2009年7月 7日 (火)

☆『英国王・給仕人に乾杯!(2007)』☆

6日(月曜)の夜。実は“シネマサービスデー”でもあったこの日。
何の予備知識もなく、また正直、期待感もさほどなかったんだが(おい!)「興味なき作品を、敢えて観てみるのも面白いかも知れんよ、キミ」とふと考え、アーケード内のミニシアター“ソレイユ”で、細々と(?)上映されてたチェコ映画『英国王・給仕人に乾杯!』を観て来た☆

(映画に疎い)一般の高松市民各位ともなると、ワタシ以上に財布のヒモが堅いとみえ(?)“シネマサービスデーだのに”寂しい入場率となってしまってた(・ω・) いや、意外と悪くはなかったんだけどねぇ・・

チェコ共和国の首都=プラハの某所にある「再教育監獄」から、15年もの刑期を終え、1人の老人が出所した。
彼の名はヤン・ジーチェ。投獄により総てを失った彼は、当局(?)に指導されるまま「国境地域」へと向かい、そこで道路工夫(こうふ)の仕事を始める。

若い頃には駅のホームで、細々とソーセージを売っていたジーチェ。
「小銭を稼ぎ、いつかは百万長者となり、自分のホテルを所有するんだ!」と言う夢を心に秘め続けて来た、青年期以降の彼の半生が、チェコスロヴァキア(←分離前)の辿った“激動の時代”をバックに綴られて行く・・

小柄な青年がそこそこの女性遍歴を経て、そこそこにチャンスを掴みつつ成り上がって行く・・ってなファンタジックかつ“時代を駆け抜ける”テイストに『フォレスト・ガンプ/一期一会(1994)』を連想してしまったりも(トム・ハンクスは決して小柄じゃないけど)。
しかしながら・・中盤以降、作品世界は大きく“ハーケンクロイツ(鉤十字)”に覆われることとなる。。それにより、良くも悪くも作品世界が重厚に、かつドンヨリとしてしまってた感もあった(・ω・)

私的に「嬉しきサプライズ」だったのは、ふんだんに“エッチ系シーン”が盛り込まれてたこと☆
特に、主人公と親密な関係になってゆく“アーリア人至上主義者”のリーザ・パパネクさんのご尊顔が、ワタシの好みになかなか合致しており、このしとを眺めてるだけでハッピーな気分に浸ることが出来た(=^_^=)
他にも欧州美人が多数登場するし、その殆どが“美しきおっぱい”を惜しげもなく(?)見せてくれるのには、自身の中で溜飲の上がる間がなく(=^_^=)素晴らしかった☆

また、そこそこにCG描写(不気味な“モーフィング”など)もあり、そこそこにグロテスクな描写(戦傷兵など)もあり、で予測不可能っぽい半生記には仕上がっていたかな、と。

しかし・・決定的な「これアカンやろ!的描写」こそないモノの・・正直(作品全体に対し)PG指定をかけといた方が良かったんじゃ?・・と思ってもしまう本作であった(・ω・)

〜 こんなトコも 〜

♦大富豪の楽しみの1つで“真夏の庭に冷凍庫を持ち出し、雪合戦をする”ってお遊びをやってた☆
♦第2次大戦当時、ドイツ女性(アーリア女性)を妊娠させるには“精液検定”に合格する必要があったらしい(×_×)
♦“優生学研究所”の屋外プールはなかなかに楽園状態☆ 全裸のドイツ姉ちゃんが、泳ぎまくってます(=^_^=) あっこら! おっさんは全裸で泳ぎなや!(苦笑)
♦“ハイル!(総統閣下万歳)”の際に挙げるのは「右手」が正しいらしい。
♦「チホタ荘」から「研究所」へ・・所有者こそ代われど、あの「2階」の使われ方はさして変わんなかった(⌒〜⌒ι)
♦戦時中のプラハでも“女体盛り”みたいなことをやっとったんやね。。
♦ラスト、老いたジーチェがカメラ目線で観客に語りかけるのが印象的。あれは監督の狙いか? それとも・・主演男優のアドリヴ?(んな訳ないか(=^_^=))

