2009年10月30日 (金)

☆『長い散歩(2006)』☆

28日(水曜)の夜。
出張先(愛媛県新居浜市)の某ビジネスホテルに戻り、TVを点けると・・何気なく“フィルム撮りっぽい画面に故・緒方拳さんが映ってる”のが放送されており・・何となしにその世界観に惹かれるトコがあり、中盤からながら、そのままラストまでイッキに観てしまったのだった(・ω・)

何と言うタイトルなんかも分からなかったが、本編終了時に至り、奥田瑛二監督の『長い散歩』って作品であることをようやく知った。

アパート暮らしの老人(緒方)が隣家(?)で虐待されている少女(5歳ぐらい?)を連れ去り、逃避行を繰り広げるロードムービー。彼ら2人のドラマは何となくノンビリとも描かれるんだが、当然それは客観的に見れば「誘拐事件」だったりもし、監督である奥田氏自身が2人を追う刑事役でも助演してる辺りは『パーフェクト・ワールド(1993)』におけるクリント・イーストウッド監督の立ち位置を何処となく連想してしまったものだ(・ω・)

セリフが意図的に(?)削られ、鉄道系やら寺社系やらの情景がええ感じに広がる。時には雨がそぼ降ったりもする。
「何かこの風景、知ってるぞ?!」と思い、後で調べたら・・果たしてロケ地(の1つ)が岐阜県・郡上市(郡上八幡)なのだった☆
『僕の彼女はサイボーグ(2008)』でもロケ地に使われていた(←ってことでロケツアーにも繰り出した(=^_^=))この町は“消失しつつある、昭和時代の日本の面影が辛うじて残されてる”ようでもあり、素晴らしいトコロだったなぁ。

中盤辺りで(?)松田翔太演じるバックパッカー青年=ワタルが2人に絡むんだが、突然の展開で“退場”してしまうのには驚かされた。
正直、空きっ腹に缶チューハイを流し込んでフラフラしながら観てたもんで・・いきなりの※※(←アイテム)の登場にはぶったまげた。まるで北野武監督作品を観てるようだ(×_×)

作品のテーマに「老人の再生」「愛ゆえに少女を救い出した老人の、誘拐犯として追われる身の皮肉さと悲しみ」なんかがあるんだが、期待してた“裁判劇”は結局後半で展開されず、ちょっと「物足りない」と言うか「みなまで語ってくれんかったなぁ」と言うか「観客を置いてかないで〜」と言うか、不思議な余韻が残されたのだった。

日本人監督らしい“物語の紡ぎ方の奥ゆかしさ”みたいなモノはバンバン作品世界に漂っていたんだが、一方では「徹底的に虐待母(←を、ワタシの“青春時代のディーヴァ”であった高岡早紀さんが演じたはった、トホホ・・)を叩いて欲しい」ちぅ観客の願い(ワタシだけのか?)はぼかされたままに幕となってしまったのだ。

本作、ロケ地は多治見市、各務原市・・と岐阜県下で多くが撮影されたようだ。ラスト近くで“上尾張駅”と言う駅舎が登場するが、ネットで調べた限りは架空の駅らしい。

それにしても緒方拳さん、最後の出演作が『ゲゲゲの鬼太郎/千年呪い歌(2008)』とは、、(・ω・)
個性派名優=ラウル・ジュリアの(メジャー系)遺作が『ストリートファイター(1994)』であることに匹敵する“おちゃめ度”ではある。。

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2009年4月11日 (土)

☆『ノン子36歳(家事手伝い)』☆

10日(金曜)の夜。高松支局の職員の殆どは業務後、高速バスで帰阪してしまったが・・ワタシは、と言うと明日にも家人が“お犬サマ連れで高松入り”される・・ってことで、久々に「帰阪せぬ週末」となる。
1週間を無事に(?)終えた解放感も手伝ってか(?)市内にある某シアターで1本観てから帰ろう! と直感的に決めた。

