2009年9月29日 (火)

☆『トランスポーター3/アンリミテッド』☆

28日(月曜)。
朝イチで起きた直後から・・視界のグルグル回る感があった。
急激に酔っ払った時の、あの(どの?)感じだ。

アルフレッド・ヒッチコック監督風に言う(←何じぁそりゃ)“ヴァーティゴ(目眩)”である。ヴァーティゴ・モーテンセン? そんなしとぁいねぇよ、と(・ω・)

すわ、脳血管障害か?! と不安にもなったが・・ネットで(急ぎ)調べると「ゆらゆら揺れる症状」だと危ないが「ぐるぐる回る症状」の場合は、十分に水分補給し大人しくしてたら、治まるってことだった(ホンマかいな、、)。

熱はないし「貧血みたいなもんやろ? な?」と自己診断(暗示?)、そのまま仕事に向かった。
午前中こそ、フラつくような感がたまにあったりしたが・・昼食を済ませると幾分調子が戻って来た。

「どちらかと言えばしんどいし、早よ帰って寝よっか・・」

とも考えたが・・「コレはきっと、精神的に疲れてるからなんやろ」と思い「手っ取り早く楽しいこと、好きなことをして早期回復をはかろう!」と考え、仕事が終わってから“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に向かい“アタマ空っぽにして楽しめるかな?”的アクション作『トランスポーター3/アンリミテッド』を観て来た☆

リュック・ベッソン製作&脚本による、シリーズ第3弾。御大自らは「監督」をクレジットしない辺りに“院政的なしたたかさ”を感じたりもする(・ω・) ま、彼なりに「監督は名乗りたくない」と言う“ある種の危険予知能力”が働いたんかも知れぬ(=^_^=)

「契約は守る」「依頼者の名は訊かない」「依頼品は開けない」の3つのルールを自らに課し、驚異的な運転技術&格闘センスを併せ持ったプロの運び屋“トランスポーター”を名乗るフランク・マーティン(ジェイソン・ステイサム)。

第1作(2002)ではフランスを、第2作(2005)ではマイアミを舞台に走りまくったフランク。
今回は地元(?)マルセイユを皮切りに、ブダペスト(ハンガリー)、ミュンヘン、ブカレスト(ルーマニア)、オデッサ(ウクライナ)・・と愛車「アウディA8(6リッター、12気筒エンジン)」を爆走させる!

友人=タルコニ警部と釣り三昧(?)で気ままに過ごしてる我らがフランク。
その別荘(?)に、ある夜「運び屋仲間」マルコム・マンヴィーユの運転するアウディが壁をブチ破って突入して来る。ハンドルを握る彼は銃撃されてるようで、息も絶え絶えだ。
自宅が半壊してなお冷静な(=^_^=)フランクは電話で救急車を呼ぶが、マルコムは運び込まれた救急車ごと爆発炎上死してしまう!

(アウディに)隠れるように同乗していた赤毛の女の腕に“謎の腕輪”をみとめたフランク。どうやらクルマから離れるか何かすると、その腕輪が忽ち爆発してしまうようだ。

直後、何者かにとっ捕まってしまったフランク。
眼を覚ますと、自身の右腕にも同様の腕輪が鈍く光っていたのだった! そして現れた男=ジョンソンは半ば強引に「極めてヤバい仕事」を彼に命じるのである・・

しょっぱなから、海面を舐めるように低空飛行するカメラワーク・・『レオン(1994)』気取りかよ! と軽く突っ込む(=^_^=)

「オーシャンパール号(船倉)の謎の積荷」「エココープ社(notオズコープ社)の、ウクライナ環境大臣=ヴァシレフへの接触」「追われるマルコム/寛ぐフランク」「口を閉ざす赤毛の女=ヴァレンティーナ」などが次第にクロスして来る展開。
「環境問題を扱ってるンかな?」と思いきや、そう言う(小難しい)テイストは軽〜く表面をなぞってるに過ぎなかった(=^_^=)

基本的に「人命軽視型」のカーチェイス&ガンアクションでガンガン突き進んで行くストーリーなので「人の死に余韻の無さ過ぎる点」はツッコんでも仕方ないンだろう(×_×) 「もうちょっと偲んだれよ!」ってキャラも少なくなかったが・・

車両を提供してるアウディの“長編プロモーション映画”としては「効果十分!」の印象を受けた。
ただ、ダムの湖底に完全に“ボチャン”しながら、その後もあないに元気に走り回るのだけは・・流石に違和感を禁じ得ない(おまけにタイヤもペコペコなハズだし)。。
アレ(耐水仕様?)を全車に保証してくれるんなら、次のクルマの筆頭格候補にしても良いと思う(←資金的にムリだっての)(=^_^=)

正直言うと、ベ※ツの方が好きなんだが(=^_^=)ああもコテンパンに(劇中で)やられちゃうと、、ベ※ツの幹部も色を失う気がするな。。

なお! 私的に致命的だったのは(やはり)ヒロインのご尊顔のヒドさだろうか・・かつ、やたらと背が高かったし! 並んで立つとジェイソン君を(ちょい)超えてたように思う。
コレではまるで『コブラ(1986)』のブリジット・ニールセンではないか(=^_^=)

かつてのブルース・リー主演作のような「やたらと周囲を屈強な兄ちゃんに取り囲まれつつ、ほぼ無傷で全員を倒しちゃう」的な格闘アクション演出が冴え渡るも・・カメラワークが何かチャカチャカしてて、私的には不満だった。
もうちと美しく、効果的な映し方があったように感じる。

終盤は『トリプルX/ネクスト・レベル(2005)』から『暴走特急(1995)』気味へと、演出が傾いており、苦笑の連続。
日本でも、橋梁を使ってああ言う模倣体験(おい!)の可能なローカル路線が、きっとあるんやろな(やらないってば)

総じての完成度は(実は)そんなに高くないんだが、まぁ何も考えずに楽しめる“ハード・バカ映画”ではございますた。

〜 こんな辺りも 〜

・プロドライバーはアウディを好む?
・フランクと同業者マルコムの関係を(回想パターンにせよ)もっと描いて欲しかった。
・惨たらしく崖下に転落⇒爆発炎上した彼らは・・ある意味“完全なテキ”でもなかった?
・敵組織の体長格だった黒人のおっつぁん。如何にも“傭兵組織の指揮官”的な寡黙さ&カッコ良さだったのに・・どんどん活躍がトーンダウンしてた(×_×)
・高速で片輪(かたりん)走行しちゃうアウディ。アクセル&ハンドルだけで“(その)きっかけ”は作れるんやろかね?
・アウディが爆走する序盤。「ま〜たジェイソン君、分っかり易いズラかぶって化けてからに〜」と思ってしまった(=^_^=)>
・橋を歩いてくヒロイン。アウディからずんずん離れる訳だから「ドォォン!!」とならないか不安だった、、
・流石に、一介の(?)ドライバーが「あそこまで場慣れした所作」で自動小銃を撃ちまくっては、不自然じゃなかろうか? 現役の工作員みたいやったで、キミ。
・ところで・・ちゃんと(スタンドで)ガソリン代、払ってました??
・ラストでは、ジェイソン君のうなじにも何か“ペアタトゥー”が欲しかった(=^_^=) キモっ!(×_×)
・ヴァレンティーナが「これこれ!」とノッてたヒップホップだが、BustaRhymesのナンバー『Bounce(2001)』だった・・それって、ひと昔前の曲じゃんよ?!
・ウクライナの(?)空港。如何にもロシア系な女性職員による「ミスタル(Mister)・ジョンソン?」ってな呼びかけが気に入った(=^_^=)
・7.5メートルで黄色点灯⇒15メートルでオレンジ点灯⇒22.5メートルで赤点灯(×_×)
・本作で“陰々滅々”ってコトバを覚えますた(=^_^=)

〜 こんなセリフもありますた 〜

フランク「確かに“いつでも立ち寄ってくれていい”とは言ったが・・」
    「誰にでも“初めて”はあるさ」
    「あんたの言い分は分かるが、あんたの仕事はしない」
    「ルールに例外は付き物だ」
    「君には、この問題を解決する気がないらしいな?」
    「死ぬ気なら“念入りなメイク”の必要はないだろ?」
    「頭を冴えさせておけ」
    「言っとくが・・俺は“ザ・ゲイ”じゃない」 ←このセリフで「全世界のゲイなジェイソンファン」がイッキに離れますた(=^_^=)
    「(セク〜スしたい)気分じゃない、ぐらい察しろよ」
    「俺の評判を守ってみせるさ・・100%な」

ヴァレンティーナ「男だけが“ストリップにドキドキする”と思ってるの?」
        「怖いのは死ぬことじゃなく、生きることよ

フランク「フランス人は“ジェリー・ルイスを天才だと思ってる国民”だからな」
タルコニ「彼を天才じゃないと言うのか?」
フランク「転んで笑いを取るだけなら、誰にだって出来るさ。
     隣で突っ立ってるだけのディーン・マーティンこそが天才だ」

フランク「忙しそうだな? 警部」
タルコニ「お前のようなヤツが友人だとな」

タルコニ「何故いつも困らせる?」
フランク「悪いが性分でね」

タルコニ「ドストエフスキーを読んでみろ。誰1人、最後まで笑わんのだ」
    「前からお前を“本当は情熱的な男ではないか?”と思ってたんだ」

ジョセフ「ボスのルールはこうだ。“ノーとは言わせない”“見当違いはしない”」 ←ジョセフの“急な退場”にはびっくり、、

ヴァレンティーナ「天国にいるの?」
フランク「いや、ヤバい状況にいる」

ヴァレンティーナ「誰も信じないで」
フランク「同感だ」

フランク「“赤の他人のクルマ”に乗るのか?」
ヴァレンティーナ「・・今もそうだけど」

ヴァレンティーナ「ルールは?」
フランク「ひとまず休止だ」

ヴァレンティーナ「それだと、ルールの意味ないじゃないの」
フランク「俺もそう思う」

ヴァレンティーナ「あんたに会って“もう安心”だと思った」
フランク「俺を知らないのに?」
ヴァレンティーナ「理屈じゃないのよ

ヴァレンティーナ「ハッピーエンドを迎えられる?」
フランク「夜には、こんな不安も“どこ吹く風”になってるさ」
ヴァレンティーナ「うそつき

フランク「行け。奴らは君を殺さないさ」
ヴァレンティーナ「・・あなたを殺すわ」

ヴァレンティーナ「(この状況の)何がOKなの?」
フランク「ディナーで話すよ」

ヴァレンティーナ「天国にいるの?」
フランク「いや、地獄ってとこかな?」

ジョンソン「I'm listening.(イイだろう、言ってみろ)」
     「Drive faster.(かっ飛ばせ)」
     「Another day!!(この次は殺すぞ!)」
     「暴力は嫌いでね。問題を増やすだけだからな」

フランク「済まないが、ワケありでね」
オットー「いつもだろ?」

ジョンソン「君には失望したよ」
フランク「あんたが初めてじゃないさ」

追記:ジョンソン役を演じたロバート・ネッパー氏。『地球が静止する日(2008)』にも出演されてたようで・・覚えてないなぁ(×_×)

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2009年6月27日 (土)

☆『トランスフォーマー/リベンジ』☆

26日(金曜)の夜。以前から「観とかにゃ!」と常に意識してた最新作『トランスフォーマー/リベンジ』をやっとこさ鑑賞して来た☆
場所は“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”だが、上映開始時間が20:50〜と遅い回(レイトショー)しか選びようがなく、仕方ないので1度帰宅し「洗濯&アイロン&食器片付け」などの細々した、リアルな日常のこと(=^_^=)を済ませ、そこからクルマで現地へと向かったワタシ。

紀元前17000年前、太古の人類は、宇宙からやって来た機械生命体と遭遇し、圧倒的な戦闘能力の差を見せつけられつつも、死滅することなく戦い抜いたのである・・

そして2年前、ロサンゼルスで勃発した「人類vsディセプティコン(悪のロボット軍団)」の戦いをもまた乗り切った人々は、味方となってくれた“オートボット軍団”との共闘を継続、その後もディセプティコンの残党を監視、世界から彼らを退治する軍事組織“ネスト(NEST)”を結成したのだ。

こうして秘密裏に“オプティマス・プライム”をリーダーとするオートボットたちが世界各地で残党狩りを続ける中、大気圏外では深海(約17000メートル)に囚われた(ディセプティコンのリーダー)“デストロン(コード名:NBE−1)”の師である“ザ・フォールン”がリベンジの機を虎視眈々と窺っていた・・!

主人公サム(シャイア・ラブーフ)はケバい彼女(=^_^=)のミカエラと離れ、フィラデルフィアにある理系の大学へと進学する。
だが、2年前の“勝利の記念”であるパーカーのポケット(?)に「機械に生命力を与えてしまう“キューブ”の破片」が残っていたことから、新たなディセプティコンが誕生⇒その活動スピードを加速させることとなる。

“ザ・フォールン”の狙いは「サムの持つキューブ」であるが、彼の放つ刺客らの刃先は、彼1人のみならず、サムの両親 (父ロン&母ジュディ)やミカエラ、ルームメイトのレオらにも向かい、更には“オプティマス・プライム”の運命をも大きく揺さぶって行くのだった・・

CG面で大幅なパワーアップをしている! のだろうけど、物語自体の展開は(意外に)かなりもっさりしてて、中盤以降は正直、尿意との激闘の方を心中で展開してたワタシだった(⌒〜⌒ι) 映像的にはスゴいんだろうけど、登場人物やメカデザインに全くと言ってイイほど魅力がないため、正直「3作目はもう観なくてエエかな」とまで、フト思ってしまったなぁ。

パッと連想したのは『GODZILLA(1998)』辺りだろうか? アレも俳優陣&特撮映像はモノ凄いんだけど、ハッキリ言って下らなかった! 10年経ってもハリウッドは“スベってるかも?”ってな自意識&危機感を持たないのやろか? 

色んな訳の分からん造型(=^_^=)のロボットがわんさか登場した、この続編だが・・“人間に完璧に化けることの出来る”ヤツまでもが出て来て、これにはもう失笑が抑えられなかった(⌒〜⌒ι)

『ターミネーター3(2003)』に触発されたのか? 『X−メン(2000)』の“あのキャラ”を再現したかったのか? とにかく違和感がありまくりだ! ハッキリ言って「ふざけんな!」と突っ込みたい気持ちにもなった、ホンマに。

シャイア君が“考古学”を絡めつつ、エジプトの遺跡を探検する(つまんない)展開には、何となく『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国(2008)』における彼の冒険譚を(まんま)引っ張っとるような雰囲気もあったか。
個人的には「ロボット+古代遺跡」って組み合せってば、余りに“お約束”過ぎて、観てて気恥ずかしくなって来るんだが。。

〜 こんなのもありました 〜

♦結局、私的には冒頭の「ドリームワークスロゴ」「パラマウントロゴ」表示中の“機械音”にこそ、最もシビれた気がする☆
♦「マイケル・ベイ」「スティーヴン・スピルバーグ」の名が冠されてさえいたら、どんな作品を撮ってもイイの?
♦メカ・デザイン&メインキャラたちに魅力が乏し過ぎる。
♦本作におけるオバマ大統領は、、さっさとシェルターに逃げ込んでしまってた(×_×)
♦製作側(特にCGスタッフ)には大変失礼ながら・・「“バンブルビー”はなるだけ変形しない方が魅力的に思う」とまで、ふと感じてしまった。
♦本来“ムードメーカー”たるべきシモンズ、レオ、ツインズ(←兄弟ロボット)の言動の殆どが“スベってる”印象だったのは惜しい。
♦「ヤツがいる・・においで分かる」・・って、ロボットに嗅覚あんの?!
♦ディセプティコンの連中って「ミスすれば鉄拳制裁される」「実は徒弟制(?)である」「臆病な一面も併せ持つ」「個人主義もまかり通る」など、妙に人間社会っぽさを見せたりもする(=^_^=)
♦ちっこいサイズのディセプティコンがサム邸(主に台所)で大暴れするが・・彼らのガトリングガン&ロケットランチャーの直撃を受けたら、人の肉体(皮膚?)はどうなるんやろ?
♦「Z28」と言うだけで、ツウはそれが“シボレー・カマロ”であることが分かるようだ。
♦地球はディセプティコンをして「虫けら共の星」「忌わしい星」「ちっぽけな脊椎動物の星」とか、言われ放題だ。。
♦巧妙にフツーの機械に化けていても、ロボットからは“微量の放射能反応”が検出され続けるらしい。同居したら、身体的には余りよろしくない気がする、、
♦「尻が錆び付いて、痒いわい」とか言いながら“杖”をついて歩いたりするロボットがいた!
♦オプティマス・プライムの重さは約10トンらしい。

〜 こんなセリフもありました 〜

プライム「人類は“思い遣りの心”を持つ半面・・“残虐な心”も併せ持つ」
    「大統領に訊ねて貰いたい。我々が地球を去った後で“それが間違いだ”と分かったら、どうするのかを」
    「運命とは、予期せぬ時にこそ訪れるものだ」
    「“勇敢さ”と“自己犠牲の精神”・・それこそがリーダーの資質だ」

サム「5秒間だけ話し合える? もしかしたら分かり合えるかも」

ミカエラ「女は“危険な男”が好きなのよ」
    「あたし以外の誰が“こんな状況”に耐えられると?」

ロン「息子よ。お前は我が一族で初めての“大学生”だ」

ジュディ「イカれたエイリアンとは、もうこれ以上同居出来ないわ!」
    「騒がしいキャンパスだこと! まるでホグワーツ魔法学校だわね」
    「この子のクルマは“喋るロボット”なのよ」 ←バラしてる(=^_^=)

※「神が人間を造ったなら・・彼らは誰が?」
 「兵士は考えず、ただ銃を撃てば良いのだ!」
 「時には“臆病者”が生き残るものです。この場は撤退を・・!」

学生「ネットで流れるものこそが“真実”なのさ」

レオ「つべこべ言うと、大学のコンピュータをハッキングして、君の奨学金を減らすぞ」
  「何回、股間にスタンガンを当てられると、子供が出来なくなるのかな?」

アリス「エンジンの響きでウズいちゃうわ」
   「浮気じゃないわ。一度“ドライヴ”するだけよ」

教授「宇宙、時間、そして・・重力。これが天文学だ」
  「この教室は“私の宇宙”なのだ」

ロボット「美人だが、バカ(な娘)だな」 ←言えてる〜(⌒〜⌒ι)

ビー「変えられないこと(=運命)もある」

シモンズ「豚肉にも、羊肉にも、隠された“悲しい物語”があるのさ」
    「国に裏切られた男が、その国の最後の希望となるのだ」
    「死ぬ時は・・男らしく死ぬのだ」
    「私の“栄光の時”だ」
    「私の見てる前で、そんな暴挙は許しはしない!」
    「こんな状況で“機密事項”などと言ってられるか!」

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2009年6月20日 (土)

☆『ターミネーター4/サルベーション』☆

19日(金曜)の夜。今週も、日帰りながら(長距離)出張の目立った週で「朝食抜き」「長引く仮眠」なども続いたモノであった(×_×)
週半ばに(ひっそりと)誕生日を経たモノの、大したアニバーサリーもなく(なくてエエが)・・「記念日ってもんはなァ! 自分で設けるもんなんや!」って訳で、久々に仕事後に自由時間が取れたのもあり、新作『ターミネーター4(以下『T4』と略記す)』を観に、市の北方にある“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”に出かけたのだった。

実は、最近の自身がどうやら“お買い物中毒”になってそな感もあり、それに伴う不安もまたあり、、そんな自らを見つめ直す意味で(?)『お買いもの中毒な私!』を先に観とこう! と思ったが・・既に最終上映が開始されており断念。。

次に、本日から上映の始まってた(!)『トランスフォーマー/リベンジ』に気付き「コレもエエやん!」と考えたが、、こちらは逆に上映開始まで2時間ほど間が空くのでパス(⌒〜⌒ι)

ってことで、結局は予定通り(=^_^=)『T4』を観ることに決まった☆

・・観るのは『T4』だのに、ちゃっかり『トランスフォーマー』ヴァージョンの(ミニフィギュア付)ドリンクカップを買い求めつつ、シアター内へと向かったワタシでもあったが・・(=^_^=)

2003年、テキサス州のロングヴュー刑務所。死刑の迫る囚人=マーカス・ライト(サム・ワーシントン)の前に、ガンに冒され余命幾ばくもないセレナ・コーガン博士(ヘレナ・ボナム・カーター)が“最後の面会”に訪れた。

「これはあなたにとって“(人生の)2度目のチャンス”なのよ」と“謎の説得”を試みるセレナ博士に、ついに彼は“サイバーダイン社の準備した献体同意書”に契約のサインをする。

間もなく刑が執行される。死刑囚マーカスの腕に、静かに注入される薬物。

「これが死の味か・・」彼の視界は白く明るく広がって行くのであった・・

〜 21世紀初頭、“審判の日”と呼ばれる「全世界規模の同時多発的核攻撃」により、人類の大部分の生命は失われ、高度な文明はたちまち崩壊を遂げてしまう。
その引き金となった「サイバーダイン社の人工知能システム=スカイネット」は人類を完全に滅ぼそうと、マシーン(機械軍)を日々進化させ、生き残った人々をも追い詰めてゆく・・

そんな中「人類を救うと予言された男」ジョン・コナー(クリスチャン・ベール)が抵抗軍を結成、ここに“マシーンvs人類”の激闘が開始されることとなる 〜

2018年、荒廃したロサンゼルス。4日後に“最終決戦”を控えた抵抗軍は、司令官(マイケル・アイアンサイド)を海底深くの司令部(=潜水艦内)に配し、地上における実戦部隊を指揮するのが若きジョンであった。
ジョンらは戦いの中、マシーンに聞かせることでその動きを強制的に停止させることの出来る“特定のシグナル(短波)”が存在することを発見する。

一方、廃墟の中で眼を覚ましたマーカスは、記憶を失った状態のまま、マシーンの攻撃にさらされる。そんな彼を救ったのが言葉を失った少女=スターと、彼女の兄貴的な存在である少年=カイル・リース(アントン・イェルチン)であった。

戦いの中で「自分が何者なのか?」と言う“自意識”を断片的に取り戻してゆくマーカス。そしてラジオから流れて来たジョンの“同志への呼びかけ”に、抵抗軍への合流を望むカイル&スター。
ジョンとカイルが出会う時、彼らの運命は想いも寄らぬ方向へと転がってゆくのであった・・そう、彼らこそは・・!

前作『ターミネーター3(2003)』がどうやらハリウッド的に“なかったこと”として半ば葬られてる印象(?)を受けるファンも多かろう本シリーズ。いよいよそれまでのストーリーでは「小出しでしか描かれて来なかった」世界観がメイン舞台となった☆

やっと「1歩、踏み出してくれたな!」と嬉しくはある半面、どうにもこれまでのハリウッド作品で描かれ尽くした“終末的サバイバルムービー”の(手垢のつきまくった)流れをダラダラと見せられ続けもし「既視感ありまくるし!」と苦い表情をせざるを得なかったのは、果たしてこのワタシだけでもあるまい(・ω・)

何だか全体的に「どっかで観た演出だぞ?」「全人類規模の物語の割に、半径の狭い世界だぞ?」と正直ガッカリさせられたかな、と。
新たな“輝かしき1歩”は踏み出しつつ「こんな『ターミネーター』を観たかったんじゃねぇし!」と感じた気持ちは『エイリアン4(1997)』を観た直後の(微妙な)心情に相通じるトコロが多い。

結局のトコロ『ターミネーター2(1991)』の公開前後で「ハリウッドの方向性&映像的表現が明らかに変わった!」とハッキリ感じるワタシからすれば、この『T4』前後で・・は大して何も変わんないんやろな〜と直感的に思えてしまう「印象の薄き作品」に結論づいてしまう訳で・・

人間とマシーンの関わり(≒交流)を描く・・ってな、本シリーズならでは(?)の演出を“予想と違った形”で再構築してくれた脚本には「ホンマに頑張った!」と言ってあげたいけど。

あ、でも「前作」は完全に超えてましたね。
そこだけはまず断言出来ますわ、うん(=^_^=)

〜 ほか、こんなことも 〜

♦「マック爺」「マック自慰(おいっ)」などとも揶揄される(のか?)MCG(マック・ジー)監督が「フルスロットル気味」で頑張ってくれている(=^_^=)
♦サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)が肉声&写真のみながら登場☆
♦こと『ターミネーター』世界においては“人間の頭蓋骨は、ただ踏みつぶされるためにのみ存在する”って感がある(⌒〜⌒ι)
♦前作でジョンの恋人=ケイト・ブリュースターを演じたのはクレア・デインズちゃんだったが、、今回は“ハリウッドの新星(←って今も言うの?)”ブライス・ダラス・ハワードさんでした。何となく“ジュリエット・ルイス系”のご尊顔に見えましたが、、
♦やはりT−800の燃料電池(核バッテリー)は強力だった! って言うか、むやみにきゃつらのボディを銃撃したりしてエエんやろか。。(自爆コマンドもあったりして!)
♦1体のみ、何故だか全裸で登場したターミネーター(⌒〜⌒ι) いわゆる「夜のお散歩」だったんか?
♦水中にもヘビ型のマシーンがうようよと・・これには爆笑してしまった(=^_^=) きっと“フライング・キラー”とか言うんやろな。
♦進路(=道路)上に張られたロープの存在にも気付かぬモト・ターミネーター(バイク型マシーン)。かなりのアホと見た!
♦司令官の一方的な通告に「今の無線、最後のトコロはオレには良く聞こえなかった」「オレもだ」と言ってくれる仲間らは、ちょっとカッコいい☆ ←実社会にはそんなヤツはいない(=^_^=)
♦脳の奥深くにチップが仕掛けられてると思いきや、、案外すぐに取り出せるのね(×_×)
♦生き延びたとしても死刑囚、、その後も周囲の人々に色々と不運を伝播させていってたようで、、
♦“侵入型プロトタイプターミネーター”・・何だかボディ内の構造(特に胸腔部)がチャチ過ぎはしなかったか?
♦T−800、第1作に比べ、同じモデルなのに、ムチャクチャ動きがスムーズかつ素早かった(=^_^=)
♦『ロボコップ(1987)⇒マシーンの自我的演出』『宇宙戦争(2005)⇒巨大マシーン&その内部に収容されちゃう人々。またホロコーストを連想させる描き方』『トランスフォーマー(2007)⇒マシーンの(造型&動きなどの)映像演出』『エイリアン4⇒某人物の意外な正体を巡る脚色』『マトリックス/リローデッド(2003)⇒某人物とのちとウダウダした対話演出』『ダークナイト(2008)⇒(まんまな)モト・タミ、、』などと色々が似てたりする、、
♦ブレア・ウィリアムズ役のお姉ちゃん、私的には“般若(はんにゃ)顔”と決め打ったが・・(⌒〜⌒ι)
♦モト・ターミネーターって、、簡単に“人間用のフツーのバイク”に改造出来るんやね(苦笑)
♦終盤に登場する“T−800工場”、、いかにも人間メインで働いてそな雰囲気&構造だったんですけど、、
♦やはり、どのマシーンもかなりアホ過ぎると思う。
♦カイル役を演じたイェルチン君は『スター・トレック』でチェコフを演じてた彼! 今回もロシア語なまりでお願いしたかった(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

マーカス「生き延びたければ・・来い!」
    「銃を相手に向ける時は、撃つ気で構えろ」
    「生きていたければ、運転はオレがする」
    「死ぬことになら、慣れているさ」
    「オレがお前にとっての“最期の望み”なんだぞ」

カイル「これは“2日前のコヨーテ”の肉だ。少なくとも“3日前のコヨーテ”よりは美味いさ」
   「ジョン・コナー・・この人を見つけよう」
   「仲間を埋葬する、それが人とマシーンの違いだ。あんたは埋葬してなんか貰えないだろうさ」
   「隠れていても、見つかるさ」
   「一番大事なのは、生きることさ。ここ(知恵)とここ(度胸)でね」

ブレア「最近は“いい男”がすっかり減ったわ」
マーカス「オレは“いい男”じゃない」
ブレア「あんたはいい人だわ。ただそれに気付いていないだけよ」

マーカス「人生に“2度目のチャンス”はあると?」
ブレア「ええ、あるわ」

サラ「本当に困った時は“自分の心の声”に従いなさい」

ジョン「我々の行動が奴ら(=マシーン)と同じなら・・この勝利に何の意味がある?」

ケイト「皆があなたの不在に気付いたら、何と言えばいい?」
ジョン「“戻って来る”と」

副官「これは、テキの罠でした」 ←素直なのはイイんですけど・・

※“人間とは何だ? それはプログラムでもチップでも造れはしない。「心の強さ」のみが造ることの出来るものだ。
  それが人とマシーンの違いなのだ”

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2009年6月16日 (火)

☆『チェイサー』☆

15日(月曜)の夜、仕事帰りに近くのミニシアター“ソレイユ”に寄り、今週から(夕方⇒夜に)上映開始時間のシフトした新作(?)『チェイサー』を観て来た☆
「仕事帰りに観れる時間帯に切り替わり次第、すぐ観よう!」と前から決めてたんだが、奇しくも本日がサービスデー(メンズデー)だったので“1英世ちょっきり”で観ることも叶い、ちと嬉しかった☆
半面、客層がおっさんばっかしで華には欠けたが・・(⌒〜⌒ι)

韓国・ソウル市の歓楽街=マポ区マンウォン町。ここでは、風俗(デリヘル)嬢が忽然と姿を消す事件が続発していた。2年前までは刑事で、今はデリヘルの元締をしている中年男=オム・ジュンホは、雇っている風俗嬢2人が消息を絶ったことに、
・手付金(1人につき500万ウォン?)を持ち逃げした(背後に男の存在?)
・よその業者に拉致され、売り飛ばされた
の2つのケースを想定し、独自に彼女らの足取りを調べ始める。

だが、マンウォン町の上り坂となった狭い路地脇に、1人の乗っていたジャグワー(英国高級車)が無造作に駐車されているのを発見、その車内に(彼女の)携帯電話までもが残されていた事実に驚く。
彼女の(消失)当夜のスケジュールを(電話受付簿で)確認したジュンホは、最後に呼び出して来た(相手の)携帯番号の末尾が“4885”であることを記憶に止めるのだった。

その結果、驚くべきことに、消えた2人ともが“4885”に呼び出されたのが「最後の仕事」であったことが判明する!

一方、風邪で休養してるのをムリヤリ働きに出させた子持ちのミジンが、これまた“4885”の人物に呼び出されてしまう。相手が恐らく「売り飛ばし目的のチンピラだろう」と踏んだジュンホは、ミジンの携帯宛に「相手の家に着いたら、シャワーを借り、そこから居場所をメールで送れ」と指示する。
しかし、その人物宅でメールを送信しようとしたミジンは、浴室が「その窓までもがレンガ壁に覆われた」電波すらも遮断された空間であることを知る・・そして、浴室の床には毛髪のこびり付いた肉片の流れ残りが・・

マンウォン町で消えたミジンの足取りを辿るジュンホは、出会い頭の事故を起こした相手=挙動不審な青年・ヨンミンが“4885”その人であることを直感的に突き止める。

独自の鉄拳手法(?)で、ヨンミンに消えた3人の居場所を吐かせようとするジュンホ。
だが、駆け付けた警官により2人(?)は検挙されることに。

警察の生ぬるい(?)取調べの中、捜査陣をあざ笑うかのようにヨンミンは
「売ってなんかいません。殺しました・・9人をね。いや、考えてみたら・・殺したのは12人だった」
と淡々と言葉を漏らす! しかし、(殺人罪に結び付ける)物証が全く出ないため、そのままでは12時間しかヨンミンを勾留しておくことが出来ない。

ミジンたちは果たして? 残されたミジンの(7歳になる)1人娘を取り敢えず引き取ったジュンホは、その子のためにも、ミジンを無事に救い出そうとするが・・焦る中、時間ばかりが過ぎて行くのであった・・

うーん・・コレはエグいなぁ(×_×) 描写の不気味さや、真っ黒な泥沼の中でもがくかのような主人公(ジュンホ)の“半ば空しい”言動などにもある種の“絶望感”が満ちているんだが、、それ以上に、後半〜終盤にかけての“神の不在さ”には、観客の“尾を引く後味の悪さ”がそのピークに達しもする(×_×)

「余りにあっさり捕まってしまう容疑者」「後半に向かって、雨が降り続く作品世界」「猟奇犯の“遺体損壊趣味”」などの脚色に『セヴン(1995)』と言う大きな先輩格(?)を思い出したワタシだが、あちら以上に「描くトコロを“敢えて”露骨に描く」現実的な凄み(?)もまた充満しており、眼を覆ってしまう観客もいるのではなかろうか?

『羊たちの沈黙(1991)』で言えば、ハンニバル・レクター博士と言うよりはバッファロー・ビルのキャラ造型に近かった猟奇犯=ヨンミン。
性的な特徴も含め、意外となよっちいヤツではあるんだが・・それ故に「自分より弱い立場(状態)の相手を徹底的にいたぶり殺す」みたいなリアルな恐ろしさも感じてしまった。。
同じ狂人でも『ノー・カントリー(2008)』の“ボンベくん”とは全く輪郭の濃淡の違うキャラだな、と。

中盤ではミジンの娘(名前、何だっけ?)を連れてのジュンホの捜索行、みたいな様相を呈しはするんだが・・それにしては“あの終盤”には「うーん」・・と感じてしまったワタシ。

前述の『ノー・カントリー』や『ミスト(2008)』もそうなんだが・・近年って、万人が予期しない方向へ方向へ、とエンタテインメントの既存枠(?)をぶっ壊して突き進むのが“監督ならではの力量”みたいに勘違い(?)されとるんじゃなかろうか?
・・と違った方向に懸念のベクトルの向いてしまったワタシであった。。

〜 こんなトコロにも気付いた 〜

♦7月10日(土曜)なるカレンダーが描写されたトコロから察するに、物語の舞台は「1999年」「2004年」「2010年」のいずれかだったようだ。
♦ソウル市長が人糞(?)をその顔面に投げ付けられる、と言う「それはそれでスゴい事件」が同時に現場では(=^_^=)起こっていた!
(TVでは「袋の中身は黄褐色の物体で・・」みたいにソフトに(=^_^=)報道されてたが、、)
♦同じキーで開いちゃったりなんかしちゃったりする、全く別な扉もあったりなんかしちゃうもんなのです(←広川太一郎口調、、)。。
♦ソウル市警には“機捜隊(機動捜査隊)”なんてなセクションもあるらしい。豪雨の中、ソンミ山中で遺体捜索させられたり・・とエリート集団とも断言出来なさそな“こき使われぶり”だが、、
♦ジュンホによる「いきなしパイプ椅子殴り」は、相手にかなりなダメージを与えそう(×_×)
♦車内を(雨降る外側から)ガラス越しに映し、その向こうで娘が号泣、ジュンホが(携帯に向かって)怒声を発してる映像描写、はなかなか良かった(むろん“セリフなし”である!)
♦“タバコ屋おばさん”と“忠犬プンサン(?)”の迎える運命もまた、哀し。
♦走りながら泣けて来てはった主人公の姿に、ちと“迫るモノ”があった(⌒〜⌒ι)
♦ミジンさんを演じた女優さんが、観ようによっては「風吹ジュン」さんぽくって、ちとドキドキしてしまったワタシ(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

ヨンミン「酷い(クルマの)止め方だな」
2人目「イイのよ、すぐに帰るから」

ヨンミン「助かりたい理由は? ないのか? ・・理由なんかないよな?」
    「動いたら、痛いぞ」
    「ノミと金槌を使います。絞殺や刺殺は苦しむから」

署長「なんてバカな奴らだ!」
  「命がけで事件を解決しろ! この先も家族を養いたいならな!」
  「証拠が挙がらなけりゃ、作ってでも持って来い!」 ←おい
  「使えん奴らだ!」

ジュンホ「(後部座席の)吸い殻は(車外に)棄てたか?」
娘「はい」
ジュンホ「・・シートに穴が開いたか?」
娘「はい」

精神科医(?)「ノミを自分の性器だと思って、女性に突き立てたのか?」

刑事A「これは血痕か?」
刑事B「いや、キムチの汁だろう」 ←こら

ヨンミン「金槌や棒はある?」
おばさん「金槌ならあるよ。あんたがここに居てくれると、心強いよ」

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2009年5月31日 (日)

☆『ディファイアンス/抵抗』☆

少し日付が前に戻り・・27日(水曜)の夜。
またもや“気まぐれ”を起こし、会社からの帰り、アーケード街の中に位置するミニシアター“ソレイユ”にて「やや気になってた」1作『ディファイアンス』を観て来た☆

主演:ダニエル・クレイグって部分がどうにも(チラシでも)目立ってしまい、どっちかと言えば彼は苦手なタイプ(の俳優)なので「どうなんかいね~?」と好かなかったんだが(←海外ではゲイのしとたちにもの凄い人気らしいが(=^_^=))・・いや、思った以上に“ヒーロー”でも“リーダー”でもない(ような)描かれ方で、それ故に気に入ってしまった(=^_^=)

物語のメインとなる4兄弟(←流石に末弟は幼く、地味だったが)それぞれの考え方、生き方が同時進行で(時に錯綜し)展開するんだが・・その離れ方、くっ付き方が実に柔軟で、予想してたよりも楽しめたか。

監督は『レジェンド・オヴ・フォール/果てしなき想い(1995)』『グローリー(1989)』『戦火の勇気(1996)』『ラストサムライ(2003)』のエドワード・ズウィック。彼ならではのロケーション(森林系)、物語展開(民兵系?)なども、ある意味“期待通り安心して”(=^_^=)楽しめる1作だった。
華やかさには欠けるが・・押さえといて良かったと、観終わった今は感じている。

1941年。ドイツ軍は東欧・ベラルーシへと侵攻、瞬く間にここを占領下に置いてしまう。
多くの(ユダヤ系の)民は虐殺され、強制移送されてしまう者もいたが・・運良く市街地を逃れ、広大な森林地帯へと逃走を試みる人々もいた。
(ベラルーシにユダヤ人の多い理由は、ロシアから大量に移住して来たためらしい)
そして、その彼らを追うのがSS(ナチス親衛隊)と彼らに尻尾を振る地元警察の連中である。

“1人捕まえれば500ルーブル”と言う報奨金で次々と“狩られゆく”ユダヤ人たち。

そんな中、森林へ迷い込んだ彼らを束ね、その生命を救った男たちがいた。その名は“ビエルスキ兄弟”・・

自らも両親を、妻を、殺され、復讐の鬼と化した長兄=トゥヴィア(ダニエル)、それは次兄=ズシュ(リーヴ・シュレイバー)も同じであり、心優しい三男=アザエル(ジェイミー・ベル)をも変えて行く・・(因みに、末弟はアーロンと言う少年)

神出鬼没の存在とし、各地の森林地帯(8月:リピクザンスカ、10月:ペレラズ、12月〜翌4月:ナリボッカ)を移動する、ビエルスキ兄弟率いるパルチザン(武装組織)。だが、ドイツ軍の追撃も日々、その激しさを増してゆく。

そんな折、兄弟は2つの大きな選択を迫られることとなる。

1つは、組織を解体し、精鋭の兵士(少数)のみがロシア軍人=ヴィクトル・パンチェンコの赤軍に合流する道
1つは、あくまでビエルスキ・パルチザンとし、自分たちの力で抵抗を続ける道

“復讐”“同胞”を巡る価値観の相違から、やがて兄弟の絆に「溝」が入り始め・・

冒頭から「これは真実の物語である」と字幕が挿入され、何となく姿勢を正さざるを得なくなる本作(⌒〜⌒ι)

物語は、意外にシンプルな展開で進むんだが「何が正しいのか?」と言う部分で、ときに観客は“複雑な想い”を味わうこととなる。

例えるなら「トゥヴィアが単身、ベルニッチ署長一家に復讐を果たしに向かう場面」や「“助けてくれ、子供が2人いるんだ!”と泣いて命乞いするドイツ兵を(武器を手に)取り囲むユダヤ人らと、その光景を目の当たりにし、指示を迫られるトゥヴィア」など・・。どちらのシーンも実にシンプルにストーリーは進むんだが、観てるこっちは感情に「急ブレーキ」がかけられてしまう(×_×) 正解のない(?)シチュエーションなだけに、苦さだけが残ってしまう訳である。

私的な印象としては、

トゥヴィア:ときに激情型だが、基本は頭ごなしに命令するのでなく、集団の成長を言葉少なに見守るタイプ。直感的。
ズシュ:理知的で感情にブレがない。人前で涙を見せることを嫌うが、案外心優しい。口ベタで損をするタイプ。
アザエル:兄たちの葛藤を心中で受け止め、自身の糧としていくちゃっかりタイプ。意外に兄弟随一の頑固者。

って受け止め方をしたが、どうだろう?