〜 こんなセリフもありました 〜

ジーチェ“幸運はいつも、不幸とドンデン返しだった”
    “大抵の人間は、道に落ちたコインを拾わずにはいられない”
    “飲み仲間と罵倒し合えば、ビールが美味くなること・・を彼らは知っている”
    “床に札束を敷き詰める筈が、こんなトコロで砂利を敷き詰めている”
    “直しているのは道路か? 自分の人生か?”
    「君は男好きな女だね? 眼を見れば分かる」
    “何も見るな、何も聞くな。だが、総てを見よ、総てを聞け。と「給仕の心得」を教え込まれた。
     かくて私は、何も見ずに総てを見、何も聞かずに総てを聞いた”
    “学ぶべきことを、学べる場所へ!”
    「人間は愚かで、悪意に満ちている、と。それは真実だと?」
    “彼女の人生は、悲惨な程に美しい”
    「チェコ人は、戦争なんかしない」
    “鏡の中の自分の姿が、見れば見る程恐ろしく思えた”

ヴァルデン「何を買い、何処でそれを売るか・・それが“商売の総て”だ」
     「捨てたコインが、札束となって戻って来ることもある」

※「“幹に音楽をたたえる樹”が森には存在する」

リーザ「ボヘミアの辺境からカルパチア山脈まで、“総統”は総てのドイツ人を解放するわ」

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2009年7月 5日 (日)

☆『ディア・ドクター/Dear Doctor』☆

4日(土曜)の夜。
昨日(3日)より(出張絡みで)帰阪しており・・久しぶりに昼過ぎまで12時間もの(!)“寝だめ”を敢行しちゃったりもしたこの日(=^_^=)
やっぱり、実家のベッドの寝心地はなかなかによろしいのである!

何処にも出かけず終日(ひねもす)ゴロゴロ・・と言う選択肢もなくはなかったが(・ω・) 「折角のオオサカ滞在だし、いち早くホンマもんの新作(?)を1本こなしとこう!」と考え、狙っていた『ディア・ドクター』を観て来た☆

シアターは、大阪勤務時代に『パンズ・ラビリンス(2006)』を観て以来(確か一昨年の秋頃)、久しぶりの“Movix八尾”と言うシネコン。レイトショーの時間帯でしか都合がつかなかったが、代わりに料金が1200円で済み、少し嬉しかった。
それにしては、なかなかの入り(入場率)だったなぁ!

茨城県の山奥に位置する神和田(かみわだ)村。この村では、3年半を勤め上げたベテラン診療医=伊野治(笑福亭鶴瓶)の突然の失踪に、村内の誰もが動揺を隠せずにいた。
スクーターで村を走り去る伊野の後ろ姿を目撃した者、道路脇に残されていた(彼の)白衣を拾い上げた者、約束した翌日の診療を受けることの出来なくなった者・・

その中には、数ヵ月間と短いながら、彼の助手とし「へき地医療」の手助けをしていた青年研修医=相馬啓介(瑛太)の取り乱した姿もあった。

果たして彼は何処へ消えてしまったのか? そして、彼の消えてしまった、
いや、消えざるを得なくなった“その本当の理由”とは・・?

物語は、伊野の失踪事件に東京から来た2刑事(岩松了、松重豊)が関わり、本格的に“メスが入れられてゆく”過程と共に、
相馬が、赤いBMWに乗り、この神和田村にやって来た日からの展開が綴られる・・

原作・脚本・監督が『ゆれる(2006)』の西川美和さんってことで「今回も難解気味で、(真相を)観客に投げっ放す系なのかなぁ?」と多少の不安を覚えてしまったモノだが・・
「観客各位が“神の視点でもって目撃者となる”と言う要素」は更に磨き上げられ、笑いのセンスなども(主に前半ばかりだが)ちりばめる余裕も出てたりして、正直、驚かされた!

西川さんの処女作(?)『蛇イチゴ(2002)』はまだ(HDに録画したまま)観れてないワタシであるも・・『ゆれる』より更に“表現力&(作品)世界の幅”のパワーアップしてる気がした!
ちと(物語の)根っこの部分に芥川龍之介の小説「薮の中」や、滝田洋二郎監督の『おくりびと(2008)』などのエッセンスを取り込んでる気もしたが(←ワタシの単なる妄想かも)、もしそうにせよ、良い方向に昇華(?)してるので、それは素晴らしいことだと思う。

特筆すべきはキャラ造型の巧みさで、

・“公の部分”では本心が読めないが“私の部分”だと「心の揺れ」が伝わりまくって来る鶴瓶さん
・「チャラチャラしてる、イイ奴」だけに終わらぬ“秘めた言動”があり、それが赦せる瑛太くん
・本質は小悪党なんだけど“正義感としての精神”をも秘めた、難解な演技を苦もなくこなす香川照之さん(持ち味?)
・「ヒネた見方をする(=^_^=)観客」が心に秘めてるであろう想いをズバズバとセリフにして放ってくれる松重さん(刑事の立場で)
・最も(事件の)核心に近く、恐らくは“真相”を知っていたにせよ、それを秘め続けた余貴美子さん(ラストでは、彼女の“漠然と恐れ続けて来たこと”が現実となる・・)