そこは、意外と勤務先から近いミニシアター“ホールソレイユ”である。とあるビルの「4階に2スクリーン」「地下に2スクリーン」と言う潔い構成(=^_^=) 大作を狙うなら、大型シネコンである“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に行ってみるのも悪くはないが、自転車で仕事帰りに出かけるにはちと遠過ぎるようで・・私的にはこの“ソレイユ(の4シアター)”こそをご贔屓の劇場にしたいかな、と考えている。

今夜で言うと『ザ・バンク/堕ちた巨像』とこの『ノン子36歳(家事手伝い)』のどちらもがチョイス可能だったが、何となく後者の「R−15指定」って注意書きに興味が高まり、そっちを選んでしまった(=^_^=)

本編開始直前。
大阪時代の鑑賞と変わることなくスクリーンに映し出された「カメラをかぶった、映画泥棒のおっさん」のCMに、妙な安心感を覚えたワタシである(=^_^=)

かつてはグラビア系タレントの端くれ(?)とし、深夜番組にも出演していた経歴を(密かに)持つ“ノン子”こと坂東のぶ子(坂井真紀)。今は夢破れ(?) 東京から故郷=埼玉県寄居町の実家(=椋(むく)神社)に戻り、家事手伝いをしている。

総てにやる気を欠くノン子。楽しみは旧友=ふじ子の経営する「和風スナック藤」で昼間からダラダラ呑んで過ごしたり、神社の境内でタバコをふかし他人の引いたおみくじを盗み見たり、深夜「和風スナック藤」の帰路に酔った勢いで自転車を蛇行運転し、商店街のゴミ箱を蹴り倒しながら走ったり・・と総じて非生産的(⌒〜⌒ι)

そんな彼女の前に2人の男性がほぼ同時に現れる。

1人は年下の青年=藤巻マサル。彼は間もなく神社で催される「水無月祓祭」に出店するためやって来る。「いずれは世界に出るんです」とやたらと夢のでかい、年下のマサル君の一途な言動が、次第に無視出来なくなって来るノン子。

そこに、彼女の元マネージャーであり、元旦那(!)でもある宇田川(鶴見辰吾)がひょっこりやって来た。
「もう一度、俺と東京に出て、タレントをやってみないか?」
ねちっこくも(=^_^=)したたかなトークに母性本能(?)をくすぐられるノン子。いつしか宇田川の手は彼女の太腿に、更には下腹部(=ジーンズの中)に伸びるのだった・・

宇田川とマサル・・2人の運命の男(?)の間で揺れ動くノン子。彼女が最後に選んだ道とは・・?

坂井真紀さんの体当たりな演技が「当たり障りなく言えば」見所だろうか。役作りとして意識されてのことか、かなり外見&内面的に「乾いた印象」を強く受けるが、劇中で2度ほどのセクースシーンをこなされてもおり、それらを経た直後のシーンで「引っつめてた髪を下ろす」辺りで妙な色気が漂ってきはるようで、ちょっとゴクリとノドを鳴らしてしまった(⌒〜⌒ι)

日本人女性らしい(?)と言おうか、バストはどちらかと言えば小ぶり、乳頭はコロンと丸く形成されていた。余り裸体で勝負をかけるタイプの女優さんではないと思うんだが、妙な好感を「坂井真紀を知らない男性観客ほぼ総て」に感じさせる、そんな方ではないかな、と。

出て来る男たちは総じて「ダメダメ系」だった(×_×) 殆ど功を奏さぬ「土下座シーン」も何回か描かれ、同性として観ててツラいもんがあった(×_×)
中盤〜後半にかけてでは「主人公はマサル君なんかな?」と感じる演出が目立ち始めたが、終盤を眺めるに、やはり主人公はノン子その人だったんだな、と。

