2009年10月 6日 (火)

☆『憑神(2007)』☆

4日(日曜)。
今日も折角の良い天気ながら・・やっぱし正午前まで「寝だめ」てしまった(×_×)

ちょっと運動不足が顕著なので「久々にウォーキングしよう!」と考え、少し前にハナシを聞いた“峰山”と言う市内の山(景勝地?)に出かけてみることに。
「片道1時間ぐらいかな?」と舐めてたら・・これが「遠いわ」「回り道ばかりだわ」「登りばかりだわ」と大変で、自宅から山頂(展望台)までで約2時間、そこからの下りもやっぱり約2時間かかってしまった(×_×)

歩数計によると、往復で約15キロ・・とそんなに時間のかからない気はするんだが・・(・ω・) きっと歩調が(疲れで)すこぶる遅くなってたんだろう。

何にせよ、、「今度来る時は、迷わずクルマで来よう!」と、そこだけはしっかり学習したのだった。

帰宅してから洗濯⇒入浴⇒夕食と済ませ“秋の映画スペシャル”で地上波初放送された『憑神(つきがみ)』を観た☆
本作ってば、因縁の作品でもある。
かつて大阪にいた頃、枚方の某(=^_^=)市民会館で上映会があったのを、都合が付かず見送ってしまった記憶がある(←ネットで調べると、2007年11月15日(木曜)のことだった)。

今回こそは観なければ! と握る拳にも力がこもるし(=^_^=)

時は幕末、将軍=徳川慶喜の時代。
世は「尊王攘夷」「公武合体」に揺れていた。その激動の中にあって、下級武士の青年=別所彦四郎(妻夫木聡)は婿養子先(井上家)に離縁され、今は職もなく兄夫婦の家に居候する、肩身の狭き日々だった。
旧友=榎本武揚は今や“軍艦頭”の身分に大出世。

そんな中、彦四郎は行きつけの蕎麦屋の主人=甚平(香川照之)に「向島の“三囲(みめぐり)稲荷”にお参りしては?」と勧められる。「ツキが回って来る」と言うのだ。

その場では取り合わなかった彦四郎だが・・後日酔って帰宅の折、堤防から川べりに転げ落ちた彼の眼の前に“三巡稲荷”の祠があった。

「向島にまで行かずとも、こんな所に分社があったとは・・」

柏手を打ち「何卒宜しぅ」と祈願する彦四郎。
だが、彼が参拝したのは“貧乏神”“疫病神”そして“死神”を呼び寄せる、とんでもない“憑神の稲荷”だったのだ・・

原作:浅田次郎+監督:降旗康男+主演:妻夫木ってことで「コレはスゴいでしょう!」と思ってたら、何だか「3話構成のオムニバスの崩れたみたいなのん」を観せられたような、、妙なザラツキ感が残ってしまった。

クスぶる若侍=彦四郎が“とある覚悟”に目覚め、それによって“太く短く、漢(をとこ)を生き抜く”的な展開にシフト(?)して行くんだが・・私的には「そうゆう流れになる」とはつゆ知らず、、やっぱり直感的に(←また直感かい!)「言うても、結局は悲劇やんか!」と小ツッコミしてしまった。

連想したのは“とある疑惑”を払拭(?)すべく、主人公の奔走する『イン&アウト(1997)』だったり(=^_^=) アレも、後半の展開に「何や、そうなんかよ!」とツッコンでしまった記憶がある。

にしても、、終盤で“いきなりな時代”にハナシがすっ飛び“いきなりな人物”の登場する凄まじさ!
あの衝撃はなかなか、である! ・・ってかカントク、やる気なくなったの?(=^_^=)

3人の憑神(伊勢屋(西田敏行)、関取=九頭龍(くずりゅう)為(ため)五郎(赤井英和)、少女=おつや)が登場するんだが、しょっぱなに現れる西田さんが、とにかく(一番出演時間の短い割に)インパクト十分で、ホンマに感心させられた!

また、彦四郎の従者(?)のような小文吾(佐藤隆太)が好演してくれるが・・終盤の展開を眺めつつ『ローレライ(2005)』における2人みたいやな、、と感じたり(・ω・)

なお、折角の名優が、中途半端な使われ方をしてたように見受けられたのは、石橋蓮司(井上軍兵衛役)、佐々木蔵之介(別所左兵衛役)の両名か。
特に蔵之介さんは“主人公の兄貴”なる立場上、もそっとラストまで物語の“軸”に絡んで欲しかった。折角、月代(さかやき)のメチャメチャ似合う方だったんですし(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

彦四郎「腹がくちくなったら眠れるだろう」
   「限りある命であればこそ、死によって輝きを放つことが出来るのだ」
   「侍の世が終わり、新しい世が始まる」

伊勢屋「手前、福の神などでは御座居ません」
   「2度も手を合わせたお前様が悪い」
   「ほほほ。本日は冴えてらっしゃる」
   「貧乏神としての誇りを全うしたってトコロですかな」
   「その“よもや”で御座居ます」

彦四郎「仮住まいにも良い所がある、と言う訳か」
八重「“棄てる神あれば、拾う神あり”で御座居ます」

甚平「スパッと正体を見抜いたのも何かの縁」

九頭龍「人間の形をしていると、人間の無責任さに染まってしまう」

刀鍛冶「言葉は形には叶いません」
彦四郎「言葉に込めた想いを、形にはして頂けぬものでしょうか?」

おつや「思い遣りなんて感情は“神失格”なの」

追記1:三囲(みめぐり)稲荷は「東京都墨田区向島」に現存するらしい!
追記2:彦四郎と八重のキスシーン・・幕末当時、そんな習慣あったの?(・ω・) ←室町時代からあったらしい?
追記3:後半に登場した五重塔! 石川県羽咋市の「妙成寺」の塔だそうで! 素晴らしい!

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2009年7月25日 (土)

☆『鈍獣』☆

23日(木曜)の夜。仕事帰りに商店街の中にあるミニシアター“ソレイユ”で新作(?)邦画『鈍獣(どんじう)』を観て来た。
コレ、予告編を観て以来「かなり観たくなってしまってた」1作である☆

もう1本、これまたかなり興味の高まって来てる邦画があるが・・(・ω・)

福島県常盤郡ときわ町。相撲で有名な(?)この町に生まれ育ち、今や80万部を売り上げる雑誌“週刊大亜”に小説『鈍獣』を好評連載する作家=凸川隆二(でこがわりゅうじ:浅野忠信)。処女長編にして“明田川(あけたがわ)賞ノミネート”の快挙を成し遂げた彼が、突然に消息を絶ってしまう。

編集長(本田博太郎)の至上命令により、彼を探しにやって来た編集者=静(しずか:真木よう子)は、凸川失踪の手がかりが町一番(?)のホストクラブ“スーパーヘビー”にあることを掴む。そこを溜まり場としているのが“スーパーヘビー”唯一のホスト=江田弥太郎(江田っち:北村一輝)、ヘタレ巡査=岡本(ユースケ・サンタマリア)、江田の愛人=順子ママ(南野陽子)、小悪魔的ホステス=ノラ(佐津川愛美)の怪し気な面々。

彼らに聞取りを続ける内、静は凸川が江田&岡本と同級生であり、つい最近にも彼らが会っていた(らしき)事実を掴む。
果たして凸川は何処に消えたのか? そして同級生である彼ら3人のみ(?)が知る“25年前の封印されし事件”とは・・?

元々が2004年の伝説の舞台『鈍獣』を演出家=宮藤官九郎自身が(脚本を)練り直した、と言う本作。意外にロケーションは少なく、登場人物も絞り込まれ、コンパクトなトコロは「舞台劇の面影が残ってるな」と思わせる。

作家・凸川の抱える“とある秘密”の正体を推理してみる、なる楽しみ方もあるにはあるんだろうけど・・私的には「この作品は会話劇を楽しむモノ」と捉えた次第。
正直、物語としては薄いし、ラストなんかも失速気味のまま、投げっぱなしとなってた感がある。

が、それを差し引いても“絶妙な間”の光る、対話の数々が面白過ぎるのだ!
ハナシの軸は「凸川の正体って?」「凸川の秘密って?」「で、凸川は何処に?」って辺りになるんだが、中盤にもなると「そんなのはもうどうでもイイから、トボけた会話劇を脱線気味のままいつまでも見せておくれよ〜」と願ってしまったりする(=^_^=)

北村ファン・ユースケファン・南野(ナンノ)ファンは、彼らのヴィジュアルや言動に(少なからず)ショックを受けるかも知れないが、、彼ら自身がきっと楽しみまくって演じたであろうことが想像に難くないので、そこにトコトン付き合い、共に楽しむべき1作だろう、と思う訳だ。

〜 連想した作品 〜

『マウス・オヴ・マッドネス(1994)』『嫌われ松子の一生(2006)』『アンブレイカブル(2000)』『007/黄金銃を持つ男(1974)』 ・・江戸川乱歩の小説『陰獣』(・ω・)

〜 こんなことも 〜

♦本来なら回想シーンで“子役”を沢山起用しなければならないトコを・・巧く処理している。『キル・ビルvol.1(2003)』以来、こう言う映像演出の増えてる気がするが、結構印象は良い。
♦たまに本編に絡んで来る“無言の巨人”な芝田山親方(元・第62代横綱「大乃国」)が印象的。終始無言だけど、、
♦その一方で“ウルフ”なるニックネームが出て来たりもし、それ自体がちょっとした横綱ネタになってる(・ω・) ←“ウルフ”は第58代横綱「千代の富士」の現役時代のあだ名である(現・九重親方)。
♦終始、何か言いた気な明(ジェロ)の表情が何とも言えない(=^_^=)
♦あんなタクシー(横綱タクシー)を使ってる町って、ホンマに国内にあるんやろか?
♦“さん付け”の刺青・・確かに変だが、分かる気もする(=^_^=)
♦「ホテル国技館」って・・(=^_^=)
♦エレベータが4階に上がって来るたび固唾を飲むぐらいなら、、監視カメラを仕掛けときゃエエのに(・ω・)
♦「中華丼パンケーキ」、、実際のトコ、どうなんだろ?
♦劇中に登場するローカルな列車(2両編成)は、どうやら真岡鐵道(栃木県)らしい☆
♦「女優が鼻血を出すシチュエーション」の好きな方には、本作は堪えられんでしょう(=^_^=)
♦ズボンの膝にマヨネーズ! 確かにアレはショックだ!(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

凸川「地元でずっと、クスぶってるんだね・・分かるよ」
  「今日は“濃いめ”でお願いします」 ←もはや“粉っぽく”なってません?(⌒〜⌒ι)

岡本「知ってます・・ ・・知りません!」
  「あったから触ったんだよ!」
  「『鈍獣』・・どん・・けもの?」
  「知りません! ・・知ってました」
  「相撲とるのに、理由が要ります?」
  「パンダの箱?」 ←ソレを言うなら“パンドラの函”です(=^_^=)
  「そうですねー 言った筈ですねー」
  「放火は検挙率が高いんだよ」
  「穴の深さは5メートル。あれで脱出したら、モグラかプリンセス天功だよ」
  「水が弱点だったのか!」 ←このセリフはイイですね〜(=^_^=)
  「鈍(にっぶ)いなぁ〜! 痛いんなら、もっと痛そうにしなきゃ」

江田「まぁまぁ、そんなにおっぱい突き出さないで」
  「“東京に負けた”んだよ、俺」
  「好評につき2ページ増えてんじゃねぇかよ、連載!」
  「“殺す”んじゃねぇ! “ポロす”んだ。ポロシャツ着て、ポロす」
  「毒殺が一番、合理的なんだよ」
  「何かもう、5〜6人殺した気分だよ」

順子「“週に2、3日”は少ねぇよ!」
  「・・女同士で話そうか?」
  「江田しか・・男、知らないんです」
  「江田の真剣な眼差しが・・私1人に注がれてる・・」

ノラ「怒るとブスになるよ」
  「って言うか、謝れば?!」

岡本「昨日、俺の母ちゃんが見かけたって!」
江田「・・どっちの?」
岡本「どっちの、、って」

ノラ「ぷぷっ。“ど〜ん!”って」
静「(さっきの)それは忘れて下さい」

順子「(注文は)ビール?」
凸川「・・ ・・あ? ビールのこと?」

岡本「タバコ、吸うんだ?」
凸川「・・ ・・いや、吸わない」 ←吸ってるじゃん(=^_^=)

凸川「ブスだなぁー!」
順子「はぁ?!」

凸川「江田君・・だよね?」
江田「だと思うけど・・自信なくなって来ちゃった」

岡本「凸やん、今何やってんの?」
凸川「今? 枝豆食べてる」
岡本「いや・・“まさに今”じゃなくて」

※“もう小説は書かないでちょんまげ!ピース” ←岡本が凸川に送信した携帯メール(=^_^=)
 “人間とは、鈍い生き物である”
 「“腐っても友達”だよ」

岡本「これ、実印だよ?」
順子「あんた、何に使ったの!?」
凸川「・・内緒」

追記:『劔岳/点の記』と立て続けに観ると、消化不良を起こすような気がする(⌒〜⌒ι)

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2009年7月23日 (木)

☆『劔岳/点の記』☆

20日(月曜)。
昨日の(マラソンの)ダメージが相当に大きく、ボテ〜ッと(倒れ込むように)12時間近く寝てしまったこの日。

一方で「このままじゃ、連休が“ただ走っただけ”で終わってしまうではないか!」との想いがムクムクと育ち始めたため、午後からクルマを走らせ、隣町(?)にある“ワーナー・マイカル・シネマズ綾川”に出かけ、以前から気になってた1作『劔岳/点の記』を観て来た。

ここの劇場は2度目であり、第1印象は「とにかく妙に遠い!」って感じ。クルマを使ってすら40〜50分もかかるもんで、実家(大阪府枚方市)にいた頃で言うと「奈良に行ける距離じゃん!」って突っ込みたくもなる。

「雨降り+駐車場渋滞+(シアターの)ロビー混雑」と言う“死の3重奏(←ちょっと違う)”を経て、ようやく劇場内に。流れているのが予告編とは言え、場内が暗くなってんのに「背を屈めもせず通路を横切ったり」と“アタマ悪そな観客”もいなくはなかったが、まぁ賑わいがあってよろしかろう。

越中劔岳(つるぎだけ)。その頂(いただき)に“真夏ですら溶けぬ雪”を永年たたえ、かの弘法大師(=空海)が“草鞋(わらじ)3000足を費やしてなお登れなかった”と伝えられる神峰。
ここはまた、明治39年と言う近代となってすら“前人未踏の死の山”と畏れ讃えられて来た霊峰でもあった。

そして、その山頂を目指そうとする2つのパーティ(一団)があった。

1つは陸軍・陸地測量部(←国土地理院の前身!)のベテラン測量士=柴崎芳太郎(浅野忠信)率いる測量班。
1つは(明治38年結成の)日本山岳会・初代会長=小島(仲村トオル)率いる“舶来の最新装備”にモノを言わせた登山家集団。

当初は自身の中で「測量に優先し、劔岳を制覇したい」と言う想いと「周辺の山々から着実に測量を進めたい」と言う気持ちがせめぎあっていた柴崎であるが・・軍部上官(笹野高史、國村隼)からの、山岳会からの、部下である測量士=生田信(いくたのぶ:松田龍平)からの、富山日報の若手記者(新井浩文)からの、プレッシャーなどを経て、自らの進む道を決めるのであった・・!

ラストで、劔岳の登頂に向かう流れとなろうことは誰でも分かる(=^_^=)んだが、そこに至るまでの試行錯誤やら、人々との交流やらが、真面目過ぎるほど丁寧に綴られていた。
ここが“ダレ場”と化す危険性はあるんだが・・役所広司(先輩測量士・古田役)、石橋蓮司(立山温泉・旅館主役)、井川比佐志(芦峅寺(あしくらじ)村・村長役)、夏八木勲(山岳行者役)・・と言ったモノ凄い俳優陣が次々にひょっこり登場するので、飽きることはなかった☆

他にも香川照之(案内人・宇治長次郎役)、宮崎あおい(柴崎の妻・葉津よ役)、小澤征悦(柴崎の上官役)、そして・・我らが(=^_^=)田中要次(測量士役)、とホンマにモノ凄い集結ぶりにびっくり!

まぁ、観てると「(片手間的参加の)スタジオ撮り俳優」「フルロケ参戦してる俳優」の違いがハッキリと分かるんだが。。

ストーリー回しは意外にまどろっこしい気もしたが(しかしそれは新田次郎による原作小説を忠実に描いたからこそだろう)、それを補って余りある映像群の素晴らしさ(と言うか凄まじさ)は一見の価値がある! 特に隊列全体を遠距離から捉えたショットの数々は大判ポスターにして自室に飾りたいほど! 近距離から隊員らを捉えたカットでも、全員の立ち位置や表情なんかが『七人の侍(1954)』のスチール写真を連想させる“見事なアングル”で描かれており、すっかり唸らされた。

落石、雪崩、滑落、転落、吹雪・・と想定される限りのトラブルがてんこ盛りで襲って来るが(いや、流石に噴火はなかったな、、)長回しでしっかり撮影されてる演出のあった半面、ちょっと「映像を繋いだだけ」ってな茶を濁す描き方で済まされてたのがあったのは、私的に「ちょっぴり」残念だった。

キャラ的には、松田龍平の頑張りに感心させられ、そして香川照之の表情に(情けなくも)ウルウルさせられてしまった。
香川演じる案内人がとある人物を殴り付け、叱責するシーンがあるんだが、ここで香川がめちゃくちゃに怒りながらも「その眼には涙が光っていた」のである。この辺りの(例えば、弁慶が“安宅の関”で主君=義経を殴った時のような)「本心はちゃうんでっせ」的な描き方にすっかり弱いワタシ(⌒〜⌒ι) 後半の、香川がとある人物からの手紙を受け取って読むシーンでもまたウルウルさせられました。。

後半から終盤にかけての展開の幾つかを観てて連想したのが『ザ・クライマー/彼方へ(1991)』と言うマイナーな山岳映画(?)だった。
「生意気な若造がぶら〜んと(宙吊りに)なったり」「登頂成功の直後“衝撃の新事実”が明らかとなったり」ってな辺りが(たまたまながら)似てると思ったんだけどどうでしょう?

〜 こんなことも感じたり 〜

♦測量部の将校らに「遊び半分の連中」呼ばわりされていた山岳会(⌒〜⌒ι) 案内人もロクに付けず、高峰をどんどん少人数&軽装で登って行くその姿勢は、とても遊び半分じゃないと思うが、、
♦「こけ汁」と言うから「苔」が入ってるのかと思いきや「きのこ汁」のことでした。
♦同様に「のっこし(乗越)」は「峠」のことだそうだ。「もっこし」じゃないんやね(違うって)
♦山岳会の携えてた「伊豫宇和島牛」の牛肉缶詰が妙に美味しそうに見えた。
♦「金沢大学医学部十全山岳会」「雪国ロケお助け隊」「藤原正彦」「佐伯さん一族(?)」などの表記がエンドクレジットで目立っていた☆
♦富山日報の見出し群が、妙に“下世話っぽく”映ってしまったのはワタシだけだろうか?

〜 こんなセリフもありました 〜

柴崎「何故、私(が柴崎)だと分かったんですか?」
宇治「勘だちゃ」

柴崎「これは・・“立山曼荼羅”そのものだな」
  “自然の美しさは、自然の厳しさの中にしか存在しないことに気付かされた”
  “地図とは、国家のためでなく、そこに住む人々のためにこそ必要なものではないか”

宇治「誰も行かんかったら、道は出来んちゃ」
  「こいつはこいつで、生きていかなあかんちゃ」
  「この山が好きだちゃ」

行者「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」
  「真に開山すれば、山は神となり仏となる」

古田「頂になるべく早く、なるべく近く。その場において山が隙を見せるのを待ち、そこを攻めるのです」

葉津よ「“いざと言う時”って、何でしょう?」
   「何だか・・戦争に行くみたいですね」

小島「勝算? あるからここに来てるんですよ」

※「“挑戦する心”に勝るものはない」
 「何をしたかではなく、何のためにしたかが大事なのだ」
 「人が自然を相手にする時は、自然に対する勘が必要なんだよ」
 「測量はな、技術じゃない。忍耐だ」
 「この山は・・今までの経験と全く違う」

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2009年7月 5日 (日)

☆『ディア・ドクター/Dear Doctor』☆

4日(土曜)の夜。
昨日(3日)より(出張絡みで)帰阪しており・・久しぶりに昼過ぎまで12時間もの(!)“寝だめ”を敢行しちゃったりもしたこの日(=^_^=)
やっぱり、実家のベッドの寝心地はなかなかによろしいのである!

何処にも出かけず終日(ひねもす)ゴロゴロ・・と言う選択肢もなくはなかったが(・ω・) 「折角のオオサカ滞在だし、いち早くホンマもんの新作(?)を1本こなしとこう!」と考え、狙っていた『ディア・ドクター』を観て来た☆

シアターは、大阪勤務時代に『パンズ・ラビリンス(2006)』を観て以来(確か一昨年の秋頃)、久しぶりの“Movix八尾”と言うシネコン。レイトショーの時間帯でしか都合がつかなかったが、代わりに料金が1200円で済み、少し嬉しかった。
それにしては、なかなかの入り(入場率)だったなぁ!

茨城県の山奥に位置する神和田(かみわだ)村。この村では、3年半を勤め上げたベテラン診療医=伊野治(笑福亭鶴瓶)の突然の失踪に、村内の誰もが動揺を隠せずにいた。
スクーターで村を走り去る伊野の後ろ姿を目撃した者、道路脇に残されていた(彼の)白衣を拾い上げた者、約束した翌日の診療を受けることの出来なくなった者・・

その中には、数ヵ月間と短いながら、彼の助手とし「へき地医療」の手助けをしていた青年研修医=相馬啓介(瑛太)の取り乱した姿もあった。

果たして彼は何処へ消えてしまったのか? そして、彼の消えてしまった、
いや、消えざるを得なくなった“その本当の理由”とは・・?