ダニエルは、次第に(肉体が)貧弱&(精神が)ヘタレであることが露呈しても行くが、時に「拳銃頼み」でそんな自身の威厳を保とうとしたり(=^_^=) リーヴは「主役を演じるには、ちと存在が暑苦し過ぎて困る」トコロ(=^_^=)を、巧い立ち位置で泳ぎ切ってくれ、かなり評価の高まる部分があった。なんせ今までで印象深かったのが『スクリーム(1996)』程度だったから(⌒〜⌒ι)
ジェイミーは・・もはや『リトル・ダンサー(2000)』の頃のピカピカした彼のイメージは忘れようか・・みたいな。。
まぁ彼としても『ジャンパー(2008)』のグリフィン役のように“新たなイメージで羽ばたきたい”気持ちは当然あるんだろう(・ω・)

食料調達隊のクーデター(?)など、次第に“危惧すべき相手”が「眼に見えぬ周囲のドイツ軍」より「同じ組織内の連中」にシフトして来たりする演出は、ちょっとした変化球な感じで新鮮に(?)映ったか。

ラストでいきなり本格的な激戦がおっ始まり「えっ? 監督変わったの?」みたいな不思議な違和感も覚えてしまったワタシだが、それに続く“あの展開”には「おおっ!」と感心させられた。本作の終盤は、なかなかのスッキリ感を与えてくれますわ!

〜 こんなトコロもありました 〜

♦字幕担当=戸田奈津子女史! しかし、全然意訳が弾けてない、、(×_×) 昔は「戸田さんが手がけはった」ちぅだけでワクワクもしたし、実際に訳が“活きてた!”感があったのに、、
♦『ラストサムライ』後半での真田広之の不死身っぷり(?)も凄かったが、本作におけるリーヴさんの鉄人ぶりもなかなか!
♦眼鏡紳士=イザック・シェルマン(元会計士?)の終盤が哀しい。『ミスト(2007)』じゃないが「もうちょっと待っとけ!」と言ったげたかった・・
♦超禁欲的に見えたトゥヴィアだが・・しっかり愛する女性と肌を重ねて(合わせて)るし! おまけに暖炉を備えたロッジみたいな、むちゃくちゃ快適そうな部屋でだし!
♦パルチザンの主食はビーツとポテトばかりらしい。「ビーツってナニ?」と思い調べたら、紅色の大根のことらしい。
♦戦車を奪っても喰えないが、馬は奪うと食料にもなる・・(・ω・)
♦「屍体は狼にくれてやれ」ってなセリフがちょっとワイルドで良い感じ(=^_^=)
♦結局、兄弟の中で「最も人生を戦乱に捧げた」のは・・
♦有事に必要なのは“ペニシリン”! 『デイ・アフター・トゥモロー(2004)』でも、学びましたよねー(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

トゥヴィア「復讐心は押さえろ。犠牲はもういい。“生き残ること”こそが我々の復讐だ」
     「力を合わせろ! 我々がここで言い争ってどうする!」
     「たとえ追われようとも、我々は“獣”じゃない」
     「生きようとした結果、生命を失うなら・・それは“人間らしい生き方”だ」
     「1度襲撃した農家を記録し、何度も襲わないようにしろ」
     「皆の前で、俺に逆らうな!」
     「今より“失った暮らし”を取り戻すのだ」
     「ユダヤ人が自由に暮らせる場所は、今や世界でここだけだ」

ズシュ「血には血だ、だろ?」
   「もう増やすな」
   「冬が来るってのに、こんな調子じゃ雨露もしのげんぞ」
   「モーセ気取りか?」
   「“気位ばかり高い”連中なんだよ、あいつら(ユダヤ人たち)は」
   「“反ユダヤ主義”は共産主義に反するのでは?」
   「1人、加わっていいかな?」

アザエル「やれば出来るさ、今までもそうして来たろ?」
    「奇跡なんか(待ってたって)起こらない。自分たちで起こすんだ」

ズシュ「武器があれば・・」
トゥヴィア「あればどうする? 全ドイツ兵と戦う気か?」

ズシュ「殺った気分は? スッキリしたか?」
トゥヴィア「黙れ」

ズシュ「みんな死んだ。だが俺たちは・・」
トゥヴィア「何故か、生きてる」

トゥヴィア「他の連中は?」
ズシュ「死んださ! あいつら(ユダヤ人たち)のためにな」

※「乾杯」
トゥヴィア「死者に、魂の安らぎを」

※「同じユダヤ人だろ? なぜ助け合わない?」
トゥヴィア「危険だからだ」

老教師「こんな世界になって、信念がぐらついた」
トゥヴィア「教室も同じだよ。先生の話は、いつも良く分からん」

ユダヤの戒律“もし生命を救ったなら、その者の生に責任を持て”

モーセの言葉“私を信じるな、神の声を信じよ”

老教師「西にヒトラー、東にスターリン・・次に救世主が現れるなら、きっとそいつも“ひげ面”だ」
   「血も枯れました・・神よ、他の民をお選び下さい」
   「神は君を我々に贈られた。神と君に感謝を捧げる」

イザック「デカルトは“我思う、故に我あり”と言った」
老教師「わしはさしずめ“お前に悩まされ、我あり”だな」

ベラ「女には銃を持たせてくれないの?」
ズシュ「男にも持たせない・・数も足りない」
ベラ「女にも“自分を護るための武器”が必要よ」
ズシュ「女は、男が護るさ」
ベラ「・・私も護って欲しいわ」

イザック「何処まで歩かせるんだ? 足がもげそうだ」
    「戦う力は確かに必要だが・・他にも考えるべきことが。・・例えば“共同体”」

ヴィクトル「ユダヤ人は“反革命的”だな」
     「犠牲はいつも必要さ。犠牲あってこそ戦いが続けられる」

トゥヴィア「大学で何を専攻した?」
リルカ「・・音楽よ」

※「ゲットーから1人逃げると、残った者が20人殺される」
 「我々の唯一の武器は“時間”さ・・しぶとく生き残ってみせるとも」
 「若いの、酒を飲め! 胸毛が生えるぞ」

リルカ「彼女にとって生きる支えなのよ! お腹の新しい生命が」
   「あなたは“人間らしく生きよう”と言ったわ。ここで獣になるの?」
   「あの子は、この地獄に生まれた“ただ1つの光”なのよ」

ご婦人A「また口(=人数)が増えたわ」
ご婦人B「でも、若い男の身体は温かいわ」 ←おおっ!

アザエル「えぇと、君と僕・・つまり、僕たちだけどさ・・」
ハイア「返事なら“イエス”よ!」
アザエル「ええっ?!」

アーロン「これで食料は最後だよ」
トゥヴィア「・・カゴを覆っておけ」

A「今、何時だ?」
B「約束でも?」

A「ズシュは利口だった」
B「なら、追えよ?」

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2009年5月16日 (土)

☆『ダウト〜あるカトリック学校で〜』☆

15日(金曜)。
今週は何とも短い1週間・・に感じた。と言うのも、週半ばに(1泊2日コースの)出張が入ったからだ。
松山市経由で、愛媛県の南方に位置する宇和島市へと行って来た。

出張先では、出来る限り早起き⇒ホテル周辺を歩き⇒界隈の気に入った寺を“早朝拝観”する・・ってのが1つの「息抜き」なのだが、、結局はそんなことをするから、余計に疲れるんだろうな(×_×)

そうそう。初めてレンタカーで“ト※タ製の某国民的(?)ハイブリッド車”を運転する機に恵まれたが・・(アクセルペダルを)踏み込んで「時速:ぬわわ〜ぬふわkm」を出しても安定感があり、全然(全身に)緊張感の走らないのは気に入った。
※ヨタ車らしい、と言おうか“運転の喜び”は殆ど感じないんだが、ホンマに「優等生」って感じでそつなく乗れる印象である。

欲を言えば「妙な場所にある、妙な形状で、妙な操作を要するシフトレバー」と「ペダルによるパーキングブレーキ」だけは何とかして欲しかったかな、と(ま、自分のプライベートなクルマじゃないからエエけど)。

さて、出張を無事にこなし帰松したワタシは、本日ばかりはややゆったりした調子で働かせて頂き、来週始めからの出張(今度は2泊3日コースで高知へとゆきます)の準備を進めつつ「そや、週末やし、久々に1本行っとこう!」と思い付いたのだった。

“ワーナー・マイカル・シネマズ高松”で観たのが(こちらでは)上映の始まったばかり(?)の『ダウト~あるカトリック学校で~』だった。舞台劇を映画化した骨太な物語のテイストを感じたが、果たして・・?

ジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで凶弾に倒れた翌年である、1964年。
ニューヨーク・ブロンクスにあるカトリック学校“聖ニコラススクール”では、厳格な女校長=シスター・アロイシス(メリル・ストリープ)が、専属の神父=フリン(フィリップ・シーモア・ホフマン)の行動に“疑い”を抱き始めていた。

スクール開校以来“初の黒人生徒”である12歳のドナルド・ミラーに対し、神父が一線を越える“不適切な関係”を持っているのではないか? と言う“疑い”・・

神父の“怪し気な行動”を偶然に目撃した若きシスター・ジェームズ(エイミー・アダムス)は、日頃アロイシスに「あなたは純真過ぎますね」と冷ややかに評され、委縮してもしまう新米シスターであったが、、“フリン神父の寛容さ”を眼にする機会を得るにつけ、次第にアロイシスに対する“もやもやとした不信感”の高まりを押さえ切れなくなる・・

うーん・・渋い! 構成そのものは至ってシンプルだし、正直大した“テーマ”にも“ヤマ場”にも欠いてるように感じたワタシであるが「メリル&ホフマンの2大演技派俳優の言動だけで、シンプルなストーリーをグイグイ引っ張り切った」こと・・に対しては、流石に評価せざるを得ないだろう。
ロケーション的にも「学園の庭」「校長室」なんかが“クライマックスの場”と言う等身大さ(⌒〜⌒ι) 2大俳優に対するギャラ以外、大して製作費かかってへんのとちゃう? とまで“疑い”を持ってしまったり(=^_^=)

物語の中で“比較的ニュートラルな存在”であるシスター・ジェームズがどう「軸部分」に絡んで来るのか? と、例えば『プラトーン(1986)』におけるチャーリー・シーン的な立ち位置を連想したんだが・・そう言う流れではなく、ちょっと肩すかしを食らった気もしたか(・ω・)
同様に、ドナルドくんやその母(ミラー夫人)にも「ここ!」と言う見せ場はそれぞれ用意されてはいるんだが、どうにも「軸部分」にまでは絡んで来てなかったように感じる。。

結局は、外野キャラがごちゃごちゃ言うシーンより「フリンvsアロイシス」の対決こそが重要であり、その対決には小賢しいロケーションもカメラワークも、必要とはされなかった・・ちぅことだろうか。

カトリック学校な割に(だからこそ?)生徒らの“しつけ”がイマイチだったのは、全体を通しても気になったところか、、
特に「授業中に私語をすれば、たちまち教室から追い出され、校長室に謝罪に行かされる」と言う“判で押したような罰則”ばかりを繰り返す一方、廊下で(日常的に)行われてる“イジメ”みたいなモノは「見て見ぬ振り」を決め込んでるように感じたぞ、教師陣!

後半になってから「とある重要な場面」でやっぱり「授業中に喋ってて校長室に行かされる」生徒が出て来るが・・校長に「教室に戻れ、授業中は黙ってれば良い」みたいにあしらわれ“回れ右”するシーンがあり、その生徒の舌打ちが聞こえるような感じがして、それはそれで面白かった(・ω・) ←このシーン、ロケーションは切り替わるが、時間軸がフツーの流れ(教室⇒廊下⇒校長室⇒教室)で繋がれてて、意外と新鮮に映ったな。

「事件の真相」もそうだが「2大キャラの本心」もまた断片的かつ表面的にしか描かれず、ある種の消化不良感が残るのは、制作陣の意図したトコロなんだろうか?

「ドナルド問題」以外にも「ヴェロニカ問題」ってのが劇中(の裏)に存在しており、そこの辺りは“反撃材料”にも成り得たのにな〜と感じたワタシ(⌒〜⌒ι)

芸術的&普遍的&高尚なドラマだとは思うんだけど、この描き方やこの落とし方でエラそうな顔(=大作ぽく気取った宣伝)をされてもなぁ・・とジワッと感じてしまったワタシである。

本作はきっと“上級者向け”の作品なのではないだろうかな、と(・ω・) しかしカトリック圏ではもの凄い物議を醸し出すだろうな、とは思う。宗教がネタにされながら、実のトコロは“人間の俗性”が描かれてる訳なのだから・・

〜 こんなことも気になったり 〜

♦全く登場しないが、妙に存在感を感じる「ドナルドくんのパパ」
♦劇中で「3度の教義(教えのスピーチ)」を披露してくれるフリン神父。特に2つ目のトークはなかなか良かったです☆
♦「神父側」と「シスター側」で“食事シーン”の雰囲気がまるで違う!(=^_^=)
♦“センセイに没収されたモノ”が決して帰って来ない理由・・がそれっぽく描かれてた(=^_^=)
♦ロバート・デ・ニーロの描いたブロンクスとは、随分と印象の異なる気がした(=^_^=)
♦校長室の電球は切れ過ぎ(=^_^=)
♦アロイシスは「飲酒」を「下劣だ」と一蹴していた(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

フリン「確信がない時はどうするか?」
   「絶望感が人と人を結び付ける」
   「あなたの隣人の“孤独”を想像して下さい」
   「針路は果たして正しいのか? 人は疑い始めます」
   「“疑い”は強力な絆と成り得る、確信と同じぐらいに」
   「“飢えたる龍”だな」
   「ハナシが脱線しましたな?」
   「あなたのやり方は感心出来ませんな」
   「校長はあの子に手を差し伸べたか?」
   「少なくとも、私は校長よりも“あの子想い”だ」
   「あなたの哲学が表情にあらわれている・・“優しさ”が」
   「愛は悪くない」
   「美徳の名の下に、優しさを葬ってはならない
   「人生には“迷える時期”があるものだ」
   「全ては言えない・・言えないこともある。分かるか?」
   「風が私を運び去ります・・その意図も分からぬままに」

アロイシス「待たせないで!(Don't make me wait!)」
     「咳止め? これはキャンディで、呼び方が違うだけです」
     「最近は、誰もがラクをしようとする」
     「ボールペンなんか使うと“サルのような醜い字”になります」
     「今に殴られるでしょうね」
     「こうならぬよう祈っていたのに・・ついに起きてしまったみたいですね」
     「よりによってドナルドを・・」
     「悪人よりも知恵を働かせるのが、私の仕事です」
     「流石は雌猫だわね!」
     「少し(校長室の)ドアを開けておきましょう・・決まり(=規則)ですから」
     「ボールペンをお使いですか?」
     「信じるの? その方が楽だから?」
     「確信できるわ、経験からね」
     「スパルタでは大声の人が物事を決定していたそうね・・でもここはスパルタじゃない、幸いにもね」
     「生徒から取り上げましたが、今では私が病み付きに」
     「私ではなく、あなたが問題なんです」
     「私には・・人間が分かります」
     「噛み付く犬の習性は直りません」
     「私は後悔など感じない人間・・同情などしません」
     「悪を駆逐する中では、神から遠ざかることもあるわ
     「我々は余り眠ってはいけないのかも」

ジェームズ「2列で歩いて、ノアの方舟のように」

ジェームズ「余り厳しくすると、生徒が怯えるのでは?」
アロイシス「怯えるのは“ワルの生徒”だけです」

ジェームズ「人を疑うことは・・神から遠ざかる行いに思えます」
アロイシス「遠ざかろうと、神のためです」

アロイシス「何をお書きですか?」
フリン「“不寛容”についてです」
アロイシス「・・・」

フリン「世の中は変わって行く・・教会も変わらねば」
アロイシス「その目的は?」

フリン「不愉快な口調ですね」
アロイシス「あなたの口調もね」

オローク神父「風に舞い散り・・再び総てを拾い集めることの叶わぬ羽根・・それこそが“噂の正体”だ」

ジェームズ「花を本のページに?」
フリン「“春をいつも思い出す”ためにね

ミラー夫人「たとえ体罰を息子に与えようと、夫のすることに口出しは出来ません」
     「世の中を知りもしないで・・」
     「私はあの子に良くしてくれる人の味方です・・あなたもそうであれば」

フリン「あなたは過ちを犯したことがないのか?」
アロイシス「・・あります」
フリン「それは大罪か?」
アロイシス「・・そうです」

追記1:エイミーは『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(2004)』でディカプリオの恋人役だったらしい! 全然覚えてない!
追記2:校長(尼僧)<神父<院長<司祭<司教<教皇・・とランクが上がっていくらしい(・ω・)
追記3:久々に「拳銃が出て来ず」「空撮がなく」「手持ちカメラ撮影」じゃない作品を観た気がする(=^_^=)

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2009年3月 7日 (土)

☆『チェンジリング』☆

大阪追放(←おい)のカウントダウンが静かに開始された感じの今日この頃。
「発つ前にやっておかねばならぬこと」が幾つかあり、本日7日(土曜)はその準備をしていた。

1つに、総走行距離=10万キロを突破し久しいクルマの消耗パーツ(タイミングベルト等)の交換作業。昨年の車検以来、逃げ回って来たが(=^_^=)ついに観念し、周辺のポンプ類なども含め、イッキに交換しとくことに。
預けたのは大阪市内・今福界隈にある某ショップさん。正直、総額は決して安くないんだが・・その腕を見込み、黙ってお願いすることとした。
1つに、明日から1泊コースで現地視察(住居関係)に行くための高速バスのチケット手配。ネットなり、電話なりでラクすることは幾らでも可能だろうが、対面式で色々訊ねながら買わないとどうにもスッキリせず、京橋界隈の旅行代理店で予約購入した。

午後からで少し時間の余ったため、梅田のシネコン“ブルク7”にて狙っていた新作映画『チェンジリング』を観た。
周りで観た人の評価が押し並べて高く「コレは観とかなきゃ!」と急かされるモノもあったか(=^_^=)
決して明るくも、軽くも、そして短くもない作品であるが、確かに見応えがあった。

これは真実の物語。

ロサンゼルス、1928年3月9日(金曜)。9歳になる1人息子ウォルターを育てるキャリアウーマンのシングルマザー=クリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)は「明日こそ、新作映画『謎の飛行士』を観に行こう」と息子と約束するが、それは果たすことが出来なかった。
勤務する電話(通信)会社での“初の女性主任”と言う立場上、急な部下の欠勤に対応せねばならぬ事情があったのだ。

3月10日(土曜)。ウォルターを自宅に残し、後ろ髪を引かれる想いで出勤するクリス(クリスティン)。窓辺に佇み、彼女を静かに見送るウォルター。

それが母が“愛する息子”を見た最後の姿であった・・

帰宅後、息子の姿が自宅内にも戸外にも見当たらぬことを知った母は、急ぎ警察に電話するが、対応した警官の対応は、
「24時間以内の捜索は行っておりません。何故なら、居なくなった子の99%は翌朝に戻るからです」
「明日になれば、必ず戻りますよ」
と言う、極めてノンビリしたものであった。

果たして5ヵ月後の8月18日(土曜)。イリノイ州デカルブ郡のダイナー(食堂)で無銭飲食し、逃走した男の連れていた少年が「ウォルター・コリンズ」を名乗ったため、“コリンズ事件”は突然に劇的な解決を迎えることとなる!

しかし、報道陣の集められた“母子の再会の場”である駅のホームでは、予想も出来ぬ言葉が交わされていた。

少年「僕のママだ」
母親「私の息子じゃない・・」

7センチも縮んだ身長、前歯の特徴の相違、割礼(!)の痕。通う学校では女教師の名も、自分の座席も分からないウォルター。

彼は何者なのか? そして、別人だとすれば本当の息子は何処に?

「事件解決」を誇らし気に吹聴するロス市警に対し、孤独に“抵抗の声”を上げるクリスであったが・・

先入観で「重く、狭く、救いのない物語なんやろな〜」と予想していたワタシだが、それはある意味において正解で、ある意味においては不正解とも言えた。
何と言うか、全体的に上質で、構築された作品世界の完成度がハンパではない!

タイトルだけを見ると“母子のドラマ”と捉えられがちだが、実に「取り替えっ子事件(=チェンジリング)」を軸に据えながらも、本作は「警察モノ」でもあり「おんなの物語」でもあるのだ。

クリス自身、主人公に極めて近い“立ち位置”でありつつ、物語の一面しか見ていない(見せていない)キャラとして描かれ、後半に彼女と対峙することとなる“某重要人物”もまた、主人公の1人ではなかったか? とさえ思えて来る!

中盤で描かれる“ワインヴィルにあるノースコット牧場”の緊迫感溢れるシーンはなかなか! いきなりロケーションは飛ぶが、ここって実はかなり重要な場所でもあり、この辺りシーンのメリハリの付け方が大好きである。

昇進街道をひた走る、冷徹で計算高い警部=ジョーンズがいる一方、あくまで現場で泥にまみれ続けるタフな刑事=ヤバラを(彼と)対極な位置に配し、この2人の言動や行く末を対照的に写している手法も良い!

コレはもう、マイナーキャスト版(=^_^=)の『L.A.コンフィデンシャル(1997)』路線に近いものと言ってもイイかも知れない。そう言えばジョーンズ警部を好演してくれた俳優さんは何処となくガイ・ピアースに雰囲気が似てなくもなかったし(←2人ともアゴ噛みしめ系?)、ヤバラ刑事を(少し)若き頃のラッセル・クロゥが演じたとしても、そないに違和感はなかったかな、と(・ω・)

ロスを「かつては“天使の街”だったが、今や“無法者の街”に過ぎない」と断じる、長老派教会のグスタヴ・ブリーグレブ牧師(ジョン・マルコヴィッチ)が「現れる時にきっちり現れてくれる協力者」としての揺るぎない立場を貫いてくれたのは頼もしかった☆
土壇場のシーンでいきなり「マルコヴィッチ? マルコヴィッチ!」とか、自分の名前しか連呼出来なくなったりしたら困るもんね(⌒〜⌒ι) ←それ、作品が違いますし!

ロス病院で出会う(女性患者)キャロル・デクスターの存在もいい。彼女こそを“本作の天使”と評せなくもない。
特に、クリスと彼女の別離のシーンで展開される「視線のみで言葉を交わすシーン」の“観客に体感させる長さ”は尋常ではなかった!

全体的にキャラクターが「乾いてる感」を強く意識したものだが、それはきっと監督である御大=クリント・イーストウッド自身が狙ったモノだろう。

正直、アカデミー賞にもっと殴り込んで欲しかった逸作ぶりを見せつける本作。

終盤では「もうぼちぼち終わりかな?」とソワソワし始めたワタシに「実はこんなことがありました」ってな演出を持って来て、ウォルターを「再び、そして更に、イキイキと輝かせる」ことに成功していた!

そしてまた「希望はどこかに常に存在し、それはある時ふと浮上して来るもの」ってことも教えられたワタシ。

御大クリント・・老いて尚、凄まじい作品を放ってくれたモノである(⌒〜⌒ι) これはもう次作『グラン・トリノ』も観なけりゃなるまいか、、(御大ご主演だけど、、)

〜 こんなセリフもありました 〜

クリス「早く食べなさい。朝食が冷めるわよ」
ウォルター「シリアルは元から冷めてるってば」

クリス「ケンカは売るな。でも売られたケンカなら、最後にきっちり決着(ケリ)を付けろ」 ←御大語録?
   「世の中には、何よりも“責任”を恐れる人がいるのよ」
   「“その言葉”だけは言わないで!」
   「あなたには分からないでしょうね・・自分が何をして、誰をどれだけ傷つけているのか」
   「私の目的は“市警との戦い”ではありません」
   「失うものは、もう何もないわ」
   「あの子は生きています・・今もあの子の存在を感じます」

ウォルター「暗くても平気さ、何も怖くないよ」

デイヴィス本部長「我々の対応に問題は?」
クリス「“24時間以内の捜索”が出来ないと言うのは・・」
デイヴィス本部長「“手続きの問題”以外では?」
クリス「・・ありません」

デイヴィス本部長「我々警察は、常に市民の味方です」
        「なんて少年だ。自分が悪いのに、警察を批判するとはね」

ジョーンズ警部「(5ヵ月前の)記憶の息子さんとは、確かに違うでしょうね」
       「この子には、行く場所がないんですよ?」
       「全て説明が出来ます。時間が解決する問題です」
       「何故、母親としての責任から逃れようと?」
       「嘘つきは、放置すると厄介だ」
       「俺の命令が、署の方針だ」

タール医師「恐らくは、5ヵ月間のストレスで背骨が(7センチ)縮んだのでしょう。
      珍しいケースだが、医学的に説明出来ることです」 ←新説やな、、
     「母親だからこそ、客観的になれないんです。あなたは直感的で、感情的だ」

グスタヴ牧師「良く読めば分かります・・実に巧みな記事ですな」
      「世間の半分は騙されているでしょう」
      「蛇に魅入られた者は、忽ち転落します」

キャロル「食べるのは“正常な行為”なのよ、食べるよう努力して」
    「女は弱い、理論的にものが言えない・・奴らはそう考えているわ」
    「あなたは戦える。頑張ってね」
    「時には“使うべき言葉”を使わなければ・・“失うものの何もない時”にはね」

スティール医師「あなたは良く混乱するのですか?」
       「どうやらあなたには“より強力な治療法”が必要なようですな」

クリス「医師を殴るなんてね」
キャロル「だって殴りたかったから。お陰でいい気分だったわ」

ヤバラ刑事「埋めたんなら、掘れる筈だろ?」

ハーン弁護士「“放り込んだ”のではなく“送り届けた”と? 表現は関係ありませんな」
      「救えたかも知れないのに、あなたが時間を無駄にした」

※※※「公平で立派なのは、この法廷で“あの人”だけだ」
   「みんな、泣き叫んだよ」
   「もう赦しを乞う時間が残されていない・・地獄はイヤだ」
   「痛いのか?」
   「頼むから、急かさないでくれ!」
   「どうだ! 全部の“段”は踏んでないぞ!」

クリス「これでやっと、確かなものを掴んだわ」
グスタヴ「何です?」
クリス「△△よ」

追記1:劇中でチラッとセリフに挙がってたチャップリンの新作は、どうやら『サーカス(1928)』らしい! また、NYヤンキースのベイブ・ルースがホームランを量産してたのもこの時代のようだ。
追記2:印象的だった助演陣は、何と言っても「無表情な美人看護師」と「想いを切り出せぬ上司=ベン・ハリス」だろうか。どちらも1ポイント的な関わり(?)ながら、強い存在感を示してくれた。
追記3:意外に描かれてなかった「クリスの5ヵ月間」「クリスのプライベート」「クリスの夫のこと」 でも、それ故に色々と想像を刺激してくれもする。
追記4:母が子に「“ノー”じゃなく“ノーサンキュー”でしょ」と諭すシーンは印象的だった。考えたらあの2人、最も近い位置にいる「真実を知る2人」でもあったんやね。
追記5:「ここはあたしの部屋だからね!」としか言ってなかったしと。彼女に対しても、それなりにクリント監督の演技指導があったんやろか(⌒〜⌒ι)
追記6:何か間違いが起こったとき(?)は「ワッセルマン反応が陽性と出てね」とか何とか、職場で言い訳しようか(こら)
追記7:歌っていようが構わず“作動”させちゃう担当者。何だか“あの作品(2000)”でのビョークさんを思い出してしまいました(×_×)
追記8:第7回アカデミー賞(1934)は「作品賞=或る夜の出来事」「監督賞=フランク・キャプラ」「主演男優賞=クラーク・ゲーブル」「主演女優賞=クローデット・コルベール」「助演男優賞=当時は設定なし」「助演女優賞=当時は設定なし」・・つまりは『或る夜の出来事』の独占状態だったようで!
追記9:みんな言ってることだが(←みんなって誰だよ)某重要人物(カナダに逃亡してたしと)が雰囲気的にブレンダン・フレイザーそっくりだった(=^_^=) 新境地か?!(いや、だから別人だってば)

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2008年12月23日 (火)

☆『地球が静止する日』☆

23日(火曜)。
昨夜は仕事を終えてから“レクリエーション”をし、その後は地元に場所を移して、久々に“バー”へなど立ち寄ってみた☆
映画『マイアミ・バイス(2006)』で興味のわいたカクテル“モヒート”を注文したら・・「ない」とバーテンダーに一蹴され(オヨヨ、、)代わりに“ジン・リッキー”を飲むと、コレが結構回ってしまった感じ・・(で、また夜も更けての帰宅となりますた)

加え、今朝は早朝(午前5時過ぎ)に「凄まじき腹痛」に襲われ目覚めてしまった(×_×)
何かに当たったんやろか? 昨夜の宴に参加された皆さん、大丈夫やろか? と少し不安になったりも。

にしても・・粗相に至らず、ちゃんと起きることが出来、ホッとした(⌒〜⌒ι) コレが認知症入っちゃうと、自意識すらないままに、粗相しちゃうんやろな(×_×)

そんなことで、中途半端に2度寝を余儀なくされてしまい、次に目覚めたのは正午寸前だった。ああ、また遠出出来なくなったじゃん(×_×)

仕方なく、市内のご贔屓シネコン(?)“シネプレックス枚方”へとクルマで繰り出した。
プランとし「2本ハシゴ」したかったトコだが、2本の上映時間が「一部重なってしまった」ため断念し、1本目の『地球が静止する日』のみを観るにとどめた。私的には2本目の方にこそワクワクしてたんだが・・(=^_^=)

キアヌ・リーヴス&ジェニファー・コネリー最新主演作。

宇宙から“地球を救うためにやって来た”人間体のエイリアン=クラトゥ(キアヌ)が、唯一の理解者である女性宇宙生物学者(プリンストン大の教授)=ヘレン・ベントン(ジェニファー)やその義理の息子=ジェイコヴと共に「地球の静止」を食い止める手立てを探し求める、そんな展開。

本作について評したとあるブログでは「既視感の塊のような特撮映像群」みたいにコメントされてもいたが・・確かに各種ディザスター(災害)大作(?)を観慣れてしまった観客にとっては、制作側の狙った「モノ凄い映像群」も、もはやレベルが低過ぎ「マイルド」にしか映らないのではあるまいか?
ワタシ自身も「マッタリし過ぎや!」とスクリーンに心中で突っ込むこと、幾度もあった。
ハリウッド帝国の技術力&資金力をもってしても、もはや「パニック映画」ってジャンルは頭打ちであり、ひょっとすると“衰退期”に差し掛かってるんかも知れない(・ω・) ←問題は企画力の著しい欠如、か・・

冒頭では、1928年のインド・カラコルム山脈(雪山)がちょこっと描かれるが、あそこで登場するのは「DNAの素となった」彼なのであろう。
もしあの場にいたのが“もっと不細工な人間”だったらどうなってたんやろ? と興味は尽きない(⌒〜⌒ι)

ヒロインとしてのジェニファーさんと、女性国防長官=レジーナ・ジャクソンを演じたキャシー・ベイツの2大女優こそはそこそこに存在感を示してたものの、全体を眺めると・・魅力的な描き方をされてた女性キャラはおらんかったなぁ、と。
って言うか、どのキャラクターも(男優陣についても)表面的にあっさりとしか描写されてなかったように感じた。

オープニングを経ての直後は「マンハッタンに“国家の危機”が迫ってる!」なる、残り時間1:18:40のサスペンス劇が展開するんだが・・それを過ぎてからの失速ぶりが止まらない(・ω・)
加えて、見飽きた感もある“広範囲粒子飛散系CG”のほか“リアルペ※シマンのCG”が特筆すべきレベルの「失笑モノ」だった。あいつ(ゴート)だけは最後まで「CG合成感」が拭えませんですたわ。。

年末の“大作映画”を気取るにしては、ちょっとパワー不足(そもそもがアイデア不足(←リメイク版なので)だが)な1本。ま、“外宇宙のよそもん(=エイリアン)にすら愛想を尽かされる、情けなき我が地球”の姿をシニカルに眺める楽しみ(?)みたいなもんはあるだろうから、悲観も楽観もせずに、ご覧になられては如何だろうか。

〜 メモ帳 〜

【悲劇の3人】
・ダイヤモンド・ドリルの交換を命じられたしと
・フィラデルフィア近郊を走行してたトレーラー運転手のしと
・マイケルさん

【アレの予兆】
・衣服の袖や背中のあちこちが“虫食い状態”で破れ始める
・理由もなく鼻血が出て来る
・目の前のガラスに、無数の細かなヒビが有機的に走る

〜 こんなセリフもありました 〜

ヘレン「何が起こっているの?」
※「私も知らない・・“緊急事態”としか」

※「以前も(我々科学者の)招集されたことはあったが・・今回は“ごっこ”じゃないようだ」
 「1時間で(マンハッタン及びその周辺の)800万人の避難など不可能だ・・2次災害を防ぐので精一杯だ」
 「秒間3万kmの速度じゃ、2次災害対策など無意味さ・・衝突すれば、地球なんかチリだ」

女性兵「携帯ですか? ・・借りられます?」

クラトゥ「クラトゥ・バラダ・ニクト」
    「まず、この身体に慣れないと」
    「現実感がない・・異質だ」
    「以前は“違う姿”だった・・だが、それを詳しく言えば君は怖がるだろう」
    「“我々の星”? そうじゃない」
    「私は“地球の味方”だ」
    「逃げるのも戦うのもダメだ・・何をしても無駄だ」
    「1つの種のために、この星全体を犠牲には出来ない」
    「この星を※※から守らねば・・」
    「待ったが、もう限界だ・・“処置(Process)”は始まった」
    「技術的な問題じゃない、君たちの本質が問題なのだ」
    「本当の死はない・・総ては“形を変える”だけなのだ」 ←ここは重要!
    「※※には“別の面”が・・今はそう感じる」

国防長官「友好目的で(軍事衛星の)防衛網を不能にしたりはしないわ」
    「今回“劣る側の文明”は私たちよ・・滅亡か隷従の運命しかないわ」
    「あれは“方舟(アーク)”だわ・・」

イケガワ博士「(彼の存在は)『死海文書』と同じだ。この先、何世紀も研究しなければ」

老人「(地球人は)理性的な連中ではない」
  「(彼らは)破壊的な連中だ・・この先も変わることはない」

ヘレン「分かったわね!?(I'm serious!)」
   「変われるわ!(We can change!)」

ヘレン「(この曲は)バッハよ」
クラトゥ「美しい」

バーンハート博士「彼の心を変えろ、君の力で」

追記1:ジェイコヴの父=アンドリュー・ベントンは1972年の生まれ。。俺より若いじゃん・・(×_×)
追記2:クラトゥを“もっと激しく動かす”だけのシチュエーションは、地球上になんぼでも転がってた筈(・ω・)
追記3:NASAの“スペースガード計画”ってナニ?!
追記4:ちょっと胸毛のモジャッてるキアヌくん。シャガデリック!(←ハート型ではない)
追記5:カール・T・バーンハート教授(“Q”ことジョン・クリーズ演じる)。地球の運命を握る1名の筈なのに(ノーベル賞学者だし)政府に全くマークされてなかったのは何故?
追記6:森林や砂漠の動植物たちは戻って来る? もしくは盗まれたまま?
追記7:4人乗りのクルマが激しく横転⇒運転手は即死、同乗の3人は無傷・・ってこともあるんですね、、
追記8:『メン・イン・ブラック2(2002)』もそうだったが、夜間にはセントラル・パーク(NY)をウロウロせん方がイイみたいね(⌒〜⌒ι)
追記9:明らかに浴室のなさそな場所(ファーストフード店など)でも、トイレのことを「バスルーム(bathroom)」って言うんやね。

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2008年12月10日 (水)

☆『デルス・ウザーラ(1975)』☆

6日(土曜)の夜、衛星第2で放送されたクロサワ映画『デルス・ウザーラ』を観た。
青年期、その原作(探検記)を読み肝銘を受けた黒澤明が、助監督時代から映画化に向け構想を温め続けていた、とされるロシアもの。

初のカラー作品でもあった前作『どですかでん(1970)』がいわゆる“大ゴケ”し、邦画界においてかなりな苦境に立たされた彼に手を差し伸べたのが当時のソ連政府だった、と言うのは皮肉ながらも素晴らしい偶然だったように思う。

【序】
1910年、シベリア・コルフォフスカヤの開拓地。「3年前に埋めた、友人の墓」を探し、1人の男がここへやって来た。が、開拓の中で周辺の樹々は総て伐採されてしまっていた・・

【第1部】
1902年。地誌的研究のためウスリー地方にやって来た、ウラジミール・アルセーニエフ隊長率いる探査隊は、ある夜野営地に独りやって来たゴリド人の猟師=デルス・ウザーラに案内役を乞う。小柄で、ロシア語も決して流暢ではないこの男は、時に隊員たちの嘲笑を買ってしまう。
だが、デルスの言動の総ては、隊を、そしてアルセーニエフの生命を救うこととなる。
いつしか彼は、旅の中でこの小柄な猟師に尊敬の念を抱くようになる。

やがて最終目的地である、ハンカ湖周辺の探索が完了。
隊は解散、アルセーニエフも故郷ウラジオストクへ帰郷することとなる。
彼はこの“偉大なる友人”に「来ないか?」と誘うも、デルスはその申し出を断り、ただ1人森の中へと戻ってゆくのだった。

【第2部】
1907年。日露戦争が終結し、ウスリー地方の探査が再開される。
ある日、隊は密林で「ゴリド人の猟師を見た」と言う情報を得る。
懐かしさも手伝い、霧がかった深い森の中、旧友の名を呼び駆け出すアルセーニエフ隊長。そして・・それに応える「カピタン(隊長)!」の声・・
再会した2人は、もう一度デルスを隊の案内役に、旅を続けることとなる。

濁流を渡るトラブルなどを経て、更に結束を強めたかに見えた一行とデルス。
だがある日、彼は“カニガ(=森の精霊)の使い”とされる虎(アンバ)を威嚇するつもりが、誤って銃撃してしまう・・
走り去った虎の背に「わしは、何てことをした・・」と衝撃を受けるデルス。

やがて、デルス自身に大きな変調が起こる。
その身を案じたアルセーニエフは、彼を説得し、故郷ウラジオストクへと連れ帰るのだが・・それが大きな悲劇に繋がってしまうことに、アルセーニエフは気付いていなかった・・