私的には「“彼ら”が手と手を繋いで走って行く」みたいな何処か『卒業(1967)』を連想させるシーンで“幕”として貰った方が正直、微笑ましかった訳だが・・物語はその後もしばらく続くのだった。

本当のラストシーンは如何にも「女性観客の好感」を呼びそうな、そんなテイストである。男性観客のワタシとしては、やや「男が観るには寂しい」部分があり、蛇足っぽくも感じたり(・ω・)

尚、助演関係が意外に豪華だった本作。鶴辰さんを筆頭に、津田寛治、新田恵利(←わ、何か懐かしい!)、佐藤仁美など。

関東の田舎町を活写したロケーションは素晴らしいのひと言! 全然詳しくないが“秩父鐵道”の走るのどかな風景は良かった! ややテイストの(一部だけだが)似てる『人のセックスを笑うな(2007)』でも東京近郊(?)の田園風景がばんばん描写されてたが、日本の恋愛ものには(やはり)日本ならではの昔ながらのロケーションが、より似合うように改めて感じた。

最後に効果音。
孤独感を痛感する若者の耳にただハトの鳴き声(?)が聞こえたり、静寂を欲するヒロインの耳に祭り囃子が響き、思わず耳を塞いで「うるさい!」と誰に言うでもなく叫んだり。

男性には苦笑を、女性には清々しい笑顔を・・そんな1本に仕上がっているのではないだろうか。

〜 こんなセリフもありました 〜

ノン子「ないのよね、持ち合わせが」
   「どうせ暇だから」
   「辛気くさいなぁ」
   「別に頑張ってないし」
   「やだ・・まだ“形”になってない」
   「誰でもイイのかよ!」
   「もっと激しくしよ」
   「ちょっと1人で(余韻を)噛みしめたいの」
   「でもね、まだ終わってない・・まだやれると思う

マサル「家事手伝い? 何か今風ですね。今時ごろごろいますよ、そんな人」

マサル「いつか世界に出たいと思ってるんですよ」
ノン子「世界に出る、か・・でも何で世界なの?」
マサル「夢は大きい方がイイじゃないですか」
ノン子「本気でそう思ってる? 大体どうやって出るの? ・・でもイイな、夢があって」

ノン子「マサル君、彼女とかは? どうなの?」
マサル「今はないです。のぶ子さんは?」
ノン子「全然、(恋愛の)気配もしない」

マサル「どっか行ってたんですか?」
ノン子「何?」
マサル「いや、別に・・全然会わなかったから」 ←ノン子の驚いた顔がイイ!

ノン子「来ない? あたしの部屋に」
マサル「え?」
ノン子「・・何でもない」

マサル「どうしたんですか?」
ノン子「・・キスしよ」
マサル「え?」
ノン子「キス」
マサル「俺でイイんですか?」
ノン子「別に誰でもいい」

ノン子「別にね・・別に、誰でもって訳じゃないんだよ
マサル「・・・・・」

ノン子「ここって昼は酒、出さないの?」
ふじ子「呑むの?」
ノン子「持って来いよ!」

時生「まずは許可を。商売とはそう言うものです」
  「お前なんかに立てる、義理も人情もねぇんだよ!」

父親「お前はのぶ子の何だ?」

宇田川「君、胸いくつ? 俺が測ってやろ」 ←おい!
   「道ってのは、色々ある訳よ。それを作るのが俺の仕事って訳」

ノン子「話って?」
宇田川「俺とやり直そっか? 東京で“巻き返し”って奴?」

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2008年7月 6日 (日)

☆『猫の恩返し(2002)』☆

4日(金曜)の夜。民放で放送されたスタジオジブリによる劇場アニメ作品『猫の恩返し』を観た。
たぶん地上波では2度目だかの放送なので、今回は軽〜い気持ちで、鑑賞メモなぞもとらずに(=^_^=)観始めたのだが・・意外にも吸引力があり、それまで新聞記事を切ってたハサミを持つ手がぴったり止まってしまったのには、苦笑させられた(⌒〜⌒ι)