物語は、伊野の失踪事件に東京から来た2刑事(岩松了、松重豊)が関わり、本格的に“メスが入れられてゆく”過程と共に、
相馬が、赤いBMWに乗り、この神和田村にやって来た日からの展開が綴られる・・

原作・脚本・監督が『ゆれる(2006)』の西川美和さんってことで「今回も難解気味で、(真相を)観客に投げっ放す系なのかなぁ?」と多少の不安を覚えてしまったモノだが・・
「観客各位が“神の視点でもって目撃者となる”と言う要素」は更に磨き上げられ、笑いのセンスなども(主に前半ばかりだが)ちりばめる余裕も出てたりして、正直、驚かされた!

西川さんの処女作(?)『蛇イチゴ(2002)』はまだ(HDに録画したまま)観れてないワタシであるも・・『ゆれる』より更に“表現力&(作品)世界の幅”のパワーアップしてる気がした!
ちと(物語の)根っこの部分に芥川龍之介の小説「薮の中」や、滝田洋二郎監督の『おくりびと(2008)』などのエッセンスを取り込んでる気もしたが(←ワタシの単なる妄想かも)、もしそうにせよ、良い方向に昇華(?)してるので、それは素晴らしいことだと思う。

特筆すべきはキャラ造型の巧みさで、

・“公の部分”では本心が読めないが“私の部分”だと「心の揺れ」が伝わりまくって来る鶴瓶さん
・「チャラチャラしてる、イイ奴」だけに終わらぬ“秘めた言動”があり、それが赦せる瑛太くん
・本質は小悪党なんだけど“正義感としての精神”をも秘めた、難解な演技を苦もなくこなす香川照之さん(持ち味?)
・「ヒネた見方をする(=^_^=)観客」が心に秘めてるであろう想いをズバズバとセリフにして放ってくれる松重さん(刑事の立場で)
・最も(事件の)核心に近く、恐らくは“真相”を知っていたにせよ、それを秘め続けた余貴美子さん(ラストでは、彼女の“漠然と恐れ続けて来たこと”が現実となる・・)

彼らベテラン陣が“秘める”(または“暴く”)と言う演技に関し、それぞれの持ち味をいかんなく発揮し、(悪くすれば観客の中で)表面的に流れ去ってしまうドラマの「裏側」までもを感じさせてくれてたのは素晴らしい!
ワタシの中では「2009年に観た邦画」の中で、かなりな上位に喰い込んで行く1本ではないかな? と早くも(?)確信してしまう1本となった。

(私的に)惜しむらくは、
・終盤で、舞台がトウキョウにシフトしてしまっていた
・「へき地医療」に対する切り込みは、中途半端に終わってしまってた感もあった(結論は出せないんだけど)
・ラストの演出はちと“唐突”かつ“蛇足”ぽくも感じたか(流れ的に必要だとは思うんだが・・)
・ウルウルさせる演出には乏しかった
・祭りの風景とか、神和田村ならではの“ゆったりシーン”が欲しかった。時間的にカットされたかな?

辺りだろうか? それにしてもパワフルで上映時間(2時間越え)を感じさせぬ「映像+演出=完成度」だった! この作品は良い!

〜 こんなトコロも 〜

♦無医村(むいそん)に勤めれば年収2000万円ほどが支給されるそう。心身の休まる暇はないけどね(×_×)
♦村の集会所(?)には「心洗」なる書額が。(「洗心」だったかも、、)
♦伊野が相馬のクルマで患者の所へ向かう際のセリフ「僕、※※※※のよ」がかなり強烈! この“フリ”はスゴい!
♦鳥飼かづ子(八千草薫さん)や鳥飼りつ子(井川遥さん)の「顔を背けたまま“重要なこと”を言う」って演出は、改めて“これぞ邦画や! 日本人や!”と観客の愛国心を高めてもくれる(・ω・)
♦斎門(さいもん)(香川)の“咳込み具合”に妙な不安を覚えた。。
♦とある処置の際、患部に顔を近付けた伊野の「眼鏡の曇る演出」が光ってた!
♦とある処置の直後、へたり込む大竹さん(余さん)の演技も印象的だった!
♦帰郷時、台所でぼんやり「棒アイス」を食べ始めた循環器内科医のりつ子。“あること”に気付き、アイスなんかは流しにポンと捨てる! プロや・・(・ω・)
♦伊野が村外れで“最後に出会った人物”とは?!
♦母娘(かづ子&りつ子)を画面の両端に配するカメラワークも印象的。ど真ん中に「敷居」のあるのが“2人の心の溝”みたいなんですよね。
♦フロントバンパーの外れたBMW。あのままだと「整備不良」で検挙されると思うんですが・・(=^_^=)
♦余りに機械的な(=^_^=)「ドアが閉まります」でさえ、セリフとして十分な効果を上げていた☆
♦何でもかんでも「ドクターヘリ」で搬送・・とはいかないんスね(×_×)
♦JR「上菅谷駅」(の駅舎)が登場☆ 当駅で下車の折は(看板の映ってた)「茨城第一交通(有)」のタクシーを使ったげて下さい(=^_^=)
♦劇中の病院は「東京医科大学病院(新宿区)」とのこと。架空の医大の名は「若槻医科大」ですた。
♦ラジカセ(!)で流れてた落語は「10代目・金原亭馬生(きんげんていばしょう)」って噺家の『親子酒』。ユゥチゥヴで観れそうですね☆

〜 こんなセリフもありました 〜

伊野「何でまたこんな診療所へ? “罰ゲーム”か何か?」
  「辛抱が一番の毒です」
  「CTのある病院? 車で2時間かからんかな?」
  「何やクチから出とるで・・赤貝や!」
  「“縄張り意識”と違う・・“不可侵条約”や」
  「あないに離れてて“お隣”て」
  「あんまり精を出さんようにね」
  「家族は? 家族に説明する!」
  「ここの人は“(医者が)足らん”と言うことを受け入れてるだけや」
  「あんた、随分と“入れ込んだ”なぁ」
  「好きでここに残っとんのと違う」
  「(弾が)飛んで来たら撃ち返す・・毎日がその繰り返しや」
  「もう※※、言いなや」
  「ああぁ、鬱陶しいなぁ〜!」
  「上司の愚痴ぐらい、聞けるようにしとけ」

相馬「(医科)大学や病院では“見えない”ことが、村でなら“見える”って思うんです」
  「ここだとちゃんと“人に喜ばれる”んです」

刑事「こんな村の診療医ったって・・年寄りが死んでくの、眺めてるだけの仕事だろ?」
  「代わり(の医者)が来りゃ、何だってイイのか?」
  「くどいようですが、※※は※※では※※んですよ」
  「伊野を神仏に仕立てようとしたのは、あんたらの方じゃないのか?」
  「案外、村人に“袋叩きにされる”のは僕らの方かも知れませんな」

村長(笹野高史さん)「ここじゃ、神や仏より先生こそが“神様”ですから」

村人「こんな大往生、ねぇよ」
  「最期はホント、イイお顔・・」

かづ子「(ご飯の)お代わりは?」
伊野「いいです。自分で入れます」 ←おい

かづ子「この歳になると、何処かへ出て行くのもくたびれちゃって」
   「何にもしなくてイイんです。何にもしたくないんです」
   「子供達にも必死で築き上げた生活がありますから。(娘たちの)足手まといになりたくないんです」
   「だから先生・・一緒に“嘘”をついて下さいよ」

斎門「自分の手の中に、他人の命綱が握られているような・・そんな気がするんです」
  「(愛とは)そう言う感じじゃないですか? 多分」 ←「人間の本質」を衝くアクションが冴える!

りつ子「・・納得がいきました」
   「診るのは“他人の親”ばかりで」

りつ子「先生、ご両親様は?」
伊野「十分、親不孝をしております」 ←ここのやり取りにウルッと来る観客も少なくない?

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2009年3月10日 (火)

☆『チーム・バチスタの栄光(2008)』☆

2日(月曜)の夜。早くも「地上波初」で放送された“和製・高度医療サスペンス”『チーム・バチスタの栄光』を観た☆
劇場公開当時から「実は気になってた」1作。
ただ、阿部寛+竹内結子の主役コンビに、そないに「ピンと来る」ものがなく・・それ故、劇場にも何となく足の向かなかったように記憶している。このお2人、ワタシの中では「どんな役を演じても、阿部寛であり、竹内結子」ってご存在なのである(・ω・)

因みに、竹内さんを見てて「マナカナ(三倉茉奈&佳奈)に容貌の印象が似てるかも」と感じたワタシ。どっちに似てるか? と問い詰められると、もうそれだけで口ごもってしまうと思うが(⌒〜⌒ι)

東城大学付属医学病院。ここに「拡張型心筋症」に最有効な手段である“バチスタ術”を連続し成功に導いて来た、第1外科・桐生助教授(吉川晃司)率いる“栄光の7人”と呼ばれる「バチスタ・チーム」が存在していた。
が、紅一点=星野看護師がチームを離れ、大友看護師(井川遥)が編入された辺りから、3例の手術失敗(=患者の術死)が続いてしまう。

桐生自身の要望もあり、高階院長(國村隼)から「連続術死の原因解明を」と内部調査を依頼された(←直接依頼を受けたのは別医師(有働教授)だったが、銀婚式の世界一周旅行が控えていた)不定愁訴外来(通称:愚痴外来)=田口医師(竹内)は“門外漢であること”を強みにし、チーム7人の聞取りを開始する。

一方、厚生労働省から突然やって来た調査官=白鳥(阿部)が型破りなキャラクターで、独自に強引な調査を進め、白鳥&田口の凸凹コンビは、連携も満足に取れないままに、真相に迫って行くのだった・・

製作費こそそれ程かかってなさそうだが、医学の素人にも取っ付きやすい世界観や、吸引力の高い構成&演出など、決して軽んじれぬ完成度が確かにあった! 正直「コレはいいな〜」と感じてしまったワタシ。
一方で、俳優陣の「演じるキャラへの没入ぶり」に何処か「押し並べての甘さ」が見受けられ、そこは残念だった。
あと(の問題点)は緊迫感を損なう、暴投気味でお寒い(?)ギャグテイストから受ける悪印象だったろうか。

時間が経過し、手術が次々に行われ、連続術死もまた続くんだが・・チームメンバーの紹介やキャラ造型、患者側のドラマが(時間的な制約で仕方ないにせよ)駆け足過ぎとなり、そこも残念だったか。

同様に、患者遺族側のドラマも(当然ながら)完全に割愛。そっちだけで何本もサイドストーリーが造れた気もしますな(・ω・)

本作の良さは、後半における「振ったネタの落としっぷり」であり「痛快な引っかけ」であろうか(いわゆる“刑事コロンボ系”?)。実際には専門家(=厚生労働省のお役人)が専門家(=現役医師)に斬り込んで行っとるだけの“やや内輪的な物語”に過ぎないんだが、何故だか観てて「高慢な(?)医療者連中をぎゃふんと言わせてくれる爽快さがイイな〜」と踊らされてもしまうワタシ(=^_^=)

そしてまた、真犯人である“あの俳優”の「静かでナチュラルな壊れっぷり」もスゴかった! あれには騙されたなぁ・・
それと、かなり久しぶりに「グラサン外した吉川晃司」を眼にしたが「なかなかの魅力とミステリアスさ、そして不器用さも併せ持った、面白い俳優さんとなられたもんやな〜」と感じた。刑事役なんかも似合うんじゃないだろうか。

チームの残る6人、
第1助手=垣谷(佐野史郎)、第2助手=酒井(玉山鉄二)、麻酔医=氷室(田中直樹)、臨床工学技師=羽場、大友看護師、病理医=鳴海(池内博之)もそれぞれに“一見まとまってるけど・・桐生が中心にいないと、忽ち崩壊する”みたいな、各位の自己主張もが漏らし描かれてて、好感が持てた。

俳優の起用の仕方には「全く問題なかった」と確信する本作(本シリーズ?)。次なる課題は「映像の重厚さ」であろう、と直感的に思ったワタシである。
重ねて言うが「軽いノリ」「薄い画面」はやはり惜しかったトコロだ。

〜 こんなセリフがありました 〜

桐生「再鼓動が来なかった時の恐怖は、その場にいた者にしか分からない」

田口「(眺めてて)心臓、止まるかと思いました・・」

白鳥「私はね、あらゆることが気になって仕方がないんです」
  「うどんをおかずにそばを食べているんだ」
  「分かりましたよ、犯人が」

黒崎「話は手短に願いますよ、忙しい身ですから」
白鳥「ご安心下さい。こちらはもっと忙しい身ですから」

白鳥「1度、入ってみたかったんだ・・看護師控え室に」
田口「・・人間のカスですね」

酒井「再鼓動が来ません・・!」
垣谷「もうちょっと我慢して」

※※「俺たちはまだまだ昇ってけるんだよ・・お前さえいなけりゃな!」

※※「そうか、それで“今日は死ななかった”んだ」
  「何故“こんなこと”をしてはいけないんですか? 僕にも“娯楽”は必要でしょう?」
  「再鼓動を起こさない患者に、騒然となる手術室・・あれは“カーニバル”ですよ」

追記1:「パッシブ・ヒアリング(受動的聴取)」「アクティブ・ヒアリング(能動的聴取)」「オフィンシブ・ヒアリング(はったり)」などの専門用語(?)を知った。
追記2:「オートプシー・イメージング(遺体に対するMRI画像診断)」は色々と明らかになることがあって良さそうだ! 劇中では、検査技師がやたら怒ってたし、同様にそれを不快と感じるご遺族もおられるだろうけど・・
追記3:劇中で「名刺1枚」ぽっちをかざし、堂々と物語の中核に潜り込んだ男=白鳥。「ホンマに厚生労働省の人間やったんか?」と言う疑問がワタシの中で生じもした(⌒〜⌒ι) ←過去のドラマ『伝説の教師』でそれっぽいネタがありましたか、、

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2009年1月 8日 (木)

☆『棚の隅(2006)』☆

3日(土曜)の夜、地上波(京※テレビ)の「新春シネマ指定席」なるプログラムで放送された『棚の隅』を観た。
連城三紀彦による同名の短編小説を原作とした小品。新春から観るにしては「ちとドンヨリし過ぎ、、」なんでスが。。

某商店街(ロケ地:神奈川県相模原市の相模台商店街)で小売店「おもちゃのみやた」を経営する宮田(大杉漣)のもとに、8年ぶりにひょっこりと“お客”として現れた(逃げた)前妻=岡崎擁子(ようこ)。
宮田は、と言えば既に秀子(ひでこ)と言う女性と再婚、(擁子の残した子である)今や小学生となった毅(たけし)を、慎ましくも愛情を注ぎ育てていた。

勤務先で、同僚=進藤に求婚されつつある擁子は、再婚に向け気持ちの揺れる中、成長した我が子に対する愛情が再燃し始める。保険の外交員とし度々「おもちゃのみやた」に立ち寄る中で、売れ残った“半額処分”のプラモデルを“定価”で買ったりする擁子。

そんな中、いよいよ秀子が彼女の存在に気付き始める。

一方で宮田は、経営難から次々と店を閉じてゆく周囲の店主を見るにつけ、自身の進退を真剣に考え始めるのだった・・

大杉さん、等身大でリアル過ぎ!(⌒~⌒ι) 市井の玩具店長役が余りにハマり過ぎてます・・。淡々と、ギラギラさとは無縁の人畜無害な(←肯定的な意味ですよ!)言動を見せ(魅せ?)つつ、時に「少年のように純粋に、ラジコン飛行機の修理に徹夜で取り組んだり」「シャッターを下ろした無人の店内で声を上げて泣いたり」「風呂掃除をしてる奥さんに水鉄砲で襲いかかったり」・・と中年男性の哀愁が漂いまくってました(×_×)

大きな展開もド派手な銃撃戦も(←あるかい!)一切ないんだが、そんな中で「トマト嫌いの擁子」と「そんな母に似て(これまた)トマト嫌いの毅」の食卓シーンの対比や、終盤に宮田一家と進藤&擁子のオールキャスト(?)が集結するロケーションが「多摩テック」なる地方っぽい遊園地(東京都日野市)だったり、と「これでもか的」に“トレンディ”を外してる脚本には恐れ入った、、

『トウキョウソナタ』のパパ役=香川照之も同様に寂しさは漂わせてたが、まだ何処か「抗ってる感」があった。それすらも(演技の中で)消してしまってる大杉漣の凄まじさだけは「一見の価値あり」と言えそうである。

〜 こんなセリフもありました 〜

擁子「この棚、全部“半額”なんだ・・」
  「今夜は帰って貰っていい? 独りでいたいの・・」
  「優し過ぎるよ、進藤さん」

信ちゃん「知ってます? 牛にビール飲ませると、肉が柔らかくなるんですよ。
     ・・人間も飲むと柔らかくなるのかなぁ・・」

問屋「こんなに仕入れて大丈夫? この前の売れた?
   ・・玩具ってさ、気持ちで売るものだと思うんですよね」 ←徳井優さん!

宮田「重くなったなぁ、毅」
  「幸せだからひょっこり現れたんだろう? 8年ぶりに」
  「見てるだけで・・本当にお前、それでいいのか?」
  「いつまでも過去に縛られたままじゃ、前に進めないだろう?」
  「有難うな」

秀子「逃げる気じゃ、ないわよね?」
宮田「当たり前だろ」
秀子「・・だったらいいの」

追記:本作を手がけた門井肇は、翌年『休暇』を監督している。こちらにも興味津々(・ω・)

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2009年1月 3日 (土)

☆『どですかでん(1970)』☆

さる11月15日(土曜)の夜、衛星第2で放送されたもの。録画後、すっかり“HDレコーダーのコヤシ状態”となってたが、これまで拙ブログで、幾度も「失敗作とされる」「駄作らしい」と“観もせず決め打ってしまってた感”があり、そこを反省しつつ、頑張って(=^_^=)観てみることとした。

が・・“抑揚に乏しき展開”“魅力なき登場人物群”などに阻まれ、結局は元日を挟み2回(=2夜)に分け鑑賞する憂き目に遭ってしまった本作(×_×)
んで、2日(金曜)夜に完全に観終えた次第☆

何だかね・・鑑賞にあたって体力&精神力の求められる作品だったッスね。。

山本周五郎の小説『季節のない街』を原作とした黒澤明監督、初のカラー作品。
“夕焼けの似合う”とあるくたびれた、スクラップに囲まれた街。ここには何処かエキセントリックな人々が集まって暮らしている。「過去にワケアリな住民」「現在にワケアリな住民」「未来にワケアリとなるであろう住民」・・
そんな彼らが、どん底のような暮しの中で、悲しくも逞しく生きてゆく・・そんな物語。

全篇に漂う「妙な郷愁感」が、作品世界の奇妙な色彩(←ある意味、狂ってる!)と相まって、妙な気分に誘(いざな)ってくれる(⌒〜⌒ι)
ときに、ウィキペディアでは「上映時間:126分」と記載されてるが、実際に観た感じ「2時間20分」ほどあったのではないか? “完全版”や“劇場版”なんかの区別があるんやろか?(・ω・)

幾つかのエピソードが断片的に、交互に描かれる展開(時間軸置換はなし)。
紛うことなき「群像劇」であり、観ようによっては同監督の『どん底(1957)』を、舞台を現代に置き換え、散漫にし、狂気性を高めた進化系(?)と解釈出来なくもないか?