果たして黒澤監督おん自らがメガホンを執るべき作品だったのかどうか・・ちょっと評価の難しいトコロはあるも、デルスと言う人間の魅力に溢れる1作、と言う事実にかわりはなく、退屈もせずイッキに2時間20分ほどを観た☆

私的には“冒険篇”とも言うべき【第1部】がかなり気に入った! こちらだけだと約80分程度だったと思うが、【第2部】に突入し、ドラマの流れの萎んで行ってしまう展開ともなるので「オープニング(1910年)へと繋げ、帰結させる構成」としては必要だったのだろうが、ちょっと盛り下がってしまった感は否めない(×_×)

シベリアの大自然において“サバイバル術の天才”と思われたデルスも、街に来ると「猟で得た大金は騙し取られ」たり「庭でテントはダメ、猟銃の携行はダメ、なる条例に凹まされ」たりして、実に生き辛そうであった。。

野に住む人間を都会(?)に住まわせ、快適な文明のただ中に身を置かせ、それで良いのか? と言うと決してそうではなく、却ってその者の命を縮めるだけではないのか? とか、色々と考えさせられもする。

作品的に至極まじめに作られてるこの映画であるが、唯一「??」と良く分かんなかったのは、【第2部】の半ば、隊長の眠るテントの壁(布地)に、ハッキリと映し出された「虎の動く影」であった・・!
アルセーニエフがテントを飛び出し、虎(の影)が走り去った方向に駆け付けると・・虎の姿などはなく、ただ幻影に怯えるデルスが、彼のテントの中で錯乱(?)してるような展開となるんだが、誰がどう観ても、あのシーンでは「第3者(=観客)に虎の姿を見せてる」訳で、アレが概念的なものだったのか、それとも怪現象なのか、ハッキリ言って良く分かんなかった。
あのシーンだけはある意味“ホラー的”であり、思い出すに「ゾッとしてしまう」演出でもあった。。

〜 こんなセリフもありました 〜

アルセーニエフ“自然は我々にその魅力や、時として陰惨さも見せる”
       “私は驚くべき洞察力と美しい心を持つこの男に驚嘆した”
       “自然の中で、人間は余りにも小さい”
       “彼との再会を思うと、胸は高鳴った”
       “思えばこの出来事が、次に起こる悲劇の予告だった”

デルス「撃つな、わし、人間!」
   「兵隊がやって来て、獲物を撃つから、わし、喰えない」
   「家族、天然痘で、みな死んだ」
   「お前たち(=探査隊)、子供と同じ、何も見えてない、1人で山に住んだら、すぐ死ぬ」
   「鳥、鳴き始めた、雨、すぐ止む」
   「あの人(=太陽)一番偉いが、死ぬ、我々も、みな死ぬ」
   「火、水、風、みな怒ると怖い」
   「わし(ビンを吊り下げた)ヒモ、撃つ、そしたら(落ちた)ビン、わしに呉れるか?」
   「若い人、つま先で、老人、かかとで歩く」
   「すぐ、(ここから)戻るか? わし、少し心配」
   「風、(わしらの)足跡を消す、戻ろう」
   「ここ、通ってない、違う!」
   「夜、来ると、わしら終わり」
   「たくさん草を刈る、刈らないと、わしら2人、死ぬ」
   「急げ、休むな!」
   「一緒に働いた、だから礼、要らない」 ←このセリフはイイ!
   「わし、クロテン探す、金も食物も、要らない」
   「ここに来る中国人、獣を無駄に殺す、悪い」
   「撃たれた虎、死ぬまで走る」
   「わしの鼻、眼より良く見える」
   「わし、何故、当たらない?」
   「わし、どうやって、これから生きる?」
   「この人、言葉、正しく話す」 ←蓄音機に
   「なぜ、水に、金を払う?」
   「どうして人、(窮屈な)箱の中(=家)にいられるか?」
   「街ではテントもだめ、銃を撃つのもだめ・・わし、息が詰まる」
   「わし、街、いる、苦しい・・街、出る」

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2008年12月 6日 (土)

☆『デス・レース』☆

5日(金曜)の夜。
仕事帰りに新作カーアクション(?)映画『デス・レース』を観た☆

元々は大阪市内の劇場で「コレか、もう1本の別のか」を観ようと考えてたが・・ウダウダと残業めいてる間に、共に18時半前の上映開始時間には間に合わぬ雲行きとなり、結局は地下鉄で大日駅(守口市)まで向かい“ワーナー・マイカル・シネマズ大日”にて観ることに。。
(ここのシネコン、行きは地下鉄1本でラクなんだが、帰りは1駅ぶん(15分程度?)歩き、かつ辿り着いたK阪・門真市駅が“鈍行駅”なので、ちと時間を喰われて大変である、、モノレールを使う手はあるけどネ)

花金(←何て今ドキ言うか?!)だしきっと・・と混雑を予想してたら、意外にも入場数が全然なく、驚いた(×_×) ワタシの座った列に限れば、左右を見渡しても誰も座ってなかったし。

2012年、アメリカ。
国内経済は崩壊、失業率は過去最高を記録、それに伴う犯罪者の激増と共に、全国の刑務所は何処も囚人で溢れかえった。
その結果、あらゆる刑務所は民間企業にその運営を委託された。

海に浮かぶ“ターミナル島”は近未来の合衆国を代表する大型刑務所。
そこでは、娯楽に飢えた国民のため「ローマ時代の“グラディエーター(剣闘士)ショー”の再現とも言うべき“ケージ(金網)ファイト”」が番組とし企画されるも、やがて人々(視聴者)の興味は薄れて行った。

次にターミナル島の製作したのが、所内をサーキットに見立て、囚人らを武装した改造車で暴走させる『デス・レース』なる白熱イベントだった。
生中継されるこの番組は驚異的な視聴率を記録、中でも“無敗”を誇る仮面のレーサー“フランケンシュタイン”のカリスマ性は他の選手(=囚人)の追随を許さなかった。

そんな中、レース中の大クラッシュでフランク(=フランケンシュタイン)は出走出来なくなってしまう。

視聴率の低下を恐れた(ターミナル島の)運営側は“フランクに代わる、カリスマ的なレーサー”を見つけ出すため、ある一線を越えようとさえするのだった・・

元レーサーのジェンセン・G・エイムズ(ジェイソン・ステイサム)は、既にライセンスを剥奪され、今はクルマから遠ざかった生活。とある製鋼所で慎ましく働く日々だった。
が、ある日、勤務先が突然に閉鎖。彼の手元に残されたのは2週間で120時間働いて手にした、わずか300ドルばかりの“最後の給料”のみだった。

そんな彼にも、帰宅する家はあり、そこでは愛する妻スージーと、ベビーベッドに横たわる愛娘パイパーが待っていた。
しかし、エイムズのささやかな幸せはその日、無惨にも引き裂かれてしまう。
謎の覆面の男に眠らされ、気がつくと・・そばには事切れた妻が倒れ、自身の手には血に染まったナイフが握られて・・!

こうして半年後、大いなる陰謀と運命の悪戯により、ターミナル島にエイムズは収監される。
間もなく彼は“超極悪人”と囚人らに囁かれる女所長ヘネシー(ジョアン・アレン)に「再起不能となったフランクに代わり、仮面を装着し走って貰いたい」と提案される。

5勝すれば無罪放免となるこの『デス・レース』。出走する他の囚人らの挑発を受け流しつつ、彼が選んだ“生き延びるための道”とは・・?

スカッと分かり易い流れの、一見“B級間違いなしぃぃ!”な作品なんだが、期待値を高めずに行くと・・意外にヒートアップ出来て楽しめる(=^_^=)
特にジョアンさんファンは「必見!」とも言えましょう(=^_^=) 今回は“クールな女所長役”ってことで「フルタイム将校服(?)姿」をどうにも連想してたんだが(←それだとケイト・ブランシェットさんの方が似合うのかも?)・・そうではなく、そこそこにラフさのあるハーフ・カジュアル(って言うの?)ないでたちだった。

(カメラが)ご尊顔にアップで迫ると「わ、をばさむでねべが!」と流石にビックリしちゃうんだが(すんません・・)、徹底して冷酷なキャラ設定のハズなのに、そんなに(演じよう演じようと意識した時に作られる)極悪さが漂って来ず、どちらかと言えば「カメラの回ってない時は、撮影現場で明るく笑いながら振る舞ってはったんとちゃうやろか?」的な“嬉々として演じてはる”雰囲気が感じられ、そこが最高に良かった!
「怖くない」と言おうか、それよか“スピンアウト(派生)作品”が観てみたいし! と思うような、そんな感じね。

一方、主人公のジェイソンくん。いつも通りの(?)自然体っぽい(?)キャラ造型だったんだが、とにかく数シーンで見せる「鍛え上げたマッチョなボディ」はスゴかった! ウィキで調べたら、ワタシより(どうやら)年下である事実をも知り、更にびっくり(×_×)
現時点(現世?)では「髪の量」ぐらいしか勝てるトコがないかも知れん。。(それもいつかは負けるんやろか・・)
しっかし「気の毒な男」「家族思い」みたいなキャラを好演しつつ「全身これタトゥー」ってヴィジュアルなのは(どうにも)説得力ゼロ気味ですた・・(・ω・)
(まぁ、劇中では語られぬ、色んな“やんちゃな過去”があったんでしょ)

パッと連想した作品は以下のような感じか。
色んな旧作からエッセンスを抽出⇒再構築してるっぽい印象も多々感じたが、未見ながらオリジナル版(『デス・レース2000(1975)』)に引けを取らない完成度なんじゃないか? とまで妄想してしまう。ロジャー・コーマン(オリジナル版、リメイク版ともに製作総指揮!)からすれば「このリメイク版は、大作を狙い過ぎててつまらん!」とか言ってはるかも知んないが・・

・何者かの罠にかけられた主人公が、不利な状況下で真犯人を追い詰める・・『逃亡者(1993)』『メメント(2000)』
・娯楽と称されるイベントの中、次々に殺されゆく競技者・・『バトルランナー(1987)』『グラディエーター(2000)』
・(基本は)周回する(だけの)レース展開・・『ベン・ハー(1959)』『スターウォーズ・エピソード1/ファントム・メナス(1999)』
・仮面を被ったヒーローが2つの人物を演じ分ける・・『デトロイト・メタル・シティ』(←げ!)
・向き合った2台が至近距離で撃ちまくり合う・・『007/ダイ・アナザー・デイ(2002)』
・巨大なモンスタートレーラーが牙を剥く!・・『激突!(1972)』『マッドマックス2(1981)』
・工場地帯ぽいコース設定・・『ロボコップ(1987)』

レース自体は(殆ど)間髪置かず、3回戦(=3ステージ)が行われるんだが、当初9人いたレーサーがボコボコ減って(退場して)行くのがある意味凄絶だった。あんなにアレしちゃうと次のレースまで(メンツが揃わず番組を)引っ張って行けないとも思うんだが、エエんやろか(・ω・)

劇中で一番スゴかったのは何と言ってもやっぱし“ステージ2”。視聴率を上げんがため、ヘネシー所長の粋な計らい(?)で「極悪巨大装甲車両=“戦艦(ドレッド・ノート)”」ってのが製造され、登場するんだが、こいつの破壊力がムチャクチャにスゴい! その“鬼神”のような破壊っぷり、紅蓮の炎に包まれたコースの“まさに地獄のような様相”には、ここしばらく(映画鑑賞で)感じてなかった「鼓動の高なり」を覚えますた!

因みに競技者9人は次の通り。
・マシンガン・ジョー(連勝を続ける黒人レーサー、フランクの最大のライバル)
・パチェンコ(白人同盟(?)の代表格)
・フランケンシュタイン(連勝を続ける仮面のレーサー)
・トラヴィス・コルト(ナスカー出身のドライバー)
・14K(MIT卒のインテリ東洋人)
・グリム(終身刑3回(!)の反社会的人格障害者!)
・カーソン
・サイアド
・ほか1人(失念・・)

ボディ全体を銃器&鉄板で武装しまくった各マシン。脱走されたらマズいんとちゃう?! と要らぬ心配(=^_^=)をしてたら、ちゃんと“対策”は抜かりなかった。
・管制塔(?)のヘネシー所長が「キル・スイッチ」のリモコンを持っている。不審な動きがあれば即座にエンジン停止。
・コースの数ヶ所に設置されたポイント(見た目は“マンホールのフタ”そっくり)を通過することで、武器/防具が使用可となる⇒「剣(ソードのアイコン):車載した30ミリマシンガン、ナパーム弾などの使用が可となる」「盾(シールドのアイコン):車載したスリップオイル&スモーク&撒菱(まきびし)の使用、“墓石(トゥームストーン)=リアに装着された厚さ15cmの鉄板”の切り離しが可となる」「ドクロ(頭蓋骨のアイコン):地面から“何か”が出て来る」の3種があるんだが、ヘネシーの命令1つでオン/オフされ、ポイントを通過しても使用可とならなかったりもする(×_×)
・最悪の場合、クルマに前もって“何か”を仕掛けられたりする。

マシンを駆るのは野郎の囚人ばかりだが、レース当日に(同乗し)彼らを補佐するのは別の女子刑務所から移送される“お姉ちゃん系”のナビガールたち。

マシンガン・ジョーと言う奴のナビシートはいつも野郎だったり(ゲイ対応ってこと?)、14Kと言う奴のナビガールが惨たらしく殺されたり(!)もするが、基本的に彼女らは緊急時に「シートイジェクト+パラシュート」で脱出可な立場らしい。
しかし何だ・・競技車両内はプライバシーガラスで覆われるそうなので、(レース中の)視聴率にはあんまし関係ない気もするぞ、美女軍団の起用は(・ω・)

色んな悪党どもがこれでもか的に登場する本作だが、総じて一番凶悪(?)だったのは、フランクをサポートする整備士の“コーチ”だったように思った。。
温和で総てを悟ったようなことを語る彼ながら・・「手塩にかけた自らのマシンに小細工されると、ブチ切れる性格」らしく、ラストでは「エイムズすら思いもよらぬ(筈の)ムチャクチャなこと」を平然とやってのけた。。
コーチの仲間の、リストってな大人しいオタクっぽい兄ちゃんも、怒らせると「背後から静かに忍び寄り、容赦なくぶっ刺す」タイプだったりする。。

実際、こう言う人たちが“いざ怒ったらいっちゃん怖いタイプ”なんかも知れない(×_×)

〜 こんなセリフもありました 〜

※「40年ここ(製鋼所)に勤めてるぜ・・結婚より長い」

スージー「何とかなるわ、いつもみたいに」
    「あなたのカラダに惚れて、結婚したのよ」

“威嚇なしに発砲する” ←刑務所・食堂の壁にある警告

※「こいつは何だ? 人間の食い物か?」
コーチ「オートミールだ・・恐らくな」

ヘネシー「汚い言葉が嫌いなの」
    「世間は感動に飢えているわ」
    「あなたはここで、あのケダモノたちと一生暮らすべき男かしら?」
    「神の右手が、私に力を貸して下さってる」
    「世界があなたたちの勇気に感化されることでしょう」
    「いい父親になれると本気で思っているの?」
    『舐めた真似してくれたわね・・私に逆らう奴は、絶対に生かしておかない』 ←重要なセリフ!

エイムズ「それは何だ?」
ガナー「一番大事な装備さ」 ←と言いつつ“シガーソケット”だが、、

ケース「あたしがあんたを護ったげる」
   「あんたの方が(フランクより)男前ね・・ケガさえしなけりゃ」

コーチ「黙ってろ・・マスクが(フランクと言う男を)語ってくれる」
   「ここにいる間に、世の中はすっかり変わっちまった・・
    ここは刑務所だが、少なくとも“知った世界”だからな」
   「色んな奴を見て来たが・・本当に妻を殺した男は、そんな眼で娘(の写真)を見ない」
   「耐えろ! アクセス(=視聴率)が激増すれば(“戦艦”は)引っ込む筈だ」

エイムズ「・・モンスターになってやるさ」
    「殺したい奴がいる」
    「愛する気持ちがあれば、(家族を)幸せに出来るさ」

ジョー「2度と俺のピットに入るな」
   「サヨナラ、フランキー!」
   「手前ぇとの会話で和んでるヒマはねぇ」
   「覚悟しな“イゴール”・・村人が三叉を手に、追いかけて来たぜ」

“本作のレースシーンは、プロのスタントが安全を確保した上で、慎重に撮影が行われました。
 従って、絶対に真似をしないで下さい” ←エンドロール時のテロップ ←ってか真似しねぇよ!

〜 ほかにもこんなことに気付いたり 〜

・劇中、最初に放たれた某キャラのセリフが“クソ!(Damn it!)”ってのがなかなかお行儀悪くてヨシ☆
・ターミナル島の囚人たちって余り「労役させられてる」シーンがなかったが? 案外「3食付きのお気楽な生活」だったのかも?
・テスト走行もなしに、いきなりあんな走りが出来るの? エイムズさん(ブランクもあった筈だろうに)。
・「スロースタート」「コース逆走」「レース中に停車⇒下車」「レース中に素手で殺人」などなど“前代未聞の行為”を披露してくれた“新生”フランクですた。
・終盤より。わずか1.9リットル(←確か)のガソリンでも、結構距離を走れるもんですね。もしかして“エコ走行”だった?
・ステージ1の開始時は9台 ⇒ ステージ2の開始時は6台 ⇒ これがステージ3の開始時になると・・
・“本物のフランク”は終始マスクをかぶってレースしてたが・・エイムズによれば「息苦しい」らしい。そして無論視界も悪い。・・ってことで、実力は本物の方がはるかにスゴかったと判断する。
(劇中では、どっちのキャラも多分ジェイソン君が演じてたと思うが)

追記:ヒットしたら続編、製作されんの?(=^_^=) もしアレでヘネシーさんがアレしてたら・・“戦艦”から吹っ飛ばされた看守たちも同様にみんなアレしてるってことだろうなぁ。。『ダークマン2(1994)』でピンピンしてた(前作で完全にアレした筈の)敵ボスのおっさん並みにスゴいかも知んない(⌒〜⌒ι)

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2008年12月 4日 (木)

☆『タワーリング・インフェルノ(1974)』☆

2日(火曜)の夜、衛星第2で放送されたパニックムービー『タワーリング・インフェルノ』を観た☆
未見ながら「超高層ビルで大火災が発生する」と言う大まかなストーリー(←ホンマに大まかや!)だけは知ってたので「それにしては作品時間:2時間45分とは、えらい長尺やなぁ・・」と観る前から睡魔が心配だったり。

そもそも、この日は会社の後に神戸方面まで出かける予定があったので「放送開始時間までに帰宅できないかもなぁ・・」とも考えもしたんだが(←今回は録画予約してなかった)、巧い具合に、開始10分ほど前にギリギリ帰宅出来、全篇を観る事が叶った次第である。

サンフランシスコ中心部(モンゴメリー通り)にそびえ立つ“DEタワー”は「ガラスの塔」とも呼ばれる、世界一の超高層ビルであった。
ダンカン・エンタープライズの繁栄の象徴でもあるこのビルは、ジム・ダンカン社長(ウィリアム・ホールデン)が才能に溢れた2人の男・・設計士=ダグ・ロバーツ(ポール・ニューマン)と配電の天才=ロジャー・シモンズ(リチャード・チェンバレン)にタッグを組ませ、ついに完成させたもので、今夜にも各界の名士を招いての落成記念パーティーが最上層(135階)の展望フロアで執り行われる予定であった。
ワシントン州選出の上院議員=ゲイリー・パーカー(ロバート・ボーン)、ロバート・ラムジー市長夫妻、帰郷した投資家ハーリー・クレイボーン(フレッド・アステア)らそうそうたる面々が集まる。

昼間、式典(本番)に備えての試験点灯が実施されるが、その際「配電盤のショート」が発生する。だが「センサーは異常を感知」しながらも「火災警報が発報」することはなかった。
警備員に呼ばれ駆け付けたダグは「ダウンした予備発電機」をチェックし、配線がコンジット(電線管)で覆われていない事実を知る。それはどうやらロジャーが「ダグの指定した仕様の電線を使わず、建設費を安く上げた」ことによるものだった。

ダグは「安全設備も未完成な“手抜きビル”で祝賀会を開くのは危ない」とダンカン社長に訴えるも、彼は聞く耳を持たなかった。実のところ、配線の相違もそもそもはダンカンがロジャーにコスト削減を命じ、その結果200万ドルを浮かせたものらしい。

そして彼らが気付かぬ場所・・81階の倉庫・・では、配電盤からの火花がそばの書類に飛び、炎がメラメラと燃え上がり始めていたのだった・・

何よりも一番の驚きは「手抜き工事が大火災の要因だった」と言う笑えない出火の理由だった。これって単に「昔のフィクション」のひと言では片付けられないものだと感じる・・(・ω・)

序盤こそニューマンと恋人=スーザン(フェイ・ダナウェイ)の甘い展開なども描かれるが・・パニックシーンの始まる頃には、サンフランシスコ消防署から駆け付けたマイケル・オハラハン隊長(スティーヴ・マックィーン)が存在感を示し始める。

基本的に火だるまになって倒れ伏す犠牲者より、熱気に耐え切れず高層階から身を投げる犠牲者の方が映像的には目立っており、なおかつショッキングでもあった。
中には火だるまになりつつ、結局投身する、と言う凄絶な運命を辿るキャラもいたりし、そうなった経緯には「密かに睦言に耽る余り、今や部屋のすぐ外にまで迫る紅蓮の炎に気付かなかった」と言う切なさもあった。お子さまには分からない事情には違いなかろうが、その切なさの何となく分かる(?)ワタシには、全篇を通じ最も印象的で悲劇的な展開だった(×_×)

マイク(=マイケル)がダグと連絡を取り合いながら、閉じ込められた展望階の人々(300人ほどいた、、)を知恵&勇気を振り絞って助け出す展開は、ややもすれば単調な繰り返しにも映るんだが・・アクセント的に意外なトラブルや、キャラの死などを織り交ぜ、結構な吸引力を保っていた。

高層ビルの上下階などで連絡を取り合う2人の男には後年の『ダイ・ハード(1988)』に通じるエッセンスを、危険な現場と(ひとまずは安全な)指令本部を往復するマックィーンの行動にも、同じく後年の『スピード(1994)』における主人公(キアヌ・リーヴス演じる)に通じる演出を感じた。(ついでに、屋上で救助に降りて来たヘリが爆発⇒炎上⇒墜落する展開もまた『ダイ・ハード』の後半に継承されてた気が(・ω・))

2大スター(マックィーン&ニューマン)の輝きこそは良かったが、一方で「アステア演じるキャラの意外な薄さ」「チェンバレン演じるキャラの強引ぽい退場」など、やや造型の粗いトコもあったかな、と。

何にしても「泳げぬ者が船旅をする時には、すべき覚悟がある」のと同様「飛べぬ者が高層ビルに昇る時にも、すべき覚悟がある」って戒め(真理?)を改めて耳元で囁かれた気もした本作。

最後の最後に、とある作戦で炎がイッキに鎮火する際、水流の勢いに押し流され結局は墜死しちゃったしとたちの姿を克明に思い出す度に「生き死にの運命ってのはホンマに分かんない」とため息をつき続けるワタシであろう・・(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

“世界の消防士たちに感謝を込め、本作を捧げる” ←冒頭のメッセージ

ダン「僕が君を軽く扱った時は、叱ってくれ」 ←秘密の恋人に

ダンカン「隠してる酒を出し給え」 ←バーテンに
パーカー「それはもしや1929年の?」

※「今さら、そんな“ガラス瓶”を抱えてどうする?」
バーテン「だって1929年ものですよ?」

ダンカン「ボヤ程度で騒ぐな、さっさと正装しパーティー会場へ来い」
    「残された時間など私には分からん・・ただ全員は助からんだろうね」

マイク「7階より高い場所での火事は厄介なのだ」
   「燃えると青酸ガスの出るものがある」
   「お言葉だが、火災は全て危険です」
   「何で装備は・・こんなに重いのだ」
   「犠牲者は200人を越えなかった・・だが、いつか1万人が同様のビル火災で死ぬだろう。
    私は遺体を運び続けるさ・・誰かが正しいビルの建て方を訊きに来るまではな」

ダンカン「市長に命じる気か?」
マイク「火災現場では私の方が立場が上だ」

消防士「高層ビルの火事はな・・まるで煙突の中だ!」

ダグ「いつも建築基準を言い逃れに使うんだな」 ←ダンカン社長に
  「パニックで救出カゴを失った・・もう収まったが」 ←たくさん墜死されました、、
  「いっそ、このままの姿で残してはどうだ? “世界の廃墟の象徴”として」

スーザン「私は地上であなたをただ心配するわけ?」
    「頼まれたら、北極へだって、メンドシノ岬の崖へだって行くわ」 ←カリフォルニア州にある岬

部下「(展望エレベータを支えるヘリからのワイヤーが)切れませんかね?」
マイク「・・耐えて貰わんと困る」

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2008年12月 1日 (月)

☆『トロピック・サンダー/史上最低(サイテ~)の作戦』☆

30日(日曜)。

・朝から京都市内へと繰り出し、今秋最後の(まだイケる?)紅葉を満喫しよう!
・午前中から劇場をハシゴし、映画を2〜3本「イッキ観」しよう!

など、(過ごし方の)計画だけは漠然と形成されてたが・・結局はまたも正午前まで“寝だめ”となってしまい、上記いずれの計画も瓦解してしまうのだった(×_×) ←まぁ、身体が疲れてるんなら、明日からまた仕事だし“寝だめ”でも何でもしとくべきだとは思うが(・ω・)

が、空は晴れ渡り、出かけない手はなかったので・・近場ながら市内のシネコン“シネプレックス枚方”までクルマを走らせ、新作『トロピック・サンダー/史上最低(サイテ~)の作戦』を観て来た☆
ここ最近の何となくの「しんどさ」「だるさ」を果たして“笑い”で払拭出来るのか・・妙に期待値こそは高まってしまうのだったが・・(=^_^=)

2013年以降、地球に次々と襲いかかる危機を単身救い続けるヒーローの活躍を描いた『スコーチャー』シリーズも、その後ズルズルと(=^_^=)6作目を迎え、花形男優=タグ・スピードマン(ベン・スティラー)の前途にもいよいよ暗雲が垂れ込め始めていた。
「この次がコケたら“終わり”」とも囁かれる中、再起をかけた1作『トロピック・サンダー』がクランクイン(撮影開始)される。

原作は、ベトナム戦争で両手首を失いつつ奇跡の生還を果たしたフォーリーフ・ティバック(ニック・ノルティ!)による自伝的小説『濡れた攻勢』。
(何でも、10人いた兵士のうち生還はわずか4人。そのうち自伝を執筆したのは3人。そのうち2人の作品がヒット。そのうち1人の小説の映画化だそうだ(=^_^=))

これを映像化するにあたり、プロデューサー=レス・グロスマン(トム・クルーズ!)はタグの他に『ファッティーズ』シリーズで有名な“お下品男優”ジェフ・ポートノイ(ジャック・ブラック)と、『悪魔の小路』でトビー・マグワイア(!)と共演し、熱演をみせた“なり切り男優”カーク・ラザラス(ロバート・ダウニー・Jr.)、そして清涼飲料水“ブーティ・スウェット”のCMタレントでお馴染みの若手ラッパー=アルパ・チーノ←(=^_^=)を共演させる。

監督にはマイナー系の新人=デミアン・コックバーンを起用、つまりは自分のやりたいように現場を(遠隔地から)操ろうとする彼だが・・撮影は個性派男優同士の衝突や操縦難、爆破チーフの誤爆(←200ポンド×2ヶ所の爆薬がカメラの回ってない状況で炸裂、400万ドルの損失となったらしい、、)などが相次ぎ、なかなかはかどらない。

ハッパをかけるグロスマンに、頭を抱えるデミアン。そんな彼にフォーリーフが「俳優たちを地獄に連れ出せ」と助言を与える。
そして最低限に絞り切ったスタッフ8人(←俳優5人+スタッフ3人(原作者+監督&ハンディカム撮影+ヘリ操縦&爆破チーフ=コディ))による、アジア某国・奥地を使った「ゲリラ撮影」が開始されたのだが・・

彼ら俳優が「強制収容所」と台本で教えられた施設は、実は『炎龍』なる“アジア麻薬市場の1/8を抑える密売組織”のヘロイン工場であった・・!

ベン・スティラー自身が監督&製作&脚本&主演をつとめる本作。単なるバカ映画なのかと思いきや、ハリウッドの内幕をバッシング覚悟で暴露してそうな部分や「知的障がい者」「黒人」「ベトナム人」「夜の女性」などの“切り込みにくい領域”に遠慮なく踏み込んで行ってる感があり、その意欲にまず圧倒された。
かつ、豪華キャストをかなり頑張って揃えてくれてるのにもびっくり!(ネタバレですかねぇ? まぁ集客に繋がるんならイイかな、と)

トムクルの出演(←ある意味主演級かも!(=^_^=))はスタッフ側の狙い通りのサプライズをまず与えてくれるが、それ以外にもマコノヘイ(not近衛兵)、トビマグ、ニクノル・・ラストだけだが、ジョン・ボイト氏も出て来るし!
名実共に、最も儚かったのが監督役の俳優さんだったぐらいだ(=^_^=)
展開だけを取り上げれば“王道”とも言うべき『サボテン・ブラザーズ(1986)』『ギャラクシー・クエスト(1999)』な路線なんだが、そこに絡め「演技論」「女性観」などもちりばめられ、一笑に付すには余りに勿体ない気がした!

きっと映画に詳しければ詳しい観客ほど、色んな部分に気付かされ、そして笑わされ、時にムカつかされる作品であるに違いなかろう(=^_^=)

念入りに下見しとけよ! と“事件後”に思わず突っ込める、ヘリ降下直後のシーンは必見。『ディープ・ブルー(1999)』で熱弁をふるった、サミュ・L・ジャクソンの“あの運命”をも思い起こさせる、驚きの展開だ(=^_^=) 『ダブル・チーム(1997)』のラストが好きな方も、きっと気に入ることだと思う。。(それにしても、良くトラブルなく、事前にカメラをあちこちセット出来たもんやな、、)

総じて言えば「意外と重く」「笑わされるよりも考えさせられる」作品だったような気が(私的には)したが、色んなサプライズが楽しめるので、観てソンはないかな、と思う。少なくとも「会話のネタ」にはなりますわ(=^_^=)
(ただし、スラングが余りに多いのでデート向きではないかな、と。残酷描写(映像面)よりダイレクトな性的表現(セリフ面)でのPG−12指定ではなかったんかな、と)

〜 こんなセリフもありました 〜

『スコーチャー6』より「冷蔵庫を開けたのは、誰だ?」

『ファッティーズ2』より「(屁だって)国によっちゃ“敬意の表現”だ」

『悪魔の小路』より「私は悪い子です・・神父様」 ←トビマグ君!

タグ「国に戻ったら、お手玉を教えてやるよ」
  「カウントダウンで演技を始めたくない・・“アクション”のかけ声で頼む」
  「精巧な“造り物”だが、血のりはどうせコーンシロップとジャムだ。
   (舐めて)・・ん、“血の味”の混じったコーンシロップだな・・」
  「よしカットだ! 今のシーンは予告編に使えるぜ」
  「体は縛られようとも、心は自由だ」
  「次は“拷問シーン”だな?」
  「俺が間違っていた! 早くこのクソ※を吹っ飛ばせ!」

オサイラス「隠れんぼの時間か? 見つけたぞ」
     「監督を探してるんなら・・その辺だ」 ←『ユニヴァーサル・ソルジャー(1992)』のラストみたいや。。
     「“特別な存在の女”はいるのか?」
     「頭が脱水状態で・・電解質が欲しい」
     「俳優はアスリートと同じだ」
     「こんなに星の美しい夜は、つい“人生の意義”を考えちまうな」
     「“DVDのコメント撮り”が終わるまでは作品の役になり切る主義だ」
     「『クロコダイル・ダンディー(1986)』の主人公を悪く言うな!
      彼は“祖国(=オーストラリア)の至宝”だ」
     「お前、一線を越える気か?」
     「“完璧な愚か者”を演じては、オスカー狙いは駄目だ。完璧は“禁じ手”なのだ。
      『レインマン(1988)』のダスティン・ホフマンは自閉症だが、突出した数学的才能がある。
      『フォレスト・ガンプ(1994)』の主人公はニクソンの友人だし、ピンポンの天才だ。
      『チャンス(1979)』のピーター・セラーズも幼稚なだけだ。
      『アイ・アム・サム(2001)』のショーン・ペンに訊いて見るがいい」
     「今が男になる時だ、気休めは言わねぇぞ」

ファッツ「クソが5キロも出そうなほど暑いぜ」
    「ゲロで窒息して死にたかねぇ」

ブルックリン「(飛び出した)内臓を戻さないと」
      「俺たちがジグソーパズルだとすれば、あんたは“最後の1ピース”なんだ」
      「ハリウッドは次世代ディスクを巡って2派(ブルーレイとHD DVD)
       に分かれたが、本当は技術的な差は問題じゃない。
       要は、ゲームソフト会社とポルノ産業がどちらになびくかなんだ」

コディ「撮影車両がジュディ・デンチを轢いたが、その件より深刻だ」 ←おい!
   「俺は戦場は知らないが・・指を『ドライビング・ミス・デイジー(1989)』
    の撮影中に吹き飛ばしてね」 ←爆破シーンが?
   「実を言うと、J・L・カーティスを盲目にしかけたことが」 ←こらっ!

レス「おいお前、そのマヌケ面(←監督)をぶん殴れ」
  「これからは、お前のケツの中まで監視するからな」
  「(身代金の)1億ドルなど誰が払うか。代わりにホームレスのチ※※スをくれてやる」
  「イチモツをもぎ取って、ケツに突っ込んでやろうか? ああ、君のことじゃないよ、ヘレン。
   君の場合はオッパイをもぎ取って・・」 ←言わんでええ!
  「G5(=パーソナル・ジェット機)をやろう、
   これでもう“マイルをちまちま溜める”必要はないぞ」
  「無駄に良心を膨らませ、全てをフイにする気か?」

フォーリーフ「男の価値は・・“切り取った敵の耳の数”で決まる」 ←そうなのか?
      「(寝袋じゃなく)ベッドだと、未だに悪夢を見るんでな」
      「この銃の名など知らん。だが、こいつが“人間の生命を奪う時の音”なら知ってる」

ファッツ「撮影はいつ終わる? 実はホテルにビタミン剤を忘れてね」
フォーリーフ「黙れ、ウジ虫」
デミアン「そうだ、ウジ虫」

デミアン「まずお前たちの携帯を没収する、ここに入れろ」
オサイラス「俺は持ってねぇ・・そもそも1969年に、携帯なんかあるかよ?」

タグ「俺は・・ニワトリだ!」
※「何を言ってるんだ?」

モータウン「そこのチョウ・ユンファ、動くんじゃねぇ!」

ファッツ「“ブルックリンが童貞を失う”のを見届けてから死んでやる」
※「言っとくが、ヤツは女性を知らずに死んで行く役だぜ」

リック「G5と引き替えに、15年来の友人を裏切れと?」
レス「・・そうだ」
リック「あんたに1つ訊いておきたい」
レス「何だ?」
リック「あんたの言うG5は、ジェットエンジン機のG5か?」 ←なびいてるじゃん(=^_^=)

モータウン「弾の出ねぇ銃器をいじってどうする?」
オサイラス「ガキと同じだ。不安になるとチ※※をいじるだろ?」

タグ「“世界で最も愛すべき存在”を・・殺してしまった・・!」
リック「ついに娼婦を殺したのか? よし、いいか?
    出来る限りの漂白剤と石灰をかき集めるんだ」 ←どうする気?