多感な女高生のハルが、とある猫を助けた恩返しに猫の国に招かれ、ファンタジックな体験をする物語。長いハナシかと思いきや・・90分を切る(本編の)放送時間なので「なかなか巧くまとめてたんやなぁ」と感心させられた(ウィキペディア情報によれば、わずか75分である!)。

長編アニメ作品『耳をすませば(1995)』の続編ともスピンアウト(派生)とも思われるが、より肩の力の抜けてる雰囲気は観やすくて良かった。
だが「主人公も、その親友も車道を無軌道に横断した」り「(ハルの学校の)下駄箱に現れたネズミの大群を、これまた突然現れた猫の群れが“駆除”した」り「猫の案内とは言え、他所の家の軒屋根や塀の上をずかずか横切った」り「王宮の“宴シーン”において大道芸人らが地上に突き落とされた」り・・と演出が絵ヅラに似合わぬ“過激”なテイストでもあり、そこも実は見逃せない(⌒〜⌒ι)

キャラ的には主人公ハル(声は池脇“ジョゼ”千鶴!)よりも、(晩年の出演となった)故・丹波哲郎氏が(声を)あてていた“猫王”や、妙にキャラクターの表情や言動が光りまくっていた“ナトル”と言う名の召使い猫の「2キャラ」にこそ、注目させられっぱなしだった☆

セリフとしては、バロンことフンベルト・フォン・ジッキンゲン男爵(声は袴田吉彦)の放った
「しっかりと自分の時間を生きるのだ」「君は君の時間を生きるのだ」のセリフが説教クサいながらも、心に響いて来た・・気がした。

本編と併せ、劇場最新作『崖の上のポニョ』の映像が紹介された。
これまでしばらく続いてた「イケイケ路線=湯水的製作費路線=大風呂敷広げまくり路線」から一転、昔に戻ったような「素朴で分かり易い作品世界」の存在を何処となく感じた。
言うなれば『パンダコパンダ(1972)』の頃みたいな・・
まぁ、ワタシとして(余り偉そうなことも言えないんだが)近年の宮崎(駿)監督アニメを観るにつけ「何処か、アイデアの枯渇と迷走を感じるよなぁ」と評してしまうことも多かったので・・そう言う意味では「原点に戻り、楽しんで描いてはるんかも知れないな、宮さん」と喜ばしく思う次第である。

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2008年5月 7日 (水)

☆『野良犬(1949)』☆

5日(月曜)の夜、衛星第2の“没後10年・黒澤明特集”にて放送されたものを観た。
黒澤作品としては異色(でもないか?)っぽい印象もある「現代サスペンス劇」の1作。

敗戦(終戦)の影がまだ人々を色濃く覆っている昭和24年の東京。「その日は恐ろしく暑かった」と冒頭でナレーションの入る“ある夏の日々”を舞台に、元々はどちらも同じ復員兵だった2人の若者・・
新米刑事・村上五郎(三船敏郎)とピストル強盗犯・遊佐新二郎(木村功)の対照的な運命とその宿命の対決を描く。

いや〜、終戦後間もない(と言っても4年は経過してるが)トーキョーの市井が映像に残されてるなんてスゴい。高層ビルなんぞ当然まだ何処にも建ってないし、未舗装の見通しの良い大通りを刑事と容疑者が追いかけっこしたり、GIの車両群が我が物顔に通行したり・・もはや「映像遺産」の域に入ってます☆