・知恵遅れの六ちゃん(頭師佳孝)は“常人の眼には見えない列車”を運転し、決まったルート(路線)を「どですかでん!」と口ずさみながら朝から晩まで往復運転させることを日課&使命としている少年。その母(菅井きん)は「息子の回復」を願い、仏間で「なんみょうほうれんげーきょう!」と声高らかに唱えるのだが、それに気付かぬ六ちゃんは・・そんな母の隣で「毎度のことですが、どうか、母ちゃんの頭が良くなるように、よろしくお願いします」と祈願するのだった。

・作業員風の男2人(井川比佐志&田中邦衛)はそれぞれのアイデンティティーカラー(?)に身を包み(井川:黄色、田中:赤)向かい合った「赤い家」「黄色い家」に暮らす“義兄弟の間柄”である。常習的に(?)仕事帰りには「へべれけ」になって帰宅する2人。ある日、彼らは互いの同意のもと(?)家を取り替え暮らし始める。つまりは、双方の妻をもスワッピング(!)した2人であったが・・。

・今や堕落した饒舌な男・綿中は、健気で無口な義理の娘・かつ子にひたすら内職を強いる。ある夜、食う物さえ食わず、徹夜で働き続け、彼女は遂に疲労から寝入ってしまう。足を広げた、娘の無防備に眠るその姿に、あろうことか欲情した父は・・。

・あばら屋の戸口に南京錠をかけ、ふらふらと外出するコート姿の無口な平さん(芥川比呂志)。ある日、彼のもとへ“その過去”を知る女(奈良岡朋子)が押し掛けて来た。

・広場の片隅、黄色いシトロエン(2CV)のジャンク内で暮らす乞食の父子。金にも食う物にも悩まされる彼らだが、父親(三谷昇)は“大きな邸宅を建てる”と言う希望だけは捨てず、毎夜息子にその夢物語を語って聞かせるのだった。

・蓄膿症の発作(?)に時々見舞われる島さん。太った難癖おばはん(←『功夫ハッスル(2004)』に登場した“大家のおばはん”にそっくり(=^_^=))をワイフに持つ島さんは、横暴な態度を取る彼女に対し、とある感情を抱き続けていた。

・5人の子宝に恵まれ、内職に勤しむ父親(三波伸介)。ある夜、泣き出した子供らに「僕たちみんな父ちゃんの子じゃないってホント?」と問い詰められた父は。

・“街の長老”とも言うべきご老人。広場で日本刀を振り回し暴れる男あれば行って説得し、自殺しようと考える老人が来れば軽妙にあしらい、深夜に忍び込んだ強盗には金品を与え帰らせる。そんな彼は、広場に暮らす乞食の父子にも救いの手を差し伸べるのだが。

・酒屋「いせまさ」の若店員・岡部。密かに想いを寄せるかつ子に往来で出会う度、彼女を励ますのだったが・・ある日、そんな彼に“思いも寄らぬ災難”が降り掛かるのだった。

特にひねくった演出などはなく、クライマックスらしきモノもないんだが(とは言え、後半では“逃亡”“別離”“死別”“激昂”“刃傷沙汰”などの展開がそれぞれのエピソードで描かれたりするが)、
そんな中で私的に「おっ!」と感じたのは「終盤において意外にご近所同士だったことが判明する人々」「終盤になってその名の判明する人物」「終盤でようやく重い口を開く人物」などが配されてたことか。

“クロサワによる初のカラー映画”となれば、これは間違いなく“壮大な活劇”・・と(恐らく)期待した当時の観客を(きっと)大きく裏切る形となったんじゃないか? と勝手に想像するワタシだが・・恐れ多くも「ちょっと製作すべき時期も違ったし、まず第一に“世間の求める(クロサワ)作品と乖離してる感”があるんでは?」と思ってしまった。

〜 こんなセリフもありました 〜

六ちゃん「電車に轢かれたら、どうしようもないじゃないか!」

岡部「人間、働くのにも限度があるし、自分のことを考える権利もあるんだ」

女たち「あんまり奇麗な口を利ける人間、いやしまいと思うけどさ」
   「見かけに騙されるんじゃないよ・・ああ言うのはね、生まれつき人並み外れて“色深い”たちなんだよ。
    幾つになっても身体は“色盛り”でちっとも衰えないってクチさぁ」

長老「楽しい夢を見るのも、生きていればこそだねぇ」

綿中「女ってもんはな、親父・・15でも30でも、同じようなところがある・・魔物だよ、女って奴は」

息子「父ちゃん、僕たちみんな父ちゃんの子じゃないってホント?」
父親「そう言うことは自分で考えてみろよ、自分が父ちゃんの子かそうでないかってことは。
   父ちゃんは、みんな自分の子だって言うことは知ってる。
   だからみんな大事だし、可愛くてしょうがない・・けれどお前たちが父ちゃんが好きでもなく、
   自分たちの父ちゃんだと思えないんなら、父ちゃんはお前たちの父ちゃんじゃない、そうだろ?
   人は色んなことを言うよ、何だのかんだのって、好き勝手なことを言ってる。
   つまりその、父ちゃんを信用するか、父ちゃんより他の人を信用するか、どっちかだ・・どうだいみんな?」

島氏の同僚「僕たちは今日、招かれざる客じゃなかったのかい?」

島氏「あれは、野人なんだよ」
  「僕のワイフはね、そりゃ、君たちにはね、三文のね、値打ちもないと見えるかも知れないけどね、
   僕のためには苦労したんだよ。食う物も食わず、水ばかり飲むような生活をやって、辛抱したんだよ」

女「どうしても口を利いては下さらないんですか・・」
 「あんたも苦しんだでしょうけど、あたしもずうっと辛い思いのし通しでした」
 「人殺しのような重い罪を犯した者でも、事情によっては服役が終われば赦されることもある、と聞きました」
 「枯れてしまえば、何の木でもないんだわ」

綿中「ここは倫理学よりも法医学的な処置を取る方が、合理的だと思うね」
妻「分かるように言って下さい、堕ろすんですね?」
綿中「つまり、そうだよ!」

妻「何でそんなに怒鳴るんです? あの娘の言ってることが本当に出鱈目なら、
  何もそんな剣幕で喚くこともないし、警察行くの、そんなに怖がることもないでしょう?」

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2008年12月29日 (月)

☆『椿三十郎(2007)』☆

28日(日曜)の夜、「日曜洋画劇場」で“地上波初放送”されたものを鑑賞した。
黒澤明監督による同名作品(1962)を「まんまカラー化してリメイクしました」的な1本ではあるが・・

山間部に位置する某藩では、密かに藩内を蝕む汚職問題に、若侍(青侍?)たちが今まさに立ち上がらんとしていた。
が、頼みの綱である城代家老は“黒幕”たちの手にかかり藩内の何処かに拉致監禁されてしまったと言う。
木立の中、密談を続ける若侍・・その数わずか9人・・にも、彼らの潜む堂宇を取り囲まんとする、“黒幕”の放った手勢が既に差し迫っていた・・
まとまりに欠け、自暴自棄に走りそうになる若侍ら。
その時「ちょっと待ちなっ!」と、堂の奥で寝泊まりしていた浪人姿の男(織田裕二)が欠伸(あくび)をしながら出て来る。

不審で無作法なこの男に、一度は斬り掛からんとした一同だが、話している内に“黒幕”の真の姿を掴み、この浪人に心酔するようになる。浪人もまた、彼らを見棄てることが出来ず(あわよくばこの機に食い扶持にありつこう、とも考えてたようだが)・・最後には「危なくて見ちゃいられねぇ!」と一肌脱ぐことを決意する。

かくして、この浪人・・椿三十郎(自称)率いる若侍たちの痛快な“藩政改革”が始まるのだった。

そんな彼らの前に、不気味で不敵な侍頭、室戸半兵衛(豊川悦司)が立ち塞がる・・

うーん・・脚本的にはまんま“オリジナル版”なんだが、細かいトコで「冗長な味付け」がなされてたように感じた。
キャスト面では「可もなく不可もなく」ってトコロか? だが、ワタシは「織田が椿を演じてる」「豊川が室戸を演じてる」なる“一歩下がった見方”がどうも出来ず・・「織田が織田を、豊川が豊川をそつなく演じてる」と感じただけだった。

これってミスキャスト? って言うか企画自体「アレ」だったのかも、、うっ(森田芳光監督、すんません)

クライマックスで展開される「織田vs豊川」のガチンコ対決が、最大の見所ではあるんだろうけど、、イッキにズバッとやって欲しかったあのシーンが「スローモーション」「種明かし(?)映像付き」で“まったりした味付け”となってたのは残念、と言うか衝撃。。
北野版『座頭市(2003)』における終盤対決(北野vs浅野忠信)と、奇しくも殆ど同じ映像演出だった気もするが、、「何でもっとスピーディーに描かないのか?」とすこぶる疑問である。
私的には「間延びした刀剣バトル、なんぞ描く価値はない!」と思ってますもんで(←無論、刀を抜くまでの対峙&下腹で互いの鍔を合わせての膠着(こうちゃく)、などの演出であれば、幾ら長く描いて頂いても構わないが)。

番組で“茶室の3悪人”と紹介されてた(←セリフでは登場しない)、黒藤(小林稔侍)&菊井(西岡徳馬)&竹林(風間杜夫)の3巨頭は、各々に存在感がありなかなか。
私的には更にセンス良く(=^_^=)“離れ茶室の3悪人”と命名しときたい!

オリジナル版の室戸は仲代達矢さんが演じており、見た目“タコ入道”って感じで「どす黒い顔色&ギョロッと見はった両眼」がすこぶる印象的だった。
トヨエツ氏ではクール過ぎ、あのギラギラ&ギトギトした殺気は出せてなかったよなぁ・・とも。

「学芸会レベル」では勿論ないし、リメイクにかける意気込みのようなものは感じたんだが、、クロサワ監督の墓前で自信を持って報告出来るか? と問われたら「う〜ん、その気持ちだけでイイんじゃない?(報告はよしとこうよ)」とアドバイスするに止めたい、そんな作品である(・ω・)>

〜 こんなセリフもありました 〜

椿「盗み聞きってのは、話してる奴より、話の本筋が良く分かるもんだ」
 「手前が馬鹿だって思われてるのを気にしねぇってのは、大した大物だ」
 「岡目八目ズバリだ、聞いてみな!」
 「お前、丑年の生まれか? 何かにつけて突っかかるが」
 「さぁ、俺を踏み台にしてくれ」
 「俺は酒飲んだ方が、頭良くなるんだぜぃ」
 「馬鹿、それじゃ話がうま過ぎねぇか?」
 「待ちな! 俺はどうも気乗りがしねぇ」
 「手前たちにゃ愛想が尽きたぜ、とても付き合い切れねぇ」
 「やい! 手前らのお陰で、とんだ殺生したぜ」
 「勇ましく斬り込むつもりらしいが、隣はそれを待ってんだぜ」
 「ごっそり流しゃ、文句あるめぇ?」

室戸「貴公、なかなか出来るな」
  「類は友を呼ぶ・・俺も相当悪い」
  「なかなか聞き分けがいいな・・いい子だ」
  「夕べも貴様、俺に一杯喰わせたな?」
  「もはや、これまでですな・・」

若侍「こうなったら、死ぬも生きるも我々9人!」
椿「・・10人だ!」

奥方「すぐ人を斬るのは悪い癖ですよ、あなたは何だかギラギラし過ぎていますね。
   そう、抜き身みたいに。あなたは鞘のない刀のような人・・
   でも“本当にいい刀”は鞘に入っているものですよ」
  「お父様はなかなかの、顔の長い狸ですからね」 ←ネタバレ?(=^_^=)

菊井「心配はありません」
竹林「その心は?!」 ←口癖?

菊井「こうなったらそれもいいでしょう、今が勝負時です」

黒藤「打つだけの手は打った」

若侍「貴様の出る幕か?!」
押入れ侍「今、すぐ、引っ込みます」

室戸「何だこのざまは?! 貴様らしくもない」
椿「面目次第もねぇ」

室戸「何をしている?」
椿「俺は椿の花、好きでな」
室戸「ふざけるな!」

室戸「貴様みたいに酷い奴はない、こけにしやがって」
椿「まぁそう怒るな」

追記1:冒頭で「時間&サイズを編集した特別版でお送りします」と紹介されていた。道理で流血映像が全くと言って良いほど描かれないのに、噴出音(?)ばかりが耳についた、ちぅ訳だ(・ω・)
追記2:前半では「森林での小競り合いシーン」が新たに追加されてたと思う。なくても良かったけどね。。
追記3:製作総指揮に“御大”角川春樹氏の名が。彼からすれば「若侍が派手に斬り込んで・・玉砕!」みたいなドラマにこそ仕上げたかったんかも知れない?(・ω・) ←そうなると、主題歌は長渕剛さん?
追記4:みんなで椿の花を次々に斬り落とし、水の流れに叩き落とすシーンでは「椿愛好家団体のクレーム」が心配になってしまった。。
追記5:城代家老の屋敷にかかってた3福の掛け軸は、(左)「本来無一文」(中)「虚無恬淡」(右)「人生小笑」ですた(・ω・)
追記6:かつては血気盛んだった主人公=椿が、暴走寸前の若侍たちを(未然に)食い止め、暴走を経た室戸を(口惜しく思いつつも)倒す・・みたいな“世代間の人間ドラマ”が描かれてたようにも思い出すオリジナル版。今回は椿&室戸の年齢設定が「殆ど同じ」だったのもあり、そう言った感慨はばっさりカットされてたように・・(×_×)

あと、、2008年5月23日 (金)の拙記事に“オリジナル版”のレビューを載せてますので、良かったら併せて一読頂けると・・幸い、ちぅ訳だ。

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☆『特命係長・只野仁/最期の劇場版』☆

28日(日曜)の午後。
一般的な企業さんより“ひと足お先に”年末年始の休みに突入し・・早くも(27日以降)ダラダラと過ごしそうになってる、、(×_×)
昨日は兵庫県⇒奈良県にかけてのドライヴを楽しみ、今日は大阪市内へ電車で繰り出し、1本観て来た☆

ホンマに狙ってたのは「別な作品(一応ハリウッド系)」だったが・・主演男優が「別なTVドラマシリーズでそれなりにブレイクしたしと」って理由からか、考えてた劇場(←ナビオ上層階)の上映開始時間分では「座席:×」と電光掲示されており凹んでしまった。。

で、場所を“梅田ピカデリー(←泉の広場上ル)”に変え、観て来たのが『特命係長・只野仁/最初で最期の(=^_^=)劇場版』である。
いやぁ~・・以前から「“フン!フン!フン!”だけは劇場で観とかんと、越せる年も越せんでしょお?」「コレを(鑑賞予定リストから)外すのは、有り得んでしょお?」などと、周囲に機があれば(ネタ的に)振りまいてた気もするが(=^_^=)・・まさか、ホンマに観る羽目になるとは(=^_^=)
それも定価で(=^_^=)>

2008年12月、東京・・
黒川会長(梅宮辰夫)率いる大手広告代理店(←代理店と言うか大企業レベルだが)“電王堂”は、総額80億円をかけた巨大イベント「フラワーアースフェスタ2008(集客見込数:60万人)」を月末に控え、慌ただしい雰囲気となっていた。イベントのイメージキャラに選ばれたのは、今をときめくグラビアアイドル=シルビア(B86/W58/H88の20歳)である。

所属する芸能事務所「ビッグスター・プロモーション」の“看板”であるシルビアは、奇しくも“電王堂”が宣伝を手がけた新商品「激生ビール」のCMタレントにも起用されていた。
和気あいあいとした雰囲気の中「激生〜」の発表記者会見が行われる。

キャッチコピー「激生ごっくん♡」をシルビアが言い放ち、カメラマンらが一斉にフラッシュを焚く。
次の瞬間。舞台上に組まれていた鉄骨が倒壊を起こす! その場にいた関係者は色を失うが、彼女は、間一髪で飛び出した総務2課係長=只野仁(高橋克典)に救われ、無傷だった。

翌日、彼は会長直々の「特命」を受ける。彼は只野に「舞台崩壊事故」直後に届けられた1通の脅迫状を見せる。差出人は“暗黒王子”を名乗る、謎の知能犯。「シルビアの活動を妨害する」とその脅迫状は伝えていた。

会長は「フェスタが成功裏に終わるまでの間、彼女を警護し、この脅迫犯を突き止めろ」と只野に指示する。
かくて、特命係長・只野の任務が幕を開ける・・

正直、TVドラマスペシャル(それも1回分)しか観てない本シリーズだが「荒唐無稽」ってのがコンセプト(=最大のウリ)でもあり、その点では「好き放題、キャスト&スタッフが楽しんで作ってる」・・そんな“映画の原点”みたいな空気が作品全体から漂っており、1800円払う価値が果たしてあるのかどうか・・は別にしても(=^_^=)期待しなかった分、それなりに楽しめた感はあったか。
(色んなブログで評されてる通り、良くも悪くも“TV版と同じ”ではあるんだろうけど)

ま、(わざわざ企画した)劇場版ってのを意識してのことか(?)

・格闘戦で(無敵なハズの)夜・只野が敗れる
・閨房では無敵なハズ(←何だか“台所では無敵”を誇る(セガール演じる)世界最強のコック=ライバックみたいやな(=^_^=))の夜・只野の“フン!フン!フン!(←俗に言うセク〜ステクニ~ク)”の通用しない女が登場する

などの“特別な演出”を盛り込んでくれてた気がする。

ロケ地は東京⇒大阪⇒福岡、と多岐に渡り、空撮なんかも割と豪華に用いられてたか。

基本的に「力を抜いて作ってる」企画なので、たまにムチャクチャな所、強引な所などあるが、余り突っ込む気にはなれなかった(=^_^=)

見所は「アイドルの本音」みたいな(少しばかりダークな)部分が、露骨に(忠実に?)描かれてる辺りや、「メイド“寿司”カフェ」「(一見)真っ当そうなストーカー野郎」「宅配便業者を装ったヒットマン」などの“イマドキ事情”が意欲的に物語に取り込まれてることか。
「マツバ」「ススキ」など、セリフに登場する自動車メーカーも巧い具合に名称をパロっており、耳触りは悪くなかった(=^_^=)

それなりのクライマックスは夜・只野vs謎の大男(チェ・ホンマン←K1選手だそうだ)のバトルだが、2回戦では『死亡遊戯(1978)』を思わせる「胸に足ペタ」があり「おおっ!」と興奮(=^_^=) 3回戦では『007/ゴールドフィンガー(1964)』と『007/ムーンレイカー(1979)』を連想させる、とある展開を辿ってましたわ。
そうか、あいつのキャラは(『死亡〜』における)ハキム(カリーム・アブドゥール・ジャバール演じる)であり、(『ムーンレイカー』における)殺し屋ジョーズ(リチャード・キール演じる)だったんやな、と。
しっかし・・露天風呂程度の深さでは「アレ」はどうにもならんだろ??

〜 こんなセリフもありました 〜

昼・只野「これ、当たるようにして下さいね」 ←宝くじ売り場で

夜・只野「人は誰でも“何らかの役割”を演じながら生きてるんじゃねぇか?」
    「例えあんたの言う“ゴミみたいな存在”だろうが、
     生きてる限り、そいつの中に“幸せを掴む権利”はある筈だ」

会長「商品に手ぇ出すな」
  「男の幸せって何だろうな・・?」
  「このイベントにかけてるのなら、(中止せず)続けるんだ」

シルビア「何、この人・・?」 ←初対面で昼・只野に

※※※※「(聞かれたって)気にすることないわ、こいつ(=運転手)ロボットだから」 ←きっつぅ〜!

※「知っての通り、広告業界は“奇麗事の通用しない世界”でね」

※「只野さんって“窓際”なんですか?」
昼・只野「そうなんですよ、窓からの景色が素晴らしくて」

エミ「(男の)年収よりスゴいものって・・あるのね・・!」 ←通天閣から打上花火が(=^_^=)

※※「嫁はんに逢いたい・・」 ←このセリフにはウルウル来ました(×_×)

黒幕“虎”「俺たちはマカオへ飛びバカンスだ、お前たちは玄界灘の底へ沈んで貰おう」 ←生々しいなぁ(⌒〜⌒ι)

〜 ほか、こんなことも 〜

♦大阪ロケ敢行! 気の付いた所では・・新大阪駅(駅前)、道頓堀(入口)、大阪城(天守閣前)、法善寺(境内)、通天閣(真下の串カツ店「だるま」)、一心寺(墓地)などが登場してた。嬉しかったのは(=^_^=)京阪電車・北浜駅(地下構内)が登場したことか!
♦「だるま」親父による「2度づけはアカンで!」の怒号には、さしもの只野もタジタジ(=^_^=) 店の表にあるおっさん人形・・“目玉の飛び出るアクション”搭載だったんやね(⌒〜⌒ι)
♦昼・只野の買い求めた宝くじ(バラ40枚=1万2千円分)のうち1枚は「69組190721番」なる番号・・何とまぁ。
♦昼・只野の年収は500万円(天引き前)とのこと。
♦ケータイ小説作家、ハイパーメディアプロデューサー、英会話スクール社長・・などの有象無象たちが登場(⌒~⌒ι)
♦「引き出しの中から見上げた(カメラ)アングル」って、案外珍しいのでは!?(=^_^=) ←何とも画面が「安っぽく」なるんだけど(苦笑)
♦「なにわ芸能」の社長役で桑名正博さん登場。いつも事務所内の陰ってるような雰囲気が、リアルでたまんなかった、、
♦夜・只野の弱点(←触られると悶える)は「右の乳首」らしい、、しかし、黒い(×_×)
♦大阪城を見下ろすホテルの展望バーに現れた夜・只野。「シングルモルト」を注文してますた。
♦にわかエグゼクティヴの提唱する(=^_^=)「シークレットルーム」には「サウナ」「ジャグジー」「茶室」の3点セットが必須らしい。。
♦夜・只野が突如現れた謎の大男に発信器を仕掛けるシーン・・ここは笑えますね〜。直後に“回想シーン”が描かれるんだが、そんな大事なことはその場で演出しとけよ!(=^_^=)
♦海中からいきなし「ダイバー部隊」の出現するのも、何だかなぁ・・
♦終盤に登場する福岡某所の敵アジト(単なる倉庫とも言いますが)。当直室だかの壁に貼ってた「SEIRI SEITON」の注意書きに苦笑させられた。
♦ラストシーンでは「新宿・住友三角街」がロケーションされてた。
♦謎の大男に飛び蹴りする夜・只野。何だか「距離が完全に足りてなかった」気がするんだけど・・
♦つる部分のスイッチ(?)1つで「右目側:赤」「左目側:青」にレンズの色が瞬時に切り替わる昼・只野の黒縁眼鏡。メールボーイ(永井大)が「速達です!」と届けて来たハガキ(スーパーミライの“全品半額セール”の通知)の裏に使用すると・・「特命」の2文字が3Dで飛び出すんだが・・もっと効率的な伝え方があったと思うぞ(⌒〜⌒ι)

追記:この1本が、或いは「年内最後の劇場鑑賞」となるんやろか、、(・ω・)>

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2008年10月 6日 (月)

☆『トウキョウソナタ』☆

5日(日曜)。家庭のことで昨日よりバタバタしており、行ってる場合じゃなかったかも知れないが・・大阪市内に出て、新作邦画『トウキョウソナタ』を観て来た。劇場は「新梅田シティ」内の“梅田ガーデンシネマ”である。

東京(劇中の設定では、京王線沿いの目黒区駒場東界隈)に住むとある一家をネタに“不協和音を奏で始めた家族”の行く末を淡々と描いたドラマ、みたいなことは何処かで聞いたかして知ってたが、殆ど予備知識はなかったに等しい(・ω・)

が、観終われば・・確かに淡々と進む展開ながら「ワタシ自身もまた、1人のちっぽけなサラリーマンであるし、今もこの先もそうに過ぎない」と言う現実を(客観的な視点を含め)考えた場合「こりゃ“笑えん喜劇”であり“泣けん悲劇”やな」とチクリと心の何処かが痛んだ次第である。
本作は、映画評論家やタレントと言った「“よその世界を眺める”視点で作品を語るであろう方々」より“現役の政治家”“現役の教師”と言った方々にこそしっかりと観て頂きたい1本である、と思う!