彼らベテラン陣が“秘める”(または“暴く”)と言う演技に関し、それぞれの持ち味をいかんなく発揮し、(悪くすれば観客の中で)表面的に流れ去ってしまうドラマの「裏側」までもを感じさせてくれてたのは素晴らしい!
ワタシの中では「2009年に観た邦画」の中で、かなりな上位に喰い込んで行く1本ではないかな? と早くも(?)確信してしまう1本となった。

(私的に)惜しむらくは、
・終盤で、舞台がトウキョウにシフトしてしまっていた
・「へき地医療」に対する切り込みは、中途半端に終わってしまってた感もあった(結論は出せないんだけど)
・ラストの演出はちと“唐突”かつ“蛇足”ぽくも感じたか(流れ的に必要だとは思うんだが・・)
・ウルウルさせる演出には乏しかった
・祭りの風景とか、神和田村ならではの“ゆったりシーン”が欲しかった。時間的にカットされたかな?

辺りだろうか? それにしてもパワフルで上映時間(2時間越え)を感じさせぬ「映像+演出=完成度」だった! この作品は良い!

〜 こんなトコロも 〜

♦無医村(むいそん)に勤めれば年収2000万円ほどが支給されるそう。心身の休まる暇はないけどね(×_×)
♦村の集会所(?)には「心洗」なる書額が。(「洗心」だったかも、、)
♦伊野が相馬のクルマで患者の所へ向かう際のセリフ「僕、※※※※のよ」がかなり強烈! この“フリ”はスゴい!
♦鳥飼かづ子(八千草薫さん)や鳥飼りつ子(井川遥さん)の「顔を背けたまま“重要なこと”を言う」って演出は、改めて“これぞ邦画や! 日本人や!”と観客の愛国心を高めてもくれる(・ω・)
♦斎門(さいもん)(香川)の“咳込み具合”に妙な不安を覚えた。。
♦とある処置の際、患部に顔を近付けた伊野の「眼鏡の曇る演出」が光ってた!
♦とある処置の直後、へたり込む大竹さん(余さん)の演技も印象的だった!
♦帰郷時、台所でぼんやり「棒アイス」を食べ始めた循環器内科医のりつ子。“あること”に気付き、アイスなんかは流しにポンと捨てる! プロや・・(・ω・)
♦伊野が村外れで“最後に出会った人物”とは?!
♦母娘(かづ子&りつ子)を画面の両端に配するカメラワークも印象的。ど真ん中に「敷居」のあるのが“2人の心の溝”みたいなんですよね。
♦フロントバンパーの外れたBMW。あのままだと「整備不良」で検挙されると思うんですが・・(=^_^=)
♦余りに機械的な(=^_^=)「ドアが閉まります」でさえ、セリフとして十分な効果を上げていた☆
♦何でもかんでも「ドクターヘリ」で搬送・・とはいかないんスね(×_×)
♦JR「上菅谷駅」(の駅舎)が登場☆ 当駅で下車の折は(看板の映ってた)「茨城第一交通(有)」のタクシーを使ったげて下さい(=^_^=)
♦劇中の病院は「東京医科大学病院(新宿区)」とのこと。架空の医大の名は「若槻医科大」ですた。
♦ラジカセ(!)で流れてた落語は「10代目・金原亭馬生(きんげんていばしょう)」って噺家の『親子酒』。ユゥチゥヴで観れそうですね☆

〜 こんなセリフもありました 〜

伊野「何でまたこんな診療所へ? “罰ゲーム”か何か?」
  「辛抱が一番の毒です」
  「CTのある病院? 車で2時間かからんかな?」
  「何やクチから出とるで・・赤貝や!」
  「“縄張り意識”と違う・・“不可侵条約”や」
  「あないに離れてて“お隣”て」
  「あんまり精を出さんようにね」
  「家族は? 家族に説明する!」
  「ここの人は“(医者が)足らん”と言うことを受け入れてるだけや」
  「あんた、随分と“入れ込んだ”なぁ」
  「好きでここに残っとんのと違う」
  「(弾が)飛んで来たら撃ち返す・・毎日がその繰り返しや」
  「もう※※、言いなや」
  「ああぁ、鬱陶しいなぁ〜!」
  「上司の愚痴ぐらい、聞けるようにしとけ」

