その親友も車道を無軌道に横断した」り「(ハルの学校の)下駄箱に現れたネズミの大群を、これまた突然現れた猫の群れが“駆除”した」り「猫の案内とは言え、他所の家の軒屋根や塀の上をずかずか横切った」り「王宮の“宴シーン”において大道芸人らが地上に突き落とされた」り・・と演出が絵ヅラに似合わぬ“過激”なテイストでもあり、そこも実は見逃せない(⌒〜⌒ι)

キャラ的には主人公ハル(声は池脇“ジョゼ”千鶴!)よりも、(晩年の出演となった)故・丹波哲郎氏が(声を)あてていた“猫王”や、妙にキャラクターの表情や言動が光りまくっていた“ナトル”と言う名の召使い猫の「2キャラ」にこそ、注目させられっぱなしだった☆

セリフとしては、バロンことフンベルト・フォン・ジッキンゲン男爵(声は袴田吉彦)の放った
「しっかりと自分の時間を生きるのだ」「君は君の時間を生きるのだ」のセリフが説教クサいながらも、心に響いて来た・・気がした。

本編と併せ、劇場最新作『崖の上のポニョ』の映像が紹介された。
これまでしばらく続いてた「イケイケ路線=湯水的製作費路線=大風呂敷広げまくり路線」から一転、昔に戻ったような「素朴で分かり易い作品世界」の存在を何処となく感じた。
言うなれば『パンダコパンダ(1972)』の頃みたいな・・
まぁ、ワタシとして(余り偉そうなことも言えないんだが)近年の宮崎(駿)監督アニメを観るにつけ「何処か、アイデアの枯渇と迷走を感じるよなぁ」と評してしまうことも多かったので・・そう言う意味では「原点に戻り、楽しんで描いてはるんかも知れないな、宮さん」と喜ばしく思う次第である。

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2008年5月 7日 (水)

☆『野良犬(1949)』☆

5日(月曜)の夜、衛星第2の“没後10年・黒澤明特集”にて放送されたものを観た。
黒澤作品としては異色(でもないか?)っぽい印象もある「現代サスペンス劇」の1作。

敗戦(終戦)の影がまだ人々を色濃く覆っている昭和24年の東京。「その日は恐ろしく暑かった」と冒頭でナレーションの入る“ある夏の日々”を舞台に、元々はどちらも同じ復員兵だった2人の若者・・
新米刑事・村上五郎(三船敏郎)とピストル強盗犯・遊佐新二郎(木村功)の対照的な運命とその宿命の対決を描く。

いや〜、終戦後間もない(と言っても4年は経過してるが)トーキョーの市井が映像に残されてるなんてスゴい。高層ビルなんぞ当然まだ何処にも建ってないし、未舗装の見通しの良い大通りを刑事と容疑者が追いかけっこしたり、GIの車両群が我が物顔に通行したり・・もはや「映像遺産」の域に入ってます☆

2度目の鑑賞となった本作だが、今回はその映像群に酔いしれたものだ。
活気、混沌、人波・・無国籍な東京のイメージ。まさにアジアな雰囲気で、両側に露店の並ぶ市場に雨が降り、それの上がった道には水たまりが・・コレってまんま『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊(1995)』のビジュアルに通じる印象が!
終盤では緊張感をイッキに高めてくれる稲妻⇒夕立のシーン。いよいよ、神田・やよいホテルで佐藤刑事長(志村喬)のそばに姿を現す潜伏犯=遊佐の描き方は『激突!(1971)』であり『セヴン(1995)』である。
更にラスト、ついに遊佐を追い詰める村上との“田園⇒花畑のチェイスシーン”は、今回何故か『ブラック・レイン(1989)』のラストを連想してしまった(あちらだと双方ともバイクに乗ってたが)。

村上のキャラはパッと思いつかなかったが、佐藤はモーガン・フリーマンで、遊佐はスティーヴ・ブシェーミにキャスティングを置き換えても、リメイク版としては成り立つような気がした(=^_^=)

それにしても本作のタイトルである“野良犬”とは、果たして2人のどちらのことを指していたのだろう? 不注意から拳銃(7発装填のコルト式)を奪われ、執拗に事件(犯人)を追い求める村上のことか、拳銃を手に入れ、歯止めの効かぬままに悪党の道を暴走する遊佐のことなのか・・
立場が変われば、或いは2人の人生が逆転していたかも・・と言う部分で「考えさせられる」要素もあり、案外と“この時代だからこそ描けた深く普遍的なテーマ”を擁する作品とも言える。

・・如何に文明が高度に発達しようと、社会に格差のある限り、悪人は跋扈するのである・・

現代=平成の世の「混沌」が、静かに・・だが確実に“悪の芽”を育み続けているように。

〜 こんなセリフもありました 〜 

刑事「掏摸(スリ)ってのはね、やった本人に繋がるとは限らないよ」
  「出口が2つある建物に注意しろ!」

課長「殺しの刑事がそんな細い神経じゃ勤まらんぞ」
  「不運はな、人間を叩き上げるか押し潰すかどちらかだぞ」

佐藤「(君の)コルトがなけりゃブローニングでやっただろうさ」
  「おいおい、君は犯人にまで責任を感じ始めたのかい」
  「ピストルの弾ばかりは、ファウルボールのようなワケにはいかんよ」
  「疲れてると、堪え性がなくなってな」
  「感じ易い女の子ぐらい頑固なものはないのさ」
  「(表彰なんて大したものじゃない)こつこつ歩き回っただけさ」
  「1匹の狼のために、大勢のか弱い羊(の存在)を忘れてはいかん」
  「遊佐なんて奴はアプレゲール(戦後派、の意)じゃない・・アキレケェル(≒呆れ返る)さ」
  「想像は捜査を混乱させるだけだ、事実だけしか頼りにはならん」
  「凶器が君のピストルだったらどうだと言うんだ?」
  「最初に捕まえた犯人ってのは忘れられないもんだ・・しかし、
   何人も捕まえて行く内に、そんな感傷など消えてなくなるよ」

被害者の夫「出張前に青かった(菜園の)トマトが熟したのに、帰宅すると妻は殺されていた。
      これはどうしたことですか!?」

佐藤「今晩あたり・・来そうだな」
村上「誰が?!」
佐藤「僕は夕立のことを言ってるのさ」

ハルミ「あたしだって勇気があったら(復員兵の荷物を)盗んでたかも知れない。
    みんな世の中が悪いのよ!」
村上「それは違う! 何もかも世の中のせいにして悪いことをする奴が悪い!」

※中盤で「アキレケェル」ってなダジャレで唯一(?)苦笑させる辺りも『セヴン』に構成(演出)が似てる(=^_^=) あちらは確か・・『明るく楽しく、揺れる我が家か』とか言ってサマセット刑事(モーガン・フリーマン)が吹き出すんだっけ。

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