多少の誇張はあるも、これって日本を(もはや“トウキョウ”だけの、とは言えまい)覆っている“不気味で歪んだ現状”を巧妙に抽出し、とある家庭に放り込んで眺めた、そんな物語なのである・・

大手企業『TAVITA(タビタ)』で総務課長のポストに就いている佐々木竜平(香川照之)は働き盛りの46歳。
自身の家庭より職場にこそ全力投球、これまで頑張って来たが、ある日上司から「君の課の業務そのものを海外支社に委譲する」と告げられる。事実上、前触れなしの“リストラ宣告”である。
途方に暮れた佐々木は、戸惑いを隠せぬままに帰宅。だが、妻にも事実を言い出せず、彼は翌朝以降も決まった時間にスーツ姿で“出勤”・・公園の(食事)配給の列に並んだりし、日々をぶらぶら過ごす。
彼なりにハローワークに足を運んだりするも“元一流企業の管理職だった”と言うプライドが邪魔し、どうしても清掃業やコンビニ店長と言った再就職口には納得出来ない。
そんなある朝、彼は公園脇を通りがかったスーツ姿の男が高校時代の同級生=黒須(津田寛治)であることに気付く。佐々木が声をかけ、旧交を温める2人。
「1時間に5回」も勤務先から携帯に連絡の入る多忙な男、黒須。彼は公園の配給の列に目をやり「何だありゃ?」「俺も喰ってみようかな? あんなの喰う機会なんて滅多にないだろ?」と佐々木に語りかける。複雑な表情でそんな黒須を見つめ返す佐々木。

彼の家にも招かれ、妻や娘とも夕食を共にした佐々木。
しかしある日、黒須との音信が途絶えてしまう・・彼の自宅を再訪した佐々木は、驚愕の事実を知らされることとなる。


大学生の長男=貴(たかし)、小6生の次男=健二の2人の息子を育て上げた佐々木の妻=恵(小泉今日子)。頑固で、何事につけても“家長”ぶって権威を振りかざす夫と、その言動に悉く反発する2人の“繋ぎ役”となっていた彼女にも、年齢的なものか“疲れ”が見られ始める。
化粧っ気はなくなり、笑顔も減り「誰か、あたしを引っ張って・・」と自宅ソファーに寝そべったまま、つまらなそうに虚空へ手を伸ばす彼女。
そんなある雨上がりの日、予想外の出来事が彼女の身に起こる。


貴は学業より夜遊び(=朝帰り)とバイトに明け暮れる日々。繁華街で配布するティッシュもなかなかノルマがさばけず、結局は鉄橋からごっそり川面に破棄する。同僚はつまらなそうにポツリと「来ねぇかな、大地震」と呟く。
やがて貴は“第1期・外国人米兵入隊願(?)”にサインをくれ、と両親に言い出す。
米兵と共に海外(中東)で実戦に参加、何かを学び取ろうとするつもりなのか?
佐々木夫妻は当然のように反対するが、長男の気持ちはもう決まっていた。


健二は両親にも構って貰えず、担任教師=小林にも「俺はお前を無視する、だからお前も俺を無視していい」と熱意ある態度を全く見せては貰えない。
そんなある日、通学路にある“かねこピアノ教室”で生徒にレッスンをする美人教師=金子薫(井川遥)に惹かれた彼は、母に貰った給食費(5千円)を黙って彼女に(月謝として)渡し、こっそりピアノを習い始めることに。
自身では気付いていなかったが、両親に隠れてレッスンを続けること3ヵ月・・薫はある時、健二に「君には才能があるわ、人並みはずれたピアノの才能がね」と告げるのだった。

以前に“リストラ”“不倫”“ドラッグ”“ゲイ”“不純異性交遊”“ロリコン”“発砲事件”などをネタに「一家の崩壊」を描いた『アメリカン・ビューティー(1999)』なる作品があったが、あちらよりもっと生々しく、(日本人として)リアルな作品性があると感じた。
尤もアメリカは“銃社会”であるから、拳銃を“日常的かつ非日常的なアイテム”とし用いる事が自在に出来るのだが、日本ではなかなかそうもいかない(安直な作品では、すぐ“ヤクザネタ”に手を伸ばすンだが、、)。
本作では“唯一の凶器”とし「出刃包丁」が登場するが、それすらも作品全体からすれば、大した“アイテム”ではなかった。

その辺りの“非日常的な武器&バイオレンス”に安直に逃げないトコには好感が持てたか。

秋風と共に疾走する夫、空の広がる海へと向かう妻。長男は“敬礼”を残し海外へ、次男は遠距離バスの貨物室に潜り込み・・それぞれが“トウキョウ”を離れようとする後半。
「終わったな、この一家・・」と思いきや、エンディングでそれなりのまとまりを見せる彼らに“家族の可能性&絆”を感じたりも。

良くも悪くも“家族の呪縛”ってのはあるのだろうし、長い目で見れば、そういう日々の煩わしさも“後に笑い話となるのだろうか・・?”などとも思わされた。
・・そして、不思議な落ち着き&余韻を残し、本作は幕となった。

~ こんなセリフもありました ~

ホームレス「ハローワークに行っておけ・・運が尽きる前にな」

佐々木「ずいぶん(荷物)しょってんな」
健二「重過ぎ」

ミカ「佐々木さんも、大変ですね」

同級生「何だよ? お前だぜ、やり始めたの」

面接官「この会社に提供出来る“あなたの能力”を見せて下さい」
佐々木「え・・」
面接官「カラオケでも結構です」
佐々木「は・・?」
面接官「あなたさっき“カラオケが得意だ”とおっしゃいましたよね?
    そこにあるペンをマイク代わりに、歌って下さい」
佐々木「(しばらく躊躇した後)♪し~・・」 ←この曲名が気になる(⌒~⌒ι)

※※「ゆっくり沈んでく船みたいだな、俺たち。ここんとこ(=喉元)まで水が迫ってて・・
   ・・けど、水の中に潜る覚悟なんかなくてさ」
  「行っちまったんだよ“救命ボート”はな」

老先輩「洗剤(の使い分け)1つにも“プロのやり方”がある」

恵「お母さん役も、悪い時ばっかりじゃないわ」
 「潰れちゃえ、そんな権威」
 「これまでの人生が全部夢で、ふと目覚めて全く違う人生だったら・・どんなにいいだろう」
 「ここには、現金は、ありません」
 「こんなに遠くまで来たのに・・今さら帰る訳にはいきません」
 「私、やり直せるでしょうか? ここからもう1度」
 「お腹空いたね・・すぐ作るから」

佐々木「(窓から入ったのは)戸締まりを確かめたかっただけだ」 ←戸締まりも“ネタ”だった!
   「俺は世界が、じゃない・・お前が心配なんだよ」
   「どうやったら、やり直せる? ・・やり直したい」

貴「沢山、殺したよ・・殺して来た・・」
 “アメリカだけが正しい訳ではない、と言うことを知りました”

※※「どうして戻って来た?!」
恵「そう言う約束だから」

※「勝手なんだよ、大人は」

~ こんなことも思ったり ~

♦日々の何気ない“気付き”“声掛け”なるコミュニケーションが、“家族の接着剤”となるのかも知れない。
 「教習所に通ってるそうだな? 免許、取れそうか?」
 「取れたのか! 頑張ったな、家族みんなで何かお祝いしなきゃな」
 「どれ、見せてみろよ・・ふ~ん、(免許証の)写真だと美人だな、お前」
 「朝帰りか? 大丈夫か最近?」
 「バイトの方は順調か?」
 「何だ、ピアノ習ってるのか? 今度、俺と母さんにも聞かせてくれよ」
 こんな言葉を日頃から掛けられてたら・・きっと佐々木家には違う物語が紡がれた筈である。
♦偶然の「目撃」「遭遇」シーンの多かった気が(・ω・) 現実ってば、実際にはそんなものか?
♦「家が人を縛り付ける」のかも知れない、良くも悪くも。
♦他人の死を阻止出来た人間が、容易く自らの死を選ぶ弱さ&悲しさよ。
♦不器用な人間は、結局不器用にしか生きて行けないのだろうか?
♦卓越した技術以上に、商売や人間関係のセンスが必要とされるのだろうか?
♦スーツ姿で配給に並ぶサラリーマン姿の失業者。その律儀さが余りに悲しい。
♦我が子に“遺伝によらぬ”意外な天才性の備わっている不思議。
♦言葉でなく態度で伝え合う「日本人気質」が非常に巧く描写されていた。
♦黙って耐える人間と、そのことを知りつつ、ただ黙って(その人を)眺め続ける人間。それは「沈黙の美」「見て見ぬ振りの美」と賞されるべきものか?
♦家族それぞれが、日常に潜む“死の影”に翻弄される恐ろしさ。
♦「死ぬべき時でなければ、人は死なない(死ねない)?」のだろうか?
♦巧妙に表面を取り繕うほど、崩壊時の顛末は悲惨となるのだろう。
♦究極の崩壊が、或いは再生の希望の灯をともらせることだってある、と信じたい。

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2008年9月27日 (土)

☆『デトロイト・メタル・シティ(D.M.C)』☆

26日(金曜)の夜。
以前から「観ときたい!」と直感的に考えつつ、なかなか機に恵まれなかった1作・・『D.M.C』こと『デトロイト・メタル・シティ』をナビオ上層階のシネコン“TOHOシネマズ”でようやく鑑賞した☆
上映期間が後期に近付いてるようで、かなり小規模のシアターに追いやられてしまってた感があったが、それ故に程よい集客具合を見せてたかな、と。

今日は、周囲から回された仕事をこなし、書類をチェックしてるだけで“自分の仕事が一切出来ぬまま”に1日が暮れてしまったが・・残業する気も失せて来たのでさっさと退社させて貰った次第。でも、巧く気分転換出来て良かった☆

母(宮崎美子)や弟・俊彦と別れ「オシャレなミュージシャンになるため」に、故郷(大分県犬飼町)から上京した主人公=根岸崇一(松山ケンイチ)。進学した都内の大学では「ポップミュージック研究会」に在籍し「No music. No dream.」を座右の銘(?)にささやかな“ギターポップ路線”を歩む。

研究会では、ガールフレンド=相川(加藤ローサ)や後輩・佐治らとの交流に恵まれた崇一もやがては卒業。
メジャーデビューの夢を高め、渋谷・道玄坂の某雑居ビルにあるインディーズ・レーベル“デス・レコーズ”の扉を叩いたのだった・・

そして、事務所の女社長(松雪泰子)の指示に従った崇一は・・過激な“デスメタル”を演奏するバンド「デトロイト・メタル・シティ」のギター&ヴォーカル=“ヨハネ・クラウザー2世”とし、驚愕の変貌を遂げたそのスタイルでデビューを遂げる。

「僕がしたかったのは、こんなバンドじゃない!」

そんな彼の心の叫び(?)をよそに「デトロイト・メタル・シティ」の放つ“悪魔系楽曲”は渋谷から西日本全域(?)へとミュージックシーンにその波紋を拡げてゆく・・

いやぁ、強引でムチャクチャな演出もあった(例:何処にでもコスチュームがある、着替えがとにかく早い、など)ものの、、ある意味、予想以上のジェットコースターぶりで楽しませて貰った☆
特に主演の松山ケンイチ、以前は大した興味もなかったんだが『人のセックスを笑うな(2007)』以降、かなり注目してる若者だ。本作でも『人のセックス〜』より更にパワーアップもし、ブレイク(=崩壊)もしてる“キャラの造り込み”がなかなかにスゴかった!
うかうかしてると、彼にどんどん追い抜かれてくベテラン俳優さん、多いんじゃなかろうか(・ω・)

基本路線は「事務所社長の暴力(愛の鞭?)に怯えつつ、“自分のやりたいジャンル”でない“デスメタル”の分野でどんどんカリスマ化してゆく主人公。そんな彼が、再会したガールフレンドには“邪悪な正体”を隠しつつも、一方で高まっていく熱烈なファンの期待も裏切れず・・“究極の2人格”に煩悶させられる」って感じなんだが、そこに色んな形の“再会”を交え、脚本の流れがマンネリとならぬよう工夫されている。

本作は、エッセンスを煮詰めて行くと「挫折(中盤)からの再生(後半)が描かれる」「主人公がヒロインに正体を隠そうとする」「派手で華やかなルックス(?)と裏腹に、主人公は深く(?)悩んでいる」などの造形が“ヒーローもの”であるし「終盤で走りまくる」「最後にとある“対決”が展開される」などの演出は“青春映画(或いはスポ根路線)”に通じるものがあったりも。

邦画では「CGガンガン系のパニック映像型ヒーロー作品」なんぞ、撮影など出来ようハズもないけれど、こんな形の“ヒーローもの”を造れるのもまた、邦画ならではなんやろなぁ〜と感心させられた☆

本作には「母親」「彼女」「女社長」と言う全くタイプの異なる3人のヒロインが登場するんだが、それぞれの主人公に対する“絡み方”が「浅過ぎず、深過ぎず」で絶妙だった! 私的にウルウルさせられちゃったのは、何と言っても故郷における「母&息子(崇一)」のシーン。母はきっと「クラちゃんが何者であるか」に気付いたんだろう。
しかしそこを「全て言い当てない」彼女の言動には、何故だか半泣きにさせられた。

他に特筆すべきは“D.M.C”信者のリーダー格を演じた大倉孝二氏。この人の存在感ももの凄い! 本作から「助演俳優賞」を選ぶとすれば、ワタシは間違いなく彼をチョイスするだろう。

「ヒーローとは、自身は変わらずとも、周囲にパワーを与え、彼らを変えて行き得る存在なのかも知れない」
「いつまでも地味で不幸なまま生きて行く自分を、変わらず見守り続けてくれる人がいるのかも知れない」

なんてな“甘っちょろいこと”を少し妄想したりもするワタシだった(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

崇一「恋愛は、音楽を生み出すエネルギーだ」

クラウザー「音楽を生み出すエネルギーは、恋愛なんかじゃねぇ・・それは“恨み”“憎しみ”・・」
     「この恨み、晴らさでおくべきか!」
     「死にたくなくば、生まれるな」
     「我殺(や)る、故に、我殺(や)り」
     「音楽と出会えたことに感謝している。
      ミュージシャンになっていなければ、恐らく猟奇殺人鬼となっていただろうから」
     「深入りするでない」
     「ナイス・タンバリン!」
     「お前も“べぇべぇ”してやろう」 ←ヘビメタ猛牛(?)を手懐ける
     「イエス、アイドゥー(Yes,I do.)」 ←素直じゃん (=^_^=)

社長「踊り狂って、アソコもビショビショさ」
  「ファックオフ!(Fuck off) あたしは、こんな曲じゃ“濡れない”んだよ!」
  「あいつは天才さ」
  「ヒーローには使命があるんだよ、人に夢を与えるって」

あさと「“お遊戯的な曲”なら、よそでやってくれよ」

聴衆「キツくない?」
  「ヒドいでしょ、これ」

D.M.C信者「貴様、クラウザーさんに殺害されるぞ!」
      「あれこそ究極の“自虐プレイ”だ・・凄過ぎる」 ←いや、首吊り事故だってば!
      「クラウザーさんに“死の概念”などない」
      「何だ・・? 新曲か?」

〜 ほかこんなことも 〜

・主人公が冒頭、故郷を発つ際に乗ったのはJRロゴ入りの「キハ47形4500番台」。詳しい方は、この形式を耳にしただけで、即座に路線が分かるんやろなぁ(⌒〜⌒ι)
・都内の「カワイ音楽教室」を揺るがしたクラウザー様(=^_^=) 確かに怖い。。
・「魔の刻印サイン会」「ファッキンガム宮殿」「テトラポッド・メロンティー」「お洒落四天王」「金玉ガールズ(←おい!)」「公然猥褻カット(俗に言う(?)マッシュルーム頭)」「出鱈目マザコン・チェリーボーイ(略すと“D.M.C”)」などのネーミング群もブーツ飛んでる!
・結局は自身のセンスで“デスメタル”曲群を自在に作詞作曲しており、その才能は高いと思われる崇一(・ω・) 「歯でギターを演奏」したりもし、技巧的にもスゴいんじゃないかな、と。
・母からの携帯メールが大分弁(?)により読み上げられるんだが、その(宮崎さんの)ナレーションと、同時に展開されるバイオレンス映像とのギャップがもの凄い! ここは見所でしょう(⌒〜⌒ι)
・社長の飼っている猛犬(?)2頭の名前が「ぐり」と「ぐら」ってのもなかなかセンス良し!
・「本作はフィクションであり、劇中に登場する一部の台詞・歌詞などを肯定するものではありません。」みたいなラストの“おことわり表示”も面白かった。やっぱりここは掲示しとかないと、色々言う人がおるんやろね(・ω・)

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2008年9月 7日 (日)

☆『どん底(1957)』☆

3日(水曜)の夜、衛星第2で放送された黒澤明監督による群像人情悲劇(?)『どん底』を観た。
ロシアの作家・ゴーリキーによる同名の戯曲を「貧困に喘ぐ人々の生活を、彼ら各々の人生観を交え描く」と言うテーマはそのままに、舞台を「江戸末期の長屋」に置き換え、やや“定点的”に描いた長編ドラマである。

黒澤さん、どうにもロシア文学に傾倒されてたようで・・『白痴(1951)(原作:ドストエフスキー)』にこの『どん底』、後年に『デルス・ウザーラ(1975)(原作:アルセーニエフ)』・・とピンポイントでそっち系(ってどっち系?)の作品を精力的に映像化している。どうやら『戦争と平和(原作:トルストイ)』も映画化しようと考えておられた、と言う逸話もある。

江戸時代の末期。町人が「どうせ掃き溜めだ」と毒づきながら芥(ゴミ)を投げ落とした土手下・・にある棟割長屋に集まった人々がそれぞれの価値観を譲ることなく「生きる」姿を描いた群像劇。

とにかく、登場人物が多く、名前やキャラ設定が意外に分かりにくい(かつ覚えにくい)のもあるが・・“長屋そのものが主人公”とでも解釈すれば良いんだろうか?(・ω・) 常連俳優たる三船敏郎(泥棒の捨吉役)や重要キャラたる左卜全(巡礼の嘉平役)も登場するが、それぞれの退場の仕方を眺めるに・・主人公か? と問われると決してそうでない気がする(・ω・)

テーマが「人は何のために生きるか」「嘘とは何か」とも言われるが、これと言った答えや(監督自身の)解釈が劇中で明確に描かれてる訳でもなく、従って私的にも「物語世界に入って行きにくい」作品ではあった。。

そんなことで、取り敢えずは「セリフ」群をまとめて紹介させて頂く。

 「お前さんは辛抱強過ぎたんだよ」
 「今にお前、本当に地獄へ堕ちるぜ」
 「いっそ、くたばったんなら有難てぇがな・・大家」
 「思い出せねぇことばっかりよ」
 「善根を積めば、その報いは必ずある・・あの世でな」
 「親切は親切、借金は借金だ。味噌も糞も一緒にしちゃなんねぇ」
 「働く? 働いて楽になるんなら働くさ」
☆「温かくさえ有りゃ、そこが極楽さぁ」
 「この若い衆も正気じゃないねぇ・・」
 「手討ちにするだと? で、刀はあるのか?」
☆「河原の石ころさ、もまれて丸くなったのさ」
 「あの世に行きゃ、息がつけるさ」
 「5文じゃ三途の川も渡れねぇ」
 「死ぬ前には、心が寂しくなるもんだ」
 「何故良くなる? また苦しい目に遭うためかい?」
 「往生の妨げはせんことだ」
 「いいことをしなきゃ、悪いことをするしかねぇわな」
 「嘘か真(まこと)か、自分で行って確かめてみるんだな」
☆「この世の中で嘘が悪いとばかりは限らねぇよ・・また真が良いとばかりもな」
 「女は女さ、男のようには行かないよ」
 「あんた、糸の切れた馬鹿みたい」
 「いつか、あたしもこんな風に虐め殺される・・」
☆「俺もお前もいつかはくたばる、ただそれだけよ」
 「みんな我が身を不憫がる暇もないんだからねぇ」
☆「死んだ者は何もしやしないよ、怖いのは生きてる奴さ」
 「身体は汚れていても、心が汚れていなければ生娘も同じだと」
 「なぜこんなことを喋るのか、そこんところを汲んでやりな」
 「お泣き、たぁんとお泣きよ」
 「ただこの連中はあんたに妬いているんだよ」
 「あたしだって色んなこと考えて、本当にそうなることを考えてんだよ・・明日になれば何かいいことがあるって」
 「いいかい、余計なことは言わないで労(いたわ)ってやるんだよ」
 「俺はな、何でもありのままをぶちまけねぇと気がすまねぇ質(たち)なんだよ」
 「何処に行くのか分からねぇから、それを探しに出かけるのさぁ」
 「男の一言だ、間違いねぇ」
 「後悔なんかしてねぇ、こうでもしなきゃ今頃くたばってらぁ」
 「1人で探すよりは2人で探す方が良いに決まってる」
 「米がなければ麦を喰う、麦がなければ稗(ひえ)を喰う」 ←マリー・アントワネット系発言?
☆「どぶ板を踏み抜いたのよ」
☆「この男はね、お前を酷い目にも、嬉しい目にも遭わしゃしないよ」
 「そろそろお神輿(みこし)を上げようと思ってね」
 「叩けば埃の出る身体、か」
 「あたしも出て行こう、何処でもいいさ、ここでさえなけりゃ」
☆「この世の中には、嘘でつっかえ棒しなきゃ生きていけない奴もあらぁ」
☆「その人は、ひょっとしたら、わしらのため、世の中のためにいいことをしに生まれて来たかも知れねぇ」
 「俺は今日、馬鹿に人がいいな」
 「下らねぇ、なるようにしかならねぇよ」
☆「どうせ人間は同じ事を繰り返すだけだ・・朝起きて晩寝て・・」
 「酒は毒だぜ、余り飲み過ぎちゃいけねぇ」
 「折角の踊り、ぶち壊しやがって・・」
(気に入ったセリフに“☆”をつけてみますた)

※「足元の明るいうちに出て行きな」
※「そういうあんたの足元はどうだい?」

※「人の気も知らねぇで」
※「へぇ、どんな気だい?」

さて本作、下町の人情悲劇かな、と思ったんだが、のろのろと抑揚少なく進む物語のくせに「劇中で3人も死人(しびと)が出る」ってのにちょっとした意外さがある。
「最下層の人々が放つ金言(?)に酔う」ちぅ楽しみ方は確かにありそうで「話劇」としては興味深いが、それにしてもズバリ言わせて頂くと・・「総じて面白くない!」ってトコだろうか(・ω・)

カラー化に踏み切った第1弾『どですかでん(1970)』が、黒澤監督作品の中で最もつまらない! と言う評価をネットで見つけたが、本作もモノクロ作品群の中ではなかなかのつまらなさを誇るのかも知んない。

まぁ「貧乏かつ堕落した日々を手に入れたが故に、周囲を入念に観察し、そして実人生に賢くなれた人間」って言う「どん底なりの人生勉強の一端が眺められる」楽しみのみはあるんかも知れない。

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2008年8月10日 (日)

☆『どろろ(2007)』☆

4日(月曜)の夜に「月曜ゴールデン・夏の映画スペシャル」で地上波初放送されたものを鑑賞。
劇場公開当時は「妻夫木くん主演のアクション時代劇だっ!」とそれなりの期待感を高めてたものだが(と言っても結局は観ないままだったが・・)、いざTVで観てみたら・・余りにつまらなくて驚いた!