トラン「我々の知る、唯一の映画が『シンプル・ジャック』なのだ。
    あの主人公の演技はオスカーに値する」
タグ「それ・・VHSテープか?」

タグ「ベトコンズをやっつけようぜ!」
モータウン「それは正しくねぇ・・ベトコンに“ズ”は付かねぇぜ。
      “チャイニーズズ”なんて言うか?」

※「チ※※でクソでもほじってろ」 ←おい!
 「お前のイチモツを握り、導いてくれる娼婦を早いとこ見つけなきゃな」

〜 こんなトコロにも注目?! 〜

・常用してない人間がいきなりヘロインを嗅がされたら・・16時間程度は昏睡状態となるらしい。
・恥ずかしい垢は英語で“ディックチーズ(Dikk Cheese)”と言うらしい、、
・襲いかかって来るベトナム兵を走りながら“右手を背中に回し、腰の位置から左方向に銃撃する”オサイラス軍曹の動きがカッコ良かった!
・何度もセリフに登場する“ティーヴォ(番組録画装置)”の存在が「マクガフィン的(=サスペンスで用いられる、抽象的なアイテム・要素などを指す)」で面白い。最後までケースの中身は明かされなかったし(・ω・) 役には立ったけど、、
・“ゼリー・ビーンズ事件”以降、JB(ジャック・ブラック)の言動が数歩「引いて」しまってたような(⌒〜⌒ι)
・終盤、どんな手段で“あの助っ人”はやって来たんだろう?
・『シンプル・ジャック』『悪魔の小路』のフルヴァージョンが観たいっス(=^_^=) DVDソフトの特典に付いて来るんかな?
・M.C.ハマー、エニグマ、ベル・ビヴ・デヴォーなどの曲が使われてて良かった!
・雨の降り続くジャングルの夜。タグがiPodで観てた動画に笑わされた。ユ※チュ※ブで「映画史上最も迫力のないアクションシーン」のタイトルで紹介されてる、アレですね☆
・密林で咆哮を上げる、恐ろしい猛獣をメッタ刺しにしたら・・ここの衝撃はスゴい(=^_^=)
・歴代の「泣猿賞」受賞作に興味津々。。
・クライマックスの“爆破シーン”は『地獄の七人(1983)』に通じるかも。
・トムクルのダーティさは『マグノリア(1999)』のあの役に迫ってたかも。ダーティのみならず、解放的で、少し自己陶酔されてましたし(=^_^=) ←いつもか・・

追記1:当の本人が「駄作」と捉えている作品も、ひょっとしたら「世界の何処か」で「素晴らしい感動作」とし伝わっているかも知れない不思議・・って有り得るの?(=^_^=)
追記2:アホデミー賞は確実! かも☆

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2008年11月12日 (水)

☆『ティファニーで朝食を(1961)』☆

10日(月曜)の夜、衛星第2で放送されたものを、新聞を切りながらダラッと観た(・ω・)

ニューヨークを舞台に、自由奔放に生きつつ、やがて最後には“真実の愛”に目覚める女性=ホリー・ゴライトリー(オードリー・ヘップバーン)の姿を描いた作品。

ブレイク・エドワーズ監督が手がけたので、もっとコメディータッチな映画なんかな? と思いきや、意外と笑えなかったり、間延びした印象を受けたりもする。

本作の最大の見所は、ホリーの住むアパートの階上に居座る、怪し気な日本人(日系人?)ゲージツ家=ミスター・ユニオシ(YUNIOSHI)にこそある! と決め打ち(=^_^=)
ミッキー・ルーニーが嬉々として(?)演じてるんだが・・単に滑稽と笑うより、我々ネイティヴな(=^_^=)日本人としては、とにかく“違和感”を感じまくる訳だ。

エドワーズ監督と言えば、ピーター・セラーズ主演(?)による『ピンクの豹(1963)』以降の、いわゆる“ピンク・パンサー”シリーズが有名であるが・・考えたらあちゃらでも「加藤(ケイトー)」なる怪し気な日本人(日系人?)が動き回っており、我々はゲラゲラ笑うだけでなく、ひょっとしたらエドワーズ監督に対し、もっと怒りを露にすべきだったのかも知れない(←もう今さらエエけど・・)

オープニングから、タイトルそのまんまに「ティファニー前で朝食を食べる」ホリーの姿(←決してお行儀は良くない)を拝むことは出来る☆
何となく“このシーンだけで、全体を観るまでもなく「作品世界の表現」が事足りてる”気もしないでもないワタシ(⌒〜⌒ι)

そう言えば、ホリーとその彼氏ポール・バージャック(ジョージ・ペパード)が窓辺でヘンリー・マンシーニによる名曲“ムーン・リヴァー”をバックに佇む、みたいなシーンが中盤にあるんだが、そこのシチュエーションが後年のラブコメ作品『ニューヨークの恋人(2001)』に妙に酷似しており、記憶がこんがらがってしまった・・(×_×)

ラストでは、ホリーのとった「とある行動」に、ついに静かな怒りを爆発させたポールが、突然タクシーを降りて歩み去ってしまうのだが・・私的には、あのシーンでこそ「タクシー運転手の気の利いたひと言」をホリーに浴びせて欲しかったものだ、と。
ああ言うシーンでの、ああ言う役回りは、もっともっと突飛な使い方をしても良いと思うがなぁ(・ω・)

それにしても本作、、当時既に大女優だった(筈の)オードリーが「ショップで万引き」したり「大雨で濡れネズミ」となったりするのは、確かになかなか突飛で面白い試みだったかも知れない。

も少し彼女の「キュートな魅力」が欲しかったトコでもあるが、何にせよ“オードリー・ヘップバーンの代表作の1つ”には違いなかろう。

〜 こんなセリフもありました 〜

ホリー「お互いに貧乏で良かったわ」
   「ここ“ティファニー”は、災いとは無縁の世界ね」
   「40歳前にダイヤを付けるなんて悪趣味よ・・それまで待つとするわ」
   「誰を(夫に)選んだって構わないのなら・・ネールかシュバイツァー、或いはバーンスタインね」
   「私は束縛されない・・決して誰のものでもないわ」

ポール「現実の人間は、互いに求め合い、愛し合うものだ・・幸せを掴むためにね」

ティファニーの店員「時が流れても変わらぬ物には、温かな気持ちを覚えます」 ←このしと、かなり美味しいポジションです(=^_^=)

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2008年11月 1日 (土)

☆『ドーン・オブ・ザ・デッド(2004)』☆

26日(日曜)の夜に鑑賞。その少し前(23日)“木曜洋画劇場”で地上波初放送されたモノを録画しておいたのだった。
サラ・ポーリー演じる看護師アナがある朝、突然に叩き込まれる“非日常なゾンビ世界”の物語(地獄絵巻とも言う、、)。
監督が『300(2007)』のザック・スナイダーってことで、スタイリッシュ&スピーディーな映像美を期待したが・・フツーの“ゾンビ映画”の域は特に脱し切れてなかったかな、と(・ω・)

オリジナルがジョージ・A・ロメロ監督による佳作『ゾンビ(1978)』ってことで、その展開までもがほぼ一緒だったんだが、、ゾンビと言えば・・ショッピングモール! って感じで即座に連想されるロケーションでもあるモール(CROSS ROADS MALL)が、開始後15分で(早くも)登場したのには「ぐぇぇ〜!」と正直思ってしまった。こっからがなっかなかロケ移動しないんだよなぁ〜(⌒〜⌒ι)

前半に少しだけ「街の外でも、全米規模で大変な事態になっとる!」ってことがTV報道されるんだが、それも間もなく放送中止(?)となり、ゾンビ共の出没した原因も、軍部による対策とかも、何にも分かんないままだった(×_×)

確か原作では、地球にほど近い(?)惑星の爆発による影響で(宇宙線の照射か?)死者が蘇った、みたいなムチャクチャな理由付けがそれなりになされてたように記憶してるが。。
(本作では“原因不明の病原体に感染した”ことがそもそもの(ゾンビ化の)発端らしいが、詳しくは分かんない)

へっぽこな群像劇風でもある本作。アナに序盤から合流する、警官ケネス(ヴィング・レイムス)、アンドレ&マイケル&ルダ(アンドレの嫁さん)・・などそれぞれに職業観や人生観などがあるんだろうけど、どのキャラもそんなに深くは描かれず、従って輝きも放っておらず、誰がいつ死んでもおかしくないし、誰がいつ死んでも気にはならないレベルのキャラ造形であった(⌒〜⌒ι)

モールに場所移動してからの展開がホンマにダラダラしてたんだが、序盤などで披露される「アナの乗るクルマの疾走を、フロントやリアから捉えた大胆かつ躍動的なショット」「上空から街の“異変”を淡々と俯瞰する映像」などはそこそこに個性があって良かったかも。

さて。我々が、ゾンビが現れた時(=^_^=)のために覚えておくべきは、
・ヤツらは集団で走って来る!
・ヤツらは犬には反応しない!
・ヤツらのアタマを破壊すると殺せる(←“殺せる”ってのも表現的におかしい・・)
・ヤツらは運転出来ない
・ヤツらに咬まれると、数時間(目安は5時間)で死を迎え、死んだ直後にゾンビ化してしまう

などのポイントだろうか。私的には「今後もリメイクされることがあれば、次は“泳ぐ(エイリアン系)”か“飛ぶ(ロボコップ系)”かどっちかなんだろうなぁ」と予想してしまったりも(=^_^=)

アナが凛々し過ぎ、と言おうか、序盤で(旦那の)ルイスと別れ、終盤で新恋人(?)のマイケルと別れる運命にさらされるんだが、そんなに悲しみが伝わって来なかった。

ゾンビ好きには堪えられないタイプの作品(=^_^=)なんだろうけど、ゾンビネタ以外の演出や物語がつまらな過ぎて、困ってしまった。ラストもTV版独自のモノなのか、良く分かんないまま終わって行ったし・・
少なくとも、ワタシの中では“死ぬまでに観たい10の映画”には、全くノミネートされませぇん(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

アナ「何故“彼ら”は此処(=モール)に来るの?」
ケネス「生前の記憶か、本能だ」

教祖「兄弟よ、神は貴方がたを裁いておられます。貴方の信仰が今、問われているのです。
   地獄が多くの死者で溢れた時“彼ら”が地上を歩き始めます」

アンドレ「これが“最期の審判”ってヤツか?」
    「もし神がいるのなら・・俺にも生き方を変えるチャンスを、与えて欲しい」

ケネス「パスター基地では、みんな死んだのか?」
スティーヴ「“生きてる人間”はな」

スティーヴ「危機に臨み、人の絆の美しき哉」

ケネス“待っても、助けは来ないぞ”
アンディ“それが驚くようなことか?”

フランク「生きることは、素晴らしい・・そう信じたい」

マイケル「これまでで最悪の仕事だったのは“夫”業かな?」
※「それって、仕事じゃないわよ」
※「仕事だよ」
マイケル「そして、最良の仕事は・・“父親”業だ」

ケネス「死ねば・・“生きてるより恐ろしい世界”が待ってると分かった」

マイケル「此処でしばらく頑張って・・日の出を眺めるよ」

追記:“ゾンビのやっつけ方”について、TVで郡保安官のケイヒルっちぅおっつぁんが「アタマを撃って倒せ、そして火をかけて灰にしちまえ!」と丁寧に(?)ガイドしてくれてたが、私的には『バタリアン2(1987)』の後半で発見(?)された“とっておきの撃退法”で彼らを一網打尽に出来たんじゃないか? 少なくとも試してみる価値はあったんじゃないか? と感じたものだ。

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2008年10月25日 (土)

☆『ダイヤモンド・イン・パラダイス(2004)』☆

24日(金曜)の夜。「金曜ロードショー」で“地上波初”として放送された『ダイヤモンド・イン・パラダイス』を観た。
正直、全然予備知識がなく「ピアーズ・ブロスナン主演ってことで・・『トーマス・クラウン・アフェアー(1999)』の続編みたいなもんかな?」ぐらいしか考えておらず、やる気もないままに観始めたんだが・・終盤での“どんでん返し”が小気味良く、意外にも「観といて良かった〜」とワタシに言わせしむる1作であった(・ω・)

カリブ海に浮かぶ某リゾート・アイランド。ここに、半年前(?)“第2のナポレオン・ダイヤ”の強奪にまんまと成功した大泥棒=マックス・バデット(ブロスナン)とその恋人ローラ(サルマ・ハエック)が暮していた。
“第2のダイヤ”を盗み出す際、7年前(“第1のダイヤ”強奪時)から彼らを追っていたFBI捜査官=スタンリー・ロイド(ウディ・ハレルソン)に撃たれたマックスは、ローラにも口では“引退”を告げてはいたが・・奇しくも島には“第3のダイヤ”の展示施設を擁する豪華客船「セブン・シーズ・ナビゲータ号」が入港し、数日間停泊すると言う。

そしてマックスを追って、島にスタンリー捜査官がやって来る。彼は地元警察の女性刑事=ソフィーとタッグを組み、マックス&ローラの動きを監視し始める。

“引退”を半公言するマックスに接触して来た男がもう1人・・デトロイト出身の“島一番の悪党”ヘンリー・ムーア(=仏語だとアンリ・モレー)(ドン・チードル)である。
ダイヤを盗み出してくれ、と持ちかけるムーア。その(マックスが動き出す)チャンスを逃すまじ、と眼を光らせるスタンリー。
狙いが“第3のダイヤ”にあったからこそ、恋人はこの島に移って来たのでは? と疑い始めるローラ。

そして客船が間もなく出航すると言う最後の夜、展示室に忍び寄る覆面の男の姿があった・・

監督が“コンビもん”を得意とする(?)ブレット・ラトナー。
メインとなる2人が“ブロスナン&サルマ”から次第に“ブロスナン&ハレルソン”へとシフトして行く辺りで「ん? なんか方向性が変になって来たぞ?」と不安の高まって来たワタシ(⌒〜⌒ι) 製作陣も次第に悪ノリを加速させたか(?)作品世界がだんだん緊張感を失ってゆく・・
「んん? 野郎2人によるコメディものだったか?」とも思わされたんだが、、終盤でテンポの良い“どんでん返し”が2発続き「お、緩んでるだけの作品やなかったんやな〜!」と少し感心させられてしまったものだ(⌒〜⌒ι)
ってことで“一見ダレてそな作品”でも、頑張って最後まで観てみるもんやな、と。
(なお、序盤の“フリ”が終盤でも“オチ”にしっかり繋がっており、笑わされた)

オープニングでいきなしブロスナンが胸(?)を撃たれて倒れ込むもんで・・てっきり「M・ナイト・シャマラン監督系かよっ?!」と思ってしまったが・・そう言う“安直な脚本”でもなくて安心した(=^_^=)

ハッキリ言って「一見ゆるい」物語なんだが、観ておく価値はある作品、と評したい(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

マックス「ここへ来る前は、フィリピンで工場を経営していたよ・・現地の子供らをこきつかってね」
    「雨の日でも、傘なんか要らんよ」
    「泥棒は最後に捕まるだろうが・・それは“予想とは違う”男だ」
    「一説によると・・誘惑を追い払うには“屈する”のが一番だそうだ」
    「ふと“やり残したことがある”と思ったことは?」
    「そんな“傘の付いたカクテル”なんか飲むな」 ←“レモラ”なるドリンク
    「もっと離れて尾行しないと・・“転送電話”がバレるぞ」
    「負けるときもある、か」

ローラ「あなたは今日まで“失点なし”でゲームに勝ち続けた・・けど今が潮時よ」
   「“世界一美しい宝石”だって、お風呂でこんな風には楽しめないわ♡」
   「あなたは確かに最高の泥棒よ・・でも最低の男!」

スタン「最後に笑うものこそが、勝者だ」
   「世の中の人間は“夕陽の好きな人間”と“そうでない人間”の2種類に分かれる」
   「1日の終わりにのんびりと夕陽を楽しめる・・そんな人生こそが幸せなんだ」
   「人生の終わりに“山ほどの財産”と“山ほどの後悔”を抱えて死んでゆくんだよ、お前のような人間はな」

スタン「笑顔が素敵だな」
ソフィー「あなたには見せてない」

マックス「何で小声なんだ?」
スタン「サメに聞かれるだろ!」

追記1:『ノーカントリー(2007)』では、帽子を終始(?)かぶりっぱなしだったハレルソン。本作でその理由が何となく掴めた(×_×)
追記2:ドン・チードルの“キャラの落差”がモノ凄いため、本作の鑑賞前に『ホテル・ルワンダ(2004)』を観るのはやめといた方が良かろう(⌒〜⌒ι)
追記3:中盤に登場する「サメ」が何とも作りもんっぽかった(=^_^=) ←きっとコメディ狙いなんだろ
追伸4:「拳銃所持の認められた国」に住む以上、ある意味「防弾着」着用は常識と言えるのかも。
追記5:序盤、ローラによる“変装”がなかなかに素敵&完璧だった。あの“変装”をもっとバンバン演出面で取り入れて欲しかったッス!

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2008年9月10日 (水)

☆『チップス先生さようなら(1969)』☆

8日(月曜)の夜、衛星第2放送でやってたモノを鑑賞。
今週のBS2は“ミュージカル系”が続くみたいだ(?) 楽しみだなぁ〜♪
だけンど、ミュージカル系作品って、総じて長尺なんだよなぁ・・(×_×)

そんな特集のオープニングを飾る(?)『チップス先生さようなら』は、1920年代〜40年代にかけ、イギリスの全寮制男子校「ブルックフィールド校」で教鞭を振るった(←と言っても体罰教師ではない、、)アーサー・チッピング教師の半生を描いた大河ドラマである。

主演は『アラビアのロレンス(1962)』『おしゃれ泥棒(1966)』(←両作ともに未見、、)で有名なピーター・オトゥール。近年では『トロイ(2004)』でヘクトル(エリック・バナ)&パリス(オーランド・ブルーム)両王子の父=プリアモスを演じてられたアカデミー男優。
今でこそすっかりおぢぃちゃんなんだが、当時のオトゥール氏ってば「上品」「長身」「魅力的」で素晴らしかった!
ウィキペディア情報(プロフィール)によると身長188cmってことで、確かに周囲の俳優陣を圧倒する存在感ですた(・ω・)

1924年。“古典の権威”と呼ばれる「旧弊で堅物な男」チッピングは、有力者の息子に便宜をはかる同僚バクスターとは対照的に「午後一番でテニスの選手権を控えた生徒(サタウィック君)に対し、正午の終業ベルが鳴り終わる迄、決して教室から出さない」と言った“徹底した指導”をする教師。「例え嫌われても、彼らに教えなければならない」との持論に従う彼には「休暇に遺跡を散策する」程度の趣味しかなく、浮いたハナシもこれまでに一切なき人物だった。

そんな彼が運命的な出会い(と彼自身は当初考えてなかったが)を果たしたのが、年下の喜劇女優=キャサリン・ブリッジス(本名:キャサリン・ブリスキット)嬢であった。ロンドンの「サボイホテル」で友人を介したちぐはぐな初対面をし、旅先のポンペイ遺跡で再び邂逅を果たして以降、彼らは急接近し、やがて結ばれることに。

が、紳士然としたチッピングとは正反対の、キャサリンの“奔放な性格”はブルックフィールドの教員らには評判が悪い。
そんなある日、同僚らの話す「教師夫人があのようないかがわしい女性とは・・」なる中傷を偶然耳にしてしまったキャサリンは、驚き&悲しみの余り、追いかける夫を振り払ってクルマで逃げてしまうのだった。

♪私には君が全て などと調子良く歌ったりし(=^_^=)、やがて2人は元の鞘に戻るが、折しも世界は台頭するナチスの脅威に揺れ始めるのだった。やがてイギリス上空にもドイツ軍の爆撃機が飛来するような時代となる。

1939年。一度の挫折を経て、ついにブルックフィールド校長への就任を打診されたチッピング。喜びに走り出し、妻に報告しようとするも・・時既に遅く、彼女は慰問のお芝居(喜劇)をするため、校庭を横切る車上の人となっていた。
「遂に校長に決まったぞ!」と叫ぶ夫に「何? 聞こえない! 帰ってから聞かせて!」と言い残して走り去るキャサリンだったが、それが彼女との最後の会話になろうとは、知る由もないチッピングであった・・

学校を舞台とした1人の教師の人生を描く・・ってことで連想したのは『陽のあたる教室(1995)』や『いまを生きる(1989)』であったが、実際に観てみると教壇で生徒を教えるシーンは「序盤&後半」に固められ、前半〜後半にかけての大部分はチッピングとキャサリンの(長きに渡る)プライベートな恋愛模様が丁寧になぞられてた感がある。

最初こそ「蓮っ葉そうやなぁ」と感じてたキャサリンのキャラが、結婚生活15年を経て、誰も文句を言えぬような「上品で落ち着いた、素晴らしい夫人ぶり」となるのは良かった。

後半に「出征を控えたある学生がキャサリンに片想いし、それに対し露骨に不愉快になるチッピング」ってエピソードが盛り込まれてたが、確かに魅惑的な年上の(かなりだが、、)女性に映ったことだろう。私的には『スカウト(1994)』におけるダイアン・ウィーストさんみたいな雰囲気を覚えたか(⌒〜⌒ι)

それにしても・・往年のミュージカル(特に欧州が舞台のモノ)では、かなりの割合で「開戦&ナチスの脅威」が背景に描かれるものだなぁ、と。それらはやはりドラマで用いられるべきネタの“王者格”と言えるのかもしれない(・ω・)

それと・・終盤でサタウィック少年が再びチッピングの前に現れ、少し会話を交わすシーンがあるが、そこで老人に「テニスの試合はどうかね?」などと問われた彼が「僕はテニスをしません。父はブルックフィールドの生徒ではなかったので、きっと祖父のことを仰っていると思いますが・・祖父は既に亡くなりました」などと答えるセリフは衝撃的であった!
一体“老チッピング”ってばラストで何歳の設定だったんやろか?!(あと西暦何年なんや?!)

〜 こんなセリフもありました 〜

チッピング「君を教室に足止めする権利ならある、教師である私にはね」
     「潮風は傷心の薬です」
     「足をくじいて担架に乗る前に、慎重を心がけるのが大事です」
     「“世界最高”は買いかぶり過ぎです、私は“権威の1人”に過ぎません」
     「生徒たちへの愛だけは、彼らに伝えたい」
     「厚顔な相手には、私も礼儀を棄てますぞ」
     「“愛”と言う言葉なら、どの辞書にだって載っている」
     「死んだと思えた言葉が生き返ることがある」
     「どんな(時代の)変化の波も、この老人の記憶を変えることなど出来ない」
     「今ここにいるままの諸君を忘れはしない、その姿が私の老後の慰めとなる、故に我々に別れはないのです」
     「礼儀と規律は教えた、教師にとってこれほど大事な“教えるべきこと”は他にあるまい?」
     「近頃の物理熱は相当なものだな」

キャサリン「舞台が嫌いな俳優もいるでしょう? 海が嫌いな船長がいるように」
     「どんな時も相手の立場を思うのね、あなたは」

チップス「私は滑稽ですか?」
キャサリン「あなたの人柄が私を楽しくさせるの、温かいのよ」

キャサリン「あなた、私が好きなのね?」
チップス「ジョークとしては平凡ですが、私の好みには合います」

チップス「愛は永遠だと?」
キャサリン「そう信じてるわ」

チップス「結婚によって君から多くを取り上げたね」
キャサリン「何を?」

アーシュラ「傷心にはシャンパンがいいわ」

マックス「性格と相性は容姿以上に大事だぞ」
    「君の何処が“冷血”だよ」
    「彼ら(ナチス)は容赦などしない、不幸な時代になって来た。
     そうは思わないか? ・・君ら英国人には分からないか」

校長「彼ら(生徒)を見ていると、年を取るのが恨めしい」

〜 こんな歌詞も印象的ですた 〜

♪時は子どもを老いさせる、彼らの気づかぬ間に(チッピング)

♪あなたが微笑み、私が微笑む、それが愛なの(キャサリン)

♪私たちは老いるほどに寄り添う、あなたと私だけにそれが出来る(キャサリン)

追記1:子どもを愛してやまなかったチッピング夫妻が「子宝に恵まれなかった」ことは恐ろしい皮肉にも思えた。
追記2:劇中で“チップス”なる愛称の使用を唯一許していた相手が妻キャサリンであった。そう考えると、本作のタイトルに愛称“チップス”が用いられてるのには不思議な感がある。

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2008年8月14日 (木)

☆『ダークナイト』☆

11日(月曜)。仕事帰りに「1本行っとこう!」と軽い気持ちで鑑賞したのが、公開前から期待してた1作『ダークナイト』だった。

しかし・・予想以上に「重くて」「暗くて」「“守り”の物語で」「“繋ぎ”の物語で」「長くて」・・とマイナス的な要素が強く、思ったほどの“爽快感(←これはワタシにとっての判断基準で、一般に言う「作風」とは別)”が得られなかったのは残念だった(・ω・)
特に後半の約1時間は膀胱がパンパン状態で破裂しそう(う。失礼、、)になり「もう、この辺でエエですやんか~」的な呟きが心の中で漏れ続けたのも事実だった。。
(さながら“腹部に埋め込まれた携帯電話”のように痛みますた・・)

シカゴに似た大都市“ゴッサム・シティ”では「ならず者の自警市民の代表格」と称されるダークヒーロー“バットマン”が、人々の眼に届かぬ“影の部分”で、悪の手から街を守り続けていた。

中小規模の悪党退治には活躍の冴え渡る彼であるも・・街を裏で牛耳ているマフィア(ファルコーネの一味)や怪し気なアジア系ハイテク企業(香港に本拠を構えるラウ社)にはなかなか決定的な鉄槌が下せず、戦いは長期化の様相を呈していた。

そんな中、街に“光の騎士”と“混乱の使者”がほぼ時を同じくして現れる。
前者は正義感に燃える新任の地方検事=ハーヴェイ・デント(アーロン・エッカート)、後者はピエロメイクで相手を脅かす狂人的犯罪者=ジョーカー(ヒース・レジャー)である。

手始めにゴッサムの大手銀行を鮮やかに襲撃したジョーカー(率いる一味)は、その勢いでマフィアとラウ社を挑発、次にバットマン襲撃&ゴッサムの要人殺害と言った大胆な計画を次々と実行してゆく。

我らがバットマンは・・と言えば、はびこるマフィアを根絶すべく、まず香港に逃げ帰ったラウ社長を連れ戻し、ゴッサム市警に引き渡す。その活躍に応えるかのようにハーヴェイはマフィアの幹部=サルヴァトーレ・マローニを摘発、彼ら2人のタッグには縁の下の(?)協力者=ゴッサム市警のジム・ゴードン警部補(大物俳優G.Oこと(=^_^=)ゲイリー・オールドマン)も唸るしかなかった。

だが、そこにマフィアと手を組んだジョーカーが現れ“にせ”バットマン(既にゴッサムにはバットマンを模倣する市民が多数存在し、好き勝手に(=^_^=)正義の拳を振りかざしていた)の“見せしめ的”な殺害を皮切りに、街の要人の同時殺害を予告する。そこには市警のローブ本部長のほか、あろうことかハーヴェイの名も含まれていた。

ジョーカーは予告通り、的確に要人を襲撃してゆく。

次なる標的がガルシア市長であることに気付いたバットマン&ゴードンは辛うじてその暗殺を阻止するも・・それはジョーカーの仕組んだ数々の“悲劇”と、そしてバットマン&ゴッサム市民に突き付けられた“大いなる選択”の始まりに過ぎなかった・・!

良くも悪くも、前作『バットマン/ビギンズ(2005)』で積み上げた数々の“作品世界を構成する要素”を自ら解体&再構築してた印象を随分と受けた本作。細かい部分で「台無し」になってしまった要素や、どうにも冗長な構成など、監督以下の製作陣がかなりアタマを悩ませながら何とか脚本を練り上げた作品、と私的には感じる。

本作は惜しくも、今後の活躍の期待された若手男優ヒース・レジャーの遺作であり、狙ってか狙わずか、そこも(悲劇ながら)PRの1つになっているのだが、確かに作品全体を覆うジョーカーの存在感は絶大だった(悲しくも、彼の“素顔(ノーメイク)”は結局、劇中では拝めなかったが・・)。

バットマン=ブルース・ウェイン卿(クリスチャン・ベール)は、アクションシーンを一手に引き受け「画面狭し」と動き回ってくれるモノの、総じて存在感が希薄、と言おうか“クリスチャン・ベール”でなくとも(他の男優でも)務まる気もした(⌒~⌒ι)

本シリーズに限ってはブルースを取り巻く人々・・執事アルフレッド(マイケル・ケイン)、副官ルーシャス・フォックス(モーガン・フリーマン)、ゴードン、そしてヒロインであるレイチェル・ドーズ(マギー・ギレンホール)を演じる人々こそが重要に思う。
そんな訳で『ビギンズ』でレイチェルを演じた女優さん(ケイティ・ホームズ)が交代してしまったのは残念だし、心の何処かで「今回(のヒロイン)はミスキャストだったんでは?」とも感じてしまった。

シリーズの続編とし「原作が持つ物語本来の重厚さ(?)」を尊重したためか、前作に比べ“遊びの部分”が殆どなく、ジョーカーなる“終始ニヤついた悪党”がほぼ全篇に渡りスクリーンを騒がせる割に・・全くと言って良いほど「笑えるシーン」の設けられてなかったことも「重苦しさ」「閉鎖感」に輪をかけてしまっていたようだ。

んではザラッと感じたことを列挙してみたい。

・前作での「殺しはしないが、助けもしない」ちぅ“バットマン精神”がやや破られてた(2度もジョーカーを葬り去る機を逃した)
・前シリーズ(1989)でジョーカー(ジャック・ニコルソン)の放った「月光の下で悪魔と踊ったことがあるかい?」に迫る“決めゼリフ”がなかった(←文字通り“殺し文句?”)
・メディア(報道陣)不在だったゴッサム。個性的な「記者キャラ」の全く登場しなかったのが残念、、
・ウェイン産業ほどの大企業なのに「医療部門」すらないのか?(会長おん自らキズを縫合するのもどうかと・・)
・武器&爆薬の調達はどうやったんだ、ジョーカー?(あの爆薬に関する専門知識はどこで修得した?)
・ヒロインはキャリー・フィッシャー似だったような・・(⌒〜⌒ι)
・主人公の“嫉妬心&喪失感”が殆ど描かれず、感情移入も出来なかった・・『リベリオン(2002)』と比べても全然ベール君の言動の厚みが違う、、
・バットマンとゴッサム市民の間に、妙な距離感が。。『スパイダーマン2(2004)』のように「ヒーローをかばおうとする市民ら」を描いたり、終盤でジョーカーと群衆を直接“論戦”させても良かったかと思う(考えたら、殆ど市民と直に向かい合わず、遠隔操作ばかりやってた印象の強いジョーカー、、実は対人恐怖症だったか?)
・マフィア組織、ラウ産業、ジョーカーの部下らに描き込みが足りなかった。
・昼間のゴッサムの情景(空撮など)に幻滅・・あれじゃただのシカゴじゃん(=^_^=)
・香港に出張しイーサン・ハントばり(=^_^=)の“高層ビル潜入”をするバットマンの行動に違和感・・
・終盤に登場する“あの少年”がいずれ(バットマンの相棒)ロビンとなるのか?
・ゴッサムの医療レベルの低さに驚愕!(特に熱傷の処置)
・冒頭は『ビバリーヒルズ・コップ2(1987)』で幕を明け、中盤では『バンテージ・ポイント(2008)』ぽい演出をやってた(=^_^=)
・(バットマンによる)囚われたデントの救出作業は余りにお粗末だったのでは? その後、彼を見舞いもしなかったし(デント自身が面会を断ったか?)
・強烈なメイクで存在の際立ってたヒースくん。しかしあの倒錯的な女装(ナースプレイ)はさぞ苦痛だったのでは?
・続編でのジョーカーはどう描く? (やや似てる系の)マーク・ウォールバーグ氏を起用か?
・「銀行を“自警”してる組織(マフィア)」って演出は面白い!
・前作で完全に発狂したと思ってたスケアクロウ(キリアン・マーフィー)の回復が喜ばしかった☆(あっけないが)
・今回“理由”あってバットケーブ(洞窟)は登場せず・・製作費の問題もあったか?(⌒〜⌒ι)
・研究開発部の機密事項をネタにフォックス社長をゆすってたチンケな悪党リースくん。キミにはキミなりの“愛社精神”が備わっていたと言うことか?
・「砕け散った弾丸の破片を再生⇒指紋を検出」とか「市内の全携帯から1つの回線を探し出すシステム」なんかは面白かった。
・ジョーカーの語りたがる“キズに秘められた物語”・・私的には「単に自分で切ったんでは?」と想像するが?(ハンニバル・レクター博士にそそのかされたんかも(=^_^=))
・「プルイットビル」ってどんなビルなんだ? 引っ張るのん?
・リース君が容易く知り、ジョーカーが遂に見破れなかったバットマンの正体って・・(・ω・)
・ゴッサム総合病院の完全爆破シーン(空撮風CGか?)は流石に圧巻だった!
・“バットポッド”が左右に連なった車列のドアミラー群を火花を上げて擦りつつ、疾走するシチュエーションはなかなかカッコいい!
・いつかは「シアワセを掴んで欲しい」エッカートさん。『ベティ・サイズモア(2000)』では頭皮を剥がされ惨殺されてますたし・・あの顎の具合からするに、立派に主役級の顔立ちと思うんだが・・(⌒~⌒ι)
・「市長襲撃シーンでのゴードン」「高層ビルから転落したレイチェルの救出」・・と“ネタ”が続くので、その後の「悲劇」がにわかに信じられなかった。“観客だまし”ばっかしやってると、本当に描きたい悲劇や衝撃の印象もがすっかり薄まってしまうんではなかろうか。。
・終盤の「連続拳銃殺人」の容疑者への結び付けは余りに強引ではないか? それなら「トゥーフェイスがやったこと」としつつ「逃走したトゥーフェイスを追跡中」と報道した方が、誰もが納得するんでは?
・警察署内で「電話を架けさせろ」と要求するジョーカー。いざ携帯を受け取って「圏外表示」「バッテリー切れ」だったらどうする気だったんだ?(=^_^=) ←『トゥルーライズ(1994)』でハンディカム撮影してた手下みたいだ(=^_^=)
・真のワル(悪党)は「ヒーローに重大な選択を迫るモノ」と言うことに気付かされた。『スーパーマン(1978)』のレックス・ルーサー(ジーン・ハックマン)も『スパイダーマン(2002)』のグリーンゴブリン(ウィレム・デフォー)も“2ヶ所同時攻撃”を身上としていたようだ(・ω・)

〜 こんなセリフもありました 〜

ジョーカー「死ぬような目に遭ってみな・・こんな風にイカレちまうのさ」
     「その“しかめっ面”を、このオレが笑顔にしてやるぜ」
     「お前が欠けたら、オレは生きていけない・・お前もオレも所詮は“化け物”なんだからな」
     「銃だと速過ぎてじっくり味わえない・・殺され行く人間の感情、そいつの本性は・・
      それをじっくり味わうにはナイフを使うに限る」
     「お前はルールでがんじがらめだな? たまにはルールを破ってみろ」
     「狂気ってものはまるで重力だ、軽くひと押ししてやりゃ・・たちまち真っ逆さまさ」
     「相手を権力で支配しようなんざ、バカげてる」

バットマン「ニセモノめ、オレは“ホッケーの防具”など身に付けん!」
     「悪党1人より、組織の摘発が先だ」

ブルース「この痛みは・・自分への戒めだ」
    「ハイテク社長には、人との触れ合いこそが必要だ」

ジョーカー「この頬の“キズの物語”を聞いたことは?」
バットマン「知らん・・だがお前は“新しいキズ”を作れ!」

銀行員「お前、盗もうとしてるのが誰のカネだか分かってるのか?」

ブルース「バットマンに“限界”などない」
アルフレッド「しかし、あなたにはある」

ブルース「飛び降りた後、もう一度(飛行機の)機内に戻るには?」
アルフレッド「それにはチケットを買って下さい」

ブルース「奴らは一線を超えた」
アルフレッド「だが、(彼らに一線を)超えさせたのはあなたですぞ」

デント「決めたのはコインだが、コインで運を引き寄せたのは僕だ」
   「夜明け前は、最も暗い」
   「問題は狂犬を放ったヤツだ、そいつが一番悪い」
   「最愛の人に“大丈夫じゃない局面”で「大丈夫だ」と言ったことが?」
   「万人に公平なのは“運”だけだ」

ゴードン「関係者が増えると・・腐敗も起こる」

フォックス「そこはビジネスマンとしてご理解を」
     「山の方が視界が利きますな」

ガルシア市長「“財布を軽くされた連中”の報復がすぐに始まるぞ」

アルフレッド「少しお酔いになられては?」
      「屈辱に耐えるのです、そして他の人間には下せない決断を・・正しい決断を」
      「山賊を捕まえるには・・森を焼くことです」
      「悪党の顔に唾する限り、犠牲者もまた必ず出ましょう」

ローブ本部長「実は立場上、良く脅迫を受けるのだ・・そんな時の対処法がコレだ」←酒かよっ!

レイチェル「自分の運をコイン任せにしないで」

刑事「あんた、死んだんじゃ?!」
トゥーフェイス「・・半分だけな」

トゥーフェイス「さぁ、最愛の者にウソをつけ!」

追記1:ランボルギーニほぼ全壊!勿体ないなぁ・・
追記2:終わり方の“投げっぱなし”っぽいトコロは『ロボコップ2(1990)』にも似た後味を覚えた(・ω・)
追記3:観終わってからしばらく「喋る時、舌をペロッと出すクセ」がついてしまった(⌒〜⌒ι) ヤバいヤバい。。

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2008年7月 6日 (日)

☆『ドラムライン(2002)』☆

2日(水曜)の夜、衛星第2ちゃんねるで放送されたモノを鑑賞。ドラムに青春をかける若者の映画、と言う大まかな筋は掴んでいたが、ここまで閉鎖的な(校内の)ハナシとは知らなかった(⌒〜⌒ι)
まぁでも、ワタシは楽器の中で一番好きなのが“打楽器系”であり、劇中でセリフ内に登場するアーティストや、演奏されるレパートリーの幾つか(いずれもソウル&ファンク路線!)には「おっ!」と思わされるモノがあった☆ そう言う意味では、観てソンはしなかった映画だったかな。

デヴォン・マイルス(ニック・キャノン)は母と離れて故郷の町を出、アトランタの「A&T大」へ進学する。ここは「モーリス・ブラウン大」と双璧を成す“マーチング・バンド”の名門校である。
ハイスクール時代、「A&T大マーチング・バンド部」の監督であるリー教授(オーランド・ジョーンズ)にその資質を見込まれたデヴォンは2週間の“軍隊式合宿”を経て、グループ分けで同期生のトップを飾る形で「P1(レギュラー)」に編入される(部員は「P1」〜「P4」に峻別される)。

練習時、先輩のショーン・テイラーを挑発する態度を取り続けるデヴォン。ついにはショーンも堪忍袋の緒を緩め(?)「じゃあ、お前が(次の試合の)ハーフタイムショーでのソロ演奏を(俺の代わりに)全てやってみろよ!」と言い放つ。
その天性のドラムの才能こそは確かに“折り紙付き”なデヴォンではあるも、流石に大観衆を前にしてのソロには臆してしまう。リー監督はそんな彼に失望の色を隠せない。

それに重ね、ドラム奏者としての「とある基礎」が修得出来ていないことが判明したデヴォンは、リーに「P4降格」を言い渡されてしまう。
ふてくされる彼の前に「モーリス・ブラウン大」のウェード監督(かつてのリーの師)がスカウトに現れる・・

要素としては「大学対抗のアメフト試合で、ハーフタイムショーを飾る存在」のバンドなんだが、アメリカならではのプロ意識(?)と言おうか「アメフトよりバンド、ハーフタイムこそが試合だ!」とセリフにもあるように、本来の試合そっちのけで物語は進行する(⌒〜⌒ι)
アメフトのシーンなんて殆ど映像で描かれなかったし、、

青春モノの“お約束”でもある“軍隊式練習”は流石にハード! ブートキャンプな日々である。。
「バンドは1つ、音楽も1つ」が部の合言葉であり、「走ってる間も頭の中で演奏しろ!」とイメトレまでも強要して来る(・ω・)

私的に「スゴいな〜」と見直したのは、どっちかと言うと繊細でコミカルな印象のあったオーランド・ジョーンズが、マッチョ型でクールだけど実は熱血漢、と言う魅力的なリー監督役を演じ切ってくれたこと。何せ同時期に出演してたのが『タイムマシン(2002)』における(ニューヨーク市立図書館の)ホログラム司書“VOX(ヴォックス)”役でしたから、、

本編はデヴォンの成り上がり⇒躓き⇒自信喪失⇒“意外な人物”の励ましによる再起⇒大団円・・と青春映画ならではの分かり易い構成で作られている。
ガールフレンド・レイラとの恋愛も少しだけ描かれるが、キスシーンぐらいしかなく、ちょっと拍子抜けしてしまった。デヴォン自身の“やんちゃな人肌ドラムスティック”が唸る! ・・みたいな演出を少しは期待してたもんで(こらこら)

それにしても「モーリス・ブラウン大」のマーチング・バンド部。『少林サッカー(2001)』や『クール・ランニング(1993)』(における最終ライバル)と同様、妙にメンバーが“非健康的”“極悪そう”な描写なのが笑えた。
いや別に、相手側からすれば「A&T」の方がよっぽど「悪らつ」な印象だった筈で、あの辺は製作側の主観を観客に押しつけているとしか思えない(=^_^=)
本来、マーチング・バンドってのはもっと爽やかなハズだっ!