2度目の鑑賞となった本作だが、今回はその映像群に酔いしれたものだ。
活気、混沌、人波・・無国籍な東京のイメージ。まさにアジアな雰囲気で、両側に露店の並ぶ市場に雨が降り、それの上がった道には水たまりが・・コレってまんま『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊(1995)』のビジュアルに通じる印象が!
終盤では緊張感をイッキに高めてくれる稲妻⇒夕立のシーン。いよいよ、神田・やよいホテルで佐藤刑事長(志村喬)のそばに姿を現す潜伏犯=遊佐の描き方は『激突!(1971)』であり『セヴン(1995)』である。
更にラスト、ついに遊佐を追い詰める村上との“田園⇒花畑のチェイスシーン”は、今回何故か『ブラック・レイン(1989)』のラストを連想してしまった(あちらだと双方ともバイクに乗ってたが)。

村上のキャラはパッと思いつかなかったが、佐藤はモーガン・フリーマンで、遊佐はスティーヴ・ブシェーミにキャスティングを置き換えても、リメイク版としては成り立つような気がした(=^_^=)

それにしても本作のタイトルである“野良犬”とは、果たして2人のどちらのことを指していたのだろう? 不注意から拳銃(7発装填のコルト式)を奪われ、執拗に事件(犯人)を追い求める村上のことか、拳銃を手に入れ、歯止めの効かぬままに悪党の道を暴走する遊佐のことなのか・・
立場が変われば、或いは2人の人生が逆転していたかも・・と言う部分で「考えさせられる」要素もあり、案外と“この時代だからこそ描けた深く普遍的なテーマ”を擁する作品とも言える。

・・如何に文明が高度に発達しようと、社会に格差のある限り、悪人は跋扈するのである・・

現代=平成の世の「混沌」が、静かに・・だが確実に“悪の芽”を育み続けているように。

〜 こんなセリフもありました 〜 

刑事「掏摸(スリ)ってのはね、やった本人に繋がるとは限らないよ」
  「出口が2つある建物に注意しろ!」

課長「殺しの刑事がそんな細い神経じゃ勤まらんぞ」
  「不運はな、人間を叩き上げるか押し潰すかどちらかだぞ」

佐藤「(君の)コルトがなけりゃブローニングでやっただろうさ」
  「おいおい、君は犯人にまで責任を感じ始めたのかい」
  「ピストルの弾ばかりは、ファウルボールのようなワケにはいかんよ」
  「疲れてると、堪え性がなくなってな」
  「感じ易い女の子ぐらい頑固なものはないのさ」
  「(表彰なんて大したものじゃない)こつこつ歩き回っただけさ」
  「1匹の狼のために、大勢のか弱い羊(の存在)を忘れてはいかん」
  「遊佐なんて奴はアプレゲール(戦後派、の意)じゃない・・アキレケェル(≒呆れ返る)さ」
  「想像は捜査を混乱させるだけだ、事実だけしか頼りにはならん」
  「凶器が君のピストルだったらどうだと言うんだ?」
  「最初に捕まえた犯人ってのは忘れられないもんだ・・しかし、
   何人も捕まえて行く内に、そんな感傷など消えてなくなるよ」

被害者の夫「出張前に青かった(菜園の)トマトが熟したのに、帰宅すると妻は殺されていた。
      これはどうしたことですか!?」

佐藤「今晩あたり・・来そうだな」
村上「誰が?!」
佐藤「僕は夕立のことを言ってるのさ」

ハルミ「あたしだって勇気があったら(復員兵の荷物を)盗んでたかも知れない。
    みんな世の中が悪いのよ!」
村上「それは違う! 何もかも世の中のせいにして悪いことをする奴が悪い!」

※中盤で「アキレケェル」ってなダジャレで唯一(?)苦笑させる辺りも『セヴン』に構成(演出)が似てる(=^_^=) あちらは確か・・『明るく楽しく、揺れる我が家か』とか言ってサマセット刑事(モーガン・フリーマン)が吹き出すんだっけ。

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2008年4月29日 (火)

☆『日本沈没(2006)』☆

13日(日曜)に地上波初放送されたモノを録画、それを25日(金曜)に鑑賞した。
公開当時こそ、なかなかの話題性がワタシの食指をちょっぴりと動かしかけた作品ではあったが、結局はこうしてTV放送で観ることとなった。