相馬「(医科)大学や病院では“見えない”ことが、村でなら“見える”って思うんです」
  「ここだとちゃんと“人に喜ばれる”んです」

刑事「こんな村の診療医ったって・・年寄りが死んでくの、眺めてるだけの仕事だろ?」
  「代わり(の医者)が来りゃ、何だってイイのか?」
  「くどいようですが、※※は※※では※※んですよ」
  「伊野を神仏に仕立てようとしたのは、あんたらの方じゃないのか?」
  「案外、村人に“袋叩きにされる”のは僕らの方かも知れませんな」

村長(笹野高史さん)「ここじゃ、神や仏より先生こそが“神様”ですから」

村人「こんな大往生、ねぇよ」
  「最期はホント、イイお顔・・」

かづ子「(ご飯の)お代わりは?」
伊野「いいです。自分で入れます」 ←おい

かづ子「この歳になると、何処かへ出て行くのもくたびれちゃって」
   「何にもしなくてイイんです。何にもしたくないんです」
   「子供達にも必死で築き上げた生活がありますから。(娘たちの)足手まといになりたくないんです」
   「だから先生・・一緒に“嘘”をついて下さいよ」

斎門「自分の手の中に、他人の命綱が握られているような・・そんな気がするんです」
  「(愛とは)そう言う感じじゃないですか? 多分」 ←「人間の本質」を衝くアクションが冴える!

りつ子「・・納得がいきました」
   「診るのは“他人の親”ばかりで」

りつ子「先生、ご両親様は?」
伊野「十分、親不孝をしております」 ←ここのやり取りにウルッと来る観客も少なくない?

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2009年7月 1日 (水)

☆『それでも恋するバルセロナ』☆

1日(水曜)の夜。
仕事の帰りに「そや、今日は“シネマサービスデー”やったんですなぁ〜」ってことを改めて意識⇒会社の界隈にあるミニシアター“ソレイユ”で新作『それでも恋するバルセロナ』を観て来た☆
作品自体が「モロに女性をターゲットにしてる」だけあり、この日ばかりは(?)狭苦しいシアター内における女性比率の高いこと! その中にあって、最もくたびれてた第一印象のおっさんこそが・・このワタシだったやも知れぬ(⌒〜⌒ι)

監督&脚本=巨匠ウッディ・アレンによる最新作。
彼が近年、ミューズ(女神)と崇め続けて止まない(?)スカーレット・ヨハンソンを中心に、酸素ボンベも絵筆も似合う(=^_^=)ハビエル・バルデム、ちと最近「掠れ具合」の著しいペネロペ・クルス、実は(密かな)ファンを自認してるパトリシア・クラークソンなど、そこそこの顔ぶれが一同に会する☆

アレン監督と言やぁ・・「ニューヨーク圏から外に出たら、忽ちおっ死んぢまうのでは?」ってぐらい、NYにずっぽしと根を下ろした“御大”と思ってたが・・本作は舞台の殆どが(当然ながら)スペイン・バルセロナであり、私的にはびっくり!
“何かの兆し”を感じ取って(←おい!)ワールドワイドなロケハンを敢行しはったのやろか?

ってことで、彼の狙い以上に、本作ってば“近年稀にみるバカ映画(←バカンス映画の略(=^_^=))”に仕上がってやがったのだった!

夏のはじまり。バルセロナの空港に降り立ったオンナが2人・・

1人は短編映画監督&女優であり、情熱的な恋に憧れるクリスティーナ(スカーレット)。1人は婚約者のいる、冷静で堅実なカタルーニャ地方研究家(?)のヴィッキー(レベッカ・ホール)。
親友同士である2人は、ヴィッキーの親戚=ジュディ(パトリシア)&その夫マークの暮らすスペインにバカンスにやって来た次第。

恋に破れたばかりのクリスティーナを慰めんと、ジュディは“お見合いクルージング”なんてな機を設けるも、彼女は“お膳立てされた恋”になぞ手を伸ばすタイプではなかった。。彼女のことを気にしつつ、携帯電話で婚約相手=ダグと「愛してる」を囁き合うヴィッキー。
彼女らは“親友なれど、愛については価値観の違う”2人だったのである。

そんなある日、2人は画廊で“別れた元妻に殺されかけた(もしくは殺しかけた)”と噂される画家=ファン・アントニオ・ゴンサーロ(バルデム)に出会い「運命的なモノ」を3人が互いに感じ取ってしまう。

未熟&無防備なロマンチストであるクリスティーナは、たちまちファンに心を奪われる。一方で「あなたは私のタイプじゃない」と強がってたヴィッキーもまた、とある成り行きで彼と1日を過ごし、次第にファンに心を許し始める・・

親友2人がそんな状況下でギクシャクし始めた矢先、ファンのもとに“睡眠薬を多量に服用し、自殺を図ったが・・一命を取り留めた”と言う、その過激な元妻=マリア・エレーナ(ペネロペ)が現れて・・