〜 アツいセリフの数々 〜

※「いいか、パーカッションはバンドの“脈”だ。“脈”がなきゃ死んでしまうだろ? ・・だから一番大事だ」

ショーン「下を見てたらリズムが乱れる、相手の眼を見ろ、“愛し合う時”のように」

リー「お前たちの好みは何だ? アンジー・ストーン? LLクールJ? スヌープ・ドギー?
   それも良いが、バンドの元祖はEW&F(アース・ウィンド&ファイア)だ」
  「スティックを落としても叩き続けろ!」
  「ヒップホップか・・あれはバンドではない」
  「あれは“ラジオ音楽”だ、我々のバンドこそが本当の音楽だ」
  「リーダーである君(=ショーン)が情熱を失ったら、チームはまとまらない」

ワグナー校長「いつも今日が始まり」

追記1:『ダンシング・ヒーロー(1992)』でも驚かされた演出だが、本作の中盤で主人公に“再起の力”を与える伝説の奏者「レイ・マイルス&ファンク・コネクション」・・その名からして何かファンキーでエエんでねぇの!?(=^_^=)
追記2:本作の楽曲を監修したのは「ボーイズ2メン」の仕掛け人などでも知られる米音楽界の重鎮ダラス・オースティン氏! 何でも彼自身の半生が(主人公デヴォンの)モデルとなってるそうで。
追記3:冒頭、デヴォンと同じ(ハイスクールの)卒業生の中に「ホセ・メンドーサ」と言う名の生徒がいて、ちょっと笑えた(コォク・スクリュウ奏法?)。

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2008年5月24日 (土)

☆『つぐない』☆

23日(金曜)。ちょっと仕事は残ってたんだが「そろそろ観とかないと、公開が終わっちまうし!」と不安になって来たもので、いよいよ(約1ヵ月前から)観ようと考えてた筆頭の1本『つぐない』を観て来た。
劇場が梅田・ロフト地下の『テアトル梅田』だったもんで・・「狭い」「遠い」「混んでいる」とコレまたマイナス材料がてんこもりな印象のシアターなんだけど、、思ったよりは酷く混雑もしておらず、まぁまぁ寛いで観ることが出来ただろうか。
しっかし・・自分を差し置いて言うのも何だが、おっさんのソロ客が意外にちらほら目立ってたぞ?
“エロティック文芸作”なぞと勘違いしてやがったんやろか?(あ、それはオレもか、、)

1935年のイングランド。自然に囲まれた大きな屋敷に住むタリス家では、セシーリア(愛称:シー)とブライオニーの姉妹がロンドンから久々に帰省して来る兄リーオンを迎える準備をしていた。“作家志望”の13歳の少女=ブライオニーが密かに憧れる存在は(住み込み)家政婦のひとり息子ロビー。だが、彼は・・実は姉セシーリアと身分を超えた相思相愛の仲なのであった。

ある晴れた日、気持ちのすれ違いから仲違いしてしまったセシーリアとロビー。彼は謝罪の手紙をしたため「自分で渡すのはバツが悪いから」とブライオニーに託すが、その手紙は間違って封筒に入れられてしまった、極めて破廉恥な内容(・ω・)のモノであった・・

そしてリーオンが友人ポール・マーシャルを伴ってタリス家に戻り、しばらく経ったある夜・・「おぞましい事件」が起こる。たまたまその現場にやって来た“第1発見者”のブライオニーは“多感な少女ならではの残酷さ”からか「恐るべき虚言」を放ってしまう。

そしてその事が、セシーリア、ロピー、そしてブライオニー自身のその後の人生に大きな影を落とすこととなるのだった・・


う〜ん・・何だろ? ワタシとしては期待値が大き過ぎたモノか「怒る」「悲しむ」などの感情のスイッチにとんと触れない作品だった本作。
どうにも『コールドマウンテン(2003)』や『ロング・エンゲージメント(2004)』辺りの作品に先に触れてしまったがため“既視感”が先行し邪魔されたんかも知れない(・ω・)

セシーリアを演じたキーラ・ナイトレイさんに対しては『ラヴ・アクチュアリー(2003)』で彼女を(初めて意識して)観た時に感じた「うわ〜、きれぇ〜!」ってな衝撃が殆ど感じられず「アップはちょっとなぁ」「しゃくれたはるなぁ」「バストがボーイッシュ(?)だなぁ」とずんずん私評が下がってゆく一方だった(ひょっとして彼女の起用ってば“ミスキャスト”だったんじゃなかろうか?)

ロビーを演じたジェームズ・マカヴォイ。彼こそは全編を通し、単身やたらと数奇な運命を辿ってゆくが・・ラストのブライオニーの“告白”を耳にするに「それもどうだったんやろ・・?」と色々と雑念が入って来たし(×_×)
何処となくエドワード・ノートンを思わせる風貌のマカヴォイくん、今度はサイコな悪漢役にもチャレンジして欲しい。

観客の殆どはブライオニーに対し「不気味で醜悪で偽善的」と憎悪の視線を投げつけることだろうが・・ワタシは少し違った角度で「少女ローラと“あの事件”の真犯人であるあいつ」の2人に対し妙な不快感を覚えた。
ブライオニーと違って全く“主観的”に描かれてはいないので、その言動は知るよしもないが・・

幸せなタリス家の描写が(後から考えると)それほど丁寧に演出されず(意外と断片的!)、ロビーの母親と言うキャラクターも(大事なのに!)中途半端に姿を消してしまったのは惜しい。
主人公がブライオニー、ロビー、セシーリアの3人であると考えた際、どう観ても「ロビー篇」>「ブライオニー篇」>「セシーリア篇」の順にその「濃さ」と「質」が全く異なるように感じられ仕方なかった。
そしてまた、3人の女優がそれぞれ「3つの年代」のブライオニーを演じるのだが、その切り替えもどうにも唐突に写り、もっともっと有機的に(?)映像を繋げる(絡ませる)手法があったんではねぇの? と不満を覚えた。
ラスト近くでは、いよいよ老女となったブライオニーをヴァネッサ・レッドグレイヴさんが好演されるが、『ミッション:インポッシブル(1996)』以来の(?)“ご尊顔のどアップ”には「わ〜、アレから12年がちっきり経過したはるんや〜」とタジタジしてしまった(⌒〜⌒ι)

何にしても「もうそこに相手がいない」場合、どんなに加害者が“告白”と“贖罪”を重ねようとも、それはある種の自己満足にしか着地しないモノなんかも知れんなぁ・・と感じたのは事実。

ロビーが某シーンで「真実を書くんだ、韻も装飾も抜きで」と言い放つセリフがあるが・・「真実を書く」と言う行為を“彼女”が果たしてどう解釈したのか? 或いは既に彼女の中で“知性の崩壊”が始まっていたんやろか? などと色々“物語に描かれなかった余白”に想いを馳せてしまう次第である。

〜 こんなセリフもありました 〜

ブライオニー「愛ももちろん大事だけれど、分別も大切よ」
      「これは・・私の遺作であると同時に、処女作とも言える小説なの」

セシーリア「何てことするのよ! すごく高価な花瓶なのに」
ロビー「でも、もう違う(←壊れてしまったから)」

セシーリア「彼をいい気にさせないで」
     「私って何てバカなの・・自分の気持ちにさえ気付かなかった」
     「今さら、皆があなたの“告白”を聞きたがると?」

※「暑さがモラルを乱す、とも言われるわね」

ロビー「このまま、君の乗るバスが来なけりゃいいのに」
   「再開出来るかも・・僕らの物語を、あの日の僕の壮大な計画を」
   「僕は戻る・・堂々と生きるために」

※「陸にいる海軍など、あてにはならんさ」

※「軍が“戦略的撤退”を英断したって!」
※「要するに“撤退”でしょ?」

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2008年5月 5日 (月)

☆『沈黙の追撃(2005)』☆

4日(日曜)の夜、「日曜洋画劇場」にて“地上波初放送”されたモノを観た。主演がスティーヴン・セガールってことで、それだけで鑑賞時の姿勢・態度までもがダレてしまうんだが(すんませ〜ん)
「何処かに何か、きっと光るモノがある筈や」とか「(専属(?)の吹替え男優である)大塚明夫の声を聞くだけで、きっと癒しとなる筈や」とか、色々と“観るための理由”を自分の中で探しつつ、観た(=^_^=)

ウルグアイのアメリカ大使館において、シークレットサービスが女性大使を射殺した上、彼ら同士で撃ち合って全員くたばる・・と言うそれだけで1本の映画になりそな(=^_^=)惨劇が起こる。
事件の裏に、マインド・コントロール(←略して“マイコン”(・ω・))の第一人者=レイダー博士の存在があることを知った合衆国は海軍提督に命じ、博士の潜伏するダム(型の地下要塞)への特殊部隊による攻撃を開始する! ・・が、これが見事に失敗、隊員5名がまんまと捕虜になってしまうのだった。

事態を重く(或いは軽く?)みた首脳部は、政治的理由により長期間服役状態の続いている面々を仮釈放させ、博士殺害&捕虜救出&(それとお好みで)ダム爆破の指令を与える。

で、そのリーダー格として登場するのが“沈黙の男(と言いつつ、よく映画界を出しゃばり賑わす“お祭り野郎”だったりする(⌒〜⌒ι))”クリス・コーディー大佐(セガール)その人なのだった!

何だか、ご尊顔のむくみ具合とか、格闘シーンの少なさとか、逆にアップの多さとか、生え際の違和感(おっと・・)とか、、色々と気になるトコはあったものの、それなりにアクション・スターやってくれてました☆

が、脚本&演出がとんと面白くない。だらだら観るには良いんだが、テキの最大の武器が「洗脳」ってのがどうもねぇ・・「マイコン発動時」に当事者の脳内で起こる“葛藤的映像”も何度か拝めるんだが、別に怖くも何ともないし〜(×_×)

ただ、そんなつまらない進行の割に「空撮」「(多岐に渡る)ロケ」「(スタイリッシュ気取りな)映像演出」「爆発」「銃撃戦」「戦車登場(←ハリボテかも、、)」「カーアクション」などにきっちり資金かけてやってくれてたことには感心した。お茶を濁すような陳腐なセク〜スシーンもなかったし。(←濃厚なヤツならあった方が嬉しいんだけど)

思うには「セガール作品」も一種の“ファンド”みたいなもんなんじゃないか、と。超一流のエージェントたちが「過去のセガール作品のダイジェスト映像」をアタッシュケースに入れて携行し、世界各地(の資産家)を飛び回り、惚れ惚れするような話術でもって、ガンガン資金を集めてるんじゃないか、と。
そんな妄想を抱いております、ワタシ(=^_^=)

まぁこう言う“Bな作品”の場合、テキボスの死に方を当てる、ちぅクイズ的な楽しみ方もあり(楽しむなよ)・・
大抵の場合「爆死」か「墜死」か「その混合型」が多いんだが、本作もまた「吹っ飛ぶ」ってシチュエーションが見事に“B”なセオリー内にきっちりおさまってて、それだけで嬉しかった(だから嬉しがるなよ)

セガールの強引なセリフも、ひとたび大塚明夫氏の“美声”のフィルターを通せば、俄然その輝きを増すのが面白い☆
例えば、独立に揺れる街=モンテビデオの広場で悠然と「大きな騒動の渦中に居た方が、目立たない」とか決め打つんだが、ここが大塚ボイスじゃない場合「いや、おまいら、めちゃくちゃ目立ってるやんか!」と突っ込みたくなってしまう筈だ、きっと。

あ、本筋と関係ない所だが、悪党どもが“巣窟”とも言える闇企業=キリンダイルの社屋に入る際、車内では「カネのハナシなら(本社の)中でゆっくりしようや・・」みたいな“越後屋トーク”をしてるのに、そばの警備員が妙にすがすがしく「どうぞぉ、お入りくださぁい!」とか声高に放つセリフに爆笑してしまった。おまえら、コント気分かよ!

セガールファンとしては“朗報”と言うべきか? 本作では一時的にウルグアイのアメリカ大使になり済ましたセガール(いわゆる「1日ふるさと大使」みたいなもんか?)・・こうなれば(どうなれば?)この次は「なんちゃって大統領」とかにまで“暴走域”を拡大するんかも知れないネ☆

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2008年5月 4日 (日)

☆『地上5センチの恋心(2006)』☆

4日(日曜)の鑑賞。「初回上映(9:55-)のみ」「シネ・リーブル梅田(新梅田シティ内)」なる2重苦(早い&遠い)があり「早起きしなきゃ!」と思いつつも・・起床したのが上映開始の90分前だった(×_×)
駅まで向かうバスが来ず、タクシーを使ったりもし強引に劇場へと急いだ。一度「行く!」と決めたら、こっちも本気である(⌒〜⌒ι)

一貫した“小走りモード”で急いだトコ、首尾よく開始の約20分前に着くことが叶った☆ と言っても「そんなら(開始)70分前の起床でも行ってたか?」と詰問されると難しいトコだが。。

ベルギーの地方都市を舞台に、空想に生きる主婦と、自作を介し彼女に希望&夢を与え続けて来たロマンス作家の出会いと交流の日々を綴った作品。この作家はどうやらパリ在住との設定であり、フランスとベルギーは意外に往復し易い距離&親密度なのかも知れない、と知る(・ω・)

デパートのコスメ売り場で働くオデット・トゥールモンド(カトリーヌ・フロ)はジョセフィン・ベイカーの歌と作家バルタザール・バルザンの書くラヴロマンスにご執心な主婦。10年前に配管工の夫アントワーヌを亡くして以来、決して裕福な暮らしとは言えぬまでも、ルディ(兄)とスー=エレン(妹)の2人の子供を女手1つで育て上げた、たくましい母でもある。
彼女はバルザンの新作小説「平原の静けさ」の出版記念サイン会のため、バスでブリュッセルへ向かう。
憧れのバルザンとは至近距離で会うことが叶ったものの、緊張の余り、自身の名が巧く発音出来ず・・本に書かれた肝心のサインは・・

「デット様へ」 ※“デット”は“借金”と言う意味らしい(・ω・)

と言う余りにも・・な仕上がりとなった。。

長男ルディはゲイ仲間を自室に連れ込み、長女スー=エレンはバイク好きのロクデナシ兄(あん)ちゃんと2年ほど同棲生活が続いているニート娘。向かいの部屋にはトレーニングに明け暮れる夫婦、(アパートの)表では“イエスさん”とオデットのあだ名する、不思議な青年が人々を並ばせ、彼らの足を洗ってたり(・ω・)

何ともエキセントリックな人々が集結してるオデット側(?)とは対照的に、バルザンと言えば“ノーベル文学賞を狙う”大物作家オラフ・ピムスに、TV番組で最新作を“慣用句を並べ、妄想で味付けしただけの駄作。こんなモノはすぐにゴミ箱へどうぞ”と酷評され落ち込む。更に彼を絶望の渕へと追いやったのは、不仲状態の妻が、あろうことかピムスと(!)浮気している事実を知ってしまった瞬間だった。

衝動的な自殺未遂を経て、とうとう家を飛び出したバルザンだったが、行く宛もなく・・。
そんな時、彼は(サイン会で)とあるファンから手渡された1通の手紙の存在を思い出し、眼を通す。
それこそは、オデットが自らの気持ちに正直に、作家へのいちずな想いを綴ったファンレターであった・・


中年男女の主演によるミュージカル仕立てな恋愛映画ってトコだろうか。“地上5センチの高さ(←シーンによってはもっと上昇しまくる!)で浮かんでるような夢見がちな主婦”をヒロインに据えたにしては、意外と“地に足の着いた”堅実な造りのロマンスやな〜と感じた。

カトリーヌ・フロ。全然予備知識がなく、さっきも“カトリーヌ・風呂”などと誤変換されてたが、、なかなか魅力的な女優さんである☆ ネットで調べると『奇人たちの晩餐会(1998)』でヒロインを演じてた方らしいが・・流石に忘れてしまってますのぅ(×_×)
本作では「眼の辺りの雰囲気」が倍賞千恵子さんや、シャーロット・ランプリングさんにも似てたな〜って印象を受けた。
物語の序盤に「鏡がパカッと裏返って」初登場する演出も良い! ワタシはてっきり、サングラスかけてる女優さんの方が彼女かと勘違いしてましたもん(⌒〜⌒ι) ←それはお客さんじゃ!

こう言うのんで作品が悲劇に終わっちゃうと・・「それって『ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)』路線?」となっちゃうトコだけど、ラストは取り敢えず“再生”と“新たな始まり”が提示されたようで、安心して観ることは出来る。
バルザン夫婦の(結局の)関係が良く理解出来ないトコはあったが。。

「弟子たち(?)の足を洗う」「川の水面を歩く」「大きな角材を背負い、高みへ登って行く」と言った不思議で示唆に富んだ行為を我々に見せ続ける“イエスさん”の存在と共に、劇中で脈絡なく(?)映し出された日本映画が何だったのか、は非常に気になるトコロ。モノクロだったし『雨月物語(1953)』『羅生門(1950)』辺りではないかと推察するが・・

私的には、スー=エレンを演じた女優さんのキャラ(ヴィジュアルイメージ)に対する嫌悪感がどうにも高まり「このバカ娘が!」と勝手に怒りを募らせてたんだが・・後半に“とある旅”をする中で、次第にええ表情に変わって来たのが嬉しかった。
つまりは“ロクデナシの呪縛からようやく解放された”ってことなんだろう。

日本ではとにかく「家族の一員同士でも干渉し合う」と言う、良くも悪くも評価出来る伝統(?)が形成されてるが(近年はそれも次第に崩れて来たが)、本作では「生き方(≒価値観)」「生活スタイル」などに関し、例え親子であってもうるさく言い合わない・・ってな人間関係が一貫して描かれてた。
シーンによっては上空(天井の高さ)からトゥールモンド一家の各部屋を俯瞰するように映す“効果的な映像演出”が挿入されてたが、ああ言う映し方は好きである。

仕方ないトコだが・・物語も中盤を超えると、オデットの“浮遊妄想”が次第にしぼんでしまったのが私的には残念だった。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の“法廷シーン”とか『フィッシャー・キング(1991)』のグランド・セントラル駅(NY)構内のように、製作陣のほんの少しばかりの冒険心(悪ノリ、とも言う(=^_^=))と製作費の追加投入があれば、更にぶっ飛んだファンタジー世界が実現してたかも、と思うとちょっぴり残念である(・ω・) ←やり過ぎるとこれまたダメなんだけどネ

〜 こんなセリフもありました 〜

オデット「私もかつての恋愛中は、良く“顔をドアにぶつけた”わ」
    「告訴すれば? あなたにケガを負わせるような“ドア”は」
    「カーテンを開けると・・光が差し込んで来ました」
    「落ち着いて、オデット」

バルザン「なぜ、ジョセフィン・ベイカーが好きなんだい?」
オデット「私の魂は、黒人なのよ」

※「本当にアバズレな女は、決してそうは見えないもんよ」

バルザン「傷つき易いから、書けるんだ」
    「皆が、間違った場所で幸せを探している。
     だが、幸せを見つけるにはまず自分を受け入れなければならない」

作家の妻「我慢ならない男だったわ・・夫を侮辱したし」

発行人「(サイン会に)並んでるのは女性ばかりだな」
バルザン「だから書くのさ」

バルザン「(残り時間は)あとどの位?」
発行人「1時間」
バルザン「(サイン会ってのは)執筆より時間のかかるもんだな」

発行人「そんなに深刻に考えるな」
バルザン「深刻だから、君はここへ来たんだろ?」

ルディ「化粧に疎い売り子だっているもんさ、ハゲの美容師だっているだろ?」

老婆「問題ない、ですって? この状況を何も知らないくせに!」 ←この婆ちゃんも“浮遊中”かも

上司「必要のないお客にこそ、化粧品を勧めろ」

追記1:映画そのものには何も文句も問題もなかったが、、ワタシ自身の体調(メンタル面)がどうにも最悪で、観終わって以降でズンズン気分が低迷してしまった(×_×) まぁ、どうしても今日に観とかないとあかん作品だったんで、悔いはないんだが・・もそっと調子さえ良ければ、更に面白いレビューが書けたかも・・と思うと残念ではある。
追記2:ワタシの好きな「励ます立場だった側が、逆に励まされる」ってシチュエーションが“軸”になってて嬉しい☆
追記3:オデットは“良いファン”だったから良いものの、コレが『ミザリー(1990)』のキャシー・ベイツみたいなしとだったら・・恐ろしかったろうな(×_×)
追記4:製作陣は「親日派」では? と感じた本作。我々のお隣さん“C国”に関しては、余り快く思ってない空気が「※※製の安い小物よ」ってセリフから漂って来た。
追記5:劇中で“夢見る女性”の条件とし、以下が挙げられてた(・ω・)
「夕焼けの壁紙を部屋に貼ってる」「人形を集める趣味がある」「レジ係などに多い」
追記6:幾つかの“いじめ”が描かれたりもしてた。世界共通の現実なんやろか・・
追記7:「チキータ・マダム」のダンス(=ミュージカル)シーンを眺めてて・・『マスク(1994)』を連想してしまった(⌒〜⌒ι)
追記8:バルザンの“未遂”シーン・・あの状況だと「かなりヤバい」と思ったんだが・・てっきりシャマラン監督的な“秘密”があるんじゃないか、とか終盤まで勘ぐってしまったゾ(=^_^=)
追記9:エンディング寸前の映像が「DreamWorks」のオープニング映像(半月系)っぽいかも、、
追記10:『痴情!5インチの下心』なんてなパロディ作品はどうだろう(ポルノ系かよ!)

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2008年4月30日 (水)

☆『トスカーナの休日(2003)』☆

28日(月曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。
正直、あんまり期待してなくて、ただダイアン・レインが主演するから観ておこうかな〜程度に考えてたんだが、これがなかなかに心にしみて来る“ほろ苦い大人の恋愛モノ”に仕上がっていた。
どっちかってぇと女性向けの、“喪失”と“再生”の物語なようにも思うが・・(・ω・)

夫トムの不倫を原因とする結婚生活の終焉。いきなり失意の底に叩き落とされた主人公の作家(書評の仕事もしている)フランシス・メイズ(ダイアン)は、妊娠が発覚した友人パティー(サンドラ・オー)から「10日間のイタリア・トスカーナ地方の旅」を私の代わりに行ってもらえない? と持ちかけられる。同じような立場の男女が暮らす“離婚者マンション”での息の詰まるように暮らしに慣れぬフランシスは、考えた結果、気分転換も兼ねてその申し出を受けることに。

降り注ぐ陽光、咲き誇る幾多のひまわり・・バスの中はゲイだらけ・・(・ω・) そんな中、フランシスは「ブラマソーレ(BRAMASOLE:太陽に焦がれる、の意)」と書かれた(表札の掲げられた)古びた屋敷を車窓の向こうに見つけ、何かの“啓示”を受けたのか・・何と! バスを飛び降り、その屋敷へ向かう。
で、あろうことか、自身に残された資産の殆どをはたいてそれを購入してしまうのだった。
かくしてトスカーナでの新しい生活が始まったのだが、色々とフランシスを巡る“男難(女難の反対・・)”が巻き起こり・・みたいな流れ。

『フィールド・オヴ・ドリームス(1989)』の主人公(ケヴィン・コスナー演じる)じゃあるまいし・・って感じでやや強引な感もあるんだが、ヒロインがいきなし異国の地で新生活を始めちゃうって“転”の部分が「軸」としては面白い。男性のワタシには分からぬ“お告げ”みたいなものを体感する(子宮で感じる?)能力が、女性の中には備わっているのかも知れない、本能的に。

基本的に悪党の登場しない本作だが、舞台がイタリアってことで、あの国ならではの“プレイボーイ”がわらわらとフランシスにまとわりつく(⌒〜⌒ι)
まぁ「口説くのが彼らの礼儀よ、例え妻子持ちだとしてもね」 ってセリフが劇中でサラッと語られてましたけどね。。

そんな訳で、彼女は瞬く間に(?)不動産屋のマルティーニ、庭師の青年パベル(←彼はポーランド人)、街で知り合ったマルチェロ・・ってな男たちと親密になってゆく。
で、再び、燃えるような情熱と官能の時間を取り戻したフランシスは「まだ男をとりこにできる、すごい!」とはしゃぐのであるが、そんな恋も長くは続かず・・

このトスカーナの地で「新婚パーティーを開きたい」「家族を持ちたい」と願う彼女の気持ちは果たして天に通じるのか?

いや〜・・ダイアン様。すっかり惚れてしまいました(⌒〜⌒ι)
表情によっては額に皺が目立ってしまったり、ベッドで「まだ男をとりこにできる!」とジタバタしながらはしゃぐ演技などに「うっ・・」「ぐっ・・」とこちらの眉も思わずひそまってしまうんだが・・シャロン・ストーンより優しそうで、メグ・ライアンより賢そう・・そんな一面が発見されたような気もします(いや、前述のお2人とも、十分に魅力的ではありますが、、ファンの方、済みません)

“ブラマソーレ”のバルコニーから見下ろした、とある塀の装飾(祠か?)に、欠かさず花を供える老人が何度も描かれるが、彼がフランシスに心を開く日は来るのか?(現状=彼女が手を振れど無視される)とか“ブラマソーレ”のとある部屋の壁に据え付けられた、装飾の施された“蛇口”から、真っ当に水が流れ出る日は来るのか?(現状=壊れてるのか、何も出ない)とか、幾つかの「フリ」が提示されているのも、ちょっとハートフルな遊び心があって良かった。

原作者=フランシス・メイズ(!)の趣味なのか、映画化に当たっての製作陣の“創作”なのかは分かんないが、全編に渡りフェデリコ・フェリーニ監督へのオマージュが捧げられてる感じなのは、独特の“知性”が作品世界の底を流れてるようで、なかなかに魅力的だった。

紆余曲折はあったけど、最後にはめでたしめでたし・・やはり恋愛モノは、こう言う作りが一番安心出来るのだ。

〜 こんなセリフもありました 〜

フランシス「批評って多様だから・・悪い批評は忘れて」
     「不動産の購入に後悔は付き物よ」
     「こちらがゆっくり手をかけると・・家も応えてくれる」
     「人を知るには時間がかかる」
     「離婚では死なないってこと、離婚して初めて知ったわ」
     「信仰を持つ人々が羨ましい」
     「恋や悲しみは人を愚かにする」
     「人生は・・驚きの連続」

パティー「あなたは生きてない、落ち込み続けないで」

弁護士「ここを乗り越えろ、幸せはまた来る」

※「(隣の)泣き声が迷惑なら、壁を叩けば収まる」

マルティーニ「(幾つもの国で)同じ表現があるのは、それが真実だから」
      「お願いだ、もう悲しまないで、でないと過ちをおかしそうだ」

プラチド「夕食においで、独りは良くない」
    「愛が冷めたとき、残るのは悲しみだけだぞ」

婆さま「年はとっても・・心は傷つくのよ」

マルチェロ「イタリアの信号はこうだ・・青は“進め”黄は“お飾り”赤は“注意しろ”」
     「美しい瞳だ・・その瞳の中で泳ぎたい」
     「君の体を食べ尽くすよ」
     「男女の仲にはタイミングがあるんだ」

フェリーニ「世界はキミのもの、何にでも挑戦しなさい」
     「失ってはいけない、子どもの無邪気さを」
     「後悔は時間の浪費、過去は現在を殺す」

※上記はフェリーニが存命中、恋人のキャサリンに語った言葉、とのこと。

エド「てっきりあなたの結婚かと・・違っててほっとしました」

パベル「結婚出来ないと死んでしまう!」
フランシス「いえ、死なないわ」

追記:フランシスが母国(?)から発送した書籍などの荷物(数箱)。これがトスカーナの新居に届くのが、劇中のかなり後半なのも演出として面白かった。これにより「瞬く間に過ぎて行く新天地での生活」と「既に色褪せつつある過去」が巧く表現されている。

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2008年4月16日 (水)

☆『デッド・サイレンス』☆

15日(火曜)。仕事の帰りになんば方面へ向かい、久々の「敷島シネポップ」で『デッド・サイレンス』を鑑賞して来た。
そもそもは『ノーカントリー』を一刻も早く観たいワタシなのであるが、それに先立ち「小品ながら良く出来たホラー」なる好評価を某ラジオ番組でチラリと耳にし、以後気になってたもんで先に割り込ませることとした次第。

初の長編作『ソウ(2004)』で一気に世界へと躍り出た若き才人=ジェームズ・ワンが放つ3年ぶりの監督作品・・ってことで、『ソウ』ファンの期待値こそは高まってるんだろうが・・ワタシは『ソウ』シリーズ(4作目まで続き、5作目も製作されてるらしい)を全く観てないもんで、逆に言えば余計な予備知識を持たぬまま鑑賞出来た、と言う幸せな観客だったかも知れない(・ω・)

・・紀元前6世紀。死せる者の霊魂は、生者の腹部を介し話しかけて来ると信じられていた。
そしてラテン語で“腹”と“話す”をそれぞれ表す言葉が混ざり、“腹話術師”という新たな語が生まれた。
これが“腹話術”の起源である・・

主人公ジェイミーは愛する妻リサに見守られつつ壊れた水道(排水口)の修理をしている。そんな中、戸口に「ジェイミー・アーシェン様」とだけ書かれた、差出人不明の大きな荷物が届けられる。2人が部屋に運び込んだ包みを開けると・・果たして箱(トランク)の中には精巧に作られた木製の腹話術人形(1体)が入っていた。
誰が? 何のために? 不審がるジェイミーとは対照的にリサは「養子がやって来たわよ」などと屈託のない感じ。
結局、水道を直せなかったため、ジェイミーは彼女を家に残し、夕食を買いにクルマで出かける。

そして、帰宅した彼が眼にしたものは、床に広がる血だまり・・そして舌を切り取られ、凄まじい形相で息絶えた妻の姿だった。

リプトン刑事(ドニー・ウォールバーグ)に疑われつつ、独自にリサの死の謎を解明しようと考えたジェイミーは自宅に戻り人形と箱を調べる。その結果、箱の内張りを剥がした部分に「メアリー・ショウとビリー」なるイラストがあること、人形のうなじに「ビリー」の名が刻まれていることを掴む。

ジェイミーはビリー(人形)をクルマに乗せ、父エドワード(ボブ・ガントン)と別れて久しい、故郷である“静かに暮らせる町”「レイヴンズ・フェア」に戻るのだった。
迎えたエドワード、その新しい(3番目の)妻(=主人公にとっては義理の母)エラ、老いた葬儀屋ヘンリー・ウォーカー(とその妻マリオン)に情報を得たジェイミーは町に伝わる恐ろしい詩の一節
「メアリー・ショウにご用心。夢で彼女に出会っても、決して叫んじゃいけないよ。叫べば舌を抜かれちゃう。
誰かが叫んじゃう限り、彼女は殺しをやめないよ。そして最後の最後には、怖い人形が襲って来る」
をはっきりと思い出す。
墓地でメアリー・ショウ(1869-1941)の墓標を眼にしたジェイミーは、そばにある「ビリーの墓」に人形を埋葬するのだが、その“儀式”を経てなお呪いは全く鎮まらず、更なる怪現象が次々と彼の周囲を襲うのだった・・みたいな流れ。

うーん・・何だか荒っぽくて粗い仕上がりのホラーだったなぁ。
と言うか「怪現象が次々と起こるけど、最後には全てがスッキリ“合理的に”解決される」と思ってたもんで「基本オカルト路線」だと知った時はかなり落ち込んでしまった・・劇中で何度も化けモンが襲って来たり、人形が動いたり(←冷静に考えると有り得ない・・)、「聞こえて来る筈のない者」の声が語りかけて来たりするんだが、それらも「ファンタジーやんか!」と見切ってしまうと実にしょ〜もない。「コレ、主人公の幻覚・幻聴・妄想ってオチなのでは?」とまで読んで行ってしまったりも(・ω・)

ただ、ラストの2段階の“オチ”には流石に驚かされた! と言うか、単純に不快でした(×_×)
何だか「登場キャラが全て“人形のように”操られ、それを見せられてる我々観客もまた“人形のように”操られてましたぁ!」みたいな感じ。

ボブ・ガントン、余り出番もないし、決して動き回る訳でもないんだが・・観終わった瞬間、直感的に(=^_^=)「ある意味、アカデミー助演男優賞モノの演技やったやんか!」と妙に絶賛してしまった。もしくはラジー賞か(=^_^=) ←どっちやねん・・
オチの1ツ目は『ロボコップ2(1990)』における大悪党=ケインの解剖後シーン(うげ!)に通じる気味悪さを連想し、
オチの2ツ目(=意外なキャラに繋がる演出)は横溝正史の推理小説「八つ墓村」における真犯人像にも繋がるサプライズがあった。

ほか、演出的に
・リプトン刑事の性格付けと運命⇒『スターリングラード(2001)』におけるロン・パールマンの演じたキャラ(退場の仕方とかも)
・オカルト現象に屈する「現実派キャラ」である筈のリプトン刑事⇒『呪怨(2003)』における2人の刑事さん(・ω・)
・ロストレイク(失われた湖)のほとりに建つ劇場で行われた腹話術人形公演⇒『リング(1998)』における「公開実験とそれにまつわるバッシング」のテイスト

など・・「似てるかも?」と感じた。

前述の通り「全ての“フリ”が合理的に説明されない」辺りは“バカホラー映画”とバッサリ評しても良いんだろうが(ヒッチコック監督作に対して感じるような“クレバーさ”は微塵もない!)、極めて不条理な感情「殺されて尚、尊厳を奪われ、遺体を弄ばれる・・そんな恐怖・絶望・無情ってこの上ないよなぁ・・」を強烈に覚えたのは特筆すべきことかも知れない。

〜 こんなセリフもありました(×_×) 〜

※「答えを求めれば、見つけてしまうかも」

※「完璧な人形をこしらえるのは、大変な作業・・生身の人間の一部すらが必要となる」

追記1:序盤のとある展開だけだが、デヴィッド・フィンチャー監督の『ゲーム(1997)』にそっくりだった(⌒〜⌒ι)
追記2:ドニーさん、こんな役柄ばっかし・・(×_×) 弟のマーク・ウォールバーグと違い、まだまだ映画俳優としての脚光は当たりにくい感じ。。

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2008年3月31日 (月)

☆『タイムマシン(2002)』☆

30日(日曜)の鑑賞。この月末をもって、千日前の誇った(?)老舗映画館「千日前国際劇場(千日前国際シネマ、千日前国際地下劇場を含む)」がイッキに閉館となる・・
「コレは行っとかなきゃ!」といきなし根拠なき責任感(=^_^=)に駆られたんだが・・結局、寝だめやら別な外出やらをして、行くことは叶わなかった(×_×)
しかし、(最後のラインナップ中で)興味をそそられる上映作が『実録・阿部定』『団地妻・昼下がりの情事』の2本しかなく、この2本も・・どやねんな?? と悩んでしまったり、、
明日、残業がなければ行ってみようかどうか・・何とも迷ってしまう所だ(・ω・)

ってことで“iPod touch”のデータ修復をしたり、職場で永年的に任命されてる(?)某同好会の会計報告(予算書&決算書)をちまちま作ったりしてるウチに終わってしまったこの週末。ま、体調もイマイチだったんだけど・・

せめて、ってことで地上波放送された『タイムマシン』を観ることとした(地上波初ではなかったと思う)。

“不幸な善人”も“狡猾な悪人”も自在に演じ分けられる個性派(と評価している)ガイ・ピアースを主人公に、暴漢に襲われ亡くなった婚約者の生命を救うため(=運命を変えるため)、自ら開発した「タイムマシン」に乗り込み、時空を旅する青年研究者の驚くべき運命(?)を描く。

壮大なテーマの物語である割に、世界観がどっか小粒(=エリア限定的)だし、ワタシの期待するのと随分違う流れに(中盤以降)持って行かれるトコから、どっちかと言うと好きな作品ではないが「放送されるとつい観てしまう」
そんな不思議な魅力ある映画だ。きっと故・淀川長治氏(映画解説者)が生きておられたら「これぞ“日曜洋画劇場”に相応しい、幾度もの再放送に耐え得る作品(の1ツ)である!」と絶賛されたような気もする(←ナニを根拠に?)。

ウィキペディアも併せて覗いてみたら、色々と原作(小説)からリ・イマジネーション(=^_^=)されてる部分があって面白かった。最大の変更は舞台がロンドン(原作)⇒ニューヨーク(本作)と変わってること。
その割に、ニューヨークらしい(ランドマーク的)建造物が余り登場せず、ティファニーの石看板(?)の破片や、市立図書館などを用いるにとどめられていた。

にしても、今回“意外にも”気になったのは主人公=アレクサンダー・ハーデゲン教授(ピアース)を気に懸けてくれる周囲の温かい人々の存在であった。4年間も(彼のいわば“奇行”を)見守ってくれた友人フィルビー、最後まで主人に対する礼節を欠かさなかった家政婦(?)ウォチット。
どうしようもなく邪悪なヤツもいた反面、結構な善人にも溢れかえってた作品世界だったなぁ。

確かに想い人を喪失する、と言うショックは悲し過ぎるのだが、そのことに固執する余り、もっと大切な「今、周囲にいる愛すべき人々」をバッサリ斬り棄てて(旅立って)しまったのは果たして正しい判断だったんやろか? とも感じた次第。

あ、それから、悲劇のヒロイン(←まさに!)エマを演じたシエンナ・ギロリーさん、何と『バイオハザード2/アポカリプス(2004)』でサブヒロイン=ジルを演じておられた方と知った! 印象が全然違ってて気が付かんかったなぁ!

本作、前にも(劇場鑑賞時に)書いたように思うが・・やはり「主人公、もっともっと過去に執着しろよ!」と思ったものだ。エマの死に“わずか2回”立ち会っただけで「例え千回戻っても、千回の(彼女の)死に方を眺めるだけだ」などといとも簡単にあきらめちゃう。「暴漢を返り討ちにする」「常に行動を共にする」などなど、頑張りようは幾つもあった筈だ!
『タイムコップ(1994)』の主人公(ヴァン・ダム演じる)でもきっとそうすることだろう(=^_^=) 100万回生きて、ようやく真実を掴んだネコだっていたぞ、どこかに(あ、それは絵本のハナシか)。

※「エマの肖像が収められたロケット」を失ったシーン、こそが展開の“切り替わる”瞬間だったんだろう。

『フェイス/オフ(1997)』冒頭における“聖歌隊の美人のおねーちゃん”などと同様に(=^_^=)、本作で気になるのが、2030年のニューヨークにいたスポーティーな感じのおねーちゃん(・ω・)
突如、街角に現れた主人公・・の背後にあるタイムマシンを指し「あれって特大のカプチーノメーカーなの?」と言い残し去っちゃうだけなんだが、妙に印象に残るのだ(・ω・)
きっと彼女、エマ役のオーディションを受けたりもされたに違いあるまい(←決め打ち)

後半では80万年後の世界に突入しちゃうんだが(良くも人類が生き延びてたもんだ、、地形すら激変してるってのに)、何だか世界の雰囲気が『未来惑星ザルドス(1974)』っぽいテイストに仕上がってて笑えた。しかし、何なんだ、あのセンスの悪い(人面(?)の)造形物は。。

劇場での鑑賞当時、出演に全く気付かなかったのがジェレミー・アイアンズ。ウーバーと言う役名があるも、劇中では一切語られなかったような。
今回は彼が「ワタシのような者は大勢いるのだよ」とぼそっと言ってたのが気になった。
こいつを何とかしたら世界が救える・・ってことでもないみたいである(・ω・)

終盤、主人公の究極の選択で、タイムマシンはアレしちゃうんだが・・その破壊力たるや凄まじい! 『スパイダーマン(2002)』に出て来たグリーンゴブリンの使う“パンプキン・ボム”数百個ほどが一度に炸裂したぐらいの威力だった、、
で、思ったのが

“暴走”した際の破壊力がここまでのもの、と知ってて“敢えてニューヨークの街中”で極秘裏に研究を続けてた博士って、、

てなことだった。ってか、序盤で蒸気機関(?)に驚いてた博士だったが、あんたの発明&駆使してた謎のエネルギー源(原子力?)の方がよっぽどスゴいと思うぞ(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

エマ「あなたには驚かされることばかりよ」

アレックス「話しかけたりしなきゃ、ニューヨーカーはいい連中だ」
     「ただ黙って運命を受け入れねばならない時もあるが、闘わねばならない時もある・・例え怖くても」

ボックス「答えが気に入らないのなら、お訊ねにならなければいい」
    「全てを覚えていることの辛さ、をご存じですか?」

ウーバー「80万年の進化をとやかく言う資格が君にあるのか?」
    「あの悲劇はこの状況に不可欠だったのだ」
    「過去へは記憶、未来へは夢を、人は連れて行く」

追記:超未来に残る武器は・・「先端に毒を塗った吹き矢」なのだった!