音響(サラウンド)面はどうだか分かんないが、“動的”なCG(壊滅時)には殆ど評価すべきトコロのなかった気がする。反面“静的”なCG(壊滅後)の幾つかには独特な「無情感」漂うシーンが少なからずあり、ちょっとワタシの評価は良かったりする(・ω・)

まず目を引いたのは、妙に豪華なキャスト陣か。ハッキリ言えば「へっぽこ群像劇」なのだが「こんな役柄でこんな人が出てるんか〜」と言うサプライズは幾人かに感じた。自衛隊員役のピエール瀧、お偉いさん役(教授らしい)の加藤武、観測所員役(博士らしい)の柄本明、単なる(?)市井の兄ちゃん役の大倉孝二・・と言った面々。

「近い将来・・それは明日かもしれない」の不吉なテロップにて幕を開ける、日本の沈没してゆく姿を捉えた“ディザスター(災害モノ)”ムービー。
・女性ハイパーレスキュー隊員=阿部(柴咲コウ)
・深海調査艇乗組員=小野寺(草彅剛)
・危機管理担当大臣=鷹森沙織(大地真央)
・田所博士(豊川悦司)
を代表とする様々な人物が、異なるそれぞれの立場(専門分野)から、日本の危機を回避すべく奔走する・・と言う流れ。

“地震”“津波”“地盤沈下”“噴火”などの天災が、さながら“神の怒り”でもあるかのように人々を襲うんだが、如何せん相手が「特定(≒具現化)されたテキ」ではないため、どうも怒りの感情が湧きにくい。片や「恐怖を感じるか?」と言えば、これまた特撮がチャチなので、イマイチそんな気持ちにもなれなかったか。
以前に観た『アルマゲドン(1998)』に対し覚えた感情を・・もっとしょぼくしたような心持ちである(・ω・) ←自己犠牲的な“対処法”までもが『アルマゲドン』に似てたっけ、、

一番の不満は「説明的な、無骨ででっかいテロップが頻繁に出過ぎ、興醒めとなる」、次に「ナレーションが少なく(効果的に盛り込むやり方はあった筈・・)人物名、肩書などが分かりにくかった」、最後に「特撮映像&演出がしょぼい」ってことだろうか・・あっ、ええトコないやんか(⌒〜⌒ι)

草彅くんと柴咲さんの絡む辺りは『黄泉がえり(2003)』を何だか連想してしまい、それ故に『日本沈没』ならではのカップルのフレッシュさ&意外なキャスティング感がかなりワタシの中で薄れていた。内閣総理大臣・山本尚之役を力演した石坂浩二氏も、結構“エエこと”おっしゃってる割に、何ともあっけなく“退場”され、失望感&失笑が(ワタシの中で)広がるばかり。
せめて「田所さん、貴方は沙織さんを愛してらっしゃったんですね〜!」とか絶叫しながら退場して頂きたかったかも(・ω・) ←金田一かよ!

まぁ、そんな中でも衝撃的だったのは、
・京都・東寺の五重塔が“ひとまず”ながらも、大地震に耐えたこと(崩れちゃうんだけど) ←で、その倒壊する姿は“寳塔好き”としては涙なしには観られない(×_×)
・京都・清※寺はさっさと文化財を海外に運び出してたこと(僧侶はその後だったのか? 伽藍と運命を共にしたのか?)
・日本で唯一(?!)『沈没』に至るカウントダウン的な壊滅を被ることなく、のどかに暮らせる地域が存在していたこと(ヒントは“ヤッターマン”に出て来る悪役キャラ=ボヤッキーの故郷、である(=^_^=))
などだろうか。特に緊急時、国内の何処に居ても死ぬんだったら、皆で「福※県会※地方」へ向け、大移動(エクソダス)を開始しようではないか! あ、それとは逆に・・(北※道)函※市内とか熊※城の天守閣内とかだと、真っ先に死にそ〜です・・