以前から「“大作っぽい見せかけ”で、いざ観てみたら“実につまんない作品”」って言うのを数多く観て来たが・・まだこんな「古き悪しき邦画」が作られてたんやなぁ・・と。

賢帝歴3048年。戦乱の世において覇権を握らんとする武将・醍醐景光(中井貴一)は、魔物との契約を交わす。それは、生まれ来る我が子・多宝丸の身体から48の部位を差し出す代わりに“常人を超えたパワー”を得ること。

そうして20年後。呪い師の男(原田芳雄)に助けられ、欠けた部位を義肢で補い、剣の腕前を磨き上げたかつての赤子は“百鬼丸(妻夫木聡)”と名乗り、諸国をさすらう旅を続けていた。
村々を巡り、そこに巣食う魔物どもを倒すことで失われた部位を1つまた1つと取り戻す百鬼丸。
6体目を倒した村では、彼の左腕に仕込まれた刀を目にした盗人・どろろ(柴咲コウ)が彼を付け回すようになる。

やがて2人は醍醐の統治する国に辿り着く。そこで待ち受けるのは“多宝丸”を名乗る若武者(瑛太)と、その母・百合(原田美枝子)であった。
また、どろろにとって城主・景光は殺された父母の仇であったのだ。

百鬼丸、そして景光を中心に、彼らを取り巻く人々の運命の歯車が大きく軋み、回り始める・・

冒頭からして「賢帝歴って何やねん!」とツッコミが。「戦乱の世」と字幕表示しとけばイイじゃん、と。
作品の(現代の)舞台が「賢帝歴3068年」と計算しても、そこには何の意味もなかったりするし(⌒〜⌒ι)
物語そのものが暗く、ドラマ部分にこそ重厚さ&丁寧さを発揮させて作らなあかんトコを、興醒めなCG三昧で「ドラマもダメ」「特撮もダメ」とダメダメづくしになってしまってたのが、痛かった。

また、妻夫木も柴咲も「明るく元気に振る舞ってナンボ」な俳優さんだと思うので、どっちかと言えば「抑圧された」キャラ造形を淡々と&延々と演じるのは、彼らにとっても観客にとってもフラストレーションが溜まって、アカンかったのじゃなかろうか。。
ウィキペディアによると「続編(2&3)」の製作が決定してるそうだが、かなりな修正と要するんじゃなかろうか、と他人事ながら心配でしょうがない・・(・ω・)

映画に出演してる中井貴一氏を眺めてていつも思うのが「中井さんってどんな作品で誰を演じても中井さんなんやなぁ・・」ってことで・・本作でも中途半端(←しっかりした演技は勿論されるが、強烈な個性か? と言うとそうでもない気がする、私的には)な存在感でもって、作品世界を覆ってしまってた(×_×)

劇団ひとりが出演してたそうだが、良く分かんなかった。。カットされたシーンがあったんやろか?

そんなこんなで、こう言う仕上がりになるぐらいなら、敢えて「舞台劇」を狙ったような“長回し映像の多用”“ロケーションの固定”でもってもっともっと味わい深く描くべきだったのでは? と感じた(にしても、終盤の“国境跡”の場面は妙に長く“舞台劇のテイスト”を思わせてくれた・・)。

〜 その他、こんなことも 〜

♦戦地から拾い集めた死骸の手足に薬草を混ぜ「命の水」を作る⇒そこに「エレキテル」を通す・・とかで義肢製作を紹介するシーンがあるが、、エレキテルってあんた、、
♦序盤では原田芳雄氏のイメージがどうにも『あずみ(2003)』とかぶってしまった(・ω・)
♦国境跡の場面は、何処となくクロサワ映画『羅生門(1950)』の影響(←朽ちた門の佇まい)も感じてしまった。

〜 こんなセリフもありました 〜

手相師「おめぇ、とっくに死んでんじゃねぇのか?」

どろろ「盗っ人に名前なんかねぇ」
   「俺たちは生きもんだ、生きもんが生きようと必死になって何がおかしいんだよ!」

鯖目「神も仏もないとはこのことで」

琵琶法師「時が来ちまったか」
    「憎しみも恨みも、雪の如くこの大地に積もるばかりか」

景光「戦(いくさ)で迷いは命取りぞ!」
  「恐ろしぅ育ったな・・」

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2008年5月23日 (金)

☆『椿三十郎(1962)』☆

19日(月曜)の夜、(以前に)録画しておいたモノを観た。
HD(ハードディスク)レコーダの残量が尽きて来てるもんで、録り溜めた番組(殆どが映画)をぼちぼちDVDに焼き「外部保存」して行ってる次第だが、今回は『虎の尾を踏む男達(1945)』と『椿三十郎』の“2作セット”で1枚に焼いてみた☆
う〜ん、なかなかに“ツウ好み”な取り合わせでござんす(・ω・)

『用心棒(1961)』からわずか1年! 凄腕の浪人=三十郎がスクリーンに帰って来た!
クロサワ時代劇を代表する、快男児の活躍を描いた本作。かなり以前、知人の1人が「『椿三十郎』は面白い!」などと言ってたのを耳にして以来(その知人が余り物事を好評価しないことからも、より強く記憶に残った次第(=^_^=))、なかなか鑑賞の機に恵まれなかったが・・いよいよ観てみると流石に面白い!
ある意味「キャラクター陣(特に女性キャラ)の魅力」「全編ただ殺気立ってるだけじゃない演出」「ピンポイントで挿入された強烈な殺陣(たて)」なども含め、より“ダレ場”が少ない点などから『用心棒』やかの『七人の侍(1954)』すら凌駕してる部分も少なからずあった! ・・と私的に感じた。

冒頭。オープニングで“山本周五郎作「日々平安」より”とクレジットされた本作。
山中のお堂に集まった「9人の若侍たち」に助言を与え、ご当地の藩の汚職疑惑に絡んだ陰謀を暴いて行くのが主人公=椿三十郎(三船敏郎)。
情熱的なリーダー格=井坂伊織(加山雄三)を正しく導き、冷徹な参謀格=寺田(平田昭彦)に動くべき刻(とき)を教え、血気盛んな武闘派=保川(田中邦衛)には、冷静になれと・・行動と言葉(大抵は罵詈雑言(=^_^=))でもって指導して行く。
一方に控えるのは強敵(ライバル)となる大目付・菊井某の懐刀=室戸半兵衛(仲代達矢)。

全ての騒動を片付けた後、峠道でいよいよ対峙する三十郎と室戸。
そこに駆け付け、固唾を飲んで見守る若侍たちの前で繰り広げられた一瞬の剣戟の行方とは・・

三十郎が刀(鞘でなく白刃)を抜き、生命のやり取りをするシーンが劇中で“わずか3、4シーン”しかないんだが、それ故にそれら限られたシーンにおける抜き打ちの素早さ、容赦のなさが際立つ。
(近年の)仲代さん曰く“タコではないか、これは”ってな(=^_^=)独特な容貌の室戸に至っては、最後の最後まで真剣で斬り掛かったりはせず、不気味な「居合いの達人」の未知数ぶりをキープし続ける。

9人の若侍には含まれないが、とある展開から彼らに合流する“俗称:押入れ侍”を好演した小林桂樹のとぼけたキャラがこれまた素晴らしかった(=^_^=)
惜しむらくは、本作ばかりにおいては、余り魅力を放ってくれなかった次席家老・黒藤役の志村喬さんだったろうか・・ファンとしては、もうちょっと「ええ役」をして欲しかったかなぁ、と。

いきなりお堂で詮議してる若侍たちの描写から、三十郎の唐突な登場(この脚色も実に自然な印象で良い)・・そして、お堂の周辺では既に事件が他発的に回り始めていたのだった・・! と言う流れ。
全くもって「脚本のお手本」みたいな素晴らしさだ(⌒〜⌒ι)

前作(?)『用心棒』に比べ、市井の人々が殆ど登場せず、個性的なキャラには恵まれない(何せ『用心棒』では、ピストルを愛用してる奴までいたもんで・・)反面、ずんずん物語の進んで行く“オン・ザ・レール感覚”は更にパワーアップしていた。
殊に公開当時、劇場であのラストシーン(あの長回しの緊張感たるや!)を眺めることが出来た観客が、正直羨ましく思えてならない。

〜 こんなセリフもありました 〜

三十郎「“一番悪い奴”はとんでもねぇ所にいる・・危ねぇ危ねぇ」
   「バカ野郎、逃げるつもりならはじめっから出て来やしねぇや」
   「“盗み聞き”って奴ぁ、話してる奴より話の本筋が良く分かる」
   「手前(てめぇ)が馬鹿だと思われてるのを、気にしねぇだけでも“大物”だ」
   「間抜けな味方の刀は、敵の刀より危ねぇ」
   「さっきの見張りは3匹だが猫だ・・今のあいつは1匹だが虎だぜ」
   「其れじゃ話が美味(うま)過ぎやしねぇか? うっかり美味過ぎる話に乗ると・・酷ぇ目に遭うぜ」
   「俺はやりたくねぇ、抜けばどっちか死ぬだけだ・・つまらねぇぜ」
   「俺が斬られても“こいつら”は斬るなよ」

室戸「この男を片付けるには、だいぶ手間がかかるぞ」
  「菊井は悪知恵はあるが、人物は小さい」
  「これ迄ですな」

家老の妻「助けられてこんなこと言うのはなんですけど・・すぐ人を斬るのは悪い癖ですよ。
     あなたは何だかギラギラし過ぎてますね・・そう、抜き身みたいに。
     あなたは“鞘のない刀”みたいな人、良く斬れます。
     ・・でも、ホントにいい刀は鞘に入ってるもんですよ」

押入れ侍「奥方は私が逃げるなんて少しもお考えなさらない・・これじゃ逃げられません」

若侍ら「こうなったら、死ぬも生きるも我々9人・・」
三十郎「10人だ! 手前らのやることは危なくて見ちゃいられねぇや」

若侍A「人の気に障るようなことばかり言うのは、あの人の癖です」
若侍B「そういやぁ・・そうだな」 ←このやり取りは笑える

若侍ら「貴様の出る幕か!」
押入れ侍「今すぐ引っ込みます」

三十郎「とにかく椿が合図だ」
寺田「しかし、時々自然に散った奴が流れて来ますが・・」
三十郎「ごっそり流しゃ文句あるめぇ?!」

城代家老「お前らが謝ることないよ、わしに人望がなかったのがいかんのだ」

追記1:会話の中でのみその名の出て来る“大目付・菊井”そして“城代家老・睦田”。なかなか姿を見せない辺りがやきもきさせてくれて良かった(=^_^=) 特に後者(城代家老)ってば・・そこまでの会話から“タヌキ系”を想像してたら・・全く違う動物系だった・・! これも1つのサプライズ(=^_^=)
追記2:意外と限定的で不思議な味わいだったロケーション。冒頭と終盤の風景が同じ藩内とは・・にわかに信じ難い(=^_^=)
追記3:ラストは何故だか『アダムス・ファミリー(1991)』の学芸会のシーンを連想してしまった(=^_^=)
追記4:本作における“女性キャラの絡ませ方”は、クロサワ作品随一の素晴らしさではなかろうか。緩急のバランス面での見事な奏功に大きく貢献していた。

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2008年5月11日 (日)

☆『虎の尾を踏む男達(1945)』☆

9日(金曜)の夜、衛星第2ちゃんねるで放送されたものを鑑賞。裏番組(地上波)では『少林サッカー(2001)』を確か放送してて、そちらも確かに棄て難いモノはあったが・・既に2回は観てるのもあり、今回は「後学のため」クロサワ映画を敢えてチョイスし観ることとした。

本作、制作時期がもろに戦中&戦後にぶち当たっており、フィルムの確保出来なかった問題から黒澤監督作品中最短の上映時間(59分!)となっている。ロケも役者数も(きっと製作費自体が)クロサワ映画としては“やや貧相”な出来が否めないんだが・・これがどっこい、めちゃめちゃに面白かった!
思うには「短いが故、ダレない」「ロケーション&キャスト(の数)に恵まれぬが故、描かれない(描けない)部分を(観客の)想像で補わせる余地が残され、そこに“描き過ぎない良さ”が成立した」モノと思った次第。
まぁ、役者が不足してる・・と言いつつ「大河内傳次郎」「藤田進」「榎本健一(=喜劇王エノケン)」「志村喬」・・とそうそうたる顔ぶれはちゃっかり揃えられてる訳だが(・ω・)

1185年、平家は西海に滅し、即ち源氏の勝利の旗印が立った。源氏の雄=源九郎義経は本来なら、誇らし気に都大路を闊歩すべきトコだが、“鎌倉殿(=源頼朝:義経の兄)”が家臣・梶原景時の讒言を鵜呑みにしたばかりに「義経討伐」の命が諸国に下されたのだった。
1187年、義経とその近臣6名は奥州・藤原氏を頼って北陸路を辿るが、ここに新造された加賀國(石川県)・安宅の関が立ち塞がる。山伏に化けた総勢7名は1人の強力(ごうりき:修験者に従う荷人足)を引き連れ、その強固な関所を突破しようと試みる。
さながら「虎の尾を踏む(極まりない危険を冒す、の意)」が如く心持ちで・・

元々は能“安宅”や歌舞伎“勧進帳”に描かれた故事(『義経記』に由来するらしい)をネタにした物語。安宅の関とその周辺エリアしか舞台として描かれず、従って鎌倉のシーンに転換(とかカットバック(=^_^=))などはしないし、当然「源頼朝」も「梶原景時」もその名しか登場しない。

本作で難しいのが「武蔵坊弁慶役の貫禄」「エノケンの用い方」「関守・富樫左衛門泰家を演じる役者」などだか、本作は見事「弁慶=大河内」「エノケン=強力役」「富樫=藤田」がハマっており、素晴らしかった!

本作をネットで調べるに、どうも「コメディ映画」「バロディ映画」「和製ミュージカル」みたいに簡単にジャンルを決め打ってる例が多く見受けられるが・・私的には“一級品のクロサワ時代劇”と評したい。後年の『影武者(1980)』とか『乱(1985)』なんかも、そりゃあ製作費を湯水のようにかけてる大作には違いないんだろうけど、カラー作品化した黒澤時代劇となっては「もはや再現不可能」な冒険心や貪欲さがこの1時間足らずの物語の中にしっかり込められているのだ。

予想以上に冷静かつクレバーで「五条大橋の対決時とは別人なんじゃないの?」とさえ思わせる(=^_^=)大河内の弁慶キャラ、ところどころでナニ喋ってるのか聞き取れないセリフもあったが(・ω・)藤田富樫との緊迫感溢れる問答、
「山伏のその物々しい出で立ちの謂(いわ)れは?」
「さすれば、その腰の剣は? 形あるものは斬りも出来ようが、悪霊妖魔は何をもって斬ると申す?」
「真言をもってとすれば、その真言とは?」 
などは、展開を知ってるにも関わらずゾクゾクワクワクさせられる。
到底『姿三四郎(1943)』で師弟関係だったお2人とは思えんぐらいだ(⌒〜⌒ι)

藤田富樫は、本作でも思慮深く、理知的で厳しく、それでいて何処か純朴で無邪気な関守を自然体で演じてくれた。この方の“人懐っこい笑顔”が大好きである。どっかジャン・クロード・ヴァン・ダムに面構え(澄まし顔)が似てるのも面白い(=^_^=)

そしてエノケンさん! 久々に(映像ながら)動き回る彼を見たが、まさに「エノケンに始まり、エノケンに終わる」そんな本作でもあった。原作にはないキャラらしいが、こんなに安宅の関の物語にハマるとは! こちらはふと「川端康成と柄本明とゴラム(スメアゴル)が面相に入ってるぞ!」と思え、それだけでまず笑えた(=^_^=)
ひょっとしたら、クロサワ全作品中“一番のお気に入り”となりそうな、そんな予感すらする・・

〜 こんなセリフがありました 〜

強力「将軍様ともなりゃあ、兄弟喧嘩も大掛かりなのか知れねぇが・・そもそも兄弟喧嘩なんてもなぁ、
   1つ2つポカポカと殴り合やぁ片がつく、無邪気な筈のもんでさぁ」
  「何しろこの弁慶、大根を引き抜くように人間の首をすっぽんすっぽんって引き抜いたってぇ言うからね」

片岡「(義経一行が)何に姿を変えていると申すのだ?」
強力「何だっけ・・? 薬売りじゃなし、巡礼じゃなしと・・えー・・そうだ、山伏!」

弁慶「この関1つ、打ち破るは容易い、だがその先々を何とする?
   行く末こそ大事じゃ、此処は何としても穏やかに通らねばならん」
  「勿体なや、計略とは申しながら・・」

富樫「これほどの覚悟、造り山伏(=ニセ山伏)ずれが持とうとは思われんのぅ」
  「もし、この強力が判官(ほうがん)殿(=義経)ならば、杖をもって打たるることは世もあるまい、
   己の主(あるじ)を杖をもって打つ家来のある筈が御座らん・・通られよ」
  「安宅の関守はこの富樫左衛門が仕る!」

追記1:陸軍情報局(戦前)、GHQ(戦後)の検閲に苦しめられ製作から7年後の公開となった本作。何と『生きる(1952)』と同年になった訳だ。
追記2:元々は“桶狭間の戦い”をネタに製作する予定が、ラストシーンに欠かせぬ馬が手に入らず、企画&脚本の変更を余儀なくされたらしい。もしここで『モンティ・パイソン&ホーリー・グレイル(1975)』みたいな“馬に乗ってるフリ”と言うギャグ的演出をクロサワが思い付いてたら、それはそれで恐るべきコメディ作に仕上がっていた気もして惜しい(=^_^=)
追記3:ラストシーン。エノケンが“片足ケンケン”しつつ画面左に消えて行く演出は、歌舞伎『勧進帳』で弁慶の見せる「飛び六方(とびろっぽう)」を再現したモノらしい。歌舞伎通はコレがないと納得しないんやろか(・ω・)

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2008年3月23日 (日)

☆『太平洋ひとりぼっち(1963)』☆

うう・・すっかり映画メモが溜まってしまってる。。

ようやく、垂れ込めた暗雲に光明がひと筋差し込んだが如く・・書類大量到着⇒長時間残業⇒疲労蓄積・・の悪循環から“一時的に”とは言え、解放された感があるんだが、、一方で録画してる番組(殆ど映画)、切り溜めた新聞記事、購入したまま開封すらしてないDVD群・・などがどうにも気になってしまい、とにかく「まずは!」と新聞記事のさばきを頑張っている(って既に内容の古い記事も多いが)。

そう言うと、つい最近“終身冒険家”とも言うべきエコロジカル・ヨットマン=堀江謙一氏が、何やら“世界初の波浪推進船”『SUNTORYマーメイド2号(←堀江さんは“2号さん”とか略称してはるのやろか?)』を駆っての「太平洋航海」に出航したと言う記事が目に止まった。

奇しくも先日(11日:火曜)に“追悼・市川崑監督作品特集”の一環で衛星第2にて『太平洋ひとりぼっち』が放送され、それを観たので、そのことを少し書き残しておこうと思う。

監督:市川崑、脚本:和田夏十、主演:石原裕次郎・・の凄まじいトライアングルで構築されたドキュメンタリー風(?)冒険活劇。とにかくワタシには色々な点で意外な印象があり、なかなか楽しめた。

・「どちらかと言えば繊細で緻密なイメージを受ける」市川崑にしては、かなりゴツゴツした作風
・「女性の筆とはちょっと思えない」和田女史による、これまた男らしい脚色
・「フレッシュなスター像」とかけ離れた、裕ちゃん(裕次郎)のどてらいキャラ造形(←ワタシだけが“クリーンな裕ちゃん像”を形成してたんやろか?)