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2008年3月12日 (水)

☆『テイキング・ライヴス/他人を生きる殺人犯(2004)』☆

9日(日曜)夜に鑑賞。地上波初放送ってことで、結構期待してたんだが・・う〜ん、見事にイマイチですた。。
1983年にカナダのフリーウェイでマーティン・アッシャーと言う青年が交通事故に見せかけ殺害される。そして、直前まで彼と行動を共にしていた青年(マット)は行方不明に。
それから19年後、モントリオールの建設現場で白骨遺体の発見された事件を発端に“殺害した相手の人生を乗っ取る男”の存在が浮かび上がる。
地元警察のルクレア警部(チェッキー・カリョ)は部下である、デュバル刑事(ジャン・ユーグ・アングラード)とパケット刑事(オリヴィエ・マルティネス)を伴い捜査に乗り出し、そこにプロファイラーとして加わったのがFBIの特別捜査官イリアナ・スコット(アンジェリーナ・ジョリー)であった。
19年前に消息を絶った息子の姿を最近目撃したと言うマーティンの母、レベッカ・アッシャー(ジーナ・ローランズ)や、新たな殺人現場に居合わせた画商ジェームズ・コスタ(イーサン・ホーク)、そんなコスタの行動を密かに監視し続ける男クリストファー・ハート(キーファー・サザーランド)など・・謎をはらんだキャラ陣が捜査陣を混乱させる中、次々と殺人が起こり・・みたいな展開。

とにかく、ネタ的にはなかなか面白そうで、かつ俳優陣が妙に豪華な本作。それ故、物語がグタグタになって行く中盤以降、作品世界が崩壊に至ったかのような終盤の流れが実に勿体なかった(×_×)

序盤など・・青年たちのロードムービーみたいなテイストが結構な(映像的)完成度で成立してて良かったのになぁ・・
まぁヒロイン=イリアナよりも、観ててよっぽど面白かったのはコスタのキャラなので、『ガタカ(1997)』と比べたりしながら、それはそれで楽しんで観るのも良いと思う。
(どうせなら、イリアナ役にユマ・サーマン、ハート役にジュード・ロゥを起用すると更に面白かったかも(=^_^=))

どんでん返しと言うか・・途中で捜査側キャラの1人があっけなく殺害されてしまったのには驚いた! 何ともムチャクチャ勿体ない演出だと思うんだけど・・

また物語の一方で、どんどん親しくなってくのがイリアナとコスタの2人。それを気に入らぬ感じなのがパケット刑事(ちょっと『セヴン(1995)』におけるミルズ刑事(ブラッド・ピット)を意識したようなキャラ造形)なんだが・・私的には「そう言うあんたも『運命の女(2002)』で、コスタみたいなことをしとったやろ!」と静かにマルティネスに突っ込んでやりたい(・ω・)

地上波初ってことで、放送スタッフも気合が入ってたのか(?)、石でドツかれて崩壊しちゃってる遺体の顔面のアップ(もちろん造りもんだけど・・)やら、イリアナのバスト(nipple含む!)やらがモロに拝めたりして「すげぇな〜!」とこれらにも軽い衝撃を受けた。(私的にはアンジー(アンジェリーナ)のバストってば、ちょっと想像してた印象と違ってて庶民的(?)だったけど・・)

終盤は、もうムチャクチャな感じ。「そこまで待つんか〜?」みたいな。
ただ、ワタシが※※だったら、侵入する前に電話線は何とかしといたと思う。被害者が架ける架けないの問題じゃなく、そこは侵入者のエチケットだと思うし(←何がだ!)

それはそうと・・アッシャー夫人、エレベータに乗り込む前、どう答えるつもりだったんだろう?

〜 こんなセリフもありました 〜

コスタ「あんた、釣りはやるのか? 言っとくが、死ぬのはいつも“エサ”なんだよ」

医師「夕べ、ムチャしませんでした?」

※※「奪ったんじゃない。俺はあいつの“冴えない人生”を最高のものに変えてやったのさ」
  「ふざけないでだと? あの夜はベッドでさんざんふざけ合っただろ?」

追記1:レベッカ・アッシャーってキャラ名は、ひょっとして『レベッカ(1940)』と『アッシャー家の崩壊』から来てるんやろか?
追記2:「家宅に無断で侵入」「無断で墓暴き」など、本作ってFBIさんのやりたい放題・・。。

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2008年3月10日 (月)

☆『デンジャラス・ビューティー2(2005)』☆

7日(金曜)。
地上波初放送されたクライムコメディ作品『デンジャラス・ビューティー2』を帰宅後に観た。

前作『デンジャラス・ビューティー(2001)』を観てねぇし、多分ついて行けんだろうな〜と思ってたら、冒頭で“前作のダイジェスト映像”を放送してくれたので、すっきりと作品世界がフォロー出来た(=^_^=)

爆弾魔による『ミス・アメリカ・コンテスト』脅迫事件に果敢に挑み、見事これを解決したFBI捜査官グレイシー・ハート(サンドラ・ブロック)であるが、恋の芽生えていた(?)同僚エリックにはふられ、かつ捜査官としての存在がメディアにより大っぴらに暴かれてしまったため、これまでのような“秘密裏の捜査”が殆ど出来なくなる。
そんな訳で“FBIの広報担当”として働き始めた矢先、親友でもあるミス・アメリカが誘拐され(どうやらグレイシー自身はその時“準ミス”どまりだったらしい)、グレイシーは彼女を救出するため、再び“現場”に戻る決意をするのだった・・みたいな展開。

良くも悪くもサンドラ・ブロックの魅力が全編に渡って炸裂してる快作(怪作とも・・)
ワタシ自身、『デモリション・マン(1993)』でヒロインとして“掌をクルクル回して挨拶する姿”にちょっと胸キュンとなり(=^_^=)、その後のファンタジック・ラブコメ作『あなたが寝てる間に(1995)』の頃がファンとしてのピーク期だったりもした・・いや、今でも好感を(失うことなく)維持しておりますが・・

が、彼女ならではのステレオタイプなキャラ“恋に破れて強くなるオンナ”と言う部分(『ザ・インターネット(1995)』『あなたが寝てる間に』『スピード2(1997)』も大体は良く似たパターン・・)が今回も繰り返されており、それを打ち破る新境地・・って演出もなかったので、そんなに期待を超える面白さは味わえなかったかな、と。

とりわけ、要(かなめ)であるべきタッグキャラ=サム・フラー捜査官役のレジーナ・キングがどうにも魅力不足で参った・・(×_×)
『ザ・エージェント(1996)』『エネミー・オヴ・アメリカ(1998)』『Ray/レイ(2004)』にも出演してられるそうで、(本来は)今作と毛色の違う女優さんだとは思うんだけど・・

誘拐犯の存在が妙に軽薄だったり、コメディ作品にありがちな「オネェキャラ」「ショーパブ」路線にやっぱり逃げちゃったり(?)、終盤で主人公がとあるアクシデントで死にそうになる演出だけが妙に生々しくて強烈だったり・・と作品自体のバランスもそんなに良くなかった。
まぁ片肘張らずにそこそこに楽しめたから、カネを返せ! とまでは言わないが・・(いや、カネ払ってへんやんか!)

そう言うと、詳しくはないが(=^_^=)FBIの本部がラスベガスにあることを知った本作。DC(ワシントン)にあるんじゃないかと思ってたんだけど・・2本部体制なのかな?

追記1:サンドラ・ブロック主演でヒーローキャラ(若手有名男優)が不在だと「こうなるんやなぁ」と実感されられもした本作。脚本も薄いためか、結局「サンドラの更なる持ち味」を引き出すに至ってない感もあった。。何か歯がゆいんだよなぁ・・
追記2:日本語版スタッフの遊び心と言うか、セリフの端々で「日本国内限定のお遊びセリフ」がちりばめられてて、そこは楽しめた。ダジャレとか流行りネタみたいなもんだが、奏功すればあれって作品自体の魅力を高め得るテクニックだと思う。
尤も監督には「訴えるぞ!」とすら言われかねない“冒涜”にしか受け取って貰えないのかも知れんけど。。

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2007年12月30日 (日)

☆『大統領の理髪師(2004)』☆

27日(木曜)の鑑賞。番組自体は11月初旬に録画しておいたもの。
基本的に、韓流作品(映画、ドラマなど)は「進んで観る方」ではないのだが、本作はタイトルに何処か「ピン☆」と来るモノがあり、観てみることとした次第(←他意はありません)。

結論としては、感動も共感も“期待ほどは”得られなかったものの、最後までダレずに観れる、ほどほどの佳作ではあった。

「“床屋”でなく“理髪師”と呼べ」と、ささやかなプライドを自身の仕事に持つ、誠実で不器用な男=ソン・ハンモ(ソン・ガンホ)を父とする少年ナガン(樂安)を語り手に、大統領府のお膝元にある下町・青瓦台(チョンワデ)の人々の苦節や人間模様、数奇な運命を描いた半政治系(?)大河ヒューマンドラマ。
政変や政略が“軸”の1つとなっており、劇中で人々を電気拷問にかけるシーンなどがあったり、日本人を決して快く思っていなさそうなセリフが盛り込まれたりすることから、万人におススメ出来る「ノー天気にゲラゲラ笑える作品」と期待して観た向きは「えっ?」と感じるかも知れない。

特にイヤ〜な感じだったのが、
・ヒステリックに旦那に当たる、ハンモの嫁のキャラ
・いきなりハンモの脛を靴先で蹴り付ける大統領の側近ら(さらにエスカレートすると銃を頭部に突き付けたりする)
・ナガン少年が電気拷問を受けるシーン(序盤こそちょっと笑えるんだが・・大変な事態となる)
・「殴る蹴る(?)のリンチ後で麻袋に詰め込まれ、家のオモテに放り出される」と言う帰宅スタイルの横行
などであろうか。
って言うか、全般的に韓国のしとたち、体罰&暴言に際限のないような気がして怖い。国際社会的に言えば、我々日本人の方が大人し過ぎるんかも知れないが・・(・ω・)

映画の最初に「本作品はフィクションです」と大きくことわられるが、劇中では絶妙なタイミングで「日時」を明記する字幕が表示され、その辺りの演出がリアルでかなり気に入った。
「何かが起こるんだな(起こったんだな)」と思わせる印象的な映像や言動を程よく客観的に映し、すかさずそこに「日時」が静かに表示されるのである。これは効果的&印象的と言えよう。

実直で愚鈍で、何だか他人である気のしない(⌒〜⌒ι)ハンモが、警護室長チャン・ヒョクスに見込まれ「専属理髪師(後に理髪室長に昇格)」とし官邸に出入り出来る身分(?)となる流れは、そこそこのサクセスストーリーな印象を与えてはくれるも、大統領とハンモの“血の通った触れ合い”みたいなものまでは殆ど踏み込まれず「ああ、やっぱりファンタジーとしては描けない実情(とか国民性)があるんやなぁ・・」と残念に感じた。

なお、本作に登場の大統領ってば「学生時代、日本留学の経験がある」って設定であり「“四捨五入”は日本から入って来た言葉だ」と知識を披露したかと思いきや「日帝時代の残党を国会から一掃せねば」と手厳しい一面を見せたりもする。かと思えば、サングラスをかけカッコ付けて「日本語」で「今日も最高の気分だっしょ」とか言ったり。
いや・・「だっしょ」ってのはちょっと標準ニホン語的にどうかと思うぞ、この大統領めが!(あ、一国の宰相に対してすんません)

ラストで、青年となったナガンと父ハンモが自転車で並走する・・ってシーンが描かれるが「家族の幸せとは、結局はこういう瞬間なんやなぁ」とホッとさせられた。シチュエーションとしては『アメリ(2001)』にも似ているが、こっちはこっちで何とも幸せな雰囲気が漂って来て良かったのである(あくまで父子の物語だったようで、母親は余り目立ってなかったが)。

〜 こんなセリフもありました 〜

ハンモ「無知な連中に対しては、心の中で笑ってやれ。きっと、説明なんかしても分からない奴らだろうから」
   「この国は民主国家だ、罪がなければ捕まりはしない」 ←この台詞が空しく響くことに・・

大統領「国を滅ぼすのは、今も昔も“学のある人間”だ」

妻「あなたはお父さんみたいに“殴られる側”にならないで」 ←息子に
 「殴られることには慣れてるのね、あなたは」 ←夫に

刑事「スパイに年齢制限などないからな、子供とて例外ではない」
  「これは拷問だ、笑われちゃ困る、苦しんでくれないと」

息子「なんでこんな山の中にいるの?」
父親「達人と言うのは、山の中に隠れているものなのさ」

【おまけ】『大統領の理髪師』簡略年表

1960年 3月17日  大統領選挙。開票時に不正はびこり老大統領が再選さる(間もなく辞任)
1961年 4月19日  ソン・ナガン誕生
1961年 5月16日  軍事クーデター勃発
1964年      ソン・ハンモ、官邸に招かれ(連行され?)大統領の理髪を行う
1971年      大統領に初めて話しかけられる(この時ナガン10歳)
1976年10月25日 大統領が逝去(ハンモが大統領に会ってからちょうど12年後)

追記:ナガン君の少年期(青年期ではない)を演じた子役が、何となくニノ(嵐の二宮和也)に雰囲気が似てて好感が持てた。これってオレだけの感覚なんやろか。。

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2007年11月25日 (日)

☆『小さな恋のメロディ(1971)』☆

まとめられてないままの映画メモが溜まって来たので、ぱぱっと書いていきたい。最近の鑑賞はテレビ放送がメインだろうか。
ここしばらく続いてる残業量の凄まじさでは、残念ながら劇場に行こうと言う気すら起きない(×_×)

14日(水曜)の夜、衛星第2で放送されたものを鑑賞。「タイトルは知っていたが、未見だった作品」の1つであり、きっとお約束的な“お子ちゃま路線”の“甘酸っぱい初恋モノ”なんやろな〜と甘く考えてたんだが、これがなかなかに独創的でスパイスが利いてて良かった☆
・・って言うか! 原作&脚本を手がけたのが、巨匠アラン・パーカーではないっすか! コレは全然知らなかった。後年の監督作『アンジェラの灰(1999)』に通じる脚色センスの一片が垣間みられたかも知んない??

※本作では監督は手がけていない。

ビージーズのナンバーをプロモーションヴィデオ的に配しつつ、ダニエル・ラティマー&メロディ・パーキンスの2人が出会い、気持ちを通じ合わせ、学友らと力をあわせ「不条理なオトナたち」に対するスティング(=反逆の一撃)を放とうと試みる・・そんな展開。
ラストが実に唐突&爽快で「ええっ、コレで終わるんかいっ!? いきなりかいっ!?」と驚かされてしまったので、出来ることなら、上映時間とかオチとかの予備知識なく、楽しんで頂きたい作品である。

中盤で驚かされる(?)のは、厳格な校長に呼び出され“お仕置き”を受けた直後、連れ立って歩いてた親友オーンショーを振り切り、階下で待っていたメロディと2人でさっさと去ってしまうダニエル少年。
そんな展開なぞ予期すらしてなかったオーンショーが叫ぶ「ダニー!」の声が校内に空しく響くのだが・・オーンショーに(きっと)近いレベルで、観てるワタシもびっくりさせられてしまった。
こう言う「必ずしも、恋愛の流れを懇切丁寧に描いてない」って演出(=水面下で進展してた恋愛)はなかなかにトリッキーで「やるなぁ!」と感じるものだ。

本筋には余り本格的に(=^_^=)絡んで来なかったが、ダニエルとオーンショーの友達の1人である「爆弾少年」のキャラが好きだった。まるで『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』に登場する主人公の親友ベンジャミン・ブルーのように(←ブルーの場合は“エビ”あるのみだったが)、このメガネ少年にとっては「手製爆弾」を作成し、友人らの見てる前でそれを炸裂させることだけが「生きがい」のようなのだ。

彼の爆弾が果たして完成するのか否か、その辺りも本作の隠れた見所とは言えるだろう(そうかぁ?)

〜 こんなセリフもありました 〜

メロディの友達「初めてのキスには戸惑ったわ、これで子供が出来るんじゃないかってね」

※「予定外の子の父親は“法王”と決まっとる。(ローマ・カトリック教徒にとって)妊娠は神のご意思だそうだ」
 「空襲で耳をやられたわしのおじだがな・・20年ぶりに手術して治ったと思ったら、
  今度はその祝宴の席でシャンパンの栓が眼を直撃し、失明したそうだ・・運命ってのは残酷なもんさ」

メロディの祖母「そんなウソ! 昔だったら、石鹸で口を洗わされるとこだよ」

オーンショー「女ってのは鼻持ちなんない生き物なんだよ!」
      「勝者がチヤホヤされるのは、俺たちのようなマヌケな敗者がいるおかげさ。
       つまり、全ては“上にいる人(=神様)”が決めることなんだよ」

ダニエル「いつも“好きな人”と一緒にいたいだけなんだ。それが“結婚”ってもんだろ?」

メロディ「周りの人に言いふらすんじゃなく、まず私に「好き」って言って。・・最後はイヤよ」
    「大人になると・・何もかもが分かり過ぎて疲れちゃうのかも」
    「ただ幸せになることが、何故こんなに難しいの!?」

追記1:メロディの母が言ってたセリフ「お茶の時間よ、ニシンが冷めちゃうわよ」が何とも意味不明だった。ティータイムにニシンを食べる習慣があるのか?
追記2:「警官のしゃしゃり出ない青春モノ」「妙に晴れ模様の続くロンドン」は素晴らしいと思う☆

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2007年10月10日 (水)

☆『トランスフォーマー』☆

8日(月曜)。ホントは今日は(連休最後の日だし)一歩も外へ出ず、新聞を切ったりしたかったんだが・・ノートPCの具合の悪くなったことが我慢出来ず、正午過ぎから心斎橋にある「林檎ストア」へと(PCを携え←重ぇ〜)出かけたのだった。
当然のことながら、すぐ窓口で対応なんぞして貰える訳もなく(2階にサービスカウンターがあるも、スタッフの絶対(配置)数を少なく設定してるのか(?)声すらかけて貰えんかった・・(×_×))、取り敢えず夕方の予約を取り、PCは1階に預け、なんば方面へ繰り出したのだった。

元々から「時間の都合が合えば・・観るぞ!」と考えてたのが、上映期間も末期となって来た感じの『トランスフォーマー』である。今夏(!)の課題とし「コレだけは観とく!」とココロに決めていた1本なので、ばたばたしつつも何とか鑑賞が叶って嬉しかった♪

場所は「敷島シネポップ」。ここでの鑑賞自体がかなり久しぶりかも(・ω・) でも、何も変わってなくて良かった。
予告編とし『ディスタービア』や『ゾンビ3D』とか。。前者は自宅謹慎を命じられた男子学生が“覗き(ディスタービア)”をする内に、殺人事件の目撃者となってしまう・・みたいな『裏窓(1954)』の応用篇(?)っぽいホラー。主人公の足首にGPS追跡装置だかが装着される設定だそうだが、ランプの点灯色が緑から赤に変わると・・? ってな謎ネタがあるようで、そこだけが気になる。まさか・・爆発する訳じゃないとは思うが(・ω・)
後者は「3D眼鏡」を装着して楽しむ(←楽しいか?)ゾンビ映画。
・・ってか、ここまで映像技術が進化してんのに、、未だ「3D眼鏡の着用」なのか・・と違う意味でびっくり。。

さて、本編開始。「ドリームワークス」のクレジットが「どど〜ん」と表示されるオープニングで、効果音だけを“それっぽく”メカニカルなモノに差し替えてる“お遊び”がまず印象的だった(・ω・)

冒頭でナレーション。「世界に生命をもたらす」と言う“キューブ”なる物質の存在が語られる。宇宙に存在する“それ”は生命を創造する反面、戦争を引き起こすきっかけにもなり得るシロモノらしい。そして何処かへ失われた“キューブ”を探して銀河を旅し、やがて未知の惑星・・地球に辿り着いた“とある存在”が観客に伝えられる・・

物語は複数のロケーションで描かれる。

(1)中東・カタール。シャープ大佐の総轄する米軍特殊作戦司令部が、凶暴な「NBE(非生物的地球外生命体)←生物か生物でないのか、どっちやねん!」に遭遇し、奇襲を受ける。「NBE」は数ヶ月前に撃墜された筈の軍用ヘリ「4500X」に“偽装”していたのだった! 米空域を低空で飛行、基地(司令部)からの確認信号にも応答しない不気味なヘリは、包囲する兵士らの前で“2足歩行型ロボット”へと瞬時に変形、圧倒的な攻撃力で基地を瞬く間に壊滅させ、かつコンピューターからデータを盗もうとするのだった・・
完膚なきまでの破壊で、もはや生存者などいないと思われたが・・レノックス大尉ほか数名の特殊部隊員のみが奇跡的に生き延び、砂漠を渡り隣町(?)まで急ぐのだった。母国(合衆国)へと迫る危機を報せるために・・

(2)アメリカのとある高校。主人公=サム・ウィトウィッキーがクラスで研究発表を行っている。彼は曾祖父が1897年に北極探検をした際の品々を解説するが、あろうことか、それらをオークション販売しようと試みる(=^_^=) 教師にたしなめられるも、泣きついたサムは何とかA−評価をゲット。
彼は学校の外で待つ父親=ロンに「A評価が取れたこと」を報告、そのまま父との約束でクルマを買いに行く。(「A評価を3つ取ること」「2000ドルの自己資金を貯めること」が条件) 道中、ポルシェのショールームにコンバーチブル(オープンカー)を近付ける父に、有頂天となるサムだが・・それは(やはり)冗談で、やって来たのは場末(?)の中古車屋であった。ボビー・ボリビアなる太った店員は「黄色いシボレー・カマロ(74年型)」を5000ドルで売ると吹っかける。ロンは2000ドルしか出せないと言い、ボビーは「(合計)4000ドルならこっちのクルマだ」と隣の「フォルクスワーゲン・ビートル(?年型)」を勧めようとするが・・

(3)ワシントンDC。カタールの米軍基地が壊滅した事態に対し、国防長官ジョン・ケラー(ジョン・ボイト)が若き信号分析の専門家らを集め、攻撃の際に収録された“音声データ”を解析するよう命じる。その中には好奇心旺盛なマギーと言う名の女性プログラマーがいた。彼女は独自にデータを分析しようと、SDカード(パナ※ニック製の2ギガ)にコピーしてちゃっかり持ち出すのだった(←なんでそんなすぐバレる、愚かな行為をしたのかは不明(・ω・))。

(4)エアフォース1(大統領専用機)内部。無造作に置かれていたラジカセがいきなり変形(・ω・) 小さな“2足歩行型ロボット”となり機内からデータを盗み出そうとする。何も知らぬ大統領は「おやつを運んでくれ」などと自室(?)でのんきなことをぬかしている(←劇中で唯一の大統領発言だったような・・) データをある程度盗み出した小型ロボットは着陸した専用機からまんまと逃走、待ち受けていた謎の黒いパトカーに乗り込むのだった。

序盤こそ“シリアスな戦争モノ”かな? って緊迫感がびんびん漂って来たが、途中からチャンネルが切り替わり“学園恋愛モノ”にすっかり変形(トランスフォーム)しちゃう感じか。
ときに、主人公のサムってば運動ダメ、勉強もイマイチ、おまけに童貞らしく、何だか「若い頃の自分」を眺めてるみたいでかなりツラ〜くなって来た・・(=^_^=) 憧れのヒロイン=ミカエラがそんなサムと行動を共にすることとなるが、この娘さんもケバくて! 何とかならんのかこの2人・・って感じで殆ど感情移入出来なかったッス。。

中盤で、更に物語が急展開を遂げる。シンプルに言えば「味方の増援」なんだが、能天気と言うか、ダラダラしてると言うか、何か観ててクラクラして来た。特撮映像が限りなく凄まじいだけに、そいつらの言動を眺めてて「何なんだこいつら・・」と口あんぐり状態のワタシ。ココロの何処かで「・・見事なバカ映画や・・」なる呟きが漏れるのだった(×_×) ←最たるはウィトウィッキー家のお庭のシーンですね。。

特撮として秀逸なのは「白昼堂々の特撮映像」をガンガン見せてくれたこと。全然「夜間のシーン」に逃げてないのは爽快! また「ガラス越しのアクション描写」が多用されていた(例えば、オフィス内の人間が地上の激戦を見下ろしてたら・・ロボットがビル側に吹っ飛んで来る、とか)。実に意図的で誇らし気な印象。
世界レベルの危機な割に、とあるオフィス街限定で戦いが繰り広げられる「コンパクトさ」は観てて妙な気がした。これもある意味『宇宙戦争(2005)』の進化型・・か?

かつて『タイタニック(1996)』で舳先から墜落した船客が、スクリューにガン! と激突して海面にボチャンしてしまう描写に衝撃を受けたが、本作では「忌々しい!」と吐き捨てつつ、巨大ロボットが通行人をぶん殴り(?)、吹っ飛んだその人が止めてあった車に激突するシチュエーションが衝撃だった。あれは痛い、、痛過ぎですわ(×_×)

総括的には「特撮面では行くトコまで行っちゃってる作品」とは評価するも、反面「特撮だけじゃ“超A級大作”には仕上がらんもんなんやな〜」と考えさせられた。ハリウッドの映像表現力の凄まじさと、総合完成度の拙さ・・それらのバランス成立の難しさ、を深く思い知らされた1本である。

観賞後に連想した映画は『GODZILLA(1998)』と『スーパーマリオ/魔界帝国の女神(1993)』だろうか。期待し過ぎた故の、妙な「肩すかし感」・・まさにあの“筆舌に尽くし難き”フィーリングが甦る心地でした(=^_^=)

〜 こんなセリフがありました 〜

ボビー「ウチで買うんだな? クルマ」
サム「仕方なく」

ボビー「勘違いするなよ。車が人を選ぶんだぜ、人が車を選ぶんじゃない」
   「どうだこのセミ・クラシック車は? これは只の“色あせ”じゃなく“特別塗装”なんだ」

サム「犠牲なくして、勝利なし」
  「来たぁ、悪魔のカマロが・・!」
  「あの(高性能な)ロボットはたぶん日本製だ・・そうに決まってる」
  「50年後になって、後悔したくないだろう?」
  「隠れてるつもりかよ? まるで庭が駐車場だ!」

少年「『アルマゲドン(1998)』の100倍すげぇや!」 ←監督は同じマイケル・ベイ(=^_^=)
  「倉庫がメチャクチャだ! 隕石災害保険に入ってるのかな?」

※※※「幸運を試してみるかい? 悪党(Do you feel lucky? ..punk!)」

↑コレって“御大”クリント・イーストウッドの“決め台詞”じゃん!(=^_^=)

母「なぜ部屋に鍵を?」
サム「だって10代だから」

母「言い換えればイイの? “ハッピー・タイム”とか・・」
父「母さん・・そ、それは父親と息子の、男同士の会話だぞ」

レノックス「君はもう兵士だ!」 ←そ、そうなんか?

ミカエラ「あなたの車に乗ったこと・・後悔していないわ」

※※※※「人間にも運命を選ぶ権利がある」

※※※※※「弱者のために戦う者は、負ける運命なのだ」

シモンズ「これは“何をしても許される”バッジなのだ」
    「私はこうして丁寧に頼んでいる!」 ←どこがや・・

母「秘密なんてない国なのよ、このアメリカは」 ←このセリフに込められた“意図”とは?

〜 ちょっと言わせて 〜

■(完全変形でなく)最低限の変形で事足りる場面が多くなかったか? ラジカセロボなど、底部を「車輪」にして移動したらさほど目立たずに済むのに、と思った。
■地球外の存在であるロボットに、何故あすこまできめ細かな“人間のココロ”が備わっているのか?
■自転車ででんぐり返ってアスファルトに叩き付けられたり、ロボットに吹っ飛ばされて車のフロントガラスに激突したりするサム。でも、何故か無傷・・(骨折すらしない) ひょっとして、主人公は“アンブレイカブル(2000)”なのか?
■ご丁寧にもクチビルを動かし、マバタキまでするロボット。ついでにナミダを流してはどうか?
■敵ボスが言ってた「においで分かるぞ、小僧!」のセリフがどうにも違和感。。嗅覚あんの?
■某ロボットが股間部分から“潤滑油”を放出するシーン。あれは流石にモザイクかけとくべきでは?(⌒〜⌒ι)
■(車じゃなく)飛行機系をスキャンすれば、もっと機動性が高まったのでは?
■携帯ロボットの“ミニミニ誘導ミサイル”が可愛い。あれって人体に直撃したら痛いんかな?(・ω・)
■終盤では「映画史上最大規模のフットボール大会(←地域ルール採用)」が華やかに開幕となる・・(⌒〜⌒ι)
■旧カマロオーナーは、途中でがっかりさせられるかも。しっかし布袋寅泰作曲の“あのテーマ”には苦笑。
■重要アイテムの※※。河川敷(?)に転がったままだったが、壊れも回収もされてなかったのは不自然!
■コレが「200年前の物語」だったら、、みんなどんな変形をしてたんやろ?(・ω・)
■市街地で戦いが終わる・・。クラッシュした車が多数転がる中で、唯一「殆ど無傷状態」で放置されてたあの「ポルシェ・カイエン」はどやねん! と敢えて突っ込みたい。
■ジョン・タトゥーロさん(シモンズ捜査官役)、本作ではかなりウザかったっす(・ω・)

〜 作品の“裏”にこめられてた(?)作り手側のメッセージ(邪推) 〜

♦合衆国はスペイン語文化もいつも意識してます。
♦海外の兵士たちは勇敢で、日夜「世界平和のため」頑張っています。
♦「ハマー3」「ポルシェ・カイエン」もイイけど・・やはりカッコいいアメ車に乗ろう。
♦目下、警戒してる国は「イラン」「北朝鮮」「中国」です。
♦近年の大作アクションの“キモ”たる「高架の破壊」も盛り込んでます。『ダイハード4.0』に決して負けてません。
♦“サムライの国”ニッポンの製品を高く評価してます。でも、フィンランド製はちょっとね〜。

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2007年10月 2日 (火)

☆『トランスポーター2(2005)』☆

30日(日曜)。購入して来た某家電を接続したり、ごにょごにょやってる間に、ずいずいと時間が進んでしまい、自室のテレビで映画を観ることとした。
「日曜洋画劇場」で“地上波初登場(←たぶん)”された『トランスポーター2』である。

ジェイスン(←と表記してた、、私的にはジェイソンでエエと思うが)・ステイサム演じる主人公が、本職の「運び屋」から(ある意味)逸脱した命がけのトラブル(の連鎖)に巻き込まれつつも、持ち前の(?)超人的な身体能力&悪運の強さでそれらを難なく突破しちゃって行くシリーズ。
個人的には「運び屋として貫徹(≒完結)された物語」をこそ期待してるんだが、どうにもすぐ「本業を脱線」しちゃうトコが、本シリーズ最大の魅力でもあり難点でもある(⌒〜⌒ι)

元特殊部隊長とし、世界各地を戦い抜いて来た男=フランク・マーティン(ステイサム)。軍を退き民間人(半民間人?)へ転身した彼は、今や「世界最強のプロの運び屋」とし表裏の世界に名の知られた男となっていた。
彼が重んじるのは「ルール」であり、自らの仕事に関し「契約厳守」「(依頼人の)名は訊かない」「依頼品は開けない」の3ルールを設け厳格に遵守している。

彼は現在、麻薬取締局長(?)ジェファーソン・ビリングス氏(マシュー・モデイン!)の屋敷に雇われ、一家のひとり息子・ジャック(6歳)の送迎を平和に引き受けている。そんなある日、ジャックに予防接種を受けさせるため向かった診療所でテロ(?)が勃発、辛くも一味の何人かを撃退(≒殺害)したフランクであったが、結局ジャックは組織に誘拐され、彼自身がその容疑者とし連邦保安局(?)に追われる羽目となる。

偶然にもフランスからマイアミに遊びに来ていた友人(?)タルコーニ警部や、彼の無実を信じるビリングスの妻・オードリーの(携帯電話を介しての)協力を得ながら、フランクは単身、組織を追い詰めてゆくのだった。
そして彼は、全米の麻薬取締体制の壊滅を狙うウィルス・テロ(バイオ・テロ?)計画とその背後に蠢くコロンビアマフィア(←有りがち・・)の存在を知るのだった・・みたいな展開。

前作(2002)ではフランクの愛車はBMW(735)であったが、今回はアウディ(A8)である。御大(=^_^=)リュック・ベッソンが製作&脚本で大いに采配を振るっていることからも(=^_^=)、ごちゃごちゃと訳の分かんないギミックが車内に色々搭載されてるようだ。アウディのボディやガラスも完全防弾仕様となっておるらしい。
それにしては大して(オリジナルからの)重量増となってなさそうなのが不思議なんだが・・(⌒〜⌒ι)

カーアクションより、ステイサムの体術(≒格闘技)の方がよほどカッコ良かった印象か。身近にあるモノを咄嗟に武器や楯にし、攻防を繰り広げるのは出色(特に後半の、棒術で戦うシーンがなかなかイイ! ちょっと『燃えよドラゴン(1973)』とか『ペイチェック/消された記憶(2003)』入ってますわ☆)
しかしその一方で、冷静沈着で常に計算高いかと思えば、後先も考えず、某アイテムが外へ投げ捨てられたのを眼にし、窓を突き破って「ソレを掴むためだけ」に飛び降りるトコなど、アホなんだかどうだか良く分かんない(現実世界なら、あれは確実に“アホな行為”と思う)。
診療所内で戦うシーンなども、床に転がった「木製ドア」をシールドにして銃弾を防いでたが・・あのドアに銃撃を止めるだけの“何らかの秘密(防弾加工)”があったようには見えなかったぞ・・??

最大級にムチャクチャだったのは、クルマの底に仕掛けられたリモコン爆弾を「空中で捻りジャンプさせながら※※※※の先に引っ掛けて外す」と言う大技。これは流石に・・白けました(×_×) まだシートイジェクト(脱出)の方が自然だったと思うぞ、うん。

敵ボスを演じてたおっつぁんの登場場面では・・きゃつは庭園(?)で剣道みたいな格好して大勢の下っ端相手に組手みたいなことをやってた。何なんだ、そりゃ(・ω・) おまけに何処となくベニチオ・デル・トロのバッタもんみたいな男優さんだったり。。
それに負けじと(?)クールな女刺客ローラを演じた女優さんも乳首もあらわにしての熱演だったけど、あんまし美人でないし・・(でもあのオネ〜さんの使ってる銃器は弾丸が無尽蔵な感じで頼もしい☆)
加えて、前作の演技がどうだったのか、もはやすっかり忘れてしまったが、タルコーニおぢさんが「ゆるみ切った言動のおっさん」と化していた。これではまるでベ※ソン自身だ!(←やめんかい)

途中から『M:i−2(2000)』をパクったようなストーリー展開に突入したり。私的には折角の“少年キャラ”が用意されてるんだから、もっと彼とフランクの交流(ヒューマニズム系)が観たかったのに・・。
終盤では、失速する※※※※内での激闘。かなりな勢いで海面に※※したのに、大破も爆発もせず、コレも白ける(×_×)

ってことで、本作を観れば誰もが「“御大”自身が“敢えて”監督をしなかった理由」に何となく気づくような・・そう言う“危うい作品”ではありましたよ、ええ(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもあったのだよ 〜

オードリー「もう私・・どうしたらいいか、分からない・・」
フランク「みんな、そうだ」

フランク「起きないことに気を揉むのは、意味のないことじゃないか?」
    「守れない約束はしない。これが4つ目のルールだ」

※唯一「おおっ!」と思ったカメラワークは、アウディがターンするシーン。頭上から写した「(車内の)シフトレバー」を操作する映像で、カメラ自身もぐるんと回転する演出がカッコ良かった! 両側から突っ込んで来るクルマをジャンプでアレする場面なんかより、よっぽど映像センスがあるし(=^_^=)

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2007年8月15日 (水)

☆『タイフーン(2005)』☆

12日(日曜)夜の鑑賞。「日曜洋画劇場」で地上波初登場とし放送されたモノを観た。チャン・ドンゴン主演による、政治系海洋アクション映画(でエエのかな?)である。
1983年に家族らと共に北朝鮮からの亡命を試みるも、韓国政府に受け入れを拒否され、そのまま“脱北”し姿をくらませた少年がいた。彼、チェ・ミョンシンは「シン」と名乗り、海賊集団を率いて東シナ海を中心に略奪行為を続けている。
家族を銃殺され、一番の理解者であった姉、チェ・ミョンジュとも生き別れてしまったシン(チャン)。今や狂気の野獣と化した彼は「亡命者を黙殺した韓国政府への復讐」に燃える。その手段とし、彼は「高レベル核廃棄物」を数10トン単位で入手、それを加工し韓国内に持ち込む計画の実行に着手する。
一方でアメリカ(=国防情報局)が事態を察知、動き出すことを懸念した韓国・国家情報院は海軍将校、カン・セジョン大尉にシンの計画を阻止することを命ずる。シンの姉がロシア・ウスリスクで娼婦をしていることを突き止めたカンは、彼女に協力を要請し、シンをおびき出す作戦に出るが・・ってな展開。

少し前に観た『PROMiSE(2005)』では、何ともふざけたアクション(4つん這いで超高速疾走・・)を披露し、我々に失笑をもたらしてくれたチャンだったが、同年に主演した本作では、悲しみをたたえた表情に、かなりの好感を持った。
中でも、彼と姉が20年ぶりに再会するシーンでは・・涙を浮かべ、唇を震わせるその演技に、ついウルウルと来てしまった。『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997)』の“あの抱擁シーン”も素晴らしいが、本作のこの場面もまた、今まで観た韓流映画の中で、一番ワタシのココロに突き刺さるモノがあったと思う(あんまり韓流系を観てないのはあるが(・ω・))

反面、チャンの存在感が圧倒的過ぎて、彼に対峙すべきカン役の男優さんの容貌やパワーがちぃと弱いように思えた。「堅物の軍人」としてのキャラ造形はほぼ完璧だったんだが、もう少し何処かにパンチが欲しかったトコだ。

ちょっと笑えたのは「自在に韓国へ密入国を繰り返すことが出来る」と説明されるシンの手口が「コンテナに隠れること」と解説されてたセリフだろうか。。ここは是非「おい、もっとスマートかつ奇想天外なやり方とちゃうんかい!」と優しくツッコんであげたいトコロだ。
そもそもが、亡命家族を拒絶した韓国政府のお偉方にも確かに問題(責任)があるんだけど、もっと直接的にぶっ殺すべきは「国境で待ち伏せ、銃撃を浴びせた北朝鮮側の局員たちやろ!」とふと思うのだ。そっちの方が復讐としても手軽かつピンポイント的に済んだように思うんだがどうなんやろ(・ω・)

中盤からは「タイフーン」と名付けられたタンカー(?)に仲間と乗り込み、“海上を吹き荒れる2つの台風”の暴風圏内で、いよいよ計画を実行に移すシンと、それを阻止すべく少数精鋭の部隊を率いて船に乗り込むカンらの銃撃戦が繰り広げられる。
海賊退治、と言えばやはり真っ先に連想しちゃうのが『プロジェクトA(1984)』であるが、本作の場合はもっとシリアスな色合いが濃かった。邦画で言えば『亡国のイージス(2005)』に何処となくシチュエーションが似てたかも知んない(・ω・)

核廃棄物をヘリウムを用いて※※に送り込む作戦は・・つい『ツイスター(1996)』に登場する“ドロシー”なる観測装置を彷彿とさせてくれた。なお、時限装置搭載で、床から跳ね上がり空中で爆発する手榴弾は『イレイザー(1996)』に出て来る兵器のノリだったろうか。

全体的にアクションシーンの弱い感じがしたが、脚本の組立が異常に巧妙で、ラストに「一番のポイントとなるシーン」を持って来るトコロなどは「予想出来るとは言え、巧いよなぁ〜」と感心させられてしまったものだ。
韓国映画史上でも稀にみる「巨額」を投入し(←150億ウォンとか言われてる)製作されたと言われる本作・・普遍的な完成度の高さ、と言うべきモノは感じられなかったものの、邦画アクションを完全に圧倒するだけのパワーには満ち溢れていたように思った。

〜 こんなセリフもありました 〜

シン「同志、飢えに耐え切れず・・人肉を喰ったことがあるかい?」
  「この世こそ地獄だろ?」

姉「あの世に行ってからも、このご恩は絶対に忘れません」

カン「お前が不幸なのは知ってる、だからと言って、他人まで不幸にしていい訳がない」
  「本当は眠ってなんかいなかったのに、何故(亡くなった)あの日、
   枕元に佇んでいた父さんに「行ってらっしゃい」と言えなかったのか
   ・・それが今でも悔やまれてなりません」←母への遺言より

上司「大事を成すには、犠牲が付きものだ」

カン・ジサン中佐「例え国家が動揺しようとも、軍人たる者、決して臆することなかれ」←カンの亡き父

韓国大統領「我が国の若者は、我が国が守る」

カン「生きて、真実を話すんだ」
シン「何を、誰に話せって言うんだ!」

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2007年8月 1日 (水)

☆『ダニー・ザ・ドッグ(2004)』☆

映画メモが溜まってるもんで、次々に切って行きたい・・が(コレなかなかに・・)。。

12日(木曜)の夜。地上波初放送された映画『ダニー・ザ・ドッグ』を観た(not『ワグ・ザ・ドッグ(1997)』)。
“御大”リュック・ベッソンの脚本による「幼い頃から冷酷な殺し屋として育てられた青年が、盲目の老ピアニストとその養女に出会い、次第に人間としての感情(≒家族愛)に目覚めてゆくヒューマンドラマ」ちぅ物語。
そこに、育ての父親(とその一味)を相手にした格闘アクションあり、ピアニストの娘さんとの恋愛模様あり(それって年齢差どうよ・・)、主人公の母親の死を巡る過去ネタあり・・と色々詰め込んでくれてはいるものの、基本路線は“いつものベッソン節(=かなりB級寄り)”と言い切って良いだろう(=^_^=)

でも、コレがテイストとしては「決して悪くなかった」んで、もうちょい演出面に磨きをかけつつ、是非「ベッソン自身」に監督して欲しかった作品である(←彼の双肩に更なる責任を負わせる意味でも)。

ダニー・ボーイと呼ばれる、“首輪”を着けられた孤独な殺し屋を好演してくれたのが“中国武道界の至宝(・・と今でも言われてるのかな?)”たるジェット・リー。
己が肉体を武器に闘い、ただ眼の前の相手を倒す・・それだけのために生きている“闘犬状態”の青年が音楽(ピアノ)を通じ“ココロ”を取り戻してゆく過程はなかなかにイイ!
「無表情から、やがてぎごちない笑顔へ・・」って流れ(変化)の演技をさせたら、ジェット・リーと言う男・・モノ凄い潜在演技力を発揮するのである!(←褒め言葉です、ホントに)
願わくば、本作のような“ナイーブさを含んだ新鮮なキャラクター像”をハリウッドデビューの折(具体的には1998年ごろ)に見せて貰いたかったモノだ・・(・ω・)
なんかね〜、やっぱりちょっとヒロインとのつり合わなさが感じられたもんで。。

リーは本作に対し「テーマは「反暴力」なんだ」とコメントを寄せてたが、その“反暴力(≒非暴力)”の象徴然として描かれるのが、盲目のピアノ調律師=サムを演じたモーガン・フリーマン。
育てのボス=バート役を演じたボブ・ホスキンス(←かつてはボクらのヒーロー“スーパーマリオ”を好演(1993)してくれたのに・・(×_×))とは、最期まで接点がないんじゃないの? と思わせてくれるほどに無垢で純真なキャラクターを(ほぼ)貫徹してくれてた。

私的に気に入ったのは、リーを中心に「究極の善のキャラ」と「究極の悪のキャラ」が、それぞれに(今日まで蓄積させて来た)人生観を彼の両耳に吹き込む流れだろうか。
何となく『プラトーン(1986)』を連想したりも・・(・ω・)

上質なドラマに仕上がってた“静”のシーンに比べ、妙にチープさの目立ったのが“動”のシーンとも言うべきアクションの数々(ユエン・ウーピンが武術指導してんのに(・ω・))。リーが余りに強過ぎるため(=^_^=)、閉鎖的な空間で複数の相手が(ときに武器を手にし)挑みかかったり、リー自身が「良心」に目覚めたが故、戦いにやけに苦心したり・・と「如何にリーの強さを常人レベルまで下げるか」ばかりに工夫して脚本を仕上げてるようにも見えた。
終盤など、バートが「いよいよ、お前の出番だな」とか言いながら、メチャ強いヤツ(白人格闘家)をリーに差し向けて来るんだが・・どうしても「って言うかお前、誰やねん!」とツッコミが出てしまう。
“最強の敵”を登場させるならさせるで、そこまでの組み立て(やフリ)をちゃんとやっておいて欲しかったぞ。

ほか、バートファミリー(リー含む)の乗ったクルマがいきなり襲撃されズタズタボコボコになる場面があるが、傍目にはどう見ても「完全にバート、殺されてるやん」としか思えなかったな。
どうやって、あの有り様で生命が助かったんか・・も(詳しく解説されず)良く分かんない。まるで『ダークマン(1989)』のラストで激突&爆発&炎上して、肉体がほぼ完全に粉々になった・・と思わせしめた敵ボスが『ダークマン2(1994)』の冒頭でピンピンした状態で復活して来るムチャクチャさにも通じるもんがあった(・ω・)

ま、アクションを総括すると「つまんなかった」んだが・・唯一、アパートのトイレ(?)ちぅ「やたら狭い空間」でドカバキと「超接近」して殴り合うリーと“最強敵”のシーンは、流石に少しだけ“白熱モノ”だった。
そういや『ターミネーター3(2003)』でも、(後半の)肉弾バトルのロケーション(の1ツ)がトイレだったりしたが、この当時「トイレ内で格闘」ってのが、アクション映画の“流行り”だったんやろか(⌒〜⌒ι)

なお、全然本作とは関係ないんだが・・主人公の“変化”と言う部分で酷似してる気のする『リベリオン(2002)』をも一度“でっかい画面”で観てみたくなってしまった(=^_^=)
あれは実に面白かったっスよ〜☆ ←おい、別作品をホメてオチにすんなよ!