あと、冒頭でとある災害シーンがちょこっと描かれるんだが、あれは「過去のシーン」ってことで良いのか? 良く分かんなかった。何か背後で山(富士山?)が噴火してたようにも見えたんだけど・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

山本首相「(大変動を前にして)何もしない方がいい、愛する者と共にこの国と一緒に滅んだ方がいい
     ・・そう言う考え方が出ると言うところが、日本人が他の民族と決定的に違うところなのかも知れません。
     正直に告白すると・・私自身はこの考え方が一番しっくりと来たんです」
    「すべての日本人は人間として生まれて来たんだ、だからみんな生きる権利も希望を抱く権利もある」

医師「医者の私が言うのも変ですが、奇跡としか言いようがありません」

小野寺「だけど・・日本は沈むんだよ」
阿部「あたしは自分だけ幸せになんてなれない」

小野寺の母「(自分の)命より大事な場合もあるの、人を好きだって言う気持ちは」

阿部の叔母「はじめはそうやってついた嘘が、いつの間にかあの子の中で本当になっちゃったんだね」

阿部「あたしは・・もう誰のことも好きにならないって決めたの、
   そしたらもうあんな悲しい想いをしなくて済むって」

小野寺「僕も自分の使命を見つけることが出来た」
   「僕は今までやりたいことだけをやって生きて来た、
    ・・けど、やらなければならないことがあると言うことを知ったんだ」
   「俺にも守りたい人がいるんです」

追記1:登場する大学名は「東都大学」とか曖昧にしてるくせに、清※寺はモロに描写(映像)かよ! などと(・ω・)
追記2:「我々はアメリカに見捨てられた!」的な表現がセリフの中で(一瞬)語られ、妙に爽快感を覚えた。言うねぇ☆
追記3:市民の暴動、宗教の台頭、は描かれなかった(リアルさに欠ける?)
追記4:「お国のために」系のセリフは一切語られなかった。天晴れと言うべきか? 嘆くべきか?

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2007年11月 1日 (木)

☆『涙そうそう(2006)』☆

29日(月曜)の夜に「月曜ゴールデン」で地上波初放送されたものを鑑賞した。「妻夫木聡+長澤まさみ」の強力タッグが主演する、沖縄を舞台とした「4年間の兄妹愛のドラマ」である。

2001年、沖縄・那覇市。21歳の新垣洋太郎(妻夫木)は離島で生まれ育ったが、16歳で沖縄(本島)へ単身渡り“自分の店を持つ”なる夢の実現ため日夜身を粉にして働いている。そんな彼のもとに、那覇北高校に合格したと言う妹・カオル(長澤)が故郷(離島)からやって来ることとなる。カオルは洋太郎の実母・光江(小泉今日子)が愛したミュージシャンの男・金城某の連れ子であり、実際には血の繋がりのない妹であった。

金城は光江との結婚後間もなく何処かへ失踪、彼女もまた病により、幼い兄妹を遺しほどなくこの世を去るのだった。当時8歳だった洋太郎は、母との最期の約束「あの子(カオル)にはお前しかいない、どんなことがあっても妹を守ってあげて」を思い出し、部屋に転がり込んだカオルの世話を色々と焼き始めるのだった。

兄と妹を超えるかのような、理想的な2人の生活は順風満帆にも見えたが・・それはやがて、洋太郎の4年来の恋人である稲嶺恵子(麻生久美子)との関係に静かにひびを入れ、そして彼ら(兄と妹)自身の運命にも大きな試練を与えるのであった・・そんな展開。