1962年に達成をみた、堀江氏の「単独太平洋横断」を実録風に描いた展開。
出航までの構想に5年! ついに1962年5月12日、未明の西宮港を飛び出し、サンフランシスコへと密出国する若者・堀江(裕ちゃん)の姿が独り乗り木造ヨット『MERMAID号』の船内にあった。
だが、なかなか風に恵まれず、いつまでも西宮の灯台周辺から離れることの出来ぬもどかしさ。

⇒突堤までの約500メートルを進むのに80分
⇒翌日夜にやっと大阪湾のど真ん中へ
⇒9日目になってもまだ静岡沖

ひたすらにゆっくり漂流するヨット。殆ど毎日雨に降り込められ、気の滅入った堀江はやがて自問自答を始める・・

何とか伊豆諸島を抜け、ようやく『MERMAID号』は本格的に太平洋を帆走し始めるが、そこに待っていたのは激しい時化(しけ)、そして日々募ってゆく疲労、寒さ、睡眠不足、不安、孤独・・であった。

殆ど役名すらなかったが、船大工を演じた芦屋雁之助、関大セーリング部(?)の先輩を演じたハナ肇に短い出番ながら存在感があって良かった。
そして堀江の妹役の浅丘ルリ子さん。醸し出す雰囲気こそ、お世辞にも明るいとは言えなかったが・・お若い頃は可愛いではないか(・ω・) どうにも近年の彼女のイメージが強過ぎ、寺尾聰演じる“博士”をよそよそしく“ギテイ(義弟)”と呼んだりするおばさまの映像(2005)が浮かんだりするんだが(⌒〜⌒ι)

本編は淡々と(?)船内の独り芝居がほぼ続くのだが、その中で「回想」のスタイルを取って、旅立ちまでの堀江青年の物語が「時間軸を置換され」描かれる。知人にも、そして家族に対してすら“弱さ”を決して漏らさぬ主人公が、時化との戦いの中でふっと垣間見せた“必死で念仏(南無妙法蓮華経)を唱える姿”などは実に人間らしくて印象深かった。
また、太平洋のど真ん中で船外作業する際、律儀に周囲(海原)を見回した後、ちゃんと「海パン」を着用してから取りかかるのも人間=堀江の羞恥心が巧く描かれていたと思う。

激しい揺れで船内の壁に叩き付けられて短時間失神したり、積み込んだ水の節約のため「ビール」で飯を炊いたトコロ、飯ごうのフタが吹っ飛んだりする小アクシデントも幾つかあったが、自身の屈強な心身を最後まで管理維持していたのはすごい!
もし大海原で深い傷を負ったり、高熱に襲われたりしたらどうするつもりだったんだろう(・ω・)

もうちょっと手が込んでたら・・とは感じたものの、金門橋(ゴールデン・ゲート・ブリッジ)やアルカトラズ監獄島などを映し出すサンフランシスコロケの映像もしっかり盛り込まれてた。特に“金門橋の直下をヨットがくぐる”カメラワークなどは邦画ではかなり珍しいんじゃないかと思ったものだ。

〜 こんなセリフもありました 〜

堀江「軍艦かて、沈む時は沈むで」
  「泣くことが精神衛生の1つだと気がついた(独白)」
  「みんなと同じことするのはおもろないわ」
  「こんなとこ(=日常)で押し合いへし合いしとったら、生きてるか死んでるか、分からんようになる」
  「お早うさん、また、朝ですな(独白)」
  「パスポートですか? こっちもそれが頭痛の種ですわ」

母「謙ちゃん、もし嵐にでもおうて死ぬ時は・・“お母ちゃん”と呼んでや」

先輩「(君に)反対してるのは、それぞれの人間の立場から言うてるだけやで。
   正直、君が太平洋で死のうが、僕らには関係あらへん」

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2008年1月14日 (月)

☆『大冒険(1965)』☆

8日(火曜)&9日(水曜)の2回に分け鑑賞。放送そのものは昨年10月半ばに衛星第2で流されたもの(・ω・)
先日“何の気なしに”観た(=^_^=)「クレージーキャッツ映画」がなかなか良かったので、更に能動的に観てみた次第(=^_^=)

私的には「クレージーキャッツの」とタイトルに付けた方がインパクトがあってイイのに・・と思ったんだが、至ってシンプルに『大冒険』ってだけである。
お馴染みの、植木等・谷啓・ハナ肇の3人組にクレージーキャッツのメンバーが絡み、何と! 特撮技術監督にはあの「円谷英二」を迎えてる! まぁ、本作って(特撮)映像もさることながら、爆発音や銃撃音などがあからさまに“ウルトラシリーズ”してて妙におかしかった(=^_^=)
なお、序盤では「クレージイ.キャッツ 結成十周年記念映画」とデカい赤文字がババ〜ンと表示された。それにしては、ちょっと終盤の展開が「アレ」なんだけど・・

世界各国のニュース映像で「偽札が市場で大量に発見されている」と報道される。仏、米、露、英、伊の国々に続き、とうとう日本(日銀!)でも偽札が発見され、閣僚たちの集められた円卓の席で、首相が(国民に動揺を与えぬよう)秘密裏に捜査を進めて貰いたい、と厳命を下す。

警視庁は特捜本部を設置し「科学捜査に重点を置くスタイル」で動き始めるが、ベテラン刑事・花井(ハナ)は「最後にモノを言うのは刑事の長年のカンだ、俺たちゃ“足と粘り”で行くぞ」と我が道を進むことを宣言する。

一方、都内のアパートに住む元体操選手、今はゴシップ誌「週刊トップ」編集部に勤務する植松唯人(ただと)(植木)は「今じゃしがねぇサラリーマン♪」などとご陽気に歌いつつ、隣室に住む“えっちゃん”こと谷井悦子を口説くことに余念がない。そんな折、悦子の兄である発明家・啓介(谷)の着手していた「オール天然色万能複写機」がもうじき完成する運びとなり、パートナーである植松は「これで特許を狙い、大金を稼ぐぞ!」と期待を隠せない。

研究者とし働いてた工場での「公開デモンストレーション」中の不手際で「バカモノ! 貴様なんかクビだ〜!」と社長に言われてしまう啓介だが「これで複写機の開発に専念出来る」と決して凹んではいなかった。

一方、悦子は「産業会館」に勤める石崎と言う優男に熱を上げている。そんな2人を妨害せんとストーカーする(?)植松だが、石崎は事業資金とし「森垣金融」の女社長(越路吹雪)から“信用貸し”で10億円もの融資を受けるほどの人物だった。
彼らの羽振りの良さに疑問を感じた植松は“取材”名目でナイトクラブ「サハラ」へ向かう。折しもその店には「一夜で大金がやり取りされる、こう言う店こそが怪しいんだよ」ってなカンで潜り込んだ花井たちもいたのだった。
絡もうとした石崎に「ほんの寸志だよ、取っておき給え」と数万円を渡され、軽くあしらわれる植松。「何が寸志だ!」と一度は札を床に叩き付けるも・・すぐにコソコソ拾ったり(=^_^=)
「ヘイ、ミスターボーイさんカマン、スカッチを瓶ごと持って来てくれ給え」などと案外ご陽気に騒ぐのだった。

数日後、新聞には「大阪・神戸でニセ一万円札現わる」の見出しが大きく踊っていた。同時にその頃、
・複写機が完成。石崎に貰った一万円札をテストにかけたトコロ、それは「色が薄くなる」ことで偽札と判明。
・「サハラ」の手洗いで (酔ってご陽気な)植松が花井に何気なく渡した札もまた偽造紙幣であることが判明、警視庁は植松を容疑者として指名手配する(遂に「公開捜査」へ踏み切られることとなった)。
と言う2つの大きな転機を物語は迎えることに。

警察と共に、植松を付け狙う「森垣金融」と関連する“謎の組織”のギャングたち(?)。そして“組織”により悦子は誘拐されてしまう。
恋人を救出するため、植松&啓介も名古屋⇒神戸へとギャングらを追うのであった・・ってな流れ。

『クレージー大作戦』より主人公らの言動がクリーン(=^_^=)であり、脚本の組立てもより緻密な感があった。(後半に向かうにつれ)次第に物語が日本を越え「全世界規模」に広がって行く構成は、なかなかに圧巻である! にしては「神戸」を舞台としながら、風景(バック)に「マリ※タワー(=横※港)」が映ってたりして「手抜き(ロケ無し)かよ!」とツッコまざるを得ない「甘さ」もあるにはあったが・・(⌒〜⌒ι)
特に凄まじいのは後半の展開。いきなり物語が「ハード路線」に激変する。“007シリーズ”よろしく、神戸港を発った“組織”の潜水艦「U33」が「北緯11度28分、東経133度50分」に位置する無人島へ向かう(思わず(=^_^=)“Google Earth”で調べてみたら、ハワイの沖合ですた)。

それまでにも“組織”に関し「交わされる言語」「敬礼スタイル」「ボスの肩書(=呼び名)」などから・・「これって“第4帝国”系のハナシなんじゃないの?」と気付いてたんだが、終盤にズバリ“ご本人”が登場したのでびっくり(⌒〜⌒ι)
本物よろしく、しっかり「雌伏20年・・」などと短いながらもスピーチを披露したりする。う〜、、本作は絶対にポーラ※ド圏では上映出来へんやろな。。

※“彼”を演じたのはアンドレ・ヒューズなる男優。この時代の邦画に多く見受けられた(?)所謂“いんちき外人”の1人とも言えるんだが、にしては結構「醸し出す雰囲気」がそれっぽかった気がした。チャップリン卿にも、ご存命中にゼヒ観て頂きたかったなぁ・・(・ω・)

しかし、改めて考えると・・(最近たまたま新聞記事で知ったんだが)第2次大戦末期「かの国」が英国経済に打撃を与えんと画策した「ポンド札大量偽造計画=ベルンハルト作戦」ってのが実際にあったらしく、妙にリアルな骨格を(脚本に)感じたりした。ま、そこまで知らずとも『ルパン三世/カリオストロの城(1979)』とそっくり〜! なんて言えば、それなりに新鮮な驚きを感じる方も多いかも知んない(⌒〜⌒ι)

※主人公が前半に着てるスーツの色も『カリ城ルパン』と同じ“緑色”である。たまたまとは思うが(後半は“黄土色”にお色直し)。

〜 ほか、見所(ツッコミどころ?)など 〜

・主人公(植木)が高所から落下するアクションが目立ってたのも本作の特色か。ビル、鉄橋、崖・・と計3回はやってました。
・二瓶“イデ隊員”正也がテキ役(手下)として好演☆ 何やら“完全に死んだ”にも関わらず、直後に別な手下役で登場してたよ〜な(⌒〜⌒ι) 双子だったんか?
・谷井の発明した「小型電波探知機」。“目盛に距離と方向を表示する”って設定だったが、当然ながら液晶画面もデジタル表示もない時代だから「北北西の方角に約4キロ」みたいな(漠然とした)表現しか出来なかったり。。使いにくいの〜(でも、どんな(超小型)バッテリーモジュールを搭載してたのか、興味津々)。
・名古屋警察で取調べを受ける植松を殺害せんと、取調室の窓から爆弾を投げ込むギャング。ちょっとそれは・・
・「潜水艦の航行シーン」や「日米両艦隊の砲撃シーン」は何故だかモノクロだったり。。記録映像かいっ!
・さんざん世界規模にハナシを広げといて、ラストは「赤坂プリ※スホテル」だったり。ほっこりさせやがる(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

編集長「人は手荒く、金は細かく使うのが主義でね」
   「火のない所に煙を立たす、これが我々(=週刊誌記者)の仕事なんだよ」

植松(辞世の言A)「どうせ死ぬんだったら、もっと色んなことやっときゃ良かったなぁ・・」
      (B)「例えこの世に永らえて、毎日美味しいもの食べて、奇麗な女に取り巻かれ、
         勝手気ままに暮らしても、いつまで続く訳じゃない、いつ死んだって同じこと、
         同じことなら・・死にたくないよ」
      (C)「くよくよすんなよ、どうせ一度は死ぬんじゃねぇか」

植松「さぁいっちょ、歌でも歌うか」 ←歌うんか!

谷井「見ろ、ミサイルだ!」
植松「すごい!来て良かったな、おい」 ←こらこら(=^_^=)

谷井「やっぱり生きてたのか」
植松「我々にとっちゃ“少年時代の英雄”だよ」 ←この言葉が一番印象に残った・・(同盟国やったしね)

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2007年12月25日 (火)

☆『冬の映画スペシャル/手紙(2006)』☆

23日(日曜)の放送を観た。恐らく地上波初登場。
裏番組で『ナショナル・トレジャー(2004)』がこれまた(恐らく)地上波初で流されていたが、こっち(『手紙』)の方が放送時間が短かったことと、少し時間のかぶってる“実相寺昭雄氏関連の特番”が衛星第2で始まるのを立て続けで(途中からにせよ)チェックしたかったので『ナショナル〜』は録画することとした。

強盗殺人(衝動的とは言え)の罪で千葉の刑務所に服役している兄・武島剛志(玉山鉄二)と、獄中の兄へ手紙を綴る弟・直貴(山田孝之)の物語。「往復書簡的な流れがメイン」なのかと思いきや、囚われの兄貴の方が規則正しくストレスの少ない(ように見えた)生活を送る反面、“自由な生活”を送ることの出来る「ハズ」の弟が「殺人犯の家族」とし様々な逆風にさらされることとなる。
原作者・東野圭吾の価値観&人間観が背面に流れているとは言え、賛同出来るような・・でも疑問符が浮かぶような・・不思議な味わいの物語であった。

中学生時代(?)からお笑いコンビ「テラタケ」を組んでいた親友・寺尾祐輔との訣別や、広まる噂により次々と職場を追われる直貴。“高嶺の花”であった恋人・朝美(吹石一恵)との仲も引き裂かれ、いつしか弟は「兄貴がいる限りオレの人生は外れなんだ」と憎悪を抱くこととなる。
そんな中、とある“第三の人物”による「2種類の手紙」が大きく彼の運命を変えることとなり・・みたいな流れ。

兄弟のやり取りするモノ以外に、ああ言う「手紙」の存在を取り入れたか、と少し「やられた」思いがした。基本的に手紙って言うと「本人が肉筆で記したもの」との先入観があるんだが、確かに字面じゃなくて内容なんだよなぁ・・と。
って言いながら「タイプされた手紙」だとかなり軽んじてる自分がいるんだけど(⌒〜⌒ι)

惜しかったのは、ぎりぎりの「崖っぷち」の状況で主人公(=弟)に救いの手を差し伸べる人物が現れるんだけど、彼らがそれぞれに一過性なのが淡白な関わりに思えたか。まぁ、現実的にもそういう関わり方なんだろうけど。

町工場の先輩・倉田(田中要次←珍しく(?)死にません)と、そしてケ※ズデンキ・平野会長(杉浦直樹)のキャラが際立っていた。後者はワタシが言うまでもなかろう。
それ故に、あっさり工場を去る展開、ケ※ズデンキの社宅にも「噂」の広まる展開に、恐ろしいリアルさを感じつつ、納得出来ない気持ちとなるのだった。

納得出来ないと言えば・・町工場の(食堂の)女の子・由実子(沢尻エリカ)のキャラクター。あれだけ主人公を支え続けながら、途中からその神通力(?)がすっかりしぼんでしまってた。。「ああ言う立場」になったからこそ、更に彼を励まし、支え続けて欲しいし、そう言う演出を「見える形で」取り入れて欲しかったな、と。
(途中で由実子さんなりに冷めちゃったのだろうか? 「社宅で噂が立ってますけどっ?!」「別にぃ・・」的な(⌒〜⌒ι))

東野作品(原作)と言えば『レイクサイド・マーダーケース(2004)』の“後味の悪さ”を連想してしまうが、本作でも「とある引ったくり&傷害事件」「とある電気店窃盗事件」が単なるネタのみで扱われ、解決もされず未消化なのがやはり“後味の悪さ”をワタシの記憶に残した。東野氏的に言うと「これがリアルっちぅもんや(関西弁で喋らはるのかどうか知らんけど)」ってトコなんやろか。

現実の事件の場合、加害者家族が手記を出版してちゃっかり印税を稼いじゃうような「ちょっとね・・」って言う部分が得てしてあるモノだけど、こういう「加害者家族の直面する悲しさ、差別」に切り込み、かつ映画化したと言うことは評価出来ると思った。

本作が、現実に増えつつある「不条理な事件」の、まさに“加害者予備軍”たる人々の「想像力」を覚醒させ、抑制の役割を果たせば良いと願ってやまない・・(きっとそう言うヤツは、観ないと思うけど・・)

〜 こんなセリフが(記憶に)残りました 〜

倉田「本当に寂しいんだよ、あん中は」

朝美の父「いつか君が子を持つ父親となったら、今夜の私の理不尽な申し出を少しは分かって貰えるだろうと思う」

平野会長「(殺人者家族に対する)差別は当然なんだよ・・言わば(周囲の)自己防衛本能とでも言うべきかね」
    「差別のない場所を探すんじゃない、君はここで生きていくんだ。
     (中略) ここから始めるんだよ、こつこつとね」
    「この手紙の主に、心当たりがあるようだね・・決して巧い文章じゃないが、私は心を打たれた」

由実子「ごめん、勝手なことをしたと思ってる、でも間違ったことをしたとは思ってへん」
   「直(ナオ)の手紙には、こんなに大きな力があるんやで」
   「手紙って命みたいに大事な時もあるんやで」

※※「直貴君と言ったね・・もうこれでいいと思う、何もかもこれで終わりにしよう、お互い長かったな・・」

直貴「もういいって、あきらめるのにも慣れたし」
  「差別のない国に行きたい」
  「兄貴なんて、オレが生まれた時から“当たり前”のような顔でいましたからね」

追記1:「犯罪者家族について語るスレ★」「クローバー銀行」「元気が出る・素敵な慰問コンサート」など、ちょっと“力抜いてんのかな?”みたいな表記演出が目立ってたかも(・ω・) 適度にリアルさから力を抜いたんかな?
追記2:冒頭の「犯罪再現シーン」で、兄弟の区別の付かなかったワタシ。。ついつい「事件の真相って・・」と想像し過ぎてしまいました(⌒〜⌒ι)
追記3:あの事件で「無期懲役」の判決なのだろうか? いや、別に犯人をひいき目で見てる訳ではないが・・(将来、裁判員になった時に、同情しちゃうかも・・)。。

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2007年11月29日 (木)

☆『椿山課長の七日間(2006)』☆

※溜まってる映画メモをまとめた記事です。

8日(木曜)の夜。テレビ放送(=地上波初登場)されたものを観た。原作:浅田次郎、主演:西田敏行/伊東美咲によるハートフルな「転生コメディドラマ」って感じだったか。殆ど期待せず観始めたんだが・・コレがなかなか巧みな「人間讃歌」ぽくなってて、意外に楽しめたのだった(・ω・)

中年男性なら、誰しもの心に“ちょっと残る”ストーリーなんじゃなかろうか・・(⌒〜⌒ι)

繁忙期のデパートで、中年サラリーマンの椿山課長(西田)が急死する。

さて。

眩しい光明の中で彼が眼を覚ますと・・そこは天国と地獄の境界にある“中陰役所(ちゅういんやくしょ)”と呼ばれる(←誰に?)場所だった。案内人マヤ(和久井映見)の説明を受ける、集められた(=死にたての)人々・・どうやら、彼らはいずれも4日前に亡くなったそうである。
彼女の説明の中での「自身の死に納得出来ず、かつその事情の認められた者」のみは「初七日の期間内に限り」現世への“特例の逆送(帰還)”を希望することが出来る・・そんなシステムを知った椿山は早速、それに志願し審査を受けることにする。

果たして、24倍の難関(=希望者72人で最終的に3人が合格)を勝ち抜いた椿山とほか2名(雄一少年、武田親分)はそれぞれの「事情」を酌量され、みごと“逆送”されることとなったが・・現世では、彼ら自身も戸惑うような色々な「事情」が(彼らの死後も)尾を引いていたのだった。・・みたいな流れ。

“逆送”の期限は7日間。なんだけど、眼を覚ました時点で既に4日も経過(!)してたんで、実質的には『椿山課長の三日間』と言った方が正しいのかも知んない(⌒〜⌒ι)

・・にしても「知らずに死んでおいて幸いだった」てことがこんなに多いのね、と浅田センセイの描く悲喜こもごもな人間界の四方山に考えさせられることしきりだった。。

椿山篇としては「介護が気がかりだった父の事情」「残して来た妻子の事情」「同僚=知子(ともこ)の事情」と3つもあるし・・!