アレン映画の持ち味(?)と言えば、彼の青年期の(=^_^=)分身のような若僧が主人公となり、ボヤいたり、女難に遭ったり、やがては現実をそれなりに受け入れたりするような展開が少なくない、、と思うんだが・・本作は主人公を誰に定めて良いのか、正直良く分からず、また(私的に)描いて欲しい&観たいシーン(まぁ、つまりは“官能系”ですな)がナレーション1つ挟むだけで(←そのナレーションすらない場合も)バッサリとカットされたりもし、観てて意外にストレスが溜まってしまった(×_×)

中途半端な恋愛談義を結論も曖昧なままダラダラ続けてる感じで、どうにも軽く、締まりのない印象だ。
予告編から察するに「終盤で拳銃が登場し、大変な方向にストーリーが転がる」って展開を期待していたが、、コレが『アメリカン・ビューティー(1999)』のような“濃ゅ〜い転がり方”では全然なく、これまた薄味だった(×_×)

ストーリーにときめかぬ以上に、キャラクターそれぞれに魅力を感じなかったり。
特にヴィッキー&ダグのキャラに微笑ましさも醜さも何も感じなかったのはワタシだけやろか? パトリシアさんも、本作に限ってはすこぶる良くなかった。。
(ご尊顔を写す距離&角度の問題やろか?)

ってことで、本作は「“バカ映画”にどっぷり浸りた〜い!」「フニャフニャした、スパイラルな恋模様が好き〜!」「難しい映画って、分かんな〜い? みたいな〜?」って感じの薄味好きな観客には、是非おススメしたいし、きっと満足されるであろう

・・ぐらいにしか語れぬ1作であった(⌒〜⌒ι)

〜 こんなセリフもありました 〜

※「堅実さは重要ね」
 「人類は数千年を経ても、未だ愛を知らないでいる」
 「愛にだってバランスが必要」
 「私だって考えるわ・・“今の状況から救い出してくれる人は何処かにいないの?”ってね」

ジュディ「仕事のことなんか、妊娠すれば吹っ切れるわよ」

ファン「・・君の瞳の色は?」
   「人生は短く、退屈で、苦痛に満ちている」
   「愉しみに理由が必要か?」
   「愉しみの種を握り潰すと?」
   「人生は無意味だから、貪欲に楽しむべきだ」
   「婚約してる身だって? それこそ“自由を楽しむ最後のチャンス”だろ?」
   「部屋に来て1杯飲むだけなら、そんなにモジモジはしないハズだろ?」
   「情熱は沸き上がれど、表現の方法が分からない」
   「何があろうと、僕は人生を肯定するね」
   「彼女(マリア)は才能があり、ゴージャスで、官能的なオンナだ」
   「この選択で良かったと? ・・信じないね」
   「絵画の解説は、難しい」
   「一度、身体を重ねれば“自分の本当の気持ち”が分かる筈だ」

クリスティーナ「下着が無様なだけで、折角のチャンスをフイにするわよ」
       「自分の求めるものが分からない。まさに“さすらう人生”よ」
       「自らの望むものが分からないの・・望まないものは分かるけど」
       「“正しい愛”や“間違った愛”なんて、社会通念の押し付けに過ぎないわ」
       「私は何を期待していたの?」

ヴィッキー「確かに“翻訳”によって失われるものは多いわね」
     「一夜を共にしたのに、逢わずじまいなんて」
     「“罪深い週末”を過ごしたわ」

マリア「ファンは私から総てを盗んだのよ! “世界の見方”すらもね!」
   「成就しない愛だけがロマンティックなのよ」

ベン「僕の印象じゃ、君は※※を急いたことを後悔している」

追記1:遠距離恋愛で、電話の最後に「愛してる」と囁いてみて・・相手からの返事がなかったら「危ない」ってことでよろしいでしょうか?(⌒〜⌒ι)
追記2:ファンからヴィッキーにプレゼントされた絵画に対するマークのコメントが笑えた!
    「何だこりゃ? ロールシャッハ・テストか?」
追記3:「何故スペイン語の教師が銃を?」のセリフには、場内が沸いてた感じ(=^_^=)
追記4:ウィキペディア引用で恐縮だが・・『世界中がアイ・ラヴ・ユー(1996)』『マッチ・ポイント(2005)』など、NYを飛び出して撮影してる作品も「少ないながら存在する」ようで・・(×_×)
追記5:ペネロペとパトリシアは『エレジー』でも共演してましたネ。直接の“絡み”は共になかったように思うけど(・ω・)

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