“妹を思う兄の気持ち”と“兄を想う妹の気持ち”・・そのすれ違いこそが本作の最大のポイントだろう。

その辺りをもっと対話を駆使し、掘り下げて描いて欲しかったと思うが、物語としてはちょっと安易に「交差させたり」「不幸に投げ込んだり」みたいな(凡庸な)ドラマチック展開に逃げてしまってた気もしたか(・ω・) 折角の対話のチャンスをあちこちに設けながらも・・どちらかが寝入ってしまったり、体調を崩してしまったり・・何だかもどかしかったですわ(←ま、それこそが人為的で普遍的な(てか“王道”な)悲劇性なのかも知れないが・・)

妻夫木ファンの女の子としては、洋太郎がどんどん不幸の沼に沈んで行くトコにショックを受けるかも。
ワタシ自身は亀岡(船越英一郎)や稲嶺院長(橋爪功)が彼に絡んで来た時点で「こいつらの差し伸べる手は絶対に怪しい!」と本能的に察知した次第だが(←何をエラそうに!) 案の定って感じもした・・ただ、折角助演してくれてた友人役の塚本高史(役名失念!)や、いかにも“強力な助っ人”ぽかった大森南朋(おおっ!)(終盤のみプチ出演します☆)にはもっと作品にプラスに働きかけて欲しかったなぁ。

長澤まさみは、本作でも「遠くの立ち姿が映える女優さんやな〜」と感じた。序盤でフェリーの甲板に佇む姿や、兄と別れる朝の、少し離れた路上から洋太郎に別れを言う時の姿。ただやはり『世界の中心で、愛をさけぶ(2004)』のころ程の“殺人的なまでの活発なオーラ”は放てていなかったかな〜と。たぶん、(撮影スケジュール上)この作品にだけ専念してた訳でもなかったんやろ、と勝手に自分の中で納得させてます(=^_^=)

一方で、やはり「憎めないヤツだよなぁ〜」と好感度の高まったのが妻夫木氏。『ジョゼと虎と魚たち(2003)』は今なお彼の最高傑作だと思っているが『きょうのできごと(2004)』『約三十の嘘(2004)』など・・どこか精神的に甘ったれてて、叱咤したくなるキャラクターでありながら(←と他人さまを叱咤出来るほどの人材でもないやな、オレってば) 憎めないのである。本作でも「人を信じ、鬼のような決意を心に秘め(←きっと)仏を演じ切った」と言う人物像を好演してくれた。

願わくば、あの“手紙”の中でぐらいは“妹のことを好きな本当の気持ち”をもそっと吐露して欲しかったな、と。あのストイックさには、どうも妻夫木の背後に“黒子(=ライター)”の存在までも感じてしまったりするのだ(←妄想)

ラストで“おばぁ”こと平良とみさんが登場し、妙に独壇場状態でカオルを励ましまくるんだが、どうにも説得力が薄い気がしたなぁ。「沈黙もまた金」と言うことを“おばぁ”にアドヴァイスしたげたくなりました。

ってことで、決して後味が良い作品でもなかったんだが(私的に)、洋太郎と言う人物の言動を眺めるに「こんなに純粋なヤツになりたかったな・・」と心の何処かで羨ましさをも覚えてしまったのだった。
(ただし、純粋なヤツが幸せに生きていけるとは限らない訳だが・・)

〜 こんなセリフもあったさぁ 〜

洋太「オレはこの美貌と体力で、人生を乗り切ってやるさぁ」
  「涙が出そうになったらこうするさ、そしたら涙が出なくなる」 ←鼻血の止血ではないんやね。。
  「恵ちゃんは・・オレなんかと付き合っちゃだめだよ」 ←こんなこと、一生に一度言ってみたい(=^_^=)

恵子「これからは洋太君の部屋・・泊まれなくなっちゃうね」 ←ウワァァン!

稲嶺「君は悪い人間ではなさそうだが・・少々ヒトが良過ぎるようだね」
  「立場の違う恋人たちにはいつかズレが生じるものさ・・遅かれ早かれね」

追記:後半でカオルの使ってた携帯は(どうやら)ドコモの『n701i』ですた。わ、オレのとおそろじゃん♪

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