中でも、妻子の事情は(観てて)実にツライもんがあった。。
そこから得た教訓(?)は「例え費用が安く済むにしても、会社の後輩(部下)に引っ越しの手伝いを頼むと、色んな問題に発展することがある」ってトコか(・ω・) 
一方で、ウルウルと泣けてしまったのが「認知症で施設に入所した筈の父親が・・実はボケてなんかなかった(!)」と言う演出。ここで親父さんが「息子夫婦を前にしての、一世一代の芝居でね」とぽつり告白するトコで、何だかもう、泣けましたわ(×_×)

知子(余貴美子)が密かに椿山に想いを寄せていたことは、微笑ましい側のエピソードか。妻帯者である主人公の立場からすれば「不貞」と思われても仕方ない関係なのかも知れないが、一方で彼の妻・由紀が実は・・と言う“先制打”が先に放たれてるため、こちらの方などはよっぽど可愛く、プラトニックで、美しくさえ映ってしまう(⌒〜⌒ι)

雄一少年が転生した姿・・蓮子(れんこ)(志田未来)とコンビを組むのが椿山の息子・陽介を演じた須賀健太クン。今回も巧みに(?)“出しゃばりオーラ”を抑えて演技してた感じ。何とも芸達者な小僧だなぁ・・(⌒〜⌒ι)

『呪怨(2003)』『海猫(2004)』・・と出演作を観て来た限り「ラッ、、ラディッシュ?!」と思えてしまう(和山椿を演じた)伊東美咲さんだが、本作では「自分であって自分でない、かりそめのぎごちない姿」みたいな違和感を終始抱えたキャラであり、それ故「妙に自然」に思えた(=^_^=)
そう言うシチュエーションを専門に演じる女優さんとして作品を選べば、もっともっとブレイク出来るんじゃなかろうか?!
(「ラブコメの女王」ならぬ「転生系ドラマの女王」みたいな(=^_^=))

また、準主役とし存在感を発揮してくれたのは(武田親分の弟分である)ヤクザ者・市川を演じた國村隼。やっぱり巧い。黙っていても何かを語ってそうな表情なのが良い。本作ではルーシー・リューにいきなし頭部を斬り落とされるような切ない退場演出もなく、ファンの方も安心して楽しめるのではなかろうか。

しっかし、中年のおっさんである自分が、万一(=^_^=)わっかい美人のね〜ちゃんとしていきなし転生したりなんぞした日にゃ・・事情だの残して来た家族だのは後回しで、まずはとにかく獣欲を満たしまくるような気がしないでもない・・(←どんなヤツだ!)
ま、それは言い過ぎとしても、ついつい、記念のセルフヌード写真なんかでも撮りたくなるのが、リアルな人間ってもんじゃないかしらん(・ω・)

そう言った点では「人間の性」みたいな一面が余りスッキリ描かれておらず、少々観てるこっちとしては歯がゆく、かつ不満も残ったが・・ま、そこをリアルに突き詰めて行くと、ちょっと映像化とかは出来なくなるんだろうね、、生々しくて。。

〜 こんなセリフも良かったです 〜

椿山の老父「死者にもプライバシーってもんがあるからな」

知子「寂しいね・・勝手に死にやがって、あいつ・・」
  「(あいつは)空気のような存在だった、あいつが死んでそのことに気付いた」
  「鼻を触るのは「好きだよ」のブロックサインだった・・使わなかったけど、決して忘れない」

※こうしてセリフを辿ると・・影の主役は余貴美子さんだったような気がしなくもない。

追記1:天国は本作では以下のように定義されていた。「希望すれば、自分の存在をいつでも“消去”することが出来る(死後の“完全”な死?)」「金も病気も戦争もない世界である」「居住地、宗教、言語を自由に選べる」「残して来た家族とは会えない」「死んだ時点の姿(性別、年齢、服装)がそのまま反映される」
追記2:“逆送”された場合「生前とは正反対の姿」「基本的には美男美女」になれる! が、何故・・雄一少年が(熟女or老女でなく)少女の姿となったのかは(説明もなく)良く分かんなかった。。

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2007年9月19日 (水)

☆『東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン(2007)』☆

18日(火曜)。本日も“休み明け”で、順調に長時間残業に突入しそうな気配が濃厚だったが(・ω・) 自分勝手な発言ながら、ハッキリ言って「疲れてた」し「明日もどうせ残業だろうから、明晩に回そう」と直感的に判断⇒職場を後にした。
で、向かった先はホームタウンの市民会館。ここで午後6時半から映画『東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン』が上映されるのだ。
劇場公開時に観そびれたワタシとしては「恐らく、曲がりなりにも(=^_^=)スクリーンで鑑賞出来るのは、きっとコレが最後のチャンスとなろう」と思ったので、「是非!」と最優先で駆け付けた次第。

オダギリジョー&樹木希林主演の、言わば“お涙頂戴”作品ではあるんだが、とにかく俳優陣が妙に豪華でスゴかった! 予想してなかったのは、伊藤歩、荒川良々、宮崎あおい、板尾創路(←役名も“板ちゃん”だった(=^_^=))といった面々。流石に小泉今日子、寺島進、柄本明の客演ともなると・・やや“悪ノリ気味”な感もあったが、それにしてもスゴいよなぁ。「勝ちを取りに行ってる映画」って趣だネ(・ω・)

1966年・・そして現代。九州・小倉&筑豊・・そして首都・東京。2つの土地と2つの時代を(主な)軸に、とある母子の半生が描かれる大河ドラマ(?)。
主人公の“ボク”=中川雅也(オダギリ)が淡々とモノローグ(独白)を放ちながら、グウタラな人生を情けなく流れて行く一方、そんな息子の姿のみを「生きる励み」としつつ、“オカン”=中川栄子(樹木)はひたすら身を粉にして働くのだった。やがて東京で何とか成功し始めた“ボク”は“オカン”をタワーの見える東京の街に呼び寄せるのだが・・既に“オカン”の身体はガンに蝕まれていたのだった・・そんな流れ。

私的に「テイストが似てるな〜」と感じたのは『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』だろうか。あちらの場合は主人公ガンプ(トム・ハンクス)の言動を無意識下で(?)支配(←と言う表現が適切かは分からないが・・)してたのはヒロイン=ジェニー(ロビン・ライト・ペン)の存在だったんだが、本作では、その相手が“オカン”に変わったみたいな感じ。
そんな彼女が病に臥せたり、(幼い)息子に気兼ねしつつ“オトン(中川弘治:小林薫)以外の男性に接近したり”する辺りもミセス・ガンプ(サリー・フィールド)と性格付けが微妙に似てたし。
淡々と、ある意味シンプルに、昭和へのノスタルジー(郷愁)をぷんぷん漂わせながら物語の展開する造りは好感も持てたが、どうせ(TVのスペシャルドラマじゃなく)大作映画なんだし・・ってことで、もっと大胆な仕掛け(味付け)をやって欲しかった気はしたか。

・実在の事件&有名人と“ボク”の半生を絡め描く(記録映像とのCG合成とか(⌒〜⌒ι))
・末期ガンの“オカン”に対し“ボク”が壮大なウソをつく(『ライフ・イズ・ビューティフル(1998)』のノリ)
・“ボク”の大げさな言動でムリヤリ観客を泣かそうとする造りにする(『シンドラーのリスト(1993)』のノリ)
・過去の(主人公のハッキリと知らなかった)事件を“前フリ”にしといて、終盤に“オチ”に持って来る構成とする。
・終盤に“オトン”の意外に長い演説シーンを挿入する。

どうせなら、上記のような「不敵」な脚色で強気にガンガン攻めて欲しかったような。

後半など、周囲ではすすり泣くような声と言うか雰囲気と言うか、そんなのがあった様子だが・・私的には「涙腺を緩ませる」には至らない作品であった。いや、確かにイイ作品とは認めるんだけど・・
ちょっと「主人公の“骨のない”ままの存在感」と「母親の“自分らしさを抑圧したまま”去って行った凄まじさ&不気味さ」がスッキリしなかったのかも知れない。

それに、折角タイトルになってる“東京タワー”の用いられ方(本編への絡ませ方)がイマイチ説得力(のパンチ)に欠けてたようにも。
ま、コレらはワタシが大阪人だから、関西圏度外視(=^_^=)で終始してしまう“あの物語世界”に(内心)反発してしまってるだけかも知れないけど・・

またいつか・・「時が来た」頃に再度観直したら、ボロボロ泣けるのかも知れない(・ω・)

それにしても、この作品で描かれる「抗がん剤」の副作用の描写には凄まじいモノがあった。
「あんなに苦しいのなら、死んだ方がマシ」と言うのが、昼間の回でこの映画を観た、我が“オカン”のコメントである。
(因みに、若い頃の我が“オカン”は内田也哉子さんに雰囲気の似てた気がする・・(・ω・))

〜 こんなアイテムが登場してました 〜

■フジカ・シングルエイト(ハンディ型8ミリ撮影機)・・1965年発売
■モーリスのアコースティック・ギター
■スバル360・・1958年発売
■1メーター=240円時代のタクシー・・昭和だよなぁ〜
■KTKのキハ213系・・「筑前宮川駅」を走ってたが、実際は千葉県・小湊鐵道の列車らしい
■貼り紙“自粛しつつも平成元年フェア”・・控え目に、かつしたたかに(=^_^=)

〜 こんなセリフもありました 〜

オカン「オカンはピラミッドの“頂点”かんね」
   「やっぱり“ウチ(我が家)”はエエね」
   「ごめんね、ありがとう」 ←北野監督作『HANA−BI(1998)』を思い出した。。

ボク「永遠でなければ、総ては幻覚だ」
  「夢と未来へ続くトンネルを抜けると・・そこはゴミ溜めだった」
  「またボクは、オカンに“寄生”した」
  「楽しい時間は、まるで鈴が坂を転がるように、音色だけを残して過ぎ去って行った」
  「心配しなさんな」
  「あなただったら・・死んだ母親の眼の前で、仕事が出来ますか?」

※※「いつも“いない”でイイんですか?」
ボク「イイんじゃないですか・・自信を持って言って下さい」 ←サラ金の取り立て逃れのクセに(・ω・)

祖母「(天井を指差し)あそこに100万円ある。あれやるけん、鍋を買いなさい」 ←婆ちゃん・・

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2007年8月22日 (水)

☆『出口のない海(2006)』☆

19日(日曜)。「日曜洋画劇場・終戦特別企画」として地上波初放送されたものを観た。

第2次世界大戦末期、既に敗戦が色濃くなりつつあった“大日本帝国”の命運を変えるべく、人間魚雷“回天”に乗り込み、生命を散らして行った学徒兵らの物語。
“エビちゃん”こと、市川海老蔵の映画初主演作であり、原作は横山秀夫。映像化にあたり脚本執筆陣に山田洋次がその名を連ねている!(←共同脚本だが)。
ほかの出演者に、香川“イチゴ娘”照之、伊勢谷“キャシャーン”友介、上野“のだめ”樹里、古手川祐子、三浦“その火を飛び越えて来い!(=^_^=)”友和など。
キャスト面で眺める限り、なかなかに豪華な顔ぶれである。

物語は、明治大学野球部に属する球児(ピッチャー)=並木浩二少尉(市川)の海軍志願に始まる。
そして戦争・・やがては死への避けられ得ぬ(運命の)流れを軸に、彼が家族や学友、そして恋人と過ごした日々を時折回想したり、軍事訓練を経て(潜水)艦内生活を送る(現在の)時間を綴ったりする進行で展開される。

特筆すべきは、焦点を“回天”なる「“戦後生まれ”には耳慣れぬ名称なれど、決して忘れてはならぬ忌まわしき兵器」のみにほぼ絞り切ったことであり、「原子爆弾」や「(終戦を国民に告げる)玉音放送」などの(太平洋戦争を語る上で筆頭に挙げられるべき)要素(≒事件)は、意図的に(脚本から)割愛されたように感じた。
そのため、本作を単体で観た限りでは、決定的な敗戦に突き進んで行く日本の姿&動きは(マクロ視点的に)伝わりにくかったかも知れない。
が、大真面目に“回天”を用いた演習を繰り返す兵士らの姿には何とも言えぬやり切れなさと、少なからぬ狂気が感じ取られ、改めてゾクッとするのだった。

“回天乗り”の中でも、ライバル関係とし描かれる、並木少尉と北中尉(伊勢谷)の確執や価値観が、当時の思想(“小声のホンネ”や“声高なタテマエ”)を直球で伝えてくれもする。それは、彼らが最期に辿り着く、それぞれのセリフに現れている。

北「特攻は最高の名誉だ、軍神と成れる」
 「このまま(死ねぬまま)戦争が終われば、俺は一生“生き恥”をさらすことになる」
 「俺に残された道は、特攻を完遂させて“軍神”になるしかないんだ」

並木「本当のところ、(特攻で)死ぬ覚悟なんて、何も出来てやしなかったんだ」
  「俺はな・・“回天”を伝えるために・・この悲しい“事実”を(後世に)伝えるために、死ぬ」


さて、抑揚ある演技を封印(←いつまで続けてるんだ?)した感じの“エビちゃん”は「まさに本領発揮!」って感じで、水を得た魚の如く感情を抑えた言動で本編を泳ぎ切った(←尤もこれは言葉のアヤであり、物語上では泳ぎ切れなかったのだが)。もう“ラディッシュ・アクター”と評しては失礼だろう(・ω・)
彼につられる形でか(?)本来は明るい役柄の多い(←増えて来た)上野嬢までが、何やら眉をひそめっ放しな印象だった。。(そういや彼女ってば、昨年にTV放送されたドラマ『僕たちの戦争』でも特攻隊員(森山未來演じる)を恋人に持つヒロインを好演されてたっけな)

『ローレライ(2004)』も潜水艦内に搭載された“究極兵器(?)”を軸に進行するハナシだったが、本作の方がより“密室感”は高かったように感じた。これには「敵そのものの姿が殆ど描写されなかった」ことや「“回天”が射出された時点で、乗組員キャラの出番がスッパリ切り落とされてしまう」こと、など・・思い切った脚色の簡素化が手伝った故かも知れない。

ワタシが不満だったのは、香川演じる潜水艦長や、永島敏行演じる海軍将校が、さんざ若い命を死に追いやりながら、自身の「人間的な言葉」を殆ど吐露してはくれぬままに、物語が幕となってしまった辺りだろうか。
自決せぃ、とまでは言わないので、せめてその後(戦後)の人生・・そしてそれぞれの「ホンネの言葉」を他人の口を借りてでも構わないので、語らせて(残して)欲しかった。

一方で、並木の人生は意外な形で終わってしまうのだが、あのエンディングにするよりは(後日談の枕崎台風など描かず)「ただ海底に眠る※※の姿を長回しで映す」のみで良かったんじゃないかな、と。
(作品では)神々しさよりも生々しさが前面に出てしまいイマイチな演出だったぞ。

ラスト、やっぱり「その※※※を海に投げるご老人の姿」には「お茶を濁された」と言うか・・結局『トップガン(1986)』で『タイタニック(1996)』な呪縛からは逃れられんのかよ・・と悲しくなった。

ってことで、着眼点(“回天”を描くと言う)までは素晴らしいのに、細かい“小技”がいちいち鼻にツイて、どうにも後味の悪い作品だった(・ω・)>

〜 こんなセリフも語られていた 〜

艦長「後は金比羅様にすがるしかないだろう」
  「今までは金比羅様のご利益で何とか生きて来られたが」←あんた、神仏頼みばっかし(×_×)
  「辛いな・・出撃命令は。“死ね”と言うことだからな」

並木「いずれ(赤紙は)来るのさ」←召集令状のこと
  「敵、敵って言うが・・彼らにも愛する家族がいるんだ」
  「有難う、お前と会えて良かった」
  「僕の見ることが出来なかったものを、僕の代わりに見て欲しい。
   (中略) そして、(僕が死んで)1年が過ぎたら、僕を忘れて欲しい。
   (中略) そして、生きて、生きて、もう嫌だと言うまで生き抜いて欲しい」←遺された手記より

喫茶店マスター「(そんなことを言うのは)おやめなさい。誰が聞いているか分かりませんよ」

将校「天を廻(めぐ)らし、戦局の逆転を図る・・名付けて回天」

父親「そう言うお前は・・“敵”の姿を見たことがあるのか?」
  「国とは・・いったい何なのだろうな?」
  「そうか・・お国のために、行くのか・・」

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2007年7月11日 (水)

☆『小さき勇者たち/ガメラ(2006)』☆

3日(火曜)に地上波初放送されたものを観た。午後7時からのプログラムだったため、残業もそこそこに“職場を小走りで脱出”しちゃった感すらあったかも。おっさん、ちゃんとやることやってから帰れよな、とセルフ突っ込み(=^_^=)

かつて“平成ガメラ3部作”ってのがあったが(←金子修介監督による『ガメラ/大怪獣空中決戦(1995)』『ガメラ2/レギオン襲来(1996)』『ガメラ3/邪神(イリス)覚醒(1999)』の3本を言う)、それらを経て、またも「チビッ子の味方」ってテイストの“オリジナルな昭和ガメラ像”が再構築されたような物語世界だったか。

メイン舞台となるのは三重県志摩市。母(ミユキ)を亡くしたトオル(透)少年は「あいざわ食堂」を男手1つで切り盛りする父コウスケ(相沢孝介:演じるは津田寛治)と暮している。折しも、日本の周辺海域では原因不明の「海難事故」が多発していた。
そんなある日、登校途中のトオルは港から見える小島(?)の断崖に「不思議な光」を目撃する。
好奇心からその岩場へ向かった彼は、小さな卵を発見。その殻を破って生まれたのは、利口そうな眼をした1匹の不思議なカメだった。

自宅が食堂である関係から、生き物を飼ってはいけないとコウスケに釘をさされているトオル。
隣家に住む、幼馴染みの少女マイ(西尾麻衣)ら仲間と共に密かに“隠れ家”でカメを育てることにするが、トオルが“トト”と名付けたそのカメは尋常ではないスピードで急速に成長し「空を飛んだり」「炎を吐いたり」する。
そんなある日、マイが病気(心臓の疾患らしい)の治療のため、地元を離れ“名古屋中央総合病院”に入院することに。

それと前後し、海底から港町に上陸した“海難事故の元凶”たる怪獣“ジーダス”が町内で暴れまくる。ジーダスはあろうことか、逃げ惑う町民を食らい始める。トオル&コウスケ父子もその餌食となりかけるが・・その危機を救ったのは“巨大化したトト=ガメラ”であった。ガメラの“火球攻撃”で一度は海中に撃退されたジーダスだが、間もなくキズを癒し、今度は名古屋沿岸に現れ、市の中心部を目指し進撃を開始する。

一方、ガメラはと言うと・・力を使い果たしたトコを捕獲され、大型トレーラーに載せられて県道を愛知(名古屋理科大学の研究施設)へ向かうのだった。「巨大生物審議委員会」の調査によると「緋色真珠から抽出したエネルギー源でガメラは更にパワーアップし得る」とのことだが、肝心の“緋色真珠”が何処にあるのかは、研究チームの長である雨宮教授にも見当がつかないのだった。トオルとマイの2人を除いては・・

私的に結構注目してる俳優・津田氏がいよいよ(?)主役級の役回りで頑張ってくれた。これまでが『世界の中心で、愛をさけぶ(2004)』のお坊さん、『模倣犯(2002)』の“ケツ穴大好き”サイコ犯、『呪怨(2003)』のトシオくんの相方(?)など、どちらかと言うと「非業の役柄」が少なくなかったようでもあったし・・
まぁ今回も厨房で滑ってこけたりとか、お茶目な演技の方が目立ってた感もあったが(・ω・)

冒頭、少年時代のコウスケが「志摩で展開されたガメラvsギャオス軍団」の死闘(1973年の設定)を目の当たりにするシーンがあるが、何故だか(?)形勢不利とみたガメラがギャオスらを道連れにいきなり“自爆”してしまい、漠然と眺めてて「ええっ?!」と驚かされてしまった。
落ち着いて考えてみるも、やはり「子供たちのヒーローが自爆したらあかんやろ」と思ってしまう。子供の情緒教育的に考えても、どやろ・・? と苦言を呈したい。
まぁ「敵前に恥を晒すより/いざ我ら日本男児/潔く諸共の自爆の道を選ばん」みたいな教訓的意義はあるのかも知れないが(いや、それはそれで思想的に偏っとるやろ!)
そのシチュエーションの“洗礼”にまず戸惑ったり、また「少年がカメを育て・・カメはやがて大きくなる」と言う展開に“少年が青年へと成長してゆくこと”の肉体的変化に対するメタファーをも盛り込んでるんかな? とか邪推してみたりもするのだった(すぐそっち方向かよ!)