〜 こんなセリフもありました 〜

サム「ピアノはでかいが頑丈じゃない、乱暴したらたちまち壊れる・・そこは人間と同じさ」
  「音楽は内から溢れ出るものだ」
  「お前さんの中にエネルギーが流れ出すと・・奇跡が起こるって訳さ」
  「自己発見から少年は一人前になる」
  「一度出たらもうここへ戻れないと思ってるんじゃないのか?
   そんなことはない・・ちゃんと戻れるさ」
  「食べ物は語る、それを教わるためには言葉を覚える必要があるがね。
   例えばこうだ・・このメロンは私にこう言ってる・・熟してるよ、とね。
   つまり食材は語りかける、それを舌で聞くんだ」
  「君はもうパートナーだから・・報酬はきちんと山分けさ」
  「手伝いは要らない、自分だけで、と言う人間もいるのだ」

バート「過去は後ろへ追いやるもんだ。前を、未来を見ろ!」
   「ウソも愛ゆえだ。家族は、良くもめるもんだ、それが却って絆を強めるんだ」

※ボブ・ホスキンス、『スターリングラード(2000)』辺りから“悪役俳優”路線が加速して来たんやろか(×_×)

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2007年7月20日 (金)

☆『ダイ・ハード4.0』☆

「大作」と公開当時から世間で騒がれるような作品を観るにあたり、いつも想いを馳せてしまうのが・・映画評論家・淀川長治氏(故人、1909-98)のことである。特にそのフォロワーと言う訳でもないが、およそ9年前に“映画界の行く末をそれ以上観ること叶わず”してこの世を去られた同氏に対し「どうです淀川さん! あなたが亡くなられた後に、こんなに面白い映画が作られて、ワタシは生きてるウチに、しっかりとそれを劇場で観ることが叶ったんですよ!」と自慢出来るレベルのモノであるか否か。

同氏に「生きてるウチに観といて欲しかったな〜」と思う1本が『マトリックス(1999)』(←続編は不要!)であるが、それ以降はそんなに“エポックメイキングな作品”の思い浮かばないワタシなのだ。
ファンからすれば『スター・ウォーズ・エピソード1/ファントム・メナス(1999)』(とその続編)を挙げる向きもあるかも知れないが・・私的には「アレは・・まぁエエやろ」程度で済ませてしまったり(←ファンの方、済んません)。

そんな訳で、近年(?)では『スパイダーマン(2002)』(とその続編)や『ハリー・ポッターと賢者の石(2001)』(とその続編)などの作品の劇場鑑賞に際しても、無意識的に「この作品こそが、その1本かも・・!?」と妙に全身に緊張を走らせてしまったワタシだった(・・が、双方とも結果的にはそうではなかった)。

さて、前置きが長くなった。今年で言うと、来(きた)る『トランスフォーマー』と共に気になったのがこの『ダイ・ハード4.0』だったことは言うまでもない。ブルース・ウィリス主演による人気(?)シリーズの最新作。さて、その出来たるや・・


18日(水曜)。思いのほか仕事が早めに片付いたのもあり「せば、映画に行こう!」と数秒考えた結果、決めた。で、
(1)笑える邦画
(2)女性讃歌(?)なスペイン映画
(3)ハリウッド系アクション映画
の3コースからチョイスしたのは・・(3)であった(=^_^=)
「アクションシーン満載! 最新のCG特撮満載! ダレ場ほぼ皆無!」と3拍子で好評価されてる(?)本作、確かに「カネ、かかってんな〜!」と驚き呆れさせてくれる完成度ではあったんだが・・どうにも「既視感のカタマリ」みたいなトコもまたあったか(・ω・)

かいつまんで粗筋をまとめると・・
「アナログ主義の“権化”とも言うべき、我らがNY市警のジョン・マクレーン刑事(ウィリス)。ハッカー青年(『チェーン・リアクション(1996)』時代のキアヌ・リーヴスっぽい)の保護(『マーキュリー・ライジング(1998)』のノリ)を依頼されるも、彼はとある過去の行為から、サイバーテロ集団に執拗に生命を付け狙われる存在だった。一味は、名うてのハッカーを次々と殺害(『ターミネーター3(2003)』の序盤に似たノリか)する一方、合衆国の東部全域を狙い“投げ売り(ファイヤー・セール)”なる3段階に分けての「国家機構のシステムクラッシュ」を実行に移す(ステージ1:交通網の破壊⇒ステージ2:金融システムの破壊⇒ステージ3:通信網&エネルギー供給の破壊)。
ハッカー青年=マシュー・ファレルを庇護しつつ、時にテキ組織に対し肉弾的に牙を剥くマクレーンであったが、業を煮やした若きテキボス“ガブリエル(『ソードフィッシュ(2001)』のボスと同名)”はFー35(VTOL:垂直離着陸型)戦闘機(『トゥルーライズ(1994)』に同仕様機が登場)を操り、高速道路上を逃走する(『マトリックス/リローデッド(2003)』のノリ)マクレーンのトレーラーを襲撃させたり、彼の娘=ルーシー・ジェネロを人質にしたり(『暴走特急(1995)』のノリ)する。
ファレルのハッカー仲間“ワーロック”による外野からの支援(『ギャラクシー・クエスト(1999)』のノリ)を受けたりもし、辛うじて戦闘機を撃退する(『m:i:3(2006)』っぽいノリか)マクレーンであったが、遂に眼の前で愛娘に銃を突き付けられる事態に至り、いよいよ“万事休す”の状況を迎える・・」

って感じだろうか。
他にも“ガブリエル”の側近であるハッカー“トレイ”のキャラが『007/ゴールデンアイ(1995)』に出て来そうなノリだったり、マクレーン自身の風貌&テログループの「俺たちがやった」的なアピールが『12モンキーズ(1995)』を連想させてくれたりもした。後半、回転する機械に転落して破砕(?)されちゃうテロリストは『007/消されたライセンス(1989)』的な演出だったし(・ω・)

ところで、ワタシの考える“ダイ・ハード的世界”を満たすべき「条件」ってのが(一部抜粋)、
♦主人公の徹底的な運の悪さ(かつ“ここ一番”の悪運の強さ)
♦主人公の異常なタフさ
♦とことん「巻き込まれ型」とし描かれる主人公(決して“英雄”を意識しない)
♦密かに作品の底を流れる夫婦愛
♦主人公が不条理な殺戮(犯人らによる)を眼にし、自らの無力さに嘆き怒るシーンの挿入
♦絶妙な相棒との連携プレー
♦適度な閉鎖的ロケーション
♦テキ黒幕との頭脳戦(相容れない“価値観”の激突も含む)
♦適度なチープさ
辺りだと思う訳で、本作を観てると・・「運、良過ぎやん」「自ら危機に向かって行ってるやん」「夫婦愛、皆無やん」「案外“英雄”を意識してるやん」「閉鎖的とちゃうやん(大きな意味では閉鎖的空間だが・・)」「テキ黒幕、世代がもはや違うやん(『香港国際警察/NEW POLICE STORY(2004)』を観た時のような違和感や・・)」「全然チープ感がないやん」・・ととにかく突っ込めるのである。

ってことで「ブルース・ウィリスの最新主演作」「ハリウッド的大作」とは大いに認めつつも、「ダイ・ハードシリーズの満を持した新作」とはとても認められない(認めたくない)ワタシなのだった(・ω・)

とは言え、流石に『1(1988)(←20年も昔の作品やねんな〜!)』の総合的完成度には到底及ばぬながらも、『3(1995)』よりは数倍(以上)面白いし、スタッフ&共演俳優陣の面(豪華さ)を除けば『2(1990)』を凌ぐデキでもあった。
ってことで『3』を観て「終わった・・」と判断を下してる人は、ちょっとシリーズを再認識する意味で、本作を鑑賞しても良いのではなかろうか。

ほか、次のような「ネタ」「疑問点」など(・ω・)

■1流ハッカーが敵ボスなら、真っ先に捜査側には“黒幕の目星”が付いたんでは?
■1流ハッカーが敵ボスなら、2流や3流のハッカー陣では全く太刀打ち出来なかったんでは?
■密かに“C4爆弾”を仕掛ける「A案」より、突入しハッカーをダイレクトに殺害する「B案」の方がよほど簡単だったんでは?
■“カンフー忍者”と呼ばれた(マギーQ演じる)「マイ」さんって、やっぱし“女忍者”の血を引く日本人女性だったの?
■シリーズ恒例(?)の「エレベータシャフト内」でのアクション・・何だかカメラワークが分かりにくかった気がした。地味だったし。
■『コラテラル・ダメージ(2002)』で強烈な印象を残してくれた、クリフ・カーティスの起用の仕方がちと勿体なかった(×_×)
■おたくハッカーは皆「ボバ・フェット」ファンでなければならないのかっ?!(⌒〜⌒ι)
■目の前の信号が「青」とか、トンネルの電光表示が「通行可」とかでも、多少は周囲を気にしつつ走るもんではないのか?
■白熱するトレーダーの皆さん。“ガブリエル”に言わせれば「お人好しのアホども」らしい。。
■Fー35の攻撃力は確かに凄まじい! ミサイル直撃で高架はたちまち倒壊、機銃掃射でトレーラーの鉄板は紙のように飛散!
■大統領コメント(映像)をコラージュ(←何故かニクソンの映像は含まれなかったらしい(・ω・))して作られた「犯行声明ビデオ」はなかなか面白いアイデア! でも、実際に真似て製作⇒ネットで流したら・・“黒服の男たち”が早々に自宅にやって来るんだろうか(×_×)?
■市警では「痴漢事件」のことを「587」なるコード名で呼ぶらしい。。
■マクレーンには「ジャック」「ルーシー」の2人の子供がいるとの設定。
■“ガブリエル”に「デジタル時代のハト時計」と称されたマクレーン。『第三の男(1949)』におけるオーソン・ウェルズの名セリフを意識したつもりか?
■B※Wのエンジンをかける際の“ドロレス”説得シーンは・・何なんだ? あれって「救援センター(遠隔地)」の女性担当者なのか? クルマに搭載の「人工知能」だったのか?
■何とも久々な感じの戸田(奈津子)節。それにしては、あんまし“意訳”のない、面白味にかける字幕やったな・・
■終盤における“ガブリエル”の凄み系セリフ「あのクソヤローを殺せ!」は『M:iー2(2000)』の終盤でテキボスが部下に言い放ったひと言と寸分違わず同じだったような気がした。

〜 こんなセリフもありますた 〜

ファレル「ニュースは大手メディアに操作される、そして・・大衆は恐怖心をあおられるのさ」

ファレル「殺しに慣れてるのか、あんた?」
ジョン「まあな・・昔は」

ファレル「ハリケーンの処理にすらもたついた政府が、どんな対策を?」
    「銃を突き付けられてちゃ、こう言う仕事は難しいんだ」

   ↑『ソードフィッシュ』でヒュー・ジャックマンが言ってそうなセリフ(・ω・)

ガブリエル「いいか、2度と躊躇うな」

ジョン「今欲しいのは・・医師じゃなく、警官だ」
   「世界は(無機的な)システムじゃない、国家であり、血の通った国民だ」
   「英雄とは・・最後にゃ背中を撃たれる存在なのさ、そして・・その名もやがて忘れ去られる」
   「そっちはそろそろ“持ち駒”も品薄なんだろ?」

ファレル「作戦は?」
ジョン「娘を助け・・ヤツらを全員片付ける」
ファレル「それが作戦?」

ボウマン副局長「我々は“石器時代”に逆戻りした」

ジョン「お前は娘の命の恩人だ・・立派な“英雄”だよ」
ファレル「成り行きさ」

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2007年7月18日 (水)

☆『ティアーズ・オヴ・ザ・サン(2003)』☆

8日(日曜)の鑑賞。ブルース・ウィリス主演の人気(?)シリーズ最新作『ダイ・ハード4.0.1β(←ちと違!)』の劇場公開に併せてか(?)、地上波初放送されたモノを観た。

何と本作、「元々は『ダイ・ハード4』的な位置付けで企画された作品ながら、そのテーマ性の深さから、独自の作品に仕様変更されたもの」だそうだ。ホンマかな〜・・ま、そう言われるとメインキャストのお2人(の組み合わせ)だけは確かに豪華やったけどね☆

昔から余り(本人の好む)路線じゃなかったのか、ここ数年ほど(それ以上?)殆どウィリスの作品中での“屈託のない笑顔”ってのを観た記憶に乏しい(・ω・) なんか、どの作品も仏頂面統一主義で、どっかスカしてる印象だ。
昔だと「この笑顔を抑えた演技が、ごっつぅカッコええんやな〜」とそれなりに納得し、シビれてしまってたが、近年では「ひょっとして、極めて表情の乏しい男優さんなのでは?!」と妙に気になってしまったりするのだ。

或いは代理人が「彼は、少なくともそう・・3本(3千万)のギャラが出ないと、表情を一切変えないと言ってるね」とかスカした注文をつけたりしてるんやろか? などと色々ゲスなりに妄想を膨らませちゃうトコである。

※一説ではウィリスの『4.0』出演料は2500万ドルと言われてる(・ω・)

本作も「戦地」が舞台となっており、彼の笑顔もまた「なくて全然OKだョ、ブルース(←監督の気遣いコメント風)」な物語ではあった。

“2つの部族の衝突”を軸に「軍事クーデター」の勃発したナイジェリア。サミュエル・アズーカ大統領一家は捕まり処刑され、ヤコブ・ムスターファ(←確かそんな名だった)将軍が国内全域をほぼ掌握した状態となっている。
「在留外国人を一刻も早く救出せよ(=国外へ退去させよ)」なる(内政干渉気味な)任務を受け、アフリカ沖の空母を後にしたのは、米海軍特殊部隊所属の“歴戦の勇士”ウォーターズ大尉(ウィリス)とその配下である精鋭部隊の海兵7名(レッド、ジー、レイク、スロー、シルク、ドク、フレア・・ちぅ名だった、確か)。

「辺境の村の教会で医療ボランティアを続ける女医=リーナ・ケンドリックス(モニカ・ベルッチ)と神父、そして2名の修道女を引き連れ、12キロ先のヘリ着陸地点まで向かう」と言う簡単な任務の筈だったが、リーナが「村の人々を見捨て、自分たちだけ逃げることは出来ない。自力で歩ける難民(約70人)も全て連れて行け」と条件を出したため、部隊の救出作戦はいきなり難易度を高めることとなる。

リーナを納得させるため、取り敢えず難民らと共に出発、やがて救出ポイントへ辿り着いた一行。大尉は彼女のみをヘリに押し込んで強引に離陸させる。約束を破ったウォーターズを責めるリーナ。やがてヘリは村の上陸を通過する・・
眼下には、反乱軍に虐殺された“村に残された人々”の遺体があちこちに散乱しており、「村に残る」と救出を固辞した神父&シスターも同様に殺されていた。
黙ってその惨状を見下ろしていたウォーターズだったが、彼の眼には“やがて起こるべき悲劇”が浮かぶのだった。

「救出ポイントに残して来た人々も、間もなく全員が虐殺されるであろう・・間違いなく」

彼は静かにパイロットに命じた。「ヘリを救出地点へ戻せ」と。
それは彼が軍人として長年過ごして来た半生の中で、初めて犯した「命令に背く行動」でもあった・・

うーん・・(オリジナル版から)放送時間的に“カット”が入ったもんなのか、ウォーターズがいきなり「ヘリを戻せ」と命じる辺りの行動が実に突飛な印象があった(果たして彼の中でどれほどの葛藤があったんだろうか?)。難民に対するヒューマニズムの目覚め、と言うことなら、ベテランとなった今にして起こるもんでもあるまいに、と(・ω・) どうも「前夜にリーナ医師との間に何かがあった」ような邪推をしてしまうんだが。。

部下たちも妙にまとまり過ぎていたし(・ω・) ←ああ言う状況下だと、1人ぐらい「騒ぐヤツ」がいて然るべきだ。現実世界なら・・(⌒〜⌒ι)

ま、そう言うことで「軍人失格&人間合格」な判断を下した大尉ご一行。難民は救えども、少数精鋭な部下たちが次々に倒れて行く・・と言うその後の(ある意味理不尽な)展開は『七人の侍(1954)』とか『地獄の7人(1983)』或いは『プライベート・ライアン(1998)』を連想させるに難くない訳である。

考えると妙な感じのしたのが「(民族&宗教違いながら)同国人に追われ、殺されかけてる状況を、外国人に救われる人々」って言うシチュエーションである。無抵抗な同国人をひたすら虐殺する心理が、“平和ボケ”したワタシには良く理解出来なかったりもする。
まぁ、本作の場合、反乱軍が必死に追いかけて来る理由が、その後“半ば唐突に”判明する展開でもあったが(・ω・)

※建前的には“民族浄化運動”のひと言で済まされていたけど・・(×_×)

ラストでは、上空からの待ちわびた“支援”で、そこまで迫っていた危機はイッキに“打開”出来る訳だが・・テキの司令官もちょっとおマヌケと言おうか・・全然「空から来る援軍」を予期してなかった感じだった。。
私的には、ラストはもうちょっとウォーターズ自身に(肉弾的に)活躍して欲しかったトコだけど・・その辺りの消化不良さも『ダイ・ハード』シリーズを冠せなかった理由かも知れないなー、とボンヤリ妄想するのだった。

〜 こんなセリフもあったであります! 〜

神父「神と共に!」
大尉「神はもうここ(アフリカ)を去った」

女医「今日あなたは良いことをした」
大尉「果たして良いことなのかどうか・・長い間していない気がする、良いことや正しいことを」

※※「今まで黒人は意見を言うなと言われて来たけど・・あんたの行動は正しい」

レッド「彼らは、荷物なんかじゃありません」

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2007年5月27日 (日)

☆『天使のくれた時間(2000)』☆

23日(水曜)の鑑賞。先週の衛星第2ちゃんねるは「ヒューマニズム系」の特集だったんやろかな?
本作、(公開当時から)タイトルだけはおぼろげに知ってたような気がするも、詳しくは知らず、興味本位で観てみることとした。「ニコラス・ケイジ主演」で「天使」とくれば・・どうにも『シティ・オブ・エンジェル(1998)』を連想してしまうんだけど(・ω・)

物語は1987年に始まる。証券会社の(?)研修に向かうためロンドン行きの飛行機に搭乗するジャック・キャンベル(ニコラス)とそれを引き止めようとする恋人のケイト・レイノルズ(ティア・レオーニ)。ジャックが彼女を振り払って(?)ロンドンに発ったことで、この1つの恋は終わりを告げることとなる。

13年後、ニューヨークの街にはラシター社(投資会社)の若き社長となったジャックの姿があった。家族はいないが大富豪にのし上がったジャック、まさに順風満帆である。
シングルのクリスマスイブ。気まぐれで歩いて帰宅することに決めた彼の前に“天使”が現れ、もう1つの“リアルな人生”を見せることになろうとは、降り出した雪につい感傷的となってしまった彼にも想定すらできぬことであった・・

とある事件を経て、一夜が明けると、ジャックの人生は一変していた。
ベッドの隣にはケイトの姿。どうやら彼女と結婚し既に13年が経つらしい。2人の子宝(アニーとジョシュ)に恵まれ、摩天楼を遠くに眺めるニュージャージーで「ビッグ・エドのタイヤ店」に勤務する平凡な男、それが“こちらの世界”でのジャックの生活だった。
いきなり「シングルライフ崩壊」「収入激減」と変わり果てた生活に衝撃を受ける彼だったが、妻子と暮らすうちに、やがて彼の価値観が変化を遂げ始めるのだった・・そんな流れ。

「クリスマスイブの夜」に“とある来訪者”によって奇跡がもたらされ、1人の傲慢な(?)男の心が変化する辺り、チャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』の変則ネタと言えなくもない。

冒頭、ヴェルディのオペラを絶唱(?)するニコラスはなんか『フェイス/オフ(1997)』のテンション再び! な感じで好感度高し!(=^_^=) フェラーリを乗り回してるトコは『ザ・ロック(1996)』っぽいし・・色々な部分でニコラス主演作の集大成って感じもしないでもない(←アクションは皆無でつが・・)

ジャックを導く“天使”キャッシュ役にドン・チードル。私的には「ちょいとミスキャストでは?」ってな感が拭えなかった。チードルが演(や)ると「天使には見えない」し「青年にも見えない」のである。ま、劇中ではキャッシュが“天使”と言う設定はいっさい語られなかった訳だが・・

※私的にはキャッシュ役を(ちょっと登場シーンの演出を変えて)ジョン・トラボルタにやって欲しかった、と(=^_^=) 背中に翼を付けても良いし(『マイケル(1996)』)、ツイストを踊っても良い(『パルプ・フィクション(1994)』)。スポーツカーをかっ飛ばして、ブレーキなしで交差点に突っ込んでも許す(『ソードフィッシュ(2001)』)(=^_^=)

ヒロイン役のティアはどうかなぁ・・『ディープ・インパクト(1998)』の時の方がビジュアル的には好きだったかも。本作ではどうにも所帯じみてしまっていけませんですた(⌒〜⌒ι) ←いや、そういう役柄だよ!
1シーン、磨りガラス越しのヌードシーン(=シャワーシーン)があるも、自室のTVが緑色にしか映らないもんで、かなり気落ちしてしまった・・おれ的“一世一代の大チョンボ”かも(←大げさだよ)
とある夜「子供たちは寝たわよ・・ね、子供たち、ぐっすり寝たってば!」と妙にテンション高く、寝室でジャックに迫る姿はなかなかよろしかった☆ ついでに『釣りバカ日誌シリーズ(1988〜)』で言うトコの“合体”のシチュエーションも余さず観てみたかった・・けど、相手役がニコラスだから、観なくてもエエか。。(←ニコラスファンの方、済みません)
あ、でもニコラスが歌う『LaLa means I love you(ララは愛の言葉)』はなかなか良かった。オリジナルはディルフォニクス(THE DELFONICS)の歌う1968年のナンバーだそうで。キャロウェイ(Calloway)や殿下(Prince)もカヴァーしてるんですよね〜。
あと「サヨナラ、ウォールストリート(Wall Street)」とニコラスの言い放つセリフがあり、彼の流暢な(?)ニホン語が楽しめますわ。
(『タイタニック(1997)』や『ロボコップ(1987)』でもニホン語で「サヨナラ」と言うセリフがあったような・・既にグローバルな言葉なんじゃろか?)

物語の進行上、成功者による「小売業」を批判するようなセリフのあったのが印象的だったか。ジャックも人生で2度「成功を目指す」選択をする訳だし・・作り手側の意識として“やっぱ生きてる以上、成功はしなくちゃ! あ、でも家族も大切にね”みたいなメッセージを発していたんかも知れない(・ω・)

前述の通り「ドン・チードルが天使にはとても見えない(←どっちかと言うと「スーパーカー好き」「頑固で身勝手」って性格が『ヒドゥン(1988)』に出て来た“アルテア星人”にこそ似てると思う(=^_^=))」って入口の時点で、作品世界に躓いてしまったワタシなのだが(=^_^=)
「人と人には出会うべき“瞬間”があって、それを逃しちゃなんねぇ」ってことは良ぅく分かった気がした。
ま、逆に言うと「その“瞬間”をやり過ごせば、一生関わらずに済むだろう関係もある」ってことだけど・・(=^_^=)

〜 こんなセリフもあったでしかし 〜

ジャック「以前は自信に満ちていた、疑いも後悔もなかった」
    「別れてもなんとかやってはいけるだろう、だが僕は君と一緒にいたい」

ケイト「人生設定なんか問題じゃない、一緒にいることが大事なの」
   「あなた、見逃したのよ・・プレゼントを開けた時の娘の笑顔を」
   「人生って予想外のことばかり・・でも結局はこうやって順調に運んでるわ」
   「あなたとこうして一緒にならなければ、確かなものが全て消えてしまっていたわ」
   「それ(転職)があなたの結論なら、私はついていくわ・・愛しているから。
    どこに住むかなんて問題じゃない、一緒にいることが大事なの」

アーニー「信託銀行は債務者にゃ厳しいもんだ」

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2007年4月30日 (月)

☆『トロイ/TROY(2004)』☆

29日(日曜)の放送。地上波初登場。

実は、この日の早朝から、岐阜県内の寳塔を巡る長距離ドライヴをこなしてたんだが、「早く帰らねば!」と言う動機付けをワタシにさせたのが、実はこの映画(=^_^=) ・・いや、今は録画でけへん環境やし。
幸いにも、放送開始に間に合い帰宅出来て良かった(=^_^=) まぁ・・その夜は、若干夜更かしするつもりが、1:00過ぎで見事に“落ちて”しまったが・・(×_×) ⇒その後、約11時間もぐぅぐぅ眠ってしまった・・

ウォルフガング・ペーターゼン監督が、(ホメロスによる歴史叙事詩「イリアス」に描かれた)古代ギリシアのトロイア戦争に材をとり、描いたスペクタクル巨編。ペーターゼン監督作品としては、大した評価も出来ないが(彼ならずとも撮れるレベルの作品と思うので)、キャスト面に制作費を傾け過ぎてる訳でもなく、「物語世界ありき」で作り上げて行ったその姿勢は、褒めてつかわして良いんじゃないかと感じた(←何をエラそうに!)

紀元前1200年。スパルタの港。
ミュケナイ(ギリシア)の王アガメムノン(ブライアン・コックス)(←今回は“ミイラ男(1998)”にはなりません(=^_^=))とその弟、スパルタの王メネラオスは、宿敵であるトロイの王プリアモス(ピター・オトゥール!)との間に和平協定を結ぶ。コレ即ち、めでたしめでたし・・

が、その夜、プリアモスの次男であるパリス王子(オーランド・ブルーム)が、スパルタ王妃ヘレン(つまりメネラオスの嫁はん! つまり・・人妻!(・ω・))と恋に堕ち、彼女を船に乗せ、トロイに戻ってしまう(×_×)

屈辱と怒りに燃えるメネラオス。アガメムノンはこの事件を口実に「トロイ侵攻」を開始する。千の船団(兵数:約5万)がトロイに進軍する。だが、鉄壁の防御を誇るトロイ城塞への入城は、長期を要するものと思われた。

ギリシア側の擁する英雄は“神の子”と評されたアキレス(ブラッド・ピット←筋肉美がすごい!)、対するトロイ側にはパリスの兄である最強の戦士、ヘクトル王子(エリック・バナ)の存在が立ち塞がる。
こうして、英雄たちによる、また男と女による、歴史に残る大戦の幕が上がる・・! みたいなストーリー。

とにかく「国名」「人名」がごちゃごちゃ登場するので、われわれニポーン人としては実に取っ付きにくい(×_×) 「セリヌンティウス」「ゴッドネロス」「ロンギヌス」「ゴライアス」などなど、(それっぽいけど)関係ない名前が次々に浮かぶ(⌒〜⌒ι) ←全部分かる人はきっとオタクでしょう(=^_^=)
「ギリシア人俳優が全然おらん」とか「みんな英語喋ってる」とか言う違和感があるも・・それって「ハリウッド」ではOKルールなんでしょ。

先日観た『バベル』での“等身大”過ぎる演技と比して、存在感をアピールしまくってたのがブラピ(ブラッド・ピット)。冷静に考えたら、あんま強そうでもないんじゃ? と思うんだが、戦闘時のトリッキーな動きがカッコいい・・と言うか面白い! 彼の戦闘開始直後(相手と距離を詰める際)の意表をつく動きは「必見」ですわ!
(彼のジャンプは高さから考えて、若干「ワイヤー操作してる」と見た。あと、古代ギリシア流の戦闘法が余すトコなく描かれるも・・きっと当時の映像記録なぞ残ってるわきゃないので、あとからスタッフが考えた動きなのでしょう)
にしても、ブラピの使ってる剣ってば・・妙に短かったなぁ(・ω・)

も少し、オーリー(オーランド)に光を当てた展開なのかな? と思ったが、本作の魅力は「全てブラピがかっさらった」ように感じた(アキレスが「イリアス」の主人公でもあるから当然か)。彼以外では知将オデュッセウス役のショーン・ビーンが目立ってたか。何だか『ロード・オブ・ザ・リング(2001)』の“プチ同窓会”って感じもしたな(=^_^=)

オーリーってば「人妻は奪う」わ「対決の最中に逃げ出す」わ・・かなりイケてない役回り。「こいつは、どやねん」と思ってたら、終盤で弓を取っての大活躍! やっぱしオーリーには「剣」じゃなく「弓」なんだろう。「いいぞ、レゴラス!」と叫んだ視聴者も決して少なくはあるまい(=^_^=)

意外なトコロでは「神が登場しない」と言う脚色がある意味新鮮だった。もっと“天変地異”とかがCGを武器に(=^_^=)描かれるか(セシル・ブロント・デミル作品的?)と思ってたんで。反面、意外にあっさり主要キャラが死んで(殺されて)行ったりもして・・「神はおらんのか〜!」と心で叫んだ視聴者も決して少なくはあるまい(=^_^=) ←そんな言い回しばっかし!

「神に対する信仰」「愛する家族」「祖国」「戦士としての名声」・・それぞれに男たちの戦う“理由”はあるんだが、そんな戦いの「始まった理由」とか、また戦士が「死んでしまった理由」を考えてみると「女が原因」と言うのが目立ってて・・ちと考えさせられたか。
オデュッセウスが劇中でボソッと、
「女は物事を、ややこしくするものだ」
と言い放つんだが、ここは聞き逃したらアカン部分(=^_^=)だと感じた。
(ショーン自身、実生活で数度の離婚歴があるらしく、彼なりの皮肉ととらえることも出来ようか・・)

が、その割に「女優陣に魅力が乏しい」とも正直感じた。「有名女優を出してくれ!」と安直なことは言わぬが、もうちょい、何かを工夫して貰いたかったな。

その他、幾つか(ネットで調べたりも)

○メネラオスの最期が唐突。。と思い、調べたら「イリアス」の解釈とは異なるらしい。史実では“木馬に入ってた1人”とのこと。
○アガメムノンもトロイから“無事”凱旋するらしい。
○5本の矢。アキレスの致命傷は・・1本目とも言えず?
○結構“性に解放的”なギリシア世界(←羨ましい)。でも“避妊の概念”なんか当然ながら有り得ない訳で・・考えたらかなり怖い(×_×)
○「トロイの奸計」で有名な後半のエピソード。観てて『インデペンデンス・デイ(1996)』を連想してしまった(・ω・) “鉄壁の防御ならば内側から破壊”って感じやね。
○「トロイ」と耳にすると、つい「アーチャー」と連想(1997)してしまう。これって密かに「ウー」な感じ(=^_^=)
○「今日の戦いはここまでだ」「ああ」などと言って、激闘の中断されるのが「紳士的」と言おうか「祭事的」と言おうか、面白い(「源平の合戦」もこんな感じだったんやろか?)。休戦時にはお互いの負傷兵の手当とか、したんやろか(なら最初から傷つけ合うなよ、とも思うけど・・)。
○「この木馬は不吉です、すぐに焼きましょう」とはパリス王子の提案。あんたえらい!(=^_^=)
○大軍同士がぶつかるのでなく、代表的な戦士2人が衆目の中で“タイマン(一騎討ち)”するスタイルは良いと思う。スタロ〜ンだって、きっと本作を観たら「2百万人が殺し合うより、2人の人間が殺し合う方がまだマシだ!」とか(佐々木功風な声で)叫ぶに違いない(←そりゃ『ロッキー4(1985)』だっつぅの!)
○木馬の登場シーンで「とくと見せて貰おうではないか、“連合”の“木馬”の実力とやらをな」なんてなセリフが浮かんでしまった。何て機動戦士トミノな。。

〜 こんなセリフもありました 〜

アキレス「もし俺が不死身なら、戦いで楯など使わぬだろう」
    「自分で戦う国王と言うものを、一度ぐらい見てみたいものだな」
    「誰も見てない場で王子(ヘクトル)を殺すのは勿体ない」 ←不敵やね〜
    「選んだのではない、こう生まれついたのだ」
    「神殿では教わらぬことを教えてやろう・・神々は羨んでいる、われわれ人の命に限りがあることをな」
    「人はみないつか死ぬ、それが今日でも、例え50年後でも同じことだ」
    「戦いと言うものは、誰かが負けねばな」 ←「勝たねばな」と言わないのがポイント
    「お前を転がせたその石ころに、手柄などやらぬぞ!」
    「あんたはこっちの王よりよっぽどいい王だな」

パリス「明日を恐れるな」

ヘレン「あなたに出会うまで、私は亡霊だった」

ヘクトル「神々は、気まぐれなものだ」

オデュッセウス「お前は剣、俺は知恵が武器だ、それぞれの“神々の贈り物”を生かさねばな」
       「恐れを知らぬのも問題だ、恐怖はときとして役に立つ」

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2007年4月25日 (水)

☆『沈黙の聖戦(2003)』☆

またまたハナシは古くなるが、さる12日(木曜)にTV放送されてたアクション映画『沈黙の聖戦』を観た。
後で考えたら・・真剣に観たおれがバカだった(=^_^=)

タイ旅行中に愛娘ジェシカがテログループ=アブ・カラフに誘拐されちゃった、元CIA局員(未だ現役ぎみ?)のジェイク・ホッパー。怒りに駆られた彼はバンコクに単身潜入、必要以上の(=^_^=)殺戮を繰り広げるのだった・・! みたいな内容。
なんかアーノルド・シュワルツェネッガー(アクション俳優時代)主演の『コマンドー(1985)』と大して変わんない脚本だった気もする(・ω・) ←リメイクだったりして。。

地上波初登場のスティーヴン・セガール主演作。こんなんを満を持して放送してくる辺り、『木曜洋画劇場』を擁する“テレビO阪”上層部の不敵さをひしひしと感じる(=^_^=) その翌週には『ドリヴン(2001)』流してたし・・何かここの番組のチョイス、ヤバいッスよ、絶対!(=^_^=)

冒頭から、ハワイの謎の別荘(かなんか)に単独潜入してるホッパーこと我らがセガール。あんたの潜入シーンよか、別荘のプールで泳いでる、全裸(?)のお姉ちゃんの方が鑑賞に値してたっつ〜の、とか(⌒〜⌒ι)
潜入は(確かに)鮮やかに成功してたけど、なんか指紋があちこちにベッタベタ残ってたし・・(アタマ悪っ)

「セガール現るところ乱あり!(←ってか明らかに人為的殺戮(=^_^=))」って感じで、あちこちで格闘戦するんだが、本作での彼の動き、どうにもキレが良過ぎて怪しい(・ω・) どうやらスタント(替え玉)を使ってる可能性が濃厚だ。
むろん、ラブシーンだけは間違いなく本人だったが(←あんたはショーン・コネリーかい! みたいな)
ワイヤー・スタントとかガン・アクションとかを意欲的に取り入れつつ、ちんたらハナシは進むんだが、結構真面目に恋愛(レクリエーション活動)に精を出してるのは意外と言うか、微笑ましかったな。
「君が望むなら、国外にだって、俺についてくればいい」とかしっかりマジにアピってるし・・

後半も超人的な勢いのまま突っ走ってて、
○アサルトライフルを構えた敵軍団(プロ)相手に、サイレンサー付ピストル2丁ぽっちで互角(以上!)に渡り合う。
○敵ボスが狙い済まし、矢を射る⇒放たれた直後の(矢に)背を向け、背後の刀を掴む⇒その鞘を払い、振りかぶる⇒向かって来た矢を一刀両断にする。
みたいな、どんな戦闘能力やねん! とツッコむほかに道のなき蛮行を色々とやらかしてくれてた。

終盤なんぞ、敵ボスとの格闘中、遠隔操作で“呪術攻撃”されて、胸を押さえてましたで。もうムチャクチャや! なお、そんなホッパーを助ける老師もまた「そなたの行って来た行為はすべて愛のため」とかなんとか分かんねぇことホザいておりましたよ、ええ(・ω・)

うーん・・何処へ行こうと言うのか、我らがセガール・・

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2007年4月20日 (金)

☆『ドリヴン(2001)』☆

何やら何だか、シルベ・スタロ〜ンが最近とみに元気である(・ω・)
『最後のドラマ(1990)』でホンマに最後となるかと思ってた“ロッキー”シリーズに、最新作『ザ・ファイナル』が加わることとなった!(『4(1985)』の対戦で被った“パンチドランク症候群”に苦しんでた設定の筈やのに??)
スチャダラパー(日本のラップトリオ)の1991年ごろの言葉(ライム)を借りて言えば「もぅ、やめんかお前ら、ロッキーか」って感じではあるんだが・・
一方では、アルカイダをモデルにしたと思しき「中東のゲリラ組織」と共闘してた(1988)、主人公ジョン・ランボーを演じる某シリーズ(=^_^=)の最新作(4作目)も製作されるそうである!
御年60だと言うのに、何とパワフルなんだろう(・ω・) この調子だと『デッドフォール(1988)』や『コブラ(1986)』の続編なんかも製作し始めるのかも知れない。誰か、止めてやってくれ(⌒〜⌒ι) ←いや、ある意味観たいっすけどネ。

19日(木曜)の夜に地上波で放送されたのはレースもんの『ドリヴン』。レニー・ハーリンが監督したり、スタロ〜ンとバート・レイノルズが共演を果たしたりしてるも・・何かマンガ的で薄っぺらく、緊張感に欠ける作品ではある。いや、公開当時、ちゃんと劇場には足を運んだんスけど(⌒〜⌒ι)

まぁ、今回改めて観直し、その“実は悪党が存在しない世界”をちとマッタリしつつ眺めてしまったものだった。おまけに“誰も劇中で死なない”ってな造りもイイ。「死」に強引に結びつけての、お涙ちょうだい的な展開には、正直ちと食傷気味なのである。
意外にヘリ空撮を多用してたり、シカゴの夜の街(公道!)をレーシングカー(F1ではなく、CARTマシンの設定だそう)で暴走したりするシーンが“見所”だったりするが、要所要所で演出の過激さをアピールし過ぎる余り、CGがバレバレなトコロもあり、時たまふと冷静な眼に返ってみて(=^_^=)やや残念に思ったりもした。

また、女優陣がイマイチなのも本作の特徴か。『バウンド(1996)』でたっぷり魅了してくれたジーナ・ガーションは『フェイス/オフ(1997)』での役柄を超え、あばずれ度が飛躍的に高まっている! 何かケバくて怖い! ヒロイン役である(べき)エステラ・ウォーレンも容貌と言い、スタイルと言い・・「キミ、もうちょっと何とかならんか〜」って感じ。その点から考慮しても、本作は“漢(をとこ)の映画”と断言出来るんかも知れない(どうでもエエが(=^_^=))

本作でのスタロ〜ンは、若手ドライバーをチャンピオンに導く為の“噛ませ犬(≒引き立て役)”とし起用される役回りに過ぎないんだが・・終盤にもなると若手陣を足蹴にする“兄貴的暴挙”で、存在感をば必要以上にアピールしまくっていた(⌒〜⌒ι) 恐るべしスタロ〜ン。。
ホントは主人公であるハズ(?)のキップ・パルデュー(←ジェラール・ドパルデューの息子・・ではなさそう)って本作以降、あんましパッとしないし。。共演したスタロ〜ンの毒気にすっかりヤられてしもたんやろか・・

キャラそれぞれを眺めた場合、レイノルズ演じるチームオーナーのカールがなかなか味わい深かった。
未だ衰えぬ情熱と、絶対的な権力を兼ね備えながら・・年齢的&身体的な理由により、それ以上のことが出来ないのである。そのもどかしさ故、若手を冷たくあしらったりするんだが「結局、この男もレーサーとしての才能に恵まれなかっただけなんやな」と思わせる。
きっと彼の心中では「若さと才能が取り戻せるなら、今のこんな地位などどうでもいい!」と言う血の叫びがこだまし続けてたことだろう。
スタロ〜ン演じるロートルドライバー=ジョセフ・タントもジミー・ブライ(パルデュー)に「才能では確かにお前に叶わないだろう。だが、意志と信念では決して負けん」とぶってるが・・ラストではやはり“才能”に屈してしまうのである(みじんも悲壮感のないトコロは流石だが)。
その辺りの「才能なき者ゆえの悲しみ」が『ピンポン(2002)』や『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち(1997)』を何処か連想させてくれて・・心に響くものがあった次第である。

〜 こんなセリフもあったとさ 〜

ジミー「雨で前が全然見えない!」
ジョー(ジョセフ)「それはあいつ(ライバル)も同じだ、イラついたら負けだ」

カール「俺にはこの脚と言う“言い訳”がある。お前はどうだ?」

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2007年3月18日 (日)

☆『タキシード(2002)』☆

これまた、過去の映画鑑賞メモによる。先月(=2月)25日(日曜)に地上波初登場(?)の放送を観たもの。
一介のタクシー運転手であるジミー・トン(ジャッキー・チェン)が、知り合った秘密エージェントの負傷を機に任務を(勝手に?)引き継ぎ、超小型生体ウィルス兵器(←かな?)の蔓延をはかる巨悪に戦いを挑む・・みたいな展開。
ジミーをお抱え運転手に起用する大富豪、クラーク・デブリン氏(ジェイソン・アイザックス)が、前半の“爆発事故”により退場してしまうんだが、なかなかにカコいいキャラだった。それまでのアイザックス氏と言えば『パトリオット(2000)』における極悪野郎的印象しかなかったんだけど(・ω・) ・・にしても「悪役顔」ではある男優さんやね。
助演では、悪の博士シムズ役でピーター・ストーメアが。あんまし“持ち味”が出せてなかったけど・・。あと、楽屋でジャッキーに暴行を受ける大物歌手(本人役!)とし、世界の“ゴッドファーザー・オブ・ソウル”たるJB(=ジェームズ・ブラウン)が客演☆ ひょっとしたら、これが彼の映画出演としては“遺作”となったのかも。(かつジャッキーの放ったテンプルへの一撃(?)が死の遠因になったのかも)

さて、今回ジャッキーに与えられた“ネタ”こそがタイトルにもなってる「タキシード」。攻撃モード、ダンスモード、重力制御モード、ライフル組立てモード、掌(てのひら)活性化モードなど・・様々なモードを内蔵したスーパースーツなんだけど、もちっと搭載機能を洗練した方が良かったんかも。私的には壁や天井を移動出来るようになる「重力制御モード」だけで必要十分な気もしたり(=^_^=)
それと、どうにも“本作はこの女優さんでなきゃ!”と言う必要性のさほど感じられなかったヒロイン、デル・ブレイン役にジェニファー・ラヴ・ヒューイット。魅力爆発! とは言えぬ感じだし、そもそも魅力ある女優さんなの? って私的には感じたり。

観終わって思ったのは下記それぞれ、か・・
○「鹿が小便すると、地球の裏側で大水害を起こるかも知れない」・・こう言うケースは(バタフライ・エフェクトならぬ)“ディア・エフェクト”って言うんやろか。
○アメンボって飛べるんやね。知らんかった・・(・ω・)
○“タキシード”と“ジャッキー”・・互いに「持ち味」を損ない合ってた気が。。ひょっとしたらそもそも「水と油」な存在なんかも。
○いつかは主演作で実現させてあげたい「ジャッキーの劇中セクース行為」・・やっぱし本人サイドが脚本にNG出すんやろか。
○タクシーのカーチェイスシーン。ジャッキー本人のスタントやろか? もしそうなら、なかなか巧かったと思う。
○ジャッキーが全編を通じ想いを寄せる(=片想い)某女店員さん。ジェニファーを「out of 眼中(←死語登録中(=^_^=))」にしてまでお熱を上げるほどの“器”ではなかったか、と。

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2007年3月 4日 (日)

☆『ドリームガールズ』☆

4日(日曜)。守口市は大日にある某大型商業施設内のワーナー系劇場(=シネコン)で鑑賞(シアター自体は中規模)。周囲からも以前から「絶賛の声」みたいなんを聞いてる作品だったが・・自身の感想としては「まぁ、こんなもんかな」・・ってトコ。もうちと圧倒的な感動+興奮+衝撃・・みたいな波が押し寄せて来るのかと思ったが、そこまでではなかった(私的に)。

・字幕担当が戸田奈津子女史だったが、どうにも“訳のアレンジ”に面白みが欠けてた(←近年は戸田節がすっかり鳴りを潜めてる・・)
・ジェイミー・フォックスが“主人公格”とし動き回るも、繰り出す言動の印象がすこぶる悪く、その内面(心情)も踏み込んで描かれないため“キャラが薄い”
・劇場内が異常に高温で、空調(冷房)が作動しておらず、中盤以降に激しく発汗⇒消耗してしまった
・ここしばらく続いてる残業で体力&集中力が激しく低下しており(←回復の兆しなし)、中盤以降は緩急の乏しい展開(おまけにやや長ったらしい)に少し“ドリーム(=うとうと)モード”となってしまった(×_×)
・私的に「キーキャラや!」と判断したエディー・マーフィーが後半で“退場”してしまい、吸引力が一気に失速した
・作品の性質上(?)圧倒的に美人な女優さんがおらんかった(・ω・)

かいつまんで「悪いポイント」を挙げると上記の感じか。むろん、ワタシの感性や劇場の不手際によるものもあるが。
結局、本年度の第79回アカデミー賞で、ニホンの菊池凛子嬢を蹴落とし(?)、助演女優賞の座を射止めたジェニファー・ハドソン、決してヴィジュアル的に素晴らしい・・と言う訳ではなく(←ファンの方すんません)「したたかでパワフルな存在感」が審査側のハートを掴んだんかなと感じた。雰囲気としては『コールド・マウンテン(2003)』におけるレニー・ゼルウィガー(←レニーもこの作品で助演女優賞を獲得)のキャラに通じるもんを連想したり。
どんな女優さんなのか、とんと知らないが「実際にはスレンダーな女優さんで、本作の役作りのため体型を変えた」と言うことなら凄いんじゃないかなと思う。

時はモータウン・レーベル創成期の1960年代(1962年らしい)。ボーカルグループとしての成功を夢見る3人組「ドリーメッツ」は最後のチャンスを託し、デトロイトで開催された某コンテストに出場する。とある“横やり”により優勝(=専属契約)を逃した彼女らであったが、その前に姿を現したのが中古車店長から音楽業界へと殴り込みをかけつつあるカーティス・テイラー(ジェイミー)と言う男。彼の仲介により、ドリーメッツは売れっ子R&Bシンガー、ジェームズ(ジミー)・アーリー(エディ)のバックコーラスとなる。ツアーバスで地方公演をこなす日々のジミー&ドリーメッツ。
そんな中、12歳の頃からの幼馴染みだったディーナ・ジョーンズ(ビヨンセ・ノウルズ)とエフィー・ホワイト(ジェニファー)はリードボーカルの交代劇や、グループの方向性の違いから、やがて袂を分かつことに。(この時のエフィーのわがままに関しては“理由”が後に判明する) 新メンバーを迎えたドリーメッツは「ザ・ドリームス」と改名し快進撃を開始。一方で自身の持ち味である「ソウル」を封印の上「バラード」路線を歌わされることとなったジミーは次第にドラッグにより身体を崩してゆくのだった・・

・ジェームズ・ブラウン、サミー・デイビス・ジュニア、マーティン・ルーサー・キングなどが実名で登場。ザ・ドリームスとビートルズが一緒に映ったブロマイドはさり気ない「CG処理技術」のアピールか。また、ジャクソン・ファイヴそっくりのグループが「ABC」そっくりの歌を披露してくれるシーンには妙に興奮してしまった(=^_^=)
・ジミーの放つセリフがとにかく面白い。冒頭の登場シーンから「文句タレてる」のも“いつもの調子”って感じで嬉しい(=^_^=)
 「いつも言ってるだろ、楽屋食のチキンにマヨネーズをかけるのはやめろ」←すかさずマネージャーに「そう言うお前はコーラス女に手を出すのをやめろ」とツッコまれる(=^_^=)
 「俺を解雇しようと、ソウルは殺せんぞ」
 「R&Bがどんな意味かって? (ナニの)ご立派なブラックってことさ」 ←おお、これは一応“戸田節”ってヤツか(=^_^=)
 なお、生放送シーンで彼が使ってたピストル型マイク、なんか殿下(Prince)に通じるノリのアイテムで好きです(=^_^=)
 それと、リハーサルのシーンでカメラがジミーを中心に一回転すると・・そのまま本番の舞台に変わる演出はちと「おっ!」な印象ですな。
・カバーと称したパクリ合戦がなかなかに加熱してる☆ R&B⇒フォーク・ロックとなったり、バラード⇒ユーロ・ハウスとなったり。。
・久々に見た感じのダニー・グローヴァー。何かますますいかりや長介さん(故人)に似て来たような。ダメだコリャ?
・怪しげな印象のおっつぁん役でジョン・リスゴーも出てますた。

そう言うと、確かエディー・マーフィーのソロシンガーとしてのアルバム『LOVE'S ALRIGHT(1992)』が棚にあったような。これを機に、聴き直してみようかな〜などと考えている次第。

追記:「女性を元気付ける効果」の方が強いかも、な本作。男性陣は誰もがタジタジしてる感があったか。音楽ビジネスに勝算あり! と見るや、さっさと店を畳み、在庫車を処分して得た元手を“とある手段”で増やすカーティスのやり方も、ちと共感出来なかったな。

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2007年1月 5日 (金)

☆『ディープ・ブルー(2003)』☆

年が明け、1月4日(木曜)。明朝から早くも仕事が始まる・・。
結局、自室の片付けばかりに時間をもぎ取られ、ブログ方面が放ったらかし状態となってしまった(因みにまだ片付け終わってないし)。。
劇場に足を運ぶでもなく、溜まってるのんを(DVDやビデオで)観るでもなく・・つまり、映画関係と遠ざかりっぱなしだったこの年末年始(×_×)
今夜は、久々にTVをつけ(=^_^=)、衛星第2で放送されてた海洋ドキュメンタリー作品『ディープ・ブルー』を観つつ、溜まり始めた新聞記事のチョキチョキ作業を進めた。

本来なら、本年初めての映画鑑賞ってことで、もそっと気合いを入れ、襟を正し観るべきだったんだろうが・・以前からもお伝えしてるように、自室の14インチTVは経年劣化で「グリーン系モノクロ映像」に変わり果てているのだ(⌒〜⌒ι) 何だか観る前から萎えるのです。
白黒時代のチャップリン作品を観ようが、ハリウッド系の凄まじい特撮パニック作品を観ようが・・色彩感が同次元でしか展開し得ない不思議さ・・と苛立たしさ。はぅぅ。

イギリス・ドイツ合作である本作(←レニー・ハーリン監督による、サミュ・L・ジャクソンが力演中、背後から凶暴ザメにガブられるパニック作(1999)とは全くの別モノである)。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による壮大なシンフォニックをBGMに、「生命の源、宝庫」である深く蒼い海洋の物語が展開される。
ある時は海面で、またある時は水面下・・そして深海で・・。当方は“モノクロモード”でしか楽しめず、その素晴らしさも半減(それ以下かも・・)してしまった印象だが、空撮やら(超望遠レンズ使用によるであろう)接写映像の嵐やら。ごっつい時間(撮影に約4年半、製作に約7年かかったとか!)とごっつい機材をバーンと使い、ごっついスタッフがごっつい作品を放ってる訳だ。無論、音楽も前述の通りかなりごっつい。

が、観始めて「どうも疲れる作品やな・・」と感じた。作品の「裏テーマ」が“弱肉強食”なのである。心地よい海洋生物の生態を満喫しようと思ってたら、次から次へと逃げ惑うわ、食われるわ。。公開当時、タレント・北野誠氏が某ラジオ番組のトークで評しておられた通りの印象(・ω・)
自然のリアルさ、生々しい一面を伝える、その意義は確かに大切なんだが・・も少し「観てて抱擁感、爽快感に浸れる」・・そんな物語の演出をお願いしたかった。「食うもの、食われるもの」のシーンが衝撃的に描かれ、次々にそういう場面が切り替わる(≒仕切り直しされる)んだが、観てるこっちはそうそうすぐに気持ちを切り替えられるモノでもないやんか、みたいな。

マイケル・ガンボンによるナレーションでは、終盤でシロナガスクジラ(←確か)の生息数が激減していることを観客に伝え、
「我々は未だに、海から略奪を続けている」なる言葉で物語は幕となるんだが、これも「聞かされて・・どうよ?」ってツッコミが静かに口をついて出て来るのだった。
ナレーションを極力排したそうであるが、いっそそれなら、字幕表示にした方が気分が重くならず良かったかも知れないぞ、と。

取り敢えず「ムチ>アメ」な印象を少なからず受けてしまった作品なのであった。

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2006年11月26日 (日)

『デイ・アフター・トゥモロー(2004)』

うう・・なかなか更新の時間がない。。

19日(日曜)の放送を観た。どうやら地上波初登場☆ 公開当時、真面目に劇場に足を運びますた・・(・ω・)
温暖化を皮切りに起こる地球規模の災害をテーマに、存亡の危機にさらされる人類を描いたスペクタクル巨編。・・と言うより、実際に描かれるのは人類を代表する(?)とある父子の「信頼と希望と絆のドラマ」だったりするが(・ω・) ←何とも広過ぎる風呂敷だこと!

南極で海面下の棚氷を調査する気象学者、ジャック・ホール(デニス・クエイド)は海水温の上昇が顕著となっていることに気付く。環境シンポジウム(地球温暖化会議)で早急の対策を訴えるが、出席したベッカー副大統領をはじめ、各国の危機感はイマイチ盛り上がらない。
一方、ジャックの息子、サム・ホール(ジェイク・ギレンホール)は「高校生クイズ大会」に出場のためワシントンから飛行機でニューヨークへと向かう。
そうこうしてる内に、東京・千代田区に雹(ひょう)が、ニューデリーには雪が降る。被害は各地で激化し、ロサンゼルスは竜巻に、ニューヨークは押し寄せる津波に襲われる!
北半球をやがて覆う「マイナス100度超」の激しい寒波。北米の生き残った人々は、メキシコ国境へと南下する。そして救援を待つ息子・サムに会うため、父ジャックは厳寒の中、ワシントンからニューヨークへと旅立つ・・

私的に『インデペンデンス・デイ(1996)』が好きなので(=^_^=)、本作もそんなに悪くはないんじゃないかと思う。少なくともペラペラな印象だった『GODZILLA/USゴジラ(1998)』よりは好きである。「合衆国大好き(?)」なドイツ人監督ローランド・エメリッヒが「父子劇大好き(?)」でもあることを『パトリオット(2000)』に続き、カミングアウトさせた作品、とも言えなくもない。
ただ、良く似たネタの『アルマゲドン(1998)』『ザ・コア(2003)』などにも思うことだが、相手が“自然災害”に過ぎない(?)ことから、イマイチ「ぶっ殺せ〜! うお〜!」的な盛り上がりに欠ける。確かにそこここには、意思を有したかのような存在(仮想敵?)
・米市民を翻弄する竜巻&看板(←現地リポーターのトミー、殉職!)&津波
・迫り来る超低温の波
・動物園から逃げ出した狼
・絶妙な緊迫感を与えつつひび割れるショッピングモール天井(?)のガラス
が描かれるんだが、どうにもノレない。
どころか、竜巻を観て『ツイスター(1996)』、看板を観て『ファイナル・デスティネーション(2000)』、狼のシーンを観て『ジュラシック・パーク(1993)←厨房とかが舞台』『バイオハザード(2002)←蹴らないけど・・』、亀裂の走るガラスを観て『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク(1997)』・・など他作品を連想しちゃう心の隙間がなかなかに埋まらない(・ω・)>

テリー・ラプソン博士役で“大物”イアン・ホルムが助演してるが所詮「受け身キャラ」だし、ギレンホール君も全体的に見れば「受け身」なのだ。そう言う意味で、災害シーンのCGにばかり酔わされ、人々のドラマ面にはとんと酔えないのも難。
予算的な問題か、ニューヨーク&ロサンゼルスの災害シーンばかりがピックアップされ、トーキョー都内の描写なんぞは、何だか『ブルース・リー/死亡の塔(1980)』にプチ登場する“へっぽこ系リトル・トーキョー”の趣の域を未だ脱し切れていない感で、もどかしさを禁じ得ない(=^_^=)
恐らくこの先もエメリッヒは「勘違い」したままニッポンを描き続けることだろうから、そろそろ日本映画界も看過を続ける姿勢を崩す時なのかも知れない。とにかく21世紀の千代田区に「高級鉄板焼き山本」の看板は似つかわしいだろう。。

ブレイク大統領も要(かなめ)のキャラかと思いきや、そうでもなかったし、感動的な演説が終盤にぶたれる訳でもなく、やっぱり「薄い」のである。

因みに、劇場に観に行った時には「ビル屋上に(あの状況下で)生き延びた人があんなにおるとは思えん!・・既にゾンビ化してるのかも?!」と思った程度だったが、今回のTV鑑賞では「(ジャックの嫁はん)ルーシーと同僚の若手研究員ピーターの関係は何か怪しい」とか「竜巻専門家、ジャネット高田のネーミングも何処となく怪しい」とか、あんまし本筋と関係ないトコにか弱い突っ込みを数発繰り出したものだ。まぁいいけど・・

人によっては『ポセイドン・アドベンチャー(1972)』とか『猿の惑星(1968)』を思い出すこともあるだろう。いや、別にそれが悪いこととは言わない・・(=^_^=)

教訓: 書は読むことのみにて人を活(い)かすにあらず(・ω・)

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2006年11月 6日 (月)

☆『父親たちの星条旗』☆

5日(日曜)。それなりに(←おい)楽しかった3連休もいよいよ終了。。
おとつい3日(金曜):電車で「京都寳塔ツアー」
んで昨日4日(土曜):クルマで「和歌山寳塔ツアー」
とこなしたが、本日は「イオン大日」内にある劇場「ワーナー・マイカル・シネマズ大日」で、クリント・イーストウッド監督の最新作である『父親たちの星条旗』を観て来た。同監督の手がける、恐らく最初で最後のスタイルではないか? と思われる(←勝手なワタシの判断かも知れんが・・)「2部作」の第1弾。

太平洋戦争末期、小笠原諸島の硫黄島(IWO-JIMA)に於いて米国海兵隊と旧日本軍が激戦を展開した(1945年2月18日開戦、同年3月22日終結)。
戦争が始まって間もない1945年2月23日午前、島内の最高点にあたる摺鉢山(MOUNT-SURIBACHI)の頂に6名の青年兵が星条旗を掲揚する。その瞬間を映した1枚の写真は本国各紙で大きく取り上げられ、長く続く戦争に意気消沈していた米国民に希望を与える存在・・「英雄(HERO)」・・として大きくまつり上げられることに。
うち3人はその後も続く闘いの中で戦死、本国に帰還した残る3人は「つかの間の栄光の日々」の果てに、それぞれ大きくその後の人生を歪められて行くこととなる・・そんな流れ。

オープニング、まず「マルパソ/アンブリン・エンターテイメント」の文字に異常に興奮(=^_^=) おお、クリントとスピルバーグの制作会社がタッグ組んでる! で、続く「字幕:戸田奈津子」の文字に苦笑(⌒〜⌒ι) 押さえてますねぇ、戸田女史。

私的には、ちと理由あって、心からおススメ出来る作品でもないかと言う気がする。が・・大きな視点で評価すると戦争映画の決定版に近い「渾身の大作」とは言えよう。きっと本作に続く第2弾『硫黄島からの手紙』の公開により「1つの作品として完成」すれば、しばらくの間「戦争系映画の金字塔」として君臨するんじゃないかと予想する。

○日本兵の言動がへんてこじゃない
○海兵隊も(敵に対し)へんてこな作戦行動はとらない
○戦場ではヒーロー(超人)が存在しない
○戦争を美化せず、米側の施策(政策)を決して正当化していない
○とにかく戦場の描写が凄惨で恐ろしい
こう言った部分がクリント監督の真面目な視点と言うか、決して「アメリカ万歳路線」で売ろうとしてない姿勢を感じさせてくれ、そこが良い。

難があったとすれば、主人公ら・・特に戦死した3人のキャラが薄かった感じと、戦争そのものの終盤の流れが、丁寧に描写されないままだったことか。作品からは「旗を立ててはいおしまい」的な『パトリオット(2000)』的な印象(?)も受けるが(←生還兵の戦地における体験とし)、実際にはその後、約1ヶ月間に渡り更なる激戦が続いた訳でもある・・無論、それを帰国した3人は体験していないのだが(してたら戦死してた筈)。
まぁ、その辺りの戦場に舞台を絞ったドラマはきっと第2弾で詳細に描かれるのであろう。

戦場のシーンが作品の約半分(←まぁ、そう言うことで)を占めるって訳で・・冒頭から『プライベート・ライアン(1998)』や『スターリングラード(2001)』をしのぐレベルの凄惨なバトルが展開される! 手首が転がるわ、ヘルメットごと首が吹き飛ぶわ、内臓が弾けるわ・・良く考えたら「R指定」の付いてないのがちょっとおかしいような場面が・・(・ω・) ←描写をおさえた「クリーンヴァージョン(ファミリー向け)」も上映すれば良かったかも。

生き残った3人は何となく『L.A.コンフィデンシャル(1997)』に登場した3刑事を思わせるような性格付け。「着実にPR活動をこなす者」「それなりに巧く立ち回る者」「疑問を感じやがて去る者」・・個人的にはアダム・ビーチ(アイラ・ヘイズ役)とバリー・ペッパー(マイク・ストランク役)の印象が強烈だった。ビーチは『ウインド・トーカーズ(2002)』の“ホリョだ”なナバホ兵、ペッパーは『プライベート・ライアン』や『ワンス・アンド・フォーエバー(2002)』でも個性を発揮してた“戦地ロケの似合う男”でもあるからして。。逆にポール・ウォーカーとかロバート・パトリックの出演は正直気づかなかった(×_×)

戸田節もあんまし炸裂してなかったか。「選(よ)りに選(よ)って」とか「お歴々」ぐらいだろうか。“個性的な漢字訳”と“古そ〜な表現”が最近の戸田路線って感じか(=^_^=)

そや、びっくりと言えば本作、スコア(音楽)を手がけてるのも御大(クリント)ご本人。いや〜多才だなぁ。

アメリカ史に詳しい人に聞いてみたいのは「ヤンキース・スタジアムのシーンに登場する選手たちって当時のチームの面々に似てるの?」ってトコかな。あ、シカゴのシーンでは『ミッション:インポッシブル(1996)』で取り上げられる重要なポイント(?)「ドレイクホテル」が登場してましたな〜。ジョン・ボイト(ジム・フェルプス役)が備え付けの聖書を勝手に持ち出してミスった、あのホテルっすね(=^_^=)

何だか人物名が(群像劇的に)飛び交ってて、今回は“メモ取らず”に鑑賞したモノで、誰が誰やら正直フォロー出来てない部分もあったけど、時計が気になるほど苦痛な時間でもなく(130分ちょいの上映だが、長さは気にならない)、眠くなることもなかった(同じ戦争モノでも『シン・レッド・ライン(1998)』はかなり観てて眠たくなった覚えが)。

も少し、だらっと書きます(=^_^=)

日本人については真っ当に描けてた・・と言いたいが「日本人に左利きはいない」みたいな俗説(?)が勝手に流布されてて、ちとショボ〜ンとなってしまった。。まぁでも「金の仏像」やら「“奉納”とか書かれた暖簾(?)」やら、その手の怪しげな小道具は出て来なかったので許す(=^_^=)
それから終盤の戦闘で、洞窟内に「突撃ラッパ」が転がってたが、アレってばきっと「続編」に繋がる重要アイテムに違いあるまい! と邪推しておきたい(=^_^=)
あと、完全に「続編」とスタッフ&キャストを区別してるようで、『硫黄島からの手紙』の日本俳優陣(有名どころ)が全く出演してないのが良かった☆
(あぁでも・・もし“マコ岩松さん”がご健在なら、きっと出演しておられたんやろな〜)

その他のチェックポイント
□戦場のシーンで最初に叫ばれる台詞は・・やっぱり「※※※!」なのだった
□「全米インディアン会議」の参加メンバーを観て、ちょっと笑いそうになってしまった・・猛省(・ω・)
□最初の戦死者(それも開戦前)は・・“アレ”して“漂っていた”あの兵士・・合掌
□登場する2人の合衆国大統領、フランクリン・D・ルーズベルト(第32代)、ハリー・S・トルーマン(第33代)の対照的な描かれ方が興味深い。前者は終始無言&殆ど後ろ姿しか映されない。片や後者は動き、陽気に喋り、笑顔まで見せてくれる。クリント監督流の何かの“思想”に基づく演出なのか、気になるトコだ
□火炎放射兵が背中のタンクを銃撃され、爆発するアクションはなし(←だから、それはジョン・ウー監督作だっての!)
□もはやクラシックなノートPC「PowerBookG3(1998年モデル)」が登場、元気に活躍する☆ このマシンの愛称は「液晶先端部・絶壁くん」でした(←ホンマかいな)
□生還した3兵の上官、キース・ビーチ大尉を演じた俳優ジョン・ベンジャミン・ヒッキー。何処となく風貌がクリント似な感じ。きっと監督がも少し若ければ、この役で(ちゃっかり)助演してたんじゃなかろうか(⌒〜⌒ι)

〜 心に残るかも、な台詞 〜

※「先発の兵は撃たれない。時間を置いてそれに続く、後続の兵が撃たれる。
 尤も、見せしめとして先頭の兵が真っ先に撃たれる場合もあるが」 ←おい、どっちやねん(・ω・)

※「戦争のことを知っていると言う者がいる。大抵は若い愚か者で、戦争を知らない連中だ。
 本当の戦争を知る者は黙して語らない。何故ならそれは彼らにとって、1日も早く忘れたい記憶だからだ」

※「戦場には英雄も悪玉も存在しない。英雄とは、我々が作り出した虚像に過ぎない」

※「もはや国庫はパンク寸前だ、銃器などもう買えはしない。
 お前がこれから使う事の出来る武器は石ころだけだ。それを投げて日本人と戦うがいい」

※「硫黄島は日本の領土だ。だから日本人をそこから追い出す」 ←お、侵略行為を自覚してるネ☆

※「戦車のことは忘れろ」 ←援軍の戦車が颯爽と上陸・・した直後、着弾で爆発炎上するのを眼にして

追記1:本作の「タイトル」にどうも違和感を感じたのが「父親たち」の対極にいる「息子たち(=複数形)」の存在が余りに希薄だったことによるものだろうか、ワタシの中で。原作では、もっと複数の「息子」が登場したんだろうかな?
追記2:にしても中※獅※。仕事(撮影)の硫黄島が終わった・・と思いきや、お次は「実生活が硫黄島」ではないか。。ここは1つ、続編の劇中で「ちっぽけな島の覇権を巡って殺し合う・・人間って面白っ!」とか「(島を)落とすンだろうが!」とか過去の出演作をセルフパロディ化した台詞をアドリブで放って欲しいぞぅ。

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2006年9月10日 (日)

☆『トランスアメリカ』☆

9日(土曜)に鑑賞。気分転換に、マイナー作品を劇場に観に行ったもの。
次は『スーパーマン・リターンズ』や! と心に決めつつ、なかなか観れない状況。そうしてるウチにDVD版がとっととリリースされちゃう気もする(・ω・) 『マイアミバイス(←予告編で流れてる曲がええ感じ)』とか『グエムル/漢江の怪物(←怪獣系特撮が好き)』も気にはなるし・・
さて本作。「少年時代から性同一性障害(GID)に悩み、いよいよ性別適合手術(SRS)を1週間後に控えた主人公=サブリナ・クレア・オズボーン(愛称:ブリー、元の名はスタンリー・シュパック)が、17歳に育った息子トビー・ウィルキンズの存在を今になって初めて知り、戸惑いつつ彼と共にニューヨークからロサンゼルスまでの大陸横断(TRANSAMERICA)の旅をし、その中で互いの個性や生き方を理解・尊重しようと努めて行く」・・そんな感じの展開と言えようか。
観終わってから気付いてびっくりしたのが、下記それぞれ。
○本作の製作総指揮は、個性派俳優のウィリアム・H・メイシー
○主人公ブリーを演じるフェリシティ・ハフマンとメイシーは実際の夫婦
○2人は映画『マグノリア(1999)』でも共演していた
そんな情報により、妙に自身の中で付加価値の高まってしまった本作でもある(=^_^=)
「R-15作品」ってことで、劇中でしばしばP(男性器)がモロ描写されるのもある意味新鮮&衝撃(・ω・) (映像&台詞を)編集すればR指定は外せたろうし、外して家族(親子)で観るようにすべき映画かも、とも思った訳でちと歯がゆい感もあったか。
自らの股間について「見るのもうんざり」と劇中でおっしゃってたブリー役のフェリシティさん。第78回アカデミー主演女優賞ノミネート(残念ながらリース・ウィザースプーン『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』に持ってかれちゃいました・・)をはじめ、数々の賞に輝いた通り、自然に「女性になりたい男性」を演じてられます。序盤などその外見&仕草に『トッツィー(1982)』のダスティン・ハフマンかよっ! と思いましたもん。←あ、正しくはダスティン・ホフマンか(・ω・)
因みに、タイトルには「米国内で性をまたぐこと(トランスセクシュアル)と大陸をまたぐこと(トランスアメリカ)」の二重の意味合いも込めてるんやろな、などと分かったようなことを決め打ちたい。
女優陣が押し並べてイケてない代わり(←私見)、男優陣がいずれも魅力的な本作。
○トビーを演じた“新星”ケヴィン・ゼガーズ。ルックスは確かにイイが、あの「髪質&分け目部」から受ける印象が、将来的な(頭髪面の)不安をもかき立てる。。
○道中で出会うネイティヴ・アメリカンの血を引く男、カルヴィン・メニーゴーツ(演じるはグレアム・グリーン)。言動の1つ1つがいちいちカッコ良かったッス! トビーが「あんたの驚く秘密があるんだぜ」とブリーについて思わせぶりに言うのを制し「どんな女性にも秘密を持つ権利はあるさ」と涼しげに言い放つ。いや〜渋いね〜。
○道中で出会うヒッチハイカーの若者。名前も覚えられなかったが(・ω・) なかなか好印象。『テルマ&ルイーズ(1991)』や『トゥルー・ロマンス(1993)』辺りで火の点き出した(?)ブラッド・ピットのようにいつかブレイクして欲しいもんだ。せっかく遊泳シーンで全裸になってくれてた訳だし・・(股間も見えます(・ω・))
○女性陣ではブリーの妹シドニーを演じたキャリー・プレストンさんに好印象。性格がかなりねじれてるのに、憎めなくて魅力的なトコは不思議(=^_^=)

後半、事情によりブリーはトビーを連れ、実家に戻る。息子の変貌ぶりに当惑する父と母、そして興味津々な妹、あと股間を舐める犬(←は関係ないか(・ω・))。観客の視点からすると、オズボーン家の全員が「血は争えない」つーか、皆が皆エキセントリックであることに苦笑させられる。

劇中に答えは用意されてないし、物語もやや「含み」を残したまま幕となるのだが「自分らしく生きるって何だろ?」「家族って何だろ?」と漠然とでも考えるきっかけになれば、現代日本の「押し並べて崩壊気味な家庭」に対するクスリ(≒再建のヒント)にはなるかも知れんな〜とふと思ったものだ。

〜 こんなセリフが残りました(=^_^=) 〜

ブリー「ホルモン操作は火遊びと同じね」
   「動物園では・・動物たちは不自由だけど、少なくとも安全よ」
   「先週なんて、もう大昔のことよ」
   「美は相対的なもの」

トビー「夢も野心もない連中と、このオレは違う」
   「会いたかったのは、オレの口とケツにだろ?」 ←やめなさい、と

トビーの悪友「クモの巣だらけのプッシーを喰わされるなよ」 ←こらこら

脱毛士のおばさん「罪人は、重いものだね」

父マレー「便所でエロ本ぱかり読んで育ったせいか、クソみたいなセックスばかりしとるよ」 ←おい!

【追記】
(1)過去、たった一度の女性との「交わり」にて、子供の出来ちゃったブリー。『ターミーネーター(1984)』におけるマイケル・ビ〜ン氏にも負けぬ「ヒット率」ですね(⌒〜⌒ι)
(2)トビーの主な罪状は「店でカエルを盗んだ」こと、そしてその保釈金はわずか「1ドル」。何かトボケてないか?
(3)当初「父と子の教会」から派遣された、と身分を偽るブリー。とっさに「父と子」の言葉が出るトコ、さらっとしつつ実に深いなぁと。
(4)『指環物語』の新解釈をまくし立てるトビー。「黒くそそり立った塔の向こうに溶岩をたたえた裂け目がある。フロドは裂け目に指環を棄てようとするが躊躇う。そこに現れたゴラムがフロドの指を喰いちぎるんだ・・まさにゲイの物語さ」としたり顔のトビー(⌒〜⌒ι)
(5)「日本じゃ、安いナイキ(靴)にべらぼうな値が付くんだ」「つーか靴を盗まれるどころか、忍者に内臓抜かれちゃうかもね」みたいな偏見系セリフが。。どんな国なんじゃい、わが祖国ってば(・ω・)
(6)終盤、ロスで男優デビューを果たすトビー。それにしても「D・リーヴス主演『牡牛たちの穴』」って一体・・(×_×)
(7)膣を拡張する器材、何故かその名は「キアヌ1〜3」(・ω・) 一般的には「クスコ」と呼ばれますけどね。。

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