名古屋市内の怪獣バトルでは、周囲のビルの方がジーダス&ガメラよりも高く林立しており、ちょっとビジュアル的にすっきりしない感もあったが・・ビル群を超える体長となると、これまた現実味がなくなる訳で難しい。。
瓦礫がそれなりに転がったりしてる市街地の描写は意外に自然でイケてたが、全体的な“パニック描写”は・・例えばスピルバーグ監督の『宇宙戦争(2005)』などと比べると、かなり「えげつなさ」の面で劣ってる気がした。徹底的に“絶望”を描いてないトコが「甘いと言えば甘い」んだが・・“子供向け作品”となれば仕方のないトコか・・。まぁ、そう考えた時点で再び「それにしては冒頭のガメラの自爆は、えげつなくないか・・?」と堂々巡りが始まるんだけど(⌒〜⌒ι)

珍しい、と言えば「劇中にインチキ外人が一切登場しない」のは良かった。結構、必然性のない外国人俳優さんの起用ってありますもんね。「ジ〜ダスワ、海中ウォ、スッサマジ〜イ速度デ、名古屋エ向カッタト見エマ〜ス」とか喋られると「おい、ちょっと待てきさま!」と突っ込みたくなるからして(・ω・)
まぁ、骨格部分が『REX/恐竜物語(1993)』に似てなくもないけど、あっちよりは演出的に「壊れてる感」がない分、安心して観られるのは良かったッス(=^_^=)

〜 こんなセリフもあったのさ 〜

トオル「お前、ヤバ過ぎだから」←キミの日本語もヤバ過ぎで末恐ろしい・・

コウスケ「昔も今も何でか分かんねぇけど、人間の味方をしてくれる」←強引やな〜

女性研究員「プラス14.5です」←何がだっ?!(=^_^=)

追記:エンディング時の「実際のカメを用いての撮影にあたり、虐待行為は一切しておりません」的なテロップには不謹慎ながら苦笑してしまった。そういうのに敏感なしとがやっぱり多いんでしょうね。

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2007年6月22日 (金)

☆『大日本人』☆

21日(木曜)。危うく“引っ張られてしまう”と、残業に落ち込みそうな雰囲気であったが「明日出来ることは明日回しじゃあ!」と自分の中で仕事に区切りを付け、梅田へと繰り出した。
ぼちぼち劇場で映画でも観とかなきゃな〜と考えてた訳だが、上映開始時間がちょうどイイ感じだったもんで『大日本人』を観た。いわゆる「松本人志 第1回監督作品」ってヤツである☆

ここ数年(以上)ぐらい、殆ど松本(或いはダウンタウン)の出てる番組なんかは観ておらず、彼のユーモアのセンスがどう変貌(深化?)を遂げてるのか・・興味津々なのはあった。
今となってははるか昔のハナシかも知れないが、ダウンタウンを軸に展開するコント番組(?)『ごっつええ感じ(1991〜97)』がメチャメチャ好きだったのである!
後年、松本自身がかの番組について「皆さん、お亡くなりになられましたね。少なくとも、僕の中では亡くなられてます」みたいなシニカルな私見を何処かで吐いていたそうだが、ワタシとしてもその後の彼の言動を離れた位置(?)から眺めるに「どっかで燃え尽きはったんかな〜」みたいな勝手な決め打ちをしてたトコロである。
今回も「監督とし映画業界に進出する」ってことで「とうとう“そっち方面”に足を踏み入れたか・・」と複雑な心境となった訳でもあった。

「松本が邦画界に君臨するか? 邦画界が松本を退けるか?」とまで思う心中で、観始めた次第である(・ω・)

これまでの歴史上、局地的に出没し、国内の平穏を脅かして来た“獣(じゅう)”と呼ばれる、巨大生物の存在があった。本来は国防を担った然るべき国家組織(自衛隊?)がその対処にあたるトコロかも知れないが、“その世界”においては「大日本人(だいにほんじん)」と呼ばれる神職(?)の一族が代々これを“退治する役目”を宿命的に背負っていた。
そして、当代で6代目となる、その“稼業”の第一人者が大佐藤(松本)である。
「防獣連絡所」の看板を一軒家(←東京都練馬区内らしい)の玄関に掲げ、日夜“日本の危機”に眼を光らせる彼であったが・・そんな流れ。

冒頭から大佐藤の日常に密着取材する形でカメラが回り、インタビュアーが(実に答えにくい(=^_^=))質問を浴びせかける。このテイストがまず面白い。移動する市バス内で唐突に始まるやり取り、

質問「あつい方がお好きですか?」
大佐藤「まぁ・・仕事柄、どうしてもそうなるね」

からして何だか良く分からず・・その不思議さ故、たちまち物語世界へ引き込まれてしまった(=^_^=) 防衛庁(?)の依頼を受け、平和のため戦うヒーロー・・と言うエッセンスのみを抜き出せば「この上なく美味しい役回り」であるハズなのに、実際には全然そうでなかったりする。ピーター・パーカー(=スパイダーマンに変身する青年)以上に「中途半端に大きな力を持たされ、中途半端に大きな責任を背負わされている」そんな印象だ(・ω・)

たわい無いセリフの中に「野良猫の“野良”の定義って?」とか「正義とは?」「命とは?」などの意外に“深い”問いが飛び交ったりもし、ふと背筋を伸ばしたくもなるんだが、確信犯的なモノなのか、登場人物の誰もが(それらに)大した持論(結論)を持っていない辺りも“脱力感”に溢れててイイ感じ。まるでインタビュアーの質問に対し、真剣に答えようとしていると言うより「単にカッコ付けて話し始めたのはイイが、すぐにボロが出て来てしまう」みたいな見苦しさがあったり。
監督(松本)本人は(『座頭市(2003)』における主演俳優・北野武のように)「笑いを狙って行かない」方向の性格付けに自身を固めて(抑えて)いる様子。彼本人より、インタビュアーの語り口や、関係者の「天然な答え」の方にこそ笑わされた。

特筆すべきは、まぁ・・CG特撮だろうか。妙にどのシーンも市民の気配がないんだが(=^_^=) 造形(怪獣の産毛の質感とか・・スゴい!)や映像(ビル群や看板など)は充分“合格レベル”と私的には納得☆
終盤で、とうとうCG制作費が尽きたか?(=^_^=) いきなり、映像的にも作品的にも大きなパワーダウンをするんだが(と言うか監督自身が撮影に飽き始めたような感もあった(=^_^=)) ラスト寸前で

【ここから先は実写でご覧下さい】

みたいな警告テロップがでっかく表示されるんだが・・そこからしばらくの展開は、正直ちょっと盛り下がってしまったなぁ、ワタシは。

ってことで、終盤で酷く失速しちゃったような気もしたが「作品の組立て&描き方」としてはかなり面白いと思うんで、そこいらのハリウッド作品に何となく浪費しちゃうよりは、自身の“ユーモアのセンス”を試してみる意味でもおススメしときたい、“是非!”(=^_^=)

ほか、こんなことに気づいたり
・冒頭の“とある演出”にメチャメチャびっくり。「怪獣が出るぞ出るぞ・・」と言う胸騒ぎの相乗効果か(=^_^=)
・登場する女性キャラ陣はみんなしたたか。コレって監督なりの「女性観」の現れだろうか?
・「乳首」と「お爺ちゃん」の取り上げられ方も独特。監督のコンプレックスだろうか?
・終盤はどう考えても円谷映画『ウルトラ6兄弟vs怪獣軍団(1975)』のテイストを意識してると見た! そういや「不細工で、とあるレベルを超える強さの怪獣に対し、1人では殆ど立ち向かえない」トコも(同作に登場するヒーロー)“ハヌマーン”に似てる気がする。
・「飛べない」「光線系を発射出来ない」主人公は“ヒーロー”のお約束(?)を著しく逸脱してるのかも(・ω・)
・全体的にどこか「気を遣って作りました」的な印象を受ける。資金面なんかでかなりバック(吉※興業)に不自由(路線修正とか)を強いられてるんだろうか。
・序盤で出て来た「もしかしたら焼くことになるかも」だの「焼きます!」だののセリフは何だったんやろ?(カットされたシーンがあるんやろか?)
・子役の顔にモザイクをかける邦画はこれまで観た中で初めてかも!(=^_^=)
・助演の板尾(創路)さん。流石に「水を得た魚」のように個性を放ってました(=^_^=) 素晴らしい!
・「将軍様のお国」のメディアがチラッと登場。もっと叩いたってヨシ。
・「80万円」を理想の月収に挙げる主人公。妙に「リアル」なんですよね。。

〜 こんなセリフも良かったです 〜

大「昔は・・4代目の頃は、使用人も沢山いたようでねぇ」
問「今は?」
大「4代目?」
問「いや、使用人」

大「“第弐”で化けます」
 「・・入りました」
 「獣(じゅう)は怪獣じゃない。怪しくはないから・・と言うか、何を怪しがるのか、と」

問「あれ、何て怪獣?」
大「知らないよ」

妻「愛情注いで育てた娘に、何で電流ながせますかって」

問「いやでも、スゴいことになって来ましたね。何がって? ※※を殺したでしょ?」

大「全然(僕の力は)関係ないじゃないですか」

※劇中では「ダイニホンジン」と発音されてたが、劇場内アナウンスでは「ダイニッポンジン」と・・どっちなんじゃい?!

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2006年12月23日 (土)

☆『たそがれ清兵衛(2002)』☆

22日(金曜)。仕事を終え帰宅後、すっかり溜まってた「月曜〜木曜ぶんの新聞」に眼を通し、取りあえずひと通り切り終える。
・・と、それが終わるや否や本日の新聞が「カゴ」に投入されてる。。思わず「ゲッ!」となってしまう。

ちと疲れて来たんで、そこで手を止め、地上波で放送されてた映画『たそがれ清兵衛(英題:TwilightSamurai)』を観ることとした。
既にこれまでに2度ほど鑑賞してるので、今回は主人公・井口清兵衛(真田広之)を巡る“運命の歯車”が軋みながら急回転を始める“中盤以降から”ってことで。
物語としても、後半あたりの「緩急の塩梅」が最高にスリリングで面白い本作だが、反面、今回の鑑賞では「故・丹波哲郎氏のお姿を拝めず」「小林稔侍氏(奉行・久坂某役)のコミカルなキャラを殆ど堪能出来ず」「小悪党(役)の大杉蓮も出て来ず」と言う残念な一面もあったか(・ω・)

戸田仁斎道場の元師範であり“小太刀の達人”と言う設定の清兵衛と、一刀流の剣客、余呉善右衛門(田中泯)が“ある意味特殊なロケーション”の下で「果し合い」をすることとなるんだが(←詳しく書くとネタバレに繋がるので書かない)、その際の対話・・と言うか緩急の流れが素晴らしい!
そのシーンで「刀も抜かず、何をグタグダやり取りしてんだい!」とイライラしてしまう人はきっと「能天気系アクション映画バカ」に違いなかろう(・ω・)
物語を知ってしまうと、もはや顛末が記憶に焼き付いてしまうのが悔しいが「不遇な運命を生きる下級武士同士」である2人が「一線を越える(=アレを※※する)かどうか」「それを許せるかどうか」のプライドの違いみたいな部分で訣別し、その後の行動で互いの「イズム」を主張し合う・・“正しいかどうかの結論は己が刀で下す”みたいなサムライの心意気が巧くストーリーの背後に流れていたように感じた。

実際にそのようなハナシが(その当時の社会で)あったにせよ、本来あまり「表立って描かれなかった」端くれ武士の(華のない)貧乏生活をメイン(軸)に持って来てるトコロも実に斬新だ(賭場のシーンのない(←確かなかったハズ・・)時代劇自体、結構珍しいように思えた(私見))。

ヒロインである朋江役に宮沢りえ。映画の中での姿しか知らない(出演のドラマやバラエティ番組などは観ないんで)彼女だが『トニー滝谷(2004)』『父と暮せば(2004)』での印象がすこぶる良い。本作でも真田氏との演技レベル(=共に高い)に巧くバランスが取れてて、好感を持った。
さて、ほぼ同時期に『ラスト・サムライ(2003)』でも助演していた真田氏。あちらでも幕末期のサムライ(氏尾某役)を演じてるが、(片や『ラスサム』では)甲冑着て乗馬して・・とその印象が180度違って見える。ついついあの作品のパロディ的に、果し合いのシーンで(外で待つ)立会人2人が「井口さんが三手で取る」「いや、五手だ」みたいなやり取りをしてくれると楽しかったかも(=^_^=)
CG映像と言うと・・余り目立った処理は観られなかったが「山頂の鉄塔&電線を消す」とか「余呉に斬られた刺客・服部玄蕃の遺体にたかってるハエ(×_×)」・・とかに用いられてたのやろか?

ほか、幾つか気付いたこと。
□※のお骨をかじる余呉。あれは少なくとも“干菓子”ではなかったようだ・・
□余呉の台詞「浪人どもに紛れて、京に上るもよし、江戸に下るもよし」に「お!」と思った。当時の「おノボリさん」の向かう先は「京都」だったんやね(・ω・)
□「認知症」も作品のネタの1つに。。ただ、朋江が「自身が今、清兵衛にとってどんな存在の女であるか」を問われ“それに答えた直後、うなだれる”・・そんな演出に持って行くための設定と考えたら、これはなかなか素晴らしい!
□斬られた男が立ち上がり、動くたび「床にこぼれる血の音」のするのがすごい・・ま、更にリアルを追求し描写すると『ハンニバル(2000)』の某殺人シーンみたく“斬られた腹部からバシャッと何かがアレする”んだろうけど(×_×)
□ネットでもコメントを見つけたが・・清兵衛って「月代(さかやき)を剃らぬまま」に果し合いに挑んだんやね。。時間がなかったからか?
□ここを突っ込んでもどうしようもないんだが、この作品ってばある意味「映画館で観るしか手段のなかった時代に、映画館で観るべき作品」とは思った。高性能なディスプレイを通して、DVDソフト版で観る・・そんな作品じゃなかったように思う。ちょっと作られるのが遅過ぎたんやろか・・?
□1度だけ、頭上を見上げ“※※の※さ”を確認した余呉。“わざわざ描かれた”あの行為は何を我々に伝えているんだろう??
□本作の後で『たどんとちくわ(1998)』を観て、また『たそがれ』を鑑賞、再び『たどちく』を観る・・と繰り返すと、その内に発狂するかも(=^_^=)

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2006年10月21日 (土)

☆『逃亡者・木島丈一郎(2005)』☆

20日(金曜)。「踊るレジェンド・ドラマスペシャル」とし放送された『逃亡者・木島丈一郎』を帰宅後、観てみることとした。いや、正直あんまり期待はしてなかったんだが・・新聞TV欄の紹介コメントに「地下鉄事件の原点が!!」ってな言葉が“踊って”いたもんで(・ω・)
先週末、放送された映画『交渉人・真下正義(2005)』の“謎だらけ”の犯人像に迫る、新たな展開があるんかな〜・・と期待してしまった訳である。。って言うか結局、(両作品の)時間軸が繋がってるだけのことで、ドキドキしただけ損をした(苦笑)

地下鉄事件の数ヶ月前、2004年10月30日。東京都台東区で発生したろう城事件を皮切りに、本編(『踊る大捜査線』シリーズ)の脇役の1人、警視庁刑事部捜査一課所属の警視(←けけ、警視って!)・木島丈一郎が人質となっていた少年=吉村遼を伴い、ひたすら北へと逃避行を続ける・・ロードムービー的展開のドラマ。
不器用で実は孤独なアウトロー刑事・木島を演じる寺島進のワンマンショー的なテイストを楽しむぶんには良いが、やはり物語が長過ぎる感は否めない。少年が別な事件の「目撃者」だった、と言う演出も『刑事ジョン・ブック/目撃者(1985)』と言うより、宮下あきら氏の往年のアクション漫画「ボギー THE GREAT」の第1話とめちゃノリが似てるかも〜と思えたり。

にしても、ろう城事件に繋がる、別な殺人事件が背後にあるんだが、そっちの事件の発生現場やら真犯人の行動が妙にお粗末過ぎてやり切れない(×_×) 更にその真犯人の背後にも“巨悪”が控えてるようで・・にしては、その辺が中途半端なままに終わって行くし。。

私的に「子連れの旅」ってのは考えただけでご遠慮願いたくもなるトコロだが(←って言うか、それ立派な誘拐罪ですし!)本作を観てたら、主人公の2人に妙に感化されたか(=^_^=) 「保護者ヅラして、いちいち子供に説教する」ってな“エゴまるだしな旅”も悪くないかも、と思えてしまったのが不思議。小僧をパシらせたり、不条理なことを喚いて困らせたり、そう言う暴挙を数限りなくやりながら「仕返しされない」ってのは、相手が力を付けない(=^_^=)一定の(幼い)短い期間だけのことなのだろう、きっと。

それと、小料理屋のみつ子さんを演じてた森口瑶子さん、なかなかに男の熱くて硬いパーツにググッと来る感じ(←どんな感じだよ!)で良かった☆ ラストに別な事件が起こらなきゃ「・・今夜は泊まって行って・・」みたいな展開もあり得たかも・・とか(・ω・)
「つまんね〜事件起こしてんじゃねぇぞ、バカヤロー!」とか木島調で毒づきたくもなる訳だ。

追記:木島のヴィジュアルを観てると、何故か時々「松本人志が化けた感じに似てるかも」とか連想してしまった(⌒〜⌒ι)

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2006年9月17日 (日)

☆『電車男(2005)』☆

16日(土曜)に鑑賞。昨年劇場公開の作品が早くも(?)地上波に登場☆ 原作版(小説)は未だに読んでないが、ワタシってば結構「ネットを軸にした物語」が好きなのである。そして、それらには意外に「秀作が多い」とも思う(・ω・)
古くは『ハル(1996)』そして『ユー・ガット・メール(1998)』や『リリイ・シュシュのすべて(2001)』など・・。「大画面(スクリーン)でパソコン画面のメール文をそのまんま目で追わされてもしょうもないだけやろ!」とも冷静に観たら思える訳だが、描き方&演出が巧いのか、(ついひいき目に観てしまうのか)意外と失敗作ってば少ないんじゃないかな〜などと。
勿論、主人公たちが揃いも揃って美男美女だったり、とリアルさに欠けるトコはある訳だけど(=^_^=)

この映画『電車男』では、珍しく「終始匿名さん状態(本名不詳)」の男女(山田孝之&中谷美紀)が出会い、恋を実らせてゆく。
劇場でも観たけど、やっぱり今回も“電車男”がネットの住人ら(いわゆる2ちゃ※ねらー)から得たアドバイスで「徹底改造(服装、髪型、食事のセンスなど)」した後の姿に「何やキミ、カッコええんやんか!」と心で突っ込んでしまった。リアルなオタク野郎はああもスッキリと変われないものなのである(・ω・) ちょっと美化し過ぎな感じですな、うん。
ヒロイン=エルメスさんを演じる中谷。『約三十の嘘(2004)』がなかなか良かっただけに、本作で受ける「やや老けた感じ」が良くないな〜今後が心配だな〜・・と不安に思ってたんだが、見事その後の『嫌われ松子の一生』で弾けまくってくれました☆ なんかもう今や「アネキ! 何処までもついて行きますゼ!」なひいきな女優さんの1人でございます(=^_^=)

2人の恋をサポートする面々に、佐々木蔵之助(お疲れサラリーマン)、国仲涼子(女性看護師)、瑛太(引きこもり青年)、木村多江(iBookを使う(=^_^=)倦怠期な主婦)など。近作『嫌われ〜』でも“共演”することとなる中谷と瑛太の関係は「新発見」って感じで(今回の鑑賞にあたり)面白さのアップした要素に思えた☆
暴れ過ぎなおじさん=大杉蓮、単なる店員さん=田中美里、単なるエルメスの友人=西田尚美、など意外にキャストが豪華なのはマル。サポートする面々の中にも幾つか「ニアミス」や「共通項」の盛り込まれてるのも良かった(←そういう「群像劇を殊更アピールせんとする演出」が好きである、ワタシ(=^_^=))

本編をざらっと見渡したトコでは、
○年齢(=彼女いない歴)22歳の主人公(電車男)・・キミなんぞ、まだまだ甘い(=^_^=)
○流石に皆さん、タイプのスピードが速い!
○「ウザ系カキコ(書き込み)」を徹底的に排除☆ 「参加者はみんなイイ奴」と見なしてる掲示板・・それってリアルさに著しく欠けるぞ(=^_^=) ←モデルがかの悪評高き「2ち※んねる」だし(⌒〜⌒ι)
○電車男の『マトリックス(1999)』決め打ち評価・・「続編もいいけど、やっぱりコレですよ」・・その通り!(=^_^=)
○自発的スキンシップの数々・・エルメスさんもある意味、エキセントリックですです(×_×) ←その言動にそこはかとなく「慈愛」が漂ってましたけどね。
○「百式Tシャツ」「ツインファミコン」「マッキントッシュ・クラシック」・・時折飛び出すオタクなアイテム群に萌える萌える!(=^_^=)
○終盤、アキバの路上に倒れたまま放置されてる自転車、所有者は?
○「家族構成」や「自室以外の自宅内」が全く不明(描かれない)な電車男。実はとんでもなくエエとこのボンボンかも、と邪推したり。
○「電車男」と名乗りつつ「電車オタク(≒鉄ちゃん)」ではなかった様子の主人公・・
ってトコが目立ったかな。まぁ別に評価を著しく上下させるモノではござんせんが(・ω・)

〜 こんな台詞がありました 〜

リカ「みんな、最初は震えるんだよ」 

エルメス「大丈夫・・ちゃんと掴んでますから」
    「返事が早すぎますよ、ちゃんとお仕事して下さい」
    「頑張って」 ←この時の表情がええんですわ☆
    「あなたは・・何でもないささやかなことを嬉しく、幸せなことに変えてくれる」

ミチコ「女って土壇場で手のひら返すから」

3人組「みんな、同じ光を見ているんだ」 

ヒロフミ「(オレたちを)超えたな、電車」

追記:
1)街頭で「新製品のメンズウォーター(試供品)」を手渡して貰えない主人公(電車男)。ワタシの場合、逆に梅田界隈で「アンケート調査のおねいさん」に声を掛けられてしまった、それも本日(×_×) あの手のんに声を掛けられる(目を付けられる)のも「イケてない奴」の指標なんじゃないか、と(・ω・) 毅然と歩いてたら、捕まりませんもんね。。
2)「無人のホーム」で電車男と同胞たち(?)が対峙するシーン。何処となく『マトリックス』風な近未来映像にもみえたり。
3)本作の「男女逆ヴァージョン」が観てみたく思ったり。一見地味で不細工な処女(←なんですぐそれを条件にするのか)の女の子がイケメンの王子さま(?)と巡り会うハナシ。舞台は「大阪・日本橋」か「名古屋・大須」界隈なんぞをきぼん(・ω・)
4)「百式Tシャツ」に対抗し(?)「百武(ひゃくたけ)Tシャツ」ってのはどうでしょ(=^_^=) ←誰か既に作ってそやけどね。。
5)社名がもろに登場のJ※Bさん、「あの台詞」を苦々しく思うのかどうなのか